2017-08

« 12345678910111213141516171819202122232425262728293031»
entry_header

鮭の西京漬けと上野・御徒町のこと

 先日長女とロピアに行きましたら、とても良いニュージーランド産のサーモンが安く出ていました。
 パックに4切れ 650円 一切れを二つに切り、それを西京漬けにしました。
 とても美味しく出来、特に皮を美味しく感じました。

       ニュージーランドサーモン西京漬け

 朝食の一品にしたのですが、この一切れが食べ切れません。食が細くなっていることが良く分かります。

 もう長年御徒町の吉池には行っておりませんが、吉池は年末になると鮭が山積みされていました。
 吉池から上野の方向にガード添いに行きますと、アメ横ですね。
 戦後の置き土産のような街です。今は様々な業種の店や外人も出店していて面白い所です。
 
 戦後直ぐは甘藷から作った飴を売る店が軒並み並び闇市でもありました。
 田舎から母とサッカリンや石鹸等を買いに来たこともあります。
 御徒町から上野駅に行きますと、浮浪者の姿があちこちに見られたものです。
 私が上京して来た当時上野駅周辺には未だ戦災孤児と言われる子どももいたということを記録などで知りました。
 
 先日「戦争浮浪児が語る終戦72年」と言うルポを見ていました。
 とても切ない番組でした。多くの戦災孤児の苦しみを知るだに、戦争の齎す傷の深さを思わずにはいられません。
 是非赤字からご覧になって下さい。

entry_header

豆腐の話

 昨日は紅虎餃子房で昼食を済ませた後、同じビルにあるヤオコーで野菜等を買って来ました。
 初めて目にしたのが佐賀の豆腐フクユタカの塊でした。
 大豆は北海道と言うことが頭にありますからアレッと思いました。調べて見ましたら、大豆の生産高は平成17年度の統計ですが、佐賀県は全国で4位になっているのですね。
 そしてこのフクユタカは佐賀県のブランド大豆で県内の大豆の80%を占めているのだそうです。
 特に豆腐の材料として優れていると言うのですね。
 夫は疎開で佐賀には数年行ってはおりますが、こんなことは全く知らないと思います。食糧難の話は良くしますがね。

      木綿豆腐  木綿豆腐2

 塊のようなこの豆腐は約350gありました。確りとした木綿豆腐です。これは炒り豆腐にピッタリだと右のように炒り豆腐にしました。
 可成り沢山の量になりましたので、昨夜も今朝も、今夜も食べます。

 子どもの時 中国の青島では豆腐は日本人のお店で売られていたのは普通の豆腐でした。
 焼豆腐もありました。すき焼きの時には買いに行きました。買い物大好き少女ですね。
 中国の豆腐は大きな籠のようなものに固まったまま入っており、売る時には要るだけを切り分け、それを棹秤で量り売っておりました。
 当時私は中国人の生活にとても興味があり、近くの広場にある豆腐売りの傍に行き眺めたものです。
 食べたことはありますが、当時のは臭くて日本のと比べ硬くて美味しくはなかったですね。

 その話を老師にしましたら、今はパックに入れて売られているそうです。
 そうでしょうね。

entry_header

今日の昼食と車の話

 長女の都合で一緒に食事をとるのは週2回位でしょうか。
 今日は外に食べに行こうと決めました。前々から豊四季の劉と言うお店に行きたいと話しに出ておりましたが、夫には合わないだろうと柏のららぽーとの紅虎餃子房に行きました。
 この店はあちこちにあるようで、もう忘れたような昔 銀座で入ったことがありました。今はあるのでしょうかね。

        海鮮ソバ

 シンプルなラーメンではなく、海鮮五目とろみそばと言ったような気がします。何だか違うかも知れません。直ぐ忘れて仕舞います。
 蓮が入っていたのが珍しかったですね。塩味で美味しく食べました。
 外食は何となく嬉しいです。安いもので良いのです。自分で作らなくて済むのが良いのですね。

 来月ある会合があるのですが、そこに行くのには余りに便が悪く、出席にするかどうかまだ決め兼ねています。
 長女が送って呉れると言います。車の運転も慎重ですから安心です。
 
 私は1966年の夏に免許証を受けました。それからの走行距離は100㌔もないと思います。
 75歳の頃 免許証は返上しました。身分証代わりに持っていたようなものです。
 今日は3人で車の話になりました。
 私が教習所で習っていた頃、車はトヨタのクラウンか日産のセドリックでした。
 背の低い私 座高も低く、椅子の背もたれの所と座席に座布団を敷き練習をしました。
 ハンドルの隙間から前を眺めて運転をします。
 夫と娘達が私を迎えにやって来て私の様子を見ていたのです。
 練習が終わり、側に行きましたら「ママの運転はリモコンカーみたいだね」と言うのです。
 運転者が見えないというのですね。

 免許を取ったと仲良しの会で話しましたら、「慣れたら相子さんの運転で箱根に行きましょうと」と言われました。
 ところが子どもの時からの友人は「わたしゃ乗らないね」と即言うのです。
 
 職場の教授に話しましたら「君には全く向いていないね」とこれも即仰るのです。

 多分これは正鵠を射た言葉ではなかったかと思っております。運転をしていたらブログを書くなんてあり得ず、彼方に行っていたかも知れません。

entry_header

茄子炒めと友人の話

 茄子は今は年中店頭に並んでいます。それでも盛りは夏ですね。
 安いし美味しいし毎日のように食べています。味噌汁には必ず皮を剥いて使います。
 最近は皮も時々固く感じることがあるのですね。年齢の所為でしょうか。徐々に固く感じる物が増えています。

         茄子炒め

 炒めた茄子に柚子味噌を掛けただけですが、美味しくて週に一回位は作っております。

 このところ友人の電話の一番は健康のことです。85歳を過ぎた人からが多いのですがね。
 ご本人は意識してはいないのでしょうが、説明をし出すと立て板に水です。私もチョッとは言いたいのですが良く聞きます。
 何かしら参考になることがあるのですね。
 88歳の友人から数日前 3年振りくらいに電話がありました。彼女は元々バイタリティー旺盛な方です。
 話しに時系列が分かりませんが、家の中で転び骨折。手術を受けたのですが痛みが続き、その痛みを解消するために、大病院から町医まで、更に接骨院やマッサージ等、色々と試して治療と言いますか治す努力をしていたのだそうです。
 掛かり付けの医師や大病院の診断では手術の後遺症で治らないと告げられていたのだそうです。
 彼女の性格からして、医師とのやり取りの様子はさぞ激しかっただろうなと想像できます。

 ところが先ごろ娘さんの住むハワイに出掛けたのだそうです。帰国したらなんと痛みがすっかり取れて楽になっていたのだそうです。
 不思議に思い、病院に行き先生のそのことを話したら「それは治っていたのを自分は治っていないと思っていたのですよ」と説明されたのだそうです。その症状の名前を言っておりましたが、良く聞こえませんでした。何と言うのでしょうね。
 
 彼女は「昔から転地療法と言うのがあったでしょ。それよ」と言っておりました。

 そしてその後直ぐに台湾に行って来たと言っておりました。強いな~とつくづく思いましたよ。

entry_header

老師に思いを馳せる

 今日は日本が連合国に負けた日です。終戦記念日と言ってはおりますが、負けた日なんです。
 72年前 この日は全国的に晴れでした。その日を知る人間は国民の20%位になっているようです。
 若い人ではこの日のことを知らないと言う者が20%もいると知り、過ぎし歳月への感慨深いものがあります。

 中国で1966年から10年程吹き荒れたあの文化大革命(通称文革)の経験者も減っていることでしょう。
 NHK文化センター柏教室で中国語を教えて頂いた王廼珍老師はその文革を経験されております。

 老師は北京師範大学国文科出身 北京出身ですから中国語教師として私たちを指導するにも多くの伝統的なことや、歴史や経済また社会的なこと等、ご自分の持てる力を私たちに注いでくださいました。
 語学の教師ではありますが児童文学の研究者でもあります。その知識の広さに接し毎週楽しく過ごしておりました。

         王老師

 老師は努力家でもあり、教師として如何に振舞うかも心掛けていたと思います。
 教室での生徒への接し方も立派でした。常に公平になさっておりました。
 時々集まる親睦会にも参加なさり、楽しく過ごされたお姿が懐かしく思い出されます。

         王老師と一緒

 両側のお二人は私のブログを毎日見て下さっている方です。老師は日本食は何でも召し上がります。
 アルコールは強く、北京からお帰りになると必ず強いお酒をお持ちになって来て下さり、一緒に頂くのですが、誰よりも強く毎度驚かされたものです。
 
 その老師が北京の中学校で教えていた時 あの文革の時期だったのですね。

 私は一昨日の早朝 目が覚めたのですが、床を離れるには少し早かったのです。何時ものように朝食のことを考えていたのです。
 何故か突然二胡奏者の阿炳の事が頭に浮かんだのです。
 あっそうだ!阿炳は老師が生徒に吊るし上げられた時 あの曲が老師に聞こえたのだったと思い出したのです。

 ある時 老師がテーブルに置いた毛語録の書かれた紙が何かの拍子に落ちたのだそうです。
 それを生徒達から咎められ、数日教室で吊るし上げられ、帰宅も出来なかったそうです。
 生徒は老師を全員で殴打し、全身痛みに耐えながら過ごしていたそうです。
 生徒の中には手加減して強く叩かなかったものもいたそうです。
 
 そんな時間が過ぎていた時 夜更けに何処からともなく誰が弾くのか有名な「阿炳の二泉映月」の二胡の旋律が流れて来たのだそうです。
 その時のことを話す老師の目ににじんだ微かな涙 忘れることはありません。
 阿炳のこの名曲は中国の方が良くご存知だと思います。昨日お出でになった老師に話しましたら直ぐにメロディーを口ずさみました。
 阿炳の生涯を知る王老師はご自分の心を阿炳の何かに重ねていたことではないかと私は推察しております。 この阿炳のことは「ここ」からご覧になって下さい。

 老師は今重い病を得て動くことも話すことも出来ません。頭脳は確りとしていると聞いております。
 老師は毎日何を考え何を語りたいと思われているのでしょうか。
 切ない現実です。

side menu

side_header

プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

フリーエリア

フリーエリア

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

MATERIAL

【背景、記事テーブル素材】
レースの壁紙
レースの壁紙 様

【素材の加工】
FC2blogの着せ替えブログ

Powered By FC2 blog