2008-08

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茨城県自然博物館へ

 先日二女とその娘と一緒に茨城県自然博物館に出かけました。目下トカゲやカブトムシ、また陸ヤドカリなどに夢中な孫。博物館の駐車場から入り口に向かうスロープの草むらに顔を出していたトカゲを見つけ、取り押さえようと追いかけ回っておりました。
 二女は年間パスポートで、孫と私は無料。博物館の職員は皆さん優しく、最初からいい雰囲気の博物館です。

             茨城県自然博物館へ
 
 二女と孫は既に何回も行っておりますので、展示の内容もよく知っております。博物館は本館の展示場と外の自然とのふれあいを学ぶところとに二分されております。二人は何時もは外を中心に回っているようですが、私のことを思い、その日は屋内の本館だけを見て回りました。
 展示の内容も充実しており、見応えがあります。感心したのはどの世代の人間にも興味を持たせることが出来るような資料が集められていることでした。
 孫は勝手知ったるとばかりに引き出しを開けたりし、私に得意げにしております。忙しいこと、煽られてしまいます。
 鏡の廻らされたコーナーではさまざまなポーズをとり、暫らく時間を過ごしました。次々に変わる自分の姿を楽しんでいます。あー私もやってみたーい。でも豚のサーカスになってしまうこと間違いありません。残念。

           茨城県自然博物館へ

 今期の企画展は「熊ー森のアンブレラ種ー」世界の熊の生態や現状が紹介されています。(9月2日まで)その企画の中で熊の縫ぐるみのコーナーが出来ています。
 孫は見逃すはずはありません。縫ぐるみの間でポーズをとります。バーバはすかさずシャッターを切りました。

               茨城県自然博物館へ

 これ位は受け持たなければ同行した意味がありません。でも来て見て勉強になり為になり、見たがり屋、知りたがり屋はとても満足しました。
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夏は晴れの日ばかり

 夏は毎日が晴れの日。子供の頃は夏休みは宿題はあるものの毎日が楽しく、今で言うところの様々なイベントに駆け回りました。それも大したことではないのですが。
 房州白浜の祭りは部落ごとにあり、母方の祖父母の住む部落の祭りは夏祭りでした。戦後は祭りの出し物として神社の境内に舞台をつくり、のど自慢の開かれたこともありました。
 神輿は特に大きなものではありませんでしたが、担ぐ男達の威勢はよく、神輿とは激しく担ぎ回り、駆け回り、持ち上げ、海の中でも担ぎ回りと言うのが私の記憶の中の神輿です。
 
 最近は日本各地の祭りが喧伝され、JRの構内には各地の有名な祭りのポスターが競って貼られております。白浜の海女祭りも宣伝されたのかも知れませんが、ポスターは見ておりません。
 館山の神輿や夏祭りをテーマにしたブログに出会い、あの部落の神輿は今も記憶のように担がれているのかしらと、気になっておりました。
 白浜在住の毛利繁さんと言う方の写真を見つけました。着ているものが昔と違い綺麗ですし、祭りらしい装束に見えます。神輿を担ぎ海に入って行っているのも、また激しく神輿を揉んでいるのも昔を思い出させて呉れます。

               夏は晴れの日ばかり

               夏は晴れの日ばかり

 昔、夏休みには都会から避暑というほどではありませんが、町の出身者がお盆を中心にして家族連れで大勢帰って来ました。
 祭りにもお盆にもご馳走がでます。夏ですからトウモロコシ、西瓜、それに何処の家でもトコロテンが出ます。勿論海のそばですから新鮮な魚も並びます。
 都会から人が来ますとトコロテンは大釜で煮て作り、毎日水を換えて食べます。海女のいる家では鮑やサザエがご馳走に出ます。五目寿司も定番です。晴れの食事が続き、お盆が済むと町全体が静かになります。そして卦の毎日が戻ってきます。
 過ぎ去った夏の思い出と今はすっかり変わっているようです。もうトコロテンを毎日食べるようなことも無いでしょう。スーパーも出来、車で移動し、毎日美味しい食事をし、そして大型TVの前でゆっくりと過ごす。子供や孫たちは故郷よりも外国に出かける夏休み。昔のようにバスから降りれば直ぐに知り合いに会い、何処ソコの誰々が泳ぎに来たのかも分る。そういうことも昔話になっていることでしょう。
 滅多に行くことも無くなり、知った人も少なくなり、田舎が遠ーくなりました。
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1945年8月15日

 軍部が向こう見ずに突き進んだ第二次大戦は1945年8月15日に漸く終わりました。既にドイツは降伏しており、日本の降伏は決まっていたようなものでした。
 8月15日の空は今朝の空のように紺碧でした。多くの記録や証言にこの空の青さがでて来ております。戦争末期には人々は空を見上げるという余裕がなかったのでしょう。私もそうでした。
 正午に天皇の言葉が放送されるということで、近所の皆さんが集まって来ました。天皇の声は不思議なイントネーションで、聞き取れません。その後改めて内容の説明がありました。「ポツダム宣言」受諾という言葉を聞くと「あー負けたのだ」と直ぐに分りました。
 少し前に伝単としては大判の物が米軍機から落とされて来ました。それには「ポツダム宣言」の内容が記されており、また深夜のハワイ放送でも日本の敗色濃いニュースが流れておりました。
 放送が終わりますと周囲からなんの音も聞こえて来ません。真空に入ったような感じです。人の声も聞こえて来ません。誰もが放心状態だったのでしょう。やがて蝉の鳴く声が大きく聴こえ始めました。
 敗戦を知ったあの日のあの正午。あの瞬間の風景と雰囲気と青空。ボケるまで一生忘れることはないでしょう。

              1945年8月15日
             (講談社・昭和二万日の全記録から)

 あれ以前も、あれからも国民の苦難が続きました。多くの人を失い、戦争の爪あとは今も様々な形で残っております。
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なんちゃッたって面白いこと

 久しぶりにサンパウロ在住のM氏からメールが来ました。元気で何よりです。添付の小噺が余りに面白く可笑しいので取り上げられずにいられません。少し長いのですが、お付き合い頂ければ夏の暑さも一時忘れることでしょう。
 教養とユーモア精神が無ければ書けません。整理をしていて偶然見つけた昔の原稿だそうです。今朝届いていたメールを読んで可笑しくて浮き浮きしました。

           なんちゃッたって面白い


小噺(ピアーダ)万歳のブラジル   飛田呆介
なにが愉快たって、ブラジル人と付き合うくれぇ面白いこたぁねぇ。とにかくのんきでよぅ、滅法楽しくって、ジョークが大好き、おまけに働くことがでぇ嫌いとくらぁ、これでオマンマが食えるなら、ブラジルてぇとこは、天国じゃねぇか。
 こないだはなぁ、ブラジル人のツアーってヤツにもぐりこんで一緒に旅行したが、まァ陽気に騒ぐのなんのって、大飯喰らって、笑うわ、歌うわ、ふざけるわ、まるで盆と正月―おっと、じゃねぇ、カーニバルとサッカーを一緒にしたような賑やかさには、たまげちまった。
 それによぅ、はじめてのご対面っていうのに、一〇年も前の友達って顔ですぐ仲良くなっちまうんだから、こちとら日本人は面食らっちまうわなぁ。
 旅からけえってきても電話かけてきてなぁ、ヤレ遊びに来ねぇかの、ヤレ飯食いにいかねぇかのって、まぁうちの主婦さん、とても付き合いきれねぇって悲鳴あげちまった。
 ところがさぁ、これが日本人だけのツアーかなにかに入ってみな。みんなかしこまっちゃて、へんに気取りやがって、ヤーな雰囲気だぜ。身内ならワイワイ騒ぐくせ、他人となると知っちゃぁいねぇって態度でさ。
 だけどなぁ、その付き合いのいいブラジル人だってよぅ、ゼニがからむとコロッと人間が変っちゃうんだから、現金なもんだ。まるで金色夜叉でゼニにたいする執着は尋常じゃぁねぇ、日本人が連中と組んでやった仕事にうまくいってるのがあるかい? みんないつのまにかゼニすられて、泣きっ面かいてんじゃぁないの? 日本人なんて甘っちょろいしおめでたいもんさぁ、連中にしてみりゃぁな。
 だからそんなブラジル人とは、ゼニのからまぬ根っからの友だち付き合いだけにするに限る。そうすりゃぁこんな楽しい仲間はいねぇぜ。
 なんたって面白れぇのは、連中の大好きなピアーダだ、小噺とでもいうか、ジョークとでもいうか、それも艶っぽいのがたんとあって、ご婦人の前じゃちょいとはばかられるのを、助平男どもがやってよぅ、腹ぁかかえて笑ってやがるのをちょいちょい見かけるんだがなぁ、まぁ、そんなかのちょいとお上品なヤツをひとつやってみるか。
――ええ、散々ぱら遊び呆けたプレイボーイがさぁ、ここらが年貢の納め時ってなわけで、滅法可愛い嫁さん貰っちまった。サテお立会い、楽しい初夜のお祭りのあと、その野郎がさぁ、ついうっかり昔の癖が出ちまって、ゼニ出しちまった、しまった!と思ったらよぅ、その嫁さんから釣銭が出た――
 てナァどうだい?ええっ、だめかい?やっぱしなぁ、こいつぁポルトガル語でやんなきゃ味がでねぇんだ。
 よしっと、じゃ今度はちょいと高級なヤツでいくぜ、こいつが判るにゃ教養が要るんだ、
教養ってヤツがなぁ、いいかい。
 ご存じブラジルってぇとこは、世界中の人間がいるところだってぇことを、まず頭にいれといてくんな。じゃぁはじめるよ。

――女ひとりと男ふたりが無人島に漂流したってわけさ、さぁ当然何かがおっぱじまるね。
いいかい、男ふたりがイタリア人だったらどうなるか?
 オレが先だ、いやオレだって取っ組み合いのケンカがはじまるんだ。(なんせあちらは情熱の国、男はみんな血の気が荒いっていうじゃないか)
お次は男ふたりがフランス人だったらどうなるって思うかい?
上手に話しあって、ふたりとも楽しむってわけさ。(さすがはアモールの国、遊びなれてるねぇ、フランス男てぇのは)
 今度ぁイギリス人の番が来た。さぁ、どうなるか、お立会い!
 お互い、紹介されるまで黙ってるってよ。(これがなぁ、誇り高きジョンブルだとさ)
 じゃ次はドイツ人だ。
 ふたりともなぁ、口から泡飛ばしてその女愛すべきかどうかの論争がおっぱじまった。
女そっちのけでよ。(ドイツってとこは、やっぱカント、ヘーゲルの国だぜ)
 まだあるよ、今度は中国人のご登場だ。
 人民元を積み重ねてって高いほうが先にいただいたとさ。(今流行りの拝金主義だって)
 さぁ、とうとうわれらがブラジル人のお出ましでござい。
ふたりとも、レアルの札束積み上げて、高いほうが万歳したって・・・・・
(なんだい、これじゃぁ中国人のマネしただけじゃねぇか、って思うだろ。ところがあとでその札束調べてみたら、みんな贋物だったってさぁ、どうだい、やるじゃねえか、ブラジル人ってのは・・・・)
 さて、お待ちかね、最後にわが日本人の出番でござい。さぁこのふたり、どうしたって思うかね。
 本社にメール入れて、どうしたらいいかってよ。トホホホホ・・・・・・
 
どうだいこのピアーダ、なかなか民族の特徴ってヤツを言い当ててんじゃねぇか。ブラジル人ってのはバカじゃねぇよ。それにしてもなぁ、チト日本人のは情けねぇじゃないの?
いちいち上に伺いを立てなきゃなんにも決められねぇんだからなぁ。

 ところでこの日本版にゃ落ちがる。
 届いたメールの返事にはこうあった。
“役員会にかけるから稟議だせ”ってな、イヤこいつは呆介の“創作”でげす。
テナ訳で、この国ピアーダの宝庫・天国、そしてブラジル人位ぇ小噺の名手はいねぇってことで、飛田呆介、飛んだ阿呆なお話でご免蒙りやしていただきやす。(97,10,15)

             なんちゃッたって面白い
      私達の見たリオのカーニバルのパレードの軍人。迫力満点です。
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塩釜

 高齢になると洋菓子より、どちらかと言えば和菓子に手が出ます。姑は五家宝が好きでした。
 先日所沢のH夫人から塩釜を頂きました。地味なお菓子ですが味にいやみが無く、美味しく頂きました。

                塩釜
 
 形が可愛く、遊びに来た妹も市販のものより美味しいと感心しておりました。普通は四角の物が店頭に並んでおります。このような手作りの物は本当に心が籠もっておりますね。一個が丁度口に合います。塩釜は食べるときよく粉が散りますね。そういう心配がありません。

                 塩釜

 塩釜は塩釜市の銘菓と言うことですが、塩釜神社の付近で作られ広まったと言われております。
 
 塩釜神社は東京都港区にもあります。歴とした謂れがある神社です。その神社の近くに港区の児童館がありました。友人が長いことそこの職員をしており、ある時塩釜神社の境内で子供祭りが開催されるので、手伝いに来てと頼まれました。
 ヤキゾバを大量に作りました。蒸麺を袋のまま半分に切ります。袋から出しますとソバが簡単にほぐれます。長年の経験で素早く捌いて行きます。彼女の威勢に皆が自然について行きます。人の仕事を手伝うのは何だか面白いですね。

             塩釜

 児童館にたまに訪ねますと、彼女はよく子供たちと卓球をしております。「子供に負けては駄目よー」またTVゲームをする時も「子供に負けないことー」「大人の力を見くびらないことを教えないと駄目ー」と頑張っております。今でも凄い信念だと感心しております。
 ということで和菓子の塩釜にも自ずと親近感が湧いてきます。

 H夫人のレシピが送られて来ました。参考に掲載します。

      「塩釜」
      材料 上白糖…230g
      水あめ……8g
      熱湯…… 10cc
      白あん… 15g
      寒梅粉…120g
      ゆかり…6〜8g

作り方
1.水あめに熱湯を入れて混ぜ更に白あんを混ぜ、
  上白糖を加え更によく混ぜます。
2.寒梅粉3分の2を入れ強く両手でこするようにもみ混ぜ、
  残りを加えて軽く混ぜます。
3.ゆかりを加え混ぜ、型に入れて強く押して出来上がり。

レシピでは 寒梅粉120gとなっておりますが、市販の寒梅粉は200g入りです。
一度に全部使い切るようにしておりますので、他の材料もその比例で多めにして
作りました。 厳密に計ったのではなく大体の見当です。

 解説が丁寧です。

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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子。1931年生まれ。見たがり、聞きたがり、知りたがり。後3年で80歳。やたら「あれ・これ」が増え、孫にとんちんかんな質問をしては笑われております。探し物は毎日、固有名詞がすんなり出てきません。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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