2017-04

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九九歌

 毎週月曜日は整体治療を受けに行きます。先生は若い男性ですが、日本の大学院で勉強もされ、物知りです。
 体のことは勿論ですが、栄養学にも通じており、いろいろと教えて頂きます。
 最近部屋の壁に一枚の画が掛けられました。お客様が中国で求めて来たそうですが、大きくて家では飾れなくてと下さったそうです。
 「これ子どもが何人いるかわかりますか」「う~ん3人いや6人?」「そうですよ」
 中国の子ども(唐子)の姿です。幼い子どものこの「からこ」模様は日本でも陶器などでも良く見かけますね。
         
        からこ
 
 これは掛け軸に設えてありますが、画の部分をトリミングしました。
 調べて見ますと中国河北省武強市で製作された年画だと分かりました。
 子どもの上に九九歌と言う字とその歌が書かれているのが分かります。この九九歌は童謡のように子どたちが覚える歌のようです。
 この歌は冬至から九日ごとに春へと向かう様子を歌い、春を待つ人々の心が分かると言うものです。
 北京で歌われてた古い童謡のようですが、果して今の北京では歌われているのか どうでしょうか。

   一九二九不出手、三九四九冰上走。
   五九六九河辺看柳、七九開河、八九燕来。
   九九加一九耕牛編地走。

 
 意味は下記のような内容です。
 冬至から「数九」が始まります。「数九」とは九日間ごとを一つの「九」とし、「一九」「ニ九」と九つの「九」まで数えることで、これによって、天気の変化や冬に別れを告げて春を迎える気持ちを表しています。
 
   一九ニ九は、寒くて袖から手が出せない。
   三九四九は、川が凍って氷上を歩いているよう。
   五九六九は、川辺で柳を観賞する。七九になると川が溶け、
   八九になると雁がやって来る。   
   九九にもう一つ九を加えれば、辺り一面、牛が田畑を耕すようになる。
  
 
   寒い地方の人々春を待つ気分が分かりますね。

 ところで今日は9月9日 
 九月九日は中国では旧暦で重陽節と呼ばれる日です。九は陽数と言われ、未だ先があるので最高に近い良い数字だと言われます。十は頂点ですから、必ずしも良いとは言えないようです。頂点になれば下り坂となるからだと聞いております。
 今年は10月23日になります。子ども頃に重陽節には盃に注いだ酒に菊の花びらを浮かべて飲むと聞き、なんて優雅なことかと思ったものです。確かに日本の重陽節会ではそのようなこともあったと記されております。
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京劇は何処で見るか

 最近私が欠かさずに見ているTV番組。
 土曜日の蒼穹の昴 日曜日の竜馬伝 月曜日のフォレスタの歌う「BS日本・こころの歌」
 勿論他の番組も見ております。ですが殆んどは何かをしながらですから、真剣に見る番組は少ないと言えます。

 蒼穹の昴は小説もなかなか迫力があり、読み応えがありました。TVに登場する人々のコスチュームは見逃せません。私が作り、教えている旗袍とは違いますが清朝末期の齎す服飾を知ると言うことが勉強になります。
 ドラマの中で春兒の演じる京劇の場面。西太后は京劇が好きだったと言うことは良く耳にしますので、何時の時点かで京劇の大舞台が見られるのではと期待しております。
 随分前 中国語の授業で京劇の成り立ちや、役者の特徴などを教えて頂きました。
 北京では京劇を見ることが出来ました。
 梨園劇場です。初めて見た時は伝統的な劇場はこういう物かと感動しました。生徒を連れて行った時も梨園劇場にしました。自分で組んだツアーですから、裁量が効きます。良い席にしました。
 梨園劇場以外にも北京には京劇の劇場はあります。梨園劇場では両脇の電光板に中国語と英語の字幕が流れます。日本語はありません。
 英語が流れますので、英語の出来る生徒に良いのではと思ったことです。その時には開演少し前に役者のメーキャップする様子を見ることが出来ました。

         メーキャップする役者

 ある時新聞で京劇の話が出ており「梨園劇場の京劇はディズニーランドの舞台のような物。本物はキチンとした劇場で見なければ」と書かれております。何だかがっくりと言う言葉が当たるような内容でした。

 日本での京劇は大掛かりな物です。国立や池袋の劇場で何回も見ております。日本公演は中国側も力を入れているのでしょう。日本人に分かるように字幕も流れますし、ガイドブックも実に丁寧に編集されております。
 で人に京劇を観賞するには何処が良いのかを聞かれますと私の僅かな経験では決めかねます。

 その人の知識によって決めることが大事だと思います。日本で見ますと日本語で理解出来ます。中国の何処かで見るとなれば、内容と中国語の知識が必要な感じがします。

 今はどちらかと言えば余り知識がない場合は日本で。マニアは中国でとそう思い始めております。

          京劇

         京劇配役の面

          チラシ

 下のポスターはアメリカであのテロのあった日の観劇でした。名優梅葆玖を見たくて出かけました。
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白川郷の民具に重ねて

 今日この頃滅法寒く感じます。暑さ寒さにも平気だった昔を思いますと、嘘のような体になっています。
 戦後1948年に上京。その頃の東京の冬は寒く、郊外では5㌢もあろうかと思われる霜柱が見られました。その頃ナイロンストキングを履ける女性は極一部の人でした。女子学生でもそのストッキングを履いているのは30名程の中で一人しか知りません。私はソックスを履くだけでも平気でした。寒くはありましたが辛くはありませんでした。
 そのナイロンストキングは高価で一足が2000円位もします。ですが米軍関係の女性が履き捨てる中古のストキングは修理されて新宿などのマーケットで買うことが出来ました。それでも一足200円位です。今のようなパンストではありません。不思議な事にあれだけ戦中モンペやズボンを履いていたのに、戦後の若い女性はズボンよりスカートの方が多かったような気がします。
 やっと買った中古のストキングが伝線するとこれまた修理に出します。一本3円から4円位でしたね。
 
 前置きが長くなりましたが、白川郷の雪景色が素晴らしく、多くの方の写す景色に見とれています。雪景色ばかりではなく四季折々の姿もそれなりの魅力で人を引きよせております。
 
 昨秋白川郷を訪れました。大勢の方が集まり、バス停付近は勿論全体に人、人です。夫と私は一番見やすい方法をとり、明善寺を訪れました。
 ここも文化財に指定されており、見学コースも整えられております。私たちはおぼつかない足取りで三階まで昇りました。
 その三階には昔の民具が展示されております。一つ一つをじっくり観察し、記録をしたいのですがツアーはそういう時間は取れません。せめてとカメラを向け、写して来ました。
 多くの民具にこの郷の厳しい生活を感じます。特にこう毎日寒くなりますと、人の目が向けられるまでのこの郷の方々は、この道具を使い、厳しい生活を過ごして来たわけでしょうから、その姿を想像してしまいます。

         民具

         大八車

         石臼

         行燈

         柱

         早駕籠

         生活用具

         庫裡の囲炉裏

 このような生活を支えた多くの用具、民具、農機具、仕事用の器具などを見ますと、今の豊かな生活に感謝をしなければと思うことです。同じようなことですがサンパウロの移民史料館のことも改めて思い出されます。



 
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富山の置き薬

 富山で開催された校友会全国大会の翌朝、ホテルを出て富山の駅周辺を歩いて見ました。
 いかにも置き薬の富山らしい像に出会いました。
 家族と離れ、遠くに出掛けて行く薬売りの姿。人通りも少ない駅前に像は佇んでおります。
 
            富山駅前の像
 
 子どもの頃、富山の置き薬を運んでくる人が家に来ますと、子ども心にも気分が弾み、薬の入れ替えを横から眺め、紙風船が出てくるのを待っておりました。あの四角の紙風船。懐かしいですね。
 「越中富山の反魂丹 鼻くそ丸めて万金丹 それを飲む奴アンポンタン」なんて歌って騒いだりしたものです。
 考えれば失礼な話ですね。世界で珍しい信頼を重んじる販売方式の富山の置き薬。歌われるだけに知れ渡っていたということでしょうね。
 折角富山に行きましたので、置き薬のことを知りたいと思いタクシーの運転者さんに聞いてみました。タクシーの運転手さんは「ここには見るような処は無いんですね。戦争末期に米軍の空襲を受け、街は焼けてしまいましたから。まー置き薬の方は見学できるところは二箇所ほどありますけど」と言いその一つ「広貫堂」に車を着けて呉れました。
 
 置き薬の老舗。広貫堂に着きましたが、観光バスが何台も並んでおります。次々と高齢者の団体が降りて来ます。
 さりげなく尻に付いて店舗の中に入りましたら、「お一人さまですか。恐れ入りますがこれにご記入ください」と簡単な質問事項のある紙を渡されました。別だとどうして分かったのでしょう。バッチを付けていなかった所為でしょうか。
 用紙に記入し、団体と一緒にスライドによる置き薬の歴史やこの商いの仕組み、薬の効能などを聞きました。

            団体と説明を聞く

 この広貫堂は富山の伝統的産業を担う老舗だということです。300年の歩みは資料館で見ることが出来ます。

            広貫堂の始まり

            資料1

           資料2

           資料3
 
 運転者さんは富山の置き薬に詳しく、製薬会社が40軒ほどあると教えて呉れました。
 他所に行きますと何かしら買いたくなりますね。先ごろから右の二の腕を痛めていましたので、湿布薬を買い、またポスターを二枚買いました。湿布薬はかぶれず良かったですね。
 運転手さんのお勧めで予想以上に良い勉強をしました。
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熊田千佳慕の絵

 滅多に行くことのない浅草松屋。1999年5月のある日、松屋の地下の総菜売場は庶民的ですので、友人と二人して眺めに寄りました。
 「熊田千佳慕の世界展」が開催されていましたので、会場に行きました。朝日新聞社が主催した会場には数えきれない程の絵が掛けられています。
 どの絵も精密、動植物の姿が生き生きと表現されております。友人と二人して溜息をつきつき会場を回りました。驚くべき筆致に常人ならぬ姿を感じたことです。
 その方が会場にお見えになって、図録にサインをされております。私たちも並び待ちました。

               図録表紙

 私たちにサインをして下さったところでその日は終了しました。サインは優しく綺麗で繊細です。
 図録は何回めくっても初めて見たような発見があります。
 また「オリジナルアートカード」が特別付録として添えられておりました。

            ほたるぶくろ

               はがきに

 二人はサインを頂き浮き浮きとなり、良かったわねと何回も繰り返し感動を共にしました。
 はがきとして使うことが出来るカードはもったいなくて使えません。

 先ごろ「プチファーブル・熊田千佳慕展」が銀座の松屋で開かれると知り、時間がなく行かれないので、図録を出して眺めておりました。
 展覧会は8月12日に開幕されたのですが、熊田さんご本人が13日に亡くなられたとの訃報に接し、大変驚きました。
 享年98 ご冥福をお祈りするばかりです。

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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日85歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになりそうです。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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