2017-08

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バレンタインデーだと言うのに

 昨日スーパーに行きましたら、チョコレート売り場には色々な綺麗なチョコレートが並んでいます。
 明日になったらどうするのかしらと、他人事ながらチョッと気になりました。

 バレンタインデーにチョコレートを上げる。誰に?何だか上げるのも色々と考える必要があるようですね。
 我が家では夫が偶に孫から貰うことがありますが、私は夫に一度も上げたことはありません。
 お互い余りそう言ったことに拘りがありませんから、今日もただそういう日だな~と言うだけですね。
 無風流とも言えますね。でもチョコレートは美味しいし、食べるのは好きですよ。

       チョコセット

   これは夫が随分前に上の孫から貰った物です。

 話しは変わり、女学生の頃 女学校の教師は男女の交際を歓迎しておりませんし、むしろ禁止するような姿勢でした。
 チョコレートを異性に上げるなんて夢のようなことですね。勿論チョコレートなんてありませんでしたよ。

 昭和19年4月に入学しましたが、毎日が楽しいばかりとは言えません。勤労奉仕もありましたし、防空壕作りもありました。
 
 そんな時ですガ、学校では団行と言う名の行事がありました。
 全校生徒で行軍のように遠くまで歩いて行くのです。その中で特に記憶に強く残っているのは、「安房神社」と言うお宮に「武運長久」を祈りに行ったことです。
 とても暑い日でした。
 学校から南へと向かい歩きます。峠が一か所あります。切り通しと言われ、そこに行きますと、爽やかな風が吹き通り、休憩します。 
 道路一杯に皆で座り、汗をぬぐい一息つき、また歩きます。
 
    この方のブログでその切り通しを見つけました。

        切り通しR410

 とても不思議なことなんですが、この神社のある部落から学校に通って来る生徒もいるのですし、歩いて1時間もあれば家に帰られる生徒もいるのですが、お参りが済むとまた全員学校に戻るのです。
 私も山の中を通って行けば2時間位で帰られたと思うのですね。
 それがまた3時間ほど歩いて学校に戻るのです。
 そして私はバスで帰宅するのです。
 当時バスは1時間近く乗りましたからね。
 訳の分からないことが沢山ありましたね。全体主義と言うのでしょうか。

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日露戦争

 昨日は小雪もあり、寒い日でした。病院に行き、娘たちと昼食を済ませて帰宅。
 その後夫は家に戻り、私達3人で買い物に出掛けました。帰宅したら夫の様子がおかしく、早く寝て貰いました。 
 夫は今朝起きましたら、すっかり回復。ホットしました。
 午後は内科の受診で出掛けました。
 私は先月忘れていた定期検査を受けて来ました。結果は来月に分かりますが、今日の胸部レントゲンの結果は問題なく、心電図も良い状態だと言うことですから、ま~良いかなと思っています。
 
 今日は日露戦争で日本がロシヤに宣戦布告をした日だそうです。
 小学校の時 明治27年28年は日清戦争 明治37年、38年は日露戦争 それも勝戦争と教えられていました。

 司馬遼太郎の坂の上の雲のテレビ放映が始まると分かり、2009年9月夫と大連、旅順に行って来ました。

     旅順口1  旅順港

 旅順と言えば廣瀬中佐のことが思い浮かびます。小学校の時に廣瀬中佐の歌を歌ったものです。

 廣瀬中佐の像は万世橋の近くに建てられていたそうですが、その行方は分かっていないようです。

              廣瀬中佐像

 日露戦争は日本にとって厳しい戦いだったのですね。上の赤字の日露戦争と合わせて、日露戦争の戦い一覧まとめをご覧になって頂くと流れが分かり易いです。

 203高地の戦いは激戦だったのですね。ここを登って行くバスの中でガイドの説明で乃木将軍の子息の戦死した場所だと言う所に墓標が立てられておりました。
 
             203高地

 203高地の戦いの末 日本軍とロシア軍は水師営で会見。
 ロシア軍は撤退しました。
 
    水師営会見所  水師営会見所1

 この水師営の建物は復元されたものだそうです。中には日本軍の医師が手術をしたと言うテーブルや乃木将軍の漢詩の軸なども掛けられております。
 掛けられていた写真の一枚が日本とロシヤの代表の並んだ一枚です。

            水師営会見

    日本は乃木将軍 ロシアはステッセル将軍ですね。

 水師営の会見の歌も小学校の時に習ったことです。こうして日本人は何時も勝つと思い過ごしていたのです。

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泥だんご

 幼稚園に3年10ヶ月通ったと言うと人に驚かれます。
 幼稚園に行きたくて駄々を捏ねたのかも知れませんが、とに角通ったのです。
 そのことは以前にもアップしたのですが、幼稚園で遊んだことで、思い出したことがあります。
 それはネットで大学の教授が子どもの泥だんごの研究をしたと言うことを知ったからです。

 私の通った幼稚園は千葉県館山市にあった三福寺と言うお寺の経営する保育園でした。
 ところが今回三福寺を調べて分かったことは私が思っていた保育園より立派な、保育園だったのです。
 それも大正15年(1915年)に開園された保育園だと言うので、驚きました。
 三福寺も由緒あるお寺だと言うことも初めて知ったのです。

 幼稚園の姿を思い浮かべますと、子どもは30人位だったのではと思うのです。
 園庭に置かれた遊具は滑り台、小さなジャングルジム、それに低い鉄棒そんなものでした。
 園庭では良く泥遊びをしました。
 その泥遊びは今では絶対しないだろうと思う遊びです。

 泥遊びの時、子どもは二、三人で一緒に遊びます。庭の一角に座って、先ず園庭の砂を手元に寄せます。
 その砂と言いますか土と言いますか、それに唾を落とします。
 それから唾の上に土を掛けて、唾を固めます。そしてまたその上に唾を落とし、また土を掛けてと繰り返します。
 土の上を叩きます。「波より石より硬くなれ」「波より石より硬くなれ」と呪文のように叩き、そしてこすり撫で続けます。
 すると唾で硬められた光った艶々になった丸い、グリコの粒のような塊が出来上がります。
 泥だんごの記事を読み、よそでも子どもの泥だんごがあったのだと知り、何だかほのぼのとしました。

 このお寺の保育園は優しい先生ばかりだったように思い出しております。
 おやつの時間になりますと皆で声を揃えて歌います。
 「おやつはな~に、おやつはな~に、あれあれ見えるお盆の中に」と節を付けて歌います。
 そして「頂きま~す」と言い布巾をよけます。そこには何時も変わらないヨーチが幾つか乗っています。

        ヨーチ

 懐かしいお菓子です。この保育園には一緒に通ったお友達が数人おります。
 毎朝我が家に集まって来ます。その一人とテレビの画面でお会いしたのです。
 
 昨年6月に放映されたアド街ック天国と言う番組なんですね。
 館山が取り上げられていたのです。館山出身のXJAPANのYOSHIKIとToshiがお世話になったいう幼馴染のお母さん「千成」の女性が出て来たのです。
 毎朝家にやって来た京子ちゃんでした。40年ほど前に一度お会いしたのですが、気のせいか変わっていないのです。
 若しかしたら彼女が私を見たら変わっていないと感じるかも知れません。
 一緒に作った泥だんごのことは覚えているかしら。機会があればお会いしたいものです。

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薪採り

 厳しい寒波が日本列島を覆っているようです。
 それでもここ我孫子の空は冬らしく高く澄んでいます。昨日も今日もこのような中央公園です。
 
       1月13日中央公園

 定点観測のような公園です。上の方に上がると景色は大きく変わって見えます。
 この枯れたように見える樹々の姿を見ますと、時々子どもの頃の薪採りを思い出します。

 日本に帰国してから、部落の子どもたちと仲良くして貰わないといけませんから、冬になりますと一緒に山に出掛けて薪を集まます。
 薪ひろいではないですよ。採るのです。
 日曜日の朝早く出かけます。部落の北側に並んでいる小高い山を登って行きます。峠を越して奥へと進み、どこの家の山かは分かりませんが、リーダーのような子どもに連れられ、林に入って行きます。
 竹棹の先に鎌を括り付け、それを持ち林の中を歩き回ります。
 上を見上げて枯れた枝を見つけると、鎌をかけて切り落とします。
 ある程度採りますと、纏めて縄で縛り道路に置いてある背負子に括り付けます。

         Yahoo!知恵から背負子

 写真はYahoo!知恵からお借りしました。このように括り付けるのです。
 私はこれほど採れないんです。ほんの少しなんですね。私の背負子を通りすがりの小母さん軍団が見ると「どこの子だろうかね。こんなちゃっけいのをさ~」と笑いながら通って行きます。
 慣れない事でもありますし、実際家ではなくても良い物なんですね。
 それでも仲間外れにされないように、付いて行ったものでした。
 
 EGUTIさんの霜柱を見ましてね。当時山の奥に行くと霜柱を見たことを思い出しました。

      霜柱

 こんな凄いものではありませんでしたが、薪採りを思い出しますと霜柱が浮かんで来るのです。

 チョッと話がそれますが、昭和23年の吉祥寺では横道に入ると霜柱が立っていたものです。
 東京は寒かったですね。

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あれは何だったのか

 今は昔 パリ祭と言う日 7月14日ですね。
 都内の盛り場 特に銀座 その銀座に若者を呼んだ言葉 それはパリ祭 
 お金もないことなど気になりません。
 ただ歩くだけでも良いのです。銀座に行かない者は変わり者と思われるような感じでした。
 一体何があったのでしょうかね。

 今のような多様な生き方や活動の場が芽生えていなかったからでしょうか。
 パリ祭と言えばパリ祭 クリスマスと言えばクリスマス。
 ま~人が流れて行くのですね。
 活気があると言えば活気に溢れていたとも言えましょう。

 銀座の変わり様はテレビを通じて知ると言う今の私 今日の銀座はどうでしょうか。何だか知りたい気分です。

     パリ凱旋門  パリエッフェル塔

パリの凱旋門とエッフェル塔です。昨年二女の娘がダブルダッチ世界大会に出場した時私に送って呉れたものです。

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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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