2017-03

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私的明大昔話 30

 一世紀と言うのはとても長いように思えます。
 ですが既に85年も生きて来ています。
 夫と良く昔話をします。同世代ですから話すことは大体通じます。
 ま~通じないことと言えば、私はスポーツのこと。夫はチャイナドレスのこと。
 全く通じないと言うことではありませんが、「そうそう。それでね」とか「そうだよ。あれは良かったね」とか言う程ちゃんと通じる訳とは行きません。
 時々昔の映画のこと等で思い出したりすることがあります。ターザンの話は何回も出ますね。
 ターザン映画の舞台はアフリカです。その映画の中でターザンの飼っているサルのチーターですが、このチーターがティシュペーパーを使っているのですね。これが凄いと言うのです。
 象はインド象なんですよ。子どもの時はそんなこと分かりませんよね。
 ティーシュペーパーを知ったのは40年位前でしょうか。ターザンの映画ではチーターが次々取り出して使っているのですね。
 話の落ちは毎度「これだもの。勝てる訳ないよね」です。

 ターザンを演じるのはワイズミュラーです。有名な水泳の選手だったアメリカの俳優です。

 明大駿河台校舎の体育館の地下にプールがありました。
 3コースほどの狭いプールです。25mだったと思います。
 そのプールでは泳ぐ人を見たことがありませんでした。水泳が好きだった私。ある夏の日水着に着替えてプールに入って行きました。
 水はとても綺麗で澄んでいます。ところがその水の冷たさと言ったら身体を沈められません。
 後で管財の方にお聞きしましたら水は水道水で、時々入れ替えはしていると言うのです。

 このプールが出来た時、ワイズミュラーが泳いだと聞いておりました。
 ええ?こんな小さなプールで?とず~と思っていました。つい最近までね。
 それである時パソコンで調べて見ましたら、分かったのです。昔々ワイズミュラーが泳いだと言うプールがあったのです。
 ここなんですよ。そのプールに明大が関係していたのだと言うことなんです。
 それがワイズミュラーが来校したと誰かが言ったのでしょうね。それがそのまま間違って過ぎていたのでしょう。

          main1195.jpg

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私的明大昔話 29

 入学試験が終わり、合格者の発表が行われますが、今はネットで見ることが出来るのでしょうね。
 実際は知りませんが、そうだろうと思います。
 学費は振り込みでしょうね。
 昭和34年の入学試験が終わり、合格者は入学金と年度学費を持ち、手続きに学校に直接来ました。
 私は初めて入学する学生に接することになりました。
 学生相談室では資料として何を用意すれば良いかと、検討をして来ました。
 入学時に本人から色々なことを記載して貰うカードを用意しました。
 カードを受け取るのは個人的な内容ですから、他の部署の方には頼めません。そこで9月から開設する和泉と生田の方にも協力して貰い、大教室で順番に受け取りました。
 ところがこれが後日困った問題になったのです。
 カードには本人の悩みや、不安などの外に家族状況や資産などが記入されていたのです。

 大学創立80周年の募金が始まりました。何処で誰が言い出したのか分かりませんが、募金室から相談室にあるカードを借りたいと申し入れがありました。

 急きょ相談室では会議を持ちました。結論は貸すことは出来ないと言うことでお断りしました。

 それからです。相談室ではこのカードの存在をどうするかの検討を始めました。
 実際に相談にこのような資料がなければ相談が出来ないのか。カウンセリングと言うこととの関係も当然検討がされました。

 出された結論は絶対に必要とは言えない物だとなり、廃棄することになりました。
 廃棄するのにはただ捨てるのではなく、学内の焼却炉で処分をしました。

 相談室は学生のための組織であり、他からの干渉を受けないようにと確りと確認したのです。
 相談員の先生方の強い意志が示された事柄で忘れられません。この姿勢は一貫してつらぬかれていました。

      07年3月 056和泉

   写真は10年前の和泉校舎の正門です。

 話は変わりますが、入学時の学費は高額になりますね。当時はその学費を大学が預ける銀行は三菱・住友・三和の三行でした。
 それぞれ行員さんが会計課に待機しています。
 受付初めの頃はぼつぼつですが、段々手続きに学生が来ます。銀行は一日交替です。
 締め切りの日は沢山手続きに来ますから、最終日に当たると行員さんに「よかったわね」と女性の職員は声を掛けて上げていました。
 手続きに親が付き添ってくることは稀なことでした。
 高額なお金を持った学生は緊張して校門をくぐったことでしょうね。

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私的明大昔話 28

 大学の入試も終わったようです。
 今年は明治大学の受験者数は11万300人とか。
 早稲田に次ぎ4位だったそうです。

 私が勤めめ始めた頃 受験生は2万人を超えてはいましたが、昭和32,3年頃でしょうか、三万人を超えたと喜んだものです。
 当時学部は昼間は法・商・政経・文・農・工の6学部。夜は法・商・政経・文・工 それと昼夜の短大です。
 今は学部も多く、聞いても直ぐに忘れて仕舞います。

 入試の頃は外気温はとても低くなります。入試期間中の入構は受験生以外は大学関係者だけです。
 今はどうなっているか分かりませんが、昭和40年台頃になりますと、受験生に親が付き添って来るようになりました。
 親が付き添いで見えるなどとは、私など想像も出来ないことでした。

 親は試験中、どこで過ごせば良いのか分からないのでしょう。都内の方ではない方が多かったのでしょうね。
 寒い中 校舎の陽の当たる塀の傍に立ち、待っています。
 母親はショールを肩に掛け、如何にも寒そうに見えます。見知らぬ人と声を交わすことも出来ないでしょ。
 等間隔に間を取り立っている姿を思い出します。
 大学周辺には喫茶店もあまりなく、時間を潰すような場所も見当たらなかったと思います。

 お昼も受験生は校舎から外には出ることは出来ません。あの親たちは何処で食事をしていたのでしょう。

 その後付き添いの方のために部屋が用意されましたが、それもいつの間にか出来なくなったような記憶があります。
 大学紛争時代ではないかと思いますね。

 受験生は昼食を試験場で済ませますから、試験日には朝から弁当屋が出て来ています。
 今のようにコンビニもありませんから、良く売れていたようです。

 ある年 私は頭髪に白髪が混じっている受験生が多いのに気が付きました。それは大学紛争時代の頃だったと思います。
 不思議な感じでしたね。その現象は2年ほどで終わりました。一体あれは何だったのでしょう。

 試験監督は長年しましたが、最後の監督は平成2年2月22日でした。

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私的明大昔話  27

 この数日西日本や日本海方面での降雪が凄く、車の立ち往生や列車の遅れなどがニュースで報じられております。
 私が学生相談室の仕事を始めた、最初の冬。
 どの部屋も隙間だらけで、その冷え込みは酷いものでした。
 和泉校舎事務室が用意して呉れた石油ストーブは安物です。灯油はタンクに入れて逆さにして、火を付けます。
 それは相談する部屋に置き、朝から点火しませんと、午後の相談時間までに温まりません。
 
 事務室コーナーになる部屋には達磨ストーブが置かれ、私が出勤する時には現業の方が火をつけて置いて呉れています。
 温かくなってはいますが、この部屋は北向きですから、隙間風は入って来ます。
 達磨ストーブは石炭をくべます。時々石炭をくべながら仕事をします。

         img_1.jpg

 画像はネットからお借りしました。こんなのが部屋の中で赤い火を見せています。
 上に何かを置くことも出来ます。
 火のある所には人がよって来ます。
 相談員の先生方は最初の数年は学生部委員の兼務で、手当は出ません。
 手当はなくても相談室の存在こそ大事だと一所懸命にその運営に取り組んでいました。
 私の一人勤務が大変だろうと、先生方は授業の無い時などに相談室に顔を出して下さいます。
 そこにストーブが鎮座していますでしょ。誰となく自然にこのストーブで何か温めたり、作ったりして見たくなりますね。
 そこで時々鍋を乗せて鍋ものを作り、食べたりしたものです。
 時間は夕方からですね。私の勤務時間も終わってからです。先生方は杯を傾けながらも相談室を良くするために議論をしたものです。寒い日が続くとあの時作った物や、鍋を持ってうろうろした先生の姿などを思い出します。
 このノミニケーションは時に相談員以外の先生方をゲストに迎えて開催されたものです。
 それは相談と言うことへの理解をして頂く役割にもなったことでした。

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私的明大昔話 26

 先日我孫子にお住いの生田先生とデニーズでお喋りをしました。
 この日は学生相談研究部時代の写真や、麻生平八郎先生の「麻生会」の写真のアルバムをお持ちになって来て下さり、一時写真を眺めながら、昔話もして来ました。
 アルバムに創立100周年記念の東京武道館の一枚がありました。
 アルバムはお借りできませんから、スマホで写させて頂きました。とても大事な物はお借りして、もし何かあるといけませんからね。

       100周年

 創立100周年で思い出したことがあります。
 創立70周年の時、朝日生命が当時在学していた明大の学生だけの保険を売ったのです。
 創立100周年が満期の保険です
 創立100周年の時、生存していたならば、保険金の受け取りは大学になっていたのです。
 私はこの保険があったことも知りませんでしたし、ましてや実際にどれ位売れたのかも知りませんでした。
 
 募金事務室から私の知り合いではないかと問い合わせがありました。
 知り合いでもありますし、何回もお会いしております。
 彼は金鞍一道さんでした。聞くところによりますとお父様が当時日本郵船の役員をされていたとか。
 そのお父様が掛けて下さっていたのですね。

 そこである日、募金事務室の木下健さんと二人で金鞍さんの所に頂きに上がりました。

 そこでこのことをぜひ広報に載せて欲しいと要望をしたのですが、どういうことなのか全く掲載されませんでした。
 
PS 上の武道館の写真を復元して下さった方がおりまして、取り込みましたので掲載いたします。
   ご覧になって下さい。

         敷島さんの復元した

 専門家って凄いですね。復元して下さった方 どうも有難うございました。

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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日85歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになりそうです。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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