2018-02

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最初の生徒さん

 NHK文化センター柏教室でチャイナドレスを教えることになって、最初の生徒の方が1月29日にお亡くなりになりました。
 ご子息からの連絡を頂いた時はとても驚きました。
 今日の午後6時から通夜が取り行われ、私と彼女と仲の良かった生徒さんで参列させて頂きました。

 チャイナドレスが好きだった彼女に相応しい、思い出の写真やドレスが展示されていました。

          千葉さん展示

 個性的な彼女は私等の思いもつかない大胆な生地をお持ちになって驚かされたものです。

 通夜の後 久しぶりに生徒さんたちの近況をお聞きし、後日季節の良い時に集まることにして帰宅しました。

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逝きし友

 既に齢85を過ぎていますから、亡き友も徐々に増えて来ております。
 仕方がないこととは承知はしているものの、知らせが届くと切なく、あれこれ思い出し、一人偲んでおります。
 この時期 喪中の挨拶がボツボツ届き、ああ~彼もか、彼女もかとか名前を見つめます。

 数年前 久しぶりの電話で話をした小館徳衛さん その時体調を崩していられるご様子でしたから、その後遠慮をして電話はしておりませんでした。
 大阪万博の警備本部長と言うのでしょうか。大活躍なさった方ですから、何かあれば絶対知らせがあると思っておりました。
 ですから今年の8月13日にお亡くなりになったとは。何故誰も知らせて下さらなかったのかと、良く考えて見ましたら、彼の学年の親しい仲間は誰もいなくなっていたのです。
 古関吉雄先生が仲人をなさった3人組の仲良しさん二人も随分前になくなっていました。
 万博の時の警備の様子がネットで出ておりました。ここからご覧になって下さい。

 彼の警察庁最後は警視監になっておりました。退官後幾つかの企業の顧問に就任しておりました。
 第一生命の顧問の時、近くに来たら寄ってよと何回か言われておりましたので、日比谷の谷クリニックに行きました時に寄りました。
 お堀端を下に眺めて社員食堂でランチを頂きました。変わらず姿勢も良く、すっきりとしておりました。
 マッカーサーの執務室も見せて頂きました。その時マッカーサーは報告に来る人を座らせないと言うことを彼の説明で成程と思ったことです。
 マッカーサーの執務室のテーブルにはマッカーサーの座る椅子しか置かれていません。簡素な感じです。
 座ると説明や報告の内容にロスが出ることや、時間の無駄も出ると言うことだそうです。

 顧問と言うものがどう言う存在かと言うことは彼を見ていて知りました。他にも色々と勉強させて貰いましたよ。

 今日は風もなく穏やかな一日でした。中央公園の樹々は色も濃くなり、ドンドン葉が落ちて行きます。

          11月7日中央公園

 午後夫と一緒に眼科検診で出かけました。前回白内障の手術を勧められましたが、断っておりました。
 今回は多分手術をすることになるのではと、思っておりましたが、また様子見になりました。

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日野原重明先生ご逝去

 昨日の日野原重明先生の訃報は多くの方にショックを与えたことでしょう
私もそうでした。先生の姿勢には何時までも変わらなく、そこにお見えになっていることとしか考えておりませんでした。

        日野原先生

 1982年 私は内藤敏子先生の「日本チター協会設立20周年」の会にお招き頂き、その席で篠原先生の講演をお聞きし、内藤先生とご一緒に写真に写して頂きました。
 その席ですが、日野原先生は札幌から羽田に到着ご直ぐに会場のヒルトンホテルにお見えになられたのです。
 その日の日野原先生の講演はⅠ時間。先生はお座りにならず、立ち続けてお話をなさったのです。

 講演の内容は「音楽が齎す力」だったと記憶しております。
 90歳の先生は講演後、バックに室内楽の演奏者が座る舞台から会場の皆さんに向かい、故郷の歌の指揮をなさったのです。
 
        日野原先生206

 素晴らしいお姿を生涯人々に示してお亡くなりになたられたのです。

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色々な変化

 義弟の母親の通夜・葬儀に参列して来ました。
 それは房総半島の館山市の斎場で営まれました。

       式次第

 通夜・葬儀・告別式・初七日と上のように進みました。
 全て斎場の方が手順良く進行させていました。斎場の司会の方の案内の言葉はとても自然で、良かったですね。
 時々矢鱈悲壮感をただよわせる斎場もありますね。
 義弟の近くの菩提寺龍震山東傳寺の田口昌裕導師により通夜も葬儀も進められした。
 この方実にいい声なんですね。そして読経もリズムがあり、緩急実に上手で人を引き付けます。
 私は耳が遠いので、お経の言葉が聞き取れず残念でした。
 通夜の時、参列者の焼香も終わり、導師の読経が終わった後のお話しは実に良いお話しだったと妹が説明して呉れました。
 翌日の葬儀の時も通夜と同じ、朗々と読経をなさいました。
 
 故人は献体を希望されており、出棺は千葉大からお迎えが見えました。丁寧な形でお送り出来ました。

 100歳を超えたと言うことで子どもと孫、曾孫も含めて親族の方々も多く、初めてお会いした方が殆どでした。
 昔と違い斎場が出来たと言うことで葬儀の姿が変わって来ております。
 義弟の住む地域もですが、私の実家の方でも、斎場がない時には部落の方がたの協力なしでは葬式は出来ないような感じでした。
 ところが今は斎場で全てが済ませることが出来、家族の負担も減って来ているでしょう。
 送迎バスもありますから、近所の方も一緒にお出でになれますね。
 ところが地域に住む方の高齢化が進み、実際には葬儀に参列出来る方が少なく、地域の人間関係も変わって来ているようです。
 昔の念仏講も殆ど無くなっているようです。東京に100㌔ばかりの地域ですが、過疎化が進んでいるのです。
 館山市での高齢者は36%、同じ館山市でも義弟の住む地域での高齢者は50%になっているそうです。

 葬儀・出棺も済み、その後精進落としの食事の時 導師は故人と40年前に亡くなった故人のご主人の戒名の説明をなさって下さいました。
 とても丁寧です。

 皆さんがお帰りになるのですが、すぐ下の妹は自力で帰ることが出来ません。そこで義弟がタクシー乗り場まで送って行くことになりました。私も一緒について乗って行きました。妹がタクシーの乗ったことを確認したあと、久しぶりだと言うことで少し館山の街を走って呉れました。
 過って館山銀座と呼ばれていた通りは歩く人も殆ど見当たらず、シャッターの降りている店舗が軒並みです。
 覚えのある店も殆ど無くなっております。館山銀座の戦後は夏ともなると人が溢れていましたし、夜は屋台も出て賑わっておりました。
 
 折角だからと京子ちゃんのお店に寄って呉れました。5分ほどでしたが京子ちゃんは感激、抱きつかんばかりでした。
 京子ちゃんが取り組んでいると言う街興しのことは聞いておりますが、そこの地域も道路に人影が見えません。
 これからどうなって行くのでしょう。日本全国このような街がどんどん増えて行っているのではと思いましたね。

      館山の海

 泊まったビジネスホテルから眺めた館山の海岸。時どき犬を散歩させている人が見られました。
 海岸通りは夏の商いの店が多く、今の季節は寂しい風景です。

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出掛けます

 これから 長女の運転で100㌔程離れたところに出掛けます。
 100歳と半年を生きた妹の姑の通夜・葬儀に出席して来ます。
 明日の午後には帰宅すると思います。
 95歳位まで庭先で土いじりをしていました。立派なものです。

      莢豌豆3月21日

 毎年その家からサヤエンドウが送られて来ます。今年も3月21日に届きました。

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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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