2017-05

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色々な変化

 義弟の母親の通夜・葬儀に参列して来ました。
 それは房総半島の館山市の斎場で営まれました。

       式次第

 通夜・葬儀・告別式・初七日と上のように進みました。
 全て斎場の方が手順良く進行させていました。斎場の司会の方の案内の言葉はとても自然で、良かったですね。
 時々矢鱈悲壮感をただよわせる斎場もありますね。
 義弟の近くの菩提寺龍震山東傳寺の田口昌裕導師により通夜も葬儀も進められした。
 この方実にいい声なんですね。そして読経もリズムがあり、緩急実に上手で人を引き付けます。
 私は耳が遠いので、お経の言葉が聞き取れず残念でした。
 通夜の時、参列者の焼香も終わり、導師の読経が終わった後のお話しは実に良いお話しだったと妹が説明して呉れました。
 翌日の葬儀の時も通夜と同じ、朗々と読経をなさいました。
 
 故人は献体を希望されており、出棺は千葉大からお迎えが見えました。丁寧な形でお送り出来ました。

 100歳を超えたと言うことで子どもと孫、曾孫も含めて親族の方々も多く、初めてお会いした方が殆どでした。
 昔と違い斎場が出来たと言うことで葬儀の姿が変わって来ております。
 義弟の住む地域もですが、私の実家の方でも、斎場がない時には部落の方がたの協力なしでは葬式は出来ないような感じでした。
 ところが今は斎場で全てが済ませることが出来、家族の負担も減って来ているでしょう。
 送迎バスもありますから、近所の方も一緒にお出でになれますね。
 ところが地域に住む方の高齢化が進み、実際には葬儀に参列出来る方が少なく、地域の人間関係も変わって来ているようです。
 昔の念仏講も殆ど無くなっているようです。東京に100㌔ばかりの地域ですが、過疎化が進んでいるのです。
 館山市での高齢者は36%、同じ館山市でも義弟の住む地域での高齢者は50%になっているそうです。

 葬儀・出棺も済み、その後精進落としの食事の時 導師は故人と40年前に亡くなった故人のご主人の戒名の説明をなさって下さいました。
 とても丁寧です。

 皆さんがお帰りになるのですが、すぐ下の妹は自力で帰ることが出来ません。そこで義弟がタクシー乗り場まで送って行くことになりました。私も一緒について乗って行きました。妹がタクシーの乗ったことを確認したあと、久しぶりだと言うことで少し館山の街を走って呉れました。
 過って館山銀座と呼ばれていた通りは歩く人も殆ど見当たらず、シャッターの降りている店舗が軒並みです。
 覚えのある店も殆ど無くなっております。館山銀座の戦後は夏ともなると人が溢れていましたし、夜は屋台も出て賑わっておりました。
 
 折角だからと京子ちゃんのお店に寄って呉れました。5分ほどでしたが京子ちゃんは感激、抱きつかんばかりでした。
 京子ちゃんが取り組んでいると言う街興しのことは聞いておりますが、そこの地域も道路に人影が見えません。
 これからどうなって行くのでしょう。日本全国このような街がどんどん増えて行っているのではと思いましたね。

      館山の海

 泊まったビジネスホテルから眺めた館山の海岸。時どき犬を散歩させている人が見られました。
 海岸通りは夏の商いの店が多く、今の季節は寂しい風景です。

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出掛けます

 これから 長女の運転で100㌔程離れたところに出掛けます。
 100歳と半年を生きた妹の姑の通夜・葬儀に出席して来ます。
 明日の午後には帰宅すると思います。
 95歳位まで庭先で土いじりをしていました。立派なものです。

      莢豌豆3月21日

 毎年その家からサヤエンドウが送られて来ます。今年も3月21日に届きました。

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浦上に思う

 1945年の今日 長崎に原爆が投下された日です。
 テレビではオリンピックのニュースが次々流れています。
 お天気は晴れ、風が少し出ていて、暑さが厳しく外に出て行きましたら、体に熱風が当たって来ました。

      8月9日中央公園

 日中の日差しは強く感じましたが、はや立秋も過ぎマンションの中央公園の緑に微かな秋の気配を感じます。

 午後長女と高島屋に用足しに行き、久しぶりにカキ氷を食べました。

      かき氷

 カキ氷を食べるのは何年振りでしょうか。美味しかったですね。
 
 原爆が投下された後、被爆された多くの方が水を求めても得られず、最後の願いが適わずお亡くなりになっています。

 昨年もこの日のブログに長崎の原爆のことに触れています。私にとっては浦上は忘れ得ぬところです。

 今日のネット上に出ていた長崎原爆についての内容に驚き、今後如何にこのことが言い伝えられて行くのかと思ったことでした。
 長い文章ですが私にはとても参考になりました。

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偲ぶ

 永六輔さんがお亡くなりになったと知り、驚きました。
 何と言いましても中村八大さんとのご縁で、私たち青島羊会の者にとって親近感多々ある方ですからね。
 ご存知のようにある時期モンペ姿が知られておりました。私も偶然駅でお会いしたことがありました。
 独特な話し方と言いますか、個性的な声でした。

 八大さんの一周忌と17回忌を取り仕切って下さったことは忘れられません。

       ターキーと永さんと私


 これは一周忌の時の写真です。永さんと親しかった水之江瀧子さん。私は羊会の仲間と一緒でした。
 1979年 八芳園で六八九クラブの発会パーティーに行きました時の写真を見ますとお若いし和服姿です。

          689クラブ2

 私のような歳になりますと、年々時には月々にお別れがあります。辛くもありますが、これは如何ともしようがありません。
 ご冥福を願うのみです。

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長崎に原爆投下

 WW2が終わり、70年と言う時間が過ぎてきました。
 戦争の齎した様々な犠牲、苦しみ、困難、それを克服しようと藻掻き努力。人々は多くのj事を克服して来ました。
 70年前の今日 広島に次ぎ長崎に米軍による原爆が投下されました。
 佐賀市の中学1年生だった夫はあの雲を遠くに眺めたと言うことです。

 今日のテレビは特別に時間をとり、式典の様子や当時を振り返る人々の姿、被曝者の体験談などを写しております。
 長崎の城山小学校は爆心地から500㍍程に立っていた校舎は爆風で大きく崩壊したそうです。
 当時としては立派なコンクリートの校舎だったそうです。

     原爆投下後児童1400  原爆奉安者数

     投下時刻1  投下時刻2

     平和公園1  平和公園2

        上の画像は6チャンネルからお借りしました。

 当時の長崎市民は24万人 原爆による死者は7400人にもなたそうです。
 国は被害は然程ではないような発表、被害は調査中と新聞に発表されております。
 
 何時もならず浦上天主堂がテレビに姿を表しますと、私は必ずクラスメートだった浦上さんのことに思いを馳せます。
 浦上天主堂も爆心地に近く、今日もその姿を見せてくれました。

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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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