2006-03

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養殖の鯛はどうする

 過日養殖の鯛ですが刺身にするのに丁度人数に合う大きさと思い買って来ました。そぎ切りにし皿に盛り付け娘達も加わり食事を始めました。12歳になる孫が刺身を初めに口にした途端、「へーん!」と出してしまいました。養殖の匂いがハッキリと分かったようで、その後誰も美味しそうにしません。調理人の私は「失敗したーどうしよう」と考え、これはカムフラージュに限ると食後すぐに醤油と味醂に漬け込みました。翌日焼いて食卓に出しました。皆が美味しそうに食べています。鰤も薄くそぎ切りにしてから醤油と味醂半々で漬け込み、焼くと切り身の照り焼きより好評です。養殖の鯛も同じようにすれば美味しく食べてくれる事が分かりました。初めからそうすれば調理人の私も ムー! としなくても良く、家族円満の食卓となる事と気がつきました。
 鯛は天然物の時に刺身にすれば良く、養殖物が増えているこの頃、食べ方を工夫し利用することを考えなければならないようです。
 ばーばの頭は確りとしなければなりません。
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1995年3月20日午前の事件

 地下鉄サリン事件の起きた日、1995年3月20日は友人と霞ヶ関ビルで待ち合わせることになっていました。午前8時過ぎから徒ならぬ
緊張したニュースが流れ始めてきました。地下鉄千代田線と言う言葉も耳に入ってきます。出かける時間が迫り、はっきりとした情報を知らないまま駅に向いましたが、今日は何時ものコースの千代田線に乗らずJRにしようと、新橋まで行きました。既に電車の中で聞く人々の話で大変な事態が起きている様子が分かりました。そこで新橋からは歩く事にし、霞ヶ関ビルに向いました。
 その日は空は晴れており、警視庁から霞ヶ関、またその当りの上空にはヘリが何機も飛び交っています。33階に昇り席に腰を下ろしはしましたが、食事の注文どころではなく、空を眺め続けていました。友人が遅れてきましたが、空席が目立ち人がばらばら、皆さんTVを見ているのでしょうか。何時もより出足が遅いようです。
 夫から緊張した電話が入りました。「今何処に居るのだ」と言うのです。霞ヶ関に行くことは承知して居ましたが、彼は8時前に家を出ていて事件を知らず、帰宅して慌てて連絡してきたわけです。街の様子や
飛んでいるヘリの様子など説明すると安心し「気をつけて帰るように」と電話を切りました。友人は国際問題に詳しいので背後関係を一所懸命考えていました。
 あの日から数日はニュースや新聞から目が離せませんでした。被害者に知人の名前がありはしないか。平静に過ごすには余りに大きな事件でした。今日の報道で麻原被告の裁判打ち切りと知り、何事よ!と憤慨しております。
 真相は彼から聞き出し、彼に告白させるべきでしょうに。弟子を庇うどころか保身に徹している風にしか考えられません。巷間言わているような犯行の動機などと違う、常人では考えも及ばない真相があるのかも知れないと思うと裁判の打ち切りとは残念でなりません。真相をはっきりとさせない限り今後の対策も万全とは言えないのではないでしょうか。

 今日は利休忌

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巣立つ日

 今日の花曇りの中、日本武道館に向かう学生達は桜に迎えられながら晴れ晴れしい気分で田安門をくぐって行った事でしょう。武道館で明治大学の卒業式が挙行されるようになったのは1967,8年頃からで、26日に挙行されるようになる前は25日に決まっておりました。各大学が武道館を利用するようになり、明治大学は26日となりました。それまでは数回東京都体育館で挙行されたりもしましたが、長い間記念館や大教室などで式典が行われていました。全員一緒に参加出来る卒業式は素晴らしい締めくくりですね。
 この季節は雨風が多く、卒業式に桜も間に合い風も吹かず雨にも会わなかった今年はとても幸運だと思いますよ。ご家族も参加されるのは当たり前のことのようで、ご家庭の方々にとっても晴れやかな記念の日となったことでしょう。卒業証書も紫の筒に入る大きな和紙の物から随分前にノート型の開くものへと変わっております。
 超氷河期とも言われた就職難の1953年、3月25日の卒業式の日は曇りで夕方から雨になってしまいました。卒業という日を迎えた私は喜びもありましたが感傷的にもなり、校歌斉唱となるとこれが学生として最後に歌う校歌かと歌いながら胸が詰まり、涙が滲んで参りました。 この日を境にそれぞれ社会人として別れて行きましたが、以来53年間、今日まで一度も会うことの無かった級友もおり、卒業式のこの一日は実に大切な時間でもあったことと改めて感慨深く思い出しております。
 今は女子学生も増えており、卒業式では華やいだ姿も多く見られることでしょう。2月の半ば12号館(昔は駿河台ホテルだった場所)の前を通ると、表から見える所に着物や袴がハンガーに掛けられていました。貸衣装でしょうね。大学も昔と違うことをやるものですね。
 今日は巣立ち行く若者に大きな拍手を送ります。

 今日は明治大学卒業式の日
 
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駿河台・御茶ノ水は病院銀座

 御茶ノ水の神尾記念病院(耳鼻科)に4月の予約に行き、あちこち眺めてきました。神尾さんのすぐ前に名倉クリニックの立派な高層ビルが完成間じかの様子。昔腰を痛め牽引を受けに行きました。その頃はなんとなく汚い感じでしたが、新しいビルはがっしりとした見事なものです。
 ニコライ堂の北側そばには井上眼科があります。日本でトップクラスの眼科の専門病院で20年前に網膜剥離で入院お世話になり、今も半年ごとに検査を受けに行きます。手術は夜受けその後暗室の中に居るような日が続きました。暫くして毎日少しずつカーテンを引く量が増え、ついにすっかりとカーテンが開けられた時、一枚ガラスの窓に真っ青な夏空、そこにニコライ堂がすっぽりと現れました。感動で言葉もありません。失明を免れたことを病院の皆様に心から感謝しました。入院中沢山の方が見舞いに来て下さいましたが、学部の各クラス代表が順に見舞いに来て下さったことは忘れられません。
 駿河台にはまた日大病院や杏雲堂病院もあります。昔、瀬川小児科という大変上手だけど料金が高く、うっかり行けないと言う話しが囁かれた病院がありました。その場所に今は瀬川ビルが立っており一階には丸善の文房具の売り場があります。ビル案内板の中に駿河台クリニックとありましたが、今も小児科なのかどうかは分かりません。
 神田川を挟んで北側には東京医科歯科大学病院、順天堂大学病院もあります。足を延ばせば水道橋駅傍には東京歯科大学病院もあります。それ以外にも個人病院も昔から多く、お蔭で私は少し病院通になったようで時々人に教えることがあります。
駿河台御茶ノ水は病院銀座


 22日~24日  法隆寺お会式

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1948年春その2

 駿河台にある明治女子専門学校(通称明大女子部)の受験は3月27日発表は31日、今から見ると随分早い発表ですね。受験料は200円、これは当時の物価からしても安かったと思います。東京行きの切符は田舎の駅では割り当てで夜中から並ばないと買えません。小麦粉一貫目を駅長に届け切符を手に入れ、受験に来ました。が発表を見に来るのに切符が手に入りません。31日に親戚に見て呉れるよう電報を打ち、4月1日の切符を何とか買い親戚に行きました。玄関を入ったら皆が神妙な顔をして待っています。「駄目だったわよ」と言う言葉が耳に入りました。
座敷にも上がらずすぐ引き返し、駅に向かいました。涙が出たかどうかは覚えていません。「待ってー、受かっているのよー」と叔母が追いかけてきます。
 エープリル・フールという言葉をやっと田舎でも知った時代。まさかを親戚の者は私にやってみたのです。
 山手線から見る環状線の中は焼け跡が続き、ところどころビルが焼け残っています。下宿を探すのも大変で、とりあえず親戚にお世話になることにし、帰宅しました。

  今日は放送記念日   世界水の日

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Y君始めて御茶ノ水に現る

 Y君(ボタンの)からメールが来ました。彼は私よりチョッと遅れて上京、たしかその頃松戸の方に住んでいました。ある日私を訪ねてきたのが御茶ノ水。明大の前の「ときわ」という蕎麦屋に入り、もり蕎麦を始めて食べるというのでどう食べていいのか戸惑っていました。ブログを見てそのことを鮮明に思い出したと言うのです。二人は出身地が同じですが、その町には蕎麦屋がなく、蕎麦の味は知りませんでしたから、一足先に上京した私は多分、先輩顔して説明したと思います。
 公には蕎麦にしてもパンにしても、また食堂で食事をするにも旅行者用外食券という切符が無ければ食事が外でとれない時代で、パンは一食分は6枚切りの食パン2枚かコッペパン一個で券一枚だして買います。蕎麦・うどんも一食一枚要ります。上京した学生は家から外食券を送って貰いますが、その分家族は主食の配給を減らされます。Y君も食事には苦労をしていたと思いますね。それだけに思い出しもしたことなどでしょう。
 クラブの仲間の一人は時々白米のしっかり詰まった弁当を持ってくることがあり、その時は皆で少しずつ分けて食べましたが、そんな優しい仲間だったのに一昨年癌で亡くなってしまいました。

 今日は春分  国民の祝日 
        大石忌

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ひじき刈り

 過日房総の海でひじき刈りが始まり、土地の中学生が運搬に助っ人として役にたっていると報じられました。ひじき刈りは春の季語となっているそうで、俳句を作る方にひじきを届けたら、刈るってどういうことですか。と聞かれました。
 ひじきは冬の間に若布や天草などと同じように成長します。私の故郷の房総では3月の大潮の日に一斉に海に出動し、力を合わせてひじきを刈り取ります。ひじきは全体が長く、海の中で大きくぐらーぐらーと波に揺れています。小船に数人が乗り長い棹の先に鎌をつけ刈り取ります。刈り取ったひじきは岸に揚げられ、加工場に集められ茹でた後、乾燥し出荷されます。
 かなり昔はドラム缶で茹でていたそうで、戻すに時間も掛かり、調理するには必ず茹でてからと言われました。今は高圧釜で茹でているそうで戻すのも簡単ですし、茹でこぼす手間も要りません。
 「芽ひじき」とか「長ひじき」とかいろいろと市販されていますが、元来何メートルもある長いものを刻んで処理しているのでしょうから、利用する方の好みで選べば良いでしょう。海草の中では一番栄養素が揃っているとも聞いております。いろいろと調理しますが、戻したものをそのままサラダ風にすると簡単で、忙しい時や急ぐ場合には便利な食材ではないかと思いますね。

ひじき刈り

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万惣やエス・ワイル

 昨日は物凄い風が吹き、荷物が風に振り回されるだけでなく自分の体も前に倒し歩くにやっとでした。須田町に用があり、万惣の前を通りました。駿河台下から小川町淡路町と通り、万惣でホットケーキをと思いましたが、ちょっと急ぐので我慢。万惣は1846年(弘化3年)創業という老舗。昔は見えるところに宮内庁御用達の看板が出ておりました。下の果物は立派で最初から手が届きそうもない高級品。一度ジャムを買った事があるだけですが、2階のパーラーにはたまに寄ります。ホットケーキが有名ですが、フルーツサンドイッチは他の店のは知りませんがお勧め品です。ぜひ召し上がって見て下さい。    
 
      万惣やエスワイル

 須田町周辺は昔はラシャ屋(ウールの生地屋)が軒を連ねておりました。1980年頃にはまだまだ生地屋も多く、趣味のために生地漁りに行きました。駿河台下から少し東に歩くとエス・ワイルという戦後一早く開店したケーキ屋さんがあり、女性だけでなく男性にもファンが多く、オーソドックスなケーキの良心的な店でしたが昨年無くなってしまいました。

 今日は明治村開村記念日

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烏賊の塩辛と糀

 11月から3月は烏賊の塩辛作りのシーズン。低温乾燥した糀を戻すに60度の保温で一晩置くというのは難しく、いろいろ試してはいい加減なところで妥協して作っていました。それでも結構友人にも受けて喜ばれていました。昨年ふと炊飯器の保温で戻してみようと試してみたら成功。それから作っては配り、が続きました。
 糀100g:烏賊5杯:塩100g:みりん60ccが私の標準。
 糀を炊飯器に入る大きさの入れ物によくほぐし入れ、みりん60ccにお湯60ccを加えそれを糀にかけます。ひたひたになった糀を入れ物ごとそのまま炊飯器に入れ、保温で約3時間。出来上がり。
 この作業はめっけものと自負していました。ところが昨日近所の味噌屋の糀を見つけ、そこで甘酒の作り方を書いたチラシを発見。よく見たら炊飯器の保温を利用する方法が書いてあります。
 私ごときが考える事はとっくに誰かが考えているものですね。勉強になりました。

  3月14日~16日 涅槃会  15日~30日 彦根城梅まつり

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Y君とボタン

 Y君は昔からの友人、語学は英語は言うまでもなく、イタリー語、ドイツ語、韓国語と使い分けします。彼の職業はボタンを作る機械をイタリーから輸入し国内のボタンメーカーに販売します。メンテナンスも工学部出身らしく自分でします。ファッションに連れてボタンが変わりますが、その時は機械の部品を変えて対応するそうで、その部品も彼は輸入し、取り替えるそうです。
 ボタンはファッションと深く関係しており、ボタンはイタリーが有名です。で材料も輸入し、卸しておりました。日本でのボタンの製造は四国が一番と昔彼から聞きました。数年に一回くらい彼と会う機会があるのですが、ボタンを使った洋服を着てゆくとそれが最近のものか、二年前のものか、はたまた十年も前のものか、すぐに分かってしまいます。
私は気にしませんが彼は心の中で今日のは~~のだな!と分かっているでしょう。
 この仕事はどちらかと言えば寡占の仕事らしく、健全経営で年中銀行から借りてくれと迫られていたようです。
 今は息子さんに仕事を任せご夫妻で自由人を楽しんでいます。その彼の服装はどうでしょうか。ズボンは腹の下でベルトで何とか納まっていますが、おっさんそのものです。尺八の名取ですので着物を着ると何とか見られます。
 洋服が古くなったらボタンを取り替えてリホームをしましょう。

 今日はホワイトデー・キャンデーの日

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O家の猫手術を受ける

 O家夫妻は3匹の猫を大事にしています。その中の1匹は矢鱈長いひも状の物に興味があり、また口にしてしまうそうです。ある夜O夫人は夜中洗面所に行くのに灯りをつけ、紐を強く引いたため切れてしまったのですが、眠いのでそれをそのまま投げて置いたそうです。暫くして若しやと起きてみたら、既に猫が飲み込んでしまった様子。翌朝病院に連れて行きレントゲンで見たら、長い腸に紐がはっきりと写っていたので
すぐ手術となり5日間入院。腹部は紐の様なもので縛り結んであったそうです。猫は退院後早速自分の腹の縫合に使った紐を体を曲げて引っ張り困ったことになったそうです。2匹の猫は1匹が入院中何かを感じているかのように気持ちが沈んでいる様で静かにしていたそうです。
 手術と入院5日 費用は30万円  大変な出費でしたね。

 話はも一つ、猫がらみ。近所の友人は去る日ストーブに背を向けうつらうつら、目が覚め、さてと足を下に下ろしたら猫(この猫は巨大です)の尻尾を踏んでしまい、慌てた猫が飛び出した弾みで友人は転倒、確り腰を痛め、腕の付け根の筋が縮み洗濯物を干すのも辛いそうです。今も毎日接骨院に通っています。

 今日は十三日詣り(13歳になった子どもが、本裁ちの着物を着て今後の福徳・知恵・美声の祈願に参詣をします。)京都の法輪寺が有名
 春日祭り・奈良県春日大社で行われる。

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1948年春

 1948年(昭和23年)明治大学記念館の南側1号館入り口の横に
掲示板があり、その前に幹の太い桜の木がありました。桜が咲き、その前は舗装がされていない前庭で、タンポポが沢山見られました。タンポポは余程強いのか、学生たちが踏んで通っても毎年芽生え花を咲かせていました。
 校舎の周りの塀の外には角帽を並べて売る人(この角帽はわざわざ油を塗ったりし光らせているものもあります)バッチを並べて売る人、ライターを並べて売る人が学生に声を掛けています。ブルーに白い縁取りのバッチは旧制の学部用、黄色に白の縁取りのバッチは専門部用、M字様のバッチには中に学部の名前が記されています。合格した学生は誰も買い求めました。地下の売店や、大学の近くの徽章店でも売られていました。
 制服のオーダーはクラスに割り当てられた生地の配給券が当たった人だけが出来ます。女性も制服に関係なく房がついた角帽を被りました。
 服装はまちまちで復員学生は軍服を着ており、お粗末な物を着る学生が多かったと思います。

御茶ノ水

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誰にでも出来る大根煮

 大根は万能材料と言われます。今回は誰にでも(中学生でも・男性でも・料理の苦手な人でも)出来る大根の煮物を紹介しましょう。

 材料  大根   竹輪とか油揚げなど  出汁・調味料
 作り方 1.大根は15cm位に切る。分量は人数で加減する。
     2.出汁に醤油や砂糖などを入れて好みの濃さにし、鍋に
       入れて置く。
     3.皮むきで皮を剥ぐ。(皮むきは手で握るもので)
       皮を剥いだ大根はそのまま続いて皮むきで削ぎながら                       鍋に落としてゆく。
     4.大根の上に竹輪など切って入れ、そのまま煮る。
      
      すぐに煮えます。食感は干瓢の感じです。

     出汁を取るのが面倒な人は市販の煮物用の出し汁を利用する
     というてもあります。
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駿河台マロニエ通り

 先日駿河台のマロニエ通りにある「レモン」で珍しくスパゲティを食べました。昔、あの通りの邸宅の多くが米軍に接収され、そこに住む家族がよく歩いておりました。ベビーシッターとして乳母車を押す友人と偶然会ったのもあの道でした。水道橋方向に行きますと左側に駿台荘があり、右側には文化学園や主婦の友本社などがありました。長い間汚かった明治大学の学生会館は取り壊され今は塀で囲まれておりました。あそこは文化勲章を受章され医学界の重鎮だった故三浦謹之助博士の邸宅だった場所で矢張り接収されていました。後に明治大学が購入し暫くは立派な建物が外から見られました。奥西側にモダンな平屋があり、そこには数年間学生相談室が置かれていました。その建物の周りでは蕗や茗荷を採ることが出来ました。
 何時の頃からマロニエ通りと言われるようになったのかは知りませんが、学生街に相応しい雰囲気の漂う道で素敵な名前に感心します。
 
マロニエ通り

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今日の駿河台

駿河台下の「ささま」和菓子の有名店で3月3日は例年雛の煉り切りが売られていましたが、今はどうなのでしょう。先代の着物姿と夫人のおおらかな姿が目に浮かびます。神尾記念病院で3時間半待ち、とうとう「ささま」に寄れないでしまい、孫に買って帰れませんでした。入学試験も終わった駿河台は若者の姿も少なく、4月からの賑やかさが待たれます。

今日の駿河台

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白菜の即席漬け

 都会やマンションでは漬物を漬けるに土間も無く寒い場所も無く条件が悪く市販の白菜の漬物を買いますが、どうも気に入りません。そこで
 我が家風。白菜は適当に用意、塩も適当に、鷹の爪や柚子皮もあれば
適当に。白菜は芯をとり、葉を剥がし固いところと柔らかいところを分けます。大鍋に湯を沸かし、白菜の固いところから順にざーと湯に通し
すぐ水に取り、水切りをします。適当な大きさに切り入れ物にとって塩を振りかき混ぜ、鷹の爪や柚子皮を混ぜ、重石をして半日置きます。
 出来上がったら水を絞り食卓に出します。塩加減は好みの濃さに作ってください。白菜の漬物独特の臭みは出てきません。

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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日85歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになりそうです。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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