2006-05

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大学教授も人の子

世の男性がやってみたい、なってみたい職業の第一がオーケストラの指揮者、次が大学教授だと昔何かで読みました。私の小学校仲間の男性が「あなたも学生に先生と言われるのですか」と聞きますので「言われることもあるわよ」と言いました。彼「羨ましいなー」と本当に羨ましげに言いました。「そうか、そうなんだ」と悟った感じになりました。 大学教授と言っても人の子、確かに品行方正、立派な方が多いのですが、慌て者、文句居士、お人よし、浪費家、酒好き、心配性、臆病者、恐妻家それはそれは世間と同じです。ですがそういった先生方の多くは、直ぐに反省したり、自己分析し、なかなか難しくとも軌道修正を心がけるという面を持ち合わせています。言うなれば大変正直な方々だということでしょう。
 先生方が何かに困ったりされると良く私の所にお見えになります。正直に話されると何とか助けて上げたくなります。(私の仕事は学生相談で、教授相談ではありません)学生相談室は守秘義務を徹底して守り、仕事をしておりますので、先生方も安心してお見えになるのでしょう。
 たまにはとても困ることもあります。ある時(35年ほど前)学生と富士吉田の農場に行きました。学生と教職員の宿泊部屋は別です。全ての行事が終わり、部屋に行きますと、何の変哲もないノートがあります。何だろうと開きました。ようやく電算化したばかりの給与明細の長い紙が、丁寧に月を追って、貼ってあります。これは困りましたね。その方にお渡しすれば、多分私が眺めただろうと思われるでしょうし、さりとてそのままそこに置いて来るわけには行きません。外の方に見られると思うと先生の名誉に関わることになります。私は思案しました。(相談されているという心算で)
 それを包み、管理人に渡し、先生に送るのが良いのかどうかお聞きし、届くようにして欲しいと頼みました。奥様に給料を教えていない先生方はたくさんおりますし、「大学と言う所はボーナスは出ないんだよ」と奥様に言い渡している剛の者もおりました時代です。多分几帳面なその先生は奥様に明細を見られたくないので、持ち歩いていたのではと想像したことです

大学教授も人の子

 今日は世界禁煙デー

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1948年秋

 1948年(昭和23年)秋の9月18日に全日本学生自治会連合(全学連)が発足しました。長い夏休みを終えて学園に戻ってきたばかりの1年生は総決起集会に行くため、殆んど全員集められ、たしか服部さんというスマートな上級生に引率され、日比谷公園に向かいました。駿河台下から気象庁の前を通り、何だか分らないまま集会に参加しましたが、その後はどうしたか全く覚えておりません。覚えているのはただ一つ、その後の学生生活に影響のあった、吉祥寺にある大学の女子寮に入るため、甲府出身のYさんと一緒に行こうと約束した事でした。
 明大には当時総務委員会という学生組織があり、委員長は門田三也さんという方でした。学生は彼をモンタさんと言い、カドタさんとは言わなかったような気がします。何となく病身な感じがありました。学生の中では三角立行さん、三角円さん、三角方子さんという何か幾何に関係のあるような名前の有名な三兄姉妹がおりました。大学は戦後の膨張期に入っており、学内の問題も多かったようです。若い女子学生の中での運動家は少なく、この決起集会での女子部の盛り上がりはたいしたことは無かったような気がしております。
 集会の後、私は約束したYさんと吉祥寺の女子寮に入寮の申し込みに行き、あっさり入寮が認められました。私たちはそこで1953年の卒業までの生活をすることになりました。女子寮は完全自治運営で、寮の規則は男性の宿泊が禁止されている以外、全く自由です。そこの寮生だった山本節子さんは法学部の先輩で後に総長になられた宮崎繁樹先生と結婚。井野千鶴子さんは鍛冶良堅先生と結婚され、おしどり弁護士として長く活躍されました。寮生は電気も時間通電という時代にも関わらず頑張っており、当時の寮生の中から弁護士、検事、公認会計士などに進んだ方が何人もおります。
 私は自由をいいことに寮生活を楽しみ、その中で生涯の友達とも言える方々を得ることが出来ました。貧乏学生の出来ることはダベリングが一番でした。
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海苔のこと

 海苔は我が家の必需品、毎日の朝食に欠かせません。和食党ですので国内旅行では、当然和食です。
 先ごろ、2005年度干し海苔の入札が終わったと報道されました。
 05年11月から06年5月までの品物で、平均落札価格(生産者から加工・流通業者への売り渡し価格)は前年比5%下り、一枚が9.28円になるそうです。今回は瀬戸内海の物が天候などの影響で品質が悪く、全体の価格を下げたそうです。
 今は一般に焼き海苔が店頭に出ており、それを使う方が多いことと思います。焼いてない、上質の干し海苔を買うのには専門店でないと難しくなっております。海苔は食べる直前に焼いてその食感と風味を楽しむのが一番と思いますが、毎朝焼くのは面倒なので焼き海苔を使ったり、時には一帖を一度に焼いてしまいます。木更津の知人から送られて来たと言う海苔を友人がおすそ分けでと送ってくれます。新海苔のその海苔を焼き、切った海苔を温かいご飯に折れないように載せ、ご飯と海苔がやや離れているところがあるようにして、用心深く箸で挟み包み、ほんの少し醤油をつけ味わうと磯の香が口中に広がります。朝食が海苔で引き立ちます。
 海苔と関係深いものの一番はお寿司でしょう。寿司屋に行きますと、最近は手巻き寿司を注文する方も多く、たまに私も頼みます。
 ところが海苔が問題です。手にとってみますと、パッリッとしてないこともあり、なるべく頼まないようにしております。高級な寿司屋でも手巻き寿司があるのでしょうか。
 寿司と言えば最近気に食わないこと。鯵や鰯、また鯖などの光り物の寿司。生姜が合うからと言うのでしょうが、種の上に生姜やネギを載せて出します。どうっやって食べるんだい!と言いたくなります。醤油をつけるとき、必ずどうしようと考えます。若い素敵な女性などが、生姜を落とさないよう、口を不自然に開けて食べています。気の毒に思います。お客に生姜が良いか、山葵が良いか(そういう人もおります)聴いて、飯と種の間に入れて貰いたいものです。見た目に重きを置くあの握りは褒めたくないのです。海苔からとんだ話になりすみません。でも寿司屋さん見て下さい。

 今日は5月最終日曜日  ダービー・デー
    5月下旬     ライラック祭 北海道札幌市

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醍醐作三先生と羊羹

 明治大学の学生相談室には相談員として各学部から選出された先生方が見えます。若い先生も高齢の先生も、ご自分の経験や学識を持って学生の相談に当たります。経営学部長をされた後、相談員になられた醍醐先生は、長老格です。会議の席での発言は学内事情に通じていたと言うこともあり、ここぞと言う時に、皆さんの注目を集めます。
 毎週の担当時間に、相談室に几帳面にお出でになり、大体私の前の椅子にお座りになり、来談学生がいない時には、それこそ四方山話をされます。その中でのさり気ない言葉の中から教えられ学んだことが多かったと思い出しております。
 先生は浦安の猫実のご出身で、明治中学に在学中は交通の便が悪かったため、都心に下宿をされていたそうです。
 ある時「ディズニーランドの招待券を貰ったけど行かなかったよ」とおっしゃるので、「先生どうして先に私に話して下さらなかったの、勿体無い!」とはしたない言葉を口にしました。先生は浦安の名誉市民でしたので、真っ先に招待されたのでしょう。無駄にする位なら本当に私は頂きたかったですね。
 お酒が好きですから、甘いものには手を出されません。相談室でたまにお出しするお菓子なぞは無視。それでも皆さんと一緒の時にはお出しします その醍醐先生は虎屋の羊羹だけは召し上がります。
不思議なことで、どうしてその羊羹が虎屋のものと分るのでしょうか。
       

醍醐作三先生と羊羹

目の前で切ってお出しすわけではありません。お聞きするのは失礼になると思い、とうとうお聞きしないままになってしまいました。お聞きしてみたかったですね。何が決め手になっているのでしょうかね。自然に身に付いた何らかの決め手があったことなのでしょうね。今になってしまってはお聞きする術はありません。(20年ほど前のこと)

醍醐先生の虎屋羊羹

退任送別会会場にて(何時も羊羹を切って不思議がった二人と)
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なに!鰯一匹1200円!

 5月23日、築地市場で鰯1キロが5500円で落札されたと新聞に出ています。大型のもので、一匹1200円になるそうで、昨今鰯の高い事は知ってはいましたが、へー!と驚きました。どういう人の口に入るのでしょう。
 同じ日、近所(と言っても一階・我が家は四階)のスーパーで買った鯖の眞子はワンパック80円。このニュースを読んだら、大儲けしたようで嬉しくて堪りません。
 昔、房州千倉では鯖の開きを作る時に出る、眞子を安く売ってくれました。時には唯で貰うこともありました。眞子の煮つけは大げさに言えば、真鱈の眞子の煮つけに負けないくらいの庶民の味です。
 23日の昼に買っておいた眞子は夕食に確りと煮ました。まず浅い鍋に砂糖・醤油・酒を適当に合わせ、水で薄め鍋を火にかけます。
 調味料が煮立ちますが、この煮立ち具合が大事です。泡が充分立ち上がったら眞子を入れます。
 その後、再度煮立ってきたら、火を弱め、ゆっくりと煮てゆきます。夕食に外の惣菜もありましたが、私は娘たちに80円を強調しながら、どう!どう!と感想を求めます。娘たちも「ん!美味しい!美味しいよ!」と食べて呉れます。こういうことも母親冥利と言っていいのでしょうかね。チョッと違いますか?
 ことの序に、我が家の煮魚の方法を載せておきます。まず魚の鱗を確りと落とすこと。魚の臭みは鱗と皮の間にあると聞きますから、とても大事なことで、基本と思っております。
 煮汁は調味料として砂糖・醤油・酒それに水を足します。浅い鍋に魚全体が丁度浸る程度の量にして、出来るだけ重ならないように入れます。
 鍋に煮汁を入れたら先ず強火で煮立たせます。煮立ち具合に目を離さず、泡が充分に立ちあがってきたら、魚を入れます。勿論盛り付ける時の下になるほうを下にして鍋に入れます。再び煮立ってきましたら、火を弱め、ゆっくり煮ます。煮汁が少なくなるまで煮ます。
 魚を盛り付け、残った汁に、出汁を足し、牛蒡などを煮て付け合わせにします。     
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携帯電話

 最近長女夫婦とその娘、三人で共通の電話会社の携帯電話をそれぞれが持っています。それが安く便利だそうです。私の携帯は二女に言わせれば「持ち歩き公衆電話」だと言います。用があっても全然繋がらず、自分の用事がある時にだけ掛かって来るので、役に立たないと言います。そこで最近は電車の中や病院以外、また人の迷惑にならない範囲では応じるようにしております。
 メールはしません。自分が使わないせいか、今は世代を超えて電車の中であろうが、スーパーの中であろうがメールに神経を集中している姿が目についてなりません。その姿は無防備で心配をしてしまいます。ましてや幼子を傍にしてメールに熱中している親を見ると、嘆いてしまいます。事故が起きたらどうするのでしょうか。余分なお世話と言われますのでしょうか。自然に私の目は子供の姿を追っています。
 話は変わり、大分前の事になりますが、私は行動範囲が広くなり、その頃、携帯電話が安くなったこともあって、持ちました。ところが電池を電話機にセットしなければならなく、しかもすぐに電池が空になるため、スペアの電池を常に持ち歩かなければなりません。その電池が重く、また電話機も大きく、ハンドバックが重くて参りました。当然今は老人向きの字が大きい携帯に変えています。
 その昔の携帯を持ち、クラスの仲間と長野に旅行した際、彼らは私の携帯を珍しがり本当に繋がるかどうか皆が試してみました。それぞれが自宅に電話をしました。「おー繋がるよー」と代わる代わる掛けてみました。彼らの多くは今も殆んど携帯を使っておりません。高齢者には携帯は余り必要は無いようですが、これも今後もそうで済むのかどうか気に掛かる問題です。私の心配と嘆きは続きます。
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味な記事

 日経の夕刊は出来るだけ読みたいのですが、忙しい時には就寝前にやっと手に取る日もあります。昨日はアルコールが入りすぎ、うっかり寝てしまい、今朝になって目を通しました。記事は食に関する記事で溢れています。
 一面トップ記事 「残留農薬29日から新規制 スーパー、食の安全強化」一面にはまた波音「八丁みそ文明」広告「自然の恵&ステーキ・・・麤皮」
 6頁には「グラスの縁から 酔っ払いの定義」「市場ふーど記 リスボン いつもの魚を塩焼きで」「この駅この味 明太子辧當 福岡・小倉駅」「食器のひととき ねとねと 粘りのこだわり」
 7頁 「食を歩く 同じ名でも違う食べ物 沖縄」その下には「調味料は 地域の子ども」
 その他飲食に関する催事の案内など
 こう読むとかなり読み応えがありますね。食通ではないのですが、食にまつわる話は大好きです。例えばリスボンの話を読むと、醤油が欲しかったろうなーとか、明太子と言う字を見ると、あれは自宅で作るのは無理なのかしらとか。ですが今回の記事で一番関心を持ったのは残留農薬規制のニュースです。
 私が入っているオパール・ネットワークでは設立当初から食の問題を取り挙げて勉強しております。主宰者の佐橋慶女は環境問題と一緒に食に関する様々な情報を発信しております。
 この夕刊には私と違う視点からの問題や疑問もでております。今は自分で情報を利用しながら安全な食生活をすることが大事なことと何時も思っております。それと同時に良かれと確信したならば実践をしてゆくことも大切だと過ごしております。
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種物なんて蕎麦じゃないですね

 須田町近くには東京でも有名な「神田藪蕎麦」や「手打ちそばまつや」があります。藪蕎麦はちょっと渋い構えで、何となく気楽にという感じではありません。「まつや」は入り口が道に接しており、入り易い店です。たまに「まつや」に行きますが、昼食時は大変混み合います。その混み合う中で、悠々と蕎麦味噌で一杯やっている方も見かけます。可笑しいことには大抵の人が蕎麦通といった顔をして、蕎麦を啜っているのです。
           
              種物なんて蕎麦じゃない

 青沼一郎先生(文学部・英文学)はこの「まつや」が大のお気に入りでした。信州出身でシャイな先生が蕎麦の話になりますと、熱弁を振るいます。「ねーあなた。種物なんてあんなものは蕎麦じゃありませんよ」と言う言葉を何回聴いたことでしょう。私は「天麩羅蕎麦はやっぱり美味しいですけど」なんて抵抗します。「蕎麦の美味しさはソバツユが美味しくないと駄目でしょう」とかいろいろ話題に変化を付けて先生とお喋りします。そのような事ですから青沼先生の退職送別会は「まつや」で開かれたそうです。
 青沼先生は凝り性。熱帯の鳥を輸入し自宅で飼っておりましたが、鳥小屋を大きくするたびに転居されていたほどです。その鳥の引き取りに羽田に行かれる先生の紹介がTVに映り、知ってはいたものの驚きました。私に「あなたの血液型とご主人の血液型は」と問われ、その次にお会いした時、「理想的な組み合わせですねー」とおっしゃり、飼っている鳥の番の写真を下さいました。カラーで無かったので、随分昔の話になりますね。
               種物なんて蕎麦じゃない

 先だっての鎌倉山座談のおり、蕎麦が出てくるまでの合間、蕎麦談義に話が弾みました。
 後藤先生は青沼先生と同じ信州出身ですが、「蕎麦には絶対海老の天麩羅」だと譲らなかったそうです。同じ信州人でも地域で嗜好が違うのでしょうかね。
                          

  今日は  第3金曜日から3日間 三社祭
 

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病院回りで忙しい

 高齢になってからすっかり病院と仲良しになり、眼科、耳鼻科、歯科、内科、それに鍼灸、たまに整体と、よく時間がとられます。
 昨日は日比谷で難聴の鍼灸治療を受け、その後、池袋で歯科のメンテナンス。忙しい日でした。歯科には義歯やインプラントのために約2年半通いましたが、今は2ヶ月毎に調整とブラッシングでお世話になっています。歯科の寺川国秀先生は難しい私の歯を時間を掛け、確りと治して下さいました。昨日は久しぶりに先生とゆっくりお喋りが出来、その時初めて聞いた話がとても参考になりましたので紹介いたします。
 
1.人の顔を横から見て眼球の中心の位置から口元までの長さと、鼻先から顎の先までの長さは同じだそうです。そして普通は口の端から端までの長さも同じだそうです。(これはMc Geeマック・ギー(米国)という方の研究が知られているそうです)
 2.若いときのこの顔の容が加齢と共に変わってきます。中年になると鼻から顎までの長さが短くなります。老人になると更に短くなります。それでも鼻から上のおでこ辺りは変化は殆んど無いそうです。
 3.容が変わると言うのはどういう風になるのかといいますと、 若い時は口元も締まり、1で示したような長さのバランスがとれています。 中年になると鼻から下が短くなり、口元や口の周りに皺がでて口元が下ってきます。 老人になると顎は短くなり、眼じりも下がり、口の周りに皺が増え、下顎が前に出てきて受け口のようになります。
この理由はまず歯の磨耗や歯肉の衰えからだそうです。歯根が傷み、歯が磨耗し、顎が短くなる結果だそうで、老人になると更にその状態が進むことが原因となっているそうです。先生は垂直的距離と水平的関係という言葉で説明されていました。
  病院廻りで忙しい

先生の話で、私は口の奥で歯が短くなると口元が下へと下がり、皺も出て老人顔になるという風に理解しました。先生にその予防はと聞きました。まず虫歯や歯肉炎を起さないこと、歯や歯根に問題が出たらきちんと治療をすること、歯肉のマッサージをし、歯肉を鍛えること、これがとても大事だと言う事です。歯が悪くなりそのまままにしておくと噛む力も弱り、それが場合によっては認知症にもつながる恐れもあるそうです。
 女優さんやTVなどで見る方々の歯は綺麗ですし、同年の方と比べ若々しく見えるのは、日頃の歯の手入れが行き届いているからでしょうね。
 歳相応と見られるのもそれなりに結構ですが、若々しく見られるとなれば、気分も若々しくなってくるのではないでしょうか。
頑張って歯を磨きましょうね。

 今日は世界通信記念日   16日~18日黒船祭
    17日・18日日光東照宮春季例大祭 

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1948年夏・岩目館

 女子部法律科のクラス主任は女性として初めて司法試験に合格した久米愛先生でした。
 教授でもあり、また弁護士でもあった久米先生の授業は特に専門の科目ではなく、学生と座談をするという珍しい形式で、授業と言うようなものではなく放談会と言ったほうが良いような時間でした。
 1948年の夏は食糧難の東京から早々と帰り、去年までと同じように泳ぎに熱心で、相変わらず海女に「怠け者の司」なぞとからかわれておりました。海女は一夏に鮑やサザエの水揚げで相当の収入を得ていますので、漁業組合での発言力も強く、大したものです。その漁協の婦人部が講演会を開くに呼んだ講師が久米先生と、大浜英子先生ともう一方です。昼の講演会に聞きに行き、泊まりは房総で有名な岩目館と分かりました。
 夕食後久米先生に挨拶に行きますと、とても喜ばれ、部屋に呼んで下さいました。そこで後日、中央選挙管理委員長を務められた大浜先生とも話すことができました。大浜先生のご主人は早稲田大学の総長をされた方です。先生方は寛ぎ、私にも横になるよう勧めます。若輩の私は恐れ多く、横にはなれませんでした。話しは多岐に亘り楽しく、遅くまでお邪魔してしまいました。思い出深い夏の一夜です。
 その岩目館は房総の老舗で、かっては藤田嗣治画伯も宿泊していた事があったそうです。戦後は天皇も宿泊されています。映画「今ひとたびの」のロケで来ていた一行も五所平之助監督を頭に宿泊。私は主役の高峰三枝子さんを見たく、岩目館とは祖母が親しくしていたので、ロケの日は早くから帳場に座り宿から出てゆく高峰三枝子さんを待っておりました。本当に綺麗でその美人ぶりに見とれてしまいました。
 時代は移り、今はもう岩目館は廃業しあとかたもなく、その場所は地元のスーパーになっております。そのスーパーになっている目の前に白浜音頭の碑があります。1956年に岩目館の当主だった森田福之助さんが作詞。今は郷土民謡として広く歌われております。
1948年夏


 今日は葵祭り  別名賀茂祭

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厳しい先生

 徳重先生のことを読んだとOBの方からメールが来ました。先生の統計学は厳しいと言う話が経営学部で広がっており、選択必修の授業を受ける人は30名位だったそうです。彼は敢えて挑戦しようと授業に出たそうですが、3年生の時の試験問題に歯が立たず途中で放棄。再度4年生で試験を受けたそうです。卒業に必要な単位は充分、某銀行の内定も貰っていたのですが、心配は徳重先生の統計学が果たして取れているかどうかで、夢にまで見たそうです。
                           厳しい先生

 そんな心配は杞憂であったようで無事に卒業できたそうです。(写真はパースでの厳しい先生夫妻)
 時間に遅れてくると教室に入れてもらえなかったという話を聞きますと、もっと凄い先生のことを思い出します。
 道部順先生(商学部・ドイツ語)です。和泉校舎でのこと、期末試験に先生のお供で教室に行き、答案を配りました。学生が何やらざわざわし始め、一人が「習っていない所がでています」と言いますと先生即、「質問まかりならん」と厳しい声でおっしゃり、それから座ったまま最後まで瞑想しており、試験が終わりました。
 その話を水越潔先生(経営学部)にしましたら、道部順先生は昔から厳しく、水越先生が予科生だったある時、授業開始のベルが鳴り始め、遅れそうになり駆け込んできた学生に向かって先生は「間に合ったわけでないが、遅れてしまったと言う程でもない。入り口を跨いでドアを開けたまま授業を聞いて宜しい」と。その学生は立ったまま授業を聞く羽目になったそうです。小さい体に気迫満ちたる先生と学生の困惑した風景が目に浮かびます。多分、今でしたら学生は出て行ってしまうだろうと思いますね。

 厳しい先生

今日は出雲大社例大祭

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名画座(30座)

 先ごろイタリアの女優アリダ・バリが亡くなり、青春の一齣が薄れて行くような気がしております。 
 「第三の男」は1949年に製作され、日本には1952年に輸入されたそうで、私たちが観に行ったのは1952年の秋ごろでしょうか。新宿の帝都座の上に名画座(通称みまる座)という劇場がありました。
 当時値段が30円というので学生に人気がありました。道路の北側は伊勢丹です。貧乏学生ご贔屓の映画館でした。
 「第三の男」を見にクラスの仲間で出かけました。あのチターの旋律が街に流れ、いやが上にも心が逸ります。階段を上がって行きますと、館内は満員で人が溢れそうです。今では消防署が絶対に許可しないでしょう。
 立ち見で後ろの方から背伸びして眺め、チターの音だけを聞いて帰ってきたような感じでした。クラスの男性達は親切で、両側から私を持ち上げて一所懸命見えるようにしては呉れましたが、ストーリーまで確り理解する余裕はなく、首を伸ばすだけに神経が集中していたようでした。
 DVDやテープであの名画が見られるようになり、またTVでも何回も放映されています。ストーリーはかなり難しく疲れますが、ラストシーンのあの長さが強い印象を与え、アリダ・バリ演じるアンナの動じない姿に魅了されます。
 今年はモーツアルト生誕250周年。ウィーンやザルツブルグばかりでなく日本でも様々なイベントが開催されます。その一つ、霞ヶ関33階の東海大学校友会館では7月15日にチター演奏とウィーン料理の会が用意されています。
 チター演奏はアントン・カラスにも師事した内藤敏子さんです。勿論「第三の男」の中で流れるハリーライム・テーマやカフェ・モーツアルト・ワルツが聞かれるのではと期待しております。
名画座(30座)

 参考:激動のウィーン
    「第三の男」誕生秘話
     チター奏者アントン・カラスの生涯
      著者 内藤敏子  マッターホルン出版

 今日は看護の日   神田祭  海上保安庁開庁記念日

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相子のウエストサイズ物語

 昨年末、突発性難聴になったことは既に書きましたが、元々私はどうも難聴気味だったようです。 
 ある日仕事を終え、隣の課の裏口から入って行き、帰りの挨拶をしました。若い男性職員が「ウエストサイズいくつですか」と私に聞きます。「75センチよ」と、ノブに手を掛け帰ろうとしました。一瞬おかしな空気、爆笑が起こりました。振り返ると若い先の職員が再度私に大声で言っております。「ウエストサイド物語見ました?」そうだったのか。
 事情は即刻分かりました。言わなくてもいい太いウエストサイズを皆さんに披露してしまったのです。それから暫く「相子のウエストサイズ物語」は多くの職員に話題を提供しました。
 学生へのサービスで苦労をしている日常のなかでは、こんな話は滅多になく結構楽しんで頂いていたようです。私の名もそそっかしい人間として、皆さん知られたようです。災い転じて福となすと思えば、皆さんに笑いを提供した難聴も無駄ではなかったのではと、懐かしく思い出しております。聞き間違えても余り苦にし過ぎない方が大事なようですね。さらりと忘れて次を注意深く参りましょう。(本当にうまくゆくかは保証できませんが)

 今日は春日大社薪能 11日~12日興福寺薪能 
    11日~10月15日長良川鵜飼開き

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自家製塩鮭

 中国青島で小学校の同級生が日本語を教えています。日本語を教えるのであれば日本の食文化を教えるのもいいのではと、寿司の材料を取り揃え送りました。早速開いた寿司パーティの様子が彼のブログで紹介されています。そこで更に新しい料理を書いて送りました。 
 今回は在青島の日本人にももてるものをと思い塩鮭の作り方にしました。これはアイルランドに住む友人のお嬢さんが北欧では鮭が取れるのに塩鮭が食べたいと言う事でお教えしましたところとても喜ばれているそうで、青島の友人も在留日本人にもてるのではと期待しております。 今回私の秘伝を公開します。でも糀の戻し方同様、何方かがやっているかも知れません。知らなかったらお試し下さい。最近美味しい塩鮭は馬鹿高く、街のスーパーでのは味も素っ気もないものが多いので、我が家ではもっぱら自家製です。
 
材料  生鮭の切り身(出来れば厚く大きなもの、皮が剥いであれば尚いいのですけど)と粗塩
 
作り方 鮭に塩を沢山振ります。こんなに振っても好いのかしらと言うほど振ります。蓋付きの入れ物に水分を吸い取る紙か布巾を敷き、鮭を入れ、大体5、6日冷蔵庫に入れておきます。出来上がりです。
 
 取り出し焼いて食べます。鮭は少少高くても脂の乗った良いものを買います。絶対に失敗しない美味しい塩鮭が出来ます。出来上がった鮭は一度に焼いて、すぐ食べない分は冷凍保存します。すぐ解凍できますので便利です。忙しい方にお勧めです。

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 今日はアイスクリームの日

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老境三点セット

 暮の29日に突発性難聴に罹り、岡山に住む心臓を手術した友人の近況伺いと、私の難聴のことをメールしました。彼女から返事が来ました。彼女は才女とは斯くなりやという方で、全てに敵いません。その手紙、彼女の了解なく取り上げて見ました。曰く「耳の難聴ですって。私も心臓の手術のあと、パソコンの講師の声が聴き難く軽度の補聴器の使用をすすめられています。義歯に老眼鏡に加え、三点セットで意気消沈です。」曰く「パソコンの方はデジカメテクニックや、CDの管理、エクセルの応用など「中高年おたのしみコース」に通っています。一つ習っては二つ忘れ、三つ習うと六つ忘れる。どうやら脳のキャパシティは昭和の終わりころに満杯になり、あとの新知識、情報は溢れこぼれて定着しないらしい。」曰く「昔はデジカメに自信がり、あの輝きと叡智と応用力はどこへ行ってしまったのでしょうと、なげかわしい限りです」最後に曰く「ナーニ100歳までにはまだ25年ある。四分の一世紀は残っているよ。頑張ろう」と言うのが昨年からの彼女のメッセージだそうです。
 私も彼女に負けず三点セットが待っています。最後の補聴器も時間の問題です。それでも彼女のメールに励まされ、元気付けられました。
 三点セットにより良い生活をするのも知恵。そのための友人との交流や情報交換も大切な事になっています。恥ずかしい事ではありませんでしょう。才女にしてそうですから頑張りたいと思い手紙を何回も読み返しました。

 今日は松の日  世界赤十字デー  御岳山日の出祭り

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校友会我孫子地域支部総会

 明治大学校友会我孫子地域支部第6回総会が、昨日開かれました。会場は人通りから離れたところにあり、静かな所でした。昨年も同じ会場でしたので娘は迷う事もなく送ってくれました。出席者は32名。いささか少ない人数ですが、それぞれの方の顔が良く見え、少ないなりに総会から、その後の懇親会まで終始和気藹々と賑やかに過ごしました。
 今回役員の交代が若干ありました。支部長は三宅恭雄さんから今泉健一さんにかわりました。
 三宅さんは馬術部のOB。明大馬術部連勝をOBとして支えている方です。今泉さんはバスケット部のOB。五輪2回出場という輝かしい経験の持ち主です。この一年、私も支部の一員として、できるだけ校友との交流を心がけて参りたいと思っております。
 懇親会ではゲストに素敵なマリンバ奏者を迎え、耳に聞き覚えのある曲が何曲も演奏されました。

校友会我孫子地域支部総会

参加者の中ではどうも私が最年長者らしく、皆様に優しくして頂いたひと時でした。
 
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鎌倉山座談

 昨日昼、故後藤総一郎先生がお好きだった鎌倉山「雷亭」に三枝子夫人を迎え、合計九名で座談を楽しみました。新緑溢れんばかり、薫風も心地よく、素晴らしい寛ぎのひと時でした。
 政経学部の現職の先生一人、退職された先生三人、仕事上ご縁のあった元女性職員三人それに現職の職員一人。毎度ながら母校に寄せる親愛と、想い出、これまでに出会った方々の近況、駿河台の移り変わりなど、話題はあちらに飛び、こちらに飛びはしますが、お互いに話も風景も通じます。周知の話でも改めて聞くとまた楽しく、中には思わずへー!とかそうだったのですか!というような事も出て参ります。
 笠原書店の店先でよく座っていた醍醐先生。居酒屋の「みますや」をご贔屓にしていた国語の松山亮次郎先生。中野渡信行先生の楽しいゼミ旅行、などなど先生方のエピソードも出て参りました。時間は話に夢中な人だからと待ってはくれません。気がつくと予定の2時間が過ぎていました。増澤先生が申し訳なさそうに終了のご挨拶をされ、皆さん名残を惜しみつつ来年の再会を約束、散会しました。
 集合した時のJR鎌倉駅の混雑振りは大変なもので、結局全員帰りは大船に出ました。新宿方面に帰る方と別れ、東方向に帰る4名は成田エキスプレスでゆったりと東京駅に戻ってきました。
 後藤先生とは1953年に出会い、長くお付き合いをさせて頂きました。機会を見てこのブログでもご紹介したいと思っております。

 何時も増澤俊彦先生のお世話でこの座談は開かれます。細かい気配りに感心、有り難く思っております。

「雷亭」の「雷」は木偏に雷と書きます。電話の最後の4桁は5656です。浅草の雷おこしの常盤堂の電話も5656だったような気がします。

 今日は立夏  こどもの日(国民の祝日)世界こどもの日
 沢山行事のある日です。
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焼筍を食べに行く

 昨日は雨も丁度止み、12時過ぎには取手の吉澤文五郎さん宅に参加者が集合しました。吉澤さんは環境問題に積極的に関わっています。自宅の周辺は竹林で、家の前の空き地で竹炭を焼いています。炭をいろいろと利用しており、皆さんにも下さいます。春になるとその竹林で掘る筍を焼いてご馳走して下さいますので、今年も図々しくお願いし、15人が集まりました。
 先ず火起こしから始めます。大きな鉄板に吉澤さんが焼いた竹炭を積み、火をつけます。なかなか上手に行きませんが吉澤さんは、大丈夫!今直に起きてきますよ。と悠々としております。言葉通り炭が赤くなってきました。火の周りにブロックを置き、その上に大きな焼き網を載せます。早速皮付きの筍を廻りに並べ、真ん中の空いているところに殻つきの蚕豆を置きます。
 別働隊はコンロに火を起こし、鰯の丸干しを焼き始めています。
 鰯が焼けると、先ずは皆さん片手に鰯を持ち乾杯。すぐに生の新ごぼうに味噌を付けたのが廻って来ました。美味しい事。その後は野菜や鶏肉、牛肉などがどんどん焼けます。それらの材料は仲間の皆さんが準備をしてくれました。講演会などでの素晴らしい協力ぶりに負けない、おいしいもの食べるための協力振りも見事です。
 筍は時間を掛けゆっくり焼きます。皮がかなり焦げ焼けたようです。筍を持つ吉澤さんの手元をじっと見つめます。皮付きの筍を縦真っ二つに切り、上手にくりぬき少しの醤油を垂らして勧めてくれます。皮の焦げの匂いと新鮮な筍の香りが、醤油とマッチ、皆さん美味しい美味しいと口を大きく開けて食べています。醤油は薬草入りの醤油で実に美味しいものでした。
 頃合をみて、吉澤夫人がおにぎり(自家栽培の無農薬のお米を使用)と実沢山の筍汁を、竹筒に入れてもって来て下さいます。お嬢さんは火の番も助けてくれています。ご家族三人は毎回自然にさりげなく歓待してくれます。ついお邪魔をするわけです。
 網焼奉行二人は東京からはせ参じたご夫妻、熱い火の傍で汗をかいています。脛は火の熱さで赤くなっています。
 でもその姿を見てみますと具を網に載せ、焼具合を見て皆さんに取り分ける。そして自分も食べている。格好良く貫禄があります。
 天気は朝から悪かったのですが、雨も最後まで降らず、楽しく口福のひと時を過ごして来ました。
 お土産に頂いた茹で筍は、今朝の味噌汁に若布と合わせて美味しく頂きました。吉澤さん有難うございました。

 今日は憲法記念日 国民の祝日  3日~5日博多どんたく

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相子75歳になる

 今日5月1日、私は誕生日を迎えました。1931年のこの日はニューヨークのエンパイヤ・ステートビルが完成した日。またこの年の秋には満州事変が起きております。流行歌「丘を越えて」を藤山一郎さんが歌い、古賀政男さんの名声も大きく揚がりました。日本は長い間、戦争をし、負けて、それに連れて私たちは誕生時から忙しい慌しい歳月を過ごして来たわけです。
 75年間の内、戦争に費やされた歳月もありましたが、昭和という時代から平成に至るまで、また今でも社会が大きく変動、変革しております。ですのに、よくぞそのスピードにも負けず、変化する社会に付いて来れたものよと感無量です。今や高齢者の一人として過ごす毎日ですが、このようにパソコンにも触れ、都会に出かけても迷わず、目的の場所にも行けます。これからも何をするにしても、消極的な老化防止の為ばかりに篭らず、積極的に動いて行きたいと思っております。 
 若かりし頃の想い出は、何かの弾みで鮮明に思い出されます。幼稚園に3年半も通い、今もその時の友達との交流があり、また小学校も3回転校しましたが、それぞれの学校の友達とも付き合って貰っております。故郷の友人を含め大学時代の級友に先輩・後輩を含め沢山の明大人、多くの恩師、それに多くの知人に助けられてきました事を、心から感謝しております。勿論身内や家族にも感謝の気持ちで一杯です。
 祖父は初孫の私を力士に抱いてもらうため、一日だけでしょうが勧進元を買ってくれたと母から聞きましたが、有り難い人生の始まりだったと、ほら吹き祖父にも改めて感謝をしております。

 今日はメー・デー   鈴蘭の日   日本赤十字社創立記念日

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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日85歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになりそうです。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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