2006-07

« 12345678910111213141516171819202122232425262728293031»
entry_header

EM団子を投げる

 去る7月24日、オパール・ネットワークの会員は日本橋川の浄化運動を続けている方々にエールを送ることで集まりました。具体的には日本橋川にEM団子を投げることで、応援の意思表示をしました。
 今、日本橋と日本橋周辺の環境を守るため、また日本橋川の浄化のために多くの方が結集しております。
 23日には日本橋を洗う会もあって、多くの方が見えたそうです。環境を守るために、洗剤も川を汚染しないよう、EMを使った洗剤を用いたそうです。
 「EM」とはEffective Microorganisms
のことで、人間にとってよい働きをする乳酸菌や酵母、光合成細菌など自然界に存在する微生物を複合培養したものだそうです。
 オパール・ネットワークの中でもこのEMを利用し、無農薬農産物を育てている方もおります。
                   EM団子を投げる

 当日は参加者26名で1000個の団子を投げ込みました。この団子が水の浄化に役立つことを期待し、皆さん一所懸命に投げ込みました。
 道行く人が、関心と好奇の目を向けてきます。浄化の説明をしますと汚しているのではないと分り、納得されます。
 団子の投入後は「日本橋保存会」の永森事務局長の説明を聞きながら歩き、三越前の「ざくろ」で改めて日本橋の現状や問題点、将来像、また現在の運動などについての説明をお聞きしました。
EM団子を投げる


 オパール・ネットワークとは
 Old/Ordinary People in Active Life の略称です。会の趣旨は「高齢時代に心身ともに健康で自立した生活をめざす活動を展開していきます。」ということで、主宰は高齢問題ジャーナリストの佐橋慶女。全国に個人会員や法人会員がおります。会員は40歳以上の男女は何方でも参加できます。
 問い合わせ先 電話03-5410-3843
 
entry_header

しょうなん道の駅

 道路船橋我孫子線は手賀大橋を通過します。数年前に広くなった大橋の南詰め、西側に「しょうなん道の駅」があります。5年ほど前に出来たこの場所には、地元の生産者70軒ほどの方が、出荷する農産物が並びます。殆んどがその日に収穫したもので、新鮮さは近所のスーパーとは比べようがありません。
 やっと入ってくれたスーパーも大事にしなければなりませんが、新鮮さの魅力には勝てず毎週一回は娘と買出しに出かけます。
 旬の野菜はどの農家も同じものを出荷しますので、多少品物の方寄りは仕方がないことです。
 先日は「アイコとまと」という名のトマトが並んでいました。これは「私にむいているわー!」と買って見ました。色と味は良いのですが、皮が硬くて駄目でした。若いときにはトマトは丸でかじって、その香と味を楽しんだのが、嘘のようです。
     
 しょうなん道の駅

                      しようなん道の駅

 戦時中、夏の日、庭の小さな畑に生っているトマトをもいで来て、井戸のポンプを押し、桶に水を張り、トマトを投げ込みます。今あのような香と味のトマトは高級になってしまい、街ではなかなか求められません。
 デパートの高級なトマトを見ると、誰が食べるのかしらと必ず思ってしまいます。道の駅の野菜は私にとって力強い味方です。
entry_header

チャイナドレスは素敵だ 6

 チャイナドレスの特徴の一つは立ち襟です。
 チャイナドレスを着ますと、その立ち襟が着る人の姿勢を自然によくさせて来ます。背筋が伸びて実際の背よりも高く見えます。
 襟の高さは、着る人の年齢、生地、体型、着る時など、所謂TPOを考えて決めることはとても大事です。
 街着を中心に教えています私は、皆さんに5,6センチの高さの襟を勧めております。
              
チャイナドレスは素敵だ 6


 襟がきつ過ぎますと、長い着用は疲れます。特に顎の骨に当たるような高さはなお疲れます。中国旅行などで購入される時には、襟の高さやゆるみにも気を遣いましょう。
 楽が良いからと余りゆるすぎる襟は、折角の見せ所を下げてしまいます。きつ過ぎず、ゆる過ぎずが一番です。
 若い人が高い襟のチャイナドレスを着て立った姿は本当に素敵です。ですが、中高年の皆さんにこそ着て欲しいのが私の気持ちです。
 襟は皺を隠し、姿勢もよくなり、全体に若く見えます。若く見えると自ずと気分も若くなってきます。ぜひ着てください。

チャイナドレスは素敵だ 6

entry_header

学苑会雄弁部の想い出

 明治大学には少し前まで二部がありました。二部は主に勤労学生を対象に設置されたものでしたが、後年は勤労学生の比率は小さくなり、転部予備軍といわれるような学生も増えておりました。
 1955年、56年頃に二部の学生は約一万人。その多くは勤労学生でした。 二部全体の学生自治組織は学苑会と呼ばれ、その下に学部毎の自治会やサークルがありました。
 学苑会雄弁部は部員に学苑会本部の役員も多く、活動も活発でした。
 ハイライトは秋に記念館で行う「明治大学総長杯争奪全国定時制高校雄弁大会」決勝大会です。
              
               学苑会雄弁部

 部員は夏期に全国を数ブロックに分けて、予選大会を開催します。部長の教授をはじめOBや、学生課長、学生課職員なども審査員として同行します。
 当時の学苑会雄弁部の学生達の結束は固く、卒業後もその絆を大切にしております。
 先日1956年に法学部を卒業、在学中学苑会雄弁部の幹事長をしていた船底信雄さんから電話を頂きました。一緒に部活動をしてきた米村栄一さんが亡くなられたという知らせでした。
 米村さんは岡部(株)に長く勤めた方です。岡部には雄弁部のOBが何人も入っていました。面倒見の良い方でした。
 学苑会雄弁部出身者の交流は密度が濃く、明雄会の名のもとに集まり、ゴルフコンペもこれまでに82回にも及んでいるそうです。
 数年間のお世話をしたにしか過ぎない私ですのに、こういった電話を頂けるということは、ありがたく私の青春時代の思い出とオーバーラップさせてくれ、感慨深いものがこみ上げてきます。
                    学苑会雄弁部

        ゴルフのカップを手にする船底さん
entry_header

はなオクラ

 ようやく露地物のオクラが店頭に並び始めました。オクラは成長が早く、収獲時期にうっかりしていると、鉈のような大きな姿になってしまいます。調理法や食べ方もいろいろあり、大好きな野菜ですが、私はさっと湯を通し、刻んで食べるのが風味が良く一番好きです。
 先日「はなオクラ」が店頭に並んでいるのを見つけました。花の色は淡い黄色、花だけを袋に入れております。それはリボンを掛けてプレゼントにしたいようにお洒落に見えました。
 はなオクラ

                      はなオクラ

 早速買って帰り、そのまま花弁を刻んで、削り節と醤油を少しかけて食べました。さっぱりとしてオクラの粘りが微かに舌に感じます。癖がなく、急ぐ時などに手元にあれば便利でしょう。
                               はなオクラ

 戦後食糧難の時代、味噌汁の実にカボチャの花を摘んで入れたことを思い出し、火を消す直前の味噌汁の鍋に放ち、すぐ掬って自分のお椀に注ぎました。カボチャの記憶より、柔らかく、味は殆んど何かを感じるほどのものではありません。色も冴えず、この思いつきは駄目でしたね。
entry_header

祖父江孝男先生

 祖父江先生が明治大学学生相談室に相談員として、関係したのは1968年から1973年までの6年間になります。先生は政経学部教授でしたがその後、国立民族学博物館に移られ、更に放送大学で教鞭をとられていました。先日久しぶりにお目にかかり懇談のひと時を過ごしました。その時に祖父江という名字について話が及び、NHK大河ドラマの「功名が辻」の中で前田吟演じる祖父江新右衛門は実名祖父江勘左衛門ということを教えてくださいました。
 この祖父江姓は愛知県中島郡祖父江(そぶえ)町から出ており、現在では名古屋市を中心とする愛知県全域を始め、全国各地に存在しているそうです。この町には祖父江勘左衛門に近い、もう一つの系列があり、それが祖父江内蔵丞勘時から始まる家系で、その子孫が祖父江先生になるそうです。祖父江先生のお父様は、一高在学時に小出廉二先生と寮で同室、学長の小出先生は「私の息子のような者ですから、よろしく」と相談室のセミナーの時に頭を下げられました。
 小出先生は東大法学部に進まれ祖父江勘文氏は東大医学部を卒業。終戦の年の5月に長崎医科大学(現長崎大学医学部)教授となられたのですが、原爆のため8月にお亡くなりになりました。
 私は先生の相談員時代から長くお付き合いさせて頂いておりますが、国立民族学博物館にお訪ねした時には、大変喜ばれ、お忙しいのにも関わらず、長時間掛けて全館を案内して下さいました。
                  
                  祖父江先生

              (国立民族学博物館にて)
entry_header

チャイナドレスは素敵だ 5

 藍染の中国の印花布は確りと織られています。厚さには少しずつ違いがありますが、裏無しで作っておきますと、夏を除き上手に着方を変えてみることが出来ます。袖丈を少し短めに作り高齢者の方が着るには大変便利です。
                     チャイナドレスは素敵だ4

               長く着た愛着の一枚(生徒作品)

 冬用には少し大きめに前開きの上着を作っておきますと、せーターの上に羽織り、寒さ除けに役立ちます。
 藍染ですので、虫もつかなく長く着ることが出来、経済的な織物です。色落ちがしますので、作る前には必ず塩水で色止めをします。
 裁断をするときには傍に白生地などを置かないようにしましょう。
 長く着ていますと生地は肌に馴染んできます。また色にも良い風合いが出てきて、愛着が出てきます。
 教室でも印花布の好きな生徒さんは何着も作り、楽しんでおります。
 中国で購入する時の注意は、柄のつなぎ目に斑がないかどうか、前と後との色が同じかどうか、よく確かめてから求められると良いでしょう。柄のつなぎ目の状況によっては作る時にとても苦労をします。
                   
                     チャイナドレスは素敵だ4

                    大好きな印花布の裁断中
entry_header

見波精先生

 1949年、法学部で独語を教える先生は、園山勇、菅藤高徳、見波精先生のお三人でした。見波先生は京都出身ですが、どこか勇ましさを感じさせられる風貌でした。一高時代は応援団長として活躍されたそうで、表裏、所謂六年間在学されたそうです。
 優しさの反面、厳しい面もあり、宿題も毎週沢山だされ、きちっとしてくることを期待し、指導をされておりました。出欠は特に厳しくみられていたようで、学生の成績には、真面目かどうかも評価の基準にされていたようです。私がそのことを知ったのは、勤めてからのことでした。
 先生の出欠簿には出欠がきちんと付けられており、また態度も記入されていたようです。教えた学生全部の記録が手元にあるとおっしゃるのです。ある時一冊の出欠簿を手に、私の部屋に参りました。「貴女の記録もこの中にありますよ。T君のもありますよ。」とおっしゃるので「先生開けないでー」と悲鳴を上げてしまいました。先生は笑いながらポケットに仕舞われ「私は教え子が依頼ごとをして来た時には、必ず手帳を見て、態度がよければ受けてあげますが、悪ければ断る事にしています」と断言されました。大変確かな立派な基準です。
 1992年の6月に開催された合同クラス会に出席された先生は、「私は今、病に冒され、余命幾許もありません。今日は皆さんと会うことが出来る最後の日となります。皆さんは長く頑張って生きてください。」と別れを告げられました。武骨だった先生の姿はすっかり削げて痛々しく、立つのもつらそうな姿での挨拶は皆さんに感銘を与えました。
 クラスごとに先生と、島田正郎総長を囲み記念写真に収まりました。先生は言葉通り、その後半年ほど経ちお亡くなりになりました。
 
         見波先生

    前列左から三人目が見波先生、真ん中は島田正郎先生
entry_header

駅員さんも分らなかった

 日比谷まで鍼灸を受けに行き、往きと同じに千代田線を使って我孫子の駅に着きました。切符が素直に行かず、ブザーが鳴ります。
 駅員のいる改札口に行きました。

相子:どうして駄目なのかしら。
駅員:あなたこの切符は今朝我孫子で乗った物ですよ。
相子:だって日比谷で出たんだけれど。
駅員:おかしいですね。何処から乗ったんですか。
相子:日比谷からだけど。
駅員:いくら払いました。
相子:640円。だけどどうしてこの切符なんでしょうね。
駅員:どうしてでしょうと言われても、私には分りませんね。
相子:困っちゃったわ。どうしたらいいんでしょう。
駅員:出て行って良いですよ。
相子:済みませんね。ハイ失礼。

 狐に抓まれたとはこういうことでしょう。おかしい、おかしいと数日
過ごしていました。チョッとバックを見たら、日比谷で買った切符があります。事情が判明しました。ミステリーなどいう高級なものでなく、私のそそっかしさだけの事でした。

 我孫子から日比谷までの切符は640円。改札を出る時に乗換えができます。切符が出てきます。それをポケットに入れたまま用事が済み、
帰りの我孫子駅で、だしたというだけのことでした。家族にも、今日は
変だったと言っていたのが恥ずかしいことになりましたが、夫には打ち明けました。
 往復の切符をお見せします。(別の日の物で、我孫子での出札を前にしてです)
               駅員さんにも分らない

entry_header

ブールミッシュの吉田菊次郎さん

 春先、流通経済大学教授の生田保夫さんから、焼き菓子を頂きました。生田さんと同期の明治大学商学部を卒業した、吉田菊次郎さんの店「ブールミッシュ」のケーキだということで、その時に明治という大学の人材について話が弾みました。
          
              ブールミッシュの吉田菊次郎さん

 長女に聞きましたら、随分昔、渋谷にあった聘珍楼の傍にこのケーキ屋さんがあったといいます。調べてみましたら、1973年に開いたということが分りました。住まいの近くでは柏高島屋に売り場があります。
 暫く経ってから、吉田菊次郎さんの「西洋諸国お菓子語り」という素敵な本も頂きました。ここでは菓子文化と同時に吉田さんの巡った国々の歴史も綴られており、研究されたレシピの紹介もされております。
              ブールミッシュの吉田菊次郎さん

 この本、全編に流れる吉田さんの優しい心根が素晴らしく、お菓子を作ることが出来ない私も自然にお菓子の世界に浸ることが出来ました。
 吉田さんは東京神田の生まれ、暁星小・中・高から明治大学商学部を卒業、フランスでケーキ作りを学び、また研究し、世界のいろいろな賞を受けています。店舗は全国に100店を越える程の発展をされているということを知ると、同窓として素晴らしく嬉しく思います。
 先日も長女の好きな「シブースト」を買って来ました。四層に作られているこの味は、シンプルのようですが、味わい深いものです。
             ブールミッシュの吉田菊次郎さん

entry_header

チャイナドレスは素敵だ 4

 チャイナドレスを初めて作る時になっても、ご自分のスタイルを気にする人もおります。ですが一枚目が仕上がった時には、顔が輝きます。
仮縫いでも一瞬これ私?以外に良いじゃないの。という表情が見て取れます。
 最初は綿の袖なしを作ります。教室での授業時間は三ヶ月合計12時間です。高齢と言うことで袖なしはどうもと、渋る人もおりますが、年齢に関係なく素敵です。一枚目を着た方はとても嬉しそうです。
               チャイナドレスは素敵だ 4

 上手になって来ますと、いろいろな組み合わせの作り方や、着方を覚えて段々楽しんで参ります。
 作り方や、着方に個性が出て参ります。その個性を伸ばすように指導をしております。
 いろいろな習い事を経験してきた方には、出来るだけその経験を活かすように勧めております。
 私の経験などはほんの少しでしかありませんので、基礎を充分に理解することを重点に据えて教えております。
                          チャイナドレスは素敵だ 4

entry_header

茄子の皮

 今は茄子でも胡瓜でも年間通じて店頭に並んでいます。子供どころか、大人でも、旬が何時かなどとは普段念頭になく過ごし、使っているかも知れませんね。何時でも同じ物が供給されるという利便さは、経済的に大きな効果があるのも承知はしておりますが、出来れば野菜は旬の露地物を使いたいと思います。
 夏の味噌汁の実としては、昔から「茄子と茗荷」の組み合わせがあります。私も大好きです。ところが夫は茗荷が嫌い、となると先ず茄子だけで作らなければなりません。そこで吸口に夫のは刻みネギ、私のは茗荷の薄切りです。茄子を皮のまま茗荷と一緒に味噌汁にしますと、汁の色が悪くなり、茗荷もその色に染まってしまいます。
 我が家では味噌汁の茄子は必ず皮を剥きます。剥いた皮は何回分かをパックで冷蔵庫に保存し、少し量が溜まると皮を炒め佃煮風にして食べます。暑い時期には味の確りしたこの皮の佃煮はご飯によく合います。
 こんなことは、よくご存知の方も多いことではと思いますが、紹介いたします。ご存知なかったらお試し下さい。
               茄子の皮


 1.茄子の皮を小さく切ります。
 2.フライパンに油を少し入れ、中火で皮を炒めます。
 3.色が紫からくろめに変わって来たら、日本酒少々と醤油少々を
   加え、鷹の爪の輪切りをチョッと加え、味の素を振り、更に
   炒めて火を止めます。 (お終い!)召し上がって見て下さい。
                            茄子の皮

entry_header

Wien Fest 2

 この数年開催されています、東海大学校友会館のウィーンフェスタでの大きな会。内藤敏子さんのチター演奏とウィーン料理を味わうひと時、今回も素晴らしい内容でした。国立ウィーンホテル料理専門学校校長・オーストリア料理人連盟会長のフランツ・ツォードル氏の料理はモーツアルト生誕250周年記念に因んだ内容でした。料理の解説も親切で、安いツアーでの料理と違う、手の掛かったウィーン料理の素晴らしさを改めて感じることが出来ました。

 wien fest 2

 皆さん沢山料理を頂き、デザートもいろいろ楽しみ、少し入ったアルコールに気持ちもゆったり。
 内藤敏子さんのチター演奏は、演奏もさることながら、演奏の合間のお話が素晴らしく、お人柄が滲み出、皆様の笑いも時々出てきます。
 内藤さんは映画「第三の男」全編に流れるチター演奏者のアントン・カラスに師事されたこともある、日本でのチター演奏の第一人者です。
 チロルに流れるチターの音を髣髴させる演奏は、毎回好評で、この会の受付申し込みはすぐに満席になってしまうそうです。
 松前総長夫人からの花束贈呈があり、皆さんから大きな拍手が送られました。
                     wien fest 2

 外は会の間、激しい雷雨。それも終わる頃には丁度止みました。真夏日の暑かった気温も少し下り、気分よく満足して帰宅しました。

 内藤敏子さんの著書 「第三の男」誕生秘話 には映画の製作に関する事柄や、映像の中での流れる曲名なども詳細に掲載されております。
                             wien fest

entry_header

見かけでは分らない

 少し暑くなり始めますと、ラーメンも良いのですが、冷たい日本蕎麦も良いですね。
 先日午後一時過ぎ、須田町の「まつや」に寄りました。いくらか空いているかなーと思って入りますと、混んでいます。全部相席ですので、少し奥に進み座りました。前に若い女性、彼女は盛りそばを頼んでいました。私はひさしぶりにゴマ蕎麦にしました。
 左向い前の30歳くらいの男性。チェックの綿のだぶだぶの上着、ズボンはぶかぶか、靴は今風のスニーカーに素足、帽子はつばを横にずらして被っています。左手に携帯。目が離せなく、上目使いで見ながらゴマ蕎麦を啜り、ソバツユを飲み、ゆっくりと観察してしまいました。
            
             見かけでは分らない

 彼はまず蕎麦味噌でビールを飲み始めました。蒲鉾山葵(まつやでは板わさとは言いません)が運ばれて来ると、なにやら小声で店員さんに言っております。追加の山葵が小さな入れ物で来ました。蒲鉾に山葵を少しずつ載せて、醤油をちょっと付け、ビールを飲んでいます。次は日本酒かなと見ていますと、盛り蕎麦でした。
 へーこんな人がと、大発見をした気分でした。
 娘にああいう格好はなんと言うのかと聞きましたら「ヒップホップ」と言うのだそうです。
                         
                    見かけでは分らない

 まつやは向かって右が入り口、左が出口、帳場は何十年も変わらず奥です。
entry_header

級友・本多忠則さん

 長崎県口之津出身の本多さん。彼は優しく女子学生全員を大事にしておりました。1949年の新制学部一年生は、予科と専門部からの移行組みに、高校からの入学者の混成部隊で、本多さんは専門部からの移行者でした。子供の頃、旧満州で育ったそうで、どこか垢抜けています。
級友・本多忠則さん

 教室に入る時には必ず前から、授業開始の直前に入ってきて、クラスの女性達にウィンクをします。それが困ったことで、全員とは気がつかず、誤解してしまっている方もおりました。
 2年生になってから、医師の父親が急死し、後を継ぐため久留米医大に転校し、明大を後にしました。九州に帰った彼は、医師になりたくなく、相当悩んだようですが、暫くは仕方なく在学していたそうです。
 私が大学に就職して数年後、突然彼が訪ねてきました。明大が忘れられないと、復学したいと言います。決意は固く、久留米医大は既に退学していました。早速復学の手続きをしましたが、卒業は結局私たちより後になりました。当然です。
 復学後は心理学研究部に入り、持ち前の気風の良さで、誰からも好かれていました。また私たちのクラス会にも欠かさず出席、交流は続き、今に至っております。
 彼がいかに明治に思いを寄せていたか、送って呉れた資料でよく分ります。移行試験の受験料の領収書、ぼろぼろの学生手帳など。                                
               級友・本多忠則さん


 彼は東海林太郎の歌が得意で、今は扮装の為古着を購入、相変わらずサービス精神を発揮しております。                 
                            級友・本多忠則さん

entry_header

チャイナドレスは素敵だ(3)

 私の講座の一番自慢したいことは、普段着や街着を作り、日常楽しんで貰えると言うことではないでしょうか。
 それでも何枚か作るうちに、どこかに着て出かけたい、(大方の方はご主人に好評ですが)皆さんと一緒に食事をしたり、パーティに出席したい。などいろいろな事を思うようになります。
 そこでチャイナドレスを着て、皆さんと一緒に寛ぎながら、また作品を披露する。そういうこともまた励みになることと考え、1年おき位に「中国を楽しむ交流会」を開催しております。
 まだ一枚しか作っていない生徒さんでも、勇気を出して出席してくださいます。ベテランはそれらしく手の混んだ物を着てきます。生徒以外の方もチャイナドレスを着て、会を盛り上げてくださいます。
 この会には毎回ゲストをお迎えし、中国文化に触れて頂いております。第一回は「上海夜鶯」という男性三人によるバラエティ。といっても二胡の演奏や京劇の寸劇、またチャイナドレス姿で中国語の歌を歌って頂いたりしました。(このユニットは現在休眠中です)
 また旗袍研究者として日本で活躍している謝黎さんも、出席してくださり、作るだけでなく研究者もいるということを、皆様に紹介できました。五人で並んだ写真を掲載いたします。赤い上着の方が謝黎さんです。
         チャイナドレスは素敵だ(3)

 参考 謝さんは昭和女子大学で学位を取られ、研究の成果として立派な著書を上梓されています。
                           チャイナドレスは素敵だ(3)

entry_header

第54回日本エッセイスト・クラブ賞

 数分前、第54回日本エッセイスト・クラブ賞の贈呈式が始まったことでしょう。受賞者の一人、中島さおりさんのお母様は、さおりさんのお嬢さんと、一緒に静に座って喜びを噛み締めていられているはずです。
 中島さおりさんは、今回「パリの女は産んでいる」(ポプラ社)で他の二人の方と一緒に賞に選ばれました。お母様から送られてきた本を拝見し、聡明な女性の姿が目に浮かびました。率直に書かれているだけでなくデーターも駆使し、立派な内容となっております。
                     第54回日本エッセイスト・クラブ賞

 お母様は中島公子先生(元明治大学教授・仏文学)で私は長く親しくお付き合いをさせて頂いております。今回のさおりさんの受賞は素晴らしい事で、私もわくわくしております。公子先生はお孫さんと授賞式に一緒に出席した後、お孫さんを連れて帰られるということで、今日は、ばーやのお役目をなさるはずです。
 お嬢様二人はそれぞれ作家、翻訳家として活躍されておりますが、公子先生もまた著書も多く、ご主人様も仏文学者として長く、中央大学で教鞭を取られていました。
 家族四人、知的な素晴らしい家族です。さおりさんは長女でパリに住まわれております。二女の京子さんは作家として、既にデビュー。京子さんのエッセーも素晴らしく、お二人のこれからが楽しみです。
 掲載のツアーは京子さんの近著です。
        第54回日本エッセイスト・クラブ賞

entry_header

山田雄一先生と昔の仲間

 去る2月、明治大学前学長の山田雄一先生は仏・国家功労章を受章されました。
   
  山田雄一先生と昔の仲間

 精神分析振興財団理事長の武田専先生の呼びかけで、文化人類学の祖父江孝男先生(国立民族学博物館名誉教授)もお見えになり、ささやかながら和気藹々と山田先生のお祝いを致しました。参加者は僅か六名ですが、腹蔵なく話せる方々ばかりです。全員明治大学学生相談室での縁があった方々で、話は自ずと相談のケースの移り変わりや、苦労話も出てまいりましたが、楽しかった行事や相談員のセミナーでの事なども思い出され、時間がいくらあっても足りないくらい、話は盛り上がりました。
 山田先生は茨城大学から明治大学に移っておいでになると、早速相談室に挨拶にお見えになり、以来常に相談室に関心を持たれ、相談員になられると専門性を活かして主に心理的な問題を抱えて来談する学生の相談を引き受けられていました。
                        山田先生と昔の仲間

 政経学部教授時代の祖父江先生はセミナーでロールシャハ・テストの解説をしてくださったこともあり話題に出てまいりました。まだ世の中でカウンセリングという言葉すら知られていなかった時代、相談室初期の苦労はなかなかのものでしたが、楽しい事もまた多かったと改めて感じたことでした。
 武田先生は精神科の医師として、精神衛生のことでの関係者を纏めてくださっており、学外の方でしたのに相談員の先生方のことをよく記憶されており、感心しました。 
 先生方の世界はそれぞれ広く、名の知った作家の方や学者の方の話は楽しく魅力に溢れ、私の難聴の耳が喜びました。今日は何か山田先生の受章を口実に皆さんで楽しんでしまったようです。勿論私も大いに楽しく過ごさせて頂きました。
entry_header

我孫子弥生軒

 我孫子駅前に大きなビルがあります。ビルの上にYAYOIと言う字が見えます。
 弥生軒の当主は1957年に明治大学経営学部を卒業され、今は校友会我孫子地域支部の副支部長をされている植崎操さんです。我孫子の名士で支部の頼れる地元民です。
                      我孫子弥生軒

 弥生軒の名前は駅弁マニアによく知られております。山下清さんは放浪の旅をしばしば試み、自由な世界と時間を持ちました。我孫子の弥生軒にも滞在し、そこで画を何枚か描いたそうです。山下清さんが滞在されていた時は弥生軒は駅弁を我孫子駅で販売していたので、弁当の包装紙にその画を見ることが出来ましたが、今は弁当は売られておりません。
 1977年に私が我孫子に移住してきた時にはまだその弁当が売られていました。朝買って出かけたこともありました。
 山下清さんは弥生軒の方々に優しくされたのでしょう。滞在は何回かに及んだようです。
 植崎さんに伺いました。山下さんは植崎さんが小学生の時に居たそうですが、終戦の時にも居たそうです。調理の仕事は上手だったようです。
 包装紙は四季にあわせて変えていたそうですが、今はこれしか残っていませんと、植崎さんが下さいました。皆さんに懐かしい時代を思い出させて呉れますでしょう。 
 
 我孫子弥生軒

entry_header

こんにちは赤ちゃん

 昨日友人のHさんから「今日は何の日」というタイトルのメールを頂きました。たまたまTVを見たら1963年7月6日に中村八大さんの「こんにちは赤ちゃん」が発表されたという内容だったそうです。
 八大さんに長男の力丸ちゃんが生まれ、彼が「はじめまして、僕がおやじです」と言ったのを永六輔さんが書き留め作詞したそうです。NHKの「今月の歌」のディレクターが、お母さんの歌にしたいと「私がママよ」に書き換えてもらい、当時19歳だった梓みちよさんを起用してヒット。第五回レコード大賞につながったと言うことです。(日本テレビ)

                こんにちは赤ちゃん
(赤ちゃんは力丸ちゃん)
 この話は私も八大さんご本人から直接聞きました。懐かしく思い出されます。Hさんも私も中国青島で八大さんと日本人学校で一緒でした。
 八大さんは小学校に入ってから習い始めたというピアノの腕は瞬く間に上達、小学校の四年生の時でしたか、音楽研修に一人で日本に向かいました。私たち学年全員は青島の埠頭に彼の見送りに行きました。ランドセルを背負い、皆に手を振り日本に向かった八大さん。その後青島に帰って、別の小学校に入り、青島中学に入学。そのご両親と帰国。早稲田時代は有名なバンド「ビッグフォー」で活躍した事は周知の有名な事です。
 今私たちは青島の五つの小学校の同学年生で青島羊会という会をもっていますが、生前の八大さんは世話人として出来るだけ出席するよう、気を使ってくれました。ビールが大好き、好ましい誠実な方でした。
 小学生の時のピアノに向かっている八大さんの姿をご覧下さい。
  
 こんいちは赤ちゃん

  中村八大 (1931・1・20~1992・6・10)
   父  中村和之先生(元青島第一日本尋常小学校校長)

 今日は七夕
entry_header

チャイナドレスは素敵だ(2)

 自分の好きな色は自分に似合うのが普通です。時に冒険をしてみるのも楽しい事ですが、好きな色のを着ることの方が多いようです。
 この色選びも個性が発揮されます。それぞれ少しずつ違いますね。生徒の作品を見るのも勉強になります。
 作りながら新しい方法を見つける生徒もおりますので、そういう時には皆さんで見せて貰い、説明を聞き勉強させて貰います。教室では質問や疑問を率直に出して貰っています。
 最近はベテランの生徒さんには、外の生徒さんの仮縫いを見て貰うようにします。仮縫いを覚えて頂くと、また一段と力が付くことと思います。 

         チャイナドレスは素敵だ(2)

 チャイナドレスを習っていると話すと、必ずお友達は「作ってー!」と頼むようです。でもこれはそう簡単には行きません。習い始めると、易々と請け負うわけに行かないなーと皆さん思うようです。ですが作って上げることが出来ればこれは嬉しい事ですね。お友達の仮縫いは見てあげますから、連れていらっしゃいと話しております。それは残念ながらまだ一度もありません。遠慮は要らないのですけどね。      
                          チャイナドレスは素敵だ(2)

entry_header

Wien Fest

 3日から東海大学校友会館でウィーンフェスタが開催されています。今年で23回目だそうです。
 昨日、日比谷で難聴の治療を受けた後、緑濃き日比谷公園の中を、ゆっくり歩き霞ヶ関ビル33階の会場に行きました。丁度昼時、ランチビュッフェにしました。ウィーン料理界で高名なフランツ・ツォードル氏に一年ぶりにお目にかかり、美味しいウィーン料理を頂きました。
          WienFest

 昔と違いお腹一杯食べる事が出来ませんので、珍しいものを選んでみました。干し鱈の蒸し煮(ザワークラウと添え)牛舌のボイル(ホールラディッシュ風味)鯉のスープ。どれも美味しく、デザートにはメロンのグラタンとザッハトルテを少し。温かいメロンのグラタンは初めてで高齢者にぴったりです。ザッハトルテはウィーンのザッハ・ホテル直伝の味です。
                 WienFest

 期間 7月3日~15日  昼も夜もウィーン料理です。
 会場 霞ヶ関ビル33階  東海大学校友会館レストランKEYAKI
 電話 03-3581-5200
  ランチブフェ 2000円
entry_header

パラシュート

 昨日TV局のイベント用のパラシュートが強風に煽られ、赤坂御用地に降りたそうです。ニュースになったので、珍しい事件なのでしょう。警備がどうの、確認がどうのといろいろ言われているようです。新聞で御用地の広さを知りました。
 パラシュートと言うと私は落下傘のことね、となります。戦時中のパレンバンに降下した「空の神兵」の歌が直ぐに浮かんできます。華やかな落下傘部隊の降下ニュースは若い人を興奮させ、高木東六作曲の軽やかな歌が流行りました。あれは石油確保の作戦だったのでしょう。
 終戦後数ヶ月経ち、女学校に旧館山航空隊から、落下傘が運ばれてきました。それを解き、生徒が分けて貰えると言うことでした。厚い生成りに近い白い絹のサテンのような落下傘は、太い糸で縫ってあり、解くのも大事でした。皆で講堂で広げ、数日間只管解き、公平に分けました。生地は今まで手にしたことのなかったような、素晴らしいものでした。解いた糸も分けました。
 洋裁の出来る人は、ブラウスにしたり、下着を作ったりしましたが、私は両親がまだ中国から帰還していなく、使い方を自分なりで考え、小物入れなどを作ったものでした。
 先ごろ数寄屋橋センターでパラシュートの生地を使ったと言うハンドバッグを見つけ、衝動買いより、少し考え買って来ました。
                 パラシュート

 バッグの生地は絹ではなく化繊に見えます。ケプラーかも知れませんね。軽く沢山入るバッグです。パラシュートと聞くと空に浮かぶ夢のような風景が目に浮かびますが、時には戦時中の嫌な記憶も思い出されます。
                      
entry_header

柱も気がつかない相子

 現役の頃、地下鉄新お茶に水で降り、職場に行きます。時には居眠りをしていると、電車の中をすーと風が通り、空気が変わります。はっと目が覚めると、既にドアが閉まり、行く先は大手町。そこで下車、人の流れに添って歩きます。何事もなかったように。電車が出てゆくと、反対側のホームから、新御茶ノ水の駅に戻ります。
        柱にぶつかるとは

 ある日、出会った人と降りた場所で立ち話をし「それでは又」と体を変えて一歩踏み出した途端、どーんと柱にぶつかってしまいました。気も急いていたのでしょうが、それにしてもぶつかり方が酷かったのです。左胸を打ち、一瞬心臓が止まるかと思うほどの痛さが襲いました。
 やっとこらえ職場に行きましたが、その日から数週間も痛さが続き、辛い毎日でした。家族は呆れて誰も同情してくれません。
 新御茶ノ水駅には今でもちょくちょく降りますが、今は何時も意識しぶつからないよう気をつけております。
entry_header

何故か孤独に見えます

 私の住む街にはJRの駅が六ヶ所もあります。ローカルそのものですが、文化と緑、手賀沼が自慢です。
 人口13万あまり、明大の卒業生も1000人を越えます。
 その駅の一つ、北口の広場にベンチがあります。そこに来る日も来る日も、一人の男性が日がな一日座っています。黒いパラソルを開き、雨を避け、風を避け、日を避けじっと過ごしております。何を思うか、見当もつきませんが、ビールは毎日飲んでいるようです。風雨が激しい日は駅の改札口からエレベーターに通じる、人通りの少ない廊下の出窓から外を眺め、出窓の台に缶ビールを並べ飲んでいます。絶対に人に目を向けません。授業の帰り、良く目にする姿です。
                何故か孤独

 高齢者の孤独は問題だと言われ、いろいろ方策が提案されていますが、孤独が好きな人、拘束が嫌いな人もおりましょう。この方は家もあり、住む場所もあるのではと感じます。特別不潔にも見えませんし、家庭に問題があるのかも知れません。人の心に棲む事柄は絶対人に見えないといことを、この方を見るたびに感じております。

 今日は山開き・海開き  国民安全の日 童謡の日  29日まで祇園祭 沢山ありますね。

side menu

side_header

プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日85歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになりそうです。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

フリーエリア

フリーエリア

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

MATERIAL

【背景、記事テーブル素材】
レースの壁紙
レースの壁紙 様

【素材の加工】
FC2blogの着せ替えブログ

Powered By FC2 blog