2006-11

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赤坂サロン

 高齢問題ジャーナリスト佐橋慶女さんの主宰する、オパール・ネットワークは奇数月に赤坂でサロンを開いております。大体参加者は30人前後ですが、毎度様々な分野のゲストの方をお迎えし、楽しみと勉強を兼ねたひと時を過ごします。
 去る25日の昼間は二胡奏者でもあり、また指導者でもあります、安西創(はぢめ)氏をお招きしました。

              赤坂サロン

 安西さんはまだお若く、演奏が素晴らしいばかりでなく、二胡についての薀蓄ある解説は学術的でなかなかの内容となって、皆さんに感銘を与えました。特に今日の中国や日本における二胡ブームは、なぜかという説明も興味深く、参加者の方に参考になったことと思います。
                     
                      赤坂サロン

 二胡も実際に手にとって見せて頂きもしました。
 日本人の中には胡弓を二胡と同様視する方もあり、かっては説明に苦労をされたこともあったそうです。
 二胡は胡いう字が示しているようにもともと西域から伝わった楽器で、演奏する曲にはその西域の影響を受けている曲も多いそうです。
 賽馬という曲がありますが、蒙古族の賽馬という一種の競馬のような姿を偲ばせる曲です。テンポも速く楽しい心の弾む曲です。曲が始まりますと安西さんからお声があり、参加者全員で手拍子を合わせ曲を楽しみました。
 演奏とお話しが皆様に好感を与えたようで、会が終わり、懇親の食事会に入りますと、座も一層賑やかに和やかに華やいでおりました。
                 
                         赤坂サロン




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チャイナドレスは素敵だ 21

 生徒の中にはお嬢さんがいる方が何人もおります。母親が勉強しているチャイナドレスをよく知らない方もあるようです。それが偶然と言いますか、ちょっとした切っ掛けで好きなることがあります。
 これは教室に限ったことではなく、今までにもよく耳にしております。
 先日も生徒は変わった生地を使い、出来上がるのを楽しみにしておりました。襟の裁断も丁寧に気を緩めず、丁寧に作っております。
 
                          チャイナドレスは素敵だ 21

 出来上がったそのチャイナドレスはなかなか個性的です。多分私にはない、生地選びだと思います。
 
             チャイナドレスは素敵だ 21

 個性的に着こなして教室に見えたその生徒が見せてくれた写真は、同じ物を着ている、お嬢様です。大層気に入り、生徒はお嬢様に譲られることにされているそうです。
 今までは余り関心も無かったようですが、このチャイナドレスを着てみて、すぐに気に入り、自分のものにされたそうです。

                      チャイナドレスは素敵だ 21

 親子兼用で着られるというのはとても素敵ですが、それにはゆとりが決めてです。きつくなく作って置きますと、外の方にも合うことがあり、お嬢様はおろか友人に貸されることもあるようです。今回このお嬢様が気に入って下さったことは大変嬉しく思いますし、これからは母親も作り甲斐が出て参りますことでしょう。楽しみに次の写真をお待ちしましょう。
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下井草中島邸

 東京都杉並区下井草に佇む古風ではありますが、温かい雰囲気を湛えた邸宅があります。ここは「東京人」今年一月増刊号に紹介された「滋賀重列旧宅」です。

                  下井草中島邸

 この邸宅は親しい中島公子先生(元明治大学教授)のお住まいです。実際はゲストハウスと言って良いのかも知れません。
 この家を建てられたのは明治時代の建築家滋賀重列(しがしげつら)氏で、中島先生の祖父に当たります。重列氏の曾孫は今年第54回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞された中島さおりさんです。

                下井草中島邸

 中島先生はこの家を大切に保存され、生活はこの後ろに建てた住まいでされております。この住まいも保存されている建物と調和の取れた違和感ないよう建てられてあります。
 滋賀重列氏は千代田区の錦華小学校の第一回の卒業生で、幸田露伴、横山大観と同級生です。(明大卒の人間には親近感がでますね)
 府立一中(現日比谷高校)を卒業後、イリノイ大学に留学、帰国後東京工業学校(現東工大学)建築科創設に関わり、蔵前の高等工業の全校舎建設を設計されました。
 1931年(昭和6年)にこの下井草に自宅を建てられ、以後生涯をそこで送りました。
 滋賀重列氏の業績は、「住宅」の提唱です。日本最初の「住宅論」を発表。「自己所有の土地の上に建った個人の持ち家」という発想は今日では当たり前ですが、当時の中産階級の多くが借家住まいの時代に貴重なものだった事でしょう。
 滋賀重列氏の住宅論の特徴は、婦人の家事労働の負担軽減を設計の中心に据える事でした。和洋折衷に設計され当時としては斬新、また女性にとって有難い造りだった事でしょう。
 
                      下井草中島邸

 この部屋は傍にキッチンも据えられており、お喋りするに相応しい場所です。 
 中島先生のお宅にたまに親しい方と集まり、写真のテーブルの周りに座り、この家の持つ柔らかい雰囲気に浸り、お喋りが弾みます。毎度ながらついつい長居をしてしまいます。
 
         下井草中島邸

 この手前の部屋は玄関を入って左になります。落ち着いた和洋風でサロンにも使えそうです。伺う度に私も行儀良くなり、気分もロマンチックになります。こちらの庭には今は貴重になっている日本タンポポが咲きます。
 (写真は全て東京人から転載)
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トマトサラダ

 昔、昔、母や姑が結婚した昭和の初め頃は、トマトは赤茄子と呼ばれ、その香が気になり、食べられなかった人も多かったようです。
 終戦後、食糧調達を一所懸命にやっておりましたが、引き揚げで水田を持っていない我が家は、土のある所に様々なものを植えて育てていました。
 ジャガイモや玉ねぎ、サツマイモ、また大根なども作っておりました。キャベツに付く青虫を抓んで取ったり、まーいろいろな経験をしました。
 茄子は育て易く、収穫も多くて、人数分の本数があれば間に合うと言われておりましたが、トマトは芽掻きが必要で、難しい野菜だったようでした。その難しいトマトを育てている親の心子知らず、色が付き始めると、食べたくてもぎ取り丸かじりをします。青臭い匂いが何ともいえず、その食感と味は懐かしい想い出です。
 今はそのようなトマトはすっかり姿を消し、甘いものが出回っております。日本の野菜は口当たりや食べ易い味に変わってきているそうです。昨日(25日)日経の夕刊は「変わる食材」次の主役という記事を掲載しております。
 それによりますとトマトは1985年に甘さ重視の「桃太郎」が登場し、糖度が高くなり、今は12度程度の西瓜並みの物になっているそうです。
 我が家では一階のスーパーよりも新鮮な道の駅まで、週一回程度野菜を買いに行きます。その時必ずトマトを買い、サラダにしたり、カレーに入れたりします。赤く完熟状態の道の駅のトマトは味も良く、よく冷えたトマトは食事の促進剤です。
 トマトサラダはスライスしたトマトの上に玉ねぎや長ネギなどに生姜の微塵切りを沢山のせて、酸味の強い甘いドレッシングをかけて食べます。

                  トマトサラダ

 玉ねぎは頭の方を少し切り落とし、丸くなっている面に縦横に二ミリ程度に切り込みを入れ、それから横面から包丁を入れて薄く削ぎ切りして行きます。微塵切りされた玉ねぎを水でさらし、良く絞って水切りします。見た目も綺麗ですし、口当たりも自然で家族も良く食べます。
 ドレッシングは長女のお得意のものです。
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古き頃

 JRお茶の水駅をお茶の水橋口からすぐの交差点を西側に渡り、駿河台下方向に歩き、最初の交差点は西にとちの木通りに曲がって行きます。その曲がり角は、今、明るい男性用のスーツやシャツを中心とした店があります。

                     古き頃


 以前は冨士銀行、更にその前は明治大学8号館でした。8号館は1948年頃は政経ビルと言う雑居ビルでした。1953年に経営学部が出来、そこに教室が設けられました。暖房設備もなく、学生はさぞ寒かった事と思います。
 
                    古き頃

                 (図録明治大学100年から)
 政経ビルの前を下に渡り、南角には石垣が築かれており、防空壕にされたような、掘った穴も見られました。上はテニスコートになっていて、学生が使っておりました。回りの土のあるところにはカボチャが植えられており、夏休みから戻った頃には、カボチャが見られました。
 
             古き頃
 
                (図録明治大学100年から) 
 食糧難の時代で、誰かが空き地を利用していたのでしょう。石垣のあちこちから水が浸みでており、歩道はいつも水で濡れておりました。
 その場所に1953年の12月大学院の白い8階建ての校舎が竣工しました。式典は1954年の春行われたそうです。
 その建物の南の端は一部高くなっており、そこにオルゴールが設置されました。朝昼夕と校歌が流れてきます。まだ車もあまり通らない時代ですからよく響きます。
 そのオルゴールは、周辺の方や病院などから苦情が寄せられ、僅かな期間しか聞くことが出来なくなってしまいました。政経学部の50周年を記念して贈られたものだったそうです。
 二部学生との団体交渉が夜通し行われ、私は課内で一番新米でしたので、一人で一晩中お茶を注いで回りました。徹夜状態で疲れてしまい、朝方大学院事務室のソファーで仮眠をしていますと、オルゴールで目が覚めました。疲れているのに、校歌で起され気分は爽やかでした。思い出すとその時の院長のソファーのすわり心地まで甦ってきます。
 二部学生課勤務でしたので、朝のオルゴールを聴いたのはその一回だけでした。

                  古き頃

         (今のこの場所はテニスコートだったところです)
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チャイナドレスは素敵だ 20

 チャイナドレスの歴史はそう古くありません。私たちが目にするような形の物は1930年代頃の物が基本になっております。
 教室で何時も手縫いで縫う方がおりました。彼女は古い形のものが好きです。パーティにはよくアンティークの物を着て参加されます。
 それは重量感があり、彼女の個性にピッタリです。
 
                         チャイナドレスは素敵だ 20

モダンなもので参加される方もあります。このチャイナドレスは上部がシースルーになったもので斬新な物です。

                  チャイナドレスは素敵だ 20

 若い方が上下のオフホワイトのもので現れました。首も長く、背も高く、このようなものでも着こなす、若さが溢れております。

           チャイナドレスは素敵だ  20

 多くの方は、チャイナドレスとはロング丈か普通丈のものがイメージされていると思います。チャイナカラーに紐ボタンの上着もまた良く見られますが、それもチャイナドレスの一つと考えて良いと思います。
 元々漢民族の方も満州族の方も上下分かれたものを着ており、ワンピー型に拘る必要は無いわけで、教室でも基本コースを終了した方には、それを応用していろいろな組み合わせをすることも、積極的に勧めております。自由な雰囲気こそ個性を引き出す土壌になるのではと思っております。

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旗袍(チャイナドレス)を訪ねて

 2004年10月15日から21日まで、北京・上海を巡り、チャイナドレスを訪ねながら、観光を楽しんで参りました。仲間は11名。それぞれチャイナドレスに関心のある方ばかりです。オリジナルなコースを作り、旅行社に示し、それに添ってスケジュールを組んでもらいました。
 午前便で成田を発ちますと、なかなか良いことがあり、正解でした。
 北京は秋の素晴らしい日が続き、さまざまな体験を楽しみました。
 
       旗袍(チャイナドレス)を訪ねて

 まず今回はパソコンに凝っている私より高齢の方が送って下さった、パノラマ構成の写真を掲載いたします。それぞれの想い出が盛り込まれており、感激しました。
 この道中記は順次、合間を見て掲載して参りたいと思います。
                
                     旗袍(チャイナドレス)を訪ねて

 上海では雑踏の中転ばないよう、はぐれないよう、腕を組み確りと廻って来ました。

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秋刀魚

 秋刀魚が店頭に並ぶ時期が昔と違い、随分早くなっております。
 8月も末になると魚屋に秋刀魚が並びます。北海道へ出動する秋刀魚船のニュースが報じられれるとすぐに秋刀魚が見られます。
 昔房州の千倉は鯖と秋刀魚の水揚げが多かったのですが、今はどうでしょうか。
 恵比寿講の時期の秋刀魚は尾まで黄ばみ、脂がのっていて房州秋刀魚の味は特別美味しく思っていました。
 最近は北海道や、東北海岸で捕獲される秋刀魚も形がよく、適当に脂ものっていますが、千倉の房州秋刀魚ほどのものを見ることは出来ません。魚屋の店員さんに聞きましたら、あることはあるけど高くて売れません。ということでここに住んでいては食べられないと解りました。
 神棚の前に縄紐を掛け、そこに海の幸を吊るすのは暮の房州での仕事でした。故郷を離れ随分経ち、今はそんな話は耳に届いてきません。
 鮭やイセエビ、鯖やスルメ、昆布等と一緒に秋刀魚の丸干しも吊るされます。
 秋刀魚は刺身や塩焼きも美味しいし、脂の抜けた丸干しも捨てがたい味です。
 少し寒くなってきますと、私宅で必ず作るのが「秋刀魚の卯の花和え」です。秋刀魚とおからを合わせて作る私のこれは、教室の生徒にも好評で、手土産にもよく使います。
 
                秋刀魚

 手間をかけて作ります。まず夜中の「おからの乾煎り」から始め、「合わせ酢を作り冷し」て置きます。翌朝「秋刀魚をさばき、軽く塩を振り、少し時間を置いたら酢じめ」をします。「仕上げに秋刀魚の皮を剥ぎ」適当な大きさに切ります。「おからと合わせ酢を丁寧に混ぜ」ます。秋刀魚は唐辛子の輪切り、柚子の皮も入れおからと混ぜ、味が馴染むまで少し置きます。自慢になりますが美味しいですよ。(私は夜中にこういったことをしますが、時間は何時でも構いません)

                      秋刀魚

 生秋刀魚の季節は間もなく終わりましょう。冷凍物になりますと、もう作れません。季節物の食べ物です。
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青島信号山

 仕事部屋を片付ける序に、雑多な物を整理しておりましたら、1940年に発行され戦後復刻版として作られた「青島」という小冊子が出てきました。

               青島信号山

 贈り主は九州で「青島」という会報を発行して下さっている川村正さんという青島中学を卒業し、こよなく青島を愛し、また様々なことを通し、日中交流を進めている方です。
 私は小学二年生の時に青島に行き、暫らく住んだ場所は信号山の中腹にあるドイツ人の作った家でした。斎東路11号というのですが、この信号山の家の反対側には迎賓館があります。

         青島信号山

               (この裏側が斎東路になります) 
 家は広い道路から脇に入り山に上がるのですが、坂の入り口に鉄条網があります。住民しか入れなかったのかどうかは分りませんが、レンガが敷き詰められた坂を上がると家があります。
 半地下のその家には屋上があり、朝二階の窓から下を眺めるとよく兎が遊んでおります。山には潅木が生えており、その下で妹とオママゴトをします。花も沢山咲いていて素敵な遊び場所でした。
 13年前、青島に行き、風化し、補修もされないままの家と、琺瑯の番号板が変らない門柱を眺めてきました。
 青島に住む友人に最近の家の写真を送って貰いました。風化は一層進み、建物には別の物置のような物が作られています。でも琺瑯の番号板ははっきり分りました。

                        青島信号山

 冊子「青島」の原本はジャパン・ツーリスト・ビューロー発行ですが、その中に信号山の高さが約百米とあり、初めて高さを知りました。
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松山亮次郎先生

 政経学部で国語を教えていた松山先生の語り口は「松山節」と言われ、ゆったりと遅いような、聞く人に分かり易く、聞き易いものでした。それが松山節と言われるのは話が始まると、切れ目が余り無く、丁寧なので、どうも口を挟みにくい雰囲気を醸し出すからです。
 学生部委員をされていた時から長くお付き合いを致しましたが、淋しがりやらしく、よく人をお供に新宿などを徘徊します。私もその一人でした。日本酒が大好きで、どこかに寄りますと、一本が二本、二本が三本と、お銚子が並びます。
 先生と初めて会った方が、必ず先生に嵌められ、驚かされるのは「僕は昔、飛行機から落ちましてね」という話です。誰も一様に「どうして?だって今ここにいられるのではないですか」と目を瞠ります。
 飛行機が落ちたのではないのです。飛行機からご自分が落ちたのです。正確に言えば、飛行機に乗ろうとしてタラップから落ちたと言うのです。その転落で受けた怪我のお蔭で戦地に行くことを免れたと言うお話なのです。勿論私も嵌められました。誰もが飛行機が落ちたと受け止めるのですが、先生は「が」でなく「から」と言われているのです。

                     松山亮次郎先生

              (明治大学大学史資料センター提供) 

 おかしい話が山ほどある先生ですが、学生相談室の設立に大きな足跡を残されました。1958年、先生はその年、京都で行われた厚生補導研究集会で、カウンセリングセンターの重要性を学び、秋から大学の関係者に開設をはたらきかけ、1959年4月に和泉校舎に学生相談室を開設するところまでにこぎ着けました。
 私は1月から開設の準備に携わり、それ以来更に先生との長いお付き合いが始まりました。
 相談室は和泉校舎の北西に建っていた時習寮と言われる木造の、一部二階の建物です。隙間だらけの悲しいほどの建物でしたが、関係者は意気軒昂。初めての仕事に気持ちを合わせ、取り組みました。カウンセリングという言葉は未だ世間はおろか、大学でも知られていない時代でした。

          松山亮次郎先生

 入り口に掛けられた看板は守衛をされていた小林さんと言う方が、銅版を叩き造ってくれました。

                       松山亮次郎先生

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チャイナドレスは素敵だ 19

 チャイナドレスに紐ボタン。多分男性はいざ知らず、その組み合わせを知らない方は少ないのではと思います。オリエンタルをテーマにデザインをされているものには必ず使われております。
 教室でも作り方を練習します。これは数多く作ることがとても大事です。作りなれると楽しくなります。
 
                チャイナドレスは素敵だ 19

 チャイナドレスと同じ生地を使う場合、色違いのシルクサテンを使う場合、同質の生地を使う場合などいろいろあります。
 紐ボタンは掛けと受けとで一組になります。正バイヤスの生地を使いますが、裏に薄く糊を引き、生地の延び止をします。寸法はきちんと正確に切ります。これを「まーこんなものでいいか」と始めますと後悔します。
 ボタンはシンプルな直線のものから、いろいろな形の凝った物までありますが、着る人の好みがかなり影響します。どれを選ぶにしても個性が活きます。

                        チャイナドレスは素敵だ 19

 今は中国でも丁寧に作られたボタンはオーダーになります。上海の付属品の店でも、一週間ほどかかります。
 自分で作ったボタンは、別のチャイナドレスに付け替えて楽しむ事も出来ます。丁寧に作って長く利用出来るのが良いですね。

          チャイナドレスは素敵だ 19


 この綺麗なボタンは、先頃生徒の着てきたアンティークのチャイナドレスのものです。素晴らしい手仕事に教室にいた全員で見とれました。
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新快のかき揚げ

 青島に住む友人は定年前から、休暇には時々青島に行き、日本語を教えるボランティアをしており、定年を迎えるとすぐに中国で日本語や日本文化などを教え始め、大学の日本語教師もしておりました。
 数年前から育った青島に居を移し、教え子の会社の顧問をしながら、日本語を教えております。
 青島のジャスコには日本の商品が溢れております。おでんやたこ焼きのコーナーもあり、お弁当は焼肉弁当や幕の内弁当も並んでおります。
 弁当の値段は日本円で80円から150円位。便利です。
 でも彼が毎日買いに行くとなると、バスを使うし、時間も掛かりましょう。そんな彼に生徒がもたらしたのが「新快」というスーパー。
 
                新快のかき揚げ

 彼のブログに紹介されたのが「かき揚げとアジフライ」また加ト吉のうどんに載せた「かき揚げうどん」嬉しそうな記事です。
 
       新快のかき揚げ

 
                      新快のかき揚げ

 そこに書き込みがあり、市川でニュークイックのハムカツを包んでくれた袋のマークが「新快」のと同じものだとありました。
 このブログを見たとき、見たような「かき揚げ」だなと思っていたので、あ!そうだこれはニュークイックに間違いないと気がつきました。

                新快のかき揚げ

 私の住むマンションの一階はニュークイックです。夕方確認をしました。マークも、かき揚げも。そして娘たちにも見せますと、間違いないと言います。

          新快のかき揚げ

 このかき揚げもうどんと同じ「加ト吉」のものだと確信しました。
 加ト吉は青島に敷地6万坪、従業員2000人の加工工場を持ち、日本に輸出しております。
 ニュークイックは食肉の販売で有名ですし、冷凍食品などの輸入も沢山しているようです。
 解りました。一階の「かき揚げ」が何時も形が変らず、青島の「かき揚げ」と同じ形という意味。大発見をした気分です。
 新快=ニュークイックですね。
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燻製の学習

 中国語の同学(クラスメート)のT氏の趣味は燻製です。年に数回のクラスの飲み会に自家製の燻製を提供してくれます。

                         燻製の学習


                燻製の学習

             (この二点は既に用意されていたものです)

ご自分で釣った山女魚などの外にも、鮭やシシャモといった物も持ってまいります。特にシシャモはそう手を掛けずに出来るということです。
 この話を聞いた相子はもう作ってみたくてなりません。彼はそれに応えて呼んで下さいました。
 予め時間の掛かる、材料の準備もしてあり、早速講義になりました。
大学で化学を学んだという彼の説明は、学術的と言ってよいものでしょう。過去20年間のデーターを元に製作したというマニュアルを見せてくださり、グラフなどもきちんと出来ております。

               燻製の学習

 先ず、燻製に必要な道具、材料となる品物の説明など、更に心構えなどにも触れ、先生は生徒の私の理解できる範囲で説明をしてくれました。
 今日は第一回目ですので、比較的易しい速成のものをお願いしてありました。講義が済み材料のシシャモと鰯の状態を見て、触り、酒と胡椒を振り、暫く乾かします。暫らくしてから燻製に掛かりました。
 
                      燻製の学習

乾かす間に昼食。燻製尽くしです。写真に写らなかった鮭のサンドイッチも美味しく、友人のお土産だというアイスワインと一緒に頂きました。

        燻製の学習

添えられたルッコラも自家栽培。ご夫婦で渓流釣りにも出かけるというT氏の生活振りは高齢にも関わらず、見事なものです。
 食事が済み、3回の燻製を体験しました。道具の後始末も教えて下さり、懇切丁寧な授業でした。最後は来客用に役立つ笹かまぼこの冷燻も教えて頂きました。

                        燻製の学習

 教室で二人でやり合う冗談を、この日も一層楽しく交わしながら過ごして参りました。
 終戦時には既に台北一中を卒業されていたそうですので、80歳も目の前ではと思います。
            
                 燻製の学習

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チャイナドレスは素敵だ 18

 チャイナドレスを自分で作り、着たいという方は、チャイナドレスに期待も持っております。ですからそれなりに一所懸命に挑戦します。
 中国の二胡や太極拳を習っている方などは、自分で作ったドレスを着て、発表会に出たいと思われるようです。
 
            チャイナドレスは素敵だ 18

 教室では最初に基礎になる袖なしの単のものを作り、次に袖付きの単の物を作ります。この二枚の間に、間違いをすることも間々ありますが、そこを過ぎると慣れて来ますので、余裕を持って作るようになります。
 最初の袖なしを着ての仮縫、その時の生徒の顔を見ますと、誰もが自分のスタイルへのコンプレッスがなくなって行くのを感じます。嬉しい事です。
 自信は素晴らしいことだと思います。
 長く続けている方は、ボタンも自分で作れるようになります。工夫もし、時に私を驚かせてくれます。そういう時には教える甲斐も感じ、また私の勉強にもなります。
 
 今回は最近二枚目を作った方を紹介いたします。いづれも綿素材ですが素敵に見えます。
                       
                     チャイナドレスは素敵だ 18


          チャイナでレスは素敵だ 18

 体格の良い方は洋服よりスマートに、細い方は程よい女性らしい姿になっております。お二人とも大変嬉しそうです。

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矢張りおかしい文部科学省

 今朝の朝日新聞のトップ記事は「教育改革タウンミーティング」についてです。「やらせ質問8回中5回文科省の出向者ら関与」と白抜きの大きな見出し。
 教育基本法改正に賛成の立場からの「やらせ質問」が5回もあったと内閣府が調査結果をまとめたそうです。このことについては文部科学省の出向者が関与したということです。
 高校必修科目漏れ問題で、4年前に調査報告があったのも対応していなかったと、発表があり、お詫びの言葉も出ましたが、調査は何のためにしたのかと憤慨しておりました。回答者にも失礼ですし、すべて税金で行われているのですよ。
 新聞を取り、部屋に持ってきた途端、目がいっぺんに覚めました。余りに国民をなめていません?
 相子のブログカテゴリー「物申す」10月31日の「改行という話」もう一回ぜひ見て下さい。
                
                   やhりおかしい文部科学省

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青空市場

 中国青島は北京五輪のヨット競技の会場になります。街は目下再開発と拡張で大きく変ってきております。
 2008年8月8日の青島はさぞ綺麗に整備されていましょう。
 街並みの様子も随分整備されて来ているようで、青空市場はなかなか見当たらなくなってきているそうですが、青島の友人が先日、旧市街で見つけ、懐かしい風景をブログで紹介しております。
 (青島満帆をご覧下さい) 

               青空市場

 
           青空市場

 品物も綺麗に並べられ、青島の豊かさを感じます。青島が中国人の老後住みたい街の一番というのが良く分かります。海産物も野菜も、果物も豊富です。青島のある山東省は中国でも有数の野菜の産地です。
 
                    青空市場

 日本の企業も山東省で野菜を作らせています。日本に輸入される中国野菜は恐らく青島経由でしょう。
 昔、私が10歳の頃、両親とよく青空市場に行きました。そこで渡り蟹を何匹も買いますと、五重の塔のように紐で段に結わえて呉れます。
それをぶら下げて帰るのですが、子供の私には長いし、力もなく持てません。当時鶏卵一個と渡り蟹一匹の値段が同じだと両親が話しておりました。新鮮で美味しかったことを思い出します。
 青島は物資の集散地ですので、季節ごとに美味しいものが出てきます。今の煙台から送られてくる、葡萄酒や大きな乾燥海老など我が家では楽しみにしておりました。
 
 9月の上海で、藍染の店を探している通りで朝市を見つけました。

          青空市場

 上海蟹も出ています。一人一人の品物の量が少なく、これで生計を経てるには大変なことではないかと、人事ながら心配しました。
                    
                      青空市場

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卒業衣装

 そう、大分昔、某教授が卒業式にお見えになり、私の所に立ち寄られました。「娘の卒業式にワイフが来ているので、ちょっと待たして欲しい」と暫くお喋りが続き、「娘が振袖で来ているので、トイレに行くのを手伝うので」と奥様の付き添いの説明をされました。
 その頃は振袖を用意する苦労話をよく耳にしました。レンタルなど殆んど無く、また豪華な振袖は高価ですから親の苦労も大変だったと思いますね。
 時代は変わりましたね。今は袴付きの着物が主流だそうです。
 
             卒業衣装

 先日、駿河台に行きましたら明治大学駿河台校舎の12号館に卒業する学生のために、袴や着物が並べられていますので、物珍しげに眺めに入って行きました。
 「卒業衣装レンタルパック」というキャンペーン。色とりどりな着物と袴。全て卒業式に合わせたものです。模様も巣立ち行く春に相応しい桜が多く、また吉祥模様のものが揃っております。無地のものは数枚だけです。 
 
                          卒業衣装

 詰めている女性に伺いました。「最近の傾向は矢絣模様のものは人気が落ちています。袴もグラデーションのや模様入りの袴に人気があります」
 でも人気と言ったって全国各地に展開している業者が作っている、人気でしょうにね。
 パックは着物と袴で大体4、5万円。パックは着物、袴、着付け、記念写真とセットされております。ホテルに宿泊する場合の紹介もされております。
 着付けは当日の朝、武道館近くのホテルで出来るようになっております。便利なものです。「雨が降ったらどうするんですか?ドロはねで困りましょ」と質問しましたら、「レンタルですから」という返事。汚れても構いませんということでしょう。(全て化繊に見えます)
 気楽に借り、その日に備えましょうということですね。それにしても今でも親は大変ですね。
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お茶の水 ミロ

 昨年末に発症した突発性難聴の聴力は殆んど上がらないようですが、他の病院で鍼灸での治療を続けています。今日は3ヶ月振りの検査で、お茶の水の神尾記念病院で検査を受けました。
 予約をしてあり、聴力の検査と先生の説明で、ほぼ30分で終わりました。その後大学に資料を見せて貰いに寄り、昼食をお茶の水駅近くの「ミロ」でとりました。随分久しぶりです。10数年ぶりでしょうか。
 
                        お茶の水 ミロ

 お茶の水駅の南側に位置する道筋は、目まぐるしく店舗が変わり、あれ?と首を傾げることもしばしばです。
 ミロは昔から変らず。狭い店内は何十年も変らない風景のように感じます。飾りか何か分らない、いろいろな物が無造作に彼方此方に置かれています。
 明治の先生方もご贔屓でした。飾らないところがよく、人々を引き付けているのではと思います。アットホームな気安さです。

                お茶の水 ミロ

 昔から男性専科のような感じでしたが、今日も男性客が多く、心なしかのんびりとした様子に見えます。
 ランチのスパゲティは大盛り、一緒に盛り合わせてあるサラダも昔風です。私はサンドイッチとミルクティーにしました。ミルクの容器も温かく誠実な姿勢も変わりません。
                        
                         お茶の水 ミロ

 
 おばさんと娘さんはお互いの言いたいことを言い合っているのも、変わりません。おばさんは歳をとられたせいか、少し表情が硬くなって見えました。それにしましても80歳は越えているのはずです。せっせと洗いものもこなしている姿は立派です。

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チャイナドレスは素敵だ 17

 チャイナドレスは着たいけれど、街で見るあれはねー?という方。恐らく日本人に似合うチャイナドレスをご存じないのではと思います。
 映画俳優やタレントの中でも、とても良く似合い、品の良い物を着ている方もあります。
 腰から下が長い欧米人に比べると、アジアの人にはチャイナドレスは実に良く似合います。
 日本のスタイルブックに、時々チャイナドレスの紹介がされます。洋裁式ですが、これを試されるのも良いことだと思います。その際は目に入るチャイナドレスに囚われず、先ずご自分の好きな色、好きな柄を選んでください。柄物でしたら大きな柄より、細かい柄の方が良いと思います。作って着てみてください。きっと新しいご自分を発見されると思いますよ。
 
                 チャイナドレスは素敵だ 17

                    (呉秋信先生と一緒に)

 自分で作ると愛着も出てきますので、長く着る事が出来ます。
 私の持っているチャイナドレスは、10年以上も着ているものが少なくありません。
 ゆとりを取ってありますので、太っても2kg、痩せても2kgまでは直さずにそのまま着る事が出来ます。
 体型を自分でチェックするに大変良いものです。窮屈になったと思ったら、少し食事を控え、がぶがぶになったと感じましたら、これは痩せたのだと分ります。
 ここで紹介しますのは、40歳後半に作ったもので、20年ほど着ておりました、私のチャイナドレスです。

                           チャイナドレスは素敵だ 17

            (ダブルジョーゼットのアンサンブルです)
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和泉校舎の一年

 1949年に学制が変わりましたが、既に50年以上が経っていますので、そのことを口に出す人は殆んど居なくなっております。
 学制が変わり、初めて和泉校舎に女子学生が登校しました。
 和泉校舎は長く予科の校舎でした。そこに法・商・政経・文・工・農の六学部の学生が使用するので、教室が足りません。急ごしらえの階段教室や武道場になっていた建物なども教室になりました。
 
                  和泉校舎の一年

 教授は殆んど予科で教えていた教授でしたので、予科の雰囲気が漂っておりました。必修の語学では学生の座席は決められており、そこに出席簿順に座らなければなりませんでした。
 代返はなかなか旨く行きません。確り座席を記憶している教授もおります。前に掲載しました、本多さんは代返をしたばかりに「君、自分の席に座りなさい」と窘められ、その教授の時間になると、代返をしてあげた人の席に座らなければなりませんでした。
 私のクラスは女子が5名もいましたので、他学部の学生が訪問してきます。自然に全学部に顔見知りの学生が出来ました。
 自治会の委員長だった商学部の渡部哲寛さん(読売新聞社社友)とは、和泉祭の手伝いをしたことから、今でも交流が続いております。
 教室は二学年分の学生を収容できないという事情と、生田校舎に教室が出来た事もあり、二年生になると駿河台と生田に別れ移りました。
 この一年間の存在は大きく、クラスの結束、他学部の学生との交流、教授との触れ合いなどその後の私に大きな影響を与えております。
 
           和泉校舎の一年

 この写真は1948年の予科祭の「のど自慢」の風景です。最前列に丸野弥高先生、木下勇先生、菅藤高徳先生などが座っております。
 別の写真では教授のモーニング姿での挨拶があり、私は何と先生方は律儀にと思っておりましたら、着るものがなかったからと後年種明かしを伺い、つくづく時代を感じさせられました。 
 この時代は模擬店で食べ物を売るなど至難なことで、学園祭といえば、どこの大学でもクラブ活動の展示や、雄弁大会、演劇、講演会、模擬裁判などが中心でした。
 娯楽が少なかったこともあり、学園祭には他大学の学生ばかりでなく一般の人も随分見えておりました。
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 日本の捕鯨は400年ほど前に始まったそうです。千葉の和田では沿岸捕鯨が行われております。子供の頃は白浜の乙浜でも捕鯨が行われておりました。
 鯨が揚がると町の人々は朝早く乙浜に鯨を買いに馳せ参じます。背負い篭にバケツや桶を入れ、それに鯨の塊を入れてもらい帰宅します。主に春や夏だったような気がします。
 早速鯨を薄く切り身にし塩を振り、大きな網の板に並べて干します。
一気に干し上げられた鯨の味は実に美味しいものです。干し方や厚さが悪いと蒸れた味になってしまいます。お天気が大事なのです。
 町の人は真剣に取り組み鯨を干します。鯨の干物ですね。
 出来上がった干し鯨は「たれ」と言いますが、房州の人間にとっては故郷の味で、私も房総に行きますと買って帰ります。昔と違い味に甘みが付けられ、また半干しのように柔らかくなり、真空パックに入った物です。昔は藁で縛られて店頭に並んでいました。独特の匂いを嫌う人もおります。昔は塩味のものでしたが、焼いたものに更に醤油をつけて食べる人もおりました。
 我が家の娘はマヨネーズを付けて食べております。
 
 先日和歌山の太地で昼食を摂ることになりました。ガイドの説明で「鯨が出ますよ」というので、期待しておりました。駄目です。

         鯨

 油揚げのような薄い、味のない情けない鯨です。太地は日本最古の捕鯨の町で知られた所ですので、まさかの味です。

               鯨

 傍に鯨博物館があり、また港には以前使用されていた捕鯨船がこれも資料館として係留されています。
 一切れでも美味しい鯨が食べられたら良かったのに、本当に残念でした。

         鯨
                     鯨

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梟とベコニア

 富士山レーダードーム館を後にして、冨士国際花園に行きました。
 入り口は古風な両開きの自動ドアーです。ドアーに近づきますと、自動ですからさーと大きく開きました。 
 
                  梟とベコニア

 途端、見渡せるところ全部にベコニアの鮮やかな色が満ちております。

           梟とベコニア

 ガイドさんが「梟のショーが始まったばかりです」と呼び掛け、皆さんと一緒に急ぎました。
 女性の調教師?が梟を腕に乗せ、梟の習性や、「梟」と「みみづく」が同じものであると説明しました。種類は同じようなものではと思っておりましたが、実際同じ梟だと、初めて知りました。梟は順番にショーに出演するようです。
 
                         梟とベコニア

 ショーの後傍によって胸毛をなでさせて貰いました。左手でさするように言われ、そのようにしましたら、私が抱いているように写っております。素敵な経験をしました。
 
       梟とベコニア


 ここには40種類120羽もの梟がおります。様々な梟は可愛く、受付の後ろにいる梟が剥製かと見ていましたら、動いております。
 見たこともなかった小さな白い梟もおりました。
                         梟とベコニア

 ベコニアは1000種類もあり、一年中満開を続けているそうです。
花も見応えがありました。

            梟とベコニア


 国際花園という名の通り、台湾かららしい中国語を話す女性方が大勢入場しておりました。
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富士山レーダードーム館

 10月23日。その前日まで11日間晴れだったというのに、この日は一日中雨模様で、晴れ間は見られず、バスで出かけた富士山周辺では、数分間、束の間にやっと富士山が見えただけでした。
 山中湖遊覧船での観光を変更。富士吉田市立「富士山レーダードーム館」の見学に切り替えました。
 
                       富士山レーダードーム館

 2004年に富士山頂の有人常駐観測が終了。その常駐測候所は1965年以来日本の気象情報を発信し続け、貢献大なるものでした。この貴重な存在を記念として残し、気象についての関心と学びの場が設けられたのが、富士山レーダードーム館です。
 在りし日の富士山測候所の全景の模型。
 
               20061101060958.jpg

 床には1965年の天気図が書かれております。

                          富士山レーダードーム館

 クイズも楽しみ、気象についてのビデオを覗き、夫は富士山頂の気温体験をしました。

                 富士山レーダードーム館

 小説家・気象学者の新田次郎(本名藤原寛人)さんはかって気象庁に勤務されており、気象庁測器課長時代に富士山測候所建設を担当されていたそうで、また測候所勤務もされたのが、その後の作品を生むことに繋がったということです。新田次郎さんのコーナーもあります。伯父様が気象学者の藤原咲平さん、この世界で気象一家と言われたそうです。

        富士山レーダードーム館

 1960年に富士山頂に測候所が開設されたときの記念のメダルは僅か20枚とか、その一枚も展示されています。

              富士山レーダードーム館

 日常は生活上に必要な時に予報を見るだけでしたが、今回の見学で、気象情報が様々な分野に大きく貢献していることを改めて認識しました。

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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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