2006-12

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旗袍(チャイナドレス)を訪ねて 最終回

 04年10月21日 瞬く間に一週間が経ちホテルを10:00出発。
  
                 旗袍(チャイナドレス)を訪ねて 最終回

 先ず玉佛寺に行きました。初めての方には長い線香が珍しかったと思います。ミャンマーから贈られたという緑玉の寝釈迦佛は以外に小さかったですね。人が多く静寂な日本の寺院とは大違いです。
 
               旗袍(チャイナドレス)を訪ねて 最終回

 寺の外に住職の車が置いてありました。ナンバーは三桁。ガイドの説明によりますと1000番内の車は特権が与えられており、信号も関係なく走ることが出来るそうで、日本とは随分違います。たしか日本では警察の車でも定められたこと以外では特別な走行は禁じられておりますよね。
 昼食は浦東の岸辺に浮かんだ水上レストラン。「海龍海鮮舫」ガイドは盛んに高級と言っておりましたが、普通でしょうか。トイレの匂いが気になります。
 船の中で豪華な椅子に座り写真を撮ったり、外灘を背景に皆で最後の記念写真を撮りました。

                旗袍(チャイナドレス)を訪ねて 最終回

                             旗袍(チャイナドレス)を訪ねて 最終回

 浦東空港まではかなりあります。リニアカーの現れるのをバスの中で待ちましたら、空港近くになってようやく市街に向かう姿に対面しました。
 予定通り成田に到着。比較的年齢の高かった皆さん頑張りました。


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旗袍(チャイナドレス)を訪ねて

04年10月20日 昨日の朝食は時間の問題があったと気がつき、早めに食堂に行きました。既に皆さんも席に着いており、皆が同じ事に気がついたわけです。
 この日は城西国際大学の佐藤秋成先生から絶対見に行くように、と勧められていた旅の目玉、「上海影視楽園」通称映画村に行くことになっておりました。
出発9:15 ところがガイドの案内した最初の場所はシルクの店舗。中は殆んど日本人。毎度のことながら、繭玉からの糸引き、布団つくりの見学。品物はさほど魅力はありませんがチャイナドレスは良く眺めました。
 「上海影視楽園」は上海市街の南西部にあり、1999年から公開されています。
 
                 旗袍(チャイナドレス)を訪ねて

 1930年代の南京路を模した街づくりもされております。テーマーパークとしては決して立派とはいえませんが、その中にある服飾の資料館がお目当てです。
   
       旗袍(チャイナドレス)を訪ねて


               旗袍(チャイナドレス)を訪ねて

 
                             旗袍(チャイナドレス)を訪ねて

 ガイドはこの場所に初めて来たそうで、資料館の事は全く知らなかったと言います。彼は初めて空港で会った時は無愛想で、感じが悪かったのですが段々態度が良くなって来ました。
 
             旗袍(チャイナドレス)を訪ねて

 陳凱歌監督の「花の影」のセットがそのままここに保存されていると聞いたことがあります。この日も撮影が行われていました。

                      旗袍(チャイナドレス)を訪ねて

 見学の後、市内に戻り、昨日見つけた服飾の付属品を売る街に行き、皆さんそれぞれ良いものを見つけ、満足。
 昼、夜とも中華料理でしたが、何を食べたか記憶にありませんから、多分ごく普通の食事だったのでしょう。
 私は夜、友人夫妻のマンションを訪問。上海の土地やマンション事情についていろいろ伺うことが出来ました。



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旗袍(チャイナドレス)を訪ねて

 04年10月19日 銀河賓館の朝食場所は、高速道路の傍のせいか、振動があり地震かと皆が驚きました。時間が少し遅かったからか食べる物も冷めており、従業員も態度が悪く感心できません。
 今日は終日市内観光。ホテルを出て最初に行きましたのは、お馴染み「外灘」曇り空の外灘はすっきりとしません。

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外灘から「豫園」に向い、豫園を一巡。
 
          旗袍(チャイナドレス)を訪ねて

 豫園市場を眺め近くのデパートで昼食。ここは三階がレストラン。二階が店舗となっており、日本人向けに出来ているような店です。私は何回か行きましたので、皆さんの欲しそうな売り場を教えますと、それぞれお土産になるような物を買っております。レストランの食事に小籠包が出ましたが、あまり美味しくありません。
 食事と買い物が済み、「上海博物館」見学。(私は微熱がありバスで待ちました)豫園市場の薬局で葛根湯を買おうとしましたが、医師の処方箋が必要と言われ、「金感欣片」という風邪薬を買いました。これが大変効きまして、夕方には大分良くなりました。
 博物館見学の後、「新天地」に行き、各人散策。

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 新天地の「上海灘」では斬新な商品に感心。値段は安くありません。一人が素敵なスカーフを買いましたが、後は見ただけ。申し訳ありません。

          旗袍(チャイナドレス)を訪ねて

 「茂名南路」ではチャイナドレスのエリアとあって、ゆっくりと歩き、所々の店に入っては眺め、また人の良さそうなマダムには質問をしたり、外でも仮縫いの様子を見せて貰ったりし、新しい旗袍に触れてきました。その後は「梅龍鎮伊勢丹」にあると聞いていた「秦芸」で旗袍を見る心算が「秦芸」はなく、仕方なく伊勢丹の中を時間一杯眺めた後、皆さんは新しいスタイルの店と言われている「小南国」に夕食のために向かいました。
 私は上海の友人夫妻と伊勢丹で落ち合い日本料理屋の「白木屋」で旧交を温めました。(白木屋はその後学生のデモで壊されたそうです)


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旗袍(チャイナドレス)を訪ねて

 04年10月18日 15:00北京空港を発ち、17:00予定通りに上海虹橋空港に到着。現地ガイドは霍天錫氏、虹橋空港はバスの待機場所が遠く、スーツケースが重くゆっくりと歩きました。市内に向かう道は広く、市街地に入ると高層ビルが林立しております。ガイドの説明によりますと25階以上のビルが4000棟とか、驚きました。
 この日は空港から夕食の場所へと直行です。夕食は1922年創業の「功徳林」精進料理で有名な老舗です。相子は魯迅夫人の許広平女士が同志と会った場所だと何かで読んだことがあり、絶対ここにしたいと決めて置きました。
 部屋は落ち着いた古風な感じの構えです。普通のツアーでは余り行かないようです。旅行案内などでは見たことがありません。
 
                    旗袍(チャイナドレス)を訪ねて

 功徳林の料理は日本の精進料理と違います。日本の精進料理店や寺の精進料理は素材に手を加え、盛り付けも味も繊細です。ここでは中華料理の持つ形や見栄えとそっくりの料理が出てきました。味付けもその料理その物です。

           旗袍(チャイナドレス)を訪ねて

 お手拭のタオルは使用料を払うだけに確りとしたものですが、袋を開けなければ料金を払わなくて構いません。使ったタオルは持ち帰ることも構いません。なかなか合理的です。私は袋の裏の内容が面白いので中国語の仲間へのお土産にしたいと沢山買い求めて来ました。
 
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   上海での宿泊は銀河賓館。


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旗袍(チャイナドレス)を訪ねて 

 04年10月18日。朝ゆっくりホテルを出発。真っ直ぐ琉璃廠に向かいました。西側で車を降り、歩き始めました。目に付いた最初の店に入り、すぐに筆や宣紙を求め、何となく心が弾んでいます。
 
                       旗袍(チャイナドレス)を訪ねて

 私たちの傍を焼き芋売りの小父さんがうろうろついて来ます。北京の焼き芋は美味しいので手が出そうでしたが、我慢。骨董は分らないのに、チョッと何かを探す振りをして、店先のものを触ったりしながら、東に歩きました。

            旗袍(チャイナドレス)を訪ねて

 琉璃廠の先の大柵欄へと入りますと、チャイナドレスの店が何軒かあります。既製品を買う人はおりませんでしたが、生地を買った方はおりました。私も気に入ったものを見つけ、着分だけ買いました。

                         旗袍(チャイナドレス)を訪ねて

              (この店は北京絲綢商店同様有名です)
 大柵欄は賑やかで、庶民的。入りやすくいいですね。「狗不理」があるのに気がつきました。次回はぜひ行き有名な包子を食べてみたいものです。
 大柵欄の東側出口から前門大街の大通りを東に渡り、「都一処」で昼食。1749年創業と言うこの店は清の乾隆帝の故事で有名な店で、特に焼売が知られております。
 
    旗袍(チャイナドレス)を訪ねて

 店の中では日本人は全く見られず、二階の席でいろいろな焼売、また外の料理も堪能しました。初日に注文したチャイナドレスが店に届きました。

                             旗袍(チャイナドレス)を訪ねて

 昼食が済みました。さーこれから上海に向かいます。バスから老舎茶館が見えました。ここも何時かのぞいて見たい所です。 (続く)


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松山亮次郎先生

 ある時、松山先生から牛久のワイナリーに一緒しませんか。と電話を頂きました。
 同行者は高崎正治先生、増澤俊彦先生だとおっしゃり、明治で講師をされていた高崎先生が定年を迎えられるので、一献さしあげたいからと言うのが理由でした。
 
          松山亮次郎先生

          (牛久キャノン・ここで延々4時間飲みました)
 かしこまりましたと約束、当日は先生は船橋から東武線で柏においでになるので、柏の改札でお待ちし、そこから常磐線でご一緒しました。
 「先生!女性が一人いた方がいいなーと呼ばれたのではないですか」と意地悪くからかいましたら、何時もの通り「いやいやそんな事はございませんよ。貴女にも是非お出ましになって頂きたかったのですよ」と丁寧な口ぶりで返事をされ、私はそれもおかしく「でも本当はそうでしょ」とまた意地悪くからかいました。毎度のことながら礼儀正しく丁寧な先生なのに、いつも私はからかい専門です。
 牛久ワイナリーで先ず醸造の資料を見学、その後は食事?試飲?そうではなく、もっぱらワインの飲み比べです。いろいろ試し、長時間飲み喋り、松山節を堪能しました。高崎先生は某大学の終身学長とか。松山先生の明治の最初の教え子だそうです。
 茅ヶ崎にお住まいの増澤先生は総武線と横須賀線が繋がったことから、よくお呼びが掛かり、お相手をされていたようです。

                  松山亮次郎先生

 帰りはとんでもない事になりました。取手を出たら次は我孫子と思い込んでいた私は「先生今度私は降りますから、次は柏ですよ。乗り換えですよ」と念を押し、下車。最敬礼をして三人を見送り、駅階段を上がりましたら、知らない駅改札です。天王台だと分り、慌てました。
これは大変!松山先生を我孫子で降ろしてしまった!
 時間の経つのももどかしく、先生が自宅に到着された頃に電話を入れました。「いや、僕は降りたんですがね、間違いに気がつき、すぐ乗りましたよ」とおっしゃるのでほっとしました。先生のお世話をしているつもりが、先生を慌てさせてしまったわけです。


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常備菜

 高齢になると味覚が変わってきます。そのことを実感するのは、白いご飯と味の濃い惣菜が一番と言う感じになってきたことです。
 美味しい洋食、大好きな中華料理、どれも今も食べます。ですが醤油味の濃い惣菜が最後にチョッとでも欲しくなります。
 そこでちりめん山椒とか、きゃら蕗など、また烏賊の塩辛なども作って食べますし、大根の葉も良く煮ておきます。
 吉兆の牛肉のワイン煮を知ってから、牛肉の佃煮を時々作ります。洋風料理は下手ですので、ワイン煮ではなく、酒をたっぷり使い煮ます。
 根生姜を牛肉の半量くらい細切りにします。牛肉も細かく切っておきます。牛肉は上等のは香が良いのですが、惣菜にするには程ほどの物を使って作りますので、吉兆のとは香が違うのは仕方がありません。
 
            常備菜

 浅鍋に砂糖、酒、醤油、出汁を入れ、煮立ってきたら材料を全部いれます。一煮立ちしてきたら、火を弱め、灰汁取りシートを被せてゆっくりと煮込みます。この簡単な煮たものが大好きです。酒と砂糖は多めに、醤油は少な目、ゆっくり煮るのがこつかもしれません。欠点は冷蔵庫に入れると味が落ちてしまうことです。少し作って食べきるのも良いのですが、どうしても作るときは1キロ位の肉を使わないと気分が収まらず、毎度出来立てと、味の落ちたものと食べる事になっております。凝りもせずです。

                    常備菜

 先日近所のK夫人からたくさんの大根を頂きました。葉が活き活きとしており、掘りたての大根は味も良く、特に葉はみずみずしく、煮てみましたら、柔らかく大変気に入り、今度は葉だけでも頂きたいくらいです。



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チャイナドレスは素敵だ 23

 チャイナドレスを着ると言うことについて、ごく一部の男性は極端な偏見を持っております。またそのことを口に出す方もおります。
 女性は違います。多くの女性が着てみたいと思われる魅力のある衣服です。
 私の教室ではそういった男性の偏見に見合うようなものは作っておりません。それでも生徒がチャイナドレスを習っていると言うと、「エーあれ着るの」などと言われるということも耳にします。それも少し偏見といえましょう。
 スタイルが決まっているように見えるせいでもありますし、街で目にするチャイナドレスは何処に着てゆくのかしらと言ったものが多いこととも関係することと思います。 
 教室では基本を教えておりますが、生地選びや応用は生徒の自主的な
判断を大切にしております。勿論アドバイスは致します。
 
                      チャイナドレスは素敵だ 23

誰かが素敵に応用して新しいものを着てきますと、教室は沸きます。
特にセンスのよい、斬新なものなどは注目の的です。
 
            チャイナドレスは素敵だ 23

 今回胸にシャネルばりの模様をアメリカンフックドラグで差し込んだものを作ってきた方があり、目を引きました。
 そのチャイナドレスを着た方と、裁断方法の説明に寄っている、外の方のもそれぞれ個性的です。
 
                       チャイナドレスは素敵だ 23



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旗袍(チャイナドレス)を訪ねて

 04年10月17日

               旗袍(チャイナドレス)を訪ねて

 故宮を見学後景山から故宮を心行くまで眺め、北海公園に向かいました。時間にゆとりがありますので、輪タクで胡同巡りに出発。(一人180元)
 
                          旗袍(チャイナドレス)を訪ねて

 胡同に到着後、家の間の細い道を歩き、連絡してあったらしい民家に案内されました。そこに住む女性から日常生活の話を聞きました。娘さんは大学に行っており別に住んでいるそうです。住まいは狭く、日本人の家庭の様子に比べ、物も少なく簡素です。台所やトイレまで見せてくれましたが、清潔に住んでいられる様子。そこまで見せてくれると何か保証されているような感じを受けました。観光資源の一つでもありましょう。

                       旗袍(チャイナドレス)を訪ねて

 庭は樹木、鳥籠、水甕、狭い庭にびっしりです。中国語の授業で聞いて想像していた風景で感激しました。家の中には練炭が積んであり、庶民の生活が少し見えます。

             旗袍(チャイナドレス)を訪ねて

 昼食は有名な「東来順」のしゃぶしゃぶ。店内は広く客もかなり入っております。驚いたことに私たちのテーブルの横に、TVがセットされており、あの女性カメラマンと、男性が待っております。一行を撮影したテープを見せ始めました。こうなると矢張り買いますね。希望者と言っても全員買うことになってしまいました。オリジナルな旅でもやはり現地ではベルトコンベヤーのように仕組まれてしまうようです。
 
                            旗袍(チャイナドレス)を訪ねて

 食後は新東安市場の「木真了」で最新のデザインの旗袍を手に取り、あれこれ言いながら、私たちの好みの物とは合わず誰も買いません。
 地下の食品売り場では有名な漬物店でそれぞれ買い、小母さん気分を発揮し序にあちこちの店を眺め、楽しい時間を過ごしました。
 夕食は首都大飯店内の日本料理店「祇園」あれこれ皆で批評。お客が殆んどいないのに、天麩羅など冷めておりましたが、生ものが出なかったのは良かったです。


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旗袍(チャイナドレス)を訪ねて

 04年10月17日、ホテルを出発、故宮に向かいました。この中国訪問に先立ち、私たちのほぼ全員、飯田橋の印刷博物館のVRシアター(バーチャルリアリティーで見せてくれる)で事前に紫禁城の姿を勉強しておきました。その巨大なスクリーンで様々な角度と空間で会った紫禁城にきょう直接会うことになりました。
 
                        1旗袍(チャイナドレス)を訪ねて

(この女性カメラマンは空港到着からずーと付ききりで名乗りもせず私たちを写しております) 
 当日はANA北京国際マラソンが開催され、朝から交通規制がありましたが、ほぼ予定通りに故宮に到着。

              旗袍(チャイナドレス)を訪ねて

 中は人で一杯です。何処を眺めるにも、近ずくにもずうずうしくしなければなりません。開館したばかりの外国から献上されたという「時計の収蔵館」に入りましたら別料金が掛かるせいか、随分空いておりました。

                        旗袍(チャイナドレス)を訪ねて

 どうしてこうも装飾しなければならないのか、庶民の私には理解できませんが、珍しい立派な豪華なものが大量に展示されております。
 書画等を売る所には日本人が少しおりましたが、そこではゆっくりできました。本来の故宮の見学はただ人を追いかけ、はぐれないように一所懸命歩き、見学をしたと言うのが実情でしょうか。
 故宮を出てすぐ景山公園に行きましたが、そこでは故宮を一望することができました。                               (続く)
 
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ソウルの雪

 一昨日ソウルでは初雪を見たそうです。青島の小学校の同級生のK氏からソウルの冠岳山の雪景色が送られて来ました。

                     ソウルの雪

 K氏の住まいはソウルの汝矣島で、ヨイドといわれるそこは韓国の政治、経済、情報の中心です。国会議事堂もそのヨイドにあります。
 そこには大韓生命63という高層ビルがありますが、その高層から下を見下ろすと彼のマンションが見えました。少し前区画整理で引越しされましたがやはりヨイドです。
 
  ソウルの雪

 随分前ですが、青島時代の友人と韓国観光に出かけました。勿論彼を訪問する事にしておりました。ソウルの宿も彼のお勧めのウエスティン朝鮮ホテルにしました。そこは1914年に出来た由緒あるホテルで素晴らしかったです。
 ところ途中の慶州のホテルに彼から電話が入り「入院しているので、妻と運転手に案内させますがご容赦下さい」というのです。
 ソウルに行き、ヨイドにある入院先に行きました。久しぶりにお会いしましたが彼は至って元気です。聞けば中耳炎の悪化でもう少しで大変な事になるところだったそうです。その後無事回復されましたが難聴になり、彼と私、またもう一人の青島の仲間のI氏と難聴仲間が増えました。
 ヨイドの病院の混雑振りは日本の比でなく、廊下ではストレッチャーの上で点滴を受けている方が何人もおりました。今はどうでしょうか。
韓国でも大病院に患者が集まるようですね。
 ソウルでの二日間、彼方此方奥様が案内してくださり、いろいろな経験をして参りました。宮廷料理は初めてでしたので、何が出てくるのか見当もつかず、メインの料理がどれかも分らずに、ただただその品数の多さには驚嘆し、お腹は一杯で最後はため息が出るばかりでした。

                         ソウルの雪

          (青島羊会に出席するため来日したK氏と相子)


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和泉校舎の靴屋さん

 1940年代後半になっても、革靴はまだまだ貴重品でした。東京の繁華街や国鉄の駅の傍では必ず靴の修理と靴磨きの仕事をする方がおりました。
 誰もがおしゃれはしたいのに金も物も無い時代ですから、せめて靴位はぴかぴかにし、良い靴を履くのも自慢になりました。
 大学の各校舎にも靴磨きや修理する方がおりました。街路での商売をする方に比べ、雨風に関係なく仕事が出来ます。学生の靴は汚かったでしょうね。申し訳ないようなものをぬっと出す方もいたことでしょう。
 
           和泉校舎の靴屋さん

 私が入ったクラブの共済部は、和泉校舎の中で商いをする方たちと親しく、特に平井食堂の小母さんは時々菓子パンの差し入れなどをしてくれました。靴屋さんの小父さんは背が低く、共済部に入ってきますと、カウンターからやっと顔が見える程で、入って来てはお喋りをして行きます。時々エプロン姿で靴墨や靴紐を持って来て下さいました。共済部でも安物のポマードは売っておりましたが、靴墨は売ってなく、ありがたい差し入れでした。話し声も記憶に残っております。
 小父さんの家は、甲州街道を挟み、大学と向い側になり、明大前駅から細い道を歩いてきますと、丁度甲州街道に出た所の左側の角になります。
 大学が休みになりますと、学生はその家に修理を頼みに行きます。
名前は覚えておりませんでした。ある時新聞でその小父さんが育てた息子さんが、作家の水上勉氏の実子と知り、小父さんは窪島茂さんという名前だと言う事も初めて知りました。
 商学部で国語を教えていた八角眞(ほずみまこと)さんが一緒に遊んでいたとは聞いておりましたが、この話はご存知だったのでしょうか。多分ご存知無かったのではと思います。八角さんは若くして亡くなっており残念なことです。
 その男性は窪島誠一郎さんという方で、現在は信州で「信濃デッサン館」「無言館」という夭折画家や、戦没学生の描いた画を展示し、運営をされているそうです。何時かお訪ねしたものだと思っております。

                     和泉校舎の靴屋さん

 窪島誠一郎さんの 「明大前」物語 は和泉校舎周辺の様子、若さで頑張った明大前での生活などが描かれており、懐かしい風景にタイムスリップさせて呉れます。


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1949年和泉校舎

 明治大学には女子部はありましたが、学制が変わるまで和泉校舎では女子学生は学んだことは無く、1949年の4月に初めて女子学生が入学しました。六学部の学生を収容するには校舎が足りません。そこで武道館だった所も教室にし、合同と言いますか合併授業を受けました。武道館での授業は社会学の泉一先生、政治学の藤原弘達先生、体育理論の出口林次郎先生などでした。

               1949年和泉校舎

        (昔の武道館で、正門から入って東側にありました)
 泉先生は東大の有名な気鋭の学者ですが、明治の兼任助教授として 
お見えになっておりました。藤原先生は若いのに、既にべらんめえ調で、何でえらそうにという感じでしたね。
 出口先生は東北の出身だそうですが、ご自分の話す言葉に心配があるのか、半紙に字を書いておき、難しい言葉や専門用語になりますと、紙を高く掲げ「今の字はこれですよ」と示します。東京都議を何期も務め、国体では東京代表の団長として毎度先頭にたち行進しておりました。
 杉並区が選挙区でしたので、杉並区の学生に点が甘いと指弾されて大学をおやめになりました。余りに正直すぎたのでしょう。欲しくても大学では我慢しなくてはね。思い出すと笑ってしまいます。

                      1949年和泉校舎

                      (昔昔の旧講堂です)
 講堂は狭く、雄弁大会などに使われておりましたが、和泉祭の時には演芸や演奏会には使われました。ダンスパーティには和泉の先生方も大勢参加され、想い出の場所です。


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チャイナドレスは素敵だ 22

 高齢になると、背中に気を遣わなくなり勝ちです。チャイナドレスを着ますと、自然に背筋が伸び、年齢より若く見えます。
 若く見えるということは嬉しいもので、気分も違ってきます。
 2枚目を縫いながら、難しい難しいと言っておりました生徒ですが、仕上げたので、早速教室で身に纏って貰いました。ご自分でもこれならば大丈夫と納得した様子です。丁寧に出来ており、品も良く素敵です。
 
                  チャイナドレスは素敵だ 22

 さー三枚目に挑戦と、難しい生地を持ってきました。ご本人は止めて新しい生地を用意しましょうかと、私に気を遣っておりましたが、難しい生地で作るのも勉強になりますので、取り組んで貰いました。

                           チャイナドレスは素敵だ 22

 折角用意した生地を無駄にすると、作る機会を逸します。散々無駄を経験した私は、出来るだけ無駄を避けるようにと、生徒の希望を生かすようにしております。
 既に何枚も作り、ベテランになっている高齢の方は、すっかり体の癖を飲み込まれており、着ている姿も自然です。仕上がると毎度皆さんの拍手を受けます。それほど似合うのです。
 
                  チャイナドレスは素敵だ 22

 高齢の方でもそれなりに着易いよう工夫をします。それが良いところですが、一般の方々には全く理解されていないことで、残念です。


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石鎚山

 昨夜、四国の石鎚山に雪が積もった美しい姿をTVで偶然目にしました。石鎚山は四国随一の高い山で1982メートルあります。
 
                    石鎚山

 1982年、クラスメートだった渡辺邦夫さんからこの山を図柄にした手拭が送られてきました。
 彼は卒業まで殆んど必要以外のことで話をしたことも無く、交流は教室内でしかありませんでした。
 卒業し郷里の今治に帰り、タオルの製造業の家業に励んでいるとか聞いておりました。ある時私の所に沢山のタオルが届けられて来ました。早速その月のクラスの飲み会に持って行き、皆さんで頂きました。
 1985年の5月1日(5月1日は私の誕生日です)に渡辺さんから封書の速達が来ました。忘れえぬ日です。
 「貴女から最近便りが無いけれど、どうされていますか、心配しております。」という内容で、返信用の速達の葉書も同封されております。
 すぐに返事を書き投函しました。
 奥様から電話が入りました。「貴女の手紙が主人の出棺の時に届きました。」という内容です。一瞬驚き言葉も出ませんでした。奥様に伺いますと、亡くなった5月8日のその日、彼は何か変だとご自分で車を運転し、病院に行き、医師の前に座った途端心臓発作を起こし亡くなったそうです。
 奥様は「主人は一度も東京に行ったことが無く、明治の仲間のことを何時も話しておりました。泉屋のクッキーの缶を大切に何時も傍に置いておりました。」とおっしゃります。
 そのクッキーはあのタオルのお礼に皆さんからと送ったものです。彼がどんなに東京や駿河台、また和泉のことを懐かしんでいたか、心情を思うと胸が一杯になります。
 毎年奥様に年賀状を書くたびに、在学中は私的な話は一度もしたことも無かったのに、卒業後は毎年クラスの方の様子をたずねる手紙を送ってきた彼のことを偲んでおります。

                石鎚山

    この名簿には既に多くの学友が故人として記されております。


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今泉健一さん

 今泉健一さんは現在明治大学校友会我孫子地域支部長をされております。その長躯が示しますように往年の日本バスケットボール界での名高い選手でした。(商学部1956年卒業)
 人間長く生きておりますと、いろいろな方に巡り会い、その巡り会いに感謝をしております。ところが今までオリンピックに一回は出られたという方はおいでになりましたが、二回も出場した方とは初めてお会いしました。

                        今泉健一さん

 我孫子地域支部が発足した時、何と素敵な紳士かと、フアンのような気分で関心を持っておりました。
 12月3日に支部の幹事会があり、その席で今泉さんが新聞などに書かれた原稿を選び整理し上梓された冊子を頂きました。
 
                       今泉健一さん

 早速読ませて頂きました。一流の選手生活の厳しさ、また自分を励まし、育ててくれた方々への感謝の気持ち、仲間との交流。内容はバスケットを通じてのことに纏められております。今まで未知だったバスケットボールの歴史は勉強になりました。
 1956年のメルボルン、1960年のローマでのオリンピックと二度も日本の選手として出場し、また明大バスケットボール部の黄金時代を築くなど、活躍の表からは見えない影の努力には頭が下ります。
 少年時代の無い無いづくめの時代の道具の工夫、食糧難の時代の遠征がいかに大変だったかということは、若い方に聞いて欲しい内容です。
 今泉さんは温厚、おおらか、更に支部での皆さんへの気配り、そういった姿を拝見しますと、立派な選手になられたということは、人間として人生の成功者になられたことと言えましょう。行事を一緒にし、優しさに触れ、良き明大人の姿に尊敬の念を抱いております。

           今泉健一さん




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旗袍(チャイナドレス)を訪ねて

 チャイナドレスを訪ねてと言っても北京に行く以上は矢張り万里の長城や明の十三陵なども見学するのは常識でしょう。
 
         旗袍(チャイナドレス)訪ねて

                 
 04年10月16日の朝、泊まったホテル(長富宮大飯店)の庭では男女10名ほどが太極拳の演技をしております。ゆったりとした動きを見るとあー中国に来ているんだーという感じがします。
 食後、万里の長城に出発。天気は快晴。
 道路は矢張り良くなっており、バスは順調に走ります。まず(これが中国)トイレ休憩の翡翠専門店に案内され、翡翠の加工工程を見学、もう買い物をする人もおります。

              旗袍(チャイナドレス)を訪ねて
 
 八達嶺に到着。ガイドの説明ではコネがあるので入場は横からすぐに入れます。ということで脇から入りました。私はこれはとても不満足です。あの上がってゆく坂の最後のところで並んでいる果物や、お土産が見たいのです。ところが脇の入り口と言いながら、ちゃっかりそこで土産を売っております。
高齢の方も居りましたから歩かないでよかったということとも言えますけど。私は夢がしぼみました。
 それぞれ体力に応じ長城に登り中を歩きました。滑らないよう気をつけてと言いながら、皆さん頑張っております。
 昼はガイド言うところの北京の田舎料理、国営?「金殿」でした。どうも外に適当な所は無いらしいですね。
 明の定陵は押され押されの見学、何故か素通りをしただけな感じです。

                      旗袍(チャイナドレス)を訪ねて

 帰路のトイレ休憩は龍地美玉館。茶芸を見てもお茶は特別欲しい人も無いようです。私は参考にと思いチャイナドレスを注文。これは大失敗でした。未だに腹が立ちます。

                              旗袍(チャイナドレス)を訪ねて


                       旗袍(チャイナドレス)を訪ねて

 少し時間を食ってしまったのと道路の渋滞で市内に戻るのが遅くなり、ホテルに戻れず人民大会堂に食事のため直行。皆さんの中国服は持って行っただけに終わりました。残念至極です。
 人民大会堂の食事については前に掲載してありますのでご覧下さいませ。


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米軍女性兵士

 敗戦後、駿河台の立派な家々は米軍家族のために接収され、持ち主は不便な生活を強いられておりました。橡の木通りとかえで通りには日本人には手に取ることも出来ないような、素敵な色の洋服を着た米軍家族の女性が歩いておりました。女子学生もベビーシッターとして雇われておりました。私たちには駿河台のそこに何か特権階級の匂いを感じ取っておりました。その頃、ララ物資の配給は戦災に遭った学生に配られ、その素敵なセーターや革靴はもらえない学生にとって羨ましいものでした。思えば悲しい事です。

              米軍女性兵士

 リバティタワーの前の駐車場になっている所は、主婦の友社の結婚式場が木立の中にこじんまりと建っており、静かな一角でした。
 山の上ホテルは米軍の女性の宿舎になっており、朝は彼女たちが制服に身を包みショルダーバックを肩に颯爽と坂を下りてきます。ハイヒールも軽やかに、出勤です。

                      米軍女性兵士

 主婦の友社の建物は今、レプリカの壁を残しておりますが、今の位置より北にありました。丁度昔の本館の二号館の当りの向い側になります。
 ここも米軍女性の宿舎でした。
 学生たちは3階から主婦の友の窓に目を凝らし、見えたの見えないのと教室で騒いでおります。共学を経験していない学生には女性が珍しくてならなかったようです。

               米軍女性兵士

 ましてやバスロープ姿でも見えようものなら大変です。私たちには分らない心境です。でも彼らの関心事は参考になりました。
 騒いでいた学生は大抵人が良かった方たちですね。もっとも司法試験に集中していた学生には縁は無かった事かもしれません。

                           米軍女性兵士




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中村八大さん

 心優しい青島の小学校の同級生H氏から「中村八大といずみたく」というNHKBS-2(06.11.24)のテープが届きました。

  中村八大さん

八大さんといずみさんは同世代、昭和歌謡黄金時代はこの二人を除いて話すことはできません。二人の生い立ち、また共に作曲家として登場するまでの苦労と、人との出会い。数々の曲が二人を交互に紹介しながら、流れて来ます。懐かしいものもあり、中には初めて耳にする曲もありました。
 八大さんは以前掲載しましたように、青島の小学校で学んだ仲間。小学生の時からピアノの力量は素晴らしく、学校の講堂での独奏は記憶に残っております。
 八大さんは心根が実に優しく、これは父上の生きる姿勢に学んだものではなかったのではと思っております。

                  中村八大さん

(青島在住の同級生が写し送って呉れた、昔八大さんが住んでいた家) 
 彼は本来一年上の学年です。それが何故一年下の私たちと一緒になったかという事は、ご本人の話によりますと、小学校一年生の時、登校拒否になりましたが、小学校の校長をされていた父上は彼を学校に引っ張り出して連れて行くようなことはせず、優しくそれを許していたそうです。子供の頃の彼はひ弱に見えましたし、まだ学校生活に耐えるまでには成長していないと考えられたのかもしれません。

                     中村八大さん



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昔お世話になったところ

 私がまだ質屋のシステムも分らない頃、クラスの知恵者は質屋に行き当座の用立てをしておりました。
 駿河台校舎の南、サイトーテーラーのあるところを右に曲がり、なだらかな坂を下って行き、最初の小路を左に入って行きます。そこには今も「越後屋」さんという質屋があります。学生証を質草にする人もおりましたが、試験の前には返して貰わなければなりません。
 1950年ころ、学生証の再発行はまず警察に届け、紛失証明書を提出しなければ、再発行はしてくれません。代返は出来ても学生証を借りるわけには行きません。警察に行くより、質草を出したほうが簡単です。といったこともありましたが、学生証は今は質草になるのでしょうか。

      昔お世話になりました

「越後屋」さんの手前は「横山酒店」です。ずーと変わらずそこにあります。店頭で立ち飲みがある時期から出来るようになりました。明大生御用達だったのでしょうね。
 
                            昔お世話になったところ

 明大生御用達の「パチンコ屋・人生劇場」は随分早くに文庫本を景品に出し、さすが古書店街、学生街と、新聞でも報道されました。もう50年以上経ちますね。

                 昔お世話になったところ

 今は学生生活も恵まれている方が多いことと感じます。駿河台校舎の前庭に陽だまりを見つけ、語らう学生の姿にしばし足を止め、穏やかだなーとしみじみ眺めてきました。

                       昔お世話になったところ




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旗袍(チャイナドレス)を訪ねて

 04年10月15日、成田空港を10時40分に発ち北京に向かいました。総勢11人。中国服に関心のある方ばかりです。
 北京到着13時20分、定刻通り。専用バスで空港から、まず天壇公園に向い、祈念殿をはじめ、史跡を見学しました。
 
                旗袍(チャイナドレス)を訪ねて

 天壇の見学が済み、すぐに前門大街に場を移し、あの雑踏のなか、皆さんと渡れば怖くないとばかり、お互いに注意し合い、駐車場所から、反対側に渡りました。前門大街の歩道に沿って物売りがおります。もうすぐにでも手に取りたい気分になりましたが、ともかく目的の所に行かなければなりません。北京絲綢商店に到着し、中国人の生徒が予め連絡してくれていた果麗萍女士に会いました。
 生地を各人探し、それぞれ旗袍のオーダーをしました。仕立賃は日本円で裏ともで6000円。生地も買い店を後にして和平門の全聚徳で北京烤鴨を食べ、お腹は一杯、満足です。部屋は綺麗で、掛けられている絵は桜です。何となく嬉しい気分です。
 
     旗袍

 夜と言うのには少し早く、時間がありますので、衆議一決梨園劇場で京劇を観賞することにしました。急ぎ車に乗り込み、劇場に向かいました。
 時間は7時30分から8時40分までです。
 出し物は1、三岔口 2、虹橋贈球 開演前に着き、入り口の反対側で化粧をする俳優さんの姿を見学する事が出来ました。

                旗袍(チャイナドレス)を訪ねて

 開演はまず演奏者勢揃いでの演奏から始まりました。
 
                          旗袍(チャイナドレス)を訪ねて

 テーブル席にはお茶やおつまみのサービスがありますが、離れている場所から注がれるお茶には驚かされます。
 
                              旗袍(チャイナドレス)を訪ねて

 中国人にも京劇の台詞は分らないようで、そこで台詞は電光板が普通話と英語で流しております。
 前には貰えたパンフレットは今回は貰えませんでした。あれは役に立ちますのに残念です。 宿泊は長富宮大飯店。朝発ちは一日が充実して過ごせます。予定外の京劇も観賞でき、良き一日目でした。
 
                              旗袍(チャイナドレス)を訪ねて

              (これは前回の時のパンフレットです)


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宝物

 学生の頃、吉祥寺に住んでおりました。クラスメートの本多忠則さんの親戚(極近い身内)の北村西望先生が井の頭公園傍のアトリエに住まわれており、彼と一緒に北村先生のお宅を訪ねたことがありました。
 その日は生憎先生はお留守でお会いすることは出来ませんでした。長い歳月の後、本多さんから貴女の名前に因んだ色紙を上げましょう、と西望先生の「愛」という字の色紙を頂きました。

                  宝物

 結局念願適わず西望先生にはお会いすることは出来ませんでしたが、直筆の色紙は、私の宝物として、額に入れ毎日眺め満足しております。この色紙の字は竹筆で書かれたものだそうです。
 西望先生の最晩年は本多さんのお姉さまが身の回りのお世話をなされていたそうです。
 長崎では平和記念像の前に立ち、箱根の彫刻の森公園では将軍の孫の横に並び、記念の写真を撮りました。

                        宝物

 書を見るたびに、偉大な北村西望先生が身近においでになられているような、ありがたい気分になります。

                     宝物




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相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日85歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになりそうです。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

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