2007-01

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旗袍あれこれ

 中国の民族衣装が旗袍だと思っている方は多いと思いますが、元々は満州族の服装からの流れを汲んできたものです。広い中国ですから、古来着られた服装には旗袍と似ている物や、また西方の影響を受けたりした物もあり、様々な服装の影響を受けたものが着られておりました。
 といったことから旗袍を民族衣装と呼ぶことは定説となっておりません。
 
                    旗袍あれこれ

 ところで立ち襟と紐ボタンは中国らしい物として、何時の時代でも使われております。特に紐ボタンは今日のようなボタンがない時代には多くの民族衣装でも見られるところです。
 中国では普段、ワンピース型の旗袍を着る方は少ないようですが、長くないブラウスのようなものは、多くの方が着ているようです。
 北京や上海ではもとより、中国に行きますと何処でも売られているのが目に付きます。
 
             旗袍あれこれ

 ブラウス型のものは日本でも良く目にしますし、また着るのも楽しみです。ワンピース型の旗袍ではなくても、何かそれらしい気分になるのではないでしょうか。立ち襟は日本人に良く似合いますし背が高く見え、スマートになります。

            旗袍あれこれ

 ただ中国で見る物は私の目には装飾オーバーに見えます。でそういうものは買って帰ることはありません。
 日本で着るのでしたら、装飾の少ないシンプルなものが一番実用的ですし、飽きが来ません。(ただしこれは私の考えですから、派手が好きな方はそれなりのものを着られて下さい。好きなものは似合います)


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赤坂サロン 07年1月

 オパール・ネットワークの今年のテーマは「出会いは歓び=仲間交流で文化、自然と親しむ」です。奇数月に開かれる赤坂サロンは、佐橋慶女主宰宅に集まります。今年はまた外に出て開く事も計画されております。佐橋さんは午年生まれ。元気印が歩いているような方です。
 お宅のドアを開けるともう目の前に様々な馬のグッズや書画が皆さんを迎えてくれます。伺う度に新しいものは?と眺めて参ります。
 
           赤坂サロン 07年1月

 今年最初のサロンではヒューマンハーバーを主宰し、メディエーター(人間接着業)と自ら称して異業種交流や人脈づくりに力を尽くしておられる青木匡光さんのお話を伺いました。
 
                         赤坂サロン07年1月

 テーマは「新友づくりー相手の美点を認め受け容れる」です。
 青木さんは最初からの会員で、何回かお話しをして頂きました。その骨子は人は一人では生きられないということですが、これは誰もが思い気がついていることでも、これを具体的に人に示し、人脈づくりの方法をどうするかをサポートするということは、なかなか難しく人柄と経験、技量が要ることではないかと私は思っております。
 今回はこれからの人生を楽しくする良きパートナー(仲間)づくりの
知恵と工夫について具体的にお話しを伺いました。資料も分り易く整理されており、その柱の流れに沿ってのお話しは耳に柔らかく、心に沁みこんで参りました。

オパール・ネットワークも設立から10数年が経ち、かなりの高齢者も増えてきており、サロンでも正座の席より椅子席を多くして、また今年からは昼間の時間帯に開催する事になりました。

                        赤坂サロン 07年1月


 オパール・ネットワークの問い合わせ先 
          ℡03-5410-3843
 年齢40歳以上の男女で何方でも申し込めます。


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北島先生と和田先生

 先日駿河台に行き、明治大学大学会館に入ってゆきました。一階のロビーにラグビー部創設80周年記念のジャージーが展示されております。紫紺と白の縞は明治です。
 
             北島先生と和田先生

 昔昔、学生の頃、冬になるとラグビー部の部員は紫紺と白のマフラーを巻き、そのコート姿は部員としてのトレードマークのようで颯爽とお茶の水の駅から出てきます。聞くところによりますと、そのようなマフラーは今は大学の売店でも買えるそうです。
 ラグビーは勇壮で、大好きです。シーズンの冬、寒い日は競技場の中で湯気が立ち、その湯気が選手と一緒に動きます。最近は放送も減り、試合を見に行くにも老人には寒くて駄目です。残念です。
 
北島先生と和田先生

   (明大広報誌Mstyle007号から転載)
有名な監督。北島忠治先生はお目にかかるとよく声を掛けて下さり、
若かった私は遠慮ない口をきいておりました。ある時、北島先生の紹介で皆さんが良いコートを作りました。私も一緒にお願いし頼む時、つい口がすべり「先生の背広を作る人は大変でしょうね」と言いますと「何でよー」と仰るので「だって背が低いでしょ。上着が短いのでポケットの位置を決めるのが難しいんでは」と答え「何だー」と笑顔で怒鳴られてしまいました。

              北島先生と和田先生

               (明治大学大学史資料センター提供) 
 ラグビー部出身の和田政雄先生は、満鉄のチームで活躍され、戦後大学の体育の教授をされておりました。スケートが上手で新宿にあった地球座の地下のスケート場での二部の体育実技に時々誘ってくださいました。もぐりの学生のようなものですね。
 昼休み体育教員室の前を通り、ちょっと寄りますとラグビーのルールを紙に書いて良く説明してくださりました。それなのに私は次にお目にかかるときにはすっかり忘れてしまい「良く覚えてください。ラグビーは本当に面白いのですよ」と優しく仰りました。今もルールは分らず本当に申し訳なく思っております。
 ラグビー部の賄いは大所帯で大変だったようで、若布を毎年私の田舎の漁協から俵で取り寄せておりました。若布採りのシーズンになると懐かしく思い出します。

                      

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チャイナドレスは素敵だ 26

 春風が吹き始めると、チャイナドレスの裾を颯爽と捌きながら歩く姿は素敵です。綺麗な色、季節感溢れる色、そういった色もとても着たくなります。
 それと対照的な色使いをし、年間通じてシックに装う姿もなかなか魅力的です。
 先日の授業、着慣れた黒のチャイナドレスで出席した生徒が何人もおります。
 
                 チャイナドレスは素敵だ 26

 黒は年齢を問わず着こなせます。私が習った先生は黒を上手に利用されておりました。そのまま着て見えることもあり、またその同じ黒のものに、綺麗なブレードを張り、変身させて見えたりしました。喪服としても着られておりました。自分で作り、利用方法を知った方でこそのことだと言えましょう。
 
            チャイナドレスは素敵だ 26

 黒はご存知の通り、アクセサリーも合わせやすく、ほそっりと見せますので、一枚が二枚、段々何枚も作りたくなります。
 デザインも変えて皆さんが楽しまれております。

                       チャイナドレスは素敵だ 26

 黒を縫うのは夜は大変ですね。明るい日差しのある時間帯をせいぜい使って作りたいものです。
 中国のアンティークの物を見ますと、手縫いの細かい仕事に感心します。縫い手は若い人ではないでしょうか。本当に驚く仕事ぶりです。


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我孫子の仲間

 高齢になると、自分は元気でも家族に故障を持つ方が増えてきます。元気な者でも夜が苦手になってきます。
 先週、オパール・ネットワーク我孫子支部の新年会を持ちました。全員集合は無理でしたが、ネットワークの主宰者の佐橋慶女さんも出席され、久しぶりに持ち寄りの料理にお喋りと、楽しく過ごして来ました。
 
                我孫子の仲間

 集まりは会員宅ですが、主は料理の先生です。餅つき機を使い、年の初めの集まりらしく、搗き立ての餅を頂きました。
 当日は一品持ち寄りとして連絡をして置きました。ですが皆さんは料理の先生宅ということで、遠慮がちに品物を出してきます。

           我孫子の仲間

          (漬物集めも大変だったと思われる会員の一品)
 主婦業云十年のキャリヤは今流に言えば「主婦力」矢張りそれぞれご立派。料理の先生は、これでもか、これでもかと珍しい物を出してくださいます。

                        我孫子の仲間

           (珍しい赤こんにゃく・初めて口にしました)
 甘辛美味しい物がテーブル一杯に並び、ビール・日本酒・ワインと自然に心が和みます。会員は気遣いしなくて済む方ばかり。日頃の苦労や辛さも自然に出てきます。そこはお酒カンセリング。皆さんお互い聞き合い、励まし合い、心が解れてきました。良きひと時でした。
 高齢者のもつ悩みや、問題は、同世代の方からの情報が役に立ちます。我孫子支部は難しいこと、学習が必要な事などは公的な情報を利用し、会は楽しみを柱に、元気な日常を過ごすことを目標にしております。



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松井喜代司・映子夫妻

夫 松井喜代司さん 明治大学政経学部1949年卒業・敬愛大学名誉教授
妻 松井映子(明鐘)さん  明治女子専門学校法律科1951年卒業・詩吟明鐘流吟詠会会長 長年にわたり千葉市で人権擁護委員を務められました。
 お二人の結婚は1952年。映子さんは北海道白老出身、父上は北海道漁連会長や衆議院議員を務められた方です。1948年4月彼女と私はクラスメートになりました。お互いクラスで一番年少でしたので気が合い、今日まで交流を持っております。ご主人は千葉市出身、学生時代から千葉会を作り、明治と千葉を結ぶ役割をされておりました。
 
                 松井喜代司・映子夫妻

 この夫妻にはなかなか人に真似の出来ないような素晴らしい姿があります。
 鴛鴦は何時も雄が先に泳いでいるように見えますが、このご夫妻はある時は夫が先に歩き、ある時には妻が先に歩くような、お互いが尊敬しあい、それは終生変わらず続いております。
 喜代司さんが何時彼女を見初めたのかは耳にしておりませんが、彼女が入学して間もなくではないかと想像しております。当時は列車に乗る切符を手に入れるのも大変な時代でした。そんな中、喜代司さんは夏休みに北海道まで求婚に出かけ、その熱意に映子さんのお父様が応えて下さったそうです。
 その北海道行きの前か後か分りませんが、喜代司さんから映子さんに送った手紙は若き情熱がほとばしり、その言葉は映子さんの心を揺さぶりインパクトを与えたのでしょう、映子さんは今も諳んじているほどです。喜代司さんからの熱いメッセージとそれに添えられた短歌。聞くたびにいいご夫妻だなーと感心しております。

                         松井喜代司・映子夫妻

 吟詠界の重鎮に相応しい彼女の話術は巧みですが、それに勝る大らかな人柄に惹かれ、クラス会の度に映子さんの話に引き込まれます。
 喜代司さんは詩舞を良くされ、時に彼女の詩吟に合わせ披露されているようです。明治では鵜沢聡明先生に師事され、その後、敬愛大学で長く大学人として過ごされてきました。また東京都中野区議会議員を何期も務められてもおります。今も83歳という年齢を感じさせられない活躍の毎日を送られております。
 
                     松井喜代司・映子夫妻

 喜代司さんは14年前、映子さんは昨年とお二人とも癌を克服され、以前同様揃って後進の育成に励まれております。



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猪と豚

 今年は亥年。日本では猪ですが中国では猪という字は豚を指します。
中国料理の豚肉を使った物はメニューでは肉と記されております。よく聞く話は青椒肉糸を頼んだら牛肉ではなく、豚肉だったということです。でもそれを怒ってはいけません。牛肉を望むのなら正確に青椒牛肉糸と言わなければ駄目なのです。
 12年前、香港に行きました。丁度亥年です。豚の飾りが彼方此方で目に付きました。今年も春節では派手に飾られた豚がきっといろいろ見られることでしょうね。
 
                猪と豚

 猪といえば義弟は冬になると猪を撃ちに出かけます。山梨の身延地方や神奈川の足柄山などに行くようです。聞くところによりますと、猟は一人では出来ないそうで、何人かで組み、山では回りから囲んで行き猪を追い込んで行くのだそうです。どこに猪が出てくるのか分らないそうですが、そう聞きますと事故の起きる理由が何か分ります。よくよくの注意が大事なことですね。
 妹に食べ方を聞きますと、煮込むことが多いようですが、身延の猪と足柄山の猪では味が違うのだそうです。足柄山のは肉質も良く美味しいそうです。山の中の食べ物が違うせいではないかという意見です。
 
                     猪と豚

 猪の脂身は豚肉のより美味しいそうですが、今特に食べたいとは思いませんね。昔新宿の西口に猪鍋を食べさせる店があり、先生方と一度ですが行きました。味は思い出せません。どうも余り美味しく感じなかったのかも知れません。


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旗袍あれこれ

 好きなればこそで、出かけると目に付くのは様々な旗袍に繋がる物です。不思議に目が行きます。特に中国語圏では目が良く動きます。
 香港九龍のシャングリラホテルは気に入っております。夜景は向かいに香港島のイルミネーションが輝き、湾の水にも映え、香港だーとなります。昔は空港が市内にあり民家にも近いという事らしく、イルミネーションの点滅がなく落ち着いて眺める事が出来ました。日本企業の名前もここで見ると何か懐かしく嬉しくなります。
 ホテルは最近改装されているようですが、落ち着いたクラッシクな雰囲気が大好きです。
 香港島のホテルに泊まった事もありますが、私はここが気にいっております。
 売店が良かったですね。覚えたばかりの中国語も使って買い物をしました。陶器の人形も買いましたが、垢抜けしないと家族にはあまり評判が良くありません。

旗袍あれこれ


                 旗袍あれこれ

 私の目に付いた包装紙は見た途端、魅せられて纏めて何枚も買いました。大分使ってしまいましたが、ある日棚を整理しておりましたら、残っていたそれを見つけました。

               旗袍あれこれ

 可愛い意匠の包装紙のデザインはここならではのものです。旗袍のイメージが楽しく広がります。唐子の姿も想像の中に入ってきます。
 
         旗袍あれこれ



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中国青島の小学校

 1939年に中国青島の小学校に千葉の片田舎から転校しました。学校の規模は大げさに言えば「月とすっぽん」と言えるほどで、それまでの学校と全てにおいて違っています。
 校舎は大きな洋館。校庭は広いグランドの外に朝礼が行われるアカシヤに覆われた所、それ以外の運動遊具のある横の校庭。また先生方の使うテニスコート、その傍には観察池があり、水連の花が咲きます。
 私が日本に帰った後、スケート場も出来たそうです。
 
                 中国青島の小学校

 田舎では全く聞いたこともなかった虚弱児童(当時このように言われていた)のクラス。このクラスに中村八大さんはいました。私たちが授業をしている時間に、校庭で陽にあたっていたり、肝油を貰ったりしておりました。子供心に羨ましく体が弱いといいなーなんて思ったりしました。
 行事が多いこと。また遠足も多く、お花見遠足、兎狩り、お別れ遠足、勿論運動会は大きなグランドで行われます。学芸会らしきものが雨天体操場で行われ、3年生の頃だったと思いますが、八大さんのピアノ独奏も披露されました。
 全校生徒が並んでもまだゆとりのある、校庭の写真があります。この二枚の中に私は並んでいるはずです。さすが自分の位置までは思い出せません。
 
                  中国青島の小学校

 2600の文字が意味する所、お分かりの通り、紀元2600年を
祝うものです。この年占領下の青島では花バス、提灯行列と日本の国威を示さんばかりの行事が行われました。中国の方々はどう思われていたのでしょうか。


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チャイナドレスは素敵だ 25

 教室で教えるチャイナドレス、最初は袖なしです。生徒は時間にゆとりが取れるようになった方が多く、一番若い方でも40歳くらいです。
 最初のチャイナドレスが袖なしと知ると「袖を付けたのが良いのですが」という方もあります。出来るだけ生徒の希望を入れることにはしておりますが、この初めの袖なしは必ず縫って頂きます。
 この最初の袖なしが、この後の製作の基本となります。ここで直裁ちの基本をしっかり身につけます。
 
                          チャイナドレスは素敵だ 25

 実際袖なしは素敵ですし、ご自分の姉妹、お嬢さん、友人などから作って欲しいと言われた時に役に立ちます。
 この袖なしを作るときの生地は着丈の倍+20㌢。ブラウスですと1㍍20㌢もあれば足ります。
 教室で私は良く「ロープデコルテを見てご覧なさい。腕を出していても素敵ではないですか」と言います。

               チャイナドレスは素敵だ 25

 中国や香港などでチャイナドレスを求める際には、袖の長さに注意して買いましょう。随分前、有名な女優さんが二日で出来るというチャイナドレスを頼み、その姿がTVで紹介されましたが、袖が全く似合わなく気の毒な気がしました。袖なしにしたらどんなに良かったかと思ったことでした。
 チャイナドレスを買う時、何処に気をつければ良いのかは「美麗的旗袍」に掲載しておりますので、参考にされて見て下さい。



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神田すずらん通りでの食事

 1948年、戦争が終わって未だ3年。
 食糧不足はその頃一番酷かったような記憶があります。大学には入ったものの食事を摂るには様々な工夫が必要でした。昼は欠食状態も続き、切ない日々でした。(それでも太っておりました)
 1950年、2年生になり和泉校舎から駿河台に戻って来ますと、すこし食糧事情はよくなり、すずらん通りの真ん中辺に二軒の総菜屋が出来ました。隣り合った二軒は店頭で揚物を揚げており、昼の店内は学生で一杯です。ご飯は配給時代ですから、自分で持って行き、揚げ物を買って店内で食事を済ませます。店内のテーブルは長く、教室の机と似たようなそっけないものです。全て相席で、誰か知り合いがいないか探し席をとります。
                               神田すずらん通りでの食事

 そこで食事を摂っておりますと、クラスの仲間や顔見知りの他学部の学生と出会います。共食の仲間が自然に出来てきます。これはなかなか得がたい出会いの場ではなかったかと思っております。揚げ物は主に魚のフライトとコロッケでしたが、揚げたてのコロッケは美味しく、ソースも自由に掛けられます。
 向い側に須田町食堂がありましたが、値段も高かったせいでしょうか
人の出入りが少なく、学生は殆んど入りません。
 
            神田すずらん通りでの食事

 今のすずらん通りには昔からの書店の間に若者向きのレストランが犇めいており、この通りは矢張り若者中心の街だと実感します。


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北京からのお土産

 今年の干支は亥(猪)。ご存知の通り、中国では日本で使われている猪という字は豚を指します。昨日の授業、北京から戻られた中国語の老師は生徒に今年の干支をデザインした大きな剪紙をお土産に下さいました。
 
             北京からのお土産

 赤がまさに中国の赤です。白い紙の上に載せますと、鮮やかな赤い模様を浮き立たせます。豚は可愛く愛嬌があり、嬉しくなります。

                        北京からのお土産

 新しい教科書も持ち帰り、生徒全員頂きました。昨年末までの教科書は随分長くかかりましたが、老師は北京師範大学で国語(勿論中国語)を専攻された、指導の専門家です。授業は教科書だけでなく、資料もお持ちになり、話題も広く、様々な角度から中国語を学ばせて下さいます。
 教科書にそっての読む、聞く、書くという事だけを強調されるのではなく、文化、歴史、政治、経済、中国事情など多岐にわたるものです。また帰国される度に新しい情報を持ち帰り、資料を下さり、解説をされますが、そこでは老師の持てる知識が存分に加えられ、字面から見えないことを教えられます。素晴らしい先生です。

            北京からのお土産

 今回も北京晩報の大晦日の記事をコピーし、見せてくださいました。
 恐倶之源ー2006年食品安全事件回眸という内容は非常に深刻な中国の食の問題が掲載されております。こういったニュースが人々に知らされるということは当然とは言え、中国が変わって来ていることと受け止められなくもないことでしょう。



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藍染の着物

 東京自由が丘にある「わたなべ」は藍染愛好者に知られた有名店です。「上海藍印花布館」もまた藍染の展示と販売をする所です。両店を開いている方は久保マサさんという方だそうです。
 上海藍印花布館に行きましたら、私が良く見る中国の印花布とはセンスも違い、製品がきちんとしており、見覚えのある模様も多く、日本人好みの物です。
 額に納められた小型の藍染めの着物が壁に掛けられております。良く見ますと、作家の芥川龍之介の着ていたもので、それを模倣縮小版として作らせた物と分りました。
 
              藍染の着物

 この藍染の着物は、劇作家・小説家だった久保栄が芥川から譲り受けたものを栄の養女の久保マサさんが、展示した物だそうです。現物は久保マサさんご自身が保存されているそうです。
 上海好日でも取り上げたこの上海藍印花布館の庭では染め上げた生地が干されております。店内では収集された印花布の資料が展示され、また生地・帽子・バックなども販売されております。これら製品は日本で見ることも良くあります。「わたなべ」を通して出てきているのでしょう。
 
          藍染の着物

 様々な製品を上海で見たとき、オーナーは久保マサさん、また額の着物は芥川龍之介ゆかりの物ということは、知りました。
 その後額の着物や藍染のことが気になっており、上海の友人に問い合わせ、またパソコンで検索しましたところ、この藍印花布館の藍染の型は、文革で失われそうになった時、久保マサさんが必死で確保したものだそうです。この多くの資料は中国の大きな歴史のうねりの中で守られた貴重なものだと分りました。
 
                      藍染の着物



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07年1月の駿河台

 昨日は2ヶ月ぶりの駿河台。リバティタワーの中に入って行きますと、一階は学生で溢れております。若さがかもし出すエネルギーが充満しているようなフロアー。何か撮影する一団がおります、間もなく始まる後期試験のためか、学生の顔が引き締まって見えます。
 小川町校舎跡の角地に出来た紫紺館の落成式は昨年末に済んでおります。中に入ることが出来ますので、コーヒーでも飲んで周りを眺めようかと、何時もながらの好奇心で、ラウンジ「椿」の前に立ちましたが、開いておりません。
 
         07年1月の駿河台

                (隣は内外地図ビルです)
 急に思いつき駿河台下の「ささま」に向かいました。「花びら餅」を買う事が出来ればと思ったのですが、店内は人が何人も立っております。これは無理だと思い、帰ることにしました。
 「ささま」の先代は茶人で、ご自分が納得する菓子を作ろうと「ささま」を開いたと聞いております。何時も痩躯な体を和服できちんと決め、言葉も丁寧、仕草もきりりっとしておりました。奥様はふくよかで、同じく何時も和服です。推測するに70キロはありそうな方です。ご当主のふくよかさは母親譲りではないかと、密かに思っております。
 
                    07年1月の駿河台

 昔、入学試験のお手伝いで経営学部に行きますと、この「ささま」の和菓子が二個ずつ頂け、女性職員に好評でした。試験作業で疲れた後の「ささま」のこの甘味は特に嬉しいことでした。
 「花びら餅」は茶道の初釜の菓子として注文が多いようで、以前は注文するか、午前に買いに行くかしないと口にすることが出来ませんでしたが、今はどうなっていましょうか。販売は15日までという事ですので、次回の駿河台行きにはもう買うことは出来ません。今年も残念。
 
               07年1月の駿河台

 今はデパートでも「花びら餅」は沢山でておりますが、「ささま」の品の良さには譬え有名店であろうとも、何処も勝てないのではと思っております。これは私の贔屓目のせいでしょうか。


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青島の冬

 1940年の頃、中国青島で小学生生活を楽しんでいました。全てが興味の対象です。
 
                       青島の冬

                     (40年代の青島の街)
 青島の小学校は行事が多く、メリハリのある学校生活です。冬雪が降ると兎狩。全校生徒で小さな山を囲み、皆が手を取り合って勢子となり、山の上に兎を追い込みます。潅木に積もった雪はそう多くはありません。青島は雪が殆んど降らないところです。
 昨日の青島の気温は夜で-2度、昼間でも6度位だそうですから、千葉で暮らす私には、寒い所です。
 雪は降りませんが池には氷が厚く張り、スケートは楽しみの一つでした。

                  青島の冬

               (冬にはこの池に厚い氷が張ります)
 父と一緒に第一公園(現在の中山公園)の西奥の池に行き、父に手を取られて滑ります。各国人が家族連れで滑っております。ある日、外人の親子とがっちりとぶつかりました。私は脳震とうを起こし、暫らく意識を失くしておりました。あの池では今も誰かが滑っているのでしょうか。
 冬でも夏でも良いことが沢山ありました。

                      青島の冬

                       (今の青島です)


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旗袍あれこれ

 チャイナドレスは中国では旗袍(ちーぱお)と言います。日本の女性が中国でチャイナドレスと言っても通じなかったという話は良く聞きます。中国人のガイドでもチャイナドレスという言葉を余り知りません。これは日本でいうところのものす。
 旗袍が今のようなスタイルに近くなって来たのは1920年~30年代の頃です。上海を中心に発達した旗袍ですから、北の方の冬物やコート類の姿はあまり知られておりません。
 子供の頃見ていた旗袍の冬物は綿入れです。コートも綿入れが主です。最も富裕層の女性は毛皮のコートを着ておりました。我が家に遊びにくる若い女性は、毛皮のコートを着てきます。母は「中国のお金持ちは大したものだよ」と言いますので、自然に私も興味を持って彼女たちの姿を見ておりました。
 今は軽い化繊綿のキルティングをした生地が出回っておりますから、これを使い、大きく裁断して作れば温かい上着を作ることが出来ます。

                旗袍あれこれ

 忘年会に着て行くのでと、素敵な生地を持ってきた生徒がおりました。これをコートにしたいと言います。確かにピッタリだとコートに仕立てることになりました。勿論直裁ちです。
 下にも旗袍を着てゆくと話しておりましたから、きっと出席の皆さんから注目を集めたことと想像しておりました。
 暮の授業も終わった後ですので、気になっておりましたら、彼女のブログにそのコートが掲載されており、当日の反応が良かったことが分りました。そうでしょう!!!そうでしょう!!!


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真鱈の真子

 正月には刺身が付き物ですが、今年は娘たちがノロヴィールスを心配するので、生ものを避けて全て火を通したもので済ませました。
 暮から一階の魚屋では品物は確かですが、余りに高いので覗くだけで通り過ぎる日が多く、魚好きの私はかなり我慢の日が何日も続きました。正月用の高値の魚も店頭から去って、普通の品物が並び始めました。
 昨日は10時に何があるか見に行きました。あった!です。真鱈の真子が無造作に特値品の場所に並んでいます。これを買わずしては戻れません。
 
               真鱈の真子

            (皿の横は鶏卵です。大きさを見て下さい) 
 早速煮つけにしました。娘たちは昨日はディズニーランドに出かけており、私の自由な時間に煮ることが出来ました。
 とにかくあせらずゆっくりと、弱火で煮つめますから、周りに誰もいないのが一番です。
 砂糖をたっぷり、醤油を少なめに、酒を入れ、真子がたっぷり浸るだけの水を足し、強火で煮立たせます。そこに切った眞子を丁寧に並べて入れ、煮汁が煮立ってきたら、灰汁取りシートを被せ、後は弱火にして煮て行きます。途中で触ったりしません。
 汁が殆んど無くなったら火を止めます。出来上がり。

                   真鱈の真子

 後は味がすっかり馴染むまでおきます。これだけあると何日も楽しめます。
 この二腹分で値段は合計750円。出来上がったものを小料理屋で使ったら、どれくらいになるかしらと、胸算用してみました。6000円位と出ました。嬉しくなって凄く得をした気分です。
    
                          真鱈の眞子



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チャイナドレスは素敵だ 24

 私の教室の最大の特徴は街着を中心に据え、普段にも気楽に着られ、またパーティーなど、社交の場にでも着て行けるものを作ることを主眼としております。何枚でも持ちたくなる気軽さが、一番の特徴と言えましょう。
 とは言っても、手間隙を掛け、丁寧に作ったチャイナドレスは素敵ですし、作る方も満足されると思います。
 夜の講座に来ている方があります。昼間は仕事で忙しいのでしょうに、縁取りのチャイナドレスに取り組みました。根気良く仕上げ感心しております。
  
          チィなどレスは素敵だ 24

 ダブルの縁取りは難しいものですが、彼女はあせらず、取り組んでいます。次回のパーティーではきっと着て下さると思います。とても楽しみです。

                  チャイナドレスは素敵だ 24

 染色を長く研鑽し、既に和服を沢山持っている方がおります。彼女はまずシーチングで仮縫いを済ませ、その後反物に柄を描き、上品な色と模様の落ち着いたチャイナドレスを作り、同じ生地を使って手提げ袋も作りました。

                          チャイナドレスは素敵だ 24

 努力家の彼女らしい作品です。私の及ばない色彩感覚を持っており、私も勉強になります。


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白浜から春が届く

 千葉の白浜は、昨年までは千葉県安房郡白浜町と言う町でしたのに、南房総市なんてつまらない名前の一部になってしまいました。実家は南房総市だなんて絶対言わない心算ですし、言いたくもありません。房州白浜がいいですね。
 昔は結核に松林を通過してくる潮風が善いという事で、都会の人も町に静養に来ておりました。今は花と灯台、そして海女の町として有名です。

                    白浜から春が届く

 私世代の女性はもう引退でしょうが、かっては大海女と言われるベテランの海女が何人もおりました。夏の夕方浜に散歩に行きますと、海女小屋の中で焼いた、ウニやサザエ時にはトコブシなどをご馳走になりました。
 磯の香のする浜辺を歩く事も滅多に無くなりましたが、季節の物が時々届きます。
 暮に妹からダンボール一杯の菜花が送られてきました。隣の人が、私に送ってと、届けてくれたそうです。
 早速水を張った容器に茎を下にして並べ、新聞紙を上に掛けて暗い所に置きました。活き活きとしてきました。

            白浜から春が届く

 花屋が水揚げをするのと同じです。切ったままの菜花が来ますから、水揚げをしてから茹でて食べます。味が違います。
 白浜の灯台は日本でも古い灯台です。螺旋階段を昇り外に出て眺めますと水平線が長ーく丸く見え、町の北側の山の緑、下に見える岩礁など、清々しい気分で体全体が生き返るようです。

白浜から春が届く

以前、日の出と日の入りが見られる岬として宣伝しようという話を聞いた事がありましたが、そのご耳にしません。どうなっているのでしょうか。町が有名になると言う事は矢張り嬉しい事です。


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11年ぶりの優勝

謹賀新年  元旦に当り、お目出度い昔話を明大に縁のある方々にご覧頂けることを願い、掲載いたします。 
 1953年(昭和28年)の秋、明治大学野球部は東京六大学野球リーグ戦で戦後初めて、また11年ぶりの優勝を果たしました。
 10月26日(月)神宮球場では早慶決定戦が終わり、明治大学の優勝が決まりました。
 その日は既に学生が夕方からの提灯行列のために続々と駿河台校舎に集まってきました。神田商店街はこの日のために200万円を用意。提灯を初め旗、テープなど提供してくださったそうです。

11年ぶりの優勝

 (朝日新聞昭和28年10月27日の紙面から)
 大学には提灯が届けられ、一、二部学生課では配布の体制を整え課員が待機しておりました。私は二部学生課員の一人として提灯の配布を手伝う事になっておりました。
 提灯はクラスごとか、クラブごとかで纏めて代表に来てもらうことにしてありましたが、学生が大勢カウンターの外に集まって来ております。とにかく代表にと先ず配布を始めましたが、学生は後から後から室内に入ってきますので、カウンターは押されて壊れそうです。
 卒業生もやって来ます。知った顔を見ますと提灯をあげたいのですが
傍に出てゆくことも出来ません。学生は興奮しておりますから、大声を上げて、早く寄こせと急きたてます。ともかくようやく配布が終わりましたが、パレードは既に6時30分に出発しております。それでも提灯の配布が終わっているのに、未だ校門の前には出発を待つ学生が大勢おります。
 一体何処までパレードは進んでいるのかと、屋上に上がって見ましたら提灯の列は駿河台下から靖国通りを西に向い、九段下から南に折れ、既に先頭は今の千代田通りの気象台の近くに達しております。
 当日の参加者は、朝日新聞によりますと7000人、また明治大学新聞によりますと15000人となっております。私は当日の状況から15000人位のような感じを持っております。

      11年ぶりの優勝

      (明治大学新聞・明治大学図書館マイクロフィルムから)
 神田はこの夜、沸きに沸いた街となりました。パレードは先頭にオープンカー、選手を乗せた大型バス、応援団吹奏楽の演奏は次々と校歌や応援歌を奏で、続く学生の列はそれぞれ歌いながら行列は進んで行ったようです。
 この日のヒーローは秋山・土井のバッテリー。パレードは神田一帯を回り、駿河台校舎に戻り解散しましたが、学生の興奮はそのままで収まるはずはなく、解散後は盛り場に繰り出した者も大勢いたと書かれています。素晴らしい一夜でした。
 


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相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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