2007-02

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なに下ろし?

 魚が大好きで、出来るだけ自分で下ろし、気に入ったようにして食べるのが楽しみです。ただ生ゴミを出した後はハラワタや骨の始末に苦労します。冷凍して置くのが一番良いのですが、時には冷凍庫に溜まってしまうことも起きます。出来るだけそうならないようにと、時々魚屋で下ろして貰いますが、鱗が綺麗に取れてないことが多く、チョッと手を掛けます。
 魚は丸で買う以外に、時には二枚下ろしや三枚下ろしにして貰います。ところで「鮭の下ろし」は何と呼ぶのか分りません。近所の魚屋で聞きましても知らないということです。「冷凍ですし、片身になって来ますのでね。鋸で切ってくるのでしょう。なに下ろしと言うのか気が付きませんでしたねー。今度鮭問屋で聞いてみます」ということで、首をひねっておりました。ひょっとしたら「鮭下ろし」という言葉があるのかも知れませんね。判るまで楽しみです。

            なに下ろし?

 鮭の骨は大きさに比べ柔らかく、父から鮭を下ろすに中骨の中心を切り、片身の両方に骨が付いているのが、名人だと聞いておりました。
 以前よく友人の所に大きな鮭が来ると私に連絡がありました。押っ取り刀ならぬ押っ取り出刃を持って駆けつけ、父の言葉を思い出し格闘しますが、骨はあっちに付いたり、こっちに付いたりで毎度不出来で友人に謝り、一番美味しそうな処を貰って帰る、誠に申し訳ない助っ人でした。 
 何時の頃からか、鮭の切り身にはどれにも骨が付いているのに気がつきました。魚屋は名人そろいだなーと感心しておりました。
 鮪のようなもの以外、普通の魚の切り身は骨付きのものと、そうでないものとありますので、料理によってはどちらかを買いますが鮭はどちらも同じですので、美味しそうなところを選んで買います。                

             なに下ろし?

 先日冷凍の鮭を頂きました。やはり真ん中に骨が綺麗に付いています。電動鋸で切るとは言え、本当に見事なものです。



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鯵を食べる

 鯵は大衆魚として親しまれております。大きいものから、小鯵と言われる小さいもの、また一本釣りの形の良いものなどいろいろです。真鯵と言われるものの外にムロ鯵という鯵もあります。
 鯵の料理法は料理本でも沢山紹介されております。家庭での食べ方も開き・刺身・たたき・酢〆・マリネなどなどいろいろありますが、私は煮付けが好きですし、フライや天麩羅もまた美味しく好きです。
 鯵の旬は概ね夏ですが、今は年中店頭に並んでおります。
 我が家では和食中心ですので鯵はしょっちゅう食卓に上がります。
 朝は「開き」ですが、夜には煮ることが多いですね。この鯵の煮魚は老人や幼児にお勧めの方法です。母の得意なものでした。
 
 鯵は形の余り大きくなく、親指と人差し指を広げた位のを求めます。
 先ず、鯵を片手で頭の背の方を持ちます。
 顎の所から腹に掛けて反対の手でもぎ取るように引っ張り、腹の方の
一部と一緒にはらわたも引き出します。全部済んだら洗います。
 
         鯵を食べる

 洗った鯵の首の細くなっているところから皮を剥ぎます。頭の方から尾の方にゆっくりと剥いで行きます。ゼンゴの所に来たら、なおゆっくりと剥ぎます。
 
         鯵を食べる

 皮の裏表を剥ぎ終わったら、頭を下にして尾の方を持ち鯵を下げるようにして持ちます。
 尾の方から頭の方に背びれや腹びれを指で引き降ろすように引っ張り取り除きます。簡単に出来ます。

         鯵を食べる

 これを濃い目の味で煮付けます。背びれや腹びれも無く、皮も無く、また身離れもよく、高齢者や子供には安心して食べさせられます。
 食糧難の時代には、食べ終わると骨や頭をお椀に集め、煮汁の残りと熱湯を注ぎ、骨湯として飲みました。想い出でもありますが、情けない事に思うこともあります。

          鯵を食べる

 食べ残った鯵は冷えた後、焼いて食べます。冷えてないと身崩れがします。

          鯵を食べる

(背びれなどを取った鯵を手で更に中骨から剥ぎとりますと、鯵の刺身ができます。漁師が沖で食べる方法です)
 この煮方は今まで見た多くの料理書では見たことがありません。お試し下さい。



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A氏の過年

 中国の正月は春節と呼ばれる旧暦が真の正月。1月1日は一日だけ休みがありますが、この春節は一週間が休みとなり、人々は故郷へ戻り、家族団欒の時を過ごします。そのため交通機関の混雑振りがよくニュースになりましたが、最近は余り話題になっておりません。飛行機や車で移動する人も多くなっているのかも知れませんね。
 青島に住む友人のA氏の春節。彼はその風景、人々の動きなどつぶさに見ることが出来大満足のようです。

                 A氏の過年

 中国の正月行事は 1は年三十晩上(除夕) 2は正月初五(破五)
 3は正月十五(元宵節)とが行われているのだそうです。( )は昔の言い方。
 彼は除夕を生徒の親族と一緒に過ごし、初詣は青島の古い廟(寺)の湛山寺に出かけ、暮れのうちは正月に備えた爆竹売りの姿を求め、街を歩き回ったようです。
 
      A氏の過年


                  A氏の過年

 爆竹と花火が華々しく、許可されていない昼間から彼方此方で鳴り響き、また揚がり、賑やかな除夕だったようです。
 中国語の老師は北京で春節を過ごされたのですが、北京の爆竹と花火も盛大だったと言うことです。
 A氏がご馳走になった除夕の食卓の豪華なこと、さすが海の傍の青島ならではと思わせる料理です。特に真ん中にデンと置かれた「まなかつお」が目を引きました。中国料理を習ったとき、一番難しく思ったのは蒸し物ですが、どうもそれらしいのです。この家のご主人は料理の腕が見事だそうです。

               A氏の過年

 熱い料理、厚いもてなしA氏は素晴らしい正月を迎え大層満足しております。
 相子は元宵節の高脚踊りをどこかで見つけて知らせてくれることを楽しみに待っております。
 
 過年 1 新年を祝う、正月を迎える。
    2 年を越す、正月が過ぎる。

 来週の中国語は3月3日で、元宵節の一日前ですが教室では元宵団子(湯圓)を作ることになっております。老師は北京から材料を持ち帰り張り切っております。


今日は 北野天満宮梅まつり  京都市 上京区


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日野原重明先生

 日野原先生は高齢者のスーパー高齢者的な存在。95歳とは信じられないご活躍の毎日のご様子。小学校の友人のH氏は朝日新聞の土曜版Beの日野原先生の記事を必ず読まれているということです。今朝もそれを読まれていることでしょう。

                  日野原重明先生

 昨年の秋ごろ偶然NHKのクイズ番組「日本の顔」で赤い椅子に座って応えられている先生の姿に目が留まりました。頭をすっきりとするため徹夜をされるということなど、常人ではない先生の回答に感嘆以外ありませんでした。
 平成14年7月。日本チター協会設立20周年記念のパーティに、内藤敏子さん(日本チター協会会長)からご招待を頂き、東京ヒルトンホテルに参りました。
 会は内藤さんのチター演奏、お弟子さんの合奏などの後、日野原先生の講演がありました。その日先生は北海道から羽田に着くとすぐに新宿のホテルにお出でになられたそうです。講演は先生の時間に合わせ、午後7時から始まりました。先生は到着したばかりというのに、お立ちになったままほぼ一時間、よどみなく、また優しく皆さんに語り掛けました。
 講演全体は「音楽が人の心にもたらす癒し」という内容で纏められており、その面での内藤さんのチター演奏、そしてそれを通じての活動がいかに人々の役に立っていることかという紹介がなされました。
 日野原先生は内藤さんの良き理解者、そしてフアンでもあります。
 講演が終わりますと、壇上に控えていた「クライス・アンサンブル」の指揮をとり、皆さんに「故郷」を歌うよう促し、会場を優しく盛り上げて下さいました。

             日野原重明先生

 祝宴が終わり、内藤さんにお礼の挨拶をと思い、傍に参りましたら内藤さんは「記念に写真を撮ってもらいましょ」とおっしゃり、日野原先生と三人一緒の記念写真を撮って頂きました。

                     日野原重明先生

 北海道から帰京、その足で会場にかけつけ、一時間立ちっぱなし、そして含蓄ある分り易い言葉での講演。日野原先生のお姿に接し実に嬉しい感動のひと時を過ごしてまいりました。この良き一夜を内藤さんからプレゼントされたことに心から感謝を致しております。

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大原日在のこと

 明大政経学部で国語を教えていられた松山亮次郎先生が、千葉の大原日在の海近くに別荘を建てられ、授業のない時はそこに出かけ「鯊釣り」を楽しまれておいででした。太公望の気分満喫の日々でしたことでしょう。
 
              大原日在のこと

             (明治大学大学史資料センター提供)
 先生は私が房州の出だとご存知でしたから、海の話や、漁の話をよくされました。ある時「日在にお越し下さい」と先生らしい丁寧なお誘いを受けました。
 お言葉に素直に従いある時、早朝千葉駅で駅弁を求め、夫と外房線で日在にお邪魔しました。先生はまだ朝食を摂られてなく、私たちと一緒に食事が済むと、一升瓶から日本酒を湯飲みに注ぎ飲まれ澄ましております。神田の「みますや」がご贔屓の先生らしい姿です。(みますやは健在のようでその姿をインターネットで見つけました)

                        大原日在のこと

 その後かねがね伺っていた夷隅川の鯊釣りに出かけました。最近調べてみましたら、夷隅川の支流だったようです。
 先生は釣竿を何本もお持ちで、私たちは手ぶらで出かけ、先生から竿をお借りして鯊釣りに挑戦しました。結構な数を揚げ、それは家に持ち帰りました。鯊の形の話になりますと先生は釣り上げた鯊の大きさをさり気なく自慢されます。いつも恥ずかしげのある先生です。
 釣の後先生が鯊を捌き天麩羅にしご馳走をして下さいました。普段余り器用でなさそうな先生。この大原日在で腕を磨かれたことと思われます。
 先生の家の隣は先生の友人の所一哉先生のお宅です。
 この所先生の家は、荻窪の井伏鱒二さん宅が建て替えられる時に古い家をここに移築したもので「井伏庵」と称して住まわれておりました。
 所先生は学園紛争盛んな頃、相模女子大の学長をされており、松山先生は随分案じておいででした。
 所先生の家の犬は紀州犬でした。荻窪の家で一度傍で見ましたが、余り魅力を感じませんでした。猟犬で利口だそうですね。折角大原に来たので夫にその紀州犬を見せたいと思っていましたが、先生ご夫妻は不在で犬に会うことは出来ませんでした。
 
 晩年松山先生は大原に行く機会が減り、釣とも縁が遠くなり管理も大変だということで、部落に集会所として使われるよう寄付されたそうです。
 松山先生は2003年6月16日にご逝去されましたが、夫と時々想い出話をしております。


今日は税理士記念日 1942年に税務代理士法が制定され、1951年の税理士法改定で税務代理士という名称が税理士と改称されました。

 五大力尊 仁王会 醍醐寺/京都市 伏見区 開山から1000余年続くユーモラスな大力奉納です。 

23日~28日 ベネチアのカーニバル サンマルコ広場/イタリア ベネチア


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九個の2

 1990年(平成2年)この年の3月に私は37年間続けた勤めを辞めることになっておりました。
 今から去る17年前のこの日、即ち平成2年2月22日。この日が最後の試験監督をする日でした。
 経営学部が1953年に創設されて、既に受験生が大きく膨れ上がって来ておりました。この日は経営学部の試験で、大学の全校舎ばかりでなく恐らく付属高校でも試験が行われていたと思います。
 当時私は生田校舎勤務でしたので、生田での監督に行くことになりました。
 試験開始の前に関係者全員が集合。経営学部の責任者の挨拶と試験の際の注意事項などの説明があり、そのあと永野徳光事務長の挨拶もありました。永野事務長が挨拶の最後に「本日の受験者は22222名です」と紹介しました。
 これを聞くと私は何か得体の知れない驚きと感動を覚えました。
 答案用紙や問題を抱え、教室に向かいました。受験生は緊張して待っております。大学院生が写真照合で一緒に来ております。
 挨拶と試験についての決められた注意をしたあと、私は受験生に「今日は大変記念になる日だと思いますよ。平成2年2月22日受験生が22222名。2が九個も並んでいます。皆さん頑張ってくださいね」と話し、試験を始める合図をしました。
 ところが私のこの九個の2のことに反応を示した受験生が全くおりません。「えー!」とか「すごーい!」とか出てきても良さそうですのに出て来ませんでした。受験生は緊張しておりますし、心はどんな問題が出るのかに集中していたのかも知れません。
 毎年この日になるとこの九個の2の事が頭に浮かびます。
 実際このようなことがあったということが不思議ですし、こういうことは学問上、どう表現されるのか、未だに気に掛かってなりません。どなたか教えてください。偶然とはいいよう、余りの一致に当日の驚きは忘れられません。
                   
                 九個の2



今日は世界友情の日 ボーイスカート、ガールスカート運動の創始者であるバーデン・バウエル卿の誕生日で、ご夫妻は2人のために祝うのではなく、「国際友愛の日」として、世界中の少年少女の友情を暖める日としました。
   

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旗袍あれこれ

 いろいろな古いものが残っている場合、貴族や有産階級のものが多く、旗袍もまた例外ではないようです。そんな中で先日放映された「李香蘭」の中では民衆の着る老若男女の衣服を見ることが出来、とても参考になりました。
 1911年の辛亥革命で中国の政治体制が清朝から中華民国に移りましたが、旗袍は、中国の中で様々な変化をしながらも、どこかにその特性を引き継ぎながら着られてきました。
 古い物を見ると感動します。それは希少価値と言うことでもありますが、手を掛けた技に接し着る人を想像する楽しい一時を与えてくれます。

                      旗袍あれこれ

 長い赤い旗袍。これはかなり贅沢な生活をしていた若い方の物ではないかと思ったり、いやいや有産階級の人は高齢になっても若やぐ華やかなものを着るのではないかなどと、想像が膨らみます。
 
                   旗袍あれこれ

 前開きの上着は模様に魅せられます。贅沢な刺繍や裾の波型紋様。良いですねー。こういうのを着てパーティに行ってみたいですね。(若ければ!)
 
             旗袍あれこれ

 夏物らしいゆったりとした上着。これは中高年者が着ていたものでしょう。襟が付けてなく涼しげです。身頃も袖も幅広く風がスーと通って行く着心地の好さを感じさせてくれます。
 つい最近、親しい旗袍研究者の謝黎さんから「旗人たちの饗宴」という展示会の案内を頂きました。久しぶりに古い素敵な旗袍に会いに行く心算でおります。謝さんにはお会いするたびにいろいろ教示を頂きます。

                         旗袍あれこれ



20日~3月21日 水戸の梅祭り 偕楽園/茨城県 水戸市
          50種以上にも及ぶ紅白梅が3000本余。


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 十代後半、戦後の食糧難時代。家の裏の奥の山の根に近い田圃。冬は未だ土が寒さに凍えているようです。少し陽気が暖かくなってきますと、一面に芹が生えてきます。
 田芹は横に芽を伸ばし、土に這って少しでも土に摑まるように頑張っております。小さめな鎌で切り集めてきます。茎は赤く、晩の惣菜にするため、その赤が愛おしい位に感じられます。水芹と違い、香が強く、その分反対に硬くて歯ごたえがあります。今と違い農薬の心配などはありません。思い出せば、ただ他人の田圃だというのが失礼だったということです。
 お浸しにしたり、胡麻和えにしたりして晩の一品にします。篭一杯の芹も茹でると少なくなりますから、寒さで手が痛くなっても一所懸命に摘んできます。
 
 昨日の中国語の授業は老師が春節に合わせ、北京に行かれ、授業は老師の子息(蔡鍔の曾孫)でした。優秀な息子さんで、授業のテンポも速く、なかなか教え方も上手になりました。きっといい仕事をされていることでしょう。(昨年の写真がありますので彼に無断で掲載します)

                   芹

 ところで同学のT氏は燻製の研究に余念が無く、私も指導を受け、仲良しです。
 彼の自宅は庭が広く、「山椒やたらの木」も植えてあり、またハーブもとりそろえて育てております。
 昨日は庭で摘んだ芹を持って来て下さいました。この頂く芹は実に柔らかく、これに比べると水芹でも買う気になれません。
 
               芹

 聞きますと、彼は芹を摘む時には利き手と反対の左手で摘むのだそうです。左手で摘めないものは硬いという基準で摘んでゆくのだそうです。こんな貴重な心のこもったプレゼントは本当に嬉しいものです。


 今日は旧正月(農事暦・旧暦)
 中国では春節と呼ばれ、この日は家族が集まり、団欒を楽しみ、一年が無事に過ごせるよう願います。移動する人の数も大変な数になるようです。


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旗袍あれこれ

 ラストエンペラーという映画をご覧になった方は多いと思います。
 皇帝に仕える官吏は、宮中参内や重要な会議に出席する際には補掛という上着に補子いう印の布を付けて出仕します。映画の中でしばしば見られます。
 
               旗袍あれこれ

 四角い布には鳥や動物が刺繍で綺麗に刺されております。これは官吏の位を表しております。
 
                       旗袍あれこれ

 清朝は八旗(はっき)という行政・軍事に携わる組織をもち、政治を行って来ました。その八旗という名前が今日私たちが言っている旗袍の所以となっております。
 八旗の人間が着る衣服は旗袍と言われますが、八は八つの単位を表し、旗は組織の名前です。明の時代からの名称でもあります。
 この八旗は言うなればエリート集団とも言えましょう。彼らは旗人と呼ばれ、それに属する女性は旗女と呼ばれておりました。
 八旗の旗人が着る衣服が旗袍と呼ばれていましたが、今日では女性が着るものだけを旗袍と呼んでいます。旗袍の袍は衣偏に包むですから本来長衣のことです。
 話を戻し、補掛の上につける補子の模様の動物は武官、鳥は文官を表し、それぞれ一品から十品まで分かれております。縦社会の構造ですね。

          旗袍あれこれ

 この補子を何枚か保存しておりますが、背中に付けるものは一枚になっており、胸に付ける物は前開きに合わせて真ん中で切れております。

                     旗袍あれこれ

                        
 中国で求める時にはこのことを考え、飾るのでしたら、一枚になっている物が良いように思います。
 その刺繍は実に凝っております。一枚一枚違いますが、動物や鳥は官位で決められておりますので、それが必ず描かれております。
 

17日~19日 八戸えんぶり 新羅神社/青森県 八戸市
        南部2万石城下町の豊年祭りを「えんぶり」と呼び、
        無形文化財です。


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南米旅遊 リオのカンナバル

 南米に来た目的の一つ、リオのカーニバルに合わせた日程で旅を過ごしてきました。2月21日夜リオデジャネイロに遅く到着。ホテルはグローリア。翌22日午前中自由行動。ホテル周辺を散策。午後市内観光(定番の観光地です)
 夕食後、カーニバル会場に向いました。現地ガイドは日系四世の若い女性。彼女から観覧についての様々な注意。
 まず持ち物の安全はこの時期には保証できないこと。それはカーニバルに世界中から観光客が来るので、ホテルでも臨時の従業員もいること。現金は結局身につけているのが一番だと言いますが、ところが会場ではまた必ずしも安全とは言えない。という事で、我が家はホテルのフロントに預けて出かけました。
 会場へは、現地ガイドと更にもう一人ガードする男性。それと西明さん。三人に付き添われて出発しました。
 会場はTV等で良く目にする大通り(マルケス・ジ・サプカイ通り)です。会場に入るために座席指定票を胸に下げます。この票を掛けてないと席に行けません。そのごトイレに行くにも必ず掛けて行きます。

                          南米旅遊  リオのカンナバル

 指定席に座るまでに検問場所を三回通過し、やっと座席に座ることが出来ました。
 席は特別席で、このカーニバルの審査員席の向い側に位置します。
 パレードは既に始まっていました。会場に着くまでに彼方此方の広場でサンバを楽しむ人々に出会いました。子供だけのグループで踊っている場所もあり、もうリオ中サンバ・サンバ・サンバです。
 サウンドは鳴り響き、会場全体は唸るような熱気です。天空一杯にサンバのリズムが覆っています。リズムから逃げる所はありません。
 チームは一組がおおよそ4000人とか。決まった時間(一時間半)内にこの会場を歩き通過します。カーニバルはコンテストだとここに来て知りました。
 
                   南米旅遊  リオのカンナバル

 チームが出発する前に、まず出発点で花火が揚がります。それに合わせ、一組チームが現れ出てきますが、遠くで出発点の所は見えません。やがて目に入る位置になりますと、その人数に圧倒されます。
 
               南米旅遊  リオのカンナバル

 老いも若きも、男も女も、皆一所懸命です。良く見るとかなり高齢の方もおり、休む事も無く体を動かし踊る、その元気さは見事です。


        南米旅遊 リオのカンナバル

 それぞれのテーマに合わせた衣装。これが奇抜で想像を超えています。
 
                   南米旅遊 リオのカンナバル

 更にパレードの中心となる車はこれでもかこれでもかと飾り立て、上で踊る人は、全ての人種の方がいるような感じです。特に女性の素晴らしい体格。その動きは到底日本人には出来ないほどの迫力があります。
 
                      南米旅遊 リオのカンナバル

 目の前に進んで来ますと、審査員席の所ですから、一層盛り上がります。

南米旅遊 リオのカンナバル

チームが去って行きますと、清掃車が現れ、羽根や衣装の切れた物など素早く清掃し、道路を綺麗にします。
 また花火が揚がり次のチームが出発してきます。

 南米旅遊 リオのカンニバル


私と夫はとても最後まで見終える気力、体力がなく、朝方ホテルに戻りました。
 2月23日は市内観光(これも定番の観光地)もう二人は元気が無くやっと付いて廻る状態。現地時間20:20リオ出発、サンパウロ、リマ、ロスアンゼルスと寄り、日本時間2月25日13:10無事に成田に到着。
 さすがに楽しくも疲れましたね。迎えの娘たちとの食事では私は漬物しか口に出来ませんでした。




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南米旅遊 11

 イグアスを13:00に発ち、アルゼンチンの首都、ブエノスアイレスに14:50到着。
 
            南米旅遊 11

 ホテルはシェラトン。ホテル到着後この地に長く住むW氏に電話。夫が事前に連絡をすると、相手が無理をして都合をつけることになるからと注意、日本からは知らせてありませんでした。
 この夜は食事後タンゴ・バー「カーサ・ブランカ」で本場のアルゼンチンタンゴを楽しみました。
 
                       南米旅遊 11

 ダンス、バンド演奏(バンドネオンの力強い演奏が見事)フォルクローレと盛りだくさん。藤沢嵐子さんはここで歌っていたそうです。
 
           南米旅遊 11

            (カーサ・ブランカ店内、同店パンフから)
 翌朝青島羊会のW氏がホテルに会いに来て下さり、記念に写真を撮り、羊会の懇親会でサンパウロのS氏との写真と並べ皆さんにお見せすることが出来ました。
 
         南米旅遊 11

 この日は市内観光。ブエノスアイレスは人口278万、ブエノスアイレスとは「良い空気」の意味。街はラプラタ川に面し、中南米で最も欧州的な所で「南米のパリ」と言われているそうです。
 
                   南米旅遊 11

 アルゼンチンタンゴの発祥地、ボカ地区も行きましたが、移民が作った家のスタイルを観光の目玉として人を集めているようです。

                           南米旅遊 11


                   南米旅遊 11

 ブエノスアイレスの富裕層は便利な街の下の方に住み、貧困層は山の上の何事にも不便な所で生活、貧富の格差が大きいそうです。
 エバ・ペロン(通称エビータ)の眠る墓地は広く、富裕層がそれぞれ大きな墓地を構えております。

              南米旅遊 11

 観光をする中での短い時間でしたが、かって世界で裕福な国でもあったアルゼンチンには、内乱の歴史や政情不安の時代もあったそうで、弾痕のある建物も見られました。
 昼食はアルゼンチンの「アサード」と言う直火焼の肉料理でした。

                       南米旅遊 11

 19:00最後の観光地リオに出発。21:50リオ到着。

 15日~3月15日 湯島天神梅まつり
 15日、16日   横手のかまくら



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南米旅遊 10

 アルゼンチン側のイグアスの滝へと8:30ホテルを出発。
 アルゼンチン側には最も大きな落差のある「悪魔ののどぶえ」と呼ばれる滝があります。滝の近くの展望台に行く細い橋は、その時手前半分が壊れていて、救命具を着け船で先の方の橋に渡りました。

                          南米旅遊 10

 展望台に立つとその規模は物凄く、恐ろしいほどです。激しい水流、黄色い色の水が高く飛沫を上げております。辺り一面に水煙が立ち、空も晴れているのか曇っているのか分らない風景です。滝つぼから吹き上がる風にあおられ、真っ直ぐに立っているだけで力が要ります。

             南米旅遊 10

 遊歩道を歩きながら次々に現れる滝は、大きさも形も違い、興味が尽きません。

         南米旅遊 10

 
                     南米旅遊 10

 アルゼンチン側のイグアスの街は小さく、空港の建物は日本の小さなJRの駅のような規模です。13:00にブエノスアイレスに発つ私たちにお弁当が渡されました。日本式のお弁当は量は多いのですが、味はどうも日本食の味が変わっています。でもこれは仕方が無いことでしょう。
 イグアスを二日間案内してくれたガイドは30歳後半に見える日系男性でした。
 農業を営んでいるそうですが、それだけでは生活は厳しくガイドをされているということですので、このお弁当も日系の方が一所懸命に作り、届けてくれたものかも知れません。マナウスでもやはり現地ガイドは日系男性で、農家だと話しておりました。厳しい日系の方がこうした仕事をされているとは、思ってもいなかったことでした。


 今日は聖バレンタイン・デー
 女性から意中の男性への告白できる唯一の貴重な日です。起源は古代のローマ時代で、本来は愛の伝道に一生を捧げた「愛の守護神」といわれる聖バレンタイン殉教の日で、カトリックでは大切な祝日です。
 チョコレートを贈るのは日本だけです。因みに中国では情人節と言うそうです。



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南米旅遊 9

 朝は久しぶりで日本食を摂り、今日はイグアスに向かいます。
 サンパウロに着いた日、ホテルまで来てくださったS氏が再度この朝プレゼントを持って来てくださいました。
 出発までの時間は自由。ホテルの隣の藤本商店で買い物。
 サンパウロの空港で見覚えのあるご夫妻が歩いております。何と関空開港を記念した青島行きの初のツアーで一緒だった方です。先ほど見送ってくれた青島ゆかりのS氏と別れて来たばかりでしたので偶然に驚きました。飛行機では私たちの前の席がそのご夫妻の席でした。
 勿論青島以来の旅を話し合い、お互い旅の安全を願って別れました。 
 サンパウロを13:00に発ち、イグアスの上空にかかると滝が窓一杯に広がって見え始めました。いよいよ滝です。14:35定刻にイグアスに到着。
 
                  南米旅遊 9

 バスで空港を出発。途中小型機で空から滝を眺める方を乗せる場所で休憩。希望者はなし。土産が売られており、娘の好きそうなバックを見つけて求めました。

                      南米旅遊 9

 この日はブラジル側の滝を廻ることになりました。イグアスの滝は水量も多く、世界一の滝と言われております。滝に近づきますと滝の壁に虹がかかり、その美しい景色に見惚れてしまいました。

            南米旅遊 9

 滝は大きいのがブラジル側に多く、アルゼンチン側では小型の滝が多いそうです。水は茶色、その落ちる迫力に引き込まれてしまいます。

              南米旅遊 9

 歩く道には鼻アライグマが人になれていて歩きまわっております。このアライグマは病気を持っているそうで、触らないようにしましたが、何となく可愛く触りたくなります。
 
                     南米旅遊 9

 今夜の宿は「インターナショナル・イグアス」ベランダから遠くを眺めると沸き立つように滝の煙が見えます。ゆったりとした敷地に建つホテルに満足です。


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南米旅遊 8

 ブラジリアのホテルに着き、近くのコンビニに買い物に行きました。ベレンに住む青島羊会の友人が、来日の度に土産に下さるチョコレートが箱で山積みされています。値段を聞きますが、英語は全く通用しませんし、英語らしい言葉はどこを見てもありません。味は知っておりましたので、土産にそれを沢山買いました。
 ブラジリアは標高約1100㍍の高原にある、計画都市です。
人口は200万。

南米旅遊 8

人造湖の傍に飛行機が羽根を広げたような街になっております。機首に当たる部分には国会議事堂、行政府、最高裁があります。両翼や胴体部分はそれぞれ地域の特性を備えた街となっております。

            南米旅遊 8

 高いテレビ搭から眺めると、人の影が殆んど見られず、これがブラジリアかとよーく眺めました。
 1956年にリオからの遷都が発表され、1960年4月1日から使用された首都です。
 
                      南米旅遊 8

 東京の移転などが話題になったりしますので、この街をどうしても見たかったのですが、魅力は全く感じませんでした。9年前とは言いながら、観光の場所のせいか人々の生活する姿や息吹が感じられません。生活は広い場所で不便なことも多いのでしょうか、休みになると公務員等はこの街から出かけて行くと聞きました。 
 人は街と一体、一緒になって生きているわけでしょうから、私の行った時はまだこれからといった街だったのでしょう。 
 
              南米旅遊 8

 みやげ物を売る人は、朝の出発時にはホテルの前で待っていました。
その後、行き先々で彼らに会います。車で先回りして待っております。
 街も道路も広く、車は必需品でしょうが、先回りして待っているのには驚きました。観光客が少ないので、必死に追いかけるのでしょう。
 私たちは飛行機の機首に当たる所にある三権広場や大聖堂また大統領府などを見学、また市内を見て廻りました。道幅の広さにはただただ感心してしまいました。16:30にブラジリアを離れ、18:00にサンパウロに戻りました。同じホテルに一泊し翌日イグアスに向かいました。


今日はリンカーン誕生日(1809~1865)1861年にアメリカ
第16代大統領


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南米旅遊 7

 昨日の夜は鰐釣に行かれた方もおりましたが、私共はホテルでゆっくり過ごしました。
 マナウスを離れる前に市内観光となりました。1896年に建てられた「アマゾナス劇場」に入り見学。イタリア・ルネッサンス様式のパリのオペラ座を模したというその劇場は実に壮麗です。何回か補修されたそうですが現在もそこではオペラが上演されているそうです。
 
          南米旅遊 7

 マナウスが栄えた時代はヨーロッパから歌劇団を呼び、かの地から来ていた方々を楽しませていたそうです。
 
                           南米旅遊 7

 動物園では珍しい動物に会い、またインディオ博物館を見学。車窓から市内を眺め、マナウスの空港に着きました。これからブラジルの首都ブラジリアに向かいます。
 
              南米旅遊 7

 マナウス空港を13:25に発ち、ブラジリア空港には18:00に到着。(時差2時間、前に進みます)
 ブラジルで出されるコーヒーは濃く、小さなカップで出されます。そのコーヒーに砂糖をたっぷり入れて飲みます。日本でこのような濃さのコーヒーは飲んだことがありませんでした。
 ツアーコンダクターの西明さんは言葉を自在に使い、好ましい男性です。旅の不安は全くありません。
 ブラジリアのホテルは「カールトン」既に日本を発ち五日目、私は毎度のことながら、胃の調子が悪くなり、持参のお粥を温めて貰いたいと頼みました。ホテルでは電子レンジがないということで、西明さんに頼み、湯煎をしてもらい、夕食はお粥で済ませました。


今日は 建国記念の日 国民の祝日 1966年に制定されました。
    文化勲章制定記念日 1937年に文化勲章、文化功労者は1951年に制定されました。
 

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南米旅遊 6

 アマゾンでは河を行き来する船の姿が様々です。人を運ぶ事を主とするものから、レジャーとしてスピードを出し、見るからに楽しそうに走行しているものなどと、流れの中で目に入ってきます。遊覧船は舳先にブラジルの国旗を揚げています。
 
                 南米旅遊 6

 私たちは遊覧船から小さな舟に4、5人ずつ分かれて乗り、待望のピラニア釣をすることになりました。
 
             南米旅遊 6

 釣の方法は全く想像外のものでした。竹の一本竿で針素は針金の20番位の太さ、針もかなり丈夫なものです。
 
         南米旅遊 6

 舟から竿を伸ばし、水面を強くパシャパシャと叩きます。それを繰り返しますとピラニアが寄ってくるのだそうです。餌は牛肉の切ったものです。ピラニアは釣れても自分で外さないようにと、何度も念を押されました。
 
                        南米旅遊 6

 ピラニアは人の血が出ていると寄ってきて食いつくのだそうです。
 腕が痛くなるほど水面を叩き、釣果は夫四枚、相子三枚。
 ピラニア釣を済ませてから陸に上がりますと子供たちがナマケモノを抱き、蛇を首に掛けウエルカムです。大嫌いな蛇、気分が悪くなって参りました。密林(人が何時も歩いているような)の中を通り、大鬼蓮の群生地に着きました。かなり広い所に密集して生えています。写真の左下に見える鰐一匹。

             南米旅遊 6

 大鬼蓮の見学を済ませ、遊覧船に戻り食事となりました。賑やかに食事をするうちにピラニアのから揚げが出てきました。自分たちで釣ったものです。
 これは結構美味しく、海タナゴに姿が何となく似ています、また味も似ておりました。食後またアマゾンの流れを眺めながらホテルの下に戻りました。
 帰りの河では虹が数本、手前の大きいものから遠くの小さなものまで並んで見え、最後まで素晴らしいアマゾンでした。
 (アマゾンクルーズ 2)


今日はニットの日  にっ(2月)・と(10日)の語呂合わせで
          1988年に設定されました。


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南米旅遊 5

 昨日夜の食事、今朝の食事ともなかなか良く、気持ちよく食べることが出来ました。食後アマゾンクルーズに出発。終日楽しみアマゾンの空気を満喫。観光船はホテルの下で直接乗り込みます。
 
           南米旅遊 5

 ともかくガイドブックを読み、数字を並べ想像しても始まりません。
アマゾン川の壮大な広さ、水量のもたらす様々な風景、圧倒されます。
 
                   南米旅遊 5

 アマゾン河に沿った岸に造船所が次々に現れてきます。現地の方の交通手段は船で、定期船が街と街を繫いでおります。造船所では大型船からボートのようなものまで製造されているそうです。
 川の中には給油のための油売りの船も浮かんでおります。想像すらしたこともないことです。

          南米旅遊 5

 観光船はまずネグロ河とソリモンエス河の合流する場所に向かいました。この合流の流れはしばしばテレビなどでも見ておりましたが、実際にその流れに船が入り、自分がその流れの中にいることは嘘のような感じです。
 
                       南米旅遊 5

 川の遠くに虹がかかり、素晴らしい風景です。
 船はやがて岸辺に近い所に停泊。そこで私たちは数人ごとに別れ小船に移り、ピラニア釣に向かいました。 

        南米旅遊 5

(アマゾンクルーズ1)

 今日は 1 服の日  ふ(2)・く(9)語呂合わせ。
       1991年に設定されました。
     2 河豚の日 ふ(2)・く(9)語呂合わせ。


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南米旅遊 4

 ブラジル到着後早二日目の朝、ホテルを出発。13:15にはアマゾン川の河口から1500㌔ほど上流のマナウスに到着しました。(マナウス一日目)
 空港からホテルに向かう道筋がかなりの都市の様子で先ず驚きました。ホテルは「トロピカルホテルマナウス」大きなホテルです。

南米旅遊
 
マナウスはアマゾンの玄関口とも言われておりますが、19世紀にはここはゴムの集散地として栄え、欧州から多くの人がやって来て、欧州流の劇場なども作られそうです。しかしその後ゴムはマレー半島など太平洋側に生産地が広がり、過ってのような繁栄は無くなってきたそうです。
 今は各国の企業や日本の企業などがこの地に工場を建設していることなどもあり、新しい姿が現れているそうです。現在の人口は150万人。
 ここに行くのは空路か海路というのが一般的です。
 ホテル到着後夕食までは自由時間でしたので、川淵に様子を見に行きました。川では海水浴さながらの、水遊びに人々が興じております。

               南米旅遊 4

 川というイメージとは全く違い、目の前に海が広がっているようです。
 ホテルに戻りましたら、気をつけるように言われ、どうも眺めに行ったのは良くなかったような感じでした。
 ホテルの庭の売店で買い物をしておりましたら、二人の日本人青年に会いました。彼らは日本企業で働いており、時々ここに買い物に来るそうで、二年程で日本に帰ると話しておりました。私はそのとき初めてこの地に日本企業が進出している事を知りました。

 
 今日は針供養 よく働いてくれた針や折れ針などに感謝する日です。

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南米旅遊 3

 サンパウロに着いて早速昼は豪快な昼食。でも私は疲れもあり、また料理の量に圧倒され、やっと少し軽いものを口にしました。
 食後バスで市内観光に出発。パウリスタ大通り、イビランガ独立記念塔などを廻り、最後は東洋人街となりました。

                      南米旅遊 3

 途中ガイドの説明によりますと、ブラジルの医科大学での日系学生は優秀で、在校生の数も多いと言うことです。嬉しい話です。
 東洋人街は以前は日本人街と言われていたようですが、段々日本人は撤退し、その頃は中国人や韓国人などが多くなり、名称も変わってしまったそうです。
 ホテルに着く前、物凄い雨となり、暫らく日伯文化協会ビルで止むのを待つことになりました。
 この日伯文化協会ビルには日本とブラジルとの関係ある団体が多く入っているそうです。
 
             南米旅遊 3

 7・8階にはブラジル日本移民史料館があります。日本移民の生活と社会背景を伝える資料館として1978年、移民70周年を記念に建てられたそうです。
 展示は1908年(明治41年)笠戸丸で神戸からサントス港に到着した方々のことから始まり、その後の移民の生活や仕事の内容、また実際に使われた生活道具や農機具なども見ることが出来ます。
 農機具などは日本から持っていったもので、日本ではもう見る機会がなくなっているような物ばかりです。粗末な住まいの姿には思わず涙がこぼれました。
 悲惨な体験。戦後の勝ち組・負け組みなどの様子も知ることが出来ました。コーヒー園や農作物・花卉などの成功などの展示は少し心が落ち着きましたが、雨が降らなければここに寄らなかった訳で、有難い雨となりました。
 下のホールではのど自慢が大掛かりで開催されており、日本語の話せない方でも歌謡曲を歌っております。ドレスや特別に誂えたらしい派手な背広。日系社会の繋がりはここにあるのでしょうか。
 その前の週に由紀さおり・安田祥子姉妹が見えてNHKのど自慢大会が開催されたそうで、その熱気の余韻が醸しだされているようでした。
 NHKのど自慢の放映は帰国後見ることが出来ました。現地で取材した日系人の姿、中継で結んだ日本の家族など、改めて心に感動が湧いてきました。
 
                   南米旅遊 3

 ホールの前では日本商品等を売る店がロビー一杯に広がって並んでおり、私は記念に糠漬用の小さな茄子型の銅の板を求めてきました。
 夜はサンパウロ在住のS氏がホテルに来てくださり、彼とお喋りをしている内にやっと疲れが取れたような気がしました。私共夫婦は数年前、青島で天津から会いに来てくださったA氏と一緒に彼と会い、歓談のひと時を持ちました。それ以来ですが地球の反対側でまた会えて感無量でした。


 今日は北方領土の日 日本国有の領土「北方四島の一日も早い返還を」と願って1981年に設定されました。


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南米旅遊 2

 成田を19:00に出発。ロスアンゼルスで給油のため、空港内で待機し、次の日(2月14日)朝5:50にサンパウロに到着。空港はこのとき12年前に完成したと説明がありました。
 空港から市街まではかなりの時間がかかりました。途中の道路にはビルが立ち並んでいますが、落書きなのか、わざわざ書いてあるのか分らない字らしいものや線が建物の壁に描かれております。不思議な感じを持ちながら、やっとホテルにたどり着いたといった状態でしょうか。
 
                南米旅遊

「ニッケイパラスホテル」は日系人のサンパウロ市議員がオーナーでこのような名になったそうです。東洋人街の中にあります。到着後すぐに朝食。さすが名前のとおり日本食中心のブフェ。疲れて食欲がありません。
 
                        南米旅遊

 気温は23度でそう暑くありません。
 12:30ホテルロビーに集合。昼食場所に出発。行き先はブラジル料理のシラスコの店「CHURASCARIA」店内ではシラスコの串刺しを炭火で焼いております。焼きあがったシラスコの串を男性が両手に支え、腰を振り振りあたかもショーマンのような仕草で目の前にやって来ます。肉は様々な部位、牛以外にもいろいろな肉が次々参ります。
 好きなだけ切ってくれますが見ただけで満腹感になりそうです。外にもいろいろな料理と甘いもの(今風に言えばスイーツ)どれも大きな器に、山盛り。これがブラジル風かと夫と半ば呆れて眺め、廻ってくるボーイさんに断るだけでした。

            南米旅遊

 私の食べたのは牛の「こぶの部分」を少しだけでした。こぶを食べたのは昔、農学部の鎌田寿一先生(畜産製造学)が在外研究から持ち帰った、ブラジルの牛のスライドを見せて下さったとき、こぶのある牛が印象に残っていたからです。


 今日は海苔の日 1967年に全国海苔貝類漁業協同組合連合会が設定。701年(大宝元年)のこの日に制定された大宝律令には、海苔が「紫菜」と称されて諸国物産の一つに指定され、租税として徴収されるなど、金銭にもかわる高価な物であった記録が残っております。


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南米旅遊 1

 定年後、世界三大滝を見ようと夫と決めておりました。そのトップにイグアスの滝にしようと意見が一致。

                 南米旅遊

 折角南米に行くならばリオのカーニバルも見たいわねーと言うことで、ツアーを探しました。
 JTBをはじめいろいろとありましたが、最終的に私の希望するブラジリアの入っているブラジル旅行社のツアーで行くことにしました。
 
           南米旅遊

 サンパウロには青島の友人もおりますし、またブエノスアイレスにも青島羊会の会員が居りますので、彼たちに会えるかもという期待を持って出発しました。

                       南米旅遊

 1998年2月13日成田を発ち、先ずロスに向かいました。飛行機はヴァリグブラジル航空(その後経営難になり、ニュースになりました)機内のアナウンスは先ずポルトガル語、英語、日本語と同じ女性の声です。日本語も綺麗ですから、多分外も綺麗に話していると思います。その後男性による中国語の案内と続きました。
 成田を19:00出発。まず夕食です。カツ丼と冷麦で驚きました。私の隣は日本に勉強に来ていて帰国する若い女性でした。
 夕食が済み機内食はその後三食。四食の機内食とはとても無理、最後は全く食べられずでお終いでした。
 サンパウロ着は丸一日過ぎの現地時間、早朝5:50。


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五輪を待つ青島

 北京オリンピックは2008年8月8日に開催されることは、実に中国らしい数字だと思います。八八八。末広がりの八が三つも並びお目出度いこと、よくこう見事に並んだものです。開会式が朝の8時に行われれば八が四つ。凄いですね。
 
                    五輪を待つ青島

 青島は何回もここでも紹介しましたように、ヨットの会場になります。中国で一つの市で青島ほど長い海岸線を持つ都市はありませんでしょう。
 
            五輪を待つ青島

 準備は着々と進んでいるようようです。青島満帆から段々近づいている様子が分ります。

         五輪を待つ青島

 五輪放送を全部見ることは出来ませんでしょうが、青島からの中継や、放送は絶対見逃せません。多分青島をさまざまな角度から紹介されることでしょう。今から楽しみにしております。

      五輪を待つ青島

 明日は青島の小学校の1年下だった方と会うことを約束しております。ご主人は私の現役時代のお喋り仲間、また飲み仲間でもありましたので話は興奮し盛り上がるのではと思っております。

今日は節分  立春の前日で、古い中国の暦では、この立春を正月と考え、新年を迎えるにあたって、日暮れに厄除け・邪気祓いの意味をこめた豆まきの習慣があり、かっては宮中でも年中行事の一つでした。


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井上眼科病院

 昨日の日本経済新聞朝刊に井上眼科病院理事長の井上治郎先生の寄稿が掲載されておりました。

               井上眼科病院

 駿河台にある井上眼科病院は1881年(明治14年)にこの地に眼科医院として発足。以来専門病院としてその名は全国に知られております。
 私は1984年に竹内忍先生の執刀で網膜剥離の手術をここで受けました。井上眼科病院は主治医制で、私は治郎先生の診察を半年ごとに受けに参ります。
 手術を受けた頃と比べますと先生は細身になられております。新聞のお顔もすっきりとしております。
 井上眼科病院ではこの1月14日に「目の歴史資料館」を開設されたそうです。十代124年続いた中での貴重な資料が展示され、その展示の目的は「市井の視点でとらえた近代眼科学の歴史を知ってもらいたい」ということだと先生は述べていられます。
 井上眼科病院は私が入院した頃より拡張され、今は新お茶ノ水ビルの19階に受付があります。以前書きましたがそのロビーからは駿河台はもとより大きく風景が広がって見えます。また井上先生の診察室の待合室からは湯島聖堂もよく見えます。これらの風景を眺められることで、検査に行くのも億劫にはなりません。

                       井上眼科病院

 私は両眼帯で過ごした病室から、初めて見えたニコライ堂の姿が忘れられます。目が見える有難さに感動をしました。

        井上眼科病院

 次回の検査診察の時はこの「目の歴史資料館」にぜひ寄りたいと思います。

    2月1日~7日 成人病予防週間
今日は のり巻きの日 1987年全国海苔貝類漁業協同組合が設定。
    国際航空業務再開の日 航空業務は1945年の終戦時から9年間は占領軍総司令部の命令で日本国籍の航空機は飛行できず、この日から再開されました。

 
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中級牡蠣フライ

 昨夜は久しぶりに牡蠣フライを揚げました。牡蠣だけでは孫たちには可哀そうなので海老も少し揚げました。
 その牡蠣フライ。我が家では母が昔揚げていたのを踏襲しております。家族が沢山食べるには大型の牡蠣は高く、どうしても小ぶりな安いものに目が行き、買って来ます。
 下処理は普通にします。
 牡蠣は竹串に二、三個づつ指しておきます。下味は殆んど要りませんが、心持ちパラっと塩、胡椒を振ります。
 衣を付けて油の鍋に入れるとき、そーと竹串を外します。ゆっくり揚げて出来上がり。

                    中級牡蠣フライ

 小ぶりの牡蠣が中級くらいの牡蠣フライになります。上等な物は出先のレストランで食べるようにしております。本職のコックさんが作る揚げたてのフライは本当に美味しいと思います。
 たまにデパートやスーパーで買って来ますと、温めなおすのでどうしても皮がカラッとしません。
 このように串で刺して揚げると小さな牡蠣でも大型に変身します。その揚げたてのを食べながら「これはなかなか行けるでしょ」と心の中でつぶやいております。

今日はテレビ放送記念日  1953年2月1日午後2時から、NHK東京TVが最初のテレビ放送を開始したのを記念して設定されました。当日の放送時間は4時間、契約台数は866台

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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日85歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになりそうです。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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