FC2ブログ

2007-07

« 12345678910111213141516171819202122232425262728293031»
entry_header

1945年7月18日

 62年前のこの日。夜半突然の天空を引き裂くかと思うような凄まじい轟音に飛び起きました。
 家の庭の南側にあった防空壕に妹の手を引き、飛び込みました。その駆けてゆく数秒の間に空から物凄い勢いで鉄の塊が降ってきます。
 遠くでどーんと音が聞こえるとすぐに地面を揺るがす強い衝撃音が聞こえてきます。天空一杯に轟音が響き渡り、艦砲射撃と分かりました。
 家の周辺の立ち木に物が当たり、どすんどすんと落ちてきます。必死に耳と目を両手で被い、祖父母と肩を寄せ合って震えておりました。
 千葉県白浜町が艦砲射撃を浴びたのはこの日の23時52分から5分間だったそうです。死者6名。負傷者17名を数えました。
 大本営は潜水艦によるものだと発表しました。猛烈な攻撃でしたが、その発表を町民の殆んどは鵜呑みにしておりました。
 数年前、知覧特攻平和会館で日本全国で攻撃された俯瞰図を覗き、その潜水艦は本当は巡洋艦などと知り、驚きました。
 そのことを詳しく知りたいとPCで検索しましたところ、白浜を攻撃したのは巡洋艦4隻、駆逐艦9隻で米第三艦隊のものと知りました。
 大本営はその頃、敵の巨大な艦隊が日本沿岸を廻って攻撃をしているとは知らせることは出来なかったのでしょう。前日には日立、水戸に攻撃がくわえられております。
 朝が来て眺めに行きました。かねてレーダーが設置されていると聞いていた山は、まともに砲弾を浴び、山肌は削られ茶色に地滑り状、青々と稲が伸びている田圃には直径30メートルはあろうかと思われる黒くえぐられた穴が彼方此方に空いております。
 安房中学3年生の水口さんは直撃弾を受け、亡くなりました。
 翌朝、祖父が区長をしていたことから、部落の人々は弾丸の破片を我が家に集めてもって来ました。山ほど積まれた鋭い裂けた破片を見ると、当たれば即死は間違いないだろうと思いました。
 部落の人々はその破片が国に役立つものと信じ集めて来たものです。
 悔しく、怒りが湧き上がってくる思い出です。

           1945年7月18日


 この日の数日前、県道を歩いていた私は米軍のP51艦載機に狙われ、下降してくる飛行機から逃れるため側溝に身を伏せました。弾はシュ!シュと私の横50センチほど横を一列に落ちてきました。P51艦載機は上昇し飛び去りました。戦争は何よりも嫌です。


参考 千葉県白浜町艦砲射撃で検索し、由木尾晋氏のHPで「週刊白浜民報」984号をご覧下さい。女学校の一年下の方がその日の詳しいレポートを記しております。



人気blogランキングに参加しております。ここをポチッと押してください。


スポンサーサイト



side menu

side_header

プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
2018年5月1日87歳となりました。物忘れ言い間違いは益々多くなり、足腰も弱くなって、杖が手放せません。気も短くなり今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

フリーエリア

フリーエリア

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

MATERIAL

【背景、記事テーブル素材】
レースの壁紙
レースの壁紙 様

【素材の加工】
FC2blogの着せ替えブログ

Powered By FC2 blog