2007-11

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チャイナドレスは素敵だ 43

 今週の教室は15日の中国を楽しむ交流会の話も出ましたが、難しい旗袍に挑戦した生徒さんのことに注目が集まりました。
 ピンクのタイシルクにグレイの縁取りをした上衣。いよいよ仕上げに入り、紐ボタンの位置を決めることになりました。

                チャイナドレスは素敵だ 43


                チャイナドレスは素敵だ 43

 
             チャイナドレスは素敵だ 43

 ピンクにグレイの縁取りはシックで素敵です。またこの反対も素敵です。グレイの旗袍にピンクの縁取りです。私の好きな取り合わせです。
 昔作った時、良く着て出かけました。
 染と織をする生徒さんは今週染めの製作展に出品する作品を仕上げ教室にもって来ました。ボタンに苦労をしたようですが見事に出来上がっております。

             チャイナドレスは素敵だ 43


 皆さんそれぞれ頑張っております。旗袍は一旦着始めると病みつきになります。着て軽く、背が高く見え、高齢者は首の皺を隠し、姿勢もよくなり知らず知らず素敵になって来ます。ぜひ勇気を持って着て下さい。



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洋車・馬車

 「中国老旗袍」の中で洋車(ヤンチョ)を引く写真を見つけました。解説を読みますと、車を引くのは長い旗袍は向いていないので、写真のためのものだろうと書いてあります。引いている人も女性に見えます。

        洋車・人力車

 確かに昔の車夫は黒い上着にズボンだったと思います。洋車のルーツは日本の人力車だということはよく知られております。
 この写真を見て当時の青島の様子を思い出しました。
 私は1939年に中国青島に日本から移住。小学校の2年生の夏でした。青島の港から乗った馬車(マーチョ)が最初の乗り物でした。
 馬車はその後、家族で遊びに行くときに時々乗りました。揺れる動きも記憶に残っております。
 信号山から下町の鉄山路に移りますと、家の側の十字路には何時も洋車(ヤンチョ)と言われる車がたむろして待機しております。用事があると門を出て大きな声で「ヤンチョー!」と彼らに向かって呼びます。早い者勝ちらしかったようで、駆けつけて来ます。今のタクシーのようなものです。我が家はにはありませんでしたが、自家用のお抱えの洋車を持つ家もありました。

           洋車・馬車

     (昔の青島の街での洋車を引きながら歩いている姿が良く分ります) 
 母は気風がよく、即墨という所から炭を大量に買い、知人の所に届けます。(今で言うグループ買いですね)時々私は一人でその炭を洋車で届けに行きます。その時の車夫の小父さんは信頼できる方に決まっておりましたので、私も安心してお使いができました。
 戦後、東京で流行した輪タクに乗ったとき、あの青島の洋車の乗り心地の方が遥かに良かったというのが感想です。また一度人力車に乗りましたら、矢張り違います。青島の洋車の感覚の方が良いような気がしました。洋車の構造的なものでしょうか。引く竿が長く座席が低いのです。
 最近たまに浅草に行きますと、雷門の辺りで若者が観光人力車を用意し呼び込みをしております。乗り心地はどうでしょうか。人力車を業としている方もかなり多いようですが、一切呼び込みをしていないという方のHPを発見。ご許可を頂きましたのでその方の人力車を掲載致します。
 でも昔から映画などで見る花街を走る人力車と少し違うようにみえます。

            洋車・人力車

             (岡崎屋惣治郎さんのHPから)
 因みに当時の北京での洋車は、人口200万人に対し4万台だったそうですから、青島でもかなりの数だったと思われます。


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誰からも注目されません

 昨日は珍しく夫が買い物に付き合うと言います。1年に何回も無いことです。
 家から300mほど離れた所に10数年前にショッピングセンターが出来ました。そこに我孫子市民が利用できる施設があります。場所柄使用度も高く、昨日も第16回あびこ国際交流まつりが開催されておりました。
 買い物をしている時に「チェコ少年合唱団の演奏が始まります」と館内放送が流れました。買い物を済ませ、遅ればせながら会場のホールに行きますと少年たちの歌う最後の声が聞こえて来ました。続いて大きな拍手。会場は入り口まで人で溢れております。
 ホールの手前では各国の挨拶の言葉を書いた掲示も出されております。狭いながらも様々なことが用意されております。企画、設営をされた方々は大変なことだったと思います。
 会場の外のロビーでは茶道のお手前が披露されており、皆さんが順番を静かに待っております。
 
            誰からも注目されません

 ロビーの一部は華やぎ、振袖姿の外国の女性が見えております。なかなか着付けも綺麗に出来ており、女性方も嬉しそうです。
 
            誰も注目しておりません

 女性たちがカメラに向かって並びました。
 其処に男性が一人並んでこちらを促します。思わずシャッターを切りました。帰宅後それを見ますと一人だけ目線が違います。

            誰からも注目されません

 恐らく外の方のカメラからは外されていると思います。本人は参加気分でしょうが、唯一人を除いて誰も注目をしてはいなかったはずです。



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治郎柿到来

 今年も遠州森の治郎柿が送られて来ました。長いこと送って下さっている方は昔お世話になった方の奥様です。
 
             治郎柿到来

 森町のご実家の柿の木は1000本にもなるそうです。昔は茶畑だったそうですが、今は柿を専門に育てているとお聞きしました。
 
             治郎柿到来

 奥様は齢101。電話の声は張りがあり、声も大きく、言語明晰という言葉がピッタリです。
 記憶力も抜群。字も綺麗で確りとしたものです。柿のお礼の電話をしましたところ、先月はご家族と一緒に軽井沢に出かけられ、また最近は親族の集まりで東京の食事会に参加されたと話されておりました。「子供たちが連れて行って呉れますからですよ」と言われますが、出かけるという行動が素晴らしいことだと感心しております。
 親戚や知り合いに高齢者が増えておりますが、この方には特別の元気さと気力を感じます。
 「最近は歩くのが大変で、70頃もっと歩いておけば良かったと後悔しております」と聞きますと、わが身が恥ずかしく思ってしまいます。
 最も凄さを感じましたのは昨年のお礼の電話のときの言葉です。
 「長く皆様にお世話になり、感謝して生きております。来年は分りません。これが最後になるかも知れません。逝く時は挨拶をせずに失礼しますのでどうぞお許しくださいませ」と淡々と話されるのです。
 今年の電話は「ご迷惑でしょうが」と話されるので「迷惑ではございません。来年の柿を楽しみにお待ちしております」と申し上げました。
 来年も送られて来ると信じております。

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青島第一日本小学校の思い出

 日本の片田舎から中国山東省の港町青島に引っ越しました。1939年のことです。
 青島の第一日本小学校に転校しました。その学校はドイツが建設したという建物です。(実際は日本が建てたそうです。足立兄のコメントで訂正致します。11月25日)日本の学校は木造で、校舎の中は履物を脱いで歩き回りますが、青島の学校は靴のまま入り、校舎内で靴を脱ぐことはありませんでした。
 当時の校長先生は中村八大さんのお父様の中村和之先生。朝礼はコの字型の校舎に囲まれた中庭で行われておりました。夏はアカシヤの葉が生い茂り、生徒は日射を避けることが出来ました。
 1940年だったと思いますが、立派な遊具が備えられ、授業が済むとその下にランドセルを放り出し、時間を忘れるほど遊びました。それでも仲間の誰も怪我をしたことはありません。大人や教師が監視をすることはありませんでした。
 学校の清掃は中国の方が専門にしておりましたが、生徒は教室の中は自分たちで毎日しておりました。モップを棒ずりと言い、綺麗にしておりました。
 冷房はありませんでしたが、冬はスチーム暖房で、朝学校に来るとその上にお弁当を並べて温かくし、食べます。
 学校ではパンを売りに来ますので、弁当を持って来ない生徒はパンを買います。運動靴は毎週一回売りに来ますので、其処を利用しておりました。
 校庭は段々になっており、一番下がグラウンドです。運動会の時は家族はスタンドで眺めることが出来ました。
 設備はかなりいろいろ整っておりましたので、それを使った授業は楽しいものでした。

            青島第一日本小学校の思い出

 今回は施設のことを中心に掲載しました。(校舎の屋根は勿論赤です)


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孫とピアノ

 中国を楽しむ交流会で二胡の伴奏をする私の側に立つ方は長屋美代子先生です。
 我が家の長女の娘、二女、二女の娘、そして私の4人を教えてくださっているピアノの先生です。心底優しく、辛抱強く大らか。我が家は大フアンです。
                   
          孫とピアノ

 11日に子供の発表会があり、長女の娘の孫は無事に弾き終わりました。

          孫とピアノ

 二女の娘は習い始めて未だ数ヶ月しか経っておりません。連弾を弾くことになっておりますがどうなるかと心配しました。何しろ先生の所ではふざけてばかり。家での練習は演奏家気分で、曲想を勝手に変え、早く弾いたりゆっくり弾いたりし、親は合わせるのに苦労をしておりました。何とか無事に弾き終わり、先生に「ちゃんと弾けて良かったわね」とお褒め頂きました。
 
         孫とピアノ

 先月は大人の発表会があり、二女はショパンのノクターン作品9-2を弾きました。舞台は客席とフラットになっております。二女は弾いている間、娘が飛び出してきて弾きやしないかとハラハラしながら演奏したそうです。二女が練習をしておりますと側にいて最後の高音のところになると「弾ける!弾ける!」と必ず手を出し弾くのです。
 先だってTVの名曲アルバムを聞いておりました。丁度件のノクターンが流れております。其処に二女の娘がやって来ました。「ア!ママのだー」とピアノに向かって行きました。弾いています。あの所です。弾き終わって側に来ました。「上手ね!よく合っていたわね」と褒めますと彼女曰く「ばーば頭良いね」です。この曲が分ったということで褒められました。
 私が練習をしていたとき玄関から入って来ました。外に聞こえています。入ってくるなり「下手な人が弾いているので誰かと思ったらやっぱりばーばだ」
 大人の演奏会の話をしておりましたら、すかさず「ばーば下手だったからパチパチしなかった」です。
 ピアノに関しては私は散々です。もっとも孫の評価は事実ですから仕方がありません。来年はパチパチを貰えるようになりたいと思っております。



付録」新着パロディー 日の丸を食い物に

孫とピアノ




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女強人

 17日の中国語の授業は「三十歳的恋愛」という内容のパロディー。
中国でも、才能があり、収入も多く、高学歴で地位の高い女性が増えていることは私達も知っているところです。
 そういった女性が30歳にもなると周囲も結婚をどうするか注目するようです。一般に中国の男性は自分と比べ、地位や収入が多い女性とは結婚を避けるようです。女性は背の高いこともマイナスと取られるということです。私は冗談に「皇太子は違っているね」とつい言ってしまいました。
 教科書では会社社長の女性が30歳を越えて結婚をしようと決意するところから始まります。結婚紹介所で登録し、登録カードに見合った相手を紹介されますが、相手は唯の工場の技術者にしか過ぎません。最後は男性から「私がいつか工場長になったら娶ります」という手紙を受け取り、終わりになるという話です。

          女強人

 この文章の中に「女強人」という文字がありますが、たまたま先般私に旗袍研究者の謝黎さんから明治屋の「嗜好」という冊子が送られて来ました。
 その冊子の中に謝さんの短文があり、その中でこの「女強人」という文字が見られます。女強人、それがどういう意味になって活きているのか、使われ方などを知りました。授業にコピーを持って行き、皆さんに差し上げました。
 老師は暫らくじっくり眺めておりました。授業ののっけから中国の男性の女性観や、上海や北京の女性の特徴と言われる性格、気質などにも触れてなかなか面白い授業となりました。

           女強人

 女強人とは能力もあり、地位も高く、収入も多い女性を指すようです。この教科書の女強人は服飾会社の社長で、デザイナーでもあり、数多くの結婚衣装を作ったのに、未だに自分はそれを着ることが出来ずにおります。


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嘘と偽の横行

 今朝の朝日新聞トップみだしは「選挙公費水増し横行」
 今年は北から始まった悪質な偽装事件。この数日は有名店への家宅捜査。船場吉兆の味噌漬けは食べたことはありませんが、赤福は一昨年伊勢の本店で食べました。白い恋人も戴きました。
 一部とは言え日本人がこうも卑しくなったのは何故でしょう。
 政治家や国の発表の嘘、間違いが拍車をかけてはいませんか。
 前防衛省事務次官のニュースには驚くばかりです。300回というゴルフ。仕事の合間が全部ゴルフ?それとも仕事を放っておいてゴルフ?
周囲の誰も気が付いていなかったとは思えません。国民に対してどう答えるのでしょう。このような次官を放置していたのは何かありやしないかと思うのは常識のような気がします。
 パロディー「今年の漢字」の予測が参りました。早速掲載いたします。

          嘘や偽の横行

 庶民は騙されて騙されて行くのでしょうか。悲しい日本となってしまって、無念残念でなりません。
 気を取り直し確りと監視し、吟味し生活を守って行きたいと思います。でも相手は全部組織と会社。やっぱり騙されそうです。



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素晴らしい才能と環境 

 親しい明治大学元教授の中島公子先生には15日の中国を楽しむ交流会でお客様代表のお言葉を頂戴致しました。
 今日の朝日新聞朝刊に公子先生の二女、中島京子さんの著書の紹介が掲載されております。

               素晴らしい才能と環境

               (拡大してお読みになってください) 
京子さんのお姉さまは中島さおりさん。「パリの女は産んでいる」で第54回日本エッセイスト・クラブ賞を受けられております。
 (このブログの2006年7月10日に掲載)
 公子先生のご主人様は公子先生と同じくフランス文学者の中島昭和先生。
 お二人のお嬢様は才能もあり、家庭環境にも恵まれ、更に努力がプラスされてそれぞれが素晴らしい人生を歩まれております。
 夏前、公子先生から同人誌「竪琴」と一緒に「冠婚葬祭」を頂きました。この機会に既刊著書も一緒に掲載紹介いたしますのでご覧下さい。
 
            素晴らしい才能と環境


            素晴らしい才能と環境


            素晴らしい才能と環境

 公子先生とお会いし、様々な話題にふれる中で、何時もご一家の生活振りの素晴らしさを感じております。


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青島の街並

 中国青島は昔から赤い屋根と美しい緑の街と讃えられておりました。聞く所によりますと、現在も屋根は赤瓦にすることが決められているそうです。
 青島は旧市街から東へと大きく広がり、ビルも数多く建設されております。海から眺める街はビルが目立ちますが、何となく整然としているようです。ずーと東に寄りますと高級別荘が軒を連ねております。
 
           青島の街並


           青島の街並

 昔の市街も改装や改造が進んでいるそうで、かって一番の繁華街だった山東路は名前は中山路と変わっておりますが、都会風な洗練された姿になっております。

           青島の街並

 
            青島の街並

 
            青島の街並

            (昔の中山路・写真の左下にロングの旗袍姿が見えます) 
 昔この通りにベニス商会などという名前の店があり、また洋画の映画館や骨董品を並べた店などもあり、子供心にもエキゾチックな街という印象が強かたったですね。昼は何処の店舗も扉を下ろします。ドイツの伝統が守られていたのでしょうか。
 私が短期間住んだ信号山の斉東路11号という場所は軍事的な場所でしたので、山への入り口は有刺鉄線が丸めて置かれておりました。住人以外には殆んど入ってこない場所でした。

            青島の街並

                 (地図に信号山の字が見られます) 
 家の二階からはカソリック教会の尖塔が眺められ、近くのキリスト教会の鐘の音も聞こえて参ります。信号山の家の反対側には迎賓館がありました。山の今は信号山公園となっているようです。

             青島の街並

 窓の下に兎が見えるのもお伽話の世界に住んでいるような感じでした。関空から青島に行きました時に其処を訪ねました。風化が進み荒れておりましたが、今は綺麗になっているかも知れません。ドイツ風の半地下のある家でした。日本から行ったばかりでしたので、足の付いたバスタブや水洗トイレに驚いたのですが、青島では水洗が普通でした。

              青島の街並

 青島の家には門柱や家の入り口に青いホーロー板に番号が白く書かれて付けられておりましたが、これは今も変わらず付けられております。




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中国を楽しむ交流会

 二年ぶりに中国を楽しむ交流会を開催しました。今回で六回目となります。
 伝統的な旗袍・中国服の作り方を教えておりますが、交流会は皆さんの作品発表を兼ねて開催しております。自分の作ったチャイナドレスを皆さんに披露する緊張感が姿勢を正し、姿を美しく見せます。また外の方の作品を見ることによって製作意欲も増します。そういう効果を考えますとこの会を開くことも無意味ではないと思っております。
 お客さまもチャイナドレスの好きな方がお見えになって下さいます。
 会場は毎回柏の「ザ・クレストホテル」今回は参加者が少し少なく39名でした。会は和気藹々、どこかで、何かでつながりのある方ばかりですので、全体が賑やかな雰囲気に包まれておりました。
 ゲストには中国武術の勝部典子様と前原剛彦様をお迎えし、まじかに素晴らしい表演を拝見することが出来ました。
 今回、恥ずかしくも私は生徒の演じる二胡の伴奏を引き受け、無事に弾けたのかどうかも分らないほど緊張してしまい、弾き終わっても暫らくは手が震えておりました。

               中国を楽しむ交流会
               (相子ばーさん背中が厚いよ) 
 料理は美味しかったと皆さんに喜んで頂けましたが、私は緊張で余り手が出ませんでした。少しは痩せているかと今朝量りましたが全く落ちておりません。がっかりのようなホッとしたような気分です。
 カメラは生徒の河合香都子さんが担当してくださいました。早速昨夜遅く写真が数葉届きました。
 


付録」新着パロディー「お国のために」が突然中止に
         
   中国を楽しむ交流会


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青島の街並

 北京五輪を控え、サブ会場になる中国青島。街の整備に拍車がかかっているそうです。
 青島の街の姿の今日があるということは、昔ドイツが作った基本が、齎しているもので、以来その基本が守られて来たそうです。
 郊外はともかく、街には昔から木造の家はありませんでした。街路樹のアカシヤが道の両側に植えられており街は景観に恵まれておりました。(中国人は手鼻をかみ、その指をアカシヤの幹で拭きますので、どの幹にもその位置がピカピカに光っておりましたのが目に浮かびます)
 アカシヤは寿命が尽きたのか、今はプラタナスが目立っております。 清岡卓行氏の「アカシヤの大連」が芥川賞を受けた時、アカシヤは青島だよ!と思いましたね。
 
 青島に住む足立兄のブログ「青島満帆」にその街づくりの基本となった内容が掲載されております。
 
 即ち『旧ドイツの青島における「建築取締仮規則」には、「建築ハ何レモ街、交通、堅牢及ビ耐火ノ要求ニ適スルモノタラザルベカラズ。
建築物ノ外観ハ之ヲ建設スベキ当該市区ノ体裁ニ適応セシムベシ」

(「青島日本中学校校史」より)』

 民国時代もその基本は守られ、また中国市政府もその基本に副って街づくりを進めているということです。
 今回は青島羊会会員が在青島時代に過ごした家の現在を中心に紹介いたしましょう。

              青島の街並

                 (吉田睦子さん宅)

              青島の街並

                 (徳光春彦さん宅)

           青島の街並


              青島の街並

              (二階は中村八大さん宅)

             青島の街並

                (西村唯雄さん宅)

             青島の街並

             (元キャノン社長の故賀来龍三郎さん宅)

              青島の街並


              青島の街並



付録」孫はひやひや者
 二女と孫はエレべーターで背の高い女性と乗り遭わせました。機内は3人「ママー背が高いね」「高くて素敵ね」「高いだけで素敵じゃない」身の置き所が無いとは将にこういうことでしょう。
 二女の報告に私たち「3人で良かったね。外の人がいたらもっと身が縮んだんじゃない」


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烏賊の塩辛

 気温が漸く下がって参りました。今年は秋刀魚が豊漁だそうで、未だに獲れていると先頃報じられておりました。
 立冬も過ぎますと秋刀魚の卯の花漬けもお仕舞いにし、烏賊の塩辛を作りたくなります。今年も夜なべ仕事に始めました。
 なぜ烏賊の塩辛はするめ烏賊を使うのかということを偶然雄鶏社の本を読み知りました。塩辛は腸が大きいことが大事で、それにはするめ烏賊の腸が一番だそうです。
 
            烏賊の塩辛


我が家の塩辛
材料      低温乾燥の糀  100g
        するめ烏賊(大)  5杯
        塩       70~100g
        味醂       60cc
作り方   
1 糀を良く揉み解し、炊飯器に入れられる容器に入れます。
2 味醂に同量のお湯を合わせ糀にかけます。
3 炊飯器に器ごといれて保温にセット約2時間置き、糀が戻っていましたらそのまま冷まします。
       
         烏賊の塩辛

4 烏賊の腸を抜き墨袋を取り、腸と足の部分を切り離します。
5 烏賊の皮を剥き、細く切ります。エンペラも足も食べ易い大きさに切ります。
6 烏賊に塩を良く混ぜ、その中に腸の皮を破らないように気をつけ埋め込みます。
7 一晩(12時間)置いた烏賊の水を切り、腸をしごき、烏賊と良く混ぜます。
8 烏賊と糀を混ぜ合わせ、温度の低い所に保存し、毎日一回かき混ぜます。
9 出来上がったら冷蔵庫で保管します。      

         烏賊の塩辛

 
 塩の分量は好みによります。薄塩ですと塩のなれが早くじきに食べられますが保存は長くは出来ません。塩分を多くすると塩のなれる時間が掛かりますが、長く保存が出来ます。長く保存をすると味が落ち、烏賊の身も痩せるようです。美味しく食べるには薄塩にし早く食べるようにするのが宜しいようです。

        烏賊の塩辛

           (使っている糀)


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折り紙の指輪

 幼稚園年中組みの孫は釣りが大好きですが、釣果は問題ではありません。どうも中学生たちとお喋りをするのが楽しいようです。針の大きさとか、餌の付け方とかいろいろと教えて貰っているようです。釣り人気分の孫を相手にしてくれる中学生さん本当に有難うございますです。
 何事にも凝るタイプで、親は大変ですが、この親(私の二女)はまた凝り性のところがあります。孫の要求に実に根気良く付き合い、じっくり取り組み作業をし、楽しみも共有しているように見受けられます。ほほえましい限りです。
 孫が過日幼稚園で習って来た折り紙の指輪造りもその一つです。
 お菓子の空き箱を宝石箱に仕立て、その中に可愛い綺麗な指輪を並べて見せに来ました。随分時間が掛かったことと思いますね。

        折り紙の指輪


        折り紙の指輪

 
        折り紙の指輪

 指輪の装飾もなかなか個性的です。私にはそのようなセンスがありませんので感心して眺めました。
 
 その後がいけません。この数日どういう訳か私に何かと悪態をつきます。その日、私は腰痛のため二階にある接骨院に行きました。そのことを話しておりました。来ましたー!!彼女「太っていると思われたでしょ」そうです。確かに太っております。
 追い討ち。食事中横から私を眺め、首を目で追い曰く「ばーばぶよぶよ」「変でしょー?」 私「何が?」 彼女「もぐもぐ」
 顎で食べるんではないよ。こらー。です。



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食の安全を目指して

 蕎麦には薬味と一緒に唐辛子や山葵が付き物ですね。我が家では夫は山葵派ですが私はどちらでも構いません。特に蕎麦通ではないせいでしょうか。生山葵は高いので殆んど買わず、チューブ入りのを使っております。
 七味唐辛子は浅草に行きますと「薬研堀」のを買って来ますが、普段は街で買いチョッと我が家の好みに作り直します。
 ところで料理に使う刻み唐辛子は殆んどが中国製です。20年ほど前、クラスの飲み会の席で偶然中国で唐辛子の買い付けをしているという方にお会いしました。「あなた唐辛子の安物を買ってはいけませんよ。ホオズキの皮を混ぜてありますからね」と言われます。驚きましたが、その時はホオズキは食べると聞いたことがありましたので、まー毒にはならないだろう位に思いました。でもその後ズーと心に引っ掛かっております。
 出来れば国産の唐辛子を使いたいと思い、お店に行けばあれこれ手に取って見ます。地方の老舗とか、また名のある店の物とか時々に選んで買ってみます。
 最近の食品の偽装問題を見ますと、老舗が必ずしも間違いないとは言えないような気がしてなりません。ひょっとしたら唐辛子も?なんて思ってしまいます。
 先日近くのショッピングセンターで束ねた唐辛子を見つけました。
 
              20071108062744.jpg

 ごく最近は生協で七味の全てが国産の物を買うことが出来ました。
 
              食の安全を目指して

 先月にはオパール・ネットワークの吉澤文五郎さんから自家栽培の唐辛子を頂きました。

               食の安全を目指して

(吉澤さんは随分前から環境問題に取り組み、定年後の現在はEM農法で米作もされており、我が家も少し分けて頂いております)
 
 そんな訳で今は唐辛子大尽になって唐辛子の色を楽しんで眺めております。実に綺麗です。


付録」最新のパロディー「混迷の果て元のさや」
               
食の安全を目指し

 作者のコメント『小沢代表の辞意撤回と謝罪で一件落着。渡部恒三・元衆院副議長が「雨降って地固まれる」と言ったのですが、なまりがひどいので、「飴食って痔固まれる」と聞こえました』


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蕎麦・そば・ソバ

 一年中霜が降りなく無霜地帯などと言われている千葉県の南端の白浜。その街、今は食堂やレストランが海岸に沿って沢山営業をしております。戦前から戦後暫らくは蕎麦屋はありませんでした。蕎麦は館山に行かなければ食べられませんでした。(お金も無く関心もなく食べに入ったことはありませんでした)
 その街で蕎麦に出会ったことが無かった私は1948年に上京し、外食券を使い初めて蕎麦を食べました。その匂いが鼻に広がり、咽喉を通らなく、切ない位の困ったことになりました。以来蕎麦は苦手の食べ物となっておりました。
 1958年の夏だったと思いますが、明治大学の二部の学生の自治組織の学苑会法学会が長野県の伊那地方で無料法律相談を実施。その一行に加わり出張をしました。
 伊那地方は当時素朴な農村地帯で、学生は鍛冶良堅先生の指導とアドバイスを受けながら無事に活動を終えることが出来ました。終了後自由行動をするため解散し、各人目的地に向かいました。
 私は松本で旧知の方と落ち合うはずが、列車のなかで松本駅長からの伝言が放送され、知人は赤痢で入院と分りました。
 仕方なく上高地に行くと話していた学生の言葉を思い出し、松本駅で到着を待ち、彼らと合流し上高地に向かいました。
 その車中から初めて蕎麦の花を眺めました。茎はうっすらと赤く、見るからに頼りなげにたっております。
 宿は白骨温泉。食事後学生から聞いた露天風呂に行き、戻ると蕎麦屋に行きませんかと誘われました。
 その素朴な田舎屋の蕎麦屋で信州そばを口にしました。その蕎麦の口当たりと言い、匂いと言い、衝撃的な感じを受けました。これが蕎麦かと言う言葉以外にありません。以来一食にして蕎麦への思いが変わり、文学部の青沼一郎先生とまつやの蕎麦談義も出来ることにまで繋がって来ました。
 道の駅沼南の側に蕎麦らしきものが一面に植えられております。自信が無いので校友会我孫子地域支部の国方幸生さんに写真を送り間違いなく蕎麦だと教えて頂きました。(国方さんは蕎麦勉強会という会で蕎麦を育て、最後は蕎麦打ちもする本格派。蕎麦は奥深い物だそうです)
 
          蕎麦・そば・ソバ


          蕎麦・そば・ソバ

              (蝶がいました)

          蕎麦・そば・ソバ

          (国方さんの写した蕎麦の花)

 大学では富士吉田に農学部の農場があります。昔、将に昔としか言いようが無い昔。その農場で蕎麦を収穫。教職員に販売しました。白骨温泉での経験が無ければ恐らく買うことは無かったと思います。その蕎麦は学生相談室の主催する一泊茶話会の時にはお昼に出して頂きました。美味しかったですね。
 

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明治大学グッズ

 1949年の夏近いある日、友人から共済部への入部勧誘を受けました。先ず手が足りないということ、学生へのサービスが主な活動と言うことで、余り重荷でもなさそうで入部。次年度までの間昼休みを使い、学生に教科書と欠席届けを販売、その外には安いポマード(柳屋とかケンシ)なども置いておりました。
 
               明治大学グッズ

(旧和泉校舎の正面入り口から入った所の階段、その右にある小さなドアが共済部の部室兼売店)
 
 その頃は明大グッズというような物への意識はなく、まー角帽とか学部ごとの襟につけるバッチくらいのものがそのような物でした。学生服はグッズとは違いましょうね。
 ラグビー部の紫紺と白の縞のマフラーが一番目に付いた物かも知れません。
 先日のホームカミングデーで出会った男性は明大マートに関係する方のようでした。胸のポケットに挟んだワッペンは高級感があり、携帯の紐もMEIJIの文字が確りと書かれておりネクタイも明大色です。わー何とも凄いなーというのが感想でした。

             明治大学グッズ


             明治大学グッズ

 明大マートでは学生生活に必要な諸物品、旅行の斡旋や様々な情報、またロゴマークの付いた明治大学グッズ。子供のTシャツまであります。

              明治大学グッズ

 60年前には想像も付かなかった店舗が学内に出来ております。30年ほど前は生協でも少しはそういった物も見られましたが、品数はそう多くなく、今日のようなものとは随分違っておりました。
 戦後のざら紙の教科書を買ったのははるか遠ーい遠ーい昔話となりました。
 学生がロゴマークのあるグッズを持ち、堂々と学生生活を楽しみ、また励みとして行くことが出来れば結構なことではないかと老婆は思っております。



付録」到着した新パロディーをご覧下さい。
               
  明治大学グッズ


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食の安全を目指して

 今月の「ちば県民だより」が配布されました。食の安全・安心を食卓へというテーマーが中心に組まれております。予てから堂本暁子知事は千産千消という表現で、千葉県の食に強い意志を示しておりました。
 
               食の安全をめざして

 我が家では出来るだけ安心のできる食材を利用するように心掛けております。近くの道の駅沼南には毎週一回以上野菜を買いに出かけます。
 新鮮、生産者名がはっきりしている、多くの品物に栽培法の表示が書かれております。正真正銘千葉県産です。
 特にジャガイモや玉ねぎといった物は地物をまず買います。
 大量生産地のことを聞く機会があり、その後は出来るだけ地物を買うことにしております。
 玉ねぎは時々地物が見えないことがありますので、PCで調べ収穫の時の茎の処理が公開されている淡路島の玉ねぎを取り寄せております。
 決して廉くはありませんが、手を掛けていることを見れば已むを得ない値段だと納得しております。
 
                食の安全を目指して

 この玉ねぎは美味しく、サラダにしたり、カレーのベースにしたりしております。玉ねぎの頭を少し落とし、縦横に切れ目を入れ、更に横から削ぎ切りにします。この微塵切りをよーく晒してトマトの上にたっぷりと載せます。それに娘の作る甘口のドレッシングかけて食べるのが大好きです。

                食の安全を目指して


                食の安全を目指して


 食は体の基本だと毎食気を入れて作っております。良い食材を廉く手に入れる。これが目標の一つです。

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チャイナドレスは素敵だ 42

 直裁ちのチャイナドレス(旗袍)講座に長く受講に見えている方は、いつの間にか応用力が付いております。
 先週の授業で生徒さんの見せて下さった旗袍もまた素敵です。
 裏地に模様入りの生地を使い、またヘムの処理も手を掛け立派な一着を着て参りました。皆さんにも参考になりました。
 
            チャイナドレスは素敵だ 42

11月15日に開催する中国を楽しむ交流会で二胡を披露をして下さる生徒さんの上着も完成しました。
 
            チャイナドレスは素敵だ 42


            チャイナドレスは素敵だ 42

 染めの勉強をしている生徒さんは染めの会の展示会に着るため、絞りの淡い色に染めた生地での仮縫いをしました。努力が更に活きて参りましょう。
 
            チャイナドレスは素敵だ 42

 通販でお嬢さんが求めたというベストはなかなか素敵で、皆さんの興味を引きました。ほっそりとした生徒さんが試着して見ました。すぐに技法の分る生徒さんもおり、皆さんであれこれ言いながら眺めました。

            チャイナドレスは素敵だ 42

 アッと言う間に楽しく賑やかな2時間が過ぎました。



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青島航路一番機の偶然

 1994年の関空開港。それに続き日本から青島への直行便就航。私と夫はその一番機に乗る25名のツアーに参加しました。一番機のツアー客の殆んどは青島縁の方でした。その中にキャノンにお勤めのS氏ご夫妻がおりました。奥様は青島高女の卒業生。
 青島行きの後1998年に私共夫婦は南米に出かけました。サンパウロでは青島の華僑飯店に招待して下さったS兄が到着した夜、ホテルに会いに来て下さいました。彼はサンパウロを後にする朝、再びホテルに見送りに来て下さいました。
 サンパウロ空港に行きますと、青島でご一緒したあのキャノンのS氏ご夫妻と偶然お会いしました。私共同様イグアスへ向かうと言うことです。座席はまた前後と側になりました。
 前回「一番は素敵だ」を掲載しましたがメル友のI.H氏の頭をよぎったのは甥御さんのことだったそうです。甥御さんは青島空港開港に尽力を尽くしたというANA社員だったので、そのことをコメントに入れる前に、甥御さんに確認をしたところ甥御さんから以下のような返事が来たそうです。甥御さんは北京大学卒。当時上海に駐在していたそうです。

           青島航路一番機の偶然

『青島初便ですか、よく覚えてますね。私自身でもあまり想い出すことが少ないですから。その後出張で訪れても当時の想い出を共有する人がいないせいもあると思います。

「尽力した」は「過奨」で、実際は上海から少し手伝いに行っただけです。

初便到着の写真が懐かしいですね。人影で見えませんが、航空機のタラップ下に私もいたはずです。到着時に入国書類を乗務員から受け取ってタラップから降りてくるところは、当日夕方のテレビニュースで流されて、私もホテル(写真にある海天ホテルです)でそれを見ました。思わずテレビ画面を写真で撮ったので、それはどこかにまだあるはずです。

                青島航路一番機の偶然

接待と言えば、日本の航空局の役人が就航前に現地調査にやって来た時に、上海にいるはずの私がやって来て、「青島ではこれだけ就航準備が出来てますよ」と説明したのです。その日の昼食の時間、「中国の真実を見せたほうがいい」という当時のマネージャーの方針で、当時決して豪華とも清潔とも言えなかった(ハエくらいは普通に飛んでいた)青島空港のレストランへ連れて行ったのを想い出しました。
実際、上海での自分の仕事も忙しかったところを時間を割いて手伝いに来ていたうえに、青島の空港会社は税関などと調整するにも慣れている上海とは勝手が違うし(驚いたのは、初便到着後税関職員が機内の免税商品がはいっているカートをすべて紙テープで封印したことです。そんなことしなくてもしっかり鍵がかかっているので、持ち出したりは出来ないと思うのですが。幸い次便以降はそれは免除されました)
 何より当時は社内の日本サイドでもそういった中国の実情を理解してサポートしてくれる人がかなり限られていたので、青島での初便が終わった後は疲れてせいせいして上海に戻ったような記憶があります。

おかげさまで以上のようなことをイッキに想い出しました。太郎』

 青島への一番機で行かなければ、サンパウロの朝の2時間の間での出会いは無かったはず。I.H氏とのメール交換を始めていなければ?I.H氏の甥御さんと同じ日、同じ場所に立ち、同じホテルに泊まったことも知らず。そして前回の「一番は素敵だ」の掲載しなければ。そういうことが全て青島に重なっております。
 
 C・Gユングの言うところの共時性「意味のある偶然の一致」という言葉を実感したような気が致します。この言葉「共時性・同時性」ということを日本で紹介されのは去る7月逝去された文化庁長官も務められた河合隼雄先生です。この言葉を知った後、一致する何かとは何かと良く考えます。学者・研究者でもないので半ば理解の外だと思いながらも、よく起きる偶然の出会いには必ず思う言葉です。


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相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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