2007-12

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努力・誠実の人

 ブログを初めて間もなく2年になります。PC上での出会いはメル友以外は先ず一方的です。今年はそのような中で素晴らしい方との出会いがありました。
 ちりめん山椒を作るという内容にコメントを入れてくだっさたのが、富山市に住む瀬戸寛さんです。
 「ご飯の味方」というブログを持っております。其処に見る瀬戸さんの人間像に魅了されました。ラーメン店を営んでいるそうですが、自らの体質から考えて良い食べ物を作る事から始まり、それをまた皆さんに提供したいという姿勢を持ち、実践している方です。
 材料は先ず地物は当然とし、自ら野山や海に出かけ自然の中で調達したものを使っております。
 丁寧な仕事とその作り方などをブログで公開しておりますが、あくまで謙虚です。皆さんからの意見にも確りと対応し、自ずと信頼感が生まれてきます。
 昨日は注文していた品物が届きました。保存法、食べ方、切り方と詳しく添えられております。

            努力・誠実の人

 瀬戸さんが作る物は範囲が広く、見るもの皆食べてみたく欲しくなります。
 昨今の偽装や偽造などとは全く違い、食に対する姿勢が立派です。この姿勢を崩さず頑張って欲しいと思っております。


 今年は様々な問題が噴出しましたね。I.H氏とT.H氏から送られて来た年末最後のパロディーを掲載します。
             
            努力・誠実の人


            努力・誠実の人

 拙い私のブログを見て下さった皆様、有難うございました。来年も懲りずにご覧下さいますようお願い申し上げます。


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熱中症

 このところ孫も手賀沼は風が冷たく、釣りは休みです。暫らくは親と彼方此方を廻り、幼児なりの見聞を広めております。常に行動が素早く、一刻もオトナシクできなかったのが、最近はじっとして親と一緒に創作することも出来るようになりました。比較的長い時間、何かを作ることに熱中し、日射病ならぬ何かに熱中する熱中症に罹っております。
 親は感心するほど孫に付き合い、また次々新しいことに挑戦しております。
 クリスマス会の準備も母子で一所懸命でした。
 今は縄跳びも熱中症の一症状です。数日前に二重飛びが出来、得意になって見せてくれます。
 折り紙を使いいろいろな物を作っております。かなり根気のいる仕事です。お弁当も凝っています。

       熱中症

 昨日親が折り紙の本を持って来ました。これです。これは大変!!!熱中症の孫の熱中度がさらに上がることでしょう。

          熱中症

 この孫、二ヶ月ほど前にポテトチップスを飲み込む時にのどにつかえさせ、以来固形物に拒否反応を起こしていたようです。
 毎日ヨーグルトやアイスクリームで過ごすことが多く、マカロニグラタン位が何とか食べられるようなことで、親は勿論大人を心配させておりました。ところがそういうことがあっても、熱中症を遺憾なく発揮し、幼稚園は皆勤賞を貰うと張り切っており、体操教室も休まず、12月からは新体操のクラブににも参加。疲れを知りません。
 私たちにはこの孫の体質はどうなっているのか、不思議でなりません。
 先週当りから食欲が回復し始め、昼食も良く食べたというその日の夜。「偉いね!よかったねー、食べられるようになって」と褒めました。
 「トラウマが治ったのー」と澄ましております。参りました。親もこれでは大変です。
 さーこれから何に熱中すことになるのでしょうか。熱中症児という言葉はありましょうか。
 手賀沼で釣り人を見たら、行くと言うに違いありません。この孫には風が吹くことなど問題ではありません。冬休みで親はへとへとになることでしょう。



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改行が開業?

 昨日は池袋から澁谷を経て霞が関に行きました。久しぶりです。虎ノ門駅から地上に出ますと周辺がすっかり変わっております。総合庁舎も出来上がり、文部科学省は元のような姿を現しております。
 
          改行が開業?


 さて「改行」と書いていたことはどう展開するのでしょうか。再度思い出して見てみました。

           改行が開業?

 
 「建物が変る。中身も変る。意識を「改」め、次の「行」動へ。
 文部科学省は、2008年1月、新庁舎に移ります。
 新しくなるのは建物だけではもったいない。この機会に私たちは、職員の意識改善に取り組み、皆さまにより信頼される省をめざした、新たな一歩を踏み出します。 改行計画 文部科学省」

 
 となっております。この表現に私はとても違和感をもっております。
 今になってはこの改行と宣言したことを、どう実現するのか、大いに関心のあるところです。
 選挙を前にした政治家のパフォーマンスは目先の話題性のある問題などに集中しがちにみえます。どなたが本気で教育問題に取り組んでいるのか、知りたいものです。教育問題は票にならないからでしょうか。
 この年の様々なスキャンダルを考えますと、教育はどうなっていたのかと(特にエリートと言われて、沢山の税金を使い育てた人々を)思わずにいられません。
 霞が関ビルから新庁舎と文科省を見下ろしますと、発展する都市と取り残されて行くものは何かと思わずにいられません。文科省の方は立派な庁舎に閉じ込もらず、現場のことを洞察する力を養って欲しいものです。まず優秀な人材をこの建物に迎えることも大事でしょう。

            改行が開業?

                    
            改行が開業?

 私は優秀な教師を確保することが一番大事なことだと確信しております。話題になっている教師になりたくないような現場の様子、教育委員会と教師の関係、教場の場での問題で教師と親の関係。素晴らしいニュースが余りに少なく、若者の魅力は其処に向きません。その若者に目を向けて貰う方策は考えられないのでしょうか。


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赤・緑・白の季節

 今日は休日ですのに関東地方は朝から雨。家族連れでディズニーランドに出かけた方も多いと思います。お客がここで困ることはショーが雨となると、すぐに中止になることです。
 この数年は孫たちと一緒に行くこともなくなりましたが、毎度お婆さんは文句を言います。メインステージのショーの座席指定の確保に並び、時間を使い、座った途端ショーの中止と聞きますと、何ジャーとなります。
 孫たちは毎年、クリスマスが近づきますと声を合わせて行きたいコールを夫に向けます。
 今年はそれでもあまり強い声にはなっておりませんでした。でも冬休みの間にきっと出かけると思います。ばーばは怒っても魅力一杯なのがディズニーランドやディズニーシーなのですね。
 江戸っ子さんのブログでの写真を見せますと声が大きくなると思い、そーとしております。クリスマスの園内は矢張り綺麗です。その中で人影も見当たらず、静かな佇まいとも見えるシンデレラ城の姿が印象的です。

             赤・緑・白の季節

 街では晩秋から至る所でクリスマスの飾りつけが始まります。赤・緑・白に金銀が煌びやかに添えられ、否応なしに目が向きます。
 商店だけでなくビルの間の広場でもツリーが立てられております。
 クリスマスプレゼントはお歳暮とは別ですね。する人、しない人とありますが、手作りのプレゼントは嬉しいものです。先日おとめ座さんのブログでなんと綺麗なこんな手作りの物をと、感心し眺めました。
 石鹸だそうです。プレゼントに使うそうですが、お見舞いなどにも持って行かれるそうです。心が癒されますね。

           赤・緑・白の季節

 煌びやかでも押し付けを感じさせない手作り。コメントを書きましたら、なんと我が家に送ってくださいました。手に取り眺めますと可愛く使うのは勿体ない物です。使う方はいるのでしょうか。孫二人と分けました。
                          
           赤・緑・白の季節

 一昨年12月中国青島に行きましたら、驚きました。どこもかしこもクリスマスのイルミネーション。赤い三角帽を被った女性がレストランは勿論、売店でも被っております。ホテルのケーキ屋さんでも豪華なクリスマスケーキを並べております。
 泊まったホテルのロビーでは子供たちが並び、クリスマスソングを歌っておりました。

           赤・緑・白の季節

 この様子を眺めますと、この子供たちが成長した時には中国はどう変わっているのでしょうか。自然に興味を感じます。


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上海蟹

 久しぶりに「上海蟹」で有名な神田神保町の新世界菜館に出かけました。この店は変化を続ける界隈のなかで、確りと昔から変わらず同じ場所で営業をしております。
 50年以上前、この辺は彼方此方戦災で焼けておりました。新世界菜館は木造の一階建。奥に長ーい店でした。味は当時から保証つきです。給料が四桁の時代はなかなか食べに行けませんでした。
 クラス会にも使いますが、上海蟹の季節には中国服の仲間と行くのが楽しみになっております。昨年は私は風邪を引き、参加出来ませんでした。
 この季節は昼でも予約をしておいたほうが間違いないでしょう。私達は必ず予約をしております。今日の昼も大勢並んで空席をまっております。
 二階の個室に入り、まず蒸蟹を頼み、外に数点の料理を選びゆっくりとお喋りに興じました。上海蟹を目的にして、もう20年くらいも続いて来ております。
 今ほど有名になっていなかった時は蟹身を出すへらは竹製の素朴なもので持ち帰ることが出来ました。今はステンレスのもので、持ち帰りは出来ません。手作りの竹のは家で使っておりますが使うときは何となく家庭的な雰囲気で良い感じです。

                上海蟹

 今日選んだものは
 三拼盆・辣椒蠣黄・豆鼓猪肉・白果蝦仁
 清蒸大蟹・(女+乃)油白菜(女偏に乃の字)
 五目炒麺・杏仁豆腐 
                上海蟹

上海蟹


                上海蟹

上海蟹


 蒸しあがった蟹は店員さんが切り分けてくれます。それでも上海蟹は小さいので面倒くさいと敬遠する方もおります。



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伊達家の人 つづき

 伊達さんが青島の家に住み始めたのは何時のことか分りませんが、1939年に青島で順之助は軍装に身を纏い、写真に納まっております。遠聞によりますと当時?の青島駐在の日本海軍の司令が順之助の従弟だったそうですが、どうでしょうか。
 伊達家と聞きますと政宗ですね。伊達政宗の長男秀宗は宇和島十万石に分封され、その末裔になるのが伊達順之助だそうですから、宗義氏も伊達政宗の血を引く方となります。
 青島の旧伊達邸は現在10家族が住んでいるそうですが、胡桃沢耕史氏が「闘神 伊達順之助伝」(1990年11月文芸春秋社)を書くにあたり、其処を訪ねたときは4家族だけが住んでいたということです。

伊達家の人 つづき

 順之助は日本馬賊・大陸浪人などと知られ、かなりの方が取り上げて書いております。馬賊とは日本人が使った呼び名で、中国では使われていないそうですが、中国語の老師に伺いましたら、通じるということでした。
 順之助の写真のなかで若き日の颯爽としたものは良く使われております。渡辺龍策氏の「馬賊」に掲載されているこの写真は鮮明ではありませんので、宗義氏のものから転載いたしましょう。

                      伊達家の人 つづき

                      (写真は拡大して見て下さい)
 写真を見ますと、寒い奉天での伊達者の姿を彷彿とさせてくれます。 
           
 
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伊達家の人 つづき

 中国青島の斎東路という道筋は静かな一角でした。信号山という丘に軍の施設があり、その中腹に数軒の家がありました。11号13号の建物です。青島の家の番地表示は道路の入り口から右側が奇数、左側は偶数です。
 私が僅かの間でしたが住んだのは11号でした。
 青島満帆に掲載されている伊達順之助旧宅は26号です。
 旧宅を探索し発見したけれど念の為確認したいと連絡がありました。すぐプリントアウトし伊達宗義夫人に送りました。
 
                伊達家の人 つづき

 数日経ち伊達夫人から電話があり、宗義氏から直接間違いないと返事を頂きました。
 青島満帆は確認したことで、これを記事にし掲載しております。
 実はこの番地は宗義氏の著書に掲載されておりました。

                伊達家の人 つづき

 青島の家には琺瑯の番号板が門柱や入り口に掲載されております。これがはっきりと分りました。
 宗義氏の著書にこの家の庭で1943年に撮影された主の伊達順之助の写真が掲載されております。53歳という事ですが今の人と比べ大人の面構えです。

                伊達家の人 つづき

 家は間違いないと青島に連絡しましたら、再度旧宅を訪れ、カメラに収めたものが送られて来ました。それをまとめまた宗義氏宅に送りました。家族皆さんで喜ばれたそうで、昨日午前、宗義夫人からの丁重な手紙と珍しい物が送られて来ました。
                                 (この後つづく)



付録」新着パロディー 支持率急落!

        伊達家の人 つづき




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伊達家の人

 手元にある本「灼熱 実録 伊達順之助」はかって中国東北部で日本馬賊と知られた伊達順之助の長男伊達宗義氏の著書です。

                     伊達家の人

 宗義氏の奥様は北京高女に在籍したことのある方です。私の入っている青島羊会のKさんは三越のデザイナーをしておりました。彼女も青島から北京に移住し北京高女で学んでおりました。終戦はお二人とも北京で迎えております。
 Kさんから聞いていた仲良しの北京時代のお友達が宗義氏の奥様のことでした。
 20年ほど前になるような気がしますが、洋服を頼みにKさんの処に行きますと、先客がおります。Kさんから宗義氏の奥様とお姑さんと紹介されました。Kさんから私が青島に住んでいたと紹介がありますとお姑さんは「青島はどちらに?私は斎東路に住んでいました」とおっしゃります。
 私も斎東路に住んだことがあり、信号山の中腹にある11号でしたので、話が弾みました。
 穏やかな物腰に品が漂っているその老婦人と一緒に青島の想い出に暫し時を過ごしました。
 伊達さんとお姑さんは先にお帰りになりますと、Kさんは「あの方のご主人は青島でとても偉い方だったのよ」と教えてくださいました。
 私はその時より前、ひところ馬賊物を読んでいましたので、とっさに伊達順之助夫人だと気がつきました。
 念のため父に電話をしましたら、間違いなく、斎東路に住んでいたこと、馬に乗って出かけていたこと、射撃の名手だったことなど話してくれました。
 
                伊達家の人

              (青島の家の地図=青島在住の足立さんから)
 その三越での出会いの数日後、宗義夫人から手紙を頂きました。「あんなに義母が喜んだことはありません」とあり、私も奇遇に驚きましたが、その手紙を頂き大変嬉しく思ったことでした。
 ですが伊達順之助夫人は三越でお会いした日から二ヶ月ほど後にお亡くなりになりました。
 今これを書いておりましたら宗義夫人から荷物が届きました。
                                   (この後つづく)



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チャイナドレスは素敵だ 44

 チャイナドレスを受講している方はそう多くありませんが、長く習っている方もおります。折角製作しておりますので、発表の場があると励みになり、次へのステップにもなります。
 11月15日のパーティーのDVDが出来上がりました。作って下さったのは生徒の河合香都子さん。
 数日前に発送も手伝ってくださいました。

              チャイナドレスは素敵だ 44

 ラベルも中国らしい模様が使われております。
 中国を楽しむ交流会という名のパーティーは今回で6回となりました。お見えになった方の多くがチャイナドレスを着て来てくださいました。

               チャイナドレスは素敵だ 44

  教室で一緒に教えている方と司会を引き受けてくださったお嬢さんの親娘

               チャイナドレスは素敵だ 44

              最初から一緒に学んだ友人                          
               チャイナドレスは素敵だ 44
 
              長くサポートして下さった友人

           チャイナドレスは素敵だ 44

         86歳の旗袍大好きなお客さまと現在勉強中の妹




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本物を贈りたい

 毎年歳暮には山形の「まめや」さんの冨貴豆を贈っております。この冨貴豆に出会ったのは30年以上前になります。山形出身の学生さんが持って来られた物です。一口で気に入りました。これはどなたに贈っても安心して食べて頂ける物だと確信し、以来長年お願いしております。
     
                       本物を贈りたい

 まめやさんのご主人は中村弘一さんと言いますが、送り状などの添え書きは字体からして実直な感じがします。

 明治の末、まめやさんは床屋が生業だったそうです。その頃のご主人の趣味は菓子作りで、その菓子の一つが冨貴豆だったそうです。この冨貴豆が評判がよく、結局生業の床屋を止め、現在のようなまめやさんになったそうです。
 皮を剥いたえんどう豆と砂糖だけの冨貴豆(ふーきまめ)の柔らかい味は口に当りが良く、飽きが来ません。職人さんもきっと年期が入った方がいるのでしょう。5年ほど前、一度職人さんが風邪を引き、歳暮に間に合わなかった時がありました。その時の対応も実にキチンとされ、間に合わなくても年賀にお願いしました。

 本物を贈りたい

 今年は偽装、偽造などが相次いで起きました。冨貴豆を贈ることが間違いなかったと今更ながら安心しております。

     参考  「まめや」  山形市旅篭町1-5-11  
                  ℡ 023-623-0554

付録」新着のパロディー 

    本物を贈りたい





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宝井馬琴ビジネス講談の夕べ (つづき)

 馬琴師匠のビジネス講談の会は年2回開催されます。夏と冬。冬は赤穂浪士討ち入りの日の頃です。
 毎回助っ人として前座に寄席の芸人がお見えになります。これも楽しみの一つです。
 今回は落語家協会理事の「柳家さん八師匠」です。                                 
宝井馬琴ビジネス講談の夕べ (つづき)

『柳家さん八 昭和41年五代目柳家小さんに入門 そう助となる。昭和46年二代目さん八と改名』
 さん八師匠の落語は昭和を軸に柳家小さんを肴にし、話は進みました。小さん師匠は徴兵検査で甲種合格。一兵卒だったとき2.26事件で、反乱軍の将校に命じられ、警視庁の屋上に機関銃を据え、皇居に銃口を向けたそうです。反乱軍はすぐに鎮圧されましたが、その事は小さんに取っての大きなトラウマだったのかも知れませんね。
 さん八師匠の話は巧みに、小さんを表と軸にし笑いを取っております。皆さんの大きな拍手と笑いを取ったのは、小さん師匠園遊会出席の姿でした。
 園遊会に出席した小さん師匠は天皇(昭和)が2.26事件のことを問われたらどうしようと、身も心もここに在らずといった心境だったらしく、只管畏れ多く顔が上げられなかったそうです。
 これだけでは小さんの一面を見るだけです。そこはプロ。園遊会の天皇の姿を目の当たりにしたような描写はすっかり皆さんを魅了し爆笑へと誘い込みました。
 現在は古典の落語の描写では理解されないことも増えて来ているそうで、落語家の方もなかなか大変なことだそうです。
 馬琴師匠の講談が終わり、懇親会となりました。賑やかです。綺麗なコンパニオンも出て参ります。
 馬琴師匠、さん八師匠も着替え皆さんの間を廻り、挨拶をしながらまたまたそこで笑わせておりました。
 伊豆榮の料理は今時の関西風の味ではなく、確りとした江戸の味。私は気に入っております。
   
                 宝井馬琴ビジネス講談の夕べ (つづき)

 私の左横は空手を習っているという4年生の女子学生。真向かいは親しい豊島支部の三浦昭生さん、その横は藤沢支部の鈴木良二さん。久しぶりに大勢の方とお目に掛かり楽しい夕べとなりました。


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宝井馬琴ビジネス講談の夕べ

 時は去る11日夕刻、江戸は上野池之端、鰻の老舗「伊豆榮」集まれりは後期高齢者?中期高齢者?初期高齢者??壮年、其処に若き学生4名総勢73名。第28回「宝井馬琴ビジネス講談の夕べ」演ずるは宝井馬琴師匠(1959年明治大学英文学科卒) 演目は岡本綺堂作『鉄舟と次郎長』

                    宝井馬琴ビジネス講談の夕べ
 助っ人は落語家の柳家さん八師匠       
司会は兼松紘一郎さん(明治大学工学部1962年卒)
        
宝井馬琴ビジネス講談の夕べ

 会場の大広間はぎっしりと明大出身者で埋まり、彼方此方で邂逅の言葉が飛び交います。
 私の隣は偶然伊藤琴遊(尊久)さん(1959年明治大学商学卒・馬琴師匠弟子)学生時代から雄弁でした。
 師匠は渋い袴姿。きりっと締まっております。
 「講釈師見てきたような嘘を言い。調べてきても嘘を言いと師匠の語りが始まりました。流石講談界最高峰の師匠。歯切れ良く話が進みます。戊辰戦争に纏わる咸臨丸の清水港での様子、その中で港に浮かんだ死者への次郎長の関わり。清水次郎長が義侠と言われた人生後年の物語ですが、山岡鉄舟に出会った次郎長は様々な事業を起こし、冨士の裾野の開墾、英語塾の開設など清水出身の馬琴師匠らしく語りました。
 竹内宏先生の「次郎長の経済学」によりますと、社会貢献をする次郎長像が良く分ります。
 
 清水次郎長にしても国定忠治にしても元は講談に始まり、音曲の入る浪花節に移り、更に全国的に有名になったのは歌謡曲があってのことという話は一つ勉強になりました。

 宝井馬琴ビジネス講談の夕べ

                                    (以下続く)

付録」今年の漢字 選挙用語ですかね。次郎長を見習え。

               宝井馬琴ビジネス講談の夕べ




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居ながらにして紅葉狩

 なかなか遠出は出来ませんが、友人、知人はまめに出かけ、風物の写真で私を楽しませてくださいます。またブログでも掲載しております。
 私は居ながらにしてその恩恵を頂き、楽しんでおります。桜、コスモス、彼岸花、最近のは紅葉です。折角の写真ですので掲載したくなります。まとめて掲載させて頂きます。

            居ながらにして紅葉狩


            居ながらにして紅葉狩


            居ながらにして紅葉狩


            居ながらにして紅葉狩


            居ながらにして紅葉狩


               居ながらにして紅葉狩


              居ながらにして紅葉狩

 写真は「I.H氏・江戸っ子さん・せつこさん」のを紹介させて頂きました。


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記憶も覚えも悪くなりました

 昔、大学の先生でも一々手帳に書き込んで置かなければ駄目なのかしらと、何か不思議に思っておりました。ところが自分が40歳も過ぎる頃になりましたら、何時の間にか手帳に予定を書き込むようになりました。
 年齢が進むに連れて書き込む内容も増えております。それと比例し見る回数も増え、また見ることを忘れてしまうことも増えて来ました。
 手帳が見えないと、外の事を放って探します。それもキチンと置き場所を決めて置けば問題ないとは分っておりますが、ハンドバックに入れ換えると駄目です。大きいバックから小さいバックに換える時が分らなくなる一番です。
 男性(夫)はどうしてそんなにバックがいるのかと訝るのですが、其処はTPOというのでしょうか、どうしても増えてしまいます。あまり無造作にも出来ませんしね。
 で手帳や筆記具を一緒にし、それをそっくり入れ換えるときに、持つバックに入れれば問題はないのです。ところがまたこれも幾つか袋を作ってしまい、そのどれに手帳があるのか、ショッチュウ探しております。
 手帳はどこかにありますし、探せば記帳されておりますから、左程の大きな問題ではありません。
 ところが、例えば宝くじの当り券、商品券、招待券などは忘れることはありません。4,5年くらい前のこと位でしたら、日常の瑣末なことでない限り覚えております。誰と何処に行ったとか、高級なものをご馳走なった事などは特に忘れませんね。味までも覚えています。
 「記憶にありません」とは良い言葉ですね。夫に借金をしても「記憶にありません」と言ってみたいものです。
 つい最近ニュースになったのが「チンパンジーの子供は、大人のチンパンジーや大人のヒトの記憶力を越えているようだ」ということです。
 孫と神経衰弱やパズルをすると完敗します。ヒトでも記憶力や推察力は子供が勝るようですね。ヒトは高齢になると尚いけませんね。それが顕著になってくるようですね。
 そう思っていましたら、来ました。パロディー。早速掲載いたします。

         記憶も覚えも悪くなりました




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明大マンクラ演奏会

 昨日は2年振りに明治大学マンドリン倶楽部を迎え、演奏会を開催することが出来ました。
 
              明大マンクラ演奏会

 学生は40名近い人数で午前9時半に会場に到着。リハーサルを済ませ、開演に備えました。
 主催する明治大学校友会我孫子地域支部、柏地域支部の役員は9時に集合。実行委員長の説明で役割とスケジュールに沿って動き出しました。
 プログラムに外の団体のチラシを入れ込む作業もあり、また場内外整理の方々は確りと落ち度のないよう整備をし、お客さまをお待ちしました。
 
           明大マンクラ演奏会

 今回初めて昼夜2回の公演。昼のお客様は殆んど高齢の方でしたが、夜はやや年齢が下がっているような感じでした。昼のチケットは売り切れ、夜の方は随分心配しておりましたが、殆んど売れました。会場が我孫子駅側というのもよったと思いますね。
 係り一同も何だか気分が晴れやかな様子。良かったです。
 私は昼の部を見ることが出来ました。マンクラ演奏は数え切れないほど聴いておりますが、地元で聴くことが出来るのは嬉しいですね。
 演奏は第1部の古典音楽のオープニングの校歌に始まり、第2部日本の調べ、第3部限りなきマンドリンの世界へと続きました。アンコールに応え2曲もサービスしてくれました。その1曲はマツケンサンバです。指揮者の川瀬健君(農学部4年)を先頭に8名ほどの部員はキラキラの衣装に房つきの棒を両手にし曲に合わせて踊ります。会場一杯に楽しい気分が広がり全体が学生と一体になったような熱気に包まれました。若者らしい熱演と演出が何よりです。好感を持てれているのが強く感じられました。
 演奏終了後マンクラのCDを買う方もおり、学生もキビキビと動いておりました。倶楽部の学生は実に礼儀正しく、無駄話などをする風も無く感心してしまいました。学生服に明治のバッチを付けた学生の姿は可愛く、孫を見ているような気分になります。
 
            明大マンクラ演奏会

 入れ替えもスムーズに行き、午後9時過ぎに学生を送り出し、ホッとしました。今日も葉山の方で演奏するそうですが、今年最後の演奏会になるそうです。
 先に帰宅していた夫は「校歌の演奏が始まったら、何だか目頭が熱くなったよ」と言います。明大校歌は素晴らしい校歌です。
 2年後の公演にも元気でお手伝いできればうれしなーと思っております。
 演奏中の撮影はお断り。舞台の写真は撮っておりませんので掲載できません。演奏風景は次の機会にぜひご来場頂きご覧になって頂ければ大変嬉しく思います。


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透明度不明

 2007年10月1日。この日郵政民営化が実現し、新会社の日本郵政株式会社が郵貯の4本柱の委託業務を発足させました。
 10月1日郵便を出すため郵便局に行きました。記念切手が発売され、改めてこの日に思いを致しました。
 
           透明度不明

 
           透明度不明

 教室での話題や周囲の人の情報は余り芳しいことでははありません。民営化に伴う業務の自動化に馴染めないと判断し、高齢の局員が退職しているということ、また果たして将来まで絶対に郵便業務が続けられるかどうか住民の心配は大きいのでは無いかと言った話題が出てまいります。収益が悪くなったら撤収するのではないか、政府は絶対に心配ないという保証をしておりますが、果たして本当でしょうか。不安を持つ方は多いのではと思います。
 卑近な例を挙げてみましょう。親しい方がガイドをしておりますが、彼女は添乗で出かける際には貯金通帳を持って行き、出先の郵便局で貯金をし、記念のスタンプを押して貰って記録にしていたそうです。そういう彼女のことを知るお客様は一緒にスタンプを押して貰い記念にしていたそうです。彼女は休憩時間、お客さんの通帳も預かり、自分と同じように入金して差し上げ、喜ばれていたそうです。ささやかな庶民、高齢者の楽しみでした。
 
         透明度不明


         透明度不明

 この民営化に伴い、仕事が一括同じ方法で処理されることから、スタンプは何処でも出来なくなってしまったそうです。
 地元ならではのサービスも出来なくなり、話を聞くだけでも何か心配になって来ます。



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選挙はスーパーストレス

 TVではどうも衆議院選挙が近づいているのではと思わせられるような報道が多くなってきました。曰く地方での運動の動き、派閥の合流、各党の人選の話題、小泉チルドレンの今後等など。
 先に黒川紀章氏は2007年4月の東京都知事選、2007年7月の参議院選に出馬。いづれも落選しましたね。参議院選では若尾文子夫人も立候補、一緒に落選しました。その話題も未だ消え去らぬ10月12日に急逝。世間を驚かせました。才能もあり、気概があり、財力もあり、社会貢献をすべく政治の世界を目指したのでしょう。
 選挙は過酷なものだろうと想像します。余人には窺いすることの出来ない重石があることでしょう。当選すれば一気に心身が開放されるのでは無いかと思います。落選はストレスが更に加わります。正直な熱血漢は落選すれば図々しい人間より遥かに大きなストレスとなりましょう。
 そんな厳しい選挙に打って出た明治の先生がおります。鈴木武樹先生です。1977年7月10日の参議院選挙に出馬。落選。その後癌に罹り、1987年3月27日にお亡くなりになりました。
 鈴木先生は1972年、73年と学生相談員として和泉校舎の相談室で学生の相談を受けておりました。クイズダービーという番組にも出演されていたこともあり、話題が豊富で、相談室の夏期研修会での夜の懇談には私どもの知りえない世界の表裏に参加者を楽しませ、喜ばせて下さいました。サービス精神に溢れており、元気者。深夜までも喋り続けて、なお力が余っているような、そんな疲れを知らないというような方でした。
 
             選挙はスーパーストレス

             (相談室セミナーでの朝食・旧仙石寮)
「皆さん会社組織にしてはどうですか。私は女房が社長の会社に収入を振り込んで、其処から給料を貰っていますよ」「でもこれは誰にもできるという話ではないでしょ。先生は彼方此方から収入があるからでしょ」と話題になったのが思い出されます。
 選挙は当選が一番。落選は体に毒。


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少しお待ちくださいね

 中国語を習い始め、暫らく経ったある時、突然気が付きました。
請等一下」という言葉は若しや「チントンシャン」ではないかと言う事です。「少しお待ちください」と言う意味です。
 その頃NHKで知りたいことと言ったような番組があり、質問の葉書を出しました。取り上げられなく終わりましたが、中国語のクラスの同学にNHKの職員の方がおりましたので、伺って見ましたら恐らくその通りでしょうと返事を頂きました。
 それ以来、三味線を弾く座敷に中国のお客様が見えて、そういう言葉を使い、それを芸者が取り入れたのではと想像しておりました。がそういう環境にあったのは馬関芸者?横浜の芸者?それとも長崎辺り、また門司辺りの芸者?でもいま一つ決め手がありません。昔は来日していた中国人は殆んど出稼ぎが中心で、芸者遊びが出来たとは思えなかったからです。
 青島満帆に戦前の芸者の写真が掲載されていました。謎解きが一歩進んだような気がしました。

             少しお待ちくださいね

 青島満帆によりますと、青島1939年の在留邦人26700人中芸酌婦・仲居は911人ということで、かなり多くの女性がそういう職についていたいたことと言えます。
 敷衍すれば、遥か昔から上海、大連など日本人の多く住む街では芸者がいたことではないかと推測したくなります。
 そう仮定しますと、この「請等一下」は日本ではなく、中国に住んでいた芸者が使い始めたのではないかと、思い始めたことです。
 どなたかご存知でしたらお教ください。
 (馬関=昔の下関を指します。明治の元勲伊藤博文公の夫人がこの馬関芸者だったことは有名です)



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師でなくても走ります

 12月ももう3日。アッという間です。分っていますが歳のせいか、なにか切羽詰まらないと動かなくなって来ております。11月15日のパーティーが済み気がゆるみ、原稿を気にしながら過ごしてしまい慌てております。明日は何とか始末をしなければと思っております。
 昨日は昨年のアクシデントに懲り、年賀葉書の準備に後輩の手を借りました。まだまだ一人でPCを使いこなせません。
 インクジェットの葉書は早く無くなると聞きましたので、先ほど買いに行きました。送る人のもプレゼントが当たる応募葉書が年賀葉書50枚につき1枚が付いて来ました。序に干支文字の切手シートを1枚買って来ました。
 
          師でなくても走ります

 今日は一階の小さなスーパーでもクリスマスツリーが置かれました。クリスマスプレゼントの用意、お歳暮の注文、何やら急かされます。皆さんが忙しげに走りだすと気になります。困ったことです。さしたることをするわけでもないのにです。
 葉書を買い帰って来ましたらI.H氏から封書が来ておりました。中に「今年逝った人の天国と地獄」という写真が入っております。ご覧下さい。

         師でなくても走ります

 私は地獄は嫌ですね。誠実に、正直に、元気に過ごしたいものです。


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姑娘とアマ

 青島での生活で母の助けになったのは李村から来た女性でした。若い16,7の女性は「こい蘭」という名の働き者でした。頭が良く、気働きもなかなかで母は何時も褒めていました。
 彼女は着るものを2枚しか持っておりません。働き着ともう一枚。李村に帰る日に着るのがスペアのものです。また洗濯するとそのスペアのを着ます。大事に大事にしておりました。どういうわけか髪の手入れは熱心で、前髪を少し垂らし、すっきりと束ねて赤い紐で結わえております。櫛を大事に持っておりました。
 アマも李村から来ました。弟のお守が仕事です。毎日弟を連れてアマ仲間の所に出かけます。纏足ですから何となくぎこちなく見えます。それまで余り食べていなかったのか、食事の量が物凄く、母が「毎天、毎天、明天もその次もずーと食べられるから」と言っても駄目です。お腹を壊しても食べます。母は随分心配し困っておりました。段々体重が重くなり、とうとう台所の床を踏み抜いて仕舞いました。纏足の先端に体重が全部乗ったのでしょう。驚きました。
 
             姑娘とアマ

 父が勤める会社の姑娘が時々遊びに来ます。綺麗な旗袍を着てきますから良家のお嬢さんだったかも知れません。その姑娘、冬になると毛皮のコートを着てきます。そのコートのポケットからお菓子を出して私に呉れますが、袋に入れてなく、ポケットにそのまま入れたものです。これも母が困っておりました。
 
               姑娘とアマ

 アマは既婚。姑娘は未婚。それぞれ家族のために働きに来ておりました。私は「こい蘭」と仲良しでした。今では会うことも出来ませんでしょうが、もし会うことが出来れば会いたいものです。
 
(写真は中国老旗袍から転載・写真は拡大できます)



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おこぼれ?

 中国山東省に坊子と言う街がありました。現在は維坊市の中の区となっているようです。 
 1940年頃そこに駐屯していた日本の部隊があり、高知県の部隊だと聞いておりました。その部隊の酒保(部隊の中の売店)の責任者は小路さんと言う軍曹。炊事の責任者は松本さんと言うやはり軍曹。二人は物資の買出しに時々青島に出張して来ました。
 どういう経緯かは知りませんが、我が家に必ず寄って帰ります。そのうち松本さんの2号さんを預かることになり、若い彼女も高知県の出身と話しておりました。
 ある時、小路さんと松本さんは私を坊子の兵舎に連れて行くと言い、私は夜行で坊子に向かいました。夜が明けて外を眺めますと一面高粱畑です。はるか彼方にポプラが何本か見えます。列車が進んでもポプラはズーと一緒になって走っているように見え続きます。中国大陸の広さを実感しました。不安がありましたが、小路さんが射撃の名手と聞いておりましたので半ば安心の旅でした。

              おこぼれ?

                (坊子の兵営入り口)
 兵舎の炊事場は物凄く広く、揚げ物は大きな網に並べ、見たこともないような大きな油の鍋に滑車で降ろし、出来上がると網が引き揚げられます。全てが大掛かりです。
 炊事の責任者の松本さんの食事だけは特別な料理です。
 その松本さんが我が家に持ち込む正月用品は物凄い量で、玄関から更にその奥まで積み上げられます。これは2号さんへの物ではなく、我が家へのプレゼントです。
 現在山田洋行の水増し請求が問題になっておりますが、あの品物もそういった類の物だったのではと思います。物資を扱う人間はいつの間にか利権が当たり前になってしまうのでしょう。軍曹という下士官が女性の面倒を見られるということはどう考えても不自然です。
 暫らくして部隊が南方に移動することになり、女性も帰国しました。 青島の埠頭に母と送りに行きましたが、彼女はブルーの素敵な旗袍に白いコートを合わせ、颯爽と青島を離れて行きました。母は以来白のコートが大嫌いになってしまいました。心の中で苦々しく思っていたのでしょう。
 父はけしからんと言いながらも食いしん坊の誘惑には勝てなく、この正月の美味しい物を食べてしまいました。帰国後は反省し悔やんでおりました。(当時のことを思えば仕方が無かったことだったと思います。縁が持ち込んだことです。悔やんでも反省してもどうなるものでもありません)


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相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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