2008-01

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中国現代史ポスター

 26日の中国語の授業に「日経マガジン」1月号に掲載された「ポスターに見る中国現代史」を同学の方が持参し、老師に差し上げました。ポスターは多摩美術大学教授の秋山孝先生のコレクションです。

         中国現代史ポスター


中国現代史ポスター

 私の習う中国語の老師は1962年8月北京師範大学を卒業。北京郊外で国語の教師となりました。まだ文化革命は始まっておりませんでした。老師の過ぎ去った日々で印象の良かった思いでは中学1年生から高校2年生の頃だったそうです。
 教師になってから文革が始まり、生徒の追及に苦しんだ時もあったそうです。
 その頃、聴こえて来た有名な二胡奏者、盲目の阿炳の奏でる「二泉映月」に慰められたそうです。切ない気持ちが分るような話でした。
 老師の奥様の父君は蔡鍔の子息です。文革の時は右派とみなされ、青海省に送られたそうです。老師は中国のこれからを大変気にしております。あまりに難しく、判断が出来ないと話されております。
 ポスターは大変喜ばれて暫らく食い入るように眺めておりました。「知っている。懐かしい」と何度も繰り返し言いまして、それから次々と中国の政治体制の移り変わりを解説。老師は年号をきちっと板書し、毎度の事ながら感心します。

                中国現代史ポスター


             中国現代史ポスター

 心中はかなり複雑では無かったでしょうか。様々なことが去来したはずです。
 このポスターを辿りながらいろいろな言葉が出てきました。
 「烙餅=翻過来 翻過去 次々変わること」「智嚢団 ブレーントラスト」
 「投鼠忌器=ネズミに石をぶつけたいが、傍らの器物を壊してしまうのが心配である。悪人や悪習を除きたいが、はたへの影響を考え合わせると思い切ってできないたとえ」
 中国語は短い言葉で多くのことを表現できるところが面白く、感心します。



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孫の舌鋒

 頓に舌鋒鋭くなって来た、二女の娘。その矛先の一番は私。毎日指摘されております。
 五歳児ともなるとこうもなるかと呆れ、驚き、また感心しております。
 何事にも興味を持ち、自分でやりたがります。パソコンも自分で立ち上げ、ディズニーのページやゲームに興じております。

                   孫の舌鋒

 毎晩食後はトランプをします。七並べ、ババ抜きその辺までは付き合えますが、神経衰弱となりますと、私は完全に太刀打ちできません。参加に腰が引けていますとすぐに見破り、「取れなくてもいいから」と誘われます。数組をとりますと「よーく出来たね」と少々馬鹿にしたように褒めてくれます。
 カードを間違って開けますと「~」と声の調子が尻上りになり「意味がわからなーい。馬鹿じゃないの」とのたまわります。
 私の顔は色黒のうえに、ほくろ、シミ、そばかす、それに皺となかなか賑やかです。
 大きなルーペを私の顔に近ずけ、「普通のところが何処も無い」と言い放ちます。それが数日前「ばーば普通のところがあったよ」と言います。「どこ?」と聞きました「耳」という答えです。長女は思わず自分の耳を眺め確認「確かに耳は陽に当らないからね」と感心。
 夫も色黒です「ジージどうしてお外に行かないのに黒いの」と先日指摘されていました。
 冬は寒いので目下只管縄跳びに興じております。長縄跳びでは連続400回ほど、二重廻しでは連続15回ほど飛べるようになっております。
 トランプのほかに手拭曳きをします。二人で手拭の端を持ち、膝をおり中腰になって引き合います。これも私は苦手です。中腰になって手拭を持った瞬間既に体勢が崩れてしまい、前のめりに倒れてしまいます。「おばーさんだから仕方がないか」と呆れた声で言います。
 体操教室や新体操のクラブに入っておりますので、いろいろと注文して真似しろと言います。これは全く不可能な話です。開脚など出来るはずはありません。

                   孫の舌鋒

 こうして毎日私は孫の鋭い舌鋒に晒されております。さすが娘たちも同情してくれてはおりますが、笑い半分の同情です。



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バス通学と汽車通学

 1944年は日本が既に制海権、制空権もなくしていた時期になります。中学や女学校に進学した生徒は、徒歩通学以外は、汽車やバス、また自転車で通いました。
 汽車通学は西は勝山、保田から。東は鴨川、小湊から。バス通学は白浜や富崎、西岬から。鴨川の奥の長狭地方や、交通の不便な土地の方は寄宿舎にはいっておりました。
 汽車通学の生徒は車両が男女別々に分けられて乗ります。お互いの顔を合わせないように、前後の一両目に決められています。上りと下りが反対になります。 今の中高生が手をつないで歩く姿とは程遠い毎日です。
 1944年頃の館山の駅には、時々洲崎の海軍砲術学校に入隊する若者が汽車から降りてきて整列しておりました。
            
                  バス通学と汽車通学

 
                   バス通学と汽車通学

               (写真は雅先生の中学数学から今の館山駅)
 白浜から館山までバスで当時は略1時間の道のりです。バスは朝一番のに乗ります。バスですから男女の区別無く、外のお客も一緒です。バスは混んでおりますから、人の体を避けるというようなことは出来ません。男尊女卑の時代ですから、男子の生徒が女学生に席を譲るということも殆んどなく、混むバスの中で、只管倒れないように自分の体を支えるのがやっとのことです。
 それでも汽車通学の生徒はバス通学の生徒を羨んでおりました。思春期ですからね。
 そうは言っても、自宅のある駅に降りれば顔も合わせますし、話も出来ます。ラブレターの交換もあったようです。相互の使者になった方の話も中年になってから耳にしました。


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臘八粥

 中国では行事の多くが旧暦に従って行われているようです。一番は春節の過年ですが、その他清明節とかいろいろあります。農事暦を持っていると便利ですね。
 旧暦12月8日は臘八節と呼ばれ、その日には臘八粥という甘い粥を食べるそうです。これは特に北京での習慣のようですが各地各様の粥が作られるようです。一種の薬膳料理と言えましょう。八種類の穀物や植物の実などを加えて作るようですが、今回中国語の老師が作って下さったのは豪華なお粥です。老師が北京から持ち帰られた臘八児米。とても綺麗です。

               蝋八粥

 今回は粳米、糯米、粟、緑豆、クコの実、蓮の実、うずら豆、松の実、胡桃、栗、棗、サンザシのぜりー、竜眼など19種類もの材料が入って贅沢なものです。
 先々週老師が次回に臘八粥を作られると話されましたので、折角だからと新年会にしましょうと話は即決。休んでいるヤンさんに連絡。彼は手製のシシャモの燻製を下げて馳せ参じました。

               蝋八粥

 お粥は40~50分で出来上がるということで、待つ間はお酒コミュニケーションです。老師が北京でも買えないという老白干、67度という強さ。私はそーと口元にもって行き、舐めました。唇が痺れるような刺激に驚き、一口も飲むことができません。外の方も何時もと勝手が違ったようで、勧められても複雑な表情をしております。

                蝋八粥

 半年振りの会です。老師の北京のお土産話を中心に話は弾みました。話しているうちにお粥が出来上がりました。熱々のお粥は柔らかい甘さで食べ易いものです。
 
                蝋八粥

 時間があまり掛からないのを不思議に思いましたが、老師が北京から持ち帰られたものに特別な処置がされているのかもしれないと、チョッと考えております。



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ダンス活き活きと

 2006年9月30日「端から華のある人」と紹介させて頂いたA.Sさん。あれから更にダンスに磨きがかかり、姿勢は変わらず、何時お会いしても晴やかです。
 ダンスに明け暮れているばかりでは無く、ボランティアにも、自治会の行事にも参加し充実した生活を続けております。
 暮の自治会の餅つき大会でも楽しげにお世話をしておりました。歩いていても立っていても、何処にいても華があります。
 正月過ぎ久しぶりに立ち話。会えば私も好きなダンスの話になります。(私は医師の勧めでダンスを習った経緯があり、私の先生はA.Sさんも知るダンス界の長老。そんなことで楽しさも苦しさも共感できます)
 今年の「プロ・アマダンス選手権大会」のポスターにA.Sさんの写真が掲載されているという、嬉しい報告です。

              ダンス活き活きと

 ポスターに掲載されるということは、カップルの全体像が素晴らしいからでこそと思います。
 高齢者にブームとなっている社交ダンス。社交ダンスは心身の健康にとても良いものです。ダンス人口はかなりの数になっているはずですが、ポスターにご自分の姿が載るとはA.Sさんも想像外のことではなかったのではないでしょうか。
 この選手権大会に挑む方は全国では数知れず、その先駆けとなるポスターにご自分の姿を見つけた時、心は喜びと感動で一杯になったことでしょう。年初から嬉しいニュースです。
 技量、パートナーとの一体感、踊る姿の美しさ。すべてが整っていなければ掲載されないと思います。このポスターは全国のダンススタジオに1年間掛けられるそうです。拍手!拍手!
 私も嬉しくなりました。「ポスター借りられません?」と伺いましたら、手元のチラシならとお借り出来ました。
 スキャンして大きくし眺めて見ました。躍動感溢れております。ドレスが体の動きにそって靡き、見事な姿です。
                     
             ダンス活き活きと

 前回の記事に掲載しましたように癌を病んだのですが、ダンスはすっかりと癌を蹴散らしてしまったようです。前回掲載した一枚を再度紹介させて頂きます。実に愛らしく素敵です。

                ダンス活き活きと

 彼女は昨年は喜寿のお祝いも済ませました。
 ViVaダンス!! これからもダンスを柱に活き活きと過ごされ、再再度ここに登場して頂けることを期待しております。



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チャイナドレスは素敵だ 45

 旗袍(チャイナドレス)は多くの皆さんが「着たいけれスタイルが悪いので着られない」「着るのが恥ずかしい」「着てゆく場所が無い」などといろいろ考えるようです。
 キラキラしたようなものでなく、着ていることを意識することなく、洋服を着ている時と同じように落ち着いていられるのが一番です。それには先ず上着・ブラウスと同じ感覚のものをお勧めします。こういった上着は気軽に飽きなく着る事が出きます。生地も端切れで済みます。
 スタイルブックでも簡単な作り方がよく見られます。試してみては如何でしょうか。慣れましたら、ワンピース型のも安心して着ることが出来ると思います。

 
              チャイナドレスは素敵だ 45


                  チャイナドレスは素敵だ 45


                 チャイナドレスは素敵だ 45


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寒中水泳

 1944年に千葉県立安房高女に入学。1945年8月15日に日本は負けました。
 1945年に入ると戦況が厳しくなり連日のように空襲に襲われるようになりました。生徒は勉強の傍ら、学校から離れた処に木材を運びに行きました。二人で一本の松の生木を担いで来ます。その木を並べて屋根にし、上に土を盛りクラス毎の防空壕を掘りました。
 日本が負けた日は自宅で天皇の放送を聞きました。当時の言葉で支那帰りということで、やや異端児扱いされていた私に自由が戻りました。嬉しかったですね。
 その後学校も平常に戻り、館山航空隊で使われていた落下傘を体育館で解き、高級なシルクを全生徒で分けたりしました。
 この安房高女には公認プールがありました。戦後の1946年に千葉県中等学校水泳大会が開催され、私は他の3人と自由形リレーに出場し優勝しました。皆さんには信じられない話でしょう。(立教大学水泳部のキャプテンだった太田光雄さんの指導を受けました)懐かしい思い出です。
 館山北條海岸では今年も19日に寒中水泳が行われるそうです。1948年から続いている行事だそうです。1948年の第一回のそれに私たち水泳部の全員が参加しました。
 (一番が好きな私。このときも最初ですね)

                     寒中水泳

                      (館山市のHPから転載)
 女子は水着を着ておりますが、男子は上半身裸です。
 北條海岸に並び、準備体操のときから体が振るえております。寒さのせいばかりではなかったでしょう。当時は食糧不足で栄養が足りていません。
 掛け声で一斉に海に入って行きます。冷たさがズーンと体を襲います。僅かな時間でしたが、「上がれ」の合図で砂浜に戻りました。歯の根が合いません。ガタガタと体の振るえが止まりません。言葉もはっきりと出てきません。多分唇は紫色になっていたと思います。歩くにも腰が伸びません。体をどう拭き着替えたかは覚えておりません。温かい飲み物は恐らく配られたと思います。若かったから出来たことです。

 今では参加者が1000人近くもあるそうで、 昨年は80歳台の方も参加したそうですが、どういう方でしょうか。心配してしまいます。


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忘れたことも忘れる

 直線距離で約100メートルの所に、コンビニがあります。時々孫たちのことで利用しますので、お店の人は我が家の家族構成を良く知っております。
 コピー機の横に週刊誌の棚があり、若い人が良く眺めております。あの店の外に向いて読む様子。どこのコンビにも同じですね。皆さん買わずに見ているようですが、何か一品でも買って行かれるのでしょうか。
 先日コピーをするのに、行きました。横の週刊誌の並ぶ一番前に「CHAI」が並んでおります。

             忘れたことも忘れる

 この辺りでもこういう雑誌を読む方があるのかしらと。その瞬間、先日自分がコピーをする時忘れたらしいと、気がつきました。
 でも仕入れているのかも知れないと、カウンターに行きました。「あの本は仕入れているのでしょうか」店員さんは台帳をだして調べております。「ここでは仕入れておりません」との返事です。
 「実はアレは多分先日私がコピーをするのに持って来たものだと思います。頂いてよろしいでしょうか」「どうぞ、どうぞ」 次に使った方が棚に並べてくださったのですね。
 持ち帰りました。忘れたことも忘れていたのです。5年後「あなたの忘れ物ですよ」と言われても、そのような物は知りません。記憶にございません。買った覚えはございません。そんなこと関係ない、関係ないとなったらどうしましょう。気を取り直し夢をみましょう。老人になったら私も政治家になれるのかもしれませんね
 「CHAI」がテーブルの上にありましたら、目ざとい長女がそのことを覚えており、そうそう、そう言えばとダメ押しの話となって仕舞いました。うっかり、あわてんぼ、せっかち、ぼんやりと孫に烙印を押されておりますが、集中力や注意力が衰えているのですね。困ったことです。



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冬の葡萄

 知り合いから葡萄が届きました。「スチューベン」という種類です。

           冬の葡萄

 説明によりますと甘さはどの種類のぶどうよりも群を抜いているほど。ニューヨーク農業試験場で生まれた品種「スチューベン」は、気候・風土が似ている青森でジューシー&ヘルシーに育ったぶどうの最高傑作。
      出荷は 農業法人 津軽ぶどう村。

          冬の葡萄

 種ごと食べられるということですが、私にはそのまま食べることは出来ません。種は残しました。程よい歯ごたえ。甘さは確かに甘く、後で確りと歯磨きをしなければならないほどです。

           冬の葡萄

 20年ほど前、「新高」という梨がお歳暮に届きました。「随分おかしいわね。季節はずれの物を送って来るなんて」なんて言いながら食べてみましたら美味しいのです。知らないとこういう言葉が出てきます。梨の出回るのは秋と昔から言われていましたが、今は8月には店頭に並びます。
 葡萄も秋でした。それでも徐々に早くなってきました。その葡萄を真冬に食べるということは、生産者の努力の賜物でしょう。
 こういう食べ物は何時が旬と決めるのかが難しい時代になっております。随分昔から野菜に季節感が無くなったと言われております。
 今、学校の授業では旬の中身をどう教えているのでしょうか。難しいことでしょうね。
 
 話が食べ物のこととチョッと違いますが、私の友人は子育ての頃、大変忙しく洗濯は夜中にする毎日でした。小学生の子供は学校のテストで洗濯は何時しますか、という設問に夜と答え、×を貰いました。母親は学校に抗議をしたそうです。若しかしたら親に洗濯を任せているような先生だったら想像もしてなかったことかも知れませんね。
 
 時代の変化と多様性には迷うことが多く、子供を相手にする先生は本当に大変だなーと改めて感じております。


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日本語作文

 昨日の朝日新聞夕刊に掲載、紹介された段躍中さん。在日中国人の情報誌「日本僑報」の編集長ですが、日中両国で作文コンクールを続けられており、今回「第三回中国人の日本語作文コンクール」表彰式のために広州を訪問されたということです。このコンクールには中国の99大学から約1500人の応募があったそうです。

           日本語作文

 昨年11月に私が主催した中国を楽しむ交流会に出席された、元明治大学教授の中島公子先生のご縁で「第二回中国人の日本語作文コンクール受賞作品集」を頂きました。
 
           日本語作文

 第二回のコンクールには中国の24省市区、109大学1616編の応募があったそうです。
 受賞作文のテーマを拝見しますと、皆さんの視点が多岐に亘り感心します。第二回の「壁を取り除きたい」というテーマはこれからも繰り返し、作文の中に現れてくることでしょう。
 多くの中国の大学生が日本語を学ぶ時代ですが、また日本の大学でも中国語を学ぶ学生が増加してきております。若い人の相互理解が進むことを私も期待してやみません。

段さんのブログはここからご覧下さい。

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お別れ遠足

 1940年の正月過ぎ、小学校の2年生も終わる時期になってきました。中国青島の第一日本小学校では学年のお別れ遠足が実施されました。
 行き先は広々としたところです。春のお花見遠足にも行きます。何回行っても飽きません。四季折々の風景があります。第一公園と言われる公園で、現在は中山公園と呼ばれている青島第一の立派な公園です。
 
                お別れ遠足

 左側に座る古賀光一先生はこのクラスの担任を最後に税関に転職をしてしまいました。
 学校の西の門の前の洋館に素敵な奥様と住んでおり、登校途中、先生が税関の背広をまとい出勤する姿を眺め、もう教えてもらえないなーと、少し感傷的になった記憶があります。
 戦後は鎌倉に住まわれ、書店主をされていたそうです。一度訪ねたいと思いながら、果たせずに終わってしまいました。
 古賀先生は作家の南條範夫さんの弟です。
 この遠足のあと、4月から第三小学校が開校され、ここに並んでいるクラスメートの何人かは第三に移ることになっておりました。お別れ遠足は本当のお別れ遠足となりました。今メル友としてメール交換をしている方も写っております。良く眺めますと当時の面影が今も変わっておりません。
 私はまだ田舎から出てきたばかりの少女?当時から太っております。変わらないものですね。(私はどーこか?)
 この公園の池は冬になると氷結しスケート場に変わります。父と一緒に滑ったのも懐かしい思い出です。今年はまだ氷は見られないそうです。青島も温かいのでしょうか。
 8月8日には青島でも豪華な北京五輪開会のイベントが繰り広げられることでしょう。


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突発性難聴

 2005年12月29日午前。孫からの電話。ブリキのおもちゃのゼンマイが切れるような声が聞こえてきました。「あの子の声は何だろう?」と不思議な気がしておりました。
 午後になりましたら、私の話す声、また聞こえてくる声や音がおかしく、オヤ?何だろう?と左右の耳の中に指を入れて、片方ずつの音を遮蔽してみました。
 左耳が全く聴こえません。これはひょっとしたら突発性難聴かもかと、夫に伝えました。夫は以前、耳が聴こえなくなり、おかしいと神尾記念病院で診察を受けたところ、耳垢が一杯で、それを取って頂いた経験がありました。

           突発性難聴
 
 年末で仕方がなく、ともかく正月過ぎに真っ先に神尾さんに行くことにしました。
 1月4日朝早く、御茶ノ水の耳鼻科専門病院の神尾記念病院に駆けつけました。
 診察の結果矢張り突発性難聴でした。早速その日からステロイドの投与を2週間受けました。またその後、もう一回1週間ステロイドの投与を受けました。
 聴力は少し上り、その後は経過観察が続いております。
 この病気は最近歌手の浜崎あゆみさんが告白したということで、話題になっておりますが、ともかく「聴こえないと気がついたらすぐ専門病院に行くことです」私は年末ということで、治療に入るにはぎりぎりのところでした。
 原因は未だ確実にこれといった決め手はないようです。私の場合の考えられる原因は、12月半ばに中国に出かけたこと、1月早々ラジオの生番組に出演することになっていたこと。恐らく疲労とストレスが重なった為ではないかと思っております。
 きかん棒の孫曰く「みんなが迷惑しているのだから、補聴器付けなさい」でも今の所は付けずにおります。鶴田浩二よろしく収音のために耳に手を当てて聞き取るようにしております。それでも家族は時にいらいらするようで、大声を出します。
 難聴になって気がついたことは、ピアノの音が記憶にある音と違って聴こえ、暫らくは練習に困ったことです。また下手な歌が更に下手になってしまったことです。音程が狂うのです。
 教室で生徒に難聴のことを話しましたが、回りには突発性ではないけれど、難聴のかたは結構多いということが分りました。
 自分で掛かって知ることもあり、病を教訓に人に役立つ情報を発信することも大事なことだと痛感しております。


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不思議なすし屋

 JR御茶ノ水駅から明治大学へと向かって左側を歩いて行きます。杏雲堂病院まで行かず、その手前に「寿司よし」という古い寿司屋があります。不動産屋さん流に言えば御茶ノ水駅徒歩3分。大通りに面し、人通り多し。最高の立地条件という場所です。
 入り口は奥に引っ込んでおります。明大の政経学部の先生方がよく行かれる店でした。特に国語の松山亮次郎先生のご贔屓の店です。1970、80年頃、松山先生と一緒にお昼をそこで済まされた先生や職員の方は結構いられた筈です。
 この店、儲けなどどうでもいいといったところが、松山先生がお気に入りだったようです。

           不思議なすし屋

 ご相伴したことが何回もありましたが、無愛想、気を使うことは何処もなく、味も特別ではありません。お酒は美味しいそうですが、女性にとってはあまり魅力がありませんし、一人で入って行くのも何か気重な店です。ところがご贔屓にする方が結構いるのか、今も潰れることもなく、商売をしております。ひょっとしたら過って知っていた店と違っているのかも知れません。
 
           不思議なすし屋

 昔から広くない間口に大きなバイクが置いてあります。店先を広げ、前に出し、売り上げを伸ばそうなどとは縁がなさそうです。(一度建替えた時もです)
 昔松山先生に伺ったところによりますと、ご主人は資産家で夏は避暑に行くので休みが長く、気ままな商売をしていると言うことです。どうも大学の先生と波長が合うのはその辺なのでしょうか。
 松山先生とは定年後も時々お昼をご一緒しましたが、「寿司よし」には一度も行くことはありませんでした。時々前を通りますが、店頭の様子から見ますと、店主の気分は今も変わらないようです。それにしても、今時こういう店が潰れずに残っているのは不思議なことに思えます。



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柳家紫文さんおめでとう

 昨日の朝日新聞夕刊13面。「初春メデタイ伝統芸」で四人の方が紹介されていました。
 その中の一人が柳家紫文さん。「オーオー!!紫文さんおめでとう」と心の中で声をあげておりました。春から嬉しい記事の掲載です。

          柳家紫文さんおめでとう

 数年前、屋形船で芸人さんをお呼びし一夜楽しみました。中国服の生徒のご主人のお世話で、オパール・ネットワーク我孫子支部の行事です。
 お呼びしたのは柳家紫文さんと東京ガールズの皆さんです。
 江東区の木場の吉野家さんに集まり、屋形船に乗り込みました。乗り込むときお囃子で賑やかなお迎えです。なかなかいい気分です。時期は冬。天気は雨模様。大型の屋形船は定員の半分の人数ですので、ゆったりとしております。

          柳家紫文さんおめでとう

 バラエティー邦楽ということで、歌あり、踊りあり、寸劇あり。とに角面白くて皆さん大喜びです。海を眺めるのも忘れるほどの熱気に包まれ、船べりにチョッと出ますと寒い風が心地よく感じられます。
 紫文さん初め芸人の皆さん芸をしながらも、お客様にサービスこれ努めます。天麩羅は勿論ですが、冬場ですから寄せ鍋が出ました。参加の皆さん大満足。屋形船に芸人と一緒に乗り、芸を楽しみながら鍋を囲む。なかなかいいでしょ。
 
          柳家紫文さんおめでとう

 2時間でお台場コースを一周し岸に着きました。紫文さんと東京ガールズのお囃子に送られて舟を降り、皆さんとの楽しい時間が無事に終わりました。芸人さんと一緒の屋形船に乗るということは男性の参加者でも始めて方が殆んどで、女性方も初めてという方が殆んどです。芸人さん達のサービスで主催者一同も細かい気遣いをせずに、一緒に楽しめた夕べでした。
 紫文さんの年賀状はなかなか洒落ております。

         柳家紫文さんおめでとう

 時々参加された方から「また乗りたいですね。やってください」とお声を頂きますが、人数集めはチョッと大変です。でも私も出来ればねーと思うこともあります。紫文さんその時はよろしくね。


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白浜小学校

 昭和13年4月千葉県館山の北條小学校に入学。間もなく父が華北電電へ派遣され、家族は父の実家に引越し、私は安房郡の白浜小学校に転校。そのご翌年夏には中国青島の第一日本尋常小学校に転校。昭和17年晩秋に再び白浜小学校に戻って来ました。
 昭和51年11月1日に「母校白浜小学校を愛する会」は「わが校のあゆみ」と題する100年誌を発行しました。
 この中に大正14年に卒業をした母の一文も掲載されており、母はこれを私たち子供5人に送って来ました。

               白浜小学校

 この写真の左隅に母の実家がありました。学校の裏門から駆けつけ、祖母が留守でも仏壇に供えてある果物を勝手に頂戴し、図画の写生の教材にしたことが何回もありました。
 この記念誌の中に思いがけなく私が学芸会で踊った写真が掲載されておりました。この写真も両親が引き揚げの際、焼き捨ててしまい我が家にはありません。
 この踊りは間もなく開催された安房郡の大会で一位になり、父の知人が新聞を送って下さり、父は大変喜んで呉れました。題は「兵隊さんよ有難う」?戦時色にピッタリのものです。

            白浜小学校

 写真の右の部隊長らしくサーベルを立て座っている方は桜ゴムの社長になった竹口弥太郎さんです。(安房高校の同窓会の東京支部のお世話役を引き受けています)
 手にとって見ますと僅かの間の在校でしたが懐かしく、いろいろと思い出します。


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謹賀新年

         明けましておめでとうございます。
 
             謹賀新年

 昨年中は皆さまの助けとご協力を頂き、様々なことを乗り越えることが出来ました。
 中国服(旗袍・チャイナドレス)を学び始めて30年を越えましたが、教室も楽しく生徒さんと和やかに過ごして参りたいと念じております。
 皆様のご理解のもと、なお努力をして、未完の仕事を一歩づつ進めて参りたいと思っております。
 2008年8月8日には北京オリンピックが開催されます。この機会に多くの方が素晴らしい旗袍(チャイナドレス)を理解して下さることを心から願っております。

          謹賀新年

 世情何かと気になることが多くありますが、好きなことが続けられる幸せを感謝し過ごして参ります。
 至らぬことだらけでございますが、変わらずご厚誼のほどお願い申し上げます。



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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日85歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになりそうです。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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