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2008-02

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心理学者 堀淑昭先生

 堀淑昭先生と初めてお会いしたのは1958年の冬でした。明治大学に学生相談室を置くことが決まり、法学部助手の堀先生を相談室にお迎えすることが決定され、担当職員として学生課の杉原方平さんと私がその仕事に携わることになりました。
 政経学部の松山亮次郎先生と中野渡信行先生を中心に相談室創設準備委員会が発足。それに杉原さんと私が加わり、創設のチームのメンバーが構成されました。大学との折衝は永田正学生部長と才木梅次郎学生課長があたり、1959年4月に創設の産声をあげることが出来ました。(堀先生は同時に法学部の専任講師に就任されました)
 和泉校舎に設けられたのは木造二階建ての一棟。部屋数は4室もありましたが、隙間だらけの酷いものでした。
 堀先生は私と同じように常任者の如く、学生相談の仕事に励みました。初期ということは全てが始めての経験。試行錯誤の毎日でした。
 堀先生はカール・ロジャーズの非指示的カウンセリングを中心に学生の相談を受けカウンセリングをしておりました。私は必ずしも堀先生と考えが一致するわけではありませんでしたが、学生相談室運営の面では同志であり、強い絆があったと今も思っております。
 今年の元旦に先生はお亡くなりになりました。
 数ヶ月前、突然先生に何か話したくなり、略20年ぶりくらいになりましたが、電話をしました。「先生その後いかがお過しですか?お元気ですか?」と申し上げますと「ウン。良くないんだよ。肺がんで余命6ヶ月と言われているのだよ。あなたは昔の所に住んでいるの」話の接ぎ穂がなく、私は「お大事に」と申し上げ電話を切りました。
 略30年近く、一緒に相談室の仕事を進めるのに苦楽を共にした先生です。お金もなく組織も確立されていない中、学内の協力を求めながら、日々一緒に頑張ってきた先生です。
 個人としてはかなり個性が強く、どちらかと言えば組織の中では変わり者、はじき出されてしまう。そういうキャラクターの方です。しかし誠実正直、ご自分を飾らない人柄は素晴らしいことでした。
 仕事で一緒する以上、私は先生と良く話し合い、そして議論を重ね、時には時間も忘れて学生との面接効果について話し合いました。今でもあの熱く語り合った情熱は何だったろうと思い返しております。恐らく困難に立ち向かうという意気込みではなかったのではと思います。
 大学からの広報に死去の知らせを見て、矢張り癌に倒れてしまわれたのだと暫らくは記事から目が離せませんでした。
 アルバムから先生の姿を探しました。1963年に神経症の学生を中心に清里にカウンセリングキャンプに出かけた時のを見つけ出しました。
 このキャンプは神経症レベルの学生15名程と一週間の合宿をしました。相談室総動員、精神科の医師も参加。早起きを目標に、毎日キチンと起床。昼間は清里を中心に歩きます。生活態度を変えることで、神経症を治すという目的でした。

               堀淑昭先生


           堀淑昭先生

 一週間学生と昼は毎日歩き、落伍者のないよう、細かいことに注意して過ごしました。小出学長の慰問は学生を大層喜ばせました。あの体験は私も鍛えられました。
 堀先生と相談室で過ごした中で言い合いやケンかもありましたが、私が人との話し合いに臨み辛抱と我慢、そして良く聞くという習慣を付けて下さったことに、感謝をしております。



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相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
2018年5月1日87歳となりました。物忘れ言い間違いは益々多くなり、足腰も弱くなって、杖が手放せません。気も短くなり今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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