2008-03

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元気に出陣

 さすが彼岸が過ぎると日差しも、気温もやわらかくなって来ました。これから孫の活躍が始まります。秋の終わりまで外遊びに熱中することでしょう。
 一昨日孫と娘のお供で手賀沼に出かけました。 
 春休みのせいか、手賀沼の畔は親子連れの姿が大勢見られます。ミニSLも走り始めました。冬の間湖面に沢山見られた鴨などの姿は全く見られず、カモメが数羽杭の上に止まっております。
 孫は長靴を履き腰にタオルを下げ、これから始まるエビ掬いに浮き浮きしているような足取りです。私はバケツを下げ後に付いて行きました。

              元気よく出陣

 魚釣りは未だ早いらしいとタモだけを持ち、何か掬えればと岸辺に下りてゆきました。手ごたえは無さそうです。何回か掬いましたが、駄目です。そこで娘から孫へとバトンタッチ。

              元気に出陣


               元気に出陣

 孫が頑張っても駄目です。
 そこに現れたのが近くでこちらの様子を眺めていたご老人。少し向こうの方で釣り糸を垂れている男性の側で、数人の仲間らしい男性とお喋りをしておりました。助っ人現ると言った感じです。
 「今は未だ水も冷たいから、何も獲れないよ。もう少し経つとドロエビが獲れるよ。田植えが近くなると利根川の水が入って来て水嵩が増えるから、そうなると手長エビが獲れるけど、これは底の方で這っているから、獲るのは難しいね。水が増えて岸の石の上にまで来るとそこにダボ鯊が乗っかっていることもあるよ。今日は残念だね。
 あんまり期待するような話をすると、あの爺さん嘘つきになるから、恐らくとか若しかしてという話だよ。折角だからいいものが取れるところを教えてあげるよ」と孫に言い聞かせてくれ、歩き始めました。
 付いて行きますと、手賀沼の縁の草むらです。そこに降りて草の間から芹を引き抜き孫に見せます。「これはね、野菜だよ、食べられるのだよ。自分で採ってごらん。根っこは置いてゆくとまた来年も出てくるのだよ」
 
                 元気に出陣

 この方は昨年も孫にいろいろと教えて下さり、面倒を見てくださった方だそうです。娘はご本人は忘れているかもね。と言っております。嬉しいですね。こういう方に出会うということ。大人も勉強になりました。
 この春初めて元気に出陣はしたものの成果はありません。ですが孫は芹も一所懸命に摘みました。そして大人と話しをし、また一つ世界が広がり良い時間を持つことが出来ました。
 私の心配、エビは何エビですかと聞かれてもとっさに答えられず、また叱られそうです。


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原綾さんの扇面

 24日はオパール・ネットワークのサロンの日でした。会場は乃木神社の近くにある主宰の佐橋慶女さん宅。
 乃木神社の桜は咲き始め、我孫子と大分違います。我孫子はあと数日掛かりましょう。

                    原綾さんの扇面

 会員の原綾さんの扇面が文部科学大臣賞を受賞されたということで、佐橋さんの発声で乾杯。

              原綾さんの扇面

 原さんはニューヨークに滞在中に猪熊弦一郎画伯と交流があり、いろいろと学ばれたそうです。お二人は四国出身とあって親しく行き来があったそうです。
 私の母方の祖父も四国の出ですので、話も弾みお互い四国人の気風を持っているわね。と納得したような気分になりました。
 独特のスタイルの原さんはご自分の考案した折り紙、また葉書絵などをサロンにお見えになる時は必ずお持ち下さいます。特に年末には年賀状の見本をお持ち下さり、指導をしてくださいます。
 エネルギーの塊りのような方で、一年中素足というのは凄いことです。真似が出来ません。

                  原綾さんの扇面
 
 原綾さんの扇面は「現代の扇面芸術 第29回 国際扇面展」で展示
            会場 東京都美術館・上野公園内 
            期間 3月26日~4月4日

         扇面展を既に見に行かれた江戸っ子さんのブログもどうぞ



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チョッとした買い物

 突発性難聴のその後、罹った左耳の聴力は殆んど変わらず、その代わりのせいか右耳の聴力が前回より少し上がっていると先生はおっしゃります。全く実感はありません。
 依然として孫のお叱りにあずかっております。
 TVショッピングでレシーバの広告を見た日、同じ物が新聞で宣伝されております。こういう物には手を出さない主義でしたが、試しに買って見ようと申し込みました。クーリングオフも出来ますので、使い物にならなければ返すことにしようと、送って貰いました。
 商品は「ボイス モニタリング レシーバー」というものです。
 到着し早速試用してみました。まーまー使えそうです。買うことに決めました。

                 チョッとした買い物

 自分の声が大きく聴こえます。内耳から伝わって来るのでしょうか。聞く時には良いのですが話をするときはオフにした方が良いようです。
 夫と使い方などを話しておりましたら、あの強ーい孫がやって来ました。目ざとくて、ニュースが大好き。事件が起きると説明に苦労をします。何かがあると興味を持ち、教えないとしつこく聞きます。
 早速何をしているのか聞いてきました。どういうものか説明し実際に耳につけて見せました。
 
 それから「ばーばに小さい声で何か言って」と言いますと、すかさず自分の首を撫ぜながら「ぶよぶよ」と言いました。ハッキリと聴こえますよ。からかっているのです。かないませんね。「ばーば」とでも言って呉れるかと思っていましたが、甘かったです。


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後輩からのメール

 3月19日に二人の明治大学の卒業生の方からメールがありました。一人は昔の二部の学生の自治会の下部組織だった雄弁部のOBの方からのものです。ご自分と卒業生の近況を詳しく知らせて下さいました。知った名前も沢山あり、懐かしく思っております。既に鬼籍に入られた方もあり、ご冥福をお祈りいたしました。
 二部の自治会の学生さん達とは、かなり良い関係を持つことが出来ておりました。彼、彼女達に何かを要求したことはありませんでしたが、お金の使い道と流れには確りとして欲しいと、常に言っておりました。学生運動を知らないからだと強く文句を言う方もおりましたが、下部組織の学生さんからはとても感謝をされました。
 執行部と大学の理事者との団体交渉が毎年ありましたが、学生の提出する要望書には何十項目も要求が書かれておりました。しかし当時は校舎の整備などが中心で、お金の出所があれば解決するということが多く、その後の学生運動や理事者との団交と比べれば、そう大変なことではありませんでした。

                 後輩からのメール

 ある年の団交は夜中になっても終わらず、やむを得ず暫らく休憩し、夜食を摂ってから再開しました。
 今のようにコンビニもなく、大学周辺で弁当を買う事も出来ません。仕方なく鵜沢聡明総長の白いクライスラーをお借りし、吉原にお寿司を買出しに行きました。まだ売春禁止法施行前。吉原は灯かりが煌々と輝き、何だか怪しげな風景です。
 すし屋も空いているところでも寿司折を何人分かしか買えません。仕方がありませんから何軒も回り、集めて来ました。呉越同舟と言いましょうか、向かい合った理事者と学生はその寿司折を食べ、朝まで団交が行われました。考えるに大学と学生は敵対する関係ではないのですね。実に良い関係だったと思っております。
 課内で女性が一人でしたので、雑用とお茶出しで徹夜。足が棒の様とはこのようなことでしょう。
 仮眠をしておりましたら、大学院の校舎から校歌のオルゴールの音が流れてまいりました。後にも先にも朝の校歌のオルゴールを聞いたのはその一回だけでした。

 もう一人の方は明大の文学部を卒業。現在は自治体に勤務。3月に定年になるそうです。安房高校の出身。春の選抜高校野球に出場する母校の応援に出かけるという知らせです。数年ぶりのメールです。彼には山口淑子さんのことでお世話になりました。メールから房州の盛り上がりと、興奮の気が漂ってきます。羨ましいです。燃えるということ。
 第一戦で勝ちましたら、バスの中から勝ったよーとメールがまた届きました。

                 後輩からのメール

                 (朝日新聞から転載) 
 嬉しいですね。感激を共有しましょうというメッセージです。有難いことです。


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鈴木正威さんのこと

 1994年私と夫は中国青島で鈴木正威さんと久しぶりにお会いすることが出来ました。天津から夜を継いで会いに来てくださった足立さんと4人で一夕歓談の時間を過ごしました。
 3年半後サンパウロで再び会うことが出来ました。青島の仕事を終えブラジルに帰っていた鈴木さんは日系社会の中での長老らしく思えました。

             鈴木正威さんのこと

                (サンパウロのホテルで)
 中国での体験を下に鈴木さんは「眠りを覚ました十二億の民」-中国烈日ーを書き上げています。
私たちが青島で話題にしたことも更に詳しく記述されており、名文で綴られているこの本は何人かと廻し読みをしました。

             鈴木正威さんのこと

 ここでは峰村正威という名ですが、ペンネームではありません。青島の小学校の仲間の会では峰村さんと呼ぶ方が多いのです。昔の名前です。
 青島満帆の中で青島第二小学校卒業記念誌に触れているところがあります。時代は第二次大戦の最中です。峰村さんは「雄飛五大州」と書き記しているそうです。今の鈴木さんの姿を予感させていたような文字です。
 ブラジル移民100年を迎える今、在ブラジルの日系3世、4世と言われる方々は既に日本人ではなく、ブラジル人としてブラジル社会で息づいているそうです。
 
 さて鈴木正威さんですが、彼は中国青島で出生。引き揚げ後早稲田大学政経学部を1956年に卒業。1959年にブラジルに移住。日本語教科書刊行委員会事務局長・日本語普及会事務局長などに就任。1974年にはニチボー商事設立。日伯文化連盟理事となり、1992年から2001年までの間で3回にわたり中国赴任。合弁事業に従事。
 現在はサンパウロ人文科学研究所理事という生活をされております。
 2007年7月 鈴木悌一 ーブラジル日系社会に生きた鬼才の生涯ー を6年の歳月を掛けまとめられ上梓されました。

               鈴木正威さんのこと

 この書は多くの人に感動を与えたと思います。膨大な資料の収集と分析。多くの方への聞き取り。恐らく数えられないほどの推敲の繰り返しをされたに違いありません。内容は実に多岐にわたり、その生涯と功績に触れております。私は未だ僅か数ページしか開いておりませんが、530頁にわたる内容の見出しを眺めるだけでも、これはブラジルに於ける日本人の歴史と事実を網羅しているものだということを実感します。

        この著書についてはここをクリックしてご覧下さい。


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宮崎繁樹先生と節子夫人

 1952年の初夏のことだったように記憶しております。さくらんぼを手に結婚の挨拶にお見えになった宮崎繁樹さんと節子さん。明大の女子寮の私の部屋に数人が集まりお迎えしました。
 節子さんは旧姓山本さん。熊本出身の優秀な学生でした。女子寮の1階に陣取り、音楽学校を目指したこともあるという美声でオペラのアリアなどを歌っております。2階の私の部屋にも時々聞こえて来ます。
 山本節子さんのお父様は当時弁護士とお聞きしておりました。水俣病訴訟団の弁護団長をされていた山本茂雄さんと知ったのは随分後のことです。
 節子さんと繁樹さんとが親しいことは寮生の間で話題になっておりました。若い女性集団ですから言いたい放題のことを言っておりました。繁樹さんが日曜日にお見えになると外階段近くの寮生が騒ぎます。失礼な話ですね。
 (女子寮は完全自治で男性の宿泊以外は全て自由、行動には自らが責任を持つと決められておりました。協力しての自衛の精神もしっかりとしておりました)
 結婚することを私のゼミの先生、久野勝先生に話しましたら「それで分りました。授業の時、どうして宮崎君の横に節子さんが座っていたのかが」先生も鈍感ですね。
 確か結婚式は昔の海軍記念日の5月27日だったように記憶しております。繁樹さんが近衛の連隊旗手だったことを知っていた私たちは、なんて律儀なことと話したことです。
 繁樹さんはインパール作戦の際の決断で知られている宮崎繁三郎中将のご子息です。
 軍人だったことでレッドパージにかかり、司法試験に臨み、合格後明大法学部に教員として参りました。
 節子さんは繁樹さんのお母様に大変可愛がられ、お二人のご子息にも恵まれ、繁樹さんの良き伴侶ぶりを発揮。車で繁樹さんを送って来られた時には私は驚きました。運転をなさるとは予想もしていなかったのです。
 繁樹さんは大学では法学部長、総長という重責を努められ、1996年に定年で大学を去られました。
 特に学生部長時代には大学紛争に遭遇。その経緯と資料を纏めた私家版「雲乱れ飛ぶ」を夫が頂きました。時系列に克明に記録されている内容に触れますと、その真摯な姿勢は昔の繁樹さんそのもの。

                   宮崎繁樹先生と節子夫人

 私は古い大学院の校舎の前で良くお会いしましたが、必ず立ち止まりキチンと姿勢を正し、35度くらいに頭をお下げになりお辞儀をされます。歩く姿勢もイチニイチニと歩調を揃えて歩かれます。その姿は私たちが騒いだ時と全く変わっておりません。「繁樹ー!、お節ー!」と騒いだのが懐かしくもありますが、随分酷いことをしたものだと申し訳なくも思っております。
 全てが真面目で律儀な正義漢。そのような生きざまがそのお姿に表れております。


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奥様に乾杯

 中国語の王老師の夫人蔡太太のペースメーカーの交換が無事に終わり、老師は喜び安心されたようです。先々週はいろいろと病気のことや、健康保険のこと、また中国の医療事情などが話題になりました。
 15日の土曜日は奥様の治癒と退院を祝い、老師は珍しい中国酒をお持ちになりました。おつまみは炒った落花生。この豆の炒り方は弱火で、僅かな油を敷き、ゆっくりと炒める,奥様得意の一品だそうです。

         奥様に乾杯


         奥様に乾杯

 老師のお持ち下さったお酒は内モンゴルに行かなければ買えないという「金駱駝」北京でも買うことが出来ないそうです。アルコール42度。湯のみに口をつけただけでも強ーいアルコールの臭いが立ちのぼり、飲まないのに咽てしまいます。
 このお酒の材料は水、高粱、大麦、豌豆。私は僅か口をつけただけでした。

         奥様に乾杯

 同学の男性が紹興酒の「女児紅」を用意しておりました。老師の後から出してきました。紹興では女の子が誕生すると甕に酒を満たし、土の中に保存し、結婚する時の宴席で飲むものだそうです。
 アルコール度は16、金駱駝よりはかなり薄いので、20ccくらいを飲みました。
 この女児紅の材料は水、糯米、小麦、焦糖色(これはカラメルのようなものでしょうか)
 
          奥様に乾杯

 老師は会合あるということで、何時もより早く終わりましたが、生徒は残りのお酒を飲み乾し日本の将来について大いに語らいました。奥様に乾杯が皆で乾杯に変わりました。


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チャイナドレスは素敵だ 48

 チャイナドレスのイメージは概ね派手、煌びやか、細いスタイル等などですが、私の方針はそういうことに捉われず、着たいと言う熱意をもつ方を歓迎しております。
 教室では生徒の好きな生地を用意することを勧めております。生地の斡旋や、販売は致しませんが、アドバイスや情報は提供します。
 
 自分の好きな色、好きな模様などの生地は本人に良く似合い、飽きることがなく着ることができます。好きな生地でも力に合わなく苦労をすることもあります。自分で縫って見て段々分るようになります。余程の無理でない限りは駄目を出しません。駄目駄目では駄目です。納得が大事です。
 先日の授業でカジュアルな姿で見えた生徒さんがおります。
 デニムのチャイドレスに長いブーツ。ポケットも付けて短めに作っております。本人の持ち味が良く出ております。

               チャイナドレスは素敵だ 48

 格子のこのチャイナドレスは、縦横の縞をあわせるのに苦労をされた一着です。直裁ちですから、縦横を合わせるのは上級のクラスの物です。ですがご本人の希望を入れてあげたいので、頑張って貰いました。

                チャイナドレスは素敵だ 48

 ノースリーブの木綿素材ですので、上にカーディガンを羽織って上手に着ております。中国語の先生をされておりますので、授業の時にはチャイナドレスを着たいと、休み休みながらも継続して見えております。全て手縫いです。

            チャイナドレスは素敵だ 48

 私の講座はミシンが無くても問題はありませんので、夜の講座にも手縫いの方が見えております。
 丁寧にゆっくりと縫って行きますと段々と手加減が分り、上手になります。


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タコ飯を炊く

 1945年8月15日に日本は負け、それから数年間は外地から元軍人や邦人が引き揚げて来ました。戦時中の農業は男性の手がなく、田畑は荒れておりました。今思うに心もとない状態だったことでしょう。そこに大勢の引き揚げ。人も増え、更に凶作が重なり、人々は食料を求めて東奔西走しました。
 お米に何かを混ぜるのではなく、何かにお米を混ぜるという状況です。食料になるような物はかき集め、いろいろと混ぜ合わせたり、加工したりして、それぞれの家庭で苦労が続きました。我が家は引揚者ですから物々交換をする品物もなく、仕方なく塩を作りそれを農家に持って行き、お米と交換したこともあります。芹摘み、クコの芽摘み、子供の私も一所懸命知恵を絞りました。
 海が町の目の前に広がっておりますので、貝はよく獲りました。海草もよく食べました。栄養がどうのという話ではありません。そんな時代もありましたが、その後日本人は実に恵まれて来ました。でも油断は出来ませんね。
 話は変わり、この頃の私宅の食のことになりますが、段々高齢になりますと、戦後の食糧難時代の頃の食品の利用方法が甦ってきます。安心な身近な食材、シンプルな料理が多くなってきております。安心を求めるにインターネットで探したりもします。
 最近は繁華街に出かけて珍しい料理を食べようとも思わなくなっております。
 富山の瀬戸寛さんが送って下さる味噌は味もよく、安心素材で作られておりますので、人にも差し上げることが出来ます。味噌を送って頂く時、干物や昆布〆などもお願いします。
 小タコの味醂干しは珍しく、最近はこのタコを炊き込みご飯にして食べます。来客にも好評です。
 チョッと紹介いたしましょう。冷凍のタコ一匹を解凍し、小さく刻みます。

                タコ飯を炊く

 米 3合に出汁を普通の水加減でいれます。そこに酒少々と醤油50ccを混ぜ、その上にタコを全体に広げて載せて炊きます。
 出来上がりましたらさっくりと混ぜて食べます。

                タコ飯を炊く

 戦後でしたら、恐らく外の副菜はありませんが、今はこれに外の惣菜も用意します。
 こうして自分の好きな形の食事が出来るということはとても有難いことです。


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東京大空襲

 1945年3月9日の午後12時近くから始まった東京大空襲は翌10日までの数時間に亘り、下町を焼きつくしてしまいました。犠牲者は10万人を越えたと言われております。
 私の記憶では、9日の昼間にもB29爆撃機の編隊が、東京湾を昇って行くのを見たように思います。
 千葉県館山の女学校の寄宿舎でも、空襲警報で生徒は起きておりました。夜中に東京に向かうB29の爆音が切れ目なく聴こえており、北の東京方向に目をやりますと、天空高く、火の粉が飛んでいるような真っ赤な塊りが見えます。これは大変なことになっているらしいと胸がドキドキしておりました。
 10日は土曜日だったのでしょうか。寄宿舎から家に帰るのに、午後館山の駅に行きますと、既に夜中に被災した方が何人も駅にたどり着いておりました。
 顔はすすで汚れ、着衣も破れていたり、焦げていたりしております。頭には防空頭巾を被っている人、またリュックサックを背負い、やっと動いているような方もおります。それぞれ縁者を頼って来たのでしょう。気の毒な姿でした。私たちの耳には被災者の悲痛な言葉が入って来ます。よくここまで辿りついたものと、眺めるのが精一杯でした。言葉もなくというのがこの時の気持ちでした。
 100キロも離れている館山でも見えた火柱。被災地の方々の悲痛な叫びが聞こえそうな感じでもありました。
                   東京大空襲

 柳家さん八さんはこの日のことを落語で伝えようとレパートリーにされているそうです。あの時代を知る人は減る一方です。さん八さんの落語に多くの方がきっと驚くことでしょう。ショックと同時に、戦争のおろかさを感じることでしょう。ぜひ語り続けてください。


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ホットプレートのパエリヤ

 昨年は私の個人的な理由で、オパール・ネットワーク我孫子支部の行事が殆んど持てなく、今年は少し事情も良くなりましたので、先日今年の初会合の集まりをしました。久しぶりの仲間との懇談で和やかな時間を過ごしました。
 最近の食の問題から、手作り料理の会を始めることになりました。メンバーにお料理の先生がおりますので、早速ホットプレートでパエリヤを作るというところまで、話が進みました。
 6日の木曜日、昼に会員宅に集まりました。集まった10名は皆さんベテランの主婦。先生の指示を手順良くこなして行きます。

           ホットプレートのパエリヤ

 200度に温めたホットプレートにオリーブオイルを入れ、にんにくを炒め香がでてきたらベーコン、玉葱を炒め、其処に洗米も入れて炒めます。お米が透き通って来たら、平らに広げ、上に彩りよくピーマンやキノコ類、またアサリやハマグリ、エビなども乗せて、200度の温度で炊き上げます。勿論スープや白ワイン、塩コショウ、大事なサフランも加えます。
 
           ホットプレートのパエリヤ

 年長者は鍋を眺めておりますが、外の方は手を休めず動いております。鍋から香が漂い、段々色が変わって来ます。

            ホットプレートのパエリヤ

 パエリヤも出来上がり、サラダ、スープなども揃っております。飲み物もサングリラが用意されました。皆さんで乾杯。パエリヤはおこげも出来て本式です。

            ホットプレートのパエリヤ

 デザートはぼた餅。もち米を炊き、餡は先生が用意してくださいました。順番に手伝います。外の会員の方も果物やお菓子を下げて来てくださり、パエリヤパーティは盛り上がりました。

            ホットプレートのパエリヤ

 次回は、皮作りから始める本格的な餃子を作ることになりました。


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携帯電話

 初めて電話を使った記憶は中国青島でのことです。父が逓信省から華北電電に派遣され、そのまま現地社員になり、青島に駐在。母と私たち子供も青島に転居。子供のことですから日本で電話を使うことはありませんでした。
 青島では電電ということで、家の電話は良い番号を貰っていました。電話が掛かってきますと、「ニーナーレン」と聞かれます。「あなたは誰ですか」と言うわけで、相手が間違いないと話が始まります。両親は感心しておりました。ダイヤル式の電話が最初でしたので、その後日本に帰ると、町の電話は全て交換台を通さなければ通話が出来ず、驚きました。
 帰国した町での電話は、役場、小学校、燈台、医者、旅館などにしか設置されておりません。受話器はラッパ状の話の受け口があり、それに向かって申し込みます。東京等に申し込みますと1時間も掛かりました。郵便局に行き申し込み、外で待っていますと、出ましたよーとなり、話が出来ます。
 1948年に上京しましたが、まだ公衆電話も殆んどなく、1953年に就職した職場でも名簿に電話番号の記載がある方は10パーセントもありませんでした。職場ではダイヤルでの通話は出来ず、全て交換台経由でした。緊急の会議には丸の内の東京中央郵便局に行き、同文電報を打つということが良くありました。大学の女子寮でも電話はありませんでした。
 
 今日の電話の普及は大変なものですね。それらの中でも、長足の進歩をしたのが携帯電話です。
 私が最初に持った携帯電話は幼稚園児の弁当箱のような大きな電池が背面にセットされており、スペアの電池を持ち歩くのは重くてなりませんでした。ある時クラスの男性たちが、その携帯電話を使いそれぞれ家に電話し「繋がったよー」と喜んだのはつい先だってのような気がしております。
 4年も使った私の携帯電話も買い替えの時期かなーと思いながらも、街にドコモショップがなく、そのままに使っておりました。
 先日耳の検査で都心に出かけ、歩いているうちに大きなドコモショップに気がつきました。買い変えなくても、特に困るわけでもありませんでしたが、入って行きました。
 若い男性社員にややこしいアドレスも変えてもらい、説明を聞いているうちに、自然に買い換えることになりました。

                    携帯電話

 古い携帯は、孫のオモチャになると思い、持ち帰りました。

                    携帯電話

 若い人の所構わずメールをする姿を苦々しく思っておりましたので、出来るだけ時間と場所をわきまえて使わなければと思っております。


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一人前気分

 舌鋒鋭い孫の関心事は次々出て来ます。それに興味を示して聞く私の言葉。いろいろなキャラクターの名前を間違えます。その都度「また聞くー、どうして覚えられないの」と叱られます。
 そのどうしようもない、ばーばに手紙を書いて持って来ました。

              一人前気分

 平仮名も書けますし、親戚の者に手紙も書きます。この手紙は宇宙人にも見られるように書かれているようです。この根気には驚きます。
 釣りはまだ始まっておりませんので、もっかトランプと縄跳び、折り紙に熱中。最近はあやとりも始め、夕飯時も食べ物が目に入らない位に励んでおります。熊手の最後の仕上げで、紐を引くとき、パーンと手を叩き、それから素早く糸を引きます。タイミングも覚え、私が遅いとケチを付けます。

              一人前気分


              一人前気分

 ピアノの練習も大好きです。一節ごとに右手を肘から大きく挙げ体も伸ばしたり、ちじめたり、曲が終わると両手を広げてポーズ。演奏家気分です。可笑しくてなりません。でも楽しいですね。感情豊かな人間に育つことを願っております。

              一人前気分

     (この画像は少し前のものです。鍵盤に印をつけてありますが、今は消してあります)
 日曜日の笑点はお気に入り番組です。昨夜私がメンバーの写真を出してあげましたら、興奮状態。
メンバーの名前を挙げて、座布団敷きの山田君も忘れずに言っております。今日もまたこの画像を見せろということでしょう。
              一人前気分

 公開録画の会場に連れて行って欲しいというのが、目下彼女の望みです。歌丸さんも驚くことでしょう。


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菜花の季節

 妹の連れ合いは定年後、母親と千葉の館山に住み、収入という実益とは遠ーい、畑仕事を楽しんでおります。サツマイモ、サトイモ、大根などを送ってくれます。梅の木も沢山あり、昔ながらの梅干も送って呉れます。畑には狸が出てくるそうで、狸は何を食べるのかと聞きましたら、蚕豆が好きなようだと言うことです。もいだ蚕豆の鞘は一箇所に纏めて置かれているという話は面白いのですが、折角育てた者にとっては現場で捕まえ怒鳴りたくなりましょうね。
 今回は妹が菜花を沢山持って来てくれました。

                    菜花の季節

 昔、房州白浜で花卉栽培が盛んになって、観賞用の菜の花を出荷するようになりました。そのうち菜の花が都会で食用にされるということから、食用のアブラナ「菜花」を作る農家が増えて来ました。
 菜の花は千葉県の花。千葉県の菜花の生産量は全国一。その内90%は南房総からの出荷だそうです。今は菜花の季節です。
 茹でると色が綺麗です。やや苦味がありますが、春の野菜の味です。

                    菜花の季節

 茹で上がった菜花はを我が家では「おひたし」にするのが殆んどです。野菜が余り好きでない夫も美味しいと言い食べております。それはなんと言っても新鮮だからでしょう。

                    菜花の季節

 千葉県の菜花は年間約1500トンも生産。菜花は、ビタミンCやカルシュームが多いそうです。
 健康のため、また堂本知事の唱える千産千消の趣旨にも合うこの菜花。この季節には是非皆さんも食べてくださーい。千葉県人の私のお願いです。
 昔は菜花の味は知りませんでした。町でも栽培しておりませんでした。食べ物にも変遷がありますね。明治生まれの母親世代ですとトマトも食べられない人が多かったそうです。
 今や中華料理やイタリー料理、韓国料理、またアジアン料理と言われるような物などで、初めて目にし、食べる野菜もいろいろあります。老人は名前を覚えるのに追いつけません。
 

                   菜花の季節
 
                  千葉の菜の花の切手です。


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刀削麺

 地下鉄千代田線新御茶ノ水駅で下車。大手町方向の出口から、南方向に下って行きましたら思い掛けなく刀削麺の塊りを抱えた中国料理のシェフが掲載されているポスターが目に入りました。

                刀削麺

 刀削麺は中国山西省の麺です。くの字型の道具を使い、大きな中華鍋にお湯を沸騰させ、小麦粉を練り固めた塊りから削ぎ飛ばして落とし、茹で上げます。茹で揚がった麺はいろいろな具や調味料で食べます。
 調べて見ましたら、都内でもこの刀削麺を売り物にする中華料理店が多いのには驚きました。
 刀削麺に使う刃物は何処に行けば買えるのでしょうか。随分昔、と言っても10年は経っておりませんが、刀削麺の削るのをさせて貰ったことがあります。下手でも楽しかったですね。

                 刀削麺

              また機会があればやりたいことの一つです。 

 山西省の黒酢は麺にもかけますが、外の山西料理にも沢山かけて食べます。美味しいのです。近所では中国の黒酢と言えば鎮江の香酢しか眼に入りません。アメ横でも見かけません。
 削麺刀と山西省の黒酢は欲しい物ですが、なかなか見つけることが出来ずにおります。でも沢山の店があるのですから、黒酢は割合入手し易いかも知れませんね。
 知りたがり屋の私。きょろきょろして見ましょう。

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相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日85歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになりそうです。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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