2008-04

« 123456789101112131415161718192021222324252627282930»
entry_header

見せ掛けはイヤー!

 日本経済新聞08年4月21日夕刊(インタービュー領空侵犯)には常々私が苦々しく思っておりましたことが見事に分析・解説がされておりました。
 インタビューに応じた方は明治大学を卒業された作家藤原智美氏(1992年芥川賞受賞)
 「店員はマニュアル捨てよ」ということで、今日の接客サービスへのマニュアル化に疑問・苦言・人間関係への影響など。接客業の方に是非読んで頂きたいと思いました。
 
                    見せ掛けはイヤー!

 たまに娘や孫と出かけます。するとハンバーガーとかフライドチキン、またアイスクリームなどの店。食事のために入るいろいろな料理店。そういう場所での店員の注文受けの態度や言葉使い、テーブルに置くときのサービスが気になってなりません。それどころか腹を立てないように我慢するストレスもかなりです。
 カウンターのお客を前にして注文を受ける言葉が早く、聞き取れません。聞きなおす事はしょっちゅうです。老人にはもっとゆっくり聞いて欲しいのです。また商品知識がありませんから、もっと親切に聞いて欲しいのです。ベラベラと次々に聞かれても困るのです。
 そういうところでアルバイトをした経験のある娘に言いますと「仕方が無いんだよ。店では何分で何をどうするかが決められているので、その通りに仕事を進めないと評価が下がるから」とこういうことです。
 藤原氏は客が店に合わせている状況から「怖いのはマニュアル化した言葉のやり取りがサービス産業を越えて一般の人間関係にも広がっていること」と強い危惧の念を示しております。
 藤原氏の望ましい接客サービスへの言及は考えさせられます。経営者の考える繁盛させるということの意味を問う言葉だと思いました。
 私の思うところに触れるこの記事の内容を詳しく読みますと、マニュアル化している人間関係への影響を強く感じ、連帯とか協同とかという言葉がむなしくなって行く社会が心配でなりません。柔かな人間関係の崩壊が進んでいることに現実の難しさと厳しさを感じております。



人気blogランキングに参加しております。ここをポチッと押してください。

entry_header

チィナドレスは素敵だ 49

 チャイナドレスは素敵だ 48でも書きましたように、ご自分の気に入った生地で作りますと、自然に愛着が出て参ります。
 先日の授業にお嬢さんの旗袍を作るに綺麗なタイシルクを持って来られた方がおりました。

                  チャイナドレスは素敵だ 49

 バンコクではタイシルクの店で旗袍を頼むことが出来ます。余り薄くない生地を選ぶことをお勧めします。この日は随分以前にご主人がプレゼントしてくれたタイシルクで丈の短い旗袍を仕上げた方がおりました。この生地の使い方が決まらず、フリマーに出す心算だった生地だそうですが、見事にデビューできました。

            チャイナドレスは素敵だ 49

 ジャワ更紗を使い個性的な旗袍も出来上がりました。この生地は高級で裁断するときに緊張したものです。ですが少ない量を上手に活かし、個性が滲み出ております。

                       チャイナドレスは素敵だ 49

  皆さんで参考にしました。
 年齢としてはスリムな方がおり、絞りの和服の生地を活かしたいと持ってまいりました。
どのように変貌するか楽しみです。

                  チャイナドレスは素敵だ 49

 こうして段々ご自分に合った旗袍を作ることが出来ます。


人気blogランキングに参加しております。ここをポチッと押してください。


entry_header

老師南京虫に降参

 先日中国語の授業の際、老師の腕に赤い斑点。聞くところによると、それには可笑しくも侘しい話が背景にありました。
 春休みに中国からの留学生と一緒に北京に出かけた学生。酷い下痢に大騒ぎ。老師に電話があり「先生来て下さい」と哀願して来たそうです。(どうして親に頼まないのかが不思議です)
 老師は北京に駆けつけ、面倒を見たようです。
 それからはご苦労様にも学生と一緒に農村の調査に一緒したそうです。場所は北京から250キロの河北省の省都・保定市から行く農村。北京からは300キロくらいはあるのではと思います。
 学生は女性一人に男性3人。留学生の親戚という農家に一泊し、見学と体験をして来たそうです。
 農家は夫婦二人。子供は成人、既に結婚し、近くに一戸を構えており、農作業に来るそうです。家は土壁の三間。貧しい家のようです。
 中国は北京でも水の問題は大変なようですが、その農村もまた驚くほどの水道事情です。給水は毎日一時間。その間に水甕に溜め、その水は飲料と炊事に利用するだけ。ですからシャワーも浴びず、洗濯も出来ず、日常的に手洗いもしないようです。食事も汚れた手のまま作るという生活。
 野菜は自給できますが、肉類は買うことが出来ないようで、老師の持って行った豚肉を使い、餃子を作ってくれたそうです。ですが汚い手のまま作られた餃子。食べないわけには行きませんから、食べたようです。
 農地は少なく、収入もまた当然少ないわけですが、収穫の際、機械を持つ人に頼むので、その支払で、残りが本当に少なくなってしまうそうです。
 娯楽らしいものは全くなく、小さな白黒TVがあるにはあるのですが、チャンネルは二局のみ。新聞は町の集会所に行けば読めるそうです。
 収入が少ないので、衣服も酷いそうで、気の毒です。老師はお土産に布靴を頂き教室にそれを持って来て見せてくれました。靴底はキチンと等間隔に糸で縫われておりますし、甲の部分は少ない生地を繫ぎ合わせ丁寧に作ってあります。
 女性が作るのか、はたまた男性が作るのか判りませんが、暮らしぶりをのぞくことが出来るような靴です。
 
            老師南京虫に降参


                     老師南京虫に降参

 夜は女子学生はそこの夫人と、老師と学生は別室で一緒に就寝。
 ところが夜中に前身が痒く、どうしようもなく、朝を迎えたそうです。
 保定に戻り、招待所で身をきれいにし、衣服を洗い日本に戻って来たそうです。その痒みの未だ残っている腕を見せてくれました。南京虫です。私は昔東京の下町で南京虫のことを見ておりましたので、すぐ分りました。老師は何?何?と言った感じで理解できない様子。すぐ辞書で出しお見せしました。
 老師は国を愛しておりますし、人を悪く言うことは滅多にありません。今回も散々な目に遭ったのに、農家の人は良い人だと話しておりました。
 学生は一次資料が沢山あるのでいい論文が書けるでしょうと、学生のことも庇っておりました。
 優しい老師。心の中ではきっと辛く思っているはずです。


人気blogランキングに参加しております。ここをポチッと押してください。



entry_header

神代桜

 かって山梨県北巨摩郡武川村の村長を長く務めていた級友の蔦木滋男さん。村長というのはかなり激務だったようで、日曜祭日もいろいろなことで休むことが出来なく、心筋梗塞で倒れました。
 毎月のクラスの飲み会には殆んど出て来ることはありませんでしたが、新年会などには上京し出席することもありました。山梨県選出の代議士事務所に陳情に来るようなことはあったようですが、東京に遊びに来るなどということは、無理なことだったようです。
 武川村は現在北杜市武川村となっておりますが、その村の実相寺の桜を観に来るようにと、クラスの仲間を何回も誘ってくれておりました。蔦木さんは平成9年11月23日に鬼籍に入られ、再びお誘いを頂く機会はなくなりました。
 中国語の同学ヤンさんは巨木・古木を愛で、時々各地の巨木を目指して遠出も厭わない方です。先頃は山梨県の桜観賞に出かけ、その写した映像を送って下さいました。
 その中にかの武川の桜がありました。全体像と、力強い根元の二枚。写真でも見たことはありますが、知人の写したものは、何故か特別に感じます。

           神代桜


               神代桜

  説明が送られて来ました。
      「山高・神代桜」 山梨県北杜市武川村山高/実相寺
      樹齢2000年ともいわれるエドヒガンの古木。
1922年に桜として初めて国の天然物に指定された。
往時の枝張りは東西27m、南北31m、 現在各々17m、13mといわれ、
再生事業が続けられている。写真は四分咲きの状態。


 ヤンさんは私が知りたがっていることを察知したかのように写真を送って下さったのです。
 
 蔦木さんの仲間は真面目で、その彼たちがマージャンに凝っていたことを知ったのは随分後のことでした。今は折角のお誘いをそのままにしてしまったことを悔やんでおります。彼はご自分で案内をしてくださる心算だったこととおもいます。


人気blogランキングに参加しております。ここをポチッと押してください。





entry_header

木谷倶楽部

 明治大学政経学部の木谷光宏教授のゼミ生とOB・OGで構成されている木谷倶楽部。ゼミの出身者は500名になるそうです。
 木谷先生は故中野渡信行先生の愛弟子。授業では産業心理学や関連する分野を担当されております。初めてお目に掛かった時から全くお変わりない方です。

          木谷倶楽部

 1972年に政経学部の経済科を卒業された木谷先生。その後大学院に進まれました。
 木谷先生の若き頃。学生相談室に時々中野渡先生にお会いするためにお見えになっておりました。私が大変お世話になった中野渡先生の期待されたとおり、木谷先生は実に見事なばかりの素晴らしい教育者となられました。中野渡先生は研究者だけでは駄目だと教育者であれというのが生涯の目標でもありましたが、掛け声でばかり無く、実践の方でした。木谷倶楽部の会誌を拝見しますと、木谷先生がいかに中野渡イズムを受け継いでいるかを読み取ることが出来ます。

          木谷倶楽部

 この8号を拝見しましたら、ゼミで出会いカップルとなった卒業生のインタービューが取り上げられております。おお~!中野渡先生と同じではと読ませて頂きました。
 木谷先生の小樽の話を読むうちに、素晴らしい文章の流れに、自然に風景や街の行事など目に浮かんで参ります。絶対に行きたくなります。
 ゼミ出身者の今もよく紹介されており、ゼミの雰囲気がよく解ります。
 
           木谷倶楽部

 数日前会誌9号を頂きました。
 ゼミの今年の卒業生は14名(男性10名、女性4名)それぞれ知った名前の会社に就職しております。8号でも皆さんの今が紹介されておりますが、ゼミのOB・OGの在校生への援助が素晴らしく、これこそ木谷先生のゼミの持つ素晴らしさだと、感動しました。
 9号ではOBのPASMO前社長大垣雅則氏(現在東武鉄道営業部責任者と(株)パスモ取締役)へのインタビューを取り上げております。このインタビューは企業で働くというありようと、経営者としての対処する姿勢などにも触れております。内容の濃いこの記事は特にこれから社会に出てゆく後輩へのアドバイスとしてゼミ生に感銘を与えたことでしょう。
 中野渡先生が基礎を築いた産業心理学のゼミは木谷先生の更なる努力でますます成果を挙げております。
 私は退職後先生の講義を1年間隅っこで聞かせて頂きました。既に15年も経ちましたので、時効として許して頂き、先生の包容力に感謝を捧げます。
 優しさと気取らないお人柄、堂々とした力強い筆跡。今後も大学の発展に貢献されることと期待しております。
 (そっとの話。先生のカラオケ。痺れますよ。ゼミの方々はご存知でしょうね)


人気blogランキングに参加しております。ここをポチッと押してください。
entry_header

みすず飴に思う

 1948年に上京。その頃は食べ物をどうするかは大きな問題でした。母の妹の所に初めに下宿しました。その家は目白の駅から近く、便利な場所でした。雑司が谷と言って側には自由学園があり、空襲での被害も無く、池袋とは全く違いました。
 叔母の家から少し北に向かって歩いて行きますと、立教大学が少し遠くに見えます。池袋の駅から立教大学までは米軍の空爆による焼け跡が続いております。
 叔母の家から池袋まで焼け跡の中を歩いて行きますと、当時豊島師範と言われた建物が残っております。見渡すと焼け跡の中で家庭用か?所々に金庫が残っております。その風景は忘れられません。池袋の駅舎は木造。ホームもお粗末な感じでした。ホームからは護国神社まで、これも焼け野原。駅の東西にはバッラクのマーケットが並んでおります。
 食料がない中、叔母は白米の弁当を作ってくれますが、おかずは殆んど小女子の佃煮。お風呂は公衆浴場に行きます。芋の子を洗うという言葉を実感します。髪を洗うのには特別にお金を払いますと大きな桶に熱いお湯を一杯呉れます。そんなことが嫌で、良く家に帰りました。叔母は待遇が悪いみたいだから、帰らないでと言います。仕方が無いので、だっまって帰りますが、それでは心配すると思い、電報を打ちます。考えると申し訳ないことです。
 叔母の家を出て秋から女子寮に入りました。
 そこで生まれて初めて「みすず飴」を口にしました。信州から進学して来ていた方から頂いたのです。甘いものなど殆んど手に入らず、お八つと言えば干し芋やお供えの餅を使った揚げ餅位です。
 みすず飴は日本の中には美味しい物がいろいろと在るということを実感させてくれたことでした。時々頂くと大事に、大事に食べました。
 先頃知人宅で久しぶりにお目にかかりました。懐かしく、あの昔のことを思い出したことです。

                みすず飴

 遠慮なく3個も頂きましたが、歯に付いてサラーと食べられません。昔から変わらないことでしょうから、年齢がら仕方がないことなのでしょうか。
 このみすず飴の会社で販売しているジャムの瓶は口が大きく、手にはいると捨てられずいろいろと利用しております。

                      みすず飴

 この瓶も大いに役立ち利用しますが、これ以外にも福神漬け、のり佃煮、また様々な空き瓶を取って置きおきますので、瓶が沢山溜まって仕舞います。戦後の物の無い時代を過ごした人間。何かととって置き、家の彼方此方に溜まっております。
 ということで素敵な住まい方などと縁遠い生活が続いております。


人気blogランキングに参加しております。ここをポチッと押してください。

entry_header

ステテコは下着?

 昨今、生活水準は向上し、衣食住は50年前とは大違い。男性のアンダーウェアも話題になる時代です。
 昨日の朝日と日経の夕刊で見た記事。日経は防衛大学長の五百旗頭 真先生の「ノーパンじゃない」朝日は「アンダーウェア、メンズも多彩に」というものです。

                     ステテコは下着?

 愉快なのは五百旗頭先生の記事です。父親は大学教授で7人の子持ち。大学の給料では戦後の生活は苦労つづき。五百旗頭先生は時にはノーパンツで学校に行くこともあり、ある時子供仲間からパンツを見せろと言われたのですが、その日は新しい真っ白なパンツを履いていたので、見せたところ母親がかわいそうにと妹に買ってあったパンツだったことで、悪がきに大笑いされたという話です。
今の一般の生活からは全く想像できないような話でしょう。それほど戦後は大変だったのです。

 話は変わり、私はかなり大きくなるまで男性の下着について全く知識がありませんでした。父親の下着や祖父の下着には関心もなく、どんなものを履いているのか、褌以外は知りませんでした。
 大学に入り、寮生活になって外の方と一緒の部屋に住むことになりました。同級の女性は何時もヅボンを履き、男性のような物をきております。ある時何気なく彼女のズボンの下に履いているものに気がつきました。「それは何?」と聞きますと「ステテコだよ」と言います。「えー!!ステテコって履くものなの?」彼女は呆れたように「あんたそんなことも知らないの」と驚いています。だって小説などで「ステテコ一枚で踊る」なんて書いてありますから、私はちゃんちゃんこのようなものだとばかり思っておりました。人様の前で裸で踊るなどとは想像もしておりませんでした。
 これはでも考えれば可笑しな話ですね。男性が上半身何も着けず踊っていたのを見たことはあったはずです。勝手に自分で思い込んでいたということです。
 本当に可笑しな馬鹿みたいな話です。


人気blogランキングに参加しております。ここをポチッと押してください。
entry_header

後期高齢者の初日

 2008年4月1日 この日日本は様々な問題を抱えこんだまま新年度が始まりました。長ーく続いた暫定税率の問題が大きく報道されております。
 私個人は国で決めた「後期高齢者医療被保険者」の初日となりました。
 昨日近くの専門病院で大腸と胃の検査を受けました。内視鏡での検査は毎年受けておりますので、検査への不安はありません。昨年の先生が上手に感じましたので、今年も同じ先生にお願いしました。 
 大腸に5mmほどのポリープが見つかり、切除。昨年同様一泊の入院。ベットが狭く、落ちて上海の二の舞とならないようにと緊張。
 点滴が3本というので、時間が掛かるなーと覚悟しておりましたら、1本の後今度は2本一緒で始まりました。2本一緒ですから矢張りそれなりに時間は掛かりました。

               後期高齢者の初日

 これは珍しいと枕元からカメラを取り出し、写してきました。昨年、夫も入院を繰り返しましたが、このようなのは見たことがありません。
 夫と二女それに孫が見舞いに来ました。孫はお腹におできが出来たの?と自分の名前を書いた折り紙を渡してくれます。お見舞いの品です。嬉しいお見舞いですね。
 ベットが狭いので落ちそうになっていたようで、看護師さんに起こされて体の向きを変えました。いつの間にか午前零時をまわり4月1日を迎えました。体中が硬直したようになっております。
 あーあ!国が定めた嫌な後期高齢者という呼び方の初日が病院のベットで始まるとは。
 今朝の食事はスープが150mmほど。美味しいような気もしますが、少ないので物足りません。でもこれは仕方が無い話ですね。

                        後期高齢者の初日

 午前中に退院手続きも終わり、長女と夫の迎えで帰宅しました。
 夫が「布団を敷いてあるよ」と言いますと、長女は「PCの前に座るんじゃないの」と言います。その通り。すぐメールをチェックし、横になりました。病院の注意書きにデスクワークは構わないとありましたので、実行したということです。アルコールは一週間禁止。残念。娘「お気の毒」
 退院初日の昼、夜の食事は病院で渡されたものです。セットになっております。明日はお粥やうどんなので済ませ、3日目から普通食を摂れることになっております。傷口は治るに3週間ほど掛かるそうです。

                 後期高齢者の初日
 
 だからと言って検査を懲りた訳ではありません。来年も同じ先生に見て頂こうと思っております。


 人気blogランキングに参加しております。ここをポチッと押してください。


 
 

side menu

side_header

プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

フリーエリア

フリーエリア

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

MATERIAL

【背景、記事テーブル素材】
レースの壁紙
レースの壁紙 様

【素材の加工】
FC2blogの着せ替えブログ

Powered By FC2 blog