2008-05

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俺俺がやってきた

 振り込め詐欺が老人をターゲットにして、酷いことをしていると報じられております。
 近所の友人の所にも電話があり、「俺だけど事故に遭って」「今市川に居るんだけど」ということです。息子さんは市川に住んでいるのですが、明らかに声が違うので「あなた生年月日は何時だっけ?」と聞きますとまるっきり違うので「駄目だよ。嘘を言っては」と電話を切ったそうです。
 
 4,5日前、我が家にも俺俺が来ました。夫が受話器をとると「俺だよ。俺だよ」と情けない声を出し、訴えるような言い方だったそうです。夫は「俺では分らないよ。名前を言いなさい」と言いますと、相手はすぐ電話を切ったそうです。
 夕食時、夫はその話をし「俺だよ。俺だよ」と情けない声をだし、真似をして皆を笑わせました。
 一昨日、夕方電話がありました。夫が出ますと「俺だよ。俺だよ」とか細い声で二女の娘が言ったので、その話でまたまた大笑いしました。
             何しろ面白く変わった5歳。

                 俺俺がやってきた

 毎週日曜日は「笑点」を見るのがお決りです。長女の娘(中学3年)の仲良しのお嬢さんとトランプのスピードに興じていた時、孫が早いので「ちょっと待って」と言われましたら、すかさず「待てねーよ」というように大人顔負けの言葉がすぐ出てきます。ニュースが大好きで「なに?なに?」の連発。親は分り易く一所懸命で説明をしております。ということで、おれおれの使い方をすぐに理解し、またそれをすぐ使い大人をからかったということです。
 お蔭で夫は二回「俺だよ。俺だよ」を聞いたことになりました。
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鹿島に行く

 明治大学校友会我孫子地域支部の仲間で鹿島神宮と鹿島石油製油所の見学に出かけました。
 天気にも恵まれ、なかなか良い体験をしました。そう遠くない処ですのに行くこともせずに過ごしておりましたが、今回は我孫子駅近くで集合というので参加をしました。マイクロバスにて先ず一路鹿島神宮に向かいました。境内には殆んど人影も見当たらず、静謐な空気が漂い、緑も濃く、将に薫風の季節です。
 校友の方が明大の小旗を持ち、迎えに見えておりました。

            鹿島に行く

 鹿島神宮神官の詳しい解説に耳を傾け、拝殿に詣で、境内を駆け足で回りました。

             鹿島に行<br />く

 君が代の歌詞の中にある、「さざれ石の巌となりて苔のむすまで」のさざれ石があることを知りました。

             鹿島に行く

 これが!!!と半ば嘘のような感じです。神官によりますと、この地は確りとした地形で、地震も無く実に素晴らしい処のようです。都会から引越したい方にお奨めですね。
 
 鹿島神宮を後にして鹿島石油の見学に向かいました。これは期待したとおり、大変勉強になりました。鹿島神宮で迎えて呉れた後輩は先にこちらに戻り、すでに作業服姿になっております。鹿島石油の社員だったのです。彼は先輩が見えるというので楽しみ待っていて下さったそうです。
 建物の二階の部屋で見学者用のスライドでの説明を受け、全く知らなかった世界に足をそっと入れました。石油の大切なことは知ってはおりましたが、断片的でしたし、自分がかなり無知と分りました。

              鹿島に行く
 
 この鹿島石油のある大洗の海は太平洋に面し、広大な敷地の中に設備が設置されています。
 レクチャーのあと、全員ヘルメットを被り、構内を回りました。もう全てが珍しく、それに目にも耳にも新しく、興味が尽きません。

              鹿島に行く

 鹿島石油の原油受け入れ桟橋は20万トン級の大型タンカーから8万トン級の中・小タンカーまでが同時着桟出来る桟橋を三基備えているそうです。大掛かりな工場と広大な敷地。一回りした後所長さんを交えて昼食を摂りながら質問をし、この席でもまた勉強しました。
 記念写真を撮り、その後更に石油の備蓄タンクの周辺を廻りました。

              鹿島に行く

 備蓄タンク一基の大きさは後楽園球場にすっぽり嵌る大きさだそうです。近くに寄りますと一層その大きさに驚きます。側の風力発電の高ーい塔を仰け反って眺めました。

             鹿島に行く

 塔の写真は何とかとれましたが高く、写真なのに眺めるに自然に目が上向きになってしまいます。


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正宗 円形脱毛症に罹る

 O家の猫。現在は二匹になっています。この二匹は父親違い。O家のお嬢さんが近くのスーパーでアルバイトをしていた時近所の蕎麦屋の横で子猫が生まれました。母親が育てる気がないのか細い道の側溝に落ちたままで泣いていたのを拾って来たのだそうです。その後暫らく経ち、また同じような状況が出現。お嬢さんがまた家に連れてきたことから、O家では騒ぎが始まります。
 二回目の猫は実に醜男。二匹を飼うのも大変とあちこちにチラシを張り、貰い手を待ちましたが、全然見込みがなく、結局自宅で飼うことになって可愛がっておりました。
 06年3月13日に書きましたが長ーい紐を飲み込み手術。五日間入院、費用は30万円という事態を引き起こしました。
 先頃TVに出演したペットショップのオーナー「うちの店には3000万円のペットがおります」で紹介されたのが雄の三毛猫。O家の夫人「ええ!うちの正宗も三毛じゃん」と気がつきました。
 正宗を前にして「ねーあんた、よその三毛猫が3000万だそうだけど、あんたは去勢してあるからまー2000万かなー」と喋ったところ、正宗は何か不安げに彼女の顔を眺め、それから彼女を避けるような風に見えたそうです。
 数日後お嬢さんが突然「正宗の首の後ろが禿げているー」というので、本当かしらとご主人と一緒によーく見ますと明らかに円形脱毛症様に毛が抜けているそうです。
 お嬢さんは「お母さんが悪いんだよ。あんなことを言ったから、正宗に謝ってよ」と言葉強く抗議をしたそうです。
 O夫人は「正宗、ごめんね。お前を売ったりはしないよ。ずーと家で飼って上げるからね」と何回も意を尽くして謝ったそうです。
 それから略一週間後、正宗の脱毛状の皮膚に産毛のような毛が生え始め、間もなくすっかり回復したそうです。(嘘のような事実です)
 それに態度も元に戻り、おうむけになってお腹をさすって貰うのも嬉しそうにしているそうです。

            正宗 円形脱毛症
 
 (画像はおとめ座さんのペットよしお君。正宗は飼い主の希望で掲載しません)

  正宗を貰って欲しいと貼った時は名乗りをあげる方が無く、自宅で飼うことに決めた後、会うだけでも会わせて欲しいと何回も電話をしてきた方があったそうで、その方は価値を知っていたのではと話しておりました。
 三毛猫の雄は遺伝子の関係で殆んど生まれて来ないそうです。船に乗せて航海に連れて行くと言う話は子供のときに聞いておりましたが、その価値までは知りませんでした。
 この正宗のことを聞いた私たちは正宗は絶対に心細く、どうなるかと心配だったのよ。今は安心しているでしょうね。と意見が一致しました。
 私はカテゴリーを「健康・心」にしようかと迷いました。生きるもの皆心があり、身に異変が起きることを察知すると反応することも在るということを知りました。


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アカシヤ咲く

 中国青島はドイツが街の基本を作ったと言っても良い所です。現在の青島市は東に広く、大きくなり、旧市街は整備が進み、姿は一変し、昔の街並は残り少なくなっているそうです。東の方には旧別荘地だったところから更に東に大きな別荘が建てられております。一棟数千万円から億を越すものまで、見事なものです。
 中国人が老後住みたい町として最も人気の高いところです。中国では珍しい海あり、山あり、水よしで農産物・海産物にも恵まれております。
 昔も住み良い街でした。緑が多く、街路樹は殆んどアカシヤ、所によってはプラタナス。そのアカシヤ並木は今の青島では殆んど見られなくなっているそうです。青島小唄にも歌われた赤い屋根とアカシヤの緑。誰もが思い出に語る海から眺める青島の風景は実に美しいものです。

              アカシヤ咲く

 アカシヤは初夏の頃に花がさきます。白い房が藤のように垂れ、甘い匂いを漂わせて来ます。私の住んでいた所は下町というのでしょうか、中国人も側に沢山住んでいました。
 アカシヤの花が咲き、採るのに頃合があるようで、そうなると大勢の中国人が道路に繰り出します。長ーい竿を使って花をどんどん切り落として行きます。その花は天麩羅にするということですが、私は食べたことはありません。10日の集まりで男性たちは甘い蜜を吸ったと話しておりました。

              アカシヤ咲く

    (少なくなってしまった青島のアカシヤ並木、青島満帆から転載しました)
 アカシヤのそう太くない幹。下から1メートル位の位置は黒光りしております。どの幹もそうです。中国人が手鼻をかんだ後、幹で手を拭くからです。強烈な思い出です。
 蓼科高原に学生の合宿について行った時、大きなアカシヤに沢山の花が咲いていました。信州では天麩羅にして出す宿もあるそうですので、何時かお目に掛かりたいと思っております。
 時々覗くブログ「和歌蘭さんべいの独り言」に立派なアカシヤの花の画像がありました。こんなに立派で美しい花だったのだと、何回も覗き見入っております。

             アカシヤ咲く


             アカシヤ咲く

 アカシヤというと思い出すのが家に来ていたアマのことです。注射が大嫌いで、予防注射に連れて行く時が大騒ぎなのです。当時青島では夏に向かうとコレラの予防注射をするのです。アマは抵抗します。母が家から手を曳き連れ出します。でも抵抗をします。道路に出ますと今度はアカシヤの幹にかじりつき、頑強に幹を抱えております。母との格闘のような姿です。
 やっとの思いで予防注射の会場に行きますと、今度はアイヨー、アイヨーと泣きます。30歳は越えていたはずのアマの泣く姿は不思議に見えました。


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皆が喜寿

 中国山東省青島の小学校で学んだ同期の仲間。多くは日本の敗戦により引き揚げて来ました。戦後暫らく経ち段々皆さんの消息が分り、各小学校ごとに集まっておりました。
 35年前に青島の日本人小学校三校が合同し青島羊会という会を持ちました。以来毎年懇親会や旅行などを実施しております。都内でばかりでなく、九州や四国などでも開催し、青島旅行も何回か行っております。どこか親戚のような感じの集まりです。
 今年は昨日芝の弥生会館で懇親会が開催されました。遠く鹿児島や福岡、また四国、金沢などからの参加者もあり、毎回繰り返す思い出話。その中で思い掛けないことが分ったり知ることもあります。
 今年の会の案内に喜寿という言葉が入っておりました。「オレは未だだよー」なんて自慢する声も聞こえましたが、来年は間違いなく全員78歳と何ヶ月か、77歳何ヶ月かになっております。
 今回は女性が少なく、昔と逆転しました。35年前上野の聚楽で初めて集まった時は男女同数位でしたが、その後は長く男性が女性より下回っておりました。現役時代は忙しかったのでしょう。

                皆が喜寿

 欠席の方からの便りを読みますと、体調不良を訴える方が多く、老いが確実に全員に重く圧し掛かっていることを思わずにはいられません。
 青島羊会の誇りでもあり、自慢でもあった中村八大さんの17回忌も6月に行われるということです。 懇親会では始めに鬼籍に入られている方への黙祷を捧げ、その後賑やかに懇談に入りました。
 懇親会では皆さん彼方此方のテーブルを回り、打ち解け、童心に帰っております。
 メンバーのバイオリン演奏もありました。高齢になってから始められたそうで、皆さんに刺激を与えてくださいました。

                皆が喜寿

 上野の聚楽は今年の4月に閉店されました。思い出の建物は無くなっても一人一人の胸には多くのことが忘れることなく残っております。ハイマートレスを埋めてくれ無心に付き合えるこの会はこれからも長ーく続いてゆくことでしょう。私も事情が許す限りこれからも出席したいと思っております。


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チャイナドレスでシャンソン

 桐生に住む俳人の鈴木石花(本名鈴木民子)さん。2006年8月14日に「素晴らしき石花さん」で紹介しましたが、今も変わらずご活躍の日々をお過しの様子。シャンソンは芦野宏先生の指導を受けられているとお聞きしておりました。
 先日群馬県民会館小ホールで行われたコンサートでの舞台姿の写真が送られて来ました。

                  チャイナドレスでシャンソン

 この舞台で石花さんが纏ったドレス。このドレス姿を私に見せたくて送って下さったものです。
 高級なチュールレースのこのドレスはチャイナドレスで私がお納めしたものです。一番長く習いに来ている生徒さんが丁寧に仕上げてくれました。
 高価なものですので、シーティングで仮縫いをし、石花さんのご希望で裏無し。ですからサテンの下着も一緒に用意いたしました。
 石花さんはとても気に入ってくださり、発表会にはぜひ着たいと前々から伝えてくださっておりました。3月14日に開かれたコンサートで石花さんは「時は過ぎて行く」を歌われたそうです。学生時代から鍛えたのど、何時かはお聞きしたいものです。

                  チャイナドレスでシャンソン

 このコンサートに出演された方全員並んだ写真も頂きました。それぞれ皆様素敵な姿です。それに芦野宏先生の若さには驚きました。昔はパリー祭の日ともなると銀座には人が溢れ、シャンソンを歌う歌手の姿が放映されました。この写真で拝見する限り、その頃と余りお変わりになっておりません。
 歌うことは元気の素でしょうし素晴らしいことです。石花さんは一言で言えば努力の人。生きる姿勢も良く、これからも是非歌い続けて頂きたいと願っております。

              石花さんのHPにはここからお入りください。
       (このHPには青島羊会の菅野和子さんの俳句も掲載されております)


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孫が選ぶ

 近所に住む長女の娘は一人っ子。誕生時から可愛い可愛いと、愛しんで来ました。今時と言っても実際はどういうことが今時かは分りませんが、ジジババから見ると中学生とは思えないような感じです。毎日夕食には一緒にテーブルを囲みます。
 テレビの漫画から脱皮し、歌番組やドラマに興味が移っております。時々思い出したように、ジジババに声を掛けてくれます。
 可愛いものが好きというのは今時の若者の特徴でしょうか。可愛いもの、可愛いという言葉、毎日何度も可愛いい、可愛いいが耳に入って来ます。
 昨日の母の日。母親とカーネーションを求め、プレゼントに持って現れました。
 選んだ時の様子が目に浮かびます。可愛いカーネーションはどれかしらと、迷いに迷った末、自分が可愛いという物指しで買って来たようです。

              孫が選ぶ

 この際ですから孫の一番気に入った顔を先日教えて頂いたスーパーマクロで写して見ました。実に可愛い顔をしております。私もとても気に入りました。
 今はアレンジをしたものが主流のようですね。

           孫が選ぶ

 二女は台東区の小学校に通っていました。御徒町にある吉池で母の日の翌日、セールの赤いカーネーションを買ってプレゼントにしてくれました。可愛くて今でも思い出します。


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出会いと偶然

 昨日は明治大学校友会我孫子地域支部の今年度の総会が開催されました。出席者は40名。
 会場は地元のけやきプラザ(千葉県と我孫子市の共用の施設です)9階の会議室。手賀沼を眼下にし眺望は素晴らしく、しかも我孫子駅に近接しており、便利な処です。総会と懇親会もスムーズに済み、和やかな一時でした。
 校友会本部からは笠井正弘副会長がお見えになり、また千葉県西部支部の各地域からも来賓の方がお見えになり、手作りでの懇親会、我孫子方式を感心して頂きました。

               出会いと偶然

 笠井副会長は1955年法学部を卒業。夫人は光子さん(旧姓石川)。笠井副会長と同じく法学部の卒業生(1956年)。ご夫妻とは昔からの知り合いです。光子さんは明治の女子寮で同じ屋根の下で暮らした仲間。笠井さんは温厚誠実、母校愛の塊りのような方です。
 光子さんは1932年生まれで私より一歳若いのです。ですが彼女の人生は多くの苦難に満ちておりました。身体の不自由なこともあり、日々の生活もまた大変なことのようで、お察ししております。
 車椅子の生活ですが、笠井さんは光子さんの最大の理解者であり、またサポーターでもあります。
 光子さんはオパール・ネットワークで「あなたは老後、誰と、どこで暮らしますか」というタイトルで原稿用紙一枚のエッセイを募集をした時に応募し、多くの中から取り上げられました。その出版記念の会には笠井さんの押す車椅子で出席されました。
 私は昔の友人でもあり、同窓のご夫妻でもあるお二人にお会いでき、一際感激しました。このエッセイの前のオパールの募集では女子寮の同室だった安藤吉枝さんが第一席になりました。安藤さんとは50年以上の間を置いてお会いしたのです。二年続けて明治の方が取り上げられ、本当に嬉しかったことでした。
 その後笠井光子さんは随筆集「思いではオレンジ色」を上梓。人々に感銘を与えました。
 
                  出会いと偶然

 この装画と挿絵を快く引き受けてくださった井上光三郎先生は偶然にも青島羊会の淺川日出男さんの奥様が師事している方でした。光子さんから送られて来た本を手にしたとき、この絵はと感じたのですが、将に私の感の通りでした。
 出会いと偶然 じつに多くの出会いと偶然を経験しております。年齢のなせることでしょうか。


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パソコンに馴染む生活

  1931年生まれの私は5月1日に喜寿を迎えました。今や後期高齢者と言われる処に来ております。嫌な言葉ですが、それが通用してしまい、なんとなくもう何もしなくてもいいよと言われているような気がしなくもありません。
 まーそうは言っても元気で何かしらしているという生活の方が私は好きです。また人に役に立ちたいとも思っております。足腰を鍛えなければと思うのですが、これが実行できないというのが一番の問題です。歩く時間をPCに向かってしまうのです

 1975年から始めた中国服の製作は趣味の世界でしたが、定年後NHK文化センターで人に教えるという想定外のことが始まりました。
 数年前ある新聞から依頼されて中国服についての連載を引き受けました。その後にHPを立ちあげようと思いたちました。チャイナドレスという日本人が抱くイメージの物だけではないと知って欲しかったのです。

               パソコンに馴染む生活

 大学の後輩のPC講座で、PCの初歩から習いに行き、「美麗的旗袍」と言うHPを彼らのサポートで作ることが出来ました。
 その後旗袍(チャイナドレス)教室の様子や生徒の作品などの記録。明治大学や駿河台を巡る話題。少女期を過ごした中国のこと。そう言ったことを伝えたく、HPより簡単なブログを立ち上げました。昨年は中国服の資料専門のブログも作りました。
 これらHPやブログはサポートをして下さる近所の後輩があってこそのこと。有難いことです。 
 HPに書くために調べておりますと知らなかった事実や意味なども分り、そういうことも興味を誘います。
 デジカメは出かける時の必需品です。プリンターで写真や資料を取り込み、画像の加工も楽しみながら出来るようになりました。友人宅の入り口にボタンが咲いていましたので、チャイナドレスの生徒に習ったばかりのスーパーマクロで写してみました。なにやら嬉しい気分です。
 追記これを見た生徒の説明:もっと花の中心に近づけて写すのだそうです。分りました。次回からそうします。(8日)
              パソコンに馴染む生活

 今はチャイナドレスのテキストの文章と図形を組み合わせる作業に取り組んでおります。 これは少し難しいことですが、なんとか完成したいと思っております。
 PCを使い始めて数年経ちますが、多くの知人友人との情報交換や連絡も簡単、海外の友人とも即連絡がとれます。

 普通の高齢者のように病院通いも仕事の一つになっておりますが私の行く都内の病院ではPCで予約が取れます。予約に出かける必要もなくなり、時間の節約になりました。都会の雑踏の場に行くことも減りました。良い傾向だと思っております。安全な食品や自分の欲しいものなどもPCで探します。
 
               パソコンに馴染む生活

     夫の大好きな有明漬も最近はPCで簡単に注文が出来ます。

               パソコンに馴染む生活

 富山の瀬戸寛さんからは珍しい食品や味噌をHPで確認しいろいろと送って頂きます。この期限限定のホタルイカの沖漬はHPで知り、始めて口にすることが出来ました。PCが役に立ちます。 
 自家製の佃煮を土産にするときにはパックにラベルを貼っています。映えます。我ながら素敵なアイデアだと自画自賛しております。(でもこれも後輩のおかげです。自慢になれません)

               パソコンに馴染む生活

 重いものはインターネットで買うようになり楽になりました。チャイナドレスの中国の本も店頭に行かずにPCを利用し買うことが出来ます。
 近所のスーパーではPCで注文し配達をするサービスがあります。足腰が不自由になり買い物に行くことが難しくなったら、PCの所に這ってでも行き、注文しようなどと笑い話にしておりますが折角ですので、せいぜいPCを利用し出来るだけ自力で生活を保ちたいと願っております。


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小沢正昭先生

 1959年4月。明治大学学生相談室は和泉校舎で開設されました。私は開設準備から関わり、以来和泉校舎から駿河台校舎、生田校舎と異動し、各校舎での相談室の仕事を体験しました。
 1989年度に30周年を迎えた相談室は記念誌を作成し、年度末の1990年3月末に発行することが出来ました。
 学生相談室が30周年を迎えるとき、私は相談室勤務が丁度30年という節目に当るので退職することを決めておりました。退職する3年前に駿河台から生田へと異動。当時相談室内部で起きた問題で私はやや苦しい立場にあり、日々悩みと怒りで痩せるほど苦しんでおりました。私の苦悩を知る学生相談員の小沢正昭先生は大変気を使って下さり、何かに付けて言葉をかけて下さいました。
 また生田の学生相談員の先生方も揃って私のことを心配して下さり励ましてくださったお蔭で、何とか退職の日までを過ごすことが出来ました。
 
 農学部の小沢正昭先生の専門は微生物化学。明大中野高校出身。殆んど毎日のように大学にお見えになり、相談室にも立ち寄ってくださいます。先生の言葉によりますと微生物の研究は毎日が大事で一日も疎かに出来ないということでした。夏冬の休みも関係なく大学にお見えになります。
 高校で柔道部か相撲部に所属されていたそうで、いかにもそのような体格です。この小沢先生は学生の指導では厳しいのですが心底優しいのです。相談室では気難しいこともなく、何かと楽しい話題が多く、最後まで頼りにさせて頂きました。
 小沢先生はこの4月から母校の中野高校の校長に就任されました。先日ご挨拶の葉書を頂戴しました。中野高校では1960年代に明治大学の教職員の全体集会があり、一度だけ行きました。
 
                小沢正昭先生

 1990年3月に「心のオアシス」というタイトルで明治大学学生相談室30年誌を発行することが出来ました。3月24日に30年間の関係者で記念の集いを開催いたしました。私の退職する一週間前です。
 小沢正昭先生は相談員長という相談室代表として、私を労って下さり送別と励ましの言葉を贈って下さいました。

                小沢正昭先生
 
 花束を渡して下さったのは一緒に相談室創設に関わり、発足当時からズーと相談室を支えてくださっていた松山亮次郎先生です。思わず涙が溢れて来ました。
 このたびの小沢先生の就任に当り私はとても嬉しく感じております。あの優しさと包容力はきっと中野の生徒たちに信頼されることと確信しております。
 小沢先生から頂いた著書は今日なお重要なことでもあり、改めて取り出して来ました。参考になる事柄です。

                 小沢正昭先生

 このページは小沢先生に甘え、少し私事を記させて頂きました。


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心尽くしの鯉幟

 我孫子市つくし野は一丁目から六丁目まで。1977年この地に東急不動産が大規模な住宅を建設し、分譲。マンションは20棟約1000戸。外に戸建ても含め一つの街となっております。
 マンションのほぼ中央に当る公園は市有地ですが管理はマンションの住民に委託されております。
 この中央公園と呼ばれる場所では夏祭り、防災訓練などにも使われますが、普段は住民の憩いの場でもあります。
 4月半ば、この公園で鯉幟を揚げる作業に励んでいる男性方がおります。聞くところの「トムソーヤクラブ」というグループの男性のようです。子供たちに夢を与え、この地を故郷にして欲しいと、活動をされているのです。

                心尽くしの鯉幟

 大分前から要らなくなった鯉幟の寄付を呼びかけておりました。年毎に鯉が増えて来ております。
今年も増えているようです。昨日は勢い良く天空に鯉が舞っておりました。

                      心尽くしの鯉幟

 子ども会で芋ほりに出かけますと、帰ってくるまでに公園で火を起こし、焼き芋が出来るよう待っていて下さったこともあります。
 公園や道路の植え込みなどの整理や清掃、環境を整える一助を担って下さっております。
 皆さんでの作業が済むと公園の一角に出来ている休憩所で団欒をする姿を見ることがあります。
 
             心尽くしの鯉幟


                     心尽くしの鯉幟

心尽くしの鯉幟。嬉しい風景です。トムソーヤクラブの皆様の息のながーい活動に感謝をしております。



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寄宿舎生活

 1944年4月(昭和19年4月)千葉県立安房高女に入学しました。当時安房郡には県立の女学校は一校しかなく、郡内一帯から生徒が来ておりました。
 鴨川の奥の長狭地方(田原村、吉尾村、主基村、大山村)や丸村、曾呂村、北三原村などからの通学は無理でした。寄宿舎が併設されており、皆さんが寄宿舎に入っていました。私は両親が中国にいて祖父母が大変なので入れて貰いました。

                 寄宿舎生活

 寄宿舎生の生活は厳しく、現在の中学から高校へと向かう世代ですので、良く耐えたものだと思っております。寄宿の生活は団体生活ですので、規則や決まりに拘束されて過ごします。その生活振りはこうです。
  朝 起床後すぐに廊下に並び、夏は冷水摩擦、冬は乾布摩擦。その後は布団を上げ、部屋の掃除と順番で決められたトイレなどの掃除をします。掃除が終わると廊下に並び朝礼。当番の部屋の上級生が「総員何名、帰宅者何人、病気何人現在何人」と舎監に報告します。
 その後食事(一汁一菜に漬物)それから廊下続きの学校に登校。昼は寄宿に帰り食堂で昼食を摂り教室に戻ります。

 授業が終わると寄宿に帰り、広い和室でお花、お茶、お琴などの稽古。学用品などを買う外出や洗濯。布団は中庭の干し場に乾します。

 夕食も朝食も舎監と一緒。夕食も極簡単な粗末なものですが、住み込みの小母さんが物の無い時でもいろいろと工夫をして作ってくれます。主食のご飯にはいろいろな物が入っております。
 夕食後は自由時間があり、外の部屋に遊びに行くこともあります。午後7時から9時までは黙学の時間で、私語は駄目。電灯の下に左から光を受けるように机を組み、勉強します。この時間は試験が近づいても変わりません。お腹が空きますので、いり豆などをそーと音のしないように机の上に出して抓みます。舎監が通ると困るので、小説などの上には教科書をすぐ重ねられるようにして読みます。ずーと勉強をし続けるのは苦しいし、息抜きにひそひそとお喋りもします。黙学が済むと夕礼です。舎監室の近くの廊下に並び、点呼。当番の方が報告。お休みなさいとなります。
 試験が近づきますと押入れに机と電灯を引きいれ押勉をします。舎監はそれを見越しているかのように消灯後押入れに向い襖を開け「こらー!」と叱ります。一巻の終わりです。

 家に帰る日の前日には出入り携帯簿という小冊子に翌日寄宿をでる時間を書いて舎監の判を貰います。家に着くと着いた時間を書き入れ、また家を出る時間を書き、親の判を押します。寄宿に戻るとその時間を書き入れて舎監に提出します。
 お小遣い帳は毎月提出し、舎監が検査をします。戦局がおかしくなり食料事情も厳しくなって来ましたら、寄宿舎の側で野菜を育て、朝夕の手入れにも励みました。
 どうですか。こういう生活。
 それでも寄宿舎の想い出は懐かしく、先日当時の寄宿生の集まりが鴨川であり、久しぶりの思い出話に興奮しました。
 出席していた一年下の方から夏みかんがダンボールで送られて来ました。鴨川で農業をされているそうで、肥料もやらず、手入れもしてないと手紙が入っていましたが、私の望むところ、これは大変ありがたいプレゼントです。

                     寄宿舎生活

 寄宿舎では多いときには一部屋8人くらいで生活をしましたが、上級生が軍需工場に動員されてからは4人程になって仕舞いました。家から持って来たサツマイモやかき餅などを分け合い、空襲の時は体を寄せ合い押入れの中に入り解除を待ちました。
 下級生は上級生に「お姉さま」という決まりになっており、一年下の高名な人形作家の伊東万里子さんに東京で会った時など「あい子おねえさま」と呼ばれるとなんだか落ち着きません。ですが寄宿生の集まりになりますと抵抗無く言葉も出ますし自然に受け止めることも出来ます。次回の集まりが楽しみです。


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餃子を作る

 オパール・ネットワークの我孫子支部は、愉快に楽しくということをモットーに仲良しクラブのような活動をしております。
 今年は先だってホットプレートでパエリヤを作りました。今日は餃子に挑戦しました。佐橋代表も参加。総勢17名。取手の吉澤夫妻も駆けつけてくださいました。
 我孫子南近隣センターはけやきプラザの8階。そこには調理室があります。広いスペースと備品も揃っていてなかなかの場所です。手賀沼を一望にでき料理を作る合間にも眺めてしまいます。
 今日の手順ですが先ず小麦粉2キロを練り、寝かせます。その脇では白菜を茹でます。

           餃子を作る


                   餃子を作る

 小麦粉を寝かせている間に具の準備をします。皆さんベテラン主婦ですから、流れるように作業が進みます。
 餃子の皮を作るのに皆さんが一箇所に集まりました。これからは私の出番です。昔家のアマやクーニャンに手ほどきされた腕。ここでぐずぐずし、上手く伸ばせなかったら沽券に関わります。
 良く練った小麦粉を更に扱い易い大きさに取り、それを丸めてドーナッツのように真ん中に穴を開け、その輪の何処かから棒状に切り離します。
 その棒状の小麦粉を切り飴のように回し切りし、切ったものを掌で押しつぶし、周りが薄くなるように麺棒で伸ばします。アメーバーのように足を伸ばした形になった方も、段々要領を得、丸く揃った皮が出来てきました。
 ここで私の強調したいこと。麺棒を手前に引かないこと。手で押した麺の皮を廻しながら麺棒を前に、前にと押すことです。すると自然に外側が薄い皮が出来ます。これはとても大事なことです。切り方と合わせて理にかなっております。
 作りに作り、水餃子約200個、焼餃子約200個。その他にメンバーの中の料理の先生の指導でザーサイのスープ、ブロッコリーの蟹餡かけ、胡瓜の香漬。たらふく食べました。持ち帰りも沢山できました。

                  餃子を作る

 私は夜家族との食事会が待っています。食べ過ぎないように気をつけましたが、美味しいのと楽しい会話。やはり食べてしまいました。
 今日は私の誕生日。喜寿を迎えました。そのことを聞いた会員の皆さんが祝福してくださり、良い記念になりました。



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相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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