2008-06

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伊達宗義氏父を語る

 中国山東省青島で住んだことのある私は偶然のことから、日本馬賊で知られた伊達順之助夫人とお会いしました。夫人はお目にかかった後一ヶ月ほど後に亡くなりました。順之助氏の長男宗義氏の奥様とは同年の生まれ、奥様とは年賀状交換もありますが、私の主催する会などにもお越し戴いたりしております。
 先日永田町の都市センターホテルで宗義氏の講演を聞くことが出来ました。私は宗義氏の書かれた「灼熱」を持ち出かけました。勿論確りと署名を頂きました。

                 d

 宗義氏87歳、私より10歳上。この日の講演は午後6時から間に10分の休憩をとり午後10時までの4時間でした。
 伊達順之助が上海の刑場で死刑になってから秋には丸60年になろうとしております。伊達順之助と一緒に戦場で戦った宗義氏から当時のことをお聞きしようという主催者の懇請に応えたということで、恐らく馬賊物に興味をお持ちの方でしたら、お聞きになりたかったことでしょう。
 驚いたことに87歳という宗義氏、4時間という長丁場を澱みなく語りました。元気な若者の参加者もさぞ驚かれたことでしょう。
 話の流れは伊達順之助一代記のようなものでしたが、私が気になっていたことも講演を聞いたことで解り、参考になり、謎解きも出来ました。
 張作霖爆殺の時の細かい状況は初めて聞く話でした。張作霖の爆殺の話は聞いておりましたが、現場で第五夫人の取った態度で生死の判断がつかず今日知られている首謀者の関東軍高級参謀河本大作以下関東軍は多いに悩んだという話は女性侮れずの感を強く思いました。
 伊達順之助は青島斉東路に住まわれておりました。番地こそ違いますが私も斉東路に一時住みました。父から順之助の拳銃の腕が凄いとは聞いておりましたが、宗義氏からその腕前をお聞きし、もうそんなー。と嘘のようなと言う程の驚きの話でした。

                  伊達宗義氏父を語る

 青島の自宅でのご家族。宗義氏は真中に立っています。(伊達家斎東路26号、我が家は11号)
 日本が1945年8月15日に負け、その後順之助は囚われ日本の地を踏むことはありませんでした。父と一緒に捕らわれた宗義氏は釈放された後、苦労の末青島からの最後の引き揚げ船で帰国されたそうです。なかなかお聞きする機会のない方の話で4時間が少しも長くは感じられませんでした。
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七夕飾り

 私の住むマンションは20棟。入居は1977年に始まりました。既に30年が経ち顔見知りの方も増えております。最近は高齢者が目立って来ました。我が家の二人も後期高齢者。老人の街かと思いがちですが、若い方もかなり住んでおります。自治会活動も盛んで、グループも沢山あります。小学生の子ども会もあります。
 一昨日は子ども会の七夕飾りが出来ました。何時もながらお父さま方と一緒に元気なおじさま方が活躍されております。

             七夕かざり

 周りで眺めていた子供達も短冊を枝に括り付けました。手の届く笹が可愛いことです。

             七夕かざり
 
 
             七夕かざり

 午後出かける時に道を挟んだバス停から眺めますと飾りもすっかり出来上がっております。豪華ではありませんが、皆さんの子供達を喜ばせたいという気持ちが嬉しいことです。

              七夕かざり

 昨日は雨がかなり降りました。段々降り様が激しくなっております。用事で下に行きましたら、一昨日折角立てたかざりが情けない姿になっております。
 笹かざりが昨日出来なかった子供達も待っていたでしょうに可哀そうなことになってしまいました.。

 雨が上がり、今日の夕方見ましたら沢山の短冊が掛けられていました。二女の娘の願いは「お笑い芸能人になりたい」ということです。本当に笑わせてくれます。
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チャイナドレスは素敵だ 51

 直裁ちの旗袍というのは確りと覚えてしまいますと、合理的しかも生地も少なくて済みます。生徒も段々上手になって来ております。応用もし楽しみながら作っております。

             チャイナドレスは素敵だ 51

 誰かの裁断が始まったり、また新作を持って来ますと皆さんが寄って来ます。誰も出し惜しみをしません。

              チャイナドレスは素敵だ 51

 自分で作ることが出来また着られる物が作れるというのは魅力です。

              チャイナドレスは素敵だ 51

 何時も授業の前は興味が誰かに集まり興奮しますが、やがてマイペースに戻り、落ち着いて裁断もし、縫いもします。
 最高齢者の方は次々と挑戦し皆さんの刺激になっております。
 中国で生まれ、中国で女学校を卒業。日本に引き揚げてきました。念願の旗袍を作ることが楽しくてと、喜んでくださっております。

               チャイナドレスは素敵だ 51

 家族のことで暫らく休んでいた生徒。新人になった心算でと話し、頑張っております。
 
               チャイナドレスは素敵だ 51

 都合で暫らく休む方もおりますが、再挑戦するのでへら台は置かせておいてくださいという生徒もおります。魅力的なことだからでしょう。嬉しいことです。 
 
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楽しく学ぶ

 今日は実に楽しく気分の良い一日でした。
 オパール・ネットワーク我孫子支部の調理の会でした。
 講師は元東京プリンスホテルのフランス料理の総料理長。明治大学OBで校友会我孫子地域支部の副幹事長でもある佐藤秀一さん。颯爽としています。将に硬骨漢と言えましょう。 お気の毒に私の後輩ということで、時間を割いて下さいました。
 
 調理は午前10から始めました。
 今日のメニューは
 冷たいポテトスープ ヴィシソワーズ
 チーズ、ハム入り鶏のカツレツ トマト風味ヌイユ添え
 フルーツグラタン

 参加者は20名

           楽しく学ぶ

 皆さん真剣に佐藤さんの説明を聞きました。説明は皆さんが困るのではないかと言う処を代用はどうするか、また地元での購入は何処に行けば良いか。とか実に効率よく説明が進みます。

           楽しく学ぶ

 パン粉のことも実に参考になりました。
 メインディッシュのカツレツは順番に慎重に作り、オーブンに入れる前の準備が済みました。

           楽しく学ぶ

 スープとカツレツが出来上がり、皆さんで早速温かい内にと席に着きました。

           楽しく学ぶ

 皆さんが満足そうな気分になっているようです。

            楽しく学ぶ

 カツレツは鶏肉の胸を薄く伸ばします。伸ばす方法も勉強になりました。一枚一人分100グラムにするのです。見当が分りました。パン粉を細かくすることも分りました。プロの仕事は無駄がありません。凄いナーと感心。
 

            楽しく学ぶ

 私はすかさずスーパーマクロでパチリ。

 ビールもワインも美味しいく、宴会気分になりそうです。最後は予め準備をしてあったデザートをオーブンで焼き、コーヒーを入れました。

            楽しく学ぶ

            仕上げにこの上にシュガーパウダーを掛けたのです。 
 温かいデザートはとても美味しく、参加者の批評は最高点です。
 今回私が感心したのは、佐藤さんの持って来られた刃物。ケースに確りと収められております。その中には30年も使っている物もあるそうです。楽器でも入っているかと思うハードなケースに入っております。
 また細やかな気遣い。更に衛生面からでしょうが、実にこまめに手洗いをすることでした。体の動きも見事。プロの佐藤さんに皆さんが感心し、また教えて下さいとお願いいたしました。
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懐かしの古刹

 寒さにつけ、暑さにつけ時に思い出すのは、房州の古刹小松寺です。和歌蘭さんのブログを開きましたら懐かしい小松寺を訪ね、カメラに収めた画像が出て参りました。
 小松寺は由緒ある、千葉県でも名だたる古刹として知られております。
 
              懐かしの古刹

 母が親しくしていた小母さまが、亡くなったごぜん様の奥様の妹さんでした。奥様が亡くなった後、時々その小母さまがごぜん様の面倒を見るためにお寺に行っておりました。
 母と一緒に何回か小松寺を訪ね、ごぜん様とお会いしました。
 小松寺は千倉町から館山方向に向い、大貫という地区に入り、左方向に位置します。狭い山道に入りますと、左側に渓流が流れ、人声もなく、静寂な地域です。(今は道路も整備されているそうです)長く行っておりませんので昔の風景です。
 本堂に上がり、ごぜん様と会い四方山話に母と一緒に加わります。ごぜん様の毎日は質素な、そして只管仏道に励んでいるように感じられました。
 冬の本堂は冷え込みが強く、海岸の町と大違い。鳥肌が立つほどの寒さです。
ところがごぜん様は小さな手あぶりに手をかざすだけ。こちらの震えなど何処吹く風かと澄ましております。
 当時現住職の買ってくれた石油ストーブは側に置いてはあるのですが、使いません。
 ごぜん様は火災を心配。お客が見えても石油ストーブに点火しません。私は母と小母さまが話していても、寒さで何を話しているのかも耳に入りません。背中からぞくぞくしてきます。
 ある時、ごぜん様に聞きました。「怖くないんですか」と、答えは「植木泥棒が怖いけど、外は怖いことは無いよ」ということです。その頃小松寺の周辺の山にトラックで乗りつけ、良さそうな木を掘り、偸んで行く人があったそうです。よくこんな所に住めるものだと思ったこともありました。

 ここの紅葉は有名です。時期になると多くの方が眺めにくるそうです。

              懐かしの古刹

 紅葉は残念ながら見たことがありません。私の行くのは冬正月か夏に決まっておりました。
 夏はそれはそれは良いですね。木立が陽を遮り、涼しい風が肌に心地よく、何時までも其処に佇んでいたい感じになります。冬と大違いです。
 ごぜん様は母が亡くなった後、我が家に来てくださり、冥福を祈って下さいました。
 書く字も立派なごぜん様は長生きされました。思い出すのはあの本堂の寒さです。ごぜん様の長寿は精進の賜物でしょうか。それとも寒さに強いことだったからでしょうか。
 (画像は和歌蘭さんからお借りしました)

 和歌蘭さんのブログ

 小松寺のHP
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珍しい戒壇石

 夫と二人は地元の開業医に毎月薬を貰いに行きます。専門は内科外科です。待合室では外科を希望する人は見たことはありません。患者は老人病院かと思うくらい高齢者ばかり。たまに若い人が付き添いで来ております。そんな病院です。行きますと必ず血圧を測ってくださいます。夫はやや高め。私は薬を飲んでおりますが、毎度「いいですね」と先生に言われ、また一ヶ月大丈夫と安心します。
 この病院の先代は産婦人科だったそうです。旧356号から小道を入って行きます。病院には旧356号から略70メートル位でしょうか。手前の左側にお寺があり、また幼稚園があります。幼稚園はお寺の経営です。我が家の近所にそのお寺の経営するもう一つの幼稚園があります。その幼稚園では仏教ですからクリスマスの飾りつけも行事もないと聞いております。実に一貫した態度です。でも子供たちには少し可哀そうな気がします。

 実は病院とお寺の話のような、どうでもいいような話と言えばそう言えますが、でも関連がありそうな話です。
 ルート旧356から入って行きますと戒壇石が道の西側にあります。その言葉が珍しいのです。
 「不可入産穢忌眼入」という文字が彫られております。 今まで会った戒壇石は全部「不許葷酒入山門」という物でした。またこの言葉は良く耳にします。ですがこの不可入産穢忌眼入は初めてのことです。

            珍しい戒壇石

 病院に行く度に何かおかしく感じてしまうのです。だって幼稚園に来るお母さん方の中には出産ま近な方や、出産したばかりの方もおりましょう。病院には眼帯をかけた方、眼を見て欲しい方も入ってきましょう。気になるのですが、なんだか可笑しく辻褄の合わない石だなーと、何時も眺めながら通り過ぎます。
 私はギネスブックに登録したいとは思いませんが、77歳での出産は不可能です。で悠々と石の側を眺めて通ります。これを本気に見る方がいるのでしょうか。
 病院・寺・幼稚園。繋がりがありそうな、無いような何故か奇妙に眺めてしまいます。
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鯖の真子

 戦後日本中が食糧難で苦しんでおりました。我が家もご多分に漏れず実に貧困な情けない物を食べておりました。
 両親の苦労は並大抵でなく、今もそのことを思うと切なくなります。カボチャは沢山植え、収穫した物を縁側に並べ、陽にあて順番に食べ、また土地を借り開墾もしました。
 中国に骨を埋めるという考えだった父は、引き揚げ後すっかり気落ちし元気がなくなりました。母はその時力を発揮し、いろいろと工夫をしました。東に魚が揚がったと聞けば駆けつけ、西に欲しいものがあると耳にすると、何キロも歩いて買いに行きました。自転車で親戚にサツマイモも買いに行きました。
 親戚でも甘えられません。皆が苦しかったのです。でもぬくぬくと過ごしていたのは何時の時代も同じ階層の人たちです。そういう人もおりました。
 
 房州の千倉は昔は政府の補助金がでると聞いていた大きな漁港です。サンマやサバの水揚げは日本有数の港です。サバの開きも沢山作られます。
 サバの開きを作るときの真子はタダで貰うことが出来ました。母は料理好きで、上手に味付け母の味として心に残っております。
 一階のスーパーでサバの真子が並んでおりました。たった一パック。それも値段が170円の半額になっております。85円ということでしょ。これは魚好きな私は見逃せません。
 早速確りと煮付けました。大皿に盛りつけますと立派な一皿になりました。

               鯖の真子

 これを習ったスーパーマクロで写してみました。これは凄い。魚の嫌いな人にはグロテスクに映るかも知れませんね。私は写真に口を付けそうなくらいになりました。

               鯖の真子

 なかなかこういう廉く美味しい食材には出会いません。嬉しかったですね。長女は大好きですので大喜びをしました。
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祝って貰った77歳

 私が77歳になったということで、オパール・ネットワーク我孫子支部の方々が祝って下さいました。
会員の方々で一座を組みたいくらいの面々が揃っております。77歳の私はこの日は喜寿ということだけが取りえのひと時でした。
 オパール・ネットワーク主宰の佐橋慶女さんも赤坂からお見えになって下さいました。
 形どおりの挨拶などの後、写真に納まり、アルコールも入り、ご馳走を頂き勢いがつき始めました。

               祝って貰った77歳

 それぞれのかくし芸と得意芸の披露が始まりました。佐橋さんは「講演はするけどコントは駄目よ」と警戒しておりました。何が披露されたか並べて見ましょう。まずは歌。

               祝って貰った77歳

 斉唱というのでしょうか。皆さんも一緒に歌いました。次は吟詠。

               祝って貰った77歳

 その後は舞踊です。着物で参加の一人です。

                祝って貰った77歳

 次は柏祭りで入賞のキャリヤ。よさこいソーラン。この姿迫力ありますね。

               祝って貰った77歳

 今回台本片手に初お目見えのコント「メイド喫茶」 もうおかしくて、おかしくて。見る方は皆笑い転げ、苦しくてお腹が痛くなりました。この旦那様という役は佐橋さんを予定していたそうです。

              祝って貰った77歳

 私は芸無しですので皆さんと一緒の輪に入り、柏音頭、かっぱ音頭、炭坑節などで不器用に踊りました。佐橋さんも座っていることは許されません。

               祝って貰った77歳

                終わりに再度記念写真。

               祝って貰った77歳

 私を祝って下さり、励ましてくださった我孫子支部の皆さんに感謝の拍手を100回送ります。
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やっぱり優勝がいい

 今年の春の東京六大学野球リーグ戦で優勝したのは明治大学でした。昨日「明大スポーツ」を頂きました。紫紺の旗がたなびく神宮球場を想像。昔も今もやはり優勝は嬉しく感激です。

           やっぱり優勝がいい


           やっぱり優勝がいい

 1948年に入学した時、田舎から出てきた芋ねーちゃんの私は野球のルールも知りませんでした。
 東京出身のクラスメートに誘われ、神宮球場に何回も出かけました。既に戦後の上井草か下井草かの球場での試合は無くなり、神宮球場で開催されておりました。
 ピッチャーには杉下茂さんがおりました。1年後エースは入谷さんになりました。背が高くすらっとした入谷さんは女子学生の人気を集めておりました。
 クラスの何人かは入谷さんのファン。その中の一人は母親にドーナツを作って貰い、度々球場に持って行きました。お供で付いてゆき選手の入り口があることを知りました。宝山とか、国方とか長井とかといった選手のファンもおりました。私にも誰かのファンになるように勧めますが、野球を知らない私はどうすればいいのかも分らず、結局誰のファンになることも無く終わってしまいました。
 毎シーズン優勝を願っておりましたが、とうとう在学中に優勝はありませんでした。

 1953年の春。明治大学は11年振り、戦後初めての優勝を果たしました。
 提灯行列に集まった学生は大変な数でした。岡山東高校出身の秋山、土井のコンビでの優勝。
興奮しましたね。以来夫は大洋(今横浜)のファンです。

            やっぱり優勝がいい

 今回の優勝パレードは小規模だったそうですが、大変良い方法で回ったそうです。
 球場で肩を組み、心を通わせる。そういった姿はその場に居てこそ味わうことが出来ます。
 そこで母校愛に目覚め、連帯感が強まって参ります。同じメシとは違いますが、同じ経験を持つということが素晴らしいことだと思います。
 六大学野球の優勝はぜひ4年に一回は果たして欲しいものです。在学中誰もが必ず出会え皆と一緒に祝うことが出来ます。絶対優勝です。優勝がいい。優勝がいいのです。
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ホワイトアスパラガス

 知人からホワイトアスパラガスを頂きました。北海道から送られて来ました。
 ホワイトアスパラガスは缶詰のを食べることが普通です。初めてナマのを食べたのは随分昔。レストランで高知県から取り寄せたという物でした。
 説明書きを読みますと、EM農法で栽培されていることが分りました。贈って下さった方も、無農薬、有機栽培、EM農法、竹炭などの実践活動をはじめ、様々な環境問題に取り組んでおります。安心して頂きました。

              ホワイトアスパラガス

 大きな箱を受け取った時、わくわくしました。生まれて初めて戴いたのです。それに立派な太いアスパラガスです。
 
               ホワイトアスパラガス

 調理法は案内に書いてありましたが、娘に相談しました。「はなまるマーケットで少し前にやっていたよ」と言いますのでPCで検索し、娘がそれを参考にして茹でて呉れました。
 
               ホワイトアスパラガス

 見事な太さのホワイトアスパラガス、本当に美味しかったです。大満足。美味しい物は皆で食べましょ。私の信条???でお客様にも少し差し上げました。私同様感激してくださいました。
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中村八大さんの17回忌

 中村八大さんが亡くなり、奥様から17回忌のご案内を頂き、歳月の経つのの早さに感無量の思いを抱きました。TV・ラジオで聞く八大メロディー。特に異国で聞く「上を向いて歩こう」は私を感傷的にさせます。
 中国青島での小学校。八大さんはその後の活動と才能の片鱗を見せておりましたが、私達からは弱ーい男の子のように思われておりました。
 後年日本で再会してからは、優しい男性。世界に通じる作曲家として、私達の自慢でもあり、誇りでもありました。
 体調を崩されても弱音を吐くこともなく、自然体で過ごしているように見えておりました。
 亡くなってみますと、その天才的な感性と余人を許さない仕事ぶり、多彩な活躍振りに感動、頭が下がります。
 
 昨日午後4時から池上本門寺本殿で17回忌の法要が営まれました。

            中村八大さんの17回忌

 参列者は本殿に入場する際まず献花をし、席につきました。

            中村八大さんの17回忌

 法要に先立ち、永六輔さんと黒柳徹子さんの偲ぶ言葉があり、デュークエイセスの献歌がありました。
 その後、会場後方から本門寺のお坊さん方が並んで進んで参りました。壇上に座ったのは管主をはじめ僧侶は全部で9名。立派な僧侶。本山なりの格式も高い方でしょう。九州からお見えになった八大さん縁の上人さん3名は私達の前の席に並んでおります。
 お経も上げられましたが、声明の響きわたる厳粛な法要でした。音楽法要と名づけられた意味がよく理解できました。
 法要が済み、参列者の多くが墓所に行き、ご冥福を祈ってまいりました。

             中村八大さんの17回忌

 法要の後、席は移り、そこで開かれた偲ぶ会の司会は松島トモ子さん。

             中村八大さんの17回忌

 八大さんの戒名は予て決められており、八大さんも気に入っていたということでした。
 偲ぶ会では改めて黒柳徹子さんから八大さんの思い出が語られ、再度デュークエイセスの方々が歌い、また八大さんのご家族とも一緒に楽しく歌って、皆さんから大きな拍手がありました。

             中村八大さんの17回忌

 永さんも一人でおおらかに歌い、そして長崎からお見えになった男性はテナーのように島原の子守唄を歌って下さいました。こうして八大さんは皆さんに歌の楽しさを残して呉れました。
 派手でなく、簡素。格式高い声明と歌う人の声。素晴らしい法要でした。
最後に力丸さんがお礼の挨拶をされましたが、この日は力丸さんの誕生日。45歳ということでした。
「こんにちは赤ちゃん」も45年経っているのですね。
 <八大さんの戒名について

             中村八大さんの17回忌

 頂いた精進料理の色が綺麗でしたので、余分ですが掲載させて頂きます。

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新聞とは国民の日記である

 青島羊会の武藤直大さんがタイトル「新聞記事に見る激動近代史」とい力作を上梓されました。
 
                 新聞とは国民の日記である

 私達は1931年、32年生まれの仲間。私の生まれた1931年には満州事変が起きたことは知っておりました。
 武藤さんの収録された新聞記事によりますと、全く知らなかったことの方が多く、読ませて頂き勉強したいと思っております。
 序文の中で「新聞と日記の共通点は多い。毎日の出来事がテーマである。事実だけでなくそれについての感想も書く。書くのはその日、ことが起こってすぐだから、ナマの感情に近い。じっくり考えて書くわけではないから、「あと知恵」はあまり入らない。」彼はまた「後世になって粉飾されることのない新聞記事こそ、正しい歴史認識の基礎になる」とも述べております。
 私達は過去の事実の現場に立つことは出来ません。歴史認識の点や戦争責任のことなどでは思想、立場によって解釈は違ってくると思います。武藤さんはそういったことも充分に承知の上、新聞記事のもつ時代性に意義を見たことだと思います。
 
 5月17日の羊会懇親会で久しぶりに武藤さんとお会いしました。大柄な武藤さんは会員の中でも一番背の高い方です。「青島満帆」に戦時中の少年が過ごした思い出を寄稿しております。記憶の良さには驚ろかさせられました。
 
               新聞とは国民の日記である

 誤解をされないように言いますと、この記事により現時点での判断で正否をしては彼の本意ではないということでしょう。私はそう理解しております。感情も解釈もその時点での表現で、そこから自分が何をどう見るか、どう感じるか、そういった書だと思います。
 仲間の一人中村八大さんの17回忌の法要が今日が執り行われます。「こんにちは赤ちゃん」の力丸さんにお会いしますが、八大さんの若い頃に似ております。八大さんと一緒に先の羊会懇親会の席で喜寿を祝うことが出来なかったことは残念です。

 
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チャイナドレスは素敵だ 50

 和服の生地を使い綺麗に仕上げて来た生徒さんがおります。なかなか丁寧に作ってあり、紐ボタンのバランスも良く、個性が滲んでおります。紗の生地ですので皆さんが出来栄えを見るのに寄っております。
 
         チャイナドレスは素敵だ 50

 同じ方ですが、先頃和服の絞りを上着に作りたいと裁断しておりました。それも出来上がり皆さんが感心しておりました。側の生徒さんのも和服地です。

         チャイナドレスは素敵だ 50

 和服を沢山持っているので、チャイナドレスに直して欲しいと良く言われますが、私は先ず引き受けません。理由は簡単には作れないということもありますが、所謂旗袍のイメージが私と違っていることが多いからです。生徒さんは多面的に考えて作りますから、それは良い作品に仕上がります。

 忙しい中、季節にピッタリの上着を着て来た生徒さんが見えました。体によく合っておりますし、風合いもご本人とよく合っております。

         チャイナドレスは素敵だ 50

 何が良く、何が駄目かは段々ご自分で判断できるようになります。長く続けておりますと、技術もセンスも上向きになって来ます。生徒さん達の腕が上がって来ますと私の喜びも大きくなります。

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永福町

 1950年代か60年あたりになりましょうか、その頃から父の弟が井の頭線永福町駅から10分ほどの所に住んでおります。静かな住宅街でした。今も静かさはそう変わってはおりません。近所に伊東四朗さんの立派な邸宅があります。その邸宅の敷地には昔、平屋の清川虹子さんだったか、玉枝さんだったかの家が建っていたような記憶があります。
 当時井の頭線の永福町駅はホームから明大前寄りに線路の所に下り、電車の通過を待ち、改札を出ました。
 駅の前に有名なラーメン屋があります。私が叔父の家に行きますと、そのラーメン屋に行き、ラーメンを買って来ました。出前はしてなかったそうです。少し伸びてしまってはいましたが、かなり美味しいラーメンでした。
 ラーメン特集などの本で見ますとかなり有名なようです。大勝軒というその店の前には何時も行列が出来ております。
 先週知り合いの102歳の女性の方の葬儀があり、叔父の家と2番地違いのお寺でしたので、葬儀の後叔父の家に寄りました。
 叔父と叔母は仲が良く、数年前まで休みというと二人でドライブ兼友人訪問を続けておりました。昨年叔父は心筋梗塞を起こし、入退院を繰り返し今は会社も息子に任せております。 
 叔父は92歳。元気なことは驚かされます。若い頃から車の運転を続け、90歳過ぎても運転しておりました。
 前々から運転は止めさせたいと身内は誰もが思っておりましたが、本人は耳を貸しません。今回の病気で心を改めたかと思っておりましたが、どうも本人はまだまだ大丈夫だと思い込んでいる様子。
 「叔父さん 運転は止めないと駄目よ」「ウン。医者次第だな」と未だ止めるという気分になっていないようです。「ねー叔父さんもしその医者が良いと言ったら、その医者はヤブだよ」と私は強く言っております。いささか困ったことです。
 先日は喪服で寄っても構わないということで、数ヶ月ぶりに見舞って来ました。
 葬儀は11時からですので、大勝軒の前を通った時は多分10時45分くらいだと思います。大勝軒の店内に人が既に座っているように見え、また外には人が並んでいます。
 叔父の家で大勝軒の話になりました。昔私がご馳走になっていた頃、一杯35円。現在は900円とか、ラードがスープの上を覆っているので、熱々だと、居合わせた従弟が話しておりました。
 どんなラーメンか試してみたいとは思いますが、あの長蛇の列を眺めますと、とても無理です。
 午後4時過ぎ、叔父宅を辞し大勝軒の横を通りますと、朝と同じように人が並んでおります。

                 永福町

 驚きです。何時も何となく眺めていましたが、こういう風景をみますと、並ぶ人は休みなのか、それとも何もすることがない人かなどと不思議に思ってしまいます。
 台北の鼎泰豊と競い合いそうですね。
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よく歩き、よく食べ、そしてやや太りました

 台北二日目は午前中勉強と生地問屋街探索。昼食は鼎泰豊。鼎泰豊では小龍包だけではなく外にもいろいろと味わいました。
 午後は既製品のレベルを見ようと、台北駅の地下街や三越などを廻りましたが、期待したほど収穫はなく、健康に良い時間となりました。珍しく歩き回りました。
 気温36度は凄いですね。夕方早めに林さん宅近くの店に行き食事をしている間、猛烈な雨と雷。ややおさまった後ホテルに帰りました。
 31日はホテルを9時10分に出発。故宮博物院に直行。人も殆んど見当たらないほどです。

         よく歩き、よく食べ、そしてやや太りました

 故宮の展示はすっかり変わり、テーマーと時代が一緒に理解でき、なかなか良かったです。よく歩きました。
 故宮を後にし、圓山大飯店で林さんの家族と合流。飲茶を摂りながら歓談のひと時を過ごしました。
 圓山大飯店は初めて足を踏み入れましたが、赤を基調にした重厚な建物です。一階のアーケードの品物も高価なものが並んでおります。以前ツアーガイドは空調が古いと説明をしておりましたが、きっと問題ない筈です。

         よく歩き、よく食べ、そしてやや太りました

 今回は二泊三日ということでしたが、林さんのお蔭で悠々と美味しい物を沢山頂くことが出来ました。
 天厨菜館のペキンダックや他の店のも何品か並べて置きましょう。

        よく歩き、よく食べ、そしてやや太りました


        よく歩き、よく食べ、そしてやや太りました


         よく歩き、よく食べ、そしてやや太りました


          よく歩き、よく食べ、そしてやや太りました

 30日の夜の店は林さんも行きたかったらしい「薺元小館」という名の店です。最近話題なったそうで江南料理が得意のようです。店のパンフレットを見ますと薺を使うと健康によいようです。
 お客も大勢入って来ました。皆さん元気がよく大声が店内に響き亘っておりました。有名になると人が寄って来るのは日本と同じですね。薺は日本でも正月の七草粥で食べられるという説明も書かれております。 パンフレットの裏を掲載します。ご覧下さい。自然志向ですね。

              よく歩き、よく食べ、そしてやや太りました
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台北は暑い

 5月29日の午後久しぶりの台北行き。最近の台湾の旗袍事情も知りたいし、生地の良い物も買いたいしと、それだけを目的にしておりました。
 台湾出身の林偉烈さんは明大農学部に留学。マスターを得て、現在は台北で活躍しております。台北では毎回お世話になっている方です。今回も到着から出発まで付き合って下さいました。
 29日の夜は天厨菜館でゆっくりとお喋り。台北の経済発展、兵役の短縮、最近の台湾の若者の姿、四川大地震への台湾の素早い対応、車が減りバイクが増加、随分話が弾みました。
 30日午前中は旗袍の専門家の方からレクチャーを受け、生地屋の集中しているビルに出かけ、生地を選びました。
 大事な用が殆んど済みましたので「鼎泰豊」の小龍包を食べに行きました。10年ほど前と変わらず大勢の方が並んで待っております。

                 台北は暑かった

 番号札と注文票を受け取り、オーダーの品物に数を記入、暫し待っておりました。

                 台北は暑かった
 
 昔は入り口から両側に仕切りもせず小龍包を作っている男性が並んでおり、その間をお客が通って客席に辿り着きました。日本では保健所が許可しないだろうと話したことでした。
 今回は右側のガラス越しに作業をしております。白衣、帽子、マスク確りと衛生管理がされていることが分りました。
 同行した方と林さんと席に就き注文した小龍包に舌鼓。

                台北は暑かった

 凄いのですよ。お客の切れ目が無く、蒸篭が次々に運ばれて来ます。全てがコンピューターで管理されているように見えます。

                台北は暑かった

 少し空席が出来て来ましたので、そろそろ込み合う時間が過ぎたのかと思いきや、日本の団体のための予約席でした。日本人も多く行きますので、小龍包の食べ方も一緒にテーブルに持って来て驚きました。細切りの生姜も少なくなるとすぐに持って来て呉れます。なかなか親切で気が利いています。若い女性の動きもてきぱきとしております。
 日本でも都心に出店しておりますが、味が違うという話です。
 ともあれ、この日の台北の気温は36度。蒸暑くて周囲が暑さ色という感じです。そこに体が放りだされているような気がしました。でも美味しかったですね。暑くても鼎泰豊は良いですね。


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相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日85歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになりそうです。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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