2008-07

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久々のパロディー

 名古屋場所も外国人の優勝で終わりました。子供の時、力士と言えば双葉山でした。
 中国青島へ巡業に来た双葉山を見た時はその大きさにビックリしましたね。双葉山の汗を拭くのに、弟子が竹べらで背中を掃くようにするのも驚きでした。
 その双葉山を御茶ノ水駅のホームで見つけ、側に寄りましたら思いのほか小柄でこれもまた驚きでした。今は力士がみな大きくなり、特に外国人は大きいですね。
 最近H氏からパロディーが来なく、友人から寂しわね。と言われておりました。其処に来ました。
  賞味期限切れと言うタイトル付きです。

久々のパロディー

 賞味期限切れと言っても矢張り面白いし、待っている方もありますので掲載いたします。タイトルは新・相撲甚句です。行司志望の外国人は聞きませんね。
 HT氏のパロディーに新しいタイトル「お袋が講談社側証人」と名づけられたHI氏アレンジのパロディーが遅れて到着しました。

久々のパロディー

 HI氏とHT氏はこうして楽しんでいるようで、頭の体操も充分でしょうね。面白くて笑ってしまいました。ご本人がいくら「賞味期限切れ」と言われても皆さんにお見せしたくなりますね。
(どうしたのか画像が動きません。私を困らせるのも計算に入っているのかしら)
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我孫子でワンコイン寄席

 オパール・ネットワーク我孫子支部の仲間との交流は健康志向。先頃は我孫子在住のプロのシェフから洋食を教えて頂きました。昨日は笑いが健康と、「ワンコイン寄席」を開催しました。皆さんで協力し、楽しい催しを企画することも精神的な健康志向と言えましょう。
 企画はおおよそ半年前に決めませんと会場が取れません。今回は会場を我孫子市民プラザホールを確保。ここは席数200。私達15名ほどの集客力では精一杯の会場です。
 女性会員ばかりですので、今回は取手の男性会員の方と奥様。それに私の若い生徒さんの応援もあり、会場の準備は順調に進みました。市民プラザホールには金屏風や緋毛氈があるので助かりました。出演者がお見えになってすぐに舞台の状況を見て頂き、席を高くしました。矢張りこういうことはプロに伺いませんと分りませんね。舞台は立派に出来ました。

 昨日は講談を語る知人の伊藤琴遊さんと伊藤さんのご縁で柳家さん八師匠をお呼びすることが出来ました。
 ご近所の方々を始め、遠くは湘南方面から、はたまた登戸、越谷からも馳せ参じて頂きました。地元の方は開場前からお見えになって、開場をお待ちしております。会員はこの日は和服で皆さんをお迎えしようと相談。受付に並び皆さんをお待ちしました。

               我孫子でワンコイン寄席
 
 整理券はワンコインですので500円。殆んど座席が埋まりました。
                    
               我孫子でワンコイン寄席


 講談    「は組小町」江戸消防の由来・火消し涙の物語    

                     伊藤琴遊 (宝井馬琴の弟子)
 
 落語    「忘れられない昭和」東京大空襲と小さん師匠のエピソード

                    柳家さん八 (落語協会幹事)
 
 
 講談を聞くのが初めてという方もかなりありました。伊藤さんは会社役員をされておりましたが、長く宝井馬琴師匠(明大英文卒)の元で修行し、定年後は磨きがかかり、渥美雅子さん(弁護士)と一緒に舞台に立つなどの活躍をされております。

                我孫子でワンコイン寄席
 昔から変わらないスタイル。姿勢も良く、張り切って一席語りました。
 私はさん八師匠が東京大空襲のことを落語仕立てにし、皆さんに戦争の悲惨さ、平和の大切さを取り上げ訴えているという新聞記事を呼んでいましたので、ぜひ我孫子に来て欲しいと思っておりました。
 伊藤さんにそのことを伝えましたら、さん八師匠が快く引き受けてくださり、我孫子での寄席が実現しました。

               我孫子でワンコイン寄席

 師匠の話で柳家小さんの思い出は側に居た人でなければ語れないエピソードで会場の笑いを取ります。会場のお客様は見事に高齢者ばかり?と言っても過言でないでしょう。師匠の語る園遊会での天皇。皆さんご存知の姿と話しぶり。会場では笑いが沸騰しました。
 オパールの会員も一緒に大笑い。開催した甲斐がありました。
 終了後、遠くから駆けつけてくださったオパールの会員。地元の明大校友会関係の方と出演者お二人を囲み、歓談をすることも出きました。

              我孫子でワンコイン寄席

              我孫子でワンコイン寄席

 私の知る伊藤さんは高校・大学と雄弁大会で数々の入賞を果たし、学生時代から真面目な方です。よきかな同窓生です。こちらの希望を適うようご配慮くださり今回は随分お世話になりました。
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金子数栄・君子夫妻の民宿

 オパール・ネットワークの赤坂サロンにお招きした金子数栄・君子夫妻が長崎県の琴海尾戸町で民宿を始められたそうです。

                  金子数栄・君子夫妻の民宿
                     (赤坂サロンで)
 ブログで拝見しましたら、其処には見たい、やってみたい、行ってみたい。全部が懐かしく体験したいことで、心を呼んでくれています。

                 金子数栄・君子夫妻の民宿

 金子さんの前の海はプライベートビーチ様。春夏秋冬の田舎暮らしの体験が待っております。実に魅力に溢れております。

                   金子数栄・君子夫妻の民宿

 金子夫妻の民宿はこのアドレスを開いてご覧ください。

  赤坂サロンにお招きしたお話「人生第二幕は自分が主役」の詳しい内容は2008年2月2日の相子のページをご覧になってください。
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北京五輪まで2週間

 北京五輪まで後2週間と迫って来ました。私の関心の一つは青島の様子です。青島からの中継が無事に届くことを願う毎日です。
 青島の海岸線は長く、リゾート地としての条件はなかなかなものです。街の背中に山を背負っているようなところはそうないことでしょう。ヨット会場では昨年8月国際ヨット競技大会が行われ、施設も整っております。

            北京五輪まで2週間

 青島のホテルは満杯かと思っていましたが、どうもそうではなさそうです。五輪値段はかなり高額だということですが、五輪価格は8月に入ってからになるようです。
 既に青島に見えている外国の選手は五・四広場に行っているのでしょうか。

            北京五輪まで2週間

 今日のニュースで五輪入場券の発売に駆けつけた人が物凄いことのようで、手に入れるのも容易ではなさそうですね。
 容易でないといえば五輪記念紙幣も先ず手に入れることは難しいようです。10元札は600万枚発行されたそうですが、銀行での交換という条件のようです。中央に多くが配布されているそうで、地方では殆んど無理なようで、既に市場では高騰しているという話です。
 となると偽札が出回るかも知れませんね。

            北京五輪まで2週間
 
 子供の頃青島で使っていた紙幣は中国聨合準備銀行発行の「聯銀券」という紙幣でした。偽札はあることはあったようですが、そう頻繁に出回っているとは聞いておりませんでした。
 戦後最初に青島に行った14年前。青島で買い物をすると必ず偽札かどうか検査をしてから商品を受け取るので驚きました。その後数回中国に行っておりますが、そのようなことは無くなっているのでしょう。気がつきません。
 中国へ行くときに成田で両替するのが出来ないこともあり、前回の残金は必ず持ち帰り保管して置きます。
 14年前の紙幣は外国人専用の紙幣でしたので、その後行った時には勿論使うことは出来ませんでした。
 いよいよ近づいた北京五輪の警備のために物凄い人数の警察官が北京に集結しているようですが、地方の治安が気になります。
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有難い添付

 所沢に住む小学校のクラスメート。メル友の一人です。私の忙しいことを良く知っていて、季節折々の便りと写真を送って下さいます。勇ちゃん自身は左程健康とは言いがたいのですが、何時も発想が新鮮。興味の対象は森羅万象に及んでおります。
 最近は「所沢ゆり園」の様子を届けて下さいました。自宅から遠くはないそうですが、頑張って観に行かれたそうです。
 ゆりがこんなに沢山の種類があるとは知りませんでした。園というだけの価値がありますね。

           有難い添付
 凄いです。ゆりってどのようにして種類を増やすのでしょうね。山百合か姫ゆり位しか知らない私、恥ずかしくなりました。
 色とりどりのゆりの花の写真が送られて来ました。全部を掲載できないのが残念です。

           有難い添付

           有難い添付

           有難い添付


 花も綺麗ですが、人々の姿も良いですね。ゆっくりと写生(スケッチと言うのでしょうか)する女性方何時もせかせかと動き回っている私と比べ優雅に感じ、半分真似をして見たいなという気分になります。勇ちゃんはきっと何をほざくなと笑うことでしょう。

            有難い添付

            有難い添付
 
 この二人のカメラマンの腰つきは実にユーモラスに見え楽しくなります。ご本人達はまさか自分の姿を眺められているとは露しらず、ひたすらゆりに眼を凝らしていることでしょうね。自然の中の人の姿。穏やかな風景です。良いですね。
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青島の聖火リレー

 北京五輪も迫って来ました。聖火は何処を走っているのか、ニュースからはなかなか分りません。大雑把には見当がついても詳しいことまでは日本では知ることは無理です。
 漸く山東省の青島に入り、昨日無事に終わり、次の所に行くことになったそうです。

               青島の聖火リレー

 青島の海岸通りの歩道は板張りで心が安らぎ、落ち着いて歩くことが出来ます。
 昨日、聖火リレーが行われたそうです。
 市政府が大学や各企業に割り当てた動員によって、沿道の応援、警護に当たった市民は12万人。
朝6時から所定の場所に集まってリレーの開始を待ち、8時に、聖火はオリンピック会場のヨット基地を出発。
 ジャスコなどがある目抜き通りを通って五・四広場まで約8キロの道のりを完走したそうです。
 (五・四広場は五・四運動に因み名前が付けられた広場。特に青島は五・四運動に大きく関わっているところです)

               青島の聖火リレー
             (赤いモニュメントが五・四広場の目印です)
 走者は全部で259人。一人50メートルずつ走って聖火をリレーしたそうです。
 警察官は前夜から沿道の警戒に当たり、ビルの窓を開けることは禁止され、一般の市民の見学は許されず、選ばれた人たちもカメラ、傘、ペットボトルの持参は禁止されたということです。

 厳重な警戒のもと、聖火リレーは、五・四広場を終点に、午前10時ごろ、終了しましたということを今日知りました。(良かったです)

 ただ五輪というのは開催国は責任を持って無事に終えることが大前提でしょうが、今回ほど様々なことを考えさせられるとは予想外のことでした。多様な要因があるとは言え、自国民さえ普通に聖火に近づけることが出来ないということは異常としか思えません。


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朝の老人食

 夫も私も後期高齢者。食生活は和食中心になっています。ですから朝食は味噌汁・煮物・干物とか納豆、卵も使います。焼き海苔は必ず。トマトも殆んど毎日です。後は佃煮や残り物。味噌汁の実は普通は三種類、多いときには五種類くらいの日もあります。煮物はあるものを使い沢山作り、夕食の一品にもします。
 夏の味噌汁の実に茄子を使いますが、皮付きですと汁の色が悪くなるので皮をむいて入れます。皮は数回分溜めておき即席の佃煮にします。
 夫は焼茄子が好物ですが、我が家はオーブンがありませんので、ガス台が確りと汚れます。でたまに焼くことになります。(夫は必ず手がかかるんだろうね。と申し訳無さそうにします)焼くのも皮を剥くのも簡単なんです。
 先日友人と集まった時に焼茄子の話から、電子レンジで作るということを何人かの方が言いまして、最近よく知られている調理法らしいことが分りました。
 今朝煮物代わりにやってみました。茄子のへたを落とし、皮を剥き、一個ずつキッチンペーパーで包みその上をラップでキチット覆います。電子レンジで2分。丁度良く出来ました。

               朝の老人食

 何時もは何回分も溜める皮がいっぺんに目の前にあります。直ぐに昆布の佃煮のように角切りにし、フライパンに少しの油を入れ、炒めます。皮の色が変わって来たら、炒めながら醤油少々と日本酒少々で味をつけます。唐辛子を少し入れてさっとかき回し、味の素少々振り、火を止めます。色が直ぐに黒くなります。ご飯によく合います。

               朝の老人食

 茄子はやはり直火で焼いた焼き茄子に軍配を上げたいですね。焦げの香がしませんので少々物足りません。オロシショウガで食べましたが、これは味をプラスして変身させることが良いのかも知れません。和洋中華といろいろな味になりそうです。なにかチョッと工夫をする楽しみが増えました。娘達から茄子が続くねーと言われないようにさりげなくね。やってみましょ。
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中国青島の海が心配

 中国山東省青島は中国有数のリゾート地です。中国人が老後住みたい処は青島が第一番だそうです。数年前に青島の土地の価格は北京を凌ぐと言われました。
 北京五輪のヨットやセーリングの会場になっており、市内の整備も進み見事に変身しております。
 海あり山ありの青島の小学校生活を送った数年、夏は何を置いても海水浴です。海岸線の長い第一海水浴場(昔は忠の海と言われておりました)は多くの日本人が行くところでした。

          中国青島の海が心配

          中国青島の海が心配

 思い出の詰まった青島の海。ところがつい最近その美しい海に大量の海藻が発生し、青島市政府は軍隊や市民を動員し、除去をしているというニュースを知りました。
 
           中国青島の海が心配
                   (産経ニュースから転載)
 気になりいろいろなメディアを彷徨いどうなるのかと心配をします。遠く離れて住む外国人が心配しても始まりませんが、毎日毎日気になり、どうなっているのかとPCで見ています。
 どうも先頃南の方で大量の雨が降り、それによっていろいろな物が北に向かって押し寄せていることらしいのです。天災としか言いようがないのでしょうね。本当に五輪は開催出来るのでしょうか。
 小学校の頃(1940年頃)夏になると水泳教室に通いました。仕上げは遠泳です。その場所は海岸に突き出た桟橋の東側でした。桟橋の一番先は廻欄閣と言われておりました。水は綺麗病気のことなど気にせずに泳ぎました。今も人気があり、人々が桟橋に見えるようです。

            中国青島の海が心配
 
 あるメディアは海藻は25日までには除去されると書いております。動員されている方々のご苦労も大変なことでしょう。

            中国青島の海が心配
                  (中国新聞社6月29日)
 毎日心配し気になってなりません。事態が一日も早く解消され、無事に五輪の中継が見られることを願っております。

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昔、白浜の女は働き者だった

 夜明けが早くなると昔の千葉白浜のことを思いだします。戦いが済み男性が町に戻ってきました。
 1946、47年という時期は国内の人口も増えましたが、大変な凶作で、食料を求めて人々は右往左往しました。魚は貴重な食材です。男性は漁業に精をだし、山・畑・海はまた女性を駆り立てました。
 
                昔、白浜の女は働き者だった

 戦後は経済は疲弊し、人々は何とかその中で稼ぐために一所懸命になっておりました。私は女学生でしたので、白浜の女性の働きぶりに感心しておりました。
 先日メル友の勇ちゃんが所沢のゆり園の写真を送ってくれました。山百合とは違い色も綺麗で栽培種のものでしょうか。

                 昔、白浜の女は働き者だった

 昔の白浜では山百合が都会に出荷されていました。これは女性の仕事です。山百合は北に迫っている萱山の中に点在し咲いております。遠くからも眺めることが出来ます。
 女性達(主に30代、40代、時には老人もおります)は夜明けとともに山に急ぎ、朝露のなか山百合を刈り、背負い板で持ち帰ります。涼しい所に置き、田圃の草取りに出かます。
 草取りを済ませると、海女に早変わり。弁当のご飯を持ち浜に出かけます。昼前に一回、昼食と昼寝を済ませ、午後もう一回。一日に二回海に潜ります。初夏は天草採り、真夏は鮑やサザエを採ります。浜の昼食は磯物をおかずにします。
 帰宅後山百合の花を薄紙で丁寧に包み、俵にして出荷場所まで持って行きます。
 また冬の花の苗の移植を何回もします。
 戦後暫らく経ち、魚を食べに来る人が街にやって来るようになり、宿も増えますと夜は海女芸者として出かけます。
 私も人から働き者と思われているらしいのですが、とても白浜の女性には敵いません。
 でも既にあの頃から60年も経っていますから、事情は全く違っていることでしょう。夏・海・百合と思い出が次々でて来ます。
 海女は仲間と情報交換も充分、知恵が一杯。海女小屋は精神的には開放の場でもあり、逞しいこと。柔な都会の女性の何倍もの底力を備えております。あの健気な女性達を讃えたくなります。
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布のコサージ

 必要があって布地のコサージを作ることになりました。飯田深雪さんのお弟子さんの友人に電話をしたところ運悪く不在。時間を急くので何とかしなければと無い知恵を働かせ、あれこれと思案した結果、中国服に付ける紐ボタンのことから糸が繋がってきました。
 まず決まっていた布地に薄く糊を貼り、生地をカットし縁が解れないようにしました。花の形をイメージし、いろいろなサイズの花びらをカットしました。
 表情を出したいので、一部の花びらには後に#30の針金をボンドで付けました。材料がおおよそ整いました。

               布のコサージ
 
この花びらを4組に分け、4個のコサージに纏めました。表情が同じではつまらないのではと思い、それぞれ少しずつ変えてみました。
 まー初めてなのでこれで我慢して頂く外ありません。と心のなかで言い訳をしております。

              布のコサージ

 でもなんだか上手くいったような気分になっているのも確かです。このブログを見た生徒さんが旗袍の残り布で作りたいとなったならば、紐ボタン作りの練習にもなるので、教えたいと思っております。布の造花を習っている方はおかしく思うことでしょうね。でもなせばなるで、一所懸命考えると何とかなるものですね。
 折角のコサージも渡す前に形が崩れてしまうといけないので、2階のヒャッキン(生徒に教えてもらった言葉・100円ショップ)で手頃なケースを買って来て中に収め、自分で拍手をして喜んでしまいました。
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初めて見た景色

 我が家はマンションの4階。老後を考えてエレベーターの止まるところにしました。
 ここを買う時、大学同期の専門家にどの階が良いかを聞きました。
 先ず自分の足で昇り降りが出来ること。出来ればエレーベーターの止まる階にというアドバイスを受け、今の住居に住むことにし、既に30年が経ちました。住人の入れ替わりは結構あります。昔はエレべーターの中を毛布などで囲い、引越し荷物を運んでいましたが、今は新品のダンボールなどを確りと廻らし、作業も綺麗に進めております。
 昨日ベランダで洗濯物を干していましたら、目の前の棟の壁に荷物を積んだリフトが見えます。4階から引っ越す方があるようです。

          初めて見た景色

 高層棟に住んでいますので、外の棟の引越しの事は知りませんでした。へーと眺めておりました。
 出かける用事があり、忙しい朝です。でも見たいのです。カメラを手の届く所に置き、洗濯物を干し、用事をしながら様子を見ておりました。作業をする方が見えました。

          初めて見た風景

 忙しいのです。早くしてー!!!。でもどうするのか見たい。家の中を走り回りながら時々ベランダから眺めます。
 様子が変わったらカメラです。ヒッチコックの裏窓のジェームズ・スチュアートの気分になったような気がします。自分でもおかしくなりました。
 夫が呆れてみております。様子が変わりリフトの向きが変わりました。下のトラックが見たいのですが、駆けつける時間はありません。

           初めて見た風景

 最後まで見ないと気がすみません。目の前の風景です。ベランダで立ったり座ったり、とに角柵が邪魔です。腰を屈め鉄柵の間にカメラを構え、写しました。動物園の檻の中に居るような感じです。
 家の中を忙しく動きまわり、時々様子を眺めに行きます。
 段々リフトが下がります。

           初めて見た風景

 急げば見られたかナー。ついに終わりになります。下に下がり荷物はトラックに納まりこの街からでて行くのでしょう。遠く?そう70メートルからさよなら。

           初めて見た風景

 5枚の写真は見る方には少しも面白くないと思います。でも私は足は骨折してはおりませんが、気分は少し裏窓の覗き気分でした。全体というか全工程と言うか、見終わり安心して出かけました。
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20%仲良し・80%喧嘩

 長女の一人娘(中学3年生)二女の一人娘(幼稚園年長組)この二人は一週間のうち5日か6日は我が家に来ます。夕食を一緒に摂ります。
 長女の娘は目下受験準備のために忙しく帰宅が遅くなり、自然に我が家に来るのも遅くなります。孫二人は仲良く過ごす時間は略20%、喧嘩や奪い合いは略80%。80%の理由は主に二女の娘にあります。喧嘩の種は身の回りに沢山あります。要は何でも良いのです。
 一昨日長女の娘が未だ見える前、二女の娘はTVのリモコンを持ち歩いております。理由は番組を見る為ではなく、長女の娘の見る番組の邪魔をする為です。
 食卓を挟んで2台のTVがありますが、その1台は普通長女の娘が大体見ておます。一昨日は塾から未だ戻っていないので、先制攻撃よろしくリモコンを持ち、家の中で動き回っております。トイレにまで持って行き、呆れました。
 夫が「Mちゃんが帰って来たら見せて上げなさい」と言いますと「あっちのを見れば良いのー」と確かに理屈は合っております。このチビは理屈屋ですから、ばーばは言い返す言葉に詰まってしまいます。
 二女の娘は長女の娘が一番のライバルです。「Mちゃん嫌い。世界で一番嫌い。地球で一番嫌い」
こんなことですから毎晩家族を困らせてくれます。
 仲が良い時は二人でディズニランドに行く相談の時。TV番組で興味の対象が同じ時。そういう時には部屋の中も静かになります。時には抱き合って仲良くする日もありますが、それは長続きはしません。

              20%仲良し・80%喧嘩

 チビは最近カナ蛇?(トカゲ)や青カエル、ヤドカリなどを飼っており、その餌採りに親は夕方から一緒に駆け回っております。私の爬虫類嫌いを知っておりますので、わざと私の側に持って来て驚かせては嬉しそうにしております。秋にはハムスターを欲しいと夫に強請っております。
 バーバは喧嘩の相手にはならないようですが、からかうのに不足のない相手と思っているようです。
 先日敷布団を家に仕立て、その中に私を呼び込み、芝居のような遊びをしました。「疲れたから寝ましょ」と布団を広げ二人で横に並んで寝るフリをするはずが、私はうっかりウトウトとしてしまいました。突然ハットするような空気が体の上を通り、チビが何時の間にか踏み台を持って来て「人間越え」をしたのです。「これは大変!体に落ちたら死んでしまう」と体を起こし、逃げ出しました。「ジャーお葬式だね」とすかさず返って来ました。
 こんなことですから、M子とチビの喧嘩は最後はどちらかが自宅に帰って、やっと収まります。二人が帰ると老人二人は薬を取り出し飲むことになります。
 仲良しの時間は老人は安らぎ、喧嘩の時間には只管孫達のやり取りを観察しております。疲れますね。我が家「孫は来て嬉し、帰って嬉し」が毎日繰り返されております。
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鳳仙領のこと

 清朝が衰微し始め、西欧の姿に触れた人人が新しい中国を作ろうと国内外で運動を始めました。
 当時の中国社会の中では政治家や軍人はそれぞれが紆余曲折を経ており、蔡鍔もその一人でした。
 袁世凱は孫文から譲られた臨時大統領になった後1915年に帝政復活をしました。
 蔡鍔は1915年11月雲南に戻り、挙兵し袁世凱討伐を果たし、その姿勢が人々の共感を呼んだそうです。
 蔡鍔を送り出した小鳳仙は蔡鍔の決意を知っていて手助けをしたということで、民衆から持て囃され彼女が好んで着ていた旗袍の襟を以後鳳仙領と称するようになりました。またその衣装全体をを鳳仙装とも言います。現在は形が変わりましたが鳳仙領という言い方は残っております。下記に現代のものを掲載いたします。
 
                   鳳仙領のこと

                 (楊成貴氏の著書から転載)
 袁世凱は帝位に就いたものの、敗北を自覚、1916年3月に退位しました。その失意のせいか僅か81日後で亡くなりました。
 蔡鍔は袁世凱打倒の功績のなか、間もなく自身も病を得て治療のため来日しました。しかし既に病重く福岡の病院で11月8日に死去しました。その死を悼み日本の新聞でも大きく報じられております。
 蔡鍔は1917年4月12日に中華民国での最初の国葬を以って兵麓山に葬られました。

                    鳳仙領のこと

     (葬儀に際し掲げられた写真・蔡鍔の孫 蔡安慈女史から提供)
 天津のホテル利順徳新館1階のロビーには今も孫文や梅蘭芳などと並んだ軍服姿の蔡鍔が描かれているそうです。

                鳳仙領のこと

                 (蔡安慈女史のご主人王廼珍老師提供)
 蔡鍔の墓地は大きく、親族が墓参された時の写真も拝見いたしました。立派な墓所です。

                鳳仙領のこと

                  (蔡安慈女史提供)
 私の中国語の先生は明大講師の王廼珍老師で、奥様が蔡安慈女史です。
 
 私はある時旗袍の資料のなかで鳳仙領のことに出会い、その由来を調べていましたら蔡女史の祖父との掛かり合いを知ることになったのです。偶然とはいえこういう繋がりに驚いてしまいました。王老師のご子息王欣雨さんも優秀で、蔡鍔の曾孫らしく正義感の強い方です。
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鳳仙領のこと

 旗袍を習い、またその為に中国語に手をつけ長い月日が経ちました。旗袍(チャイナドレス)の変遷に興味があり、そういう話題や事実に出会うと大発見をしたような気分になります。未だに子供のような気分があります。
 旗袍の立ち襟は高くなったり低くなったり、また襟なしになったりと忙しく変化した時代があります。その一つに元宝領と呼ばれる襟があります。中国のお金の元宝銀の形は餃子の話で聞いたことのある方は多いと思います。

              鳳仙領のこと
 
          (元宝領の旗袍・襟が首をすっかり覆っています) 

 このタイトルは「蔡鍔と小鳳仙」とするほうが正確だとも思いますが、旗袍の説明がありますので「鳳仙領のこと」としました。
 
 1912年中華民国が成立。孫文は臨時大統領に就任したものの、それをすぐに袁世凱に譲ります。袁世凱は初代大統領となりましたが帝政復辟の策を弄し帝位に就きます。
 袁世凱は雲南都督だった日本の陸軍士官学校で学んだ蔡鍔(1882~1916)を抱き込もうとしました。

                 鳳仙領のこと

               (写真は蔡鍔の曾孫王欣雨氏提供) 
 袁世凱に与したくない蔡鍔はそれをかわすため北京において芸妓小鳳仙の所に入り浸り、しばしば一緒に天津のホテル利順徳に出かけたりし、政治に関心のないことを装っていました。
 
              鳳仙領のこと

      (元宝領の旗袍を着た17歳の小鳳仙・脂點江山 段戦江著から転載)
 蔡鍔はあるとき天津から日本の支持者が差し向けた船に夜陰に乗じて乗り込みベトナムを経て雲南に戻りました。
 小鳳仙と別れて帰って来た蔡鍔は齢29歳で護国軍総司令官となり、雲南にて討袁の兵を挙げ、袁世凱を退位に追い込む力となりました。  (この項続く)
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紅い睡蓮が好き

 小学校2年生で日本から中国青島に転校しました。今から69年前になります。その小学校の校長先生は中村八大さんのお父様。先生方も優秀で生徒への気配りは今でも凄い学校だと思っております。
 校庭は何面もあります。校舎は一番高い位置にコの字形で建っております。確りとした建物です。朝礼はコの字の真中の校庭で行われます。そのすぐ下に校舎に向かって右側には立派な運動具が設置されております。休み時間や昼休みは勿論、学校が終わっても遊具で遊びます。暗くなってきて慌てて帰るのもショッチュウ。一番下の広がっているのがスタンドのある広い校庭です。400メートルのトラックがあり、全校生徒の運動会を始めいろいろな行事に使われます。紀元2600年という邦人全体の祝賀行事にも使われました。中国の人はどう思っていたでしょうか。

          紅い睡蓮が好き

     (季節は冬でしょう。春から秋にはアカシヤの葉が茂っています)
 この校舎の左下の方向に観察池がありました。其処に咲く睡蓮の写生は何回も何回もしました。学校には確りとした画板があります。睡蓮は花が毎回変わって見えます。よーくよーく観察しました。葉の形も、花も毎回違うものを選び描いておりました。
 特に紅い睡蓮は大好きで、紅い睡蓮を描く場所に陣取り、クレパスや水彩で描いたことが思い出されます。
 和歌蘭さんのブログに千葉の千倉の奥の小松寺の睡蓮が綺麗に掲載されておりました。これをこちらに使わせて頂こうと、許可を得ましたので下に掲載いたします。

          紅い睡蓮が好き

 ところが「紅い睡蓮」を見た瞬間、昔昔の歌を思い出しておりました。それが「花の北京の灯ともし頃を~」という歌だったと思うのですが、紅い睡蓮がどの辺で出てくるのかどうしても分らないのです。写生が好きだった頃、よくこの歌を歌っていたのですが、どうしても出て来ません。李香蘭の年譜とか北京 紅い睡蓮とか検索しましても、出て来ません。お手上げです。
 折角このような綺麗な睡蓮を眺められるのに歌が思い出せません。ほとほと困りまた我ながら情けなく思っております。
 この小学校では私が帰国した後、スケート場が出来たと聞きました。図画室・理科室もあり、理科室では夏の間は昆虫の標本作りに励みました。
 紅い睡蓮よ睡蓮よ。私に思い出させてくださーい!!初めが違っているのでしょうか。
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始めたい病復活

 毎年2月、3月になると何か始めたという病に罹っておりました。学校で長く働いていたせいかも知れません。高齢になっても病は止まらなかったのですが、さすが自分の授業のために時間が取れなくなり、この数年は諦めておりました。気分が騒ぐこともなく過ぎておりました。
 ところがこの春、近くの中央学院大学のオープンカレッジの案内を見た途端に病復活。曜日と時間が私のスケジュールと合わせても問題なく、また休むことが無いことがハッキリとしましたので、申し込みました。
 講座の内容は「中国の生活文化と自然」私の興味の対象でもあり、学んでおく意味もあります。
 この大学は1966年に設立され、発足当時は明治大学の先生方もかなり協力されたと聞いております。存じ上げている明大の先生方も講師としてお見えになっておりました。現在もまたお見えになっている先生もいられます。そのようなこともありますが、この街の大学でもあり、我が家のベランダからも校舎が眺められ親近感を持っております。
 「中国の生活文化と自然」の講師は曽我徳興先生。中央学院大学の一期生。明治大学大学院で学位を取得されております。

              始めたい病復活

 曽我先生は台湾出身。識字論が専門とお聞きしております。5年ほど前、学園祭に行き先生のゼミの展示場に行きました。万里の長城のあの石の坂をローラースケートで滑っている写真を拝見し、驚きました。私は長城では滑って怖く、やっと降りたものですからこの先生の運動神経は物凄いことだと感心もし、興味を抱いておりました。
 授業の材料は毎度新鮮な内容をコピーしてお持ちくださります。既に大学は定年になられているそうで、服装もジーパンにポロシャツ。年齢を感じさせられません。
 中央学院大学は我孫子駅から距離があるのでシャトルバスが利用できます。私は健康のためにもと歩いて行きます。多くの学生が車やオートバイや自転車で通学しますので広ーい駐車場を備えております。大学の北側は利根川が流れており、以前土手に上がってみましたら河川敷に運動場が見られました。環境はなかなか良い場所です。

              始めたい病復活

 学内は清掃が行き届き、また学生にもクリーンな学園をと呼びかけ勧めております。

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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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