2008-08

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弁当作りの悩み

 冷凍餃子中毒事件の問題は未だ完全に解明、解決されておりません。ようやく今朝の新聞で中国、内部犯行の捜査。臨時工ら集中聴取とあります。少し前進して来たようです。
 新学期の明日から孫の中学では給食があるそうです。幼稚園に通う孫の弁当つくりも始まります。
 弁当作りの悩みは冷凍食品を使わなかった時代から親の悩みの一つでした。ですが今は如何に綺麗に素敵に、豪華に見せるかが大事になっているようで、これはおおごとだと気になっております。

             弁当作りの悩み

 弁当も昔のと違い、手を掛け見て綺麗なものが当たり前になっております。昔でしたら海苔を敷き卵焼きに鮭というような程度が普通でした。夏場は梅干を載せたりし、塩気を確りと補給する弁当を持たせるのが常識のようなことでした。
 今日ではそのような弁当では持って行くほうが承知しません。細かい工夫をし、彩りも良く作らなければなりません。おにぎりだけでいいよーという子供や大人は滅多に居ないのではないでしょうか。
 私は作る役割の側の経験しましたが、今の親にはどうしても同情しずには居られません。書店の店頭で弁当作りの料理本が沢山並んでおります。
 栄養のバランスとか、いろいろな点から考えられていることは良く分るのですが、一体どうやって蓋を被せ、持たせるのか全く理解に苦しむものも見られます。

          弁当作りの悩み

          弁当作りの悩み

          弁当作りの悩み

 こうして並べて見ますと、毎日作るのでは無いにしても、このような弁当を作ることが出来ない母親を苦しめているのではないかと心配してしまいます。幼稚園弁当のようですが、材料の種類も多く、細かく手を掛け、時間と費用もかなり掛けることになるでしょう。私は大雑把でしたから、今こういう弁当を見ますと、とても出来ないなーと思ってしまいます。働いている親はさぞ悩みが大きいのではないでしょうか。
 夫の弁当作りもまた大変なことと思います。短絡的に弁当が妻の良し悪しに評価が下されるということになれば、これはまたそれなりに大変ではないでしょうか。
 私は働いていましたので働いている女性の方が苦労をされているのではと気になります。
 お弁当をどう作るか?(日経夕刊 08, 5, 10)は関心があり、切りとって置きました。この中では派遣社員、40代、女性という方の方法が一番よいような気がします。ただこれもシンプルな弁当になると思われますので、凝った弁当を持って行きたい方には物足りないかもしれません。それぞれの事情や考えで弁当作りがされると思うのですが、弁当つくりの悩みの素には様々なことがあります。
 些細なことのようですが、「給食・弁当」「世相と経済・雇用と政策」と全部が関連し合いその底にあり、考えると大きな問題だと思っております。
 生徒の一人が調理師の免許を得て、ある市の学校給食係りに就職しました。ほぼ三ヶ月で3キロ体重が落ち、精神的には強い方ですが、その彼女が辞めざるをえないことになり、その体験を聞きますと、様々な問題に突き当たりました。
 どうにもならないのに老婆は一人悩んでいます。
 
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積極性抜群のレイコちゃん

 何事にも積極的なレイコちゃん。ハワイでの生活を満喫し、確りと学び多くの人との交流もまた楽しんでいたようです。
 ウクレレの先生、プア先生との交流。

             積極性抜群のレイコちゃん

 どうも私などとは違い、その積極性と機智の働きが抜群です。そういうことからハワイでも多くの方と知り合い、レイコ、レイコと優しく接してもらっていたようです。
 ナタリーアイさんと言う有名なフラの先生とも親しく、ナタリー先生からは随分可愛がってもらっていたようです。ナタリーアイと言えばフラを知る人はだれでもその名前を知っているという方だそうです。
 ミスアロハフラに輝き、その美声は日本でも有名だそうです。CDで聞かせてくれましたが、澄んだ甘ーい綺麗な声です。

             積極性抜群のレイコちゃん

 日本に帰国後直ぐに出演の以来があり、私の住む近くの舞台で踊りました。「貴女は忙しいから来られないでしょうが明日舞台があります」とメールがあり、その時の衣装姿の画像が送られてきました。
 さすがソロで踊る人らしい貫禄があります。

             積極性抜群のレイコちゃん

 今年の夏もそろそろ終わりになりそうです。孫達も来週は学校と幼稚園が始まります。常夏のハワイのことは日本では夏の話題でしょうか。レイコちゃんのお蔭でチョッとハワイに触れることが出来ました。北京五輪も終わり、間もなく秋が訪れることでしょう。
 夏を無事に乗り切った私のメル友からパロディーが届きました。タイミングが良いです。

                積極性抜群のレイコちゃん

        このパロディーが今年の夏をしめくくってくれたようです。

パロディーを掲載しましたが、すぐまた台詞を変えたパロディーが届きました。追加で掲載しますのでご覧ください。

               積極性抜群のレイコちゃん

 凄いメル友で、こうして時々楽しませてくれます。

 
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レイコちゃんのハワイ生活

 日本にいる時にも毎日がハワイに繋がっているような生活。元気な彼女の足首は引き締まっております。ダンスのもたらせる姿でしょう。
 先日お昼に作って呉れたスパゲティのトッピングは全てハワイからの物で、私には珍しい物ばかりです。
 彼女の言葉によればハワイは魅力に溢れており、観光で数日というようなものでは本当のハワイ生活に触れるには無理で、長ーく居てこその生活が素晴らしいことだそうです。(これは最もと同感)
 街の至る処で無料の新聞やコマーシャル雑誌が手に入り、その情報を上手に利用するのも住んでこそ知るところ。見せて戴いた新聞には「1924年以来初・キラウエア山頂で爆発噴火」とあります。
 キラウエア火山は東斜面のオオ丘が1983年に噴火して以来25年以上も噴火を続けているそうです。山頂での爆発噴火は1924年以来始めてということだそうです。
 ハワイ島で眺めたあの濃い朱色の溶岩の流れを思い出しました。
 綺麗な雑誌にはハワイお楽しみ情報が満載されております。

                レイコちゃんのハワイ生活

 この中には買い物は勿論、衣食住やハワイめぐりの案内。様々な情報に溢れております。この様な雑誌は彼方此方で出されており、こういった情報を毎日の生活に利用しているようです。
 毎年ハワイを統一したカメハメハ大王の誕生日(6月11日)を中心にセレモニーが行われるそうです。
 ハワイの各島から捧げられる長ーいレイを掛けるセレモニーは素晴らしいそうで、彼女はそのレイを掛ける時に居合わせたそうです。消防のはしご車を使ってあの高い像に描けるのだそうです。見事なレイです。金色に輝くあの像も塗り替えられるのだそうです。

レイコちゃんのハワイ生活

 毎週決まった曜日にウクレレとフラの先生に付きハワイで自分磨きに励んでおりますが、もともと踊ることが好きで苦労よりも楽しみの方が多いようです。コンドミニアムでの滞在ですが、観光ビザですから、仕事は出来ません。たまに現地の日本人に頼まれてフラを教えることもあるそうですが、無料ですので、習った方々がいろいろと差し入れをして呉れるそうです。というわけで生活費は安く上がると話しておりますが、彼女は言葉も不自由は無く、また良し悪しをはっきりさせるので、外国生活に向いているのかも知れません。(つづく)
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素敵な素晴らしい友人

 素晴らしい人生後半を送っている友人レイコちゃん。彼女の凄いことは何事にも真剣に臨み、自分のものにして仕舞うことです。
 数年前からハワイに出かけ、フラ(フラとはダンスということだそうです)とウクレレの特訓を受けており滞在は毎回3ヶ月になります。
 もともと楽器はピアノ、アコーディオンとこなし。ダンスはクラシックバレエを習い若い頃はバレエ団にも入っておりました。英会話も問題なく、また手仕事も得意にしております。
 シッカリ者で、私は彼女に何時も気にかけてもらっております。会うときは私の保護者のような存在となります。「ほらほらこっち」とか「間違わないようにね」とか気配り、目配りにも気を抜きません。
 6月にハワイから帰国し、ハワイの土産話は私にはとても新鮮に聞こえます。
 「この木なんの木気になる木」の木はモンキーポットと言うそうで、6月中旬にピンクの花が咲くそうです。モンキーポットは沢山植えてありますので、あの日立のコマーシャルの「あの木」がどれか分らずしまいで日本に帰るという話は良くあることだそうです。
 
            素敵な素晴らしい友人

 彼女は住んでいるコンドミニアムから朝良くここまで歩いて行くそうです。私はハワイに行った時、ガイドから説明を受け、あれかーと思っただけのことですから本当に「あの木の木」かどうか忘れてしまっております。
 彼女のハワイ生活はフラとウクレレですが、彼女の愛用しているウクレレは知る人ぞ知る横浜で作られた物だそうです。棹に象嵌が施されております。私は今までウクレレを手にしたことはありませんでしたが、持たせて貰い、弦に触れますと実に澄んだ綺麗な音色です。
 彼女のウクレレのレパートリーは100曲にもなるそうです。

             素敵な素晴らしい友人

 もう一本はアンティークの有名なウクレレと言われましたが、私は無知ですので名前はもう忘れて仕舞いました。
 お昼も彼女の手作りでご馳走になり、ハワイについていろいろと伺いました。彼女の部屋は自作のハワイアンキルトが一杯です。前から作っていることは知っておりましたが、今はハワイのことに打ち込む彼女に相応しい雰囲気になっております。

              素敵な素晴らしい友人

 ハワイは彼女にとっては最高の価値のある処となっているようです。今回も帰国に際し来年のコンドミニアムの予約をして来たそうです。(次回につづく)
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茨城県自然博物館へ

 先日二女とその娘と一緒に茨城県自然博物館に出かけました。目下トカゲやカブトムシ、また陸ヤドカリなどに夢中な孫。博物館の駐車場から入り口に向かうスロープの草むらに顔を出していたトカゲを見つけ、取り押さえようと追いかけ回っておりました。
 二女は年間パスポートで、孫と私は無料。博物館の職員は皆さん優しく、最初からいい雰囲気の博物館です。

           茨城県自然博物館へ
 
 二女と孫は既に何回も行っておりますので、展示の内容もよく知っております。博物館は本館の展示場と外の自然とのふれあいを学ぶところとに二分されております。二人は何時もは外を中心に回っているようですが、私のことを思い、その日は屋内の本館だけを見て回りました。
 展示の内容も充実しており、見応えがあります。感心したのはどの世代の人間にも興味を持たせることが出来るような資料が集められていることでした。
 孫は勝手知ったるとばかりに引き出しを開けたりし、私に得意げにしております。忙しいこと、煽られてしまいます。
 鏡の廻らされたコーナーではさまざまなポーズをとり、暫らく時間を過ごしました。次々に変わる自分の姿を楽しんでいます。あー私もやってみたーい。でも豚のサーカスのピエロになってしまうこと間違いありません。残念。

           茨城県自然博物館へ

 今期の企画展は「熊ー森のアンブレラ種ー」世界の熊の生態や現状が紹介されています。(9月2日まで)その企画の中で熊の縫ぐるみのコーナーが出来ています。
 孫は見逃すはずはありません。縫ぐるみの間でポーズをとります。バーバはすかさずシャッターを切りました。

           茨城県自然博物館へ

 これ位は受け持たなければ同行した意味がありません。でも来て見て勉強になり為になり、見たがり屋、知りたがり屋はとても満足しました。
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夏は晴れの日ばかり

 夏は毎日が晴れの日。子供の頃は夏休みは宿題はあるものの毎日が楽しく、今で言うところの様々なイベントに駆け回りました。それも大したことではないのですが。
 房州白浜の祭りは部落ごとにあり、母方の祖父母の住む部落の祭りは夏祭りでした。戦後は祭りの出し物として神社の境内に舞台をつくり、のど自慢の開かれたこともありました。
 神輿は特に大きなものではありませんでしたが、担ぐ男達の威勢はよく、神輿とは激しく担ぎ回り、駆け回り、持ち上げ、海の中でも担ぎ回りと言うのが私の記憶の中の神輿です。
 
 最近は日本各地の祭りが喧伝され、JRの構内には各地の有名な祭りのポスターが競って貼られております。白浜の海女祭りも宣伝されたのかも知れませんが、ポスターは見ておりません。
 館山の神輿や夏祭りをテーマにしたブログに出会い、あの部落の神輿は今も記憶のように担がれているのかしらと、気になっておりました。
 白浜在住の毛利繁さんと言う方の写真を見つけました。着ているものが昔と違い綺麗ですし、祭りらしい装束に見えます。神輿を担ぎ海に入って行っているのも、また激しく神輿を揉んでいるのも昔を思い出させて呉れます。

               夏は晴れの日ばかり

               夏は晴れの日ばかり

 昔、夏休みには都会から避暑というほどではありませんが、町の出身者がお盆を中心にして家族連れで大勢帰って来ました。
 祭りにもお盆にもご馳走がでます。夏ですからトウモロコシ、西瓜、それに何処の家でもトコロテンが出ます。勿論海のそばですから新鮮な魚も並びます。
 都会から人が来ますとトコロテンは大釜で煮て作り、毎日水を換えて食べます。海女のいる家では鮑やサザエがご馳走に出ます。五目寿司も定番です。晴れの食事が続き、お盆が済むと町全体が静かになります。そして卦の毎日が戻ってきます。
 過ぎ去った夏の思い出と今はすっかり変わっているようです。もうトコロテンを毎日食べるようなことも無いでしょう。スーパーも出来、車で移動し、毎日美味しい食事をし、そして大型TVの前でゆっくりと過ごす。子供や孫たちは故郷よりも外国に出かける夏休み。昔のようにバスから降りれば直ぐに知り合いに会い、何処ソコの誰々が泳ぎに来たのかも分る。そういうことも昔話になっていることでしょう。
 滅多に行くことも無くなり、知った人も少なくなり、田舎が遠ーくなりました。
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1945年8月15日

 軍部が向こう見ずに突き進んだ第二次大戦は1945年8月15日に漸く終わりました。既にドイツは降伏しており、日本の降伏は決まっていたようなものでした。
 8月15日の空は今朝の空のように紺碧でした。多くの記録や証言にこの空の青さがでて来ております。戦争末期には人々は空を見上げるという余裕がなかったのでしょう。私もそうでした。
 正午に天皇の言葉が放送されるということで、近所の皆さんが集まって来ました。天皇の声は不思議なイントネーションで、聞き取れません。その後改めて内容の説明がありました。「ポツダム宣言」受諾という言葉を聞くと「あー負けたのだ」と直ぐに分りました。
 少し前に伝単としては大判の物が米軍機から落とされて来ました。それには「ポツダム宣言」の内容が記されており、また深夜のハワイ放送でも日本の敗色濃いニュースが流れておりました。
 放送が終わりますと周囲からなんの音も聞こえて来ません。真空に入ったような感じです。人の声も聞こえて来ません。誰もが放心状態だったのでしょう。やがて蝉の鳴く声が大きく聴こえ始めました。
 敗戦を知ったあの日のあの正午。あの瞬間の風景と雰囲気と青空。ボケるまで一生忘れることはないでしょう。

              1945年8月15日
            (講談社・昭和二万日の全記録から)

 あれ以前も、あれからも国民の苦難が続きました。多くの人を失い、戦争の爪あとは今も様々な形で残っております。
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なんちゃッたって面白いこと

 久しぶりにサンパウロ在住のM氏からメールが来ました。元気で何よりです。添付の小噺が余りに面白く可笑しいので取り上げられずにいられません。少し長いのですが、お付き合い頂ければ夏の暑さも一時忘れることでしょう。
 教養とユーモア精神が無ければ書けません。整理をしていて偶然見つけた昔の原稿だそうです。今朝届いていたメールを読んで可笑しくて浮き浮きしました。

           なんちゃッたって面白い


小噺(ピアーダ)万歳のブラジル   飛田呆介
なにが愉快たって、ブラジル人と付き合うくれぇ面白いこたぁねぇ。とにかくのんきでよぅ、滅法楽しくって、ジョークが大好き、おまけに働くことがでぇ嫌いとくらぁ、これでオマンマが食えるなら、ブラジルてぇとこは、天国じゃねぇか。
 こないだはなぁ、ブラジル人のツアーってヤツにもぐりこんで一緒に旅行したが、まァ陽気に騒ぐのなんのって、大飯喰らって、笑うわ、歌うわ、ふざけるわ、まるで盆と正月―おっと、じゃねぇ、カーニバルとサッカーを一緒にしたような賑やかさには、たまげちまった。
 それによぅ、はじめてのご対面っていうのに、一〇年も前の友達って顔ですぐ仲良くなっちまうんだから、こちとら日本人は面食らっちまうわなぁ。
 旅からけえってきても電話かけてきてなぁ、ヤレ遊びに来ねぇかの、ヤレ飯食いにいかねぇかのって、まぁうちの主婦さん、とても付き合いきれねぇって悲鳴あげちまった。
 ところがさぁ、これが日本人だけのツアーかなにかに入ってみな。みんなかしこまっちゃて、へんに気取りやがって、ヤーな雰囲気だぜ。身内ならワイワイ騒ぐくせ、他人となると知っちゃぁいねぇって態度でさ。
 だけどなぁ、その付き合いのいいブラジル人だってよぅ、ゼニがからむとコロッと人間が変っちゃうんだから、現金なもんだ。まるで金色夜叉でゼニにたいする執着は尋常じゃぁねぇ、日本人が連中と組んでやった仕事にうまくいってるのがあるかい? みんないつのまにかゼニすられて、泣きっ面かいてんじゃぁないの? 日本人なんて甘っちょろいしおめでたいもんさぁ、連中にしてみりゃぁな。
 だからそんなブラジル人とは、ゼニのからまぬ根っからの友だち付き合いだけにするに限る。そうすりゃぁこんな楽しい仲間はいねぇぜ。
 なんたって面白れぇのは、連中の大好きなピアーダだ、小噺とでもいうか、ジョークとでもいうか、それも艶っぽいのがたんとあって、ご婦人の前じゃちょいとはばかられるのを、助平男どもがやってよぅ、腹ぁかかえて笑ってやがるのをちょいちょい見かけるんだがなぁ、まぁ、そんなかのちょいとお上品なヤツをひとつやってみるか。
――ええ、散々ぱら遊び呆けたプレイボーイがさぁ、ここらが年貢の納め時ってなわけで、滅法可愛い嫁さん貰っちまった。サテお立会い、楽しい初夜のお祭りのあと、その野郎がさぁ、ついうっかり昔の癖が出ちまって、ゼニ出しちまった、しまった!と思ったらよぅ、その嫁さんから釣銭が出た――
 てナァどうだい?ええっ、だめかい?やっぱしなぁ、こいつぁポルトガル語でやんなきゃ味がでねぇんだ。
 よしっと、じゃ今度はちょいと高級なヤツでいくぜ、こいつが判るにゃ教養が要るんだ、
教養ってヤツがなぁ、いいかい。
 ご存じブラジルってぇとこは、世界中の人間がいるところだってぇことを、まず頭にいれといてくんな。じゃぁはじめるよ。

――女ひとりと男ふたりが無人島に漂流したってわけさ、さぁ当然何かがおっぱじまるね。
いいかい、男ふたりがイタリア人だったらどうなるか?
 オレが先だ、いやオレだって取っ組み合いのケンカがはじまるんだ。(なんせあちらは情熱の国、男はみんな血の気が荒いっていうじゃないか)
お次は男ふたりがフランス人だったらどうなるって思うかい?
上手に話しあって、ふたりとも楽しむってわけさ。(さすがはアモールの国、遊びなれてるねぇ、フランス男てぇのは)
 今度ぁイギリス人の番が来た。さぁ、どうなるか、お立会い!
 お互い、紹介されるまで黙ってるってよ。(これがなぁ、誇り高きジョンブルだとさ)
 じゃ次はドイツ人だ。
 ふたりともなぁ、口から泡飛ばしてその女愛すべきかどうかの論争がおっぱじまった。
女そっちのけでよ。(ドイツってとこは、やっぱカント、ヘーゲルの国だぜ)
 まだあるよ、今度は中国人のご登場だ。
 人民元を積み重ねてって高いほうが先にいただいたとさ。(今流行りの拝金主義だって)
 さぁ、とうとうわれらがブラジル人のお出ましでござい。
ふたりとも、レアルの札束積み上げて、高いほうが万歳したって・・・・・
(なんだい、これじゃぁ中国人のマネしただけじゃねぇか、って思うだろ。ところがあとでその札束調べてみたら、みんな贋物だったってさぁ、どうだい、やるじゃねえか、ブラジル人ってのは・・・・)
 さて、お待ちかね、最後にわが日本人の出番でござい。さぁこのふたり、どうしたって思うかね。
 本社にメール入れて、どうしたらいいかってよ。トホホホホ・・・・・・
 
どうだいこのピアーダ、なかなか民族の特徴ってヤツを言い当ててんじゃねぇか。ブラジル人ってのはバカじゃねぇよ。それにしてもなぁ、チト日本人のは情けねぇじゃないの?
いちいち上に伺いを立てなきゃなんにも決められねぇんだからなぁ。

 ところでこの日本版にゃ落ちがる。
 届いたメールの返事にはこうあった。
“役員会にかけるから稟議だせ”ってな、イヤこいつは呆介の“創作”でげす。
テナ訳で、この国ピアーダの宝庫・天国、そしてブラジル人位ぇ小噺の名手はいねぇってことで、飛田呆介、飛んだ阿呆なお話でご免蒙りやしていただきやす。(97,10,15)

             なんちゃッたって面白い
      私達の見たリオのカーニバルのパレードの軍人。迫力満点です。
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塩釜

 高齢になると洋菓子より、どちらかと言えば和菓子に手が出ます。姑は五家宝が好きでした。
 先日所沢のH夫人から塩釜を頂きました。地味なお菓子ですが味にいやみが無く、美味しく頂きました。

              塩釜
 
 形が可愛く、遊びに来た妹も市販のものより美味しいと感心しておりました。普通は四角の物が店頭に並んでおります。このような手作りの物は本当に心が籠もっておりますね。一個が丁度口に合います。塩釜は食べるときよく粉が散りますね。そういう心配がありません。

              塩釜

 塩釜は塩釜市の銘菓と言うことですが、塩釜神社の付近で作られ広まったと言われております。
 
 塩釜神社は東京都港区にもあります。歴とした謂れがある神社です。その神社の近くに港区の児童館がありました。友人が長いことそこの職員をしており、ある時塩釜神社の境内で子供祭りが開催されるので、手伝いに来てと頼まれました。
 ヤキゾバを大量に作りました。蒸麺を袋のまま半分に切ります。袋から出しますとソバが簡単にほぐれます。長年の経験で素早く捌いて行きます。彼女の威勢に皆が自然について行きます。人の仕事を手伝うのは何だか面白いですね。

             塩釜

 児童館にたまに訪ねますと、彼女はよく子供たちと卓球をしております。「子供に負けては駄目よー」またTVゲームをする時も「子供に負けないことー」「大人の力を見くびらないことを教えないと駄目ー」と頑張っております。今でも凄い信念だと感心しております。
 ということで和菓子の塩釜にも自ずと親近感が湧いてきます。

 H夫人のレシピが送られて来ました。参考に掲載します。

      「塩釜」
      材料 上白糖…230g
      水あめ……8g
      熱湯…… 10cc
      白あん… 15g
      寒梅粉…120g
      ゆかり…6~8g

作り方
1.水あめに熱湯を入れて混ぜ更に白あんを混ぜ、
  上白糖を加え更によく混ぜます。
2.寒梅粉3分の2を入れ強く両手でこするようにもみ混ぜ、
  残りを加えて軽く混ぜます。
3.ゆかりを加え混ぜ、型に入れて強く押して出来上がり。

レシピでは 寒梅粉120gとなっておりますが、市販の寒梅粉は200g入りです。
一度に全部使い切るようにしておりますので、他の材料もその比例で多めにして
作りました。 厳密に計ったのではなく大体の見当です。

 解説が丁寧です。
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消費者はどうでもいいのか

 中国製冷凍餃子の中毒問題で、中国の国内での患者が出たという報道に「矢張りそうだったか」という思いを抱いたのは私の周りの人全員と言えます。昨日生徒との集まりがあり、その席でも全員がそう思っていたと発言しておりました。
 政府は情報提供者からの要請で発表を控えていたそうだが、一体これはどういうことでしょう。消費者行政担当の野田聖子大臣も報道で知ったという談話を発表しております。大臣はお飾りなのか。
 名目だけの大臣なのか。消費者はどうでも言いというのか。怒らずには居られません。
 消費者は冷凍餃子の問題がはっきりとしないからこそ、冷凍食品の買い控えをしているので、問題の解明を一日も早くと待って居るのです。
 メーカーにしても、販売店にしても政府が確りと解決をして呉れない限り、消費者は戻って呉れないと待っているはずです。
 今日は北京五輪の前夜。街では祝賀気分が満ち溢れているはずですが、どうもニュースの中でも、また五輪関係の番組でも一般の人々の姿より、ボランティアの姿が映し出されており、どうしてもおかしく思ってしまいます。
 北京市政府は「五輪期間中の食品安全は万全だ」と断言していたそうですので、餃子事件は避けたい事柄でしょう。中国の主要紙は一切報じていないそうです。
 だからこそと言うのでしょうか。情報提供者の要請が大事だったのでしょうか。日本政府は日本人の為の政府。国民の身体生命を守ることこそ使命ではないのでしょうか。そうあるべきでしょう。
 昨日霞が関の合同庁舎の中を通りました。私は怒って通りました。
 今回の発表のことは国民は黙ってまっていろということでしょうか。時間が経ってゆくに連れ腹が立ってなりません。
 国際関係・外交関係・その他もろもろのことが重なり合っていることでしょうが、国民の方からはいの一番は国民でしょと言いたいのです。言わせて貰いましょ。
  
 そこに「最近の世相を一筆」というパロディーが届きました。早速掲載します。よくぞタイミング良く送って下さったものよ!!です。

                  消費者はどうでもいいのか

 青島では五輪の準備も済み、明日を待っていることでしょう。手帳の通りマナーも守られることでしょう。青島も外は警備の人が大勢でているそうです。明日を私も待っています。

                 消費者はどうでもいいのか

 
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五輪が近づきました

 北京五輪までもう僅かになって来ました。昨日の事件は中国政府に大きな危惧感を与えたことでしょう。
 サブ会場となる青島では市民にマナー向上を呼びかけ、オリンピック文明手帳なるものを渡しているようです。青島在住の方のブログに見えるスローガンを参考に掲載いたします。日本では極めて当たり前のことですが、まだまだ公共的に問題が多く、人々の対応とモラルが低いことを見せてもらったような感じです。青島は昔から街は綺麗ですし、あまり問題を感じては居なかったのですが、人口増で市民教育が必要になって来たことでしょうか。

 その内容は以下のようです。

要微笑友善 不要冷漠生硬   微笑みで友好的に  冷淡ぶっきらぼうはダメ
要谦和礼让 不要拥挤争抢  謙虚に譲り合い 押し合い割り込みはダメ
要语言优雅 不要粗俗喧哗  丁寧な言葉遣い    粗野に騒がない
要走斑马线 不要乱穿马路  横断歩道を渡ろう やたらと車道を横切らない
要遵法行车 不要争道抢行 交通規則を守って運転 無理に道を奪い合わない
要讲究卫生 不要随地吐痰   衛生を重んじよう  痰を吐き散らかさない
要爱护环境 不要乱署Z杂物  環境を大事にしよう ゴミのポイ捨てをしない
要诚信经营 不要欺诈宰客  誠意を以って商いを 騙しぼったくりをしない
要文明观赛 不要无理起哄  行儀良く観戦しよう やたらと野次を飛ばさない
要衣着得体 不要光膀上街   身だしなみはキチンと  裸で街を歩かない

                   五輪が近づきました

 青島は海も山も美しく、生活するには多くの中国の都市と比べ最高の街だと私は何時も思い続けております。
 五輪の中継が楽しみです。

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嬉しかったあの日

 29日のワンコイン寄席には沢山の方がお見え下さり、こころから感謝を致しております。
 あの日職場で知り合った、昔の学生さんとお会いするとは将に望外の出来事でした。
 1953年。私の卒業時の就職は超氷河期と言われ、就職先が決まらず、多くの方が仕方なく大学院に進みました。幸い私は母校に拾ってもらい、なんとか生活が出来るようになりました。
 配属されたのが二部学生課という部署。出来てから漸く1年ほど経った処です。
 仕事は学生の自治活動や課外活動へ援助。学生の日常生活への援助(通学証明書や学生割引証明書の交付・アルバイトの斡旋・下宿の紹介・学寮の管理・診療所の管理・奨学金応募への手続きと斡旋)と言ったことなど、要するに教科以外の学生生活への全般的な援助・サービスと言ったようなことでした。
 多分この中のサービスの多くは今日の大学では無くなっていることではと思います。
 私は最初は雑用をすることが多く、奨学金のこと以外の仕事は手伝いをする程度でした。段々決まった仕事を与えられ、学生自治会費の取り扱いを担当した時には、自治会の執行部の学生さんとはよく連絡をすることがあり、男性では反発したかも知れないことでも良く話し合いに応じてくれました。
 学生さんの行事(例えば運動会・夏の海の家・部活動の付き添い)にも参加するなどもし、多くの学生さんとも知り合い、その中の一部の方との交流が未だに続いております。
 時には電話で、またメールで近況をつたえ合ったり、偶然駿河台で出会ったりと、細くも嬉しい交流が続いております。
 先日のワンコイン寄席の出演者伊藤琴遊さんは明治大学の卒業生。学生時代は雄弁部で活躍しておりました。その当時の雄弁部の方が持永が関係しているということで、遠くから応援に駆けつけて下さいました。有難いことです。

              嬉しかったあの日
(右から船底信雄さん、持永、伊藤琴遊さん、皿島正治さん、玉井宏夫さん)
 
 個人的には以前にも数十年ぶりにお会いした方もありますが、あの日は何人もの方と一緒にお会い出来て感激しました。写真を送って下さった船底信雄さんは越谷市議を何期も務められ、佐賀県出身。油絵を描いているそうで、手紙に絵も添えて見せて下さいました。

               嬉しかったあの日
                     (佐賀、肥前鹿島の夜明け)

 運動会には何回も参加しました。借り物競走では必ず学生に引きずられて走りました。課員でたった一人の女性ですので、何かと付き合うことになったものです。
 不正乗車をした学生のお詫びと引き取りに御茶ノ水駅に時々行きましたが、随分駅員さんは失礼だと思われたことでしょうね。学生とあまり年齢の違わない若い女の子(?)としか見えない人間が挨拶に行くのですからね。昔の方とお会いするといろいろな事が思い出されます。
 伊藤さんが声を掛けてくださったことからこうして昔の、50年も昔の方とお会いし、本当に嬉しいことでした。

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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日85歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになりそうです。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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