2008-10

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新着のパロディー

 H.I さんから「今月の漢字」が届きましたが、先ほど「ノーベル賞カルテット」なるH.Tさんのパロディーが到着しました。
 「今月の漢字」の続きとしてご覧下さい。
 
 パロディーの持つ即時性が大事ですので、掲載いたします。

                新着のパロディー

 いろいろ起きますね。高速道路の利用料を下げるそうですが、環境問題はどうなるのでしょうかね。
景気対策?だから車を走らせる?どうも分りません。

 分らないと言えば昨年の漢字「偽」の中身は?何だか忘れています。

             新着のパロディー

 こうして忘れていくのでしょうか。嫌ですね。憤慨も一時。困ったことです。
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晩秋ともなると

 夏も終わりになろうという頃、秋刀魚のハシリが見られたと思ったら、もう秋の味覚がスーパーの売り場を占領しております。
 一階のスーパーは鮮魚の種類も多く、新鮮。おまけに廉い。嬉しいです。
 鱗がピカピカひかり皮の回りに沢山絡まるようについている鰯。20本で350円。この節の世界の経済状況を考えるほどの大げさな話ではありませんが、ワクワクして買いました。ご覧下さい。
 これは買わずしては、主婦業○十年の価値がありません。

          晩秋ともなると

 鰯は丁寧に手で皮を剥ぎ、鰯団子鍋としました。ミートミンサーは買ってありますが、鰯は身が柔らかいので、身の旨みが逃げてゆくような気がし、出刃で叩き、擂り生姜の絞り汁、長ネギの微塵切り、塩少々、それに小さじ一杯程の味噌。良く混ぜ片栗粉を繫ぎに入れました。
 野菜も美味しくなって来ました。
 廉く良い品物、こういうことが毎日続くこと願って過ごしております。
 昨日、ずーと先延ばしにしていた用足しに柏まで出かけ、ついでに高島屋に寄りました。
 暮の近いことを感じることになりました。オセチ料理のパンフが置いてあります。買う心算はありませんが、手にとって見ますと何か美味しそうなものが沢山並んでおります。
 家に持ち帰ったパンフ。有名な老舗と言われるものから、柏周辺店の物まで、凄い量の羅列です。
不況、不況金融崩壊、なんだか聴こえておりますが、どうしてこうなんでしょうか。凄い値段のオセチがあります。 
 庶民とはどういう人を指すのでしょうか。
 暮になると不思議な現象に出くわします。
 この三段のお重。205.800円だそうです。政府が交付金を2万円呉れるというようなニュースを見ましたが、これはその10倍のオセチです。

          晩秋ともなれば

 香はパンフからは流れてきませんね。残念。鰯の子供のごまめの歯軋りとでもと行きますか。
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今月の漢字

メル友のH,Iさんからのメール
 彼は昨年の一字の漢字予想で見事に的中させました。今年の一字もいろいろ考えているそうです。
 さて今年はどうなりますか。彼のメールの中の一字のどれかが的中するのを楽しみに待っております。今年の一字の前に今月の一字が送られて来ました。

                 今月の漢字


 彼のメール 
 10月も下旬になりました。少し早いようですが「今年の漢字」を占ってみました。
 1月早々に中国産冷凍ギョーザ中毒事件があり「毒」が最初の候補でしょう。
毒の字は、1998年、和歌山毒物カレーの余波で毒物混入事件が多発して選ばれています。
秋葉原の通り魔事件はショックでした。無差別殺人ですから「殺」。
中国産うなぎなど、中国産を国産と偽る産地偽装事件は相変わらず続出しました。
これですと昨年に続き「偽」になりそうです。
食の不安を更にあおった三笠フーズの汚染米も不安を広げました。この時点では
「汚」も候補になりそうでしたが、次々と新事件が現れるので候補も次々換わります。
 アメリカ発の経済危機でつるべ落としの株価下落は、危機の「危」でしょうか、
下落の「落」でしょうか。
経済危機の元凶は規制緩和と金融工学だそうですが、金融工学というと何か
立派な学問のように聞こえますが「お金を貸してはいけない人にお金を貸すこと」
だそうで、こんなことに「学」を付けていいのでしょうか。
これらを全部含めて、カネカネカネに目がくらんで欲望丸出し人間のモラル崩壊とみるなら
「崩」の字も候補になれます。
 株価下落も金融機関の信用が崩壊したためでしょう。
 昨年の漢字「偽」を書いた後、清水寺貫主は「こんな漢字が選ばれて嘆かわしい」と残念がっていました。
 明るい漢字が選ばれたのは、2000年の「金」
(シドニーオリンピックで女子柔道の田村亮子、女子フルマラソンの高橋尚子の金メダル。
金大中と金正日による初の南北首脳会談)、
2005年の「愛」(愛知県で愛・地球博開催、紀宮清子と黒田慶樹が結婚、
卓球の福原愛が中国で活躍)など少ないですね。
 今年も清水寺貫主が嘆きそうな事件が多い中、10月に日本人のノーベル受賞者が4人も
発表されました。久しぶりに明るいニュースでした。
南部陽一郎さんは米国籍ですが、「ノーベル賞は国籍にこだわらない」そうですから、日本人としておきましょう。

「今月の漢字」があれば「賞」で決まりでしょう。
 過ぎた事柄は印象が薄くなりがちで、「今年の漢字」候補は日々更新されそうです。
あと2ヶ月のうちに衆院の解散総選挙があると「選」も強い候補になりますが、私は「今月の漢字」が「今年の漢字」に昇格することを願っております。
「今年の漢字」発表は12月12日、ノーベル賞授賞式は12月10日ですから、希望的観測ですが可能性はあると思います。

 以上が彼の予想ですが皆様はどうでしょうか。彼からの後送されたメールによりますと「今月の漢字」というのは外のブログでも見つかったそうです。
 この数年の社会の動きを考えますと、せめて明るい素晴らしい字が選ばれて欲しいと思いますが。

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錦繍の東北  余談 (最終回)

 東北の旅は三日間でしたが参加者の殆んどは高齢者。道中具合の悪くなった方もなく、また困ったことも起きませんでした。と言いたいところですが、一つだけ皆で心配、添乗員の上野さんを走らせ、慌てさせたことが最後の日に起きました。
 猊鼻渓で進んで行った船着場。皆さんは獅子の鼻の岩を眺め、3時5分の帰りの舟に乗り込みました。人数が足りません。上野さんの顔色が変わりました。時間に余裕はありません。
 一ノ関での乗車時間もぎりぎりになるかもと、猊鼻渓でバスを降りる際に何度も言われております。とに角皆さんが時間を守りませんと、列車に乗れなくなるかも知れません。
 皆さんで見当もつかず、舟で待ちました。上野さんは奥まで駆け足で探しに行き、見つからないと戻って来ました。
 結局皆さんの大方のご意見は先に舟に乗り戻られているのではということで、船頭は棹を差し岸を離れました。
 そのご夫婦は先に戻られていたのです。バスは予定通りに出発できました。先に帰っていたご夫婦、一言のお詫びもありません。上野さんは勿論皆さんが心配したのにです。76歳だというご主人。社会人としてのありようがありましょうに。ご本人たちも気分が悪かろうにです。短い言葉でもチョッとお詫びをすれば帰りの車内が和んだと思います。何処の誰かも分らないのが今のツアーですが、ほんの少しの心遣いが人の和を繫ぐことになると思います。

 バスの中で上野さんが最後のお礼を述べました。
 この上野さんという女性の添乗員の方。旅行で沢山の添乗員の方と出会いましたが、印象に残る一人だと思います。説明はやや長くなる嫌いはありましたが、言語明晰、要を得た説明。添乗6年というキャリア。経験豊かなことが分ります。お客さまの心を大切にされております。
 勝手に舟に乗ってしまったお二人のことには全く触れません。感心しました。
 旅は何時も晴れていたり、良い状態ばかりとは限りません。雨や曇り、時には雪や大風。予想と違った風景。アクシデントといろいろな事が起きます。
 上野さんはそういった条件の時も、必ず何かを得て帰って欲しいと話されました。枯れたススキも一所懸命頑張っております。それもその時にしか見られません。どうぞ懲りずに旅を続けて下さい。と。
 教えられましたね。
 彼女が好きな言葉は「カキクケコ」だそうです。
 カは感動 キは興味 クは工夫 ケは計画 コは行動  この言葉を何時も胸に頑張っているということでした。
 帰宅した翌日頼んで来たリンゴが届きました。鹿角のリンゴです。

               錦繍の東北  余談
 
 鹿角はりんごがとても美味しく、またキリタンポ発祥の地だそうです。ですがキリタンポの生産高は大館が一番だそうです。いろいろ勉強しました。

 
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錦繍の東北  旅での味は?

 日本といわず外国にしても旅でめぐり合う味。それは楽しみの一つです。
 数年前、オパール・ネットワークのサロンに岸朝子さんという有名な方をお呼びしました。話の最後に主宰の佐橋慶女さんが「先生の美味しゅうございますは、どういうことでお決めになりますか」とお聞きしました。岸さんの答え「それは私が美味しいと思ったらです」でした。
 私も評論家になれます。美味しいということは正真正銘自分で決めることですものね。

 先ず一日目の昼、これは車内での弁当です。綺麗にキチンと納められております。味は確りとしております。特にご飯が良かったです。

          錦繍の東北  旅の味は?

 一日目、休憩した処での焼キリタンポの味噌味は素朴で、結構です。一本100円で買いました。
美味しゅうございますです。

          錦繍の東北  旅の味は?

 一日目の夜は部屋食を選びました。余りに品数が多く、食べ切れません。後から出てきた茶碗蒸しのピース餡かけというのは全く意味のない気がします。何を味わって欲しいのかが分りません。
 一部は美味しゅうございますです。

         錦繍の東北 旅の味は?

 2日目の朝。普段和食の朝食を摂っているせいか、安心して食べることが出来ました。蓋を開けてないのでお見せできない椎茸の味噌がらめ、これは美味しゅうございますです。
 どうも最近は信長になっているようで、味の濃いものを美味しいと感じるようです。

         錦繍の東北 旅の味は?

 二日目の昼は八甲田ホテルのビーフカレー。美味しゅうございますです。

         錦繍の東北 旅の味は?

 二日目の夕食 このときは中華を選びました。メニューの中に「広東ダック」と言うのが書かれていますので、「広東料理がここの味ですか」と聞きましたら、シェフは陳健民さんの店で修行したので四川料理ですということです。それにしてはおこげ料理がいけません。特に既成のおこげは美味しくありません。ツアーだから仕方がないかと、自分に言い聞かせました。

         錦繍の東北  旅の味は?

 三日目の朝は250名も入るという宴会場でのバイキング式。これは問題外。
 三日目の昼は義経にちなんでつけたという「しずか亭」というソバが売りの店。料理は前触れの素朴と言う言葉程でもなく、刺身がここでは美味しゅうございますでした。前沢牛の握りが出ましたのが印象に残りましたが、チョッと火を入れたのが食べてみたい気がします。

          錦繍の東北 旅の味は?

 帰宅して食べた夕食の味は慣れ親しんだものですので、気分が落ち着きました。

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錦繍の東北 旅の三日目 午後

 中尊寺を後にし食事処の平泉温泉の「しづか亭」に向かいました。中尊寺から20分ほど。
 最近はなかなか目にしない稲掛け。彼方此方に見られます。農家の方は自家用にと自然乾燥させているという説明でした。さもありなんという感じです。

           錦繍の東北 旅の三日目 午後

 食事を済ませ、バスは中尊寺の側へと引き返し、お目当ての猊鼻渓に向かいました。
 猊鼻渓は岩手県一ノ関市東部にある砂鉄川沿いの渓谷。1923年には既に国の名勝に指定されたそうです。全長2km、高さ50mを越える岩がそそり立ち、一年中観光客が絶えないようです。 

 猊鼻渓は船頭が棹を差し、小さな舟で観光客を案内します。紅葉の今の季節はなかなか見応えがあり、藤の頃もなかなかだそうですが、私の感じとしては新緑の頃もきっと素晴らしいのではと感じました。舟は通年で運行され、雨が降れば屋根を掛け、寒い冬はコタツも用意されるそうです。今回は秋晴れ。靴を脱ぎ皆さんが船縁に座ります。靴べらが無かったのは残念。
 
          錦繍の東北  旅の三日目 午後

        錦繍の東北 旅の三日目 午後

 行き交う舟では互いに手を振り、素晴らしさ共有している気分が伝わります。
             錦繍の東北 旅の三日目 午後

 ゆったりと舟は進みほぼ30分ほどで終点に着き、下船しそこから少し歩き回り暫らく風景を眺めます。

             錦繍の東北 旅の三日目 午後

 猊鼻渓の猊は獅子のこと。その頭と鼻の部分に見える岩があり、この渓谷を現す猊鼻渓の名となったそうです。

            錦繍の東北 旅の三日目 午後

 船頭の謡う「げいび追分」往きの時の声から大丈夫かしらと思っていましたら、帰りの最後15分位の流れに来ましたら、それはそれは素晴らしい謡いぶりです。情感たっぷりです。船頭は皆さんがこういう風に謡うのでしょう。

            錦繍の東北 旅の三日目 午後

 猊鼻渓の流れは澄み、岩魚や鯉など、また鮭の遡上も見られるそうです。船頭の謡うげいび追分に伴走するが如く大きな鯉が寄ってきます。餌は船着場で50円で買うことが出来たそうですが、気がつかず残念でした。

            錦繍の東北 旅の三日目 午後

 この猊鼻渓を最後に観光の旅は終わりました。バスは衣川を渡り、一ノ関駅へと向い私達と別れました。
 運転をしてくださった小竹さん、ガイドの工藤さん。三日間有難うと感謝をし、新幹線に乗り込みました。
 
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錦繍の東北 旅の三日目 午前

 夫婦で参加が条件のツアー。三日目を迎えました。今回の目玉の一つ、中尊寺へと車は向かいました。
中尊寺では高齢者ということか、バスは金色堂の近くで私達を降ろしました。
 添乗員から金色堂と讃衡蔵の共通の拝観チケットを受け取り、自由に見学しました。金色堂の新覆堂は1965年に完成されたそうで、金色堂全体を覆っております。
 拝観する人が大変多く、ゆっくりと見ることが出来ません。自宅に帰りガイドブックをゆっくり見ることにし興味の向くままの所を眺めて出て来ました。
 讃衡蔵では素晴らしい多くの国宝や重要文化財に触れ、奥州藤原氏の力を偲びました。
 とも角12時15分にはバスが中尊寺を離れ、昼食場所へと移動するというので、急ぎ足で回り、シャッターを切るということになりました。

         錦繍の東北 旅の三日目 午前

         錦繍の東北 旅の三日目 午前
 
 中尊寺の創建以前からこの地にあったという白山神社には能楽堂の舞台があります。ここでは季節により実際のお能が見られるようです。ガイドブックに詳しく掲載されており、さぞ素晴らしいことだろうと想像しております。

          錦繍の東北 旅の三日目 午前

          錦繍の東北 旅の三日目 午前

          錦繍の東北 旅の三日目 午前

 本堂の左側、懸崖の菊は見頃には少し早かったのですが、ガイドブックそっくりに並べられております。

          錦繍の東北 旅の三日目 午前

          錦繍の東北 旅の三日目 午前

          錦繍の東北 旅の三日目 午前

 弁慶の大きい姿に驚き、外には経堂や鐘楼、大日堂など。眺め眺め月見坂を下り、待ち合わせ場所の駐車場まで行きました。上りは苦手な夫でも下りは比較的楽に歩けますので、私達には良いコースでした。
 もう一つ。チョッと嬉しかったのは台北から見えた女性方(事業経営者でしょうか)の記念写真を撮っているところに行き合わせました。「一枚撮らせて頂いてよろしいでしょうか」と中国語で聞きますと、どうぞどうぞと場所を空けて下さいました。シャッターを切りましたら「謝謝!」とこちらが言うべき言葉が出てきて嬉しくなり、こちらも勿論「謝謝」とお礼を言いました。

           錦繍の東北 旅の三日目 午前

 貫禄がある女性集団ですね。この方達は奥入瀬で反対方向から登って来て、すれ違った方です。服装を見て気がつきました。

 チョッと出し遅れですが、如何に多くの方が中国や台湾、韓国それにロシアなどから観光に見えているかということです。女性トイレの掲示板で分りました。これは十和田湖子ノ口で掲示されていたものです。

             錦繍の東北 旅の三日目 午前
 
          一番下の字はロシア語でしょうか。私は勝手にそう見ましたが。
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八甲田ホテル

 10月20日の昼。クラブツーリズムツアーに参加した一行は八甲田ホテルで昼食を摂りました。
 重厚な洋風木造の建物は十和田八幡平国立自然公園北部に位置し、八甲田大岳を目の前に望むことが出来ます。

             八甲田ホテル

             八甲田ホテル

 この建物の中に入って行き私は驚きました。このホテルが名高いリゾートホテルと言うこと以外には何も知りませんでした。
 棟方志功さんの大きな画が何枚も掛けられております。興奮しましたね。
 半年ほど前。親しい方が志功さんと血縁が濃く、彼女が志功さんの所に遊びに行かれた時、帰り際にさらさらと描いて下さったという画を見せて頂いたからです。
 この版画を写して帰り、彼女に見せたくホテルの方に話し何枚も写しました。

              八甲田ホテル

              八甲田ホテル

 壁に掛けられた写真にはくつろぐ志功さんの姿も見られます。

              八甲田ホテル

 ホテルのダイニングは落ち着いており、カレーも何となく高級に見えます。ご飯が多く私は食べ切れませんでした。食後のコーヒーは濃く、昔良く行った専門店を思い出す美味しい味でした。
 ホテルの玄関横に菰を掛けられた物が横たわっておりました。出発前、ホテルの男性が菰を一部取り払い見せて下さいました。其処には見事なナメコが見えます。一粒が5円玉くらいもあるような、つややかなナメコです。このような立派なナメコは初めて見ました。
 
             八甲田ホテル

 食いしん坊の私はこれはどういう方が食べるのか、食べる人が羨ましく思いながらバスに乗り込みました。
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錦繍の東北 八甲田山から安比へ

 クラブツーリズムの夫婦の旅は二日目。奥入瀬を離れて八甲田山に向かいました。道路は空いています。両側のブナの並木、紅葉が続きます。

             錦繍の東北 八甲田山から安比へ

 私達の席は最前列、行く道の風景を一人占めしているようです。
 ガイドの工藤さんは八甲田に近づくにつれ、山並みを指しながら詳しく説明をします。日露戦争を前にした日本軍の八甲田雪中行軍遭難事件。新田次郎の小説のこと。毎日のように其処を通るとは言え、ガイド振りに感心します。
 八甲田山に登り散策が予定されております。
 中食は八甲田ホテル。リンゴをたっぷりと入れて作るというビーフカレー。まろやかな舌触りに夫は食べ過ぎたようです。
 八甲田山に登るケーブルは101人乗り。普段は20分置きに出発するそうですが、季節の所為かこの日は12分置き。100人も乗り込みますとぎゅう詰めです。
 頂上での散策は30分コースと60分コースとあり、参加者は自由に選択。私共は当然ながら30分コースを歩きました。
 八甲田山系の山並みを遠くに望みながら、アオモリトドマツの緑の間に見える紅葉を楽しみました。
 添乗員の上野さんは60分コースを選んだ参加者と歩いて来ました。疲れを知らずという方です。

           錦繍の東北 八甲田山から安比へ

           錦繍の東北 八甲田山から安比へ

 八甲田山には湿地帯が多く、春から夏にはこれらの湿地帯に水芭蕉も見られるそうです。

           錦繍の東北 八甲田山から安比へ

 時間厳守でケーブルにのりこみ下山しました。山並みの遠くに微かに青森市の姿が望めました。

           錦繍の東北 八甲田山から安比へ

 八甲田を後にし、バスは今夜の宿、安比へと走りました。途中バスから降り城ヶ倉大橋を徒歩で渡りました。この橋は長さが255m。上路式アーチ橋としては日本一の長さを誇るものだそうです。
 橋の下120mの底に見える城ヶ倉渓流と両側にそそり立つ紅葉。進行方向に向い左側の紅葉が特に素晴らしいというガイドさんの説明。良かったです。
 
           錦繍の東北 八甲田山から安比へ

 暮れなずむ路をバスが進み、安比高原に近づきますリフトの鉄塔ににイルミネーションが輝いています。以前、長女が安比にスキーに行き、ペンションに泊まったことから、ホテル安比グランドはリクルートの傘下のようだと耳にしたことがあります。
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錦繍の東北 旅の二日目

 10月20日(月)朝 この日の気温は高く、青空が広がり晴。大湯温泉を出発。十和田湖畔の休屋の桟橋から遊覧船に乗り、湖畔の紅葉を観賞。遊覧船の最上階からの眺めは視界も広く、頬に感じる風も爽やかです。子ノ口に向かう船べりの右側の風景にカメラを向け、シャッターを切ります。
 紅葉は左遠くに見える湖岸の紅葉に比べ勝っているように感じられます。パンフレットやPCで見る紅葉は全て右側でのものです。
 船はほぼ50分で子ノ口に到着します。

      錦繍の東北 旅の二日目

      錦繍の東北 旅の二日目

      錦繍の東北 旅の二日目

 湖水は透明度が高く、皆様ご存知の通り日本有数の湖として知られております。

 子ノ口で下船しバスで10分ほどで奥入瀬渓流の銚子大滝に到着。バスを降りて渓流沿いに白糸の滝辺りまで歩きました。特別な危険物以外は除去されないという自然のままの道。行き交う人も多く、その日だけかも知れませんが高齢者が殆んどと言っても差し支えないでしょう。特に女性のグループが目に付きました。

       錦繍の東北 旅の二日目

       錦繍の東北 旅の二日目

       錦繍の東北 旅の二日目

 奥入瀬渓流を後にしてバスは八甲田山に向かいました。(次回は二日目の続き)
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錦繍の東北・夫婦の旅

 10月19日午前11時59分 はやて11号は盛岡駅に到着。上野で乗車したのが9時22分。早いものですね。
 夫の体調が回復してきたので、クラブツーリズムのツアーに参加。ゆっくりの旅に出かけました。
 ツアー参加の夫婦は11組22名。
 見るところ平均60歳少し?50歳台と思われる方が二組くらい。私達は最高齢でしょうか。あなた任せのゆっくりを選びましたので、時間に余裕があります。
 盛岡から大型の江南バスで十和田八幡平国立公園へと向かいました。八幡平アスピーテラインに乗り上へ上へと昇って行きます。ななかまどの鮮やかな赤。葉は落ちても実の色が見事です。
 八幡平の頂上付近は既に紅葉は終わりを告げ、期待していただけに残念です。

           錦繍の東北・夫婦の旅

 私達は八幡平頂上へは登らず、バスは大沼へと進みました。大沼で下車。沼の周辺を暫らく散策をしました。ススキが終わり行く秋の名残の姿を見せております。

           錦繍の東北・夫婦の旅

            錦繍の東北・夫婦の旅


 大沼の泥火山は不気味な液状の泥を吹き上げております。食いしん坊の私は直ぐに食べ物と繫げて見てしまいます。漉し餡を煮詰める時、温度が高くなるとブツブツと小豆が吹き上がって来ます。
それにそっくりなのです。

            錦繍の東北・夫婦の旅

 この辺りは熊が出るようで、看板で注意を呼びかけております。大沼の側のみやげ物店の檻に月の輪熊が飼われております。顔が可愛いく時間があればも少し眺めていたいくらいです。

            錦繍の東北・夫婦の旅

            錦繍の東北・夫婦の旅

 大沼からは大湯温泉へと下って行き、19日の夜は大湯温泉のホテル鹿角に宿泊。この日このホテルには女子高生230名ほどが宿泊と言うことで、入浴についての説明がありました。一緒も面白いかも知れませんが、実際は凄いことでしょうね。松蔭高校とありましたので、東京の世田谷にでもあるのかと思いましたが、お嬢さん方に聞きますと兵庫県からと言うことです。このお嬢さん達、お行儀が良く、服装も見るからにキチンとしております。旅は楽しく、心身のリフレッシュにもなりますが、いろいろなことを知る機会でもありますね。世田谷と思いきや兵庫とは。
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相子熱中症に罹る?

 10月4日は快晴。気温も高く二女の娘の通う幼稚園の運動会。幼稚園最後の運動会。
 私と夫もいい場所を取りたく早くに並び、開門を待ちました。
 
 この幼稚園は体操で有名な二階堂学園の付属。運動会は高校の運動場を借りて開かれます。
 校庭は乾ききっており、体の回りに高い気温の空気が寄せて来ます。
 私はデジカメを持ち、一所懸命孫の姿を追いました。どこもいいポイントは人が集まっております。背の低い私は、つま先を伸ばし、精一杯踏ん張ってカメラを孫に向けます。
 良いカメラを持つ父親も目に付きます。

              相子熱中症に罹る?

 運動会は両親も大変ですね。競技が済むたびに校庭を掃き均し、綺麗に整えます。昔と大違いですね。

              相子熱中症に罹る?

 この幼稚園の所属する大学のチアガールは全国でも最高のレベルのチームです。昨年同様今年も園児の前で、その素晴らしい演技を披露し、校庭一杯に拍手が響きました。
 一人一人の園児はチームのお姉さん達に支えられ、上に捧げられてポーズを取ります。孫のこの瞬間を撮るために、ばーばは頑張りました。
 
              相子熱中症に罹る?

               中食も済み、演技も進みます。

              相子熱中症に罹る?

 だんだん私の体がおかしく感じれれるようになって来ました。横になっても周囲の熱気が押し寄せてきます。帽子を被り、パラソルを差してもどうも変です。思考力と言いますか、考える気力が失せて来ました。
 これはどうもおかしいと、自販機の側に行き、水を沢山飲みました。側にチョッとした石の囲いがあります。そこに座りましたら、涼しい風が体に当ります。もう動けません。頭を垂れてジーとしておりました。体を動かしたくありません。
 
 最後の幼稚園の運動会。終了の場面を見たかったのに立ち上がれません。
 
 競技が全て終わり、行事のセレモニーも終わった様子。家族がやって来ました。
 車にやっと乗り帰宅。すぐ横になり、氷で冷やしました。夕食も食べる気力がありません。9時頃少し食べ物を口にし、そのまま朝になりました。体重が2キロ減り驚きました。
 これは軽い熱中症ではなかったかと思っております。

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明大マートのこと

 JR御茶ノ水駅西口から南に駿河台下方向へと西側を下って行きます。吉郎坂と言われる坂を西に上ると山の上ホテルに突き当たります。坂は明大の校舎を南北に分けることになっております。
 第二次大戦後、山の上ホテルは米駐留軍の女性士官の宿舎になっておりました。グレイの軍装に身を包んだ女性がショルダーバックを肩から提げ、颯爽と坂を下りて行きます。
 坂の入り口北側は木造二階建ての建物で新館と呼ばれ、主に合併授業が行われておりました。
 当時革靴は貴重品。木造校舎の廊下を下駄で歩く学生も多く、騒音が教室まで響いて来ました。
 大学は下駄履き禁止の掲示を貼り出しておりました。
 その跡地には現在創立100周年記念大学会館という建物が建てられており、その地下には明大マートと呼ばれるコンビニストアーが開店しております。
 1949年。私達が和泉校舎で共済部という部活動をしていた時の品物は教科書、ノート、欠席届用紙、ポマード等。時代の変化は想像を超えております。
 校友会我孫子地域支部のバザールの記事を掲載しましたら、鹿児島の西村さんが明大ラグビー部OBの大山稔さん(85歳)という方の消息をコメントでお教え下さいました。
 ラグビー部は私達の頃は花形運動部で、野球部と人気を競っておりました。
 先日明大マートに買い物に行きました。職員の方の了解を得、写真を数葉写して来ました。
 店内のグッズにラグビー部関係の品物も並んでおります。
 
           明大マートのこと
                
           明大マートのこと

           明大マートのこと

 明大マートはコンビニですから、学用品は勿論、多様な商品が並んでおります。
 今月19日(日)は大学が催すホームカミングデーの日です。卒業以来初めて母校に見える方も多いことでしょう。明大グッズを求める方もありましょう。昔日の仲間との交流も校内の彼方此方でもたれると思います。お天気も良いようです。皆さん楽しんで欲しいと思います。
 この日、私もリバティータワーの17階の学食で落ち合う連絡を頂いております。

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栗・くり・クリ

 先日長女が友人から大きな栗を沢山頂いて来ました。我孫子の中では西側に位置する我が家。市内の東の方向には栗園などもあり、秋には栗拾いが出来ます。
 千葉県と茨城県の境に広がる地方には栗が沢山植えられております。
 成田山詣でのお土産は「鉄砲漬け」や「成田の栗羊羹」がよく知られております。昔は初詣のお土産は栗羊羹と相場が決まっており、家に持ち帰り、近所の人に配るのも田舎でよく見られたことでした。今は何処でも買うことが出来ますので珍しさも、有難さも薄れてしまいました。
 戦争末期、女学校の講堂に作られた学校工場で、ジュラルミンで何かの部品を作っていた上級生。一所懸命へのご褒美か成田の栗羊羹が配られ、お裾わけで私達下級生の口に入ったことも思い出されます。
 先日の栗を見つけた二女の娘(来週6歳になります)早速クリに目鼻をつけて楽しみ、私に「PC(以前はカソポンと言っておりました)に入れておいてね」と言い置きました。
 ばーばは彼女のフォルダーに忘れず保存しました。

             栗・くり・クリ

 頂いて来た栗はくりご飯にし、美味しく頂きました。秋の味覚です。

 栗のことで序話 
 先週急用があり、知人と東京駅八重洲口の大丸で落ち合いました。昼食時で「とに角どこかで食事をしましょ」となりましたが、余りに変わってしまった八重洲口周辺。知った店も何処にあるのか分らなくなってしまっています。
 それではと大丸のレストラン街に昇りました。何処も混んでいます。昼の昼食時間、混んでいるのが当たり前。何となく空いている店を見つけました。京都の有名な店の名が出ています。
 美容院でよく目にするグラビヤ誌に、見事な料理が掲載されている店ですので名前は知っておりました。知人は昔はよく使ったそうです。(この日は知人のご馳走)
 昼ですので一番軽いものにしました。空いていますので、気分は落ち着きます。サービスは普通。
 松茸の土瓶蒸も付いています。料理は全体にチマチマしております。味も特にどうと言うことでもありません。土瓶蒸の香も特に感じられません。
 
 気に食わないのがくりご飯。くりが大きくて私の小指の先ほど、足の小指ではありませんよ。手のです。切ったのか、砕いたのか、余りに細かく、一緒の方も「ねーあなた、これ栗が一個くらいかしら」と少し声を潜めて言います。
 栗の旨みも、香も、歯ごたえもなく、これが有名店のくりご飯かとへーという感じです。
 空いているというのは値段と内容が伴っていないことだと分りました
 数ヶ月前、大阪の老舗の酷いことが報道されましたが、老舗と言う名と、デパートという場所にも気をつけなければと改めて気がつきました。

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我孫子から

 昨日我孫子の天気は曇り時々小雨後晴。我孫子はご存知の千葉県の西北部の街です。中国語の我孫子は私の孫と言うことです。我孫子に住んでいると聞くと中国人は不思議に思い少し首を傾げるかも知れません。
 昨日開かれた「あびこ地区市民まつり」サブタイトルは「我と孫と子、親子三代楽しめる夢」です。

              我孫子から

 明治大学校友会我孫子地域支部はこの祭りに参加。バザールに出店しました。
 場所は当日朝の受付順と言うことで、会員の方が早々と駆けつけ、目立ついい場所が確保できました。

              我孫子から

               我孫子から

               我孫子から
 
 朝から天気が予想より悪く、8時の集合時では「これやるのかしら」と周りの出店者もぼやいておりました。場所取りに行かれた方から、開催すると連絡を受けていましたので、品物を並べ準備。
 天気は段々思わしくなくなって来ました。雨の準備がしてありませんでしたの、シートを被せたり、五輪旗よろしくシートを上に捧げたり、忙しなく動き回りました。
 品物は一昨年同様会員の方の寄付により、バラエティーに富んでおります。隣のテントの方に申し訳ないほどこちらに人が集まって来ました。
 お天気が昼頃から晴になり、残りの品物を半額にして決まりの14時に店を終いました。
 この日のイベント会場は市内三箇所。近くの会場では将に三代による演技がひろげられ、市民の方が楽しい時間を過ごしておりました。

                我孫子から

                我孫子から

 我孫子支部では売り子の皆さんでお揃いのロゴ入りのTシャツを着て、頑張りました。今年の反省は再来年に活かされて行く筈です。
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岩田糸子さん追悼

 オパール・ネットワークのサロンにお見えになる会員の中では最長老とも言える「岩田糸子さん」が亡くなられたと新聞に報じられてから、既に2週間以上が経ってしまいました。
 岩田さんと最後にお会いしたのは7月14日の赤坂サロンでのシャンソンを聞く会でした。
 新聞を開いた時何が何だか理解できませんでした。PCを開きましたら、全国各紙が伝えております。多臓器不全ということですが、患っていられるということも耳にしておりませんし、7月14日には何時ものように素敵なジャケットをお召しになっていられ、会員の「素敵ねー」という言葉が聞こえて来ておりました。
 
           岩田糸子さん追悼
(右が岩田さん、真中は会員の土屋郁子さん、左はシャンソン歌手の新井みえさん)

 岩田糸子さんはガラス工芸家として知られ、日本を代表するガラス工芸家です。2005年9月のサロンで「83歳 いまが旬」というテーマーでお話をして頂きました。岩田さんの生い立ちと人間形成期、岩田さんの旺盛な好奇心、行動力などについてのお話は皆さんを感動で包みました。
 岩田さんは年齢を感じさせない魅力を湛えております。センスもずば抜けております。両手の指には一本の指輪もつけておりません。全体像が際立っております。
 オパールニューズレターで改めてその時の話を読み返しますと、幼児期を過ごした英国でのナースによる躾、少女期に海外にいる両親と別れて厳しい伯母さまとの日本での生活。その中で学んだ伯母さまのセンスと芸術文化の造詣、社会的な作法。こういったことが基礎にあったせいでしょうか、夫の岩田久利氏と出会い、結婚。岩田久利氏と結婚以来40年間、家事を一切しない生活をし、利久氏亡き後は岩田ガラスの社長を引き受け、会社を閉めて初めて一人で生活と家事をし、自由な生活に自信を持てれているご様子でした。
 そのこともあってではしょうが、好奇心旺盛な岩田さんは常に一人で行動する習慣を守り、過ごされておりました。
 多くの賞を受け、作品は日本のみならず、世界の美術館に収蔵されております。見事な方でした。
 サロンでは気軽に振るまわれ、皆さんの尊敬の眼差しが注がれておりました。ステーキが大好きだった岩田さん。会員皆さんの目標、励みになっていた岩田さん。ご冥福をお祈りいたします。

            岩田糸子さん追悼

 何時もの定位置で会員と談笑される岩田さん(7月14日)もうこの位置でお姿を見ることは出来ません。
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青島慕情という冊子

 1945年日本が負け、海外に住む多くの邦人は順次日本(当時は内地と言っていました)へ帰国して来ました。
 1945年の6月、青島に住んでいた私の両親は、北京に疎開し、そこで戦争の終わりを迎え、妹・弟と5人で北京から引き揚げて来ました。
 豊島 坦さんは1935年に生を受け、1941年に青島第一国民学校に入学しました。
 豊島さんは青島の思い出は必ずしも多くはなかったようですが、国民学校の思い出は随分詳しく記憶に残っていられるようです。
 ある時期から青島の国民学校に通学していた方々との交流を求め、自分なりに努力をされていたそうです。定年後これに拍車がかかり、精力的に頑張っていたそうです。
 結果は必ずしも豊島さんの期待通りには行かず、それでも連絡の取れた方々との交流が持たれるようになったそうです。
 豊島さんは「青島・国民学校連絡会」という会の責任者を引き受け、青島の国民学校在学中に終戦を迎えた方々のために会を続けているそうです。
 青島慕情という冊子は2007年1月に刊行されました。その表紙のイラスト。第一国民学校(小学校)の俯瞰図。また挿入されているスケッチなどは、私のブログにしばしば登場する方が受け持った作品です。
 順に並べて参ります。

           青島慕情という冊子
     この表紙は昔私たちが楽しんで眺めた高脚躍りです。

           青島慕情という冊子

 このスケッチは青島第一国民学校(小学校)の俯瞰図です。実に良く表現してくださっております。

            青島慕情という冊子

 この写真は冊子に掲載されてはおりませんが、青島で過ごした方の見慣れた第一の校舎とグランドです。

           青島慕情という冊子

 この素描は洋車(ヤンチョ)という人力車。街の至る所で見受けられました。懐かしい風景です。

 この「青島慕情」には思い出の記が何篇も掲載されております。豊島さんは今も仲間の方が名乗りを上げてくださるのを待っていられるそうです。

 このブログを見てご自分もそうだとお気づきになり、豊島さんに連絡をしたいと言う方は、私のコメントに管理者だけに分るようにし、住所や氏名、また電話、メールアドレス等をお知らせ下さい。豊島さんにお知らせいたします。
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懐かしいこころの歌

 毎週月曜日午後10時。夫と私は揃ってTVの前に座りチャンネルをBS4(日テレ)日本・こころの歌に合わせゆっくりと観賞します。
 この番組にはフォレスタというグループの若い男女の方々が出演しております。古い歌、懐かしい歌、こころ和む歌、忘れがたい歌、童謡などが歌われます。
 TVに目をやりながら「へーこの歌随分昔出来たのねー」「これは女学生が歌うよね」「作詞者は有名だねー」とか時には歌の出来た時代や盛んに歌われた時代のことなどに話題が広がります。
 このフォレスタと関係があるチャイナドレスの生徒のK.Kさん。私がこの番組を聞いているということからよく話が合います。

              懐かしいこころの歌
                 (フォレスタのHPから)
 
 自然にこの番組の女性方にチャイナドレスを着て頂くということになりました。5月の末のことです。
台北に行く直前です。台北に同行したK.Kさんと見つけたシルクの生地はとても綺麗です。
 帰国してから、採寸、裁断、仮縫いと進み7月末にお渡しすることが出来ました。
 今月に入り2日には新潟でこのチャイナドレスを着ての舞台と言うことで、私も応援に駆けつけました。公演は舞台と客席との雰囲気がとても良く、このような歌番組が少ない最近のTV。是非皆さんにも見て欲しいと思いました。

              懐かしいこころの歌

              懐かしいこころの歌
                 (新潟公演の舞台)

 明日はまた午後10時からこの「日本・こころの歌」が放映されます。時々はチャイナドレス姿も見られることでしょう。楽しみと観賞方法が増え、若しかしたら熱心なあまりフォレスタ批評家になってしまうかも知れませんね。

 K.Kさんのブログはここからお入り下さい。
 

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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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