2009-06

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友生まれ故郷へ

 既に何回もブログに登場している中国山東省の青島の小学校に通った仲間。青島羊会という名でかれこれ40年以上が経っています。段々年齢が高くなりますと体調を崩す方も増えて来ます。
 青島満帆の足立さんは今年の懇親会に青島から戻って来ました。懇親会の後転倒し、大腿部骨折というおおごとになってしまいました。
 メル友でもあります武藤直大さんと見舞いに行きました。病院からの帰る途中コーヒーをご馳走になり、お喋りをしました。武藤さんは目下一人暮らしバチェラーです。
 小学校3年生から終戦の年の中学2年生まで青島に住みました。
 生まれたのはアモイ。お父様が外務省に勤めていたということで、任地に伴い中国大陸のあちこちに住んだということです。
 先ごろアモイに行かれ、その話を詳しく送って下さいました。
 私だけ読むのは勿体ないと、連絡をしましたら画像も送って参りました。

 題して「杭州から生まれ故郷のアモイへ
 
 この春、杭州在住の中国人医師の友人Jさんから「マッサージ店を開いたよ」と言ってきた。
 マッサージのついでに、近くにある生まれ故郷のアモイにも行ってみようとまず杭州へ。

               西湖のほとりで

         西湖のほとり。周囲には共産党幹部の別荘が多い。

              友好の碑

       また西湖に隣接した公園に「日中友好の碑」があった。

 安ホテルに泊って、昼は観光と中国語の勉強、夜はマッサージで過ごす。それにややあきたころ、第二の目的地へ。

             IMG_0002武藤さん3(マッサージ店)

        マッサージ店で美人で中国語の先生と

旧租界コロンス島へ
 杭州からアモイまでは空路で1時間10分。機内食の魚フライをはさんだパンを食べ終わったところで着いた。街に出て、パンにいろいろはさむのがアモイ名物であることがすぐ分かった。ホテルは上の下クラスにしたが、大通りをちょっと入ったホテルの前に屋台が並んで、機内で食べたような種類のものを売っている。
 「昼飯がちょっと足りなかったから、ここでもう少し食べよう」
と買ったのが、ニラを炒めてパンに溢れるほどたっぷりはさんだもの。3元。これがアツアツで美味しかった。肉は入っていないのに、日本のファースト・フードのハンバーグよりも遥かにうまい。炒める豚の油のせいだろうか。

             IMG_0004武藤さん4(

          杭州の食道で安い朝食。100円でも食べ切れない。

旧日本領事館で
 ホテルでひと休みして、旅の目的地コロンス島に向かった。風光明媚の島で、父が勤めていた旧日本領事館があり、その近くの官舎で1931年に私が生まれた。コロンス島は1904年に万国共同租界となり治外法権の地域だった。各国の大使館や領事館が国威を示す建築を競い、華僑など金持ちの中国人の邸宅がそれに混じった。
 島との間はフェリーが絶えず往復している。かなり混んでいる乗り場に行き、そのまま押されて乗船してしまった。切符を買っていない。
 Jさんを見ると、「頭いいね。時間も人手もかからない。帰りに行きの分も買うんだって。必ず乗るからね」
 距離は香港島と九竜の間よりも近い。10分足らずで着いた。島の道路は狭くて、足の弱い人用に小型の電気自動車だけが走っている。道の両側は土産物屋と食べ物の屋台で、観光客はほとんど中国人である。租界という外国に侵略された歴史の跡は不愉快と思われそうだが、そんなことは全く気にしてないようで、エキゾチックな街並みが人気らしい。
 Jさんが屋台などで旧日本領事館の所在を聞きながら歩く。フェリーを降りて左に曲がり、島の南東部の方向を目指した。建物の壁や塀はレンガ造りが多い。古い古い百年を超えるような年輪を感じさせながら、赤や黒のレンガの肌は艶があってびくともしていない。メジも確りしている。よほどいい材料が使われていたようだ。
 15分ほどで小高い丘にさしかかった。右にとんがり屋根の白い教会、左が病院。正面に広い階段があって大木の緑が覆いかぶさっている。その奥に2階建ての赤レンガのビルがあった。階段の手前の同じ赤レンガの塀に小さな看板が張られて、「保存建築物・旧日本領事館」とある。

              DSC04216 武藤さん5(旧領事館)

              DSC04220 武藤さん6(旧領事館階段)

 階段では白いウェディングドレスのカップルが撮影していた。手をつないだり抱き合ったり、、、記念写真の名所の1つになっているらしい。日本に対する反感は全く感じられない。撮影の終わるのを待って建物の中に入った。私の年齢の77年前、30代前後の若い親父が、毎日ここに来て仕事をしていたのだ。廊下は暗かった。部屋には鍵がかかっていて入れないが、親父の姿を思い浮かべることは出来た。

              DSC04214 武藤さん7(領事館横に立つ)

 「地下室には牢獄があった、と書いてあるよ」
 とJさんが壁の説明書を読んでくれた。治外法権だったので、日本人の犯罪者は日本で裁判にかける。その収容施設があったのだろう。
 外に出た。近くに私たち家族の住んだ官舎があったはずだ。だがその所在までは分からなかった。私が生まれて2~3年後だろうか、家の庭に親父が私と兄用にブランコと滑り台を作ってくれた。若いときは結構マイホーム・パパだったらしい。母が私を抱いて散歩していると、よく中国人のママさんたちから話しかけられたと聞いた。
 「可愛い赤ちゃんね。このベビー服いいけど、幾らしたの?」
 値段を聞くのも、この地の社交辞令だったようだ。母がいたその場所に今、私が立っているかもしれない。来てよかった!
 島の観光地をひと巡りして、フェリーの出る海岸に着いた。少し疲れてベンチで目を閉じると、やがて波の音がはっきりと聞こえてきた。どこか懐かしい。そうだ、これと同じ音を私は家のベッドや、あるいはここに来て聞いたのである。甘酸っぱいものが体内に湧き上がった。母の肌に抱かれたような感覚。これが生まれ故郷なのだ。

               DSC04234 (2)武藤さん6

名物焼き鳥と資本主義 
夜はアモイの繁華街見物。中山路を中心に歩いた。中国にはどこの都市にも中山路という名の道があって、市のメイン道路か繁華街になっている。革命の父・孫文(孫中山)に敬意を表してのことだろう。アモイの中山路は商店街と屋台の賑わう繁華街である。
 電気製品や洋品店、靴屋、レストラン、土産物屋、、、ぞろぞろと歩く観光客や市民で混みあっている。その道路のあちこちから強烈な臭いが立ちこめて、人だかりが。屋台の焼き鳥である。
「夜食はこれにしよう」
 と意見が一致して、人だかりの中に入る。トリ、ブタ、臓物、魚類といろいろある。2、3味見して歩き、威勢のいい掛け声の屋台の前に来た。
「2本5元、2本買ったら、2本オマケするよ」
 ということは、4本5元という計算になる。4本で75円という安さ。それを買った。竹串に刺さった3本は肉類で簡単に食べられた。ひときわ長い40センチ近い竹串には、でかいイカが1匹丸ごと刺してある。かぶりつくと辛いこと辛いこと、トウガラシ醤油にたっぷり浸したヤツだった。とても全部は食べられない。腹も満腹状態になっている。
「その屋台の下の暗いところに捨てたらいいよ」
というJさんの言葉に従った。
翌日、市内観光して面白い発見をした。アモイ市集美区の海に面した「アオユアン」という公園に行くと、門を入った左手の丘に上野の美術館ほどの建物がある。公園の創設者である陳嘉庚氏の記念館で、陳氏の像や偉業を示す品々が飾られていた。
 陳氏は華僑でマレー半島のゴム園経営で大成功した。戦後、故郷に帰り、この公園を造り、他に大学も創立し、国家に寄付したのである。公園も上野公園ぐらいの広さはある。海岸に突き出た回廊に氏の偉大さを物語る写真ストーリーが展示されていた。毛沢東と同じテーブルに向かい合って座り、堂々と談笑している。亡くなって葬式の場面では、当時の周恩来首相が葬儀委員長のような役割をしていた。
 陳氏はゴム園で労働者を使って大もうけした資本主義の成功者である。それをガチガチの共産主義者と思われる毛沢東が大歓迎している。私は、中国は小平の時代になってから資本主義を取り入れたと思っていたが、実は毛さんの時代から「ネズミを捕るネコはいいネコ」だったのである。
 
Jさんの失敗 
 もう1つの発見はJさんの失敗。中国人は旅に出るとお土産を買うのが好きのようで、Jさんもアモイ土産を探していた。コロンス島での帰り道、名物の海鮮干物に決めたようでアワビの干物を買った。
 コロッケのような形をした周囲が黒くて、中はアワビを干したような色である。6個入っていて200元と言うのを半値の100元にまけさせて上機嫌だった。フェリーの波止場に着くまでの帰り道に同じような店が何軒もある。そこで値段を聞いていると、どんどん値下げしてくる。50元と言われてもう1袋買った。 別の店では40元にまけると言われた。「騙されたよ。ここの商人は売るのがうまいねぇ」
 と苦笑していたのだが、ショックはそれでは終わらなかった。
 翌日の市内観光で、Jさんはタバコを1ダース買った。喜んだ店のおばさんがお茶を出してくれた。おしゃべりしているうちにJさんが医者と分かって、「腰が痛いから診てくれ」と後ろを向いて白い腰をお尻付近まで見せる。苦笑しながらJさんは触って診断した。そのお礼のつもりだろうか、おばさんはアワビの秘密をばらしたのである。

 「先生も買っちゃったの。あれはアワビじゃなくて、ほら貝の1種だよ。一部を切り落として干したら分からなくなる」
 高く買わされた上に、中身までだまされたと知ったJさんは、もう苦笑する元気もなかった。

               IMG_0003武藤さん8(フェリーの港)

       『杭州の写真が一枚ありましたので掲載します。相子』

                IMG_0001武藤さん8

   『この凄い店の飾り、すっかり忘れていましたが私もこの前を通りました。相子』

 武藤直大さん 昭和6年アモイ生まれ。終戦後熊本に引き揚げ、大卒後産経新聞に入社。週刊サンケイ編集長。転職して印刷会社広報室勤務の後、定年退職。
 著書『サラリーマンのマイホーム』『もう一つの空コミューター航空』『新聞記事に見る激動近代史』など。
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複雑な旨味

 「ごはんの味方」富山の瀬戸さんに味噌を送って頂いております。味噌の材料に納得し、毎朝使っております。その都度富山の珍しい物も送って頂きます。このところ干物は無理のようで、今回は手作りの山菜のキンピラを送って下さいました。

                複雑な味

 今まで口にしたことのない複雑な山菜の味です。歯ごたえなどから野の自然な物だと感じましたが、分かりません。特に程よい塩気で気に入りました。
 昨夜質問のメールをしましたところ、今朝PCを開けましたら既に返事が入っておりました。誠実な瀬戸さん。瀬戸さんのブログも参考にご覧くださいませ。


 さて、お尋ねのキンピラの中身です。
     
   今ブログに書いている最中な山菜が盛りだくさんに入っております。
  つまり、標高の高い山には平地よりキレイな環境があり、
  そこに適応した山菜は平地より美味しくて、人間にとってより、体に良い効能を持ったものです。

   その中から美味しくて、元気の出る子達だけを選んで作っています。
  とはいえ、キド味の強いキンピラは好まれませんので
   筍や昆布などでキド味を中和して優しい味に仕上げて目くらましをしてはいますが・・。
      
(内容)
  コシアブラ、ウド、オオナルコユリ、ユキザサ、ネマガリタケ、ショウマ、イケマ、シオデ、筍、昆布。
  鶏油(これで作ると冷凍、冷蔵で味が落ちませんね)、醤油、砂糖、みりん、水あめ、七味。
      
   ユキザサとイケマ、シオデの画像を添付しておきます。
      
              山菜

              山菜

              山菜

               山菜

  ちなみに、オオナルコユリ、ユキザサ、アマドコロ、は皆美味しくて元気の出る山菜として
 知る人ぞ知る名菜ですが、ホウチャクソウという名前の有毒な(山野草マニアに人気)ものと見分けがつかないくらい似ています。
     
 画像はそれを一本づつ同定作業をしているところです。
      
 確実に安心なものだけを皆様にお届けするには欠かせない手順です。

 以上が瀬戸さんからの返事です。知らない名前が幾つもありました。
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一週間で2回校歌を歌う

 梅雨時ですから何時降って来てもおかしくない空模様。昨日は柏から東武線に乗り船橋に着きましたらやはり降って来ました。
 駅から北へ向かい船橋ブランドホテルに到着。午後2時から始まる「明治大学校友会千葉県西部支部総会」
 我孫子地域支部は先日の総会で出来るだけ出席しましょうと、今回は10人が参加しました。

 総会は規約に従い西部支部長が議長を務め無事に終了しました。

               議事進行

 議事に先立ち、西部支部長の猪瀬主税さんが挨拶をされましたが、実にユーモアに富み、話は慣れていられるとは思いますが、チョッと長いのに聞かせますね。
 
 猪瀬さんの話 『皆さん東京都千代田区神田駿河台一丁目一番地に立つ銘盤に名を残しませんか』
 寄付の呼び掛けを上手にされます。
 神田駿河台一丁目一番地。 長ーい間書いてきた番地です。ぐっと来ました。

 議事の後大学からお見えになった財務担当理事の大学の現状についての説明は、財政規模からの話で大変分かりやすいものでした。

              懇親会


 懇親会には昔を偲ぶ「灯」喫茶のレパートリーを歌う方がお見えになり、次々と歌います。リクエストも受けております。歌集はその方々がお持ちになり、貸して下さっております。
 バックはテープではなく生のピアノです。こんな仕事をされている方がいるのは知りませんでした。
 昔新宿の歌舞伎町にあった「灯」歌声喫茶。そこのマネージャーは商学部出身の同期生でした。
 出席された方の中には通った方もいられるかも知れませんね。

              歌います

              地域支部も歌います

 出席の皆さんもコップを手にし一緒に歌っています。あまり歌を知らない私でも殆どは知っているものばかりでした。
 その所為かアルコールが最後まで残っているように見えました。酒より歌。良い雰囲気でした。
 
 最後は何といっても校歌です。肩を組み左右に体を振り歌います。参加者は90名近く、女性は本当に少なく残念です。

              校歌 白雲なびく駿河台

 大学から図書館長の吉田正彦先生(文学部教授・独文学)がお見えになり、昔を懐かしみ話をしました。シャイな先生は昔と変わらず、相変わらず物腰が恥ずかしげに見えます。鎌ヶ谷からたった一人で参加された内田典子さんは昭和48年卒。独文専攻ということで吉田先生と恩師の話。
 お二人の話の中に出てくるお名前は知った先生が殆ど。相談員をされた先生ばかりで懐かしさも一入でした。
 
 船橋地域支部の加藤隆先生(元政経学部教授)ともお会いでき、また元職員の何人かともお会いすることが出来ました。

 閉会の挨拶は我孫子地域支部の今泉健一さん(バスケット選手としてオリンピック2回出場)
 会費が5000円で良くあれだけを賄うことが出来たことと感心して帰宅しました。




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ここが好き

 病院と薬と縁が切れない歳になりました。それでも少し人のお役に立つことが出来ればと過ごしております。
 時々用事でマンションの中を歩きます。風が吹いているから、寒いから、暑いから、雨だからとどうもその用事が先送りになることが多くなって来ております。
 先日はもう配らなければ駄目と雨が止んだ夕方出かけました。

 ここに移り住み間もなく32年になろうとしております。20棟というのは大型なのでしょうか。分かりませんが住心地はとても気に入っております。私の棟は一階にはそう大きくはありませんがスーパー、いろいろな商店、郵便局、市役所分室、銀行のATMコーナー。二階には歯科医院、美容院、接骨院、コミュニティーホール、福祉関係の部屋、自治会の部屋、会議室、100円ショップ、24時間常駐の管理事務所。こう並べますと特別なことでなければ生活ができます。

 滅多にあちこち歩き回ることはありませんが、管理組合がしっかりと運営しているからでしょう。手入れがいろいろな形でされ、全体の整備が進んでおります。

               ビレジの道

               ビレジの道

               ビレジの道

               ビレジの道

               ビレジの道

               ビレジの道

               ビレジの道

 高齢者にも子どもにも心配りがされております。お天気が良い日には幼児を遊ばせる若いおかーさん方が何組も見られます。

 この季節ならではの緑なす道の周辺。良いですね。この街を本当に気に入っております。
 
 やがて夏祭りが中央公園の広場であります。新しい駅周辺のマンションではここのような広場はありませんから周辺の地域全体の子ども達も詰め掛けます。昔の鎮守さまのお祭りのように親戚や知人をお呼びする方たもおります。

 元気な子ども達の声を聞きますとここの良さがよーく分かります。老いも若きも住む街。気にいっております。


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寄席文字から

 宝井馬琴師匠の「ビジネス講談の夕べ」には毎回助っ人の方がお見えになります。
 今回は橘流寄席文字書家の「橘 左近」さんでした。

 寄席文字という言葉は聞いたことはありましたが、その字のこととなりますと全くの白紙の私。
 橘 右近とか左近とかの名前もどこか遠ーくの世界の方という存在でした。

 今回の「寄席文字あれこれ」をお聞きして、何だかとても嬉しくてなりません。でも一方「何て私は物を知らないことよ」と心の中で嘆いております。

 橘 左近さんは少年の頃から落語などに触れる環境で育っていたそうです。高校生の時から信州飯田から新宿の末広亭に通い、大学進学は寄席に通うための手段だったようです。明治大学に入学はしたものの志ん生の今でいうおっかけとアルバイトに明け暮れ、結核になり飯田で療養。その後再度上京したものの職に就くのは難しく、落語の世界と関係が深い寄席文字の書家になられたそうです。
紆余曲折の話も盛り沢山。知らない世界のことで左近さんの上手な話に引き込まれておりました。

                寄席文字

                寄席文字

                寄席文字

                寄席文字

                寄席名人揃い

 この橘左近さんの書かれる文字は寄席文字と呼ばれるもので、この文字を書き50年が経ったそうです。寄席文字に限らず、歌舞伎文字、相撲文字というようなそれぞれの世界が文字を眺めればすぐ分かり、理解するということは文字に工夫がされており、またその世界の持つ雰囲気を伝えているのだそうです。先人たちから受け継いだこの文字。歴史があり工夫の積み重ねと研究の賜物だということを知りました。 勉強しました。
 寄席文字は寄席が客で一杯になるようにと、紙に大きく。相撲は力強く。歌舞伎は歌舞をイメージされるような工夫がそれぞれされているという話をお聞きしますと、これからは確りとよーく眺めようと思ったことでした。
 墨を筆にたっぷりと含ませ、普通は一字を一筆で書かれると聞きますと、よくあの多くの字を同じ太さと濃さで書けるものだと驚きます。書道と違うこのような文字を書く方は、歌舞伎でも相撲でも何人もの方が養成されているそうです。
 寄席にしても歌舞伎にしてもまた相撲にしても、それぞれ異なった仕事を受け持つ方が沢山おりますが、皆さんその世界が好きで、その世界に住むことの喜びを持って生きていると話されておりました。
 宝井琴柑さんと一緒に持つ大きな一枚は素晴らしいものです。色紙は欲しくてもジャンケンで負けましたが、全員お土産を頂きましたので良い記念になりました。

 最後になりましたがこの会を支えて下さっている兼松紘一郎さんには心から感謝をしております。

 
 
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宝井馬琴のビジネス講談の夕べ

 年に二回開かれる六代目宝井馬琴師匠のビジネス講談の夕べ。
 この季節はよく雨にぶつかりますが、昨日は思っていたより良い天気、風も僅かにあり、弱いながらも肌に心地好く感じられました。
 池の端の鰻の老舗「伊豆榮」の4階では見知った方々があちこちに座っております。

 昨夜のトップは若い女性の宝井琴柑さん。「村蔵茂助左七文字」 一所懸命に語りました。馬琴師匠の下で修業しプロとして高座ににも出ているそうです。
 
 二番目は助っ人の橘 左近さんの「寄席文字のあれこれ」寄席文字や歌舞伎文字、相撲の番付の文字などは見ておりましたが、文字そのものについて聞くのは初めて。知りたがり屋の相子は難聴の耳をそばだて聞きました。

 夏物の着物姿で座った馬琴師匠は少し前に旅先で転び足腰を痛めたそうで、昨日は何とか回復しており「私も73だから二つのことをいっぺんにやるのは駄目だねー」と言われます。出席者の半分位の方の耳には我がことのように届いたことと思います。

     演題 天知人より 『川中島合戦』
 
 馬琴師匠が先ず取り出したのは「甲越軍記」厚い和紙の一冊です。50年前に師匠から写すように指示され、毎日少しずつ写したそうです。筆書きですから気力と時間が要りますね。このような軍記ものは殆どが自分で写し書きをしたものだそうです。今日ではこの軍記を語る人も無くなっていることで、文化庁が保存に取り組んでいるそうです。

 川中島合戦は全部で五回戦われ、特に四回目が有名ですが、今回は二回目の「犀川の戦い」を語りました。
 上杉謙信と武田信玄の両雄が相対峙し、お互い譲らぬその場の情景は師匠の早いテンポで進み、講談の魅力。修羅場の見事な語りでした。73歳?
 淀川さん流に言えば、いやー見事ですねー。皆さん堪能しましたか? 良かったですねー。また会いましょうね。
 私もこう言いたい気分です。

                馬琴師匠

 伊豆榮の食事は毎度同じに見えますが、季節が盛られております。コンパニオンの女性方がてきぱきと動いております。
 程よい時間が過ぎ、師匠と左近さんの色紙の抽選が済み、最後は外してはならない校歌合唱で〆となりました。

               校歌を皆で

 馬琴師匠も老眼鏡をお持ちになりましたが、こうして見ますと殆どの方が老眼になっているでしょうね。

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懐かしき青島

 中国山東半島の青島。遠い昔そこに住んだことのある多くの日本人にとっては、あの街の持つ独特の雰囲気は歳月がいかに経とうとも忘れがたいことと思います。

 作家の安西篤子さんが青島の生活に思いを込めた一文。何時誰が送ってくれたのか分からず、時に思い出してはおりました。何に掲載されていたものかも分かりませんでした。何時か詳しいことを知ることができるのでは待っておりました。

               抜粋

               抜粋2

 青島満帆さんのブログに安西さんの本が紹介されております。ぜひ読みたいと探し、何とか買うことができました。この「黄砂と桜」は安西さんの自伝的な作品です。

               安西篤子さんの本

 安西さんのお父様は横浜正金銀行(貿易金融の専門銀行)に務めていられ、青島の支店長として赴任されておりました。その時青島で過ごした安西さんは多感な少女期で、その年頃なりの感性と観察力を発揮され、学校生活ばかりでなく、大人社会も垣間見、察することもできるようになっております。
 青島の第二日本尋常小学校から青島高等女学校へと進学し、青島の学校生活も楽しんだようです。
 この本で見ますと住まいは竜口路36号の支店長宅で、今もその家は残っているようです。

               住んだ家

 この本の第五章「緑陰の街」
 
 この第五章で私は自分の思い出と多くを重ね、あの街に溶け込んでおりました。風景、町並み、食べ物、中国人の姿、買い物店。記憶を今までより一層豊かにして呉れました。
 文筆家という方はやはり凄いもので、考証もきちんとされているのでしょう。文の流れと相まって描写が的確、驚かされます。
 
 現在青島在住の方々がこの本を回し読みされているそうで、昔の青島での日本人の生活研究をされている方に大きく貢献されていることでしょう。

 青島は中国人が老後住みたい街として一番ということは十分納得できます。

 今は飛行機で一気に行くのが当たり前のようですが、絶対船でという方もおります。青島港に入港する前、陸に近付くと見える風景は実にすばらしいのです。

                海上から

 これは最近のものですが、青島は屋根が赤くは街づくりの基本になっていると聞いております。
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婚活の話

 中国語の授業に老師が日本で発行されている華字の新聞をお持ちになりました。
 「中国での婚活」の話が掲載されております。手にとって読みませんでしたが、内容のあらましは結婚相手を探す親の婚活のことです。
 日本の山田昌弘教授(社会学)の名前も出ていることから、日本の婚活のことも紹介されているようでした。

 授業の婚活の説明は中国で新語として使われたということから始まりました。
 中国の女性が結婚の条件として男性に求めていたのは以前は三高でしたが、今日では三有と変化をして来たそうです。

 三高とは 
       1 背が高いこと(175㎝以上)
       2 学歴が高いこと
       3 収入が高いこと

 三有とは
       1 自分の家があること (親との同居は不可)
       2 車があること(国産の安い物ではなく、高級車)
       3 貯えがあること
         三有をクリアしていれば背の高さは170㎝以下でも良いそうです。

 親が相手を探す話は以前日本でも紹介されましたが、中国では親が結婚相手を一所懸命に探しても子どもはなかなか納得しないということで、結婚しない子どものことは社会問題の一つになっているということです。

 三有などと聞きますと男性の求める女性の条件も聞いてみたいものです。

 その日の日経夕刊は日本の男性の婚活の一つを紹介しておりました。

               男性の婚活

             時代の変化に老婆は感心して眺めました。

 この記事も中国の婚活も都会の男性についてではないかと思っておりますが、情報社会ですからやはり広がって行くのでしょうかね。
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旗袍あれこれ

 麗沢大学の公開講座「旗袍からチャイナドレスへ」に出席しました。講師は金丸良子先生。麗沢大学に18年席を置かれているということです。
 講座の内容は勿論「旗袍からチャイナドレスへ」の移り変わりについてでしたが、話が始まりますと私の関心は旗袍よりも、先生が辿られた経歴と中国の済南にある山東師範大学での生活でした。
 済南は山東省の省都で、水の綺麗な都市として知られております。
 先生は日中国交回復後の1979年から81年までの間滞在されて学生に日本語を教えていられたそうです。
 先生は1951年生まれだそうで私よりも20歳お若い方です。早稲田大学で中国語を専攻されたそうですが、当時はまだ中国語は人気のある分野では無かったそうで、学生の数も少なく、卒業しても直ちに職が得られなく現在に至る間の研究生活はご苦労が多かったように感じました。

 講座の前半は中国済南での学生生活や農村部の様子の解説が中心でしたが、それにそった内容がスクリーンで紹介されました。私にとってはとても貴重なもので、また懐かしい中国の人々の生活ぶりでした。特に農村部での春節、高脚踊りの様子。纏足の女性の写真にも驚きました。
 画面は次々と早く変わり、なぜ?と思いましたが、最後の画面からまた最初の画面に戻り、先生の解説は一回目の補足ともなり、この方法は実に良い方法だと感心しました。

 後半の「旗袍からチャイナドレスへ」は比較的あっさりと進みました。

 講座が終了し展示会場に皆さんで足を運び、先生の収集された旗袍や生活用具などを拝見しました。
 先生は直接説明をされ、質問に答えて下さいました。

                展示の説明をされる先生

 展示されている清朝末頃と思われる旗袍のテクニックは参考になりました。一部を掲載いたします。

                旗袍

                旗袍

                子ども用

                長袍

 展示場の様子をカメラに収め、ブログに掲載させてほしいと先生にお願いしましたら快くお許しくださいました。
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朝から酒肴

 若い時には食卓にいろいろと並べて楽しみたく、食の本を見たり、新聞で調理の記事に目を通したりしておりました。
 姑は調理が苦手。その上偏食。ですけれどこれは本人には問題があっても息子の連れ合いの私にとってはいい面でもあり、また助かりました。
 嫌いな物さえ傍に出さなければ文句は出ません。ということで食事についてのイザコザは全くありませんでした。

 仕事を持っていますと帰宅途中で買い物をします。ある時から献立を作り、その献立にそって買い物をしました。当時料理の本を見ますと我が家に合うような献立がありません。何にして良いか考えても分からない時には参考になりますが、継続的に食材を無駄にしないようにするには、自前の献立が必要ではないかと、心機一転少し時間をかけて一年分の献立をつくりました。

 一年分と言いますと、物凄いことのようですが具体的にはどういうことかと言いますと、一週間のうち月曜日から金曜日までの朝食と夕食の献立を立てます。

 仕事の関係で毎週の月曜日と木曜日には四回分の献立にそい材料を買います。それで材料が重なっても良いように料理を考えます。それから甘辛と濃淡の味の組み合わせを考えます。
 こうして作った我が家の献立は毎年繰り返し利用し、手直しをして使いました。手垢が付くほど汚れてしまいましたが、仕事を辞める時に何人もの女性方から欲しいと言われました。何だか惜しくて手元に置いておりましたが、いつの間にかどこかに行ってしまいました。

 今は基本的には夫と気ままな食事で済みますので、毎日廉くて良い物を買うという生活をしております。

 朝は出汁を沢山作ります。味噌汁や野菜の煮物などに使った後、パックに入れて冷蔵庫に保存します。夜はまた煮物。鍋物、酢の物などに使います。

                出汁

 若い時と違うところは時間に任せて保存食を作るということです。少し作れば足りるのについつい多めになってしまいます。
 ということで特に朝はそれらが食卓に並びます。よーく見ましたら飲んべーのような物です。

                ある日の朝食

 上の朝食にはカブとほうれん草の味噌汁を用意しました。塩気が多く、お医者様には叱られそうな物です。
 何かよく見ますと風情がありませんね。もう少しおしゃれに其々をお皿に盛るとか。反省もしますが今日もまた同じような物が同じように並びました。

 昔老人の家に行き昼食をご馳走になったことがありますが、ごそごそ佃煮を出して並べます。そのことが思い出されます。我が家の食事は将に老人食になっているのです。「朝から酒肴」なんて気取ってみても始まりませんね。
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皆さん達者

 オパール・ネットワーク我孫子支部のメンバーは殆どが60歳代。楽しく過ごすことではすぐに意見が一致します。年に数回集まり、何かと協力し合い、励まし合っており大切な仲間です。
 
 会員の田口のりさんは料理の先生です。以前ご主人の任地の大使館で日本人の奥さま方とレセプションやパーティーの裏方でいろいろと経験されたこともあり、おもて成し料理のレパートリーも豊富です。

 今日は皆さんで田口さんの指導で珍しくても、簡単。材料も身近な物を使った料理を作り、楽しい時間を持ちました。

 佐橋慶女代表もお見えになりました。佐橋さんは外食も多いことと思われますが、料理作りはお好きで、自己流でなく時には勉強しなければと張り切っておりました。

              今日のオパール

              今日のオパール

              料理

              今日のオパール

 田口さんの説明も分かり易く、また聞きとる会員もすぐに理解。サーと動き出します。参加者は二手に分かれてさっさと材料も分けます。とにかく皆さん達者です。洗うも切るも、見事です。
 様子を見ていますとちょっと途中で味見をしたり、調理の腕の立つ方ばかり。良かったですね。
 
 紅中緑一点の男性は動きも素早く、無駄な動きをしません。秋はこの男性の指導で料理の会を持つことにしております。(男性は東京プリンスホテルで元フランス料理の総料理長をされた佐藤秀一さん)
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枇杷の季節

 枇杷は育て難いとか。また果実の管理もなかなか難しいと先日TVで紹介されていました。
 枇杷は九州や四国などでも生産されているようですが、私の枇杷は房州の富浦となります。
最近は富浦ばかりでなく、安房郡のあちこちで生産され「房州びわ」として皆さんに馴染まれております。
 今年も近くのショッピングセンターでは取り寄せの予約を早々と受けておりました。もう季節は少し過ぎたようです。枇杷の収穫時期は二週間ほどと聞きます。販売するのも難しいでしょうね。

              今年のビワ

              大きいビワ
 
 子どものころ、今の房州びわのような大きな物はまず目にしませんでした。家の庭のどこかに植えてある枇杷は小ぶりでしたし、また房生りの小さな粒の塊でした。
 神社で巫女さんが奉納する舞の手に持つ、神楽鈴を見ると必ず昔の房生りの枇杷を思い出します。
 季節になりますと色づくのが待ち遠しく、毎日眺めます。食べごろと見ますともぎ取り口にします。
 その一粒のビワは甘いことは甘いのですが、冷やしてありませんから、何となく口に入っても生ぬるく感じます。
 洗いもせず皮のまま先ず半分ほどを噛み、それから残りの半分を食べます。皮は吐き出します。今は洗わない果物を食べるには抵抗がありますね。でも其の頃は農薬の心配などを考えてことはありませんでした。
 この房生りの枇杷は画家の方が好むようで、様になるのかよく目にします。
 たまに道筋で房生りの枇杷を見つけますと、手にとって見たくなりますが人様の庭に入り込みお願いする勇気がありません。眺めるだけで我慢しております。
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コメントの主

 時々コメントを入れて下さる「西村さん・西村唯雄さん」は小学校のクラスメートです。彼は子どもの頃と全くと言っていいほど面影が変わらなく、また今も変わっておりません。
 鹿児島に住む彼は無骨ですが、子どもの頃から実直さが身についているような男の子でした。
 戦後日本で再会した時にすぐ西村さんだと分かりました。男性の中ではひ弱に見えていた中村八大さんはよく分かり、ガキ大将の何人かも分かりました。ガキ大将はやはりその資質は変わらなく、これには驚かせられました。

 西村さんから先に「鮮魚という魚」にコメントを頂き、そのあと赤魚のことについてメールを送って下さいました。
 水産大学を卒業後大洋漁業に就職。トロール船の航海士をされていたそうです。
 世界の海をまたに漁撈活動に関わり、その様子は「青島満帆」の「西村唯雄の海外体験記」としてみることができます。

 赤魚のことですが、メールと一緒に送られて来た画像は4枚あります。画像の説明もありますのでメールの内容を掲載いたします。漁撈ということの一部を知ることが出来ました。知りたがり屋の相子のことと分かって送って下さったことでしょう。PCは本当に便利ですね。

               画像1

               画像2

               画像3

               画像4


 ブログのコメントしました北太平洋アリューシャン列島の南の海域で
トロール漁船で赤魚を漁獲した時の写真です。一網に約20トン近く入っています。
 大漁でした。この魚を中デッキに落とし込み頭を機械で切り落としドレスとして冷凍したり、又機械で三枚に下ろしフイーレとして冷凍したりして20キロ単位のダンボールケースに詰めて魚倉内に貯蔵、残砕からは魚油やフイッシュミールを製造していました。
 製造物は日本と我々トロール漁船との間に運搬船が行き来し運搬していました。
 我々はこのような状況の中、夏季の半年間洋上に留まり、必要な物資は総て運搬船が運んでくれていました。
 乗組員の人数は90人ぐらいで一日3交代方式で昼夜の別無く働き、意志の強い連中しか務まらない仕事でした。私は一等航海士、白ヘルメット(赤線が付いている)をかぶっています。
 トロール漁船の大きさは3,300トンの大型、中デッキは製品の製造工場、つまり漁労設備つき工場と云っても良い昭和40年代初期の花形トロール漁船でした。
 獲った魚も完全利用捨てる物はありませんでした。混獲されるずわいがにやタラバかにが楽しみでしたね。
 船には船医も乗り込んでいましたので病気になっても安心でした。その他20ミリ撮影機なども積み込んでいたので映画も時々みることもありました。ただすごい低気圧がやってくる時は島影にかくれやり過ごしたものでした。 

 画像の説明

 1枚目 船内に引き上げ前の様子。
 2枚目 船尾ノスリープウエイから引揚げ中。
 3枚目 引揚げ終り 私が写っています。
 4枚目 揚がった網から赤魚を中デッキ内の工場に落とし込み中。
                            
                    以上です。   西村。

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福・福・福

 昨日の中国語の授業は三つの福に関わる話でした。
 
       口福・耳福・眼福 

 今朝からその内の二つが我が家にやって来ました。 眼福と口福です。

 自家栽培の野菜を沢山頂きました。断腸亭髭爺さんのブログでトウモロコシを見まして、美味しそうで羨ましく思っていたところです。
 
 トウモロコシとピーマン、それに茄子とトマト   みずみずしい野菜は眺めるだに気分も明るくなります。

                新鮮な野菜

 眺めているうちに玄関先に人が見えました。ご近所の方が掘りたての淡竹を目の前に差し出されております。
 嬉しく頂きました。タケノコは大好きですし、何より新鮮さが大事です。時間にして一時間も経っていませんでしょう。皮が輝いております。土の中から出てきたばかりという艶です。

               掘り立て淡竹

 今日は午後、大腿部の手術を受けた友人の見舞いに行きます。中国の珍しい良いお話が聞けると三つの福になります。

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梅雨になると

 すでに無くなって久しい明治大学小川町校舎。この建物には昔文学部事務室がありました。船橋聖一先生が教授として教壇に立っていた頃です。
 ある日その入口に佐藤正彰先生が立っていました。細身の先生の姿は仏文学者というイメージにぴったりでした。
 またある時には中村光夫先生の奥さまが真っ赤なコートで外に出て行く姿を見たのも思い出します。
 その小川町校舎の4階に学生相談室が置かれることになり、私もそこで勤務をしておりました。
 世相が今のように物騒ではなかった所為でしょうか。火曜日と金曜日は夜間は一人で部屋におりました。夜はそう学生は見えません。一人勤務は時に困ることもありましたが、無事に過ごすことが出来ました。その理由の一つには上の階に柔道部の猛者連中がいたこともありましょうね。
 
 東隣は佐野神経科病院。私がその校舎に行き始めてから、間もなく診療は無くなって居たようでした。現在はミズノになっております。
 
 4階の上の5階。そこは柔道場になっており、体格の立派な学生の出入りやOBの方々の姿を見ることもありました。曽根康治さんや神永昭夫さん。古い方では姿節雄師範。学生の中には同郷の篠巻政利さんと高木さん(名前は失念・千葉県警に就職)もおりました。
 
 梅雨時になりますと5階から4階へと異様な臭いが降りて来ます。

                4階から5階へ
                (柔道部のHPから)

 我慢の日が続きます。どうしてかとある日5階の様子を見に行きました。沢山の柔道着が天井からぶら下げてあります。どうもお風呂には入るようですが、柔道着はそう洗えないようです。
 様子を見た途端事情が呑み込めました。下に降りてくる異臭は汗と若者の体臭。道場に滲みついている匂いの混合された物に違いありません。
 我慢、我慢の梅雨時でした。毎年繰り返す梅雨時の思い出?です。

 今は紫紺館と変わり清潔な建物となっております。
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創立100年の重み

 千葉県立安房高等女学校に入学したのは1944年(昭和19年)日本は既に本土も戦火に見舞われ始めており、厳し時代でした。上級生は間もなく軍需工場に動員され、授業もままならぬ時がはじまりました。
 その学校は戦後、学制の変更で女学校から高等学校となり、昨年3月で創立百年の歴史に幕を降ろし、千葉県の統廃合の方針に沿い男子校の安房高校と合併しました。
 
 百年の歳月を経た学校の卒業生は、安房郡市の全体に広がって住むだけではなく、東京圏をはじめ全国に住み、学舎を偲んでいることでしょう。

 卒業生同窓会の名前は芳誼会(はぎかい)と呼ばれ、毎年学校本拠の千葉県館山市と東京とで総会と懇親会が持たれておりました。創立100周年の年の東京の懇親会は一昨年に持たれ、私たちの学年は大勢の方が出席しました。

 今年は新しい役員のもとで15日の昼、学士会館で開催されました。母校の先生方、本部の幹事さん達もお見えになり、和やかな一時を過ごして参りました。

 100年の間には二度の大戦もありました。ですがこの学校の皆さんは実に時代の中で立派な女学生として行動し、今なお凛として生きております。出席者の方々の姿を見ますと、何と素晴らしいことかと感動すらします。

                学校

                懇親会

 東京支部の新支部長は実に穏やか、気配りも細やか、話す言葉は美しく印象に強く残ることと思います。見事としか言いようがない挨拶に感心しました。

 支部総会と懇親会ですから挨拶、報告、紹介とあります。食事が済み創立50周年に作成されたスライドの映写がありました。出席されていたスライド製作と記録作成に関わった先生のお話を伺い、実に大変な作業で、ご苦労のほどが分かり貴重な映像でした。
 私たちは既に卒業をしておりおりましたが、スライドで見る風景や恩師の姿に改めて当時を偲ぶことが出来ました。

 帰宅後創立百年史を開いて見ました。この年史は圧巻です。創立の過程と関係者のご苦労の詳細な記録。生徒のことでは第一期生の方からの記録から始まり、多く方の寄稿の掘り起こし、年毎の多角的な記録。頭が下がります。
 
 嘗ては郡市部の才媛才女が集まったことが記録から想像出来ます。郡内唯一の県立高等女学校だっただけに親も希望を託し入学させたことと思います。

 百年史作成に当たり、学年を代表し寄稿した方が先日の総会に何人もお見えになっておりました。70歳を過ぎておりますがそれぞれ異なった分野で活躍しており、素晴らしい方が揃っております。

 支部総会に出席し、改めて百年という歳月の重みを感じてたことでした。

  『付記』 地下鉄神保町駅で下車し、地下道を歩き9番出口を上りますとそこに学士会館が現れます。付近の風景はすっかり変わりびっくりしました。

              神保町9番出口前の学士会館
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ウサギも癌とは

 昨日のチャイナドレスの講座。夜は人数が少なく遠くから見えている方もおります。
 昼間は仕事があり、夜の講座ですと通うことが出来るという方ばかりです。高校生の方が一人、可愛く皆さんが応援しております。
 毎回和気藹々。良い雰囲気です。
 珍しいことにウサギを飼っている方が二名。それ以外に犬6匹を飼っている方、自宅に熱帯魚やカメを飼っている方もおり、本当に驚きました。

 ウサギを飼っている方の話によりますと最近その愛すべきウサギが子宮がんに罹ったということです。
 出血を見て急ぎ病院に行きますと子宮がんと診断され、手術をお願いしますと先生は糖尿病もあるので、難しいと尻ごみされたようです。
 そこを何とかと懇願し、点滴を何本も打ちながら手術は無事に済み、危機を脱出出来たようです。その費用30万円。
 O家の猫の手術も30万円。犬のガンの手術は10万円。皆さんが払った費用はかなりですね。

 手を動かしながら、皆さんの耳は確りと話す方の声に反応しております。もう一人の方のウサギも最近病に罹り結構費用が掛かったと言う話です。

 過ぎし冬にガンの手術を受け、抗がん剤の注射を受けていた犬のことも気になりました。
 その犬は昨年の秋に発病したらしく、治療に1年の目安と言われ、現在は抗がん剤の注射は2週間に一回。薬は毎日飲ませているそうです。大変ですね。

 話が進むうちに私の胸の内を見透かしたかのように「先生ブログに書きたいでしょ」生徒が言います。「写真がないからダメねー」と答えていました。
 今朝メールをみましたら写真が送られて来ております。

              ウサギ1

              ウサギ2

 随分綺麗なウサギ。大切に飼われていることが毛並みに現われております。
  このウサギ。年齢7歳の娘(人間で言うと50歳代後半位だそうです)
 好物はいちご(あまおう)特技は助走なしで1メートル以上のジャンプが出来るそうです。
 
 聞きますと特に名前の通ったウサギではないそうです。もう一人の方のウサギは何だか希少価値のウサギらしいのです。そのウサギもまた大切に飼われているそうで、夏の冷房温度はウサギに合わせて設定されると聞きました。

 安易にペットを飼うこは出来ませんね。飼育には責任が伴いますしね。
 子宮ガンのウサギを飼っている方は、費用が嵩みご自分の着るものまでなかなか回らないと話しており、「じゃーこれからはチャイナドレスで済ませればお金がかからないわねー」となりました。

追記 もう一匹のウサギの病気が分かりました。やはり同じ子宮がん。費用は約14万円。卵巣も切除。検査の結果転移はないだろうと言われてホットしたそうです。これからのシーズンは元気になるということで、人も一緒に冷えてしまうのが大変ですね。名前はベリーちゃんです。
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元気が出そう

 春から初夏にかけての山菜の苦味は体に良いと聞きますが、苦味は味覚の最上位のものだと、昔どこかで読んだことがありました。甘味は幼児と老人の味だとも言われますが、はたしてどうでしょうか。

 今年は思いも掛けない山菜が届きました。今時珍しい所。~県、~郡、~村、字~、小字~、~番地。  こんな村に知り合いが住んでいます。

 昨日その村から初めて見る山菜が送られて来ました。蕗は頂くなら少しねと言ってありましたので、少しにして下さいました。別のが初めての物です。「鳴子百合」です。

              鳴子百合とフキ

 食べ方を調べてみますと茹でる、和える、天ぷらなどとあります。送ってきた方は「山アスパラ」とも言います。と教えて呉れました。
 長女はアスパラガスが大好きですので、先ず時間をかけて水揚げをしました。葉物はみずみずしくさせてから使うと新鮮さが甦り歯ごたえがよくなします。
 期待に違わずさっぱりとした味です。粘りが少しありますが気になるような物ではありませんでした。元気が出そうです

 先日求めた実山椒がありました。これも元気が出そうです

               実山椒

 下処理を済ませ、保存をしましたが、粒をかむと脳天まで響くような刺激が襲って来ます。
 ひさし振りに牛そぼろ山椒を作りました。友人が待っております。

               牛そぼろ山椒

 白いご飯に載せて口に入れますと、すっきりとしてまた元気が出そうです。ご飯を上品にチョコットではなく、普段の一口より、多めに口に入れます。モリモリとはいきませんが、ちょっと若くなったような気分になります。

 夏の暑い日、食が進まないときにはとても便利ですので、これからのシーズンは良く作ります。
 
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AEDの講習と火災訓練

 先ごろマンションの中で店舗のある1号棟の一階で火災訓練とAED操作の講習が行われました。
 店舗の開店時間は10時ですので、その前にと早々と集合。道を隔て目の前にある消防署の方も2名見えました。
 
 火災訓練と言いましても「火災が起きた時の心構え」「火災報知機の設置場所とその使い方」また「消火器の扱い方」などでした。
 
 火災発生という合図で皆さんで通路をぞろぞろと歩き、のんびりと現場を離れる避難をしました。
 希望者は消火器の操作をしました。ピンを引き抜きホースを的に向けますと出てくるのは消火液ではなく、水です。実際の液はピンク色だそうです。不器用な私はうまく当たりません。数秒ですが初めて経験しました。

               火災訓練

               火災訓練

               AEDの説明

               人口呼吸

 消火器は思いのほか重く、これはいざとなったら手に負えないのではと先ず自信が無くなりました。
 二階に上がる階段下にある火災報知ボタンとホースのことも初めて知りました。

 AEDの操作はどうするのかと一所懸命に聞きました。このマンションでも2号棟と3号棟の間のエントランスに設置されております。音声に従い落ち着いて操作をすることが大事だと分かりました。
 今回消防署の方がいろいろとを詳しく教えて下さいましたが、もし自分が助けなければならない立場に立った時、AEDの操作や胸部圧迫法が出来るかどうか、心もとない感じで一杯になっております。
 
 先ず命。消防署の方は火が天井の高さになったら逃げること。これが大事ですと話しておりました。
 
 具合の悪い人を見ても周囲に誰もいなければとても大変です。AEDのようなものがあっても一人では無理のように感じた訓練でした。
 
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旗袍あれこれ

 数日前、以前私の講座を受講していた方からお知らせを頂きました。

 麗沢大学での旗袍の展示と公開講演会の案内でした。

 公開講演会で講演をされる金丸良子先生の研究室HPを拝見しました。
 研究室HPで下記の画像を見ることができます。

          プレ紹介

 興味のある方は展示と講演の紹介をいたしますのでご覧ください。
 このような機会はなかなかないのではと思います。
 勿論私は近くですし、出かけることにしております。

      

麗澤大学生涯教育プラザ
金丸良子教授による展示会および講演会

旗袍からチャイナドレスへ

http://rock.reitaku-u.ac.jp/newsinfo/2009052509271554.html

展示会
期 間  平成21年5月25日(月)~6月26日(金)9:00~17:00
会 場  麗澤大学生涯教育プラザ1階 展示ルーム
 ※日曜・祝日は休館です。なお、参加費は無料で事前申込も不要です。

公開講演会
日 時  平成21年6月20日(土)10:00~12:00
演 題  「旗袍からチャイナドレスへ」
講演者  金丸良子(麗澤大学外国語学部教授)
会 場  麗澤大学生涯教育プラザ1階 プラザホール
対 象  興味のある方ならどなたでも
定 員  100名(申込先着順)
参加費  無料
申 込  事前に麗澤オープンカレッジへお申込みください。
    TEL:04-7173-3664 FAX:04-7173-3767
   



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KIHARA農園

 近所に住むKIHARAさん。知りあってからあまり経ってはおりませんが、実に堅実な生き方。考え方をされる方です。
 彼女と話す時間は滅多にありませんが、たまに菜園にお誘いを頂きます。その時は得難い落ち着いた時間となります。菜園の中を歩き、野菜のことをいろいろと伺うことができます。
 2日の午後4時に菜園で落ち合いました。

              菜園1

              菜園2

              菜園3

              菜園4

              菜園5

 この菜園の手入れの為に今の時期は早朝からここに見え、野菜の手入れをされているそうです。
 丁度葱への土寄せを済ませたばかりのところに行きました。この葱は冬に収穫されるそうです。入用な時に数本ずつでも掘れるというのは羨ましいです。
 大きなインゲン。これは新種、モロッコインゲンに似ておりますが柔らかく美味しいそうです。
 私も沢山頂きましたので夕食に茹でて食べました。新鮮な味。有難うございます。

 トマトの傍に落花生が一株植えられております。不思議に思い伺いますと、トマトと落花生は相性がよくトマトの傍に落花生を植えると美味しいトマトになるそうです。よく眺めますと落花生はトマトの間に何株も植えてあります。

 青シソも植えてありますが、種を買わずに自然に生えて来たものは劣化し、良くないそうで毎年買い播いて育てるそうです。
 話を伺いますと随分ご自分なりに勉強をされていることが窺えられます。

 一通り菜園を回り、共同で作り使用しているという屋根のある小屋でお茶を頂きながら、四方山話。 私はワンコイン寄席のチケットも買って頂き、緑を目に一杯し、何だか申し訳ないような時間を過ごしました。
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大きなキャベツ

 我孫子市の天王台にある「わくわく広場」は近隣農家の方が野菜を持ち込みます。
 多分置き台とか並べる順序は決まっているのでしょうが、見ますと自由におおよそこの辺で良いかと言ったような風に見えます。
 千葉県産の海産物、お菓子、漬物、水産加工品、酒などもあり、調法な店です。先日は天草のいい物も売っておりました。 
 月曜日(1日)長女と行きますと、店内に巨大なキャベツが飾られております。紫色のリボンが付けられ、チョッと驚きました。カメラに収めたかったのですが、店内禁止のことを知らず写したことがありますので、我慢しました。
 次の日(2日)朝日新聞の地域版にこのキャベツの記事が出ておりました。

                わくわく広場キャベツ

 耕作者の方の談話もあり、取り忘れたものだということです。勿論それなりの事情も分かりました。
 なるほど!なるほど! いつものなるほどです。

 同じ日(2日)に「あびこ農産物直販所」の近くを通りましたので、車を止め入って行きました。
 なんとそこに大きなキャベツが台に載せて外に飾ってあります。やはりセロハンのような紫色のリボンをつけてあります。
 おー!ここにもあるのかとカメラに収めました。

               キャベツのみさきチャン

 我孫子にはこのような大きなキャベツを作る人がいるのねー。と長女と話し帰宅しました。

 新聞の記事をよく眺め、写したキャベツと比べますと、キャベツの名前も同じ、紫のリボンと生産者の名前も同じ。
 これはどうしてでしょうかね。この方はこのような大きなキャベツを幾つも育てたのでしょうか。
 新聞の記事を読みますと、今年のこのキャベツは5月の収穫時期に忘れたということですが、生産者の言葉は「土づくりにこだわってきたから、ここまで育ったのでは。作ろうと思って作れるわけではないけれど、来年は10㌔をめざしますよ」と言いますので来年は更に大きなキャベツにお目にかかるのかも知れませんね。楽しみです。

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鮮魚という魚

 魚を買うに家を出て1分。雨が降ろうが雪が天空に舞おうが関係なく、良い場所にあります。
 10時開店ですが、午前に時間があれば先ず第一回の探索です。狙いは食べたい魚があるかどうか。粗の良い物が出ているかどうか。
 同じ考えの方が居るようですので、この時間は大事です。良い粗はすぐに無くなります。
 食べたい魚がすぐ売れそうかどうか、これも判断します。
 大丈夫だとみますと、夕方の値下げまで待ちます。
 食べるのにややこしい魚や調理を迷うような魚は残っています。
 時にはそういった魚は閉店近くになりますと、半額の札が付けられています。
 これは買いものです。

 先日の朝第一回目の探索。並んでいました。「鮮魚」という名のシールが貼られております。

              鮮魚

 私   「お兄さん! この魚何ですか」
 店員  「何だか分からないんです」
 私   「分からないって言ったって、見当はつかないの」
 店員  「本社から付けられて来たんで。僕は分からないんです」
 私   「メバルのように見えない?」
 店員  「そうも見えますね」
 私   「でも美味しそうね。買うわ。廉いものね。鱗とってワタヌキしてね」

 ご覧のとおりの値段。煮魚にいいようです。でも可笑しくなってしまいました。
シールに「煮付けに最適」とあります。
 名前が分からないのに「煮付けに最適」とは、これいかにです。
 これは夕方には無くなっていると思い、4パックの内の2パックを買いました。
 4尾のうち一尾は25センチほどもあり、ルンルン気分です。
 煮魚にしました。白身で味もかなり良く、プリプリです。良い買い物でした。

             煮付け

 魚を煮ていますと匂いで美味しさの見当が付きます。鍋の蓋を取ってみましたら、新鮮さがよく分かります。
 落としブタをする場合もありますが、この魚は丸のままでしたのでヒレが立つと思い、煮立ってきたので蓋をとり、煮詰めました。
 
 よーく眺めるとどうもメバルとクロソイらしく、ますます嬉しくなり「おばーさん上手上手」と心の中で拍手をしておりました。



 
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青島総領事館の新年会

 昨日「総領事夫人はモダン」として大鷹総領事夫人の紹介をしました。
 日中戦争の間、青島で日本人と現地の中国人の間の関係はどうであったのかは、子どもの私には想像出来ませんが、穏やかな感じを持っております。

 昭和15年1月1日。この日から日本の紀元2600年という祝年が始まりました。
 大鷹正次郎総領事の後に赴任してきた総領事を囲む新年会が行われたのでしょう。
 西村唯雄さんからの一枚はその日の館員勢揃いのものです。

               青島総領事館職員

 この年総領事は千葉県人だったようです。在青島の千葉県人会が総領事館で開催され、父も出席したと私に話しておりました。
 父が生存中に名前を聞いておけば良かったと今にして思います。

 さて昨日の大鷹父子の関係をどう調べたかを記して見ます。西村さんには昨日お知らせしました。

1 高文合格者から大鷹正次郎氏の名を見つけました。
2 青島に赴任していたことでは不明でしたが、外務省への公電を示す資料に山東省の事情を送った
  方が大鷹正次郎氏と分かりました。
3 最後に大鷹父子の名前を併記し検索し、下記のブログにたどり着き確認できました。

  http://uetoayarikoran.cocolog-nifty.com/blog/ (上戸彩「李香蘭」)
 
 記憶だけでは埋めることができなくても、こうしてPCを利用して探し出すことが出来るということに、大きな時代の変化を強く感じますね。老婆もこうして新たな記録をインプット出来ました。

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総領事夫人はモダン

 中国青島住む小学校の同級生は、古い資料を仲間に提供して欲しいと頼んでいます。今回彼が全部を整理するのは大変ですので、私がサポートしております。
 鹿児島の姶良町に住む西村唯雄さんからの写真に真ん中に素敵な女性が座っている一枚がありました。 
 昭和14年1月16日。大鷹総領事夫人の送別会とあります。西村さんのお父様は総領事館に勤めておりました。
 大鷹と聞きますと私は山口淑子さんの夫君(大鷹弘)を思い出します。調べてみますとその時の総領事は「大鷹正次郎」という方のようです。関係がありそうな気がします。

               大鷹夫人送別会

 前列右から2人目 元キャノン社長の賀来龍三郎氏の母堂
 前から2列目右から2人目 西村さんのお母さま

 真ん中に座るのが大鷹総領事夫人。実にモダンです。美人で聡明な方だと分かります。姿勢もよく、端正とはこういう姿でしょう。
 総領事館の職員の奥様方はこれまたどの方も和服姿に品があり、凛としております。


     付録  元キャノン社長 賀来龍三郎さんの青島旧宅

               賀来龍三郎旧宅

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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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