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2009-06

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梅雨になると

 すでに無くなって久しい明治大学小川町校舎。この建物には昔文学部事務室がありました。船橋聖一先生が教授として教壇に立っていた頃です。
 ある日その入口に佐藤正彰先生が立っていました。細身の先生の姿は仏文学者というイメージにぴったりでした。
 またある時には中村光夫先生の奥さまが真っ赤なコートで外に出て行く姿を見たのも思い出します。
 その小川町校舎の4階に学生相談室が置かれることになり、私もそこで勤務をしておりました。
 世相が今のように物騒ではなかった所為でしょうか。火曜日と金曜日は夜間は一人で部屋におりました。夜はそう学生は見えません。一人勤務は時に困ることもありましたが、無事に過ごすことが出来ました。その理由の一つには上の階に柔道部の猛者連中がいたこともありましょうね。
 
 東隣は佐野神経科病院。私がその校舎に行き始めてから、間もなく診療は無くなって居たようでした。現在はミズノになっております。
 
 4階の上の5階。そこは柔道場になっており、体格の立派な学生の出入りやOBの方々の姿を見ることもありました。曽根康治さんや神永昭夫さん。古い方では姿節雄師範。学生の中には同郷の篠巻政利さんと高木さん(名前は失念・千葉県警に就職)もおりました。
 
 梅雨時になりますと5階から4階へと異様な臭いが降りて来ます。

                4階から5階へ
                (柔道部のHPから)

 我慢の日が続きます。どうしてかとある日5階の様子を見に行きました。沢山の柔道着が天井からぶら下げてあります。どうもお風呂には入るようですが、柔道着はそう洗えないようです。
 様子を見た途端事情が呑み込めました。下に降りてくる異臭は汗と若者の体臭。道場に滲みついている匂いの混合された物に違いありません。
 我慢、我慢の梅雨時でした。毎年繰り返す梅雨時の思い出?です。

 今は紫紺館と変わり清潔な建物となっております。
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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
2018年5月1日87歳となりました。物忘れ言い間違いは益々多くなり、足腰も弱くなって、杖が手放せません。気も短くなり今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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