2009-09

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53340円の旅 つづき 3

 大連駅に列車が到着した時、既に時間は大幅に遅れていました。そのままとに角食事となり、続いて夜景見学。ガイドはこの便が遅れることは5分から10分程度は偶にはあるが、こんなに遅れたのは20年間の間で初めてだと言います。瀋陽北駅では説明もなく、瀋陽のガイドは我関知せずと言わんばかりの様子。瀋陽から一緒に来たガイドは、大連のガイドに私たちを預け、とんぼ帰りで瀋陽に帰って行きました。 
 大連のガイド曰く「明日になれば遅れた事情が何らかの形で分かります」と言います。こういうことはどうも正式な発表はなさそうです。
 日本でしたら、新幹線が1時間40分も遅れたならば、絶対ニュースとして知ることが出来ることです。
 新聞を買いたいと言いましたら、駅の周辺でローカルのは買うことは出来るが、行くのは危ないと言います。光明日報は何処で買えるかと聞きましたら書店に行かなければ駄目だと言います。
 驚きました。第一書店が見当たらないのです。

 大連見学

 小学校4年生の時、上海から青島に転校してきた少女と仲良しになりました。5年生になりますと彼女は大連に引っ越してしまいました。暫くは文通が続きました。彼女の住まいは大連の薩摩町と言うので、子どもなりに日本の領土だという認識を持ちました。支那語(中国語)の教科書も同じと分かりました。
 彼女の手紙にあった星が浦海水浴場が青島の第一海水浴場と重なり、大連とは青島に似ている街らしいと感じておりました。
 日本に戻ってから何時の間にか、彼女とすっかり疎遠になってしまいました。お父様は横浜正金銀行に勤めておりました。
 清岡卓行が「アカシヤの大連」で芥川賞を受け、読んで見ましたら青島の風景を思い出させて呉れました。大連はアカシヤ並木が素晴らしいようですが青島も劣らずと思い、私は鹿児島に住む恩師にアカシヤは青島ですね。なんて生意気な手紙を差し上げました。懐かしく思い出す大連です。
 遼東半島のこの大連はさまざまな意味で重要な場所です。
 連休に入り、日本からも観光客が見えており、レストランの席は全部日本人だと言われ、本当に凄いなーと驚きました。
 大連港からは敗戦で日本へと引き揚げた人は二十五万人にもなったそうです。
 街の中にはロシヤ時代からのものや、日本統治時代の頃の建物も多く見られます。旧日本人の住んだ場所や通りにはアカシヤが緑の葉を茂らせて見事な姿を見せております。

            大連大和ホテル

           大連大和ホテルの昔の姿

           旧横浜正金銀行

          大連駅

          大連港

          旧大連満鉄建物

          大連路面電車

 大連の街は瀋陽と比較しますと、都会らしく整っています。自転車やバイクが目に入りません。乗った路面電車も清潔です。ガイドは「オシャレな」と盛んに言っております。たしかに瀋陽よりはモダンで落ち着いております。
 時間がなく露地に入り庶民の姿を見ることも、露店をひやかすことも出来ません。ツアーですからそこまではセットに入ってはおりません。仕方のないことです。 

                                          つづく


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53340円の旅 つづき 2

 中国で汽車に乗ったのは1941年夏の青島から山東省の坊子までの経験しかありません。
 台湾では台中から台北まで乗ったことがあります。
 今回は瀋陽から大連まで特急列車ということで、ちょっと期待しておりました。さて

瀋陽北駅から大連まで

 瀋陽観光が済み、大連までの特急に乗ることになりました。瀋陽には古い昔の駅もあります。ロシヤが建て、日本の統治時代も使っていたものです。
 瀋陽北駅前にバスが到着しますと、そこは雑然と人が集まっているように見えます。人と人との間をすり抜け、改札に向かいました。

              瀋陽北駅

 先ず驚かされたのは荷物検査とボディーチェックです。実に多くの人がその検査を受ける為に並んでいます。大声は聞こえますが、概ね列は順調に進んでおります。全員無事に済むかと思いましたら一人の女性のヘヤスプレーが駄目と、スーツケースも開けて見せることになりました。
 そこはそれで済みました。実際の改札口は3階にあり、エスカレーターで3階に昇ります。時間の余裕を見てありましたので、その段階では軟席(グリーン車のような車両)の指定席ですので椅子に座って待ちました。
 発車時刻が近づきますと、待合室のホールは人で溢れ、私の座る席の前にも人が立ち、トイレにでも行こうものなら、すぐ席を取られてしまいます。今来るのでと言いましても無視。
 
 瀋陽北駅始発の特急ですのに、何故か改札ゲートの前に出る表示に最初は10分遅れ、次に15分遅れ、段々時間が長くなります。1時間30分ともなりますと場内は騒がしくなり、駅員に怒鳴る人もでます。
 駅員はそんな抗議めいた言葉なぞ無視。立っています。
 私たちのベンチの前に中年の女性二人が座っておりました。二人はお喋りをしながらお菓子や果物などを食べ続けております。なんと桃の皮を剥いては肩越しに後に投げます。もう驚きましたね。
 やっと汽車が発車して大連に向かいました。
 
 小学校の国語の本にたしか「特急あじあ号に乗る」という文章がありました。「遠い高粱畑の向こうに上海ミカンのような真っ赤な太陽が沈んで行く」少し違うかも知れません。私の想像の中の満州の広野に沈む太陽が目に浮かびます。
 今回はそれに出会えるかどうか。遅れたのが幸いして夕陽の姿が見え始めました。

             赤い落日

 瀋陽北駅を発車してからみえる風景は昔の満州の田舎のようです。収穫の済んだトウモロコシ畑、少し残っている高粱。家の見えるところには蔬菜の畑。時々現れる高いビル。
 
 陽は落ち暗くなって仕舞いました。小学校の四年生で習った中国語 「太陽落下 天黒了」の言葉が思い浮かびます。

 四人で向い合う席ですので、ツアーの方といろいろと語ることが出来ました。高齢の方が殆どですから、話題に違和感はありません。席はリクライニングにはなりませんので、嫌な方もあるかも知れませんね。
 すっかり暗くなったなか大連に到着しました。大連駅の周辺はネオンで輝いております。

                                          つづく
 
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53340円の旅 つづき

 昭稜 
 瀋陽の北の方向にある昭稜は北稜とも言われております。この場所は北稜公園として市民に馴染まれており、広さは東京ドームが71面も入る物だそうです。
 公園の中の昭稜は入口からかなりあります。聞いた途端夫の事が心配になりました。歩くのは歩けるのですが距離が問題です。
 心配は単なる杞憂に終わりホッとしました。
 公園ということですから、老人と言っては申し訳ないようなカップルや初老のおばーさんと言ったような方が小さな子どもと遊ぶ姿が彼方此方に見られます。また散歩する方もおります。
 門から中に入りますと電動カーが待っております。乗り物の横に書かれている数字を見ますと、1500メートルほど乗ると建物に到着するのです。

            入口

            電動カー

           昭稜

          人造湖

         人気の少ない昭稜内

         北に稜墓を望む

         稜墓

 この大変な大きさの稜墓は清朝第二代皇帝、ホンタイジとその皇后を祀ってあるそうです。
 稜墓を作るには土が必要で、その土を掘って作られたのが昭稜の前に見られる人造湖です。水も綺麗ですし、公園の中に水が見られるということは、これは素晴らしいことと感じました。
       
                                  つづく
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53340円の旅

 夫の体調に少し問題があり、長時間の飛行機による旅は無理になっておりました。
 このところ東南アジアくらいなら大丈夫だろうと言い、どこに行こうかといろいろ考えておりました。
 NHKTVで秋から「坂の上の雲」が始まるということで、関係のある遼東半島に行くことにしました。
 旅順も今年の6月から全面開放され、水師営にも203高地にも行くことが出来ると分かったので、夫はツアーを探しておりました。
 時々使ったことのある、旅行社の3泊4日のコース。値段が安く一人の参加費は53340円。
 どうしてこういう値段に出来るのか、見当も付きません。
 そんなことはとも角、行き先は瀋陽、大連、旅順。参加者は高齢者が多いだろうと勝手に決め、申し込みました。想像した通りの参加者10名。
 1日目の午後、瀋陽の空港には現地ガイドが待っており、先ず遼寧省博物館に行き、その後に瀋陽故宮へとバスで移動しました。
 瀋陽の街は古い建物の取り壊しと新しいビルやマンションの建設で、埃まみれ。破壊と建設という中国の一面を見ることが出来ます。別に瀋陽だけではない風景ですが、とにかく人々の喧騒と様々な騒音。驚きます。

瀋陽故宮

 ご存知のように後金のヌルハチにより1625年に建てられ、ヌルハチとホンタイジも住み、その後は清朝として宮殿は北京に移ります。ですが瀋陽の故宮も離宮として利用されて来ました。
 北京の故宮(紫禁城)の12分の1ということですが、故宮として立派な姿を留めております。
 特に大政殿は八角形で世界唯一の建築様式で移動式テント・ゲルを真似ているそうです。

              瀋陽故宮

              故宮大政殿

              鳳凰殿

              日時計

                オンドル煙突

              后妃の部屋のゆりかご

                故宮の門の一つ

  つづく
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あの日の彼岸花

 1977年8月23日に母が亡くなりました
 8月3日だったと思います。母の入院と手術の知らせがありました。
 今の住まいに引っ越して来るための手配が済んでいて、すぐに行けず引越しの荷物が運び込まれた日、とにかく荷物はそのままにして急ぎ病院に駆けつけました。
 母を目の前にした私はとっさに何と言えばよいのか、頭が混乱しました。
 母の手術後、弟夫婦、妹たち、また母の妹たち、それに私の長女も。
 皆で交替で病院に詰めました。
 あの年の夏は冷夏で、毎日空は晴れず気温もあがりません。病院の展望レストランに座り、外房の海を眺めますと、寄せ来る波も、遠く見える水平線までも水はみな灰色に見えます。食事を取りながらも母の容体が心配でなりません。
 
 母は戦後の引き揚げから苦しい生活の中で働きずくめ。
 長い間の疲労が母の心身に積み重なり、極限になっていたのかも知れません。
 前日まで全く問題なく過ごしていた母に突然襲い掛かったのは激しい腹痛と嘔吐。弟が急ぎ病院に連れて行きました。
 それから3日、母の苦しみは手当をしても収まりません。激痛のなか検査、検査と検査ばかりが続きます。
 やっと腸閉塞ということで手術を受けました。
 体力はすっかり消耗しきってしまったようです。排便も綺麗な色とは程遠い物です。
 眼球は深く落ち込み、相貌は母から生気を抜き取ってしまったような色になって来ました。

 手当の甲斐なく母は亡くなりました。3週間という時間は短くはありましたが、夏休みということで妹も私もそれぞれ子どもを連れて滞在でき、看病出来たことを感謝しております。
 弟は「自分がこの病院に連れてきたばかりにと」辛がっておりました。一所懸命だったのです。誰も責めることなど出来ません。
 ですがでは外に適当な病院があったのかと言いましても、無かったと思います。当時近くの市の病院では救急に対応できなかたのです。

 母が亡くなり、49日の法要が里見氏ゆかりの杖珠院で執り行われました。そこには母が尊敬していた方の横に決めてあった墓地があります。

 49日の法要の日。道に咲く彼岸花が強く心に残っています。毎年この頃になりますと多くの方が彼岸花を観に出かけますが、私は出かけたことはありません。母を思い心の中に咲いています。
 
 今日昼前、近所の方への配り物を届けにマンションの中を歩き回りました。長く住んでいますのに彼岸花が咲いている場所があるのに気が付きませんでした。

              彼岸花

              彼岸花

 母が入院した病院は今日日本の病院の中で高い評価を得ている大病院です。母が可愛がっていた孫はその病院に所属する勤務医として働いております。医療体制のことを耳にする度に甥の病院勤務はさぞ大変なことだろうと思い、体に気をつけて欲しいと願っております。
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レジ袋

 中国語の老師は北京師範大学で国語(日本人から言えば中国語)を専攻した、国語指導の専門家です。
 私が受講している講座は人数が4人という誠に少なくて、閉鎖をされるかも知れないと心配をしてしまいます。
 4人が揃いませんと老師はテキストを使いません。3人の日、2人の日ということもしばしばです。そういう時間は個人教授のようになります。

              王老師

 先週は人民日報の海外版から一部をお持ちになり、中国の最近のニュースを勉強しました。
 
 特に日本のスーパーで使うレジ袋の有料化について詳しく、時間をかけました。
 2008年6月1日から有料化が法律で決められ、その結果石油の消費も減り、レジ袋の使用量も少なくなったそうです。
 レジ袋の値段は物価に比較して高いそうですが、高ければ有料の物を使わない方法をとることでしょうから、レジ袋の消費量も減ったそうです。

              レジ袋記事


                   人民日報

 老師は私に昔はどうだったのかと質問をしました。当然昔の青島の買物の話になりました。
 お使いは大好きで市場にはクーニャンをお供にし、毎週行きました。(彼女は優秀でしたね)
 そこで私の出番。籠を持ち買いにも行きましたが、新聞をよく使っていたこと、その新聞を三角に折り、使っていたことなどの説明をし、更に私の得意な実演です。新聞を三角に折る方法を説明しました。何だか懐かしくなり、落花生でも入れてみたいような気分になりました。
 
 人民日報の他の資料は大まかに済ませ、授業は終了しました。
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秋ですね

 陽の落ちるのが早くなり、つるべ落としという言葉を実感します。「つるべ・釣瓶」と言ってもどういうことか分からなく、見当も付かない人もいるかも知れませんね。
 都会ではさすがに見たことはありませんが子どもの頃、田舎では良く見かけました。竹竿を使いバケツや木桶を先に付けて井戸から水を汲み上げます。もう一つの方法は綱を滑車に掛け綱の両端にバケツや木桶をくくり付け、交互に井戸に降ろして水を汲みます。綱はバケツが下に降りて行くに連れてスピードが速まり、最後の水に触れる頃には綱が強く引かれて落ちて行きます。
 竹竿を使う井戸は浅く、綱を使うのは深いのです。
 深いと井戸の中は夏は冷たく、冬は水も暖かく洗濯も楽です。井戸でスイカを冷やすのは田舎の夏の風物詩でした。
 
 我が家は手押しポンプを使っていましたが、つるべの家に行きますとやってみたくて、わくわくします。竹竿のは難しくバケツがうまく下に向けられず水が満杯に出来ないことが多かったですね。滑車のも綱が上手に振れなく、単純な家事のようですが、慣れないと難しいですね。技が要ります。
 つるべは井戸の中に水をくむ容れ物を落とすのですが、それはストンと言っても良いほど早く落ちて行くのです。たまに上手に行きますと、子どもながら気分が良かったですね。 

 今住むこの辺りは開発が進み、秋の草花はわざわざそれを目指して歩かないと目に入りません。
 今日は空も青く広がり、歩道橋からススキが目に付きました。

             秋空とすすき

 秋。秋より春が好きと言ったばかりに「あなたは日本人じゃない」と女学校で先生に言われたことをよく思い出します。ですが秋は秋で好きです。爽やかな高い空。自然に足取りも軽くなります。

 先日台北の友人が出張で東京に来ました。久し振りに楽しくお喋りをすることが出来ました。
 彼の長男は高校生になっていますが、台湾の進学問題は大変なことだと改めて認識しました。
 
 お土産に月餅を頂きました。仲秋月餅です。

             月餅

 秋です。月餅は何時でもありますが、やはり仲秋と聞きますと、その時期ならではと嬉しく思います。衛生的に包装されております。
 中国では家族の単位が小さくなり、もう随分前から大きな月餅は売れなくなっているそうです。
 この大きさですと一つを夫と分けても食べ切れないかも知れません。でも大きいことはいいことだというCMではないけれど、ずっしりと重い月餅は嬉しいですね。
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絶対百歳に

 同じマンションに住むご夫妻。ご主人の歩く姿勢は颯爽というわけではありませんが、背筋が伸び、横から見ますと余分な脂肪はどこにも付いていないような感じです。
 奥さまと一緒によく出歩いているようで時々路上でお会いします。
 お会いしますとにこやかに挨拶をされ、健康的な日々を送れれていることが想像されます。
 先日偶々暫く立ち話をしました。年齢は90歳位ではないかと思っておりましたが、これはその通りでした。
 エレベターも同じ、廊下でもお会いすることもちょくちょくありますので、いつの間にか親近感を抱いておりました。そんなことでしょうか、話は自然に弾み、健康法のことも伺ってみました。
 伺いますと先ず毎週一回はゴルフに行き、その他には囲碁が趣味だそうですので、心身共に常に活性化をされているのですね。
 90歳で毎週一回のゴルフは並ではありませんね。その時は漢字パズルの本を手にしておりました。見せて頂きましたがなかなか難しそうです。その本では懸賞問題もあり、よく応募もされるということです。
 「少し文化的なことをしようと思いましてね」と言われ最近陶芸に取り組んでいられるともおっしいました。
 手指を動かし、頭脳を刺激する。もう自律、自立の手本のような生活ですね。

 昨日、日本での100歳以上の方が4万399人になったと発表されました。そうだあの方は間違いなく100歳をこえる!と姿が目に浮かびました。

 陶芸をなさっていると言われたことの責任を感じられたのか、我が家に恥ずかしげに自作の箸置きをお持ち下さいました。

              箸置き

 姿はムツゴロウです。夫は佐賀に疎開しておりましたので有明海の干拓のムツゴロウはよく知っておりました。全く偶然だと思いますが、我が家にピッタリの箸置きです。

 立ち話の中で伺ったことには驚きました。早稲田大学の政経学部政治学科を昭和10年代初期に卒業。
 戦中は軍人としてタイやビルマの戦線で戦い、かの有名な映画「戦場にかける橋」の舞台になる地域でも戦ったそうです。敗戦で捕虜生活も1年間経験されたとも話されました。
 どういう仕事をされて来たのかは存じませんが、きっと経験が持つ強さや知恵が仕事の上で力を発揮されすばらしかったことと思っております。
 90歳は100歳への一歩。ご近所にそういう方がおりますと本当に素晴らしく励みになります。
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箸談義

 17日から遼東半島に出かけるので買い物に行きました。
 ショッピングプラザでは物産展が開かれております。毎度お目にかかる店が多く、目新しい収穫はありません。多古米を出品している山口農園のご主人はその時見えておりませんでした。ですが彼は正直で、先だってお米を頼みましたら、在庫はあるけれど自信のない物だから3日ほど待って欲しいと。すると間もなく新米が来ました。新米は美味しいですね。瀬戸さんから頂いたゆかりをかけたり、おにぎりにしたりと味わっております。
 今回は平野和さんが見えております。平野さんの前にはご夫婦らしい方が箸を選んでおります。
 平野さんは山親爺と自称し、只管木に取り組んでいます。聞くととろによりますと都心での展示会などもされているようです。
 私は少し聞きたいことがあり、平野さんの傍に行き、暫くお客さんが立ち去るのを待ちました。

             平野さん

 先日よそで求めた物の使い勝手が悪く、どうしたものかと愚痴とも言えるようなことです。
 
 平野さんのは道具というものは使う人の目的や手の大きさ、また癖などを考えて作ることが大事だと言い切ります。作る人の意志が伝わるよう物を作る手立てとして如何に道具を用意するかが大切なことだと言います。
 たとえ箸一膳にしてもその人が持ちやすく、使い易くはたまた長持ちすることを考えて作らなければと話します。
 一つ一つ納得行く話です。
 平野さんの前には沢山の箸が並べられております。眺めますと白っぽい物、赤っぽい物、長い物や短い物。菜箸もあります。

            並んだ箸

 私にと一膳下さいました。「長さは合っているかね。持ってみて」と言われ手に取りましたら、実にいい感じです。「大丈夫。持ち易く、軽くていいですね」と有難く頂戴しました。
 それではと最後の仕上げを始めました。よーく擦り箸の周囲を滑らかにします。

     箸の仕上げ

 仕上げに箸を置く台は溝がほってあり、そこに箸を確りと載せて木で擦ります。先端は念入りに丁寧に擦ります。使うのが勿体ないような気がします。

 箸の手入れについての案内が袋に入っていました。なるほどと勉強しました。

箸の手入れ

 見ていますと残材で楊枝を作っております。350年前に使われたすす竹だそうです。お寺の修復で出たすす竹を使った箸はさぞ確りとしていることでしょう。寺の証明が平野さんの手元にありました。
 頂いた箸には杉の柾目が通っております。
 杉の柾目が箸の四方に見られるものはとても価値がある物だそうです。料亭から依頼されるこういう箸は使う日の前、一週間から10日位前に匂いを消すために空気に当て納品するのだそうです。料理に箸の匂いが影響しないようということだと、これも教えられました。
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鶏卵

 鶏卵の料理法は数知れずと言っても良いですね。またケーキをはじめマヨネーズなど、いろいろと使われ私たちの生活に密着した食材です。
 店頭で売られている鶏卵の銘柄も近年これまた数知れずと言ったところです。
 
  1942年の秋も深まった時、小学校の5年生だった私は中国から帰国し、父方の祖父母と住むようになりました。
 庭の隅に鶏舎があり、そこで5,6羽の鶏が飼われておりました。臭いのですね。その鶏舎の周りは低い板塀の上に網が張られ、鶏の様子も良く分かります。
 帰国して直に鶏の餌やりは私の仕事になりました。
 青物の葉を刻み、糠と砕いた貝殻を入れそれに水を差し、よく混ぜて餌箱に入れます。鶏は餌やりが終わるかどうかも関係なく、餌を食べに寄って来ます。怖いですね。何となく嘴で突かれそうです。
 餌やりの他に鶏舎の掃除もしなければなりません。鶏糞を削るように取り集め、綺麗にして水も変えます。
 当時は勿論ですが鶏卵は貴重品の時代が長く続きました。病気見舞いの品物の一番は鶏卵で、入院などしようものなら鶏卵は溜ってしまいます。
 
 1946年の秋、母と池袋の焼け跡に出来た露天に行き、サッカリンやバターなどを探しておりました。露天は池袋の東西に大きく広がっています。板を敷いて品物を売る人、風呂敷を敷き僅かな品物を並べている人。
 眺めながら歩いていましたら、風呂敷に鶏卵を並べている人が目に入りました。何とその方は中国青島で住んでいた隣の小父さんでした。驚きすぐ母と声を掛けました。その方夫妻は仙台出身の方で私と同年のお嬢さんがおりました。
 小父さんは急いで品物を仕舞い、私たちを池袋駅東口に近い、頭が閊えそうなトタン屋根の2畳ほどの家に連れて行って呉れました。
 私の両親は北京から引き揚げて来ましたが、その小父さんは青島から帰って来たそうです。話の中で離婚をされたことも分かりました。
 青島には当時競馬場があり、確か土日には競馬が開催されていたと思います。隣のご夫婦は競馬が大好きで、奥さまはモダンなロングドレスなどを着て出かけていました。
 両親の話の中で浪費で困っていたらしいということも耳に入って来ました。
 それから一か月も経たない頃、同じ場所に行きましたが小父さんは見えません。その近くを回り、また家の所にも行きましたが消息が分からず、戦後の日本での初めての再会が最後になって仕舞いました。
 
 先日近所の方に生み始めの鶏卵を2個頂きました。可愛いので食べるのがかわいそうな位です。
 
              鶏卵

 普通のものとの大きさの違うことがよく分かります。長く物価の優等生と言われて来ましたが、鶏卵を一個ずつ食べることが出来るということは有り難いことです。
 昔は子ども2人で1個。家族で分け合ったことも極普通のことでした。
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感服しました

 高齢になりますと敬老という言葉や、後期高齢者とか、独居老人とか、孤独死とか一人暮らしの大変さとかが目につきます。若い時には気が付かないで過ごしていましたね。将に老いて老いを知るということです。政権が変わりますが、どうなりますでしょうか。民主党に期待する人が75%と今朝のニュースが伝えております。
 
 私の教室に長く通って来て下さっていた方から、転居の知らせとマンクラのチケットの申し込みの手紙を頂きました。
 引っ越されたのは我孫子から取手へとです。ご主人は会社員でしたのでしょうか、神戸に転勤されていたこともありました。神戸に転勤されていた時、生徒さんは毎月一回は上京?我孫子に残っていたお嬢さんの様子を見て、それに合わせて教室に通いました。2年ほどでしたでしょうか。
 我孫子に住んでいた時にはボランティアとして活動されていると聞いておりました。
 
 昨年秋、お父様がなくなり、一人っ子の彼女はありていに言えばきっと大変な思いをされたことと思います。
お父様の49忌の法要を済ませた帰り道、ご主人が突然言い出したのだそうです。「皆で住もう」と。
そのまま不動産屋さんに行き、土地と業者を決めて今年の6月に転居をされたそうです。

             転居通知
 
 家族はご主人のお母様も一緒で4人と一匹。合わせて300歳とあり、計算しましたら本当に300歳です。賑やかにされているのか、静かにされているのか見当はつきませんが、彼女は人柄もよく、明るい方ですのできっと和やかで明るい日々をおくられていることと思っております。彼女の笑顔が目に浮かびます。
 最近は親と住むならと腰を引くかたも多いと聞きますが、ご主人さまの決断と彼女の優しさに感服しております。お二人で家族を大切にし温かい日々を送られることでしょう。10月4日の再会を楽しみにしております。

 
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テストされました

 先週の日曜日はこの辺の空は選挙に行くのには特に問題はありませんでした。今までと違い投票所に列ができているのです。関心が高いことが予想されました。
 この地域の一票は軽いのです。前々から是正を願っていますが、未だ是正される兆しは見えません。地元の代議士はどう考えているのでしょうね。
 
            国会議事堂

 どんな人が政治家に相応しいのかしら。大いに憤慨しておりました。夫が私にじゃーあんたが向いているどうかテストして上げましょうと言います。

  夫=A 私=B
 
  A 「自転車に乗れますか」
      
  B 「乗れません」      A 「ブブー」
     
  A 「早く走れますか」
      
  B 「走れません」      A 「ブブー」
    
  A 「人のなら大きいお金でも平気で使えますか」
      
  B 「使えません」      A 「ブブー」
      
  A 「出来ないことでも出来ると言えますか」
       
  B 「言えません」      A 「ブブー」
      
  A 「私がやりますと言えますか」
       
  B 「言えません」      A 「ブブー」

  A 「土下座出来ますか」

  B 「出来ません。腰が痛くて」 A 「ブブー」

  A 「あんた向いていないよ。絶対駄目だねー

 何だかオカシイいことが沢山ありますね。憤慨ばかりしていますと精神衛生上に悪いので、偶にはこういうことで気晴らしをしていまーす。
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重石がやって来た

 富山の瀬戸さんはこの数年のお付き合いですが、とても信頼しております。食の安全を目指し、求め、作り、広め、と頑張っております。
 私は瀬戸さんの味噌を取り寄せ、毎朝の味噌汁で飲んでおります。
 瀬戸さんは多面的に啓蒙運動をされております。求めて作り、また探して求めるという姿勢には感服します。
 少し前から、富山の新しい味覚を開発しようと、普通と違った押し寿司を研究中です。未だ道は半ばと謙遜されておりますが、その途上で考えられた重石。
 私はこの押し寿司に倣い何とか自家製の押し寿司を作ってみたいと、瀬戸さんを通じ重石を注文しました。
 先週その重石が届きました。腕力の弱い私ですが、何とか頑張ってみようといろいろと思い廻らせております。

            重石

 手前の箱の角に竹串で補強をして下さいました。また板を一枚用意して下さいました。細かいこともいろいろと教えて頂きました。
 で道具の準備はできました。寿司の実作ですが、まだ初めておりません。頭の中で組み合わせをいろいろと考えております。
 瀬戸さんはご自身でも試行錯誤の日々を送られている様子。そのうち富山の新しい押し寿司が人々の目に触れるようになるかも知れませんね。富山の鱒寿司は大好きですが、店舗により差がありますね。
 現在瀬戸さんのブログで見ることが出来る押し寿司は沢山ありますが、勝手にお借りして掲載します。真似するのが一番早そうですので、眺め眺め過ごしております。

            サクラますの押しずし

            鯵のとも寿司

            マス寿司

            忍び牛そぼろの押し寿司 アスパラ

            柔らか鶏の箱寿司

 9月27日に富山市で明治大学全国校友大会が開催されます。私の楽しみは瀬戸さんを訪ねることです。きっと良い時間が持てるのではと期待しております。
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失敗にめげないで

 孫娘のことを何かに夢中になる病。熱中症と言っておりますが、考えてみますと私も軽い熱中症かも知れません。
 先日来厚焼き卵に挑戦しております。昨日も朝二枚焼きました。夫はよくやりますねーと眺めております。

               厚焼き卵

 鍋を買ってまず一枚を焼いた時、焼き色が思いのほか強く、これは火が強かったと、次から火を弱くしてみました。綺麗に焼け、長女の娘にも褒められ良い気分になっていました。
 気分よくまた焼いたのが上の通りです。マン中の白い所が気にかかります。
 そこでまずカラザを取り除き、溶いた卵を万能濾しで濾して見ました。斑がなく綺麗に焼けました。ところが火が弱すぎて纏まりが悪く、面白くありません。そこで再度火を僅か強くして焼きました。万歳ーです。でも難しいですね。
 夫は気の毒にこのところ厚焼き卵をしょっちゅう食べる破目になっております。

 TVのデパ地下の紹介で鶏のレバーのワイン煮を見ました。早速作って見ました。ところが主婦して国産の黄身を見つけたので一緒に煮てしまいました。黄身には味が滲みず旨味が今一つです。
 赤ワインをたっぷり使い、出来あがるまでは上手く行くと思っていましたのに駄目でした。

                失敗ワイン煮

 どうもこれは一回お店の物を食べてみなければと高島屋で求め食べてみました。味は自家製のものとそう区別する程のものではありません。今度「お砂肝チャン」の店に行き、朝引きのレバーを買ってきて挑戦しなければと思っております。

 一階のスーパーに行きましたら小さな茄子が出ています。漬物に良い大きさです。辛子漬けにしたらきっと美味しいと思いました。つい廉いということと新鮮に感じましたので、照り煮にしてみました。
予想していたより皮が柔らかくなりません。次回は皮の周りの切り込みを細かくして作ってみようと思っております。

               茄子の照り煮

 料理人は修業の最後が煮方だそうですが確かに難しい物ですね。
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サーカス

 二女が娘と流山文化会館にサーカスを見に行くことになり、ひさし振りに私も観たいと一緒に出かけました。劇場型サーカスは30年ほど前に中野サンプラザで観た上海雑技団以来です。
 流山文化会館のホールは800名余収容できる中規模のホールです。
 夏休みのせいでしょうか。小さな子どもが大勢観に来ており、大人一人:子ども二人位に見える会場の賑やかさ。老婆の頭は落ち着きません。

            サーカス舞台

 子どもの時からサーカスは好きでしたので、ボリショイサーカスは何回も観ております。サーカスはテント小屋のような丸い会場が普通ですが、劇場の舞台での演技は小規模なりの工夫と細かいところまで緊張が廻らされ、なかなかいいものでした。
 今回はレニングラード国立舞台サーカス。人数が多くない分出演者の一所懸命さが伝わり、特にピエロ二人には会場から大きな歓声と拍手がありました。私も息の合った二人には好感を持ちました。
 サーカスですのでアクロバットもあり、二人での空中ブランコもありで子ども達の興奮が伝わって来ました。ただ動物は熊が一匹だけでしたので孫はガッカリしたようでした。
 私の恐れていたお転婆娘の孫。真似をするのではと帰宅してからもビクビクものでしたが、意外にもそれは危惧にすぎなかったようです。

 話は変わりますが、一緒に観に行った妹とバート・ランカスターの演ずる空中ブランコのことが話題に出ました。サーカス出身というバート・ランカスターの姿はすぐに目に浮かびましたが、トニー・カーティスの演技の姿は印象が薄く、はっきりと様子が目に浮かびません。ジーナ・ロロブリジーダは素晴らしいスタイルで強く印象に残っております。妹はストーリーもよく覚えておりました。
 
 中野サンプラザでの上海雑技団の演技は構成が素晴らしく、一部のミスもない見事なものでした。
 ところが5年ほど前上海で観た時には、どういう仕組みかスポーツで言えば二軍のような感じでがっかりしましたね。
 一昨年上海で観た馬劇城のサーカス。これはスケールも大きく、仕掛けも大掛かりで強いインパクトを受けました。サウンドも凄く、男女の乗り回すオートバイの技とスピード、また爆音には圧倒されたことでした。

              上海馬劇城

 私は昔風のサーカスが懐かしく、観たいと思いますが時代はコンピューターを駆使したものへと変わっていることでしょうね。

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相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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