2009-11

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押され押されて東福寺

 京都・奈良のツアーの二日目の昼。五条通(朝採れ京都菜のおしゃれランチ)という案内に期待し、五条通りを歩き、新鮮な野菜料理を食べるかと思いきや、何とこじんまりとしたホテルでのステーキと野菜サラダ。五条は歩くわけではなくそこの通りのホテルでの食事だったのです。何も「朝採れ京都菜のおしゃれランチ」なんて言わず、ステーキとした方がはっきりとしますのにね。
 
 食後東福寺へと向かいました。東福寺は紅葉の名所とあって大型バスなどは駐車出来ません。近くの道路に停車。私たちは急ぎ下車。
 次々停車するバス、発車するバス。大勢の人が乗り降りします。案内係があちこちに立ち、観光客などを誘導しております。
 観光客ばかりでもありませんでしょうが、人が列をなして東福寺に向かい、また戻ってくる人と行き交います。将に人が流れております。
 歩いて10分ほどの距離でしょうか。到着しますと通天橋の入口に人が並んでおります。団体の入口は別になっておりますが、入れば一緒。人の後について足を運びます。
 本堂を拝見するのは無料です。この通天橋を通り、開山堂から紅葉の庭園を歩くのが有料なのです。通天橋は東福寺の向かう道からも眺めることが出来、また通天橋からはその場所を眺めることが出来ます。で双方からカメラを構える人を見ることになります。やはり足元は要注意です。
 人が集まり、またその人に喜んでもらうと言うことでしょうか手入れが良く、紅葉した木々もいろいろと眺めることが出来ます。
 私たちは紅葉を眺めた後、本堂へ向かい境内をほぼ一巡することが出来ました。

          東福寺本堂

          東福寺三門

             開山堂

          東福寺紅葉

          東福寺通天橋から

          東福寺通天橋から

          東福寺愛染堂

 東福寺の紅葉を見るために全国から人が集まります。警備と整理の方が大勢おります。大きな雇用がこの寺院があることで起こるのでしょう。街も一体になって頑張っているように感じれられました。
 バスは法規に従っているのでしょうね。ガイドは参加者が全部揃ったことを確認し、バスを呼ぶのだそうです。
 全員揃いバスに乗り込み、二日目の宿泊地の有馬温泉に向かいました。昨日と違い早めの到着となりました。昨夜は大阪府高槻市、今夜は兵庫県神戸市。京都・奈良の旅ですので何だか大旅行をしているような感じがします。





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高尾の紅葉

 初日に泊まった「たかつき京都ホテル」は清潔、シンプル、気取りがなく私にはとても良いホテルで気に入りました。フロントの方に聞きますと20年ほど前からの営業だと言われました。勿論設備の様子から改装もされていると思います。
 朝食はブフェですが、朝のブフェでは今までに経験していなかった、細やかな気配りのあるサービスでした。
 並んでいる物にも丁寧な扱いが目に入ります。箸で取るのが良いものは箸置きに取り箸が置けれています。漬物などの取り分けには小さな皿が用意されております。沢山積んであれば良いという事ではないと言う見本のような内容でした。高齢者にはお膳も運んで下さるようです。
 
 昨夜の気分も直り爽やかな気分で出発。大阪から京都へと戻りました。目指すは高尾。
 
 バスは高尾へと走り駐車。私たちはガイドの説明を聞き、これは難所だと思いましたが、まず神護寺へ向かう坂を下りました。下り坂は30度位の傾斜位でしょうか。これが随分下がって行きます。
 足元に注意しながら何とか降り切りました。橋を渡り先を見ますとどうも険しそうです。
 直ぐに頭を切り替え、東へと歩き西明寺に行きました。高尾の山々、道筋に見える紅葉は見事な色を見せて呉れています。水も綺麗です。

            神護寺への下り

            子ども達の作った置き行燈風

            高尾の紅葉

            西明寺

            西明寺

            西明寺

 西明寺から道を東に取り、暫らく平坦な道を歩き「正解、正解」と進みました。道端の歳を取られている方。私位でしょうか。老婆の売る焼き栗と丸いもを買い素朴な気分になっておりました。
 道がバス通りにぶつかるとそこを右に鋭角に曲がり、駐車場まで進むことになります。
 ところが西明寺から歩き始めますと、見上げる位置をバスが走っています。ガイドからも道は緩やかな登り坂になりますよと、聞いておりましたから歩くのも時間がかかりそうな気がしておりました。
 右に曲がったところバス停があり、若い男女二人がおります。傍に行き行き先を尋ねました。
 JRバスで京都駅までと言い、次のバス停は私たちの行く場所です。これ幸いにと待ち、バス代150円で数分で戻ることが出来ました。

 杖を使い歩行がままならないご主人と一緒の奥さまは、旅行社に問い合わせたところ、たいしたところではないと聞き、参加されたそうで、ご主人は駐車場付近の喫茶店で待つことになったそうです。

 私たちもそういうことで早く集合場所に到着。コーヒーを飲みながら神護寺への坂を下りて行く人を眺めておりました。90歳にもなろうかと思われる腰の曲がったご婦人を70歳位の娘さんでしょうか、抱き抱えるようにして下りて行きます。
 
 左様に高尾の紅葉は人を呼ぶ魅力に溢れていると言えましょうね。バスが走る左右の紅葉にも見事な色を見ることが出来ます。

 このあと京都五条通りのホテルで昼食となり、それから有名な東福寺に向かいました。

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ライトアップされた清水寺と夕食

 初日の夕食は清水坂の「日月庵」京料理を味わい下さいということで、期待して店に入りました。
入口も周囲の雑踏と比べ、小ざっぱりとしております。相変わらずもたもたとしており、店に入りましたらいい塩梅に椅子席に座ることが出来ました。四人で一緒のテーブル。窓側に女性二人。
 店内はかなり混んでいます。料理が並びました。

 食事が済みガイドの説明で清水寺はかなり混んでおり、団体はチケットを受け取ったら団体入口から寺に入るようにと説明されました。
 坂道の両側には名の知った店も見えます。帰りに、帰りにと買いたい物の見当をつけて歩きました。老いも若きもと大勢の人です。
 聞くところに依りますと清水寺は年に何回かライトアップされて、人々に夜景を楽しんで貰っているそうです。
 もともと坂は息を切らせて歩く夫、歩く調子が少しおかしくなっている私。足元に注意しながら眺めて廻りました。
 音羽の滝の傍には人が並び順番に柄杓を受け取っています。時間がかぎられていますから、そういう場所も急ぎ通ります。(昔クラスの仲間とどの水を飲むかで騒いだことを思い出しました)
 入口は団体は別になっておりますが中はもう人、人、人。
 眺めるも立つも老婆と爺さんは大変です。若い和服姿のカップルがかなり見られます。京都ならではと言う気がします。老人は下駄などでは転びそうですね。
 寺内では要所、要所に灯りが置かれており、観光客にも確りと配慮されております。

             人が大勢います

             夜の清水寺

                ライトアップされて

             夜の紅葉

 どちらかと言えば高齢者の多いツアーですからバスに乗り込むのも早めです。前回の失敗に懲りまた迷惑をかけてはいけませんから、唐辛子を買い、清水焼の店を覗き駐車場まで下りて行きました。
 帰り道食事を摂った店の前には人が少し見えます。私たちの座った時間はよほど忙しかったのでしょうか。もう腹が立ってなりませんでした。
 ガイドも「何かと手落ちもあるようでキツイお言葉も頂いております。申し訳ございません」と詫びておりました。

             日月庵の料理

 品数も多く、目にも綺麗に見えます。器も程よく、美味しそうと箸をつけ始めました。和室に座った方の方を見ますと、店員は客の靴を平気で踏み、乱暴です。
 当方はと言いますと、未だ食べている内から蓋や空いた器をどんどん下げて行きます。
 窓側に座っていた方の器を下げるのに、私たちの前に手を伸ばし、一言の言葉もなく下げて行きます。失礼も甚だしいことです。
 ゆっくり愛でて味わうなどと言う雰囲気は全くありません。店員の態度が悪いのは店主のお客に対する考えの表れだと思います。(清水寺は混みますから早く行かれた方が良いですよという、サービス精神からとは思われません)
 とに角早く済ませて出て行ってくれと言わんばかり。隣の女性は「こういうのがツアーなのよ」と悟った様な言葉を吐き、黙々と一品ずつ食べ切り器を重ねております。
 この店を口コミで調べてみましたらかなり悪い評価。特に店員の態度に怒っている方が目に付きます。
 旅行社はいろいろな都合があって決めるのでしょうが、それなりにキチンとお客の言葉を伝え、サービス向上を促すべきでしょうね。後味の悪さを感じた夕食でした。


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一路南禅寺へ

 三千院の観光を済ませ、駐車場に行きますとバスが何台も来ております。
 駐車場の周辺でも土産屋があり、ちりめん山椒はどの店でも売っております。それには目を呉れません。

 次の観光地は先ず銀閣寺駐車場に行きます。そこから各自自由行動。銀閣寺を見てもよし、哲学の道を通り多くの寺院に詣でるのもよし。どのようにするかは観光地図を見て決めればよいことでした。
 最後に南禅寺の三門前に集合ということで、我が家二人は銀閣寺で下車せず、バスで南禅寺の駐車場まで行くことにしました。杖を使っている何人かが一緒です。
 これは正解でした。三門で集合しました時、かなりの方が疲れて辿り着いたという感じです。

 三門は国の重要文化財に指定されているそうで立派ですね。上に上がっている方も大勢見られます。
 南禅寺の周辺の街も探索し、どこも画になるような家や小路が目に入ってきます。
 紅葉を眺め、水路閣を見学。境内を一回りし、三門の中で休んでいましたら風が吹き抜け風邪を引きそうです。
 皆さんが揃ったところで記念写真。バックが良いですね。良い場所に椅子がセットされております。

             南禅寺と参詣人

             南禅寺

             南禅寺

             南禅寺

             水路閣案内

             水路閣

               南禅寺トイレ掛札

 この水路閣は明治37年に国の史跡として認定されているそうです。
 構造が大変面白いようですが眺める時間はありませんでした。

 集合前は必ずトイレに行っておくようにとガイドさんからも添乗員さんからも言われます。南禅寺のトイレは参詣者の数にしては少なく、出口近くの女子トイレは長い列が出来ています。
 待つ間に入口に目をやりますと東司の戒めが書かれている札を見つけました。所謂寺社のトイレについての注意、心構えといいましょうか。ところがここは少ないなりの汚れ方です。
 昔と違いあらゆる場所には女性が押し掛けますから、何処でも気をつけているようですがね。
 ここはどうしてでしょうかね。

 私たちはバスに乗り込みこの後清水寺に向かいました。
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京都・奈良 紅葉と人

 奈良に行ったことが無いと長い間ブウブウ言っておりました。夫がそれではと選んでくれたのが京都・奈良の旅。二泊三日という短い旅ですが、列車の旅ということで往復が楽だろうと出かけました。
 東京駅の変わりようは私でも驚くばかり。あまり出かけない夫には尚更のこと。
 団体の集合場所には高齢者、特に中高年の女性が溢れています。旅の始まりから人、人、人です。
 列車の中で女性グループの前に座った私たちは、その賑やかな声を京都まで忍耐で聞くことになりました。
 朝早い出発でしたので、もう昼には大原に到着。自由行動となりましたが、そこも始めてです。
 三千院しか行くことが出来ません。
 三千院の階段を登り、院内を見学。ゆっくり廻るどころではありません。只管人の後について廻ります。人、人、人。
 紅葉は見頃なのかどうかは分かりません。ガイドは何回も年により紅葉の色も時期も違いますから、何時が一番かは分かりません。と言いますからね。三千院どころか京都や奈良の紅葉を訪ねておりませんので、これは困りましたね。まーそれでも今が良しと考え、紅葉めぐりをして来ました。
 人がカメラを構えているところは概ね色が載っている紅葉が見られます。何だか人、人と追って行く感じです。

            三千院

            三千院

            三千院

            三千院

            人が集まる店先

            千枚漬

            大原の店

 大原の里と言いますが、この街から大原女はどういう行程で京都の街中まで出かけたのでしょうか。こういう話はガイドからは聞くことは出来ません。早口でなかなか聞き取れませんが、これは自分の難聴もあるので仕方がありません。
 私は千枚漬の薄く切られているのにどういう風に切るのかと前々からあれこれ想像しており、ここで眺められて納得しました。これはこれはとカメラに収めて来ました。
 
 三千院の登り坂で始まった旅。夫は何回も座る場所を探すということになり、私も先月と大違いな足取り、これからが思いやられる第一歩です。
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嵐の置き土産

 暫らく娘や孫たちと一緒に夕食をとっていませんでした。
 昨夜は久しぶりに4人がやってきました。二女の娘はおたふく風邪でおとなしく過ごしておりましたが、昨日はもう殆んど治っており、来るなり大騒ぎです。
 長女の娘も「可愛い!」と抱きついたりして仲良くしておりました。私たちは騒々しさを我慢。それでも賑やかなことは悪くはありません。

 久しぶりですのでいろいろな話題が出て来ます。例の嵐のディズニーシーでの出演のチケットは夫も協力し、申し込みのハガキを送ったのですが、はずれ。ですが孫の知っている方が二組当たったそうです。確率はどの位になるのでしょうかね。
 その応募数ですが、TVによりますと500万通以上になったそうです。
 ハウス食品のカレーのバーコードを所定のハガキに貼って出すのですが、その応募用のハガキも争奪戦の様なことでした。
 ハガキに貼るバーコードは三枚必要ですから、商品はおよそ1500万以上が買われたと言うことになりますね。我が家でもカレーは大分消化しました。
 発案者は凄いことでしょうね。表彰ものじゃない?などと話題になりました。

 「ところであれはどうするの」となったのはバーコードのために裸になっているカップスープです。
 我が家でも娘のところでも、そういうものを食べることが殆んどありませんので、家に置かれているカップスープの食べ方が分かりません。

          嵐の置き土産

 食べないのも勿体ないと思い、今日は少し離れているスーパーまで同じもの買いに行って来ました。一階のスーパーは高齢者向きの地味な店ですので売ってはいませんでした。
 この騒ぎでハウス食品は凄い売り上げとなったことでしょうが、我が家での一致した意見は。
 「一番は郵便局 相撲も取らず何もしないで切手が500万枚。人の褌で得をしたわけね」
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老いてなお存在感

 素敵な断髪で知られた水の江滝子さんが亡くなられたと知り、94歳と聞きましてもあの方は最後まで確りとされていたのではと想像をしました。
 男装の麗人と呼ばれ、その長身の身のこなしはSKDを退団されてからの活動の中でも際立っておりました。TVで見る姿と歯切れの良い話し方。笑顔が素敵でしたね。今でも目に浮かびます。
 大好きな方ですが、いくらお目に掛かりたくても、夢に見ても、あの素晴らしい姿は遠くの存在でした。

 中村八大さんの七回忌は永六輔さんがとり仕切り多くの方が集まりました。百人ほどの中には音楽関係の方も大勢見られました。
 その日水の江滝子さんがお見えになったのです。法要というよりミニコンサートのような形となりジョージー川口さんのドラムや世良譲さんのピアノ。デュークエイセスのボーカルや九重佑三子さんと田辺靖雄さんのデュオ。更に石井好子さんのシャンソン。等々
 一通り演奏等が済み、パーティーとなりました。

 水の江滝子さん(ターキー)が杖を手に八大さんの思い出を語り始めました。そのざっくばらんな話しぶりに私は虜になってしまいました。
 長い間一流であった人、一流の世界で活躍した方。際立った存在感があります。失礼な話ですが司会の松島トモ子さんや九重佑三子さんが、かすんでしまいました。若い方と違う見事な年輪の齎した姿がそこにあります。
 そこに立っているだけで魅力があり、老いてなお華があります。
 映画監督として八大さんに協力して頂いた時の秘話は楽しかったです。
 
 青島の小学校の仲間は全体の中では大きなグループでした。

           羊会のメンバーと

 水の江さんは右に明るいブラウス姿。このスカート姿が優雅なんです。シルクの重みと色。忘れません。
 私は一言もでも良いから傍で声をお聞きしたいと近くに寄りました。後日一緒に写っている写真を頂きそれを眺めて満足しております。

           水の江さん

 あの時御殿場に住み、陶芸を趣味とされているとお聞きしました。以来御殿場という言葉や活字に触れますと、どうされているかしらとよく思うことでした。
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年賀状さまざま

 例年押し詰まっての年賀状整理ですが、この数年正月から忙しなく過ごしていたこと、それに怠け癖が相俟って丁寧に読むことをせずにおりました。
 名簿の整理を始めましたら、年賀状からいろいろな事を改めて知ることになりました。
 丁寧に一年を振り返り、未来への希望を年頭に託しての挨拶。家族との一緒に迎える喜びと感謝。
 政治への怒り。子どもや孫の近況。過ぎし年に出かけた外国旅行。本当にさまざまな友人、知人の思いや姿に接し、整理も時間がかかります。
 体調不良を躊躇しながら記している方もおりますが、辛く目にしましたのは夏ころ友人から齎された認知症になったという方の賀状。そこに記されている異変を見て愕然としました。気がつかずに過ぎてしまいました。
 新しい年が近づいておりますが、ゆっくり丁寧に賀状を読まなければと肝に銘じているところです。

 年賀状の中には実に楽しく、また気の利いた物も少なくありませんが、安西創(あんざいはぢめ)さんの年賀状は近況と仕事の宣伝をユーモアたっぷりに伝えて呉れました。

             役者安西旅姿

 写真で見る通り彼は芸人です。「初春や パリに行きたし 金はなし」の川柳も添えられております。東京都の大道芸人の認定も受けておりますが、本来は二胡演奏者でもあり、指導者でもあります。  二胡だけではなく他の中国楽器もこなすという方です。
 
          二胡を手に

 数年前ディズニーランドに出演されていた時、娘たちが偶然見つけました。彼は顔を向けてチョッとほほ笑んだそうです。あそこでは知り合いだからと言ってもお客と個人的な言葉を交わしてはいけないと、後で頂いたメールで知りました。
 ボタン式のアコーディオンは弾く方が少ないそうですが、これも彼のお得意な分野です。

 ある夏の日、渋谷で謝黎さん(旗袍研究者)に会うということで彼と地下鉄の駅で落ち合いました。私は勿論旗袍です。何と彼は長衣と言われる男性の中国服に布靴。頭にはパナマの帽子。手には大きな扇子。
 彼は外国語大学の中国学科を首席で卒業。中国で暮らした経験もあり、その長衣の着こなしが堂に入っております。
 私としてはもう中国の若い男性をお伴に歩いている感じです。楽しいひと時でした。さて次はどのような賀状が届くのでしょうか。

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嬉しいメール

 小学校のクラスメートの男の子(娘に言わせれば大方はチビ・ハゲ・デブだそうです)
 勇ちゃんから久しぶりのメールが来ました。彼は背高く、デブでもハゲでもありません。
 勇ちゃんは心底優しく、常に私へエールを送って下さっておりました。ここ数年前からは体調に問題を抱えて過ごされておりました。
 今年の初めなんとなく胸騒ぎがしておりましたら奥様から電話を頂きました。それには驚きもしましたが、良かったという思いも強く感じたことでした。それは以下のような事情です。
 定期診断で病院に行く日、奥様は同行をなさる心算でおりましたが、本人は一人で大丈夫と出かけたそうです。
 出かけて暫らくしましたら院内で動けなくなり、直ぐに入院となったそうです。奥様にも急ぎ連絡があり、駆けつけましたら脳梗塞と分かったそうで、私にも連絡をくださったのです。
 病院への道中でしたらどうなったかと思いますと、本当に幸運だったと思います。
 退院後の生活は家族皆さんの支えも大きかったと思います。勇ちゃんは勤勉家でもあり、多才な方です。私へのメールでは教えられることも多く、有難い方です。
 
 久しぶりのメールはPCの練習を兼ねてと、断りをつけて一時間を掛けて書いたと記されております。良く頑張ってと嬉しくなって直ぐに返信しました。
 私のブログには時々コメントを下さっておりましたので何時かまたコメントを入れて下さるのではと楽しみにしております。
 15日から出かけていましたので帰宅後すぐにPCを開きますと、勇ちゃんからのメールがまた画面にでて来ました。
 何だか急速に回復して来ているような感じです。

            病室からの富士山

 PCは勇ちゃんの必需品のようで、無くてはならない存在のようです。前回の入院治療の時にも病室から見えた富士山の写真を送って下さいました。
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側転に拍手

 昨夜二女の娘から電話が入りました。「側転が出来るようになったから家に来て」と言うことです。
 この孫は生まれた時からの元気者。真似も得意で表現力もずば抜けていますが、笑わせるのもこれまた見事です。
 
 見に行きますと敷布団が二枚並べられており、ではと始めました。
 数日前から練習し始め一昨日には少しよろけていましたのが、昨夜は驚くほど見事に出来るようになっています。
 着地の右足が確りと決まっています。何回も何回も回転し見せて呉れます。
 「上手!上手!」と何回も拍手して褒めます。
 何処からか「上手、上手」と聞こえて来ます。何だろうと不思議に思い、キョロキョロとしていました。
 また褒めていますと同じ言葉が聞こえます。
 犯人と言いますか、真似しん坊と言いますか。ピンクのぬいぐるみの豚が此方に尻を向けて見えます。声に反応すると同じ言葉を二回繰り返し、前に進みます。
 今時は子どもの持つ物にもセンサーが付いているのですね。
 音がきこえますと、前進するのです。

             ピンクの豚

 「ご褒美だね」と言いましたら確りと「ご褒美だね。ご褒美だね」と聞こえます。孫は聞き逃す筈はありません。近々何かしら言われることでしょう。

 人は真似をし学習し、覚えて行くと言いますが、夫の体調がすぐれず、横になったまま新聞を読んでいた時期があります。その一時期我が家に来ますと先ず新聞を持ち布団の上に行きます。恰も新聞を読んでいるかのような感じで、うなずいたりします。

          新聞を読むかの如し

  面白く可愛くこの画像は時々眺めております。
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茶色の食卓

 娘たちが食事時に入って来ますと「また茶色だね」「昔お弁当が茶色でね。綺麗じゃなかたわね」ときます。そうです我が家の食事は昔から茶色です。緑の葉物も並びますが、茶色に埋もれて仕舞います。

        最近の茶色の副菜

             里芋と豚肉

             煮豆

             茄子と椎茸

             蕪・昆布・胡瓜・貝柱

             大根・豚肉・生姜

             蕪・あぶら麩

 地味ですが今風に言えば全て顔の見える材料です。安心が一番。夫は今や煮物がないと落ち着かないようです。三食煮物が欲しいようです。
 家庭円満も朝の仕事で出来る。煮物讃歌です。
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おじいさんの台所

 昨日は講座を済ませて帰宅したのは午後8時半。
 夕食を始めようとしていましたら佐橋慶女さんから電話が入りました。慌しい雰囲気です。
 「9時からおじいさんの台所のTVがあるのよ。急に今日連絡があったので、ご覧になってね」
 何処の局かも分からず、直ぐに夕刊のTV欄を調べますと、TV東京と分かり、急いでオパール・ネットワークの方々にお知らせしました。既に分かっていて「見てるわよ」という返事もありました。
 「おじいさんの台所」はオパール・ネットワークを主宰する佐橋慶女さんの同名のエッセイをTVドラマ化したものです。
 
 このドラマは10日に亡くなられた森繁久弥さんの追悼番組として放映されました。
 内容は佐橋さんのお父様を主人公とされておりますが、このドラマは実に今日的なテーマを多く含んでおります。
 このドラマの演者として森繁さんは心に響く演技を見せており、恐らく他の方では演じきれない姿ではないかと思われます。
 佐橋家の実話に基づくこのTVドラマには学ぶべきことも多々あり、追悼記念のドラマとして選ばれたということの意味は実に大きいことと思います。
 ドラマをご覧になられた方はご承知ことですが、佐橋さんのお父様は奥様を亡くされ、これからの生活を如何にすべきかが決まらないことから、家族会議の結果、最終的には三女の佐橋さんが一番負担をするという形で事が進行します。

 佐橋さんはお父様の自立を助けるため、父親から鬼軍曹とまで言われております。

           奥様を亡くされて

           自立してきました

 「おじいさんの台所」をお読み頂くと、老齢にさしかかった男性が配偶者を亡くされたら何が待ち構えているかを考えさせられます。
 佐橋さんの名古屋通いは実に多くの問題を克服してのことです。並みの人では出来ないことです。
その父と娘の壮絶な闘い、少しずつお互いを労わる心情の動き、素晴らし事です。生きる者同士の連帯感。なかなか見られない親娘の交流です。
 だんだんお父様は一人の生活者として自立して行く姿を見せて呉れます。
 森繁さんは家事もだんだん上手になって行く様を見事に見せ、実生活でもきっと素晴らしいおじいさまではと思わせるさりげない役者ぶり。天下の大御所ぶりにため息が出ます。

 一昨日から昨日、また今日もいろいろな角度からの森繁像が語られております。
 昨夜のTVドラマは追悼に相応しい番組だったと感じております。

 佐橋さんの話に依りますとご近所の方々の援助も心強かったそうです。
 
 私の友人で独身女性の方の何人もが親の介護に疲れております。兄弟姉妹は自分の家庭があるということで、独身女性の負担の犠牲の上に成り立っているケースも多く、その点からも今回の追悼番組は社会的な意味を持つということと言えましょう。
 森繁久弥さんというこれ以上ないと思われる役者に演じて頂き、この作品と同時に佐橋さんの提唱する意味も理解されて行くことと思います。

 佐橋さんは「おとうさんの台所」を記し、世に出されましたが、実に勇気ある行為だったと思っております。
 佐橋さんは最近は「直角死」という言葉を良く口にされております。お父様が一人暮らしを貫き、僅か病んだだけで亡くなられたということが念頭にあるからでしょう。
 一人の人間が最後まで自分の意思を持ち続け、自立して生きて行く困難なさと同時にそれを克服しての達成感の喜びなど、多くのことを教えてくれるドラマでした。
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煙草話

 近くの男性は煙草が好きなようです。良く吸っている姿を見かけます。
 彼の吸う煙草を見ましたら、ラッキーストライクでした。昔、そうまたも昔話ですが、中国の青島に住んでいた頃、ドイツ人が住んでいたような立派な場所ではなく、所謂下町の道路の交差点などで僅かな場所に品物を並べて売る、露天商がありました。
 そこでは中国の煙草のほかに米英、またドイツなどの煙草が並べられておりました。
 店と言っても戸板一枚ほどの広さが多かったですね。
 煙草の他にはハーシーのチョコレート、アーモンドロカのようなお菓子、アメリカ製のガム。眺めていても叱られません。
 親の話によりますと、当時中国では煙草は自由に発売出来たそうです。製造会社が家の近くにもありました。一号という名の煙草です。
 女工さんがホーロウの重ねの弁当を持ち、歩いてゆく姿を良く見ました。

 売られてた煙草は安いものから高い物までいろいろです。
 天壇という煙草は高かったような気がします。

           天壇印の煙草

 その他ルビークイン等と言う外国製の煙草もありました。戦後いち早く上陸してきた米軍の兵士が吸っていた煙草を見て、驚きました。昔青島の露店で見たラッキーストライクやキャメルです。

             キャメル

           ラッキーストライク
 
父はその頃日本のチェリーの缶入りのを吸っておりましたが缶の桜の模様が上品でしたね。
 
 スリーキャッスルなどいう煙草もありました。
 スリーキャッスルという煙草は淡い緑の城が図案になっていたような気がします。
 旅先のホテルのテラスからノイスバンシュタイン城を目の前にした時、あっ!スリーキャッスルだと、思ったことでした。
 
 近所に住んでいた神戸出身のおじさんは煙草のラベルの収集をし、アルバムに整理してあり、時々私に見せて自慢をしておりましたが、戦後お会いした時に訊ねましたら、持ち帰れなかったと話し、残念そうでした。
 
 チェスターフィールドと言う煙草も良く見ましたね。

            チェスターフィールド

 露店ではピーナッツや西瓜や南瓜。またヒマワリの種なども売られており、それは新聞紙を折った袋に計って売られておりました。
 先日中国語の時間にたまたま昔の包装の話が出ましたが、新聞紙もほかの紙もなく実演出来ませんでしたが今朝折って見ました。

            紙の入れ物

 今でもこの袋は何もない時にはチョッと折り使います。


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薩摩のつけ揚げ(さつま揚げ)

 青島の小学校でクラスの男の子の一人。色がひと際黒く、色黒の私と良く話もしましたが、長ーい間交流もなく過ぎておりました。
 戦後日本で初めて会ったときに子どもの頃と全く変わっていない体型と顔。驚くほどでした。長く海の男として世界を廻り、今は鹿児島の姶良町に住んでおります。

 1989年に学生と一緒に富士の宝永山登山に行きました。自分の足で登った最高の山でもあり、また退職を翌年に控えていましたので、心に残る一日となっております。
 その帰路。山中でバスを止め、工学部の教授からがけ崩れのような場所に案内されました。
 そこには幾重にもなっている土肌が見られ、教授はその一か所を指して説明をされました。
 「姶良火山の灰がここに降って来たものです」こう言う話は大好きです。
 この登山では私は歩くのも何だか意気地がなく、下りの時は転げ落ちるのではないかと、膝に力を込めてやっと無事に下りられたという気分でした。

 そういう一日でしたので、姶良という名前、その自然の脅威など。確りと記憶にありました。
 鹿児島の彼が姶良町に住むということで、何だか前々からこの町を知っているような気がします。
 実際は鹿児島の観光でもそこは寄りませんでしたから、全く知識はありません。

 つい先日その姶良町の「さつま揚げ」が送られて来ました。私の富山のかまぼこの話を読み、送って下さったのです。
 
             つけ揚げ1

          つけ揚げ2

 ここは彼の自宅に近い所にある店舗で、良く利用されていると言うことです。
 早速温めて頂きました。少し甘いのです。で調べて見ましたら、すり身の中に入れる酒は鹿児島の酒で、味醂に近いのだそうです。
 そう言えば鹿児島の醤油も甘いそうですね。
 心のこもった頂き物は嬉しい物です。最近の自分で選ぶというお返しなどチョッと味気ないなーと思っておりますので、やはりこういう頂き物は相手の心が伝わってきますね。
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白川郷の賑わい

 岐阜の白川郷の冬景色は毎年TVで見ますね。雪で全ての音が包まれて静かに静かに暮れて行く、その中から優しく灯りが見られます。

 合掌造りの集落は世界文化遺産に登録されているそうで、この紅葉の時期は駐車場も観光バスで埋まるそうです。
 数ある家の中でも有名な和田家とか長瀬家などそれぞれを見学するとなると一日でも足りなくなりそうです。

 夫は杖を使い歩くことになり、距離の短いところを選びました。立派な長い歴史のある家です。
 明善寺とその庫裡を見学することにしました。
 合掌造りの全体を眺めるには高い場所に行く必要があり、そこへはシャトルバスが出ております。
 並んでいる方が大勢見えます。私たちはそれは無理だと分かっておりますので近くにしました。

             明善寺の鐘楼門

             庫裡の紹介

             庫裡の窓から

             布団も干して

             雪を遠くに望み

               いちいの木

             屋根の葺き替え
              (明善寺パンフレットから)
 葺き替えの萱の調達はどうなっているのでしょうか。村人総出の葺き替えで一日で終わるそうです。 この一枚を眺めるだけで興味はつきません。
             
             駐車場

 見学をして集合場所へと戻りましたら、中国語があちこちから聞こえて来ます。記念写真の台にも中国人が見えます。
 台湾からでしたら雪景色は喜ばれましょうね。口は「ニーハオ」と動いて仕舞いそうになりました。
 
 明善寺の庫裏は5階建てだそうですが、私たちは3階まで昇りました。上の方は倉庫のような作りですがこの村で昔使われていた農具や生活用具がキチンと整理されて、見学者に分かるように説明もされております。 (これは何らかの形で紹介したいと思っております)
 庫裡の見学コースが終わり、うす暗い部屋を下りて本堂の中を見学。立派な本堂です。

 駐車場はバスで一杯になっております。高山で失敗しましたので余裕を取り乗車しました。

 白川郷を出たバスは安房峠を通過。トンネル続きに驚きましたが、昔は難所だったそうですね。
 バスは上高地方向の左へとではなく、右へと下りて梓川沿いに松本へと走りました。
 白骨温泉の看板を見ましたら、1958年頃でしょうか学生の付き添いで伊那に来た時、この温泉に泊まり、生まれて初めて蕎麦の美味しさを知り、以来蕎麦を好きになったのことを思い出しました。
 梓川を挟んで見る紅葉は香嵐渓の紅葉を取り戻して呉れました。
 暮れなずむ山々の紅葉。バスは走り続けますので、カメラに収められません。残念でした。
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飛騨高山散策 3

 小京都と言われている街をも少し眺めていたかったのですが、観光の時間はもう残り少なくなってしまいました。
 高山陣屋まで行きましょと歩き始めました。陣屋前にも朝市が広げられております。植え木なども目に入りましたが、もう眺める時間はありません。
 幸か不幸か私のカメラは電池切れになって仕舞いました。夫の足の負担を考えた訳ではありませんが、彼のカメラを借りました。
 陣屋を拝観するには有料です。立派な構えの入口から入り、屋敷内を急ぎ廻りました。
 秋も深まった時期、空は澄み爽やかですが、靴を脱ぎ冷えた畳の上を歩くと体が冷えて来ます。
 入口と出口は別ですから、靴を持ち歩きます。広い屋敷。部屋数も大変なものです。配置図にありますように、用途に応じた部屋が廊下、木戸、襖などで仕切られております。

           陣屋正面

           陣屋案内

           陣屋解説板

           白洲

           台所

           庭園

           年貢米

 陣屋は昔国内には何か所もあったそうですが、高山陣屋は現存する唯一の建物だそうです。1692年徳川幕府の直領となる前は飛騨高山藩主の金森氏の下屋敷だったそうです。
 50年ほど前、明治大学に飛騨の金森さんと言う方がおり、金森氏の末裔だと聞いておりました。政経学部の松山亮次郎先生は「世が世なら、僕は彼の家臣ですよ」と口にしておりました。
 松山先生の先祖は金森氏の家臣だったと言うことは事実のようでした。
 
 広大な屋敷を廻り靴を履きましたらもう急ぎ戻らなければなりません。
 こうなりますと私は買い物の包みを下げ、カメラとバックを肩に掛け、春慶会館に向かいました。
 ですがこの町の様子が気になってなりません。ついつい目があちこちに行きます。
 やっと近くに辿り着きましたが、何だかチョッと道を逸れて仕舞ったようです。
 どうにかバスの傍に行きますと、気配が変です。一人の女性が早く、早くと呼び込みます。
 バスに乗り込みますと皆さんが拍手で迎えて呉れました。
 添乗員の女性が息を切らせて乗り込んで来ました。「お待たせしました。ではこれから白川郷に向かいます」バスは春慶会館を離れて走り始めました。
 添乗員の方が傍に来ました「お宅の方に電話を入れましたので失礼をしました。どうぞご了承くださいますように」と。
 娘からメールが来ました。「どういうことなの」「5分ほど遅れたので心配して呉れたのだとおもいますよ」と返信して置きました。
 これです。杖が問題だったのです。途中から杖を使い始めた夫がどうかなったのかと、それで時間に戻れなくなっているのではと、添乗員の方がそう判断されたのだと思います。
 このあとは早め早めと注意し、心配を掛けないように気をつけてバスに戻るようにしました。
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飛騨高山散策 2

 飛騨高山は市の中心部の景観が「飛騨の小京都」と呼ばれて多くの方がこの地を訪れております。
 高山市の面積は全国市町村の中で最大の広さを持ち、その内の92%が山林だそうです。
 この山林がこの地を潤し、林業も盛んになったことでしょう。飛騨一刀彫の立雛を友人から頂き、何時かそこを訪ねたいと思っておりました。
 高山に到着して先ず宮川朝市に並ぶ土地の物産を眺め、買い物をし、次は上三之町に向かいました。
 何しろ老夫婦ですから、すぐ人に尋ねます。若い時はそうは行かず、随分無駄な時間を潰したものよ、です。 町の入口に綺麗な可愛い物が並ぶ店の方に「じゅげむ」を教えて貰いました。
 「じゅげむ」は飛騨牛の串焼きをサービスされるとチケットを渡されていたからです。串焼きは美味しいかったですね。
 道筋には人が余り歩いておりません。皆さんまだ朝市の魅力にとり付かれているのでしょうか。
 それにしてもすっきりとしております。塵一つ無いとはこういうことでしょうか。しっとりと爽やかな空気が漂っているようです。
      夫は杖を使い歩きます。ゆっくりゆっくりと。

          角の可愛い店

          じゅげむ

          人力車

          藤井美術館

          酒屋

          産科婦人科医院

 この産婦人科医院の表に掛かる雅趣ある字に引き寄せられ、良く眺めました。これを書かれた方は文化勲章受章・文化功労者の森田 茂画伯とあります。画像を何回見ても良い字ですね。
 時がゆっくりと流れているような街並み。多くの人を惹き付ける理由を確りと感じました。
 それにしても時間を取りすぎました。次の目的「高山陣屋」に早足で向かいました。
 夫も頑張って歩きました。


 
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飛騨高山散策 1

 天気は申し分ない朝。下呂から飛騨高山に向かいました。この辺りは林業が盛んな地域らしく道筋には木工工場、材木店、工芸店などがチョクチョク現れて来ます。
 昨日の街道でもそうでした。
 クラスメートの一人が高山の出身で、彼の家も材木店だと聞いておりましたが、クラス会には全く見えることなく亡くなりました。今も会うことが出来るようでしたら、必ず連絡をしどこかで落ち合ったことでしょう。
 高山は飛騨と必ず付きますね。如何にも山の中のように感じます。
 バスは春慶会館に止められ、そこから目指す場所へと進みました。まず有名な朝市の入口まで添乗員の方が先導して呉れます。

             春慶会館

 説明はありましたが、地図なしではやはり無理。受け取った案内を見ながら歩きました。

             観光案内図

             朝市入口

            寒そうな外人も

            炬燵のおばさん

           可愛いトウモロコシ

           漬物店

           買い物をする
 
 ほのぼのとする朝市です。押し付ける風もなく、並ぶ品物は新鮮。名産の赤カブなども見られます。
 小松菜の間引きが袋一杯で100円。もう私は我慢できません。明日の朝にと買いました。
 「ありがと」という言葉の「と」がなんとも言えませんね。チョッと短く優しく。この「ありがと」は後の店でも同じ言い方です。
 朝市の通りを出て次は昔の街並みを思わせる場所へと向かいました。


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旅はいろいろなことがあります

 香嵐渓の駐車場に近い店には地味な帽子や手提げなどが置いてあります。
 高齢者好みの柄の帽子はサイズが大きそうに見えます。チョッと気を引かれ傍に寄って行きましたら、いろいろな杖があります。
 腰が痛くなり、足がしびれて来たという夫と戻って来た私はこれはこれはと手にとって見ました。
 杖は中国製の物ですが確りと出来ております。安いので800円位、少し良いな~と思ったのが1000円。伸縮の出来るのは1500円位。夫は手に取り長さを見て購入しました。
 具合はよろしいようです。「まさか杖を使うようになるとは」と言いながらも歩くのは楽になって来たと言います。この杖が後で問題になったようです。
 香嵐渓の観光が済みバスは下呂温泉に向かいました。
 温泉に行きましたら珍しく夫が食事前に温まると言います。よほど痛いのでしょう。これは良かったようです。
 日本の宿は先の旅先で散々だったことと比べ格段の違いです。まず清潔、設備も確りとしております。必要な用品は揃っています。瀋陽でも大連でも洗面所とトイレの酷さと服務員の態度の悪さにうんざりとした私はこの宿の部屋に入りますとなぜかホットしました。
 宿に着いた時間はそう遅くはありませんでしたが、外は既に暮れています。と言うことは下呂温泉なるものはどういう街なのかは全く分かりません。
 バスツアーで一泊と言うのはこういう事ですね。

 さてここで食事です。椅子席は良かったですね。私とて既に腰痛持ちですし、正座をしますと立ち上がるのも大変です。夫婦で参加が条件のツアーは全て二人がセットです。食事も向かい合います。
 この夜は和食です。
 包丁の冴えとか包丁の腕とか言いますが、この和食で並んだ料理「包丁が切れますね」と呼びましょ。
 凄い腕なんです。カツオの刺身は厚さが5㍉長さが5㌢ほど。他も全て薄く小さく、また細かく。実に見事。真似しようも出来ませんが勉強になりました。

          下呂温泉での和食

 基本は多種類の品物を少量ずつ使い、且つ見映え良く。技ありの料理に見せるかと言うことでしょうか。綺麗で誤魔化されそうです。
 私は夕食の量は少ない方ですが、並んだ料理は全部食べることが出来ました。ですがご飯までは入りません。
 「ご飯は要りませんがお椀だけお願い致します」と係の男性に声を掛けました。
 「これでよろしいでしょうか」と男性が傍に来ました。お盆の上に空のご飯茶碗が見えました。
 もう笑って仕舞いました。

  ゆっくり眠り朝を迎え窓から外を眺めますと天気は上々。下呂温泉の一部が窓越しに見えます。

          朝の下呂

 旅はいろいろな事に遭遇もし、また予想もしたことも無いようなことを経験しますね。面白いです。
 昨夜は夫も私も腰の痛さを忘れたかのように笑ってしまいました。怒りませんでしたよ。
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紅葉の筈が

 長い時間が必要な外国旅行が出来なくなり、このところ国内へと目が向いております。
 だんだん面倒くさいことはやーめたと、パックされたバス旅行などを探します。
 秋が近くなりますと紅葉を訪ねる旅が盛んに宣伝されて来ます。
 で紅葉を見ながらどこかへと探し、出かけました。

 有名な香嵐渓。現地に到着しますと紅葉は何処にと眺めるほど。染め始めたばかり。

          待月橋

         人で賑わう

         流れを下に

         河原の人出

         見事な銀杏

         釣り人一人

           記念切手

 PCで香嵐渓の画像を見ますと実に見事な紅葉を見ることが出来ます。少し早いかなとは思ってはいましたが余りに早すぎたようです。ですが聞きますと盛りのシーズンに来ますと、紅葉どころか人の頭を見ながら歩くほど混み合うのだそうです。「引き返す人はいますか」と聞きましたら「そういう人はいないですねー」と言葉が返ってきました。そういう言葉を聞きますと良かったのか悪かったのか。
 とにかくそういう時期ではありませんが、人出はかなり多く驚いたことには犬、犬です。流行りでしょうかね。一匹どころか二匹、中には三匹も連れて来ている方が目に入ります。その犬にも流行りがあるのでしょうか。胴長の背の低い、小型犬と言いましょうか中型犬と言いましょうか、似たような犬が多いのです。
 この犬たちは排泄はどうしているのでしょうか。混み合うシーズンでは犬の分、足元を確保出来るのかも知れませんね。でも迷惑な気がしますね。不思議なことです。

 この香嵐渓に掛かる待月橋を渡り、人の多さに驚きながら進んで行きましたら、ハプニングが起きました。夫の足腰の具合が悪くなって仕舞ったのです。
 紅葉もまださほどに染まっていませんので、ベンチに腰を下ろし周囲を眺め、まー到着したことで満足としました。
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老人の味覚

 昔は夫に「何が食べたい?」と聞きますと「聞くまでもないだろ」となり、肉が食卓に並ぶことが普通でした。ところが
 最近は100gの肉が食べきれません。ダシ程度の量があれば充分。それも野菜と一緒に煮たり、鍋物の具の一部に使うくらいの物です。煮物の器には最後は肉だけが残ってしまいます。
 という訳で朝の副菜には煮物を用意します。最近の煮物は根菜類が中心ですね。
         
          例えばこんな物です。

          長芋と昆布

          蓮といろいろ

          大根・人参・昆布

         茄子と南瓜

         野菜いろいろ"

 煮物で困るのは煮てすぐと後では味も香りも違うことですね。料理はやはり出来たてが一番。
 
 先日娘が言いました。「好きなことをし、嫌いなことはしなく、運動をすれば健康で過ごせると言っているよ」と。
 「じゃーお掃除は止め」と言いましたが「それは駄目」と窘められました。
 昔から主婦コンプレックスを感じながら過ごしていた私の主婦らしさは?
 お料理かなと自問自答。その証拠を時に披露して自分を確認したくなります。
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老師 二泉映月に思う

 中国語の老師は70歳になり、所謂学校教師の役目は終わり、現在は何ヵ所かの講座で教えております。
 北京師範大学で国語を専攻。特に児童文学が専門です。
 老師の知識は将に博覧強記と言えましょう。接すれば接するほど人格と知識の深さを感じます。
 中国で教師をしていた時、文革時代を生きて来ました。
  
 文革時代には人々は大きく二つの階層に分けられていたそうです。
 
 人間を簡単にそう分けられるということは不思議なことですね。封建時代でも差別はあったにしてもこのような振り分けは無かったのではと思います。
 
 紅五類ー工人・貧民・城市貧民・軍人・共産党幹部。即ち出身が良い人。
 黒五類ー地主・富農・反革命分子・壊分子・右派分子。即ち出身の悪い人。
 に分けられ、黒五類の上には更に三種類の良くない階層、資本家・商人・旧軍政分子があり、教師はその上に知識分子として位置づけられ“臭老九”と言われた存在だったそうです。
 嘘のような差別に思いますね。

 老師も批判をされたそうです。ある夜老師は本を読んでいたそうです。そこへ聞こえて来たのは同じく教師をしている数学の老師の弾く二胡の旋律。流れる曲の切なく苦しい音色。
 曲は「二泉映月」これは盲目の演奏家の阿炳(あびん)の得意な曲。
 老師はそれを耳にした時、彼は阿炳の胸中に去来していただろう気持ちと重ねているように感じたそうです。

             二胡CDジャケット

             二胡

                阿炳紹介

 彼は臭老九として長い間苦難な生活をされていたそうです。1979年に名誉回復をされたそうですが、二胡を弾いた時、30歳くらいだった彼はすでにあれから22年が経ち、結婚もままならずかなり高齢になってからやっと相手を迎えることが出来たそうです。

 たまたま私の手元に阿炳のCDがありましたので、教室に持って行きました。
 老師はじっと聴き入り彼に思いを馳せるかのように全曲を聴き終わりました。
 曲を聴き終わると老師は彼の悲しさ切なさを偲びしみじみと語りました。同じ教師として過ぎし日を重ねていたことでしょう。

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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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