2009-12

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オパール・ネットワーク我孫子の仲間

 高齢になりいろいろな事が面倒になり、歳末だと言うのに何だか家の中も生活にも目新しいことが起きておりません。怠惰とも言えますし落ち着いているとも言えましょうか。 ま! 良いかと過ごしております。
 我孫子のオパールの仲間との交流が始まってから大分経ちました。人数は僅かですが日々の中での厚かましい交流はありません。如水のような仲間と言えるような気がします。
 楽しい行事に、楽しい話題に、楽しい食事会に。集まりはそれなりに参加者で気分の良い時間を持つことが出来ます。今までいろいろなことを年に何回かしました。例えば講演会、バス旅行、食事会、ひな祭り、お祝い会、ワンコイン寄席などなど。
 皆さんの今日は忙しく過ごされていることでしょう。今年のワンコイン寄席は満席になりお断りした方もおりました。有難く思っております。人の喜びが仲間の喜び。仲間の喜びは我が身の喜び。これが交流が続く原因でしょう。

 この2年ほどの間の行事の写真を掲載し、今年のブログの締めくくりとしたいと思います。

        簡単に出来るもてなし料理の会

        取手の吉澤さん宅での焼き筍の会

        シェフに習う料理の会(第一回)

        キムチ鍋を食べる会

        元総料理長も生徒になる

        ワンコイン寄席に浴衣で

        会員宅でパエリヤを作る

        オパールのサロン うかい鳥山に参加

        会員のビーズ織り

          会員のパッチワーク

 仲間の方はそれぞれがいろいろな趣味を持ち生活に彩りを添えております。相互に教え合う楽しみもあります。
 来年は先ず初めに元気を回復する治療をしている会員の方を先生にし、学びの会を予定しております。
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獲れたてのウニ

 オパール・ネットワークの会員は全国におります。会員には偶数月にニューズレターが届きます。奇数月には佐橋さん宅でサロンが持たれます。サロンにはゲストスピーカの方が迎えられて為になること、珍しいこと、楽しいことなどをお聞きします。
 2008年1月には長崎市琴海尾戸町に住む金子数栄さん夫妻の体験談をお聞きしました。金子さんの肩書はもう呆れるほど。曰く
 百姓 漁師 体験民宿のおやじ カフェのマスター 文筆家 ゴルフ評論家  旅人 ピアニスト 体験学習の講師 これって私が知った範囲ですからまだまだあるのかも知れません。
 金子さんのHPにあるデジカメ日記は三日分しか掲載されません。この画像が本当に良いのです。チラッと見える反骨精神に時に共感します。その三日と言うのが困るのです。旅行に出かけたりし家を空けますとその間のことが見られず、何が描かれていたのか気になります。
 金子さんに何とかなりませんかと伺いましたら、これがせいぜいだと返事がありました。勿論私は毎日見ています。
 生活ぶりが分かりますが尾戸で何が生産され、それをどう加工し誰が食べるのかなど分かるものもあり、分からないものもあります。
 先日ウニ漁の画像が載りました。カキやナマコも獲りに行くそうです。金子さんは漁業権を持っております。
 そのウニの切り口。私はもう口が待てないと呼んでいます。すると欲しい人には送りますという字が見えました。早速お願いしましたら、送って呉れましたのですよ。市場で見るウニはミョウバンが使われておりますので、新鮮なウニをこうして頂けるのは有難いことです。

        尾戸のウニ

        尾戸のウニ

        割ったウニ

        届いたウニ

 生ウニは少女の頃、田舎で海女から貰って食べたのですが、自分で割り指を突っ込み人差指で掬い食べた記憶は鮮明です。焼きウニも海女小屋でご馳走になりました。函館の市場で焼きウニを食べましたら余りに高く驚かされました。
 夫はウニが大好きですので昨夜は大喜び。私はすぐに電話を掛け「美味しいわよ」この一言を伝えました。

        手作りPC

 以前に掲載された金子さんのPCを自作されている画像。費用が3万7千円と知りこれまた驚かされました。

金子さん夫妻の体験談は08年2月2日に紹介しました。また民宿のことは7月28日に掲載してあります。
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切なくても忘れてはならない

 12月8日と言う日は毎年やって来ます。1941年12月8日に米英を中心とした連合国を相手に日本は戦いを挑みました。私は小学校の4年生でした。以来戦争中での苦しみや戦後の苦労を思うこともしばしばですが、記憶は徐々に薄れて来ております。ですが忘れてはいません。
 12月に入りますとマスコミは戦争に纏わる様々な情報を発信します。戦争の悲惨な映像は何時も切なく、悔しさが胸を締め付けます。
 先にNHKで放映された400時間の証言などもそうです。証言の中から見えてくる風景が心に浮かんで来ます。
 今年の12月8日に放映された「さまよう 兵士たちの“日の丸”」これはまた大きなショックを受けました。以前にも耳にした話でしたが、見ている内に何とか出来ないものかと、考えてしまいました。

 NHKのクローズアップ 現代 はよく見ます。国谷裕子さんというキャスターの方が担当する番組です。

 さまよう兵士たちの“日の丸
 
 アメリカノースカロライナ州ファイエットビル、そこは全米最大の空軍施設がある町。軍用品を取り扱っている店で意外な物が売られているということです。それは日章旗(日の丸)です。
 第二次世界大戦中に戦った日本兵が身に付けていた物です。

         日の丸の旗

         日の丸の旗

 店のオーナーの話によりますと一枚200ドルから250ドルで売れるそうです。値段は文字数と内容で決まるそうです。日の丸を売りたいと訪れる人も後絶たないということです。米軍の兵士が持ち帰ったものでしょう。
 旗は出征する兵士の家族や知り合いなどが戦に負けず、無事に帰還するようにと、祈念しながら墨で書いたものです。名前の他に武運長久とか忠誠通神などの文字が見えます。
 これは戦い敗れて戦場で果てた人々の形見でもあります。 
 
         戦場の姿

 この旗を何とか遺族に渡すすべはないものかと思って仕舞います。国の考えはどうも個人の問題だと思っているようです。しかしこれだけの多くの人の名前が見えるのですから、一枚一枚データー化して公開したならば何かしらの手懸りが掴め、関係者に渡すことが出来やしないかと思う訳です。旗から少しでも特徴が掴めれば出身地なども分かるのではと思いますね。
 戦争に行き、国のためと戦いそして敗残。なんと切なく悔しいことでしょう。政治家はもっと国民の感情を知ってほしいと思います。旗はどんどん売られてやがて捨てられて仕舞うかも知れません。

 日の丸はこうして目にしますが、千人針という戦時中に兵士が持って行った物は殆んど目にしておりません。恐らく想像するに体に付ける物ですから、遺体と一緒に処分されたか、或いは痛んで仕舞い、捨てられたかも知れません。
 調べてみますと虱に悩まされたという記事なども見られます。戦地では体を洗うのも大変だったと思います。
 
 この千人針ですが、矢張り武運長久を願い無事に帰って来て欲しいとの願いが込められております。
 白い木綿の布に虎の図が描かれております。その虎の全体を赤い糸で刺します。一つ一つで結び目を作り、次の人に渡します。印は千個あるのかどうか分かりませんが、1000と言う数は大勢の気持ちが込められているということでしょう。
 私たちも刺しました。当時、国防婦人会などと言う組織があり、女性は街頭に立ち、千人針のお願いをします。
 私たちは間に合わないようだと、一人でどんどん刺して行きます。
 昨日虎の絵を描き、赤い点を入れてみました。あの戦中の思いを込めて。

          千人針の虎
 
 とても薄いのですが、このようなものです。この布の端に紐が付けられて体に巻きつけるようになっております。
 虎は千里行き千里帰るということで虎が描かれ、五銭玉は死線(四銭)を超えると言うことで縫い付けられました。
 切ない話です。今の政治家は見たことも無いかも知れませんね。国民は常に犠牲者です。分かっているのでしょうかね。

 ※ この日の丸が放映された後、基地の名前を失念し、探しました。見つかったのは 有家 浩さんと言う方のブログで掲載されておりました。有家さま有難うございました。
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ゴルバチョフ元大統領との対話集会

 明治大学は2009年12月10日にミハエル・ゴルバチョフ元ソビエト連邦大統領(現ゴルバチョフ財団理事長)に明治大学名誉博士の学位を贈呈しました。
 これは冷戦終結20年の節目となる本年に、ゴルバチョフ氏を日本に招いて明大が主催した特別フォーラム「冷戦終結20年 これからの世界の核軍縮への道ー」の開催にともない、同氏のこれまでの核軍縮推進活動と、東西冷戦構造改革への貢献を顕彰して贈られたものです。(明治大学:明治ですから!)から引用

 昨晩NHK衛星放送で午後10時からこのフーラムに関係するゴルバチョフ氏と学生たちの対話集会の紹介番組が放映されました。
 放送は学生たちがゴルバチョフ元大統領の来日に合わせて対話をしたいとプロジェクトを立ち上げ、活動に精力的、真摯に準備を進め、学習の機会も頻繁に開催。また大学もこの活動を支援するなど、元大統領の来校までの学生の姿を多角的に紹介しております。
 会場はリバティータワーの最上階 岸本記念ホールです。
 対話は40分ということで、学生も緊張の中でゴルバチョフ氏の話に向きあいました。

        ゴルバチョフ氏会場に到着

        案内

        ゴルバチョフ氏

        司会をする女子学生

        ゴルバチョフ氏の色紙

        参加学生記念写真

 学生たちは対話集会の持ち方やテーマ、また質問の内容など何回もミーティングを重ね、最終的にテーマーを一つに絞り、あとはなり行き任せと決定しました。「りーダーとは」というようなことです。
 ゴルバチョフ氏の答は:先ず言葉で相手と向き合う・対等で話す・人に優しく・人の心を知る等と話し学生は先が長い、失敗を恐れないこと、人生にはハプニングもある。決して平坦ではないが皆がリーダーになるような方向に向かって欲しいと。こういう感じの話でした。とても良い雰囲気で終わりました。
 この内容は私は録画してなくずれているかも知れません。
 
名誉博士号の贈呈式の動画を見ることが出来ます。   http://www.meiji.ac.jp/koho/hus/html/dtl_0005416.html
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煮物で調整

 殆んど毎朝煮物をします。朝昼晩と食べますが飽きないと言うのがいいですね。あっさりとした味にしたりコクのある味にしたりと作るのも愉しみます。ただ野菜でない物は最後に残ってしまいます。娘が来ますとお肉を食べるように勧めますが娘も野菜の方に箸をだします。食べる人数が増えそうなときは多めに作り、人数に合わせ量で調整します。来なければ来ないでそれなりに食べますので便利です。
 暮れになりますとまた煮物作りに拍車がかかります。未だ正月用のは煮ませんが、良い材料を手に入れたいと思っております。
      このところの煮物。相も変わらず赤、黒、茶色です。

         がんも・人参・昆布

         切干大根・人参・昆布・油揚げ

         厚揚げ・かぶ・昆布

         長芋・人参・昆布・豚肉

         大根・昆布・鶏肉

         生湯葉・かぶ

 醤油が私を呼ぶのでしょうか。年齢のなせる舌の所為でしょうか。ですが外に行きますと時には変わった味も愉しみます。
 たまにが良いのでしょうね。しょっちゅう油の強い物や刺激の強い物は無理ですね。
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来年度予算案ですって

 昨日は中国服の仲間と会うために霞が関まで行きました。自宅からバス停までの間で知り合いの方と会いました。
「どちらまで」「霞が関まで」「霞が関のどちらまで」「財務省まで」「へー?」何となく冗談を言って仕舞いました。
 財務省の前を通ろうとしましたら、大勢の方が集まり、ビラを配り声をあげております。
 民主党が政権を担うことになってから、めまぐるしくいろいろな事が報道されます。一体どうなるのでしょうか。良く思う日もあり、オヤ変じゃないと思う日もあり、複雑な思いでニュースを眺めております。

           財務省前

 空は快晴。何時もの通り、先ず総理官邸と国会議事堂を眺めます。先生方一所懸命なんでしょうねと高いところからエールを送って来ます。気分は良いですよ。

          国会議事堂

          総理官邸

 今年は随分新しい方法を研究しました。情報交換と近況報告とで話が弾みます。気の置けない仲間との良い時間を過ごして来ました。
 今日の朝刊を見ましたら来年度予算案が決まり過去最大の92.3兆円とあります。私が眺めた頃は間違いなく先生方は一所懸命にやっていた訳ですね。
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賑やかな夜

 24日は世間並みにチキンを食べ、ケーキを食べることになりました。まー毎年のことですが、集まりの度に孫たちの騒ぎに大人も大騒ぎになります。
 クリスマス・イヴの前の集まりは10月。孫二人の誕生日の食事会です。長女の娘も二女の娘も一人っ子ですので、とかく独り占めのことが多いものですから、なかなか譲り合いが出来ません。
 ケーキはどちらがどうするか。先ずローソクを消すのをどうするか。ケーキに付けられてくるプレートをどちらが食べるのか。
 長女の娘は二女の娘が火をけすと息が強く、ケーキが汚れると怒ります。チビは食べもしないプレートを欲しがります。
 知り合いのケーキ屋さんで予約する時はプレートを2枚つけて貰います。誕生祝いの時はそれぞれの名前を入れて貰います。これで解決しました。ところが今年はどちらが切るかで一悶着。
 そこで今年のクリスマス・ケーキは親が別々に買ってくることにしました。
 24日の集まりは長女の家で、チキンと太巻き寿司、それにケーキをメインに用意され私たちを待っておりました。
 長女の娘は昼に友達とのクリスマスパーティーに出かけており、帰宅を待って食べることにしました。
 その待つ間にチビがあちこち触りいたずらをしましたのがばれて、大騒ぎ。大人はハラハラとします。どうにか喧嘩が収まり無事に食事を食べることになりました。チビはさっさとポテトだけ。長女の娘は少し食べて終わり。
 なんとチビは長女の娘にマニュキュアをして貰っています。昨日の敵は今日の友のような感じです。
 大人は何とかゆっくり食べることが出来ました。

           二人のケーキ

 二人はケーキに興味を示しません。親二人は「ケーキは?ケーキは?食べるの食べないの」と大きな声をあげています。「食べるよ、食べる」とテーブルに戻りました。それでも何時のような二人の喧嘩のセレモニーは無く、無事に分け合うことが出来ました。
 長女の夫が作った太巻き寿司。私はその内挑戦してみたいなーと良く見つめて来ました。

          太巻き寿司

 食事も終わり二女と孫、それに私たちは夜道を戻って来ました。長女の家の玄関で私の傘を見つけ、それを手にして歩き始めますとチビがその傘を杖のように持ち、腰を曲げて左手を後ろの腰にし歩きます。もう可笑しくて可笑しくて余りに笑ったのでお腹が痛くなって仕舞いました。

         お婆さん歩き

 長女の家から直線距離で200mほどをこの姿で歩いて来ました。廊下を曲がり自宅に入る通路に老人向きのカートがありましたら、今度はそれに手を掛け腰は曲げたまま首をすくめて私たちにバイバイと言って別れました。また一笑い。もしゼスチャーという遊びコンテストがあれば、朝青龍の表情やスケートの荒川静香の真似しかり、周囲の人の特徴もすぐに見せて呉れ、それも上手ですので優勝は間違いないのではとバーバはつい思って仕舞います。
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少し進歩します

 烏賊の塩辛は気温が下がって来ますと作りたくなります。
 07年11月11日に掲載しましたが麹の戻し方を変えてみました。さほどの変化ではありません。

   (前回掲載した作り方

 何処が変わったかと言いますと麹を戻す時に容器を炊飯器に入れるのではなく、麹をそのまま炊飯器に入れると言うだけです。
 それと様子を見ますと2時間よりは3時間から4時間にした方が早く馴染み、味も良いようです。
 先日も5杯作りました。私の感じではさらりとして美味しいのは三日目あたりのようです。
 うす塩にしても冷蔵庫で保存すればかなり長持ちします。

           烏賊の塩辛

 お茶漬けにするのが好きという人もおりますが、私は箸でつまみ直接口にするのが好きです。
 ご飯の上に載せますと周囲に味が染みますので、ご飯と別の料理を口にすると塩辛の味が混ざりどうも好きになれません。人さまざまですが主婦の特権で好きな時、好きな味を食卓に載せます。
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包丁も大事に

 毎日使う包丁。手元にある何本かは長い間使っております。野菜は毎日切りますから菜切り包丁も何本かあります。
 次に使うのは鯵切りでしょうか。牛刀はごく普通の長さの物と家庭用としてはやや長い物とを使い分けております。
 刺身包丁は普通の物ですが良く切れます。
 菜切りも切る野菜や量で使い分けをしております。
 その私。先日目から鱗とはこういうことかと感心したりため息をついたりしました。

 先ごろ大量の野菜を切り手首がすっかり疲れて仕舞いました。千葉に住む自称山親爺の平野和さんから近くのショッピングセンターに見えると連絡を頂きました。チャイナドレス制作に欠かせない道具の竹ヘラを作って頂き、以来交流お付き合いをさせて頂いております。

           平野さん

 久しぶりにお会いし、それこそ四方山話をしている内に使い勝手の悪い包丁の話になりました。「それ見てみましょ」と言われ、私は直ぐ家に戻り包丁を持って行きました。
 「チョッと時間を下さい。考えてみましょ。柄は変えてみましょ」と話になり、それを預けて翌日行きました。
  包丁は桐の柄に変えられております。「右利きかね、左利きかね」と言います。右利きだと答えますと「買い物でもあれば時間を潰していて呉れませんか」となり、私は暫らく食品売り場を廻ってまた傍に行きました。
 「握ってみて」と言います。

           桐の柄の菜切り

 右手に合うように柄の形がまっすぐではありません。この日平野さんの使う刃物は見たことが無いので聞きますと刀を短くした物だと知りました。刀は刀の使い方。包丁の柄はまっすぐ。と思いこんでいた私は道具って何時も平野さんの持論の使う人と一体で無ければならないと言う言葉が身にしみました。
 この包丁は綺麗な仕上げにはしてありません。「暫らく使ってみて。指の汚れや油の付き具合でまたなおすからね」と渡して呉れました。
 家庭の包丁にこのような物を使うことが出来ると言うこと。これも平野さんの信念のお陰と感謝しております。
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愛しいペットの受難

 子どもの頃飼っていた犬はオスの雑種でしたが利口者。同じ親から生まれた妹は知人の家で飼われておりました。
 飼い主夫妻は競馬が好きで、その犬は私の犬に比べ見るからにひ弱そう。毛並みも艶が無く可愛そうな犬でした。
 
 教室に六匹の犬を飼っている方がおります。一匹はガンの手術を受け、今も毎週抗がん剤を受けに病院通いをしているそうです。ガン話から他の生徒のペットのことに話題が移りました。
 二人の生徒は偶然にもウサギを飼っております。
 Mさんのウサギは「Berry]ちゃん 5歳 人間で言えば40歳位だそうです。 アメリカンファジーロップという種類のウサギ。Mさんのウサギは部屋の温度を低くしないとだめだそうで、彼女はそのせいか夏になると時々具合が悪くなります。

          Mさんのウサギ

 Nさんのウサギは「もこみん」ちゃん 7歳 人間で言えば60歳位になるそうです。 種類は雑種

          Nさんのウサギと雀


 この二匹どちらも子宮がんの手術を受けており、Nさんのは更に乳がんにも罹ったそうです。
 Nさんはウサギだけではなく小鳥も飼っております。と言うことでご自分の生活は極力無駄を省き頑張っていると言います。聞くだに涙ぐましい話です。
 家の中でウサギも小鳥も同居していて仲良くしているようです。
 白い鳥は白内障に罹っており、Nさんは可哀そうでならない様子。関帝廟に祈願に行くと言っておりました。

          Nさんの小鳥たち

 小鳥の写真に添えられたメール。愛情がこもっております。
 「白い方が白内障、見えなくて心細いのか最近は夜中とかに夜泣きをして呼んだり、見えないのに全速力で飛び壁にに激突したりします。壺坂霊験記みたいにぶつかった拍子に見えるといいのですが」と心中が記されております。
 ペットも飼い主に依って随分一生が違って来ますね。
 生徒の犬、ウサギ、小鳥たち良い飼い主に飼われていますね。
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素晴らしい緞帳

 2004年4月に駿河台の明治大学に立派な校舎が現れました。アカデミーコモンと名付けられたその建物の中に出来たホールはアカデミーホールと呼ばれます。大学の大きな祭典や様々なイベントにも使われます。
 そのホールの舞台に掛けられた緞帳は重厚で立派な、そして大学に相応しいものです。連合父母会から贈られたものです。
 図柄は花鳥風月や変わったものとは違い学問の場に最も似つかわしいと言っても良い様な気がします。
 
 年末になりますと墓碑銘という番組が流されます。今年12月2日には日本画家の平山郁夫先生がお亡くなりになりました
 アカデミーホールの緞帳は平山先生の描かれたものに基づき織られたものです。「東方見聞行」という銘がつけられております。
 落成披露の式典に出席した私は、その緞帳に描かれた白馬に跨ったマルコポーロの姿に息をのみました。平山先生の日本画の展覧会で目にした画の多くが人も馬もラクダも西に向いているような記憶があります。先生の生涯を紹介されたものなどから人も生き物も西に向かって行くのは自然なことではないかと思っておりました。
 
 ところがこの緞帳の画は東向きに描かれております。
 
 何時も東に向けてということは大学に入ると「オリエンテーション」という言葉で耳に入ってきます。それです。
 東に向かって目指す。何かを探す。志を定める。オリエンテーションを常に心の奥深く持ち続けなさいというメッセージのような画ではないかと思うことです。
 東方見聞録は東から帰ってからの記述です。行きは将に学問の探索に行くのです。素晴らしい緞帳だと思います。

          緞帳 東方見聞行

 この緞帳は普段は見ることは出来ないと聞いております。ご覧になれるのは入学式や卒業式。またホームカミングデーなどの行事の際に見られるようです。
 上の写真はOBの方からお借りしました。舞台に立つ方は星野仙一さんです。良い写真をお借り出来ました。
 歳末に向かい、平山先生のご冥福をお祈りしながら有難いことと掲載しました。
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チャイナドレスは素敵だ 61

 教室も開講以来長くなりました。受講する方も少しづつ変わって来ております。最近は夜の時間に見える方が増えてきました。
 忙しい方ばかりですが、そんな中でも長く続け、遠くから通ってくる方もあります。内容は昼の方と全く同じです。
 チャイナドレスの講座は先ずノースリーブの裏なしの物から始まります。
 基本としては長所を活かし短所を補うということが私の方針です。それと同時に出来るだけ無駄な出費をさせないと言うことです。生徒に必要なことは着たいと言う熱意です。そういうことから初めて縫物をするという生徒でも受け付けております。

           ある日の教室

           ある日の教室

         ある日の教室

            ある日の教室

          ある日の教室

 李香蘭が大好きだと言う生徒が日本では珍しい色の上着を着て現れました。よく似合っております。一枚目の袖なしの旗袍が出来あがり、見せて貰いました。すっきりと見え素敵です。
 高校生の生徒はオレンジ色の上着を持ち主が着替えている間に試着しますと、それなりに可愛く感じます。
 着替えも、次の裁断にも長く通っているベテランの生徒がサポートして呉れます。
 時間に間に合わない生徒もおりますが、生徒同士は実に気分良く仲良くしております。
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原田大二郎さんの朗読の会

 第二回 原田大二郎・ポプラ・ホール朗読会 に出かけました。 場所は四谷四丁目のポプラ社ホール
 小さなホールですが落ち着いた感じの良いホールです。100名が限度のようです。
 
        舞台の設え

 今回は「クリスマス・キャロル」原田さんの朗読に付き合うのは山中雅博さん(関西二期会でテノール・バリトン)
バイオリンも弾かれます。ピアノは福田加奈さん。若い二人は明治大学文化プロジェクトで公演されたシェイクスピアに出演した後輩。西村俊彦さんと泉山たかおさん
 開演前に若い二人のトーク。続いて大二郎さんと山中さんの話。これが珍しい話でしたね。

        大二郎さんと山中さん

 山中さんは本職は神輿担ぎと紹介されましたがこれは大二郎さんのジョーク。立派な声の持ち主。この日は朗読に合わせ静かにバイオリンの音をバックに流しておりました。 
 山中さんは京都で神輿を担ぐ大御所だそうでその神輿を通じて遠近の神輿担ぎに出かけているそうです。神輿は肩で担ぐのではなく背中で担ぐのだそうです。背中に驚くような瘤があり、シャツの上からも分かります。大二郎さんと仲好の方です。
        大二郎さんは変わらず元気者。

        大二郎さん

 「クリスマス・キャロル」は清水奈緒子さんの訳本を基に大二郎さんが短くしかも薄めることなく脚色したしたそうです。
 朗読は2時間40分ほど。若い二人の声も聞きとり易く良い舞台でした。
 大二郎さんは朗読の間全身を使い場面を表現しているようで、顔の表情、声の高低、時に早く時にゆっくり朗読。手指の動かし方、体を斜めにしての熱演。良い会でしたね。
 それにしても贅沢なことをされるものですね。出演者は友人、後輩とはいえ5名ですよ。それに照明の方もおります。私は昼でしたが昼夜全席埋まっても200人です。どう考えても収支は合わないと思いますね。大二郎さんは幸せですね。これからも良い仕事をなさってくださいね。

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馬琴の義士伝探訪

 12月14日は赤穂浪士の吉良邸討ち入りの日。この日即ち12月14日前後の月曜日に「宝井馬琴のビジネス講談」を聞く集まりが催されます。今年はぴったり14日となり、上野池の端の「伊豆榮」には47名が集まりました。
 明治大学校友と奥様です。この会は夏冬に開かれますが、馬琴師匠の講談に酔いしれたあとはこれまた楽しい歓談の時間となります。
今回の助っ人は春風美由紀さん。三味線の撥さばきも鮮やかに小唄やどどいつを歌い、合間の話も飽きさせません。
 私も踊れるのですよと奴さんを踊り大きな拍手が送られました。

         春風美由紀さん
 
 馬琴師匠は変わらず良いお召物ですね。髪が少し薄くなって来たようです。何時ものように打ち解けた話から始まりました。先代に弟子入りした時の苦労も大変だったようですが、先代がお座敷に呼ばれた話は何だか愉快になりました。今は亡き政治家○島○二郎議員など懐かしい名前が出て来ました。そういった政治家に呼ばれますと雑談を耳にします。で五代目は「あの程度で政治が出来るのなら俺にも出来る」と参議院議員に立候補したそうです。見事に落選したという話。これは面白かったですね。
 弟子入りした時の日給は100円。和紙が一帖が70円。それを毎日台本を写すに使うのだそうです。大変ですね。道一筋とは矢張り並みでは出来ませんね。
 
         馬琴師匠

 話は赤穂浪士の討ち入りの探索ということです。四十七士と一緒に唯一人吉良邸に向かった足軽は吉田忠左衛門の従僕、寺坂吉衛門。討ち入りの状況を確り見届けると言うお役だったそうです。吉良上野介の首級をあげた後、主家筋に行き報告する様子。
 これが凄いのです。討ち入りの始まりから終わるまでの吉良邸内での様子。名前、武器、人数など矢継ぎ早に語ります。もう息つく間もないとはこういうことですね。さすがプロです。
 師匠の話の後は恒例のウナギで一杯。伊豆榮の味は確りとした江戸の味で気に入っております。

         伊豆榮の料理

 賑やかなひと時が済みますとこれまた馬琴師匠からのプレゼント。私は毎回ジャンケンに弱く頂けません。今回も駄目。
 最後は校歌斉唱。応援団吹奏楽部で活躍した大前実之さんのリード。前理事長夫妻も一緒に歌っておりました。

         色紙のプレゼント

         校歌斉唱

 会も解散し、上野駅へと向かいましたら変わりように驚かされました。ヨドバシカメラのビルが出来ております。だんだん田舎者になりそうです。

           アメ横のビル

 次は来年の夏。元気に参加したいと思っております。 
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また茶色?それでも矢張り茶色

 知り合いの方と食の話になりますと、先ず食が細くなった、特に何か食べたいと思わなくなった、しつこいものは嫌になった。等々
 まー話す相手が大方高齢ですから、私と同じだーと思う反面、動物性蛋白質も食べなければなんて思うのも何時ものことです。
 落ち着く先は矢張り煮物。相変わらず煮物。食べる人も変わらず。でも煮物。また煮物を掲載します。

          大根・人参・昆布・豚肉

          ひじき・人参・あぶら麩

          水煮筍・牛肉

          ハス・椎茸・昆布・油揚げ

          厚揚げ・椎茸

          真鱈の真子

 ねーそれ以外に何を作るの?と言われますと、うーん何だろうと思って仕舞いますね。それほど最近は変化がないと言うことです。
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和泉丘75年記念誌刊行に寄せて

 昨日(2009年12月12日)午後2時から『和泉丘75年』発刊を記念し、講演会と懇親会が和泉校舎で開催されました。この記念誌のことは09年4月30日と5月1日に掲載致しましたが、関係者としてお招き頂き出席しました。

記念講演

「わたしの教養論」    
   東京外国語大学学長  亀山郁夫先生
「和泉キャンパスの歴史」
   和泉校舎75年史編纂委員名誉顧問 田中政男先生

 
午後2時からの講演に間に合うように出かけましたが、明大前駅から道を迷い、ようやく会場に到着。時間ぎりぎりでした。初めから聞くことが出来まして本当に良かったと思っております。
 亀山先生の講演は大学教授を対象に話されておりますので、浅学の私には重い内容でしたが、先生の仰る思いは良く伝わって感じることが出来ました。新鮮な気分が胸に満ちて来ました。嬉しいですね。
 田中先生はレジメと資料と対比しながら主として予科の和泉への移転と、その頃の和泉の様子から、新制大学へと切り替わるまでを中心に話を進められました。

            年史を置くテーブル

          亀山先生

 講演が終わり出席者は「和泉の杜」と言う名の会場に移り懇親会となりました。暫らく和泉校舎に行っておりませんでしたがそこは学生食堂でもあるそうです。
 大げさでない懇親会ですが、理事長や学長はじめ役職者の方々もお見えになっております。
 甲州街道の歩道橋を大学に向かって歩いてゆきますと北側にエレバーターの工事ではないかと思われる囲った鉄骨が見られました。
 明大前町内会会長の内藤さんが挨拶され、それによりますとエレベーターの設置には大学と協力して下さり、来春には利用できるそうです。明治の大先輩で予科時代を和泉校舎で過ごし、昔のグランドで練習した野球部の方の懐かしい名前も出て参りました。明治を愛し、明治を応援し、明大前の発展に尽くされていると方でした。

          町内会長内藤さん

 温かい雰囲気の懇親会。学長も率先してビールを注いで下さっております。年史の作成の関係者の挨拶。浅田毅衛先生も挨拶されました。懐かしい方の顔が所々に見えております。作成に協力した種田美智子さん、澤田陽子さんも挨拶。私もチョッと挨拶。
 図書館長の吉田正彦先生に挨拶に行こうと思い近くに行きましたら、傍に亀山先生がいらっしゃいます。講演で感動した気分の余韻がありましたので、思わず「一緒に写って頂けますか」とお願いしましたらスーと傍に立って下さいました。吉田先生にカメラを渡し並びますと余りの背の高さの違いに「わー背が違いすぎる」と口走りました。亀山先生は直ぐに背を屈めて下さいました。

          亀山先生と

 高名気鋭のロシヤ文学者の先生の気力に満ちた姿に比べ、いささか草臥れた老婆の違いが良く分かります。でも素敵な先生ですから図々しく掲載させて頂きます。
 会も無事に終了し、外はすっかり夜になっております。校庭に張りめぐされたイルミネーションが青く輝いております。変わりように驚きます。

         正面のイルミネーション

 私が入学した60年前の和泉校舎は誠に殺風景なものでした。それでもたまには出かける機会もあります。その私でも毎度驚くのですから、何十年振りかで母校を訪ねる方は将に今浦島でしょうね。 
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シェフは大忙し

 オパール・ネットワーク我孫子支部の調理の会は「けやきプラザ 調理室」で昨日開催しました。
 参加者は19名。 講師は元東京プリンスホテルのフランス料理の総料理長 佐藤秀一さん(我孫子在住の明治大学OB)
 
 今回の料理
   
   前菜   帆立て貝とポテトのサラダ 
 
   スープ  オニオンスープ
   
   主菜   ローストビーフ
   
   デザート イチゴのミルフィーユ  コーヒー

 午前10時集合としました。会場に入りますと既に佐藤さんと女性一人はオーブンの前で何か始めております。
 女性に見覚えがありません。会場を間違えていたようです。たまたま一緒に行ったオパールの方と前後してご主人を亡くされた知り合いの方でした。私は佐藤さんの奥様かしらと思いましたが、オパールの方は再婚されたのかと思われたそうです。会場を間違っていたようで急ぎ出て行かれました。エプロンも掛けて動いていましたから驚き、また出だしから大笑いです。
 10時に始まった調理実習です。まず大きな牛肉の塊を前に説明が始まりました。プロの方を相手に教えていると言うだけに適切な説明です。
 参加者は4組に分かれて実習に入りました。佐藤さんは「私が一緒にしますから大丈夫っですよ」とそれぞれの持ち場を廻り、またポイントの説明も簡潔にします。さすがプロ。動きの速いこと。無駄がありません。
 「先生 これ位の大きさで良いですか」「先生 火の具合はこれ位ですか」「先生 皮を剥くのですか」「先生 潰すのですか」「先生 上手く行きませーん」「先生 こんな風に積むのですか」もうシェフ先生の佐藤さんは走りまわります。
 皆さん楽しそうですが、フー難しいという表情もします。ですが主婦中心のオパールの方。さすが時間内に出来あがりました。
 佐藤さんの計算。佐藤さんの指示の仕方。それでこそ出来あがったのです。流れを掲載して見ましょう。

          始まり

          パイシートの説明

          パイシートの切り方
  
          実習

          唯一人の男性明大OB

          実習

          デザート

          前菜

          ローストビーフの焼き具合の説明

          実習

          頂きます

 20名は二組に分かれて座りました。男性二人はひとりずつ分かれて座り、オパール・ネットワークの主宰の佐橋慶女さんの乾杯の発声で出来あがった料理を堪能しました。
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地味なりに変化もあり

 毎日の惣菜には先ず煮物です。朝多めに作り毎食のようにテーブルに並びます。
 色は茶色、黒、赤。たまに緑。取り合わせも知れたものです。ですが高齢には一番口に馴染みます。
 最近は刺身も魅力が無くなり、外食もよほど魅力がなければ出かけてまでしては食べません。
 
         最近の煮物はこんな物です。

         根菜・昆布・豚肉

         白菜・シメジ・人参・豚肉

         里芋・人参・昆布・豚肉

         茄子・昆布

         ハスのキンピラ

         ジャガ・人参・こんにゃく・椎茸・豚肉

 では主菜は?と聞かれますと「これが主菜です」となりましょうか。副菜は煮魚であったり、天ぷら少し、ステーキを二切れであったり、鍋物だったりと。いろいろと作りますよ。中華も良く作ります。食べることは大好きですが、嗜好が変わって来たということです。
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老師古都を訪ねる

 先ごろ中国語の王老師は北京高校文史協会の仲間と「古都 古文字之旅」に参加されて来ました。
 11月28日の出席は私一人。12月5日の授業は三人が出席。
 土産話は滅多に耳にしない中国の河南省の古都のこと。普段の授業では北京の四季折々のことがよく話題になります。今回は老師の訪問先での具体的な経験ですので、面白くまた勉強になりました。
 訪問は先ず北京から出発→安陽→鄭州→ 鄭州からは(日帰りで開封)→少林寺→洛陽→北京に戻り、日本に帰ってきました。
 河南省には開封・洛陽・安陽の三古都が世界文化遺産として登録されております。
 訪問した古都にはそれぞれ価値のある場所や遺跡などもあり、老師の話はその遺跡に繋がる事柄へと進みます。

           老師語る

 開封は昔から関心のある都市で興味が湧きました。青島の仲間の女性の一人は開封から青島に転校してきましたが更に北京へと移りました。で開封の地が黄河と深い関係があるということも何となく聞いておりました。
 老師は開封では包公府、鉄塔(瑠璃塔)を訪ね、清明上河図の巻物の模写(印刷)を求めて来ました。
 鉄塔は13階で階段を昇って行くのは大変だったそうで、参加者12名中では老師一人だけが上まで行かれたそうです。その階段ですが狭く、手すりが無く一段ごとの段差が高く、下りは壁に手をつきやっと下りてきたそうです。
 包公の話も面白く聞きました。話す間で知らず知らず中国の昔を知ることになります。いつもながら老師の授業の進め方に感心します。
 「清明上河図」これは中国で有名な巻き物です。実物は北京の故宮博物院に保存されているそうですが、老師の見せて下さったお土産用の巻き物も表装は絹です。人物を始め家並みや道具類など、全て描写が精密に見えます。値段はもう驚くほどの廉さです。
 北宋の時代の開封の繁栄ぶりが描かれており、人々の暮らしや街並み、仕事など眺めることが出来ます。

           清明上河図

           清明上河図

             
             清明上河図

           清明上河図

 清明ということで清明節頃の風景だそうです。調べてみましたら1643人の人物、208匹の動物が描かれているそうです。
 特に紅橋と言われる橋を中心とした図は有名だそうです。
 老師の話は関連する話題も豊かで収穫も多かったようです。
 少林寺では演武も見られたそうですがどうも商業主義らしく感じたようです。お土産は少林寺で求めたものでした。

              少林寺のお土産

 でも私は巻き物が良かったと老師についつい言って仕舞いました。
 
 訪問先での話題の一つは文字の発展です。甲骨文から現代まで使われてきた漢字の素晴らしさ。資料をお持ちになりましたがこれを書虫という中国書籍専門のページで検索してみましたが、見つけることは出来ませんでした。
 矢張り行くべきはそこですね。知りたければ行かなければなりません。行けません残念。
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テレビは恐ろしい

 昨日柏に出かけるのでJR我孫子駅に行きました。
 何?これって。帰りに良く見ようと電車に乗って行きました。何だか弥生軒云々とありましたので、気になりました。弥生軒のご主人は大学の後輩ですし、校友会我孫子地域支部の役員もされております。

           掲示

 改札の入口脇にこの掲示が出されているのです。弥生軒は長くJRと付き合いがあり、構内に駅そばの店と売店を開いております。
 どうも成田方向に帰る人にはチョッと立ち寄れる店として多くの方が利用しているようです。

         弥生軒6号店

 私は今までに3回、弥生軒の蕎麦を食べたことがあります。2回はフリーバザールで支部が出店した時。全員で頂きました。大きな鶏の唐揚げに驚かされました。
 もう1回は夜の会合で夕食を摂りそこない、上野でも既に食事処は閉店。夜中と言ってもおかしくない時間、我孫子駅まで来ましたら弥生軒に人が群がっております。男性が殆んど。ここで食べて帰ろうと財布の中を覗きますと一万円札しかありません。どうしようかと考え、でもお腹が減っているので「一万円でお釣りがありますか」と後ろの方から思い切り大きな声をあげました。
 高齢な女性は「大丈夫でーす」と応えて呉れまして、食べることが出来ました。

 そんな店ですから何でしょうと調べて見ました。どうも「みのもんたの番組」で弥生軒の鶏の唐揚げが紹介されたと言うことが原因らしいと分かりました。
 げに恐ろしきはTV。この唐揚げを食べるために駅に入らせて貰う人が出てきたそうです。親切は結構ですがこれでは迷惑なことも起きますでしょ。
 矢張り入場券を使って貰うべきでしょうね。JRも弥生軒さんも苦労されていると思いますよ。

 弥生軒の唐揚げは今の話題でしょうが、過っては山下清さんがお世話になった家として知られております。
 1977年の我孫子駅では山下清さん描く包装紙を使った駅弁が売られておりました。出勤の時昼用に買ったこともあります。
 その包装紙は以前掲載したこともありますが、再度紹介させて頂きます。レールが取手方向と成田方向へと分かれていることが表現されております。

            
          弥生軒弁当包装紙

 時々我孫子の大きなショッピングセンターで有名駅弁大会が開催されます。私はぜひそういう時には弥生軒弁当を並べて欲しいなーと思いますが、設備などの関係で無理なようです。
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穏やかな風景

 冬と言う言葉を聞きますと自然に体がキュッと締まるような気がします。一雨ごとに気温も下がり、夕暮れも早くなりいささか老いを感じることもしばしばです。
 小春日和の日差しは暖かい空気が周囲に満ち、心身共にゆったりとして来ます。
 少し遠くへの買い物にも出かけようともなります。
 数日前買い物を済ませ澄んだ空に映えるマンションの木々に目をやりました。おや?あの帽子。そうだ脅かしてやりましょと近づき、パチリ!

         語らう二人

 声を掛け邪魔にならないように挨拶をし、写真を撮ったことだけを告げ失礼しました。
 この公園の季節の移ろいは普段は4階の廊下から眺めております。新緑の芽ぶく春。夏日の差す広場で遊ぶ子どもたち。紅葉もまた下に見ることが出来ます。冬は雪で覆われている全体は何時も見えない広さに驚くこともあります。
 ほぼ毎日眺めますが公園の中までにはなかなか行きません。
 この日は昼下がりの人気もあまり感じない時間。少し周囲を見回し風景を眺めて来ました。
 写して見ますと実に穏やかな風景です。良いなーとPCでよーく眺め、こういう時間をゆっくり持てる帽子の人にエールを送りたくなって来ました。
 歯科に通っているそうですが、我慢することも多いそうで時々辛そうにしております。ゆっくり時間が流れ、親しい方とこういう場所で過ごせばいくらかでも心が和むことでしょう。

         優しい空間

         公園の紅葉

         公園の紅葉

 私の住むマンションは全体で20棟。3棟が高層でその3棟で囲まれているのが写真の中央公園です。その他にも何か所かの公園があり、手入れも怠りなくされております。大好きな街です。 
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須賀川のリンゴ

 親しい方から「いわせっ娘」と名付けられたリンゴが届きました。箱を開けますと見事な深紅色のリンゴ。余り大きくなく我が家二人に一個で足り、丁度良い大きさでした。大きいリンゴやナシなどは二回に分けて食べることが多く、最近の果物は昔と違い品質改良が進んでいるのでしょう。味も形もまた見栄えも変化をしており、たまに果物の専門店を覗きますと、何だか時代遅れの人間になっているような気分になります。そうかと言って買う訳ではありませんがね。
 この「いわせっ娘」は福島県須賀川市のリンゴ栽培農家の橋本果樹園で育った新種の物です。その橋本果実園からの直送です。見るからに艶々としていて新鮮さが分かります。
 1982年頃ふじの樹の下から生えてきた実生苗12本中の一本だそうです。
 新品種として登録もされているそうです。

           いわせっ娘

           リンゴのパンフレット

 大学の寮で一年先輩の方が須賀川市に住んでおります。信州上田の出身ですが実家が資産家のようで、60年ほど前でも素敵なブラウスなどを着ておりました。
 私の職場に時々見えますと将来は地震のないところに住みたいと良く話しておりました。で選んだ街が須賀川でした。年賀状に「足腰のしっかりとしている内に牡丹を見においで下さい」と誘いを頂きます。
 私の頭には須賀川=地震がない=牡丹 とインプットされておりました。
 リンゴが届き、おやおや須賀川?と改めて調べてみますと、いろいろな果物が生産されているのですね。
 その他市内には「乙字ヶ滝」という日本の滝百選の一つという滝や「翠ヶ丘公園」というこれも日本の都市公園百選の一つという公園もあると知りました。
 また全く知らなかったことですが私の親しい友人の住む天栄村が須賀川市に近いことを発見したのです。
 これでは出かけたくなりますね。須賀川の先輩を訪問。牡丹を眺めそして天栄村に行く。何だか早速プランを立て年賀状に書きたい気分です。
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オパール・ネットワーク 赤坂サロン

 佐橋慶女さんが立ちあげたオパール・ネットワークは既に15年以上の道を歩んできました。
 奇数月には赤坂サロンを開催しております。乃木神社から僅か100㍍ほどの会場は佐橋さんがサロンのために大きな部屋を解放します。
 今年最後のサロンは11月30日に40名ほどが集まりました。

今回のテーマ 「私流 P.S.K でこれからを生きる」
 講師は 青木匡光先生 メディエーター(人間接着業)

 
 前回のテーマP・P・K (ピン・ピン・コロリン)になぞらえてPは(ピンとして) Sは(しゃんとして) Kは(これからを生きること)
 青木先生の話は分かりやすく、また聞きやすい言葉で進めます。
 今回のために用意し、お持ち下ったレジメは「わたし流いまを愉しむ」です。76歳という年齢を感じさせない未来志向の姿に感心します。

          青木匡光先生

 話題は幾つかに分けられております。
 1 どう生きようとしているのか  2 わがレインボー・ライフスタイル
 3 人を動かすふるまいじぐさ   4 プラス思考生む“ことばの杖”(ストレス・ひきこもり予防法)
 5 役に立つ生活技術  
 
 (むすび)「ケチで煩く横着でくどい」といった老人特有の欠点に陥らぬよう“優しい親”“好かれる年寄り”としてフィナーレを! 
 良い話ですが量が多く、掲載しきれません。私がこれこれと思ったことを一つだけ記して見ます。
 「自分カンパニーの経営者」です。青木先生は道筋をつけて人生事業を営むと解説しました。
 この「自分カンパニーの経営者」をわたくしなりに解釈しまして「責任感・未来への立案と決定・周囲への配慮・人間関係のスムーズさ・他者を立てる・継続性への努力・無駄の排除等々限りなく包括しているように思えます。
 お話が済みますといつもの楽しい懇談の時間です。毎回赤坂の三河屋から届く重ね弁当。これはオパールの考えにそって佐橋さんが決め頼む物です。塗り弁当箱は仕出しですからお返しします。
 ビールは瓶の物です。これもリユースの実践です。会員もだんだん高齢になり、椅子席を多くする方向になって来ました。

          サロン

 サロンに出席していた会員で医事評論家の松井さんが楽しいゲームと、認知症の簡単な診断法を皆さんに指導をして下さいました。ゲームは頭の体操。出席した方にはもう使えません。他の席で利用されると受けると思いますよ。

         ゲームを楽しむ

 サロンは午後4時から開催されますが、2時からは世話人会があります。私は少し早く乃木坂駅に着きましたので、乃木神社の拝殿まで階段を上って行きました。銀杏の葉がすっかり黄色になっております。

         乃木神社

 神社の前はいつも急ぎ通りますし、帰りは暗くなっていますので、なかなか機会がありませんでした。
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旅の最後 石山寺

 平等院から滋賀県の石山寺へと向かったバス。雨も小降りとなりましたが、傘は未だ要りようでした。
 紫式部が源氏物語の構想をこの寺で練ったということです。石山と言う名前からして矢張り階段を登らなければなりません。観光客はそう多くはありませんが、参道には土産物店が並んで声を掛けてきます。
 最近は買うという行動に意欲が無くなりました。まず欲しいものがないということ。孫にも何を買えばよいのかが見当がつかなくなっていること。さらに土産にするつもりが渡す人と直ぐに会えず、家の中で眠ってしまっていることになり、最後は惜しくても捨てる羽目になることが多いのです。

 石山寺に着きましたが、ここにも中国人の観光客がおります。私が階段を登るのに苦戦していますと、横を登って来た中年の中国人の女性から「加油!(チャーヨウ)加油!」と励まされました。なんとなく嬉しい感じですね。直ぐに「謝々!」と返しました。子どものように浮き浮きします。
 さてどうするかと夫と相談し、とに角出来るだけ上に進んで見ようと歩き始めました。紅葉が実に綺麗です。
 さすがに女流がめでた寺。地味に見える風景に鮮やかな色。楽しみました。

        石山寺東大門

        上を眺めて思案

        石山寺紅葉

        石山寺紅葉

        石山寺紅葉

 またも歩行に自信がなく、注意して早々と下に降りて来ました。集合時間まで喫茶店でコーヒーを飲み皆さんが戻ってくるのを待ちました。最後まで皆さんは遅れることなく集合。順調にバスは進み米原駅に到着。無事に帰宅することが出来ました。
 山門とか~山とかとあったらよーく調べてからにしましょと反省したことです。
 
 先週当たりは日本中の紅葉の名所が紹介されております。ほんの身近なところにも注意して見ますと綺麗な色をみることができますね。近くも眺めましょと自分に言い聞かせております。

        近くの紅葉

 これはマンションから眺めた11月26日の紅葉です。華やかではありませんがホットします。

 報告 一ヶ月前と余りに違った私の歩行の問題、帰宅し数日後に体重を量りましたら3㌔も増えています。原因が分かったようで安心しました。脚は気の毒に大きな塊を運んでいたのです。
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紅葉に始まり紅葉で終わる旅

 旅の最終章は有名な平等院と石山寺。奈良を後にしまた京都。宇治の平等院は50年ぶり。
 
 50年前の9月、伊勢湾台風が近畿地方を直撃。その一ヶ月ほど後京都に出張。折角だからと調査の後、宇治の黄檗山と平等院を訪ねました。案内して下さった上司は平等院と親しく、同行した心理学の堀淑昭先生と私も庫裡に招じられ歓待して頂きました。以来平等院の鳳凰殿は映像で眺めることも多く、その姿は確りと頭に収められておりました。
 50年前の鳳凰堂の参詣者や見学者はそう多くなく、一番目についたのが修学旅行の生徒たちでした。
 今や高齢者が次々とバスから降りて来ます。
 道しるべに従い境内を進んでゆきますと「平等院ミュージアム 鳳翔館」の見学となります。
 最新の技術を駆使した想像復元の平等院の姿に触れることになります。華やかな色彩。贅を尽くした材料と彫の組み合わせ。いたるところに金箔が施された鳳凰殿を目にすることが出来ます。
 想像復元とは言え、専門家が精根傾けて検証、映像の技術も加わり、私は目を見張り古の鳳凰殿の姿に感動しました。

          平等院正面から

          平等院違う角度から

          平等院鐘楼

          平等院の紅葉

          平等院の色

 平等院を後にし、いよいよ最後の訪問地。石山寺に向かいます。
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小雨の奈良公園

 二日目の宿は有馬温泉の「メープル有馬」という宿。マンションと同居のホテルですが昨日と違い温泉があります。
 夕食は椅子席ですので助かります。二人は向かい合いに座るように用意されており、殆んどの方が浴衣姿です。
 並んだ料理は下のような物です。何処でも感心するのは一人用の鍋です。
 「これって良いわね。食べ過ぎないしなんとなく豪華に見えるしね」と言いましたら夫は即座に駄目っという表情で首を横に振ります。一つは嫌いな物が載るのが嫌なのです。それに忙しないこと。分かります、分かります。

           有馬の夕食

           有馬の夕食

 清水坂の日月庵と違いゆっくりと出来ました。ただこれはかなり意志強固が要りますね。皆さん概ね早くに席を立ちます。私はアルコールを手にゆっくりとしたいのです。普段の食は将に自己決定と作成、自己評価ですが、旅ではそうは行きませんね。半分覗き、味わい、それを批評するという意地悪バーさんになります。参考になることを見つけるのもまた楽しみの一つです。

 三日目は宿を早く出発。先ず奈良公園に行きました。私はここに行きたかったのです。
 東大寺の中に入りぐるりと廻り奈良公園の案内の方の後に付いて移動をします。耳が遠く足がのろいのでどうもよくありません。これは私の失敗。事前に詳しく調べて置くべきでした。

          東大寺大仏殿

          大仏殿模型

          雨中の公園

          奈良公園の鹿

          柳と鹿

          奈良公園の紅葉

 奈良公園では紅葉を眺めると言うことより、大仏殿を始め園内の寺院をゆっくり時間を掛けて廻るのが正しいことでしょうが、そこがツアー。全て時間に合わせて行きます。事に合わせて時間を決めるという訳ではありませんね。
 昼食は若草山の前に位置する大きな土産屋の二階。茶がゆということで席は私たち以外にも大勢を待つ用意が出来ております。
 添乗員も公園の案内の方も「間違っても、迷っても必ず時間までには来てくださいね」と念を押していました。
 私たちと話の合う杖を使っているご夫婦は、歩くのは難儀なのでタクシーで廻って貰ったと話し、昼食の場所に見えました。とても良く案内をして下さったそうで、そうだこんな方法もあるんだと頭に入れておきました。それなりの知恵と機転ですね。
 
 次は京都は宇治の平等院です。

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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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