網膜剥離の手術
2010/01/30 (Sat) 09:24
1984年夏 網膜剥離の手術を受けたことは2006年6月5日にも書きましたが、私の手術は剥離の大きさにしては成功しました。
その前年の夏ごろ 千葉県に住む大学のクラスメートが奥様同伴で私の勤務先に訪ねて来ました。日大病院の眼科に来たと言うことです。詳しく聞きますと前の歳末に突然網膜剥離が起きたのですが、その時には大変な病気とは気がついてもいなく、また病院も正月休みに入っていて診察が受けられなかったそうです。新年早々網膜剥離と診断され手術を受けましたが手遅れだったらしく、その後おもわしくなく紹介されて日大病院に見えたと分かりました。
網膜剥離と言う目の病名を初めて耳にしました。そのことを知っておりましたので、同じ轍を踏むこの無いようにと医師の指導を確りと守りました。
右目の上の方に剥離が起きているので先生は「あなた知り合いに会うでしょうが、頭を下げてお辞儀をしてはいけませんよ。変な人と思われてもそうしなければ駄目です」と。その日は土曜日でしたから知り合いに会うこと無く済みました。
先生の紹介で井上眼科に行き、診察を受けましたら「大きい」と先生が呟きました。一瞬クラスメートのことが頭をよぎり、失明するのはいやーと言う意識が強く湧いてきました。
それから仕事場に行き、頭を下げないように腰を屈め、引きだしの中の書類を出して、連絡することや必要な事項を書き置き、駆けつけた夫の車で横になり、帰宅しました。
井上眼科で指示されたこと 頭を肩より下げてあお向けで寝ること。それでその通りに頭を下げて三日二晩を過ごしました。食事も出来るだけ短い時間で食べ、後はトイレに立つだけ。
月曜日に入院してからいろいろな検査。
火曜日の夜から手術が始まりました。手術室に入る前に安定剤の注射を受けストレッチャーで運ばれました。
部屋は明るく左目は塞がれ、右目は大きく器具で開かれて安定されます。局部麻酔ですから部屋の様子は良く分かります。
私の神経は研ぎ澄まされ、先生方の動きや言葉を聞き取ります。会話の中で学会の話などをしております。
あー良かった。先生方の言葉が聞こえなくなれば緊張して大ごとなはず。安心しましたね。
そして予約してあった部屋に運ばれました。月曜日の部屋はとりあえず空きベットでしたので、自分の術後の部屋がどういう部屋になるのか全く知っておりませんでした。
ですから真っ暗な部屋での両眼帯。診察は先生がライトをお持ちになります。そういうことですから、ニコライ堂の姿が眼の前に現れた時の感動は言葉に表せることが出来ません。
網膜剥離は両眼性といわれております。術後5年ほど経ち、私も左目に剥離が起きそうなことが定期検査で分かりました。検査の後夜まで待ちレーザー90発を受けて剥離を止めました。
半年ごとの検査が長く続きました。
今病院は拡張されて隣のビルに移っております。受付ロビーから過っての職場のビルが良く見えます。
手術をして下さった竹内忍先生は網膜剥離の手術だけにお見えになっていた先生です。今でも先生のお名前を目にする度に感謝の気持ちが湧いてきます。

私を緊張させて呉れたクラスメートは両眼とも失明状態になっており、今年の年賀状は奥様の代筆でした。
その前年の夏ごろ 千葉県に住む大学のクラスメートが奥様同伴で私の勤務先に訪ねて来ました。日大病院の眼科に来たと言うことです。詳しく聞きますと前の歳末に突然網膜剥離が起きたのですが、その時には大変な病気とは気がついてもいなく、また病院も正月休みに入っていて診察が受けられなかったそうです。新年早々網膜剥離と診断され手術を受けましたが手遅れだったらしく、その後おもわしくなく紹介されて日大病院に見えたと分かりました。
網膜剥離と言う目の病名を初めて耳にしました。そのことを知っておりましたので、同じ轍を踏むこの無いようにと医師の指導を確りと守りました。
右目の上の方に剥離が起きているので先生は「あなた知り合いに会うでしょうが、頭を下げてお辞儀をしてはいけませんよ。変な人と思われてもそうしなければ駄目です」と。その日は土曜日でしたから知り合いに会うこと無く済みました。
先生の紹介で井上眼科に行き、診察を受けましたら「大きい」と先生が呟きました。一瞬クラスメートのことが頭をよぎり、失明するのはいやーと言う意識が強く湧いてきました。
それから仕事場に行き、頭を下げないように腰を屈め、引きだしの中の書類を出して、連絡することや必要な事項を書き置き、駆けつけた夫の車で横になり、帰宅しました。
井上眼科で指示されたこと 頭を肩より下げてあお向けで寝ること。それでその通りに頭を下げて三日二晩を過ごしました。食事も出来るだけ短い時間で食べ、後はトイレに立つだけ。
月曜日に入院してからいろいろな検査。
火曜日の夜から手術が始まりました。手術室に入る前に安定剤の注射を受けストレッチャーで運ばれました。
部屋は明るく左目は塞がれ、右目は大きく器具で開かれて安定されます。局部麻酔ですから部屋の様子は良く分かります。
私の神経は研ぎ澄まされ、先生方の動きや言葉を聞き取ります。会話の中で学会の話などをしております。
あー良かった。先生方の言葉が聞こえなくなれば緊張して大ごとなはず。安心しましたね。
そして予約してあった部屋に運ばれました。月曜日の部屋はとりあえず空きベットでしたので、自分の術後の部屋がどういう部屋になるのか全く知っておりませんでした。
ですから真っ暗な部屋での両眼帯。診察は先生がライトをお持ちになります。そういうことですから、ニコライ堂の姿が眼の前に現れた時の感動は言葉に表せることが出来ません。
網膜剥離は両眼性といわれております。術後5年ほど経ち、私も左目に剥離が起きそうなことが定期検査で分かりました。検査の後夜まで待ちレーザー90発を受けて剥離を止めました。
半年ごとの検査が長く続きました。
今病院は拡張されて隣のビルに移っております。受付ロビーから過っての職場のビルが良く見えます。
手術をして下さった竹内忍先生は網膜剥離の手術だけにお見えになっていた先生です。今でも先生のお名前を目にする度に感謝の気持ちが湧いてきます。

私を緊張させて呉れたクラスメートは両眼とも失明状態になっており、今年の年賀状は奥様の代筆でした。
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