2010-01

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網膜剥離の手術

 1984年夏 網膜剥離の手術を受けたことは2006年6月5日にも書きましたが、私の手術は剥離の大きさにしては成功しました。
 その前年の夏ごろ 千葉県に住む大学のクラスメートが奥様同伴で私の勤務先に訪ねて来ました。日大病院の眼科に来たと言うことです。詳しく聞きますと前の歳末に突然網膜剥離が起きたのですが、その時には大変な病気とは気がついてもいなく、また病院も正月休みに入っていて診察が受けられなかったそうです。新年早々網膜剥離と診断され手術を受けましたが手遅れだったらしく、その後おもわしくなく紹介されて日大病院に見えたと分かりました。
 網膜剥離と言う目の病名を初めて耳にしました。そのことを知っておりましたので、同じ轍を踏むこの無いようにと医師の指導を確りと守りました。

 右目の上の方に剥離が起きているので先生は「あなた知り合いに会うでしょうが、頭を下げてお辞儀をしてはいけませんよ。変な人と思われてもそうしなければ駄目です」と。その日は土曜日でしたから知り合いに会うこと無く済みました。
 先生の紹介で井上眼科に行き、診察を受けましたら「大きい」と先生が呟きました。一瞬クラスメートのことが頭をよぎり、失明するのはいやーと言う意識が強く湧いてきました。
 
 それから仕事場に行き、頭を下げないように腰を屈め、引きだしの中の書類を出して、連絡することや必要な事項を書き置き、駆けつけた夫の車で横になり、帰宅しました。
 
 井上眼科で指示されたこと 頭を肩より下げてあお向けで寝ること。それでその通りに頭を下げて三日二晩を過ごしました。食事も出来るだけ短い時間で食べ、後はトイレに立つだけ。
 月曜日に入院してからいろいろな検査。
 火曜日の夜から手術が始まりました。手術室に入る前に安定剤の注射を受けストレッチャーで運ばれました。
 部屋は明るく左目は塞がれ、右目は大きく器具で開かれて安定されます。局部麻酔ですから部屋の様子は良く分かります。
 私の神経は研ぎ澄まされ、先生方の動きや言葉を聞き取ります。会話の中で学会の話などをしております。
 あー良かった。先生方の言葉が聞こえなくなれば緊張して大ごとなはず。安心しましたね。
 そして予約してあった部屋に運ばれました。月曜日の部屋はとりあえず空きベットでしたので、自分の術後の部屋がどういう部屋になるのか全く知っておりませんでした。
 
 ですから真っ暗な部屋での両眼帯。診察は先生がライトをお持ちになります。そういうことですから、ニコライ堂の姿が眼の前に現れた時の感動は言葉に表せることが出来ません。
 
 網膜剥離は両眼性といわれております。術後5年ほど経ち、私も左目に剥離が起きそうなことが定期検査で分かりました。検査の後夜まで待ちレーザー90発を受けて剥離を止めました。
 半年ごとの検査が長く続きました。

 今病院は拡張されて隣のビルに移っております。受付ロビーから過っての職場のビルが良く見えます。
 手術をして下さった竹内忍先生は網膜剥離の手術だけにお見えになっていた先生です。今でも先生のお名前を目にする度に感謝の気持ちが湧いてきます。

           井上眼科からの母校

 私を緊張させて呉れたクラスメートは両眼とも失明状態になっており、今年の年賀状は奥様の代筆でした。
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1984年夏 網膜はく離

 1984年の夏 毎夏に開かれる職場の研修会で箱根に出かけ、研修が終わり夕方職場に戻りました。
 座っていますと何かおかしい感じがします。見える物に違和感があります。目薬を注しても変化が見られません。
 どちらの目がおかしいのかと片目をつぶり見ますと、右目に黒い部分日食のような物を発見しました。これはどうも普通ではないと家に戻りました。翌朝また試してみますと矢張り見えます。
 直ぐに出かけ御茶ノ水に行き、医師に見て貰いました。「これは網膜剥離ですから、直ぐ手術をしなければなりませんよ」と井上眼科病院に紹介されました。
 病室が無く、一旦家に戻り知らせを待ちました。二日後に入院翌日手術を竹内忍先生の執刀で無事に終え、病室に運ばれました。両眼帯ですから部屋の様子も全く分かりません。食事も介護の方が口に入れて呉れます。
 両眼帯の左目の方は一週間ほどで外すことが出来ました。
 カーテンが少しづつ開かれて日が過ぎて行きます。10日ほど経ちカーテンが完全に引かれました。
 
 井上眼科の病室の窓は一枚ガラスで大きく、その日の空は夏空で雲は全く無く、さぞ暑い日であったろうと思います。私はそこに現れたニコライ堂に魂の震えるような感動を覚えました。窓ガラスが額縁のようになってニコライ堂は一幅の素晴らしい画となっています。その感動は生涯忘れることは無いでしょう。入院中に耳に響いたガラーンガラ―ンとゆったりと鳴る鐘の音。鐘楼に昇る人の姿。思い出します。
 
 昨日NHKTVでブラタモリという番組は神田を廻るタモリがあちこちを紹介しておりました。古書街、湯島聖堂とニコライ堂。ニコライ堂の中や鐘楼もTVの中で見ることが出来ました。
 退院して既に26年が経とうとしております。鐘の音を聞くのは退院以来初めてでした。

           ニコライ堂

           神田川

 聖橋は湯島聖堂とニコライ聖堂(ニコライ堂)とを結ぶ橋から聖橋と名付けられたそうです。上の写真の奥に見える橋です。
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犬猫談義

 チャイナドレスの受講している方何人かが犬や猫を飼っています。ウサギを飼っている方が二人もあり、それぞれの方の話を聞きますと驚き、大変だなーとしばしば思います。
 
 昨日の話 小型の犬を6匹飼っている方のこと。以前その内の一匹がガンの手術を受け、抗がん剤を打っているということは書きましたが、その犬、今度は膀胱炎に罹り治療を受けたそうです。
 そうこうしている内に別の一匹の様子がおかしく、何となく沈んでいるので心配になり、病院に行きましたら「この子は何でも口にしますか」と問われ「何でも食べます」すると医師は「お腹に異物があります」ということで入院をすることになったそうです。
 入院は三日で済み、今回は手術をせず、洗浄だけで何とか回復したそうです。さぞ心配したことでしょう。そのために忙しくて先に進めませんでしたと話しておりました。(私の心 進んでなくてもいいのよ)

 オスの三毛猫を飼っている方の話  紐を食べると言うか口にするのが大好きで以前電燈の笠の吊り紐を飲み込み、大手術を受けたということも書きましたが、その猫は内臓に異常があったのだそうです。臓器がお腹の上部にまとまっていて、そのことは紐の摘出手術をした時に分かり、術後普通の位置に収まったそうです。いろいろとあるものですね。

 犬は人の罹る病気と同じ病気に罹るそうですが、そう聞きますと油断は出来ませんね。

 昔実家で飼っていた犬 バスに後ろ脚を轢かれました。弟が一番近い獣医さんに連れて行きましたが、難しいことだったようで埒があかず、和光堂だったか明乳だったかの獣医さんの処に連れて行き手術を受けて回復しました。ですが後ろ脚は不自然に引き歩きます。セパートで、頭よく私たちが暫らくぶりに行きましても覚えていました。
 
 高齢になり聴力も衰え、毛はゴワゴワとなり白髪も増え、やがて毛も抜けて来て皮膚が見えるようになりました。
 声をかけ呼びますと首を此方に向け、寝たまましっぽを僅かに持ち上げパタンと小さな音を響かせで答えます。

 聞くところによりますと、最近は馬や牛の獣医さんのなり手が少なくなっており、畜産家の悩みになっているそうですね。ペットの獣医さんの方へと進む方が多いのが原因だそうです。
 犬猫の保険はないと聞いておりましたが、最近はあるのだそうですね。

 昨年5月ころ一階のスーパーで主人を待つ犬を見ました。その目が実に可愛く、ご主人に早く来てーと訴えているように感じられカメラに収めて時々眺めておりました。そう若いとは思えませんがどこかあどけなさがあります。

           可愛い目

 二週間ほど前 同じ場所でこの犬が繋がれ同じ様な姿勢でご主人を待っております。その姿に愕然としました。毛が抜けた体と老いた顔がそこにあります。名も知らない犬ですが切なく憐憫の情とはこういうことかしらと思ったことです。
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空は晴れ晴れ下は?

 昨日の空は紺碧と言う言葉がピッタリ。風が強く雲を蹴散らしております。
 霞が関駅で地下鉄利用の良いガイドブックを頂きました。頂いたと言うのではなく取って来たと言うべきでしょうね。千代田線から下に下りて駅事務室の横に行き、そこで勝手に貰って来ます。老人には役立つと持ち帰りました。

            ガイドブック

 霞が関ビルで旧知の先生と落ち合いました。何時もの通り先ず総理官邸と議事堂を眺めに行きました。そこに中高年の女性4人が下を眺めております。眺望は素晴らしく西南方向に富士も姿を見せております。
 女性4人「ねーねー議事堂ってあんなに小さいの?」「初めて見たー」と大声を出し喜んでおります。そこでおせっかいの私「下に見えるあそこが総理官邸、遠くに見えるあのビルはサンシャイン、左に富士山も見えますよ」こうなります。

         議事堂

         総理官邸

         富士山を望む

 東海クラブレストラン「けやき」の昼は随分混みますので座席の予約を入れて置きました。窓際の席から東京湾さらに房総半島まで見渡せます。
 何時もですとレディースランチを★★★★★と言いながらオーダーをすのですが、この数日いささか飲みすぎか、食べすぎかの状態でしたので、胃腸に余り負担の掛からない物をお願いしました。我儘申し訳ないです。
 リゾットは一口位は食べたことはありますが、自分のためのは初めてです。
 確りと良い味でした。

         リゾット

 久しぶりの集まりでした。話題はどうしても学生や若者像になります。それは普段聞くことが出来ない話題ですから有難い情報です。
 ところが女性二人は高齢者。老いて行くさまざまな姿を若い先生にお聞かせすることになって仕舞いました。
 歳を取ることの険しさと現実の姿。身の回りを眺めますと深刻なケースが多々あり、ケースバイケースとは言いよう、ですが共通問題として心しなければなりませんね。
 若い先生は奥さまのご両親も高齢ですから参考になりますと優しい言葉を口にされました。

 今朝のニュースを聞きますと、昨日の議事堂内では度々中断するような与野党のバトルが展開されていたそうですね。上から眺めますと全く気配は分かりません。当たり前です。
 それにしても選良は確りと政治に取り組み国民の不安を解消して頂きたいものです。
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セットで保存

 この頃友人との話の中に老人生活のいろいろな姿が出て来ます。勿論自分のこともですし、共通の知人や友人のことも出て来ます。自ら戒めるべきことも分かり、他の方から見習うことや、教えられることも多々あります。
 最近老人食のことから、一人住まいのおば様の話になりました。友人によりますとおば様は働き者で料理も得意で、肉や魚も確りと食べていたそうです。
 それが80歳を超えてからは食が細くなり、食べるものも保存食中心となっていると。
 毎回の総菜は全部パックに収め、それをお盆に並べそのまま冷蔵庫に入れて置き、出しては食べ、また仕舞うということだと聞きました。
 なるほどと参考になるなーと聞きました。
 
 さて我が家 眺めて見ますとお盆に並べて仕舞う訳ではありませんが、出したり入れたりは同じ様なことです。
 夕食は少しましですが、朝はこんなような物です。食べる量が少ないので、次々と残ってしまうということになります。で味噌汁だけを作って終わりという日もあります。でもねーです。作るのが少ないと美味しくないんですよ。

       1月22日

       1月23日

       1月24日

       1月25日

 一日30品ということが良く聞かれた時がありました。このような朝食ですが、他に味噌汁と焼きノリが必ず付きます。味噌汁は具は2品それに吸い口としてネギなど。卵は生で食べる時には黄身だけにして白身は味噌汁に入れます。
 そうしますと煮物とその他合わせ、一日の種類は簡単に30品目は取れます。
 納豆は夫は医師から止められておりますので、私は自分で食べたい時に摂るようにしております。
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老師のお粥

 昨日紹介しました、教室での臘八粥ですが、材料は下記のような穀物や干し果実です。 
 以前見せて頂いた物がありますのでご覧になって下さい。

           臘八粥材料

 今年の材料は 白米・もち米・黒米・玄米・ハト麦・小豆・白いんげん・棗・落花生・栗・クコの実・桃の核・無花果・ユリ根・銀杏・サンザシの実
 以上16種類です。
 作り方ですが、煮え難い物から順番に3回に分けて入れてゆっくりと煮込むのだそうです。忍耐が要りましょうね。
 老師は生徒に中国の文化を教えたくて一所懸命に作ったことと思います。
 鍋やお玉、それに茶碗、箸まで全部持ち八王子から柏まで担いでお見えになったのです。
 味は甘さが柔らかく舌に感じられます。

           私が頂いた粥

 お粥以外にも餃子や肉餅なども実習しました。何だか中国通のような気分になります。
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臘八粥

 中国語の授業ですが、今週は4人とも出席。先週の「四老こそ」にコメントを頂いた臘八節の次の日とあって老師は矢張り臘八粥をお持ち下さいました。農耕社会の習慣でしょうか。粥に入っている物は全て穀物。今年のは16種類。最低でも八種類は入れなければならないそうです。越豊富越好と言われ、沢山の穀物を入れるほど良いのだそうです。
 時間がかかりますから老師は早朝から取りかかり、奥様から「ママゴト遊びをやっているようだわね」とからかわれたそうです。この数年ご馳走して頂いております。
 一昨年の画像を同学の男性が保存してあり、送って下さいました。

           一昨年の粥

     昨年のは探しましたら手元にありました。

         昨年の粥

         今年の粥

 臘の簡体字は月偏に昔を合わせた字です。臘月は日本と同じく12月を指しますが、農事暦です。
 暮れから新年へと過ごす時の食べ物は北と南で違うそうです。北の食べ物は餃子ですが、南ではお餅になるそうです。
 老師は北京出身ですから、北京のことが中心になります。
 12月8日からは年の暮れから春節へとの行事の始まりです。

         授業

 子どもたちは年末のしなければならない事柄を童謡(過年兒歌)で確りと覚えて行くのだそうです。
 
 中国青島の春節を迎える為の品物を売る露店の画像をご覧ください。赤、赤、赤で埋まっております。

         露天の赤

 いろいろな話がありましたが、家を守ると言う中国の人の変わらぬ意識を感じます。昨年は春節に故郷に帰る人が雪のため、足止めになり、大変でしたが今年はどうなりましょうか。
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馬子にも衣装

 馬子にも衣装と言いますが、私の作るちりめん山椒や牛そぼろ山椒などもそれに近いことをしております。
 要するに飾りです。
 時々作る物を贈る時。味の保証はしませんが安全の保証をと添え書きをしております。
 そのパックに貼るラベルをPCの先生に作って頂きました。そしてそれを貼り差し上げております。人は私がそこまでやるのかと驚きます。でもそれはサポートして下さる方がいてこその話で、自分は只管作り、パックに詰めているのです。
 先日作った夏ミカンのマーマレードもまたラベルが欲しくなり、昨朝メールで画像を送り、厚かましくお願いして仕舞いました。数時間後お会いしましたら出来あがっておりました。嬉しいですね。お友達にも自慢げに送ることができます。夏ミカンは段ボールで頂きましたので、毎回五個づつ作って冷凍しております。ですのでマーマレードには製造月日と賞味期限を入れてありません。

          ちりめん山椒のラベル

          牛そぼろ山椒のラベル

          マーマレードのラベル

 こうなりますと次は何を作ろうかなーと思っております。チョッとお調子者かな?
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四老こそ

 先週の中国語の授業は生徒は男性一人と私の二人。何しろ生徒は4人しか居りませんから月4回の内、一人の日や二人の日もあります。
 土曜日の3時半からと言う時間帯が悪いのかも知れません。なかなか新人が入って来ません。見学には見えるのですがね。

 年末に老師は北京に行ってきました。何時もの通りお土産話で愉しみました。が悲しい切ない話も聞くことになりました。
 老師夫妻は大学の同級生。どうも老師はトップの生徒だったらしいのです。奥様はかの有名な蔡鍔将軍のお孫さん。
 その老師夫妻の同級生で北京に住む王さんのご主人が末期ガンで亡くなったそうです。そのことは別の同級生から電話で伝えられて来たそうです。病院に行った時には末期の肺がんということで、手術をしても本人の苦痛が増すだけだということで、手術は受けずに亡くなられということです。

        授業風景1

 老師は北京に行きますと必ずクラスメートと旧交を温めて来ます。美味しい安い店に集まるようです。
 今回は北京に行き直ぐ王さんに電話をしますと驚き「どうして知っているの」と言うことで、他の方から知らせがあっと弔意を伝えたそうです。その時に皆さんで集まるので出て来ませんかと誘ってそうです。
 王さんは「そのような気分になれません。私の心は未だ夫のことから離れずにおります」と。
 
 その話を帰ってから蔡夫人に話ましたら夫人の態度が変わったと言うことです。これには以下のオチがあるのです。

 『老師はかねがね恐妻ぶりを話しておりますので「毎日昼間は苛められています」と仲間に話したと言いますのですかさず私が「どういう風に」と聞きますと、昼食を作るのに命令されているが、何を作るのかを彼女に聞くと自分で考えなと言われ、作ると不味いと言われるのです』「前回のブログの何でもいいと言う亭主は幸せですね」
 
 ところが前述のように態度が変わったと。そこから四老の話になりました。
 老いてくると何が大事で、何が必要かということです。
 四老が如何に大事且つ身近な問題かを話されました。年金の問題、住居の問題、医療制度の問題などなどいろいろな角度から見てのことだと納得します。
 
       老師の言う四老とは
 
     老寓兒 (住みなれた住居)
     老底兒 (老後の蓄え)
     老伴兒 (共に生きた伴侶)
     老友兒 (昔からの友人)

          
         四老から発展した話


 そこでどれが一番かと言うことです。老師曰く伴侶です。分かりました。夫人は気が付いたのです。
 中国では離婚が増えているそうです。若者とか老人とかに関係なくと言うことですが、黄昏の恋で結ばれた夫婦の離婚が多いそうです。老師は習慣も、食べ物も、考え方も全て違って生きて来た者同士ですから、合わないのが当たり前。お金や住所は何とかなるけれど伴侶は出来ませんと。きっとこういう話をさりげなく夫人と話されたのかも知れません。
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何でもいいというメニュー

 人はいろいろ、家庭での料理もいろいろ、家族の注文もいろいろ。
 ある日友人とお喋りをしておりますと「どうして男は何でもいいなんて言うのかしら。あなたの御主人はどーお」
「同じよ。内でもそういうことは良くあるわよ」「でそういう時どうするの?」
「内は何時も煮物と何かチョッとだから、後は適当にね」
 友人は「内には何でもいいなんてメニューはありませんと言ってやるの」
 なるほどね。笑っちゃいましたが何だか感心してしまいました。
 夫も何でもいいと言いますが、まー煮物があればあとは適当でも黙っています。
 煮物は良いねと言っては呉れますねので、まー良いかと納得しております。
 
 そこで毎度の我が家の煮物の出番。何でもいいような取り合わせです。相も変わらず赤、黒、茶色の地味なトリコロール。こんな地味な国旗はありますかね。

        大根・人参・昆布

        焼き豆腐・人参・昆布

        大根・切り昆布・豚肉

        大根・人参・揚げ・昆布

        ガンも・里芋・人参・昆布・こんにゃく

        椎茸・ハス・昆布

 昆布の出番が多いのは毎朝出汁をとるので、勿体ないので使います。料理の本などに出汁をとった後の昆布は佃煮に出来ますとか、しましょうとかありますが、そうは溜まりませんし、冷凍したら忘れるのがオチですから、早々と胃の中に仕舞います。
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新しい携帯用ストラップ

 今朝新聞受けを開けますと、新聞に続いて小さな封筒が出て来ました。裏に名前が書いてありますので、不審物ではありません。
 開けて見ましたら素敵なストラップとメッセージが現れました。以前下さったストラップの紐が切れたと聞いた彼女は「直しますから持って来て下さい」と預かって下さいました。
 サッカーのワールドカップを記念したもので、私も好きでずーと下げておりました。

 新しいストラップは2010年のワールドカップにちなみブラジルとアメリカを組み合わせてあります。早速携帯に付けました。きっと誰かが気が付き「素敵ねー!」と言う筈です。

          新しいストラップ

          前のストラップ

 彼女はオパール・ネットワーク我孫子支部の会員の一人です。自宅でビーズ織りを教えております。聞くところによりますとビーズ織りのデザインはパソコンで作り、一目一目キチンと織って行くのだそうです。
 織り機に縦糸をはり、細かいビーズを間違いないように入れて行くのだそうです。随分前に知人のビーズ織りのワッペンを見た時にはモダンで落ち着いて、センスも良くてビーズ織りとは何と素敵かと、感心しておりました。
 
 もう私にはとても出来なーいと、決め込んでいましたから、こうして素敵な物を頂くと浮き浮きします。
 彼女が地域の秋の文化祭にビーズ織りの織り機を展示しましたので、その仕組みやご苦労のほどが分かりました。
 ビーズ織りを見た方が、どうやって織るのかしらと疑問を感じることへの親切な気配りが感じられ、私も良く眺めて来ました。

          織り機と作品作り

 ビーズは一つでもおろそかにしてはならないので、目も疲れることでしょう。大きな物は何カ月も掛かるのではと思っております。
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長崎から初荷

 長崎に住む金子数栄さんの毎日をデジカメ日記で興味深く拝見しております。
 16日の画面で見たウニのは綺麗で美味しいそうです。少し前に暮れに食べたウニがまた食べたく、メールをしておきました。
 17日のを見ましたら、ご注文の方へとあり、ウニ、カキ、ナマコとセットされそれに干し柿とレモンのおまけ。
 順番に注文した方に送っているのかしら。私のはいつ来るのかしらと思っておりました。
 来ましたよ。「長崎からの初荷」見ましたらブログにあった品物が全部揃っております。

        初荷

13日の雪景色に吊るし柿が簾のようにぶら下がっております。あの柿はどうするのかと、随分失礼な勝手なことを思っておりましたら、多分来たのはその柿でしょう。

        吊るし柿

 一昨年だったと思いますが、金子さんのカキを引き揚げる姿を拝見し、取り込んで置きました。逞しいですね。東京でサラリーマンだったとは思えません。耕運機や脱穀機などを操作し、樹の上に小屋を作り、機織りをする。

        カキ網を引き揚げ

 昭和17年生まれとは思えない、活動ぶりですね。自給自足を一番にしている生活と伺っております。
 考えれば全て自分で差配出来る生活。今度は燻製窯が出来あがったそうです。
 先日燻製はどうでしょうかと尋ねましたら、窯が壊れて修理中なので、完成したらお知らせしましょと返事を頂いております。
 何時便りがあるのか楽しみです。

        手作り燻製窯

 金子数栄さんのHPタイトルは 「田舎暮らし狂想曲」ここからお入りください。
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素晴らしい剪紙

 中国の剪紙の色は殆んど赤ですね。赤は中国語では紅と言います。
 お目出たいことを表す言葉や模様が切り紙で表現されております。とりわけ私たちが目にする物に双喜と言われる物があります。喜喜を二つ一緒にした字を書いたものです。
 正月や結婚式の祝いの家に貼られているのをよく見ますね。

 中国で昔からの民間信仰や口伝で伝わる縁起物を切った素晴らしい剪紙のハガキを見つけました。15年ほど前のことです。「吉祥百圖」です。ハガキ100枚に吉祥模様を色鮮やかな剪紙が印刷されております。
 百圖の模様には花鳥童子獣などをモチーフに切られた物、民間に伝わる吉祥の物語なども加えられております。
 百圖の説明を読みますと、作者は切り紙だけでなく、さまざまな伝統的な技法に通じている方です。

            表紙


 発行は 台北の漢聲雑誌社  
 
 作品の作者は 山東民藝家于平・任憑夫妻 文の紹介は張玉頴女士

 今年は寅年ですので虎のを見て見ました。

            虎

            虎

 上のは家を守る虎、下のは5種類の悪い虫などを食べて仕舞うと言う、人間を守る動物として扱われております。
 ハガキにする為に制作されていますので、買った当初は中国語の仲間やチャイナドレスの友人に出すようにしました。途中で全部使って仕舞うと手元に残らなくなって仕舞うと気が付き、急いでまた取り寄せました。
 大事にしており、時々取り出して眺めております。良い言葉が沢山見られますし、中国の普通の人々の心の拠り所のようなことを知ることが出来ます。
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マーマレード作り

 取手に住むオパール・ネットワークのメンバーの吉澤文五郎さんの庭にはいろいろな生り物の樹があります。
 庭のあちこちにこれまた羨ましい野菜などが植えられております。いろいろな物が身近にあり採れたてを食べていられることが分かります。マンション族には羨ましい生活ぶりです。
 
 吉澤さんはEM農法で作物を作っており、数年前までは米作もされておりました。毎年のように我孫子の仲間とお邪魔をする焼き筍の会も快く引き受けて下さいます。その際には竹炭焼きも楽しませて頂きます。
 私が無農薬の夏ミカンを欲しがっていることをご存じで、昨年もでしたが先日私宅まで届けて下さいました。
 隣接している市とは言え、有難いことです。
 早速マーマレード作りをしました。
 以前にこのマーマレードのことは書きましたが、作り方は同じです。前回は具体的な作り方は書いてありません。
 
 こんな具合ですがどうでしょうか。

 夏ミカン 5個  グラニュー糖  500g  
 ペクチン 少々   コアントロー 少々

 夏ミカンの皮を剥ぎ刻みます。厚い深鍋で三回茹でこぼします。果肉は袋から取り出します。果肉は皮をむいた物を半分に割り、袋の背中に切り込みを入れ、二つに分けられた袋から手で取り出します。簡単で早く出来ます。
 皮の茹でが終わりましたら鍋に入れ、その上に果肉と砂糖を被せるように入れます。
 火をつけ少し経ちますと煮上がってきます。後は弱火にしてじっくりと煮詰めます。
 大方煮詰まったなーと思ったらペクチンを少々振りいれ、かき回します。
 火を消したらコアントローを振りいれてサーと混ぜて出来あがり。
 
          マーマレード

 下の画像は前回(08年12月27日)掲載しましたが、もう一回掲載して置きます。包丁が切れませんと駄目ですね。疲れます。

          準備

 料理は本当に数知れずいろいろとあり、また作り方も沢山ありますね。自分の知っているものや作れるものは知れておりますね。
 そのような世界ですから、興味はつきません。ですが一つだけ私の出来ることは聞かれれば何回も同じものを作ると言うことしょうか。
 そんなことで自己弁護の繰り返しで毎日台所に向かっております。
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雪も何の其の

 いやー!とは女性の言葉ではないようですが、いやー!です。
 暖かいのが当たり前のような九州にも先日雪が降ったそうですね。それも可なりのようでどんな感じかしらと思っていました。長崎と鹿児島の方の様子を知り、びっくりしました。凄く降ったのですね。
 長崎市で民宿の親爺、カフェのマスターと言いながらも漁師や農夫も名乗る金子数栄さん。13日の降雪の後、すぐさまスキーの板を持ち出し楽しんだようです。でも最初はへーと驚いたのですが、クロスカントリーもされると言うことを思い出しました。金子さんにしてみればどうってことないのですね。何の其のですね。

           スキー板を持ちだし

 金子さんのブログ日記は三日でお終い、PCを覗きこんでも消えたものは見られません。毎日見ておりますが矢張り九州は暖かいのですね。1月13日のスキー姿を見ている内に14、15日となりました。
 積雪は16㎝と書いてありましたが、15日の画像はもう雪が大分溶けております。

           目白も来る雪解け

 気になりブログの記事を書く途中で金子さんのデジカメ日記を開けて見ました。スキー姿がもう消えているのです。
 取り込んで置き良かったです。今日はウニとナマコが良く獲れたそうです。若しかしたら私の口に入るかもと期待してしまいます。

 長崎より南の鹿児島でも沢山の雪が降ったそうです。鹿児島に住む西村唯雄さん(小学校の友達)の家の車庫や庭にも随分降ったようです。西村さんも活動的ですから雪かきも頑張ったことでしょう。

             西村さん宅の雪景色

 50年ほど前、工学部の川口寅之輔先生から草津行きのバスチケットを頂きました。若いと無茶ですね。スキーの経験もなく着る物も何も持っていないのに、草津に行きました。
 宿から歩いて行けるスキー場に行きましたらもう吹雪で体が飛ばされそうです。やっと宿に戻り、人心地を取り戻したことを思い出します。という訳でスキーが出来る方を見ますと、それだけで感心して仕舞います。私には雪は怖い物です。
 思いだしますと、1952年の冬だったと思いますが、都内全域の交通手段が止まったことがありましたね。今ではとても考えられないことです。
 学校に行けませんから、配給の酒を持ち寄り女山賊の宴となりました。いやー!ですね。

 その後1956年頃の大雪が降った時、大学は休校になりました。山の上ホテルの前の坂道をスキーで滑っている人が何人も見られたことがありましたね。
 暖冬という言葉は何時頃から聞くようになったのでしょうか。
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熊本からの便り

 男性の友人や知人の中でも会合で会う時だけではなく、日常交流のある方が何人かおります。皆さん良い方ばかりで何かあれば励まして呉れます。嬉しいことです。
 暮れに熊本から柑橘類の一種の「スイートスプリング」という珍しい物が届きました。

          スイートスプリング

 この新しい柑橘類のスイートスプリングは1982年に登録されたそうですので知る方は知っていたことでしょう。私は初めて目にしました。皮は無骨ですが甘さが強く酸味は少ない品種で、酸味が受け付けなくなって来た老人向きかも知れません。熊本が産地だそうです。
 送り主に直ぐお礼の電話を入れても通じません。やむを得ず手紙でお礼状を出しました。
 暫らくしてまた電話をしますと奥様が出まして熊本に行っておりますが、正月には戻るでしょうと言うことでした。
 正月に電話をしましたらまだ帰っていないとの返事です。そこで久しぶりだしと思い熊本に電話をしました。やっとお礼を申し上げることが出来ました。
 熊本にはお姉さまが二人おりますが当然高齢ですね。そこで随分前から遠距離介護に出掛けておりました。
 奥様の話によりますと「姉は亡くなりましたが、高校時代の仲間が集まるたまり場に行き、お喋りが出来るようで、それが楽しいらしく」という話でした。
 でも彼の電話から察すると気落ちしているように感じられました。二人ともお亡くなりになって仕舞われ母親を亡くされたような感じではないでしょうか。
 遠距離介護は体力も経済力も根気も要りますね。自分ではしてあげたくても出来ないことも多いことでしょうね。また気持ちは一杯でも現実は厳しく無理な方もあると思います。
 10年ほど前から遠距離介護をしていることで珍しいとマスコミに取り上げられていた男性の方がおります。時間の使い方も見事で感心することもしばしばでした。奥様の理解もあり出来たことですが、それでも音楽会にも行かれたり、講演も引き受けたりされておりました。
 数年前に介護をしていましたお母様が亡くなりますと、何時しか名前も聞こえてこなくなって仕舞いました。何かを喪失されたかの様に感じております。
 どちらのケースも耳にしますと介護を受けていた方は幸せですね。介護をして欲しくても、して貰えないことの多いことも現実です。
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やはり煮物にしましょ

 私の体には醤油の味がしみ込んでいるのでしょうか。昨日も煮物、今日も煮物そして明日も煮物でしょう。
 煮物に少しのたんぱく質を。これが続きます。
 
 醤油は同じメーカの物でも値段が安くなるに従い添加物が増えて来ます。滅多に良い物はセールにはなりません。たまたまそういうことに出会いますと嬉しくなり、多めに買いこみます。
 出汁の材料は毎度変わらず。御徒町の星野商店から取り寄せます。交通費が要りません。

 正月用には材料もいろいろと取り揃えて煮ました。おしゃれに炊き合わせなどにはしません。ですから日常と殆んど変らないものです。
     この時期は何と言っても根菜類が中心になりますね。

         ハス・人参・昆布・牛肉

         大根皮のキンピラ

         がんも・人参・昆布・大根

         削り大根・昆布・豚肉

         長芋・人参・シラタキ・昆布・牛肉

         ジャガ・人参・玉ねぎ・牛肉

 夫は薬との関係で青い葉物や海藻を一度に大量に摂らないようにと医師の指導を受けております。そうなりますと
ホウレン草や小松菜といった物は食卓に載るのも少なくなります。
 結局根菜類の煮物が一番となるのも自然なことと言えましょうか。
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房州の春は早い

 暦の上での大寒は来週。寒さもこのところ矢張り寒中を意識します。
 リゾートイン白浜のHPを見ましたら、10日で終わった長尾橋の案内に代わり花だよりが掲載されております。
 今年は幾らか開花が遅れているそうですが、素敵な花束が見られました。

         花束

  私はキンセンカの花を見ますと自然に懐かしく心が和みます。少女の頃色グロの私は近所の大人から「キンセンカ」と囃されておりました。母が失礼だと物凄く怒ったものです。ですがキンセンカは長持ちします。そして私はその花の芯グロに愛着を持ち続けております。
 房州の花作りは長い歴史を持っております。
 最近発刊された「安房の歴史」(郷土出版社)によりますと
 『南房の花づくりは、鎌倉時代の花園天皇の姫の海難伝説が和田に伝わるなどその歴史は古い。保田のスイセンは江戸で名を馳せていたし、明治以降はテッポウユリの球根養成に始まり、センリョウ、キンセンカが、大正期にはバラ・カーネーション・チューリップなどさまざまな花が作られてきた。温暖な気候と首都圏に近い地理条件から、この地域の花卉は、農家にとって米や野菜に匹敵する有力な作物であった。~以下略』
 このような花ですが戦中は栽培は禁止され、その中で秘かに作り続けた人などもあって命脈を保って来たという話も耳にします。
 私は子どもの頃花作りに励む知り合いの畑を見に行ったことがあります。戦後間もなくですが土地の海女は夏の海でアワビやサザエなどを獲り、夕方帰宅すると畑に行き花の苗作りをします。ストックは何回も移植していたような気がします。
 暮れから春にはその花を都会に出荷します。その頃大変悔しく思ったことがあり、今も思いだします。
 知り合いの海女の出荷した花が市場で安く売られ、仕切りが来ると運賃にも足りないと嘆く声を聞く時でした。
 安く叩かれた房総の花が北の方に送られ、その地では高く売られていると大人たちが話しておりました。
 
 安房の花は一時期「駄花」と言われていたこともあります。仏前に供える地味な花だと言う認識だったのかも知れません。伊豆半島などと比べ下に見られていたのです。これも悔しく思ったものです。
 
 時代は変わり今は春を待ち、咲きはじめた花を訪ねて人々が観光バスで来ております。花作りも勢いに乗っていることでしょう。人が来れば地域の活性化につながることでしょう。嬉しく遠くから声援を送ります。

 南房総市千倉の白間津では小高い畑に沢山の花作り農家の畑が連なっております。空は澄み、太平洋の眺めは遠くまで続き、花つみを愉しむ人が次々見られます。

          花と海

          白間津の花々

 久しく房総を訪れておりませんので、PCの花と空そして海を眺めて懐かしく、愉しんでおります。
 (画像はリゾートイン白浜提供)
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白川郷の民具に重ねて

 今日この頃滅法寒く感じます。暑さ寒さにも平気だった昔を思いますと、嘘のような体になっています。
 戦後1948年に上京。その頃の東京の冬は寒く、郊外では5㌢もあろうかと思われる霜柱が見られました。その頃ナイロンストキングを履ける女性は極一部の人でした。女子学生でもそのストッキングを履いているのは30名程の中で一人しか知りません。私はソックスを履くだけでも平気でした。寒くはありましたが辛くはありませんでした。
 そのナイロンストキングは高価で一足が2000円位もします。ですが米軍関係の女性が履き捨てる中古のストキングは修理されて新宿などのマーケットで買うことが出来ました。それでも一足200円位です。今のようなパンストではありません。不思議な事にあれだけ戦中モンペやズボンを履いていたのに、戦後の若い女性はズボンよりスカートの方が多かったような気がします。
 やっと買った中古のストキングが伝線するとこれまた修理に出します。一本3円から4円位でしたね。
 
 前置きが長くなりましたが、白川郷の雪景色が素晴らしく、多くの方の写す景色に見とれています。雪景色ばかりではなく四季折々の姿もそれなりの魅力で人を引きよせております。
 
 昨秋白川郷を訪れました。大勢の方が集まり、バス停付近は勿論全体に人、人です。夫と私は一番見やすい方法をとり、明善寺を訪れました。
 ここも文化財に指定されており、見学コースも整えられております。私たちはおぼつかない足取りで三階まで昇りました。
 その三階には昔の民具が展示されております。一つ一つをじっくり観察し、記録をしたいのですがツアーはそういう時間は取れません。せめてとカメラを向け、写して来ました。
 多くの民具にこの郷の厳しい生活を感じます。特にこう毎日寒くなりますと、人の目が向けられるまでのこの郷の方々は、この道具を使い、厳しい生活を過ごして来たわけでしょうから、その姿を想像してしまいます。

         民具

         大八車

         石臼

         行燈

         柱

         早駕籠

         生活用具

         庫裡の囲炉裏

 このような生活を支えた多くの用具、民具、農機具、仕事用の器具などを見ますと、今の豊かな生活に感謝をしなければと思うことです。同じようなことですがサンパウロの移民史料館のことも改めて思い出されます。



 
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春一番の花届く

 千葉県の県花は菜の花。その菜の花で食用にする物を菜花(なばな)と呼びます。生産高は全国一位。その内生産農家は南の安房地方に集中しております。
 子どもの頃は未だ食用の菜の花は滅多に見ることはありませんでした。主に菜種油用の菜の花でしたので、何時しか短く束ねられた菜花を目にした時にはいささか奇異に感じたものです。

 県の花ですので切手にも見られます。バックは野島崎灯台。わが町です。

           菜の花切手

 房総から菜花が届きました。新鮮な菜花。市販のものとは違い束ねてはありません。茎も軟かくそのほろ苦さ、そうです春がやってきたーと言う気分です。

         届いたばかりの菜花

 荷を開けたらすぐ桶に水を張り菜花を入れて新聞紙を掛け、暗い場所に置きます。やがて水をたっぷり吸いこんだ菜花が活き活きとした姿を見せます。

         活き活きとした菜花

 市販されている菜花もこのように活き返らせて調理すると歯ごたえも戻り、美味しさがはっきりとします。
 春の苦味は体に良いと言われております。新鮮なほろ苦さは将に春の味。食べていると心なしか気分もすっきりとして来ます。
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おせちも煮物

 正月 若い時は姑もおりますし、夫の姉夫婦、弟夫婦も我が家に来ますのでお節も専ら手作りです。私も若かったので安い材料を使い、とに角皆さんに喜んで食べて貰いたいといろいろと工夫をしました。
 伊達巻も魚のすり身から作り、煮物も色を綺麗に仕上げるように材料ごとに煮ました。ですから大晦日の紅白歌合戦など殆んど見ることなく、元旦の朝を迎えておりました。
 
 その頃から新聞の投書欄に長男の妻の嘆きが目につきました。我が家は当時団地でしたから狭いのが幸いして、離れて一人寂しくお節を作るということはありませんでした。
 だんだん子ども大きくなり、夫の姉や弟夫婦も泊まりがけでくるということは無くなりました。
 
 姑は何と言っても昔風なお節を食べたいことと思い、かなりごく普通のお節料理を用意しました。それでも好き嫌いの多い姑の口に合うものは僅かなものです。美味しい刺身があれば喜んで呉れましたので、刺身は奮発しましたね。

 姑が亡くなり、今は子どもや孫の好きな物へと変わって来ております。老舗のお節料理の重箱を見ますと「珍味の詰め合わせ」プラス伝統的な味を少しというスタイルが中心ですね。
 
 私も忙しいことや歳をとり根気も落ちましたので暫らく前、ある時期は注文して取り寄せていました。ところが喜ばれ、珍しがられたのは最初の時。それ以来何回か取り寄せましたが、人気はなくなり、器だけがたまって場所を塞いでおります。
 そこで今は娘たちの分と一緒に大鍋で煮物を作り、他には練り物などを少し用意する程度になりました。紅白なますなどは全く見向きもされません。
 煮物だけは喜ばれ、他の料理と一緒に食べて貰えます。
 ですが矢張り大鍋一杯の煮物は食べ切れません。夫は煮物が大好きですからもう毎食、毎度食卓に載せます。三が日過ぎますと流石に煮直し、最後まで食べ尽くします。
 昔と違い縁起に倣ったお節の時代は遠のきましたね。自分も歯が弱くなり固い物は駄目になりました。
 
 今年はその我が家に思いもかけないお重に詰められたお節の差し入れがありました。久しぶりの綺麗な色とりどりの味を愉しむことが出来ました。
 細かい細工の手の込んだ物は眼を楽しませてくれます。なますの味が良かったですね。紅白なますの味は私なりにこういうセットに詰められた料理の良し悪しの基準にしております。
 
           頂いたお節の重

 年始客は娘夫婦と孫たちだけという我が家の正月は一日に全部の料理を出します。今年の食卓は華やか、賑やかになりました。
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食べたいような、食べたくないような

 大間のマグロの話を初めて耳にしたのは30年ほど前のことです。逞しい一人の漁師が一本釣りに挑む姿を固唾をのみテレビの画面を見ておりました。
 今年の東京築地市場の初競りでの最高値のマグロは、大間の黒マグロで232.6キロもあり、値段は1628万円と言うことでした。昨年も随分高かったような気がします。黒いダイヤと言われるマグロですから美味しいでしょうね。
 今朝のTVを見ていましたら大間のマグロ釣りの取材をし、その仕事の大変さを伝えておりました。釣れたマグロが船べりに引き寄せられると電気ショックを与えると言うことに驚いたり感心したりしました。世界が違い仕事が違うといろいろな事があり、勉強になりますね。
 今年のこの黒マグロを競り落としたのは銀座の鮨店と香港の有名な寿司チェーン店のオーナーだそうです。でその香港のチェーン店は東京にもあるそうで、そこの店でマグロの鮨を食べてる方の様子もみられました。
 三貫で2980円とレポーターは伝えていました。それと同じ寿司は番組のゲストの方々にも差し入れられ美味しそうに見えましたね。
 
 大間のマグロは一本釣りでしか許可されてないそうですね。ですから網で捕るのと違い美味しさも違うそうです。
 築地でも大間のマグロは別格のようですね。今年の初値最高だったマグロの1キロの値段は七万円になるそうです。
 これは丸のままの値段でしょうから、食べるようにさくどりしたマグロの値段は三倍以上にもなるのではと思って仕舞います。とすると刺身の一切れはいくらくらいになるのでしょうか。計算したくないでーす。

 余りに大間、大間と耳に聞こえて来ますとそれは食べて見たくはなりますね。でも考えますと何でそんなべら棒な値段の物をと、一方では食べたくなーいとなります。こういうことは何と表現すれば良いのでしょうか。価値観の違い?それとも懐の違い?舌の違い?いずれにしても老婆には遠い世界の話です。

         大間崎に立つ

 大間には小さな港があちこちにあり、その港から出漁する船はかなりの数のようです。竜飛崎の先が漁場だそうで、そこへとマグロが集まって来るので漁船は集中しますから操舵はお互い相図し合い釣るのだそうです。

 私の関心事 一体大間の住民はこの貴重なマグロを食べるのか、食べないのかということです。高値で売れると分かっている物を「食べられましょか」となるのでしょうか。「でもやっぱり食べなくちゃ」となるのでしょうか。とても気になります。
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青島神社のこと

 毎年年末になりますと元日の初詣の人出は~で200万人~では300万人などと予想がでますね。
 一体あの正月三が日の人出の数はどういう形で調べるのか不思議な感じでした。ところが今年は話題になっておりませんね。調べて見ましたらメディアは確実な根拠に基ずいたものではないと言うことで発表をしなくなったそうです。
 
 昔日本人ある処に神社ありと言われ、所謂外地にも沢山日本の神社がありました。
 中国の地に神社が出来たのは一番早いところでは大正4年というのがあります。随分早い時期に造営されたことを知りますと日本の大陸進出の姿を見るようです。中国の人はどう受け止めどう思われていたのでしょうか。

 早い時期の神社は
 
大正4年3月    
台東鎮神社  祭神は 大国主命       
                 青島領事館所轄
 大正4年11月5日 
天津神社 祭神は 天照大神・明治天皇   
               天津領事館所轄   
 大正7年7月11日 
坊子神社   祭神は 天照大神        
                青島領事館所轄
 大正8年11月7日 
青島神社  祭神は 天照大神・明治天皇・大国魂神 
                青島領事館所轄 


 青島の神社は早くに造営されておりますが、調べてみましたら中国全部合わせますと35社もあり驚きました。
 私が知っているのは勿論青島神社です。
 神社の規模はかなり大きく、参道の桜並木は春には立派な花を咲かせておりました。階段は110段位で、幅も広く立派な階段でした。

         青島神社拝殿

         青島神社春祭りの風景

         青島神社の前で兵隊と子ども

         青島神社絵葉書

 学校から生徒全員で参拝したという記憶はありません。春秋の祭典には多くの日本人が参詣にゆきました。
 桜の幹に滲みでる脂を取りに行き、それを親指と人差し指で良く擦りマニュキュアの真似をして愉しむ遊びは流行りましたね。いい脂を見つけるとやったーという感じでした。
 双葉山を目の前で見たのも神社の境内に作られた土俵上でした。巡業に来たのですね。巡業は何回もあったそうです。男性の同級生は良く覚えています。
 秋祭は菊の鉢が沢山並べられ、品評会も行われたようです。舞台が設けられいろいろな方がそこに出演したのだと思いますが、私が一番印象に残っているのは琵琶の演奏でした。大勢の女の子が一斉に撥を捌き演奏をします。
 日本で見ていたのは三味線と琴、尺八位でしたから。なんて凄いんだろうと感動しました。
 
 ところで青島神社は日本が負けて邦人が引き揚げた後、当然拝殿などは無くなっていますし、貯水山公園と名前も変わり階段には老人たちがゆったりと座り、市民の憩いの場となっているようです。
 
 青島羊会という小学校の仲間のお世話をしてくれている宮崎豊茂さんのお父様は敗戦の時の宮司をされておりました。宮崎左止三さんと言います。会員の徳満春彦さんのお父様は青島駅の駅長さんでした。どなたか青島ビールの社長をされていたと耳にしておりましたが、数年前に工場見学をしましたが展示のなかではそれらしい名前は見られませんでした。                    
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ワープロが直る

 仕事から離れてからワープロに挑戦しました。在職中は殆んど事務的な処理をする場ではなく、仕事の上でどうしても必要ではありませんでした。
 ところが身辺見回すと保存をしたり、また記録をしておかなければならないことが多いことに気が付きました。
 青焼きの昔の資料は色褪せてきており、何時かは消えてしまいそうな気がしました。先ずそれを記録しフロッピーに保存。チャイナドレスを教えることになり、手書きのでは見ずらいので改めて作成しました。これは自分ながら正解だったと思っております。オリジナルなテキストは少し自慢をしてしまいます。

 ところがある時、そのワープロに問題が起きてどうしても自分では直せません。フロッピーも使えません。専門家に相談し、改善の方向を探りましたがどうもうまく行きません。
 もう諦める以外にはないかとガッカリしておりました。フロッピーにはデーターが沢山入っております。一部はパソコンで作りその場しのぎで過ぎて来ました。

 修理出来るかもとPCで検索しましたが私の機種を直すところが見つかりません。
 それでも矢張りデーターが欲しいと中古品を探しました。それも今までに何回も探し、同機種のが見つからないでいました。
 年末に中古品を探しておりますと、あったのです。それも新品同様。必要なものは全部揃っております。
 楽天のオークションです。このチャンスを逃せば、次は何時目に入るのかと思い買うことを決心しました。
 
         欲しかったワープロ

 そこで急に「若しかしたら」と自分のを出して見ました。諦めの早い私にしては珍しいことです。電源を入れますとおかしくなった時とどうも画面が違います。補助フロッピーを入れ、何度も指示通りに繰り返し、補助フロッピーを入れ実行しました。 
 奇跡のように直ったのです。嬉しくてなりません。そこで今度はリボンを探し購入をしました。
 このワープロが壊れた後の悲しい苦労を思うと、今は一日に少しずつ印刷をしております。安全に保存する一つの方法は見える字にしておくのが大事だと今は思っております。

         直ったワープロ

 神田四川飯店で中華の家庭料理を10年ほど習い、そのレシピはワープロに保存しても、もとになる原稿はありましたがもう書きなおす気力はありませんでした。これからはまた教室で生徒さんに差し上げられます。
 チャイナドレスを教えはしておりますが、中国のことや知っていることを少しでも伝えたいという私の思いがまた出来ると。嬉しい年明けでした。
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大拉翅の挨拶

 新年の挨拶に生徒から画像添付でメールが来ました。
 着物を持っていなく、晴れ着を付けることが出来ませんので、大拉翅を着ました。動くのは大変で写真を撮った後、直ぐに着替えました。ところで付け爪はどの指にはめれば良いのですか。動かすのが大変です。と質問も書かれております。
 昨夜の午後10時からNHKハイビジョンで「蒼弓の昴」が放映されるので参考になるはずですから見て下さいと返事をしました。ところが彼女の生活の話を聞きますとストイックな生活ぶりの様子。「TVはあるのですが見ませんので、段ボールの中でカビが生えているかも知れません」と言うことです。

         生徒の盛装

 そうなりますとTVの中の西太后の姿を写さなければなりません。それも付け爪のハッキリと分かることが大事です。

         西太后(田中裕子さん)

 付け爪は小指と薬指に被せられております。この爪の骨とう品は見ることもあり、上海の骨董市、また北京の瑠璃廠などでも見ましたが求めて来ませんでした。

 大拉翅は清朝後期に見られるもので日本語では「だいろうし」と呼ばれております。詳しくは書きませんが、生徒の方にこういう姿をしたり言葉を使う方が出て来ますと、私も一層勉強をしなければと思うことでした。刺激を受けますね。

 蒼弓の昴の放映は45分で終わりましたが25回続くと出ておりました。随分前に読み、粗筋は頭に残っておりましたが、このTVは日本と中国との合作ということですので、イメージにある科挙の試験の場も見られるのではと期待しておりました。映像で見る儀式のものものしさ、清朝のその後の衰退と中国の革命のこととを重ね考えながら見ました。

            浅田次郎 蒼弓の昴

 中国における西太后の評価が過去のものと違って来たということは耳にしておりましたが、朝日のTV試写室には「人間・西太后に説得力あり」と大見出しがあります。どう展開するのか楽しみに次回を待ちます。
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思い出の橋 めがね橋

 PCに向かい合う日が始まり、ほぼ6年ほど。学ぶことも多くまた愉しむことも多く、日々いろいろなページを眺めますが、それにつれて思わぬことにぶつかり、目に入って来ます。
 「リゾートイン白浜」というHPを良く覗きます。私の住んだ町 以前は千葉県安房郡白浜町(しらはままち)と言いました。今は町村合併で南房総市白浜町(しらはまちょう)と面白くない名前になっております。丁目ではないと言いたくなります。
 そのリゾートイン白浜は子どもたちが小さかった時に「白浜京成ホテル」と言われ京成電鉄の経営でした。まだ出来たばかりでしたがプールがあり、白浜の海は岩場が多いので子ども連れで良く泳ぎに行きました。
 子ども用の浅いところもあり、レストランで昼食も良くとりました。レストランから外の庭にでるガラス戸は大きな一枚ガラスで綺麗に磨かれており、二女が出て行こうとして思い切り強く頭を打ち、額に大きなコブが出来たのは今でも我が家の話題になります。妹の披露宴もこのホテルでした。

 歳末になり、最近の白浜の様子は?と覗きましたら「めがね橋のイルミネーション」が出ております。おお!!!と確りと眺めました。

           めがね橋


           めがね橋


           めがね橋

 女学生の時は館山の学校まで省営バス(国鉄・JRバス)と言われていたバスで毎日通学しており、バスはこの橋を渡りました。下を流れるのは長尾川。水量は雨後でなければ少なく、岩の間をぬって流れておりました。
 当時橋は長尾橋と言われておりましたが、最近はめがね橋というのが通称のようです。
 この橋は日本の名橋百選に選ばれている建設から120年を超えている橋です。
 明治21年建設。石積み工法の洋式三重橋。三つのアーチがあるので本当はメガネではないのですが、川面に映える姿からめがね橋と呼ばれていると分かりました。
 長尾川は綺麗な水が流れており、65年ほど前位にはアユも釣れ、また橋から上流の方に行きますとモクゾウカニを獲る人もおりました。
 下流の河口の方は藻が多くなり、水も生活排水でやや汚れておりました。

 暮れのひと時ホテルのページから歳末の白浜の様子はどうかなと覗きますと、ライトアップは今月10日までと。
 ホテルにブログに掲載したいとお願いしましたら、下の二枚を送って下さいました。
 思い出は一気に膨らみました。橋は車の通行は禁止だそうです。
 あの橋も渡りあの川にも下りて行き歩きましたね。現在橋は保存されて修復も町が確りとされているそうですが、どうも住民は歩き利用をしているようです。
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おめでとうございます

 2010年の元旦の朝 雲一つない空。 街の風景は穏やかです。

 皆さまおめでとうございます 
 
 今年もどうぞお揃いで元気でお過ごしください。
 
 今年は寅年 虎は強靭な精神力を持っているのでしょうか。群れません。世界にはいろいろな虎がいますが、数種に留まっているようです。
 中国では虎は老虎と言いますが、老は年老いたと言うことではなく、尊敬の意味が含まれております。虎は多くの獣の中で強くそして姿もたくましいので老が付けられているのだと思います。
 中国の子どもに着せるもの、履くもの、被るものなどには虎の模様が見られます。昔の物には特に親の愛情が籠めれており、丁寧に手作りされております。
 虎は幸せを呼ぶ動物だとも言われ、特にインドでは白虎を見ると幸せになると言われているそうです。
 
        虎

        虎

        虎

          虎

        虎

 二番目は白虎の子どもの靴です。
 帽子やエプロンそしてよだれ掛けなど。こういう素晴らしい物は庶民の物ではないかもしれません。有産階級の子どもの物と思っております。(中国民間服飾から転載しました
  私の老婆の老は正真正銘の老人の老です。

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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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