2010-02

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台湾の高校受験

 青島に住む女性の方のお子さん(小学校1年生)の学校生活に、中国の今をチョと触れたような気分になっておりました。
 台北に住む友人は今年の夏、ご長男を北京に連れて行きたいそうです。私は台北に行きますと、そのご長男とは必ずご家族と一緒の食事の席でお会いしておりました。父親そっくりで表情に真面目さが出ております。

 台北の友人がご長男の高校受験の後来日。その受験話にこれまた台湾の今に触れたような気分を感じておりました。
 随分前台北に行きました時、至る所に学習塾があることに先ず驚きました。その時の話で高校受験と大きな関係があると知りました。
 友人のご長男は国立大学の付属高校に合格しております。受験の成績も大変良かったそうです。その成績表を見せて頂きました。この成績表は公開されていると聞いたような気がしております。

          成績表

 先日この成績表の数値を詳しく教えて頂き、台湾の高校受験事情も一緒に教えて頂きました。

 一、台湾の公立高校入学制度
1、統一試験があります
  ①5月及び7月に分けて2回行ないます。
  ②2回とも自由に参加できます。
  ③受験者はどっちか成績のいい方を選んで入学希望高校を志願します。
  ④5月の受験成績で希望高校に入れた場合、当然7月の試験参加必要が
   なくなります。
2、地域性について
 ①台北、台中、台南、高雄、花蓮........各地域によって
  受験者が成績表をもって希望する地域に志願を提出します。
 ②志願は地域制限なしですが、ほとんどの受験者は地元で提出します。
 ③但し、台北市はいわゆる名門高校が多いため、
  越区で志願に来る 受験生も多いです。
3、学校の志願方法
 ①希望地域を決めて、それからは地域内の志願高校を
  選ぶことになります。
 ②選ぶとは言いますが、現実としては選ばれる訳です。
 ③ほとんどの人は過去の募集成績順を入学希望校の順番としますから。
二、成績表の内容
 ①作文以外は60点満点です。
 ②作文は12点満点で、12、10、8、6、4、2、0点の採点方法です。
 ③総分は全ての科目の得点合計です。
 ④同志願校で同得点者の競争者が定員オーバーした場合は作文、国語、数学...
  の成績で勝負することになります。
 ⑤PR値とは
  総点数は今回の全国受験者の成績順の中、どこに分布するかを意味するものです。
  例えば、99とは成績がベスト1%に入るとのことです。

三、私立高校について
 ①私立は独自募集(入試を行なう)しますが、統一試験の成績を以って
  申請できるのが多いです。
 ②無償の奨学金を出して統一試験で優秀な成績をとった学生を誘致する
  学校もあります。

 この説明によりますと友人のご長男はかなりのレベルにあると分かります。
 成績は大学への登竜門のような重要な問題だということです。高校受験の成績で将来の大学への入学が決まって仕舞うような親にとっても大きな課題だと言うことです。更に将来の職業に直接繋がるとなるようです。
 学習塾の多さも納得出来ます。
 
 台北に行きますと友人の案内であちこちを回り台北駅の前も通ります。清潔に見えますし、人々のマナーが良いように感じます。

           台北駅

 滞在中はまた友人の勧める美味しい台湾料理なども味わうことも出来ます。機会があれば成長したご長男にお目に掛かりたいと思っております。
 
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青島便り

  青島羊会という会がありますが、この会は昔中国山東省の青島の小学校を卒業していたり、また在学したことのある同学年の人の集まりです。
 日本が負けた時、今の中学2年生と同じ年齢の人たちです。
 青島で生まれた方も沢山おりますし、更に親世代でも長く青島に住んでいた方も多く、日本人社会を形成しておりました。
 その過っての青島の日本人の生活や、活動した事柄、街の様子などを記録して残して置こうと運動をしている方の一人が私たちの仲間の足立吉弘さんです。「リンク 青島満帆」

 足立さんと一緒に資料収集に協力されている日本人女性の方が一時帰国され、お会いすることが出来ました。僅かな時間でしたが、資料収集のためのお互いに忌憚のない意見交換が出来ました。
 私も少し協力しておりましたので、これからも出来る範囲で協力したいと思っております。 

 青島の日本人会のHPも教えて頂きました。活発に活動をされております。このHPから中国の情報も多く見ることが出来ます。
 日本人会のHPにも紹介されておりますが、青島日本人小学校の行事なども知ることが出来ます。
 子連れで青島に赴任される方にも役立つことと思います。

 日本人学校は加ト吉の協力に負うところが多く、設備も立派なようです。
 この小学校の中に資料室を設けることになったそうです。既に資料も置かれているようです。

 お会いしました日本人女性のお子さんが小学一年生と聞きましたので、様子をお聞きしました。ところが中国の学校に入れたそうです。そこで中国の小学校のことをお聞きしました。
 驚いたのは実にハードなのです。先ず入学式が済んだ翌日から授業は一日。日本のようにじょじょに学校生活に慣れさせてと言うような配慮はなく、学校生活が始まると言うことです。
 宿題も多く、日本人学校の子どもと比べると可なり多くの時間を宿題のために使うと言うことです。
 私は彼女の親としての言葉に感動しました。
 「難から易きへは簡単にできましょ。易きから難にはなかなか難しいことですから、このことは良いことだと思っています」「子どもは慣れるのが早くもう問題はないようです」と。
 良い言葉をお聞きしました。

             お土産のお茶

 青島日本人会のHPはここから
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シメシメの1ドル紙幣

 最近の話題の一つ。エジプトのツターンカーメン王の父母がDNA鑑定の結果分かったと報じられました。
 1996年11月27日から12月7日まで、エジプトに出掛けました。
 「エジプト ナイル河クルーズの旅」と言うことで、クルーズを間に挟んだ旅でした。ナイルをゆっくり下る川船ですので全く揺れません。船内の行事は楽しかったですが、カイロ大学の教授のお話には殆んど全員眠っているような感じでした。
 先日引き出しの整理をしていましたら、船の客室にあったレターセットが出て来ました。

           レターセット

 船名はシャンポリオン号です。「古代エジプト学の父」と言われるフランク・シャンポリオンの名が付けられておりました。彼により1822年ヒエログリフの解読の結果が発表されたそうです。ロンドンのザ・ミュージアムに陳列されているロゼッタストーンからエジプトの古代文字を読むことが出き、それを解読したことから、古代エジプトの歴史が解明されて来たそうですね。(ロゼッタストーンは恥ずかしながらカイロのがレプリカとは知りませんでした)
 
 ヒエログリフは誰もが目にするところですね。私たちも大きなパピルスの画を買い、ヒエログリフで名前を入れて貰いました。
           
           ヒエログリフ

 
 この旅行。旅行社の説明会で1ドル(米ドル)を沢山持って行くことを勧められました。そこで二人で一万円ずつ、1ドル紙幣を何と腹帯に入れて持ちました。ところがドルは確かに使えますが、カードを使いますし、1ドル紙幣の出る幕はありません。
 ホテルから出発する時、船からの下りる時それを体に付けて出ます。
 夕方戻り、腹帯を外しますと紙幣は汗でシメシメになっております。数日は我慢をしておりましたが、とうとうバカバカしくなり「全部で2万円だー止めよう」と二人で大笑いして仕舞いました。
 一体このドルを何処で使えば良いのかしらと毎日笑いながらスーツケースに仕舞っていました。結局1枚も使わずに持ち帰りました。その1ドル紙幣は銀行で新券を取り寄せて呉れたものです。
 今でも旅での笑い話となっております。
 
 この旅のことは、時々話題に添って掲載したいと思っております。
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痩せるための一歩

 病院で血圧が高いことを知り、何とかしなければと考えていました。心機一転と言う程の覚悟があるわけではありません。
 ですが痩せなければと思っていました。
 TVをみていましたら血管も臓器だと言う話。肥満は矢張り問題だと指摘しておりました。循環器の疾患の原因の一つとしての肥満を解消すると、循環器の疾病はかなり避けられると言われました。
 その肥満解消には食生活の改善が必要だと言います。
(何だか何十回も聞いている話です)
 それによりますと食事の際、先に野菜や汁物を摂り、胃を満たすと言うことです。
 勿論低カロリーが大事です。以下勝手に自分に都合よく解釈します。そして昨日はお粥にしました。
 頂き物の干しホタテ貝柱を使って作りました。

 美味しかったですね。米カップ2杯で大鍋一杯に出来ました。夫と随分食べたような気がしましたが、さすがにそうは食べられません。今日の昼までありました。
 
 貝柱粥の作り方 
 米 2カップ  
 水 3㍑  
 干し貝柱 5,6っこ  
 食用油  大匙 2杯(ゴマ油は不可)
 
 貝柱はぬるま湯に付けて10時間ほどそのまま置きます。

 米を研ぎ、笊に上げて置きます。
 大きな鍋(出来れば厚いもの)に水を入れます。
 米をボールに入れて油を加え、良く混ぜます。
 貝柱を崩し、米と一緒に水を入れた鍋に入れます。貝柱の漬け汁も一緒に入れます。

 コンロの火をつけ、煮立ってきたら弱火にします。ほぼ1時間程で出来あがります。
 火を止めたら鍋の蓋をしたまま30分程蒸らします。出来あがります。蒸らすことは必須です。

 際立った香り良さとシンプルさ。トッピングはお好みで摂ります。良いですよ。

           貝柱お粥

 今日は旗袍を習いに来た人に押し付けでご馳走しました。凄く美味しいと褒めて頂きました。
 お調子者の私、もう痩せて来るような気がして来ました。時々作る心算です。
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けなげな子ども達

 そろそろ学年末の行事で子どもを持つ方々は何かと気ぜわしく、また悲喜こもごもの思いも重なって大変なことだろうなと思います。
 子どもの寄せ書きをタイムカプセルに入れて地中に埋めるということは、随分前には良く耳にしましたね。
 私の小学生の頃はそのような行事と言いますか、記念する思い出など皆無と言って良いほどでした。

 昨年の5月青島の小学校の仲間の集まり(青島羊会)がありました。中国青島在住の方やソウルに住む方も出て来ましたが、青島女学校の卒業生二人もお越し下さいました。
 中島道子さんは昭和15年に青島第二小学校を卒業。青島高女に進んだ方です。資料集めに協力下さって、小学校の卒業アルバムをお貸し下さいました。

 当時の子どもたちがどう考えていたのかを知るのはこの寄せ書きです。実に健気です。国家の様子が分かり子どもなりの忠誠心も目に付きます。
 男子は男子なりに、女子は女子なりに一所懸命に生きて行くという時代の背景を知ることが出来ます。

       男子のページ

       女子のページ

       寄せ書き

       寄せ書き

 上二枚はアルバムの一頁ですが、寄せ書きの部分を拡大してみましたのが下の二枚です。
 女子の名前の中に道子さんの名前も見えますが、作家の安西篤子さんの篤子という名前と「志篤く」という文字が見られます。
 どの子も確りとした字で書いております。
 このような物に触れますと私は毎度のことながら切なく胸が熱くなります。
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京劇は何処で見るか

 最近私が欠かさずに見ているTV番組。
 土曜日の蒼穹の昴 日曜日の竜馬伝 月曜日のフォレスタの歌う「BS日本・こころの歌」
 勿論他の番組も見ております。ですが殆んどは何かをしながらですから、真剣に見る番組は少ないと言えます。

 蒼穹の昴は小説もなかなか迫力があり、読み応えがありました。TVに登場する人々のコスチュームは見逃せません。私が作り、教えている旗袍とは違いますが清朝末期の齎す服飾を知ると言うことが勉強になります。
 ドラマの中で春兒の演じる京劇の場面。西太后は京劇が好きだったと言うことは良く耳にしますので、何時の時点かで京劇の大舞台が見られるのではと期待しております。
 随分前 中国語の授業で京劇の成り立ちや、役者の特徴などを教えて頂きました。
 北京では京劇を見ることが出来ました。
 梨園劇場です。初めて見た時は伝統的な劇場はこういう物かと感動しました。生徒を連れて行った時も梨園劇場にしました。自分で組んだツアーですから、裁量が効きます。良い席にしました。
 梨園劇場以外にも北京には京劇の劇場はあります。梨園劇場では両脇の電光板に中国語と英語の字幕が流れます。日本語はありません。
 英語が流れますので、英語の出来る生徒に良いのではと思ったことです。その時には開演少し前に役者のメーキャップする様子を見ることが出来ました。

         メーキャップする役者

 ある時新聞で京劇の話が出ており「梨園劇場の京劇はディズニーランドの舞台のような物。本物はキチンとした劇場で見なければ」と書かれております。何だかがっくりと言う言葉が当たるような内容でした。

 日本での京劇は大掛かりな物です。国立や池袋の劇場で何回も見ております。日本公演は中国側も力を入れているのでしょう。日本人に分かるように字幕も流れますし、ガイドブックも実に丁寧に編集されております。
 で人に京劇を観賞するには何処が良いのかを聞かれますと私の僅かな経験では決めかねます。

 その人の知識によって決めることが大事だと思います。日本で見ますと日本語で理解出来ます。中国の何処かで見るとなれば、内容と中国語の知識が必要な感じがします。

 今はどちらかと言えば余り知識がない場合は日本で。マニアは中国でとそう思い始めております。

          京劇

         京劇配役の面

          チラシ

 下のポスターはアメリカであのテロのあった日の観劇でした。名優梅葆玖を見たくて出かけました。
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双葉山はやっぱり偉い

 双葉山を初めて見たのは70年ほど前、中国青島に巡業に来た時でした。その双葉山を1㍍近くに見たのは御茶ノ水駅ホームでした。随分昔の話ですね。
 
 朝青龍のことは散々報道されましたし、双羽黒は友人の見舞いに行った入院先ですれ違いましたが偉いなどとは思ったことはありません。 
 ところが双葉山は本当に偉いなーと思って仕舞いました。
 明治大学柔道部のHPに相撲部の師範として迎えられた双葉山を記念した写真が掲載されております。
 旧校舎の一号館の地下には土俵があり、その土俵で撮った一枚です。時は昭和13年12月で横綱になって間もない時です。
 師範就任は四股名の由来となった明治大学専務理事(現在の理事長)の双川喜一氏との関係があってこそのことかもしれません。
 

          双葉山を囲み

 双葉山の右側はラグビー部北島忠治監督 左側は三船久蔵柔道部師範 一人置いて中山博道剣道部師範 
 北島監督は学生時代は相撲部にも入っていたそうです。優しかったですね。

 大学運動部の師範に迎えられた言うことは、品性良く若い猛者を指導するに相応しい力量も合わせていたからでしょうね。
 
 朝青龍や双羽黒を師範に迎えたいと考える大学は皆無だと思いますね。

 柔道部のHPからの転載は顧問の百瀬恵夫先生に昨年お借りしますとお伝えしてありました。これからも使わせて頂くと思います。

 話は変わりますが、私が勤めて最初の上司は学生時代は柔道部で活躍した方です。講道館6段。高段者会に入っていました。柔道のことは時々昔話としてします。三船館長とも取り組んだとも話しておりました。
 課員を時々道場に連れて行き、練習をします。私は「受け身を習って置くと良いから」と上司から言われ、受け身を習う羽目になりました。
 それがどう伝わったのかKというヤクザのようなOBが傍に来て「初段だそうですね」と声を掛けて来ました。
 驚いて直ぐ上司に話ましたら「そう思わせておけ」となりいつの間にか私は偽柔道初段になって仕舞いました。

 追記 2月22日  
 この写真を見た我孫子在住の明大OBで剣道部で活躍した方からメールを頂きました。ご本人のご許可を得て掲載いたします。
 『ブログ拝見しました。
 往時の大名人・達人がキラ星のごとく居並ぶすごい写真ですね。今の言葉で言うオーラが輝いていますね。
 私の生まれて間もなくの年のものです。
 中山博道範士 (師匠は、我が越後長岡藩藩士で戊辰戦役での戦闘隊長根岸信五郎) には、昭和33年亡くなられるまで、明大剣道部師範を務めていただきました。ただし、戦後GHQの命令で剣道が禁止されると竹刀を擱かれていますので、一般人も含め戦後の剣士は、直接のご指導はいただいていません。中山師範のご威徳を偲び、昭和35年(小生4年生時)に現名誉師範森島健男範士九段をお迎えするまで、我が明大剣道部は、師範は空席でした。
 故三宅先輩の馬術部には遠くおよびませんが、剣道部も頑張っています。昨年の全日本選手権大会優勝者は、明大出身ですし、同大会に、私が明大からドコモにもらった岡選手が新潟県から出場してくれています。                           
 私は、手術後の脊柱管狭窄症と仲良くしながら、NTTの選手の指導とこの寒さの中週4~5日の白山中学校生徒指導です。
 寒暖の差の大きい時節です。先輩には、ご自愛にてご活躍ください』
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リオのカーニバル

 昨日ニュースをみていましたら、リオのカーニバルの優勝チームが決まり、7歳女王チームは最下位だったと言うことです。7歳の少女と言うことで話題になり賛否両論が起き、裁判所の決定で参加が決まったと報じております。
 昔アマゾンの河口のベレンに住んでいた友人の話。「貧乏人の憂さ晴らしだよ。リッチな人は避暑に出かけているからね」と。
 ですが南米最大のカーニバル。その祭りの規模は凄いのです。
 サンバのコンテストはリオデジャネイロでこそ見ることが出来ます。ブラジル各地でサンバのカーニバルは催おされているそうですが、何と言ってもリオです。
 今年は遷都50年とか。ブラジリヤの無味乾燥な都市と比べ、リオは活き活きと見えます。
 オリンピック開催の街として決まり、最近はリオのことがいろいろと報じられております。ダウンタウンのこと、暴力や環境の悪化など。でもリオの街は素敵です。海あり山ありです。下は12年前の風景です。←前回のページはここからご覧ください。

         リオの街

 カーニバルは三晩続きます。コンテストなんですね。下位チームが先にパレード。次の日は上位チームが出ます。
 もうその日はリオ中サンバのリズムが響きます。メイン会場ばかりでなく、小さな広場でも子どもや大人が踊っています。
 日本人はとても太刀打ち出来ませんね。人種の坩堝のブラジル。さすがにパレードの列を眺めますとそれを実感します。老いも若きも皆一所懸命に進んで行きます。

         リオカーニバル


         リオのカーニバル

         リオのカーニバル

 私たちの席は審査員席の真向かいでした。チームはそこを通過する時には最高に盛り上がります。天空も割れんばかりのサウンド。長い間耳に残っていましたね。
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琉球泡盛を嗜みました

 夜半から降り出した雪も上がり、既に道は問題なく車も走っております。この数日やけに寒いですね。
 一昨日の夜も冷えました。市ヶ谷から帰宅する空からは氷雨がストールを少し濡らしました。
 体は頂いた琉球泡盛で温かく、心は何か出来ることは無いかしらと思いながら歩きました。

 明治大学で中小企業論を教えていられた百瀬恵夫先生に声を掛けて頂き市ヶ谷まで出かけました。
 「第24回 紺碧会・東京」という集まりです。
 紺碧と言いましても早稲田の杜ではありません。沖縄の空と海です。
 百瀬先生は現在明治大学評議員や校友会副会長などをされておりますが、日本ばかりでなく台湾の中小企業の方への助言や協力等もされております。
 この紺碧会・東京という団体の会長もなさっております。沖縄の泡盛業者の方へのアドバイスをされていたのですが、個々の業者が団結して促販をする必要があると考え、その立ち上げを促したようです。
 そこで出来た共同ブランドが「紺碧と海乃邦」と今回知りました。泡盛も琉球泡盛と明記し、何年物かもきちんと記し、多くの人の信頼を得ることに向かって来たそうです。
 (難聴ですので全部を完全に聞き取れませんでしたが、頂いた案内からこういう挨拶だったと理解しております)

         会合の名前と共催者

           挨拶される百瀬先生

         二つの銘柄

         三線の舞台

         抽選会の景品

 会には400名余りの方がお見えになっていました。
 沖縄の三線と歌はチュニジア出身のブリ・モハメッド氏 (帝京大学・日本語予備教育課程選任助教)
 上手に弾き歌われたのに驚きました。

  沖縄料理と泡盛を頂きほろ酔い加減で知った方と言葉をかわし愉しみました。
 沢山の品物が用意された抽選会もありました。何だか明治の関係者が沢山見えていたようで、抽選に当たった方に聞き覚えの名前が何人もありました。

 泡盛は強いお酒と聞いておりましたが、挨拶された方の説明によりますと「生で飲まずにカクテルや水割りに、またオンザロックで飲んで下されば料理も美味しくなりますよ」と教えられました。
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チョッと嬉しいな!

 元NHKにいらっしゃった山根基世さんの記事が朝日新聞2月15日に掲載されておりました。
 <あの人とこんな話> 『いま発した言葉は「あなた」自身の言葉ですか』
 山根さんは全く接点はありませんが、大好きなアナウンサーですし、語る言葉に人を引き付ける魅力を感じておりました。
 ニューヨークに住み「小林恵のNY通信」でニューヨークの今、またアメリカ人の生活等を発信している小林恵さん。この小林さんを訪ねた山根さんのことを読みなぜか勝手に親近感を持っていました。
 
 小林恵さんは日本にパッチワーク・キルトやフッグド・ラグを紹介、また普及に大きな功績を重ねております。
 以前チャイナドレスを勉強に来ていた生徒二人の方が小林恵さんのフッグドラグを勉強しており、ミキモトホールで開催された展示会で偶然お会いしました。その後原綾さんの紹介でオパール・ネットワークにゲストとしてお越し頂きました。

 そんなことから山根さんの話をよく読みました。素晴らしい内容です。取材は田中美絵さん(文)南條良明さん(写真)
 読みおわり写真に目をやりますと胸のブローチ、見覚えがあるのです。私も持っている。合わせて見ますとそっくりです。間違いないと嬉しくなりました。
 
           山根さん

 このブローチは私の退職記念として友人から贈られた大切なブローチです。作者は佐藤忠良さんと言う高名な彫刻家です。
 新聞の上に載せてカメラに収めました。昨夜は贈って下さった友人と会うことになっておりましたのでプリントして持って行きました。小林恵さんのお見えになったサロンにも出席されていましたので、話が進みました。
 「ねーそうでしょ。有難う」と改めてお礼を言いました。
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仲間の著書

 仕事に就いてから上司や職場全体のトップから、あるべき姿や理念などと言うことで教えられたことはありませんでした。
 時代はそういったことに鈍感だったのだと思います。まして新人は周囲の様子を見ながら、上司の求める仕事をこなすと言うようなことでした。
 私の子どもの頃将来は教員か看護婦と言うのが女の子の一番に上げる職業でした。今は女性の力を必要とする時代に変わり、お茶くみを仕事とするような会社は無いでしょう。
 見習いという言葉は耳にしておりましたが、新入社員研修という言葉を同期の男性から聞いたことはありません。
 世の中全体がそういう時代だったのかも知れませんね。進め進めで日々過ごしていたのでしょうか。

 部署が決まり数年後、初めて研修会に出席。限られた業務に関係することの内容を勉強しました。その頃はとに角働き、与えられた業務を唯こなす日を送っておりました。職場全体像を見渡せる立場にもありませんでした。
 ところが実際の仕事をこなす中で、不合理なことや納得できないことに屡ぶつかりました。それは歳月が経つうちに一部の人に権限と予算が集中していることから起きているらしいと分かりました。役職の肩書きもない、一介の女性の分際ではなかなか前向きに仕事が進まないことを思い知らされました。ですが反面教師で自分の立場でより良い仕事を進める方法は何かと考えることが出来ました。それは人間関係です。人には感情という凄いことが下地にあると言うことです。その感情を大切にし関係する人を傷つけないで仕事をすれば可なり達成することが出来ると言うことです。
私は生来人が好きでしたのと、親から人を大事にと教えられており、それが自然に出来たのだとは思います。
 勿論現在の社会事情の中ではその時代の組織や意識のままでは潰れて仕舞いますから、変われば変わったものよと思うほど変わっております。
 元の職場の広報誌が送られて来ますと変容ぶりに驚きながら、素晴らしくなっている様に応援気分でおります。
 
 中国語の同学の八巻優悦さんが昨年90分でわかる会社のしくみという編著の一冊を出しました。見やすく分かりやすくて若い方は勿論、今まで知りたいと思いながらも、時間が無くて気にしていた方にもきっと役に立つことと思います。
 何を今さらと言うこともありましょうが、サブタイトルが90分でわかるとありますからご覧になってみて下さい。
 長年毎週一回はお会いする仲間の著書です。応援しております。

          会社のしくみ

        発行所  株式会社 かんき出版  
 
        定価 1300円+税

 執筆者は 八巻優悦  赤松俊彦  雲宝広貴  小林慶佑  安本勇治  山下朗裕 (敬称略)
  
 
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咽喉と耳は遺伝でしょうか

 姑は声が良く、歌うことが大好きでした。声も大きくまた歌謡曲などは自分が歌う歌詞は最後まで全部覚えておりました。古稀のお祝いに夫がカラオケセットをプレゼントしました。
 
 その頃のはパック式で一パックに確か4曲入っていたと思います。ご機嫌で部屋で一人大きな声で歌っています。
 マンションの廊下が姑の部屋の外に接しており、他の方が通ります。かなりその声を大勢の方が耳にしていた筈です。皆さん優しいのですね。一度も苦情は来ませんでした。

 ある夏 マンションの夏祭りです。昼間にカラオケ大会が催され、姑も申し込んであると言いますので、時間を見て家族全員で聞きに行きました。姑のが終わり私たちが戻ってくる途中「ねーあれおばーちゃんの声じゃない?」と娘たちが言います。よーく聞きますと間違いなく姑の声です。
 
 とに角歌っている時が楽しく、正月夫の姉夫婦や弟夫婦も見えた時、家族で姑のセットを持ちだし歌を歌うことになりました。夫も義弟も歌が上手です。姑は「これもおばーちゃんが歌う。それもおばーちゃんが歌う」と殆んど独演会様になりました。
 ナツメロ番組のある日は家族が「今日は部屋食だからね」と姑の部屋に夕食をセットし持って行きます。
 TVを見ながらテーブルを前にしてご機嫌で食べております。これはとても喜ばれましたね。

 体調を崩してケアセンターで看て頂いている時、二人部屋でしたが時間構わず歌いますので、とうとう一人部屋に移されて仕舞いました。ところが余り歌いません。聞く人がいてこそ歌い甲斐があると言うものでしょうか。
 
 歌が上手なのは姑の弟とその子ども男5人。とても声が良く驚きます。それに比べ私は駄目。
 声が良いと言うのは遺伝ではないかと思います。姑の叔父は平間文寿という昔のオペラ歌手だと聞いておりました。
 姑は文ちゃん、文ちゃんと自慢し懐かしがりながらも会うこともなく過ぎて仕舞いました。

 コメントを下さる杣人さんが浅草オペラが好きだと書いておりましたので、改めて調べて見ました。言うなれば夫の大叔父ですから、知って置きたいと思ったことでした。
 そしましたら大変凄い方だと分かりました。
 
 平間文寿の生涯 

 夫は何だか聴力が凄いのです。私の難聴と比較はできませんが、高齢にしては良く聞こえます。
 二女もこれまた聴力が良く、その娘もまた良いのです。耳も咽喉も遺伝ではないかと思うことです。

                    福寿草
 
 姑は超偏食でしたが長生きでした。文寿叔父のことはイタリヤに留学し、エノケンと一緒に浅草オペラで歌ったことがあると言うこと、朝鮮半島で教師をしていたと言うこと位しか話しておりませんでした。
 生きている内にPCを持っていたならば、こんな立派な方だったと話して上げられたのにと残念に思っております。
 
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相変わらずです

 寒い日が続きますが薬が無くなっては病院に行かなければなりません。お腹を凹ましても体重は変わりません。秤にそ――と乗りながら下を見ますが、数字がどんどん上がります。まーしょうがないかと観念して先生の前に座ります。
 腕まくりをし血圧を測ります。上が157もあり、先生はカルテを見ながら考え「まー大丈夫でしょ」と何時も通りの薬が出ました。
 良い方に解釈するのが癖ですから、寒いからでしょうね。となります。そして相変わらずの塩分の多い食生活です。

 最近の朝食は?矢張り変わりませんね。同じパック入りと残り物、そして煮物です。

         1月28日

         2月1日

         2月3日

         2月5日

         2月7日

 何だか自分で可笑しくて笑っちゃいました。何もない空の皿が写っているのですね。皿数を何気なく増やして恰好を付けていたようです。そこで一番下の画像を見て頂くとお分かり頂けるのですが、上の方の空の皿が並んでいるのは夫が席に付いていないと言うことです。海苔を食べる直前に缶から出してその皿に載せると言う事情です。
 
 最近醤油注しに気が付きました。いろいろと買い換えては気に入らず、手に取らなかったメーカーの卓上瓶を買ってみました。これは気に入りましたね。よーく見ますとグッドデザインの印が見えます。
 さすがと感心しました。注ぎ終わっても漏れず切れが良く、私の手にも丁度良いのです。オシャレな小ぶりのですと何かの弾みで落として仕舞うのです。切れの悪いのも困ります。
 そこでもう一本買い、お酢の卓上用にしようと思っております。
 私はヤマサが好きですが、この瓶はキッコーマンのものです。
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環境+資質+努力

 環境と資質に合わせ努力研鑚を持続できる人が世間から認められ、評価をされるのでは無いかと思います。
 恵まれた環境にありながらも成長出来ない人もありますし、過酷な環境に身を置きながらもそれを糧として羽ばたく人もおります。素晴らしい資質を持ちながら努力をせずして事を成し遂げることができないこともありましょう。
 
 私が時々お喋りをする仲良しの仏文学者の母親、同じく仏文学者の父親の家に育った中島京子さんは環境に恵まれた方と言えましょう。時々お母様の中島公子先生からお聞きする京子さんのことには興味が湧きます。
 作家として既にメディアにも登場して高い評価を得ております。
 文芸春秋3月号には「私の○秘太宰治体験」というテーマーで室井滋さん、綿矢りささんと太宰との関わりと拘り、作品への思いなどの鼎談に臨まれております。
 ご両親の資質を確りと受け継ぎ、更に弛まぬ努力をされてこその京子さんです。
私は文学に疎い人間ですが、努力をしている人の姿を見たり、聞いたりすることは大好きです。
 下記のHPは京子さんの作家になった動機や辿って来た姿を見ることが出来ます。
 ぜひご覧になって下さい。

         京子さんの対談

 京子さんは昨年米国アイオワ大学に出かけました。大学の毎年開催するIWP(International Writing Program)に日本人として一人招かれ、そこで世界28カ国から見えた作家や詩人と3カ月ほど過ごされて来られました。
 この国際創作プログラムと言われることに参加された中での様子は群像1月号に詳しく掲載されております。
 
 私が公子先生からお聞きしたことで、実に素晴らしいと感じたことは、アイオワ大学の国際性と懐の深さと広さ。
世界各地の作家や詩人に交流の場を提供し、その成果を参加者が持ち帰り、参加者の世界を広げて上げると言う大きな姿勢です。
 京子さんは前に日本から招聘された方には有名な方が名を連ねていたそうで、話を聞いた時には驚かれたそうです。ですが京子さんは以前米国の子どもを前にして授業をもっていたこともありますし、作品も何冊も出されておりますから、いろいろな観点で招かれたことなのでしょう。良い経験をされたことと陰ながら嬉しく頼もしく感じております。
 公子先生も謙虚ですので、京子さんも謙虚に受け止めたことと思います。
 参加者はプログラムが始まると早々と自分の作品を英語で読むという朗読会が行われたそうです。京子さんは立派に読まれたことと思います。

 昨年公子先生から頂いたのは本 エ/ン/ジ/ン を掲載して置きます。

            中島京子さんの本

  2007年11月18日に京子さんを朝日新聞で紹介しております。 ここからご覧ください
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アメ横はインターナショナル?

 先日所要があって都心に行きました。新宿の雑踏は何時もと変わらず。
 久しぶりでの都内行き。最近は出来るだけ人ごみを避けておりますが、偶にはアメ横に行き様子を眺めようと地下鉄広小路で下車。勝手知ったるアメ横。変わっていることも多少は承知しております。
 ですが今回気が付いたことは掃除方がいるのです。ゴミを見つけるとさっさと掃き寄せて道を綺麗にしております。
 アメ横の中通りに響いていた男性のだみ声が少なくなり、アメ横らしい男っぽい風景が変わっております。
 集まってくるひやかしや買い物客にアジア系の若い男女が目立ちます。中国語や韓国語が耳に入って来ます。
 アメ横は綺麗になり、日々賑やで人々を呼んでいるようです。
 
 昔々アメ横は将にアメを売る店が多かったのです。戦後の甘味に飢えた人々はサツマイモから作った飴を求めて今のアメ横に買い出しに来たのです。米軍の放出物や闇流しの品物、輸入の化粧品などは線路下に出来た店舗に並び、おしゃれな女性が押し掛けておりました。そこに行きますと珍しい物も手に入ります。
 今は安い品物が氾濫しております。
 数年前からアジア系の食べ物を売る簡単な店が増えて来ております。韓国や中国、中近東のスナック風な食べ物屋。
ケバブやチキンの丸焼き、串刺しの食べ物。見ているだけで結構という感じになります。若い人が群がって食べております。その中にあって日本人の好きなマグロを食べさせる店が増えておりました。数か月前は一軒しか気が付きませんでしたが、今は何軒も増えております。簡単な構えですが、外に並べた椅子に座り食べております。頑張っておりますね。看板をよーく眺めますと丼ぶりあり、刺身あり、マグロバラエティーですが老婆には向きませんね。忙しく飲み込み立ち居振る舞いもさっさとしなければ、あのような店での食事は無理です。
 ガードの東側の道。以前は舗装も粗末でしたしが、今や若者対象の店が軒を連ねております。北側に向かいますとモツ焼や居酒屋風な店が銀座から新橋方向に続くガード下の様子に似て来ております。若者や女性も道に置かれた椅子に座り、一杯飲み、楽しげです。庶民的な街。安心な街。清潔な街を目指しているように感じました。
 アメ横センターの地下では多様な食材が安く並んでいます。昔は良くそこで買い、宅配にしたりもしておりました。
 最近はもっぱら星野商店から宅急便で乾物を送って貰いますが、偶に行くアメ横は私のストレス解消地域になっております。見るだけで楽しいのです。
 面白い物を発見しますと「へー!ほー!」と自然に口から出て仕舞います。先日は中国人の店員さんのいる中国食材の店のショーケースの中です。足が釘付けになりました。ホーやへーの連続です。お兄さんに豚の鼻の食べ方を教えて貰い、いろいろと教わり説明を聞き、写真を撮らせて頂きました。次回行きましたらこの店で買い物をしなければと思っております。何だかタダ食いをしてしまったような気分です。地下では万頭を買いました。
 これは老師にお教えしたいと思っております。

         アメ横肉屋のショーケース

         大きな万頭

 何だか昔を思い出します。青島にいた頃、私がお使いに行く肉屋では豚肉の枝肉が店内に下がっております。好きな部位を指し買って来ます。良い経験でしたね。今でもそのことを思い出し買います。
 
 春節の頃の市場の中の肉屋は豚の頭を飾り、その顔には赤く頬紅が塗られ店の一番上に置かれております。
 今の様子はどうなっているのか知りたいものです。65年も前の話をするなんてごめんなさい。
 間もなく春節です。今年は春節と情人節(バレンタインデー)が一緒で若者は忙しいことでしょう。
 
 
 最近青島満帆さんが転居して、窓から見える市場の様子を紹介しております。下の画像です。

        青島の野外市場

 今や中国の発展は私がわざわざ言うまでもなく、エネルギーを強く感じますね。市場の様子は中国語の熱閙(活気がある・賑やか)という言葉がピッタリです。
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遅まきの新年会

 中国語の講座になかなか新人が入って来ません。昨日は若い女性が授業の前にお見えになりましたが、会話ができる教室を探しているようですから、多分入って来られないと思います。
 先週の授業は老師が人民日報海外版を使って進めました。初めにポイントを示し、後は生徒四人で四分の一ずつを訳しました。
 内容は「三江源」と言われる長江、黄河、メコン河の源流=瀾滄江 の三本の河川の源流の地域の開発と、遊牧民の生活についてのことでした。その国家計画のお陰で移住した人たちは遊牧する必要が無くなり、政府の補助もいろいろとあると言うことで、年収も多くなってきたそうです。年収が多くなっているとは言え、2000元と聞きますと矢張り厳しいのではと思って仕舞います。

           三江源の授業

 老師は北京で春節を迎える為に来週はご子息の小王になります。人数が少ないのと時間が3時半からと言うこともあり、授業を離れて懇談をする機会がなかなかありません。
 久しぶりに教室でゆっくりとお喋りをしました。中国語での四方山話ですので話はあちこちに飛びます。力が無いと言うことは切ないですね。話題が変わると直ぐに反応出来なく、老婆はいささか困って仕舞います。
 それでも最年長ですので、何時もの通り皆さんの助けで何とか切り抜けております。
 
 食べ物も飲み物も持って行きます。老師は必ず中国の物をお持ちになって来ます。

          老師の餃子も

 今回は人参の入った餃子です。野菜が実に細かく切ってあり、丁寧に作られております。癖が無く美味しかったです。お酒は北京の有名な白酒です。何時ものと違いガラスの瓶ではなく、陶器の瓶でした。ガラス入りのと比べやや高いそうです。
 再来週は北京の春節のお土産話で盛り上がることでしょう。
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愚痴も偶には言いましょう

 校友会我孫子地域支部以外で付き合うグループはオパール・ネットワークの仲間です。
 偶には会いましょうと旧暦では忘年会、遅くなった新年会で集まりました。
 
          準備OK

 会場はレストランなどでは長時間居座るわけにはゆきません。公共の施設は会場取りも都合に合わせるとなかなかうまく行きません。
 そこで私の住む地域のマンションの集会室を使うことにしました。正解でした。
 
 高齢者も多いのですが、高齢ではありますが今では中年と言われるような方もおります。
 雑談が中心ですが、それぞれの近況も伺うことが出来ました。
 これが実に参考になるのです。
 手術を受けた方の話から、他の方の手術の話へと話題が飛びます。気をつけなければならないこともありますが、全く自覚症状も無く発見されると言うケースのことも聞くことが出来ました。
 自分の体を大切にすることが家族や周囲の方に迷惑をかけないことにも繋がります。みなさーん確りと食べて遊んで笑って。そして溜まっているストレスも吐き出しましょう。
 そこです。全く事情を知らなければ、そのストレスの原因や愚痴の意味することを理解ですることが出来ないのではと思います。近所ですが厚かましい付き合いはありません。さらっとしております。それも良いのです。無駄なお喋りをする方もおりません。心が解放されます。
 寡黙な方もここでは結構口を開きます。

          お喋りも楽しい

 かいがいしくお世話をする方が多いのです。会費は集めましたが気配りの持ち込みも沢山。しゃべる程に日頃の悩みも出て来ます。聞きながら励まし、また助言と言うのは失礼ですが「出ていらっしゃい。気兼ねなく話しましょ」と声に出します。
 次回はマンションの中央公園の桜が咲いたら集まりましょとなりました。
 取り寄せたお弁当は手を付けず持ち帰る方も多かったので、お花見にはお弁当は止めて七輪を用意し、美味しい物を焼きましょと。何だか知り合いの男性方が寄って来そうな宴会になるのではないでしょうか。

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館山と言う町

 雪の降った翌日受験した女学校は私の町から16㌔程離れた館山市にあります。昔は北条と館山とに分かれていましたが、私が入学したころは市となっていました。位置は千葉県の一番南の方向になります。
 女学校に入学しますと当時の教育の柱になっていた良妻賢母育成のための生活が待っておりました。厳しく確りと訓練と言っても良い様な教育でした。
 
 昔から館山には海軍航空隊の基地がありました。街には海軍御用達のような店舗も多く洒落た洋食店や芸妓置き屋などもあり、賑やかな姿を見せておりました。
 従弟の親せき筋にあたる鰻屋の新松などもその一軒でした。日曜日になりますと水兵を各家庭で招きご馳走をします。これは割り当てで、生活が大変でもご馳走をしました。
 白浜の岩目館などには士官が土曜日から泊まりがけで来ておりました。香水を匂わせて通学バスに乗り込んでくる士官には毎度驚いたものです。大尉は「だいい」と呼びます。戦後有名な舞踊家と結婚した○○大尉も岩目館に見えておりました。

          館山海軍航空隊
          (新松さんからお借りしました)

 航空隊基地は戦後自衛隊の基地となっております。明大商学部を出た林利夫さんが長く事務官として勤務しておりましたので、一度見学に行ったことがあります。

          現在の基地を上から望む

 戦中の館山は海軍で賑わっておりましたが、戦後も暫らくは多くの方が都会から遊びに来て、街は活況に満ちておりました。館山の島原通りと言われる目抜き通りには露店も出て、夏の道路には水着のまま歩く人や、旅館の浴衣姿で歩く人が道路狭しとばかりにそぞろ歩きをしておりました。それが今は人気がありません。
 
 戦前も賑わっていた館山ですが、東京から東海汽船の船が館山に来ていたことも良かったのではと思います。
 館山の海は遠浅で、海岸も広くて子どもが泳ぐには格好の場所でした。ですが経済復興が進み豊かになり、海岸道路が出来ますと、砂浜は狭くなり小さくなって仕舞いました。
 昔は桟橋に客船がお客を運んで来ます。出航する時には親戚や友人たちが見送りに行き、テープを投げ別れを惜しみ、来年へのコールを送ります。懐かしい風景を思い出します。
 
 館山の海は穏やかで鏡ヶ浦とも呼ばれております。湾の西遠くに富士山も良く見えます。夏の花火大会には砂浜に寝そべり、空中に開く花火を眺めたものです。
 
 そのような館山も年々歳々人が来なくなり、寂れて来ておりました。
 近々完成する長ーい桟橋は大型客船を迎えることが出来るそうです。先ず4月にはにほん丸の寄港が決まっているそうです。この桟橋が出来ることで館山の街の起死回生がなると嬉しいのですが。
 
          新桟橋を望む
      (下二枚は和歌蘭さんぺいさんからお借りしました)

 懸念も耳にします。大型客船が接岸してもお客さんは観光バスで鴨川シーワールドなどへと向かって仕舞うのではないかと。それも気に懸ります。
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雪が降ると思いだす

 中国山東半島にある青島は風光明媚。海あり山ありで観光都市として有名です。中国人の老後住みたい街としても人気が高いそうです。
 冬の寒さは厳しいのですが、建物が確りとしておりましたので、家の中では寒さを意識する程では無かったような記憶があります。
 中国山東省は石炭の産出が豊富でしたので、小学校の暖房もスチームでした。雪は余り降りませんが池に氷が張りスケートをする各国人に混ざり、父とスケートをしたのが思い出されます。父は体型がずんぐりむっくりで若い時にスケートをしたと言うことが信じて貰えず可哀そうな感じでした。
 雪は滅多に降りませんが、降ると子どもたちは張り切ります。青島の小高い山を全校生徒で囲み、ウサギ狩りをします。
 灌木に雪が積もっていますが、子どもたちは互いに確りと手を繋ぎ、勢子になって大きな声を上げてウサギを山上に追い上げます。楽しい行事でしたね。話ではウサギ汁が出ると聞いたようですが、私は一度も食べたことはありません。ウサギの毛は軍に献納すると聞きましたが、その真偽のほども分かりません。
 
 当時の青島の小学校ではさまざまな行事が持たれており、楽しい学校生活が送られていました。
 春のお花見遠足・学年最後のお別れ遠足・運動会など折りにふれて何かが有ったような気がします。
 冬の雪の降った後のウサギ狩りは特に印象深く思い出される行事です。

 
 ここ我孫子でも2月に入り雪が降りました。直ぐに溶けて仕舞いましたが、風は肌を刺します。

          2月1日の雪

 進学を目指し帰国した私は1944年の2月、女学校の入学試験を受けることになりました。その前日可なりの雪が降り、私は遅刻をするといけないからと心配して呉れた担任の先生の館山の家に泊めて貰いました。
 房総半島も先端に近い場所ですから、先ず雪を見ることは滅多にありません。持っていたエッジを外したスケートの靴を履き、受験に臨みました。その靴が当時は苛めの対象にもなったのです。人と違う物。ましてや見たこともない靴を履く子は苛めの格好の相手でしたのでしょう。
 雪が降ると思い出すのはウサギ狩りとスケート靴です。
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どう見ても老人食

 最近の食事を見ますと生野菜の姿がめっきり減りました。固い物や生の魚も減りました。そして地味。
 そうです。中心は煮物ですね。
 野菜は道の駅などの生産者直販の物を纏めて買って来ます。ですから同じ材料の物が続くことになります。

 最近の煮物はこんなものです。ブログを見た方から分量が多いけれど食べ切れるの?と聞かれました。
 娘も来ますしお客さまにもお出ししますから、結構はけるのです。

          ガンモ・人参・昆布・シメジ

          竹輪・人参・大根・昆布

          かぶ・昆布

          人参・キャベツ・昆布・揚げ

          小松菜・昆布・豚肉・麩

          大根・人参・昆布

 豚肉とか牛肉とかは前日夜の料理に使った時に少し残して置いたものです。ですから味にこくを与える程度です。
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チャイナドレスは素敵だ 62

 中国の女性が旗袍(チーパオ)に目を向けていると言うニュースは先ず耳に入って来ませんが、上海や北京では~~サロン(沙龍)と言う言葉で集まるグループがあるようです。
 サロンに入っている方はごく一部の女性でしかないようです。普通の女性は日本の女性のような洋服を着ております。ですがよーく眺めて見ますと昔から着られていた紐ボタンを付けた上着は可なり着られております。
 
 先日の授業に見えた生徒の上着は前開きでなく脇へとカーブのある、直断ちのチャイナドレスのものです。良く似合いさりげなく、日常着としての良さを見せております。

           上着

 この上着(ブラウス)は袖が身頃から続いております。生地は木綿。この生徒は殆んど毎回新作の物を着て来ます。その為に「失敗も覚悟して安い生地です」とご本人は謙虚におっしゃいますが、既にすっかり体型を知り尽くし自分に合う物を作ることが出来ます。

 今回のもう一枚掲載するのはインドシルクにご自分でビーズをさした、パーティードレスです。授業をサポートしてくれている方の物ですが紹介致します。

             ドレス

 この方は親戚が多く、甥や姪の結婚式に出席する時には必ずチャイナドレスと決めているそうです。そういうことで日頃から気に入った生地を買い置き、用意しております。今はご主人と参加するパーティーなどにもチャイナドレスですから慌てることも、ドレスを買いに行き探しまわることも無いそうです。
 
 ロングで着たドレスは裾を短くして手を入れますと、リホームと言う感じではなく着ることが出来ます。
 
 私は体型が最近変わりましたので、未着の物もありますが何時か戻ればと仕舞っております。娘は痩せるより作る方が早いじゃないと言います。そこで最近はゆったりとした前開きの上着にズボンを愛用しております。
 高齢者には首の皺を隠し、背筋を自然に伸ばすようになりますから、皆さんに着て頂きたいと何時も思うことです。
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愛妻の日だって?

 一昨日TVをみていましたら、愛妻の日に向けて何だか叫んでいる映像が流れています。
 「愛しているよー」「一生~するよ」「~しまーす」とか。何だか滑稽にも見えますがね。
 若い人は頑張っているのですね。
 
 1月31日は「愛妻の日」1がアルファベットのIという読み変えで、愛と言うことらしいですね。
 1月31日は「愛菜の日」でも良いのかしら。八百屋さんの為とか、総菜屋さんの為とか。
 1月31日は「一切の日」?なんでも該当する日?
 何だか面白くて夢にまでは出ませんが、今朝起きるまでの数十分あれこれ考えて愉しみました。

 昨日明大前の駅ホームで花屋さんを覗きましたら、1月31日愛妻の日と札が下がっています。

          愛妻の日

 私の行き先は永福町。叔父96歳 叔母93歳 まー大変な仲良しです。叔父には愛妻家と言う言葉が似合います。
 叔父は数年前まで運転もしておりましたので、何かあれば今でも出来ると思いこんでいる節があります。困ったことです。
 叔母は年齢相応の反応をします。此方の訪問がよほど嬉しいのか、テーブルをピアノ代わりにしてトントンと指を運び「知床旅情」を歌って呉れました。

 三軒隣は伊東四朗さんの立派な家です。3分も歩けばラーメンで有名な大勝軒があります。一度入って見たいと思いますが、何時見ても人が並んでいます。昨日もそうでした。

         2010年1月31日の大勝軒

 愛妻の日ねー。花屋さんでもケーキ屋さんでもデパートでも、とに角買い物をしてくださーいと言うことでしょ。
 私の周囲にはその日に何かを求めて帰宅すようなご主人は見当たりませんね。
 あっ!一人いますね。
 夫ではありません。

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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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