2010-04

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インスタントラーメン

 我が家から国道6号を取手方向に走り、暫らくしますと、日清食品の取手工場が左手に見えて来ます。
 有名なインスタントラーメンの大きなカップが見えております。
 インスタントラーメンは殆んど食べることはありませんが、この工場の会社。日清食品の社長だった故安藤百福さんには敬意を持ち続けております。
 数ヶ月前に生誕100年を記念したイベントもあり、また記念の商品も見られたそうですが、残念ながら手にすることは出来ませんでした。
 私が1948年に上京した後、両親は東京の食糧難を気遣い、時々中華そばを油で揚げ大きな缶で送って来ました。それをスープに入れて戻して食べておりました。所謂インスタントラーメンですね。父は敗戦までサラリーマンでしたから商才など皆無。それで苦労も絶えませんでした。ちょっとでも商才がありましたならば起業していたかも知れません。
 
 まーそれはさておき、好きな食の本の一冊は安藤百福さんの「麺ロードを行く」です。
 1988年に講談社から出版されております。内容は中国各地を訪ね、その地の麺を実際に口にし製法ばかりではなく食文化の歴史に迫っております。
 一緒に出掛けた取材班には伝承料理研究家の奥村彪生氏も参加。安藤団長を含めて14名。

       表紙

       裏表紙

       麺写真

       麺写真

 上の麺は南京の物 下の麺は揚州の物
 著書の表紙と裏表紙に並ぶ麺も珍しい麺で中国の食文化の髄のような感じがします。
 読み物としても読みごたえがあり、学術的と言えましょう。
 最終章には「中国麺の作り方」として奥村氏が実際に役立つレシピを書き、更に〆として同じく奥村氏が取材に参加してとして小麦粉の歴史と発達に付いて詳しく解説されております。
 見ても楽しく、読んで為になる素晴らしい著書です。直ぐ取り出せる所に置き、時々眺めております。
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+焼きノリ・味噌汁

 青島のリカさん宅で韓国式の朝食をご馳走になりました。野菜が主で何種類もの和え物が並び、先ずそれに目を見張りました。偶にナムルは食べますが、種類は極決まった物です。韓国のビビンバのビビンとは混ぜると言う意味だそうで、そう聞きますと確かに良く混ぜて食べますね。頂きながらなる程韓国料理は薬膳のような感じだわー。と気が付きました。
 ソウルの金さんの招待で行きました韓国宮廷料理の種類の多さに圧倒されましたが、思い出しますと可なり野菜が多かったような気がしております。

 そういったことから我が家の朝食を見ますとまー本当に単純ですね。純和食です。焼きノリと味噌汁が必ず付きます。ご飯は軽く一膳ですからマゼマゼは出来ませんね。残り物も並べて何となく賑やかにして座ります。

       4月14日

       4月18日

       4月22日

       4月27日

       4月29日

 他の方の美味しそうな料理やレストランの味、またプロの創作料理などを拝見しますと本当に若さを感じて仕舞います。老人ぶる訳ではありませんが、まーこんな料理がこの老人のかーと見て下さい。
 日にちが飛び飛びになっていますが、全部朝食のホルダーに纏めて保存してあります。来年の今頃は何を食べていることでしょうね。
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老化のチェックリスト

 新年度となりますと市役所から「65歳以上の市民の皆さまへ」というチェックリストへの記入の用紙が送られて来ます。趣旨はーいつまでもいきいきと暮らすためにーと言うことで心身の機能低下への警鐘と改善への取り組みです。
 昔仕事でチェックリストの作成を手掛けたことがあります。そこでチェックリストの確実性と客観性について随分と討議されたことを思い出しました。
 その時に学んだことは、チェックリストの結果は作成者の意図が大きく反映すると言う事に気が付きました。
 どのようなことを知りたいかと言うことで作成しますので、分析結果は予測できるものとほぼ一致しました。
 
 市が送って来るこのような趣旨のものですと対象と対策がハッキリとしておりますから、設問もそう難しいものではありません。ですから設問の範囲を広げますと分析も細分化したものとなり、対応に苦慮すると言うことになることでしょうね。
 
 まーそんなこともありまして今回だけでなく前々から気になりながら回答し送っております。
 はいいいえかでは答えられない項目があるのです。どちらかといえばとかあるていどとかと言う中間的なことが欲しいなーと思うのです。
 全ての項目についてではありませんが高齢になり「自分では確か」と思う反面「ヒョとしたら」という懸念が出て来ております。そういったことはなかなか判断が難しいことだと思います。
 送られてきた文書を読みますと機能低下を防ぎいきいきと毎日を過ごして欲しいと言うことで、異存はないのです。
ですが1週間前と比べてなどと言う質問には抵抗がありますね。このような質問は第三者が答えた方が確実なように思われますね。私は1週間前の自分と比べ変わらないと思い、変わらないと言う方にします。でも若しかしたら娘が見たら変って見えるかもしれませんね。といったことなどです。

           高齢者が立てた鯉のぼり

 この鯉のぼりは一昨日の朝に目にしたものです。毎年自治会の高齢な方々が子どものために立てて下さっております。本当に元気な方々に感謝をしております。
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おー!何と林敏さん

 昨日携帯に突然電話が入って来ました。ずーと心配していた楊琴奏者の林敏さんの声。
 林敏(リン ミン)さんと連絡がつかなくなってから2年ほど経っていました。日本で楊琴奏者として活躍し、神津善行さんの企画・指導による六華仙に参加しておりました。
 私の主催するパーティーにも2回来て下さり、その素晴らしい楊琴の旋律を披露され、またオパール・ネットワークのサロンでも演奏して頂きました。
 
          林敏さん1

          林敏さん2

 林さんの話によりますと南京に住むお母さまが突然倒れ、皆さんに連絡する時間もなく中国に行かれていたそうです。「慌しく戻って仕舞い本当にご心配とご迷惑をおかけしました」と。事情が分かり安心しました。
 林さんは幼い時から楊琴の世界に入り、北京国立中央音楽大学民族楽器部卒業後「中国民族楽団」で主席楊琴奏者を務めておりました。
 楊琴という楽器は弦が縦に張られており、竹の撥の先にゴムの穂先のような物が付いております。音色はどちらかと言いますと柔らかいように感じますが、曲想によっては力強くも演奏できます。撥二本を使う複雑な流れるような旋律は毎度感動しております。
 これからはまたお会いすることが出来るでしょう。
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毎日無いです

 一ヶ月程前 日本酒を贈りたく長女に頼み隣の市の酒屋に連れて行って貰いました。
 一見目立たない店ですが、中に入りますと保冷室に案内されました。差し上げる方に喜んで頂けるような一本を選び購入しました。
 何気なく店内を見回しておりますと、酒場らしい場所が横にチラッと見えました。「あそこは何ですか」「飲み屋をやっているのです」興味が湧きますね。地味な酒屋の奥にこれまた地味な飲み屋「見ても良いですか」「どうぞ」
 60歳代と思われる男性が仕込みの最中です。全体に美味しそうな雰囲気が漂っています。
 セロリーが直ぐ目に付きました。立派な姿です。勢いがあり「アー食べた―い」
 貼ってある品書きも魅力です。
 「何だか皆美味しそうですね。近くだと来たいわー」「お宅たちの街からはタクシーで来る人もいるよ」
 そうでしょうね。分かる分かると心で応えておりました。品書きの一枚に目がとまりました。
 「写真一枚写させて頂けますか」「何か役に立つかね」「おそばのことが面白いので」「良いよ」

         店内の品書き

 「おそばが美味しそうですね」「今は打ってないんだ」「どうしてですか」「そば通ってね。うるさいんだ」「そんなことは良く聞きますね。ほんとですか」「ほんとだよ。そういう奴にはあっても出さないんだ」「そうですか」
かなり頑固そうですね。でも気が合えば本当に美味しい物を出して呉れそう。
 よーくみますと「毎日無いです」とあります。どうも一日八食分を打つらしいのですね。ですから自信のソバなんでしょう。それにしても「毎日無いです」は愉快ですね。
 機会があれば行ってみたい飲み屋です。娘に店の名前を聞きましても場所を知っているだけで覚えていないそうです。それではタクシーでも行けませんね。
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中国青海省大地震

 毎週土曜日の午後 NHK文化センター柏教室で中国語を勉強しております。生徒は5人になりました。
 老師の姿勢には何時も感服しております。私の耳が遠いをご存じで、時には「聞こえますか」と声を掛けて下さいます。
 去る14日中国青海省の王樹県で起きた大地震。多くの人が災難に遭い死者は2183人 生死不明者は84人、負傷者は12135人 内重症者は1434人にも達していると「人民日報」は伝えています。
 老師は「人民日報」の海外版をお読みになっておりますので、何時も鞄に入れて目を通しているようです。
 今回の地震で中国政府は素早い対応をしたことは日本のニュースでも報じられておりましたが、人民日報は哀悼の日のことを掲載しております。4月21日は地震発生から7日目(頭七・首七)政府は全国民に対して哀悼の黙祷を捧げるように指示、全ての娯楽や遊びを禁止したそうです。黙祷は3分間。
 人民日報はこのニュースを伝え、哀悼の意を表するに普段と違い文字を黒色にしております。

         人民日報が黒色

         何時もの人民日報

 上の人民日報の大きな写真は中国の中央政治局党委員会常務委員:9名が並び黙祷を捧げております。
 授業ではこの日の半旗(降半旗)の説明や中国での死者や負傷者の言い方など、いろいろと説明がありました。
 写真の9名のこともまた勉強になりました。政治局常任委員は奇数。何故かと言うことも分かりました。

 授業前半は中国へ出張していた同学の上海万博会場の話などや、珍しい料理のこと等、老師ならではの話を愉しみました。

         昨日の老師

 出張した同学は中国各地を回り、上海万博会場にも行かれ、会場全体を廻り眺めて来たそうです。日本館も中には入らなかったそうですが老師にはガイドブックをお土産に差し上げて喜ばれておりました。
 老師は行きたいと話しておりましたが、TVで見たリハーサルの混雑ぶりを考えますと、私には到底行けるものではありません。
 ただ中国館の中で展示されていると言う宋の時代の絵巻物の中で、人物が動くという画像をチョッと目にしました。どうも清明上河図らしくそれは見たいものですが、でも今の私の状態では無理でしょうね。
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干し筍

 富山の瀬戸さんの食に対する姿勢に何時も共感しております。
 季節物の筍の話を読み、干し筍を作って見ました。
 沼南道の駅や近くのわくわく広場には毎週野菜を買いに出かけます。どちらも最近の野菜高騰のせいか朝から混んでおります。贔屓にしておりますので「普段も来てあげてよ」と心の中で叫んでいます。
 昨日も筍を買い求めて来ました。瀬戸さんの仰る通りに準備態勢の為でした。このところ季節がどうなっているのかと定まらない空を気にしながら過ごしております。
 今朝は晴れ。ぐずぐずしてはいられません。朝食後直ぐに茹で筍を切り干しました。

         前回の仕事

          出来あがった干し筍

 切った筍は干物作りの為に買ってある網の中に並べて干しました。出来あがった筍をどうかしらと瀬戸さんに見て頂きました。大丈夫と返事を頂きましたのでカビさせないように冷凍庫に仕舞いました。
 第二弾は数日後に出来るでしょう。
 
 実は瀬戸さんの筍の記事を読み、母の仕事を思い出しました。母はシーズンになりますと多量に茹でてそれを塩漬けにし、冷凍庫で保存しておりました。食べる前に塩抜きをして調理しておりました。
 以前台湾の新竹で所謂シナ竹を買いました。その味が普段買っているものと違うのです。それからは国産の茹で筍やまた季節には茹で筍を使いシンプルな味のメンマとしてラーメンに載せていました。
 瀬戸さんの説明に意を感じ、今年からは干し筍を作り保存して置くことにしました。

 
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ブログ本

 2006年2月から始めたブログ。PCでは何時でも、また他所に行っても見ることは出来ます。ブログを書くことで老化現象を少しでも遅くすることが出来ればいいなーと思っております。
 自分の今を書くと言うこともありますが、チョッと生意気なことを言えば、昔のことを知って頂きたいと思うところもあります。特に共通の思い出に出会ったと懐かしく思って頂ければ、これもまた嬉しく思うところです。
 ある時某大学の教授のお薦めにより、ブログを紙にして置くことにしました。「ワープロがおかしい状態になった時にはこの言葉を痛感しました」
 そのことでブログ本を自分用にと一冊ずつ作ることにしました。先だって2009年度の後半分が出来あがり、手元に来ております。

        ブログ本2冊

 最初のを見ますと写真の位置があちこちで、どうも見難くなっていました。ブログを書き始めた時は何となく写真を自分で良さそうだと思う位置に置いていました。
 二冊目の時出版局から写真を真中に置くと本にする時に便利だとアドバイスを頂きました。それ以来画像は出来るだけ中心に置いています。今ではそれが自分でも見易く感じております。
 目下目指せ10冊と自分に言い聞かせております。心の健康はとても大切なことと思っております。心身一如と言う言葉を胸に過ごしております。
 書くと言うことで整合性も自分なりにキチンとしてなければならないと。またそれには辻褄の合う生活こそ大切だとも思うところです。

 このブログ本は申し込んでから、校正は何回でも無料ですが、校正は自分の本文内でしなければなりません。私も何回も手直しをし、そして受け取ることが出来ました。装丁も変えずに同じにしております。
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明治大学校友会我孫子地域支部総会

 我孫子市に住む明治大学卒業生は約1000名だそうです。内100名程が支部会員となっております。出来ればもっと沢山の方が参加して頂ければ良いのですが、なかなかその思いは浸透して行きません。
 今月18日に我孫子駅南口傍の「けやきプラザ」で第10回総会が持たれました。
 総会は萩谷常夫幹事長の司会で進行。先ず昨年の総会の後一ヶ月も経たない内に前支部長の三宅恭雄さん、またこの3月には常任幹事の杉山和子さんと思いもかけないお二方のご逝去を悼み黙とうを捧げ、開催されました。
 猪瀬主税千葉県西部支部長始め各地域支部長、また高村潤明治大学校友課長などの来賓のご出席を頂き、合わせて47名の校友の集まりとなりました。
 前日の早朝には小雪がちらつき、定まらぬお天気に心配をしておりましたが、空はうって変って晴れ、気温も上がり良い時間を持つことが出来ました。今泉健一支部長は退任され、代って支部長は水野隆さんとなりました。
 総会は予定通りに済み、懇親会も和やかに進み最後は決まりの校歌斉唱で〆となりました。

        記念写真

        懇親会

        参加女性と新支部長水野さん

        校歌斉唱

 総会に初参加の女性2名は通称「落研」と言われている倶楽部に入っていたそうで後輩の落語家をぜひ引きたてて欲しいと、そしてぜひ何かの時には呼んで下さいと挨拶されました。今まで女性は杉山さんを入れての3名が続いておりましたが、これからはお二人の参加を得て賑やかになることと思い、期待しております。
  
 我孫子支部はこの数年手作りの懇親会をスローガンにしておりました。出来るだけ会費も廉くと言う方針で計画します。
 副支部長の佐藤秀一さんは元東京プリンスホテルフランス料理の総料理長です。また在学中は応援団で活躍しておりました。
 その佐藤さんに頼り、懇親会の料理が用意されておりました。今回もまたオードブルは佐藤さんにお願いしました。
 チョッとその準備の様子を見に行きました。会場となった建物の中に調理室があります。そこで佐藤さんと会員の山口佐由喜さんが鉢巻き姿で盛りつけをしております。メインのローストビーフは佐藤さんが朝自宅で作ってお持ちになったそうです。

         盛り付ける二人

         オードブル

 この他に地元業者の和食弁当。大学や会員による飲み物のご寄付もありましたが、会費3000円は手作りでこそ出来たことでした。
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キムヨナ襲来

 目下二女の娘はキムヨナに嵌っています。我が家にやって来てはキムヨナです。日曜日は朝着替えもせずにやって来ました。
 私たち二人は夜討朝駆けを受けているようなものです。それにしても家でも何回も演じていると思います。来るたびに技が増えております。
 昨夜は「バーバオリンピックを見ているようにね」と拍手だけをさせます。後ろに下がって行く腰や腕の表現はますます上手くなっています。拍手鳴りやまぬと言う情景です。

         真剣なキムヨナ

         朝のキムヨナ

         夜のキムヨナ

 このキムヨナのホッぺは皮膚が柔らかく、夏は虫取りで真っ黒になりますが冬はすっかり白くなっています。
 夫も私も色グロです。娘もそれですから黒いのです。がキムヨナの父親は色白ですから、その所為でしょうね。
「ホッぺが真っ白いお餅のようで食べたいな―」と言いました。傍に頬を寄せて来ましたので「ほんとに美味しそう」と言い、続けて「バーバのは食べたい?どうー?」と聞きました。
 私の顔をよーく眺め「カビが生えているから食べたくなーい」「じゃージージーは?」と聞きましたら何と「焦げ過ぎだから食べたくなーい」 本当に参って仕舞います。
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青島訪問 9

 3泊4日と言う今回の青島訪問は日数から言えば短いようですが、私にとっては無駄のない充実した旅でした。
 改めて思い出してみますと、参考になることや考えさせられること、嬉しかったこと等胸一杯で帰国しました。

 リカさんの家にはアーイーと呼ばれるお手伝いさんが来ます。昔はアマと呼ばれておりましたが、今はアーイーと呼ばれると言うことです。小母さんと言うことですね。
 そのアーイーの作ってくれた水餃子の美味しかったこと。それも始めてのインゲンの餃子に感激しました。彼女はリカさん宅に6年も来ているそうで、顔も穏やか姿全体が良いのです。実直そのもの。
 劈柴院で食事を済ませ、足立さんをお送りし、リカさんはアーイーの家にお子さん二人を迎えに行きました。私の為に二人はアーイ―に夕食を食べさせて貰い、その後アーイ―の家に行き迎えを待っていたのです。
 アーイ―がどんなに子ども達に慕われているかを目の当たりにし、信頼関係の素晴らしさを知りました。
 泊まりたいと頑張る二人をやっと車に載せて走り出した車。何とリカさんは私が行きたいと口にしていた本屋(新華書城)に横付けて呉れました。
 私は前回も行きましたので直ぐに二階に上がって、欲しい物を探しました。序でに見渡しますと女性誌や健康関係の本が溢れております。また料理の本もこれでもかと言うほどさまざまなものが並んでおります。私は本も買えて有難く楽しかったのですが、リカさんとお子さん方にはご迷惑をおかけしました。

          見つけた本

 ウェイウェイさんのご主人はダイエットをしているそうですが、そのことは青島の人の中でも関心事になっているのでしょう。歩いていて見つけたポスター。なる程青島でもかと思ったのです。

          ダイエットの看板
 
 リカさんの上のお子さんは私立の中国学校に入っています。宿題を毎晩しているようです。学校では英語もあるそうで宿題もしておりました。下のお嬢さんはこれも私立の幼稚園に通っています。リカさんの家では日常使うのは日本語、学校では中国語と方針を決めていると伺いました。こうして自然に馴染むことで言葉が身について行くのですね。環境を上手に生かしている生活ぶりです。

 8日の午後、私はリカさんに送って貰い、無事に帰国しました。
 青島午後便ですと富士山を見ることが出来ます。大連からの帰国の時と同じく素敵な富士山を目にすることが出来ました。

          富士山

 リカさん、ウェイウェイさん、劉夫妻、楊夫人と大勢の方に助けて頂いたことで、感謝の心一杯です。 足立さんの様子も分かりこれも良かったことでした。
 
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青島訪問 8

 リカさんと足立さんとで相談、昨年に完成したらしい青島の昔を再現した街「劈柴院」で食事をすることにしました。日本で見る青島観光ツアーの案内ではその名前を見たことはありませんでした。青島満帆で紹介されてはおりました。100年ほど前の青島の庶民の街並みを再現した商業モールと言うだけに、美味しそうな食べ物屋が何処の道にも並んでおります。
 入口には先ず魚介類の水槽が見られ、青島らしいなーとわくわくしてきました。

       水槽の貝類など

       劈柴院の店

       劈柴院の広場

       広場の様子

       食器のセット

       お湯を注ぐ

       料理

       二階からの眺め

         一周年の案内

          服装を整えてね

 劈柴院の中に江寧会館と言う舞台のある、日本で言えば大型スーパーで良く見かけるフードコートのようなテーブルが沢山配置されている場所がありました。周りには食事の出来る店が並び二階もまた同じ様に店があります。
 私たちは二階のワンタンの店に入り、そこで夕食を摂りました。お茶は「八宝茶」と言う薬用茶のような甘いのを頼みました。若い男性が背中に載せたヤカンから何回もお湯を芸のように注いで呉れます。
 ワンタンが冷めていましたので、リカさんが店員に言いますと熱いのを持って来て呉れました。 
 下の舞台では琴の演奏をしております。唐の時代のような衣装を付けております。二階から眺めて見ますと古い上海の映画のように煙草でけぶるような感じです。
 入るのにはキチンと服装を整えてと注意書きが出ていました。一人では行けませんし、ツアーでも行けませんから青島在住の二人と一緒だから出来た夕食でした。
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青島訪問 7

 青島日本人会事務長の池田さんと別れ、私とリカさんは臨シー路に住む足立吉弘さんのマンションに行きました。 足立さんは青島羊会という青島の同学年の集まりの仲間です。昨年帰国した際に大腿部骨折をしましたが、青島への望郷?の念か早々と戻って行きました。住まいは3階と聞いておりましたので心配をしておりましたが、2月に今のマンションに引っ越しを済ませておりました。エレベーターも使える23階。眺めは旧市街と遠くのマンションが見えます。

           23階の窓から

 築10年と言うマンションは余り綺麗ではありませんが、足立さんの生活には問題はなく日本語の生徒も増えて来ているそうです。3人が下に下りて行きますとパトカーがリカさんの車が駐車違反と言うことで何か話しております。するとそこに杖をついた足立さんが近づいて来ました。それと同時にリカさんは車の扉を開けて私たちを載せて走りだしました。
 理由は歩くのが大変な友人を連れに来たので、今ここに止めたばかりだと。そこに足立さんが現れたので無事に済んだと説明をして呉れました。
 車は先ず私の住んでいた鉄山路41号の場所に行きました。そこは1994年には既に更地になっていました。ところが41号は無くなっているようです。同じ位置は43号のマンションとなっておりました。

             鉄山路43号

 鉄山路33号の深雪ちゃんの家は勿論再開発のために無くなっていましたが、番地は昔の場所ではありませんでした。
 青島の子どもたちが診て頂いていた広瀬病院の場所は医療機関の建物となっておりました。

           広瀬病院跡

 妹が高熱を出し、ヒキツケを起こした時、母の言いつけで広瀬病院に全力で走りこんだ私は「妹が死んじゃう」と大泣きで先生に訴えました。そんな記憶を良く覚えております。
 鉄山路を後にして青島第一日本小学校の見学を済ませた後、私が日本から青島に行った時の最初に住んだ家にゆきました。1994年の訪問の時にはその建物は風化が酷く、切ない思いで見たものです。その後修復されたと言うことで再訪しました。
 信号山に登る中腹にあるその場所は斎東路11号です。青島の観光スポットの一つの迎賓館のある反対側に位置します。そこには数軒の家がありました。閑静な地域です。

           信号山と迎賓館

           以前の斎東路11号

              改修された斎東路11号

 信号山には沢山の思い出があります。私が大きなカルチャーショックを受けた場所でもあります。私はお二人にいろいろと当時の道の様子や遊びのことなどを説明し、そこを離れ斎東路26号の伊達順之助の住んだ家の前を通り食事所に向かいました。
 
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青島訪問 6

 青島には古くから日本人が可なり在住しておりました。戦後皆さん引き揚げ者となり、それぞれ苦労を重ねて今日を迎えております。
 青島在住の日本人の中で、昔の日本人社会の様子を記録して置こうと言う気運が高まり、このところ資料の収集やまた関係者へのアンケートの実施、更に訪問者へのインタービューなど、さまざまなアプローチがされております。青島で日本語教師をしている足立吉弘さんからの依頼を受けて青島羊会でも協力をしております。
 昨年来私も協力者の一人として資料の整理などを手掛けて来ました。
 そういった中でリカさんと知り合い、リカさんの日本の住まいが近所と言うことで、是非と言うお招きに甘えて今回の青島訪問となりました。
 特に旗袍の勉強を中心にしておりましたが、折角の機会でもありますので、日本人学校を訪問しました。校舎の一室に資料室が開設されたと言う事情もありました。リカさんは青島日本人会のメンバーでもあり、月刊青島のエディターでもありましたので、加藤文昭校長にアポイントを入れて置いて下さいました。
 青島日本人学校は2004年4月に開校され、生徒数は中・小合わせて訪問日には90人と言うことでした。校舎も広くて設備も整っております。玄関に入って行きますと一輪車がキチンと整理されて並び竹馬なども置かれております。
 校長先生にお目に掛かり、日本人学校の現状などを伺い、昔日の青島の学校生活なども話題になりました。校長先生は飾ってあった一枚の写真を見せて下さいました。
 それは私たちの通学していた第一小学校の人数が増加し1000人を超えて、分割すると言うことになってお別れを前にした集会の写真でした。青島には第二小学校もあり、分割された子どもたちは新設の第三小学校へと分かれて行きました。戦後暫らく経ち私は第三に移ったクラスメートと再会したのです。

        グランドに並んだ生徒

 校長先生はこの写真が何時の事かとお聞きになりました。昭和16年3月の物と思い、そのことを事情を交えて話をしました。その写真には書き込みはありませんが、資料集めの際に昭和16年3月と書かれたものがあったのです。木立ちも葉が無く、寒々とした風景です。それにしましてもこの写真は専門家の写したものでしょう。
 私も何処かに立っている筈ですが全く記憶にありません。写真を大きくして見ますと生徒の姿が一層はっきりと見られます。
 校長先生は資料室の有効利用も考えていられるようで、期待を込めて今後のあり方を話しておりました。
 資料室はそう広くありませんが、今後の蒐集によって充実してくることでしょう。日本人学校は大きく、1000名は収容出来るだけのスペースが用意されているそうです。特にこの学校設立には現地法人の加ト吉の協力に因ること大なるものがあると新聞で読んだことがあります。

         日本人学校正面

 日本人学校の向かい側には青島での日本人街を創ると言う趣旨で長屋風の建物を見ることが出来ます。恐らくこれは観光用ではないでしょうか。何処となく日本人の感性に合わないような気がします。桜花小鎮という字が見えます。
 既にドイツ人街は看板が掛けられており、リカさんの車の中からも見られました。青島の歴史的な意味を表現したいのでしょうか。

         桜花小鎮という場所と建物

 日本人学校を後にして私はリカさんがアレンジして下さっていた青島日本人会の池田光隆事務長とお会いしました。
 ジャスコの斜め向かいにある海潤飯店「旧老香港飯店」で昼食を取りながら資料のことで意見交換をしました。

         ジャスコの見える場所

 池田さんは青島におけるグリーンカード取得7番目と言うことで、青島の新聞でも大きく報道されたそうです。中国でのグリーンカード取得はかなり厳しいそうです。
 2005年12月に青島に行きましたが、その時にジャスコに行きその品物の豊富さに驚きました。現在も日本人には無くてはならない存在のようです。
 
 青島日本人会は1990年に創立され、現在の会長は飛坂有三氏ということで、青島在住の邦人個人と法人会員とで活動をしてきているそうです。

 日本人会のHPはここからご覧下さい。
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青島訪問 5

 4月5日に青島に到着しましたが、成田午前便ですと午後は有効に使うことが出来ます。5日午後と6日はチャイナドレス関係のことでリカさんとウェイウェイさんにお世話になりました。
 6日リカさん宅で青島満帆さんのブログで過って私の通っていた小学校の画像を目にしました。中には入れないと聞いており、青島羊会の皆さんも見学は諦めておりました。ですが私は傍に行き眺めるだけでも良いからと予定に入れておりました。青島満帆さんの記事を読みましたので、もしかしたらと出掛けました。
 校舎の入り口の柵は閉じられております。
 ところがリカさんは流れるような勢いのある中国語で門衛相手に喋っております。「奶奶・ナイナイ」と言う言葉が聞こえます。
 「このおばーちゃんは70年前にこの学校に通っていたのです。ここを見たくて来たのです。歳は80歳なの。もう二度と来られないと思うのよ。だから見させて上げたいの」
 リカさんの言葉は門衛を動かし、上司に相談した結果私は長く閉ざされていた青島第一日本小学校。戦後誰も見られなかった場所に立つことが出来ました。
 感激の極みです。リカさんと校舎を廻りました。

        青島満帆の画像から

        そーと覗いて

        向かって右

          右正面の入口

        右校舎側面

        校舎中庭

          左側校舎の下階段から見た側面

        運動遊具のあった場所

        上の場所にあった遊具

           向かって左側校舎裏

        校舎左側表から

        今回の第一小学校見学順路

 とに角中に入りましてリカさんと話しながら裏へ廻ろうとしましたら、何かするのかと咎められました。「何もしませんよ。見るだけ。だから誰か一緒に来て下さい」と言いますと若い兵士が付いてきました。彼は優しそうで「ここは昔と同じか」などと質問をします。
 中庭に植えられていた沢山のアカシヤは見られません。夏の朝礼で子どもたちが倒れないよにと植えられていました。
 私は所々に立ち思い出して説明をします。リカさんはビデオを回し始めました。
 遊具のあった場所では当時の学校生活に話が及び、私も出来るだけ喋りました。中庭から下には建物が立ちはだかりグランドは見ることは出来ません。校舎から我が家の方へと出る門は見えました。
 今回は全く予期せずして中に入るチャンスが巡って来ました。1994年に青島へのANA第一便で訪問した時と同じく、一番です。なんて幸運なんでしょう。
 日本人が建設した青島第一日本小学校の歴史はリンクしてあります「青島満帆さん」に詳しく掲載されています。

 
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青島訪問 4

 2日目の午後リカさんは所用があり、ウェイウェイさんと二人で劉夫人の所に出掛けました。
 劉夫人は旗袍の仕事は何時もは自宅でされているそうです。劉夫人のご主人は店頭でお客のオーダーを受け、裁断をしていると言う専門家です。
 店内はそう広くありませんが、出来あがった旗袍や一点物の品物が並んでおり、生地もこれまた沢山陳列されております。
 劉夫人には事前に教えて欲しいことを伝えてありましたので、そのための準備をされてお待ちくださいました。専門家ですので、私の意は確りと受け止めていて下さり、直ぐに手ほどきが始まりました。
 何か良い方法はないものかと考えていた紐ボタン作り方を教えて頂くことが出来ました。

          劉夫人の作業

 ご主人はお客さんが引きも切らずに見え、その相手をされていますのでなかなか話を聞く時間がありません。
 お客さんの姿をさりげなく観察、彼女たちは姿勢も良く態度は堂々としております。これはもう凄いなーと直観しました。出来ている物を次々手に取る女性方の着ている物は可なりレベルが高いのです。発展中の青島の経済力を目の当たりにしたような気がしました。

 劉夫人の指導を受けた後、楊夫人を訪ねました。先ずオフィスに伺いますとそこには今までに見ることのなかったシックな旗袍が陳列されております。
 楊夫人はおっとりと構えております。素敵な旗袍を着用しにこやかに迎えて下さいました。ウェイウェイさんから訪問のことが伝わっていましたので、お茶を飲みながら旗袍談義に花が咲きました。

            シックな旗袍

 旗袍に対する考え方が私の姿勢と一致するところが多く、ウェイウェイさんもまた同じ様な考えでしたから、話が長引きましたが、楊夫人の店舗に案内して下さって恐縮しました。オフイスもオーダーの方が見えるようで、設えも垢ぬけております。仮縫いの部屋も落ち着いて出来るような雰囲気を感じさせております。
 オフイスには縫製専門の方々もおり、事業家として確立されていることが良く分かりました。

 楊夫人の出店しているデパートのフロアーは広々と空間が取られており、花やかなりし過っての銀座の高級品売り場のような感じがしております。
 楊夫人は旗袍の仕事の前は繊維関係の会社社長をされていたそうですので、経営手段は心得たものでしょう。店内は既製品ですがどれを取っても欲しくなるような物ばかりです。

          楊夫人の店舗

          楊夫人の店舗

 今回はリカさんのお陰とウェイウェイさんのご協力で専門家4人と出会え、直に話をすることが出来ました。本当に有難く出掛けた甲斐がありました。
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青島訪問 3

 今回の訪青の一番の目的はチャイナドレスを勉強すると言うことでした。
 2日目の昼前にウェイウェイさん宅に伺いました。ウェイウェイさんの住むマンションは海に面し、日本人が多く住んでいると言う銀都花園の中。14階からの眺めは青島らしい風景です。
 青島は山あり海ありと中国の中での稀有の都市です。中国人が老後住みたい街として一番に挙げるというのは最もだと思うことです。しかし郊外と言いますか東に広がる別荘群の夜の姿は投資を目的に買っている方が多いのか、灯りの付いてない家が多いそうです。そう言うことからすればウェイウェイさんの住むマンションは安心して住める場所と言えましょう。

       正面の風景

       右方向の風景

 景色を眺め、リカさんと3人で打ち合わせをしていますと、突然ウェイウェイさんのお子さん(一歳に満たない男の子)が大きな声をあげ泣き出しました。左腕が可なり痛いらしく、リカさんが手にお菓子を掴ませようとしますが、掴めません。急いでお二人は病院に出掛けました。私は上のお嬢さんとお喋りをし、帰りを待ちました。
 
 2時間近く経ち3人は戻りました。脱臼だと言うことで既に治り、赤ちゃんの腕も動いております。
 そこで青島の医療についての話題になりました。
 最初総合病院に行き、診断を仰ぐと医師は分からず「レントゲンを撮りましょう」と
 そこで「それで分かるのですか」と聞きますと「撮って見ないと分からないから小児科へ行かれたら」となり小児科では直ぐに脱臼と分かり、数分で治療が終わったと言うことです。
 
 ハプニングがあり、3人が戻って来る前に日本食のお弁当が届きました。帰宅する前に電話で注文して下さっていたのです。近くの日本料理店からの出前です。味噌汁も付いています。日本人が多いのでこのお店も便利に使われているそうです。思ってもいなかったことが体験出来、また中国の医療の姿の一部を知ることも出来ました。
 結局次に伺う方に連絡をし出発を遅らせて出掛けました。
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青島訪問 2

 生地を買うのにリカさんとウェイウェイさんは値切るのを楽しんでおりました。傍で見ている私はフー凄い!とため息が出ました。
 出掛けた先は台東という青島での繁華街です。昔は台東鎮と言いました。

      台東の賑わい

      穿戴大世界

 台東の一角に穿戴大世界という日暮里の店がすっぽりとまとまったような店舗があります。中には生地屋、規制品の服飾品、ボタンなどやファスナーなど。とに角服飾に関わる品物が所狭しと並んでいます。ウェイウェイさん行きつけの店のマダムは人の良さが顔に出ています。目が活き活きと輝き、青島の発展を体現しているような方でした。

 買い物も確りと済ませ、私たちは青島に最近開店した「全聚徳」に出掛けました。地下の駐車場から入りました。青島では駐車違反は厳しいペナルティーがあります。
 全聚徳は皆さまご存じの北京ダックの有名店です。店内は明るくて広さも可也のものです。席に案内をして呉れる女性は背が高く、赤い長い旗袍に白いファーのケープをはおっています。
 店内の中心に男性二人の像が見られます。一人は鴨を竿の先に吊るし、一人は手にソロバンを持っています。

      二人の像

      北京ダック

 北京ダックは削ぎ切りにされ器は肉が冷めないように火の上に載せて供されます。生徒と北京で食べて以来の久しぶりの味でした。お腹も一杯になり、帰る段になりますとお二人が何かカウンターのところで交渉しております。
 この日のサービスの籤は全部外れたようで、私に関係がありそうな感じです。
 「あのおばーちゃんは日本で中国文化を普及している方だから何か差し上げて」と言うことになったそうです。
 私は思いも掛けず「画説 全聚徳 珍聞趣事」という画集を頂くと言う幸運に驚かされました。このような交渉はお二人の連携が実にタイミングが良く感心するばかりです。

       全聚徳 画説

 この画説は全聚徳の歴史、北京ダックの製造法、来客の紹介などいろいろな角度から全聚徳を語っています。とても素晴らしい記念の品を頂きました。
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青島訪問 1

 4月5日 4年半振りに中国青島に出掛けました。青島へは1994年の関空開港に合わせたかのような青島空港国際線受け入れ初就航と言う大きな節目に出掛け、その後2005年の12月に再訪。今回は戦後3回目の訪青となりました。
 初めての訪問の時には青島流亭空港の姿はこれがターミナルビル?と驚かされましたが前回の時にはすっかり様変わり。実に立派になっておりました。
 今回は特に空港の服務員も親切。到着時も発着時も全く不安はありませんでした。
 現在日本からはANAのみの就航の所為か往復ともほぼ満席。この状態は何時ものようです。
 
 空港にはお世話になるリカさんとお子さん2人が待っていて下さり、大きな声で「持永さーん」と3人で手を振り迎えて下さいました。(昨年から実施された清明節の休日でお子さんも一緒にお見えになったことです)
 車は一路リカさん宅に向かいました。道は何回も来たような気がします。青島の山並みが車の左側に見え始めますと青島だーと気分が高揚してきました。
 リカさん宅は旧市街とは離れており、浮山后と言う地域の大きなマンションの集まる場所にあります。
 そのマンション群に入るにゲートがあり管理も確りとされているようです。自宅に入るには暗証番号と更にカギが必要です。新しいマンションがどんどん増えている様子がリカさん宅の窓からの風景を眺めても良く分かります。

        21階からの眺め

        21階からの眺め

        21階からの眺め

        21階からの眺め

 一番上の景色はダイニングルームのパノラマ状のものです。大きな一枚鏡はこのように外の風景を映し出して呉れておりました。部屋の入口に立った私はその風景に暫らくは座らず眺めておりました。
 下の風景はリビングからの風景です。
 こうして両側の風景を眺めますと、発展拡大の進む街の様子が一挙に分かります。リカさんは日々変化する青島の風景を毎日眺めていられる訳ですね。
 この日到着時間に合わせてお見えになったのがウェイウェイさんです。ウェイウェイさんはリカさんと親しい旗袍の専門家です。一休みした後揃って先ず生地を探しに出掛けました。
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キムヨナ風に

 二女の娘は小学校2年生になりました。この子の面白さにはもう参っちゃいます。
 大人を驚かせたり、からかったりしても可笑しくて怒るより笑って仕舞います。
 朝青龍や荒川静香の真似で散々笑わせてくれましたが、その表情の真似は卒業し、極最近はキムヨナの真似です。
 今日は私は何となく忙しくしておりましたが、キムヨナの真似を始めましたら褒めて褒めて褒めまくりました。
 キムヨナの動画を自分で出してスケートの滑りを見せて呉れます。
 腰の動きも腕をゆっくりと動かすのも実にうまく真似ています。表情もなかなかやります。

          キムヨナ

        キムヨナ

          キムヨナフィニッシュ

        キムヨナ点数を待つ

        やったー

 芸が細かいのです。スピンも上手に出来ます。ところがこのような場面ばかりではないのがこの子なのです。
 志村けんのバカ殿の真似などは笑って良いものか怒るべきものかと老婆を悩ませて呉れます。
 
 それに口の達者なこと。此方がうっかり物言いを間違えたり、道理に合わないことを口滑らせたりしますと、言い返すことなどは即です。それも的確な表現をしますから老婆は何時もやられっぱなし。
 腕相撲も持久戦となりますと、私の負け。なかなか眠りたがらないので親は毎日疲れて仕舞っております。
 何か素早い運動神経を活かす道はないものかと、思案をするところです。
 チビですから体重や背の高さに関係のないスポーツをとあれこれと考えたりもします。
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明治大学記念館の姿

 青島も好きですが、東京も好きです。東京の中でも神田が好きです。
 神田と言っても好きなのは駿河台です。駿河台の中でも好きなのは明治大学です。
 だって42年間も縁あった地ですし、馴染んだ場所ですからね。
 
 今年の明治大学の受験者数は私学では一番になったと聞きますと、それは嬉しいですね。難聴でも字は見えますから目は素直にニュースを追っています。
 
 1948年の4月入学式で記念館に入って行きますと、会場は立錐の余地もなく、仕方なく3階に昇りました。まー何と汚いことよと驚きました。女学校のピカピカの廊下と比べ大学とは汚い場所だと思い、その印象はかなり長く続きました。
 今振り返ってみますと、大学とはそもそも貧乏だったのですね。今は駿河台一丁目一番地は見事に変身し立派になっております。
 有名だった記念館を知る人も段々少なくなって来ております。現教職員の方でもそこに入ったことのある方は減っていることと思いますね。
 沢山のことが記念館ホールで展開されました。懐かしく思い出します。
 駿河台に行きますと山の上ホテルへの坂道の傾斜は変わりませんが、昔の姿は殆んど変っております。
 汚くても老朽化していても大好きになっていた明治大学記念館の姿を並べて見ましょう。

        昭和3年4月21日落成記念式典

        完成した記念館

        三代目記念館

        テレホンカードから

        テレホンカードから

        記念館

           テレホンカードから

        記念館

 4枚目と5枚目は昔の講堂と校舎とが一緒ではなかったかと想像しています。知る人は探してもおりませんでしょうね。
 前の記念館は大正12年に発生した関東大震災大火災で崩れ落ち、その再建は教職員・学生と一体となり復興されたのです。モッコを担ぐ学生の姿を写真で見たことがあります。
 
 これをご覧になった校友の皆さまそして学生の皆さま どうぞ拍手をクリックして下さいね。明治大学を何時も応援している老婆は嬉しくなりますよ。
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思い出を重ねて

 中国青島への思いは同級生と集まればその強さをしみじみと感じます。
 今回青島でお世話になる方のアンケートとは別に手紙や写真を送って下さった方がおります。クラスも一緒だった沼津に住む岡田多慶小さんからの写真一枚。
 昭和15年春と裏書きがあります。青島神社の階段下の前。満開だったと思われる桜の枝が大きく下がっております。PCって不思議ですね。(こんなこと思うのは私だけかしら)写真で見るよりハッキリと見え、子どもの頃の多慶小さんの顔が確りと分かります。左後ろに見える建物が分かりませんので、お父様が敗戦まで宮司をされていた宮崎豊茂さんに伺いました。神官の住宅だと記憶していると返事を頂きました。

          岡田多慶小さん

 青島神社はこの頃日本人社会の要のような感じでした。人々は折りあれば参詣に訪れており、日本からの相撲の巡業なども境内で催されておりました。
 参道の両側には桜が植えられており、その幹からにじみ出るヤニを集めて爪に塗りマニュキュアのようにして喜んだものです。
 昨日都内は桜の満開宣言が出たそうですが、青島の中山公園(元第一公園)や貯水山公園(元青島神社)の桜を見ることが出来るのかは微妙なところです。青島は未だ気温も低いそうですから。

        青島神社絵葉書

 この神社の桜はどうなっていましょうか。戦後切られて仕舞ったと言う話もありますから。
 青島満帆に掲載された老人の生活。階段の前でダンスをする人を見せて呉れています。中国では老人の社交ダンスはとても流行っているようですね。健康にも良いし、老いても異性と楽しい時間を過ごすのもこれまた心身の健康に繋がりますからね。

        社交ダンスを愉しむ老人

 青島見聞は後日掲載したいと思っております。
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トマトが主役

 昔々トマトは夏野菜でした。今は野菜の盛りや旬と言う言葉は余り聞かれなくなっておりますね。
 何かの野菜を見せて「この野菜の季節は何時ですか」と渋谷辺りで若い人に聞きましたらどういう答えが出てくるでしょうね。
 食品分析表が以前と変わったと聞きましたが、野菜の場合それは栽培法とか生産地の拡大に因るものかも知れませんね。
 まーそう言うこともありますが我が家の朝食にはトマトが付き物です。どうも主役のように見えます。
 わくわく広場に最近出て来たトマト「ぶすっこ」愛嬌のある名前ですが、トマトの銘柄ではないようです。生産者が遠慮して付けた愛称ではないでしょうか。以前アイコというトマトも見ましたがね。

        ぶすっこトマト

 このトマト。実に確りと手応えある果肉の歯ごたえと味。気に入りこういうトマトが何時も出て欲しいと思っています。
     以下はトマトのある風景ならぬ朝食です。

        3月24日

        3月26日

        3月28日

        3月29日

        3月31日

 冬季五輪の新聞が傍に置いてある朝食。月遅れですが記念と思い掲載して置きます。

        2月27日

         お婆さんはしつこいですね。 

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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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