2010-06

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夫の配慮

 私のうっかりとそそっかしさは家族も良く分かっております。それも歳を重ねるに連れて拍車がかかって来ております。
 ですが家族が良く分かっていると言うだけでは済まないことがあるかも知れません。
 我孫子市の分別ごみ収集はキチンとされているのでしょう。リサイクル率は県内一と言うことです。

         リサイクル我孫子一位

 最近資源ごみの分別収集の方法が変わりました。聞くところによりますと仕分けも細かくなっていると言うことです。私が聞くところと言うのは、担当が夫だからで、実際どうなったのかが分からないのです。
 この新しい方法に変わったある日のことです。
 「あんた知らないで恥をかくといけないから教えて上げるからね。資源ゴミの収集方法が変わったんだよ
 有難いような困ったような話です。
 
 夫が入院していた時、資源ゴミを出しに行き、清掃の方に「奥さん今日はそれは出せないんだよ」と注意されたのです。そのことを知っていた夫はまたそういう事態にならないように私に教えて呉れたのです。
 高齢になりますと段々と体を動かすのが億劫になります。体力の衰えに気が付き、こんな筈でなかったと思うこともありますが、これは自然なことと受け入れなければと思うのです。
 そして自分に都合の良い方へと思いを巡らせます。
 夫の分担は確りと当てにして過ごそうと思うのです。
 夫は私の行動に余り神経を使いません。かなり大雑把に捉えております。それは有難いことと思っております。
 ですが偶には私の前へ前へと出て行きたがることにはチョッとブレーキを掛けなければと思うようです。
 時々笑いながら私の注意を喚起します。
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初めて見たケース

 中国へ出かける方が良く口にすることは不潔ではないかという心配ごと。4月に青島に出かけましたが、以前と違いいろいろな面で清潔になっておりました。
 確かに日本は清潔ですし、出かけるのに構えることも考えることなく過ごしておりますね。
 中国はその点まだまだと言うことは否めないと思います。
 今回はリカさんのお宅にお世話になりましたので、外での食事は3回でした。
 有名な北京ダックの「全聚徳」 庶民的で美味しく清潔な「海潤飯店」 楽しい昔を思い出す「劈柴院」
 何処も気にせずに過ごして来ました。特に「全聚徳」の洗面所は実に綺麗でした。

 今回私が目にしたティッシュケース。先日青島から持って帰った物や、ほっておいた物をやっと整理をしました。
 その中に「劈柴院」で食事をした時のティッシュケースを手にし、改めて感心しております。上海でタオルのお手拭きが有料で、使わなければ使わないで構わないと言う経験をしましたが、青島のティッシュケースには何となく夢が込められているような気がしました。
 これって中国人の合理性と言えるのでしょうか。なかなかのアイデアだと思います。
 日本では見たことはありません。

 テーブルにつきますと皿、カップ、スプーンなど一式がそっくりラップで包まれて目の前に置かれます。これも少し驚きましたが、清潔ですね。しかも青島ではこの方法は流行っているそうです。
 でそのセットと一緒に渡されたのが「紙ナプキンと手拭きティシューが一緒に収められたケース」です。
 日本でもティッシュケースにそのような作りの物はありますが、レストランでは見たことはありません。

            ティッシュケース

              ケースの内側とお手拭き

 上のケースは二つ折りになります。袋の中は両側に紙ナプキンと手拭きが入っています。
 日本では紙ナプキンは普通のレストランでは好きなだけ使うことが出来ますし、チョッとオシャレなレストランでは紙ではありませんね。
 私は気に入りましたね。庶民的ですし気が利いているように感じました。
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何と地味な

 今年中に3㌔体重を落とすようにと先生に言われており、何となく約束して帰宅したような気分が続いております。
 実際食事の量を減らし、脂濃い物は避けております。そうなりますと煮物も変わって来ますね。野菜との取り合わせに鶏肉や豚小間と言った物が少なくなっております。
 煮物以外にでも保存食は良く作りますので、塩分が多くなります。どうも気になりますがせっせと作って仕舞います。
 イモや他の根菜類の登場は季節的にも少なくなって来ております。葉物の良い物は品質に添って高いですね。当たり前でしょうが。
 安くて栄養のあるものは何と言ってもモヤシですね。ですが専らモヤシと言う訳にはゆきません。老人になりますと葉物はよーく火を通してゆっくり煮ます。お浸しも柔らかくします。
 困るのは歯の隙間に繊維質が挟まり、楊枝を使う時間が長くなって仕舞うことです。まーいろいろと起きますね。
      最近の煮物はあっさりとしております。

        焼き豆腐とさやいんげん

        生湯葉・昆布・長芋

        筍・若布

        人参・長ひじき

        筍土佐煮

        胡瓜の佃煮

 胡瓜の佃煮は煮物とは言えませんが、地味代表のようなものです。この量で胡瓜5本を使いました。我が家の食事は和風が基本ですので、漬物として出します。それでも偶にはカレーの付け合わせにしますね。
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60年振り?の邂逅

 大学の女子寮に入っていた私の向かい合いの部屋は住む場所として作られておりませんでした。
 入寮希望者が増えることに対処するために畳を入れた粗末な作りの部屋でした。
 そこに入って来た方は大連の女学校を卒業していたHSさんでした。引き揚げ者同士と言うこともあり、大変親しく過ごしておりました。
 1959年のある日 「今日の夜お友達が来るので一緒に食事をしましょ」と彼女から誘いがありました。
 欠食状態の続いていたような貧しい食生活に有難い言葉。喜んで夕方を待ちました。
 「見えたので食べにいらっしゃい」部屋に足を踏み入れた私は言葉で表せない衝撃を受けました。そこに見えたお客さんも私を見るなり何かに打たれたかのように、口をぱくぱくさせるだけで私を指さすばかり。
 私も言葉が出ません。同じく口をぱくぱくさせてお客さんを指さすだけです。 
 数秒だったと思いますが、その時間に味わった感動と嬉しさは今も忘れることはなく、続いております。
 二人は中国青島の第一日本小学校の同年生でした。鉄山路という通学路も同じ。彼女は33号のTMさん 私は41号

 それ以来二人の交流は続いております。二人を食事に呼んで下さったHSさんは2003年に亡くなりました。
 亡くなる数年前私とTMさんはHSさんと横浜で会うことが出来、昔を懐かしみまたお礼の気持ちを伝えることが出来ました。(この時に既にがんを発症し、手術を受けていたのですが、何もおっしゃいませんでした)
 HSさんは一緒に食事をしてから間もなく寮を出て行き、仕事中心の生活に入りました。その後大学をやめましたがお互いの消息は分かっておりました。仕事に打ち込んでいたHSさんを認め尊敬した男性が現れその方と結婚。二人の男児をもうけました。
 TMさんは青島時代にバレエを習い、可愛い可愛い少女でした。ですが岡山に引き揚げてからその地でバレエを習うことはできません。そこで上京。職探しをし勤め先が見つかりました。そこでの上司がHSさんだったのです。賃金も廉く、生活が大変だったTMさんに常に優しく、励まし何かと援助をしていたのがHSさんでした。
 HSさん亡き後はご主人から賀状は頂いておりました。
 数年前に「Sちゃんはお墓は要らないと言っておりましたが、従兄が住職の寺に墓を造りました」と記されておりました。
 私たちはぜひ墓参したいとご主人に伝え、一昨日寺のある甲府まで行きました。
 ご主人は私もTMさんも知っておりました。ですが長い空白がありました。実にそれは60年程も経っていました。

        武田信玄像

 甲府駅で3人は落ち合いました。タクシーで寺に着きました。日差しが強く空は梅雨と言うのに紺碧。大きく広がっております。庫裏で暫らく涼み墓地に行き、念願のお参りをすることが出来ました。
 HSさんのお墓はご主人の愛情が全体を覆い、実に細やかな配慮がされております。
 形もユニーク 墓石の色も所々が僅かに茶色が浮き出ているように見えます。そして亡くなる前年に一緒に並んで写した写真をタイルにして嵌めこんであります。
 今までに目にしたことのない墓石でした。

 3人で語る長い時間の間に過ごして来た事柄は尽きません。
 ホテルはご主人のご厚意で湯村温泉の甲府富士屋ホテルに泊めて頂きました。有難く泊めさせて頂きました。

 私たちは青島時代から始まり、越し方の喜びや苦しみ、そしてこれからの過ごし方など。夜更けまで話しこみました。
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証明書は語る

 日本が負けるまで中国青島に住み、また生活をした方の資料集めに協力しておりますが、先月の会合の席上預かりました一枚の種痘接種の証明書。持ち主は石原守さん。そして種痘接種を受けたご本人です。
 私が小学校で習った種痘の話は「ジェンナー」のことです。教科書にジェンナーが自分の子どもに種痘をしてる絵がのっておりました。ご存じの通り天然痘の予防接種のことです。今は特殊な場合を除き、行われていないのですが、昔は2回はしなければなりませんでした。生後1年以内と小学校入学前だったと思います。

          種痘接種の証明書

 この種痘接種の証明する署名者について石原さんが「東大総長をされた矢内原忠雄先生の弟さんです」と言われました。折角の証明書の署名人が分かっているならば、青島病院のことが分かるのではないかと、調べて見ました。
 矢内原と言う名字は珍しいし、きっと何かで発見出来るのではとPCで検索しました。
 矢内原啓太郎先生は鎌倉で医院を開業されたと分かりました。早速鎌倉の病院を探し、ご長男の矢内原巧先生とコンタクトがとれ、啓太郎先生のことをお聞きすることが出来ました。

 矢内原巧先生からのお知らせ頂いた内容を掲載致します。
 
 「矢内原啓太郎先生は青島病院の産婦人科医長として昭和4年から終戦の年まで勤め、その後青島市で開業(昭和20年10月頃) その間青島医学専門学校で教授をされました。
 引き揚げは昭和23年11月で昭和24年より鎌倉市で産婦人科医院(矢内原医院)を47歳で開業し84歳まで診療に従事しておりました。
 平成6年91歳で他界されました」「筆跡は父のものに間違いありません」とハッキリとしました。

 以上のようなことですが、私は「戦後青島で開業云々」と言うことに驚き、巧先生に其の事を改めてお訊ねしました。
 先生からの返事ですがこれは青島での貴重な資料になるのではないかと思っております。
 先生のお許しは頂いておりませんが記録と思い、掲載させて頂きます。
 
 「父は中国に骨をうずめるつもりでした。しかし中国共産党が支配することが濃厚になった時点で恐らく最後の引き上げだとおもいます。戦後に開業してもしばらくすれば日本と中国との国交は始まると思っていたのでしょう。開業までのいきさつには中国人のなかに支援者がいたと聞いています。したがって戦後の青島での開業には困難はすくなかったようです」
 病院の場所は青島神社の近くの益頭路ではなっかったかと記憶されているそうです。
 巧先生は第二小学校に通学。引き揚げ時は12歳だったそうです。
 現在巧先生もご子息の敦先生も鎌倉で医院を開いております。矢内原忠雄先生のお父様は調べますと医師だったそうですから4代続いていると言うことですね。(ご親族に多くの知名人の名がでてきました)

 私の妹の一人は昭和16年、その下の妹が昭和18年に青島病院で生まれておりますから、恐らく妹二人も矢内原啓太郎先生にお世話になったことと思います。

 青島病院は同仁会青島病院と呼ばれており総合病院として邦人の方の頼る病院でした。ただ私世代ではその規模などについて知る者が先ずおりません。今後の調査が進めば分かることも出てくるのではと思っております。

          昔の青島病院
      (昭和15年 遠藤一二氏写真画集青島から)

 この写真に書かれた説明を眺めますと可なりの規模の病院です。
 独逸時代の病院の後を継いで、大正9年に青島居留民団の手によって20万円の巨費を投じ拡大、設備を充実した病院だそうで、数百人の入院患者を受け入れることが出来たそうです。構内は公園の如く四季花の絶えることなく、数百本の桜は春の花見場として有名だったそうです。

『追記』 6月21日午後11時 
 
 ブログをご覧になった石原さんから下記のメールが来ました。

  小生の家内も青島育ちで
  徳県路に住み父親が矢内原先生と同じく
  産婦人科の医者で開業してました。
  (多分東大で一緒だったとか)
  母親は小生の母と青島女学校の同級生です
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馬琴師匠竜馬を語る

 明治大学OBの兼松紘一郎さん(37年工学部卒)が世話人代表をする「明大A(アート)アンドB(ビジネス)倶楽部」は年に2回 宝井馬琴師匠を迎えて「ビジネス講談の夕べ」を開催しております。
 
 会場は上野池之端にある鰻の老舗“伊豆榮本店”

 今回は昨日開催されました。会場にはOB・OG合わせて50数名がお見えになりました。6月は日が伸びておりますから6時半からでも窓の外は残照があるかのように見えます。

 このところの竜馬ブームの所為か、馬琴師匠へのリクエストに竜馬をと言う声が多いそうです。そこで昨夜
 馬琴師匠は「竜馬伝」を語ると案内にありました。師匠の説明によりますと古典講談には竜馬物はないそうで、このためにご自分で調べて置いた資料を元に、竜馬暗殺の場面を馬琴風な語りにして一席進めました。

 慶応3年(1867年)11月15日の夜 竜馬は京都近江屋2階で暗殺されました。どうして竜馬がこの部屋にいたのでしょう。馬琴師匠はそのことを詳しく調べたようです。
 近江屋の主人は竜馬に好意を寄せており、竜馬潜伏に力をかしていたそうです。母屋は危険だと土蔵に部屋を作り、縄梯子を使えば直ぐに塀を乗り越え、逃げることが出来るようにして置いたそうです。ところが
 竜馬は数日前から風邪を引いていて、母屋の厠に行くのを面倒がり、そのせいで土蔵に行かず母屋の2階にいたそうです。
 そこで中岡慎太郎と火鉢を囲み話をしていたのですね。
 
 この辺から師匠の語りが講談になって来ます。二階に駆け上がって来た刺客数人。竜馬は額を真横に切られて即死。
中岡慎太郎は重傷を負い、数日後に死亡。 竜馬33歳 流れるように話が進みました。これが良いですねー。

          馬琴師匠

 私は何時も部屋の右側に座りますが昨日は珍しく左側 正面からのように写せました。まー竜馬に入るためのプロローグのような話が面白かったですね。卒業してプロの世界に入った師匠は「ワンゲル風土記」と称し講談を語り歩くことをしたそうです。その第一回が高知県での会だったそうで、プログラムに寄せた英文の橘忠衛教授の土佐の紹介が面白かったですね。また司馬遼太郎の本にサインを頂いた時、司馬さんも売れてなく、また師匠もしかりで宝井琴調時代だったそうです。「蚊取り線香のような名前だね」と司馬先生はおっしゃりサインをされたそうです。師匠は今は宝物ですよと言いましたね。

 今回の助っ人は女流大神楽の 鏡味初音さん 可愛い声で楽しませて呉れました。私は初めてです。

          鏡味初音さん

 食事の後 先ごろ二つ目に進んだ宝井琴柑さんが挨拶に見えました。彼女は皆さんに好かれているのですよ。
 二つ目昇進の紹介は伊藤琴遊さん(我孫子のワンコイン寄席で何時もお世話になっております)

          宝井琴柑さんとと伊藤琴遊さん

 9月9日にオパールネットワーク我孫子支部主催で「ワンコイン寄席」を開催しますので、昨夜は伊藤さんと打ち合わせが出来ました。我孫子の皆さまご期待下さい。
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テャイナドレスは素敵だ 63

 4月に中国青島に行き、最近の旗袍の様子を見て来ました。予想していたより既製品が良くなっておりました。
 縫製もかなり良く、好みが合えば買っても良いと思うものもありました。特に楊夫人のショールームにはシックな旗袍が並び、高級な物が売れると言うこと、何となく嬉しく思ったことでした。
 
 私の教室では地味なチャイナドレスを作る人が多く、地味と言うことは飽きずに長く着ることが出来ます。とても良い傾向だと思っております。
 
 最近は和服の生地を利用したり、またシルクの持つ風合いに魅せられたりと。それぞれの方が腕を上げております。

          落ち着いた色使い
 
 誰かが持って来る生地を皆さんで囲み、あれこれ感想を言ったりデザインを一緒に考えるのも楽しい時間です。

 先日は出来あがった地味な上着を着て見せて貰いました。

          作品を着る

 この綺麗な紺色の上着は皆さんの興味を引きました。ただこのレベルの物は生地の扱いが難しく、かなり数をこなしていませんと難しい物です。
 
         生地を見る
 
 チャイナドレスはラインがシンプルですので、簡単に作れると思っている方も多いことと思います。ですがそれなりに難しい面があります。 

 ある受講生の話では、受講する前に思っていたよりも作るのが難しく、奥が深いことが分かったと言うことでした。
 私が言うまでもなく同じ物を何着も作りますと、腕も上がり体に馴染む物を作ることが出来ます。
 そういうことから皆さんにも長く作り続けて欲しいと思うことです。基本が確りと身に付きますと後は楽しくなります。
 街着からパーティー用の物へと、レパートリーも広がり挑戦したくなります。いずれも手を掛けて作りますから長く着て欲しいと思うところです。
 
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凄くて表現しようがない夫妻

 私の周りには変った人が多いと良く言われます。そして私も変わっていると。
 そんなことはないんです。友人知人は変わっているのではなく、個性的なんですね。
 その中で個性的も個性的 超ド級と言える方が長崎に住む金子数栄さん・君子さんご夫妻です。

  このご夫妻の生活は自給自足とは言え、徹底しております。二人はそれぞれ自立しており、また協力ぶりに驚かされます。紹介するのに困って仕舞います。二人を合わせて紹介しますと下記に羅列してなお足りない位です。
 農家・漁師・民宿経営者・文筆家・スポーツ愛好家・ピアニスト・書家・燻製製造家・トライアイスロン愛好家・
子どもの体験学習協力者・もううーんどう言えばいのでしょうね。

 毎日金子さんのブログを拝見しておりますが、これが三日分しか見られないのです。

         サッカー6月15日

 とに角数日家を開けますと前のデジカメ日記を見ることが出来ません。先日はご夫妻で米国に出かけたのです。
 暫らくデジカメ日記に新しい画像がアップされないので、待ちながらもうかうかしておりました。そして覗きますと一気にそこに旅の風景を見ることになりました。
 ですから見ていない画像があるのかも知れません。今日から見ることが出来るのが上のサッカーの画像です。これも数日後には消えております。

         金子さんアメリカ旅行

 ある時 もう少し長く置いて頂けませんかとお願いしましたら、これで精一杯だとのことです。
 気にいったものでも三日経ちますと二度と眺めることができませんので時々私のPCに取り込んでいます。

         万能のような窯

 そうそうパンは勿論、この窯で燻製も作っております。金子さんの宿では宿泊者の方はいろいろな体験をすることが出来ます。喫茶店も併設されているようですが、若しかしたらタダのお客様も多いのではと勝手に想像しております。

        君子さんシイタケの苗打ち
 
 君子さんは機織りもしますが数栄さんが織り機を手入れしたような気がします。お二人の毎日は全て自分たちが楽しく有意義に過ごすことのための時間と言えましょう。凡人の私はため息がでまーす。

 とに角見て頂くのが一番だと思いまして、昨日リンクして置きましたのでぜひご覧になって下さい。並みの人間ではないですね。デジカメ日記も楽しませて下さいますが、「田舎暮らし狂想曲」に掲載されているさまざまな記事もぜひご覧になって見て下さい。

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ゴルフって?

 若い時 そうですね40歳代から50歳位までの間と言って良いでしょうか。
 仕事でも家事でも頑張ってはいましたが、自分のストレス解消もしたいと思い、かなりいろいろなことをしておりました。
 ある時期 夫の手ほどきでゴルフの練習を始めました。夫は相当長くプレーをしており、かなり上手になっていたようです。
 近くの練習場に行き、あーだ、こ―だと指導をします。ですが前には飛びますが距離はまるで駄目。
 「何でだろう? こうやってみたら、確りと足を踏ん張って、球を良く見て」とかいろいろと言います。
 だんだん面白くなくなって来ます。練習が終わり車に乗り込みますと何だか不愉快になって来て口数が減って来ます。
 ゴルフ場に出かけますと「とに角何も考えずに前に打て」と言われ一所懸命クラブを振りますが、どのクラブで打っても距離は同じ。「他所の人と行くなよ。迷惑するからな」と。
 娘が気の毒がり「セットを買い替えたら。そうしたら飛ぶかもよ」と慰めて呉れました。買い替えて見ましたが結果は何も変わりません。そこで私は諦め止めました。
 生まれてこの方習い事は大抵少しずつでも進歩があり、楽しいものです。ですがゴルフは全く駄目でしたね。

 この数年夫と私は病院通いが続いております。夫は呆れるほどの薬を飲み、体調に気配りしております。と言いますのは病気の大家だからで、特に心房細動が運動を出来なくさせております。ゴルフは当然止めました。
 バックは場所塞ぎで邪魔ですが、そのまま置いてあります。
 先日「これは何だろうと思ったよ。捨てよう」とスコアカードの入った袋を差し出しました。
 見ますと可なり入っております。数えて見ますと大凡300枚
 「これって記念になるじゃない。捨てるんだったらPCに入れて置くわ」と取り込みました。
 特にハワイでのゴルフは思い出のものです。私と娘は観光をしておりましたが、夫はゴルフ。スコアカードは束から別にして表と裏を取り込んで置きました。
 「でも折角の物だから取っておいたら」と袋を夫に渡し、夫は「そうかじゃー仕舞って置くか」となりました。

         スコアカード

 TVで美味しい店の紹介がありますね。夫は「行ったことあるか?」と聞きます。「あるわよ」
 また見ていますと「ここは知っているか?」と来ます。そこで反撃
 ゴルフ場が出ますと「行ったことある?」と聞きます。TVを前にしてゴルフと料理の合戦と相成るわけです。
 
 ですがこれもお互い出かけませんから新しいスコアカードも見ることなく、美味しい店にも行かずで、すっかりたね切れになって来ました。
 私は医者の言葉を守り減量に励みましょう。

         
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どうしましょ

 政治の世界のマニフェスト。朝に夕にその言葉が聞こえます。社会に向けての宣言のようなことですから確りとお願いしたいと思いますね。言葉通りに受け止めれば出来ないことを盛り込んでいる筈はないと思うのが普通ですね。
 でも政治の世界は想像の他でもあるようですね。
 
 さーて私のマニフェストは? 
 
 一昨日月例の病院行き
 「何か変ったこと、気が付いたことありましたか」
 「特にないのですがお腹の具合が今一つです」
 「体重を量りましょう」 ××.×キロ
 「先生 これ人生最高です」
 「えーと昨年の同じ時期と変わっておりませんね。7年前はーと… 5㌔少ないですね。今年中に3㌔減らすようにしましょう」
 「お魚が好きなんですが。脂の多い物は避けているんですが」
 「お魚は脂が多いのですよ。脂の乗っていない魚は美味しくないでしょ。特に秋刀魚なんて脂がのっていないと美味しくないですよね。お魚好きに痩せた人はいませんよ。痩せればお腹の具合も良くなりますよ」
 これは効きました。痩せてお腹の調子も良くなるって。痩せない内から期待が大きくなってきました。
 これは必ず達成しましょ。
 
 そういえば昨年体重の増加に添って悪玉コレストロールが増えていると、先生から勧められた「食品交換表」があります。その時はそれなりに一所懸命に眺め?たのですが、いつの間にか何処かに置き忘れているような存在になっておりました。
 帰宅後すぐに手に取りページをめくりました。

         食品交換表

 一日1600㌔カロリーの朝食とはどういうものでしょうか。毎朝カメラを向けている我が家の朝食とは大違い。

         低カロリーの朝食

 魚はどれ位の量でしたら良いのでしょうか。実際の大きさを見て愕然。へー恐ろしい。どうしよう。

         必要量の魚の大きさ

 でもこれは自ら責任を負うべきマニフェストと、覚悟を決めて早速始めました。年末の成果?
 政治の世界と違い世の批判は受けませんが、先生との約束は果たさなければなりませんね。
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春から初夏の到来物

 都心から25年程前に田舎に移住した友人 母親の介護の傍らボランティアの日々を過ごしておりました。
 知り合ってから35年余りが経ちましたが、出会いの時から変わらずすっきりとした生き方をしております。
 母親亡きあとボランティアの介護に役立つのではと、その為の勉強で都内まで出て来ておりました。その努力の甲斐が実り今は自宅でもその道の仕事をしております。
 住む所は○○県○○郡○○村大字○○字○○~番地と言う最近目にすることがないような山の中です。
 彼女も世界を広げようとPCに挑戦し、時々メールを送って呉れます。
 またメールを送って呉れるだけでなく、珍しい山菜も春と秋に送って呉れます。
 今年は少し前に届いた山菜はテンプラや味噌汁の実、またお浸し等で頂きました。

       届いた山菜

 一昨日始めて目にした山アスパラ 早速PCで調べて見ましたら大変な貴重な山菜と分かりました。この太さにまでなるにはかなりの年数が要るようです。彼女は毎日朝刊を配達しておりますので、自然の物を採集して送って下さったのです。

       山アスパラ

 山アスパラと一緒に野蕗も入っていました。山アスパラの食べ方は知りませんのでPCで調べて見ましたら、シンプルな食べ方が良いようで、僅かな塩を振りレンジで蒸しました。甘くコクもあり、実に味わい深く口福を感じたことでした。
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ローストビーフとは行きませんが

 随分昔、明治大学の西洋史担当の小室栄一先生は英国に在外研究で出掛けました。(ヨーロッパ城郭史の研究者)
 当時の画像はスライドにして見せて下さるのが普通でした。ある日小室先生もヨーロッパの古城を映して紹介して下さいました。
 いろいろと城に纏わるエピソードもお聞きした筈ですがすっかり忘れております。
 強く印象に残っている話は下宿先での夕食風景と、アフタヌーンティーでのご夫人方の話です。お恥ずかしいことですがこういう話は身を乗り出して聞くのが大好きです。
 
 下宿先の夕食のこと。家族全員がテーブルにつきますと、ご主人の前にローストビーフが置かれ、そのローストビーフをご主人が何だか勿体ぶって切り、一切れずつ家族のお皿に載せるのだそうです。そしてビーフは下げられ、次の日またそのビーフがご主人の前に置かれて同じように切られ、お皿に載せられるのだそうです。
 先生はかなりうんざりされたようです。先生は日本画家の家に生まれたそうですから恐らく和食に馴染んでいたと思うのです。その話には私もビックリしましたね。単調と言いましょうか。豪勢と言いましょうか。
 食文化の違いと言うのでしょうね。
 
 アフタヌーンティーには下宿先の奥様に誘われ、時々ご近所の奥様方と一緒に午後のひと時を過ごされたそうです。 先生曰く「家に来ている日本人よ。と紹介され何だか何時も見せものにされているような気分で落ち着かなかったですね」
 50年ほど前のことですから、日本人は珍しかったのかも知れませんね
 その時始めてアフタヌーンティーという言葉を知り、それが英国では日常のことだと理解しました。

 今は日本でもホテルや喫茶店でもそういうスタイルの物がありますが、本当の家庭での姿はどういうものでしょうか。香港のペニンシュラでも見ましたし(私は普通のお茶を飲んだだけです)香港島の他のホテルでは頼みましたがとても量が多くて参りました。この歳になりますと頼むのも恐ろしい感じです。ロンドンでは機会がなくて残念でした。

 このところ政治の世界は大変ですね。何だか直ぐぶれる人もおりますが、我が家の朝食は全くぶれません。
 トマトです。ローストビーフと大違いですがね。

      5月22日

      5月24日

      5月28日

 トマトはでんと構えております。変わらず出て来ます。
 明日はどんな新聞が来るのでしょう。楽しみです。好奇心が疼きます。
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青島高女「若鶴会」

 私たちの青島羊会懇親会の前日 青島日本高等女学校同窓会の最後の会合が東京港区のホテルで開催されました。
 都内版で新聞数社がこの会合を取り上げております。
 私は小学校の時に帰国しておりますが、多くの方が女学校に進学し敗戦で引き揚げて来ました。
 青島日本高等女学校は寄宿舎を持ち、青島からだけでなく、中国各地からの入学者もいたそうです。その校舎は戦後直に焼失したとも耳にしております。
 青島の資料収集のことで四回生の黒川南海子さんのお嬢さん、横田泰子(旧姓黒川)さんとお会いしました時、同窓生も高齢化して会を続けることが難しくなり、今度の会を最後に幕を下ろすことになったとお聞きしておりました。

 最後の同窓会は参加者は約200名 最高齢の方は99歳 戦後の困難な時代を経てよくぞ続いたものと感動しております。
 若鶴会は正式には関東若鶴会と呼ばれているようです。東京での第一回同窓会は1949年1月16日

 横田さんの話に依りますと、まず名簿作りから始まり、お母様と外務省に通いつめて全て手書きで記録し、それを元に本籍地から当たり、徐々に消息を掴むことが出来たそうです。
 青島高女のレベルは高かったようで、多くの方が更に上に進学していたそうです。
 この最後の同窓会を報じた新聞と、新聞の上部に見える写真を掲載致します。横田さん提供の物です。

         若鶴会新聞記事

         第四回生卒業記念(大正4,5年頃)

 若鶴会では最後の同窓会誌を発行されると言うことですので、是非拝見したいと思っております。
 75年誌を開きますと、実に多くの方が寄稿されており、内容も濃く資料として充分価値があると思います。

         若鶴会75年誌

 この会には青島日本人会名誉会長も出席されました。会長さんは引き続き翌日青島羊会の懇親会にもお出まし下さったのです。タイミング良く双方の会合で青島関係の方にお会いする機会となった訳です。
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ソーセージ話し

 過って昔 中国青島はドイツの勢力下に在った時代があり、その所為かソーセージがとても美味しく、その味は忘れられません。
 また山東牛(青島牛とも)と言われた牛肉は日本にも輸出されていたと、親から聞いておりました。
 青島羊会の方々と青島の味に話が及びますと必ず出てくるのが「はりまやの豚まん」です。
 私の好きな青島の味は何と言ってもソーセージですね。近くのデパートで偶にソーセージを買います。また都心に行き買うこともあります。柏にあるこだわりの店で買ったこともあります。ですがナツメグの効いたソーセージに出会えません。店員に訊ねても「そーですね。ナツメグの効いたのは無いと思いますね」とそんなことです。
 ある時気がついたのです。ハンバーグを作る時に普通はナツメグを入れますね。そうだ青島のソーセージは牛肉で出来ていたのだと。
 戦後初めて青島に行きました時、未だホテルは海天大酒店が一番大きく、そこに泊まりました。パンとソーセージに期待したのですが、どちらも美味しくなく期待外れでした。

 母がソセージを切っている時傍に寄り、厚さ1㎝程の一切れを手にし、皮をスーと剥ぎ口に入れます。ナツメグの香りが口の中に広がります。

 戦後の日本でソセージが出て来たのは随分遅かったような気がします。裕福な知り合いの方が毎日魚肉ソーセージを食べていましたが、1950年頃はそういう時代でした。
 今はメーカーが競い何処にもソーセージが溢れておりますね。試食の皿にもいろいろと並んでおります。
 どういうことか少し前のこと。近くのショッピングセンターでウィンナーソーセージの試食用に切った皿が出ておりました。傍に寄りますと美味しそうな匂いがします。

         ウィンナーソセージ

 滅多に買いませんがその日は買いたい気分になり、皿の上を眺めました。厚さ5㍉程に切ってあるのがそこに見えます。「これって味が分かるのかしら」と眺めていますと小学生に見える男の子数人がやって来ました。
 爪楊枝を手にし、何切れも串刺しにし美味しそうに何回もその串刺しを食べます。
 マネキンさんは聞くところに依りますと試食品は自己負担とか。何だかその厚さで気分が分かったような気がしました。
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杭州でマッサージ

 今回友人は上海、重慶、杭州と廻って来たそうで、元気爺さんと言うことでしょうか。中国語も出来ますし、事情通ですから旅を楽しんで来たようです。 

 中国杭州には2001年の3月 私は夫と一緒に出掛けました。
 西湖の畔を眺め、また遊覧船で湖面を一周しました。
 西湖の説明は船内でも詳しく聞きましたが、なんと覚えているのは湖岸に建つ毛沢東の別荘のことです。
 勿論PCで見ますと見覚え、聞き覚えのあることは分かりますがね。
 買い物は龍井茶と印鑑。六和塔では腹痛が酷く、あの長い橋の風景もおぼろになって見える始末。
 そんな自分の経験とは違い、彼はマッサージのために杭州に出かけていたようです。

 以下は杭州でのマッサージの報告です。

 杭州の西湖畔で
 重慶の名物を史跡と火鍋料理とすれば、杭州は西湖とマッサージ屋である。坂道で疲れた足を癒すことにした。
 私は交通事故で首と腰を痛め、鈍痛がずっと残っている。日本の病院やマッサージで治らなかったので、友人のいる杭州に毎年来てもう3回目である。
 杭州市にはやたらにマッサージ屋が多い。街中いたる所にあって、同じ通りでも競い合っている。種類は中国式、タイ式、日本式、足裏、脚踏みなど、、、時間は最長で90分。料金は最高で2000円ぐらい。という相場はあるのだが、技術は天と地の差がある。
 「日本式」の看板の出ている店に入ると、まず銭湯のような大きな湯舟に案内された。そこで洗って、だぶだぶのパジャマを着せられ、個室に通される。型どおりマッサージが始まったが、揉んでいる手が下半身の微妙な部分に近づいてくる。なんと「スペシャル」だった。日本で30年も前に流行った「おスペ」が異国で復活している。昔は「トルコ風呂」と言われたのを思い出し、笑ってしまった。
 「脚踏み」は部屋の天井近くに棒が渡されている。ベッドの横たわると術者は立って棒を掴み、私の体に乗って体重を掛け、脚で揉みほぐす。激痛とともに体内深くに潜んでいた患部の痛みが掘り起こされる。重慶の激辛料理は怖かったが、これも怖い。
 あとは普通のマッサージだが、術者に当たりはずれがあって、満足するのは5回に1回ぐらい。天国をさまようような気分にしてくれる名人もいる。予約が必要だが、待ち時間が長いと、つい別の術者に任せてしまうのである。
 
          マッサージ

 帰国前夜、友人が西湖での食事に招待してくれた。西湖は観光名所なのでもう何度も行ったが、この日は全く違う人里離れた村だった。近づくと甘い香りがしてきた。道の両側の森からのようだ。バラやジャスミンのような華やかさはないが、東洋蘭のような奥ゆかしさ。友人は木蘭だろうと言った。
 酒店ではテーブルを湖畔に出してくれた。正面には広い水面、向こう岸の緑、その先の山々、頭上の白雲が遥か山頂を目指し東に流れる。人家は1軒も見えない。ビールを飲みながら、妻も一緒だったらなと思った。
 
        西湖畔春宵
  白雲渺渺流東山 白雲びょうびょう 東山に流れ
  西湖映千古緑陰 西湖は映す 千古の緑陰
  時泳来眼前孤鴨 時に眼前に泳ぎ来たる 一羽の鴨
  嗚呼正亡妻魂乎 ああ正に 亡き妻の魂なるか
    
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友重慶訪問す

 中国の重慶は長江(揚子江)の上流にある都市で、私には遠い遠いかの地と言う印象が強い。
 重慶について何を知っているかと言えば、大都市、坂の街、辛い料理、暑い所とそんなレベルと言えそうです。
 中国語の授業の中でも滅多に重慶の話は出て来ません。老師は北京の方ですから、所謂世間話のような話はどうしても北京等になります。また私もすぐ青島を話題にしますのでね。
 羊会の友人が中国旅行で重慶に行ったと聞きましたので、どのような様子かと尋ねました。
 
 以下は彼の重慶体験です。

人口3000万人の重慶市 
 東京都の3倍近い内陸の大都市だ。周辺からの中国人観光客も多い。半日60元(約900円)の観光バスに乗った。重慶は日中戦争時代に蒋介石がたてこもって臨時首都にした。その史跡が多く、抗日の象徴ともなった。米軍が東京爆撃したように、日本も「渡洋爆撃」で何度もここに爆弾を落としている。
最近でも重慶に近い土地で起こった四川大地震の時は、日本の自衛隊の救援を断っている。庶民の対日感情を知りたかった。
 だが、その観光コースのメインは毛沢東の共産軍と蒋介石の国府軍の抗争史跡だった。山奥に2箇所の監獄があり、国府軍が共産党のスパイや捕虜を収監し、拷問を加え、虐殺した。それらの犠牲者の写真と功績の説明があり、英雄として讃えられている。
 重慶に限らず上海でも杭州でも、夜のテレビ番組は抗日戦争よりも内戦ものが多かった。ニュースや長いコマーシャルをはさんで延々とやっている。
「他の番組を作るのは手間ヒマがかかり面倒だ。これだと、どこからも文句は言われず安上がりにすむ。それに面白いよ」
 友人もよく観ているようで、ストーリーを知っていた。

 観光バスの景色では、都心からかなり離れた郊外にも20~30階のマンション大団地を何箇所も見かけた。重慶は商業都市である。大工場はあまり見当たらない。
「何万戸もあるようだけど、誰が入るの?そんなに豊かな労働者や市民がいるの?」
「いないよ、だから窓やベランダを見ても、ほとんど入居者はいないだろう」
 かつての上海、広東、青島などの先に発展した沿岸都市もそうだった。誰が買えるのか分からないような高級マンションが林立し、投資の対象になった。それが内陸に広がっている。

         重慶人民広場にて

 翌日は自分の足で重慶港に行った。長江(揚子江)最大の貿易港だった時代もある。さらに三国志の昔に遡れば、この下流で「赤壁の戦い」があり、曹操と孫権・劉備の連合軍が戦った古戦場につながる。それら中国の英雄たちと同じ水上を味わいたかった。
 35元(約500円)で1時間の観光船に乗って目的を達した。それはいいが後が大変。港というと我われの常識では海に面して、平らな土地にあるから車でも行ける。重慶港は川の港である。長江は何億年と谷間を深く深く削って流れている。
 乗る時は良かった。船から降りると見上げる急勾配を上がって行かなければならない。エスカレーターはどこにも見当たらない。
 階段を数えながら途中の半ばまでは行かない踊り場で104段。それから先も勘定したが間違えて分からなくなった。全部で250段ぐらいはあっただろう。青島神社の階段の倍以上である。
 昔はこの急坂を街の中まで、天秤棒で荷物をかついで運ぶ商売があったという。当然だろう。今もその人たちは少し残っているそうだが、その日は見かけなかった。
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中国旅行の便り

 青島羊会の懇親会にお見えになると思っていた友人。どうしたのかと思っていましたら上海・重慶・杭州へ出掛けていたことが分かりました。
 上海万博も開催されましたので様子を聞きたいと連絡をしました。早速新しい情報が齎されました。彼の知りたっかったことは「下水油」のことが大きかったようです。以下は彼のレポートです。

「下水油」の真実
 万博開催中の上海は未完成部分もあった会場や周辺の工事もすべて終わり、メイン道路沿いに植えられた花々も美しく咲きそろっていた。交通渋滞もない。中国政府がメンツに掛けて見事にやり遂げた、、、という勢いを示していた。
 万博は外から各国会場の外観を眺めるだけにした。さし当たっての私の興味は、東京を発つ時に噂が出始めていた「下水油」の真実を知ることだった。タケシのテレビ番組で、いつも自国のことを強く弁護している中国人女性の大学教授が、
「下水からつくった油、汚いけど、それで揚げると本当に美味しいのよ。私は屋台が好きだから、帰国した時はいつも食べ過ぎちゃう」と笑っていた。それが冗談なのか真実なのか、私も屋台が好きで中国旅行では道端の立ち食いでよく1食2~300円で済ませているから、ぜひ確かめておかなければならない。
まず上海のまともな酒店(レストラン)で、中国人の友人と食事しながら聞いた。  
「その噂は全国民が知っている。だけど政府機関が発表したわけではない。誰が調べたかも分からない。本当かウソかも分からないよ」とあまり気にしていない。
 真実に近づけたのは重慶に行ってからだった。港近くの小吃(小さな庶民食堂)に入った。5~6坪の店内の壁には、あちこちに料理の写真や値段表が貼り付けられている。その中にまじって小さな新聞記事の切抜きがあった。
 見出しが、「中国人1年吃掉300万噸地沟油」
 地沟油とはいかにも感じが出ているではないか。下水をすくってつくった油、、、それを年間300万トンも中国人が食用に使っているということ。
 記事の内容は、誰かがブログで流し、それがあっという間に全国に広まったということ。権威のある調査機関が調べたものではなく、誰が最初に発信したのかも分からないままである。友人は、
「この記事を貼ることで、ウチの店では使っていません、と言いたいのかな」と笑っている。
 日本だったら、こんな噂や記事が出たら大騒ぎになり、厚生労働省が叩かれ、事実調査に乗り出すところだが、中国の政府当局はほったらかしだそうである。「そんな噂なんか気にしない」というところだろうか。
「それにしてもブログでこんなこと書いて、よく罰されないね」
「止めようがないよ、インターネットはかなり自由だ」
 冗談か真実か分からない微妙なところに、中国の言論の自由もあるような気がした。


        重慶を歩く友人

 彼は一人暮らしの自由人。時々旅に出掛けるようです。午前中はプールで泳ぎ、午後はPCを楽しみ、自由な時間を過ごしているそうです。父親が外務省の役人をされていたようで、子どもの頃は中国各地を廻っています。中国通です。
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笑いに笑ったサロン

 佐橋慶女主宰のオパール・ネットワークのサロン。奇数月に佐橋さん宅で開催されます。
 先月5月のゲストスピーカーは医療ジャーナリストの松井寿一さんをお招きしました。と言っても松井さんは会員でもありますので、出席者の方には知られた方です。
 肩書はいろいろありますが、オヤと思わせるのが「寅さんフアンクラブ会長」です。
 テーマは「毎日を明るく 楽しく」=笑うが一番=でした。
 
 何だか皆さんの前に立たれただけで、会場に自然に笑いが湧いて来ます。笑いは人生を明るくします。説得するのではなく、事例を沢山出されての説明にすっかり引きつけられて行きます。
 人と言う字 男性と女性の関係は人と言う字の如し。左側のノの字は右側のハネに支えられています。男性は右の支えが亡くなると、倒れて仕舞います。女性は上に掛かっているノが亡くなると支えていたハネがすっきと立ち上がり、のびのびと元気になります。ストレスはいけませんね。笑いましょ。
 左右の手の指を使い、動かし方で認知症の兆しがあるかどうかを学びました。いや―これって以外にさっと行きませんね。でもよたよたしましたが付いて行きました。

         サロンで

 寅さんのファンクラブは一時七万人にもなっていたそうです。寅さんの話は面白かったですね。とに角笑い、笑いが続き、爆笑となりました。 
 「笑門来福」「一怒一老、一笑一若」笑いの効用を具体例を上げて話されます。耳の遠い私は集音器を付けて一所懸命に聞きました。周りの人から「凄い笑い声だわね」とからかわれて仕舞いました。笑いの大切さは良く分かりました。文字にしますと変哲もない話になって仕舞いますが、松井さんの話術は聞いているだけで悩みも苦労も何処かへ行って仕舞うようでした。
 松井さんの話も終わり、何時ものように和食弁当と飲み物。和やかな一夕が過ぎました。

         馬のコレクションの一部

 この馬は松井さんの後ろのどの棚かに飾られている物です。

 この日の松井さん提案 

ぼけ予防十カ条  
① 塩分と動物性脂肪を控えた
         バランスのよい食事
 ② 適度に運動を行い足腰を丈夫に
 ③ 深酒とタバコはやめて
         規則正しい生活
 ④ 生活習慣病の予防、早期発見・治療
 ⑤ 転倒に気をつける。
         頭の打撲はぼけ招く
 ⑥ 興味と好奇心を持つ
 ⑦ 考えをまとめて表現する習慣
 ⑧ こまやかな気配りをした
         よい付き合い
 ⑨ いつも若々しくおしゃれ心を忘れずに
 ⑩ くよくよしないで明るい生活を

 松井さんは医療ジャーナリストですから、笑いの効用の素晴らしさと同時に上のような「ぼけ予防十カ条」を皆さんに提示されました。とに角よく笑いました。お腹が痛くなって仕舞いました。
         

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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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