2010-11

« 123456789101112131415161718192021222324252627282930»
entry_header

ロンドンは寒かった

 1996年11月27日の13:45にBAでロンドンへと旅立ちました。
 28日のロンドンは気温が低く、エジプト支度に捕らわれていたので、寒さのことを忘れておりました。
 宿はケンジントン・ヒルトン  夕食は自由とありましたので、和食にしましょうとなりました。お寿司を注文しましたが、もうイライラが募ります。何しろお客は4,5人しか居りませんが、寿司を握っている日本人の板前
 その手元を見ますと、どうしようもない動き「お兄さーん魚が腐ってしまうよー」と怒鳴りたいようにのろいのです。大体寿司種を手に持ってから握るまで、先ずそこでグズグズしております。彼方此方眺めながら一向に済みません。
 日本の寿司職人はこんな者かと思われたら心外です。このホテルでの買い物では後々問題が起きたのです。それは後日に回し、ロンドンの印象を思い出しております。
 一番は静かと言うこと そして公園が沢山あり手入れがとても綺麗に見えました。家は確りと作られており、一戸建てよりも集合住宅が多いのも意外な感を持ちました。

 観光はバスで回りました。有名な場所何か所かは下車をし、それもさ―と眺める程度です。映画の哀愁の場面を思い出したりもしましたが、どうも寒さが気になり説明もうっかりして聞き逃したりしました。

         バッキンガム宮殿

 ロンドン観光も良かったのですが、何と言っても大英博物館でのエジプトセクションに足を運んだと言うことが良かったですね。

         大英博物館

   ロゼッタストーン ロゼッタストーン解説 
 
       ロゼッタストーン解説1

 勉強をしてありませんから、このロゼッタストーンが実物でカイロのはレプリカと知り驚きました。

 博物館は ザ・ミュージアムと言えばこれは大英博物館を指すと言う程歴史もあり、また収蔵品も大量にあり、多くの来館者をむかえております。入場料は無料ですがサポートとして1ポンド置いてきました。
 二階にはミイラも展示されております。多くのエジプト関連の彫刻、立像、発掘品などを見ることが出来ます。

          BMのミイラ

 ミイラはその後カイロの博物館で何体も見ることになります。
 
 昼食が済み、その後ヒ―スロー空港からカイロへと向かいました。
 ロンドンを16:15に出発 カイロ到着は23:00 宿はメリディアンです。
entry_header

先ずは試して

 夫は最近出不精がすかっり身に付き、一緒に外食をするのは旅行の時くらいになっております。
 病気のお大尽のようなこともあり、それを承知で「美味しい物を食べに行かない?」
 何て言うことは良くないと私は思うのです。
 夫であろうと強制は良くないと、そういう付き合いで過ごしております。
 
 夫はオニオングラタンスープが大好きですが、外へ出掛けませんので口に出来ません。
 そこで何とか作ってみようと思いました。以前は自己流で作りましたが、この際だからと頭に浮かんだのが専門家の佐藤秀一さんです。先だっても料理講習でお願いした方です。
 
 私の問い合わせに4人を単位にしたレシピを送って下さいました。
 レシピを良く読みますと、どうも遠火で強火と言うのが我が家では無理なように思え、そこでレシピに書かれていたオニオンブロンドスープに挑戦して見ました。
 オニオンスープにポルト酒やマデラ酒を入れれば風味が出るとありましたので、先ずそれを近所やそごうで探しましたが見つかりませんでした。代用に白ワインを使う手も示されておりましたので、今回は白ワインを使いました。
 
 ところが昨日柏高島屋でポルト酒を見つけました。でもボトルで6800円でしたので、主婦して白で行くかと、昨夜事情を佐藤さんにメールをしますと、ポルト酒に付いて今朝ヤフーで検索した情報を送って下さいました。
 先日は4人分の玉ねぎを炒め、スープも4人分を用意しました。
 佐藤さんはまず2人分で試してみて下さいと。 そこでスープが出来てからそれを半分取り分けて試作しました。
 初めてのオニオンブロンドスープです。
 
 玉ねぎを薄く切ると言うことが基本のようですので、包丁を研ぎ玉ねぎの繊維にそって2,3ミリの厚さに切りました。時間を掛けて弱火で炒めました。玉ねぎが切れないようにとありましたので、丁寧に炒めましたが、もっと色が濃くなるまで炒めた方が良かったようです。

           玉ねぎ
 
 玉ねぎとスープを合わせて暫らく煮込みました。
 半量のスープに鶏卵の黄身を一個と生クリーム75cc、それに白ワインを加えて仕上げました。

          オニオンブロンドスープ

 丁度2人分が出来あがりました。美味しく夫も満足しておりました。ポルト酒やマデラ酒を加えると香りが良くなり、またスープの色も濃くなるのだそうです。そしてこのワインはフォアグラ料理にも良く使われるそうです。
 残りのスープは今日の昼にパンに合わせて食べます。
 ポルト酒が来ましたら、何回も練習したいと思っております。きっと色も良くなり、見映えも良くなりましょうね。
entry_header

エジプトに出掛けた日

 1996年11月27日 この日私たち二人はエジプトナイル河クルーズの旅に出発しました。
 深い歴史を持つ彼の地 まるで無知のままでと言った旅となり、全てが驚き そして感動の連続でした。
 
 思い出はどんどん遠のき記憶は薄れて行きます。何かきっかけを見つけて頭の整理をしたいと思っております。
 その第一にエジプトをと考えました。丁度この出発日が今日と重なります。

 写真の整理のためにと添乗員の木村美加さんが沢山の資料と、歩いた場所の案内を下さいました。
 エジプト旅行シーズンはこれから始まるようです。
 私たちは11日間の旅でしたが、まだシーズンの始まりだったようで、そう混雑も無くスムーズに過ごして来ました。
 一日目はロンドンへと向けて出発。 成田空港では参加者のために部屋が取ってあり、旅行社の方からの注意や全員の自己紹介もあり、これは旅の楽しさに繋がった良いミーティングとなりました。
 
            エジプト旅行ルートマップ

 今回は先ず何処を廻ったかを記した地図を掲載して置きます。この上の地図に従い時々アップして行くことにします。
entry_header

鶏油を作る

 久し振りに小柳さんで鶏油を買うことが出来ました。中華料理ではチーユと言われている油です。
 植物性でしたら油で良いでしょうが、動物性ですから脂と言った方が良いでしょうかね。
 小柳さんでは冷凍して保存してあります。それは理にかなっているのだそうです。
 私はリンクしてあります富山の瀬戸さんのブログから鶏油に関心を持ち、以来時々作っております。
 相子製油所です。

 昨夜夕食後のいろいろなことを済ませてから、作りに掛かりました。火加減がとても大事なので何かをしながらとは行きません。傍に付ききりです。

               鶏油1

     鶏油2  鶏油3

 長ネギと生姜を一緒にして火にかけます。最初は中火、直ぐに油が出始めますからそしましたら弱火にして煮始めます。
 ねぎと生姜は焦げない内に取り除きます。続いてそれからも目を凝らして確りと鍋の中を見ています。
 鶏油の皮が焦げない内、油が出来切ったものから順に鍋から取り出します。そしてすっかり全部の油が出来切ったことを見極めてから火を消します。
 そして熱いうちに濾します。出来上がり。冷めてから保存容器に小分けして、冷凍します。

 皮と生姜は後で甘辛に味を付けて酒のつまみにします。これが意外に美味しいのです。

 この鶏油でいためたキンピラはとても美味しいく作るのも楽しみです。
 これだけあれば老人家庭ですから随分使いでがありますよ。
entry_header

烏賊の塩辛

 1階の鮮魚店が無くなったことで、目で見る魚は買いに行かなければなりません。ネットスーパーでも買えないことはありませんが、限界があります。
 今年は生烏賊の入荷が少ないのか、ショッピングセンターに行きましても冷凍物が多いのです。
 先日柏そごうに用事があり行きました。序でに地下の魚売り場を覗きました。午後6時半頃です。
 この売り場は数年前に一階のスーパーに入っておりました北辰です。
 なんと、なんとと言わせて貰います。生烏賊の大ぶりなものが5杯で660円で買うことが出来ました。飛びつきました。このところ塩辛を作るために麹は既に用意しておりましたが、生が手に入らなかったのです。

 早速塩辛を作りました。今年は炊飯器を買い替えましたので、麹を戻すのにやや心配がありました。
 ところが上出来!!!!
 数日常温で寝かして置き、毎日かき混ぜて食べ頃を待ちました。
 味覚は人さまざまですので、これがと言う基準は難しいと思います。それでも自家製は日々自分の舌で試すことができます。
 頃合いを見て冷蔵庫に保存します。 今年の塩辛は麹が大成功だった所為か、旨味が昨年を上回っているような気がします。

      烏賊5杯分の塩辛  010年烏賊の塩辛

 5杯の烏賊は秋刀魚の卯の花和えと同じように皮を剥いで作ります。私は段々食べ物が歯間に挟まり易くなっておりますので、自家製は出来るだけ歯間に挟まらないようにと考えて作ります。
 それと私の好む烏賊の塩辛は出来たてと言いますか、冷蔵庫に入れる直前の味見の時のが一番美味しいなーと思うのです。
 ですが全部自分で消化出来ませんので、冷蔵庫で保存しております。
entry_header

嵐の齎すこと

 先日の夜 高校2年生の孫娘が買い物帰りに我が家に寄りました。
 近々嵐のコンサートに行くので洋服を新調して来たと言います。
 洋服の他に大きな袋に団扇が入っております。聞くと嵐のコンサートに持って行くのだと言います。

       嵐応援うちわ

 前々からファンクラブに入っていなければコンサートのチケットは手に入れられないと聞いておりましたし、二女の所で既にアリーナのチケットが届いているとも聞いておりました。
 そのコンサートにこの団扇を持って行くのだそうです。孫の話によりますと、これに自分で何やら模様を貼りつけて持って行くのだそうです。
 じゃー野球場の風船か旗のようなものかしらと聞きますと、そうだと言います。皆さんがこれを持ち応援するらしいのです。どの様に使うのか想像が出来ません。
 コンサートにはファンは皆さん新調の洋服を着て行くのだとも聞きますと、仰天しそうです。

 一通り説明が済み、孫は帰って行きました。孫がいなくなったので「嵐うちわ」で直ぐに検索しました。
 もう驚きです。
 
 先ほど孫がやって来ました。日曜日にコンサートに行って来たのでと話題は嵐です。
 コンサート会場は55000人も入れるのだそうです。それでもチケットを買えない人もいる訳でしょ。
 チャイナドレスを習っていた方のブログにもコンサートに行ったと、やや興奮気味なことがアップされています。孫の話ではグッズを大量に買うのは中年の女性だと言いますから、驚くことではないのでしょうね。

 この嵐の齎す経済効果はどれ位になるのかしらと言う話しになりました。
 
 この団扇だけを考えてみても大変なものでしょ。
 団扇のデザインを考える人 骨組の竹を作る人 竹を卸す人 紙を卸す人 運ぶ人 売る人 カラーのメーカー
 そのカラー塗料の入れ物のメーカー 貼る糊のメーカー 数え切れません。
 
 コンサートそのものでは 舞台の設営 照明 会場内の放送 会場の貸し主 整備や整理をする人 グッズの品物を納品する会社 各種のパンフ等の印刷会社 宣伝会社 会場に人を運ぶ交通機関 それらに繋がる大勢の人 TV局への放映料 もうとてつもない人数と関係する会社 際限ない広がりです。それらが齎す経済的効果は想像もできません。
 恐るべし嵐 嵐ジェットしかり、CDしかり 孫がいなければ知らなかった世界に触れることが出来ました。

 中国青島で私の友人から日本語を習っている女性は、嵐の上海公演に会社から休暇が貰えず会社を辞めて駆けつけたそうで、それほどの人気者ですからね。魅力が一杯なのでしょう。

  
entry_header

房総半島の電車と眺め

 今は昔 と大袈裟に言えばそうなりましょうか。私の育った千葉県の南は随分不便な所でした。先ず東京行くには物凄く時間が掛かりました。
 1945年に日本が負け、我が家の両親と弟妹が引き揚げて来ました。引き揚げ者の生活は惨めなものでした。
 食べ物がありませんが、まずお金がありません。そこで母が東京に出かけて闇の品物を仕入れて売り、それで糊口を凌いだと言うような日々が続きました。私も手伝いで時々東京に一緒に行きました。
 列車に乗るにはキップを買わなければなりませんが、これも駅に割当制でキップを手に入れるために、駅長に小麦粉を渡し何とか買うことが出来ました。
 館山の駅から当時房総西線と言われた列車で東京に行きます。列車の中が超満員の日が多く、割り当てのキップよりは人が乗っているような感じです。
 片道だけ品物を運ぶのは勿体ないですから、町で作った塩等も持ち、時には干物を持ったりします。冷暖房なぞ夢です。冬の冷えは幾ら温かい房総でも堪りません。
 房総西線に乗りますと、トンネルを沢山くぐります。当時は石炭列車ですから、機関車から出る煤が開けた窓から風向きにより中にに入って来ます。冬は未だしも夏は窓を開けておりますから、トンネルを通るたびに窓を閉め、トンネルを抜けるとまた窓を開けます。
 特に房州と上総の境の鋸山のトンネルは長く、ここでうっかり窓際の人が窓を閉めないと、大声で怒鳴られます。このトンネルを境に北へ向かうと次々トンネルを通ります。
 先日コメントを下さったふとかつさんのブログを拝見しましたら、鋸山から見る東京湾や街並みが実に鮮やかに眺めることが出来ました。青い空と波の色 東京湾を隔てて眺める三浦三崎 懐かしいですね。しばらく眺めていますと思いだすことが多く、画像をお借りしました。

        ふとかつさんの鋸山

 列車が北に向かう時には左側の窓際に、また南に向かう時には右側の窓際に座ります。そうしますと海を眺めながら時間が過ぎます。当時は両国が終点でしたが館山をでてから3時間半か4時間も掛かりました。千葉までは単線でしたから駅で反対方向から来る列車を待ちます。それから出発しますから時間も掛かるわけです。
 千葉と木更津の間には潮干狩りの出来る砂浜があり、まだ東京湾に埋め立ても無く、長浦とか浜野と言った駅の近く ほんの20mほどまで海水が寄せておりました。その浜辺に捨て小舟も見られ、思い出します。
 
 千葉駅は下りも上りも一回駅に入りますと、列車は反対方向に先頭が変わり、今までの前が後ろになって出発します。
 
 駅弁は館山でも木更津でも、勿論千葉でも買うことが出来ます。お茶は可愛い土瓶に入っており、小さな蓋に注ぎ飲みます。館山の駅弁は北条食堂と言う店が出しており、その売り子にご子息の明治大学に入学していた方がおりましたが、何となく見ないようなふりをしました。今でしたら気楽に声を掛けられるのに、若いと出来ませんね。
 私が幼児の頃の記憶では木更津駅の弁当には太巻きのお寿司があります。祖父が必ず私にと買ってくるお土産でした。
 アイスクリームもありましたが、クリームに近いキャンディ―のような物です。経木で出来た可愛い箱に詰められております。
 房総線と言った時代には西線と東線が蘇我で別れており、東京方面からの終点は双方とも鴨川です。

 鋸山のトンネルは現在も列車でも通りますが、館山道では長さは1551メートルと書かれております。列車もジーゼル車や電車に変わり、あの煙に悩まされることは無くなりました。

 最近は滅多に内房線と名前が変わった列車に乗ることはありませんが、中に入りますと絶対東京湾の見える窓際に陣取ります。海が見え始めますと心が和みます。そして市原などの京葉工業地帯の姿にも眼を瞠ります。
entry_header

秋刀魚の卯の花和え

 秋刀魚は房州と信じていた私 最近は望むべくもなく北の方の秋刀魚を買います。
 1階のスーパが無くなって鮮魚はネットスーパーでは生はなかなか買えません。ようやく生の秋刀魚を買うことが出来ました。 
 久し振りに卯の花和えを作り、昨夜も美味しく食べました。私の作り方 以前にもアップしたこともありますが、今回は先日のステーキの焼き方で覚えた塩の振り方をしました。自分で拍手の気分です。
 
 1 先ず先におからを空炒りして冷まして置きます。 
   合わせ酢を作り火を通してこれも冷まして置きます。
 2 秋刀魚を捌きます。そして塩を振ります。

       秋刀魚塩振り1

       秋刀魚塩振り2

 3 塩を振り確りと塩を馴染ませます。
その後 塩をサーっと水で流します。
   秋刀魚に付いた水分を拭き取ります。
 4 生酢に漬けて30分ほど置き、酢で〆た秋刀魚の皮を剥ぎます。
   食べ易い大きさに切ります。
   この皮を剥くのが私のやり方です。
   皮が歯に挟まらなく高齢者の方にも喜んで頂けます。
 
       秋刀魚酢〆

 5 冷めたおからを合わせ酢に入れて良く混ぜます。
   それに柚子皮と唐辛子を加え、秋刀魚と和えます。

       秋刀魚の卯の花和え

 5尾の秋刀魚で大きなパック一杯に出来ました。この秋刀魚を待っている方があり、何だか作るのに張り合いがあります。
entry_header

ぶれない・平静

 春夏秋冬 欠かせないのがトマトのある朝の食卓 忘れることは先ずありません。
 昔 「記憶にございません」と国会で新しい言葉を発した証人がおりましたが、以来その言葉が良くTVから流れました。先日久し振りに証人喚問と言う何やらえらい人を呼び出す話で出て来ました。
 何だか最近の官邸内はどうなっているのかしらと、毎朝の新聞やTVを見ては憤慨しております。
 犬の糞害は人の憤慨なんてポスターがありますが、私の憤慨は誰の憤慨に通じるのでしょう。これって食事をするのには良くないですね。それでは最近の我が家の朝食
 ちりめん山椒、五目豆、新生姜の梅酢漬、椎茸と昆布の佃煮などなど まー手作りですので地味、地味 それに残り物が参加

     朝食11月10日  朝食11月11日

     朝食11月12日  朝食11月13日

     朝食11月16日  朝食11月18日

           これに味噌汁と焼きノリが必ず付きます。
entry_header

コレラは怖い

 去る2010年1月12日にハイチでM7.0の地震が発生 死者は23万人にもなったそうですが、その結果衛生状態の悪化でコレラが流行し、死者は既に1100人を超えているそうです。そのコレラが隣国にも飛び火し、また米国でも患者が出ていると言います。
 
 1939年、40年と言う夏 私は中国青島で流行したコレラのことを強く覚えております。
 街の中でコレラに罹患した家の周辺には綱が張られ、石灰のような粉がその家の周りと道路に撒かれております。学校に行く時にはその場所を迂回して行きます。
 邦人は予防注射を受けます。それは2回で 予防注射を受けますと証明書が渡されます。カード式の証明書はパス入れに収めて何処に行くにも首から下げて出掛けます。
 市内のあちこちに検問所があり、医学生が待機しております。そこを通る人は証明書を持っていなければ即そこで注射を受けます。受けると言うより強制で打たれると言う感じです。バスもその場所では停車して客は下車し検査を受けます。そのようにして拡散を防いでおりました。

       当時の青島住宅地

 当時の中国人は衛生観念が薄く、我が家のアマを予防注射を受けに連れ出す時の母の凄い迫力を思い出します。
 アマは怖がり門から出てもアカシヤの樹に抱きつき、行きたがりません。母が物凄い力を出して樹から腕を離させて連れて行きました。
 学校では教室の入り口に消毒液の入っている洗面器が置かれていました。
 我が家では私にアルコールを滲みさせた消毒綿を持たせ、学校で弁当を開ける前に必ず手を拭くように言われておりました。入れ物はお医者さんが往診に来る時のアルコール綿を入れて来る、あの光った銀色のケースです。
 野菜や果物は必ず消毒をしておりました。西瓜を切る時には全体を先ずアルコールで拭き、それから切って食べました。
 父の話によりますと昔 多分大正年間のことだと思います。コレラが房総でも流行ったそうですが、下痢が酷いので水を控えた人が参って仕舞ったそうです。コレラは下痢が猛烈らしく、水分の補給が重要だと言うのです。
 
 ハイチでは未だ復興が進まないようですが、水の供給も充分ではないかも知れません。大変なことです。
 
entry_header

上海の思い出

 上海へ出かけた2006年 私とKさんはアンティークな旗袍を求めて骨董街に出かけました。ごたごたした場所ですが人間味のある場所でした。

        上海骨董屋

 友人の案内で行きましたが、そこで見た纏足の靴には驚かされました。纏足の靴は書籍では知っており、また家のアマが穿いてもいましたからある程度の知識は持っておりました。ですが予想以上に美しくまた可愛い物でした。
 今月15日に上海で28階の高層住宅が火事になり大変なことになりました。私たちを案内して下さった友人のマンションも高層ですから心配して仕舞います。建設に追いつかない防災体制が気になります。
 あの時Kさんと東方明球塔から上海の街を眺めましたが、上海は空が汚れているように見えます。万博は無事終わりましたが、空気はどうだったのでしょうか。

        曇った上海

 前に見える昔ながらの上海の建物はもう取り壊されていることではないかと思っております。上海の街はビルの展覧会の様な感じに見え、奇抜な建物に驚かされました。行くたびに道路に記憶はありますが建物は変っております。何だか子どもの頃の絵本で見た未来の都市の姿を思い出します。ビルの間を道路が蛇行しております。そんなことを思い出すのが上海です。

 私たちはフリーのツアーでしたが4人で日本を出発しました。ですが最後の日の昼食は4人で頂きました。
 今その時のことを改めて思い出しております。
 私とKさんとで時々思い出し話題になるのは一緒になった二人の方です。中年と言うより少し高年に近いかなと言っても差し支えない風ですが何となく華やかさがり、若く見えます。
 そのカップル 上海の和平飯店でダンスをするために来たそうです。日本はもとより世界のあちこちに良いホールがあると聞くと出掛けて踊っているそうです。男性は将にダンディーと言って良いような姿と振る舞いです。女性はそれはそれは可愛いのです。どうも二人は日本での生活では別のようです。世の中こういうカップルもいるのですね。
 その可愛い女性の方は今頃どうされているのでしょうか。思いだします。
 お二人と一緒の食事は最後の日のお昼だけでした。その昼の食事が記憶に残る物です。それまでに上海ではいろいろと食べておりましたが、印象深い物の中に入る物です。その時男性の方がいろいろと気遣いして下さいました。

     5㎝の粽  ピータンのよせもの

 この小さな粽の紐の掛け方には技と言う言葉が当てはまるような気がします。色鮮やかな寄せ物も強く印象に残る一品です。
 昨日の私は頭位変換性眩暈で一日中臥せておりましたが、上海の火事のことを知り、この前菜を思い出し、そして上海の空へと一気に思い出は広がりました。旅は良いですね。
entry_header

色香も失せて

 気温がぐーんと下がって来ますと、何やら寂しさを感じやや感傷的になります。
 4階の廊下から見える風景が冬へと向かい急ぐかのように日々の色が変わって行きます。
 マンションの中央公園を上から見下ろすとオレンジ色の紅葉を見ることが出来ます。8日にはとても鮮やかに陽に映えておりましたが、日毎に色あせて来ております。

        紅葉11月8日

 この紅葉 上から見ると実に魅力があるのですが、下から見上げると葉の裏しか見えず、廊下から見る葉と大違いです。

           これは何でしょう。

        タオルエプロン

 食事の時に自分では気が付かないのですが、神経が鈍感になって箸使いが悪くなっているのか、うっかりなのか、無意識のうちに食べ物が落ちて行きます。夫は目と耳が良いので、直ぐに気が付き「ほら 何だか落ちたぞ」と指摘します。
 確かに 足元を見ますと小さな物 それは箸で摘まみ損ねたのか、口からこぼれたのか 何れにしましても私から落ちたものに間違いありません。
 少々?胸が大きいので、落ちて行く時に胸に触れるらしく、らしくでなく触れるのです。その結果はブラウスなどを汚します。
 前々から焼き肉屋さんで使う紙のエプロンが欲しいなーと思っていたのです。先日お邪魔したお宅のお年寄りの方が小さなエプロンを掛けて食事をされていました。見せて頂きましたらタオルの手拭きにゴム紐を付けたものでした。目から鱗と言いますか、見た途端これは私に合うと 家に戻り直ぐに小タオルを出し、ゴム紐を付けました。
 着るものも汚しませんし、首に掛ければ用が足ります。ジュンコシマダと言うデザイナーのタオルで二枚作りました。(このデザイナー 私の卒業した女学校の出身で、安房高校の女子生徒の今着ている制服のデザインをしました)
 で自分撮りで写してみましたら、これはもう驚き以外の何物でもありません。大きな滲み、キメの悪くなった皺、色黒を証明する肌 トリミングをしない訳には行きません。まー元々女らしくもないし、色気なんて欲しくてもなかったしで、タイトルには程遠いのですがね。
 そして思ったこと 何て知恵の無い自分 応用が効かない自分 
entry_header

里芋を頂く

 先日ご近所の方から立派な里芋とこれまた見事な柿を頂きました。
 随分昔は里芋は使うのが苦手な食品の一つでした。その理由は煮る時のぬめりで鍋が汚れて仕舞ったり、皮を剥く時に手がかゆくなったりと言ったことでした。
 それが今は全く苦にもならなく、秋から冬の間に良く食べます。それは辰巳浜子さんの料理の本を読んでからです。私もまー人並みにと言いますか、美味しい物が好きですし、作るのも好きです。(片付けは少々嫌い)
 料理本も作る作らないはとも角眺めるのは好きです。その料理本では、特に辰巳浜子さんの家庭料理は実際に即した納得のゆくものと私は思っております。
 里芋の処理の仕方はその辰巳浜子さんの本から覚えました。

        大きな里芋

 辰巳浜子さんの本を読んでいる方はご存じだと思いますが、本は昔のものですから、記憶を辿り書いて置きます。
 先ず      一回水に浸けてサーと洗い流します。 
 次に      皮の周りの細かいひげ状の物を綺麗に取り除きます。
 そして     芋の上下のもじゃもじゃを綺麗に取り除きます。
 そうしましたら 綺麗に良く洗い、笊に上げて置きます。

 そして     笊に上げた里芋はそのまま数日置き、皮が乾きましたら使います。
 料理は     皮を剥いたら芋の周囲に付いた汚れを
         布巾かキッチンペーパーで拭きます。
         乾いたままで剥きその後は水を使わないことです。
 煮方      出汁と調味料を合わせて直接その中に入れて煮ます。
         茹でこぼしは要りません。

 この方法は剥くのにかゆい思いをせず、また煮てもぬめりが出ません。ですからぬめりが好きな方には向きませんね。
entry_header

カニばなし

 上海蟹の季節ですね。中国服の仲間と例年の決まりのように11月の初旬には神保町の角の新世界菜館に食べに行きました。その時にはエスワイルでマロンシャンティイは欠かせないデザートでした。
 エスワイルは大分前に文京区の方に移転しているらしいようです。この2年ほどは蟹を食べには行っておりません。何となく時期を逸しているのです。今年は仲間のご子息が暮れに結婚されますので、どう考えても無理でしょう。新世界菜館は年越しをしても大丈夫ですので、出来れば行きたいなーと思っております。

 昔中国の青島では渡りガニを良く食べました。食いしん坊の父は市場に行きますと沢山買います。大抵10杯は買っていました。持ち帰る方法ですが、蟹を紐で上へ上へと重ねて縛り、長くなった蟹をぶら下げて戻ります。
 なんでも手伝いたがる私にはこれは無理でしたね。食べ方は蒸して食べた記憶しかありませんが、美味しかったことは忘れてはおりません。1杯の値段は鶏卵1個と同じだと聞いておりました。比較をどのように考えるのか、難しいですね。どちらが廉いのか?見当が付きません。

 そんな父ですが引き揚げて来てからはわたり蟹は高級ですので食べられません。代わりに食べたのが浜で獲れる「イソッピー」と呼ぶ蟹です。また名前も付いていないような小さな蟹を潰して蟹の味噌汁を食べたりしました。この味噌汁は叔父も大好きで見舞いに行きますと時々話題になります。房州での一般的な食べ方なのかどうかは分かりません。今は美味しい物も多く、それに子供も忙しい時代ですからこういう食べ物は段々消えてゆくかも知れませんね。

 先日の朝TVを見ていましたら、茨城県の潮来でモクゾウカニの養殖に挑んでいる方の紹介がありました。
 内容に上海蟹を凌ぐ美味しさのような言葉が聞こえましたが、良く覚えておりません。ですが量産態勢になって来ているようです。このモクゾウカニは上海蟹と同類の蟹だそうです。日本で廉く食べられれば嬉しいことですね。そこそこの値段になれば買いたいですよ。

        もくぞう蟹

 子どもの頃これも房州でのことですが、母の実家の横に幅が僅か1mもないような清流が見られました。夏は流れに足を付けて楽しんだものです。この流れは部落の鎮守・熊野神社の横から落ちて来ました。更にその上流は神社の上の山かららしく、神社の横で広がっておりました。勿論広がってと言いましてもせいぜい幅2m位でしょうか。
 その神社の横当たりの岩の陰にモクゾウカニを見つけた事が何度かありました。岩の苔の感触を思い出しております。子どもだから平気で岩から岩へと渡れたのですね。
entry_header

要注意です

 最近私の周囲に転倒したり、落ちたり、またぶつかったりといろいろな事故で怪我をする方が増えております。
 先月は私も文京シビックホールで無様な転倒をしました。
 近所に住む友人が先ごろ足に包帯を巻いていると娘が言いますので、文化祭の会場に行きました。作品を展示しているとお聞きしておりましたのです。
 本当に足を庇っております。記念にと写真を撮りました。

        怪我をした友人

 この方は元気者です。張り切りおばさんと言いましょうか。ビーズ織りを教えてもおりますが、よさこいソーランを踊り、グループで彼方此方へと踊りに出かける積極性抜群な方です。
 今年の夏は富士山にも登りました。亡きご主人の代わりに登りましたと話しておりました。
 それがどうしてこういうことになったのかと、お聞きしました。
 先日外出して夜に帰宅 家の中に灯りは付いていなかったそうです。日頃慣れている家 暗闇でも問題なく過ぎていましたか、その日も電気を点けず部屋に入ったそうです。
 それなのに突然物に当たり、足指の骨折をして仕舞ったと言うことです。そもそも出かける前にその部屋に置いた物があることをすっかり忘れていたのが良くなかったと言うことです。
 迂闊と言えば迂闊ですが高齢になりますと忘れっぽくなることは当たり前のことです。私も毎日置き忘れ、探し物と時間を無駄にしております。
 そこで用心しなければならないのは急がない、そのことに神経を集中する。集中は場所を選ばないと駄目ですね。余り熱中しますと、今何をやっているのかを忘れてしまい、つまずいたり、踏みはずしたり、時にはすっかり煮物の鍋を焦がして仕舞ったりします。
 これって私の事がモデルケースですがね。
 友人は怪我を知った周囲の方から同情はされますが「タンスは大丈夫だった?」なんて言われているようです。
 普段が元気者ですと少々のことでは同情は頂けませんね。
 私が昔オート三輪に足を轢かれて仕事を休んだ後、職場で言われた言葉は「車が入院したって?」でした。
entry_header

稽古初め

 4階に住む私のマンションの8階に中国の方が住まわれております。その方と知り合ったのは偶然なことでした。
 青島から帰国した私は会話がダメだと少し落ち込んでおりました。それ以来我孫子の中華料理店などで中国の方と分かると積極的に話し掛けるようにし始めておりました。
 ある日上から降りて来たエレベーターの中で二人の女性の方と一緒になりました。
 アレ!中国語ではと思わず「中国の方ですか」と伺いますと「そうです」と仰います。
 「ここにお住まいですか」「そうです」「何時からお住まいですか」「昨年からです」とお聞きしますともう次へと続かなくてはなりません「私は中国語を習っているのですが、お声を掛けてもよろしいですか」と声にだして仕舞いました。
 「どうぞ話すことが良いですから。遠慮なく」と嬉しい返事を頂きました。以来外でお会いしますと中国語で声をお掛けします。段々親しくなりました。お宅にお邪魔しますと、立派な漢字が書かれた物が部屋の壁に掛けられております。
 漢字の書の先生だと分かりました。お聞きしますと中国でもまた来日後の日本でも沢山の賞を受けております。

       漢字

 ご自分で書いた物を壁に掛け、毎日眺めていますと悪い面が見えて来るのだそうです。毎日書き 稽古も欠かさずにされてと言うことでした。
 私も教えて頂きたいとお願いし、一昨日初めて筆を持ちました。先ず筆の持ち方が今までの持ち方と違います。
 筆をまっすぐに立てるように持ちます。「何だか周恩来の姿になったような気分です」なんて言いながら習字がはじまりました。
 先ず一の字を書きます。長い一と短い一 そして縦に1を書きます。その三本の字を習い、そして最後の頃に三本の一を合わせてと言う字を書きました。初日の稽古が済みました。
 
 少し緊張もしました。先生は「筆先中鋒」と仰り全ての心を筆の先に込めてと教えて下さいました。
 私が中国語を習っていることをご存じですので説明も中国語でなさって下さいます。これから嬉しい習字の時間を持つことが出来ます。
entry_header

あくまで辛抱強く

 中国語の老師夫人は落花生の炒り方がとてもお上手です。老師はその豆をお持ちになって下さる事があります。
 とても美味しいのです。老師は北京風味だと仰います。
 
 毎週野菜を買いに行く我孫子天王台のわくわく広場で見つけた落花生は小粒で、北京風の炒り豆に適しているように思いました。
 昨日の朝、老師夫人の炒り豆を作ってみようと思いました。
 これが何だか自画自賛の物になりそうな程美味しい物になりました。
 
 炒り方 
 
 フライパンを弱火にしたコンロの上に置きます。少し時間を見て油が馴染そうにみえましたら、オリーブオイルを少々垂らします。奮発して良い物を垂らしました。 
 その中に豆を入れてゆっくりと炒り始めます。この時落花生の大きさが大きな事なように感じました。と言いますのは焦げないように完全に炒り上げるには普通の大きさの落花生では無理だと気がつきました。完全に炒ると皮が焦げてダメでになりそうです。
 とに角ゆっくりゆっくり焦ってはいけません。火力は出来るだけ弱く、時間を掛けて炒めます。

 そろそろ火が廻り、炒りができたかなーと感じましたら、一粒噛んで見ます。噛んで見て生臭さが消えており、芯まで炒りが廻っているようになりましたら上質の岩塩を豆の上に振ります。今回の岩塩は元明治大学校友会青木信樹会長の家業の製塩会社の物を使いました。
 その岩塩があるというのは先日の家の整理です。校友会事務室に寄りました際に頂いたものでしたのを、押し入れ奥に仕舞いこみ、忘れていたものです。それが先日の大整理で出て来たのです。これを何に使おうかと思っていたのです。

 そうこうしておりましたが出来がりました。美味しいですよ。今日はNHKの授業があり、今さっき帰宅してこの炒り豆を肴にワインを飲みました。数日後にアップしようと思っていた老婆はPCに向かいたくなりました。
 出来あがっている炒り豆をご覧ください。本当に美味しかったのです。それでも自制しました。ワインは2杯に留めました。

       炒りピーナッツ

 油脂の劣化で味の落ちたお店のバターピーナッツより美味しいです。時々落花生評論家なんて自分で言っております老婆ですが、この炒り豆は絶対お勧めの物だと確信しております。
entry_header

茹で鶏

 先日我孫子駅南口に所用があり、久し振りに小柳商店(我が家での通称お砂肝ちゃん)に寄りました。
 店内にはお客さんの声と言いますか、応援と言いますか川柳等の寄せ書きが貼られております。
 我孫子良い店ナンバー1と言われてもいる小柳さんへの応援だと思います。私の周囲にも鶏肉は小柳さんでなくちゃと言う方が何人もおります。

          小柳さん川柳など

 暫らく行く時間がなくて鶏油も作れずにおりましたからあればとお聞きしますと「ずーっと待っていたのだけれど見えないので気にしていたんだよ」嬉しい言葉ではありませんか。
 鶏肉は朝びきの保証付き。豚肉も良い物が置いてあります。私は骨付きのモモ二本を買って来ました。
 久し振りに茹で鶏を作りました。

         茹で鶏1

         茹で鶏2

         茹で鶏3

 これは昨日書きました神田四川飯店で習った物です。ネギや生姜を大きな中華包丁で叩くことは出来ませんので、摺りこぎを使います。
 低温で茹で初めて一度煮立て、その後僅かにお湯の対流がある程度の低温にして茹でます。灰汁取りは出来るだけします。(茹でる時にお酒を入れて下さい。書くのを忘れていました) 
 時間は鶏肉の大きさに因りますが、私はほぼ40分位を目安にしております。
 時間が経ちましたら火を止め、鶏肉を冷水に取り、水の中で皮を優しくなでて脂を取ります。
 鍋の中のネギと生姜を捨てて、熱いうちに塩を入れます。その中に鶏肉を戻しそのまま冷まします。
 そして後はその日の料理の中で、いろいろな味を楽しみます。
 スープも必ず使いますよ。
entry_header

時期は外れても嬉しい

 先週の土曜日(6日)の中国語の講座 生徒は3人でしたが、これは良くあることで、時には一人なんてこともあります。 
 老師は何時もの通りお茶を入れて下さいます。上海世界万博が終了したばかりですので、規模や入場者数などの説明がありましたが、ボランティアの話しは北京の時より伝わって来ておりませんでしたので、チョと興味を持ちました。
 老師は行きたかったかと聞きましたが、あの上海の暑さと混雑を考えますととてもとてもと言う感じで、誰もそんなことは考えていなかったようですし、老師も高齢ですから、私たちと同じように思っていられたと分かりました。 
 前回渡された宿題は欠席者がおりましたので、パス
 その後に老師が配りましたのは「月餅」のことを取り上げている一文です。日本大学の山本賢二教授が書かれた物です。その中身は月餅に纏わる中国事情と言えましょうか。その中に「月餅にまつわること」と言う見出しの文の中に中国料理の研究者の顧中正氏の名前を見つけました。そしてその内容の出典も記されております。

 私は神田四川飯店で昔家庭料理を教えて頂いておりましたが、初めの頃顧先生がお見えになり、中国料理の解説をして下さったり、マナーを教えて下さいました。テキストに示された本は私は持っておりますので、来週は皆さんにお見せしますと約束して来ました。

 老師がこのようなテキストなどをお持ちになりますと、後からそれに纏わる品物やお茶等が出て来ます。
 矢張り出て来ました。北京に出張したご子息が老師の奥さまにと渡された、おばー様からお土産の月餅でした。 高級な箱に入っております。私が今年の仲秋節前日青島のジャスコで見た月餅とは大違いです。

        月餅の箱

 老師は私たちに切り分けて下さいました。私が写すと分かっておりますから、切り口の綺麗なのを下さいました。塩漬けの卵の黄身は仲秋節ならではの月餅です。生徒の感想で美味しかたのは沢山の種の入ったものでした。コクがあり味わい深い物でした。

        切り分けられた月餅

 最後の画像はこのテキストの中で出典とされた顧先生の本です。帰宅後すぐに鞄の中に入れてあります。お見せすると約束しましたから忘れないようにと思ってのことです。
 
           家庭で作れる点心

 この「家庭でつくれる中国点心」は顧先生のもとで学んだ生徒さんが大勢協力されたそうです。写真が綺麗ですよ。また顧先生のお顔も拝見することが出来ます。見る度に懐かしいことをいろいろと思いだします。
entry_header

新しい方法を覚える

 佐藤秀一さんの指導で作った料理 皆さんの感想はとに角美味しかったに尽きます。でこれを自宅でどう活かすかは各人次第
 せめて一品位は実践 取り入れて欲しいなーと主催者としては思うのです。
 であなたは?と聞かれたら 先ず受けもったポテトグラタンかな?
 でもステーキが一番身近なものかなーと そこはメールで繋がりますから、改めてお聞きしました。早速お忙しい中 詳しく教えて下さいました。
 
 会の時に大変興味を覚え、これは絶対に理にかなった方法だと思ったのは肉の味付けの方法です。これがステーキをと考えた理由なのです。下味の塩コショウを肉を置く前にお盆に振り、そこに肉を置き、それから肉の表面に塩コショウを振ります。私は応用力が無いのですね。こういうことをする知恵が無いのです。
 今回新しいことを覚えて嬉しくなっております。

       ステーキの準備

 先ずこの画像を見ますと肉の中で紐で縛った物と縛って無い物とがあります。これをお聞きしました。
 一度に何枚も焼くには縛ることで面積が小さくなり、形が整うと言うことです。縛って無いのは紐が無くなったと言うことでした。家庭で焼くには紐で縛る必要はないと言いまして、並んだ肉の中で美味しい部分は手の見える右側に並んだ肉だそうです。
 その部分は実際にどの辺りかを切らない物を見せて下さいました。

       ひれ肉の美味しい部分

 上のヒレ肉の真ん中辺が美味しいのだそうです。あの日誰にあの肉が配られたのでしょうか。私かな?
 佐藤さんにメールで再度教えて頂きました。興味がございましたらお試しください。私は焼くのにグリルと言う程の物ではありませんが、網焼きにしております。
 先日のバザールでステーキ用のプレートを買いましたので、それで焼くようにしようと思います。
 何しろ二人で一枚だけですからね。
 質問は焼く時のフライパンにはどんな油を使うのかと言うこともお聞きしました。それへの返事は塩、コショウ、オイルと言うところです。

 下記は佐藤さんからのメールです。 
 
 お問合わせの件の返信です。
①タコ紐縛りはヒレ肉の焼きあがり時の形を整えるためで表面積も減り今回の様な小さなフライパンにも適合
 初めから形の良いものや家庭には不要で、今回巻いて無いのは紐が足りなくなったため。
②塩,コショウ、オイル
 塩、コショウのみがお肉の風味を一番味わえると感じます、油は今回はオリーブオイルとバターでしたが通常はサラダオイルでok.
 ポイントは冷蔵庫から30分前(季節により変動)には出しておかないと真ん中まできれいなピンク色に火通りをしません。
 塩、コショウは焼く10~15分まえ位にヒレなら両面しっかりとサーロインなら片面でも可
早いと水分が出てしまい風味をそこないます。(昨年のローストビーフは5キロの塊でしたから前日擦り込み)
③焼き方
 テフロンパンより鉄製フライパンがよりベター、強火で焼き始め香り高い焼き色がついたら中火にして焼く。
 レアー   肉の表面を押してみると弾力が無く柔らかいが中心は冷たくない状態。
 ミデアム  焼き面に少し赤い肉汁がにじみ出てくる、弾力はホッペを軽く膨らまし指で押した時の感じで断面はピンク色。
 ウェルダン 押してみてやや固いがパサパサにはしない。(少しは赤みが残っている方が食べやすい)
④肉の購入について
 添付写真のヒレ肉は3.2キロです。
 写真の右側の太い部分でなく真ん中部分が美味かつ焼きやすいです、送られた写真(ステーキの準備129)だと奥の右側部分、人物の左手に近い方の肉が良いと思います。

 厚みのある肉は焼いて直ぐ食するのでなく焼いた後アルミホイルに包み(ラップ類は肉表面がベッタリして不可)スチロール等で保温し
少なくとも数分おいて肉汁をなじませてから出卓すると美味しくいただけます。
 以上ですが不明部分はご遠慮なくお問合わせ下さい。

                        佐藤秀一
 
entry_header

ビックリしました

 先日の都内食べ歩きバスツアーの時 バスは東武バスが使われました。お客以外は添乗員の女性と男性が二人です。
 今まで男性が二人と言うのは長距離のバスツアーではありましたが、都内は近いし、何でかが分かりません。
 運転は最初から最後まで同じ人がハンドルを握っておりました。もう一人は地図を見たり、時々運転席に近づき何やら話しております。
 私たちは左側の前から2列目でしたので運転席の近くですから、3人の動きが良く見えますし、分かります。
 今回はその動きがどうも気になって仕方がありません。見たがり、知りたがりの私は時々様子を窺います。どうも分かりません。
 一体二人の内のどちらが運転の任務をされているのか、幾ら観察しても分かりません。時々二人で相談らしき様子をしたり、羽田に向かう時には協力して行き方を調べているようです。でも考えますと当日の運転は実際に運転している方が責任を持ち走っているのでしょう。

 日の出桟橋で下車しなかった私たち二人は貸し切り状態で乗っておりました。ふと目を運転席の後ろの席にやりますと、見たことの無い男性の姿勢を発見しました。

        何でしょう

 この姿をご存じの方はいましょうか。私は初めて見ました。写さずにはいられません。
 運転席の後ろの席の右側は背もたれが倒せるのですね。そして男性はそこに足を伸ばして休んでおります。
 これは長距離バスの仕様ではないかと思いました。 
 残念なことに私ともあろうものが、詳しい事を聞き損なったことです。
entry_header

料理をプロに習う

 オパール・ネットワーク我孫子支部の料理の会は昨日3回目を開催しました。
 講師は我孫子在住の元東京プリンスホテル フランス料理総料理長の佐藤秀一さん 
 
 今までも申し訳ないような形で教えて頂いております。今回もまたこれ同じ様に全て材料も整えて下さいました。
 見事なばかりの計算がそこにあります。私は将にこのようなことこそプロだと感心しております。
 今回は参加者は二組に分かれ、一方は前菜とスープ もう一方はメインのステーキに添えるグラタンとデザート
 
       料理メニュー

 午前10時に会場に集合  皆さん早々と見えており、佐藤さんは材料を並べて待っていて下さいました。
 調理の前に材料の説明 そして調理の手順などを分かり易く教えて下さいました。二組に分かれたメンバーは、それぞれ佐藤さんの指示に従いテキパキ?と体を動かしております。佐藤さんはメンバーの大きな声の質問に走りまわります。流れは段々完成へと進みます。お喋りも楽しく、手も口も忙しい時間が過ぎて行きました。

 それでは画像を掲載致します。どうぞご想像下さい。

    料理出席確認 料理材料

    料理説明 料理説明1

    料理説明2 料理説明3

    料理説明4 料理肉準備

    料理盛り付け1 料理盛り付け2

    料理盛り付け冷蔵庫へ 料理前菜

    料理ステーキ 料理頂きます1

              料理頂きます2

 佐藤さんは台車に品物やお皿など積み持ち込んで来ました。材料の一品を忘れたと奥さまが会場に届けて下さいました。有難いことです。私たちは適当にアルコールも入り、すっかり良い気分になりましたが、佐藤さんは運転のことをお考えで、アルコールは呑まれませんでした。
 唯一の男性は昨年の会の後、今度は食べるだけの会に参加したいと話しておりましたのに「矢張り参加しないと佐藤さんの料理は食べられないから」と申し込まれて来ました。昨年と違い腕が上がり、皮むきも上手になったと女性群からお褒めの声も出ましたよ。本当です。
 それにしましても可笑しかったのは盛り付けの見本を見たのに、材料が多いと「入れても良いんじゃないとか残してもしょうがないから盛り付けましょ」と主婦感覚が出てしまうのです。
 プロの美意識から飛び出して仕舞いそうになり皆さんで笑って仕舞いました。要注意ですね。
entry_header

おでんには和辛子

 先日築地に行きましたが、思い出して和辛子を買って来ました。
 最近はチューブの物もありますが、何と言ってもあの鼻に来るつーんとした香りと美味しいさは自分で練るのが良いですね。
 とくに冬はおでんを食べますから欲しい物です。私はトコロテンが好きですからトコロテンにも欲しいですね。以前トコロテンにワサビを添えた店には驚きましたよ。そんな店もあるんです。
 納豆を良く食べる家では練っておくと良いでしょうね。我が家は夫の薬の関係で納豆を食べるのは私だけですので、滅多に食べません。納豆に付いてくる辛子は効きませんね。

        和辛子作り方

 父は和辛子を練るのを自分の仕事だと思っていたようで、子どもの頃その様子を良く見ておりました。
 普通は練り方は袋に書いてあるように簡単ですが、父の練っていた和辛子のとはチョと違っているようです。少し粒があるような粉でした。粒マスタードに似ていましたね。
父は練った辛子の上に和紙をピッたと被せ、その上に水を少し張ります、そして真っ赤におこした炭火の小片を火箸でつまみ、入れます。湯気が上がると消えた炭と水を捨てて使っておりました。

 和辛子で検索して見ましたら「三之助豆腐」の薬味考で詳しく書かれておりましたので、一部分を転記して置きます。
 近所のショッピングセンターでもこの三之助という名の豆腐は売られております。
 
 抜粋した内容
 「豆腐に和辛子、風情のある味である。豆腐に和辛子とは最近ではあまり聞かないような気がするが、江戸時代には庶民が大切にしていた香辛料の一つだったという。茄子の浅漬けや鰹のタタキには和辛子が欠かせなかった様が江戸川柳などからも伺える。納豆に和辛子、あんかけ豆腐に和辛子、この関係は今でも健在である。

 石川県に茶碗豆腐といって茶碗を伏せたような丸い豆腐の中にあんこのように和辛子が入っている豆腐があるという。そのまま皿に盛り、醤油をかけて食すのだと聞く。夏場だけ出回る季節商品らしい。ある地方では豆腐屋さんが豆腐を売るときに和辛子を付けてくれるところもあるとか。  

 この和辛子とはカラシナの種子を乾燥させて脱脂し、粉末にしたものである。カラシナの仲間はみなシニグリンという辛味成分を含み、特に辛味の強い品種の実カラシナが辛子粉用に栽培されている。 
 
 毎年2月の初旬頃になると埼玉県北部の川沿いの土手などに野生カラシナが自生しているのを見かける。とう立ちした花茎が20~30cmに伸びた頃に摘み取って塩漬けにして2~3日後、重石を取ったその瞬間から、シニグリンの作用なのだろう、その刺激で思わず涙と鼻水が出てしまうほど強い香気を浴びる。さすが野性カラシナだと喜んでいる間に、あれよあれよと香気が抜けていく。もちろん口に入れる時に涙と鼻が出ては困るので、結果 的には程よい辛味になっている訳なのだが、我が家で楽しむ年一回の野趣溢れる季節の味となっている。このカラシナに花が咲き、実となって種が採取できるのは5月の下旬から6月上旬頃。アブラナの種より小さい淡褐色の種が一般 的だが、辛子粉用の種子は黄色い。この辛子の種はそのまま舐めても辛くはないが、水やぬ るま湯を加えて練りあげるとミロシナーゼという酵素が働いてアリル芥子油という精油を生じ、強い辛味に変化する。

 和辛子の練り方が・・そう、きちんと理にかなっている。和辛子に湯を加え、放置し、辛味成分が充分生成してから使っていたのだ。最近では殆どのスーパーにチューブ入りの練辛子しか並んでおらず和辛子粉を販売しているところはなかなか無い。練りあげてあるチューブ入り辛子は便利に使用できるが少し風情が無いような気もする。」

entry_header

語り残す戦争体験

 第二次世界大戦が齎した数々の傷痕はどれほどあることでしょうか。
 戦後既に65年が経ちましたが、その傷痕は癒えておりません。
 日野原重明先生は高齢者を75歳以上と考えて良いのではと。そういうお考えで老人を新しい定義で考えようとこの「新老人の会」を2000年9月に立ちあげました。2010年5月時点での会員11200名となっているそうです。
 75歳以上の会員は全員戦争体験をされており、その体験をありのままに記録して残すべく、既に何冊もの記録集を編纂されております。今回その中から42編を再録して出版しました。
 過日私の親しい中国青島で敗戦を迎えた菅野和子さんからその一冊を頂きました。

         語り残す戦争体験

 この書は以前に一度掲載致しましたが、内容は本当に心が痛み、そして書いた人の強い意志を感じ取ることが出来ます。その中に菅野さんの「上野駅のまっ白なおにぎり」が掲載されております。
 菅野さんの引き揚げてからの苦難の姿を教えて呉れております。会合ではこういったことは先ず話されることはありません。皆さんそれぞれが言い難い経験を経て生きて来たのです。ですが菅野さんがこうして残して下さいますと、私たちの過ぎし青島のことも別な視点で見ることが出ます。
 全部を記載するには長く、でも読んでも頂きたくて、ページをスキャンしました。拡大してお読み頂ければ嬉しく思います。

 菅野さん2 菅野さん1 

 菅野さん3
  
 菅野さんは私の青島訪問の後に同じく青島を訪ねております。妹さんを同行されました。
 菅野さんのお父さまは福島県出身で大変厳しく生きてこられた事が本書で分かります。青島時代は横浜正金銀行の青島支店に勤めていたのです。
 私が当時覚えている銀行はこの横浜正金銀行と濟南銀行と言う名前だけでした。子ども心に立派な銀行だと言う印象が強くありました。
 青島 その地に住んだことのある人は青島の家を訪ねることは訪青の目的の一つでもあります。私もそうでしたが、菅野さんも訪ねております。

     菅野さん青島訪問 正金銀行裏門2

 これを読みますと青島時代は日本人だからと頑張り、引き揚げてからは引き揚げ者だからと頑張り本当に良くぞと頑張りました。
 今はご主人の介護をしながらもボランティア活動もされており、また随筆の会にも所属し、毎年文集を送って下さいます。さすがに彼女の随筆には青島がよくテーマになっております。
entry_header

分骨とは

 義姉の死去に当り義兄から分骨の話が出て来ました。
 義姉は父親から大変大事に大切にされたそうで、その父親の傍に眠りたいと遺言を残していたそうです。
 夫はそのことを聞き、直ぐに寺に連絡をして承諾を得ました。
 人が亡くなりますと寺との関係が大きく浮かびあがります。葬儀社はその辺は良く心得ておりますから、何でも聞いて見ることが良いと分かりました。
 分骨の手続きは葬儀社に任せました。分骨の実際は火葬場でされます。
 骨壺は火葬場に用意されており、分骨のは小さな物でした。
 火葬が済み私たちは骨を火葬場の係の人の指示に従い、二つの壺に収めました。それぞれの壺の中には最後に頭部の物を載せて蓋を閉めました。
 体の大きかった義姉の姿が余りに小さな形へと変わってしまい、切なく心が揺れました。

       火葬が済み

 佐賀から見えて下さったお寺さんは位牌の二基大小に戒名を書いて下さいました。小さな位牌が分骨のものでしょう。
 火葬場からは二人が遺骨を、二人が位牌を、そして一人が写真を抱えて家に戻りました。
 初七日の読経が済みますとお寺さんは分骨についての心得を教えて下さいました。
 今は分骨された人が誰かと分かっているけれど、将来何でと言うことの無いように記録を壺に収めて置きなさいと。そういうことを話されてお帰りになりました。

 四十九日は佐賀で行われますが、分骨された義姉はその後に我が家の墓地に埋葬されることになりました。

 戦後 家中心の家族制度は薄くなっておりますから、分骨を望む人は以外に多いかも知れません。それはお寺と親族など多くの方の理解があって出来ることでしょう。一概に自分だけで決めることは難しいことと思ったことです。
entry_header

有楽町西武閉店

 有楽町の朝日新聞社跡地に開店した西武デパートが閉店するとニュースが伝えました。
 開店は昭和59年10月だそうですが、私の印象ではもっと前だったような気がしておりました。
 新しいスタイルのデパートでしたが、若者が対象だったようで、何となく馴染めませんでした。地下の食品売り場は珍しい物が買えましたし、パンの美味しい店も出ておりましたから時々は寄りました。その地下の売り場は早々と無くなり、最近は殆んど覗くこともせず過ぎておりましたが、閉店と聞きますとそれはそれなりに寂しさも感じます。

      07年4月 西武デパート  07年4月 マリオンからくり時計

 マリオンとしてオシャレな感じを受けておりましたが、私は専ら待ち合わせの場所としてその言葉マリオンを使いました。からくり時計が珍しく田舎から出て来る友人と待ち合わせると喜ばれました。
 時間もからくり時計を眺めては、待ちます。時計の下から友人が現れて来ますと安心しました。
 からくり時計はこれからどうなるのでしょうかね。12月25日に閉店すると言うことですから、その日から動かなくなるのでしょうか。

 日本の秋は列島全体が紅葉に染まります。散るのは自然の成り行きでしょうが、閉店は世の流れの中で自然にそこへと向かったことでしょうね。

               秋色

 一雨ごとに秋が深まって来ます。秋の味覚に親しむのも良し、良書を手に取るも良し。今年はマツタケの豊作とか。一回くらいは食べたいものです。

side menu

side_header

プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

フリーエリア

フリーエリア

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

MATERIAL

【背景、記事テーブル素材】
レースの壁紙
レースの壁紙 様

【素材の加工】
FC2blogの着せ替えブログ

Powered By FC2 blog