2010-12

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朝食を楽しむ

 料理のホルダーに「今年の朝食」というホルダーを作ってあります。今年残りの画像を保存しようとしました。
 大分溜まっておりましたので、アップします。
 相も変らず主役と言いますか、でんと置かれているのはトマトです。トマトは夫が好きだと言うこともありますが、我が家の食生活でのアクセントとなる赤色はトマトと人参位の物です。
 若い人の食卓や、レストランでは赤や緑、また黄色等のパプリカがアクセントして使われております。
 先日も料理番組を見ていましたら、パプリカが2㍉位に細く切れられてすっくっと立てて添えられています。
 私の所では生野菜は余り食べません。ですから眺めて素敵だなーと思うだけで買うこともありません。
 そんなことでレストランでそういうお皿が出て来ますと、その一瞬オシャレな気分になります。

 地味な地味な朝食 良く見ますと、まー良く見なくても分かっておりますがね。残り物が結構ありますよ。
 晩はおつまみ程度の量しか食べませんから、作る時に考えて作れば良いことは承知の上で作っております。
 と言うことで朝は品数が多くないと、その日は忘れ物をしたような気分になります。

     朝食12月24日  朝食12月25日

     朝食12月26日  朝食12月27日

     朝食12月28日  朝食12月29日
 
 来年は綺麗な色に等とは言いません。きっと同じ事の繰り返しとなりましょう。多分お節も似たような色となります。以前は練り物も出汁巻きも作りましたがね。もうそこまではやれなくなりました。
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自然のままのウニ

 長崎県に住み半ば自給自足のような生活をされている金子数栄さん 
 先日ウニ漁に出掛けて収獲があったようです。知人、友人の依頼で送って下さいます。
 何しろ以前にも紹介致しましたが、農園主 喫茶店マスター 漁師 民宿の親爺 趣味はツーリング ピアノ 露天風呂も自作 子ども達との交流 物書き まーよくぞ毎日こういうことをこなして息切れがしないものよと、毎日ブログを眺めております。デジカメ日記と言うのが三日分しか見ることが出来ません。
 三日以上家を開けますとアーア見られないなーとなります。また三日以上アップがないと東京かなとか外国かなーとか推測します。

     金子さんウニ漁場  長崎のウニ

 出で立ちも漁師ですね。体格も良い金子さんですから寒さも吹き飛ばして出漁されたようです。
 見事に並んだウニのパック もう私は期待しました。きっと我が家にも届くはずだと。

 店頭に並ぶウニは形が綺麗ですね。箱に並べられているウニは立派に見えます。この立派な形が整っているウニはミョウバンで処理されているのです。
 金子さんは自然派ですから、そのまま送って下さいます。ネットりしたウニは自然そのもの。昨夜は夫と早速味わい、楽しみました。

              届いたウニ

 これをテーブルに出す前に矢張りチョッと悩みました。どちらを夫の前に置くかです。結局南天の葉の僅か綺麗な方を夫の方に置きました。夫は気がつかないでしょうね。

 忙しい歳末 直ぐに食べられるとは有難いことです。金子さん来年もお願い致します。
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やってみたかった

 子どもの時 絶対に買って貰えなかった物はタンキュウと綿菓子でした。綿菓子を初めて口にしたのが1954年の春 友人と井の頭公園へ散歩に行き、そこで買い食べることが出来ました。
 綿菓子を知らないと言うことは何となく人に言えないような気分が続いておりました。ですが綿菓子はあっけない食べものでした。
 孫のために自宅で綿菓子を作りましたが、器具の掃除が大変で何だかんだと言い出来るだけ作らないようにしておりました。
 最近二女の家で見せて貰った綿菓子機は、小さな飴を一個入れるものです。遊びの器具も進歩しております。掃除も簡単になっていますよ。長女の娘の時はざらめを掬って入れる物でした。
 二女はユメコちゃんでしたので、幼稚園の頃 自宅でソフトクリームを作りたいと言いますので、明乳に開発をして欲しいと手紙を送りました。当時住む街にはソフトクリームを売る店はなく、都心に行きますと食べさせておりました。手紙を送った後、返事がきました。「今は作れません。お嬢ちゃんに上げてください」と素敵なバスケットが届きました。今はレストランなどでは自分でできますよね。あれは子どもには魅力だと思いますが、今の子どもにとってはどんなものでしょうか。

 チョッと前置きが長くなりましたが、私が知らないままでいたのが、店頭で売られているおむすびの海苔のことです。青島満帆さんのグログに中国青島のコンビニで買ったおむすび。何と包装してあるラップに印があります。
 本当にビックリしました。

       青島のお握り

 私はおむすびを買うことは殆んど無く、偶に集まりなどで食べる位でした。
 以前から海苔を上手に貼れず苦労をしておりました。
 今度コンビニで買ってみようと思い、あの可笑しなミステリーツアーのバスは早朝出発でしたので、乗車する前に近くのスーパーに寄り買いました。それがバスの中ですからどうも上手に出来ません。

 新しく開店した一階のスーパーに行き、やっと一個買いました。買ってみてこれもまた驚きましたね。青島のが親切なことと思いましたが、スーパーで買った物の底をみますと、ちゃんと図解されているのです。

      お握り

 これは上手に巻付けて食べることが出来ました。この包装方法は実用新案となっているのでしょうか。
 聞くところに依りますと、生協で包装紙が買えるそうですね。何事も日々進歩進化しているのですね。
 来る年にまた些細なことでも何か発見したいものです。
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エジプト旅行5日目

 1996年の12月1日から2日へと日本時間の日付が変りました。
 アスワンハイダムや石切り場、またイシス神殿を見学 コム・オンボ神殿からナイル河に繋留されている船に戻りました。神殿から下がって来ますと露天のお土産屋がずらーと並んでおります。
 一体どれほどの需要があり、売れるのか不思議な感じがします。

      並ぶ露天商

 傍による時間もなく船に向かい乗船しました。ナイルは夕景から闇へと変って来ました。

      岸辺の夕景

 船内での食事後この旅の魅力となっておりました、ガラベーヤパーティーが船内のホールで始まりました。
 それぞれ民族衣装を纏い、カメラに収まりました。改めて眺めますと懐かしく皆さんを思い出します。
 長野県の山林組合長さんをなさっていると話されていた方は、アラブの長老のような風格です。山林に関係するということから、長野県ご出身の明治大学の由井先生のことをお聞きしましたら、有名な家で山林王ですよと教えて下さいました。

      着飾った一同

 パーティーは全員参加ですし、ゲームも楽しく雰囲気はエキゾチック 何だか夢のような時間が過ぎて行きます。
 夫は恥ずかしがり屋でシャイなのにこの夜は可なり楽しんでおりました。

      寛ぐ二人

 ダンスタイムは私は大いに楽しみました。もともとダンスは好きでしたから、率先して踊りましたね。
 宴も盛り上がり、オーストラリヤのツアーチームと踊り合戦が行われることになり、日本チームに私が出ることになりました。
 早い曲に合わせて踊りましたが、息も切れず頑張りました。今は駆けだすと息が切れて10mも走れません。
 
      踊りました

 実に楽しく面白く過ごした一夜でした。元気でしたね。
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武川の長芋

 毎年 12月になると山梨県武川村(今もそう言うのかどうか?)の長芋を頂きます。
 武川と言えば有名なのが桜ですね。日本三大桜と言うのですが、見に行っておりません。見ていないと言うことを聞いた中国語の同学から数年前、武川の神代桜の写真が何枚も送られてきました。

       山高・神代桜

 クラスメートだった蔦木滋男さんから毎年見に来たらと誘いを受けていましたのに、とうとう行かずじまいになりました。
 蔦木さんは武川村村長を長く務めておりました。父親が県会議員をされていたそうで、父の遺志を継ぎ村長になったのでしょうか。
 蔦木さんのグループの男性の半数は既に鬼籍にあります。最近はクラスの集まりもなくなり、歳老いた仲間の様子が気になりながらも会うことが出来ずにおります。
 数日前 津山に住むクラスメートの女性から10年振り位の電話がありました。
 高齢のお姉さんの介護をされているそうで、その中での生活ぶりを挟み昔を思い出し1時間近くお喋りをしました。彼女も蔦木さんのグループの一人です。

 武川の長芋ですが以前の物は真っすぐなものでした。それが今年の芋は下部の所が手のひらのようになっています。手のひら状の銀杏芋と言われるものもありますね。交配をしたのでしょうか。農業に詳しくありませんので、改良されたものかどうかが分かりません。

       武川の長いも

 初めて頂いた時にとても感動しました。蔦木さんが生きていたならばと思い出が湧き上がって、直ぐにお礼の中で蔦木さんのことを伝えました。
 以来毎年武川の長芋が我が家に届きます。その都度蔦木さんを偲んでいます。
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妻:夫 夫:妻

 この数年 知人友人の夫婦のことでいろいろな相談をされたり、聞き役になったりすることが増えております。
 特に在宅で老老介護をする方の言葉には重い内容が含まれております。
 介護のことばかりではなく、二人の間に続いている齟齬、不信の内容等には心が痛みます。
 
 私とて充分老いて来ました。夫も同じです。
 今日的な大きな問題の老老介護のことも身近なケースを目にしますと、他人事ではありません。
 
 数年前 夫は3カ月に3回の入院をしております。入院生活とは余儀なくするものですが、家で休んでいる時間とは大違いです。ですから私も夫も出来るだけ注意して生活をしております。
 ですが思わぬ事態も起きないとは保障できませんね。先日の転倒は打撲で済んだのですが、遠くの病院に搬送されていたらと思いますと、ぞーっとします。

 先ごろ近所のお仲間の方が読んで、とても良かったと一冊の本を貸して下さいました。

        介護をすること

 この本の著者は苛原実(いらはらみのる)先生です。千葉県で在宅医療に取り組んでいる方です。
 内容は訪問医が見た 男の介護 女の介護 ですが、何と言ってもこの著書は私たちの身近に見えていても、実際は分からないような事柄を事例を上げて紹介していることです。
 
 読んでいまして実に良く分かります。その上一人の人間としてまた医師としての率直な悩みや、苦しみ、時には迷い、嘆きまで素直に表現されております。

 夫婦の老後は長い付きあいの中での清算をする時期かも知れませんね。以外に残っている筈だったことが足りなかったり、ないと思っていたのに沢山のことを貰っていたり。
 清算すると言う内容 それは愛と言うことでしょう。
 著者の言わんとすることは夫婦は率直に日常何かと語り合ことが大切だと言うことだと思います。
 話し合いは一気には出来ません。歳月が要ります。それが出来ていてこそ介護もスムーズに行き、お互いの信頼も強まると言うことでしょう。夫婦とは分かり合っていても自分ではありません。人格も思考方法も違います。ましてや性格は絶対に違うのです。おしどり夫婦と言いましても違うのです。違いを認め 埋め 調和させて行かなければならないと思ったことです。
 
 この著書の中のケースを読み大変に参考になりました。

 どちらが介護をするにしても、情報も大事ですし、行政のサービスも採りいれて 無理のない愛情のある介護をするようにと勧めております。

 出版社 洋泉社  電話 03-5259-0251 定価 1300円
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不覚の一瞬

 23日の午後4時頃 叔母を埋葬した親類縁者が寺に戻って来ました。
 「行かなくて良かったわよ」と従妹が山の上から降りる仕草をし、私には無理だったと言うことを説明して呉れました。
 これは行ったらきっと何かが起きたのではと思い、足の弱った自分を庇う気持ちが湧きました。
 近所の方々にも腰の曲がった方が何人も葬列に加わっておりましたが、あの方々は大丈夫なんですね。足腰が鍛えられているのでしょうか。確かに部落の中は坂が多いので、自然に体がそれに慣れているのかも知れません。

 葬儀に列席した一族縁者は庫裡に上がるよう促されました。庫裏の玄関から大きな広間に目をやりますと、ずら―っとお膳が向かい合いで整えられております。ええー?困ったなーと思い、どうしましょとなりました。
 新都でウナギを食べてから時間が経っておりません。普段のお昼よりお腹が一杯になった後ですからね。

 その困ったなーと思ったのがいけなかったのです。 
 広間に目が行った時に靴を脱ぎ下駄箱に並べ、上がろうとしたのです。その一瞬
 ズドンと体が前のめりに倒れました。階段が何段かあったのです。目が奥に行っておりましたから、階段に気が付かなくて転倒して仕舞ったのです。
 階段の角々に体が這うようにドサッと落ちましたから堪りません。打った体の場所は肩、胸、向こう脛、後ろに続く従妹や妹などが慌てて助け起して呉れました。
 誰かが椅子を直ぐに持って来て下さり「呼吸を整えて座って下さい」と励ますように言葉を掛けて下さいました。
 座敷には皆さんが座っております。何とか堪えて奥に進み座りました。正座をしますと骨の痛みがありません。
 あの10月の文京シビックホールでの転倒して以来気をつけなければと思っていたのにです。体重が少し増えており、それに比べて足が弱っているようです。
 何よりも歳を考えて慎重に動かなければならないのですね。

       精進落とし膳

 このお膳がずら―と並んでおりましたが、これに惑わされた訳ではありません。食べられなくて失礼をしてはいけないと思ったのです。
 席に付きましたらお膳の下に寿司桶とパックが見えました。なーんだ持ち帰ると言うことが前提になっていたのだと、ホットしました。
 昨日は中国語の授業の今年最後の時間でしたので、何とか行かなければと痛みを堪えて行きました。
 老師は北京に行かれご子息が代りにお見えになりました。親切です。コートを脱ぐのも手伝って下さいました。
 
 皮下出血が見られそうなものですのに、今日まで出ておりません。太っているのがクッションとなったのかも知れませんね。向こう脛に出血と傷があるだけで済んでいます。救急で入院なんてならなく良かったです。
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友人の実家 新都

 千葉県館山の老舗 新松 その新松で修業した方が店を構えたのが和田町にある新都です。
 先日の昼 和田町で叔母の葬儀がありましたが、お寺は山の中と言うような所です。早く到着した私と従弟妹は昼食を何処にしようかと相談しました。千倉への道を行けば瀬戸浜辺りで蕎麦屋があったようですが、時間を考えますと探すのも心配でした。
 叔母の所にも良く行きましたが、その町で食事をしたことがなく、一番近くの新都に入りました。

 この新都の初代のお嬢さんは私の女学校時代のクラスメート 彼女のことを語れば才媛と言う言葉がピッタリです。実に素晴らしい女性でした。
 才能溢れており、全てに卒がなく、家計の管理も実に立派 縫物の腕はプロ並み 本を良く読み 油画も描きます。
 私たちは主婦百科と言っておりました。私の不器用なことを知っており、子育ての頃は本当に助けて下さいました。幼稚園や小学校に持って行く袋や小物 全てにフランス刺繍が施されてありました。
 日本刺繍も勉強し自分の帯や着物に刺しておりました。ため息が出ます。
 私は今でも言葉で尽くせないほどの感謝の念を持ち続けております。刺繍をした可愛い品の良い子ども服は近所の方に褒められ、着なくなったら下さいと良くお願いされました。
 彼女の自宅は習志野にあり、しばしば娘と一緒に遊びにゆきました。
 
 ある時お父様がお見えになっており、ゆっくりと滞在しておりました。一緒に団欒をしている内に新松で修業をされたと知りました。
 彼女は亡くなり 今は馬込霊園Nブロック第一区第3号7番ー8に眠っております。友人達と霊園に行きましたら墓石に彼女とご主人の名前が刻まれておりました。
 
 この日新都の三代目と言葉を交わし、友人のご主人が亡くなったと知りました。立派な奥さま思いのご主人でした。
 新松は私にとっては遠縁に当たります。一緒に行きました従妹は新松により近い親戚の娘です。従妹は新都に品物を届けたことがあると言い、何十年か前にお会いした女性の方が覚えていて下さり、思わぬ縁を感じて来ました。

        新都ウナギセット

 和田町は近海捕鯨の基地です。鯨は普通はタレという名前で干した物が出回っております。また細かく切ったクジラを茹でこぼし、味付けをして食べますが、近年は材料となるツチクジラが高価で煮たものは何十年も口にしておりません。新都のクジラはミンククジラだそうで、私はミンククジラは初めて頂きました。
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逝きし叔母を悼む

 月曜日(12月20日)母の妹が亡くなったと電話が入りました。突然としか言いようがありません。
 夫の姉が亡くなり、喪中の挨拶を受け取ったと悔やみの電話を叔母が掛けて来たのが、ほんの少し前のことでした。
 その時の話の様子では特に健康面での問題はなく、医師に掛かるような持病もないと話しておりました。
 
 この叔母は私が生まれた時、まだ12歳 祖父が私を溺愛していたそうですから、きっと悲しい思いをしたことでしょう。亡くなった叔母の下に末っ子の叔母がおります。この叔母も悲しかった筈です。私は未だに自分の所為ではなくても、心が痛みます。
 
 亡くなった叔母は私が11歳の頃 中国青島の我が家に来ました。私の妹が生まれた時でした。三人の子どもがおりましたので、叔母は私たちの面倒を見る序でに遊びに来ました。母が病院から退院したあとは、アマもいますし用もそう有りませんから、時々一緒に郊外にピクニックに出掛けたり、私と二人で映画を観に行ったりしました。その内どういうことからか分かりませんが青島水先案内人の協会に勤めました。
 
 そのことを叔母は人に余り話していなかったようです。
 綺麗な洋服を来て、スカートでハイヒール そんな叔母の姿は家族にも親類縁者にも想像外のようでした。
 水先案内協会には船長上がりのベテランの男性ばかりです。そこに美人の叔母が事務をするのですから可なり大事にされたようです。電話があると必ず青島が懐かしいね。青島の話がしたいよ―と口にしておりました。若いしきっと人生の華の一時期だったのでしょう。

 月曜日の朝 叔母は味噌汁の実にするような物を摘みに外へ出たそうですが、時間が長いので長男が見に行きましたら、畑で倒れていたのです。

 叔母の名前は祖父が宮崎へ仕事で行っていた時に生まれたのでみやと名付けられました。 
 また祖父は大阪に行っていた時に生まれた私の母に浪江と名付けました。
 昨日は朝10時に火葬 13時から葬儀 私は千葉市に住む従弟妹と落合い葬儀に参列しました。

 立派なお寺で驚きました。叔母は実家は白浜ですが、結婚後の住まいは房総でも山の方と言ってもよい所でした。農家ですが、長く乳牛も飼っておりました。私の長女は牛を見るのが好きで、夏休みには西瓜もぎにも出掛けました。家の周囲の土地は殆んど家のもので、南からの冬の日差しは縁側を温め、寒い冬の訪問はミカンをもぎをしたり穏やかな時間を過ごしてきたこともありました。

 葬儀は和田町中三原と言う所の正文寺本堂で執り行われました。日蓮宗の寺です。
 
      寺  寺1

      寺史跡  送る人1

      送る人2  送る人3

 葬儀の読経が済み、その後続いて初七日のお経が上げられて、本堂の外で待って下さった村の人(そう言いたいのです。有難い方々です)達と一緒に葬列は墓地に向かいました。
 葬儀で供えられた供養の品々を皆さんが持ち、鐘と太鼓を先頭に寺の庭を三回周り、門から出て行きました。
 昔ながらの品々と捧げ物 両親の時から随分経ちましたが、このような葬列は映画の一コマのを眺めるような感じで見送りました。「野辺の送り」 聞かなくなりましたね。
 墓地は急坂の上にあると弟が私に待っているようにと言って呉れましたので、皆さんの帰りを待ちました。
 立派な寺の庫裏での精進落とし 縁者とごく親しかった方々との話が弾みました。亡き叔母が皆さんに良い時間を下さいました。
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外で眺め読む

 美容院には週刊、月刊の女性誌が取りそろえられております。勿論ヘヤ―スタイルのもあります。
 概ね一ヶ月に一回のペースでカットをして貰いに行きます。私は少し癖がある毛並みですので、パーマはかけません。白髪も随分増えておりますが、染めたいとは思いませんし、また染める心算もありません。
 誠に安上がりな髪です。
 美容院では殆んど注文は付けません。どんな髪型が良いのか考えると言うことがないと言うこともありますし、どんなに丁寧にカットして貰っても、翌日は自分の手の動きが同じですから、変わり映えがしません。

 最近美容院の鏡はなんて良く見えるんだろうと感心しております。
 家の洗面台の前では分からない白髪、滲み、皺、ほくろなど極小の物までハッキリと見せて呉れます。
 
 今夜は旧暦11月18日 空は晴れており月が綺麗です。
 月とスッポンと言いますが、月の表面は僅かな滲みのような物が見られますね。餅を搗くウサギでしょうか。私の顔はスッポン 滲み滲みです。スポンは美味しいですがね。
 
 美容院で見る女性誌は限られた時間と言うこともありますが、どれを読めば良いのか何時も迷います。自分でハッキリとしません。夢のような現実感ゼロのような物から、上手な家計を教えて呉れるものまでいろいろです。
 新しい料理や食品の情報などはそれぞれ何らかの形で役に立ちます。さりとて買う程の気分にはなりません。
 そこで忙しくページをめくります。そしてチョッと今に触れたような気分になります。
 
 メガネは外しますから、目を細めたり すかしたり、本を手で加減して持ったりして読みます。
 先日そんな私にさりげなく美容院の方が大きなルーペを持って来て下いました。

        美容院の雑誌

 なかなか気が利いておりますね。今度は直ぐにルーペを貸して下さいと言うことにしましょ。
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気分良く過ごすこととは

 数か月に一回 長くお付き合いをしている某大学の教授に雑学と言いますか、世情の分析や世界の動き等をレクチャーして頂きます。
 その日は大体土曜日の昼間です。中国語の講座を受けに行くまでの数時間です。
 場所は柏そごうの最上階の桃亭です。私は難聴ですのでファミリーレストランでは話しが聞き取れません。
 さりとて個人店のランチタイムではこれまた落ち着きません。
 そこで行くのが桃亭です。
 回転レストランですので風景は360度 晴れの日は筑波山も手賀沼も良く見えますし、都心方向から先の西へと霞みはしておりますが、これまた良く眺めることが出来ます。冬は特にいいですね。
 先日はスカイツリ―も西南方向に聳えて見ることが出来ました。

 私は何時も食べるのは麺類です。先日は海鮮焼きそばを頼みました。
 箸を付けますと麺が冷めております。上の具はこれもやや冷めております。中華料理は熱くないと美味しくありませんが、文句を言う程のことではないと思い、係の男性に注意をしました。
 「お作り直しましょうか」と言って下さいましたが、「結構です。一応お知らせした方がいいのではと思いましてね」と言いました。先生の料理は来ております。私のを作りなおしますと、先生は絶対箸を付けずにお待ちになる方です。冷めて仕舞います。 
 ところがどうしても冷めていて、前言を翻して(表現が大袈裟ですが)「済みませんがレンジでチョッと温めて頂けませんか」とお願いしました。
 私はこういうことは嫌なのです。自分が一度口に出した言葉を直すと言う自分がです。
      
      直に熱々の焼きそばが来ました。

       桃亭の焼きそば

 矢張り中華の物は前菜の様なものでなければ熱い方が美味しく食べられますね。桃亭からはお詫びにとデザートの杏仁豆腐がサービスされました。
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塩辛のラベル

 新しいスーパーが開店し魚も目で確かめて買うことが出来ます。
 寒さが加わって来ますとスルメ烏賊が目に入ります。塩辛を作りにはスルメ烏賊でないと駄目なのです。
 何故スルメ烏賊かと言いますと、以前にも書きましたが肝が烏賊の中で一番大きいからです。

        烏賊「雄鶏社手作りの味から」

 塩辛を作りますと色が白っぽい時とオレンジっぽい時があります。これは肝の色の所為だと思います。
 足を引き出し、色が濃い肝を見ますと嬉しくなります。
 
 麹は米麹を戻して使いますが、100gに対して烏賊5杯です。
 麹は一袋が200gですから、追い駆けて作ることになります。
 そうなりますと何となく友人に送りたくなるのが私の癖
 あの人はお酒が好きだから あの人は独身だから あの人は買い物に出掛けるのが大変だからとかいろいろと考えて、半ば押し付けをして食べて貰っております。
 褒められると体も豚ですが気分も豚になって仕舞います。 そうなりますと少々凝って見たくなります。
 そこでラベルを作りました。これからはこのラベルを貼って送ることにしよーっと。こうなりました。

       塩辛ラベル

 ちりめん山椒や牛そぼろ山椒のラベルは製造日を入れてありますが、烏賊の塩辛は材料を強調したいので、材料を表示しました。
 烏賊の塩辛は食べ頃は難しいのです。新しい内が良い方もありますし、良く発酵が進んだものが好きと言う方もおりますから、送った後はご自分で判断して食べて下さーいと、こういうことです。
 烏賊の塩辛について私の考えることですが、長く置くと身が痩せて美味しくなくなるような気がします。
 届きましたら出来れば早く食べて欲しいなーと思うのです。
 
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アスワンとコム・オンボ

 1996年12月1日 エジプトは晴 常に晴れの国ですね。男性の長い服装には初めは なんで?と働きずらそうに見えましたが、暑さから身を守る服装なんでしょうね。背広を着ている男性には滅多にというか、ホテル以外では殆んどみかけませんでした。
 サミー教授の講義を居眠りしながらシャンポリオン号で眠り、朝は船内のブフェ スープの甘いのがあるのに気が付きました。
 午前中はアスワン観光です。アスワンハイダムを訪れ、ナイル河の広さに驚きました。
 古代の石切り場跡に立ちエジプトの古さを感じたものでした。 
 アスワン観光の後はイシス神殿を訪れました。昼食は何を食べたのか?

 昼食後船はコム・オンボへと向かいました。コム・オンボ神殿は観光客も多く、特にドイツ人が目につきました。
 ドイツ人と日本人はどこか似ているのでしょうか。何となく不思議な感じです。

         アスワン地図  アスワンハイダム

               アスワン石切り場

      イシス神殿  イシス神殿2

      コム・オンボ1  コム・オンボ2

         コム・オンボ神殿図  ナイルメーター

 アスワンでは切りかけのオベリスクが有名ですね。長さは41m75㎝程の赤色花崗岩製、岩の亀裂が原因で切りだしが中止されたものと考えられているそうです。全重量は1152tと推定されているそうです。
 ハイダムは長さ約3800m 高さ111m 厚さは基位部で980m 頂上部で40m 体積は2億379万㎥ ギザのピラミッドの体積の92倍 1964年に完成 1972年 貯水湖のナセル湖に水がたたえられました。
 
 コム・オンボは過っては上エジプト第一州の主要都市でありました。上の神殿図にあるように神殿は特異な建て方です。神殿は二つに分けられており、これは2組の神々に捧げられているからだそうです。
 ワニのミイラも見られました。ワニの頭を人物として現されているセベク神を示すものだそうです。
 
 私はナイルメ―タ―に興味を持ちましたね。ナイル河が増水するとこの岩に刻まれた記しで測ることが出来るのだそうです。
 記憶は薄れて仕舞っておりますが、アルバムを追って眺めております。
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若さ溢れる結婚披露宴

 太一さん まゆみさん おめでとうございます 
 
 昨日は主婦の友社の中国服の講座で出会った、奥村夕美子さんのご子息の結婚披露宴に列席。とても嬉しく良い日となりました。
 新郎新婦の友人の方が会場に沢山見えております。列席者は全部で150名を超えていたようです。
 ホテルの大きな会場の両側壁に大きなスクリーンが掛けられております。若い人の集まりらしくサウンドが響き、やがて入場するカップルを待っております。
 司会者が新郎新婦の入場と声を上げますとサウンドの音は大きくなり、会場は暗くなりました。スクリーンには二人の姿が映し出されております。カメラが二人を追っています。

 二人がメインテーブルに着き、披露宴が始まりました。新郎の挨拶も立派です。スクリーンには二人の姿を初め知り合ったテニスの場面や交際中の写真も映し出されました。
 盛大な披露宴です。両家のご両親もさぞ大変なことだったと思います。
 
 私はこのような若さ溢れる披露宴は初めての経験となりました。現代の機器を巧みに使い、広い会場の全体に進行が分かるようになっております。

      私へのメッセージ  二人の自己紹介

      新郎挨拶  新郎新婦を囲み

      テーブルを回り  メイン料理

      お祝いの歌プレゼント  幸せな二人

 新郎のお母様夕美子さんは結婚直前にチャイナドレスの講座にお見えになり、ウエディングドレスも自作 そしてマタニティードレスも作り、そしてお嬢さんとその下に可愛い僕が生まれました。その僕太一君は私たちと一緒に鴨川シーワールドに行きました。実に活発なおじけなしの可愛い男の子でした。
 青年になってから私のパーティーに男性の一人として中国服をまとい舞台にも立ちました。
 テニスに凝っていたことも知っておりましたが、こんな素敵な方とテニスが縁となり、家庭を築くことになったのです。私たち仲間は我が子か孫のような気分で、応援しております。
 スクリーンに写された神前結婚式の様子は列席者に姿がよく分かり、素晴らし企画と感心しました。
 
 太一君のお礼の挨拶も立派 そしてお父様のお礼の挨拶も実にキビキビと奥村さんの家族らしい姿を見せて呉れました。
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榛名湖畔は零下3度だった

 最近は関東圏をターゲットにしたバスによる旅行に行くようになりました。その理由は高齢と言うこと。
 もう一つは夫が長時間の飛行機に乗ることが出来なくなっていること。
 ミステリーツアーはどうも敬遠しておりましたが、ついついコマーシャルに釣られ昨日出掛けました。
 我孫子発のバスツアーです。我孫子発と言うのも魅力ですね。
 
 このツアー料金は7000円弱 これで一日を愉しむなんてそもそも虫が良かったのです。
 バスが高速道路に入りますと添乗員は「右に行きますと何処そこへ、左に曲がりますと何処そこへ」と説明をしますが、右に行くのか左に行くのか、曲がって見なければ分りません。

 このミステリーツアーの売り言葉
 
 曰く 選べるお土産付き!わくわく13大ポイント♪
    大迫力のブリ解体ショ―&甘エビ食べ放題!
    日頃の感謝を込めて★お歳暮ミステリー

 私はブリに魅かれました。何処か海辺の町へ行く筈と。ところがバスは関越道を北へと向かっています。
 何だか違うなーと気が付いたのは上州の酒蔵にバスが着いた時でした。

      画像を少し載せます。

     上州酒造家  ミステリーの昼食?

     サル劇場  水沢うどん試食

          水沢観音堂  水沢六角堂

      湖水のイルミネーション  榛名湖のイルミネーション1

 このツアーの売り言葉 魅力のポイント なる程こういう言葉にすっかり負けました。
 以下に並べてみましょう

 ① 大迫力!今が旬の寒ブリ解体ショ―!
 ② 新鮮さばきたて寒ブリのお刺身振舞い 
   (確かに解体はありました。群馬県です。二切れ食べました)
 ③④ ●●牛好き焼きに甘エビ食べ放題の昼食 
   (赤城牛だそうですが鍋には一切れ・甘エビはそう早くは剥けません)
 ⑤ パティシエ特製!自家製いちごスイーツ 
   (お膳にカップケーキがありました。イチゴが乗せてあります)
 ⑥ 今年もありがとう♪2種類から選べるお土産!
 ⑦ 歴史ある造り酒屋を見学
 ⑧ 絞りたて新酒を試飲
 ⑨ ツアー初登場!爆笑&驚き間違いなしの●●●美術館
   (この美術館のことと礼拝堂のことはイタリヤに失礼な気がして書けません)
 ⑩ 足湯もあります!(テント張りのがありました)
 ⑪ 1300年有余年の歴史とご祈願成就などのご利益●●●●参拝
 ⑫ 清水を使った名物「●●●」の試食
 ⑬ まさに幻想の世界!●●湖に映し出されるイルミネーション

 最後の到達点は榛名湖でした。午後4時半到着 気温はその時零下3度
 イルミネーションは榛名湖公園全体に巡らされて、見応えがありました。
 
 旅行社に失礼ですが、何処で採算が取れるのでしょうかね。
 ミステリーツアーを経験し、再度申し込むことはないと思います。
 ツアー代金よりお土産を買う方が多いような方が沢山おりました。
 不思議な気がしてなりません。 
 
 夫との会話「この値段で欲は言えないが、まー榛名湖の夜景を見たとこれで良いか!」です。
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ビジネス講談の夕べ

 六代目 宝井馬琴師匠は講談界のトップ 明治大学文学部英文科卒です。
 毎年夏と冬の2回 “宝井馬琴ビジネス講談の夕べ”を上野池の端の伊豆榮で開催しております。昨夜は第34回を数えました。
 お世話をしているのは明治大学AアンドB倶楽部 
中心となっている方は兼松紘一郎さん 1962年工学部卒業の方です。長く続けて下さっております。


         012馬琴師匠


     今回馬琴師匠は「明智左馬之介湖水渡り」を語りました。
 
     前座は 同窓の落語家 立川談之助さん 

 集まった方はほぼ60名 4階の座敷は一杯です。 村山富市元総理のお顔も見えます。在学中哲学研究部に在籍したそうですが、この日同じクラブに席を置いた女性の先輩も見えておりました。長吉元理事長の姿もあります。
 私は何時もの通り、伊藤琴遊さんが席を横にとって待って下さいました。伊藤さんは馬琴師匠の弟子で、我孫子のワンコイン寄席で我孫子人にお馴染みの方です。

 昨夜の前座は元気者 最も芸人がなよなよだったり、しょぼしょぼだったりではいけませんね。
 世相を切り、面白く聞かせて呉れました。

 馬琴師匠は一枚の錦絵と大正時代に書かれたと言う一冊の本を抱えて登場
 錦絵は明智左之介の「湖水乗り切り」が書かれております。師匠は駿河台の古書会館で求めたと話された気がします。古書店と言われたかも知れません。

 説明に寄りますと高座では余り掛けないものらしいのだそうです。いろいろと説明がありましたが、何だか全て頭の中を通り過ぎて仕舞っております。
 この明智左馬之介と言う方は高潔な武士として知られているそうです。師匠が前置きに続き語り始めました。
 湖水を愛馬に跨り水面を走るさまの様子はこの講談のハイライト 躍動感あふれる語りでした。
 帰宅後詳しいことを調べて見ました。講談のあらすじというHPです。以下のような内容の話しを朗々と息もつかずに語り終えました。(内容は師匠が昨夜語った物とは違っているかも知れません。師匠ご免なさい)

 『重なる屈辱に織田信長を討つ決心をした従兄であり主君でもある明智光秀を、明智左馬之介光俊は諌止しようとするが光秀は聞き入れず、遂に本能寺に信長を襲う。

 中国から引き返した羽柴秀吉と山崎に戦って光秀は敗れ、江州坂本に落ちようとして小栗栖で土民の竹槍にかかってあえない最期(岡本綺堂の新歌舞伎「小栗栖の長兵衛」参照のこと)。それを知るよしもない左馬之介は、安土を捨てて大津へ、ここで陸路三方から敵に包囲され、琵琶湖を騎馬で渡って坂本へ赴く。

 これが有名な「湖水渡り」のくだり。「この大浪をものともせず颯々と浪を切って進む時、永徳の筆になったる雲龍の陣羽織がひらひらとはためくは、まことの蛟龍が昇天するかとばかり、夕陽に輝く兜の金具は燦然としてみるもまばゆき有様に、さしも勇みし敵兵もただ茫然としばし見送るばかりなり」「流石に猛き武士も、ものの哀れを思いては、三井の鐘さえあわれと聞き、堅田に落つる雁の音の、仮寝の浮世果敢なくて、ようやく彼岸に着きにけり」。悲劇的結末に向かっての名調子が聞きどころ。
(讀賣新聞社昭和30年刊「名作聞書」上巻安藤鶴夫より・五代目田辺南龍師口演版による)編:松井高志_2007 』
 
 師匠の一席が終わり、何時もの通りに会食と懇談の時間となりました。司会は兼松さん
 乾杯のために立ち上がった村山さん 歳は幾つですかとお聞きしたい程若さを保っております。

      015村山さん挨拶  003伊豆栄座敷

 大学の広報課からの取材もありました。若い方に卒業年をお聞きしますと1993年だそうで私の退職後に勤めた方でした。

      前座の立川さん  017伊豆栄料理

 食事も済み、恒例のプレゼントはじゃんけんで決まりました。私は初めて手ぬぐいを頂きました。
 プレゼントのじゃんけんが済み、校歌斉唱を最後の会は終わりました。また来年の夏にお目に掛かりましょうとあちこちで挨拶が飛び交っておりました。

       校歌斉唱  お土産

 出席者に大学名の書かれたエコバックのような物をお土産に頂きました。帰宅後見ますと「明治大学キャラクター めいじろう と言うストラップが入っておりました。
 何と私としたことが 知りませんでした。今度明大マートに行き見て来ましょ。
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一瞬の悩み

 食事の用意は苦にはなりません。 可なり先へと準備を進めております。
 そのために冷蔵庫は大体満杯になっていることが多いのです。これは物を無駄にする原因にもなります。
 中に入れたものを忘れて仕舞うのです。その原因の一つは献立が突然変わると言うことですね。
 用意した品物はその時点ですっかり置いてけぼりになって仕舞うのです。更に保存食作りが大好きと言うこともあります。朝の食卓に並べる保存食は冷蔵庫から出たり入ったりです。
 ですが私にとってストレス解消には好きな料理を作ると言うことも一つの方法です。

 若い方のブログを拝見しますとそれは素晴らしい物を見ることが出来ます。羨ましいですね。私は仕事を持っていましたから工夫をする時間がなかなか持てませんでした。今は時間はありますが頭が回転しません。
 それでエンドレスのような食卓になります。

 母は学歴は高くありませんでしたが、当時の女性としては可なり先進的な考えを持っておりました。食については科学的なと言っても差し支えない知識の持ち主でした。計量も正確 割り出しで作ることも出来ますが、勘も冴えており、自在な食事作りも得意とするところでした。
 料理の組み合わせは 甘辛 濃淡 を基調にしておりました。中国から引き揚げて来てからは貧しくなり、本領を発揮する機会が減って仕舞いましたが、本物をという考えは生涯持ち続けておりました。

 私はとても母には及びません。

 夫は食事については全く文句も言いませんし、私の味に満足して呉れております。
 それは良いのですが、私に悩みが無い訳ではありません。笑っちゃうことです。自分でも可笑しくなります。
 盛り付けや出来具合を見て考える一瞬があります。その小さな悩みとは例えばこんなことです。

     トマト比べ  卵比べ

              朝食となる

     先ずトマトを切りお皿に載せる時 どちらを夫にしようか?と考えます。
     卵をお皿に載せる時 どちらのトマトの方に載せようかしら?と考えます。
 
 結局甲乙変らないお皿になるのです。そして考えたことを忘れてタオルで作ったエプロンを胸にして食事を済ませます。
 何でしょうね。夫に良い方を出したいのですが、自分も良い方を食べたい。この一瞬の間に変な拘りがあるのかも知れませんね。
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MIOちゃんの焼き菓子

 2月に開催するランチコンサートの案内を受け取ったNさんから電話を頂きました。出席とのことです。
 9月末からアメリカオーランドに住む二女の家に出掛けておりましたが、先月帰国しておりました。
 Nさんとは1948年からの付き合いです。美しいと言う言葉に相応しいお嬢様でした。純情無垢 自炊の寮では火起こしも苦労をしておりました。そのNさん 今は太っ腹の女傑 美しさは今も年齢を忘れるほどです。
 電話の序でにお孫さんのMIOちゃんのお菓子をお願いしました。MIOちゃんのお菓子は住いのある鎌倉では勿論多くの方に人気の焼き菓子です。「ハナクルス」と言う通販専門の店舗です。

      ハナクルスのパッケージ  ハナクルス詰め合わせ

      ハナクルスの案内  タルトと焼き菓子

 私の授業の時 ハナクルスの紹介をしましがHPに繋がらないと言っておりました。今回は着きましたので電話をしますと、一人で作っているので大変らしく、HPも新しくするようです。
 で若しMIOちゃんの焼き菓子を食べたくなりましたら、直接電話での注文されると良いようです。皆さまよろしくお願い致します。MIOちゃんのバーバのお友達のバーバからの応援です。
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準備は順を追って

 粛々とか真摯にとか そんな大袈裟なことではありませんが、何かを始めるには、用意おさおさ怠りなく進めたいものです。
 来年2月の会合のために先日霞が関ビルに行きました。何時も通り総理官邸と議事堂を眺めます。議事堂の最上部の補修も済んだようです。周囲の足場はすっかり取り払われております。
 総理官邸を取り巻く自然は秋を感じさせており、官邸の窓のブラインド?も秋らしい色に見えます。

      12月6日議事堂  12月6日総理官邸
 
 どうも私は議事堂や官邸を目にしますと、先生方「確りお願いしまーす」と大きな声を出したくなります。(実際はワンとも言えません)

 何ですかね。あれとあれがどうしたとか 誰が誰とどうするとか それが大きな仕事なんですかね。

 まーそんなこととは関係があるわけではありませんが、集まりの案内には「議事堂も総理官邸も眺めることができます」と書きたい気分です。
 この度 私が考えている集まりの人数の把握をどうするかを考えました。そして二段構えで案内を送ることにしました。最初の案内で大方の人数が分かると思います。そして2回目の案内で更に詳しく内容をお知らせします。そうすればきっと申し込みし易いと思います。
 そこで会の時のランチを自分で確かめたいと、会場になる東海大学校友会館に出掛けました。
 ランチの詳しい説明をして頂き、とても素晴らしい料理内容ですので、皆さんに自信を持ってお勧めできます。
 最初の案内は既に発送済みですが、そこに掲載してありますザッハトルテも食べて来ました。
 ここのはウィーンのザッハホテル直伝のトルテです。当日は皆さんに味わって頂けます。

              ザッハトルテ

 随分前ウィーン空港で買って来たザッハトルテは家族に不評でしたが、ここのは絶対美味しいと分かると思っております。
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新しいスーパー開店

 去る10月10日 一階のスーパーが閉店 高齢者の多いこの周辺の住民は替わりに入るスーパーを待ち焦がれておりました。
 知り合いの方と会いますと 「買い物をどうなさっていますか」 「不便ですね」となっていました。
 丁度二カ月目 昨日新しくスーパーが開店しました。チラシも当日の朝刊に入れられており、何が開店セールかが分かりました。
 私は10時のオープンには行けませんので、午後にでも出掛けて探索をしようと思っておりました。
 11時頃 賑やかな「じんた」の響きが聞こえて来ました。
 「聞いてみろ。凄く上手だぞ」と夫が言います。「なる程」と頷けます。
 
 夫が下に用足しに行きますと開店に合わせてお客さんが列をなしており、「ここが最後です」と書かれたプラカードを掲げて男性が誘導していたそうです。とに角相当沢山の方が見えていたそうです。
 昼食を済ませた私は1階の郵便局に行きましたが、チンドン屋の姿を見て夫の言葉に改めて納得

     チンドン1  チンドン2

 4人なのですがどうしても3人しかカメラに収まりません。そこで2枚を載せて見ました。
 可なり高齢な方々に見えます。小江戸 川越チンドンと言う旗が出ておりますので、埼玉の川越を本拠にしている方々ではないでしょうか。まー良く長時間頑張られたものです。

 店内は外から眺めてみますと少し空いているように見えましたが、夕方にと思い帰って来ました。

              新らしいスーパー

 午前10時の開店時は長蛇の列だったそうですが、夕方も可也混んでおりました。一回りして塩辛用のスルメ烏賊と塩豚用の肩ロースを買い戻って来ました。
 開店日ですので商品は山積みされております。果して今後はどう品揃えがされるのか。気になるところです。
 私の求める鮮魚店とは? これからがどうなるのか目が離せません。
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アブシンベルからアスワンへ

 1996年11月30日 早朝カイロを発ち、アブシンベルに到着 神殿内部を見学 広大なナセル湖の岸辺に立ちエジプト悠久の歴史の一端に触れました。
 アブシンベルからの機内での酷い思いは今も二人の話題になっております。
 アブシンベルの空港も驚きましたが、アスワンの空港もこれまた驚かされるほど小さな建物でした。
 
 アスワン到着後私たちはクルーズの一日目となる船に乗り込みました。船名はシャンポリオン号です。かのロゼッタストーンのヒエログリフを解読したフランスの学者の名前です。

       シャンポリオン  シャンポリオン船内
         

      この画像はパンフレットからトリミングをしたものです。

 夕刻 私たちはファルーカと呼ぶ帆船でアスワンのナイル河を遊覧しました。

              ファルーカで

 今でも思い出しますのはファルーカを追い掛けて傍に寄ってくる男の子の漕ぐ小さなボートです。
 そのボートは2m程の本当に小さな小さなボートです。男の子二人で一緒懸命に舟を漕ぎ、物乞いの仕草をします。夫も私も切なくなり、僅かでもお金をあげたいと思いました。ガイドに訊きましたらダメだと言われました。
 いろいろな面でそう言っているのでしょうから、諦めました。

              アスワン市街
 
 アスワンの道路は埃立つような空気が漂っております。ファルーカを降りてシャンポリオン号に戻り夕食を頂きました。エジプトでは国民はアルコールは禁止されておりますが、外国人の私たちは口にすることは出来ます。

 翌日はアスワン市街の見学になります。シャンポリオン泊第一日目の夜 私たちは夕食後船内のホールで元アレキサンドリア大学のサミー教授(イシス神殿の移築の中心となた考古学界の重鎮)からエジプトについてのレクチャーを受けました。
 ところが内容は難しいし、食後とあって大方の人はぐっすりと眠っております。私は眼を瞠ろうとしますが、上下の瞼は直ぐ仲良しになります。何回も何回も試みますがダメです。何が何だか分からないのよーと歌の文句のような夜でした。サミ―教授もガイドも張り合いのない時間だったことでしょう。
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あったー!聴けた!

 急にCDを聞こうとラジカセを探しました。押し入れの中を見たり、棚を見上げたりとしていますと「何か探し物かね」と聞かれ「CDを聞きたいんだけれどラジカセが見つからないの」「アカネの所に行っているよ」
 夫は上げると言ったらしい のです。
 そんなことはおくびにも出さず、私に
 「買ったら良いじゃないか。あんた力が無いから一緒に行って上げるよ」と一階の電気屋に行きますと定休日
 夫は家に戻りましたが、私は何時もお世話になっている若い男性の所に寄りました「ネットでラジカセを買うと廉いかしら」「ここにありますよ」「貸して頂けるんですか」「お宅のだと思いますよ」「何で?」
 「夏祭りの時に預かりました」娘が何か頼んでそのままだったようです。
 良かった!
 私も良く飛び出して仕舞いますが、夫も直ぐに走りだすところがあります。今回は預かった方が直ぐに気が付き買わずに済み、本当に良かったです。

        珍しくCDを次々掛けて二人で聴きました。

     曹雪晶さんCD  二胡阿炳CD

     マンクラOBーCD  明大マンクラCD

 私は忙しくてなかなかゆっくりと音楽に耳を傾けるということがありません。この日は珍しく客人も無く、二人でゆっくりと聴き、森 進一の歌う声に合わせて一緒に歌いもしました。
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素晴らしい企画

 第5回めのギャラリーロード展の時を迎えた吉澤妙子さん 何とご自宅に内藤敏子さんをお招きしてのチター演奏会を持ちたいと、内藤さんにお願いしたそうです。
 内藤さんのご承諾を得た妙子さん 文五郎さんにそのことを話されたそうです。
 「そんな立派な方をお迎えするなんて、何と無謀な」と呆れられたそうです。ですがそこは吉澤夫妻立派な準備をされました。
 ご主人は竹炭を焼きます。その炭焼きの窯の上に小屋を建てました。毎年のように焼き筍を食べる集まりで見ていました私は驚きました。あの小屋で?

 ところが先ごろの強風雨で小屋が壊れて仕舞い、新しく建て 竹炭小屋「かぐや姫」と命名
 そこで内藤さんの演奏とお話をお聞きすると言うことです。
 
 文五郎さんの心配は季節にもありました。晩秋から冬へとの変わり目 雨が降るかも知れません。ですが当日5日は見事な晴れ その日一杯は雲一つなく良いお天気になりました。
 小屋はかぐや姫に相応しく、竹で組まれております。
 私と内藤さんとは取手駅に落ち合い迎えに来て下さった車で吉澤さん宅に到着しました。
 ご近所の方を初め吉澤さんご夫妻のボランティア仲間の方々が準備を進めておりました。

     竹炭小屋 かぐや姫  チター演奏客席

     バーベキュー準備  挨拶する妙子さん

     内藤さんのチターの説明  舞台の内藤さん

     チターを聞く方々  挨拶を済ませた文五郎さん

 内藤さんはさぞ驚かれたことでしょう。テーブルの上でチターのチューニングを慎重になされ、下から見上げている人たちに意見を訊ねております。
 幸いと言いますか、以外に音の響が良く、チターの演奏に相応しいような自然の中での演奏となりました。

 演奏終了後は竹炭でのバーベキューが始まりました。吉澤さんはEM農法の普及も進めております。自宅で採った大きな椎茸をはじめ野菜も新鮮な物が沢山用意されておりました。
 参加者は大いに楽しませて頂きました。
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第5回吉澤妙子ギャラリーロード展

 茨城県取手市 我孫子と利根川を挟み隣り合った市です。
 常磐線の始発駅でもあり、我孫子から僅かな時間で取手駅に着きます。
 取手駅の駅舎を挟み、東から西へと線路の下を通る隧道があります。その隧道では市民の方が様々な作品を展示出来る 24時間開館しているようなアートロードとも言えるような場所です。
 
 取手に住む親しい吉澤妙子さんはこの通路に、毎年ベニヤ板に描いた作品を展示します。
 今年は第5回となりました。展示は明日までです。
 
           妙子さん案内葉書

 案内を頂きましたので楽しみにお待ちしておりました。妙子さんは今回ベニヤ板30枚を使い、作品を仕上げました。
 ご主人の吉澤文五郎さんは妙子さんの最大の理解者でもあり、最高の協力者でもあります。
 
 展示は全て自分でしなければなりません。妙子さんは力はあるでしょうが、それでも僅かな時間で完了するにはご主人の協力なくしては無理なことだと、私には思えます。でもそうに違いありませんでしょう。

 記念の第5回とあり、妙子さんのスケジュールには展示の他に、「内藤敏子さんのチター演奏とお話」「竹炭によるバーベキュー料理」が組まれておりました。
 
 昨日私はご近所のよしみで全て参加をさせて頂きました。
吉澤さん宅での行事はとても和やかな良い行事でした。最初に画を拝見しましたので、今回その一部を載せましょう。 
 なにしろ隧道の長さは20mほどありそうですから、残念ですが全部はお見せすることはできません。

      妙子さん1  妙子さん2

      妙子さん3    妙子さん4

 展示を拝見した後取手市の東方向にある吉澤さん宅にお邪魔しました。
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小松寺の紅葉

 数日前 TVを見ていた夫「小松寺が出ているぞ」と私の方に向かって言っております。覗きこみますと東京周辺の紅葉の見頃情報でした。 
 彼方此方紅葉の赤い葉と名前が見えます。そこに房総半島の先端近くに小松寺と出ております。
 2008年12月5日 丁度2年前の今日 私は小松寺を訪問し、美しい紅葉を目にしております。

       小松寺

 小松寺の先代住職夫人が2年前のこの日が亡くなった初七日だったのです。本当に驚きました。そして翌年先代の住職鈴木隆邦さんが亡くなりました。

 随分昔 私が若かった頃 この寺は殆んど参詣する人も無く、静かな山中の寺でした。
 「ねー小松寺にお参りしたらぽっくり死ねるらしいよと噂を立てようか。そうすると死ねるよとなって広まるかもね」なんて随分失礼なことを言ったりしておりました。最近新聞でポックリ死の寺ツアーが流行っていると出ておりました。それを見た私は夫に「そう言えば昔 小松寺に行けばポックリ死ねるよ なんて言ったことがあったわー」と思い出して喋りました。

       小松寺庫裡

 隆邦さんが聞いたら「何だね 相子ちゃん 」と大笑いされるかも知れません。隆邦さんは長患いをしており、お見舞いをと思いながらもとうとう行かず仕舞いになって仕舞いました。
 
 今年は特に小松寺の紅葉を知らせる情報が目に付き、昔を思い出させて呉れております。
 今日の空は快晴 多くの方が小松寺を訪れていることでしょう。
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ナセル湖とアブシンベル神殿

 1996年11月30日 前日の夜 ホテルでパーティー用のドレスを買い、裾上げをして置きました。
 30日は早朝4時頃でしたがホテルのブフェは素敵に整えられていました。
 エジプト航空145便は早朝カイロを立ち旅の中の幾つかのハイライトの一つ アブシンベルの大神殿と小神殿へと向かいました。小型の飛行機です。アブシンベルの神殿はアスワン・ハイ・ダムの建設に伴うナセル湖を作るためにユネスコの水没救済キャンペーンで移転したことは有名です。

 アブシンベルの空港の建物は、ただこの神殿とナセル湖を訪れる人のためにだけあるような感じの建物です。日本の小都市の駅舎のような小さな建物でした。
 到着後バスに乗り換え、ナセル湖のほとりに立ちました。一同並び記念写真を撮りました。

 神殿の前の土は乾き、海岸とは違いますが何となく岸辺の雰囲気があります。空には雲一片も見えず、大きく紺碧の姿を見せております。

    ナセル湖  ナセル湖からの移転図

 アブシンベルの神殿はアスワン南約84キロ㍍ エジプト最南端に位置する古代遺跡です。
 全体は少し離れて見ませんと見ることが出来ません。この日は私たちツアーの他に日本人が少し来ておりました。
 若い男性がベンチにカメラを置いて立ち去りましたので、追い掛けてお渡ししました。

    神殿全景  大神殿

    大神殿至聖所  IMG_0005その2

                アンクを持ち

 記念に「最もパワーのある文化的宗教的シンボル」と言われているアンクを手にしカメラに収まりました。
 このアンクを数分持つのに1ドルを渡しました。以後1ドル1ドルは良く聞く言葉となりました。

 アブシンベルの観光は午前で終わり、私たちはアスワンに向かいました。

             アブシンベル空港

 このフライトでの木村さんの行動は実に感動しました。飛行機は飛び立つと急激に上昇して行きました。多くの方が強烈な頭痛に襲われ、夫も私も耳も頭も大きなショックを与えられました。
 アスワンに到着しましたが、木村さんは機長に抗議を申し入れ、状況の念書を書いて貰いました。皆さんでその沈着な行動に賛辞を送り、以来信頼が高まりました。

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急告

 10月10日にマンションの一階のスーパーが閉店して仕舞い、高齢者が増えていた住民は買い物難民になりそうでした。私たち仲間の心配も強く 顔を合わせると「どうしていますか」が先ず挨拶の言葉になっていました。
 先ほど一階に行きましたら、新しいショッピング店の看板が出ております。
 情報は駆け巡りと言いますか、新店舗が出来るらしいとは早く聞いておりましたが、矢張り目にしないと心配がありますよね。良かったーと言う思いです。
 ビレジの皆さまもう安心ですね。

     総合食品 鮮魚店 惣菜店 食肉店 八百屋さん
 
 10日が開店だそうですがどんな様子になるのでしょうかね。楽しみです。
 新しい店舗の開店には管理組合や自治会役員も一所懸命働き掛けて下さっていたと耳にしておりました。
 お陰さまですね。

        ビレジ生鮮館

 郵便局に行くところでデジカメを持っておりませんでしたので携帯で写して来ました。

 ここまでくればもう安心ですね。このところネットスーパで買い物をしておりましたが、限界がありますね。
 無難な物は買えますが、私の好きな煮たり焼いたりする魚は無理です。
 鮮魚店の良し悪しは私にとっての大きな関心事です。

 丁度準備中の店の前で仲間の一人とバッタリ。彼女も覗きこんでいました。嬉しくて二人ではしゃいで仕舞いました。
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似たり寄ったり

 西向く侍(2 4 6 9 11=士) 何て言葉は殆んど聞かれなくなりましたが、学校では教えているのでしょうかね。師走に入りましたが、紅白とかランキングとかいろいろ耳にしますね。
 季節の移ろいの早さが身に沁みますね。西向く侍なんて指を折り正月を待つた心は、とっくに遠ざかっております。
 
 このところ何だか市川海老蔵が暴行を受け手術を受けたそうで、そのことをTV局が取り上げております。
 歌舞伎の好きな方々には関心があるのでしょうが、それにしましてもうんざりします。
 どの局も似たり寄ったり それも長々とやっております。チャンネルを変えて暫らく別の局のニュースなどを見た後 元にチャンネルを戻すと未だあーだこ―だとやっております。
 面白いのですね。自局だけの取材だとか、自局だけに話して呉れたとか、自局だけが独自で見つけたとか。
 多分多くの人はへーほんと?と思っているのではないかと思って仕舞います。これは私の独断ですよ。
 私はこのようなニュースは大凡分かれば良いのです。

 そう思いながらも自分の朝食は他人から見れば似たり寄ったりでしょう。

 何だか季節感がありません。あるのはトマト 残り物 茶色の保存食 朝の並んだ物は夜も出しますが、それは単に食卓を賑わすためのもの。メインの料理は毎日作りますよ。魚と肉が少々ですがね。

    朝食11月20日  朝食11月21日

    朝食11月23日  朝食11月24日

    朝食11月25日  朝食111月26日

               朝食11月27日
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カイロは埃及

 1996年11月28日深夜カイロに到着 ホテルはメリディアン 部屋に入り最初に気が付いたこと
 テーブルに記されているメッカの方向 イスラム教徒の方が宿泊するとこのテーブルを見れば礼拝をする方向が分かると言うことですね。(話は逸れますが中国の小学校で朝礼の時 宮城遙拝と言うことがありました。日本の方に体を向けて遙拝をするのです)
 
       メッカの印

 ホテルは立派です。 ナイル河のほとりに立ち目の前のカイロタワーも印象深く思い出に残っております。
 朝ホテルを出て周辺を散歩しますと、日本などとは全く違う通りを目にします。幅は広く立派な道路に見えますが、ロバ、車、ラクダなど全て一緒に並んで走っております。その道は乾ききっており、埃と言いますか動物の排泄物と言いますか、全て一緒に道の上に漂っております。これは本当に驚きでした。
 そして車のサイドミラーの片方が殆んど、いや全部と言っていほどありません。道が混んでいるからでしょうかね。捥げて仕舞っているのでしょうかね。

       カイロタワー

 現地ガイドはアムラさんと言う女性の方で、カイロ大学日本語学科の一期生だそうで、日本にも招待されて行ったことがあるそうです。ガイドぶりはまじめですが殆んど笑顔が見られませんでした。此方の耳に入る言葉と内容は難しいので、全く記憶にないと言うのが正直なところです。

 カイロではエジプト考古学博物館、ハン・ハリーリ市場、ムハンマド・アリ・ムスクを見学しました。
 考古学博物館の入口の前のパピルスが立派で、これは想像以上の姿でした。

       カイロ博物館

 ハン・ハリーリ市場の雑踏と人ごみ。通路の真ん中のゴミの山にはこれまた驚かされました。

       市場

 ムハンマド・アリ・ムスクでは中に入るために靴を脱ぎます。丁度と言いますか中には礼拝の方々が沢山おります。このことは私の胸を騒がせました。外国の教会を見学する際も礼拝の時にぶつかることがあるのです。
 こういうことは本当は大変失礼なことではないでしょうか。

 ムスクの上からカイロの市内を見渡しますと、将に埃及と言う言葉がこれを示しているのだと実感しました。
 エジプトを漢字で見ますと埃及です。中国語でもこの字でエジプトを指します。風景とピッタリの字です。
 
       カイロの街並

 エジプトと言えばピラミッドですね。この見学は旅の最後の方になりました。エジプト考古学博物館では収蔵品の多さと、見事な展示に圧倒されました。
 この見学のことは別に記す心算でおります。


 
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お握り話し

 子どもの頃 お握りと言えば中は梅干しか鰹節でした。 今はその具の多様さに驚きます。驚くと言えば何だかカマトトに聞こえかねません。ですがよほどのことがない限りはお握りを買うことがありませんので、そういう感じを持つのです。
 
 私は程良い温かさのお握りは好きですが、この頃は自分では滅多には握りません。握る時 海苔を巻くには全部を包むようにしておりますから、細い海苔で包むのは好きではありませんでした。
 以前はどういう訳か海苔が細いお握りが目に付きましたが、今はすっかりそういうお握りは目に入りません。 
 お握りは家庭で握ると言う食べ物と思いますから、先ずスーパーやコンビニでは買いませんね。
 
 偶に何かの都合で買ったお握りを食べることもあります。
 初めて海苔とご飯とが別々になって包まれているお握りに出会った時、一体これは何処をどうするのか、暫らく見つめておりましたら、娘が教えて呉れました。初めての手巻きすしの時も慌てましたね。
 この別々に海苔とお握りを一緒にする包装の方法にも進化があるのですね。これも困るのです。応用の効かない私ですから、これもまごまごします。

 中国青島に日本のコンビニが進出 青島満帆さんはそこでお握りを買いそのお握りを紹介しております。
 ハワイではスパムお握りなんて物もあるようで、仲好しのYさんは数年前の停電騒ぎの時このスパム握りを食べていたようです。
 ハワイでは至る所でお握りは売られておりますから、私は分かりませんが最早お握りは世界の食べ物へと広がっているのかも知れませんね。

        中国式お握り

 この青島で青島満帆さんが買ったお握りですが、右側のを見ますと、包装を剥がす順番が分かるように番号が記されております。
 日本のコンビニでもこういう方法が取られているのでしょうかね。どうも縁がないもので分かりません。
 偶にはコンビニにも入りますから、お握りのケースを眺めてみましょう。
 知りたがり屋 見たがり屋らしく行って見ましょう。

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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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