2011-01

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エジプト旅行 8日目

 エジプトは今大変な様子です。ムバラク大統領の辞任を国民が求めて、カイロでは大規模なデモが行われていますね。今朝の新聞によりますとエジプトは無政府状況に陥り、ムバラク氏は後継者を決めたようだとも報じております。日本人旅行客500人がカイロ国際空港で足止めをされているようです。
 デモは全土に広がっている様子。旅行客は外務省で把握しているだけでも2300人を超えているそうです。
 エジプト観光はシーズンですね。皆さんきっと難儀をされていることでしょう。

 旅行8日目はシャンポリオン号を下船して、午前はルクソール神殿、カルナック神殿と見学し、午後 エジプト航空166便でカイロに戻りました。
 神殿はどちらも広大で、しかも圧倒される力強さを感じさせられました。暑い日差しを受けて石柱を廻り、古代テーベの都を偲びました。
 エジプトを廻りラムセス2世の業績には驚かされましたね。随分長く王として君臨していたことを知りました。
 画像はハイパーリンクしてあることを見て頂くとよくわかります。沢山の方々のブログもありますが、どれも立派なものです。私は昼食はルクソールの「サンライズ」だったのですが、何を食べたのか全く覚えておりません。
 現地ガイドの方が礼拝を夜 昼の分も一緒にしますと言ったのがとても印象に残っております。

      ルクソール神殿1  ルクソール神殿2

      ルクソール神殿ラムセス2世像  ルクソール神殿上のキリスト教会

      カルナック神殿1  カルナックスカラベ

      石柱カルナック神殿

 石柱をツアー参加の女性全員で手を繋ぎ周囲の長さを実感しました。

              朝食1月29日

 この朝食はツアーとは直接関係はありませんが、記録として一緒に掲載して置きます。
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サロンで琵琶を聴く

 オパール・ネットワーク(主宰佐橋慶女)赤坂サロンは奇数月に集まり、毎回ゲストをお迎えし開催されます。
 今年最初のサロンは琵琶演奏者ご夫妻をお迎えしました。
 
 テーマは「琵琶二人会ー薩摩琵琶と筑前琵琶
 演奏者 薩摩琵琶 「城山」  本橋  正さん (芸名 本橋汕舟)
     筑前琵琶 「源実朝公」本橋 乗子さん (芸名 清川嵐寿)
 
 お二人は近代琵琶奏者としてご活躍をされている方です。近代琵琶とは薩摩琵琶、筑前琵琶、錦琵琶、鶴田流琵琶のことを言うのだそうです。今回は近代琵琶の源流である薩摩琵琶から妙寿風弾法、天南風弾法を、薩摩琵琶に三味線音楽などの要素を取り入れ、より舞台芸術化され、洗練された筑前琵琶の二つの弾き語りをお聞きする機会となりました。(サロンの案内から)
              滅多にない企画でした。

             琵琶1  

     琵琶2  琵琶3

 琵琶の語りはどちらかと言えば合戦物や武将の悲劇の物が多いような印象を持っておりました。今回も重い内容でしたが、琵琶の持つ胴を叩くように弾く力強い音色も素晴らしいなーと感じました。

 昔中国の青島の日本人社会で琵琶が流行っておりました。女の子も稽古ごとの一つとして習う方も多かったようです。毎年の青島神社の例大祭の時、境内に設けられた舞台で演奏する姿を思いだしました。
 本橋 正さんに子どもの使う琵琶の大きさをお訊きしますと、殆んど今のこの大きさだと思いますと、答えて下さいました。子どもが一所懸命捌いていた撥を思いだしたことでした。

 出席されていました曽根靖史さんの干支のペーパークラフトに付いてのお話も伺い、これは皆さんも関心を持たれました。

               曽根さん
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景清と頑固到来

 何かとお教え頂いております富山の瀬戸さんから珍しい魚を頂きました。
 一つはチカメキントキ もう一つはガンコ メールに添えられておりました魚の説明を読みましたら、赤い魚は子どの頃「かげきよ」と呼んでいた魚です。
 子供の頃魚屋の店頭で金目を良く見ましたが、かげきよも良く見ました。両方とも赤い魚です。
 家では金目もかげきよも煮魚でたべるのが普通でした。金目は刺身でも美味しいし、鍋でも美味しい魚です。
 かげきよの意味は知りませんでした。このことは調べたこともなく今まで来ております。唯何となく歌舞伎か武将に関係するような物ではないかという気はしておりました。
 送って頂いたかげきよは綺麗に捌かれ、すぐ食べられるようにパックに納まっておりました。肌が綺麗です。

     かげきよ刺身  かげきよ刺身腹

         焼きかげきよ

 かげきよの刺身は背の方を見ますと、少し大き目ですから切って口に入れました。腹の部分は背より小さくて丁度良い大きさでした。
 沢山ありましたので、娘にも持たせ、丁度来ていた妹と一緒に頂き、満足しました。それでも食べ切れず醤油と味醂に漬けて焼きましたらこれはご飯にピッタリ。美味しかったですね。私は刺身の残りは必ずこのようにして食べます。 

 ガンコは鍋にして頂きました。アンコウの仲間のような魚です。これは初めて目にしました。これも食べ易いように切ってありました。ガンコを頑固と言うのは富山の呼び方だそうです。
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続続トイレ話

 孫は女の子が二人おります。傍に住んでいますので、成長過程も少し見ることが出来ます。
 3,4歳の頃にはトイレとかウンチなどと言う言葉が出ようものなら、何となく面白がりました。そう言う時期なんですね。
 私は他所の土地に行きますと、幼児並みにトイレに関心が行きます。関心の度合いが変っているんでしょう。
 昨年中国青島に行きました。流亭空港は開港当時と比べて建物も設備も立派になっております。
 青島空港到着ロビーのトイレに入りました。今までは利用したことがありませんでした。
 トイレの入口に中にはペーパーがありませんと書いてあります。思い出しますとそういうトイレが他にもありますしたね。
 中国ではホテルでは紙は流すことが出来ますが、普通は落とし紙は供え付けの入れ物に捨てます。
 うっかりそんなことを忘れて流して仕舞いますと、何となく罪悪感を感じて仕舞います。
 中国では男女の別が厳しく、北京で日本人の女性たちが遠慮会釈なく男性トイレに入って行くのを見た私、思わず「駄目ですよー」と声を荒げて注意しました。ですがレストランのトイレは場所に比べ少ないのです。
 実際のところ高齢者の方は困りますね。待てません。

 外国で変わっているなーと感じたのはイタリ―です。トイレその物ではなく、流す時のボタンや押すバンの様式が様々で、すぐに分かりません。ツアーでしたので、女性軍は待つ人に方法を順に伝えます。何種類あったのか、とに角多いのです。

 随分前のことですが、ロスの空港 トイレにはこれはどうしようもなく困りました。
 何しろスペースが広いのです。カギが壊れておりますが、順番を待つことも出来なく、仕方なく奥の方に腰を下ろして座りましたが、ドアを抑えるには手は届かず、落ち着けませんでした。隣との境の板は下までなく、隣では荷物を床に置いているのが分かります。平気なんですね。

 カイロの空港 ロンドンに向かう時間が明け方です。薄暗い空港で整理をしている制服を着た男性にトイレの場所を聞きました。先に歩きだし誘導して呉れました。地下に降りトイレに入りますと、毛布を纏い横になっている人がおります。毛布を剥がして起きたのは中年の女性です。トイレットペーパーをちぎって私に寄こします。何となく貰って仕舞いました。用を済ませて出ましたら、その女性はチップを下さいとばかりに手を出しました。ペーパーを貰って仕舞いましたので、1ドル紙幣を出しますと、案内をして呉れた男性が傍に寄って来まして、手を出します。これは一瞬困りました。そこで1ドル紙幣を二人に見せて、真中で切る仕草をし、紙幣の半分を持つような感じで手を左右に広げました。ゼスチャーで二人で分けてと女性に渡しました。
 これは後でぞっとしました。

 外国に行きますと、日本は国土が狭いからともいえるかも知れませんし、水に恵まれている事もあると思いますが、清潔と言う面では先進国ですね。

 一昨年夫と瀋陽、大連、旅順と廻りました。「坂の上の雲」の放映前に土地を見て置こうと言うことでした。
 トイレは出来るだけホテルで行くようにしました。
 ところが大連の星海公園に行きましたっ時、トイレを探しましたが見つかりません。広大な公園です。大勢の人が集まっております。現地ガイドにトイレの場所を聞きますと、ここには無いと言うのです。

          星海公園

 これには私困りましたね。もうバスが一刻も早く宿に戻ることを只管念じておりました。
 それにしましても、こんなことってあるのでしょうか。つらつら思うにガイドは面倒がって嘘を言ったのではないかと思っております。 (外国偏)
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続トイレ話

 トイレ話に沢山のコメントを頂きました。チョッと驚いております。するとお調子者の老婆は続きを書きたくなります。
 
 私の小さい頃 千葉県の南の町白浜と言うところで育ちました。当時の農家のトイレは殆んど外便所でした。
 外の農具などを仕舞っていたり、また藁が積んであったりと、物置の様な場所の一部が使われておりました。
 甕を土の中に入れて、上に木の板を二枚足を置くように渡してあります。
 傍にこれまた甕が埋め込まれて男性用の小が足せるようになっております。これは極普通のトイレでした。
 電灯は先ず付いておりません。
 家の中にトイレがある家はサラリーマンや商家、小金持ちの所でしょうか。
 強烈な記憶は女性の「立ちしょんべん」です。着物の裾をチョと持ち上げて下の方をはしょり腰を後ろに出して放ちます。子ども心になんて上手なものよと思ったことでした。これは明治生まれの方々ですね。

 もの心付いた頃は家の中にトイレがありましたが、汲み取り式の和式ですね。そして小学校の2年生の時に中国の青島に行きました。これは物凄いカルチャーショックでしたね。物事全てと言っても良いようなショックでした。トイレに限って見ますと、先ずバスルームにあるんですね。そして水洗。陶器のトイレと四足のバス。
 トイレに座るのが怖くてなりませんでした。

 小学校5年生の時に日本に帰国 これまたカルチャーショックですね。しゃがんでするトイレです。
 戦局は敗戦濃くなって行くようになって来ました。女学校1年生から2年生の頃 米軍の空襲や艦載機の銃撃等もあり、片道16㌔の道を歩くことも屡でした。その時は道中は道筋の草むらに隠れて用を足します。

 夜 山の中の避難小屋に艦砲射撃を恐れて泊まりに行きますが、その時のトイレは小屋の傍に囲いを作り、唯穴を空けただけの物です。男女の区別なんてありませんね。

 戦争に負けた東京は焼け野原です。その頃大学のトイレは水洗でしたが、下宿先や、学寮のトイレは汲み取り式のもので、農家の方が引き受けに来ておりました。当時東京都は汲み取り券を発行して、人々はそれをくみ取りの業者に渡す仕組みだったと思います。

 1949年私は明大前の校舎に通いました。甲州街道は舗装がされていたかどうかよく覚えておりませんが、その道路には馬糞の塊が良く落ちていました。汲み取り桶を積んだ馬車が通るのです。
 学年初めの時女性用トイレが無く、女子学生は教職員用のトイレを利用しておりました。夏休みが終わった時に女子用のトイレが用意されておりました。
 1953年卒業後住んだアパートは全て和式汲み取り式のトイレでした。
 東京オリンピックを境に様々な環境の整備が進み、一般の家庭のトイレも進化し、今や清潔なトイレでない店舗はお客の不興を買います。

       続トイレ

 今やトイレは家庭でも公共の物でもウオッシュレット付きが当たり前。一般家庭に比べ公共のトイレの変り様には目を見張ります。 (今回は日本編)
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トイレ話

 昨日はNHK文化センター柏教室で中国語の受講をされていた方々との新年会でした。
 前は教室も大勢おりましたが、今は4人になって仕舞いました。
 集まった方々の中で中国語を実際に使い、仕事に活かしている方もおります。その方々の中国話は実体験のことですから、全く知らない世界のことも出て来ます。
 一人の方がホテルの部屋にいますと、そこへ知り合いの中国の女性が部屋に来て、トイレを貸してと言いますので、開けて使わせて上げたそうです。
 ところがその女性「今夜ここに泊まらせて下さい」と言ったそうです。
 「勿論断りましたよ」と彼は言いました。本当?なんて冷やかされましたがね。
 そこから話がトイレ話になり、最近若い男性は便器に座って小も足していると何方かが言いました。ビックリしましたが、話は進み、男性も高齢になると座るのが良いようだと言うことも分かりました。

 そうだこれは早速夫に話さなければと思っていましたのに、昨夜は忘れてしまい、先ほど思い出して話しました。
 ところが昨夜何でそんな話になったかがなかなか思い出せませんでしたが、上記のようなことからでした。

 日本のトイレはとみに良くなっておりますね。特に公共の場のトイレは出掛ける度に感心して仕舞います。
 先日酷かったミステリーツアーでのこと。帰りに寄った都内の高速道路のサービスエリアのトイレ
 これは中国の方に見せて上げたいなーと思ったものです。時間が短いトイレ休憩ですから、バックからデジカメを出す暇がありません。携帯で撮りました。取り込むのを忘れていましたが、今朝そうそうあれがあったわと取り込みました。

       サービスエリアのトイレ  トイレに段差あり

 よくトイレから出る時に段差を忘れて慌てます。こういうことも直ぐ忘れてしまうのが困ります。
 最近は足腰に自信が無くなっていますので、歩くのもゆっくりとなりました。親切な案内にこれまた感心しました。
 昔は子どもをトイレに連れて行きますと、母親は抱きかかえてさせたものです。小さい時は同じかもしれませんが、ある程度大きくなりますと、子ども用のトイレが出来て助かりますね。
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縦が難しい

 マンションの8階 私の4階からは階段でも行ける部屋です。昨年秋からそこに住む北京出身の中国の女性の方から書を習っております。毛筆での漢字です。
 筆の持ち方からして違いますので、そのことから四苦八苦しております。ですが大分慣れまして机に向かう姿勢も良くなっております。
 老師は毎日練習をするようにと仰いますが、なかなか教えの通りには行きません。それでも出来るだけ努力をしまして?ほんとです。一回に半紙2,3枚に同じ字を書きます。ひと時ですが気持ちを集中させますと、自分もすっきりとしたような気分になります。

 今朝はTVがおかしくなり、メーカーの方が見に来ることになりました。夫が名前を聞きますと「川」と言う名字です。
 聞いた途端にこの字は難しいなーと、思わずこれを後で書いて見ようと思ったのです。

 老師は私が中国語を習っていると知りますと、出来るだけ中国語で指導をして下さいます。
 私が自宅で書きながら「だめー」「何で」「もうー」なんて言いながら練習をすると話しましたら
 「それは自言自話ですね」=独り言 と言いまして、この自言の意味は単なる独り言ではなく、心の中で思っている事が口に出ると言うことです。と このような時間が過ぎます。私にとっては大変有難いことです。

 字は繰り返し何回も書きます。横に引くのはまーそう困ったと言う感じではありませんが、縦に筆を下ろす時は難しいのです。
 下に向けて筆を自然に、自然にと心をこめて書きますが、何処か力んでいるのでしょうね。
 線がよろけたり、最後が脇に向いていたり、毎回のことながら繰り返し書いております。
 老師は旁と偏のバランスが大事だと、自分の條福に紐を当てて、一直線に中心があることも実際に見せて教えて下さいます。
 立ち上がりご自分の体を動かし、左右に上体を曲げたり、足を崩したりと。実際に字を当てはめると可笑しいでしょとパフォーマンスで示されます。

          手本

 この右上の字ですが、旁と偏のバランスが難しくて、何回も何回も書きます。
 また中や下という字も線がキチンと定まりません。
 老師はこの本は何回も繰り返してやりましょと仰います。これはとても大事な基本の基本だと受け止めております。
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思案すること

 年末年始は何かと食べものが溜まります。この数年お節のお重は用意しないことにしました。
 食生活の変化は驚くほどです。娘たちは作り置きの物を余り食べなくなっております。確かに煮物にしても出来たてが美味しいですし、冷蔵庫から出して並べる物は味が落ちているのも間違いありません。
 ですから正月用には煮物を3軒分一括して作る以外は、普段の物とそう変った物を用意はしません。
 それでも残って仕舞います。
 
 晴れも卦も関係ないのが今時の食生活だと思いますね。極端な言い方をすれば、今は毎日が晴れの食ですね。
 こういうことが現代と言うのでしょうね。
 
 話は変りますが昨年12月1日に新しいスーパーが開店しました。10月に元のスーパーが閉店しましたので、急遽ネットスーパに登録し、凌いでおりました。助かりましたね。

        新しいスーパー開店

 魚好きな私の関心は魚屋です。無ければ困ってどんなに小さくても出店して欲しいと思っていましたのに、出来ればまた欲が出ます。今日は午前にチョッと覗いて見ました。
 シマ鯵の良いものが丸で並べられております。たった一尾ですが見るからに良いのです。2500円です。
 じっと眺めて、眺めて、眺めてと言うのが私の姿でした。
 でもこんな大きな一尾を買って仕舞いますと、きっと持て余すことになること必定です。困りましたね。
 刺身のコーナーを眺めてみますとパックになっている物もあります。それが私の気に入らない姿なのです。
 どういう訳か刺身コーナーの刺身の切り方がイヤなのです。
 
 夕方再度眺めに行きました。半額になっていましたら買い、そして刺身で食べ、後は味噌漬か西京漬けにして食べようと思っておりました。残念 既に見当たりません。刺身になっている風にも思えません。誰かが買ったのでしょうね。
 これは油断は出来ません。ライバル現るです。魚好きの方がいるのでしょ。
 素早く買うか、値引きを待つか。今後の私の考えどころです。困りましたね―。美味しい良いものは欲しいのですが沢山は要らないのですねー。
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左右間違いは困ります

 名古屋東市民病院で、昨年左右間違えての頭部手術があったと、今日のニュースで伝えられておりました。
 大事な手術で左右の間違いは困りますね。男性は後遺症もなく、補償は求めていないそうです。後遺症が無くて良かったですね。ですがきっと心痛が続いたことでしょう。

 随分昔のこと 35年程前のことですが、母の所に行きましたら様子が只ならぬ風に見えます。
 男まさりで剛毅 同世代の女性にしては珍しく進取の気性に富み、判断力も優れておりました。
 その母 私の顔を見るなり「もう先が無いかも」と酷く落ち込んでおります。
 その時 今の今まで誰も病気だともおかしいとも私に教えて呉れておりませんでした。
 驚き「どうして」とよーく聞きますと「目がおかしいんだよ。チョッと前にメガネを買い替えたのに、よく見えないし、頭が痛くて」と情けない声で訴えます。
 これはほっとく訳には行きません。直ぐに一緒に東京に連れて来ました。専門病院で見て貰わなければと都心の眼科病院に行きました。
 先生は眼には問題はないと仰り、ついでにとメガネを調べて下さいました。
 何と(こういうことに使う言葉ですね)レンズが左右反対に入れてあったのです。
 勿論早速直して頂きました。

       眼鏡
   (後ろのメガネは片方のレンズが外れており、明日にでも修理に持って行こうと思っているものです)

 先生から渡されたメガネを掛けた母 顔は晴れ晴れとしております。病院を辞して外に出た母 
 「前に食べたカツを食べよう」と言います。それは駿河台下の共栄堂のロースかつです。
 母は共栄堂のロースかつが好きでしたから忘れもしません。心身がすっかり解放されたのです。
 昔は田舎では美味しカツは食べられませんでしたからね。気分が良かったのでしょう。

 でもレンズの入れ間違いなんて普通では考えられませんね。レンズ程度でも当人にとっては精神的に大変な負担が掛かっていたのです。
 
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エジプト旅行 7日目

 ナイル川の流域は緑も美しく、岸辺の風景はガラス窓が額縁のようにすっぽりと囲い、一幅の画のようです。
 船の動きに添い流れるように景色が変って行きます。
 夜は船は泊まっております。
 7日目は先ずルクソールに接岸 私たちは船でナイルの西岸へと行きました。王家の谷へとバスで向かう道は砂漠ですね。一面砂漠と言う程大きく広がっているわけではありません。やや起伏があります。
 ガイドは途中で「吉村先生の別荘です」と一軒の家を指さして教えて呉れました。
 今は早稲田大学も定年退職されているようですが、1996年の旅の中では有名だとあちこちで耳にしました。
 
 7日目の午前は王家の谷から見学が始まりました。
 全体には多くの墓地があるのですが、チケットは3か所に入ることが出来ます。ツアーでは時間の制限がありますから、効率よく廻らなければなりません。私たちは幸運にもツターンカーメンの墓地に入ることが出来ました。
 そこでは入口でカメラを預けます。撮影禁止です。ツターンカーメンの墓は人が多いと待てなくて入ることが出来ないこともままあるそうです。

 7日目の一日を画像で辿ります。大体今のようにデジカメもありませんし、食べた物は全く記憶にありません。 この夜は船内宿泊最後となりますので、デザートが豪華でしたからそれだけを写してありました。

      ラムセス9世墓地  ラムセス9世墓地

 ラムセス9世 ラムセス5世 ラムセス6世と中を見ることが出来ましたが、何れも中の壁や天井は彩色された文様に埋まれております。そうそうこう見ますとツターンカーメンの墓地は別料金だったような気がします。

      ツタンカーメン墓地  王家の谷

      ハトシェプスト女王葬祭殿  葬祭殿 図面

 このハトシェプスト葬祭殿は1997年に過激な一団が観光客を襲ったのです。葬祭殿の前は土地が広く、駐車場から葬祭殿までチョッと距離があり歩くのです。見通しが良く遮るものはありません。1996年時でも要注意地域となっていたようです。

             アラバスター工場

 このアラバスター工場と言いますのは、過っては墓地からの盗掘を職業としていたと言う村だそうです。民家の様子を見ることができますが、観光用としか思えません。買い物も出来ますが、可なりしつこい売り方でしたね。

             メムノンの双像

 ここではカメラ休憩をとり、直ぐに出発しました。そして一旦船に戻り、午後はルクソールの船着き場周辺を自由に歩き何組かの方とお土産屋で「負けろ、負けろ」と何だか段々声を揃えて言う始末。でも何となく楽しみましたね。
 陽が落ちてからカルナック神殿の音と光のショーへと出掛け、神秘的な夜の遺跡探索をしました。

       カルナック神殿音と光のショー  ピラミッドのデザート

 この夜が最後の船中泊となりました。ナイル川クルーズで特に印象に残ったのは部屋から眺めた風景ですね。
 遺跡見学はある程度予想もしておりましたが、川の周辺のことは私にとっては予想になかった風景でした。
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ペット話

 チャイナドレスを習いに見えている方が飼っているペット 6匹の犬を飼っている方がおりますが、年末年始にかけて急性下痢腸炎様の症状となった一匹 吐くので薬が飲めず注射を受けていたそうです。ペット飼うのも大変ですね。
 同じ時間に見える方はウサギを飼っております。新年早々には教室で話題になるだろうと思っておりました。
 それは私だけではなく、皆さんの関心事でもありました。
 そのウサギ「Berry」ちゃんと言います。齢人間で言えば40歳余り。
 このアメリカンファージ―ロップと言うウサギは毛が長いのが特徴のようです。
 
       Mさんの愛兎
     この画像は2009年12月22日に掲載したものです。
 
 話題は気の毒なことになっておりました。でもとても何だか参考になるような話でした。
 どういうことかと言いますと、最近体がへたったかの様に足を伸ばし、ぐったりとして元気がなくなっていたそうです。
 長い毛を梳いてやろうとしましたら、毛が絡まり綺麗に出来なくなっていたそうで、そこでブリダ―といいますか、そういう方の所に行き、どんなことかと聞いたそうです。
 そこで聞いたこと 高齢になった毛の長いウサギは毛に栄養分が取られて体調が悪くなるのだそうです。
 と言うことで毛を綺麗に刈って貰いましたら、元気が出て安心したそうです。
 犬を飼っている生徒の方は「家の歳とった犬も毛を刈って貰おうかしら。そしたら元気になるかも」となりました。
 「女性も歳をとると刈り上げなんてしているけれどね」「これは関係ないかしら」話は飛びました。
 「じゃー歳をとったら髪を短くすると良いかもね」オチがつきました。

 
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鯵の卯の花和え

 秋刀魚の季節は既に終わり 随分日が経っております。光陰矢のごとしの言葉は些細な日常の生活の中でも感じます。
 秋刀魚の卯の花和えは作るには解凍物ではダメだと、私は思っております。ですが実際にはどうかは分かりません。自分では出来るだけ新しい物を選んで作っておりますから。

 久し振りに店頭に真鯵の良い物が並んでおりました。どうしても欲しくなりましたが、形が一匹付けの焼きにも煮るにも大きすぎます。このところ作らなかった卯の花漬けを作りました。

       鯵の卯の花合え

 鯵を買い戻り直ぐに腸を出して冷蔵庫に仕舞い、近くのショッピングセンターにおからを買いに行きました。
 センターの一階に茂蔵という豆腐や大豆の商品を並べているコーナーがあります。豆腐を使った様々な物も並んでおりますが、私は最近そこでおからを買います。肌理の細かい綺麗なおからです。
 今回買った大きな鯵でもおから一袋で充分足ります。
 作り方は秋刀魚の卯の花和え と変りませんが、特に違いと言えば下ごしらえの時に鯵のゼンゴを取ること。皮を剥く前に身の中心の骨を丁寧に抜くこと。塩を振る時に鯵の大きさに合わせた量で振ることでしょうか。
今の季節は柚子も豊富にありますが、秋刀魚の出始めの8月末から9月当たりは冷凍して置いた物を使います。
 鯵は初夏からが旬と思っておりましたが、最近は新鮮なものが四季を通じ店頭で見ることが出来ます。
 そこで「相子老婆の鯵の卯の花和え」のシールも欲しくなります。
 また何時もPCのことでお世話になっている方へ 「どうぞよろしくお願いします」でしょうね。
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老師のお土産

 中国語の受講も長くなりました。若い方とは比べようもなく進歩は捗りません。
 老師は毎年年末に北京にお帰りになります。
 この冬も12月下旬にお出かけになり、大晦日に日本にお戻りになりました。
 老師は北京に行かれますと必ず大学時代の友人と会われ新しい中国と言いますか、北京と言いますかいろいろな情報や新語を集めて来られます。
 帰郷する度に何かしらのお土産を教室にお持ち下さり、私たちも頂きます。
 お土産はお菓子やお茶等 時にはお酒も下げて現れます。中国のお酒はアルコール度が高く、老師が注いで下さると私はしばしば噎せて仕舞います。今年最初の講座にお持ちになったのは飴です。

      北京のお土産

 馬大姐と言う名の袋詰めの飴でした。袋の中にはいろいろな種類の飴が入っています。それを丁寧に合わせて各人に配って下さいました。
 お土産は物ばかりではありません。最新の庶民の生活にも触れます。
 この冬は寒さも厳しいようです。北京の気温 12月末 昼間で零下6度 深夜では零下13度にもなるそうです。
 人々の関心事は物価の上昇だそうで、特に食料品の値上がりが話題になっているようです。
 
 物価上昇の中でも特に食生活への悪い影響は庶民には嫌ですね。ニュース等で見ますと中国人の食習慣が変って来ている事にもあるそうですね。
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青島出港の間寛平さん

 元旦に中国青島のヨットハーバーから間寛平さんが、福岡に向けて出港すると青島日本人会の事務局長池田さんからメールを頂きました。
 そして3日の日にTV放映されるとまたお知らせを頂きました。生憎出掛けておりまして見ることが出来ませんでしたのでチョッと残念に思っておりました。
 
 この間寛平さんのアースマラソンに付いて改めてPCで検索しました。大掛かりなスケールの快挙ですね。
 世事にと言うには余りに失礼な無知でした。ほんの少し断片的に知っていただけでした。
 
 2009年1月1日に千葉県の鴨川市から太平洋に向けて出港したと。それでは鴨川の友人、知人は見送ったかも知れません。一旦出港した間さんは千倉港に寄りそこから改めて出発したと言うことです。これまた千倉の友人たちは見送ったか、このことを耳にしていたことでしょう。来月鴨川に住む青島羊会の男性とお会いしますので、お聞きして見たいと思っております。
 相子婆さん 何にも追い付けません。

 ところが思いがけなく昨日、間さんの元旦の出港を見送る日本人の方々の写真が届きました。
 間さんの公式HPにも見られませんので、掲載致します。写した方は青島満帆さんのブログにしばしば出てくる名前。由さんです。日本語が堪能で最近会社を立ち上げ、車も買い替えたそうです。青島で日本人対象のガイドをされるお心算でしょうか。

      
     間さん青島出港1  間さん青島出港2

     間さん青島出港3  オリンピックに使われたヨットハーバー

 青島での歓送に集まった日本人は200名にもなったそうです。青島に住むリカさんも驚いたそうです。

 日本人会事務局長の池田さんは、間さんの出港見送りのために皆さんに檄を飛ばされていたようです。

 昨年4月に青島でお会いした際、私の着るジーンズの上着がとても気に入って下さり、同じサイズの物をお送りしました。池田さんは青島満帆さんと青島日本人会でのイベントでその上着を着て下さり、皆さんのお褒めに預かったそうです。私も嬉しく思っております。その席で二人の並んだ写真が青島満帆さんから送られて来ました。

          池田さんと青島満帆さん

 青島日本人会は設立20周年を迎えたそうです。月刊誌を発行し、また在留邦人のための様々な活動をされております。どうぞご覧くださいませ。
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小さな蜜柑と柚子

 年末のJR船橋駅 お天気は晴天 私は千葉方面への電車を待ちホームのベンチに座っていました。
 隣に座った高齢な女性 腰が曲がり腰を下ろすのもやっと 動作が鈍く手を貸したい位です。
 服装は昔の千葉の在にでも住んでいたかのような風に見えます。
 私に声を掛けて来ました。
「今日は暖かいねー。何処に行くんかね」「千葉に行くんですよ」「私はね東京」「大変ですね」「これ貰って」
 目の前に出されたのが小ぶりの蜜柑と柚子 「いいのですか」「娘の所に持って行くんだけれど」「悪いじゃないですか」「いい! いい! 私がね植えたの」「そんな物頂いて申し訳ないわ」「今朝捥いだんだよ」

        船橋駅で貰った

 何だか優しい声を掛けて上げたいような気持ちになった時 東京方面行きの電車が入って来ました。
 その方 やっと歩いてドアーの傍に寄って行きます。間に合うかどうかハラハラしました。何とか足が扉の中に入って行きました。
 家に持ち帰り眺めた蜜柑 蔕がどれにも付いておりません。一所懸命手でもいだ様子が眼に浮かびます。
 捥ぐというより引っ張って取ったのでしょう。東京と言いましても何処まで行くのだったのでしょうか。
 捥ぎはしたものの重くて道中誰かに上げながら着いたのでしょうか。
 とても気になったことでした。 背の低い小さな老夫人と小ぶりな蜜柑と柚子  
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エジプト旅行 6日目

 1996年のエジプトの旅は11日間でしたので、6日目は中日と言えましょうか。
 夜間は船は停泊します。朝食は船内でのブフェ 品ぞろえも沢山ですが、私は未だ若かったのに余り食べられません。
 6日目の最初の接岸はナイル川の西岸 エドフ とに角埃及の字にピッタリ 私たちは馬車に分乗してホルス神殿に向かいました。私は自然に仲良くなりました奥さまと一緒。夫はご主人と一緒 馬車の走る周辺は埃が舞い上がります。

     エドフ・ホルス神殿に馬車で  バザールに立つ

 ホルス神殿のあるエドフは砂糖精製の工場の町として知られているそうです。エドフはルクソールとアスワンのほぼ中間に位置しております。この町の中央に立つホルス神殿はエジプト神殿建築の美を今に伝える典型として知られております。建設は180年と言う長い歳月を費やし、今に残されたものだそうです。

             ホルス神殿

 午後 船はエスナへと進み接岸しましたが、その間船内では操舵室を訪問 特にプレジディシャルスイートルームも見学出来ました。ナイル川の流れに段差があるとは知りませんでした。

             ナイルの水門

 夫は甲板でオーストラリヤの可愛いお嬢ちゃんと話が出来て、とても嬉しそうでした。6歳だそうで、アドレスを聞いておけば写真が送れたのにと残念がっておりました。

             オーストラリアの子どもと

 接岸した町 エスナでクヌム神殿を訪れました。ルクソールから南へ約60㌔の地点にあります。
 クヌム神は牡羊の頭をした人物として現されております。土器づくりの神として崇めれているそうです。

             クヌム神殿

 この日の夜はホールでオリエンタルダンスのショーがありました。ベリーダンスを踊る女性と、大きなベールを頭から被ったまま只管回り続ける男性は子ども連れのご夫婦だそうで、逞しさに圧倒されました。
 ショ―タイムの後は、全員でゲームに興じ、この日も楽しく夜が更けてゆきました。

             列を作り廻る

 夫の後ろに並ぶご夫人は一緒に馬車に乗った方です。このご夫妻とはその後成田まで親しく話し、良く並んで食事をしたりしました。
 数年後ご主人の名前を日経で見つけ、凄い方だと知りました。早速電話をしましたら「ばれましたか」と笑いながら大きな声で返事をされました。帰国後も何時か一緒にと年賀状交換をしております。
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メジロの季節

 長崎県に住む金子数栄さん  年末に送って頂いたウニは本物の味を口にしました。
 金子さんの住む尾戸では時期折々の自然の姿が見られ羨ましいことです。先日は鮮やかな目の白いメジロがミカンを啄んでおりました。

         尾戸のメジロ

 メジロの捕獲は基本的には禁止されているそうですが、県によっては許可があれば飼育も出来るようです。
 
 私の幼いころ千葉県南部ではメジロを飼うのも一般的で、家の軒先にメジロ箱が掛けられているのは冬の風物詩のようなものでした。
 町の若い男性のみか、働き盛りの男性もメジロ獲りに出掛けておりました。「メジロの鳴き合わせ」は今も秘かにされているのでしょうか。

 母の一番下の弟が昨年亡くなりました。敗戦で無事中国から帰国出来ましたが、聞いたことによりますと徐州作戦に出動したそうです。私の幼いころとても可愛がってくれておりました。
 母が偶に叔父に子守りを頼みますと、私を背負いメジロ獲りに出掛け、祖父の激怒をかったと良く話しておりました。私を背に土手から飛び降りたり、仲間と競走して走ったりで、母もハラハラしたそうです。
 
 私の住む周辺は次々と緑が消えて鶯の声も聞くことが出来なくなりました。メジロは里山もありませんからなおさら見ることは出来ません。
 綺麗なメジロの姿に触れると思い出は湧き上がって来ます。冬ですね。
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レトロなポスター

 縁戚に当たる千葉県館山のウナギの老舗「新松」は古い物をいろいろと保存しているようです。
 先ごろ一枚のポスターが五代目店主のブログに掲載されました。
 見た瞬間これは青島ビールの物ではないかと思いました。

           レトロなポスター

         青島ビール

         1903年の青島ビール機械

 青島ビールは多くの方がご存じの通り中国の有名なビールですね。
 1903年にドイツ人に依り創設された会社です。
 博物館もありますが、見学者は日本人が大変多いそうです。私は昨年9月二度目の見学をしました。
 博物館の見学コースには設立当時の機械も見られます。
 ベルトコンベヤーで流れる缶ビールの様子は前回では見られませんでした。展示も改良されているのでしょう。
 昨年9月の時の説明に依りますと生産量は一分間に2屯だそうです。

 ポスターを見ましたら、中国語のビールを表す文字が書かれております。
 これはまさしく青島ビールと関係のあるポスターに違いないと思いましたが、念のため調べて見ました。
 1916年 日独戦争後青島を占領した日本人は青島ビール工場を買収し始め、1945年の敗戦まで29年間経営をしておりました。
 ここでは朝日、麒麟麦酒を生産していたそうです。それでこれは間違いなく青島ビールの工場で生産されたアサヒビールの宣伝ポスターですね。
 当時は太陽ビールという銘柄で売られていたのでしょう。何とか詳しい内容を調べて見たいと思っております。
 またポスターは館山に行き新松を訪れた時に現物を見せて頂こうと思ってもおります。

 元旦に青島を出航 福岡に向かった間寛平さんの姿が昨日の夕方5時にNTVの特別番組で放映されると、青島日本人会の池田事務局長さんからメールが入って来ておりました。
 昨日は夫と義兄を訪問しておりましたので、帰宅後知り残念でした。
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それぞれの正月

 年末年始はゆったりの様な、忙しないような不思議な日々が続きます。
 此処我孫子の空は高く澄み気温もそう低くはないようです。北陸や山陰では豪雪に見舞われ、見舞われと言うより襲われてでしょうね。
 国道では車が往生しているようです。南と言われる九州でも雪に驚かされているようです。
 鹿児島姶良市に住む小学校の友人から雪の画像が送られて来ました。

     鹿児島の雪1  鹿児島の雪2

 長崎県尾戸に住む金子数栄さんの所も雪が積もっています。雪が消えない内に画像は消えているかも知れません。チョッと転載し、見て頂きます。数日前にウニ漁に出掛けていましたのに。

     尾戸の雪  金子さん宅の大雪

 中国からの便り 1日の朝 中国青島港からアースマラソンに挑んでいる間寛平さんが福岡に向かって出航したそうです。日本人会は励ましと見送りの檄を飛ばしたようです。日本人会の事務局長池田さんからメールが来ました。子どもから大人までほぼ100人程が暗い中をはせ参じて下さったそうです。
 PCで検索しましたら、ご本人のブログに青島出航の見送りの方の姿が見えます。池田さんもあの桟橋での見送り人の中で一所懸命手を振っていたことでしょう。画像をお借りし、チョッと大きくしてみました。

              寛平さん見送り

 今朝から箱根駅伝の中継が始まっております。鎌倉に住む友人は応援に明大鎌倉会の仲間と一緒に行くそうです。私より一年先輩です。彼女の応援は勿論明治大学です。
 私の応援は明治が一番、次はお世話になる東海大学 そして次は地元の中央学院大学です。どの大学も頑張って欲しいものです。
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2011年1月1日

     新年になりました。皆さまのご指導 
             応援を心からお願い申し上げます    
 
          
            干支切手

 大晦日最後に頂いた絵葉書 千葉市に住む同級生からの気遣いの一枚 私の近くの布施弁天です。
 同級生は千葉県館山の女学校の寄宿舎で一緒でした。同じ釜の飯と言いますが、戦時中同じ屋根の下で暮らしました。鴨川の奥の大山村の材木商のお嬢さんでした。当時は人も通わぬと言ううような険しい山奥でしたが、今は大山千枚田等で人が訪れ、また道路も整備されて便利になっております。

      布施弁天

 今朝早くから初詣の人で賑わっていましょう。新年を迎えるに相応しいハガキ 有難うございます。

 2010年から2011年に入りましたら、直ぐに届いたプレゼント 
 絶対何かがメールで送られて来るはずと、思っておりましたが、まさか一番のメールとまでは思っておりませんでした。
 ウサギを飼っている生徒の愛兎の写真です。
 ウサギを飼っている生徒は二人おります。
 1月の講座ではきっと皆さんが話題にされることと思いますね。

      生徒のウサギ

     ウサギと鳥が同居?しております。

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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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