2011-03

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台北からの電話

 親しくしております台北在住の林さん
 仕事のことで時々来日しております。
 来日の際は必ず事前に電話があります。ですが今回の電話は何時もと違いました。単なる連絡ではありません。
 
 台湾では今回の地震の被害が可なり大きなショックを与えているようです。そうでしょうね。ニュースって非日常的なことは特に大きく取り上げられますからね。それにしましても間違いなく大きな災害です。
 
 「明日東京に行きます。周りの人が日本はメチャクチャだから、大丈夫かと言うのですが、実際はどうですか」
 「大変な被害は出ていますよ。でも東京の街では皆さん冷静ですし、普通にしておりますよ。唯計画停電などもあり、節電で東京は以前と比べて少し暗いかも知れませんよ。災害地ではそれは大変です。被害は大きく今懸命に人々が動いております」
 
 「以前台湾で大きな地震がありましたが、覚えていますか」「勿論覚えていますよ」
 「台湾では日本はもう駄目だと言う人もありますが、台湾の地震の時、日本では台湾はもう駄目だと言ったような話はありませんでしたか」「日月譚の被害なども報じられたし、家が倒れるような様子はTVで見ましたが、だからと言って台湾に行けないとか、台湾はもう駄目だといった話は聞きませんでしたし、私も打撃で台湾は駄目だなんて思わなかったわね」
 
 「明日は東京で仕事、次の日は名古屋、そしてその後大阪に行き帰ります」「今回は会えませんね。気を付けてね。またお見えになる時には連絡下さいね」
 今日は大阪にいる筈です。彼は来日し日本のTVを見て納得して下さったと思います。
 台北に戻られたらきっと日本の様子を周囲の方に話して呉れるでしょう。

          台北タワー

 台北に行きますと彼のご家族と必ずお会いします。ご子息二人は行儀も良く、将来が楽しみです。
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小は大を兼ねないのに

 数か月前のこと 明け方早くトイレに行きますと床まで水が溢れています。トイレの水が流れっぱなし。
 大慌てで夫を起こし、コックを動かして何とか水を止めました。床全体に水は溢れ、洗面所の床も水が2㎝程広がっております。
 何とか水を処理し、夜が明け始めたので直ぐ着替えて下の家にお詫びと様子を聞きに伺いました。
 下の方は大らかな一家で、孫たちの遊びまわる音にも「あー元気でと」何時も「気になさらないで」とさらっと流して下さいます。でも今回は流して下さらないはず。ところが「大丈夫ですよ。何かありましたら言いに行きますから」とこれまた優しく受け止めて下さいました。
 以来 コックの大は水を流してから8秒経つと止まるので、それを見てから出て来なさいと夫は私に教えて呉れました。
 どうも水の始末の悪いのは私らしいと、夫はそう思っています。ある時夫に呼ばれてトイレに行きますと、また水が止まっておりません。「ごめん ごめん」と謝り、喧嘩にはなりませんでした。
 
 今回地震の数日前、コックを小の方に動かすと絶対流れは止まるということで、それからそのようにしておりました。地震で断水になりましたので、それなりのことはしましたが、水が出始めると、今度はタンクの前のコックの大が動かせないように、テープを貼りました。
 少しでも節水になるだろうしまた失敗も起きないだろうと言うことです。それから2,3日後トイレの流れが悪くなり、その内水が流れて行きません。「どこかで何か詰まっているんじゃないか」と管理事務所にどうしたらいいかを聞きに行きました。スッポンと言うのですか、貸して下さいました。使いますと流れが上手く出来ました。
 「返すのは明日の朝でも良いですよ」と言うことで直ぐに返しに行かず置いて有りました。
 また流れが悪くなりました。おかしいねと再度管理事務所に聞きに行きました。
 保守の方は地震の被害調査で忙しい中、序でに我が家に寄って下さいました。
 他の家のと管は関係ないそうです。「小ばかり使うとこういう事が起きることがありますよ」と説明をされてお帰りになりました。
 原因はわかりますよね。我が家二人の無知とうっかりです。気をつけましょうね。使い方は理由があるのですよね。恥ずかしい話ですが、自戒を込めてアップします。

          高さん宅トイレのトイレ

 先日伺った高さん宅でトイレをお借りしました。可愛いトイレが脇に置かれております。嬉しくなり携帯で写しました。
 でもこれは使えませんよね。見るだけで楽しいですね。
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辞退は自分で決めた

 先に書きましたようにNHK文化センターでの講座の講師を辞退しました。
 私が決断をしたことですが、生徒の中では「先生無理をなさらないでと言ったことで、気を遣われて辞退なさったのではありませんか。申し訳ございません」とメールを送って来た方もあります。
 決してそのようなことではありません。あくまで自分で決めたことです。生徒に辛い思いはさせたくありません。
 ですが有難い言葉ですね。この数日メールを読んでは涙ぐんでおります。
 今回の地震や原発問題で、一時他所に出掛ける生徒もあります。人々の生活と考え方が大きく変わろうとしていることは間違いないようです。
 毎日自分でさえ不安で過ごしている訳ですから、教室でのことを考えますと、責任も重く、しかもその責任の一端も担えない体力とを考えますと、生徒には私こそお詫びをしたいところです。

 最後の授業は出来ませんでした。前回の時に記念に写した生徒の姿は掲載し、ブログ本で保存することが出来ます。
 此の際ですから、夜の生徒の姿も画面で残して置きたいと思い、また教室風景も眺めたいとも思いました。

     夜の生徒1  夜の生徒2
 
               夜の生徒3

      教室  教室

      教室  教室

      教室  教室

      教室  教室

                 教室柏の葉

 それぞれの思いがこもっております。義姉の危篤で一回だけ代講をお願いしましたが、それ以外は休むことなく過ごすことが出来ました。
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怒ったり安心したり

 3月11日未曾有の地震が発生しました。
 多くの犠牲者が出ました三陸方面などは夫と旅した所も多く、TVで見る風景がすっかり変わり、切ない思いで見ております。
 高さんからメールが来ました。高さんと知り合いましたのは数カ月前と言っていいでしょう。ですが気分は合います。奥様も実に素直な感性の素敵な方です。自然体と言う言葉がピッタリです。メールは下記の通りです。


しつこいほど余震が続く毎日ですが、お変わりありませんか?
本震から2週間近く経つのに頻繁なる余震が止まず、家内はゆっくりと眠れないとぼやいています。
小生も眠れないため、インターネットでヤフー・ニュースを検索した所、下記の記事が目に付きました。

決断と実行に欠ける…被災の民主議員、政府批判 読売新聞 3月22日(火)22時5分配信
 民主党の黄川田徹衆院議員(衆院岩手3区)は22日、東日本巨大地震をめぐる政府の対応について、
「過去の災害事例からマニュアルはあるのに、何を今さら議論しているんだ。必要なことは決断と実行で、
我が党には決定的にそれが欠けている」と強く批判した。記者団の取材に語った。
 黄川田氏の選挙区は、地震で大きな被害を受けた岩手県陸前高田市。黄川田氏によると、
市内にあった自宅や事務所は津波で流され、長男が遺体で発見された。両親と妻はなお行方不明という。
黄川田氏は、菅首相が21日に予定していた被災地視察を悪天候を理由に中止したことについても
「現場をどうしようという思いがない人が政治をしている。被災地で政治の顔が見えない」と訴えた。

上記の記事で指摘された決断と実行に欠けるは、あい子さんのブログ「大震災発生から 5」のコメントで
小生が指摘した「戦中派の小生から団塊世代の民主党トップに望むのは、決断、即実行」と全く同じです。
日本のドンは本当に嘆かわしく、日本国の行く末が思いやられます。
では、晩安!
                      世界の人形館・

 多くの人が不思議に思っているような気がします。官邸は何を考えているのでしょうか。また言いますがね分からないのが政治なんですね。

           2月15日総理官邸

 自民党は何をしているのですか。代議士は無料パスも持っているのでしょ。被災地に自民党代議士は行かれているでしょうか。総理頑張って下さいね。何時も霞ヶ関ビルから声を送っていますよ。エールは歴代総理に送っています。だって日本国民ですからね。

 この霞ヶ関ビル 1968年4月18日に開館されました。この日は大安だったのでしょうかね。
 地上36階 地下3階 高さ147m 日本で最初の高層ビルです。
 私はたまたま縁あってこのビルにある「東海大学校友会館」に良く出掛けております。1970年頃からでしょうか。明治の次に贔屓にしております。
 地震の時のことが気になっておりました。
 総支配人の方にエールと一緒に様子をお聞きしました。たいしたビルです。安心しました。
              
 「ご心配をお掛けいたしました。お蔭様で当ビルは大変大変揺れましたが、日本最初の超高層ビル(耐震設計が証明されました)、人的・物的被害はありませんでした。食器の等の転落破損も1ヶも無く一切無事でした。当日は、帰宅も出来ず、お客様40名、従業員40名計80名35階で泊まりました。地震以後のご予約は一切がキャンセルとなり開店休業状態でした。
 被災者の方々を思いますとまだまだ幸せです。一日も早い原発事故の終息と復興を祈念申し上げます」とこのようなことです。
 
 このビルが出来た頃は大きな物の比較に霞ヶ関ビルの何倍なんて言葉もあったのです。
 2月15日のチターの会は皆様に喜んで頂きました。それから一ヶ月も経っていなく大きな地震に見舞われたのです。

聞くところによりますと、このビルが出来た後分かったことは、食事場所がないと言う事だったそうです。
今で言えば「社食」と言いますか、ビルを仕事場とする人の昼食を賄う場所を作らなかったことだそうです。
 以来高層ビルには社食の様なレストランなどを作るようになったそうです。

 当時一階にはレストランもありましたし、カフェもありましたね。何時しか西側には昼食時になりますと弁当屋も見えておりました。今は下の方も広がり、大衆店もあります。ですが当時は皆さん苦労をされたと思います。
 
 
    
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大震災発生から 決断

 NHK文化センター柏教室で「直断ちのチャイナドレス」の講座は開講してから12年経ちました。 
 11日の地震が大きかったので、直ぐ生徒からメールが届きました。「先生次は自主休講にしませんか」とのことでした。次回は23日ですので、NHKの方針が未定なので、少し待ちましょと伝えて置きました。
 地震は巨大なレベルで、余震も続き、また茨城沖でも何回も別の地震が起きております。12日と19日の中国語の講座は休みになりました。
 今週は昼間は開講 夜は休講と連絡を頂きました。生徒の方に連絡をしましたら、昼の方は相談されて自主休講にして下さいと言うことでした。
 生徒の中には継続の手続きを躊躇っている方や、当分休みたいと言う方もおりました。
 現在は昼3名 夜3名 全部で6名です。教室の雰囲気は和やかで、手を動かしながらも話題にこと欠きません。皆さんの人柄に私も和まされております。

 この教室を何時まで続けられるのかと、常々考えておりました。5月1日に80歳になります。
 地震で停まったエレベータ―に戸惑い、階段を上下した為に分かった自分の体力。冷静に考えてみますと、これは潮時ではなかろうかと、生徒に打診をしました。生徒は私の考えを受け入れて下さいました。

 そこでNHKに講座辞退を申し上げました。4月からの新しい方の申し込みもなかったようです。
 NHKの担当者は既にパンフレットなどの費用も掛かり、損失も出ますと、それなりの言葉を私に言われましたが、お詫びをしてお断りをしました。

 講座半ばで中断するいうなことが起きないとは言えない年齢になっております。
 昨年は2回転倒し、また眩暈の心配もあります。迷惑を掛けない内に辞退することがべストだと考えました。

 生徒は今も製作中のドレスもあります。そのことを放りだっすことは出来ません。
 今後は自宅に来て頂き、教えて行きたいと思っております。
 
 生徒に講座辞退の連絡をしましたら、メールで驚きの言葉と同時に私のことを心配し励まし、また決断を受け入れて下さいました。生徒の言葉を一つ一つ噛みしめて読みました。涙涙で返信を書くのに画面が曇り見えません。
辛く切なく思っております。
 今後は生徒の意を汲み、出来るだけのことをして行きたいと思っております。心は引退してはおりません。

          3月9日の昼の生徒

 前回の講座の時、私の着ていたジーンズのジャケットを欲しいと頼まれ、寸法に合わせた物が出来あがり、3人で揃って着ました。記念に写しましたが、本当に記念となって仕舞いました。旗袍を大好きな生徒は我が家に来て下さると言うことです。嬉しいですね。

 生徒は私の講座以外にも稽古事をしております。その作品などを見せて頂き、私も多くのことを学ばせて頂きました。
 12年間 沢山の生徒が見えました。気持ちのいい方ばかりでした。心から感謝を致しております。

 多くの皆さま有難うございました。
 
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大震災発生から 5

 今回の地震が齎した被害は恐ろしいことになっております。人も家も破壊しました。
 福島原発の問題は理論は分かりませんが、一刻も早く危機を脱して欲しいと願うばかりです。

 地震の起きた日 私は世界の人形館に午後4時に伺う約束をしておりました。
 地震の揺れを感じますと、これは大事だと慌てました。大きな揺れが収まり、TVを起こし事態の推移を見ますと大変な様子のようです。4時の訪問は出来ません。エレベーターも止まりました。高さんへの電話は通じません。止むを得ずメールでお詫びを送りました。13日高さんから電話を頂き、ご自宅は可なり被害を受けたそうで「早急に整理をしたく思っております。整理が付きましたら連絡をします」と言うことでした。
 18日に19日以降なら大丈夫ですよと連絡を頂いたのに、その19日(昨晩)大きな揺れがあり、心配しましたので、高さんに様子をお聞きしました。
 高さん宅は10階ですから、また人形が倒れたのではと思ったのです。返事は下記の通りです。
 

あい子 さん

晩上好!
先刻の貴メール、7時前の地震はかなり揺れましたが、なんとか大丈夫でした。
しかし、大震災時は小生が住む高層階ではブランコのように大揺れし、直立出来ない状態でした。
このため、「地震酔い」の後遺症が残り、地震が無い時でも目まいや揺れの錯覚が起こします。
ご参考までに大震災直後に小生が撮りました人形館被災の惨状を如実に物語る写真を送ります。
地震直後は以前に比べ、あまりの変わり様に茫然自失になりましたが、直ぐに当マンション内に住む
小さな子供たちが駆けつけてくれました。その後、人形館を早く復旧せんがためと数組のボランティアの
方々が毎日応援に来て手伝って頂きました。その人達のお陰で勇気付けられ、思いのほか早く片付けや
整備が進んで一応本日再開の運びとなり、早速見学者がありました。
上記応援者の中には「我孫子の文化を守る会」の世話役の方がおり、当館の展示品が我孫子の
文化の対象にして頂いたのが何よりも嬉しかった次第です。
リアドロの破損やシャンデリアの一部損傷など、かなりの痛手を受けましたが、表面的には以前とさほど
変わらない姿に復元したと思います。
                  晩安! 世界の人形館・
         
 高さんから送られて来ました人形館の姿 さぞ恐ろしく大変なことだったとろうと思います。
 
         11日  11日

         11日  11日の玄関前

 2月の訪問の時と3月3日(丁度一週間前)と比べてため息が出ました。比較しますと復旧されるのにご苦労されたことと思います。
 現役時代は産業戦士として頑張ったのでしょう。不屈の精神に高さんの姿を感じます。この頑張りと知恵が相乗効果を齎し、人を迎えるとこまで行かれたのでしょう。感服しております。

     高さん2月7日  高さん2月7日

               高さん宅3月3日

 私は出来るだけ近いうちにお目に掛かりたいと思っております。本当は辛い筈です。お話をお聴きしたいと思っております。
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大震災発生から 4

 地震が発生してから今日で丸一週間が過ぎています。
 救援のこと、被災地の様子、原発のこと、政府の対応のこと、実に多くのことがTVを通じて見えており、毎日が長く感じられておりましたのに、何時の間にか時間が経って仕舞っております。
 13日には妹が私の部屋の片付けに来てくれました。私は少し慌てていたようです。以外に早く片付けることが出来ました。
 14日は長女の棟でも水が出るようになりました。買い物にも行けました。近所のショッピングセンターは節電の為に、照明を少なくしております。ですがだからと言って商品が分からない訳ではありません。
 今後はこれでもいいのではないかと思いましたね。
 新聞は何を取り上げていたのか、一面だけでもと写しました。3月の縮刷版を頼んで置こうと思っております。
 
 話は飛躍しますが私が小学生5年の時、日本に戻りました。そこで祖父の家に「関東大震災大火災」と言う赤い表紙の本があるのを見つけました。内容は震災の写真(モノクロ)が殆んど全部でした。それは怖くて子ども心に震災の恐ろしさを感じたものです。
 床の間にはその震災で倒れた野島崎灯台のレンズの塊が飾ってありました。ガラスの塊は太陽に向けるとプリズムのように光を放ちます。
 関東大震災は1923年9月1日午前11時58分に起きました。子どもの頃この11時58分と言う時間を頭に叩き込まれて、食事は食べる時に食べなければいけないと言われました。当時人々の生活は電気中心ではなく、薪や炭火が中心でした。丁度昼時の地震ですからたちまち火災が発生し、荷物を積んだ大八車等で逃げる人が道に溢れ、本所被服廠に逃げた方は荷物に次々に火が移り、焼死者は44030名にもなりました。
 そこで子どもの頃のしつけの中で、地震の時には物を持って逃げてはいけない。食事はきちんと時間に食べて置くと。父母から良く言われました。私はそのことを改めて思い出しました。娘たちにこのような話はしたことがなかったことに気がつきました。
 我が家の危機管理ですね。

 何時の間にか時が過ぎて行きます。原発の問題はこれから日本はどうするのかを突き付けられているのだと思います。毎日TVは地震関係と原発問題を放映しております。時々地震が発生します。余震とまた別の長野や静岡と言った地域でも起きています。

          3月13日朝刊  3月13日朝食

               原発事情を説明する枝野官房長官

          3月14日朝刊  朝食3月14日

          3月16日朝刊」  3月17日朝刊

      3月17日夕刊  朝食3月18日

                 関東大震災前の野島崎灯台

 安否のメールや電話を沢山頂きました。中国・韓国・台湾・また南米からも頂きました。サンパウロの友人は日本のNHKのTVを見続けているそうです。
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大震災発生から 3

 3月11日の夜は 本震に続く余震で眠りも浅く、それでも津波に襲われた方々と比べれば有難いことです。
 朝日新聞朝刊には見たこともないような大見出し また全面に大震災の様子が伝えられております。写真は生々しく辛いものです。

          12日朝日朝刊1面

 TVは昨日倒れて壊れましたが、直ぐに起したので不完全ながら見ることが出来ます。津波の様子と地震に依る各地の被害が一日中放映されております。
 報道陣のご苦労も大変ですね。放映最中にも地震発生のテロップが流れ、また緊急地震速報も即流れます。この緊急地震速報は今回各国が高い評価をしておりますね。情報が出ますと、直ぐに揺れがきます。本当に凄いなーと実感します。
 
 11日の夜我が家の断水は復旧して、炊事、洗濯は出来るようになりましたが、別棟の長女宅は12日の夜遅くに出るようになりました。
 実家に泊まった長女の夫はこの日も出勤し、何とか夕方には自宅に戻ることが出来ました。
 長女の家族の洗濯物は二女宅で済ませることが出来ました。
 エレベーターは午前中は未だ動きません。長女と二女、孫たちと買い物に出掛けましたが、何回か階段を歩き昇降をした所為か、腿から下肢の脇の筋が痛み、やっと歩くあり様。買い物を済ませ、タクシーに来て貰おうと思い長女に言いますと、家に戻り車を取って来ました。これは助かりました。
 夕方エレベーターが動き始めましたので、私は洗髪を兼ねて美容院に行き、カットをして貰いました。計画停電の話をしますと、何だか驚いております。どうもこの店のオーナーは店員に丸投げをしている感じで、指示がないようです。
 
 昼は娘たちと一緒に食べることが出来ました。長女の所はまだ水が出ません。
 夕食は娘たち家族全員と食べることが出来ました。大きなテーブルは昔私がロングのチャイナドレスの裁断の為に求めた物です。8名座れますので、夕食の際はテーブルの周囲一杯に座ることになりました。
 翌日は食事中に余震が起き、上から物が落ちて怪我でもすると大変ですので、棚の品物を殆んど片付けました。

 このマンション全体の敷地の中に20棟がありますが、12日には未だ断水が続いている棟があります。
 全戸給湯暖房のマンションですので、老人には安全です。ですが給湯はまだ配湯されておりません。
 長女の所は12日の給水に続き13日の夜にはお湯も出始めました。
 
 14日の昼 下のスーパーに買い物に行きますと、入店制限をしております。電車が動かない所為か、定年を迎えた人が多いのか、男性も目立ちます。入口と出口が別になっております。

          制限入店

 生活防衛ですが、この様子は年末の買い物状態に似ております。夫の食べるヨーグルトは入荷がなく、また豆腐も同じ理由で、ケースは空っぽです。

 12日のNHK文化センターの中国語講座はお休みにすると電話がありました。王老師は金曜日はどう帰宅されたか気になっております。
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大震災発生から 2

 最初の地震が収まり、夫が生協の品物を受け取りに一階に降りて行きましたが、その時長女の娘(高2)が此方へ走って来たのです。
 駆けて来た孫は地震の直前、学校から帰宅し、昼食を摂っておりました。そこに地震です。家具などが次々と倒れ、テーブルの下に入り、揺れが収まったので、カギを閉めて来たのです。
 恐ろしい経験となって仕舞いました。二女と会うと抱き合い、少し落ち着いたようです。
 
 二女は娘(小2)を迎えに行くため、外から戻って来たところでした。車のトランクの扉を開ける時に揺れが始まったそうです。おかしいなーと思ったら、直ぐ地震だと分かったようです。
 二女の娘は学校で揺れが始まると先生の指示で机の下に入ったそうです。防災頭布を被り帰宅して来ました。
 二女の夫は車の運転をしていましたら、ハンドルさばきが出来なくなり、急いで路肩に車を止めたそうですが、車でも大きな揺れが分かったそうです。道路は混んでいて大変だったようです。二女の家の家具は見事に倒れて仕舞い、大変なことになっていたようです。
 
 長女の夫の歩いたのは自分が育った土地で勝手知ったる道でしたので、良かったです。
 
 11日は深夜まで電話も携帯のメールも通じませんでした。
 今回のような大きな地震は想定出来なかったと専門家が話しておりますね。災害地の様子から目が離せません。TVに張り付いておりました。

 最初の揺れが収まって、夫が出て行きましたら、すれ違いのように何時もPCを見て下さる青年が駆けつけて来て下さり、玄関に散らかった陶器のかけらを始末して下さいました。南米から持ち帰った鳥の置き物でした。
 夕食は断水のこともあり、我が家に集まり済ませました。二女は我が家と同じフロアーですから、戻りましたが、長女と孫は残って泊まることにしました。孫が揺れが怖いと言い親と暫らく車に行っておりましたが、余りの寒さに朝方早く戻って来ました。この高2の孫の修学旅行は土曜日から沖縄に行くことになっておりましたが、中止の連絡が来ました。荷物は二日前に沖縄に向かっているようです。本人も辛そうです。我慢して文句も言わずにおります。

 TVはずーと地震と津波情報を流し続けております。あのスマトラ沖地震を遥かに超える広さに及んでいるようです。この地震はM9と訂正されましたが、日本の観測史上最大の地震だそうですね。

 地震直後から交通網が働かなくなり、都心からを初め首都圏全体で通勤難民と言う言葉通り、多くの人が帰宅出来なかったり、何時間も徒歩で帰宅を余儀なくされたと知りました。何度も言いますが大きな災害です。
 津波は世界でも津波で通じると聞きましたが、日本は有史以来津波に襲われているのですね。辛い歴史を繰り返しております。

           新宿駅前3月11日午後
           (写真は朝日新聞から転載)

  地震直後の新宿駅前の広場には人が溢れております。妹の長男は新橋から松戸まで歩き帰宅したそうです。
 友人の知り合いのお嬢さんは銀座から品川までハイヒールで歩き、今後は会社にスニーカーを置いて置くと話しているそうです。
 千葉市から習いに来ている旗袍の生徒は神田の会社で一泊 別の生徒も避難所で泊まり、通勤難民を経験したとメールがありました。
 明治大学では教職員と学生で1000名も宿泊したと聞きました。 また明大明高では迎えのない生徒と教職員が校内に宿泊 元同僚の方は土曜日の午後3時に帰宅したそうです。息子さん一人がマンションで地震に遭っているのですが、電話が通じず心配したそうです。
 エレベーターは軒並み止まってしまいましたね。青山の友人は帰宅したらエレベータが止まっており、8階までやっと上がって行ったと電話がありました。
 
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大震災発生から 1

 2011年3月11日 午後2時46分 東北関東大地震が起きました。
 物凄い軋みと揺れで始まり、それが更に酷く揺れて来ました。その大きな地震は震源地近くで甚大な災害となりました。ここ我孫子での揺れは震度5強と発表されました。
 ニュースは地震から間もなく東北から関東までの津波の襲来を伝えております。多くの犠牲者が出ております。
 只管多くの方が無事でと願うばかりです。この地震は娘たち家族にも忘れ得ぬこととなるでしょう。
 
 ブログ本に載せて置けば将来この地震の時 家族が如何したかを確認できることと思って、順に家族の様子を記して置こうと思いました。

 地震発生の時 夫と二人でテーブルの前に座りTVを見ておりました。突如始まった大きな揺れに唯テーブルに手をつき前を見つめておりました。TVは直ぐに大きな地震発生を伝えております。
 揺れ初めてから30秒ほどでしょうかTVが前倒しに落ちました。姿見も倒れて来ます。音はギシギシと耳に響きます。
 最初の揺れが収まると、夫は何時ものように生協の品物を受け取りに外に出て行きました。
 夫はエレベーターに乗ろうとしましたが、止まっていたそうで、階段を降りて品物を受け取って来ました。
 心臓の悪い夫はやっとの思いで階段を上り戻りました。ご近所の方が、重い物を持って下さり助かったと感謝しております。
 居間の様子は額が倒れたりしましたが、特に大きな被害はありません。それが最近整理をした私の仕事部屋は入口から見ますと物が散らかっております。

           地震後の仕事場

 マンションでは直ぐに断水となり、同じフロアーに住む二女家族と別棟に住む長女家族は夕食を一緒に摂りました。断水ですので食器は各自の取り皿は紙皿一枚づつとし、箸は割り箸にしました。
 トイレットペーパーは使った後は汚物入れに捨てることにしました。中国では水が少ないのでそれが当たり前ですが、今回は断水で便器が詰まって仕舞わないようにと言う別の意味です。
 長女の夫は勤め場所が銀座ですが、帰宅できず地下鉄浅草駅から実家の向島へ行き、一泊しました。
 私の妹達や弟夫婦など皆の無事が分かったのは深夜になり、その頃水も出るようになりました。
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明治も青島も大好きです

 明大への愛校心に燃えておりますが、青島への気持ちはこれまた歳を重ねていても変わりません。
 近々青島に行く人がおりますので、手元の資料を託し、青島日本人会の資料室に送りたいと思っております。
 羊会の為に中村八大さんがピアノを弾き、テープにしたのは30年ほど前のことです。
 ダビングをして見ようと聞きますと、流石劣化しております。それでも一階の電気屋に行きまして、ダビングをしました。羊会のオリジナルと言いますか、私たちだけが持っていますので、勿論市販してはおりません。
 手作りのテープです。

             歌え青島テープカバー

 青島関係の方を対象に長年 会報「青島」を発行されていました、福岡在住の川村正さんが作られた「青島賛歌」と言う小さな歌集があります。これには昔青島日本人社会で歌われていた歌詞が集められております。驚かされますのは、青島中学の物です。大人です。

             青島賛歌

    青島賛歌目次2青島賛歌目次1

 既に資料室にとコピーして送ってあります物があります。これは昭和15年(1930年)に発行された物の復刻版です。何かの手違いで未だ資料室に収められていなければ閑を見てコピーしようと思っております。

              青島復刻版表紙

 この青島の内容は当時の青島を様々な角度で紹介しており、参考になりますので、そっくり差し上げる訳には行きません。復刻版は500部限定の物です。

 テープをお持ちでない羊会の方へ お入用でしたら私までご連絡ください。実費でお送りします。
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愛校心に燃えています

 一昨日 明大応援仲間の先生から電話を頂きました。
 「志願者数のことご存じとは思いますが、今日早稲田を抜きまして 明治113864名 早稲田113653人です。早稲田は決定ですから、211名明治が多くなっています。明日は100名前後増えそうですから、もう間違いなくトップです」とこういう内容です。
 昨夜NHKの授業から戻りますと、私の食べる夕飯の傍に夕刊が置かれています。
 勿論夫が置いて呉れていたのです。昨日のことを聞いておりますからね。

           2011年志願者数

 読みますと人数は昨日のと同じです。明治の広報課は素直に喜んでします。私も嬉しく思いますよ。

 顧みますと、1957、8年頃 受験生は3万人程度でした。入試受付が始まりますと毎朝前日の受付数が事務所に配布されます。2万人台を突破した時は喜んだものです。
 その日その日の受験が済み、科目終了後は答案の整理を和とじにします。用紙に穴が開けられていなく、錐で穴を開けて綴じます。その後穴が開けられてくるようになり、綴じも楽になりました。
 その後暫らく経ちますと、答案の回答瀾の数字や、回答位置を記すような方式になりました。
 2万人から3万人時代は面接もあり、学部の先生方が総出で面接をしました。私たち女性職員は受験生を面接室に案内するのです。
 この新聞に依りますと、女子学生の志願者が増え、明治の場合昨年には31.6%になっているそうです。
 元々男性向きのように思われていましたから、様変わりです。偶に駿河台に行きますと女子学生が目立ちます。
 私の入学した1949年頃は女子学生でも所謂女の子らしい学生は滅多にいなく、綺麗な女子はそれはそれは目につき、教員室でも話題になっていたようです。1%にも足りない女子ですから、金魚のフンのように男子学生が付いて歩く様な有様でした。私のクラスは全学部の中で一番女子の多いクラスでしたが、それでも6名しかおりません。
 
         1949年クラスメ―ト

 見ますと我ながらオシャレと縁遠い姿です。他のクラスには酒豪の女子もおりましたよ。
 
 校舎はすっかり変わり、駿河台も勿論、和泉も生田も立派な建物になっております。ロゴもありますが、私の周りには校章が懐かしいと言う方も多いのです。

       記念館とリバティータワー 校章


   来年も良いニュースを聞きたいものです。
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棒餃子にびっくり

 2日の千葉行きには、昨年の暮の転倒からまだ完全に治っていないという私。
 道中転び、放送に支障をきたすといけないと妹二人が付き添って呉れました。
 放送局と言うのはスタッフが想像以上に多いことを知りました。そして皆さんがとても親切です。
 二人に椅子を勧めて下さり、ガラス越しに私を眺めていたそうです。
 二人はスタジオの様子を見学出来たと喜んでいました。
 終了後JR千葉駅傍のビルの中の東天紅で食事を摂りました。ビルの窓から眺めますと千葉の街が大きく広がって灯りが煌めいております。ところが方向が分かりません。灯りを見ますと昼の姿も見たくなりますね。機会があったら千葉の街を上から眺めて観たいものです。
 食事ですが、私は腕が大きく伸ばせませんので全て取り分けて貰いました。
 偶のことだからと料理は大体二人に選んで貰いましたが、棒餃子があり、これは私には興味のある物ですから一人2本づつと口に出しますと、二人は二皿で良いのではと、結局他の料理を考え、二皿にしました。
 もう一つ エビチリです。二種類あり東天紅エビチリと言うのを頼みました。普通とどう違うのかと興味がそそられますね。
 棒餃子が来ました。これにはビックリ 一本が普通の餃子の三個分程の長さです。食べるのに一本を三個に切り食べました。

        棒餃子

 この皮は春巻き用の皮のようです。周囲がカリカリとしておりますが、餡は柔らかくて味も良かったですよ。
 (因みに中国料理で餃子や肉まんなどの中身を餡兒と言います。餡の前に肉とかエビとかの主材料の名前を付けます)
 東天紅のエビチリはどんな物かと待ちました。紅色が冴えて見るからに美味しそうな一皿がテーブルの上に置かれました。

        エビチリ

 バスケット様の皮は春巻きの皮のようです。カリッと揚げられており、辛いソースと良く合います。
 このバスケットの作り方は、どうも習ったような記憶があります。よーく考え思い出しました。
 相当昔のこと 神田四川飯店で習った方法と同じではないかと思います。
 四川飯店で習った方法 先ず春雨を短く切ります。そして中華お玉に春雨を押すようにし一杯に詰めます。
 温度の余り高くない油の中へそのお玉を入れます。そしてもう一本のお玉を使い、二本のお玉で確りと挟み揚げます。
 その時に驚いたことを思い出しました。バスケットの中にはこのような上等な料理では無かったような気がします。一回が1000円程の料理教室でしたからね。
 その料理教室ですが、先ずその日に習う料理三品と他に四品ほどを食べます。
プロの味を先ず味わい、その後先生の実際を見ます。味を覚えていますから、先生の手元を眺めて手の動きや、材料のプロの扱いを覚えます。
 とても為になる教室でした。今は店舗も無くなっているようです。
 
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確定申告

 商売と言う程のことではありませんが、人さまの物を作ったり製品を買って頂くと言う立場で青色申告をしております。
 チターの会や放送などがあり、何となく帳簿の整理を本気でしないままで日が過ぎて仕舞いました。
 確定申告はこの一週間の間でしませんといけません。
 昨日は一日中伝票の整理と、仕分けを間違わないように集計 (これだけで大したことないとお分かりでしょ。だって私が出来る量ですからね)
 今週は今日しか出掛ける日がありません。朝8時頃から雪が降り出しました。春の雪はフワフワと降りて来ます。風も吹いたのでしょうか、雪が北から舞って来ました。
 それでも降る様子が徐々に収まって来ているように見え始めました。
 朝食を済ませ、郵便局に手紙を出すため廊下に出ますと、中央公園は綺麗な姿になっております。夜更けではありませんから深々という感じではありません。矢張り朝です。

             朝の雪

 良い風景です。我孫子では滅多に雪が降りません。空気が濾過されるような気がします。
 郵便局は一階にあります。道を挟み消防署 市役所の支所は郵便局の隣 何かと便利です。
 顔見知りの男性が眼の前を通って行きます。この方はいつの間にか犬を連れて散歩しているようになりましたが、今日は一人です。気を付けながら私の前を通り過ぎて行きました。

      雪の道 除雪

 階段を除雪をされているのは業者の方です。先に郵便局の横のスロープの雪を除いておりましたのが、もうこの階段の除雪をしております。
 高齢者の多いこのマンション こうして除雪をして頂くと本当に有難いです。清掃が仕事だから当たり前と思われるかも知れませんが安心します。

 確定申告には昼食後に出掛けました。雪も上がりましたが、道は未だ用心が要ります。柏税務署は空いていました。今日は朝から雪が降ったので、出足が少なかったのかも知れません。昨年も冷たい雨でした。
 申告は直ぐに終わりました。税務署の方が親切ですね。
 それにしましてもどうなんでしょうか。
 前原外務大臣の辞職です。いろいろな方が、意見や考え方を言っております。分かり難いですね。政治とはかくも分からないことだらけなんですかね。
 ニュースを見ていますと、国民はカヤの外ですね。選挙権は使うのが良いのか。使わない方が良いのか。
 
              朝食3月7日

      今日は税務署に行っただけに余計に考えてしまいますね。
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傘寿の記録

 間もなく80歳になろうとしております。先日の放送は良い記念になりました。
 明治大学校友会我孫子地域支部のHPを見ましたら、77歳の時に寄稿した文章がありました。これはブログ本に残して置きたいと転記しました。以下はその時の文です。

 1931年生まれの私は、5月1日に傘寿を迎えます。
 高齢になった自分の姿に驚き、今や後期高齢者と言われる処に来ております。
 1948年から1990年までという長い時間を明治大学で過ごしました。人生30年とは、20歳から50歳までの働くことの出来る間を意味するそうで、私の人生はまさに明大と共にあったといえましょう。

 1975年から始めた中国服の制作は趣味の世界でしたが、定年後NHK文化センターで人に教えるという想定外のことが始まりました。
 数年前ある新聞に、中国服についての連載を引き受けました。連載が終わるとそれを残したいという気分が高まり、HPを立ちあげようと思いたちました。
 丁度支部の方のPC講座が開講されたので、PCの初歩から習いに行き、「美麗的旗袍」というHPを作ることが出来ました。その後旗袍(チャイナドレス)教室の様子や生徒の作品などの記録。明治大学や駿河台を巡る話題。少女期を過ごした中国のこと。そう言ったことを伝えたく、HPより簡単なブログを立ち上げました。

 昨年は中国服の資料専門のブログも作りました。これらHPやブログは、サポートして下さる明治の後輩があってこそのこと。有難いことです。
 HPやブログを書くには、資料、データを用意し、整合性も大事です。
 今はテキストを製作するために文章と図形を組み合わせる作業に取り組んでいます。多くの知人、友人との情報交換や連絡も簡単、海外の友人とも即連絡がとれます。

 高齢者になると、病院通いも仕事の一つになりますが、PCで予約が取れます。
 最近始ったPCを利用するエスパの買物サービスは、足腰が不自由になり買物が出来なくなった時便利です。
 PCの所に這ってでも行って注文し、出来るだけ自力で生活を保ちたいと願っております

 まーこんなことを書いております。その後生徒の協力でDVDも作りましたが、旗袍は職人の世界だったから文章に依る資料が残されていないのだと改めて強く感じております。
 このDVDとテキストだけでは未だ未だという感じを持っております。

             旗袍DVD

 NHK文化センターを通じ九州など遠くから通信教育方式で習いたいと伝えて下さる方もおりますが、これはとてもご要望には応えられません。このDVDも図形と文章だけですので、実際の手元の動きがありません。
 改善の方法を模索していると言うのが今の私ですが、助っ人なしでは出来ませんので、どう進むか自信がありません。
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近藤志げるさん

 去る2月27日(日曜日)我孫子北地区社会福祉協議会主催の「第14回健康と福祉のつどい」が開催されました。
 会場は市民プラザのロビーとホール ロビーにはパネル展示がされていました。我孫子市で活動を続けているボランティアグループ また施設や作業所等の紹介や活動の様子が見られたようです。私は時間の都合で見ることが出来ませんでした。
 ホールでの記念行事は多角的に行われ、医師の話や中学生の吹奏楽、バルーンアートの制作 皆で歌う時間等とこれも盛り沢山 最後は近藤志げるさんのアコーディオン漫談と春風亭ちょろくさんの落語 
 近藤さんとお会いするのは二度目です。実行委員長から連絡があり、出演時間まで話し相手をして欲しいと依頼されました。委員長は目が廻るようにかけずり回っております。
 実行委員の方々は大変ですね。全て自分たちで会場の設営から、展示と片付け
 健康でなければ何事も出来ませんね。
 前座のちょうろくさんは若手の落語家ですが、近藤さんの前座を務めることが多いそうです。

  近藤さんはアコーディオンで懐かしい数々の歌を披露 曲の合間のお話が実に心のこもった優し内容です。
  野口雨情の逸話は何となく胸を締め付けられ印象深く心に残りました。笑う中にも人情の有難さ、辛さと悲しみ等も流れ、沁みとおるようなお話でした。
 ちょうろくさんは出囃子のテープも用意してお越しになりました。噺の題は決められておりませんでしたが、なかなか上手に皆さんを笑わせて下さいました。
 
       近藤志げるさん  春風亭朝呂久さん

 近藤さんと楽屋ならぬ控室でお弁当を一緒に頂き、雑談と言うには惜しいお話をたっぷりお聴き出来ました。お繋ぎしただけですのに役得のようなことになりました。
 ワンコイン寄席でお世話になる伊藤琴遊さんにお礼の言葉を伝えましたら、近藤さんはお客さまが良かったので楽しく出来たとお礼の電話を下さったそうです。
 笑う門から病は逃げる 笑いの一時を皆さんと一緒に過ごして来ました。

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旗袍あれこれ

 3月2日 NHK千葉放送で旗袍のことを話しました。「蒼穹の昴」の日本語版が9月から毎週日曜日に放映されており、そのドラマの中で着られている衣服についての私の感想や、一般にチャイナドレスと言われている物が中国の旗袍(チーパオ)と言うものだと、そんな説明から旗袍の発祥が清朝と言うことで、話題は蒼穹の昴へと進みました。
 放送は千葉県内では聴くことはできますが、他県では聴くことが出来ません。生徒は都下、以前は遠く長野県から通って来た方もあり、そういう方の耳には届くことが出来なく残念でしたが、録音のCDを頂きましたので、送って上げたいと思っております。
 このドラマの中国語版は昨年既に放映されておりました。日本語版は今週の日曜夜に第23回を見ることが出来ます。
 蒼穹の昴は清朝末期の政情と西太后を軸にしたドラマと言えましょう。小説は前に読んでいましたが、細かいことは忘れております。ですが粗筋として流れは同じだと思います。
 ドラマの主な舞台は北京と紫禁城 物語は紫禁城の中で繰り広げられる人間模様と政争 宦官と状元の義兄弟 政治家の暗闘など見応えがあります。
 私は西太后を初め宮廷内での豪華な衣服は中国、そして紫禁城でこそ似合うと言うことを認識しました。普通ではありません。頭髪の上の飾り物など、首を動かすにゆったりとすると言う所作が優雅に見えたと、そんな話は現代には全く通じない話ですね。

 話しました内容を詳しくは書けませんので、それに関連した画像を掲載して見ます。

       故宮入口  故宮平面図

        故宮垂廉聴政の間   旗袍の西太后

       ミセス・チャンの旗袍  ミセス・チャンの旗袍

       春兒の衣服  春兒の衣服

       清朝時代の兵士の姿(瀋陽の八旗亭)  清朝末期の旗袍(上海映画村資料館)

 紫禁城は現在の故宮博物院として公開されておりますが、重要な物は見ることは出来ないと思います。平面図と垂廉聴政の間は故宮博物院展図録に掲載されたものです。
 マダム・チャンの着る旗袍は放送の中で、旗袍の参考になる物として取り上げた物です。
 武士の姿と後ろの旗は清朝八旗に関連する物です。一昨年瀋陽故宮(清朝時代の離宮)に行きました時に写して来ました。 清朝末期の旗袍を着たマネキンはチャン・イ―モが作った上海郊外の映画村の資料館に陳列されています。
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再び万華鏡を

 我孫子 世界の人形館のオーナー 高さんから「新しい万華鏡が来ていますよ。何時でもお越しください」とメールを頂いておりました。
 「2月27日以降でしたら何時でもどうぞ」とありましたが、昨日の千葉放送での出演がありましたので、何となく日が過ぎてしまいました。
 今日は自宅での稽古日でしたが、生徒が休むと言うことで拝見したいと伺いました。
 玄関から直ぐの部屋に通されましたが、先客がいられたようで、最初の訪問の時に座りましたソファーに腰を下ろし、世界のコインや紙幣のコレクションを手に取り眺めておりました。
 北朝鮮やイスラム圏などを初め普通では見られないようなコインや紙幣を目にしカメラに収めたかったのですが、ご主人のいないのに失礼だと、我慢しておりました。
 暫らくしまして高さんが「どうぞ」と居間へと仰り、私はお客さまがお帰りになられていませんので「よろしいんですか」と居間に行きました。 
 そこに先客の星野順一郎我孫子市長ご夫妻がお見えになっていたのです。高さんが紹介して下さいました。
 確か2年程前の夏?私の住む地区の夏祭りの際お見えになり挨拶をされたのを思い出しました。市長も覚えていられましたが、あの日は夕方から物凄い夕立で、抽選会も出来るかどうか危ぶまれたものでした。
 祭りの櫓の上の市長は今日の姿よりは細かったような気がしました。
 以外にがっしりとしております。市長の行動は分刻みの様な生活らしく、高さんに伺いましたら、今日も時間が一時間ということで、きっちり一時間でお帰りになられました。
 高さんは必ず訪問者の方と一緒に写真を撮られるようです。私たちも先日撮って頂きました。今日は私は横からさりげなく写して来ました。

            我孫子市長と高さん

 市長夫妻がお帰りになりましたので、私は早速万華鏡を手に取り、シャッターを切りました。デジカメを2台持ち出掛けましたので、両方を使い写して見ました。
 実に綺麗です。万華鏡の覗くガラスの形ですが、正三角形の物と、三角ケーキのような形の物とがありました。
 
      万華鏡1  小さな万華鏡

      万華鏡2  万華鏡3

      
      万華鏡4  万華鏡5

 高さん宅の居間は珍しい物に溢れております。居間を写して見ますと、またまたいろいろな物が目につきます。 今日は高さんが世界を回り写して来た、大量の写真のアルバムや資料が整理されている書斎も見せて頂きました。宝物の部屋に入った気分です。

               高さん宅居間

 高さんと中国の紙幣のことでは、いろいろと話が合いました。人のコレクションでこんなに楽しませて頂くことが出来るなんて、本当に嬉しく有難いことです。
 今日は奥さま手作りのケーキをご馳走になり、夫の分まで頂き帰宅しました。
 「また何時でもどうぞ」の言葉に甘えて時々お邪魔させて頂きたいと思っております。高さんは中国語が堪能ですから、再見と言いたいですね。謝謝!
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縁は廻る

 今朝 何事も起きなく目が覚めました。
 午後6時からNHK千葉放送でロングインタービューを受けることになっていました。
 10年ほど前から一年に数回起きる「良性頭位変換性眩暈」が心配でした。
 眩暈が起きる時間は殆んど朝方です。昨夜は寝ずにいようかなんて子ども並みのことを考えて横になっておりましたが、いつの間にか寝ておりました。
 薬は頂いてはおりますが、めまいが起きますと数時間は体がふらつきます。と言ったことでホットしております。
 この放送のことで生徒や千葉県に住む友人、知人にお知らせしました。そして一昨日電話を頂きました。
 その方は伊達宗義氏夫人からのものです。「放送のことを関口知代さんにお知らせしましょうか」という言葉に思いも掛けないことが分かりました。
 
 旗袍→青島→北京→明治大学 という名に繋がるご縁に改めて驚き、長き人生に感謝をしております。

 関口知代さんは私の学んだ青島第一小学校の1年下の方 その知代さんが北京の小学校に転校しそこで知り合ったのが1年上の伊達夫人です。そして伊達夫人の北京の女学校の友人の一人 その方が青島の我が家に毎日遊びに来ていた父の大好きな女の子でした。
 伊達夫人のもう一人の仲好しが青島第二小学校から北京に転校した方です。その方は青島羊会の仲間でもあります。
 関口知代さんのご主人関口功先生は明治大学で私との交流が長く、昨日は知代さんと電話で話し この縁に繋がっていた話にお互いが驚きました。
 伊達宗義氏は伊達順之助さん のご長男 第二次大戦中の末期 青島の斎東路に住まわれた方です。
 私はその斎東路に僅かな時期ですが住んでおりました。伊達さんは26号 私は11号です。

          青島桟橋

 青島の海は青島に住んだ方にとって思い出深く、心の中に刻みこまれております。
 桟橋の右海岸が知代さんと一緒に泳ぎ、一緒に並んだ場所です。

 今日は天気も回復し、暖かくなりました。無事に放送日を迎えることが出来て、安心しております。
 放送は午後6時から7時までの「まるごと千葉60分」です。
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何故何故?

 2月が終わりました。光陰矢のごとしと言う言葉を実感しております。日々世界はめまぐるしく動いており、私たちを取り巻く様々な事柄に心が振り回されております。
 だからと言ってもどうなるものではありませんが、生活防衛の問題として捉えますと全く無関心ではいられません。
 アフリカや中近東の政情不安 国内の政治状況は迷走状態に見え ニュースで流れるニュージーランドの地震の様子 気候変動らしく伝わる世界の気象 イスラム圏からの影響に警戒を深めている中国 北朝鮮の問題 日本の領土問題と それはそれは次々に現れる大きな問題 
 菅総理の自信なさげな顔が気になります。

 嬉しいと言いますか国民が喜ぶニュースもありますね。グラミー賞受賞者のことや埼玉県職員の東京マラソンの成績とか。
 良いニュースが沢山欲しいですね。

      朝食2月23日  朝食2月24日

      朝食2月25日  朝食2月26日

      朝食2月27日  朝食2月28日

      我が家の朝食の主役 トマトは健全です。
 予算案が深夜衆議院で通過したそうですが、採決の内容を聞きますと実に穏やかならぬことです。
 欠席した民主党議員の言葉を聞いてみたいです。与党議員でありながら欠席とは何ですかね。
 国会議員の顔は自分にしか向けられていないのでしょうか。それも大儀と言うのでしょうか。
 国民全員はと言い切れませんが周囲の方々の意見はどちらもどちらと言う言葉が多いのですね。

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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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