2011-04

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74歳の心意気

 我孫子にあるプライベートミュージアム世界の人形館のオーナーの高さんは74歳になったばかりです。
 初めてお目に掛かりましたのは2月3日 以来時々訪問させて頂いております。
 3月11日に発生した東日本大震災ではコレクションは倒れ、飛び散りその様子に驚かされました。
 高さんはすぐにコレクションの再展示に向け、頑張り見事に回復しております。ですがそれほど簡単な話ではない筈です。
 高さんの言葉に依りますと、体裁は整っているそうですが、未だ未だ修復しなければならないそうです。
 先日しだれ八重桜をご覧になりませんかと言うお誘いを頂き、見に行きました。10階のマンションは部屋の三方はベランダに囲まれております。手賀沼こそ見られませんが北の方には筑波も見ることが出来ます。
 この日高さんから孫の通う小学校に地球儀を贈って下さったとお聞きしておりました。
 ところが昨日(4月28日)高さんは我孫子市長を訪問し、我孫子市の小中学校全校に地球儀を贈呈されたのです。有難い話です。市の方々も驚かれたのではないのでしょうか。高さん74歳です。拍手を沢山送りたいです。

 高さんのブログでも紹介されておりますが、確かに高さん宅の地球儀は見応えがあります。2月に拝見しました地球儀。一つ一つ珍しいものでした。

            地球儀

 私は人形の他また万華鏡にも興味があります。細ーい穴から眺める鮮やかな煌めき、角度や手の僅かな動かし方で変わる複雑な形の重なり、何回でも見せて頂きたいものです。

            震災後の万華鏡

 高さんの人形館には2000体以上の人形が展示されていますが、震災で倒れた人形の全部が完全に元の姿に戻っていないそうです。修復するためには想像するだに気の遠くなるような作業だと分かります。その細かい人形の一部は集められ、まだテーブルの上に置かれております。1㎝角程度の物から更に小さな物まであります。
 高さんはこれから長い時間(そうでしょうね)を掛けても元に戻すお心算だそうです。その小さな小さな物は余りに可愛く、私は魅了させられました。

           可愛いかけら

 高さんはこれからもこの人形館を守り、皆さんにご自分の知る世界の紹介して下さることでしょう。
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電卓が変身

 先だって来 我が家の大きめの電卓が見えなくなり、家の中のあちこちを探しまわっておりました。忘れることが多いので、またこれも仕舞った場所を忘れているのではないかと。直ぐにそこへと繋がります。それほど自信がなくなっていると言う証拠です。
 二女の娘(小3)は夕食後 よく我が家にやって来ます。最近は買い物ごっこをするので来ます。
 私はお客です。
 孫 「いらっしゃいませ。何かお探しですか」とか「今これがお得ですよ」
  などと丁寧に言います。
 私 「ではこれと?えーとこれ。それにこれ」
 孫 「全部で480円になります」
 私 「ではこれで」と1000円札を出します
 孫 「お釣り520円をおかえしします」と
 
 なかなか正確です。支払いは必ず金額より高額のお札でないと駄目なのです。
 仕掛けをご覧になって下さい。

          自作レジ

 探していた電卓はスーパーのレジになっています。右の緑のフックはお札を清算が済むまで挟むようになっております。別に以前買いましたおもちゃの読み取り機があるのです。
 それに品物を当てて「~1点○○円、~2点○○円、~は今お安くなっています。○○円です。合計で480円になります」 とこうなります。
 算数は好きなようです。電卓も正確に使います。小3ですから当たり前でしょうがね。この子の面白いのは遊びも独特なのです。
 品物は私宅の食品庫から、抱えられるだけ持ちだして来て並べます。全部保存食ですから持ちだして腐ることではありませんが、後でまた食品庫に戻すのが大変です。夫はしょっちゅうお役をさせられております。
 最近は次回に買い物をするための割引券を持たされております。私は孫に呼ばれて二女宅に行く時にはその割引券を持って行きます。子ども銀行の紙幣も持たされております。
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晴れ 後曇り 後竜巻 後晴れ

 昨朝 早々と起きチョッと用足しに出掛けました。用を済ませ戻って来ますと公園には柔らかな日差しが差し、このマンションのトムソーヤクラブの方々の心づくしの鯉のぼりが見えます。
 本当に穏やかな朝です。年々鯉の数が増えております。私のカメラ腕は風に吹かれて踊る鯉を写すには難しいことです。躍動感などを期待できません。

         鯉のぼり

 この朝の穏やかな風景が来年も再来年も、何時までも何時までも見られることを願い通り過ぎました。このところ毎日地震のこと、原発のことが頭から離れません。このような何気ない、今までは左程の感慨も受けずに見過ごしていた自分が不思議な気がします。

 昼食後夫とゆっくり世間話で寛いでおりました。空の様子が段々おかしくなって来ております。曇りと言うには空一面の色がおかしいのです。ねっとりと重みのある雲が広がって来ました。
 ベランダの外に見える雲は普通には見えません。思わず母の話した関東大震災のことを思いだしました。
 関東大震災は大正12年9月1日に東京を中心に大きな災害を齎しました。
 母は多分12,3歳位ではなかったかと思います。住んでいたのは房総半島南端の白浜と言う町です。
 震災の数日後 はるか遠く水平線に簾のように何本も竜巻が降りて来たのだそうです。子どもたちはそれを見て、地球の終わりかと皆で泣き叫んだそうです。そのことを夫に話しながら、私は雲が気になり、心と頭は二分されております。
 その頃私たちが知らなかった竜巻が降りていたのです。それも極近くの柏や鎌ヶ谷と言った街です。
 雲はいつの間にか消えて夕方には素晴らしい青空が広がり、あの重苦しい曇り空が嘘だったとような感じです。
 
 竜巻だったのか突風だったのか分かりませんが、今朝のニュース番組でも取り上げられ、新聞の千葉版にも大きく掲載されております。

     竜巻記事  竜巻

 あの雲の様子は間違いなく竜巻が近くで起きている雲だと思っております。
 
 水平線に降りる竜巻を何度も見ております。とろっとした重ーい感じの雲です。そのような雲が沖に見えますと竜巻がおります。一本の柱のような竜巻は海と空を繋いでおります。暫らくしますとその柱がちぎれて下へと落ちるのです。凄みもあり怖さも感じます。あの柱は見た人でないと分からないでしょう。
 
 昨日の雲を見まして陸でも同じような雲だと分かりました。このような感じの重ーい雲に出会ったら、大きな建物か地下に入るようにしようと思っております。

 あの関東大震災後の竜巻の話は他で聞いたこともありませんし、読んだこともありません。当時このような地方で起きたことは記録に残っていないのかも知れませんね。 
 
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心配されました

 月曜日以降のアップがないので、お友達から心配の電話がありました。
 特にこの節は地震やら原発やらのこともあり、此処は千葉県北西部ですので、時々揺れますし、心配されて下さることも良く分かります。
 
 高齢になりますと失敗は毎日です。老いの三点セットはとっくに持っています。
 老眼鏡、入れ歯、補聴器と それも時々持たずに出掛けたり、また使うことを忘れたりします。杖はまだ持っていませんが、そろそろあっても良いかなーと思ったりします。
 先日は杖ではありませんが、傘を持って出掛ける心算でした。靴を履き傘を持ってエレベータの前に行きました。ふと手元を見ましたら、長い靴ベラを持っています。慌てて取って返し靴ベラを置き、またエレべーターの前に立ちますと、何も持っておりません。斯様な毎日が続きます。

 ですがこの私でも外で入れ歯は忘れません。一昨日一階の店舗用のトイレに行きました。
 用を済ませて手を洗おうとしますと、鏡の前に入れ歯の忘れ物があります。おかしかったのですが、家に戻りました。
 知りたりがりや、見たがりやの私 気になっておりました。で昨日買い物の序でに覗きました。
 あるんですよ。その入れ歯が。携帯を取り出しシャッターを切りました。

            入れ歯

 良く聞きますね。駅の忘れ物のにいろいろな物があり、信じられないような物があることをね。
 入れ歯は拾っても貰ってもまた盗んでも使いようがありませんね。ひょっとしたら金を使ってあるかも知れませんが、それだって先ず人はほって置きますね。
 お掃除の方が歯が見えないように紙に包んで呉れています。今日は時間が無くて見に行けませんでしたが、明日はまた覗いて見ようかなーと。こうなります。
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明治大学校友会我孫子地域支部総会

 4月16日 13時30分 明治大学校友会我孫子地域支部 第11回総会が開催されました。
 3月11日の東関東大震災が起きたために開催が危ぶまれておりました。事前の幹事会も会場が使えず中止になっておりました。
 総会会場のけやきプラザは千葉県の施設と我孫子市の施設とが一緒のビルになっております。地震後すぐに我孫子市にある公共の施設は利用が中止されておりました。4月になり利用も出来、また飲食の許可も出ました。

 会場はけやきプラザ9階の会議室 例年の如く型どおりに総会は無事に終了しました。
 今回は来賓を含めて38名 女性は4名でした。
 支部長は体調不良の中一所懸命にお役を務めておりました。

 私は懇親会の準備の手伝いに午前10時半頃調理室に行きましたが、11時頃地震が来ました。このけやきプラザは我が家から良く見えます。建設中から太い鉄骨が見えていましたので、揺れが始まりましても不安を感じませんでした。
 校友会と言いましても若い方は本当に少ないのです。今回の出席者の最高齢者は1947年卒業の方です。驚かされますね。米寿? それが若いのですよ。秘訣を教えて頂きたいですね。
 我孫子の布佐は地震で大きな被害を受けております。布佐に住む支部の幹事をされている方が久し振りに出席されましたが、地元のことが忙しいと総会終了後すぐにお帰りになりました。
 総会後は懇親会になりました。地震が何時また起きるか分からないことから、食べ物は突然中止になった時に持ち帰られるような物になりました。 
 この数年 元東京プリンスホテルでチーフシェフをされていた佐藤秀一さんが準備して下さいます。今年は特に工夫を凝らし、バスケットにオードブルを。それと二段弁当と。好評でした。

 画像で昨日の総会、懇親会の様子を掲載致します。議長席の支部長の水野さんは座っていましたので顔が見えません。失礼いたいました。
 懇親会はどう見ても小父さんお爺さんばかりです。あっ!お婆さんが一人います。ごめんなさい。

     支部総会議長見えません  支部総会記念写真  

     支部総会来賓  支部総会懇親会  

     支部総会懇親会2  支部総会懇親会3  

     支部総会懇親会年長者  支部総会応援歌・校歌  

               支部総会弁当

 最年長者はこの上の左の写真の右の方です。懇親会の間地震は来ませんでした。会の最後は佐藤秀一さんのリードで校歌となるのですが、今回は初めに応援歌一番を歌いました。そして校歌。

 私はカメラを担当しましたので姿が見えません。そこで最後におまけの一枚を掲載致します。

               小あぜ先生と相子

 小疇先生は元文学部教授で山岳部部長をされておりました。現在は流山地域支部長です。
 この先生 実は子どもの時中国青島の第二小学校で学んだ方です。青島仲間です。
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上を向いて歩こう

 このところTVの画面に「上を向いて歩こう」の曲が流れます。
 サントリーのコマーシャルですが、最後に楽譜のオタマジャクシがぴょこぴょこ飛んで見えます。とても品が良いですね。
 今回の東関東大震災への応援歌でもあり、また多くの人々のしぼんだ気持ちを鼓舞させることでしょう。協力し歌っている方の中には有名な方もおりますが、普段あまり気を付けていない所為か、誰だか分からない方も見えます。良く見ますと舞台で歌う姿ではなく、皆さん普通の服装が良いですね。大好きな宮沢りえさんも歌っております。
 私が小学生の頃通った中国山東省の青島の小学校の仲間の中村八大さんの有名な曲です。八大さんは子どもの頃からピアノの才能を発揮し、戦後は日本の音楽界で素晴らしく輝いていた方です。
 
         八大さん17回忌

 2008年6月9日に八大さんの17回忌が池上の本門寺で執り行われました。八大さんの人徳を偲び、素晴らしい法要となりました。

 早いものです。1992年6月10日に亡くなりましたが、既に19年になろうとしております。
 優しい方でした。長女の通っていた中学に来て欲しいとお願いしましたら、気持ちよく来て下さいました。
 私は生徒に聞いて欲しいと思ってお願いしましたのですが、どういう事情か分かりませんが、音楽室に集まったのは先生方と父母だけでした。
 その時の八大さんの話はとても良い話でした。音楽教育に付いての私論でしたが、私には大変参考になりました。
 音楽の時間、楽譜通りの音域に合わないからと言ってその子を低く評価をしてはいけない。人それぞれの声の幅があるので、授業の時の音に合わせられなくても、それなりに見守って上げて欲しいと言うことでした。

 九ちゃんの素質を高く評価しておりましたのも、その一つではないでしょうか。「上を向いて歩こう」には多くの意見や永さんとのやり取りなども見ることが出来ますが、八大さんは発想が自由人そのものだったからでしょう。
 私たちの集まりには許す限り出て来ました。皆さんは彼のピアノで歌うのが好きで、天下の八大さんも会の時には伴奏者です。八とかはっちゃんとか呼ばれ、弱虫だったことを話題にされたりしていました。
 海外で日本人がいると分かると「上を向いて歩こう」が演奏されます。昔は嬉しくて楽しみましたが、八大さんが亡くなってからは、知らず知らず涙が溢れて来ます。
 世界の八大さんは今またみなさんの所にこの曲が流れていることをきっと喜んでいることでしょう。
 九ちゃんが歌っていないは残念ですね。
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やったぜ―

 二女の娘は小学校の3年生になりました。運動神経は我が家の血筋とは思えません。多分父親の方に似ているのでしょう。素早くてトンボなどは素手で捕まえます。動物への興味が強く、今飼っている物の一つはトカゲです。
 トカゲは大きなゲージで飼われており、人間にすれば豪勢なものです。このトカゲの餌はコウロギで、コウロギの餌は小松菜ですから、親はトカゲの餌と餌の餌と管理が大変です。
 この孫はTVの笑点が好きですから、表現も面白くて良く笑わせて呉れます。

 先日のこと長女と二女の頼む生協からの品物で大慌てになりました。
 二女の所に頼んでない物が届いたのです。

 3本の醤油 4本の野菜ジュース 5パックの白菜漬物 6袋のローストレバー 一体どうしてかと生協の方に問い合わせましたら「ご家族の方が書いてありますよ」という返事です。
 3本の醤油は返品が出来たそうですが、二女は後の品物は引きとらざるを得ませんでした。

        生協取り寄せ

 二女の娘がいつの間にか注文票に書きこんでいたようです。二女も品物に困り、我が家にも持って来ました。
 我が家に来た物は 白菜漬物1袋 野菜ジュース3本 ローストレバー3袋

 長女は物凄く大喜び 「えりちゃんやったね!」「何時か書いて見たいと思っていたんじゃない」「可愛いねー」と話題はこのところこのことで持ち切りです。長女は品物の数から判断 数字が1、2、3、4、5、6と続いているので、何でも構わず書きこんだのではと言っております。
 本当にこの孫は良く話題提供をしてく呉れます。流石に二女はよーく言って聞かせたようです。
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試して見ました

 年寄り夫婦での生活は手を抜こうと思えば際限なく出来そうな気がします。
 身軽に動ける時期はとっくに過ぎ、一つ一つ動作に「よいしょっ」とか「ホー」とか出て来ます。
 意識していろいろなことを考えませんと駄目ですね。
 食生活はなるべく手間を省かないようにと、気を付けております。
 食品も廉くて良い物をと注意して求めております。
 リンクしてあります富山の瀬戸さんからの情報はとても役に立ちます。
 
 最近宅配弁当のチラシが入って来ました。特に今それをどうしてもと言う訳ではありませんが、参考の為に一週間(5回)だけ頼んで見ました。
 
 頼んだ理由は幾つかあります。
 先ず料理が作れなくなって困った場合のことを考えて。
 このような宅配は人によっては役に立つかも知れません。
 人に聞かれた時のことを考え 良い物でも知らない物を勧めることは出来ません。
 この業者の宅配は一回ではなく、5回続けることになりますので傾向が分かります。

         品書き

 これは夕食に良さそうです。我が家では夕食の時にはご飯は食べません。そこで一番上の写真の物を一人分だけ頼みました。
 今週の月曜日から昨日の金曜日までの5回配達して頂きました。毎日届いたのは午前中です。ですから昼に食べることも出来ますね。食前に電子レンジで温めます。入れ物はなかなか立派です。蓋の模様も変わり、綺麗です。

     仕出しの中身  仕出しの中身2

 一人分としたのは普段良く煮物をしますし、また保存食もいろいろとあり、それらと合わせれば足りそうだと思ったからです。
 
 その結果は
 先ず一週間で終わりにしました。
 
 その理由
 5回の味は悪くはありませんし、減塩と言うだけに自然の味が分かります。ですがメリハリが無く毎回変わり映えがしません。
 この味を毎日食べると言うことには抵抗があります。
 私の印象では5回続くことより、毎週3回位でしたら、場合によっては続けられるかも知れません。
 
 追記 一つ記載すべきことをを忘れていました。
 注文は毎週水曜日までに申し込みますと、次の週から届きます。
 支払いは申し込みますと、先に集金に直接家に来ます。配達する人と同じ人です。
 これは高齢者にとって良い方法だと思いました。振り込みに行けなくても注文が出来ますし、毎日同じ人が配達して呉れますから、何か変わったことがあれば、直ぐに分かると思います。一人暮らしの方の安全確認にも役立つと思います。 
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明治大学広報から

 明治大学広報 630号が届きました。この号前までの紙面は縦組みでしたが、今回から横組みに変わっております。以前と比べカラフルな紙面になりました。
 長く読んでいました縦組みから横組みに変わると読むのにチョッと時間が掛かります。
 今回の東関東大震災の影響で3月の卒業式、4月の入学式も挙行されなく、授業も5月2日から開講されるそうです。
 今回紙面で紹介されました、旧陸軍研究所の5号棟取り壊しの記事には感慨一入のものがあります。

     生田校舎お別れ  旧陸軍研究所5号棟

 1952年のある日 4年生になっておりました私は当時の鈴木理事から呼ばれ女子寮の役員数名と一緒に生田校舎に行きました。
 この敷地に夢の様な女子寮を建設して呉れると言う話でした。その時構内に目をやりますと、粗末な木造の建物や大きな二階建ての建物が何棟も目に入りました。
 前年からこの大きな建物は学生寮として使われており、また民家風の小さな建物には戦災で家を無くした教職員やその家族が住んでおりました。敷地の中にコンクリートで固めて大きな水ためのような物があり、その後偽札を作る時に使ったものだと聞きました。
 
 農学部はこの時此処で授業が始まっていたのかも知れません。2階建の学生寮の一階はだだっ広い食堂になっておりました。
 私たち一行はそこで、農学部製のヨーグルトをご馳走になりました。
 鈴木理事の話はその後全く聞こえて来なく、やがて鈴木理事は亡くなり、最後に聞いたのは鈴木理事の大風呂敷だったという話でした。
 
 1959年9月から生田校舎の学生相談室が木造の一棟で仕事を始めました。その頃大学は未だ整備が進まず、敷地内は樹木も少なく、雨が降りますと長靴を履き歩く姿も見られました。現在の敷地の中心から西は農学部の実験か実習でのものか分かりませんが、畑として花が植えられておりました。生田祭りに呼ばれてジンギスカン料理をご馳走になったりしたこともありましたが、学生も教職員ものんびりとしたものでした。
 
 この相談室が使った建物は旧陸軍研究所時代の酒保(軍隊の中で酒やたばこなど、また日用品などを売る場所)だったと聞きました。建物は湿気が強く、常に湿った空気が漂い陰気な部屋でした。水道は引かれておりましたが、暖房は石油ストーブで温めておりました。建物の北側では牛が飼われており、家畜の匂いが部屋に入って来ており、ものは言いようで牧歌的と言って皆で笑ったものです。
 この初期の頃 時々相談室の会議や、打ち合わせで生田へ出かけ、その酷い場所で勤務する方に同情しておりました。
 1987年から私はこの部屋で仕事をすることになりました。良く見ますと建物の柱が土台から浮いている物もあります。相談員の加藤隆先生は建築科の先生でしたので、私の話を聞きますと直ぐに校舎の管理者に「事故が起きたら貴方の責任ですよ」と進言し、相談室は確りとした建物へと移動しました。

 今回取り壊しの決まった建物も板壁ですが、相談室として使われた建物も外観は殆んど同じような作りでした。
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昭和通りのことから

 今回の東日本大震災からと言うもの何かといろいろなことを整理しております。
 夫と写真も眺め、昔を語り合い、アルバムの中の誰彼を偲んでおります。姑は東京生まれでしたので、関東大震災も経験しております。と言うこととは直接関係はないと思いますが、古い昭和通りの写真がありました。
 恐らく昭和一桁台の物ではないかと思っております。

             昔の昭和通り

 この昭和通りを作ることについては関東大震災を経験した当時の東京市長の後藤新平の決断に依るものだと聞いております。
 確かに私が東京に出て来た頃の昭和通りは広く感じたものです。今はそれはそれは物凄い交通量で驚くばかりです。地震の後だけに改めてこの歴史を読んでみました。この写真を見てから数日後TVで後藤新平のことが取り上げられておりました。

      関東大震災から学ぶ  関東大震災から学ぶ

 関東大震災からの教訓は生きていたのでしょうか。決してそうではなかったと思って仕舞いました。
 広い道路も今のような東京の実態から見ますと、決して広すぎるようなものではありません。
 私が若いころ、名古屋の道路が立派だと聞いておりました。名古屋の道路が第二次大戦後に作られた経緯を見てみますと、信念を貫いた田淵寿郎さんと言う方がいてこそできたのだと知りました。
 地震とは限りませんが国や大都市が災害を被った時、後藤新平や田淵寿郎といったような人が出て呉れるのでしょうか。大変気になります。

 日本は地震の国と言われております。これは返上することは出来ません。このような国に住む私たちは何を知り、何を考えなければならないのでしょうか。昭和通りの写真から調べて行くうちに福和伸夫さんと言う方の講演の記録を見つけました。読むうちに恐ろしさに身が震えました。
 このような資料が示すような事柄を国の指導者の方々は知っていたのでしょうか。
 
 国は人あってこそ国です。今こそ国民の安全と保護を第一に政府は困難を克服して取り組んで行って欲しいと願っております。
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人形を通して世界旅行

 「縁は異なもの味なもの」 高さんからのメールの言葉です。このところお互いに頻繁に情報のやり取りをしております。メール鼎談と言って良いでしょうか。
 男性は高康治さん 女性は藤田美和子さん、それと私 我孫子市にある世界の人形館を軸にし話題を共有しております。
 東日本大震災という未曽有の地震が発生した日、私は高さん宅に伺う筈でした。約束は午後4時です。
 地震で高さん宅は10階ですから、家中足の踏み場もない程のあり様でその画像に驚かされました。
 ようやく人形も展示が出来るようになりましたと、お知らせがあり、11日にお渡しする筈だった私の3月2日のCD(まるごと千葉60分)を持ち、先月27日にマンションに行きました。
 一階でお渡しして辞する心算でした。
 高さんから「お聞きしたいことがありますから下まで迎えに行きますよ」と迎えに降りて来て下さいました。
 知らない家のエレベーターに一人で乗るのは心配でしょ。と言う訳です。

 人形は見事に復旧し、飾られております。高さん曰く「見た目には殆んど分かりませんが、可なり痛んだり欠けたりしているのですよ。毎日出来るだけの補修をしております。床が全部絨毯でしたからこれだけ助かったのです」と仰っていました。リビングのテーブルの上には細かい1㎝四方のような小さな物まで、集められております。その細かい人形の体の一部を徐々に補修されるのだそうです。

      11日高さん玄関外  27日の高さん玄関外

      27日の人形館  27日の人形館

      27日の人形館  27日の人形館
  
 高さんの聞きたいと言うことは、千葉放送から「まるごと千葉60分」出演の打診があり、この時期ですからどうなるか分かりませんが、千葉放送への行き方を教えて欲しいと言うことでした。
 勿論私は最近行きましたから詳しく話をしました。
 高さんの出演が決まりました。
 4月4日(月)午後6時から7時の間で「人形を通して世界旅行」をテーマ―にお話をされます。
 高さんは仕事を通じ、またご自分の興味と趣味で世界を周り、各地で集めた人形や珍しい品々を並べ、公開されております。
 千葉放送 千葉中心に千葉県西部 80.7MHz でお聞きできます。
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散乱した図書

 2月7日 中国青島在住のリカさんが一時帰国 調べ物をするので国会図書館に一緒に出掛けました。
 私たちは当日利用の手続きを済ませ、持ち物を指定通りにロッカーに入れ、貴重品を透けて見えるビニールの袋に入れて、ゲートを通り入館しました。古地図の閲覧をし、必要な地図のコピーを頼みました。
 地図のコピーを頼んでいる間 広い空間を眺めながら椅子に座り周囲の図書を眺め回しておりました。
 昼食時になり、食堂に行きましたが生憎混み合っており、食堂利用は諦め外に出ました。

          国会図書館2月7日

 国会図書館の利用は初めてでした。大抵のことは大学の図書館で済みましたし、また他の方が国会図書館で調べて下さり、それを送って頂いたりしておりました。
 と言う訳で中ではもうキョロキョロです。中は静寂と言っても良いような空気も動いていないような感じです。
 調べ物をしている方は真剣な様子で本をめくり、歩く方も靴音もたてないように動いております。
 大学の図書館は若者の匂いがしますが、国会図書館は匂いが全くありません。強いて言えば本の匂いでしょうか。入館をしている方は吐く息もそっと出しているような感じです。全てが清潔、全館の空気も清浄機を通して流れているような感じを持ちました。
 3月11日 地震は国会図書館も大きく揺らしたようです。傍の議事堂も揺れたことでしょうね。

           3月19日朝日朝刊

 3月19日の朝日新聞は国会図書館の図書の散乱している写真を掲載しました。先月行ったばかりの図書館ですので、スキャンして見ました。紙上で見る様子より鮮明に分かります。
 紙面では図書館の整理のことや、開館のことも見られます。館員の方々は大変だったと思います。
 想像ですが、皆さん被災地のことを思えば、これ位は被害の内に入らないと言葉に出していたことでしょう。

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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日85歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになりそうです。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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