2011-06

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安心と安全を望む

 一国の政府は国民の安全と安心を第一義とすべきでしょうが、国民は誰をどのように信頼すれば安全と安心の世界に住めるのでしょうか。
 福島原発の報道を毎日ヤキモキしながら見ております。一喜一憂なんて言うものではありません。毎日憂いが続いております。それでも頑張って行かなければと、気を張っています。
 今年も今日で半分が済み、3月11日からも四カ月近い日々が過ぎて行っております。
 被害の大きかった津波と福島原発のことは済んでしまったと思ってはいけませんね。忘れないで行きたいと思い続けております。
 自分は一体何ができるかですね。高齢者に出来ることを一所懸命にやっております。一緒にと協力して下さっている方も沢山おり、徐々にその人数も増えて来ております。
 皆さんの思うことは同じです。家族は勿論ですが、将来の人たち(子孫)のために「安全と安心」を望んでいるのです。
 憲法が保障することを政府は確りやって欲しいのです。今日の新聞を開き何だか心が落ち着きません。

     朝食6月25日  朝食6月26日

     朝食6月27日  朝食6月28日

     朝食6月29日  朝食6月30日

 新聞のトップ見出しを追って行きますと、どうも何かに突き当っているような気がしてなりません。これって何でしょう。
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七十年前は男の子

 1939年から42年まで中国青島の小学校に通っていました。当時日本の勢力は中国に大きく広がっておりました。(そう思っていただけだったのです)それは今になって知りますとほんの僅かな地域にしかすぎませんでした。それも鉄路に添った場所でしかなかったのです。
 それにしましても青島は治安も比較的良かったのでしょう。私は市内のあちこちに出掛けては何かを探し、いろいろと発見するのが大好きでした。
 不思議に思うのは親が特に注意もせず、また私は私で一人で出歩いておりました。お金は持たされておりませんので、買い食いなどは出来ませんでした。
 青島で経験したことは帰国後も大いに役立ち、学校生活もそこそこに過ごすことが出来ました。
 
 戦後暫らく経ち青島時代の仲間の会が出来て、今もクラスメートなどとの交流を深めております。
 齢80になりますと体の健康問題もいろいろと起きたり、何かと身辺に変化がでております。
 今は老爺となった男性も70年前は男の子でした。その男の子たちの数人とはメル友として、何かと情報を分かち合い、また共有しております。

 その男の子から最近相次いでプレゼントを頂きました。嬉しいですね。

 第一弾は鹿児島からです。長く遠洋漁業で世界を廻っていた桜島さんから、魚肉のソーセージを頂きました。
 勤務していた会社の製品です。健康に良いと言うことで沢山頂きましたので、早速娘にも持たせてやりました。

        ソーセージ

 所沢からは奥さま手作りのクッキーとジャムです。isamuチャンは地震のことを大層心配してくださり、良く励ましのメールを頂きます。有難うございます。

        ジャムとクッキー

 賞味期限はご自分でとなっております。ラベルも直ぐに作られるのです。拍手ものです。

 昔新聞社の週刊誌の編集長をされていた直さんは東北を見て置かなければと、先日出掛けたそうです。
 そのお土産が今朝届きました。ほろほろ漬けと言うのでホロホロ鳥の何かかしらと思いましたら、漬物でした。初めてのものです。

        東北の土産

 70年前は当然若かったですね。小学校の6年生の修学旅行の写真を見ますと、男の子のキリリッとした姿。
 女子も姿勢よく並んでおります。

           修学旅行

 北京への修学旅行ですが、良くゲリラにも遇わずにと、感心してしまいます。私は前年に帰国、参加しておりません。とても残念に思うこともあります。
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男性のお友達

 中国で男朋友とは女性から言うと恋人を指すのだそうです。高齢者の男性は良く仲好や、親しい友人を朋友と言います。そう言ったことで私の男性友達は好朋友と言えましょう。異性の友人や知人を言う言葉ってなかなか良い言葉がありませんね。
 一時私は「ボーイフレンドは400人よ」なんて言っておりましたが、これまたボーイフレンドも言葉としては問題ですね。でどう言ったらいいでしょうか。今はそこで一々男性のお友達がねとか、クラスの男の子がねーとかとなります。
 その好朋友の一人が多才な安西創さんです。この方とは偶にお会いしてお喋りの時間を持ちます。
 何しろ中国通ですし、中国語は普通語は勿論広東語や方言なども使うという方です。
 高校生時代に米国留学もしており、楽器はアコーディオンから二胡 邦楽の世界にも詳しく三味線を弾き長唄なども勉強されております。

 私のパーティーにも来て頂き、またオパール・ネットワークのサロンでも二胡を披露して頂きました。
 オパールでの時、二胡に関しての資料を私にも直接送って下さいましたが、その蘊蓄ある内容に感心しました。

 昨年松戸から引っ越しをされてしまいましたが、内藤敏子さんのチターの演奏会にはお友達をお誘い下さり、お見えになりました。

 安西さんのブログを拝見しますと活動の幅はますます広がり、私もエールと拍手を送っております。

       安西さん  サロンでの安西さん

 私の旗袍の勉強にも大変助けて頂いております。写真のように男性用の長衣に背心と言われるべストを着こなす安西さんですから、よーくご存じなのです。
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猫は二胡じゃない

 昨日の中国語の講座 歓迎会兼歓送会 歓迎される方 歓迎と歓送とを一緒にされる方
 この両方をされる方は4月に入って来られたのですが、仕事の関係で土曜日に時間が取れなくなり、7月からは個人授業を受けるそうです。そして9月からは中国山東科技大学で日本語を教えるために、青島に行くことになったそうです。
 僅かな時間をご一緒したのですが、明るく伸び伸びとしております。
 老師の提案で、自己紹介を中国語ですることになりました。何となく知っていたようなことですが、改めて皆さんからいろいろと伺うことが出来ました。
 一番高齢な方は台湾で中学を終え、終戦で帰国 その後仕事で台湾に行くことが多かったそうです。(そこまでは私も知っておりました)今回はその台湾と言うことから台湾に纏わる話題が沢山でて来ました。

 私がどうも聞き漏らした話 向田邦子さんの台湾での事故死のことから、来週のNHKBSオンラインで『おまえなしでは生きていけない』というテーマで向田邦子さんも放映されると言う話だったようです。(これは後でお聞きしたのですが)そのおまえはだそうです。

「10月に柏文化会館で開催される明治大学マンドリン倶楽部の演奏会のチケットを買って欲しいのですが」
「その演奏会に二胡の演奏があるのです。ゲストの曹雪晶さんは私のパーティーでも演奏をして下さった方です」
「その日は土曜日ですので、皆さんに来て下さいとは申し上げられませんが、パンフレットをお持ちしますので、宣伝をして頂きたいのです。私は授業はお休みしますけれど」
「その曹さんは著名は二胡の演奏家ですし、中国では国賓の宴席でも演奏されると言う方です」

          ここまで一気に喋りました。

            曹さん


「何で猫の話が二胡になったの」と同学が何だかビックリしたもの言いです。

「あれ?二胡ではないの」「今の話なんだけれど」「えっご免なさい。二胡の話では無かったの」

 本当に可笑しいですね。難聴も困ったものです。
 
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腹も立ち不愉快も毎日

 こんな世になるとは思いもしませんでした。想定外と言う言葉 3月11日以降どれほど聞いたことでしょう。
 政府も東電も学者も評論家も、そしてマスコミもね。
 私は想定外という、この嫌な言葉に毎日怒っており、またやり場のない悔しさを感じております。
 政界はずーと訳の分からない姿勢を見せております。姿勢は見えてこそ姿勢ですね。「姿勢もどき」と言って良いのでしょう。推測するに自信が無いことを並べているから迫力が無く、それが見えて来るので信頼が出来ないのですよ。
 東電社員と下請けとは大きな違いがあると聞きます。隠して隠して隠し通すのでしょうか。
 放射能の測定器を持ち歩く若い母親たちの姿を政治家は見て見ぬふりをしているのでしょうか。見る時間が無いのでしょうか。
 枝野さん 毎日毎日胸が痛みませんか。政治家って心臓が強くなければ務まりませんね。そして自分が一番(人間誰でも自分が大切ですよ)。ですがね―国政に出た人はそこを乗り越えて行くことを期待されているのです。
 
 最近気になる言葉「東電」の東です。とうでんの「とう」を尻上りに言うのです。とうは平らに言っていたと思うのです。
 ある人から『東電(倒電)に入ろう(廃炉)』という歌を教えて貰いました。聞いてみましたら「とう」が尻上りなんです。まさかアナや評論家など皆さんがこの歌を聴いている訳ではないとは思うのですがね。
 誰が歌っているのか分かりませんが、歌によるパロディーですね。

 我が家は毎日決まり切った朝食ですが、新聞を見ますと滅多に嬉しい言葉がトップに出て来ません。

     朝食6月19日  朝食6月20日

     朝食6月21日  朝食6月22日

     朝食6月23日  朝食6月24日

 ところで 私は教室で話したことがあるのです。「もし何か大きな問題が起き、食品が足りなくなって仕舞ったら国民全員が給食になってしまうかも」「家電製品を一つだけ許可するとなったら私は洗濯機だはね」と。
 そうならないことを願っています。
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廊下に正座 そして叱られた

 中国語の女性の同学  先ごろサイパン旅行に行かれお土産にゴデバのチョコレートを皆さんに下さった。
 
           サイパン土産

 このメーカーのチョコはヒースロー空港で日本人相手に山積されていたことを思い出します。

 話はチョコではなくサイパンです。
 かって日本が統治していたこともあり、日本が負けるまでは日本人が何万人も住んでいた島です。サイパン戦のことも聞きますね。
 私が日本に帰国し転入したのは千葉県最南端の白浜の小学校でした。転校して間もないある日 その日は書き方(書道)の授業がある日でした。道具を忘れた私は同じく忘れた数人の生徒と教室の外廊下に正座をする破目になりました。
 冷え切った廊下に横並びに座り、目の前にある大きな箱に目が行きました。その箱がどういうことでそこに置かれていたのかは全く分かりません。
 「サイパン ガラパン ポンタム町」と書かれた字が目に入りました。何だかとても可笑しく笑っちゃいました。そこに先生が態度を見に教室から出て来たのです。
 「座らされているのに笑うとは何事か」と棒で肩を強く叩かれ、叱られました。それなのに先生が教室に戻るとまた笑って仕舞いました。読むとリズミカルで可笑しいのです。子どもの頃は笑う種は沢山ありますね。

 サイパンですが町ではサイパンやテニヤンと言った島から帰国した方が何軒もありました。当時町では家を屋号で呼ぶことが普通ですから、帰国した方の屋号はテニヤンなどと呼ばれたりしておりました。
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辛いこと

1945年3月26日から始まった沖縄戦は6月23日に組織的な戦いは終わりました。毎年この日
 「沖縄全戦没者慰霊祭」が糸満市の平和公園で挙行されて来ました。平和の礎には新たに205人が刻銘され、その数は241132名となったそうでうす。この慰霊祭は今年を以て最後となるそうです。
 私が沖縄戦のことを思う時 とても辛く思うのは「ひめゆりの塔」に刻まれた女学生のことです。沖縄では全島民があの戦いに巻き込まれたのですが、15,6歳の若い男性や女性が兵隊と一体になって軍の命令に従っていたのです。そして最後は軍に放り出され、悲惨な最期となったことです。
        
        平和の礎

 あの過酷な戦いの姿は米軍が写した多くの画像の中で、私たちの魂を揺るがします。過日も少女の怯え震える姿に接しました。過去何回も見ております。その都度戦争のことを考えております。是か非で一挙に論じられ程簡単なことでは無いことは承知しておりますが、やはりしてはならない事だと思っております。
 菅総理も出席して、覚悟を述べられたと思いますが、平和宣言が大きく報道されています。
 毎日新聞から仲井真弘多沖縄県知事の「平和宣言」を転載させて頂きます。
(以下転載部分)

 沖縄県糸満市の平和祈念公園で23日営まれた沖縄全戦没者追悼式での沖縄県知事による「平和宣言」の要旨は次の通り。

    ◇

 66年目の6月23日を迎えた。史上稀(まれ)にみる熾烈(しれつ)な地上戦により、20万人余りの尊い命を失ったばかりでなく、貴重な文化遺産や美しい自然をも、沖縄は失った。
 過酷な体験のなかから、私たちは、二度と戦争の悲劇を繰り返さないことと、平和こそ何物にも代えがたいものであることを深く学んだ。この教訓を土台に、沖縄県民は復興と発展の道を力強く歩んできた。
 しかし、その一方で、県民は依然として過重な基地負担を強いられており、基地から派生する事件や事故、騒音に悩まされている。安全・安心な県民生活はいまだに実現していない。
 基地負担の大幅な軽減と、危険な普天間飛行場を一日も早く県外に移設すること、そして日米地位協定を抜本的に見直すこと、このことを日米両政府に強く訴えていく。

 去る3月11日に発生した巨大な地震と津波、そして原発事故により、東日本は大きな犠牲と被害を被っている。この大震災によって、わが国の経済・産業と国民生活もまた深刻な事態に陥っている。

 沖縄の私たちには、自分たちに課せられた問題の解決に全力で取り組むとともに、大震災によるさまざまな困難に立ち向かっている人々のことに深く思いを致し、同時にまた、わが国全体のために何ができるのか、真剣に考え、行動することが求められている。
 平和な世界を求める沖縄の心に立ちながら、大震災に苦しむわが国のために、沖縄もまた貢献の任を果たしていく。
 慰霊の日にあたり、沖縄戦の全戦没者の御霊(みたま)に追悼の誠を捧(ささ)げるとともに、私たちは、県民の英知を結集し、平和創造に積極的に取り組み、世界に発信することを宣言する。

        沖縄県知事 仲井真弘多

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蘇州の夜

 毎週月曜日 午後10時からBS日テレで放映される「BS日本・こころの歌」
 出演はフォレスタと言うグループです。
 毎週夫と見ています。番組は随分前から放映されています。我が家では前々から見ておりました。
 男性と女性によるコーラスのハーモニー 懐かし歌の数々 何しろ明治も初期の頃や大正時代のもの等に出会うのです。
 「何だよ今日は新しいぞ」なんて夫が言いますのが50年位前の歌だったりします。グループサウンズの時代に入りますと、新しい、新しいとなります。

 今週の月曜日 久し振りに蘇州の夜が歌われました。2008年5月末私は生徒と二人で台北に行きました。目的は旗袍のオーダー専門の方を訪ねると言うことと、生地や材料の探索でした。
 生徒はフォレスタを束ねている方と親しく、思わぬ事から話が進み女性4人の方にチャイナドレスを着て頂くことになり、その生地も買うことが出来ました。
 仮縫いも済み、仕上げてお届け出来ました。それからはTVでその姿を見ますと、嬉しさと懐かしさに毎度感無量の思いを覚えます。1年に2,3回は見ることは出来るのです。蘇州の夜は若しかしたらリクエストがあるのでしょうか。有難いことです。
 彼女たちは何時も素敵な姿で舞台に立っています。

         6月20日フォレスタ

 このドレスでは他の曲も歌われています。月曜日にご覧になって頂きますと偶にこのドレスで歌う女性を目にすることがあります。

         鈴懸の道

 中国書法の先生に話ましたら、この番組は大好きで毎週ご覧になっているそうで、ビックリされていました。
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矢張り煮魚

 磯魚は癖もあります。さかな~という感じで匂います。下ろす時にはその匂いが強く、触った後は布巾や手を良く洗いませんと匂いが取れません。勿論まな板も良く洗います。
 
 メジナを下ろしましたら真子が出て来ましたので、一緒に煮ることにしました。見た感じではそう魅力はありません。

 鱗は綺麗に丁寧の取ります。大きな鱗でした。出刃は魚屋の出刃のようには大きくありませんから、用心しまして三枚下ろしにしました。中骨も綺麗にし、身も切り分けました。
 
 煮方は自己流です。全部がいい加減です。ですから調味料は勘でしかありません。

 平たい鍋に砂糖と水、それに多めの日本酒(味醂は使いません) 火を付けて鍋に蓋をします。強火にして調味料が煮立つのを待ちます。この時の泡の立ち具合は大事なように思っています。
 急いではいけません。鍋全体に泡が沸き立ちましたら魚を入れます。
 そしてやや中火にし蓋をしてゆっくりと煮込みます。煮汁が少なくなって来まして、今度は魚の身を上から煮汁が自然に流れるように身に掛かって来るまで確りと煮ます。

     煮立つメジナ  煮えたメジナ

 明日はこれを焼きます。焦げはガンの原因になると言われますが、美味しい香りと味はご飯にピッタリです。
 今夜はこれを食べましたが、真子は左程美味しくはありませんでした。サバや真鱈の真子と比べますとチョッとおちますね。
 
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大物を手に入れました

 今日は昼食の材料を早々と買いに一階のスーパーに行きました。
 買い物は決まっていましたが、見たがり屋は店内を一回りします。魚屋の店頭に並ぶ三尾の大きな「メジナ」
 買わずにいられません。前に躊躇したばかりに良い物を逃してしまいました。魚好きは大勢いるのです。
 
 昔々 40年以上前、夫と磯釣りに行くことがありました。ベラやフグを釣ることもありましたが、メジな釣りのことは良く覚えております。
 南の方に台風が発生し、数日後には浜に大波が押し寄せると言う頃 その頃に磯に行きますと水が動いているのでしょうね。メジナが釣れるのです。本当に小さな物でも引きが強いのです。
 そう沢山の経験があるわけではありませんが、釣れると嬉しいですね。道糸やハリスのことなど道具のことなど全て忘れて仕舞っていますが、あの強い引きのことは忘れていません。

          1.5キロのメジナ

 このメジナ 計ってみましたら1.5キロ とても大きいです。これだけのメジナでしたら磯で釣ることは出来ないでしょうね。網か船で獲ったものに間違いないと思います。
 最近は魚屋で捌いて貰うのはどうもと言う感じでおります。メジナ、イサギやメバルなどは特に自分で下ろします。
 このような磯魚の食べ方は決まっています。
 甘辛で煮ます。そして残りは網焼きにします。私はこの網焼きにし食べるのが大好きです。
 表示には刺身とあります。刺身も勿論美味しいですが、私は煮て焼くと言う方法が一番好きです。香ばしいのです。夏のメジナは美味しくないと言われますが、この食べ方ですと不味くはありません。煮汁に出汁を足して牛蒡を煮たり、ハスを煮たりします。
 今日は夕方まで忙しかったので、明日早朝に捌くことにします。久し振りの出刃の出番です。何だか嬉しいです。
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何だか気分が悪い

 本当にこう毎日政権争いだか内輪もめだか。そして福島原発処理は一進一退。津波の被害地はがれき処理で苦労続き。
 今日の朝食時 TVを見ていて愕然としました。

             海江田さんの談話

 理由があるからでしょうが、どうしても裏に何かがと考えて仕舞います。菅総理の辞める辞めないというレベルでの報道が何と多いことか。
 多くの国民が目の前の自分がどうなるなるのか心配をしているんですよ。私は高齢だからと何も知らず、考えなくても良いと言う訳には行きません。

      朝食6月5日  朝食6月12日

 こんな政治家を選んだのは国民だからと言う言葉を聞きます。ですが政治家は何を為さねばならないかを知っているはず。国民が諦めて許しているなんて思って貰っては駄目なんです。
 「なんとかせい」と島岡監督のように怒鳴りたくなります。
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お稽古は楽しく

 チャイナドレス=旗袍 女性が一度は着てみたいという衣服です。NHK文化センターで夜に見えていた生徒が先月から我が家に集まりました。久し振りとあって楽しげに声が弾みます。
 夜の方は仕事を持っておりますので、三か月六回の授業を全部出席出来ることは殆んどありませんでした。残業があったり、昼の疲れが取れなく電車に乗るのが辛くなったりと、いろいろありました。二時間の講座も一時間しか出られなかったりは普通でした。
 これからは三時間とし、勤務に差し支えない日曜日に来て頂くことにしました。
 裁断する台は二人分しかありませんが、三人一緒に見えました。
 「先生!今までで最高に出来ましたー」この言葉を聞いた私 日曜日を当てて良かったと嬉しく思ったことです。
 一人の生徒が加賀指抜きを作って来ました。色合わせも綺麗ですし、丁寧に手を掛けたプレゼントは有難く頂きました。
 三人分の指抜き綺麗でしょ。 私は胸にぶら下げてペンダントトップにしたいなーと思ったのです。ところがそういう使い方は他の方が既にしておりました。

         加賀指抜き

 作って下さった生徒の言葉「チャイナボタンを作る方が難しいですよ」と言うではありませんか。生徒さんは心優しい方です。私を気遣っての言葉でしょう。
 月一回でも楽しい時間を過ごして下されば、少しずつでも出来あがって来ることと思いますね。
 明日はどうなることでしょう。
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季節を考えて

 久し振りに「ちりめん山椒」を作りました。
 最近は何だか忙しく感じますね。ニュースを見ては怒るからでしょうか。原発問題は最大な気がかりなことです。国も東電も何を言おうとどう説明をしようと、何時も何かを感じる発表に聞こえて仕舞います。
 情けないです。
 
 怒ってばかりいてはいけませんので、保存食を作り、気を静めます。まー慣れている佃煮を作ることが一番多くなります。
 ちりめん山椒の作り方は簡単です。材料のちりめんは出来るだけ細かく、乾き具合の気にいった物、そして安い時。そう言った品物はその日に作らなくても買って置きます。
 今回のちりめん山椒は私としては味が濃くなって仕舞いました。季節を考えなかったからでしょう。承知していた筈がすっかり頭から抜けていました。

          ちりめん山椒

 出来あがり摘まんでみますと、矢張り少し味が濃くなっています。そうそうちりめんの塩加減を見なかったわーと気がつきました。押しつけられた方 ご免なさーい。次回は必ず美味しいのを作りますからね。

 ところで私が初めてちりめん山椒の作り方をアップしましてから、直に「料理レシピ集」と言う特選レシピ集にちりめん山椒が取り上げられました。それはどうしてか理由は分かりませんが最初に編集者の目にとまったらしいのです。
 何故かそれ以来ほぼ4年ほど経ちますがずーと上位にランクされて来ました。時々覗きますが、若干の移動が有っても常に5位以内に入っているようです。
 若しご覧になって頂けるならば Good にクリックして頂けると嬉しいですね。
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頂くと嬉しい

 季節は初夏 少し暑くなって来ております。梅雨の鬱陶しさも日本ならではと我慢しますが、福島の子ども達の登校姿を見ますと、本当に切なく、可哀そうでなりません。全身を放射能から守るために我慢し、一所懸命に歩いております。校舎の窓も開けることが出来ません。

 沖縄は既に梅雨明けだと言うことですね。梅雨近くになりますと、蚕豆が送られて来ます。そして少し経ちますと房州枇杷です。頂き物ですが、何だか待ち遠しい気分でおります。はい「私は内田百です」貰い物大好きだと言っていた方のようになります。
 今年も昨日到来しました。温室ものではない路地ものです。最近は千葉の枇杷として県も積極的に後押しをしているようです。
 近所のショッピングセンターや柏の高島屋でも予約を受けつをしております。ですが、私にはそれは縁もなく、見向く必要もないことです。くるはずですから。待った甲斐がありました。良い粒です。

       房州びわ1  房州びわ2

 枇杷は種があって当たり前の果物だと昔から思っていました。昔は宮中晩さん会のデザートに枇杷とあるとそれをどのようにして食べるのかとても関心がありました。最近はそのようなニュースは見ることはありませんね。
 これも時代の流れと言いますか、変化でしょう。
 それはそれとして気になるのは「種なし枇杷希房」です。2006年2月に品種登録がされたのです。
 少し前館山のウナギの老舗 「新松」のブログにその希房の姿が見えました。何だかどうも魅力がありません。
 美味しかったとありますし、売り出すだけの魅力を持っているのでしょう。大層高価だと聞きました。
 楽天で調べて見ましたら 手のひら半分くらいの大きさの種なし枇杷が三個で5980円でした。これはもっと安く無ければ買えませんね。マスクメロン並みの高品質かどうかは分かりませんが、出荷量を伸ばすには可なり難しいレベルの物になるのではと心配をして仕舞います。

       新松さんのブログから種なし枇杷  新聞紙上で紹介された種なし枇杷
 
                            ↑の写真の左が希房です。
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頭が下がります

 この数年 季節を問わず芝の雑草を取り除き、芝を綺麗にして下さっているやや高齢の男性の方がおります。
 一週間で二、三回はその姿が見られるような気がします。
 先週たまたま知ったご夫妻が、その方と立ち話をされております。傍を通りながら私もチョッと話しの中に加わりました。
 ご夫妻も草取りのことを話し、とても立派なことをされていると。勿論私もずーとそう思い有難いことだなーと思っておりましたので、そのことを口にしました。
 その方はゴルフが大好きで、知り合いのご主人とはゴルフ仲間だったそうです。(知り合いの方は、随分前に夫と一緒にプレイをした方ですが、夫と同じく今は止めております)
 ご本人曰く 「普段踏みつけていますから、せめてこれ位はしませんとね」とさりげなくさらっと言葉を出されます。
 でもこう何年も雑草を取り続けて下さっているのですよ。長い道を順に取り終わると、もう最初の場所は雑草が生えているのですよ。これは並大抵のことではございませんね。
 いつも黙々と一人で作業をされているのです。きっと信念があるのだと思わない訳には行きません。周辺の住民として何時も感謝をしながら横を通っておりました。
 
        草取る人  草取る人2

 左の写真は立ち話の後、直ぐにまた草を抜き始めた姿です。右は日曜日にまた草取りをされている姿です。
 ご覧の通り、この芝生は何時も綺麗に清々しく見えます。今の季節は一層緑が鮮やかです。
 先日までは一言も口をきいたこともなく、何人かも知らずでアップするのは失礼だと思い、我慢しておりましたが、住まいの号棟も分かり、ゴルフ好きだとも知りましたので、紹介させて頂きます。
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偶然同じ処から

 先週突然宅急便で珍しいヨーグルトが届きました。飲むヨーグルトは初めてです。知ってはいますが、買ったことはありませんでした。若いタレント風に言えば「おひしいー」です。飲むと言いましても、水のようにすい―っと飲める訳ではなく、ごくっごくっという感じの自然のコクを感じます。美味しかったです。

           阿蘇のヨーグルト

 送って下さったのはマンションの別棟に住む方からでした。九州阿蘇の小国郷にお姉さまが住んでおります。時々九州に行かれます。我孫子での仲間の一人で活発な高齢者です。お姉さまの家は「七福」という醤油醸造業をされております。一度我孫子にお見えになった時にお目に掛かりました。
 モダンで素敵な奥さまです。友人の話によりますと、なかなかの人物のようです。
 以前テレビで小国の紹介がされた時には率先して出演されている風にも見えました。元気は妹さんも負けてはいません。「よさこいソーラン」を踊り、足腰が強く驚かされること屡です。

 最近孫たちのために野菜を九州から取り寄せております。いろいろな生産者がありますが、調べ問い合わせて決めました。未だ付き合いは短いのですが、包装の方法も良く、品物も確かり産地もはっきりとしております。
 先週のトマトは実に美味しかったですね。トマト大好きな私はトマト・トマトと言いたくなります。
 娘たちと相談し、毎週火曜日午前に配送されるようにお願いました。九州からですから中二日要ります。
 今日はその野菜の中に「阿蘇小国のホウレン草」が入っておりました。何だか阿蘇が急に身近な土地になったようです。

           阿蘇小国のほうれん草

 阿蘇に白水村という水の良い村があります。阿蘇周辺を通過した時にその村の傍を通りました。白水村から上京して来た先輩女性はそれはそれは楽しい方で、頭の回転が速く、何時も私たちを笑わせ楽しませて呉れました。彼女の対象は東大生でなければなりません。東大生には彼女の魅力や素晴らしガ分からなかったのでしょうか。独身で通しました。
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地震の亀裂

 3月11日の地震ではテレビが倒れて仕舞いましたが、左程の被害はありませんでした。
 ところがマンションの外廊下の壁に亀裂が入って仕舞いました。我が家は4階でエレベーター階に当たります。
 地震後直ぐに管理組合は対応し、補修が決まりました。関係階や被害者の方への説明会も既に済んでおりました。管理組合では阪神淡路大地震の時に同じ設計者の手がけたマンションは無事だっと言うことでしたが、直接説明もお聞きした内容もしらされての説明会だったそうです。我が家は夫が聞きに行きました。
 このマンションは11階ですが、鉄骨鉄筋で作られております。
 マンション購入時には住宅金融公庫の融資が付いておりました。同級生が金融公庫の相談室長をしておりましたので、公庫の融資が付くと言うのに何かメリットがあるのかをお聞きしました。彼の説明によりますと公庫の融資が付くと建築中に2回の検査があるので、融資の付かない普通のマンションよりは良く出来ていると言われました。それと何かの時を考えて3階か4階を買うことを勧められました。その頃は最上階に人気があり、一般にマンションの上の方は値段も高く設定されているのが普通でした。
 購入した当時は娘たちには不評でしたが、今になっては良かったねと褒められています。

 今朝から亀裂の補修が始まりました。まず窓の外の金属製の枠を外し、外壁を削ることから始まります。
 私の所と二女の所にはこの階で一番大きな亀裂が入って壁を這っております。

       二女宅の亀裂  我が家の亀裂

 作業は9時から始まりました。先ず枠を外します。全戸の枠を外した後、壁を一斉に直すのだそうです。
 知りたがり屋は早速写真を写しました。

               工事始まり

 実は家の中の梁にも亀裂があると分かりました。専門家の方が昨日お見えになり、調べて下さいました。壁紙で見えなかったので、気にも留めていませんでした。
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老師の土産

 中国語の老師は一昨日北京からお帰りになり、早速昨土曜日の授業にお見えになりました。
 先月末の出発の前に転倒して顔に傷を作り、痛々しい姿で教室にお見えになりましたが、昨日は傷は目立たなくなっておりました。ところが北京で膝頭を打ち脛に傷を作り戻られました。ズボンを上げて傷を見せて下さいました。人にぶつけられ避けられなかったようです。その人はさっさと行ってしまい、老師は怒っておりました。
 どうも前回の北京行きの時より、人々の姿が大きく変わっていたようです。
 それと言うのはどうも拝金主義の蔓延のようです。老師は北京師範大学の卒業生です。師範大学と言うのは教師になることが決められている大学ですから、老師の北京仲間は皆さんも教職にあった方ばかりだそうです。
 その方たちの年金は日本円で二万円余りで、食べるだけで一杯だそうです。老師はその仲間と必ず聚会と言う「食べる、飲む、語る」という集まりに顔を出すそうです。そこでは新しい情報を得る機会でもあるそうです。ところが今回はどうも嘆き節の会になっていた様子。失望をしたような話ぶりでした。
 最近の北京の人々は行動が乱暴になっているそうで、出発前に小王から注意を受けていたそうです。北京の街では自分中心で歩く人が多く、ぶつかっても謝ることもなく、さっさと行って仕舞うそうです。
 老師は北京の前門近くの自宅マンションに滞在します。中国人の食事情はご存じの方も多いことですが、昔から朝でも外食が多のです。老師も多分そうだったと思います。
 ところが今回は揚げ物が心配で、自宅で作り食べたそうです。
 その理由ですが以前にも話題になった汚い地溝油の問題です。炸油餅や炸油条と言った油で揚げ、良く朝食に食べる物を避けることにしたそうです。

      何時もの通り、北京のお菓子をお土産に下さいました。

         北京の栗  北京の土産菓子

 栗は北京の伝統的は砂糖漬けだそうで、『本草綱目』によりますと腎臓に良いそうです。
 右の左のお菓子は『果仁兒脆』と言う種類のお菓子で、この脆という物は昔の中国菓子の中では見られなかったそうです。私たちの言葉でサクサクと言う感じの歯応えです。パイシートのサクサクですね。洋風になって来たのでしょう。
 右側の右は『棉花糖』と言う名前のお菓子です。所謂マシュマロです。確かにマシュマロから綿の木の先の綿花。丸い姿が目に浮かびます。中国の西方地域には綿が沢山栽培されています。昔は日本でも栽培されていましたが、多分今は見られないと思いますね。観賞用として花屋の店頭で見ることが出来ます。
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難しくて参りました

 今日はこれからNHK文化センター柏教室の中国語講座の受講に行きます。老師は先月末の北京行きの前に二回分の宿題を渡して行きました。先週は小王が代講でお見えになりました。
 先週の分は人民日報の海外版からの記事「知識分子小心失去根基」という題目の翻訳でした。
 もう難しくて放り出したくなり、ザ―と眺めて出掛けました。もう難しさと語法のややこしさにシャッポを脱ぎました。
 小王に言いました「もうだめ! 次の講座は止めようかと思っているの」そしましたら小王の言うには「これは中国の人にも難しい内容だから、持永さん そんな事言わないで」と慰められました。
 内容はもう実に面白く、中国社会の持つ幾つかの問題を暗に示し、読者はその記事の意図を理解する筈です。
 新しい言葉も出て来ます。その言葉で四苦八苦しました。
 内容を手短に言いますと「北京師範大学の一人の教授の言葉が人々を驚かせた」と言うものです。その言葉は雷人之語と表現されています。ようは人々に雷が落ちる時のような強い言葉だったと言うことです。「40歳までに4000万元の値打ちになっていなければ先生の前に現れることは出来ないだろう」と言うことで、現在の中国の持つ拝金主義を、窘めている文章です。このような教授を生んだ教師の恥辱と失敗でもあるのではと言う、反省も含めて教育の在り方を論じております。
 内容はもっと複雑ですよ。ですから私は参ったと言ったのです。ところが記事の中で北京師範大学の校則と言いますか、目標と言いますか、その言葉が出て来ました。「学為人師 行為示範」というのです。
 ところがこの中の「行為示範」のですと一人の男性同学は言いました。そして証拠の一枚の写真を取り出しました。

            北京師範大学の目標

 以前北京師範大学に留学していたことがある方です。こういう方と一緒ですと、フウフウとなります。
 今日はこれまた難しいのです。日本人の書いた記事を中国語に翻訳するのです。昨日から眺めては書き、書いては直しそして清書をしているのですが、全く自信がありません。もう気分転換とばかりにPCに向かっていると言うことです。
 中国人は曖昧な言葉は使いませんが、日本人の表現は婉曲な言い回しが多く、特に知識人の文は内容の複雑さに加え知識を必要としますので、中国語で表現するのはとても難しいのです。
 おばーさんは参っております。でも本気で止めたいとは思ってはおりません。次の中国旅行の楽しみを増やしたいと思っておりますからね。
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老舗らしさ

 3月11日の地震でエレべーターが止まり、4階からの上がり降りではすっかり足の衰えを感じて仕舞いました。
 毎月一回近くの病院に行きますが、そこまで歩くには私の足で35分程掛かります。地震後薬を頂きに行きましたら、病院の近くの割烹旅館「角松本店」の前に1枚の紙が貼られておりました。

           井戸水あり

 前の携帯で写しましたが、画像がハッキリとしておりません。「井戸水あります」と言う案内です。
 「庭の木戸が開いていますのでご自由にどうぞ 明るい時間帯にお願い致します。念のため煮沸してご利用ください」と書かれております。
 丁度街には水のボトルが消えて仕舞っていたのです。
 我孫子で古くから店を構えている割烹旅館ですので、付き合いも多いことでしょう。
 プロゴルファーの青木功さんの我孫子での定宿だと聞いております。想像するに恐らく丁寧なもてなしをされるお店でしょう。
 昨日は往復歩き、薬を貰って来ました。珍しく血圧も低く、空も未だすっきりと晴れております。
 あの貼り紙はまだあるのかしらと、傍に行き眺めてみましたら、昨日は見られませんでした。時間の経過と共に皆さんにも特に知らせなくても大丈夫になっているからでしょう。

         角松本店

 私はかねがね井戸のある知り合いを何軒か見つけてあり、何かの折には助けて頂きたいと思っておりました。
 この旅館は全く知る仲ではございません。また少し離れております。ですがこのような親切な心遣いはご近所の方にとっては心強いものでしょうね。
 
 
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アクションを起こす

 夕刊を読んでいた夫が「京子さんがデモ行ったそうだよ」と記事を指しております。
 一度もお会いしてはおりませんが、親類の女の子のような気分を待っております。
 昨年前期の直木賞を受賞しております。お母さまの中島公子先生とは長くお付き合いをしており、何回もお宅へも伺っております。そのお宅の駐車場で何時でしたか赤い可愛い車が留められておりました。それは京子さんのでしたのでしょう。
 不思議ですね。身贔屓と言うのでしょうか。新聞で書籍の紹介や広告などで京子さんの名前は直ぐ目に入ります。
 夫も直ぐに見つけて私に教えます。
 中島先生のお宅では京子さんのお姉さまは在仏ですから、多分今回の福島原発についてはフランスでの情報もいろいろとご存じかも知れませんね。
 公子先生の行動は早いです。先日のメールでは太陽光パネルを設置することにされたそうです。
 京子さんは記事にあるように社会派ではないと思いますね。それでも内容を読みますと、なるほど中島家の人だなーと感じております。
 確かに今回の福島原発のことや、また日本の原発についてのデモは行われておりますが、マスメディアは殆んど報道をしておりません。私もインターネット上で見て、知ることが多いですね。

           京子さんデモに参加朝日6月7日夕刊

 この記事を読みますと、何か行動を起こし、また声を上げることが必要ですね。地味ではあってもその人間の立場で行動をする大切さを強く感じております。
 一億総白痴化と大宅壮一氏が言われたのは随分前のことでした。今は総評論家になってはいけないのですが、先行きが見えず、また国の出方や方針が分からず、毎日テレビを見ては評論家になって仕舞いそうです。困ったことです。
 
 
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胸騒ぎがしておりました

 2月のバレンタインデーの頂き物をデジカメ日記に見せて下さり、その画像が一向に変わらず、何かがあったのかと気になっておりました。時々彼方此方に出没する方ですので、またや旅かと思いもしたりしておりました。
 主の金子数栄さんは長崎に住み、田舎生活を満喫しておりました。
 3月5日 突然デジカメ日記が見られなくなり、また季節の便りの更新を最後にトップの画像も変わってしまいました。それでも毎日必ず金子さんのHPを訪問しておりました。
 デジカメ日記は三日しか掲載されませんので、お聞きしましたら三日が限度でと返事を頂きました。
 
 4月頃から私のブログ解析のキーワードに毎日金子数栄さんの名前が入って来ました。5月に入りますとキーワードは名前だけでなく、金子さんの名前と一緒に消息、逝去、死亡と言った言葉が出て来ました。
 これはおかしいと検索したら、どうもお亡くなりになっているらしいと気がつきました。
 金子さんをオパール・ネットワークのサロンにお招きしたのは2008年1月のことでした。
 オパール・ネットワーク主宰の佐橋さんの著書「セカンドステージの達人たち」の中で金子さんはトップに紹介されております。

               セカンドステージの達人たち

 サロンにお招きした後の8月金子夫妻は民宿を始められたと連絡を頂きました。
 民宿は体験できることが沢山あり、体験民宿と言うことが柱になっております。
 民宿のお客さまでなくてもカフェにはご近所の方がお見えになっていたようです。
 金子さんのお話によりますと殆んどがサービスになって売り上げには繋がらなかったようです。
 
 知り合ってから暮には金子さんが獲った生ウニを送って頂いて、美味しさに感激しました。昨年にも送って頂きました。
 この時のメールに佐橋さんには沢山ナマコをお買い上げ頂きましたとありました。それを思い出し、佐橋さんにお聞きしようかどうか、悩みました。
 数日前 思い切って佐橋さんに電話を入れました。「あのーチョッとお伺いしたいのですが、金子さんの」と声を出しますと「亡くなったのよ」と何も聞かない内に返事が返って来ました。佐橋さんは長崎に何回か足を運んでおります。ご存じない筈はないとは思いながらも、躊躇しておりました。佐橋さんは大変ショックを受けておりました。
 ですがこう毎日ブログにお見えになる方がおりますので、意を決し事実をアップしなければと思ったことです。
 
 私は金子さんのデジカメ日記から沢山画像を取り込み、使わせて頂きました。ここに哀悼の心を込めて何枚か載せさせて頂きます。

      金子さんの賞状  ピザを焼く

      金子さんのナマコ  金子さん自画像

 金子さんのブログ その中の「季節の便り」をご覧になって頂くと3月5日に書かれている言葉は皆さんとのお別れを意識して書かれたのではないかと気がつき、改めて読み直しました。 
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興奮したり公憤したり

 昨日は孫の運動会に出掛け、聊か興奮しました。最後に抜かれて仕舞いましたが、来年が期待できそうです。
 
 処でこの所?いや~前々からですがね。公憤が続いております。義憤ではありません。義憤を感じて頑張っている方もおりましょう。義憤を感じて国会に打って出た方もある筈です。それが全く見えません。

 菅さん?小沢さん?鳩山さん?谷垣さん?枝野さん?東電?民主党?自民党?原発?退陣?ペテン師?何でしょうね。
 何だか私は八当り状態ですね。

      私は政治家にはなれませんよ。ですが怒っても良いでしょうね。

      10年5月16日官邸  10年5月16日官邸・議員宿舎

 新聞もTVも見ない訳にはゆきません。夕食には少しアルコールを飲みます。公憤で量が多くなっています。
 太ってしまいました。原発太り(体です。懐ではありません)となりました。

      朝食6月1日  朝食6月2日

      朝食6月3日  朝食6月4日

 昔私の上司は何時も公憤しておりました。皆で憤死するんじゃな~い?って噂をしておりました。ですが立派に生きながらえました。義憤公憤は心の支えだったのかも知れませんね。
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難しいこと

 昨日の昼 娘二人と妹、それに夫と私 珍しくファミレスに行きました。
 大分機会が無く最近のことに慣れていなく、まごまごとして仕舞いました。私は2ヵ月に一回位、歩いて行ける店には行きますが、昨日の店は勝手が違いました。
 メニューブックを見るのも難しいですね。日替わりランチと何かの組み合わせ、アラカルトと何かの組み合わせ。
 セットの組み合わせに戸惑いますね。
 ドリンクバーと言うのもあり、好きなものを飲むことが出来ますね。これは近所の店でもありますから、分かります。ですが内容が多様でビックリです。
 夫と妹が頼んだハンバークは温める火があるのです。金属のケースに鉄の塊のような物が嵌っており、その上にハンバークを切って載せて、レアでもミディアムでも好みに合わせて焼きながら食べることが出来るのです。
 時間を考えずに食べる時にはこの方式は良いでしょうね。ゆっくりとお喋りも出来ますしね。
 夫は初めてのことでフォークでぎこちなくやっと載せて焼いております。途中で箸を持って来て貰って食べることになりました。
 私は二女の言葉に従い、柔らかいパンを頼みました。温かい大きなパンが来ました。
 ドリンクバーと言うことで初めにスープを飲みましたら、もうその時点で参ったと言う感じです。何だか日替わりだったらしく、デザートにレモンゼリーが最後に来ました。
 それにしましてもヤヤコシイですね。メインを決め、ドレッシングを決め、ご飯かパンかを決めるのですね。
 娘たちがドリンクバーに立って行きました。夫は二人で来たら困ったろうねと小声で言いました。
 場違いと言う程のことではありませんが、どうも苦手ですね。昔はあちこち出掛けて食べていましたのですがね。どうも違いますね。時代に合わせられなくなっているようです。

           私が食べたランチ

 ランチ これも全部食べられません。パンも半分どころかチョと噛んだ位です。食べられません。矢張り昼は蕎麦かお寿司、気張ってウナギ。そんなのが良いですね。

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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日85歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになりそうです。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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