小松左京さんご逝去
2011/07/31 (Sun) 17:12
作家の小松左京さんがお亡くなりになりました。
小松左京さんを有名にしました「日本沈没」は1973年に上梓され、たちまち話題になりました。

私は当時明治大学学生相談室で勤務しておりました。その頃は学生が悩みを人に相談すると言うことには、可なり抵抗もあり勇気のいることで、気軽に来て頂くためには相談室があることを知って貰うと言うことが、相談室関係者の大きな仕事ともなっておりました。
今日ではカンセリングと言う言葉も巷間知られておりますが、まだまだ学生にとっては馴染みの薄い部署でした。
学生相談室では何とか学生が気軽にドアーを開けて入って来られるようにと、不特定多数の学生を対象にした行事を企画しておりました。
その頃文化人類学の祖父江孝男先生が相談員をされておりました関係で小松左京さんをお呼びすることが出来ました。
日本沈没発行の年の12月 駿河台校舎の大教室で「沈没の背景」というテーマでの講演には学生が詰めかけ、大教室は将に立錐の余地もない状態でした。私は会場整理と接待の為に講演を殆んど聞くことが出来ませんでしたが、途中で耳に入ってきた言葉にええ!となりました。
小松左京さんが「千葉の白浜に遊びに行きますと、褌一丁で自転車に乗っている人がいるんですよ」と言うではありませんか。ビックリしました。
そして後日その話を父に話ましたら、左京さんのご親戚が白浜にあると分かりました。それも私に良く声を掛けて下さっていた小母さんが左京さんの叔母様だったのです。
その小母さんのご長男が左京さんそっくりで、驚きました。今朝テレビで紹介された左京さんと見まがうばかりでした。体格も顔立ちもそっくりです。

3月11日の東日本大震災をどのようにお考えになっているのかしらと思っておりました。大作家と言うより何となく知っている方という気分でしたから、ニュースで名前が出てくるのを待っておりました。
それがご逝去の報道です。まさかのことで本当に残念で惜しく思っております。
小松左京さんを有名にしました「日本沈没」は1973年に上梓され、たちまち話題になりました。

私は当時明治大学学生相談室で勤務しておりました。その頃は学生が悩みを人に相談すると言うことには、可なり抵抗もあり勇気のいることで、気軽に来て頂くためには相談室があることを知って貰うと言うことが、相談室関係者の大きな仕事ともなっておりました。
今日ではカンセリングと言う言葉も巷間知られておりますが、まだまだ学生にとっては馴染みの薄い部署でした。
学生相談室では何とか学生が気軽にドアーを開けて入って来られるようにと、不特定多数の学生を対象にした行事を企画しておりました。
その頃文化人類学の祖父江孝男先生が相談員をされておりました関係で小松左京さんをお呼びすることが出来ました。
日本沈没発行の年の12月 駿河台校舎の大教室で「沈没の背景」というテーマでの講演には学生が詰めかけ、大教室は将に立錐の余地もない状態でした。私は会場整理と接待の為に講演を殆んど聞くことが出来ませんでしたが、途中で耳に入ってきた言葉にええ!となりました。
小松左京さんが「千葉の白浜に遊びに行きますと、褌一丁で自転車に乗っている人がいるんですよ」と言うではありませんか。ビックリしました。
そして後日その話を父に話ましたら、左京さんのご親戚が白浜にあると分かりました。それも私に良く声を掛けて下さっていた小母さんが左京さんの叔母様だったのです。
その小母さんのご長男が左京さんそっくりで、驚きました。今朝テレビで紹介された左京さんと見まがうばかりでした。体格も顔立ちもそっくりです。

3月11日の東日本大震災をどのようにお考えになっているのかしらと思っておりました。大作家と言うより何となく知っている方という気分でしたから、ニュースで名前が出てくるのを待っておりました。
それがご逝去の報道です。まさかのことで本当に残念で惜しく思っております。
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