2011-07

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小松左京さんご逝去

 作家の小松左京さんがお亡くなりになりました。
 小松左京さんを有名にしました「日本沈没」は1973年に上梓され、たちまち話題になりました。

          日本沈没

 私は当時明治大学学生相談室で勤務しておりました。その頃は学生が悩みを人に相談すると言うことには、可なり抵抗もあり勇気のいることで、気軽に来て頂くためには相談室があることを知って貰うと言うことが、相談室関係者の大きな仕事ともなっておりました。
 今日ではカンセリングと言う言葉も巷間知られておりますが、まだまだ学生にとっては馴染みの薄い部署でした。
 学生相談室では何とか学生が気軽にドアーを開けて入って来られるようにと、不特定多数の学生を対象にした行事を企画しておりました。
 その頃文化人類学の祖父江孝男先生が相談員をされておりました関係で小松左京さんをお呼びすることが出来ました。
 日本沈没発行の年の12月 駿河台校舎の大教室で「沈没の背景」というテーマでの講演には学生が詰めかけ、大教室は将に立錐の余地もない状態でした。私は会場整理と接待の為に講演を殆んど聞くことが出来ませんでしたが、途中で耳に入ってきた言葉にええ!となりました。
 小松左京さんが「千葉の白浜に遊びに行きますと、褌一丁で自転車に乗っている人がいるんですよ」と言うではありませんか。ビックリしました。
 そして後日その話を父に話ましたら、左京さんのご親戚が白浜にあると分かりました。それも私に良く声を掛けて下さっていた小母さんが左京さんの叔母様だったのです。
 その小母さんのご長男が左京さんそっくりで、驚きました。今朝テレビで紹介された左京さんと見まがうばかりでした。体格も顔立ちもそっくりです。

         小松左京さん

 3月11日の東日本大震災をどのようにお考えになっているのかしらと思っておりました。大作家と言うより何となく知っている方という気分でしたから、ニュースで名前が出てくるのを待っておりました。
 それがご逝去の報道です。まさかのことで本当に残念で惜しく思っております。

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手打ちラーメン

 世にラーメンファンは数知れず。ラーメンと聞きますと中国らしいですし、中国伝来の麺料理のようにも思え聞こえます。そのことは否定できませんね。ですが今やラーメンは完全に日本の麺料理と言えましょう。
 中国で食べる麺はどうも日本のラーメンに劣るような気がします。中華料理の美味しさは世界に通じますし、美味しいと思いますが私は麺だけはラーメンが好きです。醤油味のラーメンは香港などでも好かれていると聞いております。
 と言うようなことで、ラーメンを打ちたいと思い続けておりました。時間がある時に打とうと、長ーい麺棒も買ってありました。なかなか機会がなく過ぎておりました。
 偶然ゴルッテリアさんがラーメンを打ったと知り、私も打って見ようと思い立ち打ちました。
 先ずリンクしてあります富山の瀬戸さんにラーメンの打ち方を教えて頂きました。そして手順を踏み打って見ました。
 以下順に画像を並べてみます。

     塩とかん水を計ります  小麦粉にかん水を混ぜる

     小麦粉寝せる  打ち始め

     大きくなって来た  捲いて伸ばす

               伸ばし終わり

 父の趣味にラーメン打ちがありました。昭和の初め頃、中国人に教えて貰い、以来中国時代も勿論引き揚げ後も良く打ち、食べさせて呉れました。打つ姿は傍に付ききりで眺めたものです。ですから伸ばし方などをどうするかはまー自分なりに見当を付けておりました。
 ところが打ち始めますと小麦粉のブレンドの割合の所為か、固くて参りました。それでも取り掛かったからには頑張って打たなければと、一所懸命に打ちました。以上が上の画像です。これから切るのです。
 固いと言いました通りで、もうこれ以上は伸ばせないと観念し、伸ばした物を屏風折に畳み切りました。

     切り始め  切り終わり

 先ず切り始めますと厚さが厚さだけに太めです。サテと考えました。そして出来るだけ幅を細くして切れば何とかなるのではと、息を詰めるように緊張して切りました。フーです。でも嬉しかったですよ。
 
 食べるにはスープを作らなければなりません。材料の鶏ガラは佐藤秀一さんに教えて頂いたフォンドボー用の物を冷凍しておりますから、それを解凍しスープを用意しました。そして自分の打ったラーメンを食べることが出来ました。

     豊後どりガラ  ラーメン出来上がり

 大鍋から麺を掬って揚げる時良い気分でしたよ。瀬戸さん有難うございます。ゴルッテリアさんも有難うございました。
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何がどうなっているのやら

 多くの人がこれからの日本がどうなって行くのかと、毎日思っている筈です。
 菅総理が悪い、誰それが不快感を募らせているなど、そう言ったニュースも大事なのかも知れませんが、国民は前向きにことが進み、安心と安全を望んでいるのです。
 朝な夕なに心が揺れます。

     朝食7月20日  朝食7月21日

     朝食7月22日  朝食7月23日

     朝食7月24日  朝食7月25日

     朝食7月26日  朝食7月27日

 4月から
 原発震災を防ぐ全国署名を集め始め、今日ようやく連絡会に署名者の名簿を送ることが出来ました。
 私は特に何かの会や組織に参加しておりませんので、親しい方に賛同を呼びかけました。
 多くの賛同者の方が名簿を私の手元に送って下さり、また直接連絡会へ送って下さった方も沢山おります。
 女学校の同級生の多くはPCを使っておりませんので、手紙でお願いしました。ご近所の方々も沢山署名をして下さいました。
 何人かの方はカンパも送ってきて下さり、また私宅にお持ち下さった方もあります。
 多くの皆さま有難うございました。
 福島の原発の収束は全く分かりません。政府は次々に難しい言葉で発信をしますが、一体全体どこまで国民に知らせようと思っているのか。もしや知らせたくないのか。本当に国民を守って呉れるのかと毎日注目しております。
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なでしこジャパンは続く

 世界一になったなでしこジャパンは連日ニュースを初め様々なメディアで取り上げられております。
 先日は澤選手のお母様も出演しておりました。

         澤選手と母

 日本中に喜びと元気を広げて呉れた功績に誰も異存はありませんでしょう。佐々木監督には母校明治大学からの特別功労賞贈呈が決まりました。

 友人からメールが来ました。とても良いお話ですので紹介致します。友人とロスアンジェルスに住む甥御さんとのやり取りです。

 ロス 「日曜の午後、観戦しました。なでしこは本当に粘り強かった。試合後のアメリカの監督・選手が口々に言っていたのが、『ジャパン ネバー ゲイブ アップ』(日本は決して諦めなかった)」

 私 「いい表現をしてくれたね。アメリカ人のそういうところは好きだなぁ。日本のテレビでは聞かなかったよ。ニュース感覚が悪い」

 ロス 「沢選手の言葉も、アメリカで伝えられているコメントが、日本ではあまり伝えられていないようです。 それは

『我われのしていることは、ただサッカーをするだけではないと意識していました。我われが勝つことで、何かを失った人、誰かを失った人、傷ついた人、、、彼らの気持ちが一瞬でも楽になってくれたら、私たちは真に特別のことをしたことになります。
こんな辛い時期だからこそ、みんなに少しでも元気や喜びを与えることができたら、それこそが我われの成功になります。
日本は困難に立ち向かい、多くの人々の生活が困窮しています。我われはそれ自体を変えることは出来ないものの、日本は復興を頑張っているのだから、そんな日本の代表として、復興を決して諦めない気持ちを見せたかった。
今日、我われにとっては正に夢のようであり、我われの国が我われと一緒に喜んでくれるとしたら幸いです』

         朝刊7月19日

      新聞の記事がとても新鮮に感じられます。
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美味しい話は楽しい

 中国の書法を習っております。老師は北京人です。
 先日ドアーを開け招じられますともう中国の香りが漂っています。老師は「匂いませんか?」とお聞きになります。「いいえとても良い匂いです」となり、席に座りました。キッチンでは鍋が湯気をたてています。
 「何ですか」「豚足はお好きですか?」「好きですよ」「今煮ているのです」
 「見せて下さい」「どうぞどうぞ」となりました。

            豚足1

 覗きこみますと香りが一層強く私を刺激します。食べたいなーと思っておりました。ですがここではさりげなく、澄まして座り姿勢を伸ばしました。ですが匂いは気になります。
 教養人は会食をする時 料理のことを話せなければその席に合わないと、蔑すまれると聞いたことがあります。そんな教養人ではありませんが、料理の話や食べ物の話は大好きです。最も食事中の話題は楽しくなければいけませんね。どうも最近はTVを見ながら食事をし、そして怒ってばかりいます。良くないですが、どうしてもそうなってしまいます。それはとも角先日は昔習った中華料理の話から、好きな料理のこと、また昔中国で食べた小吃のことなど次々お喋りをして仕舞いました。
 
 小学生の時 学校からの帰り道 ランドセルを背負ったまま油条と言う棒状の揚げ物を揚げている露天商の前に立ち、飽きもせず眺めた話とか、お財布を折ったような餅のことなど、次々と話題が出て来ました。
 老師は途中で八角を入れ、最後の仕上げをしているようです。
 授業が終わり玄関で靴を履いておりましたら「後でお持ちしますよ」と仰いました。
 お昼に届きました。ゼラチンたっぷりと言う感じ。骨を残ししゃぶるように食べました。美味しかったですよ。
 好吃!です。

           豚足2

 中国の香りです。老師に調味料のことなど伺いました。ネギの青いところ 生姜 紹興酒 砂糖 醤油 八角等です。鍋は小型の圧力鍋を使われておりました。
 一回茹でこぼし、圧力は掛けずに煮初め、暫らく煮込んだら味を調整し、圧力を掛けて煮詰めるそうです。
 何と言いましても紹興酒が要りますね。
 最近は横浜の中華街では匂いが余り漂って来ません。中華料理好きな私には詰まらないのです。
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航海の想いでという万華鏡

 昨日地元紙の「イースト情報」に我孫子市在住の万華鏡作家の村越道浩さんの作品が再展示されると紹介されておりました。
 会場は我孫子駅南口そばの「アビシルベ」 8月4日から17日までと言うことですが、その展示期間中に8月7日(日)一日だけ展示されると言うのが「世界の人形館」所蔵の万華鏡「航海の想いで」です。
 
              イースト情報614号

 時々訪問し、万華鏡を楽しませて頂いている私は、涼しい風が吹いていた昨日夕方オーナーの高さん宅に出掛けました。地震で大変なことになっておりました高さん宅は、何事もなかったかのように綺麗になっております。

            高さん宅の夜

 イースト情報で紹介されています「航海の想いで」を見たかったのです。高さんにリクエストしましたブータンはブログで紹介して頂いております。
 物静かな奥さまは何時ものようにもてなしをして下さいます。
 高さんが先ごろ我孫子市内の中学、小学校に寄贈された地球儀への子ども達のお礼の言葉が綴られた冊子も読ませて頂きました。素直な子ども達の言葉に心強い思いを致しました。

            高さんへのお礼

 高さんとお喋りを続けておりましたが、私は夫と食事をしますので、外が完全に暗くなるまではお邪魔する訳に行きません。そのことを申し上げますと高さんご夫妻はカーテンを引き、灯りを全部消して「航海の想いで」の万華鏡が天井に映す仕度をし、見せて下さいました。

     丸い万華鏡  天井の万華鏡

 左の画像の右下をご覧ください。丸い水晶の球に万華鏡の模様が見えます。この水晶球の下に万華鏡があるのです。天井に映す時はこの水晶球を外し、拡大鏡を置いて暗くします。見上げる天井に広がる万華鏡の模様。
 見事です。高さん宅のソファーに仰向けになって見上げて来ました。
 航海の想いでは特注の世界で一台の万華鏡です。制作に何カ月も掛かったそうです。
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厳しくても辛くても

 先に書きましたが、私が女学校(今の中学1年生から高校2年生まで)に入学したのは1944年(昭和19年)です。
 その学校は千葉県立安房高等女学校と呼ばれ千葉県館山市にありました。海軍の街で活気に溢れておりました。 海軍航空隊があり、その兵隊の落とすお金も街の活気に役立っていたかも知れません。海軍士官の尉官が女学校の講堂で尤もらしく講演などをした時代です。尉官と言いますと24,5歳位でしょうか。この海軍航空隊の士官と結婚した方が卒業生に沢山おりました。
 当時の女学校は将来の良妻賢母を育てることを旨とし、その為のいろいろなことを仕込まれ、勉強もしました。
 学校は2年前に同じ市内の安房高校に吸収合併のような形で統合され今はなくなっております。

           安房高女校舎

 女学校の授業には普通の学科もありますが、裁縫や作法、割烹と言った将来の家庭婦人に役立つような科目もありました。
 私はどの科目も苦手したが、最小程度のことは覚えておりました。
 役に立ちましたのは献立を立てる時のカロリー計算です。有本邦太郎さんと言う栄養学の先生の書かれた食品成分表です。これは紙が破れ、黄色くなり汚れて仕舞っても使っておりました。
 裁縫は嫌いでしたが、継ぎ接ぎの方法は今でも役に立っております。継ぎ接ぎの見本帳を作りましたら、先生は「お嫁に行く時に持って行きなさい」と諭しました。これはとても良い基礎として感心しております。

 学校での生活は若いのでそう苦しくはありませんでしたが、戦局が悪化して来てからは大変でした。
 道路から校舎へと入って行く道の両側に防空壕を掘ることになり、山に木を運びに行きました。二人一組になって丸太を担いで来ます。壕を掘りその上に丸太を並べ、草や土を被せた実に柔な物です。役に立つような物ではありません。でも当時はそのレベルの物でも役に立つと思われていたのです。(米軍の力を知らない情報不足の結果です)
 
 私は在学中に寄宿舎に入っていた時期があります。寄宿と言いますと集団生活ですね。我儘は許されません。
 極端な言い方ですが、四六時中監督、監視されているようなものです。
 先ず朝  起床すると直ぐに夏は冷水摩擦 冬は乾布摩擦を廊下に並び済ませます。この摩擦方法は必ず心臓に向けて擦らなければなりません。
 乾布摩擦が済みますと、布団を畳み部屋の掃除をします。また部屋順に寄宿舎の中の施設の掃除も交代でします。これは公平に場所が決められ誰もがトイレ、食堂、風呂場や洗面所などの経験をします。
 
 朝食と夕食は全員揃って頂きますが、汁物や漬物は部屋ごとに分けられてる器から人数分に取り分けます。
 これは大人になりますと大いに役に立ちました。分量と人数とを考え、公平に分けることが身につきます。
 昼食は廊下伝いの校舎から食べに戻り、自由に座って食べることが出来ます。

 授業が終わりますと、真っすぐ寄宿に帰り、お稽古ごとが待っております。華道やお琴の稽古等です。この費用は無料だったような記憶です。食費の計算は毎月親に請求がありますが、きちんと日割りになっておりました。
 夏の夕方は学校のプールで泳ぐこともありましたが、野菜の手入れもしますし、布団を日に当てたりします。
 洗濯は洗面所で手洗いです。お湯は勿論有りませんから冬は冷たく、手が真っ赤になってしまいました。
 
 家に帰る時には帰宅前日「出入り携帯簿」という冊子に出舎時間を書き、舎監に提出します。舎監はその下に判を押して生徒に渡します。それを持ち家に着きますと親は帰宅時間を書きこみます。家を出る時の時間をまた記入して貰います。そして帰舎した時間を書きこみ、舎監に提出します。ことほど左様なことです。
 預かっている子どもに間違いがあってはならないのです。でもこれは厳しかったですね。寄り道も出来ませんし、勝手に他所の家に行く訳にも行きません。

 寄宿舎では行事もまたいろいろあります。ひな祭りにはお雛様を和室に飾ります。節分には校長が食事にお見えになり、豆まきをします。折々の行事は簡単でもして下さいました。食事は一汁一菜ですから充分とは言えません。
 戦争の影響で食品の入手が厳しくなって来ますと、麦は勿論ですが、その他ご飯に大根を入れたり、サツマイモやジャガイモを入れたり、またヒジキを入れたりと嵩を増やし、それも一人に丼7分目位までになって来ました。

 否応なしにいろいろと鍛えられ、覚えることになりました。お小遣い帳もきちんと付けて毎月舎監に提出し、検査を受けます。それでしょうか家計簿をつけるのは大嫌いです。

 夜ですが夕食が済みますと暫らく自由時間があります。7時になりますと黙読という時間が9時まで続きます。
 お喋りは禁止、あくまで勉強をしなければなりません。家から持ってきた炒り豆なども音を立てないように食べます。時々舎監が廊下を通ります。皆がちゃんとしているかをさりげなく眺めるのです。
 9時になりますと部屋の外に並び、当番が夕礼の点呼をし、そして報告をします。
 「全員○名 帰宅者○名 病気○名 現在○名 以上です」
 
 思い出しますととても良かった面に気がつきます。入学したころは期待していた程には授業の程度は高いとは思えず、日本に戻ったことを悔やんだものでした。それは成人してから子ども心の浅はかな考えだったと気がついたのです。
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ベルサイユのばら

 1944年に女学校に入学しました。戦時中ですから制約が沢山あります。
 贅沢は駄目ですね。万年筆も腕時計も禁止 街の喫茶店や映画館への出入りも禁止
 ましてや男子生徒との交際なんて普通ではないと睨まれました。
 その戦時中 学校全員で見に行きましたのがたしか「歌う狸御殿」と言う映画です。主演は宮城千賀子
 この宮城千賀子と言う方は宝塚出身です。たわいもないストーリーですがミュージカルですから田舎の女学生を可なり興奮させました。見に行きました頃私は寄宿舎での舎生でした。この映画を見たいと言う同室の上級生が夜窓から脱出するのを手伝いました。
 下級生2人は上級生が音を立てないように、窓に紐を掛けて降ろしました。映画が終わり帰舎した上級生が窓から這い上がるのも静かにそーとしなければなりません。他の部屋に気がつかれないように無事に引き揚げることが出来ました。そして点呼に間に合いました。
 寄宿舎では夕礼と称し、毎晩9時に部屋の前に並び、点呼を済ませます。まーそんな生活ですからその後この「狸御殿」の興奮は長く続きました。
 
 時は流れ「ベルサイユのばら」という宝塚のミュージカルを見に行くことになりました。友人がチケットの手配をして呉れました。長女を連れて華やかな舞台を堪能しました。それは続けて2回も見ました。時代もですが私も変わりましたね。
 そして最近 近くの郵便局でベルばらの切手が売られていると知りました。そしてそこに池田理代子さんのサイン入りの画が飾られております。良く見ますと我孫子つくし野郵便局さまへとなっております。
 ご本人から送られて来たものでしょうね。でもチョッと驚きました。

      つくし野郵便局ベルばら額  7月9日朝日ベルばら

 切手を買いに行く度に眺めておりました。7月9日の朝日新聞にマリー・アントワネットの尊厳さを見ると言う画が掲載され、それにベルばらの紹介もされておりました。私が見た「ベルサイユのばら」は東京初演の舞台だったようです。
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他所から来た新聞

 子どもの頃 大掃除の時は畳を干すので外に持ち出します。すると畳の下に敷いていた古新聞が現れます。
 祖父に叱られながらも腰を下ろし新聞を読み続けます。そしてそこから思いもかけないことを知ったりしました。大掃除で楽しいことはこの位でしょうね。大掃除って子どもにはそう楽しいもではありません。
 
 一昨日富山の瀬戸さんからの荷物が届きました。その箱の中に読売新聞がパッキングとして何枚か使われておりました。
 昔と同じように品物を冷蔵庫に仕舞ってから、直ぐにその新聞を手に取りました。1月10日のものです。

            読売新聞記事

 この記事を読み、改めて原発の危険なことを強く感じたことです。
 柏崎刈羽原発の安全性を議論する新潟県技術委員会の鈴木元衛委員は「コンピューター解析で、地震があった場合の核燃料のゆがみやバラツキを完全に予測できない。制御棒と燃料の摩擦も正確に計算できない。実験で不確かさを減らすことができる」と述べております。以下は画像を大きくしてご覧になって下さい。
 この実験での目安は今回の事故を見ますと甘かったですね。
 トラブルのニューズは余り関心を持って読んでいませんでした。我が身ながら残念で切なく思っております。

 この富山の瀬戸さんですが、信念と努力を持ち続けて過ごしている方です。リンクをご覧になって下さい。
 今回は全て推奨できる材料を使って作る味噌が中心ですが、珍しい一升漬けと言う味を届けて下さいました。
             
              深い味わいです。

           一升漬
 
 瀬戸さんこれからも新聞を一緒に送って下さい。有難うございました。
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言うことなし

 今日の早朝からドイツのフランクフルとで開催された女子サッカー世界選手権決勝戦。
 早朝と言いましても事際は夜中から始まった試合は見ることは諦めて寝て仕舞いました。午前6時PCを立ち上げましたら日本女子チームは優勝をしておりました。
 スポーツ不得意な私でも興味がありました。本当い良かったですね。

 朝から各局繰り返し取り上げておりました。私は用語も分からず、夫に質問のしっぱなしです。
 試合の解説は素人には出来ません。ですが嬉しい気分が続きました。
 夕方お会いした中国の方も心から褒めておりました。

     サッカー会場の盛り上がり 優勝杯

 最近は何と言いましても地震や津波災害と原発ニュースで何処かに何かが閊えております。今日はそんな気分を開放してくださいました。
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読み難く分かり難い

 最近あちこちの駅で見るマナーへのお願い?
 出先でのマナーを守らないと言うより、知らぬふりや無視という方がおります。恐らくそう言う方への注意と言いますか、お願いと言うのでしょうね。先日はホームを歩きながら携帯でメールを打ちながらは止めて下さい等の注意が出ておりました。
 注意を読み秘かに過っての自分の姿を重ねて仕舞いました。地下鉄新お茶ノ水のホームでお喋りしながら歩いておりました。横にいて私のお喋りを聞いていたのは夫。私は前を向いていなくてお喋りに気を取られ、立ち台でマイクを握り、合図をしている駅員さんにドーンとぶつかってしまいました。またもう一度は太い大きな柱にドーンです。その時は胸を思いっきりぶつけて、心臓は大丈夫かしらと、慌て心配しました。胸の筋肉は暫らく痛みが取れませんでした。以来家族に駅ホームではお喋りをしないで、前を向いてと注意を受けております。
 この2件は自爆のようなことで、多分他人様には迷惑をかけていませんでしょうね。でもチョと駅員さんを驚かせたかもね。
 今日の午後日差しが強く、駅のホームでも少し風が通るところを探しました。階段の下、そこは普段は先ず人が通りません。
 ふと眼をやりますと、壁に貼られているポスター 何だか読み難く、謎掛けのような感じです。

           駅のポスター

 私には何だかややこしく見えます。これってマナーを守らない人に効果があるのでしょうかね。
 制作者の自己満足のような気がしました。
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嬉しいですね

 今日の朝日新聞天声人語は下記の言葉で綴られておりました。

 「阿久悠さんが黄色になって寝込んだのは24歳の時だ。過労と栄養不良から肝臓をやられた。1961年(昭和36年)、後の大作詞家もまだ、将来を描ききれぬ広告マンである。独り身の病気ほど心細いものはない▼阿久悠さんを慰めたのはラジオの歌声だった。「ウエホムフヒテ、アールコホホホ」と不思議な歌唱。「涙がこぼれないようにと言われるのだが、わけ知らず大量の涙を流したことを覚えている」と、本紙に連載した「愛すべき名歌たち」にある▼「上を向いて歩こう」は、詞が永六輔さん、曲が中村八大さん。「黒い花びら」を当てたコンビだ。すでにアイドル歌手だった坂本九さんとの「六八九トリオ」は、国内ばかりか約70カ国で1千万枚を売り、全米1位にも輝いた▼世界で愛され、日本人を励まし続けたこの曲がきょう、CDで再び売り出される。発売50周年を祝す企画だが、震災後、店頭での問い合わせやラジオへのリクエストが急増しているそうだ。時の求めといえば大仰だろうか▼九ちゃんは「楽しみを、幸せを売る男になりたい」と語っていた。ジャンボ機墜落事故がなければ今年70歳。社会活動にも熱心だったから、芸能界のまとめ役として被災地を奔走していたに違いない▼「見上げてごらん夜の星を」「明日があるさ」。つらい出番というべきか、ご本人に代わって半世紀前の歌声が街に流れる。くじけそうなこの国を救うのは経済力や勤勉さだけではない。数々の応援歌もまた、私たちの財産である。」

 1979年夏 港区白金の八芳園で開催された六八九倶楽部の設立披露の会に呼ばれました。
 会場の大広間に集まった方の三分の一位は中村八大さんの友人、知人でした。私たち中国青島の小学校仲間は可なりはしゃぎ、舞台でひろげられた永六輔さんとの寸劇などで盛りあがりました。
        九ちゃんも永さんも薄物の和服です。

            八芳園にて

 八大さんはその日 新幹線の遅れでとうとう会に間に合わず、お見えになれませんでした。本当に残念でした。
 今は「六八九トリオ」と三人が呼ばれておりますね。この設立パーティーの後 八大さんからこの「六八九倶楽部」という言葉は全く聞くことはありませんでした。不思議な気がしております。
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バイキング気分

 このところスーパーで目につく牛スジや牛スネと豚スペアリブ どれも廉いものです。
 私は全て国産の物を利用しております。
 毎日の総菜は和食中心ですので、お肉はダシ程度で食べることが多くなっております。
 私の肉料理のレパートリーは多くはありません。忙しいこともあって、煮込むものは気合いを入れませんと出来ません。それでも最近は牛スジ蒟蒻を作り、牛スネのシチューも作っております。作り出しますと嬉しくなりますね。
 ながら族ですので、時に焦がして仕舞うこともあります。
 
 今回は後輩の佐藤秀一さんにヒントを頂いたスペアリブの塩茹でと唐揚げを作ってみました。

 塩茹では大鍋にお湯を沸かし、塩と日本酒を入れて40分ほど茹でました。火を落とし少々時間が経ち抓めるようになりましたので、台所で一切れ口にしました。
 美味しかったですね。朝の仕事ですから夫は未だ起きて来ません。一人立ったまま骨を持ち、堂々と齧り付きました。
 
           スペアリブ1

 何だか野性的で気分はバイキング バイキングって女性はいましたかしら。いなかったでも良いです。
 お行儀もへちまもありません。美味しいのです。齧ることもまた良いですね。
 この分量で大凡1000円 数人で食べること出来ましょ。

 この塩茹でを電子レンジで唐揚げを作りました。これは今夜の肴になりました。柔らかくて食べ易くて、また作りたくなりそうです。粉の説明を読みますと、鶏の生を使うように書かれております。
 このように一旦茹でてありますと、油分も少なくなっていましょう。ただ唐揚げには塩を控えた方が良かったようです。

        から揚げ粉  スペアリブ2

 レンジを使う時間は生ではありませんから少し控えました。さー今度は何を作りましょうか。
 
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適切なアナウンス

 ご近所のお仲間は皆さん忙しい毎日を過ごしております。いろいろ事情でしょっちゅうお会いすることは出来ません。
 その忙しいお仲間と先日車で1時間余りの温泉に行きました。1台の車に7名という賑やかな道行きです。
 場所は「ヒーリングヴィラ印西」と言う所謂健康浴場と言いますか、大衆浴場でしょうね。
 お湯はれっきとした天然温泉です。数年前同じメンバーで一度行きました。

     フィーリングヴィラ印西  ヴィラの中

 最近は温泉に入っておりませんので、施設の中の温泉を次々試して見ました。岩盤浴と言うのにも横たわり、ゆっくりとしました。ところがこの岩盤浴ではすっかり寝て仕舞い、目が覚め出て行きますと私は最後だったようです。
 この温泉でリラックスして体も軽くなった筈です。ところが帰宅してすぐに眠くなり、我慢が出来ず椅子にかけ先ず普段はしない午睡ということをしました。夜は夜とて早々と眠くなり、普段と違って10時には横になって、また充分に眠る事が出来ました。おかしいですね。自分で納得が出来ません。

 ところで適切なアナウンスとはどういうことかと言いますと、道中の車の中での話題です。
 時が時ですから地震や原発のことも話題になりました。車は我孫子を出発、手賀大橋を渡り、南へと走りました。橋の南東詰に「満天の湯」と言う同じ様な浴場があります。
 地震の時にも当然お客さんがいたでしょう。地震発生後直ぐに館内に流れたアナウンスが実に適切だと話題になり、皆さんで感心しました。地震になったらどうしようと話が出ていたのです。
 地震です。皆さんパンツ穿いて下さい
 満天の湯のアナウンス なんと言う適切さ。皆さんを落ち着かつかせたことでしょう。
 拍手ものです。
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お詫びばっかり

 連日のように 誰かがどこかで、誰かにお詫びをすると言う事態 このような世情はどういうことでしょう。
 総理大臣から大企業の社長 そして大臣も参加  それでも立派と褒める人はいるのでしょうか。 
 情けなくてと会う人々が嘆いております。

      7月7日新聞  朝食7月8日

 毎日普通の生活は続いておりますが、辿って行きますといろいろなことに遭遇しますね。ほんの僅かな一週間でも激しく事態が変化して行きます。
 日本人を止める訳には行きません。事態を見守るだけです。
 
 最近私はゼミの先生に「法の始まりは所有権だ」と聞かされた時の衝撃をしばしば思い出します。
 それは現在私たちが使う所有権法と言う意味とは違っているとは思いますが、本質は持てる人がそれを守ると言うことから始まったと思うのです。言うなれば他から権益を守ると言うことでしょう。法に裏ずけられた権益です。
 社会が変わり、法は次々変わって来ましたが、一旦出来た体質はなかなか変えることは難しいことでしょうね。
 所有権が既得権となり、人々はその利益を守るために努力をするのでしょう。
 既得権の内容は物や地位ばかりではなく、権力もその中に入っているのでしょうか。
法で守られている既得権は大事に大事に抱えていたくなるのでしょう。

 今 日本の中でこの既得権を守る争いが起きているような気がしてなりません。
 全ては正論の如く論じられてね。
 
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歩かなくっちゃ

 3月11日にエレベーターが止まり、4階からの上がり降りで体力の落ちていることに愕然としました。こんなことになっているとは想定外?いやある程度の予想はしておりましたが、それを超えていました。
 一ヶ月ほど前 右膝内側に痛みを感じ、接骨院に行きますと、軟骨が減っていると言うことで、高齢になると殆んどの人に出る症状だと、説明をされました。説明の中で体型が物凄く細い方はその症状が出ないと言うことです。
 掛かり付けの病院の先生からも体重を落とすようにと、この数年注意されております。
 接骨院での説明でこの症状を進行させないために、体重を落とし、ストレッチを続けるよう勧められました。

 そこでこのところ夕方になりますと、カートを引き、近くのショッピングセンターまで出掛けております。
 物を買うことが目的ではありませんが、それでも何かしら買っております。そこでカートが役に立ちます。

 ショッピングセンターの食品売り場ですが、娘たちに言わせますと、私は売り場の一番外側しか廻ってなく、中心にある冷凍食品やレトルト商品を殆んど知ろうともしないように見えるそうです。何かと言えばトンチンカンなことを聞いては聊か馬鹿にされたり、からかわれたりしております。
 そショッピングセンターには歩くために行く訳ですから、グルグル何回も売り場を廻っております。
 そして見つけるのです。全く知らなかった食品や、新しい調味料など。数え上げると数知れずと言うことです。
 あの大量の商品を確り頭に入れていて買い物をされる方がいたとしますと、尊敬して仕舞いますね。

 昨日は珍しく果物の売り場を眺めてみました。バナナの種類と言いますか、産地や大きさと言いますか。いろいろとあるのです。そこで台湾バナナを見つけました。チョッと目的がありましてね。買ってきました。
             実に立派なバナナです。
 
            台湾バナナ

 バナナが一年生植物だとは台湾に行くまで全く知りませんでした。台湾に行きましても、バナナ畑の傍を通りましても、まだ信じ難い思いで眺めて来ました。
 昔良く出掛けた館山の南房パラダイスの温室では大きなバナナの樹が見られるのです。それに房なりのバナナがぶら下がり、見る度に何時誰が食べるのかなんて余分な心配までしましたからね。
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三代目もいろいろ

 何時の世にもあることでしょうが、人間三代目となりますと質の良し悪しがはっきりとするようですね。
 それは政治家や財界人にも言えることで、良き三代目を頂く部下や組織は安心して業務に励むことが出来るでしょう。私ごときが言うことではありませんがね。
 ごく最近のことでは「松本龍代議士」のことで衝撃を受けております。
 かの祖父の松本治一郎さんのことを知るだけに呆れております。今私は悪しき方の三代目だと断定しております。
 災害を受けた方々への人間としての優しさが欠けております。
 大臣ってその地位が齎す権限とそれを国民のために発揮すべきことではありませんか。大臣本人が偉くなった訳ではありませんでしょう。この人は思い上がっていたのではありませんか。
 祖父の治一郎さんがこのことを知りましたら激怒されたと思います。

 夫も九州人ですし、私の知り合いの九州人は皆さん紳士です。「私は九州人だから」なんて言って欲しくはありませんね。こういう言葉もまた失礼な言い方です。九州人だからと許せるものではありません。
 雑すぎます。菅さんの人事がまた責められることでしょう。
 政府も復興の手順がなかなか進まないような印象をうけます。そう言った中で被災地の方がたへの強い言葉が地元民の心を傷つけたことは間違いないことと思います。
 先ほど辞任の報がTVで流されましたが、当然のことでしょうね。

 震災への企業や個人の協力もいろいろな形で展開されております。数日前に、やまと運輸に品物を送って貰いに行きました。そこで目にしたポスターはさり気なく貼られております。
 一年間の義捐金が130億円になると言うのです。

          ヤマト便

 大臣はこう言ったことまでは把握できないとは思いますが、多くの人が頑張っていると言うことを承知して発言をされて欲しいと思ったことです。
 
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西太后のトランプ

 2009年9月 その年の12月にNHKのドラマ「坂の上の雲」の舞台となる大連、旅順を廻って来ました。 放映の前に二百三高地や旅順港などを実際に目にしようと言うことでした。放映の時はとても参考になりました。
 
 大連港の前の建物の上で記念写真を撮り、ビルの中で一箱のトランプを買って来ました。最近孫と遊ぶ時のカードが痛んで来ており、新しいカードを引き出しなどから探そうと、あれこれ見ておりますと、忘れていたカードがありました。孫のは未だ使えますので、それはそれで後日出そうと思っております。
 
 見つけたトランプは西太后のトランプです。よーくみましたら、カードの中の写真や画が全部違うのです。
 昨年放映された「蒼穹の昴」また去る5月に放映された「近代中国に君臨した女性たち」でも見られた西太后の姿と重ね合わせてみますとなかなか面白く、並べてみました。

       トランプケース  キングとジョーカー

     ハート1~6  7-Qハート

     1-6クラブ  7-qクラブ

     1-6ダイヤ  7-qダイヤ

     1-6スペード  7-qスペード


 これらの絵画や写真など全て故宮博物院(紫禁城)で保管されているようです。勿論版権も故宮博物院にあるのでしょう。
 ケースを良く見ますと日本語で「紫禁城トランプ・シリーズ」の字が見えます。トランプは西太后以外のカードもあるのかも知れませんね。

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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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