2011-10

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変らぬ朝食

 歳月の移り変わりをことさら早くと感じている今年です。
 3月11日の東関東大震災、続く福島原発の事故 
 見上げる空も家々も何事もなかったように見えます。それはそう見えるだけで、見えなくなって仕舞っているものや、事件等沢山のことがありました。それらの中には決して忘れ得ないこと、ならないことが沢山あります。
 日本は激変し、また世界も大きく揺れております。
 毎朝朝刊を添えて朝餉の写真を撮りますが、全てを理解することなんて、とても至難のことです。
 浅学非才の人間 私は百科事典の何ページ分の知識を持ち合わせているのでしょう。
 たかが新聞されど新聞 そんな表現はありませんでしょ。新聞は知識の宝庫です。
 ですが最近新聞からのニュースに何か臭いものをいろいろと感じてなりません。
 
 この10日ほどの間の朝食を掲載します。リビヤのカダフィーはもう何処かに忘れて仕舞っています。
 ですがその死亡が確認されてから僅か二週間も経っていません。将に光陰矢の如しですね。

       朝食10月21日  朝食10月23日

       朝食10月25日  朝食10月27日

       朝食10月29日  朝食10月31日

 我が家は和食党ですから、これに焼きノリと味噌汁が付きます。
 トマトは必ず食べますが、地元我孫子や北海道の物を買います。元々地元我孫子の野菜を求めて使うようにしておりましたが、今は少し変化が起きております。産地に気を使います。
 孫たちのには野菜を九州からネットで取り寄せております。孫には安心出来るものを食べさせたいです。
 野菜も高くなっておりますが、今は外出も滅多にしませんので、食費にその分かけることが出来ます。
 米は私は長くお付き合いをしている多古の生産者から取り寄せております。何時も多少の備蓄を考えて頼みますので、保存の長く出来る包装の物を送って貰っております。未だ新米は食べておりません。
 娘たちは無洗米をボトルの水を使い炊いております。
 政府が安全と発表しても、原発問題での枝野さんの言葉を思い出しますと、不安は付き纏います。
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無事終了・明治大学マンドリン倶楽部演奏会

 昨日の空は晴 風もなく穏やかなお天気に恵まれ、行事の日としては申し分ない日となりました。
 明治大学マンドリン倶楽部による第6回チャリティー演奏会が開催されました。
 明治大学校友会我孫子地域支部・柏地域支部主催 流山地域支部協力のもとでの開催です。
 多くの方がご存じの通り、明大マンクラは古賀政男さんが学生時代に立ち上げた倶楽部です。

            マンクラプログラム

 明治大学マンドリン倶楽部の演奏会を開催する為には時間が掛かります。学生ですから演奏会は土、日、大学の休暇日です。全国から招聘の声が掛かります。会場の確保と学生の日程とが合いませんと呼ぶことは出来ません。
 今回も前回までと同様 実行委員会を作り、準備が進められました。
 来場者の多くは中高年の方々です。開場時間よりも早く見える方が多く、その方々をどうご案内するかは大きな問題でした。実行委員会は勿論、支部の幹事会でも意見を出し、スムーズにお客様を誘導するように工夫をしました。昨日一番乗りの方は開場まで1時間半早くお見えになりました。
 ちなみに今回来場者の最高齢と思われる方は100歳の女性 流山から一人でお見えになりました。感動しましたね。
 
 実行委員と各支部の幹事50名ほどは9時集合 9時30分からミーティング
 各自定められた準備、そしてお客さまの案内の用意などど大車輪で動き回りました。
 
 駿河台からバスで到着した学生はリハーサル またゲストの二胡奏者の曹雪晶さんとの音合わせとリハーサル
 それも順調に終わっております。全て準備が整いました。

 お客さまは4列に並んで頂き、係の案内に従い順に入場し、演奏が始まりました。
 一部 二部 三部と大きな拍手を頂きながら演奏は無事に終わりました。

        パンフレット折り込み  リハーサル

        入場を待つ列  満席の会場

                  学生の挨拶

 今回の演奏会は定員1600名の会場です。その会場をほぼ満席にするほど皆さんがチケットを買って下さいました。
 私たちは予想外のチケットの数に感激しながら、お渡しするプログラムに他の演奏会などのパンフレットの折り込みも手分けして用意しました。
 演奏中は会場への出入りは出来ませんから、会場係の方は演奏をロビーのモニターTVで眺めておりました。
 私は時々曹さんの楽屋に行っておりました。曹さんは学生のレベルが高いと感心されており、私も勿論嬉しく思ったことです。
 演奏終了後お客さまが全員いなくなりますと、曹さんと学生 そして私たちは舞台に並び記念撮影。
 記念撮影の後学生から謝辞の挨拶があり、支部関係者代表からお礼と今後の活躍を願い労いの言葉が述べられました。今年の行事は終わりました。

            MSTYLE

  上の冊子は昨日某大学の教授(後輩)の方から頂いた物です。
    学園祭特集号     時期は今ですので掲載して置きます。
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ブータンの幻の蝶

 小学校上級生だった頃私は昆虫採集に夢中でした。春から秋までは勿論、冬は冬なりにいろいろと何かしら探しまわっておりました。
 中国青島の第一公園(現在中山公園)は採集の場所としては最高の場所でした。洋式庭園と中国風の池等もあり、春は桜が咲き、夏は洋花が咲き乱れ、冬には池でスケートが出来ました。

 昆虫は公園一帯が採集場所 私は自分の場所を見つけてあり、公園に着くと真っ先にその場所へと駆けつけました。そこでは必ず大きな蝶を見ることが出来るのです。揚羽蝶は黒も黄もおります。
 好きな蝶はタテハでした。一昨日孫の小学校に二女と一緒に出掛けました。日当りの良い校門の前に一匹の蝶が舞っております。たまたまデジカメを持っていましたので、その蝶を追いかけ何とかカメラは姿を捉えました。

         秋の蝶

 蝶の話 昨日は驚きました。日本から出掛けた調査団は幻の蝶ブータンシボリアゲハと言う蝶に出会い、その様子が放映されたのです。 1933年にブータンで初めて発見され、その後その姿を見たと言う情報もなく、5匹のアゲハが大英自然博物館に標本としてあるだけだったそうです。
 日本蝶類学会は長い時間を掛けてブータン政府に交渉し、今回情報のあった地点付近に辿りつき、見事その姿を捉え、確保したのでした。
 メンバーの方が手に持つ蝶を見た私 「あっ!胴を持っている」と興奮して声を上げました。
 子供の時 蝶を捕まえますと先ず胴を親指、人差し指、中指の3本の指で持ち、そっと押すのです。そして息を止めるのです。
 今回のブータンシボリアゲハはどの様にしたのかがとても気に掛かります。捕獲して保存も予定している筈です。いろいろなことを調べるに、傍に無ければ調べることは出来ませんね。

 ブータンと言えば先ごろ国王の結婚式が伝えられましたね。私はブータンのGNHと言うことを知りましたのはつい最近のことでした。GNHとは国民総幸福量ということで世界の注目を集めていることです。ブータン政府の目指す国是のようなことでしょうか。
 世界の人形館にブータンを挙げてリクエストしました。ブータンの衣服に関心あったのです。早速オーナーの高さんは取り上げて下さり、そのことで幸福量ということをお聞きしたのでした。

 幻の蝶の姿は掲載出来ませんが私はとても興奮しました。
 政治家の鳩山邦夫さんや先日亡くなられた北杜夫さん等蝶の蒐集家は結構多いようです。
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中国の新語を知る

 中国語の受講は長いと言うだけで力がありません。最近の授業で老師は人民日報海外版や、日本国内で発行されている新聞などのの一部分を抜き取りコピーしてお持ちになります。
 北京に行かれますと、北京の老朋友から聞いて来た中国情報も話題にされます。
 中国は漢字の国 カタカナがありませんから、外来語は中国語に置き換えて書かれます。音から入っているもの、内容か入っているもの その表現は様々です。見て直ぐ分ることもありますが、老師の説明で成る程と思うことも良くあります。

 先日同学の一人から教えて頂き、早速買いましたのが“現代中国「解体」新書”

         現代中国解体新書  中国新語

 右のは見易い様に大きくして見ました。この帯封に見る文字は中国の現代を表わしている文字の一部分です。
 授業で既にいろいろな新語はで聞いておりました。
 例えば 未富先老 房奴 月光族 蟻族 等‥ 
 ですが中国はあらゆる面での変化も大きく、また経済の進捗も勢いよく、それに伴う人々への影響、そしてそれに対する対応等を知るにはとても授業だけでは間に合いません。

 この書には言葉の意味が分かり易く説明されておりますが、その言葉の出た来た要因にも多くのページを割いております。
 既に私たちが聞いております、社会の構造の変化、政治に対する庶民の姿、経済格差への不満、教育の現状や格差等も改めて見ることが出来ます。そこにもまた今まで見たことも聞いたこともなかった新語が沢山あることを知ります。
 
 話は変り私は高齢です。その年齢は既に日本の新しい言葉にも戸惑い暮らしております。テレビや新聞などで目にする言葉は、見ていると言うだけで、頭に留まっておりません。毎日のように会う孫の会話には時々付いて行けず、まごまごしながら説明をして貰います。ところが直ぐに抜けて仕舞い、同じことを聞いては呆れられております。
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ローズ品でも有難い

 一個の値段が高いので、自分で買うことはありません。偶に頂くと嬉しいのがマロングラッセ
 都心に住む友人は我が家の必需品の海苔を良く送って下さいます。彼女の送って呉れる海苔は大森や木更津、また富津の上等な物です。
 先日も「海苔を送るわよ」と電話がありました。その内に来るだろうと思っておりました。
 突然電話があり「今日からクローバーのマロングラッセの壊れが売りだしなの。新鮮なのが良いので海苔と一緒に送ったわよ」と 
       品物は電話の翌日届きました。

        マロングラッセ

 これは自分ではどう踏ん張っても作れるものではありません。レシピも沢山ネットに出ておりますが、私には無理です。
 栗は昔々渋皮煮なんて作ったこともありますが、今は根気も無くなっておりますし、力もありませんから皮を剥くだけでも大ごとです。
 さすがに老舗のグラッセです。香りが口一杯に広がります。ですが一切れで我慢。一切れだから確り味わいます。
 クローバーの本店に夫と行きましたのは、車のショールームを覗きに行った時でした。16,7年前でしょうか。二人でお茶を飲むなんて遠ざかっておりました。
 二階に上り窓際に座り、ケーキも頼みコヒーを飲みながら通りを眺めておりました。
 六本木の本店で数年に一度くらいはケーキを買うこともありましたが、上で座ることはありませんでした。
 六本木はあるく人も違うなーと、犬も違うなー、服装も違うなーと外に目が行きっぱなし。
 帰りに孫にケーキを買って来ました。多分自分たちのは買わなかったと思います。
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謝黎さんの新書

 親しくしています謝黎さんから過日第二冊目の著書を頂きました。
 謝黎さんと知り合ってから随分経ちました。今は東北芸術工科大学芸術学部専任講師として遠くに離れており、暫らくお会いしておりません。
 私は謝さんから旗袍(チィナドレス)について多くのことを学ぶことが出来ました。特に博士論文からは多くのことを学ばせて頂きました。1920年代から40年代にかけての中国における様々な文化的な動向、清朝から民国に移り変った中国社会が齎した女性の解放と意識の変化、そして旗袍の変遷
 特に文芸との関連を示唆した論文に目を見張りました。
 
 最初の著書 「チャイナドレスをまとう女性たち」はまた更に私の関心の対象として多くのことを教えて呉れました。
 今回の著書 「チャイナドレスの文化史」ではより深く研究成果をそこに見ることになりました。
 私は着たいという一心で旗袍と掛かり合いましたが、学術的な理論構成は出来ておりません。そこを何とか補い補い過ごしてこれたのは謝さんのお陰と感謝の念を持ち続けております。

 謝さんの今回の著書については作家の楊逸さんが昨日の朝日朝刊で書評をしております。
 
      著書と書評を掲載致します。

      謝黎さん新刊  朝日10月23日朝刊
 
 今回の著書で特に私の関心を引いたのは第八章の「旗袍を仕立てた職人たち」です。これは私の手元にある、旗袍関連の書籍では見ることのなかったものです。とても参考になります。
 過って香港や台北で職人と会いましたが、本著書で学術的に整理されていますとこれまた勉強になります。

 2008年に私は神戸ファッション美術館で開催された旗袍展で謝さんのコレクション100点を目にして感動しました。時折都心で開かれた展示会でも大きな喜びを感じたものですが、神戸ではその素晴らしさに圧倒されたのを思い出しております。
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我が家風ブリ大根

 食材で大根はデンと構えております。食べ方も数え切れません。これから美味しくなって来ますね。
 「高齢になって」が枕詞になって仕舞いますが、大根の食べ方と言いますか調理方法も変ってきております。
 朝食には大根おろしが良く並びます。以前は朝食にも炒めた物を作ったりもしましたが、今は味噌汁に入れたり、浅漬にしたりです。大きく切った大根はおでんの定番ですね。
 葉は佃煮にしていますが、これは余り作らなくなっております。葉付き大根が店頭に余り並んでおりませんし、買いましても使い切れません。それも理由の一つです。
 
 最近は全てがあっさり方向になりながらも、濃い味の佃煮も常備菜として良く作ります。

 大根の煮方に変化が起きております。大根を煮ますと時間が経つにつれて味が濃くなり、また匂いも強くなって来ます。そこでこのところ皮むきで大根を削り、竹輪やガンモドキ、また油揚げなどと一緒に煮ております。
 鰤アラもわざわざ「ブリ大根用」とラベルが貼られて店頭に並んでおりますが、パックの量が多すぎます。そこでワラサの切り身を少し買い、それを使ってブリ大根にします。
 ワラサはブリよりは矢張り脂がのっておりませんから、あっさりとしております。昔でしたら物足りなかったかも知れません。
 ワラサを煮る大きさに切り焼きます。
 鍋に調味料と出汁を入れて先ず大根を皮むきで削り鍋に落として行きます。煮立って来ましたらワラサを一緒に煮ます。大根に味が付いたら大根だけを引き揚げ、ワラサは残りの煮汁で更に煮詰めて火を止めます。

         削り大根とワラサ

 これでも多すぎますが、それは老人夫婦なくなるまで何回でも食卓に並べ、食べ切ります。
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久し振りのオジヤ

 戦後1946年、7年頃の食糧難はそれはそれは酷いものでした。敗戦で海外にいました軍人や在留邦人も日本に引き揚げて来ましたし、そこに凶作が重なりましたから、家族に食べさせる為に多くの方が買い出しに励みました。
 我が家とて人後に落ちず、食糧難に苦しみました。引き揚げ者は物々交換で食べ物を手に入れることも適わず、出来るだけ安い物を探し、分量を水増しして食べていました。
 白米のお粥などは滅多には食べられません。お米を数合研ぎます。水を多くして炊きます。中にはお米以外に麦は上等。サツマイモ、アワ、ジャガイモ、小豆、大豆、など一緒に炊きこみます。
 時には海藻も入れて炊きました。
 美味しいところを父や妹や弟によそって、母と私は最後にお茶碗に盛りました。(それでも太っていました
 祭りで五目ご飯など炊きますと、大ご馳走で喜んだものです。
 
 寄宿舎に入っていた時、食糧難はそこにも及んでおりました。自給自足までとはなりませんでしたが、野菜畑を耕し、交代で手入れをしました。その野菜は味噌汁の実やご飯に炊きこまれました。

 戦地ほどのことはありませんが、食べられるものは何でも食べたと言っても良いでしょうね。海岸で見つけた小さな蟹や貝、山で探した桑の実、野イチゴ等は甘いものとしてお八つにもなりました。
 田圃に這う芹 土手に出るクコの芽や蕗 神社の横の渓流で見つけたモクゾウカニや細い小川でとったタニシやどじょう。いろいろあったものですね。今はどうでしょうか。姿を消した物もありましょうが、誰もとらなくなった物もありましょうね。
 
 最近は食べ物には困ってはおりませんが、食べる量は我ながら呆れるほど少しになっております。
 量が少なくなっても貧相な食卓にしたくはありませんので出来るだけ品数を多くし、楽しんでおります。
 鍋物のシーズンになって来ました。鍋はチョッとと言う訳には行きません。そこで翌日の昼ご飯に使います。
うどんを入れたり、野菜を足して新しい鍋に変身させたりします。
 先日は久しぶりに朝食のオジヤにしました。程良い量で美味しく食べることが出来ました。おじやは雑炊と同じ様なものです。どちらもご飯が主人公です。

         朝食10月18日

 苦しい時代ではありましたが、海のある街でしたから、新鮮な魚介類には恵まれ、それで足りない分を補っていたようなものです。そして中国で過ごした時の中華の味や洋風の食品の味も知っており、ひもじい中でも舌が覚えておりました。それで卑屈にならずに済んだのだと思っております。
 貧しい食生活は経験の中で生きており、今はその覚えた味を大切にしております。懐かしいのとは少し違いますね。心のどこかで何時か役に立つこともあるかもと言う思いでしょうか。
 あの時代の日本人は実に偉いなーと思いますね。食うや食わずの毎日でも人の畑の作物は盗みませんでした。
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昭和18年10月21日

 昭和18年10月21日(68年前の今日)この日東京の神宮競技場で出陣学徒壮行会が挙行されました。
 日本はご存じの通り2年前の12月8日に対英米に対し戦争布告。大きな戦いに突入しました。戦線は拡大し多くの兵士が戦場に赴きました。その前線での様子は多くの記録や、小説等で知ることが出来ます。
 明治大学柔道部のHPで偶然目にした一枚の写真 これは出陣学徒壮行会に出発する学生が記念館前で勢揃いしたものでした。

          43年10月21日学徒出陣柔道部HP

 この写真では当時の記念館前の様子が良く分かります。右が記念館の入り口に向かって少し高くなっており、左へと少し下がっております。この前庭の姿は長くその姿を見せておりました。
 先頭に立つスーツ姿の男性は何方か分かりません。記念館前から式典会場までどのような方法で行くことになっていたのかも分かりません。
 大学の資料センターにお聞きしました。この先頭に立つ方は分かりませんが、資料を見ますと隊列を組み行進して行ったことが分かりました。と言うことは交通手段を使わなかったと言うこです。
 学徒出陣壮行会に先立ち10月8日には明治大学での壮行式が挙行されております。式典後学生は勿論全学を上げて皇居前まで行進しております。 

 この神宮競技場の出陣壮行会の式場スタンドに並んだ一人に木村みなさんと言う方がおりました。長く明治大学に勤めておりました。彼女から当時のことは詳しくはきいておりません。ですが教職員がスタンドで送ったと言うことが分かります。
 ある日この壮行会に学生として行進したと言う方秋山照正さんにお会いしました。この壮行式の様子は動画でも見ることが出来ます。お会いした方はTVでその様子が放映される時、必ずご自分の姿を見ると話されておりました。

 資料「戦争と明治大学」明治大学の学徒出陣・学徒勤労動員 この冊子は昨年上梓されたそうで、昨日私の手元に届きました。内容は多くの方の協力の元資料の収集をされたことが分かります。

             戦争と明治大学

 この中で取り上げられている壮行式の写真は毎日新聞の提供によるものです。

     出陣壮行会  行進する学生

 壮行式の様子は動画で見ますと、雄々しく行進する学徒の胸の内は計り知れませんが、学生代表の言葉は国に殉ずる決意が述べられております。私はこの壮行式の様子を見る度に切なく思い自然に涙が出て来てなりません。
 出陣式の様子は「学徒出陣56年目の証言」と言うHPでも私は見ました。
 ページの最後に戦争体験者の一人として作成者の所感が述べられております。多くの方がご覧になって下さるよう願っております。
 
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新調しました

 二女の娘は忙しい子だ。今はただでさえ学校や塾で子どもたちは忙しく日を過ごしております。
 それなのに、この子は他に体操教室、ダブルダッチの教室にも出かけております。

 更にトカゲの他にヤモリ、カナヘビ、ハムスターなども飼っております。餌の調達やゲージの掃除も大変なようです。学校帰りにはバッタやカマキリなども捕まえて来るようです。
 
 トカゲは成長し、今までの洋服が小さくなり、一昨日親が新調してやりました。
 昨晩連れてやって来ました。孫もチョコンの服に合わせた色のジャージーを着ております。

 背中にゴジラのようなギザギザを付けた新衣装 
 親も好きでなければこのようには行きませんね。脱ぎ着が楽なように背中で開くようになっております。

        チョコン新衣装

 親子でとても可愛がっております。昨晩は少し動きが鈍く感じておりましたら、今朝の話によりますと、空腹だったようで、帰宅後餌のコオロギを何匹も食べ活発になったそうです。
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牛すじこん

 新しい料理は作りだすとレシピなしで自分なりの方法を頭に刷り込むまで何回も繰り返す。それが好きでこの春から熱が入っていたのが「牛すじこん」
 この料理を知ったのはそう昔ではありません。耳にしてはいましてもモツ煮込みのようなものかしらと、積極的に作りたいとは思っておりませんでした。
 ある日一階にあるスーパーで国産牛すじを見ますと、想像していたよりも値段が高くありません。で試してみようと3パック買いました。
 最初の時は加減が分かりませんでしたが、まーこんなもので良かしらと煮て見ました。
 薬や健康食品の宣伝ではありませんが、コラーゲンたっぷりと言う感じで、しかも柔らかく食べ易いことも分かりました。
 先週も煮て見ました。パックに入れられている筋肉は切らなければなりません。牛刀で切り分けようとしましても、筋がなかなか切れず、手首が疲れて仕舞います。そこでキッチンバサミを使って見ました。でも駄目です。
 最後に出刃庖丁を取り出し、切りますと包丁の重みでどんどん切ることが出来ました。

 いろいろなことをしますので、時間をタップリとはなかなか行きません。そこで切った後はとに角直ぐに茹でます。大きな鍋にたっぷりの水 それに日本酒を注ぎ、湧きあがったら切った筋を入れます。
 鍋の中に沢山の灰汁が出て来ます。灰汁は出来るだけ掬い捨てます。そして筋をバットに全部引き揚げます。
 後は時間の都合に合わせて煮込みます。

     茹で終わった筋  牛筋弁当

 スジコンの画像はヤフーで見ますと80700件もありました。またレシピも沢山見られます。どうも流行りかも知れません。やる気と時間があれば誰でも作れると言うことでしょうか。きっとそれぞれ自慢の一品でしょうね。私は未だ自慢をするまでには至っておりません。自慢できるようになりましたら、友人、知人に押し付けて送るようになりましょう。もしや私にと思われる方、ご期待下さいね。
 
 さて茹でた筋を再度大きな鍋にお湯を沸かし、タップリの日本酒を注ぎ、そこで暫らく弱火で煮込みます。
 煮込んだ筋を抓んでみて、大丈夫と分かりましたら、醤油 砂糖を適当に入れ、直ぐに用意しておいたこんにゃくを加え、水分がほぼなくなりましたら火を止めます。今回は根ショウガを入れて見ました。
 出来上がり。
 試しに弁当風に詰めて見ました。何だかコンビニに卸たいような気分です。
 可笑しいでしょ。
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かますご飯

 富山の瀬戸さんの食に対する姿勢には頭が下がります。取る物 作る物 全て参考になります。
 先に岩魚を頂きましたが、岩魚を炊き込んだご飯は望むべくもありませんが、かますご飯の紹介を見ました私
 前々から欲しかった土鍋 これを真似したく買って来ました。既に土鍋は持ってはいましたが、二人用には言葉通り帯に短し襷に長しです。
 何だかこの冬はこの鍋でいろいろと楽しめそうです。
 
 昨日 ゆっくり時間が取れましたので、かますご飯をその新しい鍋で炊きました。勿論鍋は使い始めの仕事は済ませてあり、良い魚を待つだけでした。
 かますは海辺ほど新鮮な物とは言えませんが、まーまーと言ったレベルです。
 瀬戸さんのレシピに従い、また日頃の自分の炊き混みご飯の味も勘案して炊きました。

           瀬戸さんのかますご飯

         ↑の鍋は瀬戸さんの炊いた物です。
 さーそれと比べますと矢張り私のは貧相です。でも初めてだからとお許し頂き掲載させて頂きます。瀬戸さんご覧ください。また勉強します。

    釜めしセット  釜めし炊きあがり
 
    釜めし混ぜる  よそう
 
  米は2カップ 出汁 2カップ  醤油 40cc  酒 少々

 炊き上りの音が聞こえず、少し焦げた匂いを感じて急ぎ火を消しました。
 味は美味しく出来上がりました。瀬戸さんからは鍋の癖などもあるので、何回か炊いてみて加減を覚えると良いですよ。とアドバイスを頂きました。今回は水をもう少し増やせば良かったと思っています。夫も娘も美味しいと言って呉れました言葉が励みになりました。
 さー次は何ご飯にしましょうか。組み合わせを考えるのも楽しいことです。
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鳳仙装の生徒

 今年の10月10日は中国辛亥革命の蜂起100周年と言う節目となり、中国では辛亥革命記念の日として式典が挙行されました。
 この辛亥革命に協力し、その後の袁世凱討伐に大きな力となった蔡鍔のことは辛亥革命のWikipediaでは指導者としてその名が見当たりません。
 私の中国語の老師夫人蔡安慈女史は蔡鍔のお孫さんに当たります。
 蔡鍔が天津を脱出する時 生涯会うことの出来ないであろう蔡鍔を助けた小鳳仙のことはブログ 
 2008年7月4日 
 2008年7月7日に記しました。

 この小鳳仙の着る上下のドレスの襟が大流行し、その形は変化をして来ましたが、小鳳仙の心情が人々の心をゆすったのか、名前は変り今は鳳仙領(襟)としてその名を留めております。

 一番新しい生徒は中国大好き 自分で作りたいと言う熱意で遠くから見えました。
 上海で作ったと言う鳳仙装の姿は実によく似合っております。自分を良く知っているという感じが現れております。

         鳳仙装

 鳳仙襟の上着とスカートを合わせた衣装を鳳仙装と言っております。この襟を作る生徒は滅多におりません。
 身頃はそう難しいものではありませんが襟の裁断と付け方は難しいのです。
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あと二週間

 明治大学校友会我孫子地域支部と柏地域支部主催で「第6回明大マンクラ演奏会」が開催されます。流山地域支部も協力しております。
 既にポスターは市内各地に貼りだされております。

 開催日は10月29日(土曜日)
 開場  13時30分 
 開演  14時

 今日から2週間後です。どうぞチケットをお求め下さり、お出掛けになって下さいますようお願い申し上げます。ポスターには取り扱場所も掲載されております。
 勿論私の手元にもございます。ご近所の皆さま また私にご連絡出来ます方はご一報下さい。

     マンクラ案内  曹雪晶さん

 ゲストにお迎えします曹雪晶さんは二胡演奏家として高名な方です。
 
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落花生・南京豆・ピーナッツ

 今は昔 私は南京豆が好きでした。中国青島の街角に僅かな場所を使い、テントを張った物売りが出ておりました。その売り台の上に並ぶ品物は、中国の物もありますが、米国、英国、ドイツそして日本からの輸入品も並んでおりました。
 特に強く印象に残っているのは、煙草とチョコレート。そしてチューインガム。
 ハ―シ―の板チョコは今と変らない包装紙 煙草の銘柄は今も目にします。中国煙草の天壇は高級品だと聞いておりました。日本の煙草チェリーの両切りの缶入り、50本入りですから日本の今の缶入りと同じ大きさではないでしょうか。私に花札を教えて呉れた小父さんが吸っていたゲルベゾルテも売られており、キャメル スリーキャッスルも良く覚えております。多くの煙草は中国製の煙草でした。後に知ったことですが、中国では専売ではなかったそうです。
 干しブドウや南京豆等は無造作に粒のまま積み上げられております。その豆等は紙を折って作る袋に入れて呉れます。三角に折る袋は大小どれも折り方は同じです。今も袋がない時にはこれを作り使います。
 南京豆は三角の袋で幾らと値段が決まっていたと思います。秤は竿秤ですから、私の気が付かないような隅にあったのかも知れません。
 竿秤は先ず正当な物が無いと言ってよいような秤です。子どもの私が見ても、竿の紐がまちまちに見えますし、分銅の紐も何だか怪しげに見えます。
 親の話によりますと、品物を量る時 これは気を付けなければなりないと言われておりました。竿を下げる右手の小指に注意していなければなりません。小指で品物に重みを掛けるのです。焼き栗売りから栗を買う時には特に注意して手元を見つめました。
 栗と南京豆は何時も青島に通じます。

 

 話は変り 先日千葉県館山の南京豆をお土産に貰いました。この豆の販売元は「木村落花生本舗」と言います。
 千葉県は落花生の大産地です。特に八街は有名です。
 産地は千葉県のあちこちにあり、それぞれ競っております。ですが私は断然木村の落花生です。
 それも手剥きのに尽きます。今年の収穫はどうでしょうか。契約農家の方は厳選した物を納入しているそうです。美味しいんですよ。
 私は皮が確りとしている物はどちらかと言えば避けます。豆の炒りがほんの僅かですが足りません。
 この木村の豆は袋から出しますと、皮が自然にサ―と剥がれます。これは炒りが良い証拠です。

     キムラのピーナッツ  手剥き落花生

 木村の普通の落花生は館山の駅前のお土産屋でも買うことが出来ますが、この手剥きのは本店に行き買っております。市内では品切れや、元々売られていない所もあります。今年の夏は全国からの注文で品物は本店でしか買うことが出来なかったそうです。
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南瓜

 コメントを下さるゴルッテリアさんが南瓜に挑み、その固さに往生した様子
 それが頭のどこかで覚えていたのでしょう。スーパーで北海道の南瓜を買って来ました。
 昔 南瓜は夏の物と決まっておりました。南瓜の棚作りは日陰にもなり、その下でいろいろと野菜や豆の仕分けをしたりしていました。
 
 敗戦後 1947年48年頃は食料難時代。農村でもですが、都会も漁村も空き地という空き地に南瓜を植えたものです。今年の夏の節電の問題では緑のカーテンにと、多くの方が苦瓜やインゲン、また胡瓜などを育てていましたね。
 あの食糧難時代は畑の隅でも、庭の空地でも、植えることが出来ることが出来れば、一本でも二本でも南瓜の苗を植えたものです。東京でも至るとこで南瓜をみたものです。
 
 サツマイモと違い、畝を作らなくても植えることができる南瓜 
 
 駿河台の明治大学でも南瓜が植えられていたのですよ。現在のアカデミーコモンの東側の広場 そこは昔5mほど高くなった土地で、通りに面した石垣の上はテニスコートになっておりました。石垣にも南瓜の蔓が下がっておりましたし、和泉校舎の校庭の西側は耕されており、やはり南瓜が地を這っておりました。

 1948年に目白に下宿しましたが、そこから池袋までは焼け野原 その焼けた家の庭にも南瓜が這っていました。
 我が家でも南瓜を何本も植えました。その南瓜は完熟しますと取りこみ、縁側に積み上げて置きます。
 味噌汁の実には勿論、蒸して、小麦粉と練ってお饅頭に、またスイトンと一緒に汁に入れてと知恵を縛って食べました。花も咲きますと花弁を取り、味噌汁の実に入れました。

 縁側に積んである南瓜は冬至には必ず食べましたが、思い出しますと形は今日見られる南瓜とは随分違います。
 どちらかと言えば大型のものや、瓢箪に似たような長いものが多かったのです。
 戦時中の増産型の大きな不味い甘藷と同じ、増産型の南瓜だったのかも知れません。

 夫は南瓜と聞きますと戦時中のことが思い出されるらしく、長いこと全く見向きもしませんでしたが、最近は「以外に美味しいものだね」と少しは食べるようになりました。

 片や引き揚げ、片や疎開 お互い食糧難時代の話になりますと、実に通じ合います。貧しさの生活ぶりを自慢しあうと言う世代です。孫子には通じませんね。

         朝食10月13日

 南瓜のレシピを見ますと、それはそれは大変な数です。和洋中華 そして更に細かく見ることが出来ます。
 
 ゴルッテリアさんはニョッキにしておりましたよ。お若いなーとついつい思って仕舞います。
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味覚の季節

 季節は移ろい強い日差しはいつの間にか和らぎ、朝夕の散歩も楽になりました。
 これからは店頭に並ぶ秋の食品の数々。特に果物の色はその果物なりの熟した濃い色となって来ます。
 果物の色は美味しい時期に一番輝き鮮やかになるのでしょうか。
 
 数年前まで頂いていた遠州森の次郎柿 食べ頃と感じる時を逃すと、僅かに味が落ちました。固さと美味しさは微妙な関係です。ピタリとした果肉を口にしますと、ああ~本物を頂いた。と満足しました。送り主の方は100歳直前にお亡くなりになりました。次郎柿に添えられた手紙 毎年「これが最後かも知れません」との挨拶でした。毛筆で書かれた流れるような文体の手紙 次郎柿と重なります。

 柿は大好きですが、梨も好きです。物ごころついた時 梨と言えば長十郎 これは随分長く売られておりました。やがて二十世紀という淡い緑色の梨が出て来ました。色の薄さに添ったような儚い味でしたが、何故か品の良い梨のような扱いをされておりました。
 気が付いた時 梨は次々新しい品種が出て来まして、どれが先でどれが後だったのか 全く分かりません。

 昨日千葉県の鎌ヶ谷から梨が一箱届きました。箱のなかに放射能は検出されていないと説明書があります。

       新興

 
千葉県の梨の生産高な日本一
 特にこの辺り つまり東葛地区が主産地です。この地区の生産者はこうして安全性をアピールして販売しているのでしょう。
 生産者は原発に注意を向けていることが分かります。生産者にとっては将に想定外のこととなった筈です。

 頂いた梨は新興という名の梨 今頃が美味しい時期の梨のようです。

 話は変り中国北京の秋 梅原龍三郎の「北京秋天」あの空は当時の北京の空 今は晴れる日が少ないと聞きます。
 秋高氣爽 藍天白雲 中国の秋の空は高く高く広がっていたのでしょう。万里の長城に2回行きましたがいずれも秋でした。八達嶺の傍の道に並んだ沢山の秋の果物 思い出しますとまた秋の北京に行きたくなります。
 中国の梨は日本とまた別の品種のようです。一般に知られているのは 鴨梨 京白梨 烟台梨 丑梨等だそうです。特に丑梨は形が悪いそうですが、味は実に美味しいそうです。北京人の知人は懐かしがっております。
 烟台は(旧名芝罘)葡萄の産地で母がチーフワインと言うワインを取り寄せておりました。懐かしい名前です。
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続くと良いのですがね

 この数年体重が一段と増えて来ました。
 1990年に仕事を辞めた時 大凡○○㌔
 それが徐々に上昇し、一般的に言われる身長比より15㌔ほど多くなっています。
 掛かり付けの先生はこの数年前から「次回の検診までに3㌔減らしましょう」と仰います。「先生でも難しんですね。痩せるって」必ず先生は「言うのは易しいです」と澄まして仰います。
 昨年秋もそうでした。
 今年の春 「悪玉コレストロールが少し多いですね」と ですが特に指導はありませんでした。ところが今回
 「悪玉コレストロールが増えていますよ」とデータ―と一緒にその害の及ぼす説明書を広げました。
 「どうすれば改善出来るのですか」と当然お伺いしました。
 「運動と体重を落とすことですね」
 「運動?無理だわ」と体重を減らすことにしようと決心しました。
 このデータ―など資料を目の前に出されますと、自分自身有無を言っていられません。
 
 それが先週の水曜日 今日は七日目 水曜日の夕食から実践 
 先ず朝食は普通に、昼食は3分の2に 夕食時のワインを半分に そしてヨーグルトを無脂肪に替え
 揚げ物は× そして良く噛む 何だか作る張り合いが減りました。
 
 水曜日の夕食から昨晩の食事まで食事の回数 合計 16回
 何と1.5㌔落ちました。 作る張り合いに反比例してこちらに張り合いが出て来ました。着られなくなっていた旗袍が復活できるかも知れません。
 後は継続は効果ありを信じて行きまーす。

     朝食10月8日  朝食10月9日
 
     朝食10月10日  朝食10月11日

 悪玉コレストロールの話を聞いた友人「あなたの朝食卵が載っているけれど?」と意味ありげな言葉 調べてみましたら鶏卵は良くないようですね。でも隔日に一個くらいですからまー良いかってところでしょう。と勝手に決めています。
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10月10日

 毎年頂く恵那寿やのくりきんとん 必ずと言って良いほど10月10日に届きます。

     栗きんとん必着  栗きんとん

 このくりきんとんは長女の娘が幼児の頃 口にしてその味にすっかり取りつかれたようで、そのことを知った友人からのプレゼントです。孫にデコメで知らせましたら「了解 ありがとう」と何だか少し大人めいた返事が来ました。私たち老人が身近にいるせいか、好みが渋いのです。美味しい煎茶が好きで、デパートのお茶売り場で試飲のお茶を受け取り、美味しいと「バーバも貰って」と即言います。

 話は10月10日 今年のこの日が体育の日ですね。第8回夏季オリンピック(東京オリンピック)が開催された日は当時この10月10日でした。現在は10月第2月曜日となっております。
 日本の秋はスポーツの季節ですね。この東京オリンピックのマラソンでアベべは甲州街道を裸足で走りました。明大正門前を走るアベべを見ようと、大勢の人が道路に並びました。授業は休講ではありませんでした。学生は駆けつけない者はいなかったと思います。もし授業を続けていた教授がおりましたら、どうでしょうか。無粋なへそ曲がりと思われたかも知れませんね。
 私も仕事を放り出したわけではありませんが、勿論並び応援をしましたよ。

 この10月10日は子どもの頃双十節という日だと教えられました。1911年の10月10日所謂辛亥革命の運動の始まった日です。今年は丁度100年目となりました。1911年に始まった運動は中華民国の成立で終了。
 中国では現在この日を辛亥革命記念日としており、昨日は辛亥革命100年記念大会が人民大会堂で挙行され、江沢民前国家主席が出席されたと報じられております。

 このような日に頂くとは何か偶然とはいえ、私に取っては改めて何かを調べようと言う気分にさせます。
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ワタリ蟹到来

 蟹は美味しいし大好きですが、私の近くではそうそう本当に美味しい物は先ず手に入りません。
 築地にでも行けば買うことが出来るでしょうが、簡単には行けません。
 先週富山の瀬戸さんから岩魚とへしこ鯖を頂き、珍しいものを口しました。
 今朝食事を済ませた時「ヤマトです」と保冷パックが届きました。何と瀬戸さんからワタリ蟹のプレゼントです。まさかのプレゼントに驚きました。
 ごはんの味方富山の瀬戸さんのブログでへしこ鯖の後にワタリ蟹の紹介があり、そこに私はコメントを致しました。何だか食べたいと言う気持ちが分かって仕舞ったのでしょうか。歌の文句ではありませんが、恥ずかし嬉しです。
 恐らく市場から直ぐに送って下さったのでしょう。有難く丁寧に扱い頂きました。
 ブログの紅焼青蟹ではなく唯蒸して頂きました。早く早くと気持ちが急きます。
 魚好きな長女に電話を入れ、昼に一緒に頂きました。

      渡り蟹6杯  綺麗なワタリ

      オスとメス  積み重ね渡りかに

      蒸渡り蟹  蟹蒸立て

 昔は東京湾のワタリ蟹は富津が有名でした。偶には口にすることもありましたが、今は目にしない所為かどうなっているのか分かりません。
 中国青島ではワタリ蟹を良く食べておりました。渤海湾で沢山獲れたのでしょうね。
 子どもの頃親に付いて市場に行きました。今で言うところの朝市でしょう。沢山の店の間を通り必ず辿りつくのがワタリ蟹の売り場です。
 上の画像の中段右のように蟹を10杯ほど重ね、紐で縛ってぶら下げます。何でもやりたがり、試したがりやの私でも長過ぎて下げられません。これは父の役割です。
 当時鶏卵一個と蟹一杯の値段が同じだと、両親から聞いておりました。この比較の基準は分かりません。どちらが価値があるのか、或いは需給関係なのか。それにしましてもサラリーマンの親ですから、高価なものでは無かったことは確かだと言えましょう。

 娘と一緒に食べながら、蟹談義をしました。蟹食べ放題と言うランチやツアーの蟹 ズワイ蟹ですね。面倒で敬遠がちになります。蟹の肉を取り出すのに忙しく、他の料理を落ち着いて食べることが出来ません。夫は殆んど手に取りません。それに比べ私はどちらかと言いますと、食べる苦労をしませんから、多少は頂きます。

 私の好きな蟹は何かと言えば、ワタリと毛ガニですね。タラバ蟹はどうしても食べたいと言う程ではありません。上海蟹は美味しく、その味噌は堪りませんが、高価です。毎年秋には神保町の新世界菜館に行きますが、今年は我慢でしょう。
 今日の昼は大満足でした。娘が冷めたら味が落ちるから食べちゃおうと言いまして、全部頂きました。
 瀬戸さん感謝しています。有難うございます。
 
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ストロバヤの味

 西浅草で店を構えている母方の従弟 年齢が離れているせいか私を「おばさん」と呼びます。
 店主は未だ脱サラなどと言うことが話題にならなかった時 大手の会社を退職して料理人としての道に入りました。
 先ほど郵便受けに入っていたハガキ
 急なことですすので、慌ててアップしようとPCの前に座りました。

 明日9日午前9時55分から日本テレビで林家正蔵師匠の行き付けの店として紹介されるそうです。
 
 お得意のキャベツロールとブラマンジェ  若し時間と興味がございましたら、ぜひご覧になってください。

          明日の案内

        ストロバヤの紹介はここでご覧頂けます。
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初めての味 へしこ鯖

 世界の料理を知らなくても当たり前。ところが日本国内でも知らないし、また食べてこともない食品が山とあります。
 時々愛読書と言うほどのものではありませんが、本山荻舟の「飲食事典」を覗いていますと、見たことは勿論、聞いたこともない食べ物が多く、老婆は一体何を食べていたのかと、考えこんで仕舞います。
 先日富山の瀬戸さんから頂いた岩魚と一緒に届きましたのが、福井の郷土料理の一つ「へしこ鯖」でした。
 初めて手に取った物ですので、早速飲食事典で知らべて見ました。この中で鯖の項目では見当たりません。そして「へしこ」で探しても出ておりません。
 
 調べて見ますと、可なり作り方が難しい作り方のようです。瀬戸さんは常に食の問題に真剣に取り組んでおります。このへしこは試行錯誤の末に出来あがった物です。ですが瀬戸さんは未だしの気持ちを持たれているご様子。
 糠漬は戦後の秋刀魚でたっぷり経験済み、ところがこの糠漬の鯖は秋刀魚と大違い。
 
     へしこサバ  へしこサバ2

 塩は強く、少しづつ口に持って行きます。恐らく酒肴と言うよりは惣菜向きではないでしょうか。ですが匂いは可なりキツイのです。そして味にはくさやに共通するような噛み具合と風味があるのです。
 大きく切り過ぎて焼いて仕舞ったようです。少しずつ食べて行きましょう。
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運動会

 運動会は子どもにとっては楽しくも、辛くとも 悲しくとも、それなりの思い出。特に小学生の時の運動会は強く心に残っており、天高く成りますと何故か懐かしく思い出します。特に青島の小学校の時のことですね。
 ですが千葉の田舎で過ごした小学校での運動会での風景は殆んど目に浮かんで来ません。きっと親も傍にいなくてお弁当の味も知らず、運動用の白い薄い地下足袋に当たるでこぼこの校庭の感触。そんな程度でしょう。そうそう5年、6年の女子のダンス その指導をされた女性の教師 ブルマーがづり落ちそうになり、何回も上に引っ張るのをクスクス笑ったことも思い出しました。書きだすと思い出すものですね。

 運動会はどうしてか最近は5月辺りに開催する学校もありますね。私は今の学校の在りようと言いますか、指導要領と言いますか、そういうことには無知ですし、論ずる立場でもありませんが、運動会は秋だと思いますね。特に団体競技や、ダンスなどは子どもたちの心が通じ合って来てからの方が効果があると思うのです。

 中国青島での運動会は秋でした。ヒーローやヒロインが生まれます。その足の速い人は大人になっても何処か身のこなしが違って見えます。そして運動会のことが共通の話題として出て来ます。
 運動会の歌も良かったですね。
 広い運動場で子ども達が競技をします。私は運動神経は全くダメでしたが、応援は一所懸命にしましたよ。
 家族の応援席はスタンドです。食事も親と一緒では無く、教室に戻り持参したお弁当を食べます。
 
    一小グラウンド  運動会応援席

    第一校舎の説明  グランド絵はがき

 ↑の校舎の上のある校長官舎に中村八大さんがお父様の校長先生と住んでいたのです。
 私はとうとうリボンを一枚も貰えませんでした。ですが懐かしいですね。
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岩魚を頂く

 生まれて初めて大きな岩魚を口しました。
 富山の瀬戸さんから頂きました。私にとっては深山幽谷の幻のような魚です。渓流釣りは難しいと聞きます。
 山も山それも岩山のような所のようです。水温も15℃以下でなければならないと言うところで釣れる貴重な魚です。
 
        イワナ


 子どもの頃のハゼ釣りや、若い時に出掛けた磯釣りなどとは比べようもないものだと感じております。
 その大変な思いをされて釣りあげた岩魚を頂くとは、望外の幸せと言えましょう。
 シーズン最後の釣りだと言う瀬戸さんの行動。ブログで拝見しました。
 瀬戸さんは岩魚に串をさし、火の回りに立てかけて焼いております。

        瀬戸さんのイワナ焼き

 我が家にはこのような仕掛けはありませんから、普通に魚焼きロースターで焼きました。丁度秋刀魚4本が一度に焼けると言うロースターを先ごろ買ったのです。良かったです。
 昨夜の夕食の主菜は岩魚です。瀬戸さんが既に綺麗に処理も済ませ、塩も振ってありましたので、唯焼くだけ。

        焼き立ての岩魚

 当然のように私が大きい方 先ず串を手に持ち腹を噛みました。もうこれはワインを飲んではいられません。
 他の物を口にせず、只管齧り付きました。一気に全部綺麗に頂きました。満足の味です。

        骨のみ
 
 夫のを見ますと、少し身がお皿に付いております。それも私が綺麗に頂きました。
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久し振りの講演会

 このところ柏より西へとは出掛けておりません。諸般の事情で出来るだけ家を空けないようにしております。
 
 昨日は久しぶりに講演会に出掛けました。会場は我孫子の手賀沼畔のアビスタ2階のミニホール

 懇意にしております世界の人形館の高康治さんのお話です。テーマは「240国・地域を旅して」
 主催は我孫子の文化を守る会です。高さんも会員となられております。

 高さんはこの講演に先立ち多くの時間を使い準備をされたのだと思います。配られた資料はA3で7枚という量です。
 内容は1 はじめに という挨拶に始まり
    2 世界の国の数
    3 感嘆した世界の絶景
    4 おススメしたい世界遺産
    5 秘境に住む少数民族との出会い
    6 是非という面白い地域や場所
    7 危険な地域はどこか?(紛争地帯と治安)
    8 印象的なグルメ
    9 失敗談
   10 我孫子市と世界の関係
   11 終わりに
      その他は訪れた国と主な地域の表 オーナーの旅マップ 
      最後の一枚は写真集
 
 本当に大きな立派な資料です。高さんの講演は力がこもっておりました。
 上に示した内容に添って話は進みました。その話に添いスクリーンには関連する画像が投影されます。
 私の旅した国の風景に接しますと、私なりの新たな感慨を覚えました。
 高さんのカメラの腕前は知ってはおりましたが、大きなスクリーンで出会いますと、迫力はPCで見るのと大違いな感じです。
 アングルが良いのですね。とても素晴らしい画像を見ることが出来ました。
 高さんの資料は実に膨大です。ご自宅に伺った時に見せて頂くのは、人形は勿論ですが多くの資料も拝見させて頂きます。私にとっては資料館でもあり、博物館でもあります。

 世界の人形館は個人のミュージアム 訪問は大歓迎して下さいます。旅の思い出をそこで改めて見出すことも出来ますが、これから出かけたい国の事情を教えて頂くことも出来ます。
 高さんは74歳 世界の新しい国 南スーダンに11月にお出掛けになりたいと仰いました。

 当日の会場には我孫子の文化を守る会の方を中心に集まっていたようです。70名の会場はほぼ満席
 会の始めるに当たり、高さんのことについて守る会の会長藤井吉彌氏が紹介をされました。

 画像は少し掲載させて頂きます。人形や世界の国に興味がございましたら是非世界の人形館をご訪問下さい。

      高さん1  高さん2

      高さん3  高さん4

 講演会会場には世界の人形館収蔵品の一部が展示されておりました。高さんは我孫子市の中学校、小学校の全校に地球儀を贈呈されております。その地球儀を見た子ども達のお礼状は大切に綴じられており、私も拝見しました。自らトラベラーと言い、子ども達が世界に関心を持って欲しいと念願しており、その行動の一環が地球儀の贈呈です。
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衣替え

 春夏秋冬 日本の四季は素晴らしいと言われます。事実それぞれの季節に見られる生活の変化、そして自然の移ろい。何処を切り口にしてもそれなりの姿を見ることが出来ます。
 四季に合わせて着る物を入れ替えるのは、昔から女性の仕事でした。私には仕事だったのですね。となります。
 母が子どもの頃から手づくりの洋服を着せていましたので、私は着物は見ることは好きですが、自分は着ません。
 伝統工芸展などで見る着物の素晴らしさ、一枚の着物に込められた多くの方の熱い思いを感じます。

 10月1日はいろいろな記念日なども多く、生活面では袷への衣替えです。単衣の物を仕舞い、来る冬への助走のような日となります。
 昔父方の祖母が座敷に綱をはり、着物を何枚か虫干しをしていた風景が、遥か遠くに霞んで見えます。
 
 戦前は庶民でも比較的このような季節変りの仕事をまめにやっていたものです。何となく大人に邪魔にされて、家の中をうろうろとした覚えがあります。
 
 今は衣替えとは先ず関係のないような生活をしております。そして毎日「あー着る物がない」と騒ぎ、そして買いにも行かず、いつの間にか季節は移って行き、そしてまた来たる季節を前に「どうしよう。着る物がない」と繰り返すのが私の姿です。

 このところ可なり要らない物が体に付き、旗袍も作ろうかどうかと迷っております。娘は「痩せるのを待つより作る方が正解でしょ」と言います。のんきと言えばのんきな話しです。

 ところで昨日(10月1日)の朝刊に見る日本の抱える問題は深刻です。様々な問題が掲載されております。勿論新聞ですから内容は知らせるに相応しい、そして多岐にわたるのは当然なことです。ですが何故か疑問符が付くのです。

      朝食10月1日  日野原先生100歳

 沢山のニュースの中に見る、聖路加病院の理事長の日野原先生の記事はとても素晴らしいものです。
 随分前に内藤敏子さんのパーティーで一緒に並びカメラに収まった時と少しも変っていないお姿です。
 記事によりますと日野原先生は戦時中の徴兵検査で「丙種合格」という最低に位置づけられたそうです。
 その結果医師として戦時中の多くの罹災者を助け、面倒を見て来たと言う話を以前読んだことがあります。
 その大勢の患者さんを引き受けたと言う経験がサリン事件での聖路加病院での受け入れに役立ったとも知りました。
 なんと強靭な精神力を持ち続けていられることでしょう。その心の奥底に見える人間愛に私は尊敬の念を抱いております。

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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日85歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになりそうです。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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