2011-12

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大晦日らしく

 今年は私にとって大きなことが沢山ありました。
 「まさか」という坂にぶつかり、坂を下り始めて決断をしたことが何点かありました。
 3月の東関東大震災を契機にNHK文化センターでの講座講師を辞退したこと。
 オパール・ネットワーク我孫子支部の解散を決めたこと。
 NHK文化センターの中国語講座を止めたこと。
 思いもしなかった大腿部の痛み。これによりいろいろな行事に参加出来ませんでした。
 地震で外壁と家の中の梁に亀裂が入り、10月に修理が終わりました。

 良いこともありました。5月1日に80歳を迎えました。これはまさかの坂ではありませんが、若い頃はその姿を全く予想も出来ませんでした。

 アップしてお節を作りながら思い出しました。おば~さんは駄目ですね。3月2日にNHK千葉放送に生出演し、蒼穹の昴の女性方を題材に旗袍のことを話しました。生涯で二度目の経験。地震に振り回されすっかり抜けていました。(これご免なさい追加をさせて頂きます)
 
 孫たちが成長し、毎日のように会えることができ、これは地震の時には特に心強く思えたことです。
 夫は昨年来体調は万全とは言えませんが、毎日一緒に食事もし、日常生活も普通に出来ました。夫の介護に時間がなく、苦労されている友人もおります。PCで励ましの言葉を送ることも出来ました。
 チャイナドレスの生徒さんは我が家に見え、遠くからも新しい生徒さんがお見えになっています。
2月には内藤敏子さんのチター演奏会を霞ヶ関東海大学校友会館で開催することが出来ました。

 PCを使うことができてとても生活が広がり、多くの方との交流も出来ました。
 様々な資料を見たり、また多くの方のブログを訪問し、刺激を受けております。
 
 今年最後の画像を掲載致します。今朝のご飯とこれから活躍する出し昆布。

      朝食12月31日  日高昆布

 食に関してはPCは大きな役割を果たして呉れます。取り寄せも出来ましたし、レシピも沢山覗きました。
 またPCは通販や予約にも活躍しました。孫の留守の時頼まれてチケットも確保できました。
 
 今日はこれからチョッとは大晦日の仕事をします。頭の中では明日はどのような挨拶をアップしようかしらと考えそうです。つまずかないよう、転ばないよう、火傷をしないようにと、気をつけてやりましょう。
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一体何をやっているのでしょうか

 大きな災害と闘った多くの人々
 それに比べ、姿も言葉も虚しかった政治の世界。とうとう年末まで怒りっぱなしで過ごして来ました。
 迫力ある児玉先生の言葉が毎日心の中に反芻して聞こえて来ます。

               児玉先生

     朝食12月26日  朝食12月27日

     朝食12月28日  朝食12月29日

 今日のニュースは消費税アップの半年先延ばしとか。駆け引きなのか、それでも問題はないのか。
 おばーさんには分かりません。でもこれも腹が立ちます。
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ビビンバ

 毎週整体治療を受けに行きます。整体の先生は中国吉林省から見えている方です。以前から存じておりましたが、日本の大学を卒業 大学院で心理学・臨床心理を勉強したようです。詳しいことはお聞きしておりませんが、岩崎徹也先生の時間もあったそうですから、多分そうだと思っております。
 治療を受けながらいろいろと世間話や健康に過ごすための、生活習慣のこと、また食べ物の話が出て来ます。
 先日韓国で食べたビビンバの話をしましたら、ご自分の家で作る本式のビビンバはこうだよと、詳しく教えて下しました。
 昨日 人も見えましたので、お昼に作って見ました。前回の朴葉味噌同様初めて作るものです。ま~話題と思ってご覧になって下さい。

 材料  白米1カップ:もち米1カップ
     大豆モヤシ  2袋
     豚の肩ロース 150g

 作り方 まずもやしの根を綺麗に取り除きます。
     お米は研ぎ炊飯器に準備して置きます。
     肩ロースの脂身のところを切り落としその脂身を使います。
     脂身をフライパンで焦げないようにして脂を取ります。
     脂を取ったかすは捨てて、その中にモヤシを入れて炒めます。
     7~8部程度の炒め。
     モヤシを炊飯器の米の上に入れます。
     そして肩ロースを小さく切り同じフライパンで炒めます。
     炒めた肩ロースを炊飯器のモヤシの上に入れスイッチON.
     炊けたら全部を混ぜてお椀によそいます。
     (味は付いておりませんが、良い香りが立ち上ります)

 調味料 生醤油にネギ、生姜、ニンニクを刻み入れ、そこに味の素一振り

 食べ方 お椀によそったビビンバに調味料を少しづつかけながら食べます。

        ビビンバ

 とても美味しく、簡単ですから見えた方もレシピを書き取って帰りました。
 
 韓国料理の話からキムチの話になりました。彼の言うには「キムチは発酵食品だから、体に良いので食べると良いですよ。キムチはメーカーが沢山あり、どれを買うかで味が違います。一番はセブンの自社ブランドの物が、韓国直輸入だから、ぜひそれを買いなさい。買った後冷蔵庫に仕舞わず、常温で数日置いて下さい。発酵が進みより美味しくなりますよ。キムチ鍋にする時、スペアリブを入れるとキムチの発酵で肉質が柔らかくなり、絶対美味しいですよ」と教えて下さいました。
 医学の知識も豊富で、食事は殆んど自分で作るそうです。「自分の健康は自分で守らなければ駄目でしょ」と言っております。
 セブンのキムチは一番安いのです。買って来ましたよ。今度はスペアリブを買い、キムチ鍋を作ってみましょう。 
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瀬戸さんからの頂き物

 11月末 富山の瀬戸さんから朴葉と味噌と頂き、初めて朴葉味噌焼を家で作って見ました。
 経験がないとは言え、味はとても良いのに今一つ工夫が要りようでした。
 昨夜は孫たちが見えないと分かり、二人で改めて作って食べて見ました。坂の上の雲の最終回が7時半に始まります。それまでにテーブルの上にコンロをセットし、ゆっくりと楽しもうと言う趣向でした。
 コンロは前回の反省と言いますか、準備不足を補うためにアマゾンで買いました。

 朴葉は予め確りと水に浸して置きました。

 コンロに固形燃料を置き、火をつけ味噌と刻みネギを朴葉の上に載せ、徐々に煮え立つのを待ち、頃合いを見て肉を載せて焼きながら食べました。      

     朴葉味噌1  朴葉味噌2

     朴葉味噌3  朴葉味噌4

 味噌の味が実に美味しいのです。牛肉は少し奮発し、これも味噌によく合い、二人で一所懸命に食べました。
 今回でまた反省 最初に葉の上に載せる味噌をもっと少なくすること。味噌が多いと煮えるのに時間が掛かり、慌てて食べることになると言うこと。
 葉は未だありますからまた挑戦して見ます。驚いたのは朴葉の強いこと。最後の画像の通り火が消えて、全部を取り除いて見ますと、もう一回くらいは使えそうな感じに見えます。

 今日の昼 瀬戸さんから白身の魚の昆布シメとかぶらすしが届きました。かぶらすしは以前頂きその美味しさに感動したもので、もう嬉しく今夜は早速頂きました。昆布ジメもハタハタ、シマダイ、アマエビそれにアオリイカと盛り沢山です。

              かぶらすしと昆布ジメ

 3月の地震の後、この辺の商店から水が消えて仕舞ったと知った瀬戸さんは直ぐに沢山の水と無洗米などを送って下さいました。
 ブログをはじめて間もなく知り合い、ブログを通じ親交を深めて参りました。
 数年前私は富山に瀬戸さんを訪ね、食談義に花が咲き一層信頼も高まり、絆を強めて参りました。
 偶然とは言えないような昨夜と今夜、二日続けて瀬戸さんからの美味しい物を頂きました。
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全て初めての経験でした

 先日胡麻豆腐を頂きました。黄檗山萬福寺の文字が見えました。萬福寺の駐車場にある萬松閣というところで売られているようです。
 
            胡麻豆腐

 私が初めて胡麻豆腐に出会ったのは萬福寺の門前にある白雲庵という普茶料理の店でした。
 1959年の秋 私は学生相談の仕事で関西に出張しました。所謂視察?訪問?
 ご一緒したのは心理学の堀淑昭先生、学生課の杉原方平さん 3人はその年の4月に開設された学生相談室の運営に付いて当時学生相談の先進校として知られていました同志社大学と立命館大学を訪問すすことになったのです。
 そもそもカンセリングというものは、言葉はおろかどのようなことか世間では全く知られてもいなく、大学でも関心を持つ教職員の一部でしか知られていないと言う世界でした。
 私は夏休みに学生の部活動に付いて行く出張はしていましたが、本務の業務上での出張は初めてでした。
 9月に伊勢湾台風が日本を襲い、京都への出張は台風後一ヶ月が経っておりました。名古屋近くの風景は惨憺たる状況を呈し、これは見たこともない景色でした。
 訪問を終わり、3人は宇治に向かいました。明大にお出でになる前京都大映本社に勤めておりました杉原さんが先達です。
 まず萬福寺境内に入り、その中国を思わす寺内の静謐な佇まいに感動を覚えました。大きな魚板も初めて目にし、寺のあり様を偲びました。
 そして昼食を白雲庵で頂きました。これも初経験でした。漁村で長く過ごした私には精進料理とは縁のない食生活でしたので、その一品一品を興味と感動を持ちながら頂戴しました。
 食後これまた杉原さんの案内で平等院に向かいました。
 その日の平等院は観光客は殆んど見えなく、修学旅行の高校生で一杯でした。
 3人は一通り拝観し、ご住職の待つ庫裡に案内されました。思いもかけないようにことが進んで行きました。
 杉原さんは平等院と縁が深く、訪問を伝えてあったのです。
 庫裡の欄間は左甚五郎の彫ったものです。立派な広い座敷でご住職とお会いし、ざっくばらんな話に緊張もほぐれ、これまた目にしたことも食べてこともない京料理のお皿が次々に運ばれて来ました。
 部屋の隅々までチリ一つないという言葉がピタリの空間です。
 全てが初めての経験でした。
 
 出張は最低の旅費と宿泊費しか出ませんから、各自知り合いの家に泊めて頂き、この宇治行きの為に費用を浮かしました。杉原さんは残り私は堀先生と夜行で東京に戻りました。その車中初めて列車の中でビールを飲むと言う経験をしました。
 これまた初めての経験でした。
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クリスマスケーキ

 何時の頃から日本はクリスマスを大騒ぎするようになったのでしょうか。
 25日に教会に行く人と比べ繁華街に出掛ける人との差は分かりませんが、多分教会に行く人は少ないと思いますね。
 戦後10年ほど経ち日本の復興も進んで来ますと、東京の盛り場ではクリスマスを理由に飲食店がチケットを売り、パーティーを開催しておりました。多くの若者を中心にオジサン・オバサンも繰り出し、街を歩く人も商店の人も浮き浮きしておりました。何処かに行かなければ人並みではないような感じすらしました。
 ひとしきり遊んで帰宅する人の手にはクリスマスケーキの箱が下げられておりました。
 銀座不二家の前にはクリスマスケーキが山積みされ、どれほどの数が売れたのでしょうか。さぞ凄い数だと思います。(私も出掛けたことがありますよ。だから知っているのです)
 外でクリスマスイヴを過ごす時代が減り、家で家族と一緒ということが話題になり始めますと、クリスマスケーキの販売合戦が始まり、その激しさは年々高まり、今は至る所でケーキは買うことが出来ます。

 長い間私は子どもの為もありましたが、自分の気にいっていた東京神田駿河台下の「エスワイル」のクリスマスケーキを買っておりました。派手でなく、味が良く、品のあるケーキの土台は1㎝程の厚みのある大きなビスケット。このビスケットが美味しくてね。でもエスワイルは他所へ引っ越して仕舞いました。
 このケーキを食べたのは娘二人の成長するまででした。
 
 今は孫に合わせたケーキへと変って来ております。二人の孫が小さかった頃は問題は無かったのですが、それぞれが自己主張をするようになり、ローソクの火を消す時、切る時、プレートのチョコレートをどうするか‥
 そこで最近は親がそれぞれ買うことにしました。
 最近の我が家族(私たち二人と娘家族たち)のクリスマスケーキやバースディ―ケーキを掲載して見ます。将来孫たちが見た時思い出すことでしょう。

     2007年クリスマス  2007年誕生会

     2008年クリスマス  2009年クリスマス

     2009年誕生日  2010年誕生会

              2010年クリスマス

 長女の娘はクリスマスパーティーを家に友達を呼ぶそうで、ケーキは早々とネットで予約しておりました。受け取りに行きましても家に直行し、見られないだとうと思っておりましたが、きっと自分のブログに載せる筈だと睨み、覗きました。そこで見ますとケーキは大人になったことを感じるものでした。
 孫には許可を得ていませんが、昨夜母親が来ましたので、私のブログに載せるわよと話して置きました。
 ケーキは分解出来るようです。

     モエのケーキ  モエのケーキの中心部

 今夜は上のような事情と二女の娘の事情で一緒の集まりはありません。私たち二人は和菓子でも食べてお終いになるでしょう。
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冬至やクリスマス

 今日は冬至 昼の八百屋では柚子を買う人が目立ちました。また「今日は冬至ですって?」と声をかけて来る方ありました。冬至は柚子湯に入り、南瓜を食べると言う日ですね。
 昔南瓜は夏収獲しますと日当りの良い縁側に並べて保存しました。戦後の食糧難の時は毎日南瓜や薩摩芋を食べますので、南瓜は家の庭の至る所に植えて育てました。ですから冬至でなくても食べておりました。思い出の多い食べ物です。
 
 孫にとっては冬至よりクリスマスです。このところ長女の娘は友達と集まり楽しむ事へと興味が移っております。
 ケーキは既に予約してあるようです。どんなケーキになるんでしょうか。多分直接見ることはないでしょう。
 孫のブログを覗くと見られるかも知れません。

 この街の道路に毎年12月の最初の日曜日?PTAで知り合った親たちのグループがクリスマスのイルミネーションの飾り付けをされます。子ども達はもう成人になっているように聞いております。それでも街の子ども達を喜ばせ、また街の人の喜んで貰いたいと飾り付けをされて呉れます。素晴らしいことです。

             イルミネーション我孫子

 この夜景は綺麗ですが、昼はとてもこれまた可愛いのです。小さなサンタや細かい飾りが見られ、自然に心が和みます。時々立ち止まり眺めて来ます。

 
 昨年の12月半ば バス旅行のツアーに参加 彼方此方廻りましたが、最後の到着地は榛名湖でした。
 榛名湖の周り全体にクリスマスイルミネーションが輝いております。
 気温が零下です。寒さが身に沁みます。大きな焚火のまわりに人が集まり、温かい物を飲んだり、食べたりしております。
 冬の榛名湖はスケートやワカサギ釣りと言うことは知っておりましたが、まさかこのような姿は想像外でした。

              寒村に

 写俳という世界を教えてくださった南亭さんのブログを拝見しましたら、何とも言えない素敵なカードがアップされておりました。どうぞご自由にお持ち帰り下さいとあります。日本の田舎 日本の農家 良いカードです。
 持ち帰りましたので、ご覧になって下さい。

     南亭さんのクリスマスカード  南亭さんのカード
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怒りたくなります

 この数日で一番腹が立ち、国の姿勢に文句を言いたいこと。それは野田総理への怒りです。
 福島原発への大きな発言です。収束ってどういうことですかね。私にはレベルの問題では無く、具体的に知りたいのです。説明が曖昧模糊では嫌です。総理!何がどうなったから収束なのですか。
 政治家は言葉を選ぶと思いますが、これは余りに分からないのです。
 おばーさんですから科学的にも、技術的にも、政策的にも、外交的にも分かりませんと言いたいのですがね。
 でも分からないからと言ってはいけないとは思わないのです。何かを知り、理解をしたいのです。
 マスコミはもっとこの内容を詳しく時間をかけ掘り下げて教えて欲しいです。
 福島県知事は怒っていますね。県民も何で?と思っております。私も怒って、何で~?と思っております。
 嫌な字が見える朝食を掲載して置きます。

          朝食12月17日

 野田総理は演説が上手だとか、誠実な話振りだとか言われますが、最近良く聞いておりますと、どうも言い回しが気になります。分かっていることを曖昧に表現されますね。決まっているのなら「やります」「行きます」「行きません」と言ったら困るのですかね。私総理になったことがありませんから分からないんですよ。
 若しかしたら優柔不断な人なんでしょうかね。
 
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思い出の歌と先生

 毎年の12月 街にクリスマスイルミネーションやツリ―が見られようになりますと、新しい物を買う訳でもないし、パーティーに行く訳でもありませんが、少しは楽しい気分になります。
 暗い道を一人で歩いている時鼻歌でも歌いたくなります。前後に人が歩いていないと小さな声をだして歌って見ます。ところが年々少しずつ歌詞を忘れております。
 1949年明治大学の1年生の時 ドイツ語の菅藤高徳先生はドイツ語の歌を教えて下さいました。
 例えば第九の歓喜の歌 きよしこの夜(聖夜)や樅の木などです。 これらはクリスマスや年末に歌われますね。他にもローレライとか野バラなども教えて下さいました。ところが先生は歌詞を教えて下さるのですが、歌い方までは教えて下さいません。
 授業の時必ず私に最初に歌うようにと仰います。で私はどうしても歌えるようにして置かなければなりません。
 そこに助っ人 国語の古関吉雄先生です。授業の後何回も一緒に歌って教えて下さいました。
 当時ドイツ語の先生には菅藤先生の他に見波精先生、伊藤緑良先生、木下勇先生、園山勇先生そして道部順先生と言った方々がおりました。
 その年に第一回和泉祭が開催されました。古い講堂で並んだドイツ語の先生の写真を見ますと、服装もお粗末ですね。仕方がないのです。

         第一回和泉祭ドイツ語先生

 左から菅藤先生 マイクの前の木下勇先生 右は見波精先生(新婚早々です)

 2009年5月1日のブログに昔の先生方の紹介をしてあります。とても懐かしいです。
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チィナドレスは素敵だ 66

 チィナドレス(旗袍)の特徴でもあります襟、胸のカーブ、裾廻りなどには縁取りが施されております。
 このほかに如意という雲形の模様が縁取りと一緒に付くこともあります。如意をつけるのは難しく、私も上手には出来ません。
 縁取りはベテランの生徒さんは頑張ってつけます。
 
 簡単にその方法を記して置きましょう。私宅に見えない生徒さんに参考になるかもしれません。

  縁取り布の作り方

 1 旗袍の生地に合わせて縁取りの色と布を決めます。
   綿の場合は普通は旗袍の生地を使って貰います。
   絹や薄いウールなどの時には出来るだけシルクサテンのような
  艶のある物を使って貰います。
 
 2 縁取り用の布の裏にでんぷん質の糊を少し薄めて塗ります。
   糊の濃さは布の隅に試験的に塗って決めます。
 
 3 布と糊の関係が決まりましたら、布を縦地に置きます。
   手前から布地に糊を万遍なく塗って行きます。
   その時必ず先へ先へと塗ります。横塗りにしてはいけません。
   向こうへと進めて塗ります。
 
 4 布の必要な分量は予め計って置きます。
   その量が要るだけに糊を張ります。
 
 5 糊が塗り終わりましたら、陰干しに置き、
   完全に乾く前にアイロンを掛けます。
   その時アイロンも布地の縦に添ってかけます。
   グルグル回してかけてはいけません。
 
 6 布地に正バイヤスの細い布の線を引きます。
   このバイヤスの幅は 縁取りの幅×4+布地の厚み×4とします。 
   布地の厚みは絹や綿では1㍉か2㍉ ウールで4㍉位とします。
 
 7 上の6で計算した布地をよく切れる鋏で切ります。
   4倍ですからそれを折り半分づつに切って行きますと
   4本の縁取り用の生地が出来ます。
   ですから何本も要る時は必ず4の倍数で幅を決めて切ります。

 これで縁取りの布の準備が終わります。次はこの縁取りの縫い方です。またその方法は次の機会に掲載致しましょう。

          ダブルパイピング

 上の縁取りは2本の縁取りです。とても難しく、と言うよりは根気のいる仕事です。 
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冬の磯

 房総の南端は無霜地帯と言われ、冬でも滅多に雪は降りません。無霜と言いましても朝に畑を眺めますと蚕豆の葉に霜がうっすらと降りて、陽の光を浴びて輝いていることもあります。
 千葉県南部の地方では正月の雑煮に欠かせない物にハバ海苔があります。ハバは町の店で買うことも出来ますが、子どもの頃は岩に生えているハバを採りに行く人も多く、大人に混じり子ども達も採りに行くこともありました。岩から岩に渡るには滑りますから足袋を履きそして藁草履で出掛けます。採りに行く日は大潮の時ですがそれでも水に濡れずには採れません。私も日本に帰国した後、仲間外れにならないために採りに行きました。
 ハバは長さが10㎝程だったと記憶しております。そのハバを手で摘み、摘みと言うにしては力が要ります。掴むと言って良いでしょう。ハバを板海苔のように乾しますが、昨今は採る人も少ないのでしょう、驚くほどの値段がつけられております。
 一枚が300円も500円もしますから、貴重品並みです。
 ハバは食べる物だと思っておりましたが、後年伊豆方面では冬のブ鯛釣りの餌に使っており、そのブ鯛をハンバブ鯛と言っていることを知りました。伊豆ではハバをハンバと言うようです。
 磯の波打ち際に立ちますと、枯れた海藻が漂っているのも見えます。冬の空は澄み渡り、南に下がっている太陽からの日差しは波の上を殊更輝かせております。
 柔らかな日差しを受けて、浜小屋の前で数人の漁師が網の修理に励んでいた風景を思い出します。
 私の子どの頃そう70年ほど前の生活は実に質素なものでした。
 町の男性の中で遠洋漁業で遠く出掛ける者も沢山おりましたが、細々と漁をして過ごしている人もおりました。
 漁師は網を大切にします。伊勢海老の季節には網を夕方張りに行き、朝に引き上げて来ます。
 釣り船が一日の漁を済ませ港に戻りますと、夕食の材料を求める人が集まって来ます。
 大人と一緒に出掛け、眺めるのは楽しく大好きでした。
 好きだった魚は「ブ鯛・寒メジナ・カサゴ・メバルなど」根魚と言うようなものです。その魚を煮魚にして食べていたせいか、今もそれらの魚が並びますと、お総菜には勿体ないな~と思いながらも買って仕舞います。
 ブ鯛は先ずこの辺では見られません。新鮮なブ鯛はいろいろ調理して食べますが、好きなのはフライです。

         釣り

 親が亡くなりますと段々故郷へ行くことも少なくなり、記憶も薄れて来ます。霞んで仕舞っていたことがブログに手をつけ始めましたら、これが徐々に思い出としてよりは実感として湧きあがって来ております。
 追憶では無く体験への回帰でしょうか。
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チビ孫とチョコン

 二女の娘は元気者 ゆっくり座るなどとは縁遠い子どもです。生き物が好きでいろいろと飼っております。
 クリスマスプレゼントの猿は諦めましたが、今度は何だか志村けんのキャラクターの何とやらが欲しいと言っているようです。ま~動物ではないようで、安心しました。
 昨年の誕生日のプレゼントはトカゲが欲しいと言うことで、トカゲを家で飼っております。

 連れて歩くのが夢らしいのですが、無理のようで時々抱いてやって来ます。
 一年間に随分大きくなりました。はじめは動きも激しかったようですが、今は諦めたのか、事情が分かったのかとても大人しくなっております。寒くなりましたので、上着の中に抱かれ顔をチョコンと出してやって来ます。
 
 最近彼女とトカゲの会話 
      「チョっちゃん あんたね~」 「     」
      「トカゲでね~お洋服着せて貰うなんていないんだよ」 「     」
      「幸せなんだよ」 「     」
      「お散歩に行く?」  「     」
      「じゃお出掛けしようね」  「      」
      「名札もつけて上げたよ」 「      」

      誕生日祝いのトカゲ  ゲージの中のチョコン

      成長したチョコン  名札を付けたチョコン

 餌はコオロギです。コオロギを買って来て我が家に寄りますと、玄関にコオロギが置いてあります。そこにお客さまがお見えになりますと、キョロキョロされ辺りを眺めまわします。「何だかコオロギが鳴いているような気がしますが」
 孫のトカゲの餌と聞きますと大抵の方は驚かれます。
 
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継続はしましたが

 私の趣味の一つはチャイナドレスを作り、着ることでした。1975年秋から台湾人の呉秋信先生に教えて頂き、いつの間にか36年が過ぎ去りました。
 チャイナドレスを中国では旗袍(チーパオ)と呼びます。
 旗袍を作るだけではなく、深く知ろうとしますと、どうしても中国語が必要だと考えました。中国語が全く分からなくては資料も読めません。
 62歳になってからNHK文化センター柏教室の中国語講座に通いました。小学校4年生の時から僅かな時期ですが中国語を習いましたが、ハイとかイイエとかと言う程度でした。ですから初心者として発音から始めました。
 授業のレベルも少しづつ高くなり、覚えも悪くではありましたが、何とか老師のご指導とクラスの方からの励ましを頂きながら、過ごして来ました。
 教えて下さる王廼珍老師は北京から見えておりました。中国北京師範大学で国語を学び、教師として長く現場に立っており日本にお出でになってから20数年経っております。私はNHKの講座の最初の生徒で数えて見ますと18年近く教えて頂いた訳です。それにしましては老師に申し訳ないほど、力がありません。
 その劣等生、駄目生徒の私は先週で講座を止めることにしました。
 
 老師はお酒が強く、良く中国から持ち帰られたお酒を教室で勧められます。40度とか50度などと言うお酒はコップを口の傍に持って来ますと、立ち上がるアルコールに咽てしまい、毎度咳き込むようなことになりました。 老師と一緒に餃子や焼餅、また薄餅を作り食べたりもしました。また沢山の中国の庶民の生活のことや、中国社会の持てる問題点なども教えて頂きました。
 覚えた中国語をこれからは街の中で少しでも使って行きたいと思っております。

          老師と龍井茶

 老師は授業の際必ず中国茶をお持ちに下さり、お茶の説明もされますし、時には小さな缶を各人にお土産として下さることもありました。中国茶のことも随分教えて頂きました。これからは折りふれ中国語講座の思い出が出て来ることでしょう。
 
 今日は偶然新聞で北京故宮展に「清明上河図」が出品されると報じられております。来春1月2日から2月19日まで東京国立博物館で開催される「北京故宮博物院200選」の会期中「清明上河図」は1月24日までの限定公開だと知りました。この巻き物は老師が開封に行きました時の話と土産物での説明で知りました。懐かし思い出の一コマとなりました。
 私の体調不良による受講のお断りと長いご指導への感謝の言葉を申し上げますと、老師は黒板に「世上没有不散的宴席」と書かれ、別れは必ず訪れると仰り、仕方がないことと受け止めて下さいました。
 上の赤字は老師が開封で買って来られた「清明上河図」の話です。
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東日本大震災から9ヶ月

 今日は東日本大震災が発生してから早くも9ヶ月目を迎えました。人々に災害が齎した大きな痛手はまだ未だ復興を喜べるような事態にはありません。地震による崩壊と追い打ちをかけた津波。日本は勿論世界に大きな衝撃を与えました。
 またその地震と津波による福島原発の崩壊による放射能は地元は勿論広範囲に被害を齎し、人々に不安を与えております。
 地震の起きた日 2011年3月11日は長く長く人々の心に忘れ得ぬ日として語り続けられて行くことでしょう。

           朝食12月11日写文字

 TVで家族を失った多くの子ども達の紹介がありました。歳老いた私は預かる体力がなく、申し訳ない気分で幼い可愛い子ども見つめるだけです。
 政治家は本当に真剣なんですか。国民いや私にはそう見えません。ごたごたが多すぎません?私は見ていますよ。
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蜜柑話

蜜柑話その1
 小学校の国語の本に「特急アジヤ号に乗る」という一文がありました。その中に広い高粱畑の向こうに大きな上海みかんのような真っ赤な太陽が沈んで行くという表現がありました。「上海みかん?」どんな蜜柑かしらと長~く思い続けておりました。一昨年司馬遼太郎の「坂の上の雲」がNHKで放映されると知り、放映を前にと戦場となった大連、旅順を見に行きました。瀋陽から大連に向かう列車の窓から、はるか西の彼方に沈む太陽 列車の動きにつれて静かに沈んで行きます。
 たまたま列車が一時間以上も遅れて瀋陽を出発したことで、陽の入りに出会ったことです。太陽は想像していたよりは大きく見られませんでしたが、思いは達せられました。
 アジヤ号と言うのは昔日本が満州に覇権を持っていた頃の会社南満州鉄道(満鉄)の列車の名前です。広軌鉄道と言うことで知られておりました。

蜜柑話その2
 子どもの頃今のように流通事情が発達しておりませんでしたから、千葉の片田舎の八百屋に並ぶ蜜柑は神奈川県辺りの物 精々静岡県までのものでした。品質も今とは大違い、皮は厚く味も酸味の強いものでした。蜜柑箱は木製のもので、お歳暮に貰うことも殆んど無くて、八百屋で籠盛のを買うのが普通でした。
 小さな小さな蜜柑がありました。枝ごと切り東京の子どもに上げると喜ばれました。その小さな蜜柑は歳末になりますと今でも店頭に出て来ます。小さな蜜柑の木は叔母の家の庭にもありましたが、樹齢が経ちますと、段々手の届かない上の方で生っておりました。叔母は手が届かないと嘆いておりました。

蜜柑話その3
 40年ほど前 初めて愛媛の丸マという蜜柑に出会いました。その蜜柑は愛媛県の佐田岬地方の味に定評のある蜜柑です。その頃住んでいた家の近くに毎日野菜の配達をお願いしておりました。それは私の仕事の関係で時間が足りなく、買い物の時間がなかったからです。
 八百屋さんが美味しいと持って来て呉れました。以来病みつきになり、食べ続けておりました。
 今のところに住むようになって34年 一階のスーパーに丸マは一度も見ませんでした。近所の個人店では並ぶことはあり、それは買って来ておりました。その丸マが昨年開店した新しい八百屋に並んでいるではありませんか。早速買って来ました。どうしたことでしょうか、箱売りまで出ております。一体何か異変?不作?売れ行き不振?想像しても分かる筈はありませんね。

           蜜柑箱入り

蜜柑話その4
 丸マの蜜柑を食べながら写俳をのせたいな~と考えました。写俳は南亭さんから教えて頂いたものです。先に一回アップしました。今回もいろいろとお聞きし、俳句の持つ深さも感じました。
 丸マを食べた記念に丸マと一緒に俳句を書きこみました。写真はもっとシンプルな物か、それに相応しものにしたかったのですが、今までの画像では見つかりません。余りにリアルな蜜柑の写真です。センスがなくてご免なさい。

          蜜柑

 こうして時々写俳もアップしたいと思っております。俳句の練習と画像の取り込みや文字の入れ方などを忘れないようになると思うのです。何事も練習!練習!頑張りま~す。
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重~いこと

 1941年(昭和16年)12月8日 今から丁度70年前のこの日 日本は第2次大戦に突入しました。
 私は10歳 時代の申し子のような模範的な子どもではありませんでしたが、軍国少女の端くれとして学校生活を送っておりました。
 以来幾星霜と言って良いでしょう。空襲も艦砲射撃も、また敵の飛行機からの狙い打ちも経験して来ました。
 両親や弟妹の引き揚げ、焼け野原の東京での生活。食べ物も、着る物も乏しく、貧乏という生活です。
 思い起こせば実に多くの体験をして過ごし、今日があります。悲惨でもありますが私のレベルではそう驚く程のことではありません。
 知覧での資料館での見学 長崎や広島の原爆資料館の見学 そしてNHK番組の「兵士たちの証言」などを見ますと、なんと酷い戦争をしたものよと、思わずにはいられません。

 この戦争による日本人の死者は合計300万人にも達し、その内80%は敗戦1年前に亡くなっているそうです。兵士たちの証言を聞きますと、地獄を見たという言葉が何人もの方の口からでております。

 戦争中に様々な標語が掲げられました。一番強く印象に残り、未だに不思議でならないのは「一億玉砕」と言う標語です。誰もいなくなった日本 どうする心算だったのでしょう。

        皇居
 
今日の朝日新聞「天声人語」
貧乏くじと言うべきか、東郷茂徳は日米開戦と終戦の時に外務大臣だった。開戦後に退いたものの、再び請われたのは人物ゆえだろう。戦争回避に全力を尽くしたが報われず、戦後にA級戦犯として禁錮刑を受けた▼獄中でよく歌を詠んだ。他のA級戦犯への目は厳しい。〈此人等(このひとら)国を指導せしかと思ふ時型の小きに驚き果てぬ〉〈此人等信念もなく理想なし唯熱に附するの徒輩なるのみ〉。あれほど権勢を振るっていた軍人らの、一皮むいた「小物ぶり」への憤りである▼とはいえ東郷も内閣の一員だった。一番泣いたのは、指導者の「型の小き」を知らず、ひたぶるな思いで戦った国民と、戦場にされたアジアの国に尽きよう。70年前のきょう、日本は対米開戦にわいた▼だが緒戦の戦果の一方、日本は「戦争をどう終わらせるか」の確かな見通しを欠いていた。そして米国の物量に対し、人の命を湯水のように注ぎ込む戦いに突き進んでいく。その果ての破滅はご承知の通りだ▼いま東郷の遺著をひもといて、歌に古さを感じないのは、政権交代後の政治のせいだろう。輝いて見えた「大物」たちは早々とメッキがはげた。閣僚級もしかり。国難の年だけに閉塞(へいそく)感は深く、どこか往時に重なっていく▼歴史は時代の装いをして繰り返すという。TPP参加をめぐる「バスに乗り遅れるな」は三国同盟の時にも言われたそうだ。戦争という荒事ではないが、世界は変わり目。未来のために過去に学ぶ姿勢が、とりわけ政治家にほしい。

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烏賊の塩辛美味しさアップ

 最近チョッと鮮度の良いスルメ烏賊が入荷しませんでした。下の魚屋でそこそこの物が並んでおり、眺めておりました。おじさん早速中から出て来まして「烏賊?何にするんけん」と「塩辛を作ろうと」
 「じゃこれを上げるからね」と差し出したのが烏賊のハラワタ「塩をしてあるからね」「ありがと」
 麹を戻し、塩辛の準備を済ませました。頂いたワタを加えて作りました。
 今回は烏賊6杯+ワタ3個
 作り方は何時もの通り。
 ところが今までの塩辛と比べ、味が格段に良いのです。

          烏賊塩辛

 友人は塩辛を食パンにつけて食べると言います。私は未だ食べて見たことはありません。
 塩辛のお茶ずけもしたことはありません。専らそのまま口にいれて味わいます。

 今回の出来上がりから推測しますとプラスのワタ これではないかと思います。以後ワタだけを買う訳には行きませんから、烏賊の刺身などを作り、その時にワタを利用するようにすればいいのかな~と考えております。
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季節もの

 食いしん坊と言いますか、料理や食品のことにはま~人並みの関心があります。
 季節の物を食べたいとも思いますが、今は野菜などの旬が分からないほど生産方法や流通方法が変って来ております。自分でその中ではっきりと選ぶことが出来るということが大事になって来ております。
 魚も必ずしも旬の物が店頭に並んでいるとも言えません。冷凍方法は昔とは格段に違っているのでしょう。
 野菜も流通手段の発達で各地から送られて来ますので、時期が重なりながら順に並んでおります。国土の長い日本では知らず知らず何時でも買うことが出来ます。

 ですが物によっては時期でしか買えない物もあります。白菜は何時でも買えますが、その食べる料理に合うかどうかで、白菜の種類も違っております。
 白菜の漬物は冬になると自家製用の物が店頭に積まれて出てきます。その時期傍に唐辛子の束が置かれております。近くの県からの物です。
 私はこの時期になりますと一年分の量の唐辛子を買い、自家製の刻み唐辛子を作ります。
 今年も買いました。閑を見て乾したり、刻んだりしております。

         唐辛子

 乾すのも沢山一度に乾せませんから何回かに分けて乾します。上のは今年最初の唐辛子です。
 切るのは夜遅い時間 何か全部済ませた後 静かにゆっくり無心になって刻みます。
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失敗の巻

 富山の瀬戸さんから朴葉と味噌を頂きました。大きな朴の葉に先ず驚きました。料理本などで見たことはありますが、実際に手にしたのは初めてのことです。
 瀬戸さんのブログを参考に準備を始めました。先ず朴の葉を水に浸し然りと湿らせました。そして朴葉味噌が飛騨地方の郷土食と聞いておりましたので、飛騨牛を少し買って来ました。
 出しなに夫に卓上コンロを用意してと頼んでありました。
 買い物を済ませて来ますとコンロとボンベが揃えてあります。
 コンロは昨年の暮に古いものを処分し、地震後に新調してありました。
 コンロの説明を読みますと、どうも網の大きさが大き過ぎるようです。
 「どうしよう」「心配なら止めたら」「そうね。ガス台でやってみましょ」
 「老人は駄目だね。新しいことは」とか言いながら朴葉をガス台の上の焼網に載せて朴葉味噌焼きを始めました。
 ところがコンロが敏感で、高温になりますと直ぐ火が消えるのです。

     ほおば1  ほおば2

 ↑の朴の大きさをご覧ください。見事です。でも火が消えて仕舞いますので、陶板の皿を出しました。右です。
 ところが今度はなかなか味噌がブツブツづくづく言って呉れません。
 そこでもうこれまでと全部を陶板にあけて火を通しました。味噌と具と混じり合いとても美味しかったですよ。
 翌日すぐ瀬戸さんにことの経緯をメールをし、次回の為のアドバイスを頂きました。

 私の希望 ゆっくりと楽しみながら食べたいな~と言うこと。それには卓上の料亭風のコンロを買いたいと探しました。近所のスーパーではまだ時期が早いと言われました。ネットで調べましたらあるんですよ。
 でも今日は堪えました。明日夫にそれとなく囁き、その感触でと思っております。
 駄目とは言いませんのは分かっておりますが、道具が増えるぞ~と言われそうです。
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真似て学び

 ブロ友と言うには失礼かも知れませんが、毎日訪問しています南亭さん こういう方のブログを拝見しますと私の体は小さくなります。体と共に心も小さくなりますが、時々心は活き活きとなるのが最近の私です。
 南亭さんの俳句を眺め早速俳句に取りかかったり、写真と俳句が一緒になった写俳という新しい世界を知りますと、これまた挑戦したくなって来ます。
 刺激は学び心を呼び出します。さ~真似から始めましょうとなります。今回南亭さんの写俳を勉強して見ました。南亭さんのブログに詳しく方法が書かれています。私には難解と言って良いでしょう。そこで何時もPCの面倒を見て下さる若い男性に手とり足とりで教えて頂きました。
 お願いする時 彼は仕事が終わってから一時間だけ我が家に来て下さいます。そして今回は二日来て頂きました。合計2時間です。
 一日目は夜に復習で何枚か作って見ました。二日目はその出来ていた物をホルダーに取り込む方法を勉強しました。1時間が終わりお帰りになる時もう私は嬉しくてね~。また昨夜は何枚か作って見ました。
 南亭先生 ご覧になって下さい。


     山遥か1  山遥か縦字

     山遥か海  山遥か雪

     筋子  イクラ皿

 これからはブログ用と言うだけではなく、美しい風物に出会った時には躊躇わずカメラを向けて行きたいと思っております。
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唐詩三百首 子ども版

 中国語を習っていますとしばしば漢詩が出て来ます。
 中国で書籍を買おうとしますとなかなか書店が見つかりません。特に同学へのお土産に「人民日報」を欲しいと思っても街で売られているのは何だか話題がおかしい物が多く、人民日報は置いてありません。買うことが出来るのは組織でないと駄目らしいのです。仕方なく老師の見せて下さる海外版を時々眺める程度です。
 青島に行きますと必ず「書城」所謂新華書店に行きます。
 店舗は広く、以前は全く見られなかった健康本や料理本それにファッション誌などが大きな売り場を取っています。肥満や糖尿病に関する本には驚かされます。
 私は主に中国服に関係のある本を探します。日本でもPCで「書虫」と言うサイトで取りよせたりもしております。
 チョッと目を彼方此方に配りますと思わぬ本に出会います。前回買って来たのは子ども用の「唐詩三百首」です。

              唐詩

     春暁  白帝城

 1944年女学校に入学して接した漢文の授業 最初の漢文が左の「春暁」です。春は眠いな~と感心した程度で詩の持つ深みなど理解しようともしませんでした。教師の何だか自分に酔っているような気分を感じ、専門の人はこうなんだと、そんなことを覚えております。東洋史の先生も只管喋りまくっていました。生徒が理解しようがしまいが勝手にという風で、差し詰め今でしたらクレームを付けられるかも知れませんね。
 「白帝城」は中国語の教室で出会いました。同学の一人は旧制中学で漢文を確りと勉強しておりますので、何かにつけて漢詩の素養が生きて来ます。

 この本を開き大きな声で読みますと何だかとても気分が良くなります。先々週老師が一首詠まれた時、抑揚の効いた力強いものでした。これは併音が付いておりますから、とても読みやすくなります。今は幼児並みに素直に読み、下部の説明を読むことでチョッと知識も増えるかも知れません。CDも付いております。

 

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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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