2012-01

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今夜は鱈チリ

 先日オコゼを見せて呉れた魚屋の小父さん 同じ日に10㌔もある真鱈も見せて呉れました。
 日曜日は午後生徒がチャイナドレスの稽古に見えました。その後新年会がありましたので、魚を見に行けませんでした。昨日の昼
 「おか~ちゃん おか~ちゃん 鱈を切ったよ」 それ来たお知らせコール 「ハイハイ分かったわよ。行くわよ」
 「ほら見て 凄い良い切り身だろ」「ほんと立派だわね」
 頭を半分位と肝も入っているパックがもう作ってありました。
 ところがオコゼのから揚げも残っていますし、小父さんお薦めの生ウニも買って仕舞い、食べるのは今日に延ばしておりました。
 切り身は大きいし、二人ではどうも多すぎる感じです。二枚を味噌漬にでもしようかしらと思っていましたら、丁度好い具合に久し振りに妹が来ることになりました。
 夕食は鱈チリです。3人ならば何とか食べられるかと思いきや、矢張り残って仕舞いました。
 鱈は北海道では各地で食べられている冬の定番料理のようですね。白子も鍋に良いですよね。
 鱈は新鮮でなければ駄目ですね。鮮度が落ちるとすぐ独特の匂いがして来ます。ですから滅多に買う事はありません。鱈の昆布ジメなんて美味しいのですがね。これこそ港のある都市でもなければ適いません。

    今日はあっさり白菜と豆腐それに芹だけのシンプルな鍋にしました。

     真鱈10キロの  真鱈切り身

               鱈チリ

               珍しい肝 美味しかったですよ。
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寒いですね

 このところ日本列島は厳しい寒気にみまわれております。都心でも積雪があり、この辺でも少し積もりました。
 気温が低いので、あちこちで雪が寄せられており、日陰では氷のようになっています。暫らくは解けずに寒さを感じさせることでしょう。
 昨夜は北風が強く、新年会の会場に向かうのに帽子が飛ばされそうになりました。このところ電車で出掛けることは勿論、夜分の外出も控えております。明大校友会我孫子地域支部の新年会は駅近くですし、歩いて行けますので、出掛けました。大凡40名位の方が集まり、賑やかな一夕を過ごして来ました。

 雪と言えば1984年(昭和59年の時を思い出します。この年は冬の間に10回以上の降雪があり、私はそのせいか体が冷えて仕舞ったのでしょう。春になり暖かくなっても、体調は思うように回復しません。
 あちこちの病院を廻りましたが、対処療法のようにお風呂で温めなさいとか、足を冷やさないようにとか、どうしても決定打らしき治療の指示がありません。そうこうしている時、ある週刊誌で偶然見つけたのが谷美智士先生でした。
 当時先生は神宮前でクリニックを開いておりました。その本で知った私は是非先生の治療を受けたいと思っていましたが、突然網膜剥離に襲われ、その回復を待って漸く診て頂くことが出来ました。以来長期にわたりお世話になりました。今は近所の内科医院でお世話になっております。

 あの雪の酷かったことを忘れず思いだすことは、青島の仲間との新年会です。
 バンコックに住んでいたことのある安永弘子さんが自宅でビーフンをご馳走するので、新年会をしましょとなりました。数人の男性と私は東横線の沿線に住む彼女の家に集まりました。
 安永さんは毎年女流画家展に出品し入選をしており、画家と言って良いのでしょうね。その人柄は実に大陸的で、悠々としており全てにのんびりとしております。
 そんなことでお客が見える前の段取りが出来ていないのではと、心配した私は集合時間前に食べ物を持ち、彼女の家に着きました。
 案の定 殆んど準備が進んでおりません。そんなわけで新年会はずれ込み、時間が過ぎて行きました。
 ニュースで交通機関が混乱し始めていることが分かりました。
 彼女の家からバスで日吉?だったかに向かわなければなりません。若しバスがストップすれば大変です。
 さりとて皆で泊めて頂く訳にも行きません。そこでとに角バス停まで行ってみました。

          84年1月安永さん宅046

 幸運にも最後のバスが来たのです。無事に東横線の駅に着き、各人自宅に戻ることが出来ました。あの雪の中で記念に写真を撮りました。カメラを構えた方は定年後東京から郷里の福岡に戻っております。
 左から安永さん 二人目は中村八大さん 私 右へと足立龍彦さん 右端は福島正康さん
 男性3人は亡き人となっており、それぞれの声や個性を思い出しております。

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オコゼのから揚げ

 「お母ちゃん 凄いものが入っているよ」「何なに?見せてよ」
 「ほらっこれだよ」「凄~い久し振り」
 「持って行く?」「じゃ~から揚げにするからね」
 「頭は要るかい」「頭は今日は要らないわ」と言い前日のカサゴの残りがあるのを忘れて買って来て仕舞いました。一尾890円 嬉しくてね。
 オコゼのから揚げはこの数十年と言って良いほど長い間お目にかかっておりません。昔は小料理屋などで酒肴として食べたりしましたが、今は全くそういう機会はありません。
 吉兆や福田屋とか金田中には行っても小料理屋には行きませんよ。(大ウソ)店の前は通ったことはありますがね。
 このオコゼは漢字で鬼虎魚と書くのだそうです。醜い魚と言うらしいのです。ですが醜いと言うより私には厳つい面構えの男と言う感じです。で今有名人では亀井静香氏の顔が目に浮かびます。彼って時々笑うんですよね。

 昨日のオコゼとから揚げにしたオコゼをご覧ください。二人ですから半分位は食べられましたが、後は残って仕舞いました。

       オコゼ  オコゼから揚げ

 夕食はオコゼの唐揚げ、寿司6貫それに残り物。残ったのを眺め、今夜の味噌汁用に残しておけばよかったと悔やんで仕舞いました。
 
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小父さん頑張っています

 埼玉の義兄の家でお喋りをしていますと、電話が掛かって来ました。
 「お母ちゃん 何処にいるんだね」「埼玉だけれど。何か?」
 「何で埼玉に行っているんだよ」「用があって来ているのよ」
 「そんじゃよ、帰ってこれね~な。良いサザエが入って来てるんだよ」「夕方には帰るって」
 「じゃ~よ つぼ焼きにいるかね」「そうね じゃぁ貰うは」
 「直ぐやれるように作って置くよ。帰ってきたらよ俺がいなくてもさっちゃんが居るからよ。じゃね」

 夕方車を降りて直ぐに受け取りに行きました。綺麗に作って呉れてあります。
 「ほら! しっぽも入れてあるよ」「当たり前じゃないの」←心の中です。「有難う。帰ったら直ぐ出汁を取らなくちゃね」
 
 最近お客さんが増えて来ている様子。カウンターや冷蔵ケースの上に鉢植えの花を置いてあります。
 「小父さん 鉢が良いね」「俺よこういうのが好きなんだよ」

 昨日は店頭にとても良い丸の魚が並んでいます。カサゴ一尾買いました。鮮度が良いので味付けもやや薄めで煮ました。
 「一昨日はよ 店が終わってから皆で駅のそばの和民で飲んでよ。その後カラオケで歌ってよ。11時過ぎになって、しょうがね~から車はほったらかしでさ、終電で帰ったよ」「それは良いこと。皆と一緒で愉快に過ごせば働くのも頑張れるよね」
 「そうだよ。今日は市場に行って来たよ」「市場ってどこ」
 「市場って言えば築地だよ。当たり前じゃね~かよ」「そうだね。今日は良い魚が入っているね。」
 
 携帯を出しますと「おい こっちに来な」と女性の店員を呼びました。

     おじさんとさっちゃん  魚ケース

 何だか何時もの小父さんと違いちょっと気取っている感じです。横の女性がさっちゃんです。
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年賀状あれこれ

 年賀状を出すと言うことは生活の中で小さなイベントとと言って良いような気がします。
 若い時 と言いましても30歳頃は年賀状の交換をするという間柄の方はごく少なく、2日もあれば書き終わることが出来ました。
 それが段々数が増えて来ますと、簡単には行きません。毛筆で書くのは大変になって来ました。何時頃でしょうか。プリントごっこと言う簡単な印刷方法で年賀葉書を作ること出来るようになり、夜中部屋中にプリントした年賀状を並べて乾かすと言うこともしました。
 筆ペンと言う助っ人が現れ、以来何十年も宛名は手書きでした。自分で書くと言うのはとても良いことでした。
 年賀状の挨拶は印刷に頼むようになりましても、宛名を書く時は受け取る方の一人一人を思い出しながら書きます。人それぞれに歴史があり、人知れず悩んでいる人、病で苦労をしている人、成功している人、時には思い出すたびに可笑しくなって仕舞う人などいろいろです。
 年賀状には何だか思い入れのような物があります。ですから宛名の手書きは5年前位までしておりました。
 今は印刷です。印刷は早くできます。そして綺麗です。
 ところが勝手なもので、頂く年賀状が手書きだととても嬉しくなるのです。
 高齢な方の枯れたような字 若い方の丸い字 きっぱりとしたその人らしい勢いのある字。実に様々な字があります。宛名を見ただけで直ぐに送り主が分かります。でもそれも年々少なくなっています。皆さん私と同じ様に印刷へと切り替えて来ております。私は出来れば手書きにしたいと思いはしますが、根気が無くなり、プリントに頼っています。
 年賀状のことでとても印象に残っていることがあります。ある時ドイツ語を教えて頂いた菅藤高徳先生の年賀状書きのお手伝いに行きました。宛名を書き進むうちに思わぬ人の名前を見たのです。その方は1年生の時同じクラスでしたが他学部に転部をした方でした。
 その転部した彼が卒業時に信条の問題でとても苦労をされたと言う話を聞いていたのです。驚きました。先生はすっと師弟の交流をされていたのです。
 何だかオカシイと言うよりは心変わりかしらと言う年賀状もありました。前に今年を最後にし失礼しますと言う年賀状を頂いたのに、今年はとても内容のあるものを送って下さった方もありました。

 お年玉付き年賀葉書は1949年に発行されたそうですが、記憶ではもっと遅かったように思っておりました。
 今年の発売枚数は36億6577万6000枚だそうです。我が家は300枚までなりました。現役時代は倍程出しておりました。お年玉の切手シートは確率通りに当たっていましたが、今年は今までになく少なく2枚。
 最高で郵便セットと言うのを一回貰ったことがありました。

       年賀の字

 また一年皆さんの元気を願い、私どもも気をつけて過ごして行こうと思っております。
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雪ですが出掛けました

 23日の夜半に降りだした雪 短い時間でしたが朝起きだして見ますと、すっかり雪景色です。
 昨日24日 どうしても行かなければならないことで、埼玉県の義兄の家に出掛けました。長女の運転です。何事にも慎重な娘ですので運転も当然慎重です。

        雪9時30分

 朝 9時半に駐車場で落ちあい出発  道は殆んど問題なく通れました。ただ皆さんが気をつけているのでしょう。何時もより時間が掛かりました。
 義兄は一人暮らしですが、几帳面で働き者 家中整理も行き届き、また車庫も綺麗に掃除されています。
 庭に置いてあった陶器の犬が居なくなっています。それは庭師が梯子から落ちてぶつかり、壊れて仕舞ったからだそうです。犬が壊れたのはとも角庭師は気絶して仕舞い、義兄は大変だったようです。猿も木から落ちるではなく庭師も梯子から落ちるんですね。
          犬はこの犬でした。

        義兄の庭

 12時半頃に到着 食事を済ませ、夫の亡き姉の遺品を整理。その後四方山話で盛り上がりました。ま~世相を切るって面白く、夫も私も義兄と一緒に評論家ですよ。
 
 少し前に義兄が話していたことを思い出しました。 
 義兄は小さい会社を持っていますので、時々都心に出掛けます。最近の盛り場の様子ですが、昔と違いサラリーマンの姿が大変少なくなっているのが気になっているそうです。
 義兄は交際費の税金が影響しているのではと話しております。理由は前は交際費300万円までは税金が掛からなかったそうです。ですが今は全て税金が掛かるため、会社が交際費を出さなくなっているので、サラリーマンの姿が減っていると言うのです。(交際費の具体的な内容まではお聞きしませんでした)
 もし交際費300万円まで税金なしにすれば、お酒の席での交渉もするだろうし、酒屋をはじめ、タクシー、食品店 それらで働く人の増加 あれこれそこから派生し伸びて行く経済効果が期待でき、活気が出て来るだろうということです。面白いお話でした。(政治家に聞かせたいです
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説明しやすい

 整体の先生は治療は専門家ですから、じっくりと時間を掛けて治療をして下さいます。
 以外に思いましたのは、食事療法と言いますか、健康についていろいろと教えて下さるのです。
 今日は午前に行き、整体の治療を受けて来ました。
 私は先週は目まいを起こしたりしましたし、少し胃腸が弱っているらしいので、そのことも一緒にあれこれ教えて頂きました。
 胃腸の調子が悪い時には正露丸を飲むことを勧められました。
 正露丸は昔は征露丸と言われました。正は征ということで、昔は戦争に行く時に携帯して行く薬だったと聞いております。
 我が家では中国在住時代 疫病対策(コレラですが)のために私たち子どもは毎食後2錠ずつ飲んでおりました。その頃はクレオソートと言っており、その独特の香りはうっかりしておりますと、周囲の物へとうつります。
 その習慣の所為か、私は正露丸は鼻に詰めて置きたい位好きな匂いです。ですが実際にはそんなことはしてはおりませんよ。この匂いを嗅ぎますと体全体が消毒され、毒が体内から出て行ってしまうような気分にすらなります。
 丁度家にストックがないので、買おうと思っていた矢先ですので、明日にでも買ってこようと思っております。

 この整体院の壁には大きな人体のポスターが掛けられております。これが便利なんですよ。
 自分の痛い所、問題のある場所など、説明と言いますか先生に示すのにこの図のそれに当たる場所を指せば早いのです。
 例えば足でも腰でも、位置を示すことが出来ます。その位置も僅かな違いが自分で示すことが出来ますね。
 隔靴掻痒のようなもどかしさをそう感じることなく伝え、治療をして貰う事が出来ると言うことです。

       径絡前身  径絡後身

 上の図には禁止されていることもあるようです。注意が出ています。
 またこの他に足のつぼと言いますかそういう物も張り出されております。 

    禁止  足部反射区

 こういうのは見たがり屋、知りたがり屋の私の気分をそそりますね。夫のことを訊ねる時などあそこと直ぐに指せます。
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過年の餃子

 中国の正月 所謂春節は明日です。今日は日本の大晦日に当たる日です。
 中国の春節は農事歴 陰暦ですね。で今日は12月31日ではなく今年は12月29日です。
 ご存じのように中国の方々は、前にも書きましたようにこの年越しを故郷で迎える習慣があります。
 書の先生の家にはお母様が同居されており、今夜はお兄様方も集まり、餃子を一緒に作り食べることになっているそうです。
 昨日我が家にわざわざお持ち下さいました。一足早いと言うことですが、今夜は夜中になるのでと申し訳なさそうに仰いました。
 餃子の旁は交という字ですね。これは今年から来年へ交わる時を現しており、それを過年という言葉で表現しております。北の方の方はこの餃子を食べながら、TVを見て団らんの一時を送ることでしょう。
 毎年のこの過年のTVは盛沢山で一大イベントのようです。旗袍を着た司会者も良く紹介されますよ。今年はどうでしょうか。
 中国語の王老師の話に寄りますと、この餃子の中にナツメを包み込み、それを食べた人に幸があると言う謂れを以前話しておりました。
 餃子は中国の元宝銀(または馬蹄銀)という貨幣の形から作られたと言うことです。この元宝銀にはいろいろな大きさの物があるようです。
     瀋陽の博物館で展示されていた可愛い元宝銀を紹介致します。

     瀋陽元宝  瀋陽元宝2

 餃子と言えば子どもの頃家のメイドと一緒に良く作りましたね。皮伸ばしの競走のような時間は楽しかったですね。
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良くなりますと

 昨日は起きられはしましたが、いささか元気がなく恥ずかしい話をアップしました。コメントをお寄せ下さいました皆々さま有難うございました。
 昨夜就寝の前にめまいの薬を飲み、今朝起きぬけにまた飲みました。
 と言うようなことで、とても元気という程ではありませんが、もう大丈夫です。
 何にしましても漸く雨になりましたね。乾燥も改善されることでしょう。
 都心でも雪が降っている様子。寒さのために今日はストックしてあるもので夕食を作る心算です。
  朝は普通に作りましたよ。

        朝食1月20日

 食べる量を減らすと体重が落ちるのは当たり前のように思っていますが、なかなか出来ずにおります。目まいで一昨日と昨日でほぼ普段の半分程の量で済ましましたら、減りました。今朝も増えておりません。
 先生にアルコールを飲んで良いのかどうかお聞きしないで帰宅しましたのですが、今夜は少し飲みたいな~と思っております。
 昨年3月2日にNHK千葉放送で旗袍(チャイナドレス)のことを話しました。地震の前です。途中で何かあるといけませんので、妹二人に付き添って貰い、千葉に行き無事に終わりました。
 その時の録音を明治大学校友会我孫子地域支部でHPに載せて下さいました。もし時間がございまして、また興味がございましたらお聞きになって下さい。
 
 丁度昨年NHKテレビは「蒼穹の昴」を放映しておりました。で私にとお話を頂きました。
 
 ブログリンクの明治大学校友会我孫子地域支部から入って頂きますと「会員からのお便り」があります。そこをクリックして頂きますと、紹介されております。
 
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久し振りのめまい

 昨日早暁目が覚め、用足しに起きようとし、ベットの縁から足を下ろしますと、周囲の壁、天井 襖、隣の部屋の棚などグルグル回っています。
 辞書で見ますとめまいは 目が回ったり、くらんだりすること。回転・昇降・傾斜などを感じるものは平衡感覚の異常により、立ちくらみのものは血行障害により起こる。げんうん。

 最初にめまいが起きたのは10年ほど前になります。初めての時は臥せっており、時間が経ちましたら回復しました。二度目の時は症状が酷く、夫に支えられて病院に行きました。
 先生曰く 「これって立派な病名があるのですよ。良性頭位変換性めまいと言うのです」「症状が起きた時の頭の位置を覚えて置き、その位置に気をつけて下さい」とのこと。
 良性と言う言葉に安心しました。
 説明に依りますと、頭を動かす時に起きる症状だそうです。何かスイッチが上手く行かないと起きるそうです。
 私の場合は寝ていて頭を右から左へと動かすと発症します。で就寝する時には必ず右向きの状態で頭を枕につけて寝ます。

 昨日のはめまいが強く、頂いてある薬を2錠も飲みました。薬の成分は船酔いの時に飲む成分と同じだと説明されています。
 このところ起きなかったのですが、寝ている内に頭を動かしていたのかも知れませんね。
 朝食はパス。夫は残り物で済ましました。暫らくして私は椅子に座っていることが出来るようになり、ヨーグルトを少し食べ、また夕食はこれまた少しにしました。今朝の体重は一昨日と比べ1㌔減。良いような悪いような。
 昼間には起きないのです。今朝も軽い症状を感じましたので、薬を1錠飲んであります。

    朝食1月15日  朝食1月16日

    
    朝食1月17日  朝食1月19日

 18日(昨日は上の理由で画像がありません)実は昨日はチョと気なることをアップしたかったのです。で朝日の天声人語を見ました。昨日のは購読を申し込んでなければ見られなくなっておりました。
 
 どういう事かと言いますと、乾燥注意報が長く出ていますね。雨が欲しいと言うことですが、その乾燥が続いていることに関連した内容でした。
 TVで野菜が高騰していると放映されました。朝の報道番組です。
 ああいう番組には何人かの知識人?良識人?ま~それぞれコメントをしますね。野菜の高騰がどの程度かを見せておりました。一人の女性の方が「絶対許せない」と言い切りました。
 私は驚きましたね。許せないって?
 何に対して? 誰に対して? 生産者に対して? 小売店に対して? 卸店に対して? お天道様に対して?
 こういう発言は無責任極まりないと思えてなりません。

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救命ボート

 1942年の秋深き頃 日本を目指し中国青島の大埠頭を船が離岸 船名は泰山丸
 私は日本の小学校に転校するために青島を後にしました。5年生の秋です。

         泰山丸

 私は乗船後直ぐに酔い出し、その酔いはもう苦しみが酷く、胃の中の物は全て出て仕舞い、出る物が無くなったのでしょうか、茶色のお茶ガラのような物が出て来ます。心の中は胃壁が剥がれて仕舞っているのかと心配でなりませんでした。
 出港して暫らく経ちました。夜が明けると敵の攻撃を受けた場合を想定した避難訓練が始まりました。
 それぞれ体に救命胴衣を着け、決められた救命ボートに駆け付けます。
 へとへとの私は倒れそうになりながらも必死で甲板を駆けました。
 玄界灘は水が黒く底深く見えます。子ども心にもここで敵に攻撃されたら命が無くなるのではと思えてなりませんでした。ご飯が出ますが、それまで食べたことも無かった酷いものです。酔っていますから匂いでも参ってしまいます。
 フラフラして甲板に出て見ますと朝鮮半島の先端でしょうか、陸地が遥か彼方に見えます。
 船が門司に着き、やっと酔い収まりました。

 この数日イタリヤの豪華客船の座礁のニュースが伝えられておりますね。救命ボートが足りなかった?乗組員が先に逃げて仕舞った? 船長が拘束されているそうですね。
 結婚50年を迎えた時 夫と飛鳥Ⅱに乗船しました。部屋に入ると直ぐに救命胴衣を探し、確りと確認して置きました。あの玄界灘を思い出し、救命胴衣の所在を直ぐに知りたかったのです。
 勿論飛鳥Ⅱにも救命ボートはあります。

         飛鳥Ⅱのボート

 イタリヤの例を見ますと豪華と言うのが安全という保障ではないのですね。ま~過失かどうかは分かりませんが、ボートが錆びていたなんて情報もありますからね。
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お使い大好き

 今年の春節(中国での大きな行事)は23日 中国では22日の夜から23日へと掛けて人々は故郷で過ごすのが習慣となっているようです。ようですと言うのは実際に帰った人の話は聞いたことがないからです。ですが毎年この時期大衆の移動のニュースが流れますね。大都市の駅で大きな荷物を持ち列車を待つ人の姿をTVが伝えております。

 昔々 また昔が出ますがお許しください。
 中国の正月の前には市場には日本と同じく正月用品が沢山出廻ります。私の家から比較的近くに若鶴市場と言う名の市場がありました。日本名が付いていますから、お客は日本人が多かったのかも知れません。
 
 因みに1940年の資料に依りますと当時の青島の人口は53万人余 内日本人の戸数は7732戸人口は28.683人となっております。我が家もその中の一軒でもあり、家族はその日本人に含まれておりました。日本人小学校は5校ありました。私は3年生です。お使い大好きな少女でした。

 母は料理作りが好きですが、材料を買いに行くのはどちらかと言えば私の役目でした。家の使用人をお供に私は買い出しに行きます。何だか責任があるようで、子どもなりに緊張しましたが、楽しさも一杯でした。行く先は若鶴市場です。市場では食料品店が主だったと記憶しております。関西や九州の方が多かったせいか、蒲鉾や竹輪などは西日本風でした。(これは戦後小田原などと比べ分かったことですが)
 買い物の中で一番好きなのは寄せ鍋の材料を買う時です。組み合わせをいろいろと考えて買って来ます。母が褒めて呉れますと、また次は何を組み合わせたら良いかな~と考えたものです。
 日本の正月に合わせた品揃えの時はそれなりの品物が並びますが、所謂旧正月(今の春節・陰暦正月)には中国人に合わせて品物が並びます。
 子ども心に強く残っているのは豚の頭を店の一番高い所に飾っているのです。全店ではありませんが、精肉店とは限りません。
 先だってノリーダヨさんのブログで沖縄での正月用の品物が見られました。そこに豚の頭があるのです。大発見のような気分になりました。画像をお借りしましたのでご覧ください。

          ノリーダヨさんのブタ

 沖縄は中国の食文化が強く影響しているのでしょうね。豚肉を良く食べるのですね。中国で肉と言いますと豚肉のことです。でこの豚の頭ですが、青島で見た頭はほっぺに丸く赤い色が描かれており、頬紅のように見えました。
 子どもの頃の印象って強く心に刻みこまれているものですね。
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片手では難しい

 普段と違う事をするって大変ですね。私は右が効き手です。で左手で何かをしようとしますと、持つも描くも苦労となります。
 昔々 大量の文書を長期に亘りボールペンを使い書いておりました。右親指の周辺が腱鞘炎に罹って仕舞いました。その時に右手は包丁を持つことで苦労をしました。人差し指と中指の間に取っ手を挟み何とか物を切っていました。
 左手に包丁を持って切ろうとしても駄目です。その時両手使いが出来る人は良いな~と思ったことです。
 最近はマウスを左手で動かしております。右手が痛くなり、左に持ちかえたのです。

 先ごろ中国の書法の筆の持ち方をアップしましたら、知人がどうやって持つのと聞いて来ました。電話で説明をしましたが、これは実際にカメラで写して見て頂くのが良いのではと思いました。「百聞不如一見」ですね。
 ところがなかなか左手では上手く写せません。やっとどうにかこれなら持ち方が分かりそうだと思うものが一枚摂れました。
 デジカメは簡単だと言われますね。そうは行かないんですよ。歳のせいもありましょうが、確りと持てないんです。シャッターを押そうとしますとカメラを落として仕舞ったり、また曲がって仕舞ったりです。
 昨年餃子の時もそうでした。途中で左手で箸を使えばと思ったのですが、上手く箸を動かすことが出来ません。
 何とか中身を見て貰えるのが写せたのですが、皮は破れて仕舞いました。

     筆の持ち方  餃子

 力が欲しいですね。でも無理でしょうね。夫は私の趣味などには全く我関せずですから、私も頼みません。お互い趣味の範囲は口も手も出さないようにしております。ですから左手を使うのです。
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饅頭を頂く

 書の先生から饅頭(まんとう)を頂きました。出来立ての熱々のです。
 饅頭は中に何も入っておりません。これは中国の北の方の食べ物です。日本ではなかなかお目に掛かれません。
 
 昔中国で過ごした頃 この饅頭をよく食べました。一個が大きく私には一回で食べ切れませんでした。
 その頃中国の人は朝から外食が普通でした。学校に行く道ではありませんが、少し離れた道路には朝から屋台が出ています。 
 そこでは大きな丼に豆乳を入れて売っております。冬は熱い豆乳の湯気が上がっております。豆乳の中に油條と言う揚げた細長い揚げパンのような物を千切って入れていました。これは我が家でも味噌汁に入れたりしておりました。揚げるのを眺めるのが大好きで、学校からの帰り道屋台の鍋の前に立ち続けて眺めたものです。
 麺類は饅頭が良く食べられておりましたね。おかずは極簡単な野菜炒めのような物です。
 饅頭は大体何時でも買えました。中国の食品を売る店は勿論ですが、街頭で蒸かして売っておりました。
 我が家でも良く買って食べていましたから、頂いた時は驚きました。感激です。

     まんとう  饅頭

 この饅頭と言うのは癖がなく食べ易いのですが、食べたことのない人には味が単純で驚くことと思います。
 上の左の画像の大きな丸いのが饅頭です。手前のは花捲と言いまして、少し甘く軽さを感じる物です。材料はどちらも小麦粉です。
 我が家では饅頭を1.5㎝程の厚さに切り、マーマレードやジャムを塗り時々おやつに食べておりました。
 とても懐かし味です。日本で普通彼方此方で包子(肉まん)は売られておりますが、饅頭は横浜や神戸、また長崎のようなところの中華街でしか買えないと思っておりました。
 ところが最近はアメ横でも冷凍の饅頭が売られております。ですが手作りの饅頭は添加物無しですから、昔の味と言えましょうね。有難く頂いております。
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仲好になると

 昨年一階のスーパーの鮮魚店が変りました。11月中旬に新店舗が開店 この鮮魚店の小父さんと仲良しになりました。良い魚が入荷すると電話が入ります。
 「おか~ちゃん○◎●が入っているよ~」と言いますので、出来るだけ早い内に眺めに行きます。
 たまたま忙しくて行くことが出来ない日もあります。先だって数日魚売り場に行きませんでした。
 「おか~ちゃん おか~ちゃん具合でも悪いんかね。心配しているよ」
 「大丈夫ですよ。今日見に行くわよ」と昼ごろ出掛けました。
 「おか~ちゃん俺心配していたよ。もうチョッと見えなかったらよ~ 店の女の子に見に行って貰おうと思っていたんだよ」「小父さん家には亭主が居るのよ。心配してくれるのは有難いけれど、大丈夫よ」
 「そうだったね。分かったよ。今日はで何が欲しいかね」
 「良いカマスだわね。これ2尾ね」
 「腹出して置くかね?」「そうね。塩焼きにするから」
 「これよ~ フライにすると美味いんだよ」「そう美味しいよね。でも体のことで食べたいんだけれど駄目」
 
 そのカマスは大きくて立派 塩焼きを止めてムニエルにしました。フライに魅力はありますが、我慢しました。

 この鮮魚店では刺身のケンを店頭で作っております。
 「小父さん 刺身のケンね、仕入れでは無いのね」「俺よ~誤魔化しは嫌いなんだよ」と言います。
 大晦日には刺身を注文して置きました。夕方受け取りに行きましたら「おか~ちゃん 危ないからよ。運ばせるよ」と届けて呉れました。暮の忙しい時 そのようにして貰うととても有難いですね。

           魚屋のおじさん

 大晦日には大車輪で働いていました。小父さんのおか~さんは83歳だそうですから、おか~ちゃんと言われる訳ですよ。
 吉幾三という歌手が出ているコマーシャルがあります。私の好きなコマーシャルです。元気者の働き小父さんがピッタリです。この魚屋の小父さんを見ますと、吉幾三の歌いながら動いている姿と重なって仕舞います。
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成人の日

 私たちと言いますか、夫も私も成人式などの無かった時代を過ごしました。
 今日は成人の日 各地で成人式が挙げられ、その新成人の姿が全国各地からテレビに伝えれておりました。
 震災の被災地や、ディズニーランドからも中継され元気な若い人の姿って良いものだな~と感じたことです。

 午前に整体の治療を受けに行き、駅の階段の前で人待ちをしているらしい振袖のお嬢さんに出会いました。
 
           振袖の二人

 これから成人式があるのでしょうか。多分市の広報には掲載されていたことでしょう。ジジババには余り関心がありませんので、気がつかなかったのだと思いますね。

 ただ成人式に参加する和服のことは二人の間でも毎年話題になります。あの白いファーの肩掛けが気になります。
 どうして同じなんでしょうね。雑誌などで紹介されているのでしょうかね。
 この成人式と和服の関係について宮城学院大学国際文化学科の石川七恵さんと言う方の論文を見つけました。
 「成人式の歴史」というテーマです。
 私はこの成人式の振袖については業界の仕掛けではないかと思っておりました。石川さんもそのように始めは思っていたようです。ですが調べて行くうちに必ずしもそうではないと分析しております。
 とても良く調べた内容です。
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生徒の兎

 チャイナドレスの生徒に兎を飼っている方が二人おります。偶然ですが珍しいですね。
 一人の生徒は自分の生活を切りつめても兎にイチゴの「あまおう」を食べさせておりました。年末長女が柏で値下がりになった「博多あまおう」を買い一パック我が家に置いて行きました。
 毎度のことながら生徒の兎話になりましたよ。「イチゴ あまおう 生徒の兎」 我が家ではこの言葉で通じます。
 年賀のメールで二羽の兎が増えたと写真が送られて来ました。
 彼女は最初に兎模様の生地を持って来ましたが、その時には私は未だ兎のことは知りませんでした。とても良く似合いましたから、ご本人は満足だったことでしょう。

     Nさんのウサギと雀  Nさんの兎

  左の大きな兎はあまおうが好きです。右のこちらの二羽が新しい家族です。

 別の生徒の兎は大分高齢だそうで、先日は風邪を引いたらしいと話していたような気がします。この高齢な兎は名前が何だか覚えられませんが、血統書つきの兎だそうです。全く知らないことでした。犬や馬などは血統が話題になりますがね。他の動物にもあるのでしょうね。面白いことですね。

        娘から貰ったあまおうは綺麗で立派でしたよ。

             博多あまおう

 ところで二女の娘の飼っているトカゲですが、このところ食欲が余りないようです。私が見る限り痩せたりはしていませんね。原因はなんでしょうね。知りたいのですが、寒さのせいだろうと言っております。
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マグロ騒ぎ

 5日の東京築地の初競りのマグロが話題になっております。
 私もTVで見ましたし、今朝の新聞でも読みました。この数年前からでしょうか、香港の人が高値のマグロを買ったとか、有名な寿司店が競りに勝ったとかマグロの話題が正月の定番になっていますね。
 大間のマグロの一本釣りの話はかれこれ40年程前に耳にしたのが最初でした。
 魚好きな方や、釣好きの方と話題にしたことがありましたが、その話題は一本釣りの凄さや漁師の心意気でした。今のような値段の話ではありませんでした。
 昔 私の育った町の船乗りの多くはマグロ船に乗り、遠くインド洋辺りまで出掛けておりました。
 マグロ船は三崎から出港し、三崎に戻って来ます。
 マグロ船が三崎に入港する時には、会社から家族に連絡が入ります。今のようにどこの家にも電話があるわけではありませんから、電報だったのではと思います。
 我が家は全く関係はありませんが、三崎に出かける奥さん(おっかさんやおかみさん)達が何となくそわそわとしてざわめきます。
 「入港かい?」と聞きますと「あいよ。行って来るよ」となります。ご主人を迎えに三崎に行くのです。
 当時は男性の遊ぶ女性のいる処は東京や横浜などに多く、お金を貰ったマグロ船の男性は家に帰る前に途中下車しかねないのです。そこで会社は気を利かせてご夫人方に知らせるのです。
 そしてご夫婦はマグロの塊を持って一緒に帰って来るのです。
 長くマグロ漁に関わっていた方と話したことがあります。随分前のことでしたが、既にマグロの姿が減って来たと言うことでした。「背中に苔がべったり付いていたようなマグロは殆んど見られないよ」と聞きました。
 日本は昨日の話からしてもマグロの消費量が多いのですが、最近は中国でも大量に消費されているようですね。
 これから先どうなることでしょう。

 昨日のマグロ 重さ269㌔g 競り値 5649万円

 昨日一階の魚屋でそのマグロの話をしました。ま~買えないね~と言う話で、話序でに夕食用に握り6貫を頼んで置きました。夕方受け取りに行きましたら、太平洋産マグロの寿司を作って呉れてありました。

         マグロ寿司

 食べながら大間のマグロ話になりました。競り落とした方の話に依りますとこれを握りにすると一貫1万5千円位になると言っておりました。今日はその解体を待って食べに来た人の行列がTVで紹介されておりました。
 実際は400円だそうですが、ま~私たちは老人って言うこともありますが、あのような列には並びたくないですね。
 下のマグロ寿司で充分です。
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書初め

 中国書法を習い始めて1年半ほど経ちます。月2回ですがなかなか難しく、苦心しております。
 最初の頃は縦に筆を下ろして行くのが難しく、よろけたり、右や左に寄り過ぎて仕舞ったり、一本の筋が同じ太さに書けず、確りとしませんでした。
 漸く線がある程度に引けるようになりました。中国では書き初めの習慣はないそうで、それでいい気になって今日になっております。
 老師は「意在筆前」意識を確りと筆先にと仰います。また「積少成多」などと少しづつでも頑張りなさいと励まして下さいます。
 暮の29日が最後のお稽古でした。少しづつ書いていましても、半月分ですとある程度の枚数になります。持って行きますと一枚一枚一字一字丁寧に添削して下さいます。繰り返し繰り返さなければ上達はしませんでしょ。
 今年もまた頑張って行きたいと思っております。

    011年12月29日稽古  書き初め

 練習を始めてから気が付いたことですが、字全体のバランスを良くするには手本に倣い線を引いて置くのが良いのではと考え、チョッと時間のある時に半紙に鉛筆で線を引いておきます。老師のところでは線は引いてはありませんが、自然に体が覚えているのですね。大分位置が決まって来ております。
 半紙に12字書きます。私が小学校や女学校で習った時、字は右から書きました。今は左から書いて練習をします。右からですと次の行に移りますと墨が気になります。この左から書くと言うのは練習にはとても合理的だと感じました。12字と言いますと大きい字ではありません。
 老師の言葉に依りますと大きい字を書くのには体が確りとしていないと駄目だと仰います。
 私はお聞きしました。今年の一字 あの字は上手ですかと。返事はあのような大きな字を書くのは腰に確りと力が入っていなければなりません。そういうことであの絆の字はとても上手ですよと、立ち上がり腰に力を入れて姿勢をとり説明をして下さいました。

  追記  今書いている小さな字の場合と大きな字の場合の筆の持ち方は違うようです。
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あの日のこと

 1995年3月20日 私は霞ヶ関ビルで友人と会うために出掛ける準備をしておりました。
 TVが事件発生を報じ始めました。どうも地下鉄の駅で問題が起きたらしいと分かり、何時も使う地下鉄を止めてJRで出掛けました。
 新橋で下車 そこから歩いて霞ヶ関ビルに向かいました。霞ヶ関方面の上空にヘリが何機も飛び交っています。
 今にもヘリ同士がぶつかるのではと思った位です。
 急ぎ33階の東海倶楽部に行き、事件が大きいことを知りました。
 夫から電話が入りました。夫は放送のある前に家を出ており、帰宅したらニュースを知り、急ぎ私に何処にいるかを問い合わせて来たのです。
 それがオーム真理教の地下鉄サリン事件でした。
 
 オームの特別手配されていた平田信容疑者が大晦日に出頭し逮捕されたと報じられました。新聞に掲載されたのは1月3日 昨日のことです。

          朝食1月3日

 この数日この平田信容疑者の行動のことや、オーム関連のニュースや解説、また識者の感想なども伝えられております。
 私にとって地下鉄サリン事件の前 1994年6月27日に起きた松本サリン事件も忘れられない事件です。
 私の親しい友人夫妻が媒酌した方のご子息がこの事件で亡くなられたのです。転勤で松本に行き僅かしか経っていませんでした。住んでいたアパートにガスが入りこんだのです。若い男性が3名亡くなっております。
 私はそのことを知り驚きました。多くの方に不幸を齎した事件。私にとっても忘れることは出来ない事件です。
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こちらもあちらも勝たせたい

 お正月の一大イベント 箱根駅伝 ご存じの方が多い行事ですが、高3の孫など全く興味はないと思います。
 昨日と今日 二日にわたり若者の闘志が繰り広げられました。
 我が家から歩いて行ける中央学院大学も出場しました。応援団の募集もあり、我孫子駅構内にも横断幕が張られております。こちらです。
 
            中央学院駅伝

 ですがあちら 駿河台の明治大学も出場しました。私としましては両方が良い成績を上げて欲しいのです。
 記録を見ましたら、明大が総合優勝したのは第5回、6回、9回、10回 23回そして25回(1949年)となっております。
 昨日は箱根に3位で到着 復路はデッドヒートを繰り返しながら3位となりました。
 TVの普及で熱戦を見ることができ、ゲームやお笑い番組より駅伝です。

 各大学は可なりこの駅伝に力を入れておりますね。明治大学でも大勢の方が応援で沿道に集まったことでしょう。鎌倉に住む友人は以前折りたたみ椅子を持ち出掛けると言っておりました。今年はどうされたか。
 スキー部副部長さんは昨日大手町の出発点に馳せ参じたそうですが、走り出したらもう25秒位で選手の姿は遠くに行って仕舞ったそうです。明大スポーツは集まった人々に新聞を配っていたそうです。

            明大スポーツ新聞

 今日は午前中に整体の治療を受けに行きました。往路の出発は見ることは出来ましたが、その後は先生にお願いしてTVを駅伝放送にして頂きました。先生は様子を教えて下さいます。そして最終走者は実力者だから良いと思いますよとそのことの説明をして下さいました。
 家に戻りましたら、ゴールに間に合いました。三位ですよ。テレビに映った姿を見ますと、皆良い顔をしていますね。今風に言いますと元気を貰いました。関係者の喜びは一入のことでしょう。

      駅伝1  駅伝2

      駅伝3  駅伝ゴール

       来年も出場出来ますね。今夜は祝杯です。
       野球は優勝しましたね。ラグビーは頑張って欲しいですね。
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花びら餅

 思いがけなく昨日お見えになった方から花びら餅を頂きました。
 数年前の正月 駿河台下のささまに寄り、買おうとしましたが待つ人が多く、諦めて帰宅しました。
 昔ささまには和菓子を買いに行きましたが、正月過ぎ仕事が始まる頃には花びら餅を買うことが出来ました。
 15日までは売られていましたが今はどうでしょううか。
 店内に入りますと初釜にと予約が沢山入っているようで箱が山積されておりました。
 
         07年1月 ささま

 最近は全くと言って良いほど寄りません。駿河台に行きましても目的はささまのお菓子ではありませんし、何となく忘れています。
 ささまでは毎月月替わりでお菓子が並びます。先代のご主人は線が細く、着物姿が実に爽やかな感じでした。奥さまは体格が良く所謂お多福顔。それに鮮やかな赤い口紅が小さな唇に塗られ、一層ゆったりと見えました。
 店内は狭く三人はチョッときついですね。お客が少ない時か、自分だけの時かでしか、ゆっくりと眺めることが出来ません。
 そうですね最初にささまの花びら餅に気が付いたのは50年ほど前でしょうか。当時デパートの有名な和菓子店でも先ず見られませんでした。食いしん坊の友だちに教えましたら、毎年お配り用に注文に来ては、私と食事をしました。
 私は別に予約する程のことはありませんので、行ってあれば買うと言った程度でした。
 先日たまたま花びら餅の話が出まして「まだ予約しているの」と聞きましたら「もう持ち歩くのも大変だし、止めたわよ。だけどあそこのは最高ね」と懐かしんだことでした。

        昨日頂いた花びら餅

 頂いたので早速夫と二人で頂きました。ささまのことですが、昔々経営学部の入試の時、小さな箱に二個入ったささまの練り切りがおやつに出ましてね。応援の女性に人気でした。
 
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願うこと

   年の初めに願うこと
     
     平和 安全 安心

        綺麗な空

 2012年1月1日 朝日新聞天声人語

 雑煮は心に根ざした食べ物である。土地土地、家々に流儀があって、こればかりは他家や他郷のでは駄目という人が、このご時世にも多い。自慢しあうことはあっても、よそをまねて作る話はあまり聞かない▼俳優で演出家だった芥川比呂志に雑煮の随筆がある。芥川家では具が野菜だけの質素な仕立てが受け継がれてきた。一時鶏肉を入れてみたが、すぐにやめたという。「野菜だけのほうが、正月の朝が、静かに落ち着くのであった」。一椀(ひとわん)への愛着、おいそれとは捨てられない▼年あらたまる淑気のなか、「わが家の雑煮」に一族再会をかみしめる方もおられよう。人が往(い)き来してむつまじくするゆえに正月を睦月(むつき)と呼ぶそうだ。水入らずの団欒(だんらん)を、外の寒さが引き立てる▼かつて津々浦々に、その地ならではの雑煮を生む風土と暮らしがあった。だが戦後の日本は、多彩で懐の深い「地方」を踏み台に、都市中心の繁栄を築いてきた。災厄が呼びさました悔恨の一つだろう▼青森出身の寺山修司が言っていた。「今日では、標準語は政治経済を語ることばになってしまった。人生を語るのには、もう方言しか残っていない」と。思えば過疎地に原発を林立させてきたのも「標準語で語られる政治と経済」ではなかったか▼そして今、「グローバル化」という世界標準語が、妖怪のように地球を席巻する。栄華と便利は幸せと同義ではなかった。それを知って、さあどの方向へ歩むのか? 辰(たつ)年の空から小さき問いが聞こえてくる。
        
        新年カード

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相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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