2012-02

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飛魚のたたき

 今日は夜中から降りだしたと思われる雪 湿り気の強い雪だと夫が言っております。
 そろそろ春らしい食材が出て来ました。
 飛魚がこの数日店頭に並んでおります。形も大きく新鮮です。鱗が光っております。

       トビウオ

 飛魚は春から夏にかけて美味しい魚です。鯵のタタキは今や誰でも知っているものですが、私は飛魚のタタキがとても好きです。味が淡白ですが身の粘りと言いますか確りとした舌触りが鯵と違います。
 二人で一尾あれば充分です。タタキにしました。久し振りです。
 飛魚は鱗が大きいのです。ですから三枚におろす前に鱗を確りと取った方が良いですね。
 タタキにするのには身の中心の血合いの所の骨も良くよけないといけませんで、チョッと作るのに手間が掛かります。鯵の方がずっと楽です。
 一尾をタタキにしましたら多くて、3人前程になりました。一人前は仕舞い、後で私が食べました。

       飛魚たたき

 魚はいつも私が多く食べます。身アラなどはま~私の独占ですね。最近はブリ大根を良く煮ますが、アラはこれまた私の独占です。
 
 この飛魚のタタキですが、一尾に対して味噌を小さじ一杯ほどいれます。そう親指の先ほどでしょうか。隠し味と言って良いでしょうね。味噌の味が強いと魚の身の美味しさを落とすような気がするのです。
 飛魚は刺身でもおしいし、塩焼きもおしいですね。他に私の好きなのは潮汁です。
 小さいものは九州方面ではあごと呼ばれ、ダシとして沢山使われているようですね。随分昔九州のお土産に頂いたことがあります。
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駄目だと言うのに

 このところバスを利用します。杖を持っておりますと席を譲って下さる方が多く、有難いことです。
 乗車して3駅目が終点です。先日滅多に空いていない最前列の椅子に座りました。
 目の前にかねがね気になっていた注意書きがありました。
 「バスが止まるまで立たないでください」と言うものです。

        バス危険防止

 この表示は随分前から貼られております。ところが全く意に介せずと言いますか、目にも入らぬかのように、立ちあがる人が良くおります。高齢者の中でもおります。ですが絶対守って欲しいのです。
 バスが速度を落とし停留所に近づいて来ますと、後部座席から歩いて来る方も結構おります。
 おばーさんはそういう人を見ますと「駄目ですよ~」と大声で注意したい衝動にかられます。

 その声を出したくなる大きな理由ですが、女学校の友人が7年ほど前に都内のバスで転倒し、救急で運ばれ頭部の手術を受ける事態になったのです。
 彼女はバスが止まる前に立ちあがり、歩き出し滑って仰向けに倒れたのです。気を失い乗客の方々が運転手さんに協力して下さり、即病院に運ばれたのです。
 半年ほど入院して回復しました。それを聞いておりますから、大きな声が出そうになるのです。
 
 高齢になりますと、僅かな段差にも躓いたりふらついたりします。ましてや動いているバスの中は危険ですね。
 
 バス会社もお客さんが転倒し事故になると困ることでしょう。自分にも周囲にも迷惑を掛けないように、バスに乗りましたら注意して行かなければと思っております。
 
 最近はバスから降りる時も急がず、ゆっくりと足を下ろし、靴が地につくまで用心しております。
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相子食堂が良いと言う

 今朝のTV ウェークアップでの話 
 話題の一つ 「食堂&給食」 いま社食がブーム?となっているようです。特にタニタ食堂で食べられるランチは一番人気だとか。昔は社員食堂と言えば全く関係のない社外の人間がそこでランチを食べるなんて考えることもありませんでした。私の経験は4回 
 1回は40年程前でしょうか。本郷の確か日本信販と言う会社の食堂でした。近くに事務所を構えていた友人を訪ねた時昼食を一緒に食べに行きました。初めてのことで何となくそわそわしてしまいました。彼が納豆一箱をさっと食べたのが記憶に残って、へ~社員食堂って家庭的だな~と思ったものでした。
 2回めは三越本店の社食 地下に立派な食堂がありました。三越でデザイナーをしていた友人と一緒でした。その時気が付いたのは女性社員が皆透き通るビニールの手提げ袋に自分の財布やハンカチなどを入れて持ち歩いていたのです。メニューは定食 麺類などのカウンターがあり、そこで受け取っていたのです。その時出入りの業者も利用すると聞きました。私は彼女にご馳走になりました。 
 3回目と4回目は印刷博物館にある凸版の社食 椿山荘の経営だとか、世間で名の通った名ですが、安いのですがま~余り美味しいとは思いませんでしたね。印刷博物館はお薦めです。

 今朝のTVの後 タニタ食堂のレシピを見ました。バランスの良い定食です。利用した人のブログも少し眺めて見ましたら、ご飯を自分でよそい、そこにある秤で量を測ることができるそうです。
 社食レシピ本もタニタだけではなく、何社も出しているようです。そしてタニタは勿論、社食を回るツアーもあると聞き、これは少し驚きました。そう言えば先ごろ小学校の仲間からの電話でタニタ食堂を覗きに行って来たと話していましたのを思い出しました。彼は糖尿をかなり前から病んでいます。で食生活に関心があります。
 そういったことから何か参考になるかもと思ったことでしょう。で「食べて来たの?」「それがお腹も空いていなかったし、時間もなかったから食べて来なかったんだ」とのことです。残念彼が体験していたら聞けましたのにね。

 私は今は外出もしませんし、外食も殆んどすることもありませんから、出来るだけ良い材料を使い、手作りをして食べると言う生活です。 
 TVを見ていた夫「俺は相子食堂が一番良いな~」と言いました。
 それはそうでしょ。50年以上も作っていたのですから、舌が私の味に慣らされているはず。それにしても煽てが上手ですよ。偶には外で出来立ての鰻も食べたいし、熱々の鍋焼きうどんも食べたいですよ。
 ま~良いか!これからも作りましょ。で朝食4回を並べて見ます。変らずトマトが主役の様な、茶色の食事です。

       朝食2月21日  朝食2月23日

       朝食2月24日  朝食2月25日

 給食ですが
 足立区の給食の取材には感心しました。真剣に取り組んでいます。食育なんて言葉がありますが、余り好きな言葉ではありません。食習慣を考えるとかと言いたいですね。
 
 タニタ等の話もそれなりに関心を引きましたが、足立区の姿勢には感動すら覚えました。
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ケーキを作るようになりました

 長女の娘はこの3月に高校を卒業することになりました。
 つい最近小学生になったばかりのように思っていましたのに、4月からは大学に進学です。
 大学が決まるまではジージバーバも人並みに心配して過ごしました。
 進学も決まり、心にゆとりができて来たのでしょうか、ブログを立ち上げたのです。
 バーバは覗いてみますよね。気になりますからね。
 何とケーキが良く出て来ます。女の子らしな~と感じました。
 先にバレンタインデーのジージへ贈って呉れたケーキも見えます。私の写真より何だかセンスが良いですね。
 私が見ていることは知っております。多分孫は何時か私が相子老婆の方に使って仕舞うかもと思っていることでしょう。
 昨晩も遅くケーキを作っていたと母親が来て話しておりました。高校生位になりますとケーキ作りをする子は多いようですね。長女もそうでした。夜中に良く作っていたものです。

     孫の画像を取り込みました。下のがバレンタインデ―の時のケーキです。

               モエのケーキ

     モエのパイ  モエのランチ

               モエの買い物

                 鋏

 外で食べたケーキやランチなども掲載されています。読書の感想や友だちとの交流など、またディズニーランドで遊んだ様子なども知ることが出来ます。監視をしている訳ではありませんが、関心事や友だちとのことも分かります。個人名などは分かりませんが、真面目な日々を過ごしているなと分かります。

 先ごろ家の中の整理をしておりましたら、孫の小さいころの写真が落ちているのを見つけました。少し色があせておりますが、あせた色が優しいい感じに見えます。

             小さなモエ

 知らずにいたら無くなっていた一枚です。この小さな女の子がまたアッと言う間に成人式を迎えることになるのでしょうね。
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魚卵は美味しい

 初物や旬の物を食べると寿命が延びると言われておりますね。ですが野菜には旬が見えにくくなっております。
 日本列島は長く、品種改良や流通の発達で、南から北へと産地が移動して行き、野菜の栽培もづれ、私たちは何時の間にか旬を忘れているかのように食べ物を口にいれております。
 山野には自然の物が出て来ます。春になりますと友人からタラの芽やこしあぶら等が送られて来ます。秋には茸類も届きます。また妹からは蕗なども送られて来ます。手をかけた物を頂くととても豊かな気分になります。
 海のものではヒジキ。春若布なども頂きます。魚は釣り人の知り合いも無く活きの良いものは、必ずしも手に入りません。と言う事で出来るだけ店頭で良いものを見つけて買うようにしております。
 冬は魚卵が良く並びます。このところ鯖っ子や真鱈の真子が並んでいます。
 今回も真鱈の真子の良いのを買う事が出来ました。真鱈を捌いたばかりのです。 卵を包んでいる皮の色が違うんです。ボケていません。色がはっきりとしております。

      たらこ丸  たらこ切り身

 輪切りにして大きな平鍋で煮込みます。この切り口を見ますと新鮮さが良く分かります。弱火でゆっくりゆっくり煮ました。魚屋の小父さんはシラタキと一緒に煮ると言っておりましたが、試して見たいとは思いません。生でも食べられるとも言っておりましたが、これも私には魅力がありません。
      時間を掛けて煮た真子 大きいので切って食卓に出します。

      盛り付け眞子  朝食2月22日
 
 このブツブツが良いですよ。和食党の私は魚介類は朝からでも食べます。普通は干物や煮たものが多いのです。全く魚介類がないと寂しい位です。
 旅先の朝食もパンではなくご飯に干物と味噌汁が良いですね。
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三島由紀夫の軍服

 昨日長いこと無沙汰に過ごしていた西部博之さんから電話を頂いた。
 明治大学の同期の一人です。彼は4組 私は5組 4組と5組は交流を盛んにしておりました。
 10年ほど前までは毎月の飲み会も一緒に集まっていたものです。
 若い頃 5組は毎年一回 クラス会をしておりましたが、50歳頃になりますと月一回というように変って来ました。30代の頃 集まって話す内容はそれぞれが会社を背負って立っているような勢い。やがて話題の中に子どもことなどが入って来ました。歳を重ねている内に自分の健康問題に関心が移り、数値の自慢ゴッコ。
 飲み会は今は全く開かれておりません。

 西部さんの電話は久し振りでした。以前鼻煙壺の蒐集家が彼の知人だと分かり、そのことで話して以来でした。
 同級生の多くが病を得ております。先ず昨日も今の健康状態がかくかく斯様なことでと始まりました。5年も前から杖を使っているそうです。用件は幾つかありましたが、私に分かることは説明をしました。

 ブログの話になり、私が「相子老婆~」の中で同期のことを紹介していると伝えますと、彼は自分の名前で検索して見てと言います。早速検索しました。

 バナナ・ヒロシの「はーい!バナナです」というブログに彼の名前が出ていました。内容は彼の関わった部分だけ転載しましょう。

軍服制作
楯の会の制服を製作したのは西武デパート。当時の社長、堤清二に三島は相談を持ちかけた。三島は堤に、日本の自衛隊は外見的にも格好が悪い。楯の会になにかいい制服はないかと頼み、堤は個人的な関係でそれを引き受けた。堤は、文学作品と同じ三島美学の運動のひとつとして楯の会を理解していた。

そして西武百貨店の子会社である『エフ』ファッション連合の西部博之が担当になった。最初の注文は25着。デザインはフランスのテッド・ラビドスの店でドゴールの制服を作ったことのある五十嵐九十九(つくも)。三島は細かい注文を出した。

「まず襟のかっこう、帽子のカーブの具合から線の引き締め方まで三面鏡に写してみて、こうしたらいいかとか、いやこれはまずいということを何回もやってごらんになる。グリーンのフェルトを襟や袖当てにつけるのも、鏡の前で取ってみたり、外してみたりたいへんでした。最初は冬服をつくったのですが、この布地を決めるのにも人騒動。たくさんのサンプルを布地のなかからひとつを選ぶと、『このカーキ色で、この布地を、どんなことをしてでも揃えてくれ』とおっしゃる。ところがこのカーキ色自体が大量生産をしていないので品薄で、とても同一の色のものを、そんなにはやく集めることはできない。そこでその旨を申し上げると、『あらゆる努力をしてくれ』、しかも一ヶ月で作ってほしいとおっしゃる。ですからそれこそ全国手配の切りきり麻衣。帽子の紋章はどこかの文献らしきものからお採りになって、メモ用紙に自らデザインし、『この色はいぶせ』と配色まで指定されました」(西部博之)

結局自決にいたるまで、『楯の会』に費やした三島の金額は800万円以上にのぼるという。まだサラリーマンの一ヶ月の給料が10万円にも満たない時代のことである。
刀剣の所持の規則に抵触しないように、剣の長さを短くして、結局ペーパー・ナイフのようなものになり、それだけが不服だった。

三島は「楯の会」の制服をたいへん気に入っていた。三島の舞台作品の常連役者である中村伸郎が、みせてよ、というと劇団にその制服を着用してきた。中村は「まるで七五三の服みたいだ」といったら三島は怒ったという。』

 2008年11月25日私は防衛庁の前をバスで通りました。11月25日は1970年の三島由紀夫の自決した日です。

         防衛庁前

 戦後の中で私にとって大きなショックを受けた事件です。

 ところで西部さんのことですが、彼が就職したのは西武デパートでした。取締役になり、西友富山の支店長になり、その後本社に戻りエフという会社に移っていたのです。若い頃は時々会う事もありましたが、三島の軍服の話は全く聞いておりませんでした。因みに彼は学生時代堤さん宅に下宿をしていたと聞いております。
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チャイナドレスは素敵だ 68

 毎度書いております通り私の教えているチィナドレス(旗袍)は布地に直接印をして裁断をします。
 最初に縫うのは「袖なし単衣のワンピース型」です。
 生地はご自分で用意して頂きます。単衣ですから薄いものはいけません。
 指定する生地は 綿で細かい柄のあるもの。無地はいけません。色はご自分の好きな色

 ところがチャイナドレスは素敵だ 67 で紹介しました生徒。細かい柄のあるものが駄目だと勘違い。
 難しい立て縞 それも縦の線の間が広く、縦の色と幅が一定ではありません。困りましたがご本人もどうしようと思ったことでしょう。
 折角用意した生地 遠くから見えたのですから「今日は駄目です」とは言えません。裁断が難しくなりましたが、それで作ることにしました。
 イメージが湧かないと言う事と、どのように進めて行くのかが分からないと困りますので、進行表を作って生徒にはお渡しします。

          旗袍順序

 洋裁の経験がありますと、こんなものだろうと勝手に進みがちです。それで直しになることがあります。
 進行表に従って行きますと、袖なし単衣のものはこちらに6回来て頂くと出来ることになっております。
 3回目には仮縫いとなります。一回の時間が3時間ですから、ややこしいことが起きても何とか時間内で進めることができます。
 難しい生地で作り始めたお嬢さん 何とか仮縫いに達しました。良かったです。
 鏡に映ったご自分の姿 感動しております。「これって私の思っていたのと同じようです」この言葉で分かりました。彼女が見ていたスタイル 恐らくこれに間違いないと思ったのです。
 1920年、30年代にはカラ―写真がありませんから色の分かるチィナドレスはポスターで見るのが普通です。
 「ポスターで見たのと?」「そうです」
 この縦じまとほぼ同じような物になったのです。

          老旗袍

 彼女は宿題をきちんとして来ました。宿題を自宅で済ませて来ませんと、先に進めません。今回は生地を間違ったということで、一回目に可なり時間を取りましたが、後は熱意で仮縫いまで来ました。
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冷えを治すために

 目下私の関心事の一つ 冷え症の改善です。
 整体の先生はヨーグルトに小豆、それに蜂蜜と生姜汁を掛けて食べると報告しましたら、ヨーグルトは発酵食品だしとても良い方法だと仰いました。
 小豆は大豆と違い簡単に茹でることが出来ます。ですからこれをきちんと続けようと思っております。
 
 ごく最近何時もコメントを入れて下さるゴルッテリアさんのブログで、おろしスプーンの紹介がありました。
 早速アマゾンで取り寄せました。
 
 スプーンは「冷えとり生姜かんたんレシピ」と言うレシピ集とセットになっております。
 料理監修の森島土紀子さんと言う方ですが、以前テレビで生姜専門店を切り盛りしている方だと紹介されていた方でした。また右の図の内容は川嶋朗先生の監修となっております。
 
     発行は世界文化社 価格は1470円 

        下ろしスプーン  生姜の効用

 この本では生姜に関するいろいろなことが書かれております。
 例えば 
 生姜の効用もですが、基礎知識として生姜の種類 選び方 扱い方 保存方法など

 レシピには生姜を使ったものが幅広く掲載されております。
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確定申告

 2月16日から所得税の確定申告受付が始まりました。
 地元の柏税務署から書類一式が送られて来ました。
 「税理士による小規模納税者などのための無料相談の開催日」が記されておりました。
 昨年は諸事情のことで申告がややこしいと考えこの相談日を利用することにしました。
 我孫子での相談会は4ヶ日が決められております。都合でその内の14日に申告をして来ました。
 相談は9:30から12:00と13:00から15:30となっておりました。会場に9:10頃着きましたら既に午前の予定人数が埋まり、残念な事態となっていました。
 杖をついての出直しは嫌だな~と思っておりましたら、午後の番号札を渡すように決めたようで、午後の一番目の札を貰う事が出来ました。
 会場整理の方に伺いましたら、午前の分には8:00頃にはどうも皆さんが見えていたようです。

 午後1時チョッと前には会場に座って合図を待ちました。合図と言いますのは係の方が時計を見つめているのです。秒針が進み、1時になった途端「81番の方」と呼ばれました。
 まず内容の点検と必要な添付証明書の処理です。若い男性が丁寧に準備して下さいました。
 そこが済み次はまた若い男性の方がPCで申告内容を打ちこみます。

        確定申告

 必要事項を打ちこみますと確認をしました。「これでよろしいですね。ではこれを送ります」と言いうことで申告が終了。添付書類などはその場で提出し、あっけなく終わりました。
 来年もう一回今回と同じ申告をしなければなりません。ですからもう一度お世話になる心算です。
 
 税理士の方々の若いこと。そして親切です。今までは柏税務署まで出掛けていましたが、我孫子で済み良かったです。
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話してみるものですね

 大腿部の痛みは整体で一気に治ったかの様に思いましたが、そうは簡単ではありませんでした。80歳と言う厳しい現実。ゆっくりと治さなければと自分に言い聞かせております。最初に筋肉痛と判断し治療をして頂いたところは我孫子駅北口階段下横のビルの3階にあります。ソフト整体院と言います。

         整体院は3階

 1月の下旬 腹痛が起き始めました。私の大腸の腸壁には憩室という窪みがあり、そこが時々炎症を起こすのです。そうなりますとお腹の具合が悪くなると言うのがパターンです。今回もその腹痛かなと頂いている痛み止めを飲みましたが、はかばかしくありません。
 3週間程前整体の治療の前にお腹の状態を話しますと先生は「分かりました。今日はそれもしましょ」と何時もの通りの整体が済みますと、私を仰向けにし、お腹の中心と言いましてもお臍の直ぐ傍の左右ですが、そこを強く深く押します。圧迫感が強いのです。で大きく深呼吸を何回もさせます。それが済みますとお腹を時計周りに強く押しながら何回もマサージをしました。
 マサージを受けながら「少しずつでも良くなると良いわね」と言いましたら「少しづつではないです。直ぐです。すぐ分かります」という言葉 そして「今度どんなだったか教えてくださいよ」と仰います。
 それが先生の言葉通りなんです。帰り道歩いていますと頑固で毎日続いていた痛みを全く感じないのです。
 次の時 「先生あれから直ぐに痛みが消えて、それ以後全く痛くないんです。どうしてですか」と報告と質問をしました。
  「腸の動きが悪くなっていたのです。その滞っていたものが動き、痛みが取れたのです」何だか不思議な感じでした。ですが症状が無くなれば気が楽になりますね。今は食事も気にせず食べられています。
 
 大腿部の痛みは代謝が悪いと言うこともあるようで、食事のこともいろいろと教えて頂きます。
 その一つですが、小豆のお粥です。小豆だけでお粥はとても無理だと思い、小豆を良~く茹でて食べております。沢山食べる必要はないそうで、お八つでも良いし、また小腹が空いた時でも良いそうです。
 小豆に生姜や蜂蜜を掛けて食べると良いと言うことですから、そう気張らなくても続けられそうです。

        ヨーグルトと小豆

 普段毎食後にヨーグルトを食べていますので、昼食の後はこの小豆を載せて食べることにしました。
 蜂蜜は富山の瀬戸さんから送って頂く信頼の品物です。それに生姜汁を掛けて食べますがとても食べ易いです。

 話して見るものですね。気になることがあれば、これからも遠慮せずにお聞きしようと思っております。

P.S.
 今日(20日)整体治療に行きまして、先生にブログで小豆の分量や形を見て頂きました。
 小豆は小豆粥なので、水分をもっと多くしてどろりとするようにと言う事と、分量はこれ位で良いそうです。
 試される方は参考にされて下さい。
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差しいれのワンタン

 中国書法の先生は8階 私は4階 風雨に関係なく稽古に行くことができます。
 老師は中年の女性ですが、キビキビとしております。北京からお母様を呼ばれており、お母様は95歳?位でしょうか。何時も何かしら活字に目を通しております。老師の説明に因りますとお母様には漢詩の書き取も時々させているそうです。常に頭に刺激を与えていることが大事だと言う事のようです。
 お母様は私が伺うととても嬉しそうにします。優しい顔をしており、寒い日はお腹に電気行火を抱えており、可愛いのです。
 稽古が終わりお暇する時には立ち上がろうとなさいます。そして私に向かって「再見」と大きな声で挨拶をされます。
 
 先日 朝から目まいで稽古に行けませんでした。
 お昼になりましたらワンタンが届きました。ワンタンは中国語では餛飩と書きます。
 父はラーメンを打つのが趣味でしたが、ワンタンはどうも今一つ。何しろラーメンを打った時それを使いますから皮が厚いのです。我が家の娘たちの評価は低く、どうもそれが共通の話題になって仕舞っています。「お爺ちゃんのワンタンは皮が厚い」と

 老師のお母様は私の具合が悪いと聞きますと、餃子やワンタンを作って上げなさいと言うらしいのです。
 先だってもそうでした。優しいのです。

        ワンタン

 このワンタンはどこか違います。皮ですが市販のワンタン皮のようにフワ~としているのではなく、力があるのです。そしてスープ みじん切りのザーサイが入っているのです。塩加減はこれで決めているように感じました。
 後日お会いしました時その皮の作り方をお聞きしました。
 ご自分で作られると言うことです。
 餃子の皮を作る要領で作るのだそうですが、先ず餃子の時より大きめに皮を作り、それを切り分けて更に薄く伸ばし、具の餡を包むのだそうです。成る程と納得しました。程良い厚みです。
 父に教えて上げたいですが、ま~既にあちらに行っていますから無理ですね。
 私は餃子の皮作りが出来るので多分これは出来るだろうと思っております。ただ何時になりますかです。
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背黒いわし刺身

 久し振りに新鮮な背黒いわしが店頭に並んでいました。鱗もキラキラしており、そして安い
 これは刺身にしなくてなりません。見逃すわけには行きませんから2パック買って来ました。
 鰯を捌くには今の時期は良いですよね。水が冷たい。
 我が家の鰯の刺身の作り方は下記の通りです。

1 鰯を先ずさ~と水で洗います。
2 ボールに洗った鰯を入れ水道の水を流しながら、丁寧に一尾ずつ鱗を扱き落とし、頭とハラワタを取ります。
3 2で洗った鰯を、再度ボールにとり、また冷水を流しながら身と中骨を分けます。
4 分けた鰯の身をボールに取り、荒塩を振りかけます。そして良く揉むようにして塩を混ぜます。
5 ボールに水を張り、塩でもんだ鰯の身を入れます。手でかき回しますと汚れや、皮が取れてきます。
6 水を数回替えて身を洗います。洗い千回という言葉がありますから、何回も洗いなさいと言うことでしょう。
7 綺麗になった身の水をきり器に盛り付けて出来上がり。
  酢味噌も美味しですが、刻みネギと下ろし生姜も美味しです。昨夜はネギと生姜で頂きました。

     背黒イワシ1  背黒イワシ2

     背黒イワシ3  背黒イワシ4

               背黒刺身

 鰯の洗いを数回多くすれば良かったと思います。そうしますと身が透き通るように綺麗になるのです。
 昨夜は妹も来ており、水が冷たく途中選手交代し、妹が頑張って呉れました。
 夕方孫が夫に手作りのケーキを持ち来ておりましたので、長女と孫を含め5人での賑やかな食事となりました。 鰯は300円ですが、これだけで結構食べ応えがありました。千葉県は鯵の叩きも有名ですが、鰯料理もいろいろとあり、これも郷土料理の一つです。
 骨は纏めて冷凍し、家庭ごみの日まで保管して置きます。
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お喋りタイム

 時々お会いする生田先生は明大商学部卒です。土曜日に近所のデニーズでお会いしました。数か月に一回程度ですが、お会いしますと話が弾みます。
 とても優しいので、ドリンクバーから私の分も運んで下さいます。このところ私は足に少し問題があり、立ち座りが難儀ですので、有難いことです。
 先生のクラスメートの吉田菊次郎さんは最近100冊目の著書を上梓されたそうです。
 それを記念するパーティーのご案内が来ているそうですが、仕事の関係で出席できないそうです。
 その100冊の本の1冊どうかは知りませんが、韓国で翻訳出版された著書をこの日は見せて頂きました。
 私は韓国の友人も数人おりますが、ハングルは分かりません。先生も分からないそうです。

          ハングルケーキの本

 このケーキの本ですが、紙質も良くなかなか良い感じです。吉田さんはケーキ作りの有名人と言うだけではなく、食文化の研究者と言えましょう。

 話は沢山ありました。最近の大学受験の様子や学生の質の問題。教育を取り巻く様々な問題など。
 何時もデーターをお持ち下さり、気の付いた新聞などの切り抜きも頂きます。

 デニーズですが、昼食時は混んでおりましたが、直に空いて来ました。空いているから長居をする訳ではありませんが、ま~長く居ても良いだろうな~と言う気分になります。フミリ―レストランと言うのはオーダーがややこしいですね。ドレッシングは如何致しましょとかね。先生は和食の定食 私はアメリカンクラブハウスサンド
 大体何時もこんな程度です。

       デニーズサンド

 私が何時も不思議に思っていることですが、先生の日常生活のことは全く知らないと言って良いでしょう。
 話すことが多く、そういった日常的な話に入って行ったことがないのです。ですから何が好きかとか、何を食べたいとか全く見当がつかないのです。
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アサリ

 春の大潮の時になりますと大勢の人が潮干狩りに出掛けます。夫は昔西荻窪から大森に出掛けたそうです。
 二女夫婦は潮干狩りが好きで、毎年出かけてバケツで半分位こちらに持って来ます。
 砂を充分吐かせて味噌汁や酒蒸しなどで食べます。
 女学生の時 寄宿舎に入っておりました。それは親が中国にいましたことからです。
 日本が負ける前ですから多分1944年のことだろうと思います。千葉県の内房の青堀海岸に寄宿生で潮干狩りに行きました。とても楽しかった記憶はありますが、左程の収穫は無かったような気がします。
 当時寄宿舎も食料が足りず、校庭の一部を畑として野菜を作っておりました。それは味噌汁は勿論、漬物などになって食事に出て来ました。多分アサリも味噌汁にしたのだと思います。
 
 アサリは中国青島で強歩会という会で採りに行ったことがあります。海岸はあの有名な海水浴場ではなく、西の方の泥の海岸でした。
 
 アサリを買う時「砂抜き済み」とか「砂抜きして下さい」の表示があります。この砂抜きの詳しいことは皆さんがどうされているのか知りませんが、海水ほどの濃さでというのは分かっていると思うのです。
 ですがこれだけでは駄目なんです。
 塩水を作りましたら、アサリを入れて、そして水の高さはひたひたにします。貝の殻が少し水に浸かっていなくても、全体にひたひたとなっていれば良いのです。
 アサリを入れた容器に蓋をします。そして暫らく置きます。私は夜寝る前にそれを済ませ、朝までそのままにしておきます。
 蓋を取りますと、アサリは一斉に潮を吹き、舌を出している様子が良く見えます。この姿に毎度満足します。

        浅蜊

 母は私に多くのことを教えて呉れました。その一つにアサリの剥き身です。アサリの剥き身にはある程度の大きさでないと駄目です。充分砂を吐かせたアサリを左手の指の窪みに丸みの強い方を親指の方向に持ちます。それから丸みの方に剥き身用のナイフを差しこみます。すばやく細い口の開いたところを抑えてナイフを左右に動かして貝から身を離します。そしました貝を反対に持ち替え、開いている口にナイフを入れてすっかり貝から身を切り離して取り出します。柱は無理ですからそのまま貝を捨てます。
 最近のアサリはこの剥き身にするには小さいものが多く、なかなか剥き身が作れません。
 この自分で剥いたアサリご飯は潮の香りが口腔一杯に広がり、実に美味しいものです。

 青堀は東京湾に面しておりますが、多分市原を中心とした京葉工業地帯の埋め立てでアサリを採れる海岸は昔と違っているのでしょうね。様々な汚染も気になります。
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海苔好きですが

 我が家は和食党 毎朝必ず海苔を食べます。殆んど365日と言って良いでしょう。海苔好きと知っている友人から良く海苔を頂きます。
 焼き海苔 焼いて食べる板海苔 刻み海苔など有難く頂いております。
 富山の瀬戸さんからは海苔の佃煮を頂きます。またソウルからは小学校の友だちの韓国海苔。このように様々な海苔を食べております。
 先日は珍しい青混じり焼き海苔を頂きました。

         青混ぜ焼きのり

 海苔好きを知っていて送って下さる方の海苔は殆んど千葉県の木更津からの物です。この青混ぜの海苔は普通の海苔に青海苔を混ぜたものです。香りが良く食感も気に入っています。
 青海苔は主に東京湾に注ぐ千葉県の養老川の河口付近で採れるのです。青海苔は海水と真水の混ざる汽水の場所で採れ、加工する人もおり、通販で買う事が出来ます。地場産業と言えましょう。

 送ってきた方と話したのですが、子どもの頃千葉の海で遊びながら青海苔を採ったことを思い出し、あの水はぬるくてねと笑って仕舞いました。子どもの頃はこのようなどちらかと言えば地味な味のものは好きではありませんでしたね。
 今はこの風味が良いのです。

 話は変り、今この養老川や小櫃川また湊川と言った河川が汚染されるかも知れないと千葉では問題になっています。
 今日の南亭さんのブログで驚きました。私はうっかりもいいところ、これはもっと早く大変な問題だと気が付くべきでした。私は勿論考え、出来ることをしなければと思っておりますが、今からでも多くの人に知って欲しいと思っております。
 
 偶然今日は青海苔のことをアップする心算でしたので、ここで南亭さんのブログを紹介しなければ、また先送りにしてしまいそうだと気が付きました。是非ご覧になって下さい。
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商店街も寂しくなりました

 住むマンションは1977年に完成 私の家族は最初から入居しております。住民も徐々に変ってきており、子どもも少なくなり、高齢者が目につきます。
 マンションは3棟の高層棟と17棟の中層棟とで我孫子ビレジと言う名前で通用します。
 1号棟に付属のように付いているスーパー、郵便局 市役所行政サービス ATMコーナーなどもあり、比較的便利なところと言えましょう。地域内に消防署や交番もあり、安心でもあります。また市のコミュニティーホールなどもあり、他の市の施設と共に利用できます。
 管理も大変良く、24時間管理体制で技術者も常駐しております。地域給湯、暖房設備が気に入りここで暮らしております。
 
 ところで1977年の住居時には1号棟の1階2階には様々な店舗があり、スーパーは東急ストア―
 地域に新しいエリアが出来たようでした。それが徐々に店舗が少なくなって来て仕舞いました。
 市内に大型ショッピングセンターやスーパーが出来て来たという事情もあるのですが、全体に住人の高齢化も大きな要素となっている筈です。
 我が家のことを省みるにまず生活面での消費が減っております。恐らく高齢者の家庭では大体そうでしょうね。
 一人暮らしの方はなおさらでしょう。

 現在1号棟の1階にある酒屋さん 繁盛しているように見えます。日曜日や祭日ともなりますとお客さんが次々に見えております。私もお世話になります。

     ビッグボス  通路に商品

 過って多くの商店があった時はこのように通路まで品物が並んでいますと、だれともなく苦言を呈したものです。ですが今やこのお店の商品が通路に並ぶことで、賑やかにも見えます。これがなければもっと寂しく見えてしまうでしょう。
 右の写真の奥がスーパーの入口 おか~ちゃんと呼ぶ小父さんはその中の魚屋です。品物の手前には電気店があり、高齢者の方の利用が多いようです。
 建物奥の角に若い男性が一人で商売をしております。昨年は金の高騰でお客さまも関心を持たれたと思います。

              買い取り広告

 この掲示は外から見えるところに張られておりますが、何と気配りのある案内でしょう。時々時間が来ていないのに閉まっていることがあります。「~~時から行商ですので閉めます」という紙が張られているのです。
 行商なんて今時滅多に聞く言葉ではありませんよね。とても親近感が湧きます。
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チャイナドレスは素敵だ 67

 NHKの講座を止めてから、新人が3人増えました。長く作っている生徒と合わせて9名になりました。
 生徒の都合を最優先にしておりますから、午後の外出は殆んどありません。足も具合が悪いので、自宅に来て頂けると言うのは、とても有難いことです。

 前にも話題として時々出ています兎を飼っている生徒ですが、その兔が最近白内障に罹ったそうです。生き物ですから病気にもなりましょうが、あの赤い目が白内障とは想像がつきません。
 
 話は本題に戻り、つい最近お見えになった生徒です。四ッ谷の方に住まわれているそうです。ご本人は1920年、30年代のチャイナドレスが着たくて、かなり彼方此方探したそうです。そして私に辿りついたと言うのです。
 どうすれば良いですかと言うことですが、まず私のブログに鍵コメでメールアドレスを入れて下さいと伝えました。それから数回のやり取りのあと、見えました。
 最初は裏なし、袖無のワンピースのチャイナドレスから入って行き、徐々に難しい物へと進んで行きます。
 彼女は直ぐにでも希望のチャイナドレスを作りたいようでしたが、矢張り何と言いましても基本が出来ていなければそう簡単には行きません。
 そのことを話して早速直断ちのチャイナドレスの裁断に取り掛かりました。何となくそれらし形が見え始めますと、嬉しそうにしております。

 ご本人の希望を良く聞くと言うのも大事ですから、アルバムにある今までの生徒さんの作品なども見て頂きました。おおよそ彼女のイメージしているチャイナドレスが分かりました。
 以前にも遠くから見えた生徒さんにも同じ様な方がおりました。
 1920年~30年~40年と言う時期は上海でのチャイナドレスが流行の先端を行くものでした。

        清朝崩壊後

 この宮沢りえの着る旗袍は満州族の支配する清朝から中華民国へと移った初期のころの蘇州を舞台にした映画の中で着られたものです。
 ですから恐らくこの時代のチャイナドレスをいろいろと見ていたのでしょう。話している内に出て来る業者のHPやオーダーの出来るところは殆んど私も知っておりましたから、話は良く合いました。
 私の教える旗袍(チーパオ・チャイナドレス)は必ず宿題があります。宿題を済ませて来ませんと先に進めません。昨年NHK千葉放送での出演後、少し補足をして紹介しております。 興味がございましたら覗いて下さい。赤字の補足をクリックして頂くとご覧になれます。
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時間とお金が勿体ない

 今の国会を見ていますともう腹が立つこと。政治家って歳費は何処から出ているのですか。
 国会開催中は一日一億円の経費が掛かるそうですね。それで良いのですか。わたしゃ嫌ですね。
 やらなければならないことが山積みされていましょ。
 コーヒーを飲みに行く大臣 もう呆れてね~ 答弁もしどろもどろ。もう嫌~だ。
 情けなくて、情けなくて。政治家ってお金があれば誰でもなれそうですよ。だって勉強していなくても字の読みを間違っても大臣になれるんですものね。
 要は神経が度太いか、或いは無い人か、はたまた図々しい人かであれば、務まりそう。
 国家国民のための有為な人材を求めるに、政治家適性検査法でも誰か開発して下さいませんかね。それをパスしたら政治家としてデビュー出来るとかね。
 
 大きな声で言いたいですよ。  
 あなた方は何を考えているんですかってね。

     朝食2月4日  朝食2月5日  

     朝食2月6日  朝食2月7日

 80ばーさんでも怒れますよ。それ位の元気はありますよ。元気な老人でも早く消えろって言うんですかね。
 昔だったら怒って食べ過ぎで太ってしまいましたが、今は不愉快で食欲減退ですよ。
 今月は確定申告もしなければなりませんよ。昨年一年の税金を眺め、政治家の姿を思い浮かべ、きっと勿体ないな~と怒るでしょうね。
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薪採り

 1943年から44年に掛けての冬 小学校の6年生の私は受験を前にして準備を進めておりました。
 日本の生活にも慣れて部落の子ども仲間と遊びもし、何かと行動も一緒にしておりました。
 その頃 朝学校に行く時は部落の子どもを幾つかに分けて登校班を組み、先頭の子どもが旗を持ち、学校まで並んで行きました。
 登校班で集まりますと、今日は何をしようかと話が出ます。夏は萱刈りに出掛けたこともあります。これは軍馬の飼料として干して供出するのです。冬は日曜日の薪採りが決められました。知らなかったでは済みません。
 私は鎌もろくすぽ上手に扱えませんが、一所懸命になって薪採りに参加しました。
 我が家は薪は特に必要ではありませんでしたが、部落の子どもから仲間はずれにならない為にという理由です。
 その薪採りは薪拾いとは違うのです。下を向いて落ちている枯れ枝や、枯れ木を見つけて拾うのと違い、木を眺めてその木に枯れた枝があれば、竹竿の先に鎌を着けた道具で落とすのです。木の枝に何とか鎌を掛けて力を入れて「えいや~」とばかりに棹を引っ張ります。
 集めた枯れ枝を束にして、蔓で纏めて縛ります。ですから蔓も先に探して用意しなければなりません。
 私は経験がありませんから、他の子どもと比べて束が小さいのです。
 束ねた薪を背負い子という背負う板にバランス良く重ね並べて縄で括りつけます。
 私はこの背負い子もありませんから、先ずこれを近所の家に行き子ども用のを借りて来ます。
 着るものですが、リュックのように背中に背負うわけですから、ちゃんちゃんこを一番上に着ます。これは誰かのお古を貰いました。
 日曜日や冬休みの一日 薪採りに出掛けます。千葉県は周囲が海に囲まれており、沿岸部の街は大抵細長く、白浜町(現在南房総市)も東西に長~い町です。
 薪採りは北側に続く山に入って行きます。大した高さはありませんが、峠を越えますと温暖な房総でも寒さが厳しく、気温も低くなっています。
 山道を歩き奥へと進み、この辺で探そうとなりますと、背負い子を道端の崖端に立て掛けます。道端の崖には小さな氷柱が下がっております。青島では昆虫採集や、植物採集 また天体観察などへの興味が強かったので、珍しくてなりません。眺めていますと「早う来ね~ば、おいねえやでよ」とせかされます。
 薪が集まりますと、背負い子に括りつけ、また山の中に入って上を眺めて枯れ枝を探します。

 道の方から声が聞こえて来ます。「おいや~このちゃっけいのよ。どうちんの子んのかよ~。まんで赤ん坊のようだでよ」(おれ この小さいのはね。どこの家の子のかしら。まるで赤ん坊のようだね)
 道を数人の小母さん達が大きな薪の束を3束ほど括りつけて、道を通ります。逞しいですよ。
 その声をきくと私はもう威勢が無くなってしまいます。(それって私のでしょ)となります。

 背負い子はあの町では背負板(しょいた)と言っておりました。

 そんな子供のころでの経験も決して無駄ではないようです。当時の生活事情や戦争の影響も覚えているのです。

  南亭さんの如月の俳句を拝見し、突然霜柱や氷柱を思い出したのです。

          薪採り

 氷柱って触ると肌がごつごつしているのですね。もう何十年も見たことがありません。あの山の中で見た可愛い氷柱。今も見ることができるのでしようか。今は車で山の中の部落に行くのでしょうね。氷柱も関心を持たれないかも知れませんね。
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鯖っ子

 多くの引き揚げ者の戦後の生活は困窮を伴ったと言って差し支えないでしょう。我が家も生活の基盤が全て無くなり、父や母の実家があるとは言え私たちを支える力はありません。
 特に食糧難は生活を圧迫しました。海や山で自力で採れるものはいろいろと工夫をして胃袋に収めていました。
 
 千葉県の千倉港は鯖の水揚げ量が多く、その鯖を加工することで捌く人が大勢仕事をしておりました。
 鯖の開きや鯖節もありましたが、加工の際に出る鯖っ子 これを貰いに母と知り合いに出掛けました。
 桶に沢山貰えます。勿論タダです。鯖も家に持ち帰り、蒸して鯖節も作りましたよ。でも鯖節って削るのが大変なのです。
 で鯖っ子ですが、甘く煮付けにします。母は上手に煮て呉れました。元々大人数の食事作りに長けていたので、沢山の鯖っ子も上手に煮ました。
 昨日昼 魚屋を覗きますと、ゴマサバの鯖っ子が2っパック出ています。見るからに新鮮です。
 鯖っ子は先ず店頭に並びません。スケトウダラの真子は出て来ますが、鯖は余程でないと見られません。
 1パック 150円 これは直ぐ買わなければと2パックとも買いましたね。

         鯖っ子
 
 今朝になりましたが煮ました。一昨日から何となく調子がが悪く、ぐずぐずしておりましたので、買う事は買ったものの冷蔵庫に入れたままでした。
 でもとても美味しく煮えましたよ。数日楽しめます。
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青島の冬

 2007年12月 夫と久し振りに中国青島に出掛けました。1939年の秋から僅かな時期ですが住んだ家は青島の信号山と呼ばれる小高い場所の中腹にありました。足場が組まれていて丁度修復最中でした。家はその後再訪した時には周囲を淡いピンク色で纏まられていました。イメージがすっかり変わってしまいました。

          信号山の家

 この家はドイツ人が建てた家ですから、内部は如何にもそれらしく、樫色の板が使われており、木造家屋と違っていました。窓は二重窓 観音開きです。暖房は半地下のような地下室のボイラーで焚かれるようになっておりました。ですが費用の面か、手がなかったのか、スチームを使ったと言う記憶はありません。
 修復された後に行きましたが、住人に会うことは出来ませんでした。
 青島の冬は沿岸都市とは言え、寒さは厳しいものでした。冬になりますと歩道の土は凍り運動靴ではなく皮靴にして学校に行きました。
 その頃流行った帽子は毛糸で編まれ、マフラーと続いた物です。耳には兎の毛でしょうか、毛の輪を掛けて出掛けます。学校はスチームで暖められておりました。学校の隅に石炭ガラの山があったのですが、その位置はどうしても思い出せません。
 1年に何回かは雪が降ります。雪が降った後は大体晴れとなりますね。小学校では生徒全員でウサギ狩りに出動します。小さな山ですが生徒全員は手と手を繋ぎ山を囲みます。合図で一斉に声を上げて勢子となり、山の頂上を目指して登ります。手を離してはいけません。これはもう楽しくてと言いますか、忘れられない思い出です。

 この信号山の家から父の勤める社宅に引っ越しました。この社宅は縦長に4軒続いている長屋です。日本人向きに畳の部屋もあり、また家族で住むには充分でしたから、お手伝いもいましたし、ま~ま~の生活でした。
 ただ窓が二重窓ではなかたのです。建設した会社は日本人の会社ですから、ドイツ風の窓のようなことを考えていなかったのかも知れません。
 暖房はスチームではなく、石炭ストーブでした。冬は夜も消えないようにし、部屋を暖かくして過ごしておりました。この家でのことは語りたいことが沢山ありますが、冬になりますと必ず思いだすのは窓に張り付いている薄い氷です。氷と言うには塊ですが、これは結晶と言って良いのでしょうね。
 窓ガラス一枚一枚にピッタリと張り付いた模様です。とても綺麗で何時か何処かで見たいと思っております。
 PCで検索しますと数多く美しく張り付いた結晶が見られます。子ども心に焼き付いた幻想的なあの窓。
 触って見たいのです。

         凍てつきて

 寒く厳しかった青島の冬ですが、ウサギ狩りも楽しかったし、第一公園(現在の中山公園)の池でのスケートなど思い出は沢山あります。

 (上の写真は今の我が家から眺めた雪の朝の風景です)

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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日85歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになりそうです。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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