2012-06

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大和シジミ

 夫の体を考えて週2回ほどシジミのみそ汁を作ります。
 輸血によるC型肝炎ウイルスのキャリアでしたが、数年前にインターフェロンによる治療を受けました。
 その結果ウイルスは無くなりましたが、肝臓はまだ問題があります。
 昔から肝臓にはシジミと言われており、またいろいろなことで良いと聞いております。それで出来るだけシジミをと考えております。シジミの佃煮もありますし、炊き込み用のシジミも売られております。外食では湖南料理でシジミを食べたことはありますが、今は味噌汁が手っ取り早いので、専ら味噌汁です。
 一時乾燥シジミを使ったパックの物を使ったこともありますが、このところ活きシジミのパックを買い、最初に半分を使い、後は使う日まで冷凍して置きます。
 シジミは日本各地の物が店頭に出ますが、スーパーでは形の小さい物が普通です。
 偶にデパートの魚コーナーで立派な物を見かけますが、それは余りに高価で手が出ません。
 このシジミの高いのを買わないって言う事では常に自己矛盾を感じているのです。何故って?
 それは時に美味しい物を食べますね。そのことを思えば買って来れば良かったと、時々思うのです。

 数日前魚屋の小父さん「お母ちゃんこれ見て。問屋が間違って4袋も入れて寄こしたんだよ」と網袋に納まった大和シジミを見せて呉れました。

        大和しじみ

 このシジミを携帯で写しますと立派なんですよ。ただ量も多いしね。直ぐには買わずに帰りました。
 小父さん曰く「これってよ~このままじゃ売れないな~。分けてやるか」と言います。
 自宅に帰りましたが、どうも気になります。それは小父さんの話です「このシジミよー。そっくり鍋かフライパンで蒸すとエキスが出てくるから、そのエキスを飲むと最高に上手いし、体にも良いんだよ。エキスをさ~リポビタンのような瓶に入れて冷蔵庫に入れて置くと良いよ」
 夜夫にその話をしました。「買わなかったの」と言います。思案どころですね。
 翌日午前中は予定があり、魚屋に行けません。12時頃直ぐに行きました。シジミは小分けされて並んでいます。
 「小父さんあのシジミあるかしら」「あるよお母ちゃん持って行くかい。まけて置くよ。品物は良いだろう」
 値引きして貰い買って来ました。でもね。一回で蒸しても食べられませんね。エキスは魅力がありますけれど。
 何時ものとおり、砂を吐かせて小分けし、冷凍にしました。

       やまとシジミ砂出し

 砂を吐かせて小分けしましたら、何時も使う一回の量位の物が10個出来ました。ですから安い位になったので、嬉しくなっております。砂を吐かせる時は必ず灯りを差し込ませないように蓋をします。夏場には冷蔵庫の中にいれて泥を吐かせます。
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世界の人形館の万華鏡

 歩いて行けますが、私は2停留所間をバスで行きます。そこには何時も歓迎して下さる方がおります。
 世界の人形館の主の高康治さんです。
 私の好きな万華鏡を見にいらっしゃいとお誘いを頂いており、何とか6月中に伺いたいと思いながら、とうとう月末になって仕舞いまいした。
 マンション住まいの高さん宅には入口からもう人形館らしい雰囲気を漂わせております。
 何だか万華鏡と言う言葉が頭にあった所為か飾り付けの感じで「あれだ!」と直ぐに分かりました。
 丁度そこに数人の女性の見学者がお見えになっておりました。最近地域新聞でも紹介されたからでしょうか、多くの方がお見えになっているようです。お聞きしますと一週間約30~40人と言う方がお見えになっているそうです。
 今回はイタリアの万華鏡を見せて頂きました。万華鏡の歴史はヨーロッパにあるそうです。200年ほど前スコットランドで生まれ、ヨーロッパからアメリカへと伝わり、現在は米国で蒐集家も多いそうです。
 高さん宅には日本・米国・英国・イタリア・イスラエルの万華鏡があります。
 日本では昔百色眼鏡と呼ばれていたそうです。
 万華鏡って字からして華やぎを感じますね。
 昨日は充分に楽しんで来ました。初めて伺った時のように「お~お~」と矢張り声をだして仕舞いました。
 イタリアの万華鏡の作者と作品の紹介は↓の画像でご覧ください。作品は万華鏡2です。
 灯りを手で持ちミラーボールのようなガラス玉にその光を当てて望遠鏡のような覗き窓に目を当てます。
 スイッチオンにしますと、オルゴールの音に合わせてボールが廻ります。幻想的です。

               万華鏡7

     万華鏡1  万華鏡2

     万華鏡5  万華鏡6

 万華鏡1の画像の周りには壺があります。これも万華鏡です。万華鏡5は万華鏡コーナーですよ。可愛いい小さな物も万華鏡です。万華鏡6は来客の座る椅子の前のテーブルに置かれております。一通り見終わり座りますと手に取りたくなります。私も勿論手に取り、方向を変えて眺めました。

 
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自家製鮨シリーズ 第8回 と関心事

 夏らしい陽気になって来ています。この季節はトコロテンが美味しいですね。
 少し酸っぱいものを体が要求するのでしょうか。
 魚屋の刺身も季節と同じ様に少しずつ品物が変って来ております。マグロはびんちょうよりもバチが中心のようです。と言う事で今はバチを買う事が多いですね。材料は一回に500円以下と大体決めておりますが、時々300円台や1000円台の時もあります。1000円台の物は既に鮨用としてセットされていることがあり、それを買いますと、2回分作れます。
 何しろ二人ですから、鮨を食べてチョッと何か抓んで終わりとなるのです。鮨は夫が食べますが、私も少し食べますよ。でも量は知れております。今回は珍しい魚も使って見ました。

     バチ大トロ炙り  トビウオタタキ

              石もち・鮪・太刀魚

     さざえ・えび・さより  ばち・たい・タマゴの巻きずし

 イシモチの鮨は初めてです。小父さんのお薦めでした。脂ののりも強くなく、食べ易かったですよ。
 イシモチは中華料理でも良く蒸しものや揚げもので使いますので、若い時には食べましたが、最近は塩焼きです。段々楽しみが増えて来そうです。娘が言いました「まだお鮨はブームが続いているの」ってね。この調子だと未だ続きそうです。

 何だか政局は大変ですね。でもわたしゃ関係ないわではいられません。いつのことやらわかりませんが、選挙でどうするかを考えて置かなければなりませんもの。
 昨日は日本中で電力会社の株主総会が開催されましたね。ニュースも読んだり、ネットでどういう意見が交わされているのか。参考に眺めております。勿論テレビでも見ますが、株主提案の原発関連事項は全て否決されているようです。
 関西電力の答弁には驚かされました。何が根拠か分かりませんが、強気です。

     朝食6月27日  朝食6月28日

 民主党はどうするんでしょうかね。地元の代議士は賛成票を投じております。次期選挙でどういう言葉を発するか、覚えて置きましょ。
 
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良いもの発見

 昨日突然夫から「文鎮はあっちに置いたよ」と言われました。中国の書法を習っておりますので、文鎮は私が使うと思ったのでしょうか。「文鎮?どんなの?」と仕事部屋に行きました。
 
 それは文鎮は文鎮でも私の使う物ではありません。記念品の文鎮でした。明治大学創立100周年記念の文鎮です。
 明治大学は1980年(昭和55年)創立100周年を迎え、講演会の記念品として配られた物です。

     百周年記念品箱  百周年文鎮説明

     百周年文鎮表  百周年文鎮裏

    講演会は5月28日に開催されました。     
        講師 
        ライシャワー ハーバート大学教授 
        三木武夫元首相
 
 突然家の中で出て来た文鎮ですが、講演会の会場がどこだったか、講演会の内容はどうだったかも二人とも思い出せません。若しかしたら出席していなかったのかも知れません。忘れたとは思えません。昨年創立130周年の式典があったのですからね。遠くになっていました。
 寄付をしたことは確かです。大学は記念行事に一所懸命でしたから、寄付も出来るだけ頑張るようにと檄を飛ばしておりました。百周年記念に建設設立された大学会館は山の上ホテルへと上がって行く坂の右側にあります。

              明大記念館155

 文鎮の形は上右の説明にもありますが、旧記念館の丸い入口の上にある、エンジェルの部分です。           
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旗袍あれこれ

 旗袍(チャイナドレス)は中国の民族衣装だと思っている方もあるかと思いますが、元々は清朝時代の満州族の着ていた衣装です。清朝末期には漢民族の女性方にも着られるようになり、1912年の中華民国発足以降は中国の女学生が率先して着る衣装ともなりました。いろいろな変遷がありましたが、旗袍の魅力は失われず今日まで続いております。私は1975年から旗袍を習い始め、現在は教えてもおります。生徒は皆さん熱心に作り着ております。

 私の手元に長い間保存している一枚のポスターの画像があります。これを何時かはアップしたいと思いながら月日が過ぎて来ました。
 そのポスターに見られる旗袍を着る女性の姿です。私はこのポスターを見る度にこの背景に思いを馳せずにはいられないのです。

         満州五族協和ポスター

 ポスターは旗袍としてはクラシックな、身頃が前後に繋がっており、肩山で縫い目がないものです。
 縁取りは四色 身頃の色は黄色 この五色にこそ意味があるのです。
  1932年に現れた満州国の国旗と同じ色の五色なのです。先日偶然五色の旗を見つけました。若い男性のブログ「残留農薬思念」でです。満州国旗の画像は他にも沢山見られますが、切手のような薄っぺらなもので、このような動きを感じるものは見ていないのです。これは残留農薬思念のお仲間が作ったものだそうです。

       満州国旗

 この五色は満州国を作り上げた当時の将に日本のプロパガンダの先兵のような一枚とも言えましょう。
 この五色は五族共和という意味を色彩で現しております。満州国は日本人・満州人・漢人・朝鮮人・蒙古人が共同して生きて行く地と定義されたことの証明のような色です。

 朝日新聞でこのポスターのことを紹介しておりました。モノクロですがポスターの女性はミス満州と紹介されております。

     ミス満州朝日新聞  ミス満州4172

 私は旗袍を紹介してはおりますが、この旗袍の語る様々なことにも関心を持っております。
 
 例えば 
      五族協和・王道楽土→☆
     「五族共和」と「五族協和」→☆
      満州事変 →☆
 
上の資料は必ずしもすべてが正しいと言えないかも知れません。ポスターの女性の名前や出自は今まで見つけることは出来ませんでした。外務省か自衛隊の資料室にでも行けば探せるかも知れませんね。
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安く買って美味しく

 昔は塩鮭と言えばしょっぱくて、僅かな量でもご飯がお代り出来ました。
 田舎の家では塩辛い鮭を焼き、白く塩の噴き出た鮭を深めの皿に置き、熱湯を注いで塩を抜いて食べたりしておりました。鮭弁当は辛めの鮭が良いのですが、この節お弁当も賑やか、彩りも凝っていて、塩鮭と卵焼きなんて流行らないんですね。ですから塩辛くなくても良いと言うのでしょう。
 
 私は塩鮭はキチンと熟成したのが好きです。生はステーキやフライなどで美味しく食べることが出来ますが、塩鮭は味が決まったものが好きです。
 薄塩の鮭なのか振り塩という切り身が店頭で見ることがあります。それは買ったことがありませんが、塩の齎す旨味が出ていないのではと思います。

 我が家では身がパカッと剥がれる鮭を娘たちが好きですから、買う時には出来るだけ厚い切り身を買います。
 例えば三枚の薄い切り身でしたら、その三枚分の大きさの切り身に手が出ます。そう言ってもそのような切り身は先ず並びません。
 そこで自家製です。
 
 今回はトラウトサーモンの切り身を買いました。そうそう我が家は和食党ですから、焼き塩鮭を目指します。

     サーモン切り身1  サーモン切り身2

     サーモン切り身3  朝食6月24日

   作り方  
      切り身に多めの塩を振ります。
      少し塩が馴染むまで常温に置きます。
      塩を振ったまま蓋つきの容器に入れて冷蔵庫に保存します。
      鮭の大きさにもよりますが、3日~5日ほどで取り出して焼きます。
  
      少し多めに作った時は冷蔵庫から出したら、水分を拭き落とします。
      保存用に処理します。そして冷凍します。

 安い薄塩の鮭の落としの皿盛などがありましたら、一旦焼き、それから身をほぐし、血合い・骨・皮を除いて綺麗にします。
 鍋に出汁と酒を入れ、鮭の味を見て塩を加えます。出汁が煮立ちましたら、鮭を入れて炒り上げます。
 水分を充分に飛ばして、火を止めます。鮭フレークが出来ます。
 有名な専門店の鮭フレークはサラダオイルのような脂があり、どうも美味しくありません。
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蕎麦の花

 今から50年ほど前 明治大学に二部という制度がありそこには夜間の学部がありました。その夜の学部に学生会があり、名称は学苑会と呼ばれていました。その中に学部ごとの学生会があり、法学部のは法学会と呼び、商学部は商雄会、政経学部は政経学会、文学部は文学会と言いました。
 法学会の下に無料法律相談部と言うクラブのような会があり、毎年夏期無料相談会を開催しておりました。開催地は大学内ではなく、地方に出掛けます。
 1958年の夏 私は新米職員レベルでしたが、上司の課長は男女差を全くせずに、私を学生の活動を見守るために出張を命じました。当時女性が仕事上で出張することは先ず考えられないことでした。

 その出張先は長野県伊那市です。2泊3日ですが、この地に詳しい学生がおりましたので、現地の設営は問題なかったようです。
 指導教授として付き添いましたのは民法の鍛冶良堅先生です。奥さまは女性弁護士として有名な鍛冶千鶴子さん。当時からオシドリ弁護士として知られておりました。
 その鍛冶先生は学生と一緒の宿に泊まりましたが、私は一人土地の昔ながらの宿に泊まりました。覚えていますよ。一泊二食で500円 
 その学生の合宿も無事に終わり、私は松本へと向かいました。途中車内放送で、私と会う予定だった方が赤痢で入院したと、知らされました。次の列車で学生が上高地に行くので松本駅に到着すると分かっていましたので、合流させて貰おうと待ちました。
 松本から上高地に向かう道中、私は初めて蕎麦の畑を見ました。細い赤い頼りないような蕎麦。その晩のこと私は初めて蕎麦に目覚めました。
 EGUTIYOUSUKEさんのブログで信州の蕎麦畑が紹介されました。

     蕎麦の花  蕎麦の花2

 我孫子でも見たことはあるのですよ。でもこうして信州のを眺めますと蕎麦が私に齎した衝撃を思わずにはいられません。それは→☆
 我が家の昼は麺類が多く、蕎麦も食べますが、今は乾麺を茹でて食べております。蕎麦屋で出来立てを食べたいのですが、我慢をしております。
私のお気に入りの蕎麦屋は神田のまつやです。まつやとなりますとご贔屓にしていました故青沼一郎先生のことも重なります。
 まつやの蕎麦は本当に美味しくてね。近所でしたら毎週でも行きたい店です。
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自家製鮨シリーズ 第7回 と関心事

 お鮨は飽きません。酢飯は夏に向かいますとなお美味しく感じます。今頃は鯵が旬ですから鯵を良く食べます。
 下の魚屋の小父さんは〆鯵に自信を持っております。良く言うリキ(力)が入っています。美味しく大きいのです。で〆鯵一尾で4個の鮨が握れます。安くて美味しい これが一番 
 第7回はどうでしょうか。手を掛けたり、抜いたり老婆の作る鮨はこんなものです。

     スモークサーモン押しずし  甘エビ
           
              ヒラメ・〆鯵・バチまぐろ切り落とし1020円

     洋風ちらし  タイラギ・とりかい・サーモン

 台風4号は大きな災害となっております。5号も既に大雨を持って西から東へと上がってきております。
 災害の多い日本列島  こんな国では何時何処で何が起きるか分かりません。総理もですが霞ヶ関でも分からないでしょう。
 国民は何かの時には自治体、大きくは国に頼らなければなりません。
 それなのに、それなのにですよ。政党間での取引なのか、政治家の都合なのか、どうなっているのでしょう。
 国会の会期延長も伝えられております。延長もどうも事情があってのことらしく思えて来ます。
 大事なことを控えておりながら、政党間でのやりとりが目立ち、国民不在のような政治劇にも見えて仕舞います。

     朝食6月21日  朝食6月22日

 野田総理・谷垣総裁・小沢一郎 目立つのですが、どなたを見ても良く理解が出来ません。困っているお婆さんです。
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安くて美味しい

 魚好きですから毎食に魚があっても厭いません。
 漁期があるとは言え、鯵は年中店頭に並んでします。今の時期 秋刀魚は冷凍ですが鯵の冷凍は干物はありますが、生は冷凍ではありません。ややこしい。要は生は新鮮です。
 真鯵を298円で買いました。300円で夕食のメインですよ。嬉しいですね。良い魚は小々値が高くても買いたいですが、安ければ尚良いですよ。
 早速何時もの煮魚 私の得意でもあり、人にもお教えしたい煮魚です。
 
 作り方は→☆
    まあじ1  まあじ2

 この煮方は我が家以外では見たことがありません。オリジナルとも言えそうですが、そこまでは言いきれません。
 鯵は食べ易く、子どもや高齢者にとても良いと思っております。
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台風一過

 マンションの掃除は管理組合で業者を決めております。
 このマンションは20棟ありますが、敷地もま~ま~広く、樹木も成長して緑の多い環境の良い所です。
 マンションの掃除をする方はどちらかと言えば高齢とも言えそうですが、とても働き者です。
 各棟の廊下や階段 エントランス等も丁寧に掃除をしております。
 時々気が付きますと大掃除をしています。水を播きブラシで擦り、ゴミや汚れをとり払っております。
 それぞれ決まった棟やまた受け持つ場所が決められているようにみえますが、ローテ―ションを組んでいるらしく、時々人が変ります。
 また定年があるようで、新人が現れたりし、その度にあの人は何処の人かしらなどと思ったりします。
 近所の土着の方も見えますが、電車で通勤して来る方もおります。
 とても読書好きな小母さんがおります。昼の休憩の時に良く読んでいる姿をみます。
 男性も数人おりますが、とても親切です。二女の娘と仲良しの小父さんもおります。
 
 このマンション全体を見ますと、先ずゴミが見当たりません。周辺の市道も綺麗に掃除をしております。
 今日は台風の後で皆さん大忙しいことでしょう。
 私は4階ですが、この4階のエレベーターホールの横に掃除用具置き場があります。
 時々そこに七つ道具を乗せた台車を見ることがあります。その台車の上の道具は何時もキチンと整理整頓されております。

    道具 4階の掃除  赤い虫?

    掃除道具カート  掃除小母さん

 先日偶然廊下で見かけた赤い虫 携帯でパチリ 眺めましたら廊下のタイルが実に綺麗なんです。先週は水を流してブラシでこすっておりました。 
 外の歩道も良く掃除がされておりますから、マンション住民ばかりでなく、周辺の人々も爽やかな気分で歩いていることでしよう。
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 私が本当に小さな頃 所謂幼児の頃  記憶にある麦飯 母方の家に行きますと、大きなお櫃に麦飯が入っていました。口にしたことはありませんが、麦飯って何だか不味そうだな~と言う感覚で眺めていたように思います。
 戦後 1946年の春先 両親が中国から引き揚げて来ました。
 父方の家は少し広く私と直ぐ下の妹は先に帰国しそこで面倒を見て貰っていましたから、自然の成り行きで祖父の家に皆で住むことになりました。
 多くの人の記憶にある戦後の食糧不足、当然我が家にもそれは襲って来ました。
 やっと手に入れた米に麦を入れて炊くことは贅沢な部類。僅かな米に一緒に炊きこめるものは何でも入れて炊き、家族で出来るだけ公平によそい食べると言う生活が続きました。
 戦後の食糧事情の酷さはそれはそれは酷くて惨めなもでした。特に非農家の我が家のような家、それも突然家族が増えた家は思い出しましても、辛い時期を過ごしたのです。お腹を空かせているのは当り前。麦ごはんでも2膳食べられれば嬉しかったものです。
 
EGUTI YOUSUKEさんのブログ
で拝見し、途端に食べる麦のことよりも勤労奉仕に行き、農家で麦刈をしたことを思い出しました。

        信州の麦秋

 女学校に入学しますと、春・秋の農繁期に勤労奉仕という時期がありました。春は田植えや麦刈など、秋は稲刈りと、今の中学1年生、2年生ですね。農家に手伝いに行きます。
 麦刈は乾いている畑ですから、仕度は運動靴や藁草履を履いて作業をします。小麦はある程度まとまって植わっておりますが、大麦は列なして植わっております。
 麦を刈る時、私は右利きですから、麦の前に立ち、右から刈り出します。大麦の穂は尖っていますから、刺さると痛いのです。特に目に気をつけて刈ります。
 左手で大麦の列の右端に手のひらを親指を下にして当てます。そして右手に持った鎌を左へと真横にして刈り出します。倒して行く様な刈り方です。
 刈り終わった麦を集めて脱穀機の傍に運びます。その脱穀機は農家の人が、ぐ~んぐ~んと音を出しながら足踏み続けております。
 私は農家の人に麦を少しづつ渡しながら、脱穀機の足踏み台に足を置き、一所懸命に踏みます。そうしますとね。農家の人は足踏みを止めて、手で麦を脱穀機に当てて穂を落とすだけなんです。
 これってとても悔しい思いですよ。若いし何でもやりたがり屋の私。私も穂を落として見たいとお腹の中に悔しさを溜めて、一所懸命に足踏みを上に上げたり下に降ろしたりとやりましたね。
 ですから結構この時代の経験は貴重なことだと思うのです。そうでもなければ割が合いませんよね。
 私より前の人、そして戦後入学した人 そう言う方はこのような経験はない筈でしょう。
 戦中や戦後直ぐの生活は人生の中で無駄ではない事と思いながら時々考えています。
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自家製鮨シリーズ 第6回 と関心事

 梅雨になり鬱陶しく感じますが、老人二人は毎日あ~だこ~だと言いながら過ごしております。
 体力の衰えを感じながらも人並みだと慰めあっています。
 食事は普通に摂れていますし、飲み物もお互い好きな物を飲み、夕食時間はゆっくり略2時間。
 休み休みですよ。
 お鮨は無理をせず、目の前の安い物を買い作っております。お米は出来るだけ美味しい物をと少し奮発しております。そう消費量は一日1カップ半位でしょうか。偶に妹が来たりしますとチョッと足します。
 シリーズ第6回は下のようです。

   めだい・ばち  鯵押しずし

             〆あじ・ホタテ・たいらぎ・あかがい・バチ計1150円

    牛そぼろ山椒・イリ卵  バチすきみ丼

 このところ毎日ニュースにチョクチョク目が行きます。とうとうという気分が湧きあがります。
 矢張り野田総理の政治生命は自民党に賭けたのだと。賭けた以上負けては困るんでしょうね。
 いろいろと沙汰されておりますがね。既定の路線だったと思いますよ。
 政権党と野党は同じ穴のムジナ?積み残しが一杯あっても消費税を上げてね。後々の為にやって置いて上げましょと言う事?
 絶対に必要で、増税をしなければならないのなら、もっと国民に分かるような形で見せて欲しいですね。
 
    朝食6月16日  朝食6月17日

 大飯原発再稼働 安全が一応これでと再稼働を確定したのなら、未だ手を付けていない事はしなくても良いと言う事でしょ。それなら無駄使いをせずそれらは止めたらどうなのかしら。だって何時何が起きるのか分からないと思うからおかしいと考えるのですよ。
 国民を道ずれしようと言うのですか。大飯町長が再開に同意し、福井県知事が同意したから政府は再稼働を決断したってね。何だか責任の回しっこではありません?
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小父さん困っていました

 魚屋の小父さん 「お母ちゃん、お母ちゃんチョッとチョッと」
 私   「何よ 何なの」
 小父さん「参ったよ。キン目よ。作って置いてって言うので、作って置いたんだよ。そしたらよ要らねえって言うんだよ」
 私   「それは困るよね」
 小父さん「お母ちゃん 持って行って呉れないかね。半額で良いけどよ」
 私   「良いわよ。で幾ら?」
 小父さん「1000円で良いかな。大おまけだよ」
 私   「これって大損でしょ」
 小父さん「そうだよ。助かったよ」

     1000円の金目  金目味噌漬

 キン目は大きくて値が張ったと思います.
切り身にして売るには大き過ぎそう。家に帰り切り分けました。それが左側の切り身です。
 勿論一回では食べ切れません。そこで味噌漬を作り、また大きな切り身を〆て鮨種にしました。美味しかったですね。
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餡兒餅と王老師の餅

 中国の食に関する情報は如何程あるでしょうか。多くの方が食べ歩き。レシピの公開。旅行記などで紹介されております。
 ご存知の通り食についての中国人の飽くなき欲望を追い続ける姿を読む機会もあります。
 中国の国土は広大ですから、食の内容も驚くほど多く、私たちはその中国人の食に対する姿にたじたじとなります。
 私の知りあった中国の方は北の方の方が多く、北の小麦粉を使った食べ物を知る機会も多くなりました。
 中国の北から東北の食は麺料理を中心と考えて良いでしょう。
 中国語の王廼珍老師も中国書の孫勉老師も北京の出身です。NHKの中国語教室では王老師の手作りの小麦粉の食べ物を頂きました。ある時は教室で皆で一緒に作り、時には老師が家で作られてお持ちになった時もあります。
 王老師は今病と闘っております。老師の味を懐かしく思いだしております。

 最近書の老師から珍しい餅を頂きました。餡兒餅というものです。中国の餅と言うのは皆さまご承知の通り、小麦粉を練って作る皮を使った食べ物です。餡と言うのは中身のことです。
 中国書の老師から頂いた餡兒餅の餡はとても淡白ですが美味しいのです。画像にしましたら餡の中身は綺麗に見えます。

      餡兒餅1  餡兒餅2

 餡はニラ・小エビ・春雨・卵ですね。味は塩味です。美味しく頂きました。老師は他の物も時々下さいます。

 王老師の一つの餅ですが、どういう呼び方かが分かりません。皮を薄く伸ばし、ひき肉とネギや生姜等を挟むようにして、折りながら作って行きます。味は矢張り塩だったような気がしております。これは作り方が面白く、教室で作りました。

      王老師の餅  王老師の餅完成

 焼き方はどちらも焦がさないように焼いておりますね。中国人の男性は料理を作ることは当り前のようです。
 王老師もとても上手に作られましたよ。手つきも良く、味も良くてね。
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チャイナドレスは素敵だ 70

 今週は生徒が火曜日、木曜日、土曜日と来ます。
 火曜日の生徒は仲良し二人 一緒は久し振りでした。
 二人とも長く作っておりますので、始まりますと早いですよ。
 毎月見えている生徒は麻の夏物のブラウス風のチャイナを作っております。熱心ですからいつの間にか数を作っております。
 黒を基調にして作る生徒は組み合わせが自由に出来ます。例えば普通の旗袍とジャケット、短い旗袍と細いパンツ、旧式の旗袍とコート。
 それらに合わせやすいように色も黒、グレイ、茶色などで組み合わせております。
 今回は生地を二着分持って来ました。スタイルをどうするかを先ず決めました。一枚はロングの旗袍
 一枚はデザインの簡単な短いブラウス。 久し振りでしたが決まりましたら早いですね。
 裁断をし仮縫いまで済ませてお帰りになりました。

        白と黒

 二人は長く作っておりますから、自分に似合う着やすい物を承知しております。旗袍は奥が深いものです。
 街で良く見かける物は私にはどうも似非に見えます。そう言う意味ではどの生徒も正統派と言えましょう。

 余談 生徒からお聞きした整腸剤のメモを夫に見せました。夫「これは俺のことを話したということだな」
 「そうよ話しましたよ」「そうかじゃ~直ぐ買って来て呉れ」ですって。

 チャイナドレスのことでお問い合わせ コメントにメールアドレスとお名前を書いて、鍵コメでお知らせください。
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譲我当皇帝都不去了

  日曜日の朝 朝食後片付けを済ませPCに向かいました。ほんの数分後斜め後ろに顔を向けました。
 夫が体を崩して椅子に倒れ込んでいます。
 慌てて傍に行き「どうしたの。何なの」と声を掛けてもまったく声が出ません。不安な気持ちになりながら、顔を覗きこみますと、顔色唯ならぬ様子。額に手を当てますと冷や汗をかいております。
 「大丈夫?何なの」と聞いても全く返事もなく、状況は苦しそうです。
 脈をとろうとしますが、脈拍が全く感じられません。
 体を倒し、床に転がせました。私の頭は少しパニック状態のようです。行動が自分でもどかしいのです。
 受話器をとり、二女の家に電話をしました。丁度娘婿が出ましたので、直ぐ来て欲しいと言い、また長女に電話をし、呼びました。長女も直ぐに見えました。
 娘婿が駆けつけて来ました。そして救急車に来て貰うように119番に電話を入れました。
 消防署は目の前です。直ぐに到着し担架を持った救急隊員の方が見えました。
 夫は少し様子が変り、言葉も出て来ました。担架で運ばれて救急車の中におさまりました。
 本人は救急隊員の方の質問に答えることが出来ます。様子は徐々によくなっているようです。
 私と娘婿の二人が付き添いで車に乗り、取手のJAとりで総合医療センターに運ばれました。
 急患の受付で診察券と保険証を提出。本人は診察室の運ばれました。
 
 それから待つこと暫し、1時間後程過ぎましたら、ドアから本人が点滴をしているまま出て来ました。
 看護師の方がお小水をとって下さいと言いまして、コップを出しました。それを受け取り、トイレに付いて行きました。お小水は極僅かしか取れません。本人は排便をもよおして来たようです。便器に座り、排便を済ますことが出来ました。 
 出て来るなり「すっきりしたよ」と晴れ晴れしたように言います。
 点滴が終わり、私は先生に呼ばれました。「血液検査など全て問題がありません。お帰りになって宜しいです」となりました。
 そして支払いを済ませて帰宅しました。夫の今回のショック状態の痛みと苦しみは腸内の便が災いしたのだと思いいます。
 額に脂汗を滲ませ、口もきけず、体も自分で動かせないと言う状態を見ますと、私の母親が腸閉そくで苦しんだ事が頭をよぎり、何としても早く医師に見て欲しかったのです。今回は排便があったからでしょう。無事に済みました。
 
 でその事を中国書の先生に話しました。「すっきりとしたと言う表現はどの様に言いますか」と伺いました。老師は中国ではそう言う時には良く 「譲我当皇帝都不去了と言いますよ。こんな良い気分は私を皇帝にさせると言われても行きません。と言うのですよ。大抵の人はこの排便後の気分を知るでしょう。皇帝は大袈裟な言い方ですが、気分はそれほど良いと言う事です」何だか面白く災い去りて笑いが残ったような事件でした。

      朝食6月10日

 救急車の中で救急隊員のかたがいろいろ質問をします。「朝食は食べましたか」すかさず私「食べましたが全部朝作ったものです。残り物は食べていません」食中毒を思ったのかもと勝手に思い、返事をしました。

 今回感じたこと  
  
 救急隊員は緊張してはいるのでしょうが丁寧です。テキパキと家族へ指示します。薬手帳はありますか。保健証は持ちましたか。何時も飲んでいる薬を持って下さい。靴とメガネを持って下さい。
 担架で運ばれた後、受け入れ病院に連絡をします。救急車の中では血圧を測りながら行きます。家族に不安を与えないようにと言う気配りを感じます。
 病院の救急センターの医師は4名おりますが、次々患者が中に呼ばれます。昼になっても先生方は出て来ませんし、患者が途切れない程です。センターの担当医は昼も休まずに頑張っているらしいです。
 このセンターでは検査の方も待機しているようで、検査器具の台車が何回も来ては出て行きます。 
                                              
 高齢になりますと普段から薬の管理や、火急の場合の連絡方法を考えて置かなければなりませんね。 
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自家製鮨シリーズ 第5回 と私事

 お鮨は将に日本の味 それも今や世界に通じる物ですね。そのお鮨もお国が変ればその姿や表現が違いますね。
知られているのはアボガドを取り入れたロール巻きとか、創作が奇抜で、日本人を驚かすような物をTVなどで見ることがありますね。外人も上手に箸を使っていますし、お好みで注文するなぞ珍しことではありませんね。
 随分昔 ロンドンのホテルで食べた鮨 注文してから待つこと待つこと。握っているのは日本人の若い男性です。「じれったいわよ。種が腐っちゃうわよ」と怒鳴りたい位のノロさ。あっちを見たり、こっちを見たりとね。 日本では先ず通用しないでしょうね。それでも今は鮨屋は世界に進出し、異国での競争が展開していることでしょうからああいう職人は駄目でしょうね。 
 マグロのセリで良く話題になるのは香港の中国人ですよね。これは凄いですね。
 
 自家製鮨のシリーズ第5回目をアップします。
 夕食ですがご飯の量は男性用の茶わん一杯位 多くても普通のお茶碗2杯位です。

    金目鯛  〆鯵散らし

              〆金目押しずし

    炙り鰹  〆金目・カンパチ

 
 最近頓に物忘れがひどくなり、これが老化と言うものかと、夫と二人して確認しております。嘆くのではありませんよ。嘆いても始まりませんからね。お互いの失敗を指摘し笑い合うのです。忘れる事柄は友人や知人と話しますとほぼ共通しておりますよ。
 何を取りに行ったのか。何処に置いて来たのか。何しにここに来たのか。何を喋ろうとしたのか。
 ですから忘れては困ることやいけないことは、付箋に書きテーブルに貼ります。それも必ず見たり使ったりする物が置いてある前です。そして順に済んだ物は捨て追加して貼ります。

              メモ

 品物を買ったら出来るだけ早く振り込みに行きます。仮に自分が目まいを起こしたり、熱を出したりするといけませんからね。振り込めば安心出来ます。携帯電話と電子辞書は毎日使いますから、メモは必ず目につきますし見ることになります。
 手帳に書いても見るのを忘れるようになって来ました。これはいけませんね。今は予定は携帯に、用事は付箋にと決めております。
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山菜を頂いた

 5月 例年ですと我孫子の産直の店頭には朝掘りの筍が沢山並びました。今年は放射能が検出されたとあって出荷が止められました。ということで新筍のあの歯触りの美味しさは望めませんでした。
 毎年この時期 福島の友人から山菜がいろいろと届き、堪能したものです。
 彼女の家は原発所在地から少し離れているように見えましたが、牛の出荷停止など報じられていました。
 多分多くの方が送りたくても気を使い遠慮していることと同じだと思いますが今年は送られて来ませんでした
 山菜も彼女が福島に移住してから覚えた物もあり、特にこしあぶらの天ぷらはご馳走でした。
 
 そんな我が家に先週山菜が届きました。近所に住む山形の方からの頂き物です。パックや包みを読みましたら仙北市と見えます。仙北市は秋田県の街ですね。先ごろNHKの「家族に乾杯」という番組でいろいろなことが紹介されました。とてもおっとりとした良い街ですね。一度行って見たいと思っていた角館もその市なのです。

     こしあぶら  やまうど・わらび

 早速天ぷらで頂きました。美味しく頂くことが出来ました。
 ですが思いは複雑です。友人の住む所はリゾートとして開発された所です。昨年のあの3月11日以降 休暇には来ていた都内からの住人があまり来なくなり、寂しくなっているようです。原因はあの原発問題です。

 昨日は大飯原発3号機4号機の再稼働を決めるための総理の記者会見があり、「国民生活を守るため、再稼働すべきだと言うのが私の判断だ。立地自治体のご理解をいただいたところで再稼働の手続きを進めたい」と表明したと報じられております。

              朝食6月9日

 この報道をどう見るかですが、脱原発の道筋は全く分かりません。それを明言できないのが今の政府なんですね。福島の惨事は全く生かされないで進むのでしょうか。
 それにしましても分からないのは、国の政策として長年原発と電力会社を容認してきた政党の言葉が見えないことです。どうなっているのでしょうかね。
 お婆さんは睨んでいますよ。誰がどうなんだか。PCでは多くの情報を読むことが出来ます。そこでどう判断すかは自由ですね。
 私は絶対安全はないと思っております。そう考えますと安心もありません。
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クローバーの首飾り

 子どもの頃は外で遊ぶことが多く、真冬でもその時期なりの遊びがあったものです。
 寒い日が過ぎますと彼方此方に緑が広がって来ます。
 千葉の南端の町では特に公園などはありませんでした。二毛作地帯ですから畑も田圃も空いている時がないと言った感じです。
 細い農道の道端には年中雑草がはえております。その雑草の合間に僅かにですがクローバーを見ることがありました。
 中国青島の公園ではクローバーが良く見られました。そのクローバーを摘み首飾りを作ったことを思い出しました。
 画像で検索しましたらクローバーの首飾りは1620も見られ、その内素敵な画像のブログを見ましたら、なんと男性が以外にいるのです。
 私の時代は女子の遊びの一つでしたからね。チョッと驚きましたね。
 でクローバーの花を沢山摘み集めて首飾りを作る経験を持つ方は沢山いることと思います。
 花の茎を何本も揃えて、花が重ならないようにずらせながら、茎をこれまたずらしながら重ねて伸ばして行きます。茎と茎は茎を廻して確りと止めて行きます、大きさが決まりますと丸めて止めます。
 首飾りが完成します。
 娘が小さい時には未だ街に空き地もあり、作って上げたことがありますが、今は家の周辺ではグリーンベルトで見ることは出来るものの、そこで摘むことは出来ません。

       クローバー

 改めて思い出しますと、熱心に作った首飾りですが首にかけて遊ぶのには邪魔になります。で家に持ち帰るのですが、その後がいけません。摘んだら枯れて仕舞う訳ですから、萎れた首飾りになって仕舞うのです。箱などに無造作に放り投げ入れられたクローバーは茶色が濃くなり、惨めな姿に変わり果てます。

 クローバのことから何だか手の感覚はどうなっているのかしらと、これも思い出し、紙縒りを縒って見ました。
 なかなか上手く縒れなくなっていました。手先の衰えは自然に忍びよって来ております。

 クローバーの画像はEGUTI YOUSUKEさんのブログからお借りしました。ブログは信州松本在住の方ですから、そこに現れる自然の風景や花鳥などの魅力が一杯詰まっております。ぜひご覧ください。
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自家製鮨シリーズ 第4回  と関心事

 高齢になり食事の量が可なり少なくなって来ております。老人向きのツアーに参加しましても、どうも我が家の二人は食が細いようです。
 朝食はま~ま~普通には摂っていると思います。ご飯はお茶碗八分目位、味噌汁は普通のお椀一杯。後は蛋白質の物を一品 それに煮物などや前日の残り物と大根おろしやトマト等の野菜 必ず食べるのは焼きノリ ま~そんなものです。
 晩は夫はノンアルコールのビール350cc 私は赤ワイン少々 食べ物はその日の体調とか食べたい物とか、また頂き物とか、それと最近は自家製の鮨が登場します。それでも全体量は大したことはないのです。
 それなのに、それなのに痩せません。
 今の中学生の頃ですが、有本邦太郎という栄養学の先生の「食品成分表」と言うのを使い、自分の食べる食事の栄養やカロリーを調べたものです。それは習慣となり自然に計算が出来ているような気分で過ごしておりました。
 今はこの食品成分表の内容がかなり変更されているようです。買おう買おうと思いながら、過ごしております。
 お鮨のカロリーってそう高くはないと思いますね。私はほんの味見程度箸をつけます。最近の鮨はこんなものです。

    赤貝・トリガイ・平らぎ  ほうぼうとバチ

              ビン長・ほたて・あおやぎ

    本マグロ・真タイ  まぐろすきみ丼

 
 二人で夕食を食べながらニュースに文句をつけております。それはどう言う意味?とか、それは嘘ーじゃ~とかね。老人は煩いんだと言いながらですよ。でも最近は文句より怒りです。ま~それも消化不良にならない程度に止めて置かなければとは思うのですがね。いけませんね。
 この数日の政府?いや総理ですか?とに角政治生命を掛けるとか、国が責任を持つとか。本当はどうなっているんでしょうか。責任をとって始末をキチンとしたと言う話は聞いたことはありませんよ。私はまだ81歳だからかしら。もっと長く生きていれば聞けるかもしれませんね。

    朝食5月31日  朝食6月5日

 今後の政局はどう進むのでしょうか。傍観者で過ごして行けばいいのかも知れませんが、そうも言えなくね。
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校友の集い

 明治大学校友会千葉西部支部第9回総会が昨日開催されました。
 
 会場   三井ガーデンホテル柏
 第1部  総会
 第2部  懇親会

 総会は開会の辞 支部長挨拶 来賓紹介 各地域支部長紹介の後
 議長選出をし、議事は全て無事に終了しました。支部長として総会の議長を務めた猪瀬主税さん(柏支部)は今期で退任され、次期支部長には行木勝雄さん(市川支部)となりました。
 来賓として大学からは橋口隆二常勤理事(経営企画担当)と校友会本部からは山口政廣副会長のお二人をお迎えしました。総会の議事全てが終わり、来賓からの祝辞を頂きました。
 
 橋口常勤理事からは大学の現状について詳しくデーターを上げながらの説明をお聞き出来ました。特に来たるべき社会に向けての大学の取り組みは心弾ませる内容で、世界に向けての明治を大きく進展させると言うお言葉に一校友としても、実現を心から願うところで、大きく展望が開いて行く姿を期待したことでした。
 山口副会長からは校友会の大学へのサポート、昨年の震災被災学生への支援などの報告、また各支部も明治は一つの気持ちを持ち、協力をお願いしますとの言葉が強く出て来ました。

 来賓の挨拶の後 今年の全国校友大会が開催されます静岡から支部長がお見えになり、多くの校友の参加をお待ちしますと挨拶をされました。今年の全国校友大会は第48回 9月9日を中心に静岡で開催されます。
 多くの校友が集うことでしょう。総会終了後全員で記念写真に収まりました。

 第2部の懇親会は各支部ごにテーブルを囲み、賑やかに始まりました。開会の言葉に続き新支部長の挨拶、そして乾杯 型どおりに進みました。
 今回は会を盛り上げるアトラクションは聖徳大学声楽コースのOGの方のご協力を頂きました。素敵な女性3人華やかですが和やかな雰囲気で盛り上げて下さいました。一緒に声をだして歌う方もおりました。
 会場の両側には七支部の紫紺の旗が掛けられています。今年は我孫子地域支部が担当でした。私は開会定刻直前に会場に行きましたが、西部支部や我孫子地域支部の幹事の皆さんはご苦労さまでした。
 懇親会ではテーブルを移動し他地域支部の方々も交流をしております。なかなか良い雰囲気です。
 猪瀬前支部長への花束が贈られました。お役は同期と言うことでしょうか私めがすることになりました。
 猪瀬さんは今回の総会ではお役として何回も壇上に上がりましたが、この花束を受け取りますと、壇上に上がることはなくなります。感無量の思いだったとことと思います。私は猪瀬さんの目に微かに滲みでる物に気がつきました。
 (写真は全部まとめて下に入れました。大きくしてご覧になって下さい)

             西部支部総会開催  

             1西部支部総会

   西部支部総会2  西部支部総会3

             西部支部ゲスト

              花束贈呈

 懇親会も無事進み最後は全員で肩を組み校歌斉唱です。来賓も含めて130名余大きな輪になりました。
 校歌斉唱のリーダーを務めたのは松戸地域支部の高橋浩史さん(応援団OB)鍛えられた遠くまで刺すような澄んだ声。久し振りに気分が高揚しましたね。
 そして閉会のことばを最後にお開きになりました。
 私は往復ともご近所の後輩の方が気を使って同行して下さり、参加することが出来ました。
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季節もの

 子どもの頃 と言いましても小学校5年、6年の頃 
 子どもの遊びには今のようなゲームに打ち込む等という事はありません。野山や海岸また学校の校庭などです。
 冬に霜も降りない房総では、スキーやスケートなどは他所の世界の話です。子ども向きの本で知る位ですから、それに代わるような遊びは、専ら体を動かす遊びです。
 男の子の遊びはどんなものだったかは良く覚えておりません。
 中国青島ではスケートもしましたし、海水浴にも良く出掛けました。
 房総半島の最南端の地は海は遊びの場でもあり、また獲物取りの場でもありました。ですから遊ぶにも体力が要ります。
 寒かった冬が過ぎますと、風景は穏やかな春一色となります。外を見渡せば苗代も直に見られなくなり、田植えの季節と変ります。稲が伸びて来る頃、その頃は子どもは連れだって彼方此方へと歩きまわります。
 東西に長い町の北側に延びる山は南からの陽を受けて緑も美しく見えます。

 晩春から初夏にかけて時々子ども同士で裏山に出掛けます。時には麦笛を吹いたり、スカンポやツバナを口に入れたりします。
 低い所で見つける木イチゴ 黄色の丸い熟れたのを口にしますと、甘さが気分を高揚させます。嬉しくて茎の棘も気にせず、手を伸ばしてもぎます。ですがそれは実際には10粒にも足りない程です。
 何か成っていないかな~とキョロキョロしていると桑の実にぶつかります。
 
 何時も拝見している「広島お魚ツアー」というブログ アナゴさんの蘊蓄を知るお魚大好き人間には堪らないブログです。
 そこで見た桑の実 もう粒粒が確りと見られます。たちまち昔のことを思い出しました。

        桑の実

 経験のある方は沢山いられると思いますが、この桑の実小粒でも果汁は威力があります。先ず口に入れる時注意しませんと唇から口の周りが赤く染まって仕舞います。
 折角もいだものですから、どうしても持って帰りたくなります。
 その頃田舎の小学生はチリ紙もハンカチも持っていないことが多く、というより持っていないのが普通でした。
そこで桑の実はポケットに収まるということになります。
 私も勿論何処かに入れます。ある時母が送って呉れたブラウスの胸ポケットに入れて帰りました。
 家の近くになってから気がついたのですが、胸の前が紫いろに染まっています。間に合いませんよ。今でしたら漂白剤も使えるでしょうが、当時は石鹸で洗濯をしなければなりません。
 井戸端で一所懸命に洗いましたが、駄目でした。

 桑の木がある場所は大体知っておりました。それは学校でカイコを育てるのに桑の葉を摘みに行っていたからです。どうも最後まで育てた記憶は出て来ません。食い意地が張っていたのでしょうね。実を食べた記憶は忘れていませんのにね。

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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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