2012-09

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中秋月餅

 旧暦8月15日は中秋と呼ばれ、この日の月は満月 暦と実際の満月とは重ならない年もあるようですが、今年は昨年同様今夜は満月 
 台風17号が本州を直撃しようと言う気配。各地に注意報が出ております。
 
 この中秋に食べるのが月餅です。中国ではユエピンと呼ばれていますが日本ではゲッペイと呼ばれていますね。
 2010年9月19日 私は中国は青島のジャスコに月餅を買いに行きました。翌日は中秋節と言うので広~いジャスコの店内は人人人熱気に包まれています。
 大きなカートに月餅の箱が山積みされ、人々はそれを車に運んでいます。

 その姿を見ながら現地の方の説明を聞きましたが、この月餅をどのような形で、誰に送るかはとても大きな意味があるのだそうです。日本では会社やサラリーマン、また義理のある方へお歳暮を贈ることもありますが、中国ではこの中秋節には何としても欠かすことの出来ないのが利益関係にある方へ贈ることだそうです。
 笑話で送った月餅が自分の所に廻って来た何て言う話も良くあることで、月餅の箱に偲ばせる物には驚くような物もあるそうです。風聞かも知れませんが、このための大きな出費はやがて自分に戻って来る仕組みですね。
 王老師は今病に侵され臥せっております。授業の時 お持ちになり切り分けて下さった月餅
 この中秋にしか作らないと言う卵の黄身入りでした。

       中秋節の月餅

 この黄身入りのは思っていたのより美味しいと感じませんでしたね。食べなれた普通の月餅の味の方が美味しく思ったことです。

 中国料理研究者の顧中正先生の 家庭でつくれる 中国点心という本があります。
 この本の中に見開き一杯に月餅が掲載されております。プリンターで取りこめずカメラで写しました。とても立派な月餅です。

      顧さんの月餅

 顧先生はこの本の中で月餅の由来と題し一文を寄せています。少し掲載致しましょう。
 
 昔から中国人は月には「月娘娘」(ユエニャンニャン)という女神がいると信じて仲秋名月の日には供物を捧げて祈った習慣があって、このとき供えた点心が「月餅」と呼ばれてきたのです。
 またこの「月餅」には中国人なら誰でも知っている故事があります。
 元の末期に蒙古人の手から天下を奪回し漢民族の世にしようとして、あとで明の太祖になった朱元璋が兵を挙げる総決起の日を8月15日夜の満月の日と定め、これを同志に知らせるため月餅のなかに8月15日0時、と書いた密書を入れて連絡に使ったと伝えられる話がそれです。 中略
 月餅は満月を形どったもので大きいものは径30㎝ものものもありますが、本場は広東に蘇州となっていて、広東は大型、蘇州は小型と言われています。表面には月に住むという嫦娥(チャンオウ)をはじめいろいろな模様がついていて楽しいものです。 以下略

 1994年9月4日 関空が開港し、数日後そこから青島に行きました。その時青島のデパート(昔の銀丁)に並んでいた月餅の大きいこと。直径30㎝程のもありましたしそれが9月ですから大量に積み上げられるように置いてあるのです。
 月餅と言えば新宿中村屋の位の大きさなら何とか食べることが出来ますがね。
 そのご王老師の話に依りますと中国でも家族の人数が少なくなって来た所為か、月餅も小さくなっているそうです。
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書と包子

 中国の書法 日本で言えば書道ですね。
 習い始めて1年半程になりましょうか。お婆さんはどうも記憶が悪くなっていますね。
 この夏は生まれて初めての夏風邪を引き、何となくいろいろなことに積極的になれずにおりました。
 チャイナドレスは生徒さんにお願いし、8,9月を休ませて頂きました。
 書法は8月は行けず、9月の27日の木曜日に暫らくぶりに行きました。 
 老師は私が高齢だと言うことで、無理せずにと仰って下さいます。
 私が今使っている手本は半分ほど進んでおります。老師のお言葉に依りますと、同じ本を何回も繰り返すと言う事が上達に繋がると仰います。添削をして下さった物は繰り返し書いた時と比べると結果が良く分かりますよと仰ったのですが、溜まりますから大分捨てて仕舞いました。紙縒りを作って見たりしましてね。それからは全部仕舞って置いています。

              書の表紙

 この書の手本ですが、基本の基の字 字の骨格を習う為の本だと言う事です。老師は毎回字の意味を教えて下さり、そして必ず一字一字その字の中心を強調します。27日は特に字は骨格が確りとしていなければなりませんと仰いました。心を集中させると言う事がどれほど健康に良いかと、斉白石の事や横山大観などの話題に一息入れました。久し振りの書法 とても心が落ち着きました。

 この日お昼に包子を作ると老師は仰り、出来上がった包子が熱々で届きました。
 珍しい人参包子です。

    人参包子  人参包子餡

 老師の万頭や包子はドライイーストを使って作るそうです。万頭や包子は小麦粉を練って寝かして置くのですが、包子は中身(餡兒)を包んだ後も暫らく置くことが大事だそうです。
 でこの人参包子の中身は人参、豚ひき肉、油揚げ、それに葱・生姜と入っています。
 老師はお母様(94歳)とご一緒ですから、堅い物やしつこいものはお作りにならないようです。
 北京生まれ、北京育ちですから小麦粉を使ったものはとても上手です。
 今回のも見た途端食べ切れるかしらと思いましたが、綺麗に一回で食べて仕舞いました。
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自家製鮨シリーズ 第20回  と関心事

 夫が言いました「鮨シリーズは未だ続くの」「もう今回で終わり」「そうか」「だって変り映えもしないし、種も殆んど同じだしね」
 と言う訳で20回でシリーズを終えまして、偶に気に入った種で作った時は、またそれなりにアップする心算でいます。ですがお鮨は毎日少しでも食べますよ。食べるのを止める訳ではありません。
 今回は特に珍し物や変ったものはありません。
 フィナーレは華々しく行くのが普通でしょうがね。お婆さんはそんな芸が出来ないんですね。ま良いか。

     活き〆かんぱち・ばち中落ち  サーモンたたき

              生ホタテ・〆鰯

     バチ漬け  〆鯵・ばち

 娘に良く言われております。「今度何に凝るの」って言うことは、始まると次々先へと進みたくなる私の性格を知っているからです。
 
 このところ日中関係や日韓関係が問題になっておりますね。関心は多いにありますよ。どう進むんでしょうか。
 日本のこれからに関心を持たずにはいられません。で政党のトップが決まりました。

     朝食9月22日  朝食9月27日

 自民にはあきあき  民主にはこりごり と言う言葉が良く耳に入って来ます。お婆さんは何と言えば良いのか迷っています。これからも目が離せませんね。マスコミは原発問題を控えているように感じますが、ジャーナリズムはどうなっているのでしょう。
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捲洞鶏 

 捲洞鶏は豚のヒレを鶏腿肉で巻き茹でた一品です。
 前菜の一部にも出来ますし、料理の一皿として出すことも出来ます。
 淡白で品の良い料理です。手間もあまり掛かりません。
 来客が見える時などには事前に作って置けますから楽ですよ。

 材料
    鶏モモ肉 2枚  豚ヒレ肉 150g 葱・生姜それぞれ少々
 作り方
   1 モモ肉は良く洗って広げます。
   2 ヒレ肉は 2、3㎝位の棒切りにします。
   3 葱・生姜は小さく切る
   4 巻き簾を置き、その上に布巾を広げます。
     その上に皮を下にしてモモ肉2枚を載せます。
     モモ肉の上にヒレ肉の棒切りを中心に置きます。
     ヒレを芯にして海苔巻きを作るように巻きます。
   5 簾で巻いたモモ肉を紐で強く結びます。

      
      まき簾の肉

   6 鍋に水をたっぷり入れて沸騰させます。
     そこに 酒 大匙 2杯 塩 大匙 4杯 葱・生姜を入れます。
   7 次に5の肉を入れ、30分位茹でます。
   8 茹で終わったら取り出して冷まして置きます。
   9 冷めたら簾や布巾を取り除きます。

 食べ方 
   1 冷めたモモ肉は適当な厚さに切ります。
   2 切った肉を皿に載せて電子レンジで温めます。
   3 温かくした肉に4のソースを掛けて食卓に出します。
   4 スープカップ一杯に塩と胡椒を少々入れて煮立てます。
     天ぷら油を少々たらし、水溶き片栗粉でとろみを付けます。
      

      まき簾2

 上の皿は出来あがったモモ肉の五分の2位です。
 肉は冷めた後冷蔵庫に保管し、食べる分だけを温めて食べてもいいですよ。
 でも出来るだけ早く食べて下さい。
 ヒレの匂いが良く、鶏モモもヒレと一体になって上品な味になっています。
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ジャンボ落花生

 千葉県は農産物も水産物も沢山取れ、出荷されております。
 落花生は2010年の統計に依りますと千葉県の生産高の順位は一位 全国の75%とを占めています。
 落花生の街としては八街が有名です。
 千葉県南部でも落花生は昔から耕作されていました。私の知る美味しい落花生の産地に犬石というところがあります。そこは土地が良いのでしょうか。でも今はどうなっているのか分かりません。

 最近食べる落花生では千葉県は館山のキムラの手剥きが気に入っております。
 このキムラのピーナッツソフトは美味しいらしく、ブロ友のマムチさんも食べています。

 落花生と言いますと孫などはピーナッツと言いなおします。お匙と言いますとスプーンとこれまた言い直されます。昔は良く南京豆と言う方も多かったですね。今はピーナッツが普通でしょうか。
 落花生の商品はそれはそれは沢山あり、千葉県では炒るだけは無く茹でて食べるのも一般的です。
 先日妹から生の落花生が送られて来ましたが、また一箱送られて来ました。
 
 今回のは粒が大きく、名前は「おおまさり」という名の落花生です。この落花生は極近年栽培が始まった新種だと言う事です。

      おおまさり1  おおまさり2

 この「おおまさり」は茹でて食べるのに適した落花生で、茹でて保存した物は通販でも買えるようです。
 私も早速茹でました。
 茹で時間40分 塩を多めに入れて良~く茹でました。茹で終わってから、暫らくそのまま置いて、その後笊に上げて食べました。粒は大きく柔らかく、味も良くなかなか美味しい落花生です。
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一文字せせり

 小学校6年生の秋 国語の時間 たしか題は「夏の思い出」だったと思います。
 若い女性の先生が先ず読みました。

 にらのはなのうえに
      あたまでつかちない
          ちもじせせりがとびちがう

 
 聞いていた生徒は頭を傾げました。意味が分からないのです。
 教室で生徒が騒ぎ始めました。

 「先生 何と言う意味ですか」「意味?何だろう。でもこう書いてあるんです」
 「だって分からない」「良く読んで見て下さい」
 
 どうしても先生は教科書にそのように書いてあると、言い張ります。

 私は中国青島の小学校で、昆虫採集に夢中になっていましたので、若しやこれは一文字せせりのことではないかと気が付いたのです。
 当時の先生は厳しく、生徒は緊張の連続です。青島で伸び伸びと過ごした私には先生に物を言うなど平気です。
 そこで手を上げ先生に
 「韮の花のうえに頭でっかちな一文字せせりが飛び違うではないかしら」と言いました。
 やっと先生はそうでしょうと認めました。

 SORANO波平さんの写真ブログで「せせり」と在りました。私はこの先生のことと当時の学校のことを思い出したのです。

      せせり

 何故このことを良く覚えているかと言いますと、当時の日本の教師不足の問題があるからです。
 先生は女学校5年を卒業し、直ぐに代用教員になる講習を受けた方です。教員になったのは今の高校3年生の秋に該当します。子ども達は蔭で六カ月と呼び、先生を馬鹿にしておりました。
 男性の若いこのような資格を得た先生は、この学校にはおりませんでした。
 日本の若い男性は戦場に赴き、学校にいる男性教師は40歳を過ぎたような先生ばかりでした。
 考えれば担任の先生は大変苦労をされていたと思いますよ。全教科を受け持っている訳ですからね。
 
 この先生は女学校で成績が良かったと思います。授業は熱心でした。
 6年生の冬に入りますと、女学校受験者を放課後教室に残し、受験勉強の指導をして下さったのです。
 私のクラスは女子だけのクラスです。冬は早く陽が落ちます。先生は一所懸命に指導して下さいました。
 当時塾などはありませんし、また町で家庭教師をするよな人はおりません。その補習授業にお礼をしたと言う話はついぞ聞いたことはありません。親も当り前のように思っていたのでしょうね。
 戦争はこんな小さな田舎の学校にまで影響があったのです。
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柚子胡椒風味の鶏肉

 魚大好きな主婦 夫は特に魚を食べたいと言う訳ではありませんが、お鮨は毎日少しでも食べたい。
 そんなことで何となく食卓には魚が多く出て来ます。
 整体の先生はお肉も食べないといけませんよと仰います。食事の問題についてご自分も研究されておりますし、自分の体は自分で守らなければという信念をお持ちです。特に夫のことに気を付けなければとアドバイスをして下さいます。
 先生の仰る肉は特にこれでなければ駄目だと言うものはありません。
 牛肉の薄切りを焼いたのが好きな夫ですので、余り厚い牛や豚は駄目です。
 そこで簡単な鶏肉の美味しい一品を思いだして作りました。これは友人が得意とする物ですが、私も大好きです。
 簡単・安価・美味  この三点を備えていると思うのです。でもね味覚って万人万様ですから、自己満足の物かも知れません。ま~それでも良いかっと紹介させて頂きます。

 この料理は食べる前日に準備を始めます。

 材料 
   鶏胸肉   300g位のもの 1枚
 調味料
   砂糖   大匙 1  
   塩    大匙 1
   柚子胡椒 大匙 2

 作り方
  前日  鶏肉を広げ 砂糖→塩→柚子胡椒の順に全体に付けます。
      順序を守ってね。
      調味料を全部塗ったら一晩冷蔵庫に仕舞って置きます。
  翌日  大きな鍋にお湯を沸騰させます。
      お湯が沸騰しましたら火を消します。
      そのお湯の中に昨夜作って置いた胸肉を静かに入れます。
      そのままお湯がすっかり冷めるまで置いて置きます。
      冷めたら鶏を取り出して、適当に切って食べます。
      出来るだけ食べ切った方が良いですよ。
      

        柚子胡椒胸肉

 上のお皿は胸肉1枚 300gです。胸肉は色も優しい感じです。柔らか過ぎず、堅過ぎず。味も確りと付いていますから、取り合わせは工夫次第で楽しめると思います。
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包丁を新調

 主婦らしい事ってどういう事を指すのでしょう。時々私は主婦なのかどうかと考えたりします。
 人様々ですから、悩む程のことではありませんが、一応主婦として過ごしております。

 毎日三回は台どころに立ち、何かしら作っております。三回の内包丁を使わないと言う事は先ずありません。
 必ず何かを切ります。
 手元の包丁は菜切り、出刃、刺身包丁、鯵切り、普段使う肉切り、長ーい牛刀などあります。
 このところ菜切り包丁がすっかり錆びて仕舞い、どうも面白くありません。
 菜切りは電動研ぎ器で研ぎます。ですが錆びが出て来ると、なかなか手入れが上手く行きません。出来るだけ乾かすようにし、使うと直ぐに水分を拭き仕舞います。
 研ぎ器は平らな所は研げませんので、砥石で研ぐのですが、どうも今回は駄目です。
 私が独り言を言いながら研いでいましたので、夫が新調して呉れました。
 新調って良いですね。切れ味も良く、野菜の切り口を自分で眺めては喜んでいます。

      包丁2本

 この手前のが新調して貰った菜切り包丁です。5000円程でした。
 奥の包丁をご覧ください。実はこの包丁は成田の有名な刃物屋さんの包丁の柄を取り変えた物です。
 最初の柄は竹でした。手にした感じが握る指と良く合っているので、その時は気に入り買いました。ところが使っている内に何か違和感があります。手の平(たなごころ)が疲れるのです。竹は弾力性が無く、カチンとしています。
 そこで仲良しの平野和さん(竹箸作家)に相談しました。「取っ手は桐が良いんだよ」と柄を取り変えて下しました。 
 ところが折角桐の取っ手にしましたが、これまた長い時間は疲れます。
 また自分なりに気が付きました。私の手には太いのですね。そこで古い菜切りを使っていました。
 包丁一本でも長い伝統と歴史があるんですね。使い方や人に合わせて取っ手も付いているんでしょう。
 新調した菜切りも、古い菜切りもサイズは差異ありません。これで沢山切ることも、長い時間使うことも大丈夫となり、気分は良くなっています。
 料理をする度に必要な包丁 これはとても大きな役割ですね。
 切れる包丁を手にしました。こうなると何だかブログに料理が一番多くなりそうです。
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自家製鮨シリーズ 第19回 と関心事

 新米が出て来ましたね。未だ我が家では買っていません。多分来月早々には来ると思います。
 新米って炊くと粒が光って見えるのですね。その輝く粒を見るとご飯だ~と感じるのです。
 秋の魚は脂がのっていますね。秋刀魚が太っています。
 最近の台風の影響で、魚の水揚げが少なく、今日の魚屋では並ぶ魚が少なくてさびしく感じました。
 魚屋の小父さん「お母ちゃん 鮨を始めるよ」と言って土、日だけを並べると言っておりましたが、買う方が増えているらしく、今は毎日鮨のパックを並べております。
 「お母ちゃん 今日は何食べるの」「お鮨よ。何にしようかな」と言いますと「今日はよ。これが良いからこれにしな~」ってパックのお鮨を薦めたりします。それでたまに一パック買うこともあります。種も大きく良いのですが、目下私の基本は鮨シリーズですから、あれこれ種を選んで来ます。(何時まで続くでしょうね)
 今回は珍しいお鮨も作って見ました。握りの大きさが未だ定まりません。精進精進ですね。

     バチぶつ  太刀魚握り

              炙りサーモン握り

     ばくだん丼  ばち中落ち・すだち皮おろし

 最近近所に回転すし屋が増えて来ております。休祭日となりますと席が空くのを待つ人が外まで溢れています。
 鮨は日本人に一番人気のある料理でしょうね。ま~ラーメン好きな方も多いようで、ネット上ではスポット情報として一番出て来るのはラーメンのような感じです。
 
 ラーメンって中国の麺料理ではなく、完全に日本の麺料理ですね。醤油味のラーメンは香港や上海は勿論、中国の大きな都会では日本のラーメンは人気があると聞いておりました。
 その中国と今日本の関係がおかしくなっておりますね。このところ中国各地での反日デモが盛んです。
 私にとっては心の故郷でもあり、また知人が何人も住んでいる街 それは青島です。そこでもデモが大きくなって、日本の企業も大きな打撃を受けております。ジャスコ黄島の破壊された姿には驚かされております。
 なかなか難しい問題を孕んでいる今の日中関係。とても気になっております。

     朝食9月16日  朝食9月17日

 風邪の症状は殆んどなくなっていますが、まだ喉がカサカサします。もう少しで大丈夫でしょう。
 生徒さんには来月から来て頂こうと思っております。余りに暑かったこの夏早く涼しくなって欲しいです。
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酸辣黄瓜

 夏はピリ辛の物が美味しく感じますね。胡瓜は夏の露地物が食べたいですが、作っていませんから贅沢は言えません。
 放射能を心配し、ある程度の野菜を九州のヤオイチさんから取り寄せています。この取り寄せの胡瓜はとても確りとしていて、歯応えも良く娘共々気に入っております。
 
 この酸辣黄瓜(胡瓜)の前菜は一般に知られている辣白菜の作り方と同じです。白菜は冬が美味しいのですが、今はま~チョッとと言った感じです。

 先ず調味料から始めます。
 
 砂糖   1カップ 
 酢    1カップ 
 ラー油  大匙2分の1杯 

 
 砂糖にラー油を入れて良く混ぜます。そこに酢を入れます。砂糖が溶けるまで良く混ぜます。
(この砂糖の分量は可なり甘いので好みで調整して下さい)使いきれない時は容器にいれて置き次回に使います。

 材料 
 胡瓜  作る分量を用意します。白菜も同じことです。
 生姜  細切り 少々
 赤唐辛子輪切り 少々
 白絞油 (普通の天ぷら油で可) 少々


 作りかた
 
 1 胡瓜を好きな形に切ります。今回は細切りにしました。
   乱切りや拍子切りでも好きなようで良いと思います。
 2 切った胡瓜に軽く塩を振り、全体に塩が回りましたら、
   容器に入れて重石をして1時間ほど寝かします。
 3 胡瓜を縛り水を確りと切ります。
 4 合わせ調味料を胡瓜に掛けます。
 5 胡瓜を器にとり、その上に刻んだ生姜と唐辛子を載せます。
 6 白絞油を沸騰させ、5の胡瓜の上から掛けます
  (分量は作る量に依って加減します)
 7 全体を混ぜ合わせて蓋をし、1日程置き、味が馴染んだら皿に盛り食べます。

           前菜胡瓜

    上の画像は作り方1から6までを済ませた物です。

    前菜胡瓜2  ラーパイサイ
 
      左は今回の胡瓜       右は白菜です。

 この胡瓜にハムやチャーシュー、ピータン、蒸し鶏などを盛り合わせますと簡単に前菜が出来ます。
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物忘れと怠け

 木曜日に窓枠の入れ替えがあるので、家の中の窓の周辺の物を片付けなければなりません。
 窓が全部二重ガラス入りの物へと変るそうです。既に工事は順番に始まっております。
 で品物を片付けるのですが、何だか億劫です。今日の午後にやろう。明日の昼間にやろうと随分前から気持ちはあるのですが、実際は風邪を引いていたことや、この暑さで参っており、それを良いことに先伸ばしにしておりました。でも今度の木曜日ですよ。月曜日は整体治療もあるし、中国語の勉強もあるし、追い詰められました。
 で今日はもう仕方なく、とぎれとぎれに片付け始めました。それでも少し片付きました。

 片付けながらチョッと小さな本箱を覗きましたら、もう自分でも驚き、呆れて仕舞いました。
 以前ワープロに取り込んだこともあった神田四川飯店の料理教室のテキストの束です。
 これは仕事場の移動をした時に何だか処分をして仕舞ったような気がしていたのです。
 最近生徒の方へもレシピを渡してなく、ワープロを動かさなければと思っていたのです。
 ところがこれが面倒くさいのです。先ず出さなければなりません。頭の中で考えてもどうも操作を忘れているような気がするのです。
 でワープロを開けずに、新しいレシピをブログ上で紹介すれば良いではないかと、気が付きました。片付けの合間に青焼きのレシピを眺めて見ました。
 
 青焼きですし、40年ほども前の物ですからもう薄れて判読しなければならない物も沢山あります。
 最初の頃の料理の指導は香港から見えていた解金龍さんと言う方です。中華料理の研究者の顧中正先生が見込んで日本にお連れしたという当時40歳位のかたです。大きな店で働くことを腕が鈍ると断り、神田四川飯店で働くことにしたと言う硬骨漢です。腕の良さは当時都内随一と言われていたそうです。その解さんは僅か2年ほどで香港に帰って仕舞われました。
      
       中華前菜解説

 顧先生は最初の頃は必ずお見えになり、中華料理のことを解説されたり、食卓マナーや人を招いた時の席のきまりなどといろいろと教えて下さいました。
 上の冊子は中華料理の前菜の解説です。当時の日本における一流菜館では本流儀にする物が流行していると書かれており、前菜に合う材料や調味料なども詳しく書かれております。
 顧先生は上海同文書院出身で、日本における中華料理の発展に尽くした方です。
 久し振りに一枚一枚めくって見ますと、家庭料理教室と名付けただけに、どれも首をひねるような物ではありません。
 これはと思って作った時???ブログで紹介したいな~???と。そんな一日でした。
 
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相子的魯肉

 台湾で食べられている魯肉飯と言う食べ物があります。台湾ではごく普通の食べ物らしく、台湾旅行で食べて来る方も多いようです。作り方はいろいろとあるようですし、また店それぞれの売りの味もあるようです。
 台湾には何回か行きましたが食べたことが無く、実際の味は知りません。
 知人と話をしていて豚の角煮のことから少し違う「ル―ロー」という豚の煮方を教えて頂いた。ル―ローは魯肉と分かり、調べて見ましたが、難しそうです。
 暑い日が続いた8月半ばからこの魯肉作りを始めました。台湾で食べて来た方にお聞きしたり、台北の友人の奥さまのレシピを教えて頂いたりして、昨日は3回目の魯肉を作って見ました。
 前2回は肉の大きさや、作り方も定まらず、美味しいことは美味しのですが、老人向きには今一つです。
 3回目で何とか気にいった相子風味の魯肉を作ることが出来ました。美味しいですよ~~~。
 台湾ではご飯に掛けるようですが、相子風味のは総菜もしくは酒肴と言えそうです。

     ルーロー1  ルーロー2

 相子的魯肉のレシピ 
 
 材料  豚三枚肉  600g
     醤油    100cc
     氷砂糖   100g
     水     250cc
     紹興酒   250cc
     塩     小さじ 1
     ニンニク  皮つきのまま 4,5片

 作り方 
    1 先ず三枚肉を長さ5センチ、幅1センチ5ミリ位に切る。
    2 大きな鍋にお湯を沸かし、切った肉を入れて臭みを取り、
      鍋から取り出します。水分を充分に切ります。 
    3 フライパンに油少々入れて熱くなったら
      皮つきのままのニンニクを入れて良~く炒める。
      色が焦げて来ますと良い香りがして来ます。
    4 そのフライパンに茹でた肉を入れて、良~く炒めます。
      これも香りが出て来るまで確りと炒めます。
    5 圧力鍋に炒めた肉とニンニクを入れる。
      そこに調味料・水・紹興酒を加える。
    6 加熱しますね。
      煮え始めましたら少し火を弱めて20分 火を止めて20分 
      出来上がりました。上の左の物です。
    7 鍋に軽く茹でた鶏卵を入れて一緒に煮込みました。
      これは自己流です。
      右は盛り付けたものです。

 前の経験から 
    最初は肉の大きさが分からず厚過ぎたようです。
    それと圧力鍋ではなく、弱火で煮込みました。 
    出来立ては良かったのですが、冷めると硬くなって仕舞います。
    2回目は炒めて調味料などを入れて少し煮込み、
    それから圧力釜で煮込みました。
    これも自分では面白くありません。

     筍・こんにゃく煮  豚バラ肉と卵

 左の煮物は1回目の時、肉を取り出し筍と蒟蒻を煮込みました。右のは2回目のです。
 この煮汁は取り置き、次回の時に加えると一層味が良くなると思いました。台湾では調味料を継ぎ足しながら作る店も多いようですし、中にはその長さを売りにしている店もあるようです。
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頂き物は嬉しい

 何となく最近は食べ物の頂き物が多いですね。娘たちが小学生の頃 何でカルピスばかりかと、少し詰まらなく思ったものです。そして私が中年になった頃頂くのはハンカチやソックスなどが多かったです。
 で今は海苔を良く頂きます。毎朝食べますのでとても重宝しております。お菓子は名産の美味しい物が時々届きこれは世間が広がります。
 この一週間で頂いた物が全部珍しい物でワクワクしながら眺めたり、食べたりしております。

 先ず富山の瀬戸さん 何時も貴重な物を送って下さいます。今回はロシヤの菩提樹の蜂蜜です。

       ロシア菩提樹の蜂蜜

 徳島の方から「徳島名産の種なしスダチ」を沢山頂きました。この辺で買いますと種が沢山入っています。
 少しレベルの高いスーパーやデパートに行きますとありますが、このように質の良い物はなかなか身近では買えません。早速皮をすり下ろし蕎麦汁に入れましたら美味しいこと。とても豊かな気分になっています。

       種なしスダチ

 福島に住む仲好さん。毎年春秋には山菜を送って下さっていました。福1の原発事故を気にされ、山菜は私に失礼だと言う事で、送られて来ませんでした。
 ところが会津は放射能が心配ないのでと、それでも悩んだらしいメールで桃を送りましたと連絡がありました。
 それが立派な桃ですよ。黄黄妃(おおきひ)という黄色の桃です。初めて目にしました。

       黄貴妃(桃)

 義弟は定年後趣味のような農家になっています。良くやっていますよ。田圃こそ人に頼んでいるようですが、日常食べる野菜はいろいろと作っているようです。時々出来た物を送って呉れます。
 今回は生の落花生です。落花生を掘りますと、田舎ではそれを茹でてお八つで良く食べました。
 事前に電話があり、「確り実の入った物が良いい?それとも若い実のが良いい?」と言って来ました。 
 街で茹で落花生はレトルトや冷凍でも売られておりますが、この若い殻付きの茹で落花生は生産者でなければ食べられない物です。殻付きのまま塩ゆでにしますが豆は柔らかく、旨味はあるのです。

       生落花生

 確りと実の入って物と、私の希望の若いのが一緒に送られて来ました。美味しいですよね。塩を効かせて茹でますと甘味も感じ、ビールにも他のお酒にも合うと思いますよ。
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自家製鮨シリーズ 第18回  と関心事

 食欲の秋と言われるこれから、いろいろと美味しい物が店頭に並びます。
 北で鮭漁が始まりますと筋子が目につきます。筋子のしょうゆ漬けのために調味料を準備して置きます。例年作りますから、なれて簡単に作ることができます。参考までに→で私の方法を記して置きます。
 最近未だ若い腹子が来たようで魚屋の小父さんから電話が入りました。まだ少々気力が出ていませんので「食べたいけれどばらして下さる」と言いばらしたのを受け取って来ました。未だ小粒ですから店員さんは苦労したようです。
 今回はそう言う訳で筋子を使っています。鮨だけではなく降ろし大根に添えたり、結構食べることができました。これからシーズンですから漬け汁は作って冷蔵庫に保管しました。

     炙り秋刀魚握り  づけ・筋子醤油漬け

              いさぎ・粒貝・バチ・筋子醤油

     炙り鰹  イクラ丼

 漸く風邪も治って来たようですが、喉が今一つすっきりとしません。のど飴をなめたりしますが、気休めのような感じです。
 夕食はお鮨と残り物やある物でと夫にも我慢して貰っております。治りましたら別の所にも行き変った物も買いたいな~と思っている所です。
 千葉や茨城の魚も放射能を帯びている物もあると、PC上で見ると聊か気になります。こうして日々食材にビクビクして過ごす日は何時まで続くのでしょうか。国は原発ゼロを30年代までにと明記し、核燃見直し先送りと決めるようです。

              朝食9月13日

 世論はどうでしょうか。私は原発反対ですから、こういったニュースから目が離せません。そいう方が沢山おります。
 下記のHPやブログをご覧になって下さい。をクリックして頂くとご覧になれます。
 もっともっと沢山の方が反対の声を上げていることでしょう。


 原発のない社会をめざす会 
 原発のない社会をめざして 
 ブロ友のNANTEIさんも応援している「もう黙っていられない!ちばアクション」 
 脱サラ亭主のデコボコ独立開業記 
 我孫子のブロ友 藤田美和子さんのブログ 
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薩摩藷を植え食べる

 夫と話す内容 その中には繰り返し喋ることがあります。
 「食べたい時には食べられなく
 お金も食べ物も無かったと言う育ち盛りの時の事情
 「食べられるのに食べられない
 食べ物が溢れているのに、直ぐにお腹が一杯になって仕舞うと言う今の事情

 日本国内でも食べられないと言う人もおります。その方々を援助する団体があるとブロガーさんの記事から知り、日本は普通の人が立派だな~と思っています。政治家の今の姿はなんですか。毎日駆け引きで夢中のようです。
 国が国民を守るには食料確保が重要な課題です。そういった意味では日本の国民は敗戦前後の数年はそれはそれは困難な生活でした。多分国もいろいろと施策はあったでしょうが、いかんせん全て間に合いません。人々は只管自分を守るために毎日を過ごしておりました。都内では雑炊食堂などがあり、食べ物確保は大人の大きな役割でした。
 都会育ちでお芝居や映画などが好きな姑が薩摩藷を求め、荻窪から田無まで買い出しに行ったと、夫が思い出したように話します。

 さて我が家 戦時中は食いしん坊の父のお陰で美味しい物を食べていました。引き揚げて来ますと、即食料難民です。農家でもなく、食料調達は専ら母の仕事となっていました。引き揚げ職も失い父は意欲を無くし、食べ物を集めたり、買ったりする気力をなくしておりました。母は子どものためにと、畑を借りたり、山の中の空き地を開墾したりして頑張りました。
 私は長女ですから母の片腕となり、畑仕事や開墾を手伝いました。

 薩摩藷はそうですね4,5年位作ったでしょうか。種イモを植えてその藷から生えて来る蔓を、適当な長さに切り耕した畝に蔓を横に並べて植えます。やがて蔓は延び、葉が茂って来ます。秋になりますと藷掘りをします。
 先ず延びた蔓を刈り、藷のある茎の集まっている所を中心に鍬を振りおろし、掘り出します。藷を背負い籠に入れて持ち帰り、暫らく外に並べて干すと言うか、土を乾かします。秋の日曜日はそいった日が続きました。
 私は太ってはいましたが、決して力がある少女ではありませんでした。ですが母を助けなければと言う思いで、夢中で畑に出掛けました。

      店頭の藷

 この店頭に並んだ薩摩藷を眺めますと、今はどれを食べても美味しいだろうな~と思っています。
 
 で収穫した藷ですが、いろいろと工夫をして食べましたね。並べて見ましょう。
 
 1 家で蒸かし、夕食の主食にします
 2 小さく切ってご飯に炊き込み、藷飯にします。
   塩や胡麻塩を振りかけて食べます。
 3 味噌汁の実や天ぷらにします。
 4 蒸かした藷の皮を剥き、潰して小麦粉と混ぜて藷餅を作ります。
   これは家の中で干し、かき餅のように切り焼いて食べます。
 5 雑炊に入れて夕食に食べます。
 6 干し藷や藷羊羹を作ります。
 7 藷パンを作ります。藷を小さく切り、小麦粉と合わせて作ります。
 8 かりん糖のように細く切り油で揚げてお八つにします。
   砂糖など振りかけませんよ。
 9 饅頭の餡に潰した藷を塩で味を付けて入れます。
10 藷が全体の8割位のご飯を炊きます。
   その時はお米は僅か、押し麦(大麦)も入っています。

 このように食べますから、自分で植えただけでは足りません。そこで知り合いや親戚を回り、窮状を訴え売って貰います。
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薩摩藷

 昔太平洋戦争が終わりに近づいていた頃。私は日本に戻り田舎の小学校に転入しました。
 昼食はお弁当を持て行きましたが、クラスの中には蒸した薩摩芋を持って来る子どももいました。
 それでも未だ食糧難の波は押し寄せていませんでした。
 秋になりますと家の周りの落ち葉を集めて燃やします。その燃やす落ち葉の中に薩摩藷を入れます。この大きさが難しいんですよ。大きすぎるとなかなか焼けず、落ち葉焚きは終わって仕舞います。
 小さすぎると、直ぐ焼けますが端は焦げて固くなって炭化して仕舞います。丁度良い大きさの藷があると嬉しかったものです。
 その翌年(昭和18年)食糧自給なのか理由は分かりませんが、校庭に藷畑を作り、農林100号?とか言った増産型の藷を植え、秋には取り入れ、それを5年生、6年生で刻み、干して乾燥藷を作ったのです。
 そろそろ風も冷たくなり、校庭を西風が吹き始めておりました。
 生徒は家から包丁とまな板を持ち、学校に行きます。
 洗った薩摩藷は莚に座った生徒の前に積まれています。生徒は先生の号令で藷を切り始めます。
 まず1センチ5ミリほどの厚さの輪切りに切ります。それをまた拍子切りにして、校庭に広げられた筵の上に広げて乾燥させます。
 蒸して作る今の乾し藷とは違います。1日近い時間を筵の上に座り、只管藷を切ったのです。
 その行き先は知りません。

 住居の一階の小さなスーパー。食品が主体です。8月末に焼き藷の販売が始まりました。早いですね。

         焼き藷

 今日はあの3月11日から1年6カ月が経ちました。福島の薩摩藷は放射能が検出されたと言う情報もあります。誰もが安心して食べたいものですね。
 
 昔 薩摩藷は秋からのお八つの代表です。竈に据えられた釜にふかし藷が並んでいます。田舎の普通の家で藷はそうして子どもの帰りを待っていました。
 やがてそんな自由に食べられるときは直ぐに終わり、お米の変りに配給される主食となって来ました。
 非農家の家では、ご飯は藷にコメ粒が付いたような食事となって来ました。
 大学の女子寮は自炊でしたが、寮の管理人室の前に薩摩藷が10本ほど分けられて置いてあります。
 各自それを自分の部屋に持ち帰り、工夫して食べました。ケーキ?そんなものは贅沢ですよ。お金があればですが、みな口にすることは、先ずありませんでした。

 小学生の頃薩摩藷は青木昆陽が千葉県に広めたと言われており、私もそう思っておりました。ところが諸説あるようですね。
 何れにしましても、薩摩藷は戦後は貴重な食品でした。
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九九歌

 毎週月曜日は整体治療を受けに行きます。先生は若い男性ですが、日本の大学院で勉強もされ、物知りです。
 体のことは勿論ですが、栄養学にも通じており、いろいろと教えて頂きます。
 最近部屋の壁に一枚の画が掛けられました。お客様が中国で求めて来たそうですが、大きくて家では飾れなくてと下さったそうです。
 「これ子どもが何人いるかわかりますか」「う~ん3人いや6人?」「そうですよ」
 中国の子ども(唐子)の姿です。幼い子どものこの「からこ」模様は日本でも陶器などでも良く見かけますね。
         
        からこ
 
 これは掛け軸に設えてありますが、画の部分をトリミングしました。
 調べて見ますと中国河北省武強市で製作された年画だと分かりました。
 子どもの上に九九歌と言う字とその歌が書かれているのが分かります。この九九歌は童謡のように子どたちが覚える歌のようです。
 この歌は冬至から九日ごとに春へと向かう様子を歌い、春を待つ人々の心が分かると言うものです。
 北京で歌われてた古い童謡のようですが、果して今の北京では歌われているのか どうでしょうか。

   一九二九不出手、三九四九冰上走。
   五九六九河辺看柳、七九開河、八九燕来。
   九九加一九耕牛編地走。

 
 意味は下記のような内容です。
 冬至から「数九」が始まります。「数九」とは九日間ごとを一つの「九」とし、「一九」「ニ九」と九つの「九」まで数えることで、これによって、天気の変化や冬に別れを告げて春を迎える気持ちを表しています。
 
   一九ニ九は、寒くて袖から手が出せない。
   三九四九は、川が凍って氷上を歩いているよう。
   五九六九は、川辺で柳を観賞する。七九になると川が溶け、
   八九になると雁がやって来る。   
   九九にもう一つ九を加えれば、辺り一面、牛が田畑を耕すようになる。
  
 
   寒い地方の人々春を待つ気分が分かりますね。

 ところで今日は9月9日 
 九月九日は中国では旧暦で重陽節と呼ばれる日です。九は陽数と言われ、未だ先があるので最高に近い良い数字だと言われます。十は頂点ですから、必ずしも良いとは言えないようです。頂点になれば下り坂となるからだと聞いております。
 今年は10月23日になります。子ども頃に重陽節には盃に注いだ酒に菊の花びらを浮かべて飲むと聞き、なんて優雅なことかと思ったものです。確かに日本の重陽節会ではそのようなこともあったと記されております。
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ある蕎麦話し

 昔そう遥か昔 都内で蕎麦やうどんを食べるには「旅行者用外食券」という物が要りました。これは区役所や町役場などに行き、配給されるお米の分から減らされて発行されます。一日分は3枚です。外食券食堂と言う店では一枚で一食食べることが出来ます。ですが券が無ければ10円位多く払えば食べることが出来ます。
 お若い方には想像外の話かも知れませんね。
 駿河台に「ときわ」という蕎麦屋がありました。今もありますが、昔と違いチョッとお高くなっていますね。
その「ときわ」当時は冴えない店です。千葉の大学に通っていた同郷の友人がやって来ましたので、10円を奮発して「ときわ」でもり蕎麦をご馳走しました。
 彼はそれまで一度もこの箱と言いますか竹のすだれを敷いた入れ物ですね。それに盛られた蕎麦を食べたことが無く、困ったそうです。私がどうするかをジッと眺めていたのでしょうね。そして蕎麦汁を付けて食べると知ったそうです。
 ブロ友のEGUTI YOUSUKEさんの住む信州はもうそろそろ蕎麦の取り入れかもしれませんね。先日は蕎麦畑の写真が何枚もアップされておりました。空も真っ青綺麗です。ご覧ください。

      信州の蕎麦畑

 で彼ですが、そのことをずーっと覚えていましてね。多分今も覚えていると思うのですが「俺はよ~もう凄いな~って分かったよ」と今までに何回も口に出すのです。もり蕎麦の食べ方を知ったのが衝撃的だったようです。彼の家は裕福ですし、美味しいものを食べていたと思うのです。最も町に蕎麦屋とかうどん屋はありませんでしたがね。
 でその自称田舎者の彼 機械の専門家でボタン製造機をイタリヤから輸入する会社を経営しておりました。今はご子息に任せて悠々自適の生活。尺八は名取 言葉は英語は勿論イタリヤ語、ドイツ語、韓国語と操ります。
 ボタンは女性のファッションと大いに関係があります。ですから彼と会うとその洋服が何時頃屋流行った物かが分かるのです。それを避けるため私は出来るだけチィナドレスで出掛けます。
 
  文学部で英文学を教えていた青沼一郎先生 この先生は信州育ち 蕎麦に拘りがありましてね「あなた種物何て蕎麦じゃありませんよ」ともり蕎麦一辺倒 それも小川町の「まつや」がご贔屓でした。仕事部屋で種物の出前を取り、そこに先生が現れようものなら、丼を隠したい気分になったものです。

 友人のご主人は武田繁太郎と言う作家でした。彼女の家に遊びに行きますと、繁太郎さんは必ず書斎から出て来てお喋り。そして良く蕎麦を茹でて呉れました。それが講釈が多のですよ。どこそこの蕎麦だとか、茹で方がどうだとかね。私は自宅で仕事をする人の家族って大変だな~と思ったものです。
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優しい言葉と素晴らしいお見舞い

 親しくお付き合いしている若い男性 安西創さん そうですね。知り合ってから随分経ちます。 
 安西さんは中国語は普通語は勿論広東語も使い分け、また英語はこれまた立派な物です。
 昨年2月 東海大学校友会館で催した内藤敏子さんのチターの会にお越し頂き、以来お目にかかっておりません。
 安西さんの様子はHPブログで拝見し、オオ!頑張っているわと何時も応援気分です。
 今朝大きな袋が届きました。づっしりと重いのです。名前を見ましたら安西創さんです。
 思いもかけず素晴らしい物が次々出て来ました。

     安西さんプレゼント1  安西さんプレゼント2

     安西さんプレゼント3  安西さんプレゼント4

 中国関係の書籍 それも服飾関連が中心で私への心が分かります。
 一緒に送られて来た手紙 
 咳が出るとしり、電話も出来ず案じております。心ばかりのお見舞いを送りますので、出歩くに涼しくなるまでの慰めとなりましたら幸いです。とあります。なんて優しい心遣いでしょう。
 お見舞いと言いましても私にとっては貴重な有難い物ばかりです。有難く頂戴いたします。
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自家製鮨シリーズ 第17回 と関心事

 8月25日の発熱から食事の世話を夫がして呉れていました。普通の男性ですから特に何かを作るとか、何処かに美味しい物を探しに行こうかなんてことはありません。後20日で80歳になる人を責めてはいけませんね。
 テーブルに出して呉れて、食器を下げ洗って呉れる。それでも有難いと思っています。
 昨日は久しぶりに夕食は自家製鮨を作り、メバルの煮付けと練り物、それに残り物でしたが、何となく内の味っていう感じですね。
 体調が悪くない時の鮨が幾皿かありましたので、体調が復活しますと溜まって仕舞いますので、今日はアップしましょう。

     かつお・いわし  バチ・カンパチ・とり貝・ボタンエビ

              鹿児島の鰹握り

     真鯛・鯵  金目鯛

     昨日のは鯛の刺身5切れと鯵一尾を使った左の一皿です。

 今の関心事は先ず体調の回復ですね。月曜日の午前にとりでに行き診察を受けましたが、肺炎も心配なく安心しました。毎週月曜日の午前中に行きます整体の先生に、事情を話しますと整体も出来ますよと仰いましたので、火曜日の午後に治療をして頂きました。
 目下私は全身の整体と、足つぼを中心とする下肢の整体を受けています。上半身や首などの治療の後、ベットに仰向けになり、下肢を片方づつマサージをして頂きます。そして足裏全体を強く押したり、ひっぱたりして貰います。足の指の先端のも刺激を与え、強く引きます。
 相当時間を掛けて下さっています。最後は熱い蒸しタオルで綺麗に拭いて下さいます。
 治療院のパンフレットに掲載されている足の裏をご覧ください。

              足マッサージ

 今朝友人から電話がありました。とても心配してくれています。話している内「ところで足の痛いのを忘れていない」と聞きます。「そう言えば大分良くなって来ている感じだわ」
 「あのね。他に痛みが出ると、先のを忘れるんだってよ。そうかもよ」と言います。本当にそうだと良いですね。完全に治って欲しいですよ。
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人並みに心配

 8月25日の午後発熱 救急で病院に駆けつけ診察をして頂きました。診て下さった女医さんが「薬を出しますが、それで良くならなかったら呼吸器内科に行って下さい。月曜日の午前です」と仰いました。
 ところが咳も続いて出ますし、痰も出ています。良くならなかったらってどういう事かしらと思いおもいながら臥せっておりました。9月1日に義弟の納骨を控えておりましたので、30日に掛かり付けの先生に診て頂きました。
 「悪い時を10とすると今の感じは幾つ位だと思いますか」「3位ですね」
 「チョッと背中を見せて下さい。出掛けても大丈夫ですね」「有難うございました」
 ところが31日の夕方熱が37.4度まで上がっています。で1日はやむを得ず失礼をし、寝ていました。

 病院の呼吸器内科の紹介を読みますと、咳や痰が続き、そこから発見される病気も良くあると出ております。
 いや~私も老人ですし、人並みに病気は嫌ですよ。そこで昨日の午前に呼吸器内科で受診しました。担当は松岡栄亮先生です。
 先生曰く「風邪はそうピタッと直ぐに治るものではないんですよ。長く掛かると思って下さい。先週熱が出たそうですから念のためレントゲンを撮りましょ」となりました。その結果
 「肺炎も起こしていませんし、今の状態では心配はありません。薬を出しますから飲んで下さい。また熱が出ましたら何時でもいらっしゃい」
 で薬を貰い帰宅しました。

 現金なもので、薬を受け取った時間が昼時 お腹が空いています。で取手駅のビルで食事をしました。
 前に懲りたので、今回は蕎麦屋にしました。品書きを見ますと鍋焼きうどんがあります。冬ではないので念のために聞いて見ますと、あると言うので予てからの念願の鍋焼きうどんを食べました。

        鍋焼きうどん

 昨日お世話になったのはJAとりで総合医療センターです。25日に診察を受けていましたので診察券は持っていました。先ず診察を受けるために診察券を自動受付機に入れます。内科の番号札を持ち、内科の受付に行きました。そこで呼吸器内科で受診したいと告げましたら、呼吸器内科の番号札を渡され、呼吸器内科の診察室の前で待ちました。これまでの時間はほぼ30分ほどでしょうか。それから待つことほぼ30分。そして診察。
 レントゲンを取るために案内の表示に従い行きますと、25日と同じ場所。同じ技師です。何だか親近感が出て来ました。これは私の弱点
 放射線室の受付に内科からの用紙を出しますと、数秒で撮影が出来ました。それから呼吸器内科の診察室の前で待ちました、これが40分位でしょうか。
 大病院で診察や治療を受けた経験と全く違います。
 患者を待たせない。案内も素早い。医師も看護師も穏やかで、優しい。

 この病院は前は取手協同病院と呼ばれておりました。そして新聞紙上などで屡この病院の治療の質の良さや、サービスなど。総合的に上位にランク付けされていました。
 千葉県では鴨川の亀田病院、国保旭病院が上位で紹介されていました。病気になれば取手に行こうとは思っていましたが、普段は掛かり付けに先生にお願いし、ことあればと心に留めていました。
 今回2回の受診でそれを実感しましたね。僅かなことですが、先生が患者の気持ちを確りと捉えて下さっていると言うこと。これは大きいですね。

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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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