2012-10

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鶏肉の空揚げ

 二人の食事ではカツやコロッケ、また天ぷらなど滅多に揚げることはありません。
 ところが先だって昔のレシピを目にしたことで、何となく中華料理を偶には作ろうと言う気分でおります。
 必要な道具も調べなければなりません。今ある大きな中華鍋より、小ぶりの物があれば便利だと探しましたが、近所のスーパにはありません。台所を改造をした時、ガス台も替えたのです。ところがそのガス台は中華鍋の座りが悪く、中華五徳を買い、それで料理をしても、ガス器具の感度が良く、五徳がどうも上手く行きません。
 そこで軽いフライパンを買えば良いだろうと、チタン製のフライパンを買って来ました。
 軽くて頼りない位です。余りの軽さで、確りと取っ手を持っていなければなりません。おまけに良く見ましたら、いため鍋とあり、揚げものは出来ません。そこで他の鍋と取り換えに行きましたら、全部揚げ物には不適格です。
 揚げ物には鉄製が適していると言うことで、ある鍋を使って行くことにしました。
 昨日は人数も増えての夕食でしたので、久し振りに鶏肉の空揚げを作りました。
 大きな中華鍋を使わず、セラミックの土鍋を使い、油も余り無駄にしないように揚げました。ザ―レンはあるのですが、鍋を小さいのにしましたので、似たような穴空きの物を使いました。
 
 鶏肉は我孫子で有名な小柳さんに行き、腿2本を骨付きで切って貰いました。
 大きな腿2本で540g

 準備 
 ボールに鶏肉を入れ、 そこに塩 小さじ2 胡椒 小さじ1 酒 少々を加え良く手で揉みます。
 そこへ小さめの全卵一個を溶いて加えます。また良く手で揉みます。
 良く調味料と鶏卵が混ざりましたら、片栗粉 大匙 2を加え、更に手で良く混ぜます。

 揚げ方 
 油を熱し、余り高温にならない内に先ず鶏肉を入れます。鍋に合わせた分量でね。
 油の温度が上がって来ますと、鶏肉が少し色づいて来ます。
 そこで鶏肉を網杓子(大きな鍋でしたらザ―レンで)で掬い網を持ちあげて鶏肉を空気に当てます。
 何回か網で掬い、空気に触れさせながら、鶏肉を強く叩きます。叩くのは中華の丸い重いお玉だと良いのですが、代用には出来るだけ重いお玉を使いましょう。
 こうしますと、鶏肉の繊維質が破壊されて肉離れが良くなりますし、肉も柔らかくなります。

       肉を叩く

 丸い中華お玉が見つかりません。今回は仕方がなく、返しヘラで叩きました。これは重さが足りなかったですね。でも程良く食べることは出来ました。

      空揚げ

 私はそのままで食べることが多いですが、レモンを掛けたり、花椒塩をつけるのも美味しいです。
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鯛とヒラメ

 昨日何かとお世話になっておりますゴルッテリアさんから大きなヒラメと鯛を頂きました。
 魚はお友達が千葉の大原で釣った物だそうです。
 
 大原は銚子と勝浦の間にある港町です。昔は夷隅郡大原町でしたが今はいすみ市大原らしいです。
 大原の北に日在という名の場所があり、40年ほど前ハゼ釣りに何回か行きました。大原日在というだけで懐かしく感じております。そこには井伏鱒二さんの荻窪の自宅を貰って来た所一哉先生が井伏庵と名付け住んでおりました。隣にセカンドハウスを建て住んでいた松山亮次郎先生のお招きで行っておりました。
 チョッと前置きが長くなりましたが、大原と聞きなすと夫の鯛釣りを思い出します。
 船に乗り鯛釣りに行くと言うのです。そう確か2回行ったと思います。
 その鯛釣りの餌がエビだと言うのです。それでよく言われるエビ鯛とはこのことかと思ったのですが、本当はどうでしょうか。

             鯛ヒラメと

 これが頂いた鯛とヒラメです。ヒラメは約40㎝ 鯛の色が輝いています。
 
    ヒラメの握り  鯛塩焼き

 昨夜は上のヒラメの握りと鯛の塩焼きで楽しみました。握りの手前二貫はえんがわです。正真正銘のヒラメの縁側ですよ。何年ぶりでしょう。美味しかったです。

    ヒラメ刺身  ヒラメ昆布ジメ

 ヒラメの刺身は今夜頂きます。昆布ジメは明日の夕食にと作ってあります。

 内緒ではない内緒 昨日カジカがまだあるかどうかを見に行きました。
 「お母ちゃん 今日は何すんの」「今日はね。大原からヒラメが来たのよ」
 「持って来な。下ろしてやるから」「そうじゃお願いしようかしら」
 「遠慮要らないよ」
 ということでヒラメの五枚下ろしが出来たのです。ゴルさんご免なさいね。
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チビ孫近況

 二女の娘は一人っ子です。この子とお会いした方は何かと驚かせられると思います。
 一昨年の誕生日のプレゼント トカゲはこの夏原因は分かりませんが突然亡くなってしまいました。
 今年の誕生日まで待ち、また欲しいのでと言われておりました。
 9月も過ぎ、誕生月の10月に入りました。トカゲって何時言いに来るのかしらとか、本当にまたトカゲかねと話しておりました。
 ところが何も言って来ません。諦めたのかと思っておりました。
 3日ほど前、急に「E-Roadエアートサンド」という遊び道具をプレゼントにと言いに来ました。
 通販であると言いますので、アマゾンで探しました。直ぐに分かり注文。翌日夜遅く届きました。
 私は荷物を見ておりませんので、大きさも重さも見当が付きませんでしたが、夫には結構重かったようです。
 夜チビ孫が受け取りに来ましたが、軽々持って持ち帰ったそうです。
 昨夜その何とやらを見に来てと言いますので、夫と見に行きました。どう言う物か知らずにいましたからね。

     砂遊び1  砂遊び2

     砂遊び4

 砂遊びのセットだったのです。ですがこれは凄いのですよ。ご覧になって頂くと砂らしき物が見えますでしょ。
 この砂は軽く、粘らず、固まっても形は崩そうと思えば直ぐに崩せます。砂のようにさらさらと零れ落ちません。雲を掴むと言いますか、フワフワとする砂は手に重さを感じません。ローラーで平らに延ばすこともでき、うどん状の物も出来ます。
 私にはアイスクリームを作って呉れました。
 この子の良い所ですが、非常に想像性が豊かですので、トカゲより此方の方が良かったです。

 昨夜この砂場を見に行く前、孫と二女とがやって来ました。大きな卵のような物を抱えています。
 「ば~ば触っちゃあ駄目」「何で」「ダチョウの卵なんだから」「どうしたの」
 「今日昼間イト―ヨーカド―にダチョウ王国が来たの」「ええ?あの可笑しなお笑いの」
 「それはダチョウ倶楽部。今日のはダチョウ王国からダチョウが来たの」「そうそれは失礼しました」
 良く聞きましたら、この親子は近くのダチョウ王国が好きで、よく遊びに行っているそうです。
 で昨日はイベントでダチョウが二羽、その他小動物が見えたそうです。
 ダチョウ王国ではダチョウの空の卵に画を描かせているそうです。昨日は20名の子どもに画を描かせて呉れたそうです。孫は抽選でかどうかは知りませんが、描くことことが出来たそうです。
 その作品が以下のような物です。

      バカ殿1  バカ殿2

      バカ殿3  バカ殿4

 まず普段見ているテレビは何でしょうと言われましたら、私でも分かります。殿と言う字はまだ教えて貰っていないそうですが、間違いなく書いてあります。物真似が上手ですから、少し前までは良く笑わせて呉れていました。

 最近はダブルダッチにも熱が入り、都心での競技会にも出掛けております。
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初めてです

 魚好きな私 子どもの時から干物は骨付きの片身、煮魚や焼き魚はなるべく頭の方 ヒラメやカレイの縁側は時間がなくても綺麗にと熱を入れて食べます。刺身は大抵食べられます。
 その私 知ってはいましたが食べたことがない魚 カジカかに出会いました。
 昨日何時ものように一階の魚屋に行きました。
 「お母ちゃん これこれ」「何よ ええ 何何」
 「ほらこれだよ 問屋から押しつけられてよ。持って来たんだよ」「カジカ?凄い」
 「お母ちゃん持って行って呉れるかね」「でも大きいね。食べ切れるかしら」
 「鍋にしたら?」「じゃ買いましょ」
 「負けて置くからね」「小父さんも大変だね」
 「そうだよ。要らねえって言ったらよ。こっちが今度頼んだ時、知れねーよ。じゃ困るだろ」
 「そうだね相対だものね」

 と言ったやり取りで初めてカジカを手にしました。二尾ありましたが、今日も一尾残っていました。
 「小父さん これどうするの。切って唐揚げ用とでもするの」
 「う~んわかないな~。今日の様子で考えるよ」 明日も見に行こうっと。さあどうなるでしょうか。
 
     カジカ丸大  カジカ捌き

 丸のカジカは今日写しましたが、私の買ったのはチョッと小さかったです。
 
 昨夜は先ず水炊きにしました。香りのある野菜や椎茸などは入れず、カジカの味を楽しむという心算で、葱と白菜だけを入れて作りました。
 作る前に魚好きの長女にメールで知らせて置きました。鍋にカジカを入れようとした時、娘が来ました。何とタイミングの良いこと。
 3人で美味しく頂きました。ですがとても食べ切れる量ではありません。
 そこで今夜は豆腐だけを入れて味噌仕立て。PCで検索して見ましたら、味噌汁が一番と言うことらしいのです。
 それは本当でした。(最後のところだけ食べてから書きました
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お粥かオジヤかはたまた雑炊か

 育ち盛りの少女の頃 小学校5、6年生と言いますと食欲は実に旺盛です。ましてや女学校(今の中学)の1年生ともなりますとお腹には幾らでも入ります。
 1942年の晩秋に帰国した私は当時の日本の食糧事情など分かりませんでした。ただ帰国に際し乗船した船の中で船酔いをしてはいましたが、出された食事は見ただけで驚きました。ご飯は高粱混じりの酷い物でした。見たことも無かったご飯。神戸に着き下船。三宮から列車に乗り東京に向かいました。
 列車の中での食べ物は青島から持ってきたクッキーや甘栗 周囲の乗客の目が気になってそっと口に入れました。
 帰国後は父の実家で面倒を見て貰っていました。1944年女学校に入学し、両親がいませんので寄宿舎の寮生になりました。その頃の寄宿の食事はまあまあ何とか普通のご飯が食べられました。それでも粗末な物です。
 朝は丼のご飯、味噌汁、漬け物少々 生卵か煮物 そんな物です。お昼は簡単な丼物 夕食は一汁一菜と漬け物。でも舎監の教えで良く噛み、ゆっくりと食事を済ませました。
 1945年に日本は戦争に負け、両親と弟妹が帰国して来ました。
 それからです。日本国内では不作と人口増で食料は満足に手に入らなくなりました。
 我が家も人後に落ちないないように食糧確保に駆けずり回り、土地を耕し藷を植えたり、野菜を育てて何とか過ごしました。
  口に入る物は何でも食べたと言っても良い程です。その食品を家族全員で食べるのには嵩を増やさなければなりません。それでご飯 所謂主食ですね。これはお米より他の物が多く、今は雑穀なんて栄養面で食べるのですが、当時は押し麦や穀類以外でも何でも入れて炊くと言ったものです。
 白いお米は病気になりますと、お粥を作って貰えます。
 食事では粉食も当り前。うどんもですが、良く食べたのはスイトンですね。夫の疎開先佐賀ではだご汁(団子汁)だそうですが、スイトンは良く夕食になりました。その小麦粉もフスマの多い、色の悪い小麦粉です。
 スイトンと一緒に鍋の中は雑多な物が入っています。甘藷、南瓜、馬鈴薯、野菜、海藻何でもですよ。

 農家の子どもはとも角、普通の家での育ち盛りの男の子は何時も何時もお腹を空かせていたでしょう。
 そう言うことで、雑炊やスイトン話では夫と良く話題が通じます。
 今はそれが雑炊と言いますと、鍋物を食べた後に作ります。それも中身からして贅沢になりました。出汁も良く取り肉や魚それに野菜
 夕食に鍋料理をしますと、翌朝は雑炊です。雑炊はオジヤとも良く言われます。

 昨日の朝食に雑炊を作りました。仕上げに溶き卵を流し、温かいな~冬だな~と鍋を覗きました。

       朝食10月24日雑炊

 戦後間もなく池袋や新宿などで雑炊屋が繁盛したそうですが、これはそう長く続かなかったようです。都内では外食券食堂なるものが至る所にあり、そこでは旅行者用外食券というチケットを一枚出しますと、一食ご飯を食べることが出来ました。主菜はコロッケ程度。
 食料がないと如何に人間惨めな思いをするのか。これはいろいろな経験をしていますので、辛さが良く分かります。
 今こうして美味しい雑炊を食べられると言うこと。多くの人に感謝の気持ちを捧げるべきですね。
 
 
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ストレスかしら

 夏風邪はしつこいと聞いてはいましたが、まさか2か月近く治らなかったとは予想もしていなかったことです。
 風邪は治りましたが、どうも喉の様子が気になります。咳が出たり、声が涸れたりと言った症状が時々あります。
 昨日は先月受けた定期検査の結果を聞くと同時に薬も頂くために先生の診察を受けました。喉のことを話しますと逆流性食道炎の関係だと思いますよと。血液検査の結果は全て問題はなく、血圧132/73
 インフルエンザの予防接種を受けて帰宅しました。
 検査の結果も問題ないということは良いのですが、どうも喉のことは気なり、調べて見ました。
 そう問題はないようなことが出ています。ストレスでも起きる症状らしいのです。
 「ね~喉のことを調べたらストレスでも起きるって。私のもそうかしら」
 「何だって。ストレスって夫の暴力とか~~~~」
 「そうじゃないわよ。見えないこともストレスになるのよ。そうね。世の中のことかしら」
 「それなら皆ストレスを受けているってことだろ」
 「そうそう最近オカシイことだらけだものね」
 
 最近、最近でもないか 政治も?いや政治家かしら?何でしょうね。オカシイことが山ほどあります。
 朝刊のトップ記事を見て見ますと、一体どうなって行くのでしょうね。
 先だって山中教授のノーベル賞受賞(お母様は81歳・私も81歳)でワクワクしましたが、その後のニュースは余り嬉しいことがありません。老人でなければ楽しいニュースもあるんでしょうね。
 お婆さんは評論家ではありませんから、詳しく分析なんて出来ませんがね。これはどうも目が離せないことが多すぎますね。私のストレスの原因の何十分の一つかもしれませんね。

     朝食10月23日  朝食10月22日

     朝食10月21日  朝食10月20日

     朝食10月19日  朝食10月18日

 とに角酷い大臣が誕生していたものですね。歴代総理は適材適所と言う言葉を使いますね。野田総理はどうでしたかしら、多分言っていたのではないでしょうか。
 福島原発の問題はどうなっているのでしょう。詳しいことはネットで見ませんと分かりませんね。このような事態は何故でしょう。お婆さんは甚だオカシイと睨んでいます。
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孫の見えない運動会

 昨日は将に運動会日和 上々のお天気で運動会は矢張り秋が良いな~と出掛けました。
 二女の娘は小学校4年生 学校までは徒歩10分もあれば充分。遅刻することはありません。
 ご近所と言って良いでしょうね。
 この小学校は我孫子市根戸小学校と言います。児童数は最近発表されているのは1315人
 全国有数のマンモス校だそうです。
 この数年駅周辺にマンションが建設され、子ども数が急速に増えています。
 長女の娘の時は校庭も広々としており、運動会ではビーチパラソルをセットし、昼食もゆっくりと食べられました。
 昨日は午前8時半から開会式 競技は9時からとなっていました。
 とに角敬老席に座らなければ、とても見られる場所はないとうことで、8時50分頃校庭に到着。さすが敬老席は空きはありましたが一番前は満席 二列目に二人で並んで見ることが出来ました。
 子どもよりは家族の方が多いと言うのが運動会ならですね。
 我が家も孫一人に両親、長女と娘 それに私共二人食事は7名 こう見ますと校庭は場所取りですね。今は校門を開けるのは当日です。私たちが到着した時には既に至る所にシートが敷かれ、椅子もあちこちに置かれています。

 競技は小学校の運動会らしく、いろいろ組み合わされています。ですが一学年の生徒が多いですから、孫いや孫だけではなく、どの子も出番は3回位です。
 プログラムで何をするかは分かっております。デジカメも持ち、それなりに写そうと思っていました。
 所が敬老席に座っておりますし、席から離なれることは不可能です。
 孫の集団競技もダンスもその立つ位置すら見えません。競技が終わるたびに拍手をしますが、とうとう孫の全種目姿を見つけることが出来ませんでした。
 座ったままですから、どうしようもありません。それに老人は目が悪いのですね。普段の生活では特に遠くを見るなんてしませんから、まさか孫を見つけられないなんて考えもしませんでした。

     根戸小運動会開会式  根戸小生徒数

     運動会親たち  運動会ソーラン節

 敷物を並べ、席が取ってありますね。これはほんの一部です。校庭の回り、校舎の蔭、また校舎の一部が開放されています。グランドの中だけは誰も入ってはいません。
 これはおおごとですよ。マンモス校の運営は本当に大変なことだと、お婆さんはこれまた心配して仕舞います。
 校長先生の挨拶では子ども達は2週間で練習をしたと言われました。子どもも偉いし、指導する先生方はよくぞここまでなさったと感心しました。
 我孫子市では根戸小の生徒数や市東部の生徒の減少問題を含めて学校の改善を策定しているようです。適正規模までは無理でしょうが、何とかこの児童数を少しでも緩和をしたいと考えているようです。
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そば雑炊を試す

 この16日に朝日新聞夕刊は「ふるさとfood記 平家伝説彩る秘境の味」とタイトルで徳島県のそば米雑炊を紹介しておりました。

           秘境の味朝日夕刊

 たまたま何時も勉強させて頂いていますブロ友のちゅんごさんからそば米を頂いておりました。
 
 朝日新聞の記事から見ますと日本三大秘境の一つとされる祖谷地区は、平家の落人伝説に彩られている。平清盛の甥国盛が安徳天皇を奉じて吉野川をさかのぼり、現在の三次市東祖谷阿佐に落ち着いたとあります。
 祖谷そばは標高400~1千mの斜面で作られ、寒暖の差が激しいために粒が小さく甘みが強いのが特徴だそうです。
 水田が少ない祖谷で、そばはハレの日のふるまいに欠かせない料理だそうです。

 ちゅんごさんの送って下さったそば米の袋に書かれている説明
 阿波のそば産地は栄華をきわめた平家一門も源氏のため壇の浦に亡び、阿波の山村平家の落人武者部落祖谷地方でつくられ昔はソバ米、ソバ粉、ヒエ、粟、トウモロコシ、キビ等が常食でありました。
 そば米は正月元日、婚礼、棟上げ等祝の膳に欠くべからざる吸物料理であります。と書かれております。

 今日は生徒も見えないので、このそば米を使い、そば雑炊を作りました。
 そば米は玄米と同じ様に玄そばから作られています。玄米と同じく回りを剥いてあるものですね。
 初めてのことですので、どれ位に増えるのか、どの位茹でれば良いのか分かりませんでしたが、とに角作ってみようと、始めました。茹でる時間も掛かりましたが、嵩の増えようには驚きました。それはそれで冷凍して置こうと思っております。

          そば米

 そば米の袋に書かれた調理法と新聞に書かれていた作り方を参考にし、今夜の夕食にと作りました。
 具は戻した椎茸、鶏肉、豆腐、人参、大根、かまぼこ。吸い口にスダチ
 出汁は何時もと同じ、昆布、削り鰹節の和風の出汁。吸物料理とありましたので、味は私の吸物味。

        そば雑炊

 説明に依りますと、汁より具を多くとあります。これは盛り付けにチョと上手く行きませんでしたが、自分なりに盛り付けました。美味しかったですよ。何だか嬉しくなって夫に得意になって出しました。
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刀削麺

 先だって来 長女が見つけた刀削麺の店 
 「ばーば美味しいよ。店の中で中国語が飛び交っているよ。刀削麺の店だよ」
 「刀削麺 それは行きたいね」となり一昨日長女の運転で二女と夫と私の妹と柏に出掛けました。以前美味しいコーヒーを飲ませる所にその店は出ていました。
 刀削麺は中国山西省の麺として有名です。小麦粉の大きな塊を肩に載せるように抱え、お湯が煮立ぎった鍋に麺を飛ばせて茹でる。
 実はこの刀削麺を削り落とす削麺刀が欲しく、中国語の老師にお土産はこれにして下さいなんて勝手なことを言っておりました。ですが北京では簡単に手に入らないかも知れませんね。おねだりは無理でした。
 最近都内でもこの刀削麺の看板が目につきます。そう考えますと横浜中華街や池袋、あるいは合羽橋でも買えるかも知れません。で買ってどうするのかと言われますと、チョッと困ります。
 知りたがり、見たがりですから、気分はその刀を手に入れたら、もう気分は済むのかも知れません。

 一昨日の店は天外天刀削麺と言う店です。店内で削る様子が見られろと良いな~と思って出掛けましたが、それは駄目でした。各人それぞれ何にするかを決め、頼みました。私は焼き刀削麺

      麺

 所が私のイメージの麺とやや違うのです。何だか変です。で検索して見ました。凄いですね。この刀削麺を茹での姿を見つけることが出来ました。それも一昨日行きました店のです。
 「食べログ」というのです。でそこからお借りしましょう。麺の長さが良く分かりました。
 安藤百福さんの「麺ロードを行く」に依りますと一秒間に二、三片削れるようになるとプロですとあります。
 この説明を読みますと、次回は削る所を是非見たいものです。
 
      天外天刀削麺茹で

 随分昔、都内のある店で(名前がどうしても出て来ません)刀削麺を削る体験をしたのです。その時のは一昨日食べたような長い麺ではありませんでした。素人ですから私の削ったのは駄目ですよ。でも食べたのはそう長い物ではありませんでした。ということで先入観があったのですね。

      刀削麺体験

 山西省の省都は大同です。昔北京からの帰り私の隣に座った男性 彼は大同市政府の管理職、数人の部下と一緒に九州の大牟田市に出張だと言います。両市は姉妹都市だそうです。機内で話をしましたら、新幹線に乗るために先ず東京に行き、それから新幹線で九州に行き、九州から帰国すると言うのです。父がほんの一時大同に出張で行きましたので、親近感を覚え、成田に着くまでいろいろとお喋りをしました。
 といろいろな思いから刀削麺には特別なものを感じるのです。
 (あなた何時も特別な思いって言うわね。って言われそう)いろいろとご免なさい。

 参考 「麺ロードを行く」 安藤百福編 講談社 昭和63年3月5日 
     これは綺麗な写真がふんだんに掲載されております。
     眺めても楽しく、また巻末に紹介されている中国麺の作り方。
     資料としても読み物としても参考になります。
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激しいショックと感動

 昨年から大腿部の不調をしばしばブログ上でぼやいていました。具合がどうの、治療がどうのと。そのことを知った親しい中島公子先生から過日枇杷の葉を沢山頂きました。公子先生は明治大学学生相談室でご一緒した時からのお付き合いです。
 私の学生相談一筋30年間と言いましても全てが順調ではありませんでした。特に最後の5年ほどは長年の組織の中で、改善されなければならなかったこと、関係者の資質の問題、果たすべきこと、ありようの見直し、多くの問題が一度に押し寄せ噴き出たような日々が続きました。
 某教員の目指す方向に振り回され、立ち上げから関わった私への攻撃もかなり厳しいものがありました。
 当時の学生相談室は大学の中で確たる位置付を保障されていなかったことにも問題があり、私個人が激しく責められる筋合いのものではありませんでした。
 そういった状況の中で、中島先生は私を励まし、支えて下さり、退職する最後まで応援して下さっておりました。
 
 公子先生の二人のお嬢様は素晴らしい才能をお持ちです。特に二女の京子さんの活躍は目覚ましいものです。
 枇杷の葉と一緒に京子さんの新刊「地図集」と「のろのろ歩け」の2冊も同封されておりました。
 「地図集」は香港の作家薫啓章の作品の翻訳したものです。
 翻訳者は藤井省三先生と中島京子さんです。 
 まずこの本を手に取った瞬間 私は激しいショックを覚え、暫らくはジッと眺めておりました。
 中に一枚のコピーが挟まれておりました。文学のひろば 初めての翻訳とあります。これはブログで全部掲載するには長くなりますので、赤字の所をお読み頂けると有難いことです。この藤井省三先生の名前は中国語を勉強している方はきっとご存知だと思います。

     地図集  のろのろ歩け

 香港の作家薫啓章氏は全く知りませんでした。
 わき道に逸れますが今年のノーベル文学賞受賞者の莫言氏は随分前にNHKのラジオ中国語の講座でたしか鉄の子だったかでしり、山東省の高密出身だと知っておりました。父が高密に赴任していたことがあり、覚えていたのです。
 
 京子さんがこの作家と出会ったのは 京子さんがアイオワ大学の国際創作プログラムに参加した時だそうです。
 京子さんはそれ以来彼の作品を誰か日本語に翻訳して欲しいと願望をお持ちだったそうです。
 そして辿りついたのが藤井省三先生だったのです。その経緯は初めての翻訳でご覧になって下さい。
 
 こうした中で上梓されたこの「地図集」は香港の作家から直接翻訳した物としては日本では初めてのことだそうです。
 本当に素晴らしいの一言です。感動しております。

 中島京子さんと藤井省三先生の紹介をして置きます。
 特に京子さんのページの最後にある外部リンク2編は是非お目通しをして頂ければと思います。
 とても楽しく拝見することができます。

 激しいショック それは長年中国語を習っていながら、短編すら翻訳も出来ないという不甲斐なさでしょうね。
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青島の思い出‥3

 1941年(昭和16年)4月20日に下から2番目の妹が生まれました。上の3人は日本で生まれましたがこの妹は青島病院で生まれました。
 生まれた日の夕食 父は病院に行っておりましたので、日本から来ていた母の妹と使用人と夕食を食べておりました。叔母がすき焼きにして呉れました。突然停電 すき焼きの鍋の中が良く分かりません。勿論今になって見ますと何を食べたかは全く記憶にありません。
 妹のことに話が及ぶと必ず停電とすき焼きのテーブルが淡く浮かんで来ます。
 青島は牛の産地?だったのか日本に輸出していると聞いておりました。牛肉は安かったのでしょうね。冬は屡すき焼きでしたね。買いもの好きな私は若鶴市場と言う小さなマーケットにお供を連れて買い出しに行きました。
 肉屋の店頭に並ぶソーセージやハムはドイツの影響を受けており、実に美味しい物でした。
 
 妹が生まれる前に叔母は母の手伝いを兼ねて遊びに来ておりました。一昨年亡くなりましたが、若き日の叔母のハイヒール姿などは誰も知りませんでした。妹が生まれて暫らく経ちますと叔母は水先協会というところに事務員として勤め始めました。水先協会は元船長を務めた方が殆んどだとか、叔母は大事にされたのでしょうね。給料も可なり良かったようです。それまでは和服で過ごしていたのを洋装に替え、颯爽と出かけておりました。
 母は洋裁が出来ましたので、叔母のブラウスやスカートは母が縫っておりました。青島には日本の紡績会社が何社もあり、直営店もありましたし生地には不自由なかったと思います。細かい柄のブラウスは若い叔母に良く似合っていました。

 1941年の秋 父の勤める会社の藷掘りがありました。郊外の藷畑で社員とその家族で一緒に掘るのです。藷掘りの前に運動会も催され、大人も子どもも楽しみました。
 そして昼食後藷掘りをしようと畑に行きましたら、藷はすっかり掘られて仕舞っておりました。誰が掘ったかは分かりませんが、会社の中国人の方ではないようでした。中国人も運動会に参加していましたからね。
 その日は記念写真を撮ったのですね。その写真は我が家にはありませんでした。引き揚げて来る時に、写真を捨てるようにと指示があったそうです。私たちの子どもの頃の写真は親戚にあるだけです。
 藷掘りの時の写真は偶然なことから私に送られて来ました。

     1941年秋

 前列一番右は弟 後ろから弟の肩に手を置いている方は父と親しかった田中愛蔵さん。
 弟から左2番目が私、その左が直ぐ下の妹。前列真中の可愛い丸坊主の少年は田中さんのご長男。この方が送って下さったのです。父は後ろの方でチョッキを着たワイシャツ姿。母がいませんから叔母がいる筈だと良~く眺めましたら私の後ろで顔を隠しております。
 この日に集まった全員ではないはず。ハッキリと記憶にはありませんがこれは半分位の人ではないかと思います。
 藷は先に掘られて仕舞いましたので、急遽一枚買ったようでそこで掘って持ち帰りました。
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偉大な功績

 10月8日 ノーベル医学生理学賞に日本と英国の二人の方が共同受賞をされました。
 連休最後の翌日は若しや朝刊が来ないんではないかと、気になっておりました。
 
 受賞の内容と言いますか対象はiPS細胞と言うことです。先だってちょっと新聞で目にしたことですが、凄いと言う言葉などでは表現しようもない、それは偉大な仕事です。
 日本の受賞者は山中伸弥京都大学iPS細胞研究所長 
 イギリスの受賞者はジョン・ガートン現英ケンブリッジ大学教授 

 iPS細胞(人工多能性幹細胞を作り出すことに成功したということです。難しいことですのに、何だかお婆さんにも何となく理解?出来る話です。話ですよ。その研究の事実ではございませんよ。
 ですがとてもワクワクする事柄です。
 数日TVはiPSとはと言う話が次々放映されます。受賞された山中教授の功績を称え、関係する諸機関や研究者そしてご夫人も紹介されました。
 その人となりや研究者として進んだ経緯やご本人の話される自己紹介に人柄が滲んで来ました。

 偉大なこの研究が多くの人の為に貢献すことは間違いないことでしょう。
 世界中の人、人類全部に貢献することになるのでしょう。真のノーベル賞だと思っております。

 NHK時論公論は「iPS細胞の受賞の意義」として谷田部雅嗣解説委員が記事を書いております。

 赤☆赤字は忘れて仕舞わないようにハイパーリンクして置きました。クリックしてご覧になって下さい。

      朝食10月9日

 歳の所為か頓に物忘れが多くなって来ておりますので、後になりますと、名前はおろか、あったことも忘れて仕舞いそうです。
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ためしたが駄目でした

 先日NHKのためしてガッテンを見ていました。丁度健康に関する内容でした。
 ビタミンDが不足するとどうなるかと言う話ですね。
 やりとりがあり、なかなか結論までに時間が掛かります。気の短い老人二人は「勿体ぶって。早く答えを出せ」なんてね。
 その症状を改善するか、予防するかですが、えのき茸を干して鍋に入れると良いと、干したえのき茸を見せて呉れました。
 その日えのき茸は売り切れているかもしれないと思っておりましたが、夕方一袋50円で並んでおりました。
 2袋買い、早速翌朝から天日に干しました。

      えのき茸

 陽気も鍋向きになって来ました。えのき茸を入れて鍋にしましょうと。材料を準備しました。
 そこで試してみようと、小鍋に出汁を入れて味つけ、そこにえのきを少し入れて煮て見ました。
 味も良く噛み始めますとコクがあります。ところがこれが偉いことになりました。一人台所で食べたんですが、歯と歯の間にしっかりと挟まり、簡単に取れません。
 何とか取り除かなければと、椅子に座り口を開け顔を曲げ、歯間ブラシと爪楊枝を使い手と指総動員と言った感じでほじり、押し、と惨めな姿です。指の届くところには指まで入れて摘まもうとするのですが、これも簡単には行きません。夕食の時間が迫っています。やっと全部を取り出すことが出来ました。
 こうですから勿論鍋には入れません。元々えのき茸は普段でも歯に挟まりますから使わないんですがね。
 事前に試してみて良かったです。本当に「ためしてガッテン」でした。
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富山からの届き物

 富山市に住みラーメン店を営んでいられる瀬戸さんとのお付き合いは7年にもなります。
 数年前富山での会合に出掛けた折りにお会いし、じっくり食問題についてお喋りをしました。
 食に対する姿勢は厳しく、自らの信念を貫き仕事をされていることで常に敬服しております。
 私の疑問にも詳しく教えて下さいます。
 瀬戸さんから送って頂いている味噌は材料も製法も全て納得行く物です。今回は味噌と一緒に富山湾の旬の魚を送って下さいました。
 朝一で買いいれて〆て血抜きをしたゴリゴリの刺身を食べて下さいというメールを頂き、楽しみにお持ちしました。

     富山の刺身

 お刺身に作られて届きましたのは、アオリイカとフクラギ(ぶりの幼魚35㎝サイズ)
 下に保冷剤を敷き、大根のケンも添えてあります。私の魚好きはご存知でしょうが嬉しいですね。
 
     刺身とお鮨セット

 これは生で食べるのが一番です。一昨日と昨日の二回 夕食で頂きました。身が実に綺麗です。アオリイカは細かく包丁を入れて食べ易くして下さっております。フクラギの身は確りとして濁りと言いますか、血が全く差していなく締まっております。勿論美味しかったですよ。
 瀬戸さんご馳走まです。
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旗袍あれこれ

 先日NHKの番組で世界遺産を取り上げ、タレントの方が自国の世界遺産を紹介しておりました。山形弁のタレントの方がアメリカを紹介。そして中国の若い女性の方が中国の万里の長城や西湖‥を紹介しておりました。
 その中国の若い女性の方が日本に来て初めてチャイナドレスを着たと話しておりました。
 ビックリしましたね。直ぐにNHKに電話をしたいと思ったのです。
 日本に来て初めてとは仕方がないとは思いますが、その旗袍のお粗末さ。生地は明らかに安もの、デザインは恥ずかしい程おかしなラインです。そして紐ボタンもうこれは許し難い程のお粗末さ。既製品の安ものの紐ボタンが理解しがたい位置に付けられております。残念でなりません。
 今でも残念さが続いております。機会があれば是非NHKに伝えたいな~と思っております。

 紐ボタンですが、これを私は若い時に習いました。確かに面倒なことですし、必ずしも付けなくても良い物です。私は紐ボタンはホックのない時代の役割としてとても大事なことで、旗袍に欠かせない物であったと思っております。
 生徒は手の込んだ旗袍を作る時には紐ボタンを付けております。
 作り方は沢山作ると上手に綺麗に作れるようになります。
 手順としましては
 先ずドレスに合わせて生地や色を決めます。そしてボタンの形を決めます。
 形に必要な寸法を考えて布地に糊を張ります。この糊の硬さは布地に実際に張って見てから決めます。
 糊を張った布地を正バイヤスに必要な幅で切って行きます。
 紐ボタンは掛ける方と受ける方とで一組になります。
 
     紐ボタン作り方  紐ボタン見本

 紐ボタンの作り方はテキストを良~く眺めて、何処がヒントかを覚えます。
 作り始めと形を整えるのが少し難しいですね。右側のボタンンは比較的作り易く、また使用度も高い物です。
  
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冬瓜双喜

 冬瓜双喜 冬瓜とハムの煮込み
 冬瓜を買おうとしますと、一回で食べ切れるような大きさの物はありません。ま~滅多に買う訳ではありませんが、それでも夏場は旬の物と言う事で買います。
 ご承知の通り冬瓜自体に個性的な味はありませんから、その味のない個性を活かして食べます。
 色も白さを活かして塩味にすることが多いですね。餡かけなども和食で良く出て来ますね。
 
 今回はハムとウズラの卵を合わせて簡単な煮込みにしました。

 材料
   冬瓜 3㎝幅の輪切りを2切れ  ハム 100g  ウズラ卵  10個
   スープ 100cc  塩 小さじ1杯半  砂糖  小さじ2杯
   ミルク 大匙 1杯  黄卵 1個 
      (ミルクと黄卵は合わせて溶いて置く)
  
 作り方 
   1 冬瓜を直径2㎝5㎜位の大きさに丸く切ります。
   2 丸く切った冬瓜は茹でます。
   3 ハムは適当な大きさに切ります。
   4 ウズラの卵は茹でて皮を剥いて置きます。
     (市販の茹でた物でも可)
   5 鍋を熱し、油少々入れて鍋に油を馴染ませます。
   6 スープ1カップを鍋に入れ、そこに冬瓜、ハム、ウズラの卵
     塩と砂糖も入れて弱火で2,3分煮込みます。
   7 次に水とき片栗粉でとろみを付けます。 
   8 とろみが付いたら火を止め、黄卵とミルクを合わせた物を流し込み
     一回しして出来上がりです。

      
     冬瓜

 冬瓜は丸くしなくても良いし、ハムもカニやエビに替えても良いです。
 簡単 安い 早いと言うコンセプトにピッタリです。

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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日85歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになりそうです。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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