2012-11

« 123456789101112131415161718192021222324252627282930»
entry_header

お妾さんと言う言葉を知った子ども

 中国の青島で過ごした家の斜め向かいに日本陸軍の将校の宿舎がありました。
 家屋は中国式でも、青島式と言うらしい中庭に井戸のある建物です。
 将校は4、5人ほどだったと記憶しております。将校と言いますと軍の専門職のようなものですね。所謂徴兵で配属された兵隊とは違います。
 その将校は朝には司令部?に出掛けます。服装も立派です。姿も子どもなりに引き締まった感じに見えました。
 将校には一人づつの当番兵が付いております。言うなれば付き人ですね。その当番兵は二等兵だったと思います。
 将校が宿舎を出て行きますと、当番兵は受け持つ将校の部屋の掃除や下着などの洗濯等を済ませます。
 午後は殆んど用事が無いようで、ほぼ毎日のように当番兵の何人かが我が家にやって来ます。
 目的の一つは将校の着る衣服の繕い物です。その衣服を持って来ますと母が修理をして上げます。厚物の修理はミシンでなければとても無理らしく、当番兵は母を頼りにしておりました。
 当時兵隊の給料がどれ位だったかは知りませんが、青島のような都会ではお金が足りないらしく、兵隊は我が家を受け取り人にし、日本の家族から送金をして貰っていました。
 当番兵の他に炊事係の兵隊もおります。和食、洋食は勿論お菓子も作ります。その炊事係の兵隊は母にとっては難しい料理の指南役でした。鶏の丸焼きも、クッキーの作り方も、我が家の台所で教えて呉れていました。
 母はそれで可なりいろいろな料理を覚えたようです。和菓子の練り切りやカステラも作りましたね。

 1941年頃の年末 当番兵たちは時々一升瓶を抱えて我が家に預けに来ます。酒保で買うんでしょうね。
 そして大晦日の日 我が家には当番兵が集まって来ます。そして酒盛りが始まりました。夜通し飲み続けています。両親は憲兵が回って来ないかと随分ヒヤヒヤしていたそうです。
 で将校はと言いますと、将校は将校で何処かに遊びに行っていたようです。宿舎には誰もいなかったということですね。

 兵隊は広島出身の方が多かったようです。話を継ぎはぎ思い出しますと、広島は宇品港から青島に来たと言っておりました。
 「広島お魚ツアー」と言う私の大好きなブログがあります。管理人はアナゴさんと言う方です。
 そのアナゴさん つい最近宇品をあちこち見学しておりました。
 写真を先ず一枚お借りします。

      旧陸軍糧秣廠

 宇品港についてはアナゴさんのブログを右の☆から入り下の方へとご覧になって下さい。→

 話は将校のことです。夏のある日の夕方 まだ明るい時間です。
 一人の将校 名前も覚えています。久我中尉と言いました。その久我中尉が和服の着流しで風呂敷に包んだ物を下げて何処かに出掛けて行きました。
 母が当番兵に聞きますとそれは久我中尉がお妾さんの所に行くので、お重に料理が詰められているのだと言います。横で聞いていた私は「お妾さん」なる者がどう言う者かを知ったのです。そのお金が何処から出せるのか疑問に思ったものです。
 第一戦で闘っていた兵隊と余りに違う軍人もいたのです。
 私は坊子に遊びに行った時 軍人でも甘い汁を吸っている人間がいると知ったのです。
 大きな組織はややもすると不正、腐敗が発生しやすく成るようですね。
 子どもの頃の経験がなせることからか私は何かを嗅ぎつけることに敏感になっております。不正が何処となく見えるのです。
 
entry_header

偽札を作っていた

 24日の朝日新聞夕刊は明治大学生田校舎にかってあった陸軍跡地のことを紹介しております。

        朝日11月24日夕刊

 生田校舎の敷地は戦後間もなく大学が購入  当時の大学理事だった方の話によりますと某OBから持ち込まれた話で、良い買い物だと言う方が少なかったそうです。その話をして下さった元理事は「良い物をお礼をしないで手に入れると言うことは、事後良い物を手に入れられなくなるんだよ。僕はあれは良い物だと思ったので、話を持ってきた男に~~万円を渡したよ」と言っておりました。これはある意味での至言だと思いますね。
 
   前に生田校舎の昔に付いて書きましたが、この校舎(と言えるかどうか酷い状態の時)に最初に行きました時、その敷地全体の荒涼たるとも言えそうな風景に驚きました。
 敷地に点在する木造家屋には帰国した教職員や戦災で焼け出された教職員が家族と一緒に住んでおりました。
 一番大きな建物は学生食堂でした。既に学生寮もあり、学生が数十人住んでいました。建物は何れも杉板を打ち付けたようなもので、寒さも一入の生活では無かったかと思います。大きな水槽のような物があり、そのプールのような水槽の屋根は半分崩れ落ちて無様な姿を見せておりました。今回の偽札の話から、あの水溜は紙幣の紙に関係があったものかも知れませんね。
 その生田校舎に1959年10月学生相談室が開設されました。駿河台と生田は和泉より半年後の開設でした。
 その建物は旧軍隊の使っていました酒保(兵隊の日常品などを販売する処)でした。上の写真の建物と作りは同じですがもう少し大きな建物でした。その頃その生田校舎の相談室の東北に隣接して牛小屋があり、窓から牛を眺めることが出来ました。
 校庭には農学部の実験農場が見られ、春には矮性のチューリップが並んでいたのを思い出します。
 一年に一回ほど生田校舎に行きましたが、校内は徐々に建物も増え、整備が進んで来ました。
 1987年に私は駿河台から生田に異動をしました。
 建物はそのままの古い物で、建物を支える柱が土台から浮いているような酷い物です。相談員の加藤隆先生(建築科教授)は事務長に談判 管理職の責任だと強く申し入れました。事務長は急遽相談室を他に移す手配をし、そこに移り仕事をしておりました。その後間もなく立派な校舎が完成し、初めて相談室も日の目を見ることになりました。

 偽札の写真を見ますと「交通銀行」と言う字に見えます。私が中国青島にいた頃の紙幣は連銀券と言われる、中国連合準備銀行の紙幣です。この連銀券は当時の日本の権益の及ぶ北支那で通用していた物です。
 以前調べて見たことがありますが、戦時下でも中国では中華民国政府の発行している銀行券の方が価値があり、レートはそちらが高かったようです。子どもの時は連銀券を中国の紙幣だと思っていたのです。
entry_header

久し振りのメカジキ

 一階の魚屋の小父さん 時々電話を下さいます。変った魚や大きな良い物等を知らせて来ます。
 時間が分かっていないらしく(私の日々のことは知りませんからね)午前に行きますと「何で早いの」
 夕方少し遅く行きますと「何で遅いの」などと聞きます。
 ある日など夕方行きましたら「お母ちゃん これこれ見てよ。これ持って行ってくれないかね」「良いのだね。でも私が来なかったらどうしたの」「電話をするよ」
 ま~嬉しいことですが、時には何だか買い過ぎたりします。
 「お母ちゃん お腹は二つ無いからね。食べ過ぎては駄目だよ」「じゃこれ止めようっと」「止めなくて良いんだよ。漬けこんで焼けば良いよ」ま~そんなやり取りをしております。

 昨日 「お母ちゃん メッチャ良いメカがあるよ」「どれどれ見せてよ」見せて貰いました。

      カジキ

 綺麗ですよ。身の様子も良いし冷凍ではありません。
 「お母ちゃん 何処が良いかい」「そうね右を一柵切ってね」切って貰いました。
  久しくメカジキは食べていませんでした。
 五分の二位を握りにしました。残りは今夜バター焼きか照り焼きにしようと思っております。

      メカジキ握り

 最近ワサビがチョッと刺激過ぎると駄目になりました。ですからワサビは少しにしております。

 話は変りますが、1999年10月 アナハイムのディズニーホテルに宿泊しました。
 夕食に太平洋の太刀魚とあり「へ~珍しい 私はこれ」と決めました。他の家族はお肉です。
 運ばれて来たのはお皿からはみ出そうな大きな魚ステーキ ビックリしました。
 確かに太刀魚は太刀ですね。カジキの先端が太刀のようですね。翻訳した方が間違えたのでしょう。
 それでこれは違うと説明しました。そうしましたら取り替えると言います。夜も遅かったので結構ですとそれを頂きました。
 ホテルは恐縮しお詫びにとワインやデザートをサービスして下さいました。思い出します。
entry_header

しょうもない二人

 齢80にもなりますと何かとおかしくなっています。身体はもう可なりガタが来ておりますが、頭と行動もまた然り。
 毎食の時は長いタオルにゴム紐を付けたエプロン兼ナプキン様のアブちゃんを掛けて食べます。
 以前は小ぶりのタオルでしたが、指先の動きが鈍くなり、箸で取った心算の物が、本人の気が付かないままに、落下して行きます。それで長めのタオルに替えました。このアブちゃん姿の二人揃っている写真を撮ったことはありませんが、写真や絵、また置き物などで見る優雅な翁媼のような姿とは程遠い実用本位の生活の姿です。

 とに角言い間違え、聞き違い、忘れもの探し。毎日繰り返しております。
 
 夫はノンアルコールのニセビールを飲みます。このビール詳しい分類分けの名前があるようですが、私は全く分かっておりません。そのビールを買いに行った夫
 「あれ アルコールが入っているよ。デザインが変ったな~と思ったが、やっぱり違ったか」とまた酒屋に行きました。店員さんが「お取り換えしましょうか」と言って下さったようですが、娘が飲むので取り替えることも無いと思い、改めて何時もの物を買ったそうです。そして帰宅
 「あれ?オマケを貰ったんだけれど無い。何処で落として来たのだろう」「見て来ましょうか」
 そこで私は普通に普段通るように見ながら歩きました。とうとう店の前まで見つけることが出来ません。
 で「あの~さっきオマケを頂いたようですが」と言いました。
 「はいこれですよ」と直ぐに出して渡して下さいました。店を出る前に落としているのですね。
 そのオマケ

       カルビーおつまみ

 このオマケをテーブルの上やPCの傍に置いて、なかなか食べずにおりました。
 「あんたよっぽどそれが好きらしいね」と言われましたが、我が家まずこういったスナック菓子は食べません。
 これを食べる前に写しました。何故か
 それは中国青島の日本人会の事務局長さんに見て欲しかったからです。
 池田さんはカルビーの現地法人の総経理(社長)を長くされ、青島在住の日本人としては四番目に永住権を得ている方です。
 青島に行きました時一緒に飲茶を頂き、楽しい一時を過ごしました。時々メールも頂き、過日の反日デモで破壊された青島ジャスコの写真も見せて下さいました。

 夫のことを笑えません。先日買い物に出掛けました。何となく何時もより足運びが楽なのです。暫らく歩きふと前に目を落としましたら、財布の入っているポシェットを掛けておりません。慌てて家に戻り肩にかけて出直しました。
entry_header

かつお

 かつお船の映像を見ますと実に勇壮な感じを受けます。一本釣りで釣りあげたかつおを後ろに投げ飛ばします。
 力がないと出来ない仕事です。当り前でしょうと漁師の方に言われそうですね。
 昔々と言いますと随分古い話になりますが、60年以上も前ですから昔でしょう。
 食糧難と言うこともありましたが、引き揚げて来た我が家出来るだけ現金を使わない生活に工夫をしておりました。母が本物志向で、鰹節も自家製です。
 自家製のかつおの材料は宗田かつおと言うかつおです。普通のかつおより品質が劣ります。
 秋から冬に向けて作ります。
 ハラワタを取り綺麗にしたかつおを蒸して、その蒸したかつおの身をそっと中骨から剥がします。出来るだけ綺麗にし、大きな網に並べて干します。干している内に姿がどんどん小さくなって来ます。
 確りと渇きますと最初の姿から考えられないほど小さくなって仕舞います。
 削るのも大変です。普通のかつお節と大違い。形も悪いので手に当てるのも苦労なんです。ですが今のような出汁の素なんてありませんから、長女の私の仕事です。
 
 先日下の魚屋でかつおの背の方が半値になっておりました。こう言う物を目にしますと買って仕舞います。
 少し刺身にして食べ、後は佃煮にしました。

      鰹佃煮

      佃煮の作り方
 
     かつお  300g 
     酒    100cc
     醤油    70cc
     味醂    50cc
     砂糖   300g
     根生姜   親指大 

 かつおを2㎝角位に切り分けます。鍋に調味料を全部合わせて入れ、火にかけます。弱火にして切ったかつおと刻んだ生姜をいれます。ゆっくりと煮ます。少し調味料が減ったら火を止めて冷まします。
 冷めたら再度弱火でゆっくり煮ます。また少し調味料が減りましたら、また火を止めて冷まします。
 三度目にまた弱火で煮詰めて行きます。出来上がり。上のパックの量が300gのかつおです。
entry_header

聞くまで待とうこの一票

 野田総理の突然とも言える衆議院の解散。
 報道を見ますと様々な意見、見方、憶測、判断等‥
 各党議員の発言を聞いても、全部がハッキリとしている訳ではありません。むしろハッキリと言わないようにも見えます。
 これは当然かも知れませんね。
 民主党の約束も反古になっているようなことですし、野党もいろいろと言ってはおりましたが、政策の中身は未だしの様子。
 長く感じられた最近の国政の無様なやりとり。
 さ~選挙ですよって言われましてもね。今までも考えてはいるのですが、間違いなくこの人にと言うところまでには至っておりません。
 
       朝食11月17日

 何を柱に据えてキチンと言葉で分かるように示して呉れるかで、出そろってから考えることにしております。
 何だか似たり寄ったりの政党が多く、小選挙区では選択の幅がなさ過ぎます。
 中選挙区制にでもして欲しいですよ。
entry_header

旗袍をあれこれ

 一昨日朝 長女から電話がありました。「6チャンネルを見て」とそれだけ
 朝ですから忙しいのですね。で直ぐにチャンネルを変えて見ました。 
 はなまるマーケットと言う番組です。偶に見ますがこのところ見ておりませんでした。
 
 そこで出演していたのはジュディ・オングさんです。
 テレビの中のジュディさんは旗袍姿 その旗袍が素晴らしいのです。娘はそれに気が付いたのでしょう。それで私に見なさと言って呉れたのですね。

      ジュディ・オング ジュディ・オング1


 この旗袍のようなデザインは初めて目にしました。布地がどう言う物か暫らく眺めて見ました。
 胸の切り替えや縁取り等から見ますと、オリジナルの物か、あるいは大型のスカーフのような物からの物か。
 何れにしましても市販の物ではないと思います。
 デザインも変った物ですが、何よりも珍しいことは模様です。中国の富裕層の家をモチーフにした物です。 
 右手の直ぐ上に灯りの笠が見えます。軒下に下がったランプシェードを見ますと、100年も遡ったような感じになります。
 格子のはまった窓 古風なたたずまいの中国の家屋です。縁取りも可なりレベルの高い方が縫った筈です。
 紐ボタンは金属の玉を使っております。これは特に珍しい物ではありませんが、この旗袍全体から見ますと実に良いバランスを取ったボタンと言えましょう。

 1975年から旗袍(チャイナドレス)を習い始めましたが、その後生地探しや、オーダーの店を探しに出掛けたりしておりました。その中で1978年頃六本木で可なり大きな旗袍の店を見つけました。
 それはジュディ・オングさんが開いた専門店でした。土地柄か舞台衣装や華やかな仕事の方が着るような物が中心で、生地もデザインも良い物でした。勿論値段もそれなりです。
 
 私たちの着たい作りたいという物とはかけ離れていたと言っても差し支えないような旗袍です。
 その店はそう長くは続かなかったようです。
 
 そういったことで、ジュディさんはきっと腕の良いお針子さんのいる処で作られているのだと思います。
 
 序で話 このはなまるマーケットと言う番組にはゲストが「おめざ」と言う美味しいお菓子などを紹介しますね。ある年のこと年間好評べストテンの紹介がありました。その日偶然見ていた私は驚きました。
 ベストワンに何と従弟の店ストロバヤのブランマンジェが挙げられたのです。
 これは私も大好きですが、友人達やチャイナドレスの仲間もとても気に入っております。

PS  今朝16日 娘が来ました。このドレスの模様はジュディさんが描かれた画らしいと始めに説明があったようです。
entry_header

常識らしきことと違う

 高齢になりますと若い時には気にも掛からなかったことがしばしば起きます。
 体力全体の低下は勿論ですが、これは老いたからかしらと思うこともまたあります。
 今年は厳しい長い夏でした。思いもよらぬ夏風邪に悩されたのがもうず~と以前のことかしらと思って仕舞う程日が早く過ぎて行きます。
 住むマンションは近隣のマンションの中では古いほうですのが、木立は大きく成長し、四季折々の姿を楽しめる良い環境です。

      11月8日晴れ

 天高く~~~とそれなりに美味しい物は次々目移りします。でも81歳はもう食べたくてもお腹が受け付けて呉れません。
 今では毎週整体の治療を受けに行っております。先日足マッサージを始めようとした先生
 「脛に傷があるけれど」  「痒くて夜掻いちゃいました」
 「それで掻きむしったのだ」  「そう 痒み止めを塗ったのですがね」
 「痒み止めを塗っても皮膚に滲み込まない」  「ええ どうして」
 「皮膚の角質が表面を覆っているから滲みこまないんだよ」  「ええ そうなんですか」
 「だから垢すりを買いなさい。100円ショップで売っています。お風呂で垢すりで良く擦る。きつく痛い位に良く擦る」  「ええ だって老人は強く擦ると皮膚の脂肪分が落ちて良くないと言うんじゃないですか。だからフワフワで洗っているんだけれど」
 「それは顔だけ。体は垢すりで擦る」  「ええ それで角質を落として良いのですか」
 「痒いのは空気の乾燥が原因」  「へ~そうなんですか。老人性の痒みだと思っていたのだけど」
 「垢すりで垢と角質を確りと落とし、それでクリームを塗りなさい」  「あの~韓国で垢すりをして貰った時、何だか凄くすべすべになったんですよ。それと同じこと?」
 「そう だから週に二、三回はそうしてみなさい」  「やってみま~す」

 早速100円ショップに行きました。いろいろあるのです。で一番ごわごわしたのを買って来ました。
 ネットで見ますと、脂肪分を落とし過ぎない、石鹸を使ってはいけない、いろいろとあります。一応今まで私も夫もそう言うことにならい入浴しておりました。でどうしたかと言いますと垢すりは買いましたから、擦ってみようとなりました。肌はすべすべになりました。乾燥すると出て来る白いかさかさも出ていません。
 ほぼ10日ほど経ちましたが痒みは出ません。不思議に思いながら擦っています。
 でも考えて見ますと秋から春先までの乾燥したお天気の時に痒みがでます。痒みは乾燥が原因だと言う先生の言葉は納得できますね。
entry_header

太秋柿と熊本赤なす

 熊本と言いますと昔我が家に下宿していた若い男性は熊本出身でした。
 父の勤めていた華北電電に入社し、青島支局に配属された方です。実家が熊本で朝鮮飴と言うお菓子の製造をされていると言うことで、時々日本から送られて来ました。
 勿論我が家も頂きます。白い求肥のようなお菓子でした。
 また青島羊会の会員で今は亡き日野猷子さんが水前寺から会合の時にお持ち下さる陣太鼓というお菓子を思い出します。
 先日熊本のあかちんさんのブログで太秋柿という柿を紹介しておりました。そこで口にしたことない柿でしたので、直ぐに買いに行きました。
 私は毎週九州から野菜を取り寄せており、熊本赤なすが好きだとコメントをしました。
 丁度赤なすがありましたので、並べてカメラに収めました。

        熊本の茄子と柿

 コメントの内容に間違いございませんよ~と言うメッセージを込めた写真です。
 
 この大きな柿はあかちんさんので見る値段と余り変わりません。剥いて食べみますと思ったより軽い味です。柿にしては品が良いのですね。柿ってもっと濃い土着の香りのする味が特徴のように思っていましたので、以外でした。

 赤なすは一本を三回で食べます。いろいろな食べ方もあるでしょうが、我が家では輪切りにして少しの油で両面を焼き、柚子味噌で食べるか、卵とじで食べるかが定番です。
 毎週必ずこの赤なすを注文します。業者は福岡ですが熊本産の野菜も入っています。小国のホウレン草も時々一緒に送られて来ます。友人の一人が小国の出身ですので、スーパ―でお会いすると小国から野菜が来たわよ~と報告します。
 またブロトモのBOO子さんも熊本ご出身だそうで、熊のキャラが最後に出て来ます。
 このところ熊本がとても身近に感じます。
entry_header

さ~大きな蒸し器を出しましょう

 富山は美味しい物が沢山あるのですね。富山ばかりではなく日本海側の福井や石川等でも魅力の食材や飲食店が紹介されますね。ズワイも解禁になったとか。
 蟹は美味しいですね。富山の瀬戸さんから沢山のワタリ蟹が送られて来ました。
 大きな箱には蟹の他にレンコ鯛とアオリイカも綺麗に処理されて入っていました。
 ワタリ蟹の数を見た私 直ぐに背を伸ばし高い所から蒸し器を下ろしました。

         渡り蟹1  蒸鍋

 ワタリ蟹は東京湾でも獲れます。富津は有名ですが、なかなか食べる機会には恵まれません。偶に機会がありましても食べられるのは一杯です。それが何と12杯ですよ。これは一刻も早くと、先ず全部を紐で縛りました。
 気を付けて洗い、蒸し器に並べて蒸しました。

     渡り蟹2  渡り蟹3

 美味しい物は皆で食べようと言う私の気持ちもあり、直ぐに娘にも連絡し、また日頃お世話になっている方にもお届けし頂きました。 
 蒸し上がった蟹は綺麗です。全部を蒸したのではなく、3杯は残して置きました。別の食べ方を考えようと思ったのです。ところがアイデアがうかびません。そこで翌日の晩に味噌仕立ての鍋にしました。
 蟹は時間の経過とともにどんどん痩せて来るのです。次の料理は鍋にしたのは正解でした。

     渡り蟹4  渡り蟹5

 イカはアオリイカです。老人は噛み切るのに時間が掛かります。そこでさ~と湯ぶりにしました。
 一皿は刺身同様ワサビ醤油で頂き、一皿は中華風サラダに作り頂きました。

     イカ湯引き  イカ中華サラダ

 鯛は火を通した物にしました。塩焼き、空揚げ、そして鯛チリです。美味しかったですよ。
 鯛は腸も抜き、一尾ごとに腹に血を吸う為の紙が詰めてありました。
 食に拘りと言いますか、信念を持ち続けている瀬戸さんならではと感激しました。

     レンコ鯛塩焼き  レンコ鯛空揚げ

              れんこ鯛ちり

 時間があれば鯛チリに入れる白菜なども見栄え良く、茹でてホウレン草を芯に巻きこみ入れたかったのですが、それはまた何かの折に作ろうと思ったことでした。
entry_header

何でしょうこの大臣

 つい先だって文部科学相の「三大学の新設認めず」というニュースが流れました。
 田中真紀子大臣は2日に大学新設の申請3件を不認可と決めたそうです。これは驚きです。
 大学の新設や学部増設等は文化省の大学設置・学校法人審議会が認可するとの答申を覆す異例の事態となったのです。
 不認可の理由はどう聞いても納得できるものではありません。基準に合わないのであればそれを示すべきでしょう。大臣の言葉は理屈にならないようにしか思えません。
 不認可の対象とされた三大学は来年4月開校を予定していたのですね。
 学生もそこへの進学を希望していた方も多いと思いますね。進路が決まっていた学生はさぞや戸惑っていることでしょう。三大学は到底承服できないと必要な処置を考えて、行動を起こすのではないでしょうか。
 大学の新設となれば設置基準に沿った内容で準備を進めて来た筈でしょう。
 認可の申請は毎年4月と決まっているようですが、申請をするまでには教育環境の設備も計画の中に入っていた筈です。文化省の担当部署と相談しながら準備を進めてきたと思いますし、そうしなければ出来ないと思うのですよ。教員も既に決まっていた筈、教員は直ぐに採用できるものではないと思います。
 専任教員を招へいする場合、他大学に席のある教員であればその大学を退職しなければなりませんでしょ。
 教師が退職を申し出ますと、その大学は新たに教員を募集することになると思うんですよ。
 三大学は教員を確保してある筈ですから、その教員の処遇をどうするか混乱を齎していると思うんですよ。
 他大学からの移籍となりますと、その所属する大学には既に退職の意思は伝えてある筈ですよ。
 将棋倒しのように教員の世界での混乱が出て来ると思うのです。
 設備には多額の費用がつぎ込まれていましょ。借入金でもあればこれまた大変ですよね。

      朝食11月3日

 今日の文化相の記者会見にはまた驚かされましたよ。私のような老人には~=~と頭の中で整理が付きません。
 新聞のトップ記事のタイトル
 不認可→未決 官僚が窮余の策 とあります。大臣は自分の発言への批判に消沈してると言うことですが、何故そういった発言をする前に、問題を整理し内容が妥当かどうかを考えないんでしょうかね。
 大学の質が云々などと言う言葉は場所を履き違えている言葉としか思えませんね。仮にそう言う事態があるにしても検討課題として取り上げるのなら良いですよ。
 呆れて仕舞いましたよ。大きな社会問題ですよ。

      朝食11月7日

 大事なことを言い忘れたと再会見をするとは、とても大臣の席に座る人ではありませんよ。
 大臣は言えば物事が簡単に進むとでも思ったのでしょうかね。この始末は誰がどう付けるのでしょうか。

追加 先ほどの報道によりますと三大学の設置は一転認可すると決まったそうです。
entry_header

知らなかった味

 富山の瀬戸さんから味噌と一緒に届いた箱
 何かしらと蓋を開けて見ましたらオレンジ色のキノコ ええ?色の綺麗なキノコって毒があるって言うけれど。
 瀬戸さんはそのような物を送って来るような方ではありません。
 手紙を開きましたらそれは「アカモミタケ」というキノコでした。
 調べて見ましたら、モミの木の下で見られると言うことです。
 食べ方は茹でたり焼いたりして醤油を掛けて召し上がって下さいとあります。

             アカモミタケ箱

 初めて見ますしこんなに沢山と驚きました。キノコって言えば食べたことのある物は、松茸、椎茸、シメジ、箒タケ、なめこ、エリンギ、ハツタケ、エノキタケ ま~そんな物です。で早速頂きました。

    アカモミタケ茹で  アカモミタケ炒め

    アカモミタケ網焼き  アカモミタケすき焼き

 今までに食べたキノコと食感が違います。表現が難しいですね。キノコらしい歯応えとも言い切れません。
 柔らかいのです。茹でや焼きは醤油で頂きました。炒めも迷いましたが矢張り醤油にしました。
 すき焼きは唯一濃い味ですね。どれも美味しかったです。瀬戸さん有難うございます。
entry_header

高さん講演会

 秋は文化祭・学園祭の盛んな季節 ここ我孫子にある中央学院大学でもあびこ祭(学園祭)が催されておりました。
 昨日は中央学院大学留学生会主催 共催:あびこ祭実行委員会の特別講演会が開催されました。
 
 「世界をもっと知り、真の国際交流や世界平和を考えましょう!」
 ~世界に雄飛せよ、これからの日本を変革する若者たちへのメッセージ~
  
  
  午前は「地雷から見た戦争と平和」
      ~本物の地雷に触れてください~
  講師 標 昌充氏
 
  午後は「ワールド・トラベラーが語る、世界250ヶ国・地域を旅して」
  講師 高 康治氏

 
 私は午後の講演を聞きに行きました。高さんは世界の人形館・館長としてプライベートミュージアム人形館を公開しております。そこには高さんが三井物産在職中に旅し、またその後も世界の国々を訪ねた記念の人形が展示されております。
 昨日の講演ですが、左右にスクリーンが準備され、講堂のどの位置からも写真が見られるようになっておりました。
 講演の内容は12Pにもなっている資料に添って進められました。
 はじめに 高さんが世界旅行での経験を総括的に説明し、その後
 1 この半世紀に世界で大きく変わったこと(東西冷戦が終わり、米ソ2強から多極化へ・アジアの目覚ましい発展・国際通貨の変遷・地球温暖化)
 2 世界の国の数
 3 忘れ得ぬ印象的な国・地域・スポットなど

 お話は準備された資料に添って行きますので、とても聞き易く、且つ有意義でこれから世界を旅しようとする方々には有益な内容であったことだと思いました。
 高さんは世界・250ヶ国・地域を廻られたのですが、その中で紹介したい場所を写真で並べ、世界地図を添付して、その写真、地図、そしてスクリーンで丁寧に説明をされました。
 詳しい内容をここでは紹介しきれませんが、高さんの世界の人形館へ足を運んで下さればきっと詳しくお聞き出来ることでしょう。HPやブログでも様々な国を知ることが出来ます。

    高さん主催者挨拶  高さん説明

   高さん説明2   中央学院大学門

              11月3日高さん国写真

 この写真は2枚ですが、上のは最初の一枚です。2枚に亘り皆さんに見て欲しい、行って欲しいと言う素晴らしい内容の説明がありました。写真の数字と地図上の数字がキチンとセットされております。 

 中央学院大学には3200名の学生が学んでいるそうですが、340名の外国人留学生が通学しているそうです。出身国・地域は中国・韓国・ベトナム・インドネシア・マレーシア・モンゴル・ミャンマー・ネパール・香港・台湾と10にもなるそうです。
 高さんの講演の準備には留学生の方が何人もお手伝いをして下さったそうです。
 最後に高さんは国際交流は民間でも交流が如何に大切であるかと締めくくりました。

 協力:中央学院大学「我孫子市がキャンパス」プロジェクト
 後援:我孫子市・我孫子市教育委員会・我孫子市国際交流協会

side menu

side_header

プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

フリーエリア

フリーエリア

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

MATERIAL

【背景、記事テーブル素材】
レースの壁紙
レースの壁紙 様

【素材の加工】
FC2blogの着せ替えブログ

Powered By FC2 blog