2013-03

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鮨のホルダー

 マイピクチャーに鮨のホルダーがあります。既に食べて仕舞ったものですが、ホルダーを開きましたら、現在126皿の鮨が並んでいます。同じ物が無いのが何となく気分が良いですね。

             鮨のホルダー

 上の画像は126皿の一部分です。時々これを開いて見ますと、欠点や駄目さ加減が良く分かります。
 その欠点は謂わば癖のような物ですから、どうも簡単には治りません。
 それでも懲りず、今日は130にしようと思い、四皿を掲載します。

     天然真鯛握り  バチ漬け握り

     湯びき金目丼  飛魚たたき鮨

 鮨屋ではありませんから、種が一種類と言うことが多いですね。大体刺身のパックの物を買います。時々小父さんお薦めの柵もありますが、小父さんと親しくても、何種類も混ぜてとは頼めませんね。
 今度他のスーパーで手巻き用にと切ってある物を眺めて見ようと思っています。多分それはそれで作り難いかな~とも思うのですが、鮨屋のチラシ風にすれば良いかも知れませんね。
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友台北より来たる

 台北に住む林さん明治大学に留学生として在学 学部から大学院に進み、その頃に私は彼と知り合いになりました。以来長くお付き合いをして来ました。
 私は台北に行く時には、必ず彼を当てにして出掛けます。そしてお世話になります。
 現在彼の家族は4人となり、ご長男は台湾大学法学部2年生。二男は高校2年生 なかなか優秀なご子息です。
 昨年11月には出張でJR成田線の安食での仕事を済ませた後、成田線で都心に向かう途中我孫子に下車、暫らくぶりに1時間ほどお茶を飲み、お互いの近況報告をし合いました。
 今回は台北へのチケットが取れず、半日時間が取れたと言うのです。彼は私の足の悪いこと知り、我孫子まで会いに来て下さいました。
 駅の近くの店に座り、お互いの近況交換は勿論、次から次へと話は進みます。中国旅行のことでは、笑ったり、感嘆したり、また呆れたりと感じるところ多しで、話は途切れません。良く話し、良く飲み時間は気がつかない内に長くなっていました。
 今回 彼の会社の仕事を初めて具体的にお聞きしました。一眼レフに使う水晶の膜を作り、日本のメーカーに納品しているのだそうです。
 その水晶の部品と言うのは、私には知識がありませんので、キチンと説明することは難しいのでね。ですが分かったことはその膜はレンズから入って来る、不要な光線を排除する膜だそうです。一眼レフには絶対必要な部品で、仕事は光学と言う分野だそうです。
 知らない世界の事を知りたがる私 何だか一つ知った気分になりました。

 彼が明治にいた頃、中国延辺大学から交換教授として見えた金教授は半年間彼と起居を共にしたそうです。そこである時彼は延辺大学にその教授に会いに行かれたそうです。教授は高齢だったようで「生きている間に会えるとは思ってもいなかった」と感涙に咽んだそうです。彼は人との繋がりをとても大切にしております。またそれが信念です。この日は縁についていろいろと話が出て来て有意義な時間を過ごすことが出来ました。
 
 積もる話は多く、とてもここで書ききれません。日本人にも馴染みにある鼎泰豐の小龍包の話から、あの店の経営についての話は興味を引きましたね。
 鼎泰豐はカードは一切使えないそうです。全て現金 そしてお釣りには必ず新券を出すそうです。
 これは商売の一つの在り方だと、彼の話に私も感心しました。

         台湾のお茶

 彼のお土産はお茶 何時も高級な良いお茶を頂きます。右のは自然栽培で天然の木犀を加えたお茶です。
 
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チャイナドレスは素敵だ  76

 毎月一回揃って見える二人 ベテランです。二人はほぼ10年もの間作り続けています。
 ベテランですから、生地の扱いやデザインなどの相談と仮縫いが主なことになっています。
 二人は時には教え合い、助け合い和気藹藹の時間が過ぎます。

 今週は二人とも夏物の裁断や仮縫いなどが中心でした。長く作っていますから、組み合わせも自在に出来るようになっています。

 一人の生徒さんが着て来たイタリ―木綿の旗袍はボタンも綺麗に出来ており、デザインは初夏へと向かうこの時期にピッタリの物です。
 前後の身頃が繋がっている旧いタイプの物です。ですが袖口を広げて楽にしております。
 色は地味ですが、それが却って品の良さを感じさせられます。
 生地は充分な長さがありませんでしたので、裾に生地を反対の向きにして足しました。これがモダンに見えます。木綿ですから、10月位まで着られるでしょう。

      紐ボタン  地味な旗袍

 二人は基本は完全に出来ております。指導コースも終了しております。ですから教える力は充分持っております。唯二人とも忙しく、また時間があればご自分のを作るということになりますから、教える時間はないようです。
 資格は私の考えで決めておりますが、修了証の為に特別な費用は一切頂いておりません。
 私の考えは旗袍の良さを知って欲しいと言うことに尽きるからです。

 チャイナドレスについてのお問い合わせは鍵コメで名前と用件を書き、メールアドレスを入れてお知らせください。但し反社会的なお問い合わせにはお答致しません。
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一票の格差

 政治が身近なことだと感じることが屡あります。
 政治家を選ぶ選挙の度に納得行かない気持ちを持っています。
 特に小選挙区制が施行された後は尚強く感じておりました。
 今回一票の格差是正を求めていた裁判で違憲と言う判決、また先の12月の衆議員選挙の無効と言う判決もありました。

    朝食3月26日  朝食3月27日

 元々私は小選挙区制に疑問があり、国の政治が真の国民の声を反映出来ているのかと思っております。
 今回の全国の高裁での判決は違憲と言う判決です。

 自分の票はどれ位なのかと調べて見ました。
 私の住む選挙区では衆議院議員選挙では0.52票 参議院議員選挙では0.29票です。
 ここで自分の票数を見ることが出来ます。
 どう言う考えであっても一票の内容を知って置くことは大事なことではないかとお婆さんは思うのです。
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旬の頂き物

 先日はまときちさんから静岡の名産の物を頂戴し、お婆さんは世界が広がり、悦に入っております。
 心が嬉しいですね。老人になりますと何かと億劫になり、日々自分を叱咤激励(チョッと大袈裟ですね)しませんと知らぬ間に視野も思考力も衰えて来ます。
 それは実感しますね。体は衰えて来ますが、それと並行するかのように、思考力が衰えて来ております。
 毎日パソコンに向かい、そこで何かしら得るものを見つけられますと、心が弾みます。
 ブロ友も出来まして、段々その方を応援したくなります。
 主夫連合と言うブログ仲間も出来ました。リンクしてありますメタボ夫婦の味めぐりの会長さん。そこを見て頂きますと、男性方がお料理を楽しんでいる姿が見られます。女性は応援団です。私も縁あって応援団に入っております。良い方がたと交流が出来、楽しくブログを拝見しております。

 ブログを通じて何かとお世話になっている方がいらっしゃいます。富山の瀬戸さんや熊本のあかちんさんもそう言った方です。
 一昨日は富山から味噌と一緒にカワハギの干物と烏賊の黒作りを頂戴しました。
 カワハギの干物は夕食に早速焼いて頂きました。瀬戸さん ご馳走様

              カワハギ干物とイカ黒作り

 昨日はあかちんさんから熊本の筍とタラの芽がお米と一緒に届きました。
 あの3月11日以降我孫子では筍の出荷はありません。今年はどうでしょうか。まだお目に掛かっておりません。 
 福島の天栄村に住む友人はあの時以来山菜を送っては来ません。毎年送って頂くタラの芽やこしあぶらの味は季節の味として楽しませて頂きました。天栄村では別荘に来る方も少なくなったそうで、熊も出てきたりするそうです。友人に危害がないことを何時も念じております。

 熊本の筍 湿らせた新聞紙に丁寧に包まれて箱に収まっていました。

      筍とタラの芽  たらの芽と筍天麩羅

 タラの芽と筍は他の野菜と一緒に天ぷらにして今日の夕食で頂きました。あかちんさん 有難うございました。
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チャイナドレスは素敵だ 75

 私の教えているチャイナドレス(旗袍)
 簡単な物から難しい物へと徐々に進んで行きます。キチンと宿題を済ませておりますと、6回で袖なし、裏なしのワンピースが仕上がる筈です。
 昨日の生徒さんは4回目の時間になりました。3回目に仮縫いを済ませ、補正の部分も直し、またダーツと裾の本縫いも済ませてあります。
 今回は裁断した身頃の要所要所にテープを張りました。

 仮縫いの為に糸印をしてありますが、テープを張る場所の糸を取り除きます。
 そして出来上がり線に綺麗にチャコで線を書きます。

        テープ張り準備

 綺麗に書いた出来揚がり線の外側(縫いしろ側)5㍉に糊をつけます。身頃側には付けません。
 出来上がり線の上にテープの中心を合わせてテープを張って行きます。カーブの所では必要に応じてテープに切りこみを入れます。

        テープ張り

 上の写真は袖ぐりにテープを張った所です。ノリを付けてからテープを置き、アイロンで抑えます。

 テープは胸の前の大きなカーブや後身頃の脇、またスリット位置などにも張ります。
 特に胸のカーブや、腰の辺りでは布地を寄せたりする操作が要ります。この辺は実際に私が目の前でお見せしてから、残りを直ぐに張って頂きます。昨日は順調に済みました。
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いつの間にか繋り

  何時しか訪問するようになったノリ―ダヨさんのブログ ブログの舞台は沖縄 沖縄には一度行ったきりですので、その魅力の真髄に触れるところまでは出来ませんでした。私の関心は沖縄戦のことにありましたので、その面での見方が多く、このノリ―ダヨさんのブログを拝見しては沖縄の素晴らしさに触れています。
 ノリ―ダヨさんのブログを通じてまときちさんのブログを拝見するようになりました。
 まときちさんは静岡県に住むサラリーマン 趣味が農業と言いますか菜園 毎日菜園の姿と自宅から見える富士山をアップしております。
 そのまときちさんの収穫した野菜を送って差し上げている方がPaganiniさん 
 まときちさんの野菜を見事に活かし作るお料理の素晴らしさ。それがPaganiniさん 
 素晴らしいお料理と行動力に魅せられております。

 こうしていつの間にか新しいご縁に広がりが出来て来ました。

 昨日まときちさんからプレゼントが届きました。

       まときちさんからの到来物

 静岡の名品と自家製のお漬物です。頂き物は何となくワクワクしますね。老人にはとても嬉しいことです。
 今夜は早速頂きましょう。まときちさん 有難うございます。
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ニンニクの注射?

 魚屋の小父さんと私 
 「お母ちゃん 何やっていたの。随分来なかったけれど」
 「風邪でねチョッと引きこもりだったのよ」
 「そうだよ この前の声が風邪だと思ったよ」
 「そおぉ 熱は出なかったけれどね。毎日主人がお鮨を買いに来たのよ」
 「わかんね~な 顔知らね~もんな」 見たことあるんですよ
 「そうね。大体この中を歩くこと殆んど無いし、決った品物の所にしか行かないしね」
 「俺はよ~風邪だと直ぐに医者に行ってニンニク注射を打って貰うんだよ。それで寝てしまえば直ぐに治るんだよ。お母ちゃんも打って貰いな」
 「そんな注射ってあるの? 聞いたことないけれど」
 「あるんだよ。今度医者に聞いてみな ところで今日は魚が無いんだよ。来るのが遅いよ。鮨も全部売れて仕舞ったよ」
 「そりゃ良いじゃない じゃ刺身を買って酢飯に載せるわ」
 「じゃ 俺が見てやるよ。これが良いじゃん 旨いよ」 
 「そうね じゃーそれを貰いましょ」
 「お母ちゃん 大事にしな 気を付けないとな」
 「有難う 気を付けるわよ」

       バチ中トロ落とし
 
 家の酢飯は美味しいな~と思って口にしました。種は398円の100円引きです。
 このレベルのマグロの握りですと300円位では一貫しか食べられないでしょうね。主婦しました。

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鍋焼きうどん

 常々口に出している言葉
 「ご馳走して貰えるなら鍋焼きうどんか鰻だわね~」と聊か卑しいことを言っております。
 鰻は偶に娘の運転で食べに行く機会もありますが、鍋焼きうどんとなりますと、なかなか機会がありません。
 以前は近くの蕎麦屋から出前でお願いしておりましたが、なんと言いましてもお店で熱々のを食べたいですね。
 11日の病院 夫も定期の診察もあり、一緒に出掛けました。
 帰り道 最近よく寄る蕎麦屋に行き、昼食を摂りました。ここの蕎麦も美味しいのですが、私は当然のように鍋焼きうどんを頼みました。

           きみ吉鍋焼き

 店の方が蓋を取って下さり、熱々の鍋焼きの姿に私は満足。具は下の方にもあり、全部は見えません。
 鍋焼きうどんの評論家でもありませんし、特に味にうるさい訳でもありませんから、気分良く頂きました。

 それからです。これはうどんの良いものがあれば自宅でも何とか出来るのではと思ったのです。
 これが私の病 頭の中ではいろいろなことが駆け巡ります。
 そうだ鍋 鍋は一人分でしたらあります。でも自分だけ食べる訳にはゆきません。そこでアマゾンで鍋を探しました。

     850円の土鍋  420円の土鍋

               3150円の土鍋

 探している間にいろいろなことに気がつきました。コンロをどう使いまわすかとか、家の中に利用でる鍋はないかしらとかね。
 気がつきましたよ。何時も少なめの鍋料理に使う土鍋風のセラミックの鍋 これで二人前一度の作れば良いのだ。
 所が11日以来どうも風邪の治りが捗捗しくなく、昨日までは買い物にも行かず、昼と夜は夫に頼み、夫の賄いに頼っておりました。すっかり治って作れるようになりましたら、ある鍋で作って見ようと思っております。
 果して如何なりましょうか。取り敢えずアマゾンの土鍋は注文はしないでいましょう。
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天災は避けたいが

 昨夜のテレビでも報じられていましたが、日本列島は何時何処でどのような災害が起きてもおかしくない、危険を沢山孕んでいるという島国です。
 国は防災意識を高め、一層の対策を講じると言う方向を示しております。それに伴い国民も自らの身辺を見まわして出来ることをして置くと言う気持ちを持って行くべきだと言う考えを示しております。

     朝食3月19日  朝食3月13日

 毎日新聞 は南海トラフ 被害220兆円 M9地震 避難950万人 ~~~報じております。

 前回のアップの内容に偶然重なり、更に考える内容も見直す面もあるように思っております。
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老人らしくストック

 長く職業人生活を送って来たことで、生活面では様々な制約があり、出来るだけ必要品は切らさないように心がけて来ました。
 例の3月11日以降はストックする品物も増えて来ております。
 多くの家庭でも同じ様なことが起きていることでしょうね。そうだと思いますね。

 我が家は私は食に関しての物 夫は日常の消耗品の管理と補充です。人には見えない分業化ですね。
 食品は主食のコメ 調味料 乾燥品等を中心に切らさぬように常に補充をしております。また必要と思われる様ざまな細かいものが数限りなくと言って良いほど家の中にあります。
 将に家中がストッカー状態と言っても差し支えない有りさまです。
 
 消耗品はトイレットペーパーやキチンペーパー、石鹸、歯磨き、綴じ紐、筆記具、電池、実に多岐に亘ります。
 
 食品は主に取り寄せ。ネットスーパーで安い日に纏めて配達して貰います。
 野菜は九州から取り寄せたりしますが、これは孫子の為ですね。お米は自分たち用と娘たち用に分けて送って貰っています。
 保存食は自家製もありますが、我が家の食生活を知っている方からの頂き物も多く、ノリやヒジキなどは年間通して保存しております。味噌は富山の瀬戸さんから送って頂いております。
 出汁に使う昆布や削り節は大豆や小豆と一緒に御徒町の星野さんから長年取り寄せています。我孫子ー御徒町間の交通費は片道540円ですが、星野さんから送って頂くと640円でほぼ足ります。時間も交通費も節約になります。
 
        削り節950円

 冷凍品は殆んど買うことはありませんね。出来るだけ常温で保存の効く物を求めるようにしております。
 冷凍品は自家製の魚介類の加工品ですね。鶏油も自家製で冷凍して置きます。
  あの日以来飲料水やお茶なども切らさないようにしております。これも他所の家と同じでしょうね。
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2年が過ぎた3月11日

 昨日はあの大災害を齎した3月11日 丸2年が経ちました。
 あの日を境に日本、日本人はいろいろな面で大きく変って仕舞いました。
 特に地震や津波による被害の大きさ、それに伴った福島第一原発の問題。あの日から様々なことを常に心のどこかが、捉え離さずにおります。

      朝食3月11日

 昨日は多くの方があの震災や原発事故を取り挙げていたと思います。
 珍しく具合が悪く病院に行き、どうしても記事をアップすることが出来ません。パソコンの前に座っても頭が働きません。医師の診断は風邪だと言うことで、風邪薬を飲みましたのが、関係していたのかも知れませんね。

 今日も3月11日関連のニュースや人々の紹介がされております。
 
 目にした医師不足の問題は、大きな問題であることがよ~く分かりました。
 
 昨日 病院に行くことが出来ました。震災の被災地の方々は、病院に行くのも苦労が伴い、医師には大きな負担が掛かり、病院ではあれ以来急救患者が増え、被災者は今後の住居を何処に定めるかが大きな問題だと報じておりました。
 近くで直ぐに診察を受けることが出来たこと。今朝は改めて有難いことだと強く感じております。
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東京大空襲

 1945年(昭和20年)3月10日
 この日は米軍による東京大空襲があった日です。
 あの夜私は女学校の寄宿舎におりました。東京へ飛んでゆくB29爆撃機の姿はその前から沢山目にしておりました。
 大島方面から東京湾上を東京に機首を向けて帯のように黒く集団で飛んで行きます。
 10日の深夜 東京が空襲を受けていると言うので、全員起床服装を整えていました。
 
 東京は遠く北の方向になります。空襲が如何に激しいものだったかは、北の空が大きな火の塊のようになって見えます。あの日は土曜日だったのです。空襲は9日から10日へと変ってから始まったのです。

 土曜日ですから、家に帰るために午後館山の駅に行きました。千葉方面から到着した汽車から降りて来た人達の姿には激しいショックを受けました。
 防空頭巾や衣服に焼け焦げが見られ、誰もが疲れ果て、顔も手足も黒く煤けています。
 あの夜の火の玉と避難なして来た人たちの姿は忘れられません。東京は焼け野原となったのです。

         東京空襲後の

 戦争は悲惨です。それでもこの頃 国は本土決戦なんて言っていたのですよ。
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隔世の感

 先ごろ明治大学から広報が送られて来ました。これは1部50円の有料ですが、長く勤めて来た人には送られて来ます。
 3月号とあれば大学への志願者のことがトップ記事なっています。
 2013年の一般入試 志願者数7年連続10万人超 4年連続で日本一
 
 過って志願者が3万人を超えた時、3万人の大台に乗ったと皆で喜んだことが思い出されます。

         明大広報3月号

 1990年の入試での監督が最後に退職しましたが、その頃の入試は問題の冊子と解答用紙が別になっていました。
 1954年の入試の時は答案整理係 今振り返って見ますと1990年とは大違い。
 科目毎に長~い用紙(長いので60cm位 短くても50cm程)に問題が書かれており、それに回答も書きます。
 整理会場に集まって来る入試問題用紙は監督者の確認と答案用紙の枚数と順番の整理と確認 何とその束を名前が見えないようにし、目打ちで穴を開けて和綴じの方法で紐で綴じるのです。女子職員の殆んどが集まりますから、他の部署に方とも言葉を交わし、親しくなります。
 今の入試風景はどうなっているのでしょうね。想像も出来ませんが大きく変わっていることでしょう。

 10万人を超えと言うことは親しい先生と随分前に話題になっておりました。先生は様々な情報をお持ち下さると同時に、何故明大が今 そういう姿になっているのかと、分析して話されます。
 私も先生も「明大応援勝手連」のような気分でおりますから、お会いすると話が盛り上がります。
 先だっても1冊の本を下さいました。

          明治大学という「武器」を持て

 この本はタイトルの通り、明治大学の現状を紹介しながら檄を飛ばし、明治大学が取り組んでいる姿を現場取材をして書かれております。
 発行 株式会社経済界 (経済界新書028) 価格 本体800円
 著者 中村三郎 明治大学文学部卒 フリージャーナリスト
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秋刀魚の糠漬け

 一階のスーパーのお薦め品に時々秋刀魚の糠漬けが出ます。
 懐かしさもありますが、戦後の生活の中で一生分程も食べたと言って良いほどの物です。
 1946年、47年は農産物不作の年でした。1945年の敗戦で戦場に行っていた軍人や、中国や旧満州、朝鮮や南方からの引き揚げ者で人口が一気に増えました。それが食糧難の一つでもありましたが、凶作と言うことも大きな原因でした。
 引き揚げ者の多くは経済的な困難を抱え、日々の食探しに一所懸命でした。我が家のある町は半農半漁とまでは言えませんが、漁港もあり、海岸に行き何かを探して来ることも出来ました。ですが畑はありませんから、土地を借りたり、母と一緒に山で開墾をしたりしました。

 秋になりますと今は南房総市と言うのですが、千倉と言う町があり、その千倉の港に秋刀魚が揚がります。
 銀鱗輝くの言葉通り、その秋刀魚の肌の美しさ 思い出します。千倉は今も漁港として多くの魚の漁獲高を誇っております。
 新鮮な秋刀魚を焼き食べるのですが、それ以外に保存食品として糠漬けを作ります。
 秋刀魚の糠漬けは脂の乗ってない物で作ります。丸干しもそうです。
 値段も安くなっていますから大量に買ってきて作るのです。

        秋刀魚糠漬け

 秋刀魚の食べ方はいろいろですが私の好きな食べ方の一つはうの花漬けです。今でこそそんな食べ方もしますが、あの食糧難と貧乏時代は秋刀魚の糠漬けは大事な蛋白源でした。
 毎日のようにこれを焼いて食べます。家でも弁当でもとに角他の高い食材は出て来ません。
 好きな魚や、野菜を自由に買って食べられようになったのは1950年頃からでしょうか。
 町の肉屋では豚肉しか売っていませんでしたが、牛肉が売られるようになったのは、確か1960年辺りからだと思います。
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内容のあるメール

  私に回って来たメール 所謂チェーンメールですね。
 送って下さった方は内容がとても良いと思われて送って下さったのです。
 並ぶ字は所謂繁体字 中国語の簡体字ではありません。中華圏ないしは華僑や華人と言われる方にも通じることだと思いますね。

 主题:姐妹日
   親愛的姊妹 :

   讓我們永遠做個聰明的女人

  1、不當三瓶→年輕時是花瓶,中年时是醋瓶,老年時是藥瓶。

  2、做三忘女人→忘記年龄、忘記病痛、忘記恩怨。

  3、做三養女人→修養、涵養、保養。

  4、做三麗女人→美麗、能力、魅力。

  5、做三獨女人→思想獨立、能力獨立、經濟獨立。

 今明、兩天是世界姐妹日,發給最關心你的九個姐妹們,超過九個 你會幸福的,想起誰,發给誰,不許在你這兒停啊!呵呵...
  

 内容はどう言うことかと言いますと、女性がこうあって欲しい こうあるべきだと言う進言ですね。
  
 親愛なる女性の方々:
 私たちは何時までも賢い聡明な女性であること
 1、若い時 飾り物の瓶のようではなりません。中年になっては焼き餅を焼いてはいけません。老いては薬瓶に頼ってはいけませんよ。
 2、年齢を忘れ、苦痛を忘れ、怨念を忘れるような女性になるように
 3、女性は教養、自立心、健康を養いましょう
 4、美しく、能力を高め、魅力ある女性になりましょう。
 5、確りと考えることが出来る。能力を高める。経済的な力を蓄える。
 
 意味は大凡そんなことですね。姉妹日と言うのは何処の国のか分かりません。
 このメールを9人の人に送りなさい。すると幸せになりますよ。これを止めないでね。と結んでいます。

        蟹いり包子

 この包子(パオズ)は中国語の老師のお兄さまが作られた物です。中国では男女共に家事をするということですから、老師のお兄さまも上手に作られのですね。NHKの王老師も料理が得意でした。臘八粥はとても素晴らしいお料理でした。懐かしく思い出しております。
 上の言葉の中に家事をキチンととか、確りとか言う言葉は出ていませんね。男女共働きの世界だからかしら。
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平均して作らなくちゃ

 先日二女と一緒に買い物をした店でボラやボタンエビ、それとウニを少し仕入れて来ました。
 売るための仕入れではありませんよ。勿論食べるためです。
 既に先日はボラの唐揚げを作って食べて仕舞いましたが、ボラを鮨用に切ったのを握りにしました。
 
             ぼら・舌切・カンパチ握り

 お皿の一番手前がボラです。色も綺麗で癖も無くとても食べ易く、コクもありました。青柳の舌は、ま~富津ですから不味くはありませんが、貝独特の潮の香りがしません。カンパチは前日の残り物。天然ものです。

     うにとボタンエビ丼  生ホタテ・エビ握り

 エビとウニはボラと一緒に買って来たものです。種の分量は買った物の3分の2です。後はご飯なしで食べました。生のホタテは紐も付いて刺身になっていました。ご飯の量に比べ、少し足りなさそうですので、半端のエビを買って茹でました。これはエビと言うだけの物です。旨味はありません。

     ヒラメ・バチトロ握り  ほぐし蟹ちらし

 ヒラメは「お母ちゃん良いのが入っているよ」と言う言葉に釣られて買いました。
 「ね~どんな?少しで良いんだけれど」「じゃ4切れもあれば良いかな。マグロ4切れとでどうかね」
 「そうね。じゃ~4切れずつ頂戴」「縁側を入れたから握ってみな」
 種が良いので、今回のでは一番高く800円
 前日高いのを食べましたので、次の日は安く389円のホグシ蟹のちらし鮨 金糸卵は一個使って全部下に敷き、その上に蟹を載せました。椎茸は何時もの通り冷凍して置いた物

 こう眺めて見ますと、今回のは最近の鮨では高くなっているようでしたが、平均すると600円位ですね。これを食べるのは普通は夫が3分の2 残りは私 時には半分づつ

 夕食はこのように鮨と後はある物、残り物そして時々焼き肉や鍋物。
 食べませんね。目が欲しいと言う言葉も既になくなっています。もう要らないと思った途端何も要らないんです。
 姑が85歳ころ幼児の食べるような量しか食べませんでしたから、食べられるときに自分で食べたいものを食べないと駄目ですね。そう言い訳を自分で思いながら鮨を握っております。
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青島の思い出・・8

 日支事変が始まり、日本が開戦から有利に進んでいました。1938年頃には多くの日本人が青島に行き、家族も一緒の在留邦人も多くなり、その為に小学生も増え、青島第一小学校の生徒数は1000名を超えました。そこで新しく第三小学校が出来ました。1939年4月開校
 そこで第一小学校から新し学校に移る人が出て来ました。
 当時第二小学校もありましたが、第ニは区域が違うと言う事情もあって、第二から移る子どもはいません。
 3年生になる時、第三小学校にクラスの中からもそちらに通うことになる子どももあり、学校は「お別れ遠足」を実施しました。
 2年生の私のクラスの担任は古賀光一先生(作家南条範夫さんの弟)とても優しくまた今風に言えば格好良い先生でした。
 お別れ遠足は第一公園(現在中山公園)でした。第一公園は毎年4月にはお花見遠足で行くのです。

       お別れ遠足

 子どもの服装から3月になっていたのではと思います。帽子を被っている子どもが大半です。女子のは当時の流行りの帽子だと思います。
 後列中心はいさむちゃん その左が桜島さん 良くコメントを頂きます。私のブログの愛読者
 桜島さんは第三に移って行かれたのです。
 私は後列の前 右から4人目 もう太っていますし、色グロがハッキリと分かります。
 
 この中で戦後再会したのは数人です。その数人の中の一人は予想もしなかった病で亡くなって仕舞いました。
 彼女は第三に移りましたが、戦後お会いした時変らぬ可愛さと美声に驚かされました。

 古賀先生はどう言う事情かは知りませんが、このお別れ遠足の後三学期を終えて退任され、税関職員になられました。第一小学校の北門の前に住まわれておりましたが、制服に身を包んだ先生が颯爽と出勤する姿に何となく恨めしさを感じたものです。もっと学校にいて欲しかったからだと思います。
 戦後古賀先生は鎌倉の小町に書店を構えていました。亡くなったあの友だちと鎌倉に会いに行きましょうと、何回も話しながら、実現せずになりました。

 
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12冊目のブログ本

 ブログを立ち上げた2006年からの内容を文字で残そうとブログ本を依頼し、作っております。
 06年、07年は1冊にしましたが、どうも厚く見難いので、08年以降は1年分を2冊に分けております。
 2012年後半のが出来あがり届きました。

         12冊目のブログ本

 たった1冊の本ですが、形は新書版風 色も全く変えていません。
 見開きの色も同じ。
 ブログ本も最初の頃は校正に時間が掛かりましたが、今はアップする時にも後の事を考えながら書いております。初年度の時、画像をいろいろな位置に置きましたのが良くなく、今は必ず画面の中心に置くようにしています。ですが本は左右に開きますので、画像の位置は少し片寄ることもあります。そのことまではなかなか校正するのは面倒ですので、我慢しております。
 
 今回のは187ページ 1ページ単価は34円  諸費用込みで 7658円でした。

 1冊目を作った時 目指せ10冊 と思って10年は続けて行こうと思いました。ですが3年目から年2冊となりましたので、2015年までは何冊になるでしょうかね。段々書けなくなって1冊が薄くてはと纏めるかも知れませんね。ま~今の所頑張って書いて行きたいな~と思っております。
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これはおかしい

 福島第一原発事故後に働いた約2万1千人の内、東電は2万人分の原発作業員の被曝記録を未提出だと言うことです。専門家ではない私にはこんなことは不思議でなりません。被曝記録は法で定めた手続きでキチンと処理されるべき事でしょ。

     朝食2月28日

 ヤフーニュースにも概略が書かれておりました。下記に転載致しましょう。新聞の記事と同じ様です。

<東京電力>被ばく線量記録未提出 原発作業員2万人分
毎日新聞 2月28日(木)11時51分配信

 東京電力が福島第1原発事故後に働いた作業員2万人超の被ばく線量の記録を、一元管理する公益財団法人「放射線影響協会」(放影協)に提出していないことが28日分かった。事故から2年たっても、作業員の被ばく線量の正常な管理がされていない実態が浮かんだ。

 被ばく線量は電力会社が測定し、作業員個人の放射線管理手帳に元請けや下請け会社が記入。電力会社は電子化したデータを放影協の放射線従事者中央登録センターに送り、一元管理される。ただ、センターへの報告は法令で定められたものではなく、業界の自主ルールだという。

 電力会社や雇用主は作業員の被ばく線量を測定し、年間50ミリシーベルト、5年で100ミリシーベルトを超えないようにしなければならない。作業員が新たに原発での仕事に従事する際には、手帳で線量を確認する。センターのデータは、手帳の記載内容を照会する場合や、手帳を紛失した際の再発行で使われる。放影協によると、電力各社からの照会は年7万~10万件。

 電力各社は毎年5~6月ごろに前年度分の被ばく記録を提出する。東電からは11年6月ごろ、10年度分の提出が遅れると放影協に連絡があった。12年7月に、10年度分のうち3月11日の事故前までの記録は提出されたが、同年度の事故後と11年度の2万人超の分は未提出のままになっている。

 東電は遅れた理由を「紙で記録を管理していたため、電子データにするのに手間取った」と釈明。未提出分は今年度中に出すとしている。【岡田英、西川拓】

 何と東電は勿論ですが、国も国民の健康や命を守ろうとしないのでしょう。法に従わずに長期にわたり管理を怠っていると言うこと。人ごとには思えません。お婆さんは怒っていました。そうしましたら、今日の朝刊何と酷いこと。また杜撰なことが出ています。
     
     朝食3月2日

 これも記事を見て見ましょう。ヤフーニュースから転載しますね。


管理手帳の記録より多く被曝 作業員63人、厚労省調査
朝日新聞デジタル 3月2日(土)9時41分配信

福島第一原発で事故後に働いた作業員の放射線管理手帳(画像の一部を修整しています)

 【多田敏男、佐藤純】福島第一原発で事故後に働いた作業員のうち、少なくとも63人が放射線管理手帳に記入された被曝(ひばく)記録よりも実際には高い放射線量を浴びていたことが厚生労働省の調査でわかった。同省は東京電力や元請けに修正を指導したが、連絡がとれない人もいて14人分が今も修正できていない。

 2011年11月~12年10月に働いた人を対象に業者に調査・報告させる形で調べた。事故が起きた11年3月から8カ月間の調査は手つかずだ。事故直後は原発構内の線量が高い上、ずさんな被曝管理が横行していたとみられ、手帳の記録が誤ったまま放置されている作業員数はさらに膨らむとみられる。

 線量計を鉛カバーで覆って働かせる「被曝隠し」が朝日新聞報道で発覚したことを受け、厚労省は昨年10月、線量計の未装着など19件の不適切事例を確認したと発表。東電と元請け37社に対し、1回の作業ごとに測る「電子型線量計」と長期間の累積を測る「バッジ型線量計」の併用が徹底された11年11月以降について詳しい調査を指示した。その結果、ふたつの線量計の値の差が20%以上あるのに手帳に低い方の値を記入された人が63人見つかった。

 この放射線管理手帳と言うのは、随分前から交付されていたのですね。この1月末で累計で45万人と言うことですよ。このように多くの方が管理手帳を持ち、その人たちが作業をして呉れているのです。この方々の健康、命を軽く見ているのでしょうかね。
 最近高齢になっていますので、血圧を上げるような問題はスル―して行こうと思うこともあるんですがね。
 経済優先が叫ばれデフレ克服とかいろいろと話題が豊富ですがね。そこで忘れられているような福島の事などを思いますと、矢張り関心を持たずにはいられません。
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ボラの竜田揚げ

 滅多に行かないスーパーに二女と一緒に出掛けました。車で20分ほどでしょうか。
 店内は広く、全ての商品が安いようです。二階に上がる必要もなく、平面だけですからカートを押しながら(カートに寄りかかって)あれこれ眺めていました。
 娘に魚屋が見たいのでしょうと言われて仕舞いました。魚以外にはそう関心も興味もありません。
 
 魚売り場に行きましたら、下の魚屋とは品揃えが少し違います。この差は需給関係にあるのでしょうね。(知ったかぶりの分析です)
 立派なボラの丸が何本も並んでいます。下では偶に刺身のパックで出て来ます。
 見た私 これは買おうとカートの入れました。30㎝ほどの片身 皮も引いてあります。
 
 数日前ちゅんごさんのブログでボラの刺身を見ましたので、これを見逃してならないと思ったのです。

 このボラ 大きくて一回には食べ切れそうもありません。そこで先ず握り用に数枚切り、後は竜田揚げにしました。
 切ったボラに醤油、酒、下ろし生姜を混ぜて2時間ほど置きました。そして揚げる寸前に片栗粉を少なめに満遍なく混ぜて、揚げました。レモンを添えて写すつもりが早く食べたく、忘れて仕舞いました。残念。

       ボラ竜田揚げ

 寒ボラの美味しさ 沢山食べたいのですが、そうは行きません。丁度9時頃長女がやって来ました。この娘が私同様、魚が大好きです。
 「ボラを揚げたのよ。美味しいからチョッと食べて」「う~ん美味しい。良く揚っているね」
 「じゃー持って行って」「良いの じゃー頂きま~す」
 
 消化出来ました。クジラのタレも大好きな長女 魚話に直ぐ乗ってきます。

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相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日85歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになりそうです。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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