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莢えんどうが届いた

 1945年8月15日 日本は連合国に負けました。
 千葉県にある父方の祖父の家で夏休みを過ごしておりました。敗戦を伝えるラジオの前で、私はこれからどうなるのか、北京にいる両親に会えるのかどうかとか、心配は次々出て来ました。
 その年の12月ころ 寒い日でした。特に西風が強く、館山の駅で薄い夏物のモンペ姿の私を待っていて下さったのは青島の斉東路11号に住んでいられた真田さんご夫妻でした。
 真田さんのお嬢さんは恵美子さんと言います。一昨日は久し振りに電話をし、懐かしい声を耳にしました。
 斉東路の家は青島迎賓館のある信号山の反対側の中腹にあるのです。
 青島の風景をテレビや、他の方のブログで目にしますと、その昔の事を思い出します。
 特に恵美子ちゃんと妹と三人でオママゴトをした時の風景が心に浮かんで来ます。75年程前のことです。
 
 その館山の駅で私を待っていた真田さんの小父さまは「お父さんは無事ですよ。帰ってきますよ」と強い安心の言葉を伝えて下さいました。同じ会社で一緒に仕事をされていたからでしょうか、安否は分かっていたのですね。

 1946年2月 両親と弟 妹二人が帰国しました。帰国後の生活はあらゆる面で苦しいものでした。
 特に一家は9人へと増え、食糧難を掻い潜るに母の姿は逞しく、それでも母の心を思いますと私は涙が溢れそうになります。
 寄宿舎に入っていた私の一人の同級生は、嶺岡牧場で飼われている牛の牛乳からバターを作っていた工場長のお嬢さんでした。
 ある時、彼女に若布を差し上げました。差し上げると言うより、バターを分けて欲しいとの意思表示でもあったと思います。間もなくバターを頂きました。貴重品です。
 そのバターを使い、最初に作って呉れたのが莢豌豆のバター炒めでした。
 その莢豌豆の美味しさは忘れることはありません。母の心が伝わって来ます。
            昨日は房総の莢が届きました。

             絹さやいんげん

 街の八百屋やスーパーでは買えない新鮮な物です。引き揚げて来た妹たちはこの母のバター炒めの味は分からなく、覚えてもいないと思いますね。
 今政府はTPP参加に向けてことをどんどん進めておりますね。何かと問題が多く、そして私には気になることです。不自由な生活をして来ただけに、何が起きるのかは無関心ではいられません。
 
    朝食2月21日  朝食3月16日

             朝食4月18日

 国は自信を持っているのでしょうが、始動して見なければ分かりませんね。
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矢張りお鮨です

 このところ魚屋の小父さんは私の姿が見えると、陳列ケースの奥の調理室から手を振ります。
 こっちを見て~と言う感じです。分かっているわよ~と言うような仕草をしますと、出て来ます。
 「お母ちゃん メッチャ良いのがあるんだよ」「メッチャ良いて何時も言うけれど、ほんと?」
 「ほんとだよ。見て見るかい」「じゃー見せてよ」
 確かに良い物を見せて呉れます。で小父さんのいない時には出来るだけ安くて良さそうな物を買って来ます。
 見せられるとね~買いたくなりますよ。魚好きですから、ついつい我慢が出来なくなって仕舞うのです。
 
 大分鮨を載せていませんでしたので、ホルダーに溜まっています。
 今日は特にテーマ―なしで並べて見ます。
 画像に指を載せますと鮨種が表示されます。クリックしますと大きく見ることが出来ます。
 興味がございましたら大きくしてご覧になってください。
 イカやタコは老人には厳しいので先ず買って来ません。

     バチ中落ち丼  メジナ・バチ・バチ中落ち

     湯引き鯛・鯵・バチ・赤貝など  生ホタテ握り

     炙りサーモン・小柱・卵焼き握り  真鯛手まり鮨

 老人とは斯くも体の機能が衰えるものやと、このところ感じること多しです。夫も私も歯間が広くなり、繊維質の物などは必ず歯に挟まって楊枝を使います。ましてやイカやタコなど食い千切るのに苦労をします。
 美味しそうなタコも魅力ではありますが、買うことはなくなりました。
 結局食べ易い物を買うことになり、最近は少し高めの物を買って仕舞います。
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旗袍あれこれ

 チャイナドレス(旗袍)を着たいと言う生徒さんの願望と言いますか、描く物は教えている間に分かって来ます。望みを出来るだけ叶えて上げたいと思うのですね。
 水曜日の午後に見えた方は、可愛いのが着たいと言うのです。そしてそれに合うような生地を持って来ました。 これから着るには丁度良い薄ものです。長く見えていますから、基本は問題がありません。
 唯生地が難しいものですから、裁断の準備でほぼ時間になって仕舞いました。出来上がりましたらオシャレな一着になることでしょう。
 ネットで探して見えた一人の方は出来るだけ沢山作り、普段も旗袍を着たいと熱心に話しております。
 彼女の一番は映画華の愛で着られていたロングべストです。宮沢りえと手を組むジョイ・ウォン私も大好きなスタイルです。

              華の愛818

 「先生 こんなのを着たいのですが」「良いね~私も若くてスマートだったら着たいわ」
 「作れます?」「今は作れないわね。でも上手になってくれば作れるようになりましょ」
 「頑張りま~す」「張り切り過ぎると息が切れるから、じっくり、ゆっくりと行きましょ」

 こんな会話を交わしながら進んでいます。この方の周辺には旗袍を着たいと言う方が何人もいる様子。
 先日は手の込んだロングべストを持って来ました。刺激を受けていたようです。
 写真を送って下さいましたが、その中の一枚はとても参考になる物ですから、ここに載せて置きますと他の生徒さんへの情報にもなるでしょう。

          旗袍のいろいろ

 これは1930年代末から40年代へのスタイルが激しく変る時代の物ではないかと思います。
 宮沢りえの履く靴の形がとても似ております。
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房州物の蚕豆

 一昨日 蚕豆が届きました。今年は先だっての台風のような風で蚕豆も被害を受けたと聞いておりました。
 例年ですと来週あたりが出荷が始まるようですが、今年は意外に早く驚きました。
 千葉県の蚕豆は生産高も多く、全国では鹿児島県に次ぐ2位になっております。
 特に南房総市の南側、房総半島の南端辺りの蚕豆は「房州物」として東京の市場でも高く評価を受けているそうです。
 蚕豆は夏への助走と言えるような味ですね。ビールのつまみにとても合います。
 実際にこの房州の豆は鹿児島からの物より瑞々しく見えます。これは時間の問題ですから、仕方がありませんね。
 私は鹿児島のが並び始めましても、ジッと我慢して房州からのを待ちます。

      蚕豆  蚕豆茹でて

      蚕豆ゼリー寄せ  蚕豆とエビかきあげ

 蚕豆は新鮮さが大事です。届きましたので早速茹でて食べました。沢山食べますとお腹が張りますね。老人は注意しなければいけません。莢から出しますとお歯黒が見えませんね。新しさが良く分かります。
 南亭さんがゼリー寄せを作っていましたが、なかなか組み合わせが定まらず、大分時間が経って仕舞っています。この際ですから蚕豆を使い、和風味のゼリー寄せを作って見ました。適当なガラスの容器も、皿もありませんので、無粋な物となっています。これを作り始めにして、いろいろと作って見ようと思っています。100円ショップに行きガラスの物を買って来ましょう。
 娘に今度はゼリーシリーズですかと言われないように、チョボチョボと作って行きましょう。
 出汁は何時もありますから、和風が多く成るかもね。
 蚕豆のかき揚げはとても美味しかったですよ。私は岩塩を振りかけ、さくさくと歯応えを楽しみました。蚕豆の甘さが相まって良かったですね。これはまた揚げたいな~と思ったことです。
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青島の思い出・・10

 1937年に所謂日支事変が始まりました。これは後々第二次世界大戦に繋がることになります。
 日支事変が始まり、中国青島に住んでいた日本人は日本に帰国しました。
 帰国後暫らく経ち、戦火が収まり、日本人の多くの方が自分の元の家に戻ることが出来たそうです。
 この間の日本と中国との関係は一括りには出来ないものがあります。
 それはさて置き、1939年に青島に行きました私は、大きなカルチャーショックを受けたものの、様々なことに出会い、小学生としては随分経験が出来たと思っております。
 1940年 昭和15年(紀元2600年) この年は多くの行事が市内で繰り広げられました。
 青島日本第一小学校の広いグランドを出発点とする祝う市内行列もありました。
 その年にはまたイベントも盛んだったとおもいますね。第一の校庭で2600と言う文字を書くマスゲームも実施されています。
 居留民団本部のホールでは小学生や中学、女学校の絵画や書道の展示会も催され、私も水彩画を出していましたので、母と見に行きました。その画は日本の農村で豚が飼われている物でした。豚の姿も覚えておりますね。
 その民団と言うのは謂わば自治組織のようなもので、在留邦人のお世話をし、また把握していたのだと思います。民団は青島のメインストリートに面しております。
 当時の青島が如何にモダンで美しかったか、街全体は緑が目立ち、また屋根は赤くドイツ時代の街づくりで子どもながら、何て美しい所だと思っておりました。その当時の絵ハガキを見ますと、その印象が決して夢見た物ではないと思うことができます。

        山東路(現中山路)

 右に民団の建物が見えます。この通りの商店は午後は数時間扉を閉めて休憩となります。そして再度開店します。
 この年 山東毎日新聞社は青島行進曲を懸賞当選歌として発表しております。
 作曲・編曲 江口夜詩 と記録されております。
 新青島満帆と言うサイトでこの歌を東海林太郎が歌っていると紹介されておりました。
 改めて調べて見ました。この収録されたレコードは昭和15年・ポリドールATー41B特殊盤です。
 作詞者が不明ですが、作曲者がこの曲を作ったことが事実かどうか調べて見ました。青島音頭と言う文字が見えます。
 作曲の時期 歌手名など分かりませんが、青島音頭は九州の物でもなく、どこの音頭でもないようですから、青島行進曲のことだと確信しました。
 興味と時間がございましたら、ここから入ってお聞きなって下さい。
 
 ここでは昭和13年頃となっていますが、まだ日本人が多くが戻っていなかった頃ではないかと思います。
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深まる交流・交遊 2

 偶然と言いますか驚きました。ちゅんごさんとお会いした日
 主夫連合のEGUTI YOUSUKEさんからヤマ独活が届きました。本当にビックリです。
 前に美味しい手打ち蕎麦を送って下さり、美味しくてとても感動して頂いたものです。
 主夫連合のゴルッテりアさんやBOO子さんからも美味しいものを頂戴しております。
 皆さまに感謝をしております。お婆さんが居ながらにして珍しい物を頂く事って有難いですね。
 パソコンを習っていて良かった~と素直に思っております。

 今回頂いたヤマ独活 初めて現物を目にしました。独活といえば肌の白い東京の独活しか食べたことがありませんでした。沢山頂き食べ方を調べて見ますと、圧倒的に酢味噌和えですね。それから天ぷら、キンピラ等ですね。
 EGUTIさんにお礼と食べ方をいろいろ試して見ますと伝えましたら、MAZICOさんもいろいろと作っていますよ。と言うことです。
 MAZICOさんはある時我が家にご夫妻でお見えになったのです。ところが偶然EGUTIさんとお知り合いで、ご一緒に旅行もされる方だと知り、このことはとても大きな驚きでした。

      山ウド  山ウドの煮もの

      山ウド柚子味噌  山ウド天麩羅

 ヤマ独活は灰汁が強く、新鮮な内にどんどん頂かないといけませんね。昨夜までに3品作って食べました。
 まだありますので、キンピラにしようと思っております。葉の天ぷらが美味しかったので、葉は水分を与えて保存してあります。また天ぷらにして食べようと思っております。
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深まる交流・交遊 1

 日本主夫連合と言うブログのお仲間がおります。私のブログにリンクしてあります「メタボ夫婦」さんが会長です。
 先に書いたことがありますが、縁あって応援団の一員として参加させて頂いております。
 その主夫連合の一人 ちゅんごさんから私に会いにお見えになると連絡を頂きました。
 それは驚きです。東京に行きますので、お目に掛かりたいというお話です。
 私に異存がある筈はありません。心待ちしておりました。
 それが昨日のことだったのです。
 午後2時に我孫子駅に到着と言うことで時間に合わせて出掛けました。身につけている物はお伝えしてありました。ちゅんごさんご夫妻は私より先に気がついて下さり、ご対面となりました。
 我孫子駅北口には喫茶店のような場所はありません。
 モスバーガーで先ずは改めてご挨拶。
 もう前々からの知り合い、友人のような気分で話は進みます。ブログ上で住む所、家族構成、趣味、考え方等など知っているからでしょう。何も違和感なく、気兼ねもなく、出会ったことを喜び合いました。
 モスバーガーを後にしてお二人を世界の人形館にご案内しました。
 ちゅんごさんの予定は我孫子での時間を2時間と言うことですから、人形館での見学もそうゆっくりと出来ませんでした。
 ちゅんごさんは徳島市の方 人形館の高さんもご両親が徳島出身 そしてご自分も第二次大戦の末期徳島に疎開、徳島で6年間暮らしていたと言うのです。話は合いますね。
 昨日の寒さはもう普通ではありませんでしたね。風も冷たく雨も降りました。これは忘れられませんね。
 きっと後々の話題になるかも知れませんね。
 ちゅんごさんは沢山写真を撮られましたから、きっとちゅんごさんのブログで紹介されることでしょう。

 高さん宅を訪問しますと、何かしら新しくなっており、何処か違っています。

       らでんセット

 世界の人形館ですから、人形が主体ですね。最近は万華鏡も展示されております。万華鏡は諸外国のも並んでいます。ちゅんごさんも写しておりました。上の螺鈿のセットは和室に置かれている韓国の調度品ですね。

 高さんからの昨夜のメールはとても嬉しそうなものでした。以下のようなことです。

 あい子 さん

 今天辛苦了!
 先ほどのご丁寧な貴メールを多謝します。
 早速ちゅんごさんのブログを見ましたが、本当に懐かしき阿波、徳島の写真が
 次々と出てきますね!その昔、泳いだ川、登った山、遊び学んだ徳島の街 etc
 想い出が尽きませんね!少年時代に戻ったような気がしました。
 それにしても、ブログ仲間が単にブログだけのお付き合いに終わらず、実際に会って
 絆を確かめ合うのは素晴しいですね。小生も主夫連合の仲間入りしたいところですが、
 人形館のアテンドや今後増えそうな執筆もあり、時間的に無理なようです。
 いずれにせよ、あい子さんのブログ仲間が我孫子に来られましたら、是非ご遠慮なく
 世界の人形館へお誘い下さい。お待ちします。
 晩安!
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箱一杯のトマト

 時々街中で以前チャイナドレス(旗袍)を習っていた生徒の方に会います。
 彼女は我孫子住民です。前々から私のトマト好きを知っておられ、美味しいトマトを届けに来て下さっていました。
 先だっては箱一杯のトマトを抱えてお見えになりました。

         トマト箱入り

 このトマトは印西市の夢農楽という農園で作られているトマトです。前から頂いていたのも勿論この農園の物です。とても確りとしていまして、また美味しいのです。

 箱を抱えて玄関に入って来ましたので、自転車?でとお聞きしましたらご主人の車でと、直ぐお帰りになりました。
 少こし前チョッと彼女と久し振りにお喋りをしました。チャイナドレスは縫っていないそうですが、刺繍は続けており、また様々なことを学び、実践し生活を楽しんでいると言うことで、表情も活き活きとしております。

 今回トマトを届けて下さった車の運転手ご主人 実は私は近くのスーパーでその姿をお見受けしているのです。
 ご主人は銀行員でしたが定年後は彼女の勧めもあったようですが、シルバー人材センターに登録をし、スーパーに派遣されたのです。品出しという仕事だそうです。私が目にしたご主人は姿勢が良く、品物を出し並べる手際もきびきびしております。仕事は楽しく、今は商品のことも詳しく、負けちゃいますとは彼女の言葉です。
 先日のお喋りの際にお聞きしましたら、パートは週4回 後はボランテア活動をされているとのことです。
 ご主人はハーモニカを吹き、歌を歌い、そしてカラオケの指導もされていると言うのです。
 市の方にも登録をして、ハーモニカの講師もなさっているそうです。
 出来ればもっとボランテアを増やしたいそうですが、とても楽しく過ごしていると言うことです。
 二人のお子さんは結婚して家を出ていますから、二人はそれぞれ活躍の場があり、素晴らしい定年後の生活だな~と感心しております。ご主人のボランテア振りを紹介したブログをご覧ください。
 このブログで名前が出て来ますが、国定さんと言う名字です。国定と聞きますと国定忠治と言う言葉が浮かんで来ましょ。国定さんは国定村のご出身だとお聞きしたような気がします。
 町村の名前と同じ方はその地の旧家の方が多いですね。
 私の同級生にもそう言う方おりました。その村の名前を耳にしますと、懐かしさが浮かんで来ますね。
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チビ孫をユーチューブで見る

 二女の娘 チビ孫は4月から小学校5年生になりました。
 何しろ変っていて面白い子です。落語の笑点が大好きで、志村けんのファン
 キムヨナの物真似はもう余りにリアルで笑いが止まりません。
 虫やトンボも好きで、夏の夜蝉の孵化を観察に出かけたり、忙しいこと。
 体を動かすことが大好きですので、数年前からダブルダッチと言う物に夢中なんですね。
 このダブルダッチと言う物が運動なのかどうかどう表現すれば良いのか、お婆さんには良く分からないのです。
 ダブルダッチの練習は夕方からあり、孫と二女は練習に遠くまで出かけて行きます。
 時々コンテストもあるようで、日曜日には都内へも出かけているようです。
 そんなことで、最近は我が家に現れることが少なくなっています。

 先月渋谷公会堂で行われた「ダブルダッチコンテストワールド」ですが、スピードとパフォーマンスのジュニア部門でトップになりました。

       ダブルダッチ

 スピードは3人組です。縄を持つ二人と跳ぶのが一人で三人です。
 パフォーマンスは7人で演じます。

 ユーチューブで見ることが出来るようになりましたが、可愛い孫の演技を毎日眺めています。
 ここからお入りになり見てください。これはスピードを見ることが出来ます。 
 
 ほぼ3分後にチビ孫は縄を持ち、右側に出て来ます。男の子が飛びます。跳ぶ時間は30秒です。
 次には皆跳と言うところをクリックして頂くと7人組の皆跳グループのパフーマンすです。衣装はべストの半分がチェックです。チビ孫は最初は右側におりますが、7人が寄って集まり演技をしますと、一所懸命に跳んでいます。
 最後の頃、片手で回転をします。全体の演技が子どもらしく、とても良い演技でした。

 チビ孫は今年に入ってアメリカ行きの選考会でジュニアとして4人の仲間と6月にコンテストに参加することに決り、今日はパスポートを受け取りに行くと言っております。

PS 4月19日午後10時から10時半 
BS日テレでキズナのチカラと言うタイトルですがチビ孫も見られるかも知れません。放映の紹介に下記のように書かれています。チビ孫の所でず~と取材があったそうです。
 超高度な技の連続!2本の縄でパフォーマンスを競うダブルダッチ。コーチと共に世界一を目指す女子チーム。チームワークが全てのこの競技で不協和音が…。果たして結果は?
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海茸

 我が家の朝食に欠かせない物が3点あります。
 焼き海苔・トマトそれに海茸の粕漬けです。この海茸の粕漬けは九州の高橋総本舗から取り寄せています。
 夫は戦争末期に佐賀に疎開しており、そこでの生活は決して楽しいものでは無かったそうです。
 疎開者への苛めと言うような苦労は無かったようですが、東京生まれの夫には厳しい生活だったようです。
 佐賀では有明海が近く、そこで取れる海茸が美味しくて好きになっていたようです。
 
 海茸の粕漬けを知った私は竹八さんと言う有名な店が日本橋高島屋の地下食品売り場にあると分かり、時々買いに行っておりました。
 そうですねそれは40年程前からでしょうね。
 九州旅行の時に福岡で見つけたのが、今食べている海茸と貝柱の粕漬けです。
 ところが夫が干した海茸が食べたいと良く言います。それは私も昔口にしたことのある、変った物です。
 象の足を思いだして仕舞うような代物と言えそうです。高橋さんに時々問い合わせをしておりました。
 それが今までず~と無く、食べて見たいと言い話がチョクチョク出ておりました。
 夫がPCで見つけたのです。あったぞ~と言うことで注文しました。

      海茸  海茸粕漬け

 早速海茸を焼いて食べました。 初めて食べた時の印象と変りません。炙り細く裂いて食べました。
 矢張り硬くて噛み甲斐があります。二人とも硬いものが苦手になっております。
 生の海茸は夫も食べたことが無いそうですが、どうも美味しいらしいのです。
 それは杉浦日向子さんの「ごくらくちんみ」と言う本で偶然見たのです。
 この本はブロ友の南亭さんが同じくブロ友のちゅんごさんに薦めていたのです。とても興味を覚え早速アマゾンで取り寄せました。PCは便利ですね。そして人との繋がりが広がりますね。
 でその南亭さんの薦められた「ごくらくちんみ」に南亭さんは素晴らしい解説と言いますか、読後感を書かれております。  それは是非からご覧になって下さい。
 その本の中で「うみたけ」と言う一項を見ることが出来ます。そのタイトルの下にうみたけのイラストが描かれています。

             うみたけイラスト

 このイラストの下には 【うみたけ】海茸。ニオガイ科。茶褐色の水管が非常に発達している。独特の旨(うま)みと歯ごたえ、泥の風味が持ち味。 とあります。
 将にその通りの食感と味です。
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ブンタン類取り寄せ

 このところ普通のミカンは時期が過ぎているのか、美味しくなく感じます。
 正月が過ぎると味が落ちるのはどう言う種類なのでしょうか。
 柑橘類を見ますと、実に多くの名前が見られます。

 母方の祖父が土佐の出身ですが、その関係で長く土佐文旦を取り寄せていました。皮が厚く力が落ちている私には剥くのも大仕事です。
 この所熊本のあかちんさんから無洗米を送って頂いておりますが、先だっては晩白柚を送って頂きました。
 我が家では放射能の関係で九州から野菜を毎週取り寄せています。おまけにと何かしらが箱に入っております。
 その九州からの野菜に「パール柑」と言う名前の柑橘類が入って来ました。調べて見ましたら、文旦の親戚で、パール柑と言うのは熊本のブランド名だと分かりました。
 それがとても食べ易く、甘さは強くはありませんが、この時期にピッタリの爽やかな口当たり。
 
 これは良いわと、あかちんさんにお尋ねしました。あかちんさんは直ぐにパール柑を送って下さいました。
 そのパール柑の成っている畑に出掛けたあかちんさんはその風景をブログで紹介されております。

        パール柑

 陽光の当たる畑 段々畑に成っているパール柑 とても立派です。送って頂いたパール柑の破格とも思える値段に驚きました。
 そこで友人に送りたいと再度お願いしましたら、今年の分は全部出荷済みとのこと。残念でした。
 
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じゃ~誰に売るの?

 魚屋の小父さん
 「お母ちゃん 見せたいのがあるよ」「何々?」
 「ヤガラだよ」「頭見せてよ」
 「お母ちゃん 昨日来なかっただろ」「来たわよ小父さんいなかったじゃないの」
 「頭取っちゃたよ」「とに角見せてよ」
 「これさ~売らないんだよ」「じゃ誰に売るの」
 「お母ちゃんにだよ」「じゃ貰うか」
 「何にするかい」「鮨か刺身かお椀だね。でも多いから天ぷらにでもしようかしら」
 「旨いよ~」「滅多に見られないものね」

 ヤガラは柏の高島屋の鮮魚売り場で、高級な魚が丸で並んでいる所で見ることがあります。
 珍しい魚です。この下のスーパーでは鮮魚店の入れ替わりがありましたが、一度も目にしたことはないのです。

              Wikipediaから転載ヤガラ

 口が長く歩留まりの悪い魚ですね。ワンダネにしますと美味しいのですが、我が家の出汁では多分私の思う味にならないのではと、お椀を諦めて、最初は握りにしました。
 翌日は天ぷらと、握り用の残りに他の種を足して、また鮨にして食べました。

     ヤガラ握り  ヤガラ・赤貝・ホタテ

             ヤガラと野菜の天麩羅

 次にお目にかかれるのは何時のことになるやら 小父さんが私にと仕入れて来て呉れたのと比べ、きっと手が届かず、眺めて来るだけになるでしょう。 
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久し振り

 今日午前11時過ぎにチャイナドレスの仲間の方3人が我孫子に見えました。
 一昨年の2月以来、会えなくてなっていました。それは私の足のことが原因でした。
 1975年の9月から一緒にチャイナドレスを習い始め、それ以来一緒に学び、遊び そして中国や台湾に出掛けたこともありました。
 長く2ヶ月に一回は研究会として霞ヶ関ビルにある東海大学校友会で会っていました。
 お互いの事は勿論、家族の事も良~く分かっております。
 前々からブログを見て世界の人形館に行き、見学し万華鏡も見たいと言う希望がありましたので、我孫子駅傍で昼食を済ませ、人形館を訪問しました。
 オーナーの高さん夫妻は何時ものように気持ち良く歓迎して下さいました。
 
      高さんの説明  万華鏡をのぞく

 人形館で眺めた万華鏡 私が初めて覗いた時に狂喜のような声を上げたように、友だちも興奮しております。
 今日は私の家にも来て頂くことになっておりました。
 狭いマンションの仕事部屋にも入って貰い、私の持っているアンティークのチャイナドレスを見て頂きました。 一緒に勉強、研究して来ただけに、見方は専門的です。楽しく見て頂きました。
 我孫子に来て頂くに半日では時間が足りません。手賀沼も案内したいし、もっとゆっくりとお喋りもしたいと思って、別れました。
 福島から来た彼女は昨夜は雪が降ったそうで、メールがあり若しかしたら1時間ほど遅れるかもと連絡がありましたが、時間通りに我孫子に見えました。本当に良かったです。 
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鮨は飽きない

 我が家の食生活は和食中心ですね。
 
 朝食は一番食べますよ。総菜の種類を出来るだけ多くし、良く言われる一日30品目までにはなりませんが、朝食で大分食べていると思います。
 例えば ご飯・味噌汁(大豆・ジャガイモ・若布・ネギ)・焼き海苔・トマト・煮物(大根・豚こま・人参)・ホウレン草お浸し(削り節)・魚の干物か玉子・ちりめん山椒・ヨーグルト・蜂蜜・おろし生姜
 
 昼食は外食以外は殆んど麺類です。蕎麦、うどん、ソーメン、お好み焼き、ラーメンなどですね。
 偶にパンを食べます。パンの時は牛乳を飲みますが、カルシュームのこと等考えてのことではないのですよ。
 何故かと言いますと、女学校のお割烹の時間に、食品分析表を使い、栄養素やカロリーの計算をしたからだと思いますね。その時に可なり熱心に計算し、覚えたからでしょう。それで今は目の子算で見当をつけて食事を作っております。
 勝手に必要な栄養素は取れていると言う気分です。考えとはチョッと違うような感じですね。
 強いて言えばいい加減と言えましょう。
 
 夜は何かしら酢飯を使った物 それに朝の残り物、それに肉か魚料理を一品そんな物です。
 
 ブログに載せたいと思ったものは昼か夕食で作り食べます。
 
 そこでお鮨 どうでしょうか。気温が上がって来ますと、特に良いですね~。

     ほうぼう握り  炙り平貝握り

     かま揚げシラス丼  鰹握り

 ホウボウは珍しくて握って見ました。美味しかったですね。平貝は旨味が少し足りなく、生ホタテにすれば良かったな~と思いました。釜あげシラスは安くてワンパックの半分ほど使いましたので、シラスの値段は150円位。カツオは初カツオと言って良いような新物です。これは老人には食べやすかったです。

 鮨の種は出来るだけ良いものを安くを目指しており、目安は一回500円程度にしております。
 中落ちなどは380円位ですから、良~く眺めて良さそうなのを選びます。
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ワンタンを食べる

 昔からワンタンは大好きです。ですが最近の中華屋さんではワンタンだけを食べさせて呉れる店にぶつかりません。横浜まで行けば良いのかしら。近所の中華料理店で先だってエビワンタン麺と言うのを食べましたが、ワンタンは美味しくても4個ではね~つまらないです。
 富山の瀬戸さんのブログでワンタンのことが詳しく掲載されていました。
 瀬戸さんの使われているような大きな皮は下のスーパーでは出ておりませんので、他のスーパーに行きましたが、矢張りありませんでした。
 それで下のスーパーで皮を買い、ワンタンを作りました。

     蕎麦汁ワンタン  焼きワンタン

     揚げワンタン  ワンタン麺

 ワンタンを雲呑と書いてあるお店がありますね。これは中国広東語だそうです。ですから雲呑麺と言いますとワンタン麺と言うことですね。
 ワンタン麺を作りましたが、何となく良く出来たな~と自己満足しております。
 夫は次は中華スープのワンタンだけのを食べたいようでした。私もワンタンを沢山食べたいですよ。
 そう手が込む物ではありませんから時々作ることになりそうです。
 娘がこれを見たら「今度はワンタンシリーズ?」って言いそうです。
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チャイナドレスは素敵だ  77

 チャイナドレスの立ち襟は時代によって変化をして来ました。
 特に1930年代から襟が極端に高くなったり、また低くなったりしています。特に高いのものは顎の辺りまで覆うような物もあります。
 私は教える場合は1940年代のを参考にし、日本人の首に合うような高さで教えております。
 この高さにも僅かですが、着る人の首などを見て1㎝から2㎝程度の調整をします。

 昨日の生徒さんは普通の高さに決め、襟の作り方へと進んで来ました。
 先ず裏なしですから、襟の裏も同じ布を使って貰います。襟芯を型紙通りに丁寧にカットします。
 布を2枚 中表に合わせて置きます。布地には1㎝の縫い代を周囲に取り裁断します。
 布地の上に芯地を置きます。そして糊で芯地に襟の上の部分を折ってアイロンで貼り付けます。
 そして襟の上になる部分を縫い、襟を作ります。

      襟の作り方

 襟のこの縫う所はミシンで縫っても手縫いでも構いません。昨日は時間がありましたので、手縫いで縫って貰いました。大変綺麗に縫えています。返し縫いで襟芯も一緒に縫います。

 チャイナドレスはこの立ち襟によって姿勢も良くなり、見る人はその人の体の線を見るより先に襟に目が行きます。ですから襟は丁寧に作り、丁寧に身頃に合わせて付けます。

 昨夜生徒さんの一人から香港の映画俳優で有名な章子恰(チャン・ツーイー)の写真が送られて来ました。
 何枚かの内、特に襟元の素敵な一枚を掲載したします。

        チャン・ツーイー襟

 この襟の特徴は襟が高く、レースを貼り付けていますね。ボタンも大変凝っています。
 これは香港でも腕の良い仕立て人の作品でしょう。ため息が出ます。
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チョッとアルコール休み

 一昨年秋から痛み、歩行のままならぬ私 病院で薬を頂き、鍼や整体治療などで何とか治したいと日々過ごしております。
 PCで同じ症状の方はどうされているかと、探し続けておりました。
 一ヶ月ほど前に見つけた同じ様な症状 その治療方法は神経内科で診て頂くと良いとありました。
 そして神経内科のある病院を調べて見ましたら、JAとりで総合医療センターや我孫子の平和台病院にあると分かりました。
 JAとりで総合医療センターには内科と耳鼻科を利用したこともあり、時間を見て診察を受けに行くつもりでした。
 TVでアリナミンのコマーシャルを眺めている内に「ああそうだこのビタミン剤は50年以上前から疲労回復に効果があるらしく、病院でも出していたわ」と思い出しました。
 病院に行く前にこれを試して見ようと思い、二女の夫に話しました。
 それが「平和台病院にいた先生が我孫子に開業したので、そこに相談に行かれて見たら」と言うのです。
 
 昨日その病院に行って来ました。わたなべファミリークリニックと言います。世界の人形館の近くです。
 バスで二駅目で下車して200mほど歩きますと着きます。
 病院のHPで読みますと、なかなか確りとした理念で診療されているようです。
 先ず最初にそのことが本物だと分かりました。受付の方の対応も良い感じです。

       わたなべファミリークリニック

 一通り受診希望の内容や、発症時などを記入して受付に出しました。勿論保険証も出しますよ。
 診察室に入りますと、HPでのお顔の先生は自然な態度で椅子を勧めて下さいました。
 この際ですから私は早速現在の様子を話し始めました。先生は頷きながらPC画面に足の部分を出して、痛む場所を塗って行きます。
 私もお喋りですから、どんどん喋ります。先生は頷きながらまた質問をしながらPCに打ちこんでいます。
 良く此方の顔を見ないでPCばかりと言う医師の話を聞きますが、この先生はそういう態度ではなく、より正確な判断をしようと言う姿が見えます。PCを覗きこみ質問をしますと、紙に場所を書き、そこに答えを書きいれて見せて下さいます。聞きたがり、知りたがりの相子は何だか嬉しくなりました。
 問診とPCでの結果 腰のレントゲンを受けることになり、初めてベットに仰向けになり、撮影されました。
 その結果 老化に伴う現象の様だと痛み止めを一週間分頂きました。
 帰り際「あの~アルコールはどうなんでしょうか」と受付の方に訊ねました。先生が出て来まして「どれ位飲みますか」とお聞きします。
 「100ccから150cc位です」チョッと控え目かな~
 先生は「飲まないで置いて下さい」との返事です。
 それで昨夜はワインを止めてお茶にしました。夫はノンアルコールのビールを飲んでいます。
 アルコールなしの夕食はどうも落ち着きません。そこで夫のビールを貰い飲みました。
 それが不思議なんですね。ビールらしく感じるのです。暫らくはこれで行きましょう。
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青島の思い出・・9

 今日久し振りに中国青島の日本人会事務局長さんからメールを頂きました。
 今年は気温がなかなか定まらなかったようですが、桜が咲き始めたと言うことです。
 青島の桜の名所は中山公園です。過って在留日本人は第一公園と呼んでいました。
 
 青島第一小学校での新学期 お花見遠足で第一公園に行きました。その時の写真はモノクロですが、子どもの後ろに桜が咲いているようです。(この写真は桜島さん提供・私は未だ日本です)
 小学校の遠足は第一公園か海浜公園 そして冬の兎狩りは市内の小高い山です。人口は1940年の資料によりますと市内では53万人と記されております。
 私は2年生の2学期からこの小学校に転入しました。全てが日本の田舎とは規模が違い、大きなカルチャーショックを受けたものです。

      お花見遠足  青島中山公園入り口

 中山公園の入り口 昔は入口の停留所まで我が家からはバスで乗り換えなしで行くことが出来ました。資料によりますと料金は15銭、子どは半額 可なりの距離なんです。昆虫採集が好きで、春から秋まで毎週のようにこの公園に行きました。
 数年前 青島の桜を写した写真を頂きました。沢山頂きましたが、少し紹介致しましょう。

      青島の桜1  青島の桜2

      青島の桜3  青島の桜4

 この公園は1901年に建設され面積は100万㎡ 独逸植物育成試験所の跡
 1940年の資料に目を通しますと花卉樹木23万余 大和桜2万本
 「三四月開花の頃は千紫萬紅 燦若錦雲の景を呈し、ために華人には東園花海と呼ばれた」と記されております。
 現在の広さを調べて見ましたが、ハッキリとは分かりません。
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新学年始まり

 日本の学校制度では4月から新学年が始まりますね。昔は入学式は4月1日に決っていたと思います。
 最近はどうでしょうか。
 チビ孫の通う小学校は県下一のマンモス校とか。卒業式も卒業生を5年生だけで送ったと言うことです。
 何だか寂しいですね。学校行事の中でも記念に残る行事だと思うのですがね。
 昨日の街の風景では入学式に出掛けたらしい、親子連れを見かけませんでした。

 私は1938年(昭和13年)に房総半島の南、今は館山市の北条小学校に入学しました。
 幼稚園に3年10ヶ月も通った後ですから、集団生活への不安などは全く無かったような気がしております。
 入学式の日 校庭で国旗掲揚があり、私はもう一人の子どもと一緒に国旗掲揚の紐を引きました。
 その学校には今は甥の子どもが通っています。

 教室は木造でしたね。多分今は立派な建物になっていることでしょう。
 最近は子どもの入学につき物のランドセルは秋には売りだされますね。私の子どもの時にはランドセルの子どももいましたが、肩に掛ける鞄の子どももおりました。
 小学校に入るとなると学用品を用意しますね。
 印象に残っているのは、石盤です。
 国語の時間は最初から暫らくは石盤と言う板に字を書き、書いては拭き消し、書いては拭き消しということになっていました。石盤に石筆という蝋石を細く削り鉛筆状にした筆記具で字を書きます。石筆は硬くてね字が綺麗には書けないのです。

      石盤

 この石盤にカタカナで字を書きます。日本は未だ貧乏だったのですね。紙を使わずに練習をしたのが数カ月ありました。今は平仮名からですが、私の時はカタカナから始めたのです。
 この小学校には一学期だけ在学し、その後転校をしましたが、女学校でこの小学校の同級生と再会しました。

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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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